「生きること」は何か - ikiikimachida.com · ヨクネン そのうちの1粒 ツブ...

10
NPOいきいきまちだ 伝統文化こども教室 第1回 縄文 ジョウモン 時代 ジダイ の心 ココロ 、現代 ゲンダイ の心 ココロ 鶴見川源流 ツルミガワゲンリュウ の泉を尋ねる イズミ タズ 町田市 マチダシ の大賀藕絲館 グウシカン では、大賀 オオカ ハスの茎 クキ からとれるクモの糸 イト のように細 ホソ い糸 イト を紡 ツム いで、作品 サクヒン を作 ツク ています。また、ハスの種子 シュシ はお菓子 カシ に加工 カコウ され、町田 マチダ の名産品 メイサンヒン となっています。 鶴見 ツルミ ガワ はこの地 に源 ミナモト を発 ハッ し、真光寺 シンコウジ ガワ や恩田 オンダ ガワ などと合 わさって横浜市 ヨコハマシ を流 ナガ れ、東京湾 トウキョウワン に注 ソソ いで いる、全長 ゼンチョウ 42.5キロメートルの一級 イッキュウ 河川 カセン です。 小山田 オヤマダ のハス田 :2000年 ネン のいのち(大賀 オオガ ハス-植物 ショクブツ の持 つ生命力 セイメイリョク 、自然 シゼン のたくましさを学 マナ ぶ) 人々 ヒトビト は生 きるために必要 ヒツヨウ な知識 チシキ を自然 シゼン から学 マナ び、技術 ギジュツ を発達 ハッタツ させてきました。これらの「生活 セイカツ 文化 ブンカ は代々 ダイダイ き継 がれ、豊 ユタ かになってきました。また、人間 ニンゲン は生活 セイカツ 文化 ブンカ に加 クワ えて、絵 を描 いたり、歌 ウタ を歌 ウタ たり、踊 オド りを舞 うなどして「芸能 ゲイノウ 文化 ブンカ 」も大切 タイセツ に育 ソダ ててきました。ここ考古 コウコ 資料館 シリョウカン に展示 テンジ されている土器 ドキ を見 ると、縄文 ジョウモン の時代 ジダイ から身 の回 マワ りの道具 ドウグ に飾 カザ りをつけるなどして楽 タノ しんでいた様子 ヨウス が伺 ウカガ えます。この 気持 キモ ちは現代 ゲンダイ に生 きる人 ヒト たちでも全 マッタ く同 オナ じです。 イマ 、特 トク に都会 トカイ で生活 セイカツ する人々 ヒトビト は、生活 セイカツ に必要 ヒツヨウ なものを自分 ジブン で作 ツク ることがほとんどなくなってしまいま した。仮 カリ に無人島 ムジントウ に放置 ホウチ されとしたら、生 きるすべを失 ウシナ っていることに気 がつきます。これから一年間 イチネンカン いろんな経験 ケイケン を通 トオ して「生 きることはどういうことなのか」、少 スコ しでも考 カンガ えるきっかけになればと願 ネガ ってい ます。 「生きること」は何か 2009年7月21日 昭和 ショウワ 26年 ネン (1951)に植物学者 ショクブツガクシャ の故 大賀一郎博士 オオガイチロウハカセ が千葉県 チバケン の縄文遺跡発掘現場 ジョウモンイセキ ハックツゲンバ から3粒 ツブ の種子 シュシ を発 ハッ ケン しました。翌年 ヨクネン そのうちの1粒 ツブ が発芽 ハツガ し2000年前 ネンマエ のハスの花 ハナ として話題 ワダイ を集 アツ めました。これが世界 セカイ サイ のハスの種子 シュシ であると認定 ニンテイ され、大賀 オオカ ハスと名付 ナヅケ けられました。その後 全国 ゼンコク 各地 カクチ で栽培 サイバイ され、人々 ヒトビト に感動 カンドウ を与 アタエ えています。 -自然観察1-

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NPOいきいきまちだ 伝統文化こども教室

第1回 縄文ジョウモン

時代ジダイ

の心ココロ

、現代ゲンダイ

の心ココロ

鶴見川源流ツルミガワゲンリュウ

の泉を尋ねるイズミ タズ

町田市マチダシ

の大賀藕絲館グウシカン

では、大賀オオカ

ハスの茎クキ

からとれるクモの糸イト

のように細ホソ

い糸イト

を紡ツム

いで、作品サクヒン

を作ツク

ています。また、ハスの種子シュシ

はお菓子カシ

に加工カコウ

され、町田マチダ

の名産品メイサンヒン

となっています。

鶴見ツルミ

川ガワ

はこの地チ

に源ミナモト

を発ハッ

し、真光寺シンコウジ

川ガワ

や恩田オンダ

川ガワ

などと合ア

わさって横浜市ヨコハマシ

を流ナガ

れ、東京湾トウキョウワン

に注ソソ

いで

いる、全長ゼンチョウ

42.5キロメートルの一級イッキュウ

河川カセン

です。

小山田オヤマダ

のハス田ダ

:2000年ネン

のいのち(大賀オオガ

ハス-植物ショクブツ

の持モ

つ生命力セイメイリョク

、自然シゼン

のたくましさを学マナ

ぶ)

