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「価値を生み出すビジネスへ」の発刊にあたって

 従来のITがビジネスの効率化を追求してきたのに対し、近年、ITはビジネスとの融合領域において新たなサービスを創出する役割を担いつつある。経済産業省が所管する産業構造審議会の情報経済分科会人材育成WGにおける報告書(平成24年9月)」(以下「産構審人材育成WG報告書」という)では、このようなビジネスとITの融合領域においてイノベーションを創出し、新たな製品やサービスを自ら生み出すことができる人材を育成することが喫緊の課題と位置付けられている。 産構審人材育成WG報告書での提言を受け、ここで示された「次世代高度IT人材」を「IT融合人材」と位置付け、更に検討を進めるため、平成25年7月にIPAと特定非営利活動法人ITコーディネータ協会は共同で関連団体や企業へ呼びかけ、12組織から有識者の参加を得て、「IT融合人材育成連絡会」 (以下「連絡会」という)を立ち上げた。 連絡会では「IT融合人材」の育成のあり方について情報交換、意見交換が行われた。検討の過程ではIT融合によるイノベーション創出には個人の育成に加え組織としての取り組みが重要であることにも焦点があてられ、組織の役割と組織能力に関しても議論された。活動は平成26年3月まで継続して行われ、その結果が最終報告書として取りまとめられた。 IPAでは、この報告書の内容を具体化・詳細化し、IT融合人材の育成フレームを作成して平成26年4月に公開した。育成フレームはIT融合人材が携わる仕事(タスク)と求められる能力を整理した「IT融合人材スキル指標」およびIT融合人材の育成・活用環境の整備度合を示し、組織能力を評価する「成熟度モデル」からなる。 イノベーションを創出し、新事業や新サービスを生み出すことができるIT融合人材の重要性はますます高まっている。このような継続した活動に基づき、IT融合人材の育成と活躍できる組織環境づくりについて広くメッセージを発信し、企業などの取り組みを加速することが、本誌発刊の目的である。

「価値を生み出すビジネスへ」第二巻の本誌は、イノベーション創出における組織環境の整備がテーマである。

CONTENTSP.03 イノベーションが継続的に生まれる組織づくりP.10 新しい価値創造に必要な組織能力 ~事例にみる経営者のリーダーシップ~

IPA

経済産業省産業構造審議会情報経済分科会

人材育成WG

IT融合人材育成連絡会

2つの観点で検討

育成フレーム整備事業

平成25年7月~平成26年3月

平成26年4月

第一巻 〈人材編〉 第二巻 〈組織編〉

報告書

人材能力の向上

IT融合人材スキル指標 成熟度モデル

組織環境の整備

(順不同)

日本電子計算株式会社株式会社NTTデータ経営研究所東京海上ホールディングス株式会社株式会社リクルートテクノロジーズ一般社団法人 情報処理学会一般社団法人 経営情報学会一般社団法人 日本情報システム・ユーザー協会(JUAS)一般社団法人 情報サービス産業協会(JISA)一般社団法人 日本コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)産構審経済分科会2012年度人材育成WG委員長特定非営利活動法人 ITコーディネータ協会(ITCA)独立行政法人情報処理推進機構(IPA)

平成24年9月

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イノベーションが継続的に生まれる組織づくり既存組織のプロセスや文化がイノベーションを阻む

図1 企業の「実行モード」と「探索モード」の違い 

る全部門からの同意を得ないと製品化できないというルールに阻まれて、有望な新製品アイデアが幾度となくつぶれてしまう。こうした落胆する経験の末、ついに起業に踏み切った。(「日経ビジネス」2015年4月13日号より) 企業においては、マネジメントプロセスや組織文化が既存事業の実行のためにできあがっていて、イノベーションを支援するように作られていない。仮に優れたアイデアがあっても、縦割りで運営された部門間の壁、迅速さに欠ける意思決定プロセス、リスクを避ける文化などがイノベーションを阻む障害となって、行く先々でブロックする。結果的に、そうした有望なアイデアは商品としてうまく実現されずに頓挫してしまう。

実行モード 探索モード

● 既存の事業を効率的に遂行する● 明確なビジネスモデル● 現状の市場の維持と拡大● 改良と改善● 失敗の回避

● 新しい事業を見い出して育てる● 試行錯誤で ビジネスモデルを見い出す● 市場の新規開拓● 問題の発見と価値の創造● 失敗からの学習

 産業構造審議会情報経済分科会の報告を受け、さらに検討を進めるため設置されたIT融合人材育成連絡会(2ページ参照)では、イノベーション創出における個人の育成に加え、組織としての取り組みの重要性にも焦点があてられ、組織の役割と組織能力に関しても議論された。IPAでは、このような組織能力を評価する「成熟度モデル」を公開している。「成熟度モデル」については、10ページ以降で事例を含めて解説するが、最初にイノベーションを起こす組織の要件について経営幹部の視点から多摩大学大学院教授の河野龍太氏に解説していただいた。

 企業がイノベーションを実現する上での障害はアイデアの不足ではない。既存事業に最適化されてイノベーションには適さないプロセスや組織文化である注1。煩雑な意思決定プロセス、机上での数字の精緻化に多くの時間を割くビジネスプラン偏重の事業評価の仕組み、横断的な開発協力を阻む縦割りで硬直化した組織風土、リスクを過度に避ける企業文化など。こうした既存企業特有の課題に対して有効な改革がなされないままにアイデア会議など表面的な手を打ち、イノベーションを奨励しても、ユニークなアイデアや有望な構想は日の目をみないまま終わってしまう。 ロボットベンチャーのexi i iは、大手家電 メーカーを退社した2人の技術者によって設 立された。同社が開発したロボット技術によ る義手は、グーグル主催による、テクノロジー によって世界をよりよくするアイデアを取り 上げて表彰する「Googleインパクトチャレンジ」にも選ばれ、注目を集めている。ドイツの先行メーカーの同種の義手の7分の1以下という価格は、破壊的イノベーションの可能性も秘めている。同社の小西氏は、大企業に勤めている時に新商品提案会議でアイデアを提案し、役員から承認まで得ながらも商品化できないことが幾度もあったという。デザインや設計、品質管理など新製品開発に関連す

