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1 NIMBY 施設立地における近隣住民と事業者の合意形成プロセスの研究 火葬場立地をケーススタディに高橋 大阪大学大学院工学研究科 澤木 昌典 大阪大学大学院工学研究科 柴田 1. 背景と目的 廃棄物処理施設や清掃工場などは、公共性が高い反面、 住民は自らの近隣への立地には反対する。この現象を NIMBY(Not In My Back Yard)現象といい、その対象とな る施設は NIMBY 施設と呼ばれている。NIMBY 現象の 発生の抑止や、発生を最小限に留めることを目指した住 民参加型の合意形成プロセスの研究は馬場 1)などによっ て行われているものの、NIMBY 現象が発生した後に事 業者がどのように合意に向けて近隣住民に対し働きかけ るかという視点の先行研究は管見の限り行われていない。 本研究では NIMBY 施設の代表例とも言える火葬場の立 地プロセスについて、枚方市を事例として、NIMBY 象の発生要因、影響、解消要因を明らかにし、発生した NIMBY 現象の解消方法を検討することを目的とする。 2. 調査対象の選定 2-1. 選定方法 大阪府下 56 件の火葬場の中から、(1)新設の際に反対 運動が起こった火葬場であり、かつ、 (2)最も新しい火葬 場という条件から対象を選定した結果、平成 20 年竣工の 枚方市立火葬場「やすらぎの杜」 (以下、新火葬場という) の立地に際の事業者である枚方市と住民との合意形成の 過程を対象とした。 2-2. 調査対象の概要 調査対象の概要を表1に示す。また、図 2 は新火葬場 周辺の土地利用を表しており、一般低層住宅地の中に新 火葬場が立地していることがわかる。新火葬場の敷地は 4 地区に隣接しており(表2)、新火葬場の立地以前より、 それぞれの地区に自治会が存在していた。 3. 対象の合意形成プロセスにおける事実関係 の確認とその背景・効果の分析 以下は、枚方市の公開文書及び同市へのヒアリング を通じ収集した情報に基づく(3)平成 13 6 月、枚方市議会は新火葬場立地を含む「安 心と輝きの杜整備事業(以下、事業という)」の計画を議 決した。立地予定地に隣接する 4 地区のうち、小倉東町 自治会と片鉾本町自治会は反対姿勢を示し、他地区での 立地も検討されていたが、新火葬場建造を急務とする 枚方市主導で同計画が推進されたため、市議会では僅差 で賛成が上回る結果となった。 1 新火葬場の概要 名称 枚方市立やすらぎの杜(枚方市立火葬場) 住所 大阪府枚方市車塚1丁目1番30号 開場時間 9301800(休場日 1 1 日) 利用者 死亡届を提出し火葬の許可を受けた方 施設竣工 平成 20 3 管理者 枚方市役所 環境保全部 衛生管理課 1 新火葬場周辺の土地利用 2 周辺地区および枚方市の人口密度 地区人口() 人口密度(/) 黄金野 205,737 9,849.2 北片鉾町 22,231 6,765.1 小倉東町 66,598 12,650.3 片鉾本町 88,184 10,935.5 枚方市 404,044 6,199.6 小倉東町の反対理由は、その後に枚方市に提出された 要望書などによると、葬儀参拝者の増加により地区の雰 囲気が暗くなることや住宅地としての地価が下落する可 能性を懸念しており、「火葬場立地によって生じる損害を 自分達が被りたくない」という心理によるものととらえ られる。

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Page 1: NIMBYNIMBY(Not In My Back Yard)現象といい、その対象とな る施設はNIMBY施設と呼ばれている。NIMBY現象の 発生の抑止や、発生を最小限に留めることを目指した住

1

NIMBY施設立地における近隣住民と事業者の合意形成プロセスの研究

―火葬場立地をケーススタディに―

高橋 諒

大阪大学大学院工学研究科 澤木 昌典

大阪大学大学院工学研究科 柴田 祐

1. 背景と目的 廃棄物処理施設や清掃工場などは、公共性が高い反面、

住民は自らの近隣への立地には反対する。この現象を

NIMBY(Not In My Back Yard)現象といい、その対象となる施設は NIMBY 施設と呼ばれている。NIMBY 現象の発生の抑止や、発生を 小限に留めることを目指した住

