lyrical ballads のパストラル、「マイケル」と 「サイモン・...

13
1 1 オックスフォード版『ワーズワス全集』の編者、トマス・ハッチンソン が、ワーズワスが1800年にダヴ・コテジで書いた作品には「多くのパストラ ル」が含まれると述べていることに、バーナード・グルームは注目してい る。 (1) この言葉を実証するように、初版のLyrical Balladsには一編も書かれ ることのなかったパストラルが、1800年の第二版のLyrical Balladsには、「マ イケル」など五編のパストラルが登場し、さらに、1802年の第三版の題名に は、 Pastoral and other Poems’という言葉が加わっていた。このことからも、 1798年の9月にドイツのゴスラに滞在し翌年の4月にイギリスに帰り、そし て、同じ年の暮れには湖水地方のダヴ・コテジに移り住んだ時期のワーズワ スが、いかにパストラルという詩の形式に夢中になっていたかが推測される。 「パストラルの中でも最も良いものは、『すべての著作の中でも最も哲学的な ものと』考えられる詩に属している」 (2) と、グルームがワーズワスのパスト ラルに対する見解を要約しているように、ワーズワスは、パストラルを詩の 中でもより高い位置にある形式と考えていたのであろう。 「ワーズワスの詩全体の中で傑出したパストラルは『マイケル』である」 (3) というグルームの言葉を待つまでもなく、ワーズワスの多くのパストラルの 中でも最高傑作と評される長詩「マイケル」が書かれたのは、1800年の10月 から12月にかけてであり、Lyrical Balladsの第二版が出版される直前であっ た。同じ時期に書かれたパストラルである「兄弟」とともに、 「愛情に基づく詩」 Lyrical Ballads のパストラル、「マイケル」と 「サイモン・リー」に見る父親と老人の姿 高野 正夫

Upload: others

Post on 08-Aug-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • 1

    1

     オックスフォード版『ワーズワス全集』の編者、トマス・ハッチンソン

    が、ワーズワスが1800年にダヴ・コテジで書いた作品には「多くのパストラ

    ル」が含まれると述べていることに、バーナード・グルームは注目してい

    る。(1)この言葉を実証するように、初版のLyrical Balladsには一編も書かれることのなかったパストラルが、1800年の第二版のLyrical Balladsには、「マイケル」など五編のパストラルが登場し、さらに、1802年の第三版の題名に

    は、‘Pastoral and other Poems’という言葉が加わっていた。このことからも、1798年の9月にドイツのゴスラに滞在し翌年の4月にイギリスに帰り、そし

    て、同じ年の暮れには湖水地方のダヴ・コテジに移り住んだ時期のワーズワ

    スが、いかにパストラルという詩の形式に夢中になっていたかが推測される。

    「パストラルの中でも最も良いものは、『すべての著作の中でも最も哲学的な

    ものと』考えられる詩に属している」(2)と、グルームがワーズワスのパスト

    ラルに対する見解を要約しているように、ワーズワスは、パストラルを詩の

    中でもより高い位置にある形式と考えていたのであろう。

     「ワーズワスの詩全体の中で傑出したパストラルは『マイケル』である」(3)

    というグルームの言葉を待つまでもなく、ワーズワスの多くのパストラルの

    中でも最高傑作と評される長詩「マイケル」が書かれたのは、1800年の10月

    から12月にかけてであり、Lyrical Balladsの第二版が出版される直前であった。同じ時期に書かれたパストラルである「兄弟」とともに、「愛情に基づく詩」

    Lyrical Ballads のパストラル、「マイケル」と「サイモン・リー」に見る父親と老人の姿

    高野 正夫

  • 2

    と分類された「マイケル」は、悲しい父と子の愛の絆をうたった作品であり、

    ワーズワス自身が、「マイケル」の創作の意図は、息子への盲目的な愛と先

    祖伝来の土地への愛着との板挟みになって動揺し、思い悩む男の姿を描くこ

    とにあったと述べているが、この詩に関してワーズワスは、当時のホイッグ

    党の党首であったチャールズ・ジェイムズ・フォックスにわざわざ手紙(1801

    年1月14日)を書いて、「マイケル」と「兄弟」を読むように促している。

     イギリス「社会の下層階級の間に見られる家庭的な愛情の急速な崩壊」(4)