注1「成熟度モデル」組織文化・風土の醸成(11ページ)参照

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恐れが生じる。 ファストワークスによって、顧客が求める最小限の機能をもったプロトタイプMVP(ミニマム・バイアブル・プロダクト)を作り、顧客のフィードバックを得ながら開発する。たとえば産業用のガソリンエンジンの新製品開発においては、当初は5年ぐらいかけて開発していたのを、用途を限定しわずか約90日間で商品化した。GEのファストワークス・プロジェクトは、200件以上に及び、航空機エンジン、医療機器、発電機器などを含めすべての分野に広がっている。(「日経ビジネス」2014年12月22日号より) 社員数約30万人の超巨大企業であるGEにおいて、起業家的マインドセットとイノベーションメソッドを浸透させ成果につなげることができたポイントは、どこにあるのだろうか。 GEのCEOジェフ・イメルト氏は、企業文化を変えるには、ハード(ビジネスの仕組みや手法など)とソフト(考え方や価値観)の2つの重要なポイントがあると指摘する。GEでは、ハード面で「ファストワークス」のような手法や仕組みを導入するのみならず、企業理念や企業哲学も変えることで、イノベーションを促進する土壌をソフト面からも作ろうとしている。 たとえば、GEの企業としての価値観を新たに定義した「GEビリーフス」では、失敗を織り込んでも挑戦する姿勢を奨励している注2。

 イノベーションの事例では、突出した才能を持つ個人に焦点が当てられ、華々しく紹介されることが多い。しかし、ここで紹介されているGEの事例をみると、イノベーションは組織的に生み出すことができるものということがよくわかる。 これらの取り組みは10ページ以降で解説するイノベーション創出とこれを牽引する人材の育成に関する組織能力評価指標「成熟度モデル」の観点を多く含んでいる。従来のやり方を変えるために「ファストワークス」というコンセプトを打ち出し、経営者のリーダーシップのもとで社内に浸透させている。まさ

に、新しい組織文化・風土を醸成しようとしている。 また、企業としての価値観を新たに定義した「GEビリーフス」では、「Learn and Adapt to Win(試すことで学び、勝利につなげる)」という項目があり、これは「成熟度モデル」評価項目の「トライアル&エラー実施環境の整備」と共通点が多い。組織として個人の発想を尊重し、活躍や失敗を通じて成長へとつなげる環境を用意することが重要になる。

注2「成熟度モデル」トライアル&エラー環境の整備(12ページ)参照

イノベーションを継続的に生む組織をつくるには

 既存企業は、現状のビジネスモデルを効率的に運営するために最適化された「実行モード」の組織である。「探索モード」のイノベーション活動とは、本質的に相容れない。では、既存企業の組織文化に起業家的マインドセットを浸透させるには、どうすればよいのだろうか。 GEは、起業家的マインドセットを組織全体に浸透させ、変革とイノベーションを加速させる試みに挑戦している。その柱となる取り組みが、「ファストワークス」という新しい経営手法だ。ファストワークスとは、エリック・リース氏による新事業開発コンセプト「リーンスタートアップ」をもとにGEのこれまでの商品開発を改革しようという活動である。 企業側の思い込みが先行して、顧客にとっての価値とはかみ合わない商品サービスを開発してしまうのは、新商品導入が失敗する典型的な原因だ。そうした失敗やそれに伴って生じるヒト、資金、時間の無駄をなるべく避け、顧客が望む商品をスピーディーに市場に投入することが、ファストワークスの目指すところである。 産業機器が中心のGEでは開発期間が5年程度かかるという。しかし、事業環境の変化の速度が格段に激しくなっている今日において、これまでの開発スピードのままでは、競合や顧客の変化に必ずしも迅速に対応できない

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GEはこれまで慎重さを重視し、リスクの高いビジネスは避ける傾向があった。こうした保守的な価値観や組織風土は、仮説と実験の繰り返しによって素早く学習し、イノベーションを実現する「ファストワークス」のような手法とは矛盾する。だからこそ、プロセスと価値観の双方からアプローチし企業文化そのものを変えようとしているのだ注3。 GEのように企業文化を大きく変えることは、かなりハードルが高い。企業文化の抜本的な変化までは必須ではない。変化のプラットフォームをイノベーションの専用チームにおき、既存事業と協力する運営体制、イノベーションをサポートするマネジメントプロセス、それらを後押しする経営レベルのリーダーシップを適切に構築すれば、既存事業の効率的な運営と、イノベーションによる新たな成長事業の創造とは両立が可能である。

イノベーションの成功の は、チーム

 イノベーションとは、答えがみえない中で前進する活動である。仮説を立て、実験を繰り返して、不確かな推測を事実に変えていかなければならない。実験と失敗からいかに素早く学習できるかが、 を握る。ハーバード大学のエイミー・エドモンソン教授のいう「学習しながら実行する組織」をつくることが、プロジェクト成功には必要だ注4。 これまでほとんどの企業は、効率と規律に重点をおいた「実行するための組織」を作ることに力を注いできた。実行するための組織モデルは、生産プロセスが解明され、求める結果を達成するのに必要なこと、やるべきことがはっきりしている時にはうまくいく。

