「話芸」の多角的研究...「話芸」の多角的研究 1.2. 本稿の構成...

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1. 総合研究の概要 1.1. 研究の目的と進め方 本研究は,「話芸」をさまざまなステレオタイプを表象するコンテンツの一種位置づけ, 言語学文学心理学というさまざまな分野から多角的えることを目的とした。本研究 課題基盤共有のための全体活動と,個別テーマにづく研究活動った。全体活動は, 本研究テーマの中核となる話芸一種である江戸落語ならびにステレオタイプ研究基礎的 知識獲得をめざしつつ,構成員相互研究分野理解めることを主眼とした。 全体活動は,共同研究会江戸落語実地調査専門家招待しての講演などをして,研究テーマの研究基盤形成めた。全体活動以下のようなスケジュールで実施した。 共同研究会2016 4 7 研究メンバーによるミーティング 落語鑑賞1 ):2016 6 19 上野鈴本演芸場 講演1 ):2016 6 30 渋谷勝己大阪大学教授)「山東京伝デザイン―継承創造―」 落語鑑賞2 ):2016 9 12 新宿末廣亭 講演2 ):2016 11 25 岡本真一郎愛知学院大学教授)「関与権限言語表現他者領域への言及これらとはに,江戸落語にかんする資料書籍映像資料等購入共有し,基礎知識 向上にもめた。 個別研究テーマごとの目的ならびに成果について以下,それぞれにす。 173 研究代表者田中ゆかり 国文学科研究分担者岡   隆 心理学科佐藤 至子 国文学科閑田 朋子 英文学科林  直樹 国文学科「話芸」の多角的研究 平成 28 年度 人文科学研究所総合研究 研究報告

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Page 1: 「話芸」の多角的研究...「話芸」の多角的研究 1.2. 本稿の構成 本稿は,全体活動と個別テーマに基づく研究の目的と研究期間中に得られた成果について

1. 総合研究の概要

1.1. 研究の目的と進め方

本研究は,「話芸」をさまざまなステレオタイプを表象するコンテンツの一種と位置づけ,言語学・文学・心理学というさまざまな分野から多角的に捉えることを目的とした。本研究課題の基盤共有のための全体活動と,個別テーマに基づく研究活動を行った。全体活動は,本研究テーマの中核となる話芸の一種である江戸落語ならびにステレオタイプ研究の基礎的知識の獲得をめざしつつ,構成員の相互の研究分野の理解を深めることを主眼とした。全体活動は,共同研究会や江戸落語実地調査,専門家を招待しての講演などを通して,本

研究テーマの研究基盤形成に努めた。全体活動は以下のようなスケジュールで実施した。

共同研究会:2016年 4月 7日(木)研究メンバーによるミーティング落語鑑賞(第 1回):2016年 6月 19日(日)上野鈴本演芸場講演(第 1回):2016年 6月 30日(木)渋谷勝己(大阪大学教授)「山東京伝に見る書き手デザイン―継承と創造―」

落語鑑賞(第 2回):2016年 9月 12日(月)新宿末廣亭講演(第 2回):2016年 11月 25日(金) 岡本真一郎(愛知学院大学教授)「関与権限と言語表現:他者領域への言及」

これらとは別に,江戸落語にかんする資料・書籍・映像資料等を購入・共有し,基礎知識の向上にも努めた。個別研究テーマごとの目的ならびに成果について以下,それぞれに示す。

173

研究代表者:田中ゆかり(国文学科)研究分担者:岡   隆(心理学科)

佐藤 至子(国文学科)閑田 朋子(英文学科)林  直樹(国文学科)

「話芸」の多角的研究

平成28年度 人文科学研究所総合研究 研究報告

Page 2: 「話芸」の多角的研究...「話芸」の多角的研究 1.2. 本稿の構成 本稿は,全体活動と個別テーマに基づく研究の目的と研究期間中に得られた成果について

「話芸」の多角的研究

1.2. 本稿の構成

本稿は,全体活動と個別テーマに基づく研究の目的と研究期間中に得られた成果について示すものである(一部その後の研究成果を含む)。2以下は,本共同研究の参加メンバーの個別テーマに基づく報告である。担当者ならびに当該節のタイトルを示すことによって本稿の構成とする。

2:江戸落語における「方言キャラ」(田中ゆかり)3: 落語の登場人物に対するステレオタイプと演者による個性化の函数としての聴衆の認知評価に関する考察(岡隆)

4:怪談人情噺における人情描写(佐藤至子)5:英国19世紀中頃における公開朗読― 講演・一人芝居・公開朗読の連続性(閑田朋子)6:落語における「定番の噺」の動態(林直樹)