    を、国の支配者たちが気付いていなかったり無視していることを取り上げ、

    「イギリス中に新たに工場製手工業が広がったことにより、郵便料への重税

    により、貧民収容施設や救貧院により、そしてスープ接待所の考案などによっ

    て、……このようなものの影響の及ぶ限り、貧しい人々の間の家庭的な感情

    の絆が弱まってきており、無数の例においては完全に崩壊している」(5)と、

    きわめて詳細に実情を説明している。家庭的な愛情の絆が、健全な社会の

    発展と維持にとってはいかに大切なものであるかを認識していたからこそ、

    ワーズワスは、当時の貧しい人々の間に広範囲に浸透しつつあった家庭的な

    愛情の崩壊を深く憂慮していたのであろう。

     ジョン・パーキスは、「明らかにワーズワスは、自分の詩がこの方向にお

    いて肯定的な影響を与えるであろうと思っていた」(6)と述べ、この時期にな

    ぜワーズワスが「家庭的な愛情」特に、母と子の別離を扱った詩をこれほど

    多く書いたのかについて理由をあげている。「このような詩を読んだ人々が、

    貧民収容施設での夫と妻の別離や、子供たちを売って工場に『徒弟奉公に出

    す』ような、抜け目のない計画の推進をやめてくれることをワーズワスは望

    んでいたのだった」(7)。このように、パーキスがあげた、家庭的な愛情を扱っ

    た詩や「愛情に基づいた詩」として分類された多くの詩をワーズワスが書い

    たのは、彼が詩人としての社会的な役割を強く認識していたからであろうが、

    それは、「常に貧しい人の友」と言われたワーズワスのような詩人としては

    きわめて当然なことであろう。

     さらに、ワーズワスの生い立ちについて考えるとき、そこには彼自身の特

  • 3

    別な思いがあったのかもしれない。ワーズワスは、湖水地方のコッカマスで、

    ローザー卿の代理弁護士を務めた父ジョンと、母アンとの間に五人兄弟の次

    男として1770年に生まれていた。しかし8歳で母親を、13歳で父親を亡くし

    ていたワーズワスにとっては、普通の家庭生活は、わずか8歳までしか味わ

    うことが出来なかったのだった。母親アンが没して1年ほどして、ワーズワ

    スは兄のリチャードとともにホークスヘッドのグラマー・スクールに、妹の

    ドロシーはハリファックスの伯母のもとへ送られ、両親の愛に包まれた平和

    な家庭生活は、幼くしてまったく消え去ってしまったのだった。いわば幸せ

    な家庭生活の崩壊を自ら経験していたワーズワスにとっては、母と子の断絶

    という主題は、決して見逃すことのできないものであった。母を亡くしてか

    ら、父と別れながらのホークスヘッドの下宿生活は、ケンブリッジ大学に進

    むまで8年間続いたが、13歳の時の突然の父の死によって両親を失ったワー

    ズワスは、普通の幸せな家庭生活を十分に味わうことなく成長していったの

    である。

     ワーズワスがこれほど多くの家族の愛、特に、母と子、父と子の絆をうたっ

    た詩を書き上げた裏には、彼自身の両親の喪失による家庭生活の崩壊に対す

    る複雑な思いがあったのだった。ジェイムズ・フォックスに「マイケル」を

    読むように勧めるときのワーズワスには、マイケルと息子ルークとの間に見

    られるような愛の絆の悲しい断絶は、決してあってはほしくないという強い

    思いがあったのであろう。特に、人間の健全な成長にとっては不可欠な父親

    の存在や愛情を青年期に喪失していたワーズワスにとっては、「マイケル」は、

    自らの個人的な思いが込められた特別な詩であったからこそ、フォックスに

    読んでほしいと懇願したのであろう。

     ワーズワス自身のきわめて個人的な感情が色濃く反映された「マイケル」

    には幾つかの解釈がなされている。ロジャー・セールスは、「ワーズワスの

    望みは、18世紀初期の田園的な社会が資本主義者以前のユートピアであった、

    と示唆することである」(8)と述べ、「マイケル」は、18世紀の田園生活を理

    想的なものとして描いた作品であると見ている。