 たとえば、自社の商品を販売する営業部署は、いくつかの基本的シナリオや選択肢を状況に応じて使い分け、着実に実行すれば、一定の成果を上げられる。マネージャーは、たとえば見込み顧客への訪問などのように結果を出すために必要な行動を指示し、そのパフォーマンスを監督し評価すればよい。 一方、イノベーションの取り組みのように、成果につながる知識がはっきりしない、予測が立てられない、求める成果をあげるために取るべき行動が分からない時には、効率を追求しながら実行する組織は機能しない。リーダーは、学習するための組織を作り、探索を行って、不確実な環境への適応力を高める必要がある。 学習しながら実行する組織の核は、チームだ。イノベーションの取り組みは、エンジニア、デザイナー、マーケター、コンサルタントなど様々な専門知識をもった社内、社外のメンバーの協働によって進められる。プロジェクトを成功させるには、素早い実験と学習を行う、多様性をもった創造的で機動的な、少人数のチームをつくる必要がある注5。 効果的なチームをつくるには、メンバーが目的や価値観を共有しなければならない。共通の目的や価値観が曖昧だと、メンバー間でコラボレーションする際の一体感やモチベーションづくりが難しくなる。また、リーダーはメンバーを尊重し、信頼しなければならない。メンバーにいちいち指示を与えて管理しようとすれば、効果的な学習は起こらない。心理的な安全も配慮される必要がある。思ったことを言える雰囲気がないと、メンバーが相互に頼り、率直な意見を交換し合う土壌が生まれないからだ。 成功するイノベーションチームには、従来とは異なる新しいリーダーシップが必要になる。すなわち、失敗に寛容で、自らも誤りを注3

「成熟度モデル」組織・文化風土の醸成(11ページ)参照注4「成熟度モデル」価値発見の場の整備、価値実現プロセスの整備(11ページ)参照

注5「成熟度モデル」多様性のある実施体制の整備(12ページ)参照

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 社内ではなく、社外で独立した事業体をつくる選択肢もある。たとえば、これまでの既存事業の商品サービスとは大きく異なるいわゆる「破壊的なイノベーション」を目指すプロジェクトの場合は、異なるビジネスモデルが必要になる。ハーバード大のクリステンセン教授が指摘するように、そういったケースでは、イノベーションチームを既存の組織から離し、独立した事業体をつくることが望ましいことも多い。 アマゾンがBtoB客を対象としたクラウドコンピューティングサービスであるAWS(アマゾン・ウェブ・サービス)事業を始める際には、既存のBtoCの顧客向けのオンライン小売業とは異なるビジネスモデルが必要だった。そのため、独立した事業体を立ち上げている。ネスレのネスプレッソ事業も、これまでの食品事業とはまったく異なるビジネスモデルを模索し、成功するまでに多くの困難に直面した。事業撤退の危機に何度も瀕したが、親会社から独立した事業体制にしていたために活動をストップすることを免れた。ネスプレッソが成功するまでには多くの年月を要したが、結果的に売上高4000億円を超える画期的な成功ビジネスとなった。 いずれにせよ、イノベーションチームのメンバー選定には、プロジェクトが成功するために必要なスキルを洗い出し、社内外からベストな人材を調達しなければならない。社内の人材に過度にこだわるのはリスクがある。イノベーション活動は、既存事業とは異なる思考方法、メソッド、業務プロセス、価値観をもった多様性のあるチームが必要になる。内部のリソースだけに固執すると、「組織の記憶」から逃れられず、新しいアイデアやアプローチが思うように実現できなくなる恐れがあるからだ。 アップルがiPodを開発するにあたっては、MP3プレイヤーの分野に専門知識を持つ外部コンサルタントを起用し、結果的に社員として雇用する形でイノベーションリーダーに

認める。対立を恐れず率直にアイデアや意見を競いあう多様でオープンなチームをつくり、かつメンバー同士の密接な協働と協力を生み出す。イノベーションが起きる環境づくりに長けたリーダーだ。逆に、失敗を許容せず、計画重視で効率的に管理しようとする古いタイプのリーダーは、既存事業の運営には適していても、チームの創造力と学習を促進できないので、イノベーションには貢献しない。 イノベーションリーダーは、イノベーションチームに適したリーダーシップを身につけなければならないのだ。

イノベーションを成功させる体制づくり

 イノベーションの取り組みを組織化するには、社内で体制をつくるか、あるいは社外の独立した事業体をつくるかという選択肢がある注6。 社内で体制をつくる場合は、専任メンバーと共通スタッフによるイノベーションの専用チームが必要である。専任メンバーは、イノベーションプロジェクトにフルタイムで従事し、共通スタッフは既存業務の時間を割いてイノベーションプロジェクトをサポートする。 既存企業のイノベーションは、豊富な技術や販売チャネル、資金など、すでに蓄積された様々なリソースを有効に活かすことで、スタートアップとは異なる有利な状況を生み出せる。専任メンバーと共通スタッフによる共同体制のチームを編成することで、既存組織のリソースを活かし、イノベーションの取り組みと既存事業との協力と連動がはかりやすくなる。そうした円滑な関係をつくるためにも、イノベーションリーダーには謙虚な姿勢が求められる。既存組織から理解や応援が十分に得られなくても、相手を敵視したり、特権的な振る舞いをすることは慎まなければならない。

注6「成熟度モデル」価値発見の場の整備(11ページ)参照

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据えて内部のエンジニアやデザイナーらと共に多様な専門性をもったメンバーでプロジェクトチームを組成した。ハードについても自社でゼロから開発はせずに、先行していた既存商品の事業ライセンスを買い取り、オープンイノベーションを実践した。チーム体制やハード開発において、外部の資源をうまく活用してイノベーションを実現している。 イノベーションプロジェクトを開始する際のチームのメンバー数は、少人数がよいとされている。数が多すぎると、主体性が薄くなり、コミットメントが低下しても構わないという空気が生まれる。あまり人数が多くなると、グループ全体の考えに同調する集団思考が発生し、創造的な議論が阻害される恐れもある。アマゾンのCEO、ジェフ・ベゾス氏の提唱する「2枚のピザ理論」では、成果を上げる適切なチームのメンバー数は、5人から8人程度となる。 イノベーションプロジェクトと既存事業との円滑な連動には、イノベーションリーダーのリーダーシップとイノベーションプロジェクトを監督する上級経営幹部あるいはCEOのサポートが欠かせない。社内リソースの配分においては、既存事業とのリソースの調整が発生するために互いに利害がぶつかることがある。既存事業とは独立した予算、責任の元で管理し、既存部門にまたがって影響を及