民参加型の合意形成プロセスの研究は馬場1)などによって行われているものの、NIMBY 現象が発生した後に事業者がどのように合意に向けて近隣住民に対し働きかけ

るかという視点の先行研究は管見の限り行われていない。

本研究では NIMBY施設の代表例とも言える火葬場の立地プロセスについて、枚方市を事例として、NIMBY 現象の発生要因、影響、解消要因を明らかにし、発生した

NIMBY現象の解消方法を検討することを目的とする。 2. 調査対象の選定 2-1. 選定方法 大阪府下 56 件の火葬場の中から、(1)新設の際に反対運動が起こった火葬場であり、かつ、(2) も新しい火葬場という条件から対象を選定した結果、平成 20年竣工の枚方市立火葬場「やすらぎの杜」(以下、新火葬場という)

の立地に際の事業者である枚方市と住民との合意形成の

過程を対象とした。 2-2. 調査対象の概要 調査対象の概要を表1に示す。また、図 2は新火葬場周辺の土地利用を表しており、一般低層住宅地の中に新

火葬場が立地していることがわかる。新火葬場の敷地は

4地区に隣接しており(表2)、新火葬場の立地以前より、それぞれの地区に自治会が存在していた。 3. 対象の合意形成プロセスにおける事実関係 の確認とその背景・効果の分析 以下は、枚方市の公開文書及び同市へのヒアリング

を通じ収集した情報に基づく(表 3)。 平成 13年 6月、枚方市議会は新火葬場立地を含む「安心と輝きの杜整備事業(以下、事業という)」の計画を議決した。立地予定地に隣接する 4地区のうち、小倉東町

自治会と片鉾本町自治会は反対姿勢を示し、他地区での

立地も検討されていたが、新火葬場建造を急務とする

枚方市主導で同計画が推進されたため、市議会では僅差

で賛成が上回る結果となった。 表 1 新火葬場の概要

名称 枚方市立やすらぎの杜(枚方市立火葬場)

住所 大阪府枚方市車塚1丁目1番30号

開場時間 9:30~18:00(休場日 1月 1日)

利用者 死亡届を提出し火葬の許可を受けた方

施設竣工 平成 20年 3月

管理者 枚方市役所 環境保全部 衛生管理課

図 1 新火葬場周辺の土地利用

表 2 周辺地区および枚方市の人口密度 地区人口(人) 人口密度(人/㎢)

黄金野 205,737 9,849.2

北片鉾町 22,231 6,765.1

小倉東町 66,598 12,650.3

片鉾本町 88,184 10,935.5

枚方市 404,044 6,199.6

小倉東町の反対理由は、その後に枚方市に提出された

要望書などによると、葬儀参拝者の増加により地区の雰

囲気が暗くなることや住宅地としての地価が下落する可

能性を懸念しており、「火葬場立地によって生じる損害を

自分達が被りたくない」という心理によるものととらえ

られる。

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片鉾本町でも土地の資産価値の下落といった同様の

反対理由の記述が要望書に見られるが、他にも「子や孫

への長期的な影響」への懸念を表明している。また、平

成 18年に新火葬場建設の合意に至った際にも「片鉾本町地区の火葬場に対する長期の協力への助成」を要望して

いる。この理由として考えられるのは、片鉾本町が上記

4 地区の中で唯一の旧集落であり、また、新火葬場の建設以前から枚方市立火葬場(以下、旧火葬場という)が当地区に隣接していたことがある。昭和 25年竣工の旧火葬場は煙や臭い等の公害があったこと、また火葬場に隣接

するために他地区から誹謗中傷があった(市からのヒア

リングによる)。片鉾本町は、旧火葬場のために、枚方市

に長く我慢を強いられてきたと認識しており、それを長

らく解決しなかった市の姿勢と能力に対し不信感を持っ

てきたと考えられる。実際に、平成 13年 6月に事業案が議決されて以降、枚方市は片鉾本町に粘り強く話し合い

の場の設定を要請したが、2年間受け入れられておらず、この膠着状態が市議会で承認された事業計画から新火葬

場の竣工が約 2年間遅れたことの一因であると考えられる。 小倉東町、片鉾本町は、その後反対運動を拡大させ、

平成 14年 12月から平成 16年 12月の間、新火葬場に隣接することとなる他 3地区の有志との連名で、枚方市に対して事業撤回の要望書や抗議文等を 7回にわたり市へ提出している。特にこの間の要望書に見られるのは、枚