  • 4

     ワーズワスにとって、大自然の懐に抱かれて暮らす田園生活者は、都会に

    住む人以上に素朴で純粋な人々に思われたのであろう。特に、『序曲』の第

    八巻でも、「羊飼いたちは最初に私を喜ばしてくれた人間であった」と述べ

    ているように、ワーズワスは、羊飼いに対しては特別な思いを抱いていた。

    そして、グリーンヘッドギル渓谷に住むマイケルもその一人であり、20歳年

    下の妻イザベル、一人っ子のルーク、2匹の番犬と一緒に平和な日々を送っ

    ていた。墓に片足を入れたような年頃に出来た息子だったので、マイケルは

    ルークを溺愛した。マイケル一家の模範となるような暮らしぶりを、ワーズ

    ワスは次のように熱く、詳しく紹介している。

      

      Not with a waste of words, but for the sake  Of pleasure, which I know that I shall give  To many living now, I of this Lamp  Speak thus minutely: for there are no few  Whose memories will bear witness to my tale.  The Light was famous in its neighbourhood,  And was a public Symbol of the life,  The thrifty Pair had liv’d.

     彼らは近隣でもよく働く非常にまじめな一家として名を知られていて、彼

    らが夜遅くまで仕事に励むためにともすランプの灯りは、一家の慎ましい暮

    らしを指し示すしるしとして、はるか遠くからも仰ぎ見られたのだった。

     そして、イーズデールの谷の高みからダンマル・レイズの峠まで北から南

    へと見渡せる、小高い丘の上に立っていた彼らの家は、その勤勉さを象徴す

    るものであった。

      And from this constant light so regular  And so far seen, the House itself by all

  • 5

      Who dwelt within the limits of the vale,  Both old and young, was nam’d The Evening Star.

     同じ谷間に住むすべての老人も若者も彼らの家を「宵の明星」と呼ぶほど

    にいつも絶えることなく光るマイケルの家の灯りは、彼らの勤勉さや、慎ま

    しい暮らしぶりを示すだけでなく、セールスの言うように、まさに田園生活

    者が日々を平穏無事に送るユートピアのような場所を象徴するものであっ

    た。  また、セールスの解釈とは対照的なものにハートマンの解釈がある。「産

    業主義化が湖水地方の丘陵農場主の生計に与えていた影響に対する攻撃とし

    て」(9)「マイケル」を見るものであり、産業革命の大きな波がイギリスの長

    閑な田園地帯にまで押し寄せてきたことを強調するきわめて現実的な見方で

    ある。

     産業主義化の荒波が素朴なマイケル一家にも押し寄せ始めたことを表す場

    面は、詩のちょうど中半に描かれている。

              Long before the time   Of which I speak, the Shepherd had been bound   In surety for his brother’s son, a man   Of an industrious life, and ample means;   But unforeseen misfortunes suddenly   Had prest upon him; and old Michael now   Was summoned to discharge the forfeiture,   A grievous penalty, but little less   Than half his substance.  この話のずっと以前に、マイケルは甥の借金の保証人になっていたという、

