梯(かけはし)川 下流部 - matsumoto...石川県 小松市...
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石川県小松市 梯(かけはし)川_下流部
2018.11.27 松本市立安曇中学校 津金一彦
梯川の最近の水害
昭和59年(1984) 6.26~27
梅雨前線の活動のため18箇所
に及ぶ内水氾濫区域が生じ、床
上浸水2戸、床下浸水15戸、水稲
田の冠水209.5ha、消防団45名が
出動。
平成 8年(1996) 6.24~26
停滞していた梅雨前線の活動が
活発となり8地区で20棟の床下浸
水、田冠水120ha、田浸水140ha、
道路の一時通行止め1箇所。堤防
からの漏水で月の輪工を5箇所実
施した。
平成10年(1998) 9.22~23
台風7号の通過による短時間の
激しい降雨により、尾小屋雨量観
測所で総雨量146mmを記録し、埴
田水位観測所で5.07mの既往最
高水位を記録。導流堤欠損、河岸
欠壊、及び19.9haの農地内水堪
水が生じ、4ケ所で土のう積工を
実施した。
石川県小松市南部の加賀市との境界にある鈴ヶ岳に源を発し北に流れ、赤瀬ダムを経て、小松市大野町で郷谷川が合流する。ここから梯川となり更に北上する。小松市千代町で鍋谷川が合流し、河口近くで前川が合流する。小松市安宅町で日本海に注ぐ。
6:57 長田八幡神社
梯川支流八町川
八丁川の護岸工事が盛んにおこなわれている
7:05 めぐみの里 介護老人福祉施設
7:03 JA小松 板津支店
八町川
7:08 石川県立小松明峰高等学校
7:11 八町川が梯川に合流する 右手が下流方向
八町川
梯 川
7:14 左岸の小松ガス(株) 園工場
7:17 養魚場?
梯大橋の歩み
梯大橋の歩み
ここは昔、梯川の渡し場があったところです。平安の時代より、有名な安宅の関があった浜手街道、また山の麓に沿って山手街道がありまし
たが、平野部が開けるにつれその二つの街道の中ほどに、戦国時代に平野を横切る新しい街道が作られました。これが北国街道で、この頃梯川
には橋はなく、街道はこの場所で渡し船で渡っていたのです。
初めて橋が架けられたのは、良く分かっていませんが、江戸時代の当初のようで、船を並べて板を渡した舟橋でした。前田利常公が小松に入
城された寛永17年(1640年)に、より堅固に架け替えたという記録が梯大橋の最も古いものです。この橋が舟橋であったか、木橋であったかわ
かっていませんが舟橋は出水の時は橋板を増し平水には橋板を○じ、洪水を予見した時は橋板を外して、舟の流出を防ぎました。このように橋
板を架けたり外したりしたので、かけ橋(梯)と名付けられて様です。また、川の名も、それまで大川と言っていたのですが、梯川と呼ばれるよう
になり、橋の名が先で川の名となった非常に稀な川です。
その後、江戸時代に木橋・石橋そしてまた木橋と何度も架け直され、昭和11年まで国道の橋として務めを果たしてきました。そして国道が小松
大橋に変わった直後の昭和12年に、先代の橋になりました。この橋は橋長74.6mで、当時としては珍しいアーチ式鉄筋コンクリート橋(T型ニール
セン橋)であり、優雅で美しい姿をしていました。アーチが川面に映った姿から「たいこ橋」の愛称で市民に親しまれていました。
茶屋町は渡し場の傍らに舟を待ち合わせる人々の小憩した掛け茶屋があったので、明治8年に東側の梯橋出村と合わせて茶屋町と名付けら
れました。
対岸の大川町は、小松市の中でも最も古い町のひとつで、度々の水害にあったことから、泥町とも言われていましたが、昭和15年市制施行の
時に、昔の川の名の大川町と変更されました。
泥町の名のように、小松周辺の人々は梯川の水害に悩まされてきました。昭和43年の災害を契機に梯川は一級河川に指定され、川幅を80m
から120mに広げる改修工事を行うことになり、これに伴って、今回の橋長117.4mの梯大橋に生まれ変わりました。
市民に愛され、梯川のシンボル的な橋とするため、市民の方々や学識経験者・小松市等の意見を聞き、地域の意向を十分に反映させるように
検討を重ねました。そして、北国街道をイメージできる木橋風で、古風で落ち着きがあり、親しみが持てる橋といたしました。
平成6年11月 建設省・小松市
8:03
8:03
8:14 安宅漁港のゲート
8:20
8:20 この辺りは海抜2.1m