方市の手続きの不当性と不透明性に対する抗議である。

事実如何によらずそのように抗議される余地を残した市

の手続きが近隣住民に枚方市行政に対する不信感を生じ

させ、反対運動を大きくする働きをしたと考えられる。 一方、この間枚方市は、反対地区への粘り強い話し合

いの申し込み、説明会の開催や機関紙を発行することに

よる事業の進捗状況の報告等を実施している。ここでは、

反対運動で新火葬場立地によって生じると謳われる実害

は起こりえないこと、そして枚方市の公共政策の視点か

ら新火葬場の必要性が極めて高いことを繰り返し説いて

いる。そしてこれらと並行し、都市計画決定や環境影響

評価、計画地域の造成工事への着手などの行政手続きを

進めており、平成 17年 3月には新火葬場と同じ敷地内にある 2 つの施設(中央図書館、輝きプラザきらら)が開設された。これら施設の建設が進行した平成 16年 5月頃から、反対運動が縮小傾向となったことから、このような

事業の目に見える形での進展が、複数地域に広がった反

対運動の縮小に寄与したと考えられる。同年 5月には小倉東町が「事業の進展が不可避ならば建設的に議論した

い」と近隣への葬儀場立地の規制等により火葬場によっ

て地区が被る損害を 小化すること、及び周辺のインフ

ラ整備等の損害を代替する措置を求める要望書を提出し、

容認へ転じた。残る片鉾本町も、同年には市の説明会に

住民が参加しており、翌年 8月には市との協定書の締結

を条件に容認へ転じている。 以上の流れをまとめたものが図 3である。

表 3 調査方法と情報源 文献調査

枚方市議会会議録

平成 13 年 6 月本会議~平成 20

年 6 月本会議まで

枚方市発行文書

「安心と輝きの杜ニュース」平成

14 年 4 月~平成 20 年 3 月(毎月

発行)

「安心と輝きの杜整備計画」平成

15 年 11 月 「枚方市-火葬場整備事業の概

要」平成 20 年 5 月

反対地区提出文書

要望書、陳情書、抗議文(平成 13年 8 月~平成 20 年 3 月)

ヒアリング調査

枚方市 当時の担当者2名他(平成24年1

月17日実施)

図 2 新火葬場立地の NIMBY現象解消プロセス

4.考察 4-1. 調査事例の NIMBY現象発生要因 反対運動の発生要因として、(1)不明瞭に見える方法による用地選定などに起因する枚方市に対する住民の不信

感、(2)地区の雰囲気が暗くなる・地価が下落する等といった「新火葬場立地によって生じる損害を自分が被りた

くない」という感情、そして(3)旧集落だった頃からの公害や他地区からの中傷による「長年我慢させられてきた

という感情」の 3点が立地場所周辺の各地区毎で生じた。 4-2. NIMBY現象の解消要因 ここまでの考察を踏まえ、NIMBY 現象解消の基礎モ

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デルの作成を行った(図 3)。 まずは住民と事業者(枚方市)との間での信頼が醸成

されなければ、その後のプロセスの進展は見込めなかっ

ただろう。何故ならば市からの話し合いの要請を地区が

受け入れるには不信感が解消される必要があったし、か

つ計画を適正に遂行する能力を住民が枚方市に見出した

ことでプロセスが初めて進行しているからである。そし

て信頼を醸成する手段は、事業者が粘り強く働きかけを

続けることであった。また、信頼の醸成は事業の直近や

直後のみに行われるものではなく、旧火葬場によって長

い年月を経て片鉾本町で枚方市に対し不信感が培われた

ことに見られるように、事業者は常に適正にその事業(今回の事例では市政)を運営していることが、合意形成プロセス中での信頼の醸成にも大きな影響を及ぼすことに留

意が必要である。 続いて、公共心の喚起と自己利益誘導である。公共心

の喚起の手段は、枚方市が住民に対して新火葬場の意義

と必要性を粘り強く説き、住民を理解を促したことだっ

た。そしてこればかりでなく、自己利益の視点へ住民を

誘導したことである。これは「新火葬場の立地が不可避

ならば前向きに要望を出したい」というものであり、こ

れは事業者による事業の進捗と、先に述べたように住民

と事業者間の信頼が一定以上に醸成されていたことによ

る。 そして 後に、事業者による規制・助成・補償の住民

に対する保障がある。規制とは、火葬中の遺族の周辺の

徘徊や、霊柩車での火葬場への乗り入れを禁止したこと

であり、新火葬場立地による近隣の雰囲気への悪影響の

小化を図った。助成・補償は、新火葬場によって住民

が損なわれると指摘した地価や地区の雰囲気等へ配慮を

示し、周辺道路や自治会館の整備等の対価によってこれ

を補完することを示した。 これらを通じ、NIMBY 現象、及びそれに伴い発生した反対運動が縮小し、 終的に合意に至った。 4-3.既往研究との比較からの考察 1)信頼の醸成 「信頼」に関する既往研究では、山岸(1998)2)が「信頼の構造」において、信頼は「能力に対する期待」と「意