    きわめて現実的な金銭をめぐる問題が、マイケル一家の平穏な暮らしを一瞬

  • 6

    にして奪い去ってしまうのである。勤勉で、資産も豊かであった甥を信用し

    て保証人になっていたマイケルにとっては、まったく信じられないようなこ

    とであろう。結局は、産業主義化がもたらした資本主義的な契約という新た

    な社会のきまりによって、彼は理不尽とは思いながらも、甥に代わって借金

    の返済をする羽目になってしまう。21世紀の現代では、契約という概念はき

    わめて普通の社会的な約束事であり、これを基にして人々の生活は成り立っ

    ていると言っても過言ではないが、今から200年以上も前のイギリスの田園

    地方に住む、マイケルのような素朴で純粋な羊飼いにとっては、まったく受

    け容れ難い事実であったことであろう。

     自分の財産の半分ほどとはいえ、それは文字通り、‘A grievous penalty’(「耐え難い罰金」)であった。新たな産業主義の下では、それは決して免れるこ

    とのできない責務となる。しかし、マイケルの家族にとって、この悪い知ら

    せは、その後の彼らの平和な暮らしを脅かすほんの前触れに過ぎなかったの

    だった。

     さて、このように非常に対照的なセールスとハートマンによる、これらの

    解釈は、当時のイギリス社会の現実的な状況との関連で「マイケル」を分析

    するものであるが、「マイケル」に付けられた‘A Pastoral Poem’という副題の点から考えると、ワーズワスのこの詩に込めたもう一つの別の意図が見え

    てくる。

     それはカール・ウッドリングも述べているように、パストラルの伝統的な

    主題に対する挑戦であった。言い換えれば、「民主主義的な考えに照らして

    古典主義的なヒロイズムを批判する」(10)ことであった。ワーズワス自身が、

    「裕福で洗練された読者を喜ばすために、人工的な仕事によって野暮な田舎

    者は品位を落とし、固有のものではない違いを見せられ、それによって『社

    会が人間を』人間から『分け隔てている』」(11)と述べているが、新たな産業

    主義の発展によって貧富の差が生まれ、裕福な者とそうでない者との差別が

    あからさまになるような社会は、彼にとっては真の意味でのパストラルとは

    言えないのであろう。

  • 7

     さらに続けて、ウッドリングは、「したがって、『マイケル:田園詩』の副題は、

    新古典主義的な仮装衣装の中へと伝わって来たアルカディアの人々をアイロ

    ニーによって拒絶している。『マイケル』と『兄弟』においてワーズワスは、

    人工的なものとますます結び付いてまた元気になったパストラルの伝統に立

    ち向かっている」(12)と述べ、ワーズワスの意図を説明している。この言葉で

    明白なように、「マイケル」にはワーズワスの詩作の意図が隠されているが、

    さらにこの点についてもう一つ、パストラルの伝統に対する彼の反抗の姿勢

    としてその主題があげられる。つまり、ギリシャ以来の伝統的なパストラル

    の主題は、牧羊者や田舎に住む人々の暮らしが人間の悪徳や悲哀とは無縁の

    もので、平和な田園生活を背景にした牧歌的なものであることをうたうもの

    であった。しかし「マイケル」でワーズワスがうたった主題は、伝統的なパ