2. 江戸落語における「方言キャラ」

田中ゆかり2.1. 目的と方法 

話芸の一種である江戸落語を近代以降の各種コンテンツにおける言語ステレオタイプの起源のひとつと位置づけ,基礎的知識の獲得を目指した。本研究課題は,ヴァーチャル方言研究の一環でもあるため,言語ステレオタイプのうち,地域方言キャラクターに着目し,事例研究にふさわしい演目・キャラクター等の抽出を目指す。適切な演目・キャラクターが定まり次第,文献・音源等の収集・調査・分析を行った。全体活動を通じ,ヴァーチャル九州弁要素を多く含む方言キャラクター「芋侍」の登場す

る『棒鱈』を事例分析の対象とした。『棒鱈』資料収集に際しては,『落語の言語学』(平凡社1994,講談社学術文庫2013),『落語のレトリック-落語の言語学シリーズ2』(平凡社1996),『落語の話術-落語の言語学シリーズ3』(平凡社2000)等の著書のある江戸落語の専門家のひとりである野村雅昭早稲田大学名誉教授の多大なご教示とご協力を賜った。研究分担者の佐藤至子氏からも近年の音源についてのご教示を頂戴した。改めてお礼申し上げます。収集ならびに提供を受けた『棒鱈』データは以下の通り。

〔速記類〕

a. 6代目金原亭馬生(後の 4代目古今亭志ん生) 1917(大正 6)年 2月 『講談雑誌』3(2)(博文館)b. 代目春風亭柳好 1935(昭和 10)年 2月 『復刻 昭和戦前傑作落語全集』3(講談社)c. 5代目柳家小さん 1960(昭和 35)年 11月 『落語名作全集』4(普通社)d. 演者不詳 1970(昭和 45)年 1月 『古典落語大系』7(三一書房)

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「話芸」の多角的研究

〔音源〕

A. 5代目柳家小さん 1967(昭和 42)年 1月 22日 TBSラジオ 『五代目柳家小さん落語全集』3(小学館)

B. 金原亭馬の助 1957(昭和 32)年 8月 鈴本演芸場昼席 川戸貞吉撰『古典落語の巨匠たち 第一期』(ゲオ販売)

C. 柳家さん喬 2000(平成 12)年 11月 6日 江東区雲林院「第 17回あおい落語会」『キング落語名人寄席』(キングレコード)

〔聴取音源〕

D. 桂宮治 2016(平成 28)年 12月 14日 TBSラジオ(ラジコフリータイム機能で繰り返し聴取)「話話話芸」

2.2. 分析

これら収集データのうち音源の一部について,「方言キャラ」として造形されている「田舎侍」「芋侍」「イモ侍」の台詞相当部分の田中聞き取りに基づく文字化とその簡単な分類を行った。一例としてもっとも近年演じられた音源Dを表2.1.として示す。表中左端のセルは金水敏編(2014)において立項されている項目とその分類を示したものである。総合的には,『棒鱈』に登場する「田舎侍」に付与される言語変種には,「ヨカ」「ソゲン」「タ

イ」「オハン」などの九州弁を強く想起させる言語要素が多く付与されるが,その他の地域方言由来の方言的要素も随時用いられた造形となっていることが確認された。他地域方言的要素としては,一般的な田舎弁要素として用いられることの多い,「北関東・東北弁」「西日本方言」が現れる。表1に即していえば前者の例としては「メンコイ」「アマッコ」(以上,東北方言的俚言)・「ワラズ(<わらじ:ズーズー弁的特徴)」,後者の例としては「ヨー~スル」などを指摘できる。尻上がり音調については,北関東的方言特徴なのか,九州方言の一部に観察される無アクセント方言の反映なのかは判別できないが,音声を伴う一般的な「田舎弁」として用いられる無アクセント方言の特徴である「尻上がりイントネーション」を意識したものといえそうである。一部「俚言」らしい語彙(アカベロベロ)については耳だつアクセント型である頭高型アクセント(1型)で発音されており,頭高型アクセントが聞き手に対する「違和感」を高める=「田舎らしさ」を高める効果を求めた選択である可能性も指摘しておきたい。

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イモ侍の台詞

人工方言?

九州弁俚言九州弁音韻

漢語

感嘆詞などその他方言俚言

その他方言音韻等

武士語

音調

アクセント?

その他役割語小辞典

ホンデー、シナガーノホーデウカレテルテ、ウヒャヒャヒャヒャ、イ

ヤー、ソゲンコトワナカタイ。

ソゲン

ナカタイ

ホンデー

尻上がり音調-2型(ホンデー)

〔ヨカ(九州弁)〕

ホンデー、シラベノツイトルッテ。

アーソーケー。

ア、シラベツイトルンデワカクシゴトアンメーネ。

ヤ、シバラクシナガワノホーエトーローシテオッタ。

登楼

ホンデー

ソーケー

<かい

アンメー

<あるま

いテオル

尻上がり音調

イヤー、ホーユーラスーメートイッショデアッタ。

朋友数名

デアル

~トル

<ておる尻上がり音調

トル(老人、博士、大阪弁、関西弁、

田舎、武士)