人々ヒトビト

は生イ

きるために必要ヒツヨウ

な知識チシキ

を自然シゼン

から学マナ

び、技術ギジュツ

を発達ハッタツ

させてきました。これらの「生活セイカツ

文化ブンカ

は代々ダイダイ

引ヒ

き継ツ

がれ、豊ユタ

かになってきました。また、人間ニンゲン

は生活セイカツ

文化ブンカ

に加クワ

えて、絵エ

を描カ

いたり、歌ウタ

を歌ウタ

たり、踊オド

りを舞マ

うなどして「芸能ゲイノウ

文化ブンカ

」も大切タイセツ

に育ソダ

ててきました。ここ考古コウコ

資料館シリョウカン

に展示テンジ

されている土器ドキ

を見ミ

ると、縄文ジョウモン

の時代ジダイ

から身ミ

の回マワ

りの道具ドウグ

に飾カザ

りをつけるなどして楽タノ

しんでいた様子ヨウス

が伺ウカガ

えます。この

気持キモ

ちは現代ゲンダイ

に生イ

きる人ヒト

たちでも全マッタ

く同オナ

じです。

今イマ

、特トク

に都会トカイ

で生活セイカツ

する人々ヒトビト

は、生活セイカツ

に必要ヒツヨウ

なものを自分ジブン

で作ツク

ることがほとんどなくなってしまいま

した。仮カリ

に無人島ムジントウ

に放置ホウチ

されとしたら、生イ

きるすべを失ウシナ

っていることに気キ

がつきます。これから一年間イチネンカン

いろんな経験ケイケン

を通トオ

して「生イ

きることはどういうことなのか」、少スコ

しでも考カンガ

えるきっかけになればと願ネガ

ってい

ます。

「生きること」は何か

2009年7月21日

昭和ショウワ

26年ネン

(1951)に植物学者ショクブツガクシャ

の故コ

大賀一郎博士オオガイチロウハカセ

が千葉県チバケン

の縄文遺跡発掘現場ジョウモンイセキ ハックツゲンバ

から3粒ツブ

の種子シュシ

を発ハッ

見ケン

しました。翌年ヨクネン

そのうちの1粒ツブ

が発芽ハツガ

し2000年前ネンマエ

のハスの花ハナ

として話題ワダイ

を集アツ

めました。これが世界セカイ

最サイ

古コ

のハスの種子シュシ

であると認定ニンテイ

され、大賀オオカ

ハスと名付ナヅケ

けられました。その後ゴ

全国ゼンコク

各地カクチ

で栽培サイバイ

され、人々ヒトビト

に感動カンドウ

を与アタエ

えています。

-自然観察1-

NPOいきいきまちだ 伝統文化デントウブンカ

こども教室キョウシツ

第2回 物モノ

づくりの心ココロ

-竹細工タケザイク

へ挑戦チョウセン

(1)

1:鋸ノコギリ

(のこぎり)の使ツカ

い方カタ

-竹タケ

コップを作ツク

ろう

小刀コガタナ

には片刃カタバ

と両リョウ

刃バ

とがあります。

削ケズ

るのには片刃カタバ

を、竹タケ

を割ワ

る時トキ

は両刃リョウバ

を使ツカ

います。

人ヒト

は生活セイカツ

に必要ヒツヨウ

な物モノ

を、手テ

を動ウゴ

かし、頭アタマ

を使ツカ

って工夫クフウ

して作ツク

ってきました。そのためにいろいろな道ドウ

具グ

を考カンガ

えてきました。今回コンカイ

は小刀コガタナ

と 鋸ノコギリ

を使ツカ

って竹細工タケザイク

に挑戦チョウセン

しましょう。

刃物ハモノ

は便利ベンリ

ですが、使ツカ

い方カタ

を間違マチガ

えるとけがをして危険キケン

です。今イマ

の大人オトナ

は子コ

どもの時トキ

からけがをし

ながら刃物ハモノ

の使ツカ

い方カタ

を覚オボ

えてきました。今イマ

はそういう時代ジダイ

ではありません。安全アンゼン

に刃物ハモノ

を使ツカ

うために、

基本キホン

をしっかりと身ミ

につけましょう。

のこぎりは「引ヒ

く」ときに切キ

れる道具ドウグ

です。

基本キホン

はまっすぐ、垂直スイチョク

に切キ

ることです。簡単カンタン

なようでむずかしいのです。材ザイ

料リョウ

をしっかりと押オ

さえて、足アシ

の位置イチ

・引ヒ

く方向ホウコウ

・目メ

の位置イチ

などに注意チュウイ

してリズム

よく「引ヒ

いて」行イ

きます。切キ

った竹タケ

がまっすぐ立タ

てば合格ゴウカク

です。

引ヒ

き方カタ

を覚オボ

えたら、竹タケ

コップを作ツク

りましょう。節フシ

の下シタ

を切キ

り、適当テキトウ

な長ナガ

さのとこ

ろで切キ

ればできあがりです。

2:小刀コガタナ

(こがたな)の使ツカ

い方カタ

基本キホン

は手前テマエ

から向ム

こうへ押オ

すように使ツカ

います。自分ジブン

の方ホウ

に向ム

けて刃ハ

を動ウゴ

すのは危険キケン

です。 最初サイショ

は鉛筆エンピツ

削ケズ

り。鉛筆エンピツ

の六角形ロッカクケイ

の角カド

から先端センタン

に向ム

けて

ななめにまっすぐ削ケズ

っていきます。切キ

り口クチ

が六角形ロッカクケイ

の美ウツク

しい形カタチ

になります。

字ジ

が上手ジョウズ

になるように心ココロ

を込コ

めて削ケズ

ります。

鉛筆エンピツ

が削ケズ

れるようになったら、割ワ

った竹タケ

を使ツカ

っておはしを作ツク

りましょう。2本ホン

同オナ

じ形カタチ

になるようにします。

「生きること」は何か

2009年8月20日

竹タケ

は身近ミヂカ

な素材ソザイ

として生活セイカツ

のいろいろな場面バメン

に利用リヨウ

されてきました。

そのままの形カタチ

で(竿サオ

・竹垣タケガキ

・足場アシバ

など)、パイプや容器ヨウキ

として(火ヒ

吹フ

き竹ダケ

・楽器ガッキ

・ししおどしなど)、素材ソザイ

として(茶道具チャドウグ

・ざるやかご・うちわ・竹タケ

ひご・熊手クマデ

など)、若ワカ

い竹タケ

は筍タケノコ

として食材ショクザイ

にもなります。

最近サイキン

では、金属キンゾク

やプラスチックなどの素材ソザイ

で作られる物モノ

が多オオ

くなり、手間テマ

をかけて竹タケ

を利用リヨウ

する場面バメン

少スク

なくなりました。かつては農家ノウカ

の周マワ

りには必カナラ

ず竹タケ

が植ウ

えられていました。竹タケ

の利用リヨウ

が減ヘ

ったことと高コウ

齢化レイカ

により放置ホウチ

される竹林チクリン

が増フ

えています。そのため竹タケ

が周辺シュウヘン

の林ハヤシ

に侵入シンニュウ

することが問題モンダイ

になっていマチダ レイガイ

-竹細工1-

NPOいきいきまちだ 伝統文化こども教室

第3回 物モノ

づくりの心ココロ

-竹タケ

細工ザイク

へ挑戦チョウセン

菱ヒシ

四ヨ

つ目メ

かご いろいろな物モノ

を入イ

れることができます。目メ

が菱形ヒシガタ

になります。

(写真シャシン

は民家園ミンカエン

のホームページから)

参考サンコウ

資料シリョウ

竹タケ

あれこれ

◎タケは「木キ

」なのか?「草クサ

」なのか?