    ストラルのそれとは違って父と子の絆の断絶という悲しいものであった。

     このようにパストラルの伝統に多少背いて書かれた「マイケル」には、ワー

    ズワスの一人の人間としてだけでなく、公の詩人としての思いが様々に込め

    られていることが分かる。詩の創作の意図や目的に関してはすでに述べたよ

    うに、当時のイギリス社会に見られた、家庭的な愛情の崩壊に読者の注意を

    喚起することや、先祖から譲り受けた土地を守ろうとするマイケル一家の哀

    れな虚しい努力を描くことであった。その他、この詩に関してしばしば取り

    上げられる論点としては、なぜ息子のルークが悪の道に走ったのかなどがあ

    げられるが、「マイケル」という詩を読むときの最も大きな論点の一つにあ

    げられるのが、マイケルの悲劇の原因がどこにあったのかという素朴な疑問

    であろう。この点に関してワーズワス自身が明確に述べていないため、読者

    や批評家としては、推測する以外に手立てはないのであるが、ウッドリング

    は、「たった一つの石を持ち上げる理由も与えられずに座るとき、マイケルは、

    自らの転落の原因が、高慢か、虚栄心かあるいは貪欲さでさえあったのかど

    うか思うことだろう。しかし、それが愛のためではなかったと確信できる批

    評家は誰もいない」(13)と述べている。ウッドリング自身もその明確な理由は

    明言していないが、息子への盲目的な愛情の強さが、マイケルの癒やし難い

  • 8

    悲しみの一因となったと間接的に述べているようである。

     いずれにしても、詩の結部に象徴的に描かれた、「そして、たった一つの

    石さえも持ち上げることはなかった」という、一行の言葉に読者は心を打た

    れるのであろう。それというのもここには、息子ルークにある意味では裏切

    られた年老いたマイケルの絶望的な落胆の思いが、きわめて効果的に描かれ

    ているからであり、この一行に凝縮された羊飼いマイケルの抑制された悲し

    みに誰もが同情の念を抱くのである。

     さて、悲しみに沈むマイケルのような哀れな老人を描くときの、詩人ワー

    ズワスの態度には、何かしら心温かいやさしさが感じられる。言い換えれば、

    老人という非常に弱い立場にある人間に対する関心や慈しみのような感情が

    隠されている。

     このような老人に対するワーズワス自身のいたわりの気持ちとも言える、

    深い気遣いの思いは、Lyrical Balladsの他の幾つかの作品においても見出されるのである。

     サイモン・リーと呼ばれた老いた猟夫についての詩「サイモン・リー」に

    おいては、自分が受けた親切な行為に対する老人の率直な感謝の気持ちが最

    終連でさわやかに描かれている。

      The tears into his eyes were brought,  And thanks and praises seemed to run  So fast out of his heart, I thought  They never would have done.  -I’ve heard of hearts unkind, kind deeds  With coldness still returning.  Alas! the gratitude of men

  • 9

      Has oftener left me mourning.

