「法の支配j再考な性格を無視することであると整理する, j eremy waldron,...

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「法の支配J 再考 一一憲法学の観点から一一一 愛敬浩 概要 英語闘の法哲学やイギリスの憲法理論においては一般に, r 法の支配J の多義性・論争 性が強調されるので, r 法の支配J を「善き法の支配 rule ofgood law J と混交する考え 方は消極的に評価される.他方,日本の司法制度改革を理論的に主導した佐藤幸治の議論 の特徴は, r 法の支配」それ自体が本来的に「善きものj であるかのように語る点にある. この語り口を可能にするのが, r 法の支配」と「法治主義」の法秩序形成観における差異 を強調し,前者の優位を論ずる佐藤の独特な「法の支配」論である. 本稿は,戦後公法学の論争上に佐藤の「法の支配J 論を位置づけた上で,現代イギリス 憲法学の理論動向を参考にしながら,佐藤の憲法学説を批判的に検討する.そして,佐藤 の議論のように,政治道穂、哲学への越境を禁欲し,法理論の枠内で「法の支配」を厳密に 概念構成する学説が苧む問題性を明らかにする. キーワード 法の支配,法治主義,司法制度改革審議会意見書,佐藤幸治の憲法学説,現代イギリス憲法学 「あるべき持者改革』は, r 過去の伝統を踏まえ,将来の光輝ある展望をもっ日本J のためにあ るのではなくて, r この宇宙に生きる私たち J のためのものでなければならない,と思う J l). 1. r 法の支配j は無条件の善? 「法の支配J は, r 善」と同様に,誰もがそれに賛成するにもかかわらず,それが正確に は何なのかについて,合意の存在しない概念である. r 法の支配J は個人の権利の保障を 1)奥平藤弘『憲法の眼j (悠々社, 1998 年) 25 頁.なお,原文の傍点を外した. 3

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Page 1: 「法の支配J再考な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26. はこ の論点に関する鐙れた説明である

「法の支配J再考

一一憲法学の観点から一一一

愛敬浩

概 要

英語闘の法哲学やイギリスの憲法理論においては一般に, r法の支配Jの多義性・論争

性が強調されるので, r法の支配Jを「善き法の支配 ruleof good law Jと混交する考え

方は消極的に評価される.他方,日本の司法制度改革を理論的に主導した佐藤幸治の議論

の特徴は, r法の支配」それ自体が本来的に「善きものjであるかのように語る点にある.

この語り口を可能にするのが, r法の支配」と「法治主義」の法秩序形成観における差異

を強調し,前者の優位を論ずる佐藤の独特な「法の支配」論である.

本稿は,戦後公法学の論争上に佐藤の「法の支配J論を位置づけた上で,現代イギリス

憲法学の理論動向を参考にしながら,佐藤の憲法学説を批判的に検討する.そして,佐藤

の議論のように,政治道穂、哲学への越境を禁欲し,法理論の枠内で「法の支配」を厳密に

概念構成する学説が苧む問題性を明らかにする.

キーワード

法の支配,法治主義,司法制度改革審議会意見書,佐藤幸治の憲法学説,現代イギリス憲法学

「あるべき持者改革』は, r過去の伝統を踏まえ,将来の光輝ある展望をもっ日本Jのためにあ

るのではなくて, rこの宇宙に生きる私たちJのためのものでなければならない,と思うJl).

1. r法の支配jは無条件の善?

「法の支配Jは, r善」と同様に,誰もがそれに賛成するにもかかわらず,それが正確に

は何なのかについて,合意の存在しない概念である. r法の支配Jは個人の権利の保障を

1)奥平藤弘『憲法の眼j(悠々 社, 1998年)25頁.なお,原文の傍点を外した.

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Page 2: 「法の支配J再考な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26. はこ の論点に関する鐙れた説明である

特集 「法の支配」の現代的位相

含むという者もいれば, r法の支配Jを形式的に理解して,法の実質的内容に関する要求

を含まないと論ずる者もいる.このような状況の下では, r法の支配こそ本質的Jという

発言は,実は何も語っていない恐れがあるとタマナハ (BrianZ. Tamanaha) は述べる2)

この点,政治哲学者のシュクラー(JudithN. Shklar) は, rイデオロギー的に濫用され,

広く過剰に利用されたおかげで, r法の支配Jというフレーズが無意味になってしまった

ことを示すのは少しも難しいことではないJと述べている3) そして, r法の支配Jのよ

うに複雑な理念が人気のある政治スローガンになってしまえば,それは自国を賛美し,他

を非難するレトリックへと堕落する恐れがある.この事実を指摘した上でマルモー

(Andrei Marmor) は, r法の支配J に関して最もあ 1りがちな誤りは,それを「善き法の支

配 therule of good law Jの理念と混交することであると述べている4)

このように「法の支配」という概念の多義性・論争性を強調する政治哲学者や法哲学者

が,自本の司法制度改革審議会意見書 (2001年 6月 12日.以下, と記す)を読ん

だならば,どのような感想を持つのだろうか.r意見書」は, r法の精神,法の支配がこの

国の血となり肉となる,すなわち, rこの国』がよって立つべき,自由と公正を核とする

法(秩序)が,あまねく国家,社会に浸透し,閤民の日常生活に息づくようになるため

に」司法制度改革が必要との立場を明らかにしている5) r意見書Jは自覚的かつ熱烈に

日去の支配jを「善き法の支配jとして語っている.あるいは,少なくとも現代日本にお

いては, r法の支配は無条件の善jというのが「意見書jの立場であると評することもで

きょう.

ここで思い出されるのが,マルクス主義の社会史学者, E. P.トムスン (E.P.

Thompson)が 1970年代に発して左翼の間に物議を醸した発言,すなわち, r法の支配は

無条件の人間的善 unqualifiedhuman goodJ という発言である.なぜ「法の支配は無条

件の入関的善」なのか. トムスンは法が階級支配の道具であることを承認しつつも,法に

よって正当化される権力は,法の形式とレトリックによって不可避的に一定の制約に服し,

その結果,無力な人々に一定の保護を与えると主張し,権力が益々強化されている「この

危険な世紀Jにおいて, r法の支配」の価値を否定したり,過小評価することは致命的な

誤りであると論じた6) トムスンのこの発言に対して,ホーヴイツツ (MortonJ. Horwitz)

2) Brian Z. Tamanaha,“The Rule of Law for Everyone?" Cu1'1'ent Legα1 Problems, vol. 55, p. 101 (2002). 3) Judith N. Shklar,“Political Theory and the Rule of Law" in The Rule of Lαω : ldeal 01' ldeology, eds.

by Allan C. Hutcheson & Patrick Monahan, (Carswell, 1987) p.1.