タケは地下茎チカケイ

をのばして、ところどころから芽メ

を出ダ

します。これがタケノコです。

タケノコはみるみる延びて(一日に30cmとも言われています)20mくらいの高さになります。

何十ナンジュウ

年ネン

に一度イチド

、一斉イッセイ

に花ハナ

を咲サ

かせて枯カ

れてしまいます。

タケの種子シュシ

はイネとそっくりです。

ところで「木キ

」には形成層ケイセイソウ

という部分ブブン

があって、毎年マイトシ

幹ミキ

が太フト

くなっていきます。

「草クサ

」には形成層ケイセイソウ

がなくて、少スク

なくとも地上チジョウ

の部分ブブン

は1~2年ネン

で枯カ

れてしまいます。

タケはどちらにも当ア

てはまりません。無理ムリ

に木キ

や草クサ

の仲間ナカマ

に入イ

れる必要ヒツヨウ

はないのです。

竹タケ

は「タケ」としておきましょう。

◎タケとササの違いは?

「竹タケ

」と「笹ササ

」、違チガ

う文字モジ

があることは人々ヒトビト

が区別クベツ

して来キ

たことを示シメ

しています。

「鷹タカ

」と「鷲ワシ

」、「鴨カモ

」と「雁ガン

」、「ツツジ」と「サツキ」、「モミジ」と「カエデ」、みな難ムズカ

しいですね。

竹タケ

は太フト

く、独立してはえる。一方イッポウ

、ササは細ホソ

くて密集ミッシュウ

してはえる違チガ

いも

ササは残ノコ

ることが区別クベツ

点テン

とされています。

タケは中国チュウゴク

原産ゲンサン

と考カンガ

えられています。ササは日本ニホン

原産ゲンサン

のものが多オオ

い。

※川崎市カワサキシ

民家園ミンカエン

・民具ミング

保存会ホゾンカイ

のホームページhttp://www.city.kawasaki.jp/88/88minka/home/mingi.htm#group3

「生きること」は何か

2009年8月21日

竹は身近ミヂカ

な素材ソザイ

として生活のいろいろな場面に利用されてきました。

そのままの形カタチ

で(竿サオ

・竹垣タケガキ

・足場アシバ

など)、パイプや容器ヨウキ

として(火ヒ

吹フ

き竹ダケ

・楽器ガッキ

・ししおどしなど)、素材ソザイ

として(茶道具チャドウグ

・ざるやかご・うちわ・竹ひご・熊手クマデ

など)、若い竹は筍タケノコ

として食材ショクザイ

にもなります。さらに竹タケ

の皮カワ

は包装紙ホウソウシ

として利用リヨウ

されてきました。生活セイカツ

を支ササ

える重要ジュウヨウ

な植物ショクブツ

だったのです。

最近サイキン

では、金属キンゾク

やプラスチックなどの素材ソザイ

で作られる物が多くなり、手間テマ

をかけて竹を利用する場面バメン

が少なくなりました。かつては農家ノウカ

の周マワ

りには必ず竹が植ウ

えられていました。農作業ノウサギョウ

や生活セイカツ

のために

竹タケ

は必要ヒツヨウ

な植物ショクブツ

でした。竹の利用が減ヘ

ったことと高齢化コウレイカ

により放置ホウチ

される竹林チクリン

が増フ

えています。その

ため竹が周辺シュウヘン

の林に侵入シンニュウ

して荒ア

らしてしまうことが全国的ゼンコクテキ

に問題モンダイ

になっています。町田も例外レイガイ

ではあり

民具ミング

製作セイサク

保存会ホゾンカイ

の皆ミナ

さんに教オシ

えていただきます。

感じられます。学問上は竹はタケノコの皮が脱落するのに対して、

-竹細工2-

竹タケ

の皮カワ

を薄ウス

くはいだもの(ふごといいます)を組ク

み合ア

わせて曲マ

げていきます。

今日キョウ

は川崎市カワサキシ

の民家園ミンカエン

で竹細工タケザイク

の指導シドウ

をしている

NPOいきいきまちだ 伝統文化デントウブンカ

こども教室キョウシツ

第4回

何の花かな?ナン ハナ

こたえ:カボチャ・キュウリ・ナス

遺伝学イデンガク

の研究ケンキュウ

が進スス

み、栽培技術サイバイギジュツ

が発達ハッタツ

してくると、いくつかの品種ヒンシュ

をかけ合ア

わせたりして、積極的セッキョクテキ

に望ノゾ

まし

い品種ヒンシュ

が作ツク

られるようになりました。果実カジツ

は枝変エダガ

わりといって一ヒト

つの枝エダ

に新アタ

しい性質セイシツ

を持モ

ったものが生ショウ

じること

があり、それは接ぎツギ

木ギ

によって増フ

やされています。最近サイキン

は遺伝子イデンシ

を操作ソウサ

して今イマ

までにない品種ヒンシュ

を作ツク

る努力ドリョク

行オコ

われています。このバイオテクノロジーには安全性アンゼンセイ

の問題モンダイ

で疑問ギモン

を唱トナ

える意見イケン

もあります。

採集サイシュウ

・狩猟シュリョウ

の長ナガ

い時代ジダイ

の中ナカ

で経験ケイケン

を積ツ

み重カサ

ね、食タ

べられるものとそうでないものが区別クベツ

されて利用リヨウ

されてき

ました。特トク

に有用ユウヨウ

な植物ショクブツ

は家イエ

の近チカ

くでで栽培サイバイ

されるようになり、やがて農耕生活ノウコウセイカツ

が始ハジ

まりました。

最初サイショ

は自然シゼン

にあるものがそのまま移植イショク

されていたものと思オモ

われますが、次第シダイ

によりおいしいもの、栽培サイバイ

しや

すいものが選択センタク

されて栽培植物サイバイショクブツ

が定着テイチャク

してきたのでしょう。農業ノウギョウ

はそれまでに積ツ

みげられた知識チシキ

や栽サイ

培バイ

の技ギ

術ジュツ

がぎっしりと詰ツ

まった、それこそ伝統デントウ

文化ブンカ

なのです。

栽培植物サイバイショクブツ

の特徴トクチョウ

は、野生ヤセイ

植物ショクブツ

と比較ヒカク

すると、何ナン

と言イ

っても見ミ

かけが良ヨ

く、おいしいことです。生物セイブツ

には個体コタイ

によりさまざまな変化ヘンカ

が生ショウ

じるので、その中ナカ

からより望ノゾ

ましいものが選エラ

ばれてきたのです。もう一ヒト

つ大切タイセツ

なこと

は、収量シュウリョウ

の問題モンダイ

です。都会トカイ

が発達ハッタツ

し、流通リュウツウ

が整備セイビ

されてくると、大勢オオゼイ

の都会トカイ

の人ヒト

たちを養ヤシナ

うために、より大オオ

きく

収穫量シュウカクリョウ

の多オオ

いものが必要ヒツヨウ

でした。さらに、イネやムギなどでは、脱粒性ダツリュウセイ

の克服コクフク

と開花カイカ

時期ジキ

を揃ソロ

えることも重要ジュウヨウ

でした。脱粒性ダツリュウセイ

とは実ミノ

った種子シュシ

が落オ

ちてしまうことです。せっかく実ミノ

ったのに地面ジメン

に落オ

ちしまったのでは収穫シュウカク

できないので、熟ジュク

したものを選エラ

んで穂刈ホカリ

が行オコナ

われていました。種子シュシ

の落オ

ちにくい品種ヒンシュ

といっせいに開花カイカ

・結実ケツジツ

する品種ヒンシュ

が発見ハッケン

されて稲刈イネカリ

りが可能カノウ

になり、農作業ノウサギョウ

を効率的コウリツテキ

に進スス

めることができるようになりました。

農業ノウギョウ

体験タイケン

(1)