オーオハンタチモ、ヨーシットルゾ。

オーイ、オーモリ、カマタ、カワサキラトイッショデアッタ。

ンー、ゴタンダトワ、シナガワデワカレタ。

オハン

ヨー~スル

ヨー

<よく

テオル

デアル

ゾ尻上がり音調平板(オーイ)

ウンデー、シャクオシテクレルッテー。

オー、ソーケー。

ヤー、オハンノヨーナニメンコイアマッコニ、シャクオシテモラウテー

ト、サケガニベーモ、サンベーモウマクナルタイ。

ウンデー

メンコイ

アマッコ

ソーケー

<かい

ベー

<ばい

尻上がり音調

ゾ(男、権力者、武士)

ハンデー、ミドモンスキンモンカ。

ミドモンスキンモンワ、アカベロベロノショーユヅケ、イボイボボーズ

ノスッパヅケタイ。

アカベロベロショーユヅケ

イボイボボーズノスッパヅケタイ

ハンデー

スキンモン

<すき

なもの

ミドモ

尻上がり音調アカベロベロ…①型

ミドモ(武士)

マグロノサシミタイ。

タイ

尻上がり音調

イマ、ミドモノコトオ、ナニヤラトナリノザシキデモーシタ。

ミドモ

モース

尻上がり音調

★顕著★

ミドモ(武士)

モース(武士、老人)

ハンデ?コエキキテーテ。

ア、ソー。

ア、ソーデアレバキカセテヤルタイ。

エーカ、ヨーキトレ。

デヤー!

タイ

キートレ

<ておれ

ハンデ

キキテー

<たい

尻上がり音調

ア、ウタケー。

ヤ、コエキカセロチューデネー。

ソーケー、ンー、アーウタケー。

アー、ソーデアレバ、アレオウタウカナ。

モズノクツバシ(/ス)オウタウカネ。

ケー

<かい

ソーケー

<かい

チュー

<という

クツバス

<くちば

尻上がり音調

イヤ、シャミセンナンゾワイランタイ。

タイ

イラン(

<ぬ)

尻上がり音調

ヌ(武士、老人、博士)

ン(大阪弁・関西弁、書生、老人、上司)

エーカ、ヨーキートレ。

エー

<いい

ヨー

<よく

尻上がり音調

♪モズノクチバシ♪

尻上がり音調

マタミドモノコトオナニヤラ。

ミドモ

尻上がり音調

ミドモ(武士)

アハハハハ、ムズカシータイ。

ウンウン。

オハンタチモヨカッタラ、オボエテザシキデウタエ。

タイオハン

尻上がり音調

ウンテー、マダキキテーテ?

ソーケー、ソーデアレバ、ハー、ジュニカゲツチューノオウタオーカネ。

オー、エーガ、ヨーキトレ。

ウンデー

キキテー

<たい

チュー

<トイウ

尻上がり音調-2型(ウンデー)

-2型(ソーケー)

♪十二ヶ月♪

マズワ、イチガーチュ イチガーチュワ マチカーザールー

ニガチュ ニガチュワー テンテーコーテン

サンガチュ サンガチュワ ヒナマーチュール

シカーチュ シガチュワ オシャカーサーマ

ガチュ/ガチ

<がつ

マチ

<まつ

エーガ

<いい

エーガ

<か(語中有

声化)

尻上がり音調

オーマケンタイマケンタイ。

アー、ソーデアレバ、ハー、コ(

<ノ/ー)タビワ、リューキューオウ

タウ。

オハンタチモ、テビョーシトレ。

イーカー、

タイオハン

~トレ

<ておれ

尻上がり音調

♪琉球♪

ワラズ(わらじ)

尻上がり音調

オン(

<イ)(ミ

)トモ、ヒトンヘヤーニランニューイタシオッテ、ニン

ゲンガフッテクルテンキデモアンメーシ…

乱入

ヒトン

<の

アンメー

<あるまい

イタシオッテ

尻上がり音調平板(アンメーシ)

ナニガ、ナニガ…

尻上がり音調平板(ナニガ)

ハッ、***。

ヒトンヘヤニランニューイタシオッテ、アッコーゾーゴンノウエ、アカ

ベロベロオヒトノメンテーニカケオッタ。

デ、タタッキッテヤル。

ソレエナオレ。

アカベロベロ

乱入悪口雑言

面体

ヒトン

<の

タタッキル

ソレエナオレ

尻上がり音調

ンー、カンベンナラン。

ソレエナオレ。

カンベンナラン

ソレエナオレ

尻上がり音調

イヤー、カンベンナラン。

コノモノワナ、ヒトンヘヤニランニューイタシオッテ、アッコーゾーゴ

ンノウエ、アカベロベロオヒトノメンテーニカケオッテ。

エイ、ブレイウチジャ。

ソレエナオレ。

アカベロベロ

乱入悪口雑言

面体

ヒトン

<の

ブレイウチ

ジャソレエナオレ

尻上がり音調

ジャ(上方、老人、博士、田舎、王様・

貴族、お姫様)