4) Andrei Marmor,“The Rule of Law and Its Limits" Lαωαnd Philosophy, vol. 23, p.1 (2004). 5) I資料:司法制度改革審議会意見書一…21世紀の日本を支える司法制度jジ、ユリスト 1208号 (2001年) 187

頁.

6) E. P. Thompson, Whigs & Hunte1's (Penguin Books, 1990) pp.266…267.

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日去の支配J再考

は, rこの危険な世紀」というホップズ的な悲観主義に屈服しないかぎり,左翼の人間が

なぜ「法の支配」を「無条件の人際的善」と呼ぶことができるのか理解できないと批判し

た. r法の支配jは法と政治をラデイカルに分離する意識を生み出すことで,実質的不平

等を促進するではないか,と 7) ところで,ジョウェル(Jeffrey J owell) はホーヴイツツ

のトムスン批判をミスリーデイングだと批判している.特定の抑圧的な法律の存在を理由

にして「法の支配Jの抑圧性を語るのは,カフカの f審判Jに描かれた裁判の不条理を理

由にして手続的公正の観念を論難するようなものだと彼は論ずる8) しかし,たとえば,

ユーイング (K.D. Ewing) は,コーポラテイズムが衰退したため,政府権力の法的抑制

という立憲主義の議論が魅力的に見えるのだろうが,リベラルな「法の支配」を強化する

ことは,社会民主主義の前進に対する障碍をさらに増やすことになると論じている 9) ホ

ーヴイツツは左翼の政治課題との関係でトムスンを批判しているのであり,その点を無視

したジョウェルの議論の方が,多義的・論争的概念である「法の支配」の問題を考える上

ではよっぽどミスリーデイングである10)

ここで, r法の支配」を賞賛するリバタリアンも, r法の支配」を攻撃する左翼も,戦争

の帰結と政治の軍事化との関係で「法の支配Jが持つ意味を看過していると批判するシュ

クラーの議論に注目したい.暴力の恐怖や専制的政府の下での不安から考え始めるならば,

人は「法の支配」の重要な意味を理解するはずだと彼女は論じる11) シュクラーのこの

「法の支配」擁護論が,彼女の「恐怖のリベラリズムjの議論と向じトーンを持っている

ことは指摘するまでもあるまい.では,この「危険な世紀」において, r法の支配は無条

7) Morton J. Horwitz,“The Rule of Law : An Unqualified Human Good?" ycαle Lαω Journαl, vol. 86, p.

566 (1977). ホーヴイツツのトムスン批判と関連して,ラフリンの指摘が興味深い.彼は次のように論ずる.

法を規範的観点からではなく,機能的に捉える公法学者はトムスンの防御的な「法の支配J論を受け入れな

かったが,その理由は機能主義の公法学は歴史の発展的性格を重視していたからだ、った.しかし,サッチャ

ー政権の下,国家が反動の力とみなされたとき,機能主義には福祉国家を擁護する理屈がなかった. 1980

年代は社会主義者がリベラルな価値を受け入れるに至った 10年間であった.Martin Loughlin, Public Lαω

αnd Political Theolッ(OxfordUniversity Press, 1992) pp.214-216. なお, 80年代のイギリス憲法と憲法

理論の動向については,元山健『イギリス憲法の原理J(法律文化社, 1999年)の 3章と 4章を参照.

8) Je百reyJowell,“Rule of Law Today" in The Chαnging Constitution, eds. by Je宜1・eyJowell & Dawn

Oliver (4th ed., Oxford University Press, 2000) p.16.

9) K. Ewing,“Trade Unions and the Constitution" in Wαiving the Rules,' The Constitution under

Thαtcherism, eds. by Cosmo Graham & Tony Prosser, (Open University Press, 1988) p.152.

10) トムスンのような捉え方を「法の中立モデルJ,ホーヴイツツのような捉え方を「法の党派モデル」と呼ぴ,

中立モデルの問題点は現実と理念を混交することであり,党派モデルの問題点は法に支配される政府の特殊

な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26.はこ

の論点に関する鐙れた説明である.

11) Schkler, supra note 3, pp.4-6, 16. なお, r法の支配Jに関するシュクラーの議論は,井上達夫口去とい

う企てJ(東京大学出版会, 2003年)38-43貰で手際よくまとめられている.43貰以下の問題点の指摘も併

せて参照されたい.

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特集 「法の支配」の現代的位相

件の善Jといえるのだろうか. I対テロ戦争」を旗印にして,国際法や国連を無視してイ

ラク戦争を遂行した「ブッシュのアメリカJ.この無責任なリヴァイアサンの出現を目撃

した「危険な世紀」の始まりにおいて, I法の支配は無条件の善」というトムスンの言葉

は私の心を打つ.また,ダイゼンハウス (DavidDyzenhaus) によれば,アバルトヘイトの

時代の南アフリカ共和国という「邪悪な法制度」の下でも,コモン・ローのアプローチを

採る裁判官には,コモン・ロー上の権限を駆使して行政的専制に抵抗する余地があった.

ダイゼンハウスは,法の概念や「法の支配Jについて異なった見解を持つ裁判官の間で,

ハード・ケースにおける判断が異なる可能性を無視すべきではないと主張する 12) 彼の指

摘が妥当であるならば, I邪悪な国家jにおいても, I法の支配は無条件の善」というべき

なのかもしれない.

しかし, I意見書Jの「法の支配Jがこのレベルの話でないことはいうまでもあるまい.

じる.