「生きること」は何か

2009年9月19日

栽培サイバイ

植物ショクブツ

について

現在ゲンザイ

私ワタシ

たちが食タ

べている野菜ヤサイ

や果物クダモノ

は、もともと皆ミナ

野生ヤセイ

の植物ショクブツ

でした。

NPOいきいきまちだ 伝統文化デントウブンカ

こども教室キョウシツ

第5回

今月コンゲツ

は超チョウ

難問ナンモン

だよ

こたえ:ゴボウ、ジャガイモの実、サツマイモ

「生きること」は何か

2009年10月17日

無農薬ムノウヤク

栽培サイバイ

について

作物サクモツ

を育ソダ

てるためには肥料ヒリョウ

が必要ヒツヨウ

です。昔ムカシ

は山ヤマ

から落オ

ち葉バ

を集アツ

めてきてそれを堆肥タイヒ

にして利用リヨウ

していました。

また、人ヒト

や動物ドウブツ

の排泄物ハイセツブツ

も大切タイセツ

な肥料ヒリョウ

でした。魚サカナ

が肥料ヒリョウ

として使ツカ

われることもありました。今イマ

はほとんど化学カガク

肥料ヒリョウ

で作物サクモツ

を育ソダ

てています。

作物サクモツ

が育ソダ

つ間アイダ

にはいろいろなドラマがあります。雑草ザッソウ

との戦タタカ

い、虫ムシ

の攻撃コウゲキ

、病気ビョウキ

の恐怖キョウフ

。農家ノウカ

の人ヒト

が手間テマ

をか

けて守マモ

らなければなりません。山ヤマ

が近チカ

いとサルやイノシシなどの動物ドウブツ

に荒ア

らされる心配シンパイ

もあります。鳥トリ

に食タ

べられる

こともあります。天候テンコウ

は人ヒト

の力チカラ

ではどうにもなりません。幸運コウウン

を祈イノ

るしかないのです。

それだけに、多オオ

くの試練シレン

を乗ノ

り越コ

えて作物サクモツ

を得エ

た収穫シュウカク

の喜ヨロコ

びは何物ナニモノ

にも代カ

えられません。ここまで作物サクモツ

を育ソダ

てた

農家ノウカ

の方々カタガタ

の苦労クロウ

に感謝カンシャ

しながら、味アジ

わってください。

田タ

や畑ハタケ

にはさまざまな雑草ザッソウ

が生ハ

えてきます。放置ホウチ

しておくとせっかくの養分ヨウブン

が吸ス

い取ト

られて、作物サクモツ

が育ソダ

ちませ

ん。夏ナツ

の暑アツ

い日ヒ

に雑草ザッソウ

を取ト

る作業サギョウ

は大変タイヘン

な重労働ジュウロウドウ

です。除草剤ジョソウザイ

はこの重労働ジュウロウドウ

から解放カイホウ

してくれたのです。ところ

が、除草剤ジョソウザイ

は田タ

や川カワ

にいる魚サカナ

や昆虫コンチュウ

も滅ホロ

ぼしてしまったのです。また、作物サクモツ

は虫ムシ

に食タ

べられたり、病気ビョウキ

になったり

します。これに対タイ

してもいろんな農薬ノウヤク

が開発カイハツ

されて使ツカ

われてきました。無制限ムセイゲン

に使ツカ

っていると、作物サクモツ

の中ナカ

に残ノコ

った

農薬ノウヤク

が人間ニンゲン

の健康ケンコウ

に害ガイ

を与アタ

えることが分ワ

かってきました。

人間ニンゲン

の健康ケンコウ

に配慮ハイリョ

して農薬ノウヤク

を使ツカ

わないで作物サクモツ

を育ソダ

てる、伝統的デントウテキ

な方法ホウホウ

にこだわる農家ノウカ

が増フ

えています。しかし

雑草ザッソウ

や虫ムシ

や病気ビョウキ

は昔ムカシ

と同オナ

じです。品種ヒンシュ

改良カイリョウ

で病気ビョウキ

に強ツヨ

い品種ヒンシュ

を作ツク

ったり、土壌ドジョウ

を改良カイリョウ

して土ツチ

の力チカラ

を強ツヨ

くしたり、

アイガモを放ホウ

って雑草ザッソウ

を食タ

べて貰モラ

ったりといろいろな工夫クフウ

がされています。これらの工夫クフウ

には限界ゲンカイ

があります。現ゲン

実的ジツテキ

には全マッタ

く農薬ノウヤク

を使ツカ

わないのは難ムズカ

しいので、必要ヒツヨウ

最低限サイテイゲン

の使用シヨウ

で済ス

ませる減ゲン

農薬ノウヤク

栽培サイバイ

が行オコナ

われています。消ショ

費者ウヒシャ

も見ミ

かけにこだわらずに、曲マ

がったキュウリや虫食ムシク

いのあるキャベツなどを受ウ

け入イ

れる意識改革イシキカイカク

が必要ヒツヨウ

です。

農業ノウギョウ

体験タイケン

(2)

NPOいきいきまちだ 伝統文化デントウブンカ

こども教室キョウシツ

第6回

クヌギ

コナラ

クリシラカシ

(写真シャシン

は「どんぐりの図鑑ズカン

」伊藤イトウ

ふくお著チョ

トンボ出版シュッパン

)