デー、カンベンナラン。

デー

カンベンナラン尻上がり音調

エー、カンベンナラン。

コノモノワナ、ヒトンヘヤニランニューイタシオッテ、アッ、アコー、

アッコーゾーゴン、

**…

**、アカベロベロオヒトンメンテーニ、アック

ション、カケオッテ、アーックション、ブレーウチ…

アカベロベロ

乱入悪口雑言

面体

カンベンナラン

ブレーウチ

尻上がり音調

表2.1

.柳家さん喬『棒鱈』「イモ侍」セリフ

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「話芸」の多角的研究

この他,「侍らしさ」の造形要素として,「武士語」や漢語の多様が認められた。『棒鱈』の「田舎侍」の造形は,言語的特徴の多さから全体としては「九州方言キャラ」を志向しつつも,一般的な田舎弁的特徴も随所に用いた「九州方言キャラ寄りの田舎弁キャラ」となっていることが分かる。言語造形以外において「田舎侍」のセリフ(や唄)には薩摩藩関係者であることを容易に想像させるキーワード(品川,琉球)などがしばしば含まれていることも,『棒鱈』「田舎侍」造形のひとつのポイントといえそうである。

2.3. 今後の課題

収集したが文字化に至らない音源があることと,速記類との対照に基づく総合的な分析が途上である。さらに言えば,『棒鱈』以外の方言キャラ事例については手を広げることができなかった。これらは今後の課題としたい。しかし,江戸落語における一般的な「田舎弁」マーカーには北関東・東北弁要素が採用されるが多いことを踏まえると,『棒鱈』の「芋侍」キャラの言語変種の構成要素に九州弁的要素が前景化しているという事実は,近代以降の各種コンテンツにおける人工的な「田舎弁」形成過程解明の手かがりとなることが強く想像される。各種方言コンテンツ類に登場する「九州弁キャラ」との対照研究なども今後の課題としたい。

なお,野村雅昭氏のご指摘によれば,『棒鱈』の「芋侍」は,言語変種の観点から九州弁的要素の濃い系列と,そうではない系列に分かれるそうである。『棒鱈』に二系統認められるとしたら,これが何に依拠するのかなども含め,さらに追究していきたい。落語由来のコンテンツがさまざまなメディアに展開する際の言語変種の取り扱われ方などについては,新たな課題としたい。

参考文献

金水敏編(2014)『〈役割語〉小辞典』(研究社)

3. 落語の登場人物に対するステレオタイプと演者による個性化の函数としての聴衆の認知

評価に関する考察

岡  隆

古典落語など,さまざまな個性を持つ演者によって演じられ,その内容が人口に膾炙されている作品は,その作品自体に対するステレオタイプ的評価が形成されているとともに,それらの古典作品に共通して登場する個々の人物に対するステレオタイプ的期待も形成されている。これら落語の登場人物に対するステレオタイプ的期待の内容については『落語登場人物辞典』(高橋啓之,2005)に詳しい。聴衆は,特定の古典落語を,その作品自体に対するステレオタイプ的評価とその登場人物

に対するステレオタイプ的期待を抱きながら視聴するが,その視聴後には,それらのステレ

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「話芸」の多角的研究

オタイプ的期待を確証するだけで終わることもあれば,その作品や登場人物が背景に退き,それを演じた特定の演者に対する個別化された評価だけが残ることもある。しかし,ほとんどの場合,その視聴後に体験する評価は,このステレオタイプ的評価と個別化評価を両極とする評価連続体上のいずれかの位置に落ち着くことになる(Fiske & Neuberg,1990)。本研究は,このようなステレオタイプと個別化とが相克して生じる評価において,古典落語の登場人物に焦点を当て,その認知評価過程について理論的に考察することを目的とする。人間を認知的節約家と概念化するとすれば,人間は最小限の情報に基づいて最小限の心的労力の消費で終わる方略を利用して結論的評価に至ろうとする。このような方略は,ヒューリスティクスに基づくトップダウン型の認知処理であり,特定の刺激手がかりに対応して自動的に始動する。聴衆は,演者が特定の登場人物に言及するや否や,その登場人物に対するステレオイプ的期待やその登場人物が属するカテゴリーに基づくステレオタイプ的期待を自動的に活性化させ,その期待を確証するような情報処理を自動的に行っていくことになる。このような期待確証過程を経て,その登場人物やそれが所属するカテゴリーに付随するステレオタイプ的特性が,その登場人物に帰属され,その特性に基づく最終的な評価が形成されることになる。