我が国は,直面する困難な状況の中にあって,政治改革,行政改革,地方分権推進,規制緩和

等の経済構造改革等の諸々の改革に取り組んできた.これら諸々の改革の根底に共通して流れて

いるのは,国民の一人ひとりが,統治客体意識から脱却し,自律的でかつ社会的責任を負った統

治主体として,互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画し,この留に豊かな創造性と

エネルギーを取り戻そうとする志であろう.今般の司法制度改革は,これら諸々の改革を憲法の

よって立つ基本理念の一つである「法の支配Jの下に有機的に結び合わせようとするものであり,

まさに「この国のかたち」の再構築に関わる一連の諸改革の「最後のかなめJとして位置付けら

れるべきものである.この司法制度改革を含む一連の諸改革が成功するか否かは,我々自民が現

在霞かれている状況をどのように主体的に受け止め,勇気と希望を持ってその課題に取り組みこ

とができるかにかかっており,その成功なくして 21世紀社会の展望を開くことが罰難であるこ

とを今一度確認する必要がある13)

に見られる,この前向きで遣しい「法の支配Jの擁護論は, トムスンやシュ

クラーの「法の支配Jの擁護論とは対極にあるように思われる 14) この当然の事柄を確認

しておきたい.その理由はこうである. I法の支配jは多義的・論争的であるにもかかわ

らず(あるいは,だからこそ),今や人気のある政治スローガンになっている.そのためか,

「邪悪な法律Jという極限的事例(青い眼の赤ん坊を殺すことを明文で命ずる法律を裁判官は適

12) David Dyzenhaus, Hαrd Cαses in Wicked Legal Systems (Clarendon Press, 1991) pp.28-31, 178.

13)ジュリスト 1208号 187頁.

14)須網隆夫「司法改革を振り返る,そして,今後の課題」法学セミナー 594号 (2004年)43-44頁は,意見書

の「法の支配Jが社会一般に拡散して語られているため,公権力行使を規制する原理としての「法の支自己Jの意味が希薄化していると批判する.

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「法の支配j再考

用すべきか)における「法の支配」への私たちの素朴な共感に訴えて,ず、っと論争的な主

張(アメリカ型の違憲審査制の正当化)をも「法の支配」から正当化する論者がいる15) し

かし,このような議論は混乱のもととなる.r危険な世紀Jや「邪悪な国家Jにおいて

「法の支配は無条件の善Jと考える人でも, r意見書」に示された「法の支配」の考え方を

拒否することは可能である.この当然の事実をまず,確認しておこう.

2. I法の支配Jと「法治主義」

「意見書」において「法の支配Jは, トムスンやシュクラーの議論とは別の意味で, r無条件の善Jであるかの如くに語られている.ところで,私に課せられたテーマは一一私の

理解するところ一一日本憲法学の問題意識や理論状況を踏まえて, r法の支配」の原理を

再考することにある.ならば, r意見書Jに示された「法の支配」論を批判的に検討する

作業は,本稿の課題に適合的であるといえよう.そして,一読すれば了解できるように,

「意見書Jの総論部分における「法の支配J論は,佐藤幸治の憲法学説をほぼそのまま取

り入れたものといえる 16) そこで,本稿では,佐藤の「法の支配J論を批判的に検討する

ことにしたい17)

佐藤の「法の支配J論の特徴は, r法治主義」と対照的に構成された「法の支配Jを日

本国憲法の「原意jに読み込み,そのように理解された「法の支配Jを日本社会に浸透さ

せる(鹿肉化させる)ための不可欠な制度改革として,司法制度改革を擁護する点にある.

佐藤によれば, r戦後の自由の法秩序を象徴する語,それは疑いもなく f法の支配』であ

ったJが, r法の支配Jという言葉はその後,急速にその輝きを失っていった18) 現在で

は, r法の支配」と「法治主義」が互換的に使われることを認めつつも,なぜそのような

事態になったのかを考える必要がある,と佐藤は述べる.佐藤によれば,憲法学は早い時

15) たとえば,アランは国会主権の下でも,裁判官は「邪悪な法律jを適用する義務を負わないという議論に依

拠して,成文憲法に依存せずにアメリカ型の違憲審査制を正当化する. T. R. S. Allan, Lα叫 Liberty,

αnd Justice (Clarendon Press, 1993) pp.130, 282-283. しかし, Paul Craig,“The Common Law, Shar-

ed Power and Judicial Review" Oxford Journα1 of Leg,α1 Studies, vol. 24, p.255 (2003) も:J:Jt判するよう

に,政府活動に対する権利基底的制約の存在可能性さえ論証できれば,アメリカ型の違憲審査制が正当化さ

れると考えるのは乱暴な議論である.

16)佐藤幸治・青山善充「特別対談:r司法制度改革審議会を振り返るjジ、ユリスト 1208号 (2001年) 17-18頁

の佐藤発言を読むと,意見書の総論には佐藤の考え方が強く反映されていることがわかる.

17)佐藤の議論を批判的に検討した論稿として,小沢隆-rr国家改造Jと f司法改革』の憲法論」法律時報 72

巻 1号 (2000年)62頁以下,今関源成 rr法の支配jと憲法学」法律時報 73巻 1号 (2001年) 25葉以下が

ある.

18)佐藤幸治 f日本国憲法と「法の支配JI(有斐閣, 2003年)4, 40頁.

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特集 「法の支配Jの現代的位相

期から,日本国憲法が「社会国家・福祉国家J観に立つことを承認し,むしろその意義を

強調していたため,憲法学・行政法学は一方で、は「法の支配Jの意義を説きながらも,他

方では,ダイシー (A.V. Dicey) の f法の支配j論は 19世紀的消極国家観に根ざすもの

で, B本国憲法に適合的ではないと評価していた.そこに,戦後ドイツの「実質的法治国

家jや「社会的法治国家Jの議論が導入されて, r法の支記」はその輝きを失っていくこ

とになる19) また,憲法学において「自由国家」から「社会国家Jへの展開が歴史の必然

であるかのように語られることがあるが,このような図式的な理解と「日本人Jの体質と

もいわれる「お上意識jとが結び付いて,国民の生活領域への過度の行政介入とそれへの

国民の依存を招いた,とも佐藤は論じている20)

ところで,管見に属するかぎり,現代の英語圏における法哲学や憲法理論においては,

佐藤のように「法の支配Jと「法治主義Jを峻別して議論する論者は決して多くないとい

う印象がある.たとえば, r法思想の基本概念j という書物を書いたフレッチャー

(George P. Fletcher) は, r法の支配Jと「法治主義Jをほぼ互換的に利用している21) そ

の理由の一つに,英語圏の法哲学における法実証主義の影響力の強さのために, r法の支

配Jを形式的に理解して,法の実質的内容に関する要求を含まないと考える論者が多い点

を挙げることができるだろう 22) もし f法の支配Jが「善き法の支配jならば,その本質

の説明は完全な社会哲学の提示を意味することになるが,その場合, r法の支配jという

用語を使う実用的意義は何もないことになるとラズ(JosephRaz) は論じている23) 前章

で触れた「法の支配jと「善き法の支配Jを混交するな,というマルモーの提言も,この

文脈で理解するのが有用である24) そして, r法の支配Jの形式的理解を採るならば, r法の支配Jと「法治主義jとの対照性はかなりの程度,相対化されることになる.

