iwami kagura

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"IWAMIGAGURA" is Japanese samurai story. movie → http://niwaka.xyz/jinrin

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Page 1: IWAMI KAGURA
Page 2: IWAMI KAGURA

始めに生まれてから一度も舞台の上で神楽を舞ったことのない私が、石見神楽について語るなどおこがましいということは百も承知の上で、それでも外で見ている人間にしか伝えられないこともあると信じ、筆を取らせていただきます。

石見で神楽を舞われている方が読まれれば、不快に感じられる表現や、内容も多々あるかと思いますが、どうかお許しください。

神事としての神楽ではなく、私が生まれ育った石見地方(島根県西部)の祭の主役としての神楽の姿を、あの一晩中眠らせてくれない興奮を、県外市外の方々に少しでもわかりやすくお伝えすことが、石見と石見神楽の役に立てることを願って、この紙芝居をここに記します。

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石見神楽とは石見神楽の歴史は、古事記・日本書紀を...といったオフィシャルな説明は、公式ホームページにいけば丁寧に書いてありますので、ここでは省きます。

石見神楽オフィシャルHP:http://iwamikagura.jp/

石見神楽とは何かと聞かれ、ひとことで答えるとするなら、私は「神事」でも、「伝統芸能」でもなく、「鑑賞するドラッグ」であると、断言します。

何より石見神楽の素晴らしさは、小難しい知識など持たない子供でも、思いっきり楽しめるところです。

石見の子供たちは幼いころから、石見神楽というドラッグの中毒になりながら育っていきます。

だから物心つくころには、みんなヤンキーになってしまうのかもしれませんが、それはさておき、この紙芝居では石見神楽というドラッグの正しいキメ方をお伝えしていきますので、最後までじっっっっくりとお楽しみください。

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焦らしと、狂気

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焦らしと、狂気石見神楽を構成する要素は、大きく分けると「焦らし」と「狂気」の2つしかありません。基本的に演目のスタートから中盤までは、焦らしの時間になります。

前半部分では神が舞台に現れゆっくりと舞い、いくつかのセリフを残して去っていきます。

しかし、残念なことに神のセリフは昔の話言葉なので、初めて見る時には何を言っているのかさっぱりわからないことでしょう。

でも、それでいいのです。

ここで、大事なのはストーリーの全貌を掴むことではなく、ひたすらに焦らされるということです。

何をやっているのかわからない退屈な時間、この焦らしこそがストーリーのクライマックスに訪れる狂気を、何倍、何百倍にも増幅してくれるのです。

何をやっているのか、今、ストーリーがどうなっているのかがわからなくても、楽しめるのが石見神楽の醍醐味ですから、ここは安心して焦らされてください。

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焦らしと、狂気石見神楽の演目の元となっている神話そのものは、シンプルな勧善懲悪なものがほとんどなので、見ているだけで子供でも理解することができます。

そして、鬼の登場をきっかけに舞台の緊張感は徐々に高まり始め、奏楽は先程までの焦らしのうっぷんを晴らすかのように、破れんばかりの勢いで太鼓を叩き散らし、高らかに笛を吹き鳴らします。

舞と奏楽が完全にシンクロしたクライマックスの、あまりの激しさ、あまりの美しさに、あなたの感性は刺激され、かつて無いほどの高揚感に全身が包まれていくことでしょう。

太鼓と笛(と小シンバル)、そして舞というシンプルかつ原始的な要素だけで、人間の心と体が抑えきれないほど内側から興奮し、自然と鳥肌が立ってくる体験は、最初不思議に感じられるかもしれませんが、恐ろしいことにこれを一度味わってしまうと病みつきになります。

石見神楽を見ると私はいつも、生身の人間が持つ可能性、そのエネルギーの凄まじさに感動させられてしまうと当時に、エネルギーが伝わる量は距離に比例するのだなと実感します。

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アマチュアの恐ろしさ

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アマチュアの恐ろしさ歌舞伎などの芸能とは違い、石見神楽を舞う人達は皆、アマチュアです。

神楽社中に所属するメンバーは全員、他に生業を持ちながらも、仕事が終わった後に集まり、夜な夜な石見神楽の修練に励んでいるのです。(石見神楽を舞う団体のことを石見では神楽社中、または神楽団と呼びます)

サッカーや野球など、スポーツの世界では、一般的にアマチュアよりもプロの方が実力が上というのが常識ですが、石見神楽に関しては全員がプロとして持っている自分の仕事以上に神楽を愛しているというのが、ヒシヒシと伝わってきます(私の勝手な予想ですが)。

頑張ってもプロスポーツ選手のように莫大なお金を貰えるわけでもないのに、ただ好きだからという理由で子供のようなキラキラした目で週に何度も集まって練習に励み、舞台の上では水を得た魚の如く縦横無尽に躍動する。

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アマチュアの恐ろしさ言葉にせずとも、石見人の決して真面目ではないが人生を思いっきり楽しもうとする生き様が、石見神楽には現れています。

そして、お金のようなわかりやすい報酬がなくても、人は、本当に自分が心から好きだと思えることをやっていれば、何歳になろうとも、どこにいようとも、輝けるのだと、彼らの舞っている姿を見て私はいつも実感させられます。

これが石見神楽の隠れた醍醐味であり、神楽の笛の音、太鼓の音が聞こえてくると、石見ではいつの間にか人だかり出来てしまう理由もここにあるのだと思います。

神楽が終わった明け方に、皆が口々に「よかったね~」「元気もらったわ~」と言いながら家路に着いていく後ろ姿は、いつ見ても心があたたります。

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石見人は頭がおかしい

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石見人は頭がおかしい石見神楽の奉納は、あたりが暗闇に包まれる夜8~9時ごろから始まり、夜が明け始める朝5時ごろまで、ぶっ続けで行われます。