ぼす重要な決定やリソース配分については、意思決定の責任を分散させずに、CEOやイノベーション活動を管理する上級経営幹部による一本の意思決定プロセスで決めるようにするなどの工夫が必要だ。

失敗から学べる組織をつくる

 イノベーションを促進するために、失敗から学べる環境を作るのは経営者の責任だ。IBMの創業者トーマス・ワトソン・シニアは、「成功の確率を上げたいのなら、失敗の確率を今の2倍にすることだ」と言った。成功に失敗は不可欠である。失敗の数が増えるほど、成功の確率も高まる。リスクを取ることを奨励し、失敗に寛容な風土を作り、失敗から学ばなければ、画期的な商品やイノベーションは生まれない注7。 組織が成功にしかインセンティブを与えないのであれば、次々と挑戦する試みが生まれてくることは難しいだろう。ホンダには、「失敗の表彰制度」がある。本田宗一郎氏は、「挑戦をして失敗をした人間を責め立てるようなことをやっていたら、会社はダメになる」として、「ニワトリ会議をしてはいけない」という

 イノベーションの取り組みでは多様性をもったチームを編成することが重要である。ただし、単に多様な人材を集めただけでは“烏合の衆”ということになりかねない。ここで紹介された事例では、役割分担やチームの規模、経営幹部のサポートなどにより、共通の目的を目指す集団として多様性を担保する方策が示されている。 10ページ以降で解説するイノベーション創出とこれを牽引する人材の育成に関する組織能力評価指標「成熟度モデル」では「多様性のある実施体制の整備」と表現されている。多様な価値観や専門性、バックグランドを持つ人材が集まることで、価値観をぶつけあったり、異なる経験を共有したりすることができる。チームを引っ張るイノベーションリーダーは、野心的

な問題解決のテーマと目的意識をメンバーで共有し、様々な専門性をもった多様性のあるチームをマネジメントすることが求められる。 新たな価値を生み出すイノベーション創出は初めてのことの連続なので、失敗は必然ともいえる。重要になるのは“失敗”をマネジメントすることである。ここで紹介された事例でも、失敗から学習すること、失敗を批判する環境を変えてチャレンジを奨励するなど、失敗をトリガーに次のステップに進むための方策が示されている。 成熟度モデルでは「トライアル&エラー実施環境の整備」に相当する。

注7「成熟度モデル」トライアル&エラー実施環境の整備(12ページ)参照

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言葉を残している。ニワトリは、傷ついたニワトリがいると、よってたかって殺してしまう習性があるそうだ。こうした経営者の言葉や表彰イベントのような制度は、挑戦して失敗することは、ペナルティにすべきことではなく、価値があることだというメッセージを分かりやすく組織に伝える。(ダイヤモンド・オンライン2009年3月4日「不機嫌な職場の治療法」より)

イノベーションの人事評価をどうすべきか

 イノベーションの取り組みは、難易度が高い。イノベーションリーダーや担当の上級幹部にとって、イノベーション活動にかかわることは、既存ビジネスとは異なる成果を上げるチャンスの一方で、大きなリスクもはらんでいる。イノベーションに失敗すれば、キャリアに大きなダメージを受ける可能性があるからだ。 イノベーションリーダーの人事評価には、既存の評価軸とは異なる視点が求められる。既存事業では事業の計画と予測が成り立つので、売上や利益の向上を数値目標に置き換えて実績との比較で結果を評価できる。一方、予測が困難なことにチャレンジしなければならないイノベーションリーダーに対して、「結果」への責任を過度に負わすべきではない。失敗することが大きなペナルティになるようだと、組織にとってリスク回避と現状維持をよしとする、誤ったメッセージを発することになってしまう。これでは、むしろイノベーションを阻む組織を促進するという矛盾を犯すことになりかねない。 先述のGEでは、企業変革やイノベーションを支援する新たな価値観「GEビリーフス」の導入に合わせて、人事評価制度も変更している。すなわち、これまでの人事評価が、売上高や利益の向上といった業績評価へ偏重していたのを見直し、「GEビリーフス」の実践と成果

だけを3段階で評価する。GEビリーフスに込めた「試すことで学び、勝利につなげる」といった失敗を前提に思い切って挑戦する姿勢と行動を人事評価とも連動させ、組織文化と社員の意識変革を着実に起こそうとしている。 学習や行動への責任を評価するためには、上級幹部とイノベーションリーダーの間で、検証すべき仮説と、そのための具体的な検証活動、それらの想定する結果について月次レベルぐらいの頻度で検討し、最新の認識を共有しておく必要がある。

オープンイノベーションに欠かせない経営者の関与

 これからのイノベーションは、外部との協業がますます重要になる。環境変化は激しさを増しており、自前主義にこだわり過ぎれば、自ら視野を狭くし、世の中の変化のスピードについて行けなくなるリスクを高める。外部の優れた技術を取り込み、迅速に商品化する。商品やサービス、ビジネスモデル、エコシステムをパートナー企業や顧客と共につくる。こうしたオープンイノベーションに長けた企業が、競合よりも早くイノベーションを具体化し成果を加速させることができる。 オープンイノベーションのモデルには、大きく2種類ある。社外の優れたアイデアや技術を使って商品サービス開発をするアウトサイドイン型と、自社のアイデアや技術をライセンスなどで他社に使ってもらうインサイドアウト型。 P&Gは有名な「コネクト・アンド・デベロプ」によって両方のオープンイノベーション戦略に取り組み、既に2,000件以上のイノベーションに関するパートナー契約を外部と結んでいる。たとえば、P&Gのスキンケア製品「オレイ・リジェネリスト」は、しわや火傷の修復効果のある新しいペプチドを開発したフランスの中小企業Sedermaと共同で開発