他方, r法の支配」と「法治主義」の対照性を強調し,人権保障や民主主義といった憲

法的価値との関係で前者の優位を論証できれば, r無条件の善Jとまでいうのは無理とし

ても, r優越的な善jとして「法の支配Jを描き出すことは可能だろう.そして,戦後公

法学における「法の支配Jと「法治主義Jの関係という問題は,まさにこの点に関わって

19)同上 15,58…60頁.

20)向上 36頁.佐藤は「日本国憲法がいわゆる社会権を保障していることの歴史的意義を強調して『自由権か

ら社会権へjといった標語が生み出され,結果的には,国民の国家への依存体質を過度に正当化するような

ところがあったのではないかJとも述べている.佐藤幸治『憲法とその“物語"性j(存斐関, 2003年)20

頁.

21) George P. Fletcher, Bαsic Concepts of Legαl Thought (Oxford University Press, 1996) pp.12-13, 21.

22) Tamanaha, supra note 2, p. 101.は法理論家のほとんどが「法の支配Jを形式的に理解していることを指

摘する.

23) ]oseph Raz, The Authority of Lαω(Clarendon Press, 1979) p.211.

24)英語題の法哲学に造詣の深い長谷部恭男が, i法の支配」の概念を謙抑的に利用する点にも注目したい.同

著『比較不能な個値の迷路j(東京大学出版会, 2000年) 149真以下.

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「法の支配J再考

いた.日本国憲法の制定・施行の当初, I法治主義」と峻別された意味での「法の支配J

が日本国憲法の基本原理に措定され,その原理を日本の国家・社会に浸透させていくこと

こそ,日本の民主化と近代化の最善の方策であると語られた(現在の佐藤の論調との類似性

に注目).たとえば,佐藤が好んで引用する,伊藤正己『法の支配Jのはしがきの一節に

注目しよう.この一節は「畠肉と化す」という表現を含めて, I意見書Jの f法の支配J

論に相当な影響を及ぼしていると解されるので,煩を厭わずに引用したい.

「法の支配JRule of Lawの原理は,いうまでもなく,英米憲法,いな英米法全体の中核を占

める伝統的原理である.……この原理的な意味での「法の支配Jは,日本国憲法の根底に脈打っ

ており,わが憲法は,この原理が,日本国民の信念と化することを期待しているといってもよい.

司法権に対して払われる尊敬と信頼,基本的人権の絶対的ともいえるまでの保障,憲法の最高法

規性の強調のごときは,その具体的なあらわれであろう.人の支配,権力の優越を否定する法の

優位の思想、が,日本国民の血肉と化したときこそ,この憲法の真に実現されたときであり,それ

が理想とする立憲民主政の完成したときといってよい.その意味で, r法の支配Jの諸理念は,

わが憲法を理解し,そのありかたを決定する場合の,不可欠の鍵なのである.憲法における民主

政治の要請は,単なる成文の規定の完備のみによって実現されるものではなく,それを現実に保

障するものとしての「法の支配」の精神の存在を必要とするものである25)

「法の支配Jと「法治主義Jの関係について論じる際,日本の公法学者の多くが「挨拶J

をする論争,すなわち, 1952年に行政学者・辻清明と行政法学者・柳瀬良幹の間で闘わ

された「論争」も,まさに前述の論点と関わるものだった26) 辻はダイシー学説に依拠し

つつ,英米流の「法の支配」とドイツ流の「法治行政=法治主義」を対照的に捉えた上で,

前者の優位性を論じ,日本国憲法が「法の支配」を採用したことの画期的意義を強調した.

ところで,ダイシーが法の支配の意味として,①通常の裁判所の前での通常の合法的な方

法で確証された明瞭な法の違反の場合を除いて,何人も身体や財産を侵害されないこと,

②すべての人は措層・身分に関わりなく,通常の法と通常の裁判所に服すること,③憲法

の一般原則が具体的な争訟における裁判所の判決の結果であること,の 3点を挙げたこと

25)伊藤正己『法の支配j(有斐閣, 1954年)はしがきの 2頁.この一節は,佐藤・前掲注 (18)3, 40-41頁で

引用されている.

26)辻清明「法治行政と法の支配」思想 337号 (1952年) 10頁,柳瀬良幹「法治行故と法の支配」法律時報 24

巻 9号 (1952年) 58頁.辻・梯瀬論争の一つの回顧として,奥平康弘 f法つてなんだj(大蔵省印刷局,

1995年)236頁以下.また,今村成和町法律による行政jと f法の支配jJ成田頼明編『行政法の争点(新

版)j (有斐閣, 1990年) 14頁は僅かな紙幅の中で棺当の分量を割し、て,辻・梯瀬論争を紹介する.ちなみ

に,今村論文の後を継いだ,磯部力「法律による行政の原理J芝池義ーほか編『行政法の争点(第 3版)j

(有斐閣, 2004年)20頁は,文字通りの「挨拶」のみで済ましている.

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特集 「法の支配」の現代的伎相

は周知のとおりである27)そして,辻・柳瀬論争に関して注目したいのは,③をめぐる両

者の見解の対立である.辻は暗黙裡に③の意味を踏まえて「コモン・ローの支配」を語る.