(私はこれが日本の祭のスタンダードだと思っていましたが、どうやらこれはかなり異常なことらしいと気づいたのは、つい最近のことです)

とはいえ、各演目の上演時間は、約40分~1時間程度。

一演目終了ごとに舞台準備&御花を読むのに10分ほどかかりますので、夜明け舞に一晩ぶっ続けでかじりつけば、7~8演目は楽しむことができます。

私が酒を飲み始めると朝までとことんいかないと気がすまないのは、石見神楽のせいですね...たぶん。

※石見神楽の演目は、日本神話を基に先代より伝えられ、神前を清める神事舞から、物語性のある能舞まで、その数は約30数演目にものぼります。

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田舎のクラブ

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田舎のクラブ酒と女と祭以外の娯楽がほぼない石見地方に住む人々にとって、石見神楽は都会でいうところのクラブのようなものです。

酒を飲みながら、音に身を任せ、神話の世界にトリップする。

最近ではステージで舞うような神楽大会も増えてはきましたが、石見神楽の真髄はやはり祭の時に、神社で酒を飲みながら各々のスタイルでダラダラと鑑賞することにあります。(私も今まさに酒を飲みながらダラダラと、この紙芝居を書いています。笑)

かしこまる必要はなく、最初から最後まで見る必要すらありません。

皆、自分のタイミングでやってきて、自分のスタイルで鑑賞し、また自分タイミングで帰ってゆく。

その自由さこそが、石見神楽の懐の深さであり、そんな自由な石見人のハートを鷲掴みにしてやろうと、演者もより舞に力が入るのです。

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おっさんが一番偉い

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おっさんが一番偉い神楽の主役はあくまでもおっさんです。

売れっ子の若手でも、カワイイ女の子でもなく、哀愁ただよう近所のおっさんが、舞台に上がると誰よりもハンサムに見えてしまうから、不思議なものです。

人生の酸いも甘いも知り尽くしたかのようなおっさん舞や、おっさんが奏でる太鼓の響きは、しみじみと体中に沁み渡り、心地良い緊張感に我々をいざないます。

かと思えば、神と鬼が対峙する合戦のシーンでは、おっさんは絶叫しながら破れんばかりの勢いで太鼓を叩き散らし、見ている者の全身の血が沸騰するようなビートを刻みつけるのです。

石見神楽の主役はおっさん。

それも、特別なおっさんではなく、そこらへんにいる普通のおっさんがヒーローに変身してしまうことが、石見神楽の大きな魅力なのです。

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縛りプレイという美学

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縛りプレイという美学石見神楽演目三十番と呼ばれる30の演目が、石見神楽の基本です。

現在石見地方に存在する約200の神楽社中が、それぞれの社中の伝統・解釈に基いてこの30演目を保持、発展させています。

石見神楽は約200の団体が、全て同じ台本を使い、同じ演目を舞っているのです。

つまり、ストーリーでの差別化ができないため、それぞれの社中は工夫を凝らし、衣装、面、奏楽の盛り上げ方、口上の喋り方など、演出面でしのぎを削り合います。

(人気の神楽社中には必然的に御花(寄付)がたくさん集まり、衣装を新しいものに買い替えたり、面を修復したり出来るので、そういう意味でも各社中とても真剣なのです)

※口上=セリフ※口上の内容は縛りの対象のため、台本からの変更は不可

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縛りプレイという美学とはいえ、普通は同じストーリーを何度も見たら飽きるんじゃないかと思われると思うのですが、逆です。石見神楽は、見れば見るほど、味が出てくるのです。

生まれてからこれ見るのはもう百回目なんじゃないか、というような演目を見ても「まさかこの場面をこんな風に解釈して、こんな演出をしてしまうなんて…」という驚きが、神楽を見ていると未だにしょっちゅう私に襲いかかってきます。

神が鬼を倒す、という極めてシンプルなストーリーであり、結末は神が勝つと誰もがわかりきっているのに、それでも最後まで目が離せないのは、社中によってシーンの解釈が違い、魅せ方が違うからです。

この社中なら、どんな風にこの鬼を舞うのだろうか?この社中なら、どんな風にこの場面を盛り上げるのだろうか?

もちろん、正直言って全ての社中が当たりではありませんが、それでも今まで見たこともない演出に出会った時の興奮や、いつも見ている社中の演出が進化した瞬間に立ち会ったときの不思議な親心に、私はいつも何とも言えないエクスタシーを感じてしまうのです。

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鑑賞するドラッグ

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鑑賞するドラッグこれまで色々と書いてきましたが、結局いくら言葉を尽くしたところで、実際に自分でキメてみないと気持ちよさがわからないのがドラッグというものです。

「では、この紙芝居を読んで石見神楽が気になった方は、こちらの動画を御覧ください...」

と、やりたいところですが、動画では石見神楽を見ることは出来ても、石見神楽をキメることはできません。

ですから、この紙芝居を目にして、1ミリでも石見神楽に興味を持ってくれたのなら、ぜひ私に声をかけてください。

以下のアドレスにご連絡いただければ、私がこの世で一番石見神楽をキメられる極上のツアーを、季節やご予算に合わせてコーディネートさせていただきます。(なんなら、一緒に行きましょう!)

アドレス:perm●kurobonjour.com(●を@に変えて、送信してください)

ありがとうございました。

平成二十六年 十月十一日

三浦洋之