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ションを継続的に生む組織をつくることだ。イノベーションを阻害するマネジメントプロセスや組織文化の問題を洗い出し改善する。同時に、既存事業の運営と両立する形で、リスクを恐れずビジネスチャンスを果敢に捉える「起業家的マインドセット」が発揮される仕組みを導入する。こうしたイノベーションが持続的に起こる環境を創造するためのあらゆる局面で、強いリーダーシップをふるわなければならない注9。 イノベーションを成功させるには、学習しながら実行するチームが欠かせない。チームのポテンシャルを最大限に引き出すために、イノベーションリーダーは、イノベーションが起きやすい環境をつくらなければならない。また、イノベーション・マネジメントに適応した新しいリーダーシップを身につける必要がある。 イノベーション分野の人事評価は、既存事業とは別の基準で考える必要がある。結果を重視する既存事業の評価基準をそのまま当てはめて、イノベーション活動の成果に対してペナルティを与えるような人事評価や組織文化は、リスクに挑戦する人の意欲を失わせ、イノベーティブな人材を社外に流出させる恐れがある。 不確実性の高い現代の経営環境においては、既存事業が長期的に存続する保証はない。イノベーションが継続的に起こる組織づくりを怠ることは、将来大きなツケを払わされるリスクをはらむ。

筆者:河野 龍太多摩大学大学院教授/インサイトリンク代表取締役社長

早稲田大学法学部卒業。英国ウォーリック大学経営大学院でMBA取得。博報堂、博報堂ブランドコンサルティング、ITベンチャー数社の経営参画を経て、現在株式会社インサイトリンク代表取締役社長および多摩大学大学院教授。ビジネスモデル・キャンバスを開発したアレックス・オスターワルダー博士が設立したイノベーション支援企業Strategyzer(ストラテジャイザー)の日本人唯一の公認トレーナーとして、数多くの企業に対してイノベーションプロジェクトの支援やイノベーションのスキルトレーニングを実施している。

され、大ヒット商品となった。日本企業でも、東レとユニクロの共同商品開発などオープンイノベーションによる成功事例が増えている。 社外と社内とが協働するオープンイノベーションを進めるには、そのための推進体制をつくる必要がある。社外の技術やリソースを活用することに対しては、研究開発部門など関係する内部の組織で抵抗も生じる。ビジョンを明確にして方向性を共有し、社内の理解とモチベーションを形成しなければならない。その意味で、オープンイノベーション戦略を推進するには、トップの積極的な関与が欠かせない。 オープンイノベーションには、社内と社外とを巻き込んで推進するための社内体制の整備、外部との連携についての社内啓蒙と理解促進、ビジョンや戦略の共有などが必要だ注8。そのためにも、これらのタスクを後押しするトップの積極的な関与が欠かせない。

まとめ

 既存組織は、現行稼働している事業の実行のために最適化されている。既存事業の運営とイノベーション活動とは、根本的に異なるマネジメントが必要になる。イノベーションを支援するプロセスや文化が作られていない組織では、既存事業の効率的な運営のために確立された様々な仕組みや組織文化などが障害となって、継続的にイノベーションを起こすことは難しい。 不確実性が高い現代の事業環境において企業が存続するには、イノベーションを結果論にせず主要業務として位置づけ、組織をあげて戦略的に取り組まなければならない。古い優位性から資源を引きはがし、新しい優位性の開発に絶えず投資する必要がある。 経営者がやるべき重要な課題は、イノベー

注8「成熟度モデル」オープンイノベーション環境の整備(12ページ)参照

注9「成熟度モデル」経営者のリーダーシップ発揮(10ページ)参照

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 新しい価値を創造するためには、「既存の枠組み」や「成功体験」、「固定化された価値観」などイノベーションを起こすうえで阻害要因となるものを排除することが重要になる。 さらに、多様な価値観を受け入れ、外に開かれた環境で「失敗から学ぶ」ことを推奨する「育成場」を提供するなど、継続的な活動により組織文化・風土を変革する必要がある。このような取り組みによってビジネスとITの融合領域で新しい価値を創造するために必要な組織能力を向上させることが求められる。

組織能力評価指標(成熟度モデル)

 イノベーション創出は個人が単独で取り組むのではなく、通常は企業に属して様々な人材と共に活動する。企業が新しい価値を生み出しイノベーションを創出するのに適したものであるか否かは、IT融合を推進する人材の育成に大きな影響を与える。 また、企業などの組織が、イノベーション創出のために組織能力を高めようとした際、重要になるのは組織の強みと弱みを把握することである。情報処理推進機構(IPA)ではイノベーション創出とこれを牽引する人材の育成に焦点を当てた組織能力を11項目にまとめ、その状況を把握するための評価の考え方として組織能力評価指標(成熟度モデル)を提供している(表1はその概要)。 「成熟度モデル」は11項目の組織能力ごとにレベル付けした評価指標を設定したもので、IT融合人材を育成しイノベーションを創出するための、組織能力を評価するための枠組みである。各項目について自社の状況をアセスメントすることで、現状の強みと弱みを把握し、弱みを改善し、強みをさらに伸ばす契機になる。

組織能力向上における評価項目

1. 経営者のリーダーシップ発揮2. イノベーション定義の明確化3. IT融合人材の役割と  育成対象者の明確化4. イノベーション創出に適した  組織文化・風土の醸成5. 価値発見の場の整備6. 価値実現プロセスの整備7. 多様性のある実施体制の整備8. オープンイノベーション環境の整備9. トライアル&エラー実施環境の整備10. 「IT融合人材」育成フレームの整備11. 「実践的学習の場」の整備