「法の支配」の下では,法の形成過程と法の執行過程の両酉において,社会意思(社会を構

成する人々の意思)が反映されることを辻は強調し,この点にこそ, I法の支配Jの優位性

があると論じていた28) 他方,柳瀬は,③の意味は法の内容や性質よりも,法の発現の形

式やその成立の歴史的過程に関する事項であり,歴史を異にする日本国憲法が採用できる

ものではないし,日本は戦後,英米の判例法の内容は多く継承したかもしれないが,判例

法という法の形式は決して継承していないと批判した.そして,①は用語上の問題を加に

すれば, I法治行政jと同じ内容だから,日本国憲法が採用したのは①のみであると柳瀬

は主張し, IW法の支配jの原則が少なくともダイシーの説いた意味においては日本の憲法

のとるところではないjと結論したのであった29)

奥平康弘もいうとおり,辻が再批判をしなかったこともあって,辻・柳瀬論争は「未

完」のままに終わってしまった30) しかし, I法の支配」と「法治主義」の関係を考える

際に,留意すべき論点の多くを提示したという点も看過できない.

まず, I法の支記jの理解に当って,ダイシー学説の当否が争点となった点である.ダ

イシーはフランス「行政法」との対照においてイギリスの「法の支配Jを論じたから31),

戦後日本の公法学者が「法治主義jを批判し, I法の支配jを擁護する上では,典拠にし

やすい学説だ、ったという評価も可能で、ある.しかし,ダイシーの「法の支配J論は,③の

意味をみても分かるとおり, I地域限定J的な性格が強い32) この点を強諒すれば,ダイ

シー学説という「産湯jと共に, I法の支配」という「赤子」まで流してしまうことも可

能である(柳瀬の議論を参照).また,ダイシーが実践的に集権国家(積極国家)に反対する

立場から「法の支配」を擁護しているため,彼の「法の支配」論の歴史的制約性を批判す

ることも容易で、ある. I法の支配Jの凋落の一因として,佐藤がこの点を挙げていること

は前述した.

に,戦後日本の人文社会科学にとって,イギリスは「近代化の模範jだ、った点であ

る.歴史学を中心に戦後社会科学に圧倒的ともいえる影響を与えた大塚久雄等の「比較経

済史学jにおいて,イギリスの近代化のプロセスが「模範jとされたことは周知のとおり

27) A. V. Dicey, An Introduction to the LαW of the Constitution (10th ed., Macmillan, 1959) pp.187-196. A. V.ダイシー(伊藤正巳・田島裕訳)r憲法序説.1(学陽書房, 1983年) 179-186頁.

28)辻・前掲注 (26) 11-14頁.

29)柳瀬・前掲注 (26)59-62頁.

30)奥平・前掲注 (26)246頁.

31) Dicey, supra note, 27, pp.328-332.邦訳318-322貰.

32) Schkler, suprαnote 3, p.5.

10

Page 9: 「法の支配J再考な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26. はこ の論点に関する鐙れた説明である

「法の支配」再考

である.憲法学に特有の問題としても,イギリスは民主主義と権利保障の先進国として理

解されていた33) 戦後人文社会科学において有力だ、ったイギリスを「準拠国」と見なす傾

向が, I法の支配Jと「法治主義」との関係を論じる際に何の影響も及ぼさなかったとは

考えにくい34) この点で, I法の支配」と「法治主義Jの「興亡」に関する高田敏の回顧

が示唆的である.高田によれば,戦後から 1950年代までは, Iドイツ法=旧憲法=前近代

的J,I英米法=新憲法口近代的jという理解の下, ドイツ法は批判の対象とされ,英米法

が当為とされた(辻の議論を参照).しかし, 1960年代に入ると,ボン基本法下の法治国の

再構成(実質的法治国への)を踏まえたドイツ公法学の研究が日本でも進み,それが日本国

憲法の解釈の際のモデルとされるに至った結果,従来のドイツ法と英米法の画一的パター

ン認識は妥当性を失っていったと高田は論じている35)

以上のような認識を踏まえて高田は, B本国憲法の解釈という視点からすれば, I法の

支配」と「法治主義Jを統一的に解釈する方が,よりよい原理を構成できると主張する36)

また,磯部力も「実質的法治主義」と「法の支配Jとの間に実質的相違はなく, I適正手

続 dueprocessJの要請との関係で,行政手続法の制定以前には両者の相違点を指摘する

ことに積極的な意味があったとしても,現在では両者を同一内容の法命題として理解でき

ると論じる37) 柳瀬は(ダイシーのいう意味での)I法の支配Jを日本国憲法は採用してい

ないと論じたが,高田や磯部は(ダイシー学説より一般化された意味での)I法の支配Jと

(実質的)I法治主義Jを統一的に理解できると論じていることになる.

土井真ーもいうとおり, I法の支配は良き法の支配を要求し,法治国家原理は悪法の支

33)たとえば,清宮四郎は「日本国憲法とロックの政治思想、J(1948年)と題する論文において, rわが憲法が

単に法文の上で自由・民主をうたいだしたのに対し,当時のイギリスではすでにロックの説の拠りどころと

なるような政治が,国民の手によって獲得され,実捺に行われていたということも,この場合,見逃しでは

ならない事実であるjと述べた.開著『憲法の理論j(有斐閣, 1969年)326頁.

34) r準拠国J とは,山室信~ w法制官僚の時代j(木鐸社, 1984年)に示唆を受けた樋口陽一の定式によるも

のである.樋口陽一『近代憲法学にとっての論理と価値j(日本評論社, 1994年)216頁以下.

35)高田敏「法治主義と法の支配j覚道豊治先生古稀記念論集『現代違憲審査論j(法律文化社, 1996年) 51

52頁.なお,山田幸男「イギリスにおける『法の支配jと行政法j磯崎辰五郎先生喜寿記念『現代におけ

る f法の支配Jj (法律文化社, 1979年)15-18頁は戦後行政法学の動向について高田の向様の認識を示すが,

その評価はニュアンスを異にしている.

36)高田・前掲注 (35)40頁.

37)磯部・前掲注 (26)20真.なお,磯部によれば, r法の支配」は本来的に憲法的原理であり,個別的な紛争

解決を通じた裁判所による法創造を前提とする実質的な法理である一方, r法律による行政の原理Jは公共

の福祉を実現するための行政による積極的な法秩序形成を前提とする形式的な原理である.そのため,両者

は重なる部分も多いが,もともと同視しうるものではなく,憲法理論と行政法理論のそれぞれの場面で使い

分けることが重要である,と磯部は論じる.