雑木林ゾウキバヤシ

は動物ドウブツ

のすみかにもなっていました。シカやイノシシ、タヌキやキツネ

がいたことでしょう。オオカミは天敵テンテキ

でもありましたがこれらの動物ドウブツ

が増フ

えすぎな

いように調節チョウセツ

する役割ヤクワリ

もありました。最近サイキン

各地カクチ

でシカが増フ

えすぎて問題モンダイ

となっ

ています。オオカミが絶滅ゼツメツ

したことも大オオ

きな原因ゲンイン

だと考カンガ

える人ヒト

もいます。リスやネ

ズミにとっては人ヒト

が食タ

べにくいドングリもご馳走チソウ

です。土ツチ

の中ナカ

にはミミズやさらに

小チイ

さい動物ドウブツ

が住ス

んでいます。また、大量タイリョウ

の昆虫コンチュウ

も林ハヤシ

の住人ジュウニン

です。これらの小動ショウド

物ウブツ

はカエルやヘビや鳥トリ

たちの命イノチ

を支ササ

えています。林ハヤシ

は生物セイブツ

たちの絡カラ

み合ア

いで

小ショウ

宇宙ウチュウ

を形成ケイセイ

しているともいえるのです。

雑木林とはゾウキバヤシ

町田マチダ

に人々ヒトビト

が住ス

み始ハジ

めたのはいつの頃ゴロ

からでしょうか?遺跡イセキ

の調査チョウサ

から2

万年マンネン

以上イジョウ

も前マエ

から生活セイカツ

していたことが分ワ

かっています。当時トウジ

はうっそうとした

原始林ゲンシリン

で覆オオ

われていたことでしょう。5千年センネン

前マエ

くらいから次第シダイ

に農耕ノウコウ

生活セイカツ

行オコナ

われるようになり、少スコ

しずつ開墾カイコン

が進スス

んでいきました。長ナガ

い時間ジカン

をかけて

原始林ゲンシリン

は伐採バッサイ

され、雑木林ゾウキバヤシ

に変カ

えられていきました。

雑木林ゾウキバヤシ

には生活セイカツ

にとって有用ユウヨウ

な種類シュルイ

が生ハ

えています。その代表ダイヒョウ

はクヌギ

やコナラ、クリなどの落葉樹ラクヨウジュ

、シラカシなどの広葉樹コウヨウジュ

です。特トク

にクヌギやコナ

ラは10年ネン

から15年ネン

の間隔カンカク

で伐採バッサイ

してさまざまな用途ヨウト

に利用リヨウ

されていました。

クリは食用ショクヨウ

としてたくさん植ウ

えられて来キ

ました。クヌギやコナラは萌芽ホウガ

更新コウシン

といって、切キ

株カブ

から新アタラ

しい芽メ

が伸ノ

びてきます。そして十ジュウ

数年スウネン

経タ

つとまた利用リヨウ

可能カノウ

な林ハヤシ

になるのです。

これを繰ク

り返カエ

して雑木林ゾウキバヤシ

が維持イジ

されてきました。太フト

さが10cmから15cmくらいの木キ

が薪マキ

にす

るのにも炭スミ

にするのにもほどよい太フト

さなのでした。また、ホダ木ギ

としてキノコの栽培サイバイ

にも利リヨ

用ウ

されました。また、落オ

ち葉バ

は堆肥タイヒ

の材料ザイリョウ

として大切タイセツ

にされました。このように雑木林ゾウキバヤシ

人々ヒトビト

の生活セイカツ

と深フカ

く関カカ

わりながら守マモ

られてきたのです。クリのほかにもシイ、クルミ、カヤなど

はすぐ食タ

べられます。ほかの木キ

の実ミ

も晒サラ

して渋シブ

を抜ヌ

く工夫クフウ

をしながら、食タ

べていました。

「生きること」は何か

2009年11月28日雑木林ゾウキバヤシ

の利用リヨウ

スギやヒノキはまっすぐ伸ノ

び、また板イタ

にしやすいので建築ケンチク

の材料ザイリョウ

として重要ジュウヨウ

でした。皮カワ

は屋根ヤネ

をふく材料ザイリョウ

になりました。縄ナワ

の役割ヤクワリ

はフジなどの蔓植物ツルショクブツ

がになっていました。中チュ

世ウセイ

以降イコウ

になるとコウゾ・ミツマタ・ガンピなどから紙カミ

が作ツク

られるようになり、文化ブンカ

が大オオ

きく発ハッ

展テン

することになります。クワでカイコを育ソダ

てて絹糸キヌイト

をとるのは農家の大切タイセツ

な収入源シュウニュウゲン

でし

た。エゴマ後ノチ

にはアブラナの種子シュシ

からは灯アカ

りの油アブラ

が絞シボ

られました。カシノキは堅カタ

く、農具ノウグ

の柄エ

をはじめ道具ドウグ

の材料ザイリョウ

として欠カ

かせませんでした。このように林ハヤシ

の植物ショクブツ

は食タ

べること

以外イガイ

にも、性質セイシツ

を見極ミキワ

めて多オオ

くの目的モクテキ

に利用リヨウ

されてきたのです。

NPOいきいきまちだ 伝統文化デントウブンカ

こども教室キョウシツ

第7回

新年シンネン

を迎ムカ

える

餅つきモチ

餅モチ

のいろいろ

クイズ

餅モチ

になる米コメ

は?