しかし,聴衆に動機と能力があり意識的な統制的過程を働かせることによって,聴衆はステレオタイプ確証情報手がかりだけではなく非確証情報手がかりにも注目したり,演者のがわがステレオタイプ的期待を反証するような情報手がかりを与えたりすることによって,それらの情報を利用したボトムアップ型の統制的な認知処理が開始されることがある。この認知処理においては,登場人物の所属するカテゴリーが変更されたり,最初のカテゴリーにサブカテゴリーが生成されたり,エグゼンプラーが参照されたりすることによって,最初のカテゴリーに基づく単なるステレオタイプ的特性だけでなく,他のカテゴリーやサブカテゴリーやエグゼンプラーに付随する特性が,その登場人物に帰属され,それらの特性が統合されて,その演者ならではの独特な個別化された特性が帰属され,その特性に基づく最終的評価が形成されることになる。ステレオタイプ的な特性の帰属と,その演者ならではの個別化された特性の帰属とを両極

として,その間に布置するどのような特性が帰属されるかは,どのくらい意識的で統制的な認知過程が持続する,または繰り返されるかに依存している。このような持続や反復は,聴衆のがわの動機や能力によって規定されるとともに,演者のがわのステレオタイプ非確証ないし反証情報手がかりの与え方によっても規定される。特定の登場人物に関して,この持続や反復が少なければ少ないほど,ステレオタイプ的特性が帰属され,これらが多ければ多いほど,その演者ならではの個別化された特性が帰属されることになる。以上で提示した,ステレオタイプと個別化が相克しながら紡ぎ出す認知的評価に関する理

論的枠組みが,どのくらい実証的に支持されるかは,今後の検討課題である。どのような動機づけや能力が,また,どのような手がかりが,どのような統制的認知処理過程を始動させ

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「話芸」の多角的研究

るのかは,具体的に,さまざまな落語の登場人物を取り上げて,それらに帰属される特性を,さまざまな演者間で比較し,また,さまざまな聴衆間で比較することによって,徐々に明らかになってくるものと考えられる。

参考文献

Fiske, S. T., & Neuberg, S. L. (1990). A continuum of impression formation, from category-based to

individuating process: Influences of information and motivation on attention and interpretation.

In M. P. Zanna (Ed.), Advances in experimental social psychology (Vol. 23, pp.1-74). New York:

Academic Press.

高橋啓之(2005)『落語登場人物辞典』(東京堂出版)

4. 怪談人情噺における人情描写

佐藤至子4.1. はじめに

人情噺は人情の機微を描く噺である。では人情の機微を描くとはどういうことなのか。三遊亭円朝作の怪談人情噺『怪談牡丹灯籠』を原話にあたる近世小説と比較して考察する。

4.2. 『怪談牡丹燈籠』

『怪談牡丹燈籠』(明治17年刊)の「お露新三郎」と通称されるくだりから,新三郎の家にお露の幽霊が来る場面を取り上げる。新三郎は恋仲となったお露が幽霊であると知り,近々自分が死ぬという予言も受けた。新三郎は幽霊を退けるために如来像を身につけ,お札を家に貼り,お経を読誦する。そこにお露と女中の米

よね

(ともに幽霊)が訪れる。原文は次のように書かれている。

新三郎は心の裡でソラ来たと小さくかたまり 額から顋へ懸て膏汗を流し 一生懸命一心不乱に雨宝陀羅尼経を読誦して居ると 駒下駄の音が池垣の元でぱつたり止みましたから 新三郎は止せばいゝに念仏を唱へながら蚊帳を出て 窃と戸の節穴から覗いて見ると 毎時の通り牡丹花の燈籠を下げて米

よね

が先へ立ち 後には髪を文金の高髷に結ひ上げ 秋草色染の振袖に燃へる様な緋縮緬の長襦袢 其綺麗な事云ふばかりもなく 綺麗ほど猶怖く これが幽霊かと思へば萩原は此世からなる焼熱地獄に堕ちたる苦みです 萩原の家は四方八方に御札が貼てあるので二

ふたり

陰のいう

鬼れい

が臆して後へ下がり(略)嬢「あれ程迄に御約束をしたのに 今夜に限り戸諦りをするとは 男の心と秋の空 かわりはてたる萩原様の御心が情ない 米や どうぞ萩原様に逢せてをくれ 逢せてくれなければ私しは帰らないよと振袖を顔に当て潜然と泣く様子は美しくもあり又物凄くもなるから 新三郎は何も云はず只だ南無阿弥陀仏/\

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「話芸」の多角的研究

新三郎が恐怖にかられる様子が実況中継的に描写されている。とくに幽霊に怯えているにも関わらず怖いもの見たさで節穴から覗いてしまうところは秀逸である。新三郎の態度に困惑して悲しんでいるお露の様子には哀れさも感じられる。

4.3. 『伽婢子』「牡丹燈籠」

『怪談牡丹灯籠』のお露と新三郎をめぐる筋は,浮世草子『伽婢子』(浅井了意著,寛文6年刊)巻三・三「牡丹燈籠」を典拠としている。この物語のあらすじは次の通りである。妻を亡くしたばかりの荻原新之丞は女童を連れた美しい女と知り合う。一夜を共にした