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Page 10: 「法の支配J再考な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26. はこ の論点に関する鐙れた説明である

特集 「法の支配Jの現代的生相

配を容認する」という図式化はもはや適切ではない38) また,イギリスを「近代化の模

範Jとする見方も現在では,さほど説得的とはいえまい39) ならば, I法治主義Jと対照

的に理解された「法の支配Jの価値をどのようにしたら擁護できるのか.ここで佐藤幸治

は, I法の支配Jと「法治主義jの「法秩序形成観jの差異に注目する.佐藤によれば,

「法の支配Jは,可法の場において具体的事実関係に基づいて法が形成される「経験的な

下からの法秩序形成観Jを採っている.このような議論を展開する上で,佐藤はコモン・

ローに訴える.コモン・ローこそ「法の支配Jの理念の品質証明といわれるが,その理由

は,国民が権利・自由を侵害されたと考える場合,主体的・能動的に参両する過程を通じ

て司法裁判所の判断を得ることができ,その判断が「法原理のフォーラムjに相応しい過

程を通じて行われることにあると佐藤は論じる.注目したいのは,ダイシーの「法の支

配Jの 3要素も,この文脈で理解すれば,現代的意義を持ちうると佐藤が論じている点で

ある40) 佐藤は土井の論稿を援用しつつ, I法治主義=法治国家Jを「超越的な上からの

法秩序形成観Jと理解し, I法治主義jが「行政型秩序形成jと親和的であるとする土井

38)土井真一「法の支記と司法権」佐藤幸治ほか編『憲法五十年の展望H 自由と秩序j(有斐関, 1998年)

102頁.なお,この問題と関連して,樋[11湯ーの比較憲法の体系における 19-[世紀ドイツ立憲君主主義の破

格の地位向上に注目したい.同著「栗城寄夫,または独・日憲法学のなかの geistvolle Korr・ektheitJ栗城

寄夫先生古諦記念『日独憲法学の創造・ l二巻j(信山社, 2003年 ix頁.この論点について併せて参照,愛

敬浩二日批判的i峻別論jと υ;[1のモラルjJ樋口陽一先生古稀記念 f憲法論集j(都文社, 2004年)617頁

以下.

39) デーヴイツド・ブラックボーン, ジエフ.イ 1リj 、~一一一一句-司叩悶句-司叩句-司句-句

年)3お3頁.イギリスの歴史過程に「工業化Jと「民主化」との調和のとれた自己完結性を村与するならば,

それは伝来のドグマの問題であって,歴史認識の問題ではないと論ずる.ただし日本ではどういうわけか

サッチャー政権の評価が高いので,サッチャー改革との関係で,新しいイギリス「準拠国」論を語ることが

できるかもしれない.イ左藤もサッチャー政権が断i主!とした政策によって「イギリス病Jを克服したからこそ,

今日のイギリスがあると論ずる.佐藤・前掲注 (20)161頁.しかし,白血主義者の立場からみても,サッ

チャー政権の評価はず、っと暖昧なものである.ジョン・グレイ(石塚雅彦訳)rグローパリズムという妄想、J

(自本経済新開社, 1999年)35頁以下を参照.グレイは, Iいくつかの不公平の拡大は多くの先進国でも見

られたが,イギリスにおける経済的不平等拡大のスピードと規模は,どの国よりもはるかに先を計ってい

るJと述べる.向上 46頁.

40)佐藤・前掲注(18)64-67頁.このように「法の支配Jとコモン・ローの密接な関係を強調する議論は,

fコモン・ローもエクイティもない国に,簡単に『法の支配jを移殖できるとすれば,その方が却って驚く

べきことのように思われる」という批判の好餌となる.玉井克哉「ドイツ法治l翠思想の歴史的構造 (1)J国

家学会雑誌 103巻 9=10号 (1990年)8頁.しかし,佐藤は可法権の理論的概念構成の作業を通じて, I具体

的紛争の当事者がそれぞれ自己の権利義務をめぐって理をつくして真剣に争うことを前提にして,公平な第

三者たる裁判所がそれに依拠して行う法原理的な決定に当事者が拘束されるという構造jとして f司法権の

本質」を捉える「法原理部門Jという考え方を構築している.佐藤幸治 f現代田家と司法権j(有斐閣,

1988年) 57-63頁.この議論は憲法訴訟のレベルで,コモン・ロー的な法形成を可能にするものといえる.

また,佐藤が判例の法源性を認める点も,同様の評価iが可詑である.向上 380…386貰,佐藤幸治 f憲法訴訟

と司法権j(日本評論社, 1984年)262頁以下.このような憲法学説を背景にして, I法の支配」を f血肉化

する」ための司法制度改革を提言する佐藤は, I日本におけるコモン・ローの不在」を理由にする「法の支

配J批判論に対して,敢然と異議を唱える資格を持つ,数少ない憲法学者の一人と評価できるだろう.

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「法の支配」再考

の診断に共感する41) I法の支配」と「法治主義」の法秩序形成観の差異を前提にすれば,

両者の内容に実質的相違はないという議論を前にしても, I法治主義」との対照において,

「法の支配」の価値を擁護することが可能となる.

ところで,法秩序形成観の対照を描き出した土井自身は, I法の支配と法治国家を排他

的に対峠させて,いずれかを二者択一するというのも,一面的で現実的ではない.とりわ

け,本稿において示されたモデルは,議論を整理し,争点を明確にするための思考上の図

式であって,各国の現実の制度ははるかに複雑かつ多様な構造になっているJと論じてい

る42) ところが,佐藤の方は,この思考上のモデルから強い帰結を導き出すことがある.