「生きること」は何か

2009年12月19日餅モチ

つき体験タイケン

-餅モチ

つき行事について

ご飯ハン

のコメはウルチ米マイ

で、お餅モチ

になるコメはモチ米ゴメ

です。含フク

まれるデンプンの質シツ

が違チガ

います。*

餡アン

餅モチ

をカシワの葉ハ

で包ツツ

んだのが柏餅カシワモチ

、桜餅サクラモチ

は蒸ム

たモチ米ゴメ

を搗ツ

かないで作ツク

ります。赤飯セキハン

はモチ米ゴメ

を炊タ

いて作ツク

ります。五平餅ゴヘイモチ

や団子ダンゴ

はウルチ米マイ

が使ツカ

われま

す。きな粉コ

餅モチ

(安倍川餅アベカワモチ

)は焼ヤ

いた餅モチ

にきな粉コ

をまぶ

したもの。煮ニ

た餅モチ

のこともあります。草餅クサモチ

、かき餅モチ

、せ

んべい、白玉シラタマ

などなどモチ文化ブンカ

は多彩タサイ

です。

* ウルチ米は粘らない性質のペクチンが80%、粘る性質のアミロペクチンが20%含まれていますが、モチ米はほとんどアミロペクチンだけになっています。

1月ガツ

1日ニチ

は1年ネン

の区切クギ

りの日ヒ

として、人々ヒトビト

は良ヨ

かった年トシ

はそれが続ツヅ

くように願ネガ

い、悪ワル

かった年トシ

は良ヨ

い年トシ

になるように願ネガ

いながら特別トクベツ

な気持キモ

ちを持モ

って迎ムカ

えてきました。このような日常ニチジョウ

とは違チガ

う晴ハ

れがましい日ヒ

(ハレの日ヒ

)には、家イエ

の内ウチ

外ソト

をきれいにし、すがすがしい着物キモノ

を着キ

て、特別トクベツ

な食タ

べ物モノ

を用意ヨウイ

して祝イワ

うの

でした。日本ニホン

では正月ショウガツ

などの行事ギョウジ

には欠カ

かせないものとして餅モチ

が作ツク

られています。

伝統的デントウテキ

な餅モチ

つきは、今イマ

では暮ク

れのイベントとして行オコナ

われることが多オオ

くなりました。まずモチ米ゴメ

を水ミズ

に浸ヒタ

ておきます。竈カマド

にのせた釜カマ

に水ミズ

を入イ

れて沸騰フットウ

させます。水ミズ

をよく含フク

んだモチ米ゴメ

を蒸ム

し布ヌノ

に包ツツ

み、蒸籠セイロ

に入イ

れて釜カマ

の上ウエ

に載ノ

せて蒸ム

します。

蒸ム

し上ア

がったモチ米ゴメ

を臼ウス

に移ウツ

して、最初サイショ

は杵キネ

で押オ

しつぶしておき、次ツギ

に杵キネ

を振フ

り下オ

ろして搗ツ

いていき

ます。周マワ

りの人ヒト

が声コエ

をかけると雰囲気フンイキ

が盛モ

り上ア

がります。臼ウス

の脇ワキ

には手テ

返ガエ

しをする人ヒト

がいてモチ米ゴメ

をま

とめてよく搗ツ

けるように整トトノ

えていきます。

搗ツ

き上ア

がった餅モチ

を平タイ

らにのばしたのがのしもち

です。丸マル

く形カタチ

を作ツク

れば丸餅マルモチ

で、大小ダイショウ

二フタ

つ重カサ

ねれ

ば鏡餅カガミモチ

になります。餡アン

を包ツツ

めば餡アン

餅モチ

(大福餅ダイフクモチ

)、

餡アン

で包ツツ

めばあんころ餅モチ

、大根ダイコン

おろしをつければ

からみ餅モチ

。納豆ナットウ

、きな粉コ

などをからめてもおいし

く食タ

べられます。最後サイゴ

の共同キョウドウ

作業サギョウ

、今年コトシ

健康ケンコウ

無事ブジ

に過ス

ごせたことを感謝カンシャ

し、来年ライネン

なるべく早ハヤ

景気ケイキ

が回復カイフク

するように祈イノ

りましょう。

ヤキモチは食タ

べられものと食タ

べられないものがあります。食べられないモチは他ホカ

に何ナニ

があるでしょう。

たくさん思オモ

いついた人ヒト

が勝カ

ちだよ。

NPOいきいきまちだ 伝統文化デントウブンカ

こども教室キョウシツ

第8回

炭スミ

は大切タイセツ

な燃料ネンリョウ

炭スミ

を焼ヤ

竹炭チクタン

竹タケ

の不思議フシギ

竹炭チクタン

-つづき

竹炭チクタン

には数年スウネン

たった

クヌギやコナラは炭スミ

の材料ザイリョウ

として利用リヨウ

されてきました。再生サイセイ

力リョク

が強ツヨ

く、切キ

っても萌芽ホウガ

更新コウシン

して10数スウ

年ネン

ごと

に繰ク

り返カエ

し利用リヨウ

できました。木キ

を切キ

るのは冬フユ

に行オコナ

われます。水分スイブン

が一番イチバン

少スク

なくなっているからです。炭スミ

焼ヤ

き窯カマ

に入ハイ

る長ナガ

さに切キ

りそろえ、太フト

い木キ

は割ワ

っておきます。これを土ツチ

で出来デキ

た窯カマ

に隙間スキマ

なく詰ツ

め、火ヒ

をつけ

ます。窯カマ

の中ナカ

に火ヒ

が行イ

き亘り、木キ

の成分セイブン

が変化ヘンカ

するのを煙ケムリ

を見ミ

て判断ハンダン

します。”ここぞ”の時トキ

に窯カマ

の口クチ

どをふさぎ空気クウキ