後,女は万寿寺の近くに住んでいると言って帰る。女は毎夜,新之丞の家に通う。隣家の翁は新之丞が骸骨と向き合っているのを目撃し,新之丞に告げる。新之丞は卿

きよう

の公きみ

から御符を頂いて門に貼り,女は来なくなるが,新之丞は女が恋しくなり万寿寺の門前に行く。女が現れて恨み言を言い,新之丞は墓に引き込まれて死ぬ。墓は鳥部山に移され,雨の夜には女童を連れた新之丞と女の姿が見えたが,新之丞の一族が手厚く弔

とむら

った後は,姿は見えなくなった。

新之丞が御符を貼って女の幽霊を退ける場面とその前後は,原文では次のように書かれている。

卿きやうのきみ

公おほせけるやう,「汝はばけものゝ気に精血を耗散し,神魂を昏惑せり。今十日を過なば命はあるまじき也」とのたまふに,荻原ありのまゝに語る。卿公すなはち符を書てあたへ,門にをさせらる。それより女二たび来らず。五十日ばかりの後に,ある日荻原東寺にゆきて卿公に礼拝して,酒にえひて帰る。さ

すがに女の面かげこひしくや有けん,万寿寺の門前ちかく立よりて,内を見いれ侍べりしに,女たちまちに前にあらはれ,はなはだ恨みていふやう,「此日比契りしことの葉の,はやくもいつはりになり,うすき情の色みえたり。はじめは君が心ざしあさからざる故にこそ,我身をまかせて,暮にゆき,あしたにかへり,いつまで草のいつまでも絶せじとこそちぎりけるを,卿公とかやなさけなき隔のわざはひして,君が心を余所にせしことよ。今幸に逢まいらせしこそうれしけれ。こなたへ入給へ」とて,荻原が手をとり,門よりおくにつれてゆく。

御符を貼って幽霊を退ける場面は「卿公すなはち符を書てあたへ,門にをさせらる。それより女二たび来らず」とあるのみで,新之丞と女の気持ちは描写されていない。

4.4. 分析と考察

男がお札(御符)を貼って女の幽霊を退ける場面を比較すると,『怪談牡丹灯籠』では新三郎とお露の感情がそれぞれ丁寧に描かれているが,「牡丹燈籠」では新之丞と女の感情はまったく描写されていない。新三郎は自分を死に至らしめる幽霊が近くにいるという困難な状況にあり,お露もまた思

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「話芸」の多角的研究

うように新三郎に会えないという困難にぶつかっている。いわば困難な状況が二人の感情を高めている。言い換えれば,円朝はこうした感情の高まりを描きうる場面を「牡丹燈籠」から取り込み,原話にはない人情描写をここで成し遂げたのである。なお,紙幅の都合で十分な論述ができないが,人情噺において困難や葛藤を伴う状況が人

情表出の要件になることは,三遊亭円朝の怪談人情噺『真景累が淵』や,怪談的要素をもたない人情噺『火事息子』等でも確認できる。

使用テキスト

倉田喜弘・清水康行・十川信介・延広真治(2012)『円朝全集 第一巻』(岩波書店)(一部ふりがなを省略した)

松田修・花田富二夫・渡辺守邦(2001)『伽婢子 新日本古典文学大系』(岩波書店)(一部ふりがなを省略した)

5. 英国19世紀中頃における公開朗読 ―講演・一人芝居・公開朗読の連続性―

閑田朋子5.1. 目的と方法 

英国の「話芸」に関して,19世紀中頃の「公開朗読」を分析の対象とした。まず当該時期に公開朗読が大衆娯楽として根付いた理由を,五〇年代の格安公開朗読運動(Penny Reading

Movement)を社会現象として大きくとらえるなかで概観した。次にそのような時代に公開朗読を盛んに行った作家に焦点を絞り,自身の小説(原作)を台本に書きなおすにあたって,時制や視点に関してどのような工夫を行っていたのかを考察し,日本の「話芸」である落語と比較することによって,話芸の文体ステレオタイプの有無を考察する端緒とした。

5.2. 考察

英国において公開朗読は,今なお広く行われている娯楽の一つであり,各種フェスティバルの定番の出し物の一つでもある。この「朗読」には,朗読をするそもそもの目的から,読み手,聞き手,読み方,読む場所,料金の有無やその値段,どこまで原作(または台本)に忠実であるかという再現性に至るまで,さまざまな幅があるが,日本の落語に近い要素を有している。「朗読」とはいえ,ときに台本は事前に暗誦するほどに読み込まれ本番では単に形式的におかれるだけであり,朗読者は役柄によって声色や(登場人物の出身階級・出身地にふさわしく)発音を変え,身振り手振りを交え,アドリブを加える場合もある。格安公開朗読運動の発展や労働者啓蒙クラブで行われた講演の個々の事例などからは,19

世紀中頃が公開朗読に対する社会的な価値観が揺れ動く過渡期的な時期であることが分かる。従来,「不健全」な娯楽として考えられていた演劇に対して,公開朗読が教育的効果を持つ健全な娯楽と考えられるその一方で,演劇との類似性から中産階級にはこれに警戒を示