たとえば, Iそれぞれの秩序形成観は,いささか clear-cutしたモデル的説明Jであるこ

とを認めつつも, I両者の秩)字形成観のいずれに軸足をおくかによって,その国の法体

系・法秩浮の基本的骨格ないし特質が規定されることは否定できない.憲法裁判所型の憲

法裁判か付槌的違憲審査制かは,まさにかかる法秩序の基本的骨格にかかわる事柄である

ように思われる」と佐藤は論じているが43),この議論は解釈論のレベルでも,客観訴訟は

日本国憲法上,無条件に認められるわけではなし法原理機関の権限に相応しい具体的な

事件・争訟性を擬するだけの実質を備えている場合でなければならないという主張に反映

されている44)

3. r法の支配Jと現代イギリス憲法学

佐藤幸治の議論においても, I法治主義Jと対照される「法の支配」を概念構成する上

で,イギリス憲法の理論と歴史(ダイシーとコモン・ロー)が援用されている. しかし,イ

ギリス憲法は国会主権をもう一つの基本原理としている.論理的に考えれば,そう易々と

は調和しない「法の支配Jと国会主権の両方を基本原理とするイギリス憲法の理論と歴史

を援用しつつ, I法の支配」を擁護しようとする論者は, I法の支配Jが全憲法秩序を支え

る基本的理念として,イギリス憲法のうちに染み込んでいるという類の議論を展開する45)

41)佐藤・前掲注(18)67-68頁.土井・前掲註 (38)104-108頁によれば,多様かつ無秩}芋の人間の集合に対

し,超越論的統治主体が強大な意思力に基づいて実現する理性的・統一的な秩序形成が「法治国家」の秩序

形成観であり,これを可能にするために,実現すべき理念的原理の論理的体系(主権論の展開や法典編纂)

と能動的で画一的な執行組織(行政官僚組織の整備)が必要となる.よって, I法治国家j原理は「行政型

秩序形成の論理jそれ自体を内在させている,と土井は論じている.

42)土井・前掲注 (38)117頁.

43)佐藤・爵掲注 (18)261貰.

44)佐藤幸治『憲法(第 3版)j (青林書院, 1995年)334頁.

45)伊藤正己『憲法の研究j(有信堂, 1965年)5貰,奥平康弘『憲法mj(有斐閣, 1993年) 12頁.

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特集 「法の支配Jの現代的位相

もちろん,このようなイギリス憲法の説明を間違いと決め付けるつもりはない.ただし,

イギリス憲法の理論と歴史を援用するのであれば,現代イギリス憲法学が自国の憲法状況

と憲法理論をどう理解し,どう評価しているのかという問題を軽視するべきではないと考

える.

たとえば,佐藤が好意的に引用する伊藤正己は「現在ですら,イギリス君主政における

ほどに,フランス共和国で,個人の権利が保護されているかどうかは疑問に思われるJと

述べていた46) ところが,現代イギリスの公法学者,バレント (EricBarendt) は,ダイ

シーの比較法はイギリス型の権利保障の優位性を示すためのものだが,このダイシーの態

度は,ヨーロッパ人権条約の下でのイギリスの経験を勤案すると異様に d思えると述べてい

る47) 彼のいう「イギリスの経験Jとは,イギリス政府がヨーロッパ人権裁判所において

敗訴を繰り返した事実を指す48) たとえば, ドゥオーキン (RonaldDworkin) は「権利章

典J導入を訴える際,サッチャ一政権は自由への無関心を従来になく露骨に示した政権で

あり,その下でイギリスの「自由の文化Jは顕著に衰えたと論じていた49) マッケルドウ

ニー(John F. McEldowney) は「国会主権に対するダイシーの信念の核心には,イギリス

のジ、ェントルマンは道徳的に許容可能な法律しか制定しないという彼の信念があったJと

述べているが50),クリック (BernardCrick) によれば,ダイシーが「憲法習律Jと呼んだ

ものは実は「ジェントルマン文化」の一部であったのであり,この「ジェントルマン文

化Jに基づく行為規範が退潮したことによって,国家権力に対ーする「古き非公式の抑制J

が弱体化したとされる51) マッケルドウニーとクリックの議論との関連で興味深いのが,

サッチャ一政権によって, I不文憲法下では正当性の欠くことのできない条件である統治

者と被統治者の関の信頼関係は,ただの思い出になってしまった」というグレイ Oohn

Gray) の指摘である52)

では,現代イギリス憲法学は「法の支配Jについて,何を語っているだろうか.パレン

46)伊藤正己『イギリス公法の原理j(弘文堂, 1954年)134-135頁.

47) Eric Barendt,“Dicey and Civil Liberties" [1985J Public Lαω, p.596.

48)江島晶子『人権保障の新局面j(日本評論社, 2002年)25-26頁によれば, 1995年段賠では約 70件弱の件

数がヨーロッパ人権裁判所で審理され,そのうち 35件が条約違反を認定されており,この数字は当時の全

締約国の中でイタリアに次いで、ワースト 2だ、った.

49) Ronald Dworkin, A Bill of Rights for Britαin (Chatto & Windus, 1990) pp.1-12.

50) John F. McEldowney,“Dicey in Historical Perspective" in Lαω, Legitimαcyαnd the Constitution, eds.

by Patrick McAuslan & John F. McEldowney (Sweet & Maxwell, 1985) p.59.

51) Bernard Crick, Politicα1 Thoughts αnd Polemics (Edinburgh University Press, 1990) pp.105-116. クリ

ックの問題提起との関係で注目されるのが,元山健「近代英関憲法の危機研究序説」東邦大学教養紀要 22

号(1990年)である.愛敬浩二「戦後憲法学におけるイギリス憲法史像」比較法学(早稲田大学) 36巻 2

号 (2003年)70-73頁で,元山の問題提起の重要性と問題点を簡単に検討しておいた.

52)グレイ・前掲注 (39)39貰.

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「法の支配」再考

トは「法学者や裁判官は近年,法の支配を再び真撃に受け止めるようになった.日乏され,

無視された何十年間の後でその概念への関心が復活したことは喜ばしいJと述べている53)

また,ダイゼンハウスも同様に,過去 10年の聞にイギリスにおいて「法の支配J論議の

驚くべき復活があったと論じている54) この「法の支配」の「復権」は,イギリス憲法学

の「転換」に照応しているようだ. トムキンス (AdamTomkins) によれば,政治制度(た

とえば国会)を通じて統治者の責任を追及する「政治憲法 politicalconstitutionJ と,政府

の責任を問う主要な手段・制度を法と裁判所に求める「法的憲法 legalconstitutionJ を区

別する場合,伝統的にイギリス公法は政治憲法に基づいてきたが, 1970年代以後,政治

憲法の伝統に対する法的憲法からの圧力は増大してきた. 70年代から 90年代において顕

著であった政治憲法から法的憲法への移行は, 17世紀の二つの革命以来の憲法秩序の再

編成だと彼は評価する55) また,ラフリン (MartinLoughlin) は,法的憲法を支持する論

者は,伝統的憲法(=政治憲法)が機能不全に陥っているという認識に立って,イギリス

憲法を権利基定的な政治秩序へと再構成しようとしていると論じている56) イギリス憲法

理論の動向に関するトムキンスとラプリンの評価は, r法の支配Jを基底において,ダイ

シー以来のイギリス憲法の特性を理解しようとする者からみれば,意外な評価なのかもし

れない.