が入ハイ

らないようにします。冷ヒ

えるのを待マ

って窯カマ

を開ア

けると炭スミ

ができあがっています。

最近サイキン

では竹タケ

を使ツカ

って炭スミ

が作ツク

られるようになりました。竹タケ

節フシ

があり、中ナカ

が空洞クウドウ

なので、そのまま焼ヤ

くと破裂ハレツ

するので、

割ワ

って節フシ

を取ト

り除ノゾ

いておかなければなりません。ドラム缶カン

利用リヨウ

した窯カマ

では比較的ヒカクテキ

簡単カンタン

に竹炭チクタン

を作ツク

ることができます。

詰ツ

めたら蓋フタ

をして土ツチ

をかけて覆オオ

っておきます。これで準備ジュンビ

完了カンリョウ

竹炭チクタン

には太フト

いモウソウチクを使ツカ

います。竹タケ

は不思議フシギ

な植ショ

物クブツ

で、地下茎チカケイ

を延ノ

ばし、そのところどころで芽メ

を出ダ

します。

これが「タケノコ」です。タケノコは顔カオ

を出ダ

すと一気イッキ

に伸ノ

びて

大オオ

きくなります。その後ゴ

は成長セイチョウ

することはありません。

竹が最適サイテキ

です。肌ハダ

の色イロ

を見ミ

て区別クベツ

します。竹林チクリン

の中ナカ

で観察カンサツ

してみ

ましょう。

ここの竹林チクリン

はマダケで竹細工タケザイク

には利用リヨウ

しやすい種類シュルイ

です。

よい竹炭チクタン

を作ツク

るためには長ナガ

い経験ケイケン

が必要ヒツヨウ

です。言葉コトバ

では表現ヒョウゲン

きないことは、技術ギジュツ

を持モ

っている人ヒト

の”技ワザ

”をよく見ミ

て覚オボ

えていくこと

が大切タイセツ

です。

「生きること」は何か

2010年1月16日炭焼スミヤ

き体験タイケン

君キミ

たちのおじいさんやおばあさんが子コ

どもの時代には電気(あっても照明ショウメイ

とラジオくらい)やガスがない

ところはたくさんありました。お父トウ

さん・お母カア

さんが生まれた頃にはテレビが普及フキュウ

し、ガスも普通フツウ

に使ツカ

えるよ

うになっていました。

そのような時代ジダイ

には薪マキ

や炭スミ

が家庭カテイ

でも大切タイセツ

な燃料ネンリョウ

でした。山里ヤマザト

の人ヒト

たちにとって薪マキ

を割ワ

り、炭スミ

を作ツク

って

都会トカイ

の人ヒト

たちに提供テイキョウ

することは冬フユ

の重要ジュウヨウ

な収入源シュウニュウゲン

でした。

NPOいきいきまちだ 伝統文化デントウブンカ

こども教室キョウシツ

第9回

竹炭チクタン

を取ト

り出ダ

備長炭ビンチョウタン

竹炭チクタン

の使ツカ

い道ミチ

石炭セキタン

も炭スミ

野外ヤガイ

での楽タノ

しみ

専門センモン

に炭スミ

を焼ヤ

く人ヒト

は何日ナンニチ

も山ヤマ

にこもり、つらい作業サギョウ

を黙々モクモク

と続ツヅ

けて

いました。今イマ

ではイベントとして行オコナ

われることが多オオ

くなり、大勢オオゼイ

が集アツ

まっ

て賑ニギ

やかに進スス

めます。しかし、作業サギョウ

そのものは昔ムカシ

と変カ

わりなく大変タイヘン

す。お昼ヒル

には採ト

りたての野菜ヤサイ

を料理リョウリ

して皆ミナ

で食タ

べるのは最大サイダイ

の楽タノ

みです。 「同オナ

じ釜カマ

の飯メシ

を食ク

う」という言葉コトバ

があります。同オナ

じ食事ショクジ

をする

と仲間ナカマ

の連帯感レンタイカン

が深フカ

まることが期待キタイ

されるのです。

ウバメガシなどから作ツク

られる木炭モクタン

に備長炭ビンチョウタン

がありま

す。真マ

っ赤カ

に焼ヤ

けた時トキ

に窯カマ

から取ト

り出ダ

し砂スナ

をかけて炭スミ

にするそうです。堅カタ

い炭スミ

で焼ヤ

き鳥トリ

などを焼ヤ

くのに使ツカ

れています。いい音オト

がするので、楽器ガッキ

を作ツク

ることもでき

ます。

竹炭チクタン

を顕微鏡ケンビキョウ

で見ミ

ると、無数ムスウ

の細コマ

かい穴アナ

が空ア

いて

います。ということは表面積ヒョウメンセキ

が大オオ

きいことで、活性炭カッセイタン

して脱臭剤ダッシュウザイ

や水質スイシツ

浄化ジョウカ

に利用リヨウ

されています。におい

の成分セイブン

や汚ヨゴ

れの基モト

になる物質ブッシツ

が表面ヒョウメン

に吸着キュウチャク

する性セイ

質シツ

があるからです。

“燃モ

える石イシ

”石炭セキタン

は自然シゼン

が長ナガ

い時間ジカン

をかけて作ツク

ったものです。古フル

いものでは2億オク

8千万センマン

年ネン

前マエ

の古生代コセイダイ

の植物ショクブツ

が埋ウ

まり、地熱ジネツ

と圧力アツリョク

により石炭セキタン

になりました。石炭セキタン

化カ

の程度テイド

により、泥炭デイタン

→褐炭カッタン

→瀝青炭レキセイタン

→無ム

煙炭エンタン