1. 経営者のリーダーシップ発揮

 従来からの慣習や過去の成功体験からくる固定化された枠組みや価値観は、イノベーション創出において大きな阻害要因となる場合がある。経営者はこれらの排除にリーダーシップを発揮することが求められる。場合によってはリスクテイクする意思決定も重要になる。経営者が率先実行し、企業文化としてイノベーション創出環境を構築することが重要である。 イノベーション創出の取り組みは、結果的に失敗することもあれば、すぐに利益に結びつかないことも多い。既存事業の組織から反発や不支持を招くこともある。イノベーション創出に取り組む部門やチームを社内の抵抗から守るのも経営者の重要な役割である。

2. イノベーション定義の明確化

 「イノベーション」という概念は、社会に大きな変革をもたらす破壊的なイノベーション

新しい価値創造に必要な組織能力事例にみる経営者のリーダーシップ

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から、日々の改善の積み重ねから新しい価値を生み出すイノベーションまで、幅広い考え方がある。また、技術革新としてイノベーションを捉えるか、既存技術の組み合わせで新しい価値を生み出すことをイノベーションとするかなども様々な考え方がある。企業においてイノベーション創出に取り組む者が共通認識を持つためにも、自社が追及するイノベーション像を明らかにすることが重要になる。

3. IT融合人材の役割と育成対象者の明確化

 IT融合人材として育成する対象者は、既存ビジネスとの兼ね合いや人材が持つ素質などから選定するのが現実的である。その場合、IT融合人材の役割を明らかにすることが重要になる。役割が明らかになることで、人材が持つ既存能力などを見極めて育成対象者を選

抜することが可能になる。また、育成対象者として明確化することにより、本人にも自主的な行動を促すことにつながる。

4. イノベーション創出に適した 組織文化・風土の醸成

 「価値観が固定化している」「成功体験から抜け出せない」「既存の枠組みに安住している」などはイノベーション創出における阻害要因になる。社員の主体的・能動的な活動を促進し、多様な価値観や変化を受入れ、失敗から学習することが奨励される文化・風土を醸成することが重要である。

5. 価値発見の場の整備

 通常のビジネス活動では実現可能性や収益見込みなどが重視され、斬新なアイデアが生

番号 評価軸 目指すべきレベル

表1 イノベーション創出のための組織能力評価指標(成熟度モデル)の概要

企業が目指すイノベーションとそれを担う役割、そのための育成対象者が定義されているのか?

また、組織環境はイノベーションを起こしやすいものか?

1.1 経営者のリーダーシップ経営者はイノベーション活性化のために必要な環境や仕組みのあり方を考え、その発信・推進を率先垂範して行っている

1.2 自社が対象とするIT活用のイノベーション定義

自社はどのようなイノベーションを対象とするかが公式に設定され、目指すイノベーションについて全社的に周知・理解され浸透している

1.3 自社が対象とするイノベーションを担う役割とそのための育成対象者

イノベーションを担う役割とその育成対象者が公式に設定され、育成対象者を含めた社内全体が自身の役割として自覚し自律的に活動している

1.4 組織文化・風土 イノベーションを起こし易い組織文化・風土を当たり前と考え、それを育む組織になっている

IT活用によるイノベーションを実践する場が提供されているか?

2.1IT活用によるイノベーションにつながるアイデア出しを行う価値発見の場

価値発見を行うための場が、公式の仕組みとして定着し、場の利活用による成果が出ている

2.2 有望なビジネス・アイデアを事業に仕立てていく価値実現プロセス

価値実現プロセスが社内に定着し、イノベーションの成果が出ている

2.3 多様性のあるイノベーション実施体制

多様性のある体制によるイノベーションの仕組みが定着し、成果が出ている

2.4 外部のアイデアや力を活用するオープン・イノベーション オープンイノベーションの場が定着し、成果も出ている

2.5 トライアル&エラー トライアル&エラーを前提とするイノベーション実践の公式な場が定着し、成果も出ている

自社のイノベーションを担う人材のために、育成の場が提供され、活用できているか?

3.1 自社のイノベーションを担う人材のための育成フレーム

育成フレームとその管理の仕組みが定着し、定常的に運用されている

3.2 知識習得のみでなく、実践的学習の場も含む研修メニュー

実践的学習の場を含む研修メニューが社員に定期的・定常的に提供され、育成成果が出ている

参考資料「IT融合人材育成における組織能力評価指標(成熟度モデル)」から抜粋、改変

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まれにくい傾向にある。このような要因を取り除き、イノベーション創出を目的としてアイデアを発掘し、新たな価値発見を行う場を整備することが重要である。

6. 価値実現プロセスの整備

 イノベーションにつながる新しい価値が発見されても、それだけではアイデアコンテストの域を出ない。実際にビジネスモデルを描き、事業に仕立てていくプロセスを経て、顧客に価値が提供されることになる。このようなプロセスを整備することで、イノベーションを実現する環境を構築することが重要である。

7. 多様性のある実施体制の整備

 同じ価値観や経験を持つ人材からなる組織では、アイデアや解決方法なども均一になりがちである。多様な価値観や専門性、バックグランドを持つ人材が集い、異なる価値観をぶつけたり、違う経験を理解しあったり、様々な発想を共有するダイアログ(熟議)を繰り返すことで、初めて新しい価値に近づくことができる。イノベーション創出の場では、このような多様性のある実施体制を整備することが重要になる。

8. オープンイノベーション環境の整備

 変化の激しい近年のビジネス環境では、企業内の限られた情報や人的資源でイノベーションを創出するのは困難になってきている。同業他社や異業種とコラボレーションし、得意分野を持ち寄ることで単独企業では成しえなかったイノベーションを起こすことが可能になる。このような外部に開かれた環境作りが重要である。