もちろん,現代イギリス憲法理論には,佐藤の「法の支配」論に適合的な理論潮流も存

在する.プール (ThomasPoole) が「コモン・ロー立憲主義J と呼ぶ潮流がそれで、ある.

「コモン・ロー立憲主義Jは現代イギリス公法理論において有力な潮流を形成しており,

細部に違いがあるにせよ,この見解においてコモン・ローは,基本的な価値を反映する諸

々の道徳原理のネットワークであり,政府活動の合法性を審査する一連の高次の価値を組

み込んでいるものとされる.そのため,裁判所が重大な役割を引き受けることになる57)

この「コモン・ロー立憲主義」のコモン・口一理解は,佐藤のそれと共通点が少なくない.

そして,このような現代イギリス憲法理論の潮流を代表する理論家の一人が, T. R. S.

53) Eric Barendt,“Review: Constitutional ]ustice: A Liberal Theory of the Rule of Law by T. R. S.

Allan" Lαω Quαrterly Review, vol. 118, p.161 (2002).

54) David Dyzenhaus,“Form and Substance in the Rule of Law" in Judicial Review & the Constitution,

ed. by Christopher Forsyth (Hart Publishing, 2000) p.141.

55) Adam Tomkins, Public Lαw (Oxford University Press, 2003), pp.18-24. 56) Martin Louglin,“Rights Discourse and Public Law Thought in the United Kingdom" in Rights & De-

mocracy: Ul乙CαnαdiαnConstitutionαlsim, ed. by G. W. Anderson (Blackstone Press, 1999) pp.199-

213.

57) Thomas Poole,“Dogmatic Liberalism? : T. R. S. Allan and the Common Law Constitution" Modern

Lαw Review, vol. 65, pp.463-464 (2002).

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特集 「法の支配Jの現代的位相

アラン (T.R. S. Allan)である58) 以下では,アラン憲法学説との比較において,佐藤

の「法の支配」論の特徴と問題点を明らかにしてみたい.

4.ニつの「法の支配」論一一佐藤とアラン

最初の著作, r法・自由・正義j(1993年)におけるアランの基本的戦略は,ダイシー学

説の再構成を通じて, I法の支配Jと「善き法の支配Jを憲法理論のレベルで統一するこ

とにあった59) 1章で引用したマルモーの言葉を借りれば, I法の支配Jと「善き法の支

配Jを混交することは,法理論家がまず注意すべき過誤といえる.とはいえ,イギリス憲

法の文脈では,アランの議論も成立する余地がある.若干の説明をしてみよう.

クレイグ (PaulCraig) は f法の支配Jを (a) 形式的概念と (b)実質的概念に分類す

る. (a) は法が定立される方法・手続を問題とするものであり,法の実体的内容に関する

判断はしない.法実証主義が採用する概念である.他方, (b) は「法の支配Jという概

念から一定の実体的権利を導出する.すなわち, (b) は法の実体的内容に関する判断を

含む.クレイグによれば, (b) にいう法の支配は特定の規範的正義論自体と向内容であ

り,法の解釈と理論において「法の支配Jに独立した役割はない.このような場合, I法

の支配jという用語の使用は特定の正義論に対して不当な説得力を付加することになるか

ら,その使用を禁欲すべきであると彼は論ずる.クレイグの議論の趣旨は, (b) の利用

を諌めることではなく, (b) を利用するならば,自説の依拠する特定の正義論を批判者

にも理解可能な形で理論的に明確化せよ,という点にある60) このクレイグの提言を,ロ

ーズ裁判官 (SirJohn Laws) の命名を借用して, Iクレイグの腕Jと呼ぶことにしよう 61)

「法の支配jの実質的概念を採用することで,政治道徳哲学レベルの議論をショート・カ

ットしようと目論む法学者の立場からすれば,確かにクレイグの提言は「赫jである.

とはいえ,ダイシー学説を準拠枠組とするイギリス憲法学の理論状況は,クレイグが期

58) Ibid., p.464. なお,アランの著作・論稿は「法の支配」の研究に対する重大な貢献として高い評価を受け

ている.たとえば, David Dyzenhaus,“Book Review : Constitutional Justice : A Liberal Theory of the

Rule of Law, by T. R. S. Allan" [2002J Public Lαw, p.379 ; Paul Craig,“Constitutional Foundations,

the Rule of Law and Supremacy" [2003J Public Lαω, p.97.裁判官の職にありながら,可法積極主義のイ

デオローグとして活躍するローズ裁判官もアランの研究を高く評価している.The Hon. Sir J ohn Laws,

“The Constitution : Morals and Rights" [1996J Public Lαω, p.631, n. 10.

59) Allan, supr,αnote 15, pp.2-16.

60) Paul Craig,“Formal and Substantive Conceptions of the Rule of Law" [1997J Public Lαω, pp.467, 480,

487.

61) Sir John Laws,“Illegality : The Problem of Jurisdiction" in Judicial Review, eds. by M. Supperstone

& J. Goldie (2nd ed. Butterworth, 1997) p. 4. 32.

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日去の支配j再考

待するほど明断ではない.ここで特に開題になるのは,ダイシーの「法の支配Jの③の意

味,すなわち, I憲法の一般原則が具体的な争訟における裁判所の判決の結果であることJ

である.ダイシーの法実証主義に基づく国会主権論を尊重するならば,これも (a) の観

点から理解すべきといえよう 62) しかし,イギリスの法制度の下では,③はコモン・ロー

という実体的内容をもった実定法を想起させるため, (b) の観点から理解する余地もあ

る63) そして,このような「法の支配」の理解を敢然と主張したのがアランである.アラ

ン憲法学説の問題点の検討は別稿に譲るとして64),ここでは佐藤の「法の支配J論との関

係で興味深い論点のみを取り上げる.まず,いくつかの類似点を挙げてみよう.

第一に,両者はコモン・ローに特有な法形成のあり方を重視し,このように理解された

コモン・ローをダイシーの「法