と変化ヘンカ

していきます。木炭モクタン

や竹炭チクタン

と違チガ

って多オオ

くの成分セイブン

を含フク

んでいて、燃モ

やすと黒クロ

い煙ケムリ

が出デ

ます。

かつては工場コウジョウ

の動力源ドウリョクゲン

やSLの燃料ネンリョウ

として広ヒロ

く使ツカ

われていました。

昔ムカシ

の教室キョウシツ

には「石炭セキタン

ストーブ」があって、ストーブ当番トウバン

なんて役目ヤクメ

もありました。お昼ヒル

休ヤス

みには周マワ

りに

集アツ

まってお餅モチ

を焼ヤ

いたり、話ハナシ

をしたり交流コウリュウ

の場バ

としても大切タイセツ

でした。これを「ストーブ談義ダンギ

」と言イ

いまし

た。

「生きること」は何か

2009年2月21日炭焼スミヤ

き体験タイケン

窯カマ

が冷ヒ

えたら口クチ

を開ア

けて炭スミ

を取ト

り出ダ

します。入口イリグチ

は狭セマ

く、中ナカ

に入ハイ

った人ヒト

が丁寧テイネイ

に少スコ

しずつ外ソト

の人ヒト

渡ワタ

していきます。焼ヤ

くときの窯カマ

の中ナカ

の温度オンド

にはムラがあり、良ヨ

くできた炭スミ

はたたくと金属キンゾク

的テキ

な音オト

がしま

す。ドラム缶カン

窯カマ

は上ウエ

から取ト

り出ダ

すので、作業サギョウ

はずっと楽ラク

です。

NPOいきいきまちだ 伝統文化デントウブンカ

こども教室キョウシツ

第10回

七国ナナクニ

山ヤマ

鎌倉カマクラ

井戸イド

鎌倉カマクラ

古道コドウ

雑木林ゾウキバヤシ

の中ナカ

「生きること」は何か

2010年2月20日早春ソウシュン

の自然シゼン

標高ヒョウコウ

128メートルほどの山ヤマ

ですが、そこから七ナナ

つの国クニ

が見渡ミワタ

せたことからこの名ナ

がつけられました。

「七ナナ

つの国クニ

」とは相模サガミノ

国クニ

、甲斐カイノ

国クニ

、伊豆イズノ

国クニ

、駿河スルガノ

国クニ

、信濃シナノノ

国クニ

、上野コウズケノ

国クニ

、下野シモツケノ

国クニ

です。【クイズ:これら

の国クニ

は今イマ

の何県ナニケン

でしょうか。ちょっと難ムズカ

しいかな? 因チナ

みに町田市マチダシ

はかつての武蔵ムサシノ

国クニ

で神奈川県カナガワケン

なりましたが、その後ゴ

南多摩ミナミタマ

として東京都トウキョウト

に変カ

わりました。】 展望台テンボウダイ

からは新宿シンジュク

副都心フクトシン

や視界シカイ

が良ヨ

ければ東京トウキョウ

タワーなどを眺ナガ

めることができます。

クイズの答コタ

え:(順ジュン

に) 神奈川県カナガワケン

、 山梨県ヤマナシケン

、 静岡県シズオカケン

(伊豆イズ

半島ハントウ

)、 静岡県シズオカケン

、 群馬県グンマケン

、 栃木県トチギケン

七国ナナクニ

山ヤマ

には古フル

くからの道ミチ

が残ノコ

されていて、鎌倉カマクラ

古道コドウ

とよばれています。鎌倉カマクラ

時代ジダイ

には整備セイビ

されてい

七国ナナクニ

山ヤマ

の入口イリグチ

に「鎌倉カマクラ

井戸イド

があります。鎌倉カマクラ

時代ジダイ

に掘ホ

られ

たとされています。その昔ムカシ

、新ニッ

田タ

義貞ヨシサダ

という武将ブショウ

が鎌倉カマクラ

攻セ

めに

向ム

かう途中トチュウ

、ここで馬ウマ

に水ミズ

を与アタ

えたと伝ツタ

えられています。

ウグイスカグラ シュンラン キンラン

たと考カンガ

えられています。掘ホ

り割ワ

り構造コウゾウ

と言イ

って凹ヘコ

んだ作ツク

りになって

いるのも特徴トクチョウ

です。今イマ

では人々ヒトビト

の散策サンサク

の道ミチ

として利用リヨウ

されていま

すが、当時トウジ

は荷物ニモツ

を背負セオ

った人ヒト

や馬ウマ

が賑ニギ

やかに通トオ

っていたことで

しょう。想像ソウゾウ

以上イジョウ

に物流ブツリュウ

は盛サカ

んだったようです。古道コドウ

は何本ナンボン

もありま

した。その正確セイカク

な位置イチ

はわかっていません。

雑木林ゾウキバヤシ

の中ナカ

では、他ホカ

の植物ショクブツ

が芽メ

を出ダ

す前マエ

に花ハナ

を咲サ

かせる木キ

があります。ウグイスカグラもその一ヒト

で、小チイ

さなピンクの花ハナ

をつけています。慣ナ

れないと気キ

がつきにくいですよ。アブラチャンも町田マチダ

でよく

見ミ

られます。落オ

ち葉バ

の中ナカ

からはシュンランが顔カオ

を出ダ

しています。花ハナ

びらが緑色ミドリイロ

をしている花ハナ

は珍メズラ

い。日当ヒア

たりの良ヨ

い明アカ

るい雑木林ゾウキバヤシ

ではキンランがひときわ目立メダ

ちます。これらの植物ショクブツ

は山ヤマ

の中ナカ

に大タイ

切セツ

に置オ

いておいて、みんなで楽タノ

しむように心ココロ

がけましょう。