図に対する期待」を満たすことで醸成することができる

と述べている。 一方で、強硬な反対運動が想定されうる NIMBY施設の立地プロセスにおいて、住民と事業者との間で信頼が

一定以上醸成された状態であるか否かを評価する手法は

世の中に確立していない。 本研究で対象とした枚方市の例では、その後の事業の

進展に住民が一定の理解を示したことで、結果的に合意

に至っているが、場合によっては反対運動が拡大し施設

の立地が実現しない可能性も存在した。NIMBY 施設の立地プロセスにおいて、事業者が事業を進展させ、住民

がその後のプロセスの進行を認めてよいと考えていると

判断できる信頼の醸成度合の基準の設定や、評価手法が

求められる。 2)公共心の喚起及び自己利益誘導 公共心の喚起と自己利益誘導という視点は、藤井ら

(2002)3)が社会的ジレンマの解消手法を検討する上で挙

げた 2つの方策にも見られる。この方策とは、第一に人々の道徳意識、換言するなら、公共心や倫理観、規範意識

等に働きかけ、人々が本来持つであろう良心が活性化す

ることを期待する心理的方略である。本事例での公共心

の喚起はこれに当たると言える。第二に賞罰の提供や制

度の変更といった構造的方略であり、本事例では自己利

益誘導の取り組みがこれに当たると言える。 これらのことから、NIMBY 現象を解消するプロセスの中での公共心の喚起と自己利益誘導は、社会的ジレン

マの解消方策に一致する。 3)規制・助成・補償の保障 規制・助成・補償を住民に対して保障することは、

NIMBY 施設立地によって生じる住民の損失を 小化す

ることと、その損失を代替する利益を提供することであ

る。 この必要性は馬場(2002)1)によって、「分配的公正」の「経済的側面」「時間的側面」「空間的側面」を事業者が

担保すべきという点から既に指摘されていることである。 しかしながら本事例に見たように、事業者が助成や補

償を住民に対して保障する際には、事業者は住民からの

要望に可能な範囲で応えることしか出来ていない。その

ため、事業者と住民間での規制・助成・補償に関する合

意は両者の感覚と能力に依存することとなる。例えば、

新火葬場立地による雰囲気の悪化の対価として周辺道路

の整備が適当であるかは、本事例では住民の主観と、そ

れを枚方市が実行可能かという視点によって決定されて

いる。両者が合意する措置が、損失の 小化と代替に過

不足のないものであると評価する手法の検討が必要であ

る。 5. 結論 5-1. 本研究のまとめ NIMBY 現象を解消する基本プロセスでは、事業者は住民と信頼を醸成している状態を前提に、社会的ジレン

マの既往研究に示されている公共心の喚起、そして自己

利益誘導、すなわち住民の自己利益の代替に加え、住民

の自己利益の減少を規制・助成・補償で以て保障するこ

とを適正に遂行しなければならない。 5-2.今後の課題 発生した NIMBY現象を解消するための今後の研究の課題として次の 2点をあげる。 1) NIMBY施設の立地プロセスにおいて、事業者が事業を進展させ、住民とその後のプロセスを進めてよいと判

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断できる、信頼の醸成度合いの基準の設定や評価手法 2) 両者が合意する措置が、損失の 小化と代替に過不足

のないものであると評価する手法の検討 参考文献 1) 馬場健司(2002):「NIMBY 施設立地プロセスにおける公平性の視点―分配的公正と手続き的構成による市民参加の評価フレームに向けての基礎的考察

―」,2002年度第 37回日本都市計画学会学術研究論

文集 pp.295-300 2) 山岸俊男(1998):「信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム」, 東京大学出版会

3) 藤井聡・小畑篤史・北村隆一(2002):自転車放置者への説得的コミュニケーション:社会的ジレンマ解

消のための心理的方略,土木計画学研究・論文集,

19,(1),pp.4390446,2002.

図 3 NIMBY現象解消のプロセスモデル