9. トライアル&エラー実施環境の整備

 イノベーション創出においては試行錯誤によりアイデアを検証し、完成度を高めるアプローチが取られるのが一般的である。プロト

タイピングなどにより価値を短期に「見える化」し、改善点を迅速に反映して実現性を検証するというプロセスを整備することが重要になる。このような試行錯誤においては失敗を許容し、失敗から学ぶという環境が求められる。

10. 「IT融合人材」育成フレームの整備

 IT融合人材を育成するためにはイノベーション創出プロセスと求められる能力を定義することが重要になる。これにより、既存人材の保有能力とのギャップが明らかにになり、組織が目指すイノベーションを実現する人材の育成カリキュラムなどに具体化する準備が整う。組織としてこのような育成フレームを整備することが重要である。

11. 「実践的学習の場」の整備

 IT融合人材に必要な能力は座学など知識として身に付けるものに加えて、実践によって体得する領域が多いと考えられる。このような実践力は「5.価値発見の場の整備」「6.価値実現プロセスの整備」など実際のビジネスにおける活動を通じて獲得できるものである。しかし、イノベーション創出にはリスクが伴うこともあり、実際のビジネス環境での取り組みは限定的になってしまうケースも多いのが実情である。このような状況を補完するためには、実際のビジネス環境を模擬的に再現し、できるだけ現実的な課題に向き合い、実践力を身に付ける「実践的学習の場」の整備が重要になってくる。組織としてこのような体験型学習の機会を提供することが求められる。

 以下、地方都市の中堅中小企業2社の具体的な事例を使いながらイノベーションの現場で組織能力がどのように発揮されているかをみてみよう。

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ヤマゼンコミュニケイションズ

自前の地域密着型Webサイト「栃ナビ!」でビジネスモデルを大転換

 ヤマゼンコミュニケイションズ株式会社は、1950年に山善社印刷所として設立され、その後ヤマゼン印刷への社名変更を経て、2000年に現在の社名となった。従来は、広告印刷が事業の中心であった。 既存事業である広告印刷業に代わる新規事業の方向性としてインターネットの活用に着目し、2000年、インターネット上に地域密着型クチコミ情報サイト「栃ナビ!」を開設した。グルメやショッピング、レジャー、病院やイベント情報など、地域住民が必要とする情報やリンクを網羅したポータルサイトである。 インターネット上に地域密着型クチコミ情報サイトを自社メディアとして開設することで、消費者との接点が得られ、顧客の広告宣伝へのかかわり方が大きく変化した。 従来は、顧客から受注した広告の仕様が起点であり、同社はその仕様通りに制作・納品するところまでだった。しかし、「栃ナビ!」によって、サイトから得られる消費者ニーズに基づく顧客への提案を起点とする広告宣伝が可能になったのである。ビジネスモデルにおいて同社が顧客と消費者の間をつなぐ役割を獲得したということができる。 この変化により、同社は広告代理店としての役割を果たすことができるようになり、従来取引のなかった大手百貨店あるいは役所から、「ヤマゼンや『栃ナビ!』が考える広告の出し方を一緒に組んで企画したい」という依頼を受けるほどになった。顧客とのかかわり方が広く深いものになった結果、「栃ナビ!」単体として、全社売り上げの35%、粗利益70%という高収益のビジネスに成長したのである(図2)。

「栃ナビ!」成功によって変化した社内の文化・風土

 「栃ナビ!」プロジェクトのスタート当初から経営者の強いリーダーシップが発揮されている。既存事業の組織とは独立させて「栃ナビ!」を担当するチームを編成し、そのメンバーを地域に貢献するIT融合人材として位置付け、役割を明確にした。 黒字化を達成するまでの5年間、既存事業に従事する社員からの抵抗は凄まじく、まさに孤立状態だったが、経営者の判断で、プロジェクトに一部屋をまるまる使わせて、社内の逆風をさえぎる措置をとった。 「栃ナビ!」プロジェクトが軌道に乗るとともに、社内の文化・風土がよい方向に変化している。 新しいアイデアの実現に向けての活動は、事業計画とは独立した取り組みとされており、短期間に業績を求めることはしていない。最終的には利益につながるものであるべきだが、少し先をみた取り組みでよいとしている。トライアル&エラーを許容する環境になっている。

図2 「栃ナビ!」がもたらしたIT融合とヤマゼンコミュニケイションズの立ち位置の変化

ヤマゼン印刷 消費者顧客

(広告依頼主)

ヤマゼンコミュニケイションズ

消費者への直接アクセス広告・宣伝 WEB

消費者顧客

(広告依頼主)

「栃ナビ!」以前

「栃ナビ!」後

自社メディア開設におけるIT融合

仕様発信

納品

依頼

提案 発信

受信

ビジネス 融合 IT

立ち位置の変化

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図3 無人駐輪場事業による価値創出

が1,000台もあり、駅周辺の環境は緊急自動車の通行も危うい状況であった。代表は、そこに着目し、自転車を放置する人々の行動観察をした。その結果わかったことは、放置する人は、20代から40代の女性が70%位。そして、短時間の利用ニーズが高く、事業化の芽があるということだった。 しかし、駐輪機器の価格は、 付きだと2万円、駐輪の時間管理を8ビットのマイコンで制御するもので12万円と6倍の価格差があり、開発直後においては設置コストを吸収することはほとんど不可能であった。更に遠隔管理を可能にする機器となると、その分の価格アップも想定された。共同開発のパートナーであった駐輪ラックメーカーでも、販売が伸びず試行錯誤を続けていた。 このような状況でも、代表は、問題発生時に人が駆けつけてクレーム対応できる範囲での駐輪場設置では事業の拡大につながらないと考え、遠隔管理を可能にする駐輪場設備の開発に参加した。 代表は、事業化のめどを立てるための初期投資をするなどのリスクテイクをしてでも新規事業の展開を推進した。事業化のめどを確信した後は、そのビジョンを社内で明示し、事業化を推進した。 無人駐輪場事業を支えるITの仕組みは、2012年に稼働を開始したSHIPシステムである。個々の自転車ラックからのデータを自動精算機内のコンピューターが収集し、インターネット経由で駐輪場運営会社に連携する仕組みを実用化した(図3)。

経営者を中心にした少人数のチームを編成オープンイノベーションを積極的に活用

 同社の代表は、土地オーナーとサービス利用者、サービス提供者の各々にとって利益のある仕組みで地域貢献する「三方よし」の新規事業を創出することを目的としている。初めてトライする新規事業においてこそ、計画

芝園開発

ITで遠隔管理する無人の時間貸駐輪場で「三方よし」を実現

 芝園開発株式会社は、1986年に東京都足立区を中心にした地域の土木建設会社として設立された。公共事業を中心に事業を展開し、地主や地権者、自治体などとの良好なネットワークを築いた。 1995年に無人の時間貸駐車場事業に参入し、1998年に放置自転車の対策として日本で初めて「無人個別管理駐輪システム」を開発し、無人の時間貸駐輪場「サイクルコインパーキング」事業の展開を始めた。 サイクルコインパーキングでは、駐輪場の駐輪ラック一台一台をSHIPと呼ぶ駐輪場・駐車場統合管理システムにより徹底的な個別管理をすることにより、採算性の高い無人時間貸駐輪場の運営を実現している。 同社の代表は、1995年から開始した駐車場事業が順調であった時点で、将来の2つ目の事業の柱として、無人駐輪場事業を発想した。 同社の最寄り駅である綾瀬は、放置自転車

芝園開発

地域貢献 放置自転車のない美しい街づくり

サービス収益

無人駐輪場事業

システム

SHIPシステムによるIT融合

遊休資産の活用 便利・安心・安い

「三方よし」サービス向上駐輪事業

クラウドアジャイル開発( )

土地オーナー

自転車利用者

所有地の貸与

利益の還元

駐輪場サービス

利用料金

ビジネス 融合 IT

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化と数値による詳細な管理が必要との認識を持っている。そのため、これを支えるITシステムを開発し、そこから得られる情報に基づき、土地オーナー(鉄道事業者、大型商業施設を含む)とサービス利用者に対して、最適な提案ときめの細かい運営管理を提供している。 イノベーションを起こすためのチームとして、代表と常務、事業部長、管理部部長の4人の役割が明確に定義され、各々の責任をきちっと果たしているため、高品質な業務展開が実現している。 同社が、SHIPシステムの開発、拡張において支援を得ている富士ソフト社との連携では、両社間にWin-Winの関係が成り立っている。芝園開発にとっては、ITの専門家1人を社員として雇用、保持するコストと同等あるいはそれ以下で、複数の専門家を確保できていること、企業対企業での連携であるため、担当者の交代等に対するリスク回避対策になっていることが価値となっている。 代表は「社内ですべてを自前でやろうとはしない方がよい。言い換えれば、外部のその道に長けていて、かつパートナーとして相応しい人を探すことが重要。色々な人々と知り合って、視野を広げること。新しい事をやろうとした時に、その人のネットワークの中で信頼できる人と協業することが大切」と結論付けている。

まとめ

 以上、業種もビジネスモデルもまったく異なる2つの事例をみてきたが、11項目の組織能力の観点からみると共通点や特徴がわかる。共通点は言うまでもなく、経営者のリーダーシップである。取り組むべき課題を見出し、実行するための組織を既存事業とは別の組織として立ち上げている。また、中期的な視点で、リスクテイクし、試行錯誤を許容している。 ヤマゼンコミュニケイションズの事例では、プロジェクト・チームの多様性やプロジェクトが成功した後での組織文化・風土の変化が特徴的である。一方、芝園開発の事例では、代表と側近4人というチーム編成が特徴的なのと、システム開発で他社と積極的に連携しているオープンイノベーションの取り組みが有効に働いている。 IT融合のイノベーションの定義や概念は各企業/組織において異なり、定まったものはない。このような中で、組織能力を評価する成熟度モデルは、企業がイノベーション創出に向けて環境を整備する際に活用できるものとなっている。

参考資料

●「IT融合人材に関する育成フレームの整備」独立行政法人情報処理推進機構、2014年3月http://www.ipa.go.jp/files/000038405.pdf

●「IT融合による価値創造に向けて

~IT融合人材の育成と組織能力の向上~」特定非営利活動法人 ITコーディネータ協会、独立行政法人情報処理推進機構、2014年3月http://www.itc.or.jp/news/dlfiles/20140325_yuugoo_report.pdf

●「IT融合人材スキル指標」独立行政法人情報処理推進機構http://www.ipa.go.jp/files/000038406.xlsx

●「IT融合人材育成における組織能力評価指標(成熟度モデル)」独立行政法人情報処理推進機構

イノベーションを起こす組織とは? 価値を生み出すビジネスへ

2015年6月発行

独立行政法人情報処理推進機構IT人材育成本部 HRDイニシアティブセンター〒113-6591 東京都文京区本駒込2-28-8 文京グリーンコートセンターオフィス15階電話      03(5978)7544FAX      03(5978)7516メールフォーム http://www.ipa.go.jp/about/inquiry_index_0.htmlホームページ http://www.ipa.go.jp/jinzai/hrd/index.html

編者紹介

独立行政法人情報処理推進機構IT人材育成本部 HRDイニシアティブセンター編集     武田敏幸編集協力     秋元裕和     木村美子     奥村有紀子     尾浦章子

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