     ジョン・ウィリアムズは、「サイモンの不釣り合いに大きな感謝は、思慮

    を欠いた詩人にその行為の真の意味について、それ故、詩の真の意味につい

    て強く考えさせるのだ」(14)と述べているが、この詩には詩人の強い意図や特

    別な主題が込められている。そして、この詩の「最後の4行には詩人の微妙

    な心の動きが吐露されている」とも言われるように、ワーズワス自身が抱い

    ていた、詩そのものについての複雑な思いが感じられるが、それは一言で言

    えば、ジョン・パーキスの言うように、当時ワーズワスが大きな影響を受け

    ていたウィリアム・ゴドウィンに対する反論として、この詩が書かれたと

    いうことである。(15)初期のワーズワスは、ゴドウィンの思想に共鳴していた

    が、Lyrical Ballads出版の数年前にはそのあまりにも非人間的な考え方に強い幻滅を抱いていた。自らの様々な問題に対する解決方法をゴドウィンの思

    想から得ようとしていたワーズワスは、それも叶わず最後には、「道徳的な

    問題を絶望的に放棄した」のだった。「人間は、子としての敬 な気持ちや

    感謝のような最も明白な情緒さえも無視すべきである」(16)というゴドウィン

    の偏った考え方は、犯罪や罰に対するゴドウィンの考え方が与えたときのよ

    うに、ワーズワスに確かな拠り所を与えることはなかった。

     この詩の意図については、エミール・ルグイもパーキスと同様の見解を述

    べている。「この詩は、『政治的正義』や『ケイレブ、ウィリアムズ』の中で

    述べられたようなゴドウィンの意見、『私が人に恩恵を受けたという理由で、

    他人に抱く好意の感情を、感謝によって理解するならば、それは正義や美徳

    の一部ではない』に反対して書かれたという事実にルグイは注意を喚起して

    いる」(17)。社会に存在する様々な問題を解決するには、ゴドウィンの理性主

    義にあまりにも傾倒した考え方では、実際には不可能であると認識したワー

    ズワスから見れば、ルグイの指摘を待つまでもなく、この詩はある意味では、

    人間の道徳観について問題提起をした作品なのである。「不親切な心のこと、

    親切な行為が/いぜんとして冷淡に報われていることを聞いている」という

  • 10

    ワーズワスの言葉には、「人に親切な行為をされたからその人を好きになる

    ということを、感謝の言葉で理解しても、それは美徳とは呼べない」という

    ゴドウィンの考え方に対する、ワーズワスの強い反発の気持ちが感じられる。

     ゴドウィンに対するワーズワスの反発は、「腐敗した社会は政治的な改革

    の適切な政策によって救済されうるというゴドウィンの確信」(18)に基づいた

    その政治的な理性主義に背を向けることにもつながり、ワーズワスは、実際

    の「社会の腐敗したり、誤り導かれた個人についての研究と関わりのある

    詩」(19)を書くことによって、自らの多少革新的な考え方を実践しようとした

    のであろう。「走り回る陽気な猟夫」としてのかつてのサイモンの強健な肉

    体と、現在の痛ましい「仕事のおかげで傷ついた手足」を、それぞれ、「英

    国の田園の上辺では永遠に見える封建制度的な秩序」と、「急速に促進する

    都市化によって生じる捉え所のない変化や資本の出現、によって形づくられ

    る進歩的な都市化の心理」として(20)、象徴的にこの詩を解釈するトマス・ファ

    ウのような批評家もいるようであるが、いずれの見方の根底にあるのは、「政

    治的な不公平さの犠牲者」(21)としての個人に対するワーズワスの同情の眼差

    しなのであろう。そして、ウィリアムズの言うように、「『サイモン・リー』

    の調子よく響く詩行の裏側で、われわれは、年老いたため働くことも出来な

    くなって、気遣いを忘れた社会の犠牲者として妻とともに自活しなければ

    ならない猟夫のことを知るのである」(22)。ある意味では、イギリス社会に今

    なお存在する階級差別という一般的な問題をも提起する(23)、ワーズワスの、

    社会の弱者としてのサイモンに対する温かい同情の思いが詩の最後の4行に

    込められている。かつては頑健な猟夫であった老人のサイモン・リーが、今

    では弱って木の根も割れないでいるところを詩人が助けてあげて、心の底か

    らの感謝を受けたという、素朴な老人の思いを、ワーズワスは伝えたかった

    のであろう。そして、老衰したサイモンの純粋な感謝の思いに強く心を打た

    れたのだった。小さな親切な行ないに対して見せた、感謝と称賛の思いが心

    から迸るほどの老人の大粒の涙に、詩人は感動を覚えたのである。そこには、

    ゴドウィン的な理性よりも、純粋無垢な人間の感情を大切にするワーズワス

  • 11

    の温かい気持ちが感じられる。

                     3

     最後に再び「マイケル」とパストラルの関わりについて触れるが、「マイ

    ケル」は、「ワーズワスの詩の中でも最も完全なもの」という言葉に代表さ

    れるように、この詩についての評価はほとんどが好意的なものである。さら

    に、「この詩自体は、常にワーズワスの作品の中でも最も愛されたものの一

    つであった」(24)とメアリー・ムアマンが述べているように、「マイケル」は、

    批評家のみならず一般の読者にとっても、ワーズワスの詩の中で最も愛す

    べき作品なのである。マシュー・アーノルドが激賞した、あの有名な‘And never lifted up a single stone.’という一行が、老羊飼いマイケルに対する深い哀れみの気持ちを読者の心に喚起する。そして、父と子の絆を、愛する息