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「話芸」の多角的研究

す傾向が見られる。より具体的には,一人芝居で名を成したチャールズ・マシューズ(Charles Matthews),

公開朗読を盛んに行った文豪チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)や五○年代の格安公開朗読運動のチャールズ・サリー(Charles Sulley),サミュエル・テイラー(Samuel

Taylor)に注目して考察を進めた。娯楽を目的とするのか,労働者の啓蒙を目的とするのか,収益金を慈善に使用するためであるのか,といった目的の違いによって対象とする聴衆が異なりはするが,公開朗読に際して一人芝居を参考にする,啓蒙のための格安公開朗読運動を支持する慈善家がその視察を行う等,それぞれの話芸の送り手(話し手とは限らず開催者,興行主を含む)にも聴衆にも一階級に収まらない社会層の係わりが見られ,この複雑に絡み合った関連性ゆえに,結果として一つの社会現象として公開朗読が社会に広く根付いていったものと思われる。公開朗読は,同じ話芸であっても,純粋に娯楽を目的とした日本の落語とは成立過程が大

きく異なってはいるが,全く類似点がなかったわけではない。明治期の落語が親子で聞くことができるように猥褻だと見なしうる場面を避け,警視庁で勧善懲悪をもって道徳的影響に配慮するように落語家に説諭するなど,公開朗読と同じように「健全な娯楽」であることを求められた例も見受けられる。文体についても,原作が過去にあった物語を語る形で過去形を使用していても,公開朗読でその速記を調べると朗読段階では迫真性を持たせるために現在形に置き換えている例も見られ,落語との共通点が見出される。

5.3. 今後の課題

ディケンズが小説家であると同時にジャーナリストであり,一方,明治期の落語の速記が新聞に連載されたことを考えると,話芸とジャーナリズムの関係を視野に入れて考察した方が,研究が発展したものと思われる。今後の課題としたい。またディケンズが公開朗読した台本などの一次資料の複写を購入したり,英国で調査を行ったりする過程で,朗読とはいえ台本が実際には活用されず,話者は内容を記憶して舞台に臨み,観客の様子を見て臨機応変にアドリブを多用したことが分かった。それによって,台本よりも速記記録に集中して,または両者を比較して研究を進めた方が,より多くのことが分かるのではないかと思われる。その他には,ディケンズと同時代の人気作家のある作品が,日本で小説・落語の二つの形に翻案されている事例が見つかり,今後,翻案と話芸の関係を考察するためには貴重な研究材料だと思われる。これらについても今後研究を発展させていきたい。

参考文献

Andrews, Malcolm (2006). Charles Dickens and His Performing Selves: Dickens and the Public Readings.

Oxford: Oxford UP.

Field, Kate (1868). Pen Photographs of Charles Dickens’s Readings: Taken from Life. Boston: Loring.

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佐藤至子・佐々木亨・山本和明・延広真治等校注(2016)『円朝全集 別巻二』(岩波書店)

6. 落語における「定番の噺」の動態

林直樹6.1. 目的

本研究では,江戸落語における「定番の型」を知り,かつその定番が演者の中でどうゆれるのか,もしくは演者間でどのように変わるのか,さらには同一の噺が語り継がれていく際,時代とともにどのように変遷していくのか,といった点を明らかにすることを目的に掲げた。本報告では,そのような目標を掲げる研究のテストケースとして,同一の噺の異同をみていく。

本報告で取り上げるのは,五代目古今亭志ん生(1890-1973,東京・神田区生まれ)が創作したとされる「火焔太鼓」である。基となる噺の創作者(五代目古今亭志ん生)がはっきりしており,ある程度活字化されているため,分析対象とした。なお,選出に際しては,本研究のメンバーである佐藤至子教授のご助言を頂戴した。

6.2. 分析対象

分析対象とするのは,志ん生自身が演じたものと,志ん生の弟子である三代目古今亭志ん朝(1938-2001,東京・文京区生まれ)が演じたもの,さらに普及版のテキストとして麻生芳伸(1938-,東京・葛飾区生まれ)が編集した『落語百選』を取り上げた。具体的なテキストの情報は,以下のとおりである。

[志ん生速記 ]

a. 五代目志ん生 1977年 4月(昭和 52)『五代目古今亭志ん生全集第一巻』(弘文出版)b. 古今亭志ん生 1989年 9月(平成元)『古典落語志ん生集』(筑摩書房)c. 五代目志ん生 2005年 5月(平成 17)『志ん生長屋ばなし 志ん生の噺 4』(筑摩書房)

[志ん朝速記 ]

d. 古今亭志ん朝 2004年 1月(平成 16)『志ん朝の落語 5 浮きつ沈みつ』(筑摩書房)

[普及版 ]

e. 麻生芳伸 1999年 4月(平成 11)『落語百選 冬』(筑摩書房)