    子によって断たれてしまったマイケルへの深い同情の気持ちが、詩の主題を

    完璧なものにし、いつまでもその愛の悲しみに人々は感動するのであろう。

     しかも、ワーズワスが『湖水地方の案内書』で描写したような、現実の社

    会に生きた一人の羊飼いを主人公として描いたために、「マイケルは、18世

    紀のパストラルの他のどの羊飼いよりもはるかに確実な動機を持った、はる

    かに真に人間的な人間である」(25)と言われるのである。そして、ワーズワス

    が実際に身近で垣間見た、現実の羊飼いの生活を非常に詳細にパストラルと

    いう形式で書くことによって、彼は、18世紀のパストラルの伝統を打ち破っ

    たのだった。もちろん、ワーズワスはパストラルの伝統をすべて拒絶した訳

    ではないが、彼は、同時代の社会的な、政治的な世界の中にパストラルを確

    立することによって、新たな詩の可能性を見出したのだった。ワーズワスが、

    「『マイケル』について書いたチャールズ・ジェイムズ・フォックス宛ての手

    紙においても、パストラルの教訓は、あの世界に生かされるべきですと主張

    している」(26)ように、パストラルは、単に楽園を描くものだけではなく現実

    の社会を描くものだと、彼は感じていたのだった。ワーズワスのこのような

  • 12

    主張の一端は、『序曲』の第八巻で表明された、伝統的な牧歌を夢想的なも

    のだとする言葉にも表われている。

     ワーズワスはLyrical Balladsを出版することによって、それまで詩壇を支配していた擬古典主義的な考えに代わる、新たなロマン主義の流れを誕生さ

    せた。そして、現実的な意味において、ジェイムズ・サムブルックが述べて

    いるように、「詩における文学的な伝統の要素に一つの改革をもたらしなが

    ら、芸術の範囲を途方もなく広げた」(27)のだった。それ故、「ワーズワスは

    ブレイクとともに、最初の明確に現代的なイギリスの詩人」(28)と呼ばれるの

    である。「マイケル」においても同様に、ワーズワスはパストラルの伝統を

    超えることによって、詩がより現実的な人間の世界や、日々の暮らしを基盤

    としたものでなければならないことを示したのだった。そして、この新しさ

    にこそ「マイケル」を描いたワーズワスのもう一つの意図が見出されるので

    ある。

    [注]

     使用テクストは、R.L. Brett and A.R. Jones(ed.), Wordsworth and Coleridge, Lyrical Ballads (Routledge, 1996)とErnest De Selincourt (ed.), William Wordsworth, The Prelude (Oxford U.P.,1959)に拠る。(1)Bernard Groom, The Unity of Wordsworth’s Poetry (Macmillan: St

    Martin’s Press, 1966) p. 38.(2)Ibid., p. 38.(3)Ibid., p. 38.(4)John Purkis, Preface to Wordsworth (Longman, 1970) p. 58.(5)Ibid., p. 58.(6)Ibid., p. 58.(7)Ibid., p. 58.(8)John Williams, William Wordsworth (Palgrave, 2002) p. 66.

  • 13

    (9)Ibid., p. 67.(10)Carl Woodring, Wordsworth (Harvard U.P., 1968) p. 66.(11)Ibid., p. 67.(12)Ibid., p. 67.(13)Ibid., p. 71(14)John Williams, William Wordsworth, op. cit., p. 52.(15)John Purkis, op. cit., p. 76.(16)Ibid., p. 76.(17)R.L. Brett and A.R. Jones, op. cit., p. 284.(18)John Williams, William Wordsworth: A Literary Life, op. cit., p. 94.(19)Ibid., p. 94.(20)Thomas Pfau, Wordsworth’s Profession (Stanford U.P., 1997) p. 217.(21)John Williams, William Wordsworth: A Literary Life, op. cit., p. 94.(22)John Williams, William Wordsworth, op. cit., p. 51.(23)John Williams, William Wordsworth: A Literary Life, op. cit., p. 94.(24)R.L. Brett and A.R. Jones, op. cit., p. 311.(25)James Sambrook, English Pastoral Poetry (Twayne, 1983) p. 128.(26)Ibid., p. 138.(27)Ibid., p. 132. (28)Ibid., p. 132.