6.3.  分析項目

上記のテキストを対象に分析するに際しては,「江戸語」「東京語」を感じさせる特徴の出現傾向を調べることとした。本来はテキスト全体の類似度を測ることを目的としていたが,

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テストケースとしては「江戸らしさ」「東京らしさ」の出現傾向がテキストごとにどのように異なるかを優先的に分析する方が望ましいと考えたためである。「江戸語」「東京語」を感じさせる指標としては,「語連接上の音韻現象」,とりわけ「助詞とそれに先立つ語との融合」(松村明,1957)を取り上げることとした。「ごく一般的に行われている」(p.142)という指摘があり,かつ本報告で分析対象としたテキスト中にも多数みられたため,分析項目として取り上げた。具体的に分析するのは,助詞「は」の融合である。例えば,「聞きは」が「聞きゃぁ」,「こ

とは」が「こたぁ」となるような特徴を指す。本報告では,この「融合形」が当該のテキスト中にどの程度出現するのかを明らかにするため,「非融合形」,すなわち助詞「は」がそのまま出現する形と対比させ,分析を行う。

6.4. 分析結果

上述したテキストごとに,助詞「は」の融合形・非融合形の出現を,主要な登場人物事に分析した結果が,以下の表6.1.である。表では,仮に30%以上融合形が出現したセルを網掛けで示した。

表 6.1. 作品・登場人物ごとの非融合形・融合形出現比率  勘兵衛 妻 侍  非融合 融合 計 非融合 融合 計 非融合 融合 計志ん生1977

16 25 41 14 11 25 20 0 20

39.0% 61.0% 100.0% 56.0% 44.0% 100.0% 100.0% 0.0% 100.0%

志ん生1989

35 35 70 19 16 35 34 0 34

50.0% 50.0% 100.0% 54.3% 45.7% 100.0% 100.0% 0.0% 100.0%

志ん生2005

29 8 37 21 5 26 31 2 33

78.4% 21.6% 100.0% 80.8% 19.2% 100.0% 93.9% 6.1% 100.0%

志ん朝30 28 58 29 23 52 29 0 29

51.7% 48.3% 100.0% 55.8% 44.2% 100.0% 100.0% 0.0% 100.0%

麻生31 7 38 23 6 29 29 0 29

81.6% 18.4% 100.0% 79.3% 15.8% 100.0% 100.0% 0.0% 100.0%

※各テキストの上段は度数,下段は%。

表をみると,主人公である勘兵衛とその妻は融合形が出現しやすいのに対して,侍はまったくといっていいほど出現しない点が特徴としてあげられる。勘兵衛・妻は下町を代表するような人物,侍はその対比的な人物として描写されており,それが助詞「は」をどう発するかにも影響していることがうかがえる。次に,作品ごとの特徴をみると,志ん生速記の中でも1977年版・1989年版は勘兵衛の融合形出現率が50%以上,妻も30%後半から40%後半と,高い割合を示している。同様の傾

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向は,志ん生速記にもみられる。一方,志ん生速記の2005年版,麻生版は融合形の出現が低く,いずれの人物も20%に満たない出現率となっている。一例として,すべてのテキストにおけるオチ附近の勘兵衛の台詞を以下に記載する。

志ん生(1977)「こんど俺ァ半鐘買ってきて叩くんだ」志ん生(1989)「こんどは俺ァ,半鐘を買ってきて,たたき売って……」志ん生(2005)「うん,こんだ,おれ,半鐘買ってきて,たたこうと思って……」志ん朝    「おれ,今度ァな,半鐘買ってきて鳴らすよ」麻生     「こんどは,半鐘にしよう」

「今度」もしくは「俺」に助詞「は」が後接した場合,ほとんどのテキストで融合形「ァ」と表記されているのに対して,麻生本のみ「こんどは」と非融合形「は」の表記が用いられていることがわかる。

助詞「は」の融合形を「江戸語」「東京語」の表象のひとつと考えると,年代が早い二つの志ん生速記,志ん朝速記は多出することによって,「江戸っ子らしさ」「東京っ子らしさ」を勘兵衛・妻に付しているのに対して,志ん朝速記の2005年版,麻生版はそのような方略を採っていないことがわかる。すなわち,同じ「噺」であっても,テキストが異なると,表象される方言的特徴やことば

をとおして浮かび上がる人物像が異なる可能性があることを指摘できる。

6.5. 今後の課題

上記のような結果を分析によって得たものの,この結果が,噺家のスタイルの変化によるものなのか,出版年代による影響によるものなのか,速記者の聞き取り・速記方針によるものなのかまでは考察が至らなかった。テキストだけでない資料を活用したり,音源などを活用することで,同一の噺においても「江戸語」「東京語」の表象が異なるという今回の結果がどの程度一般的に言及できるのかを今後検討していきたい。

参考文献

松村明(1957)『江戸語東京語の研究』(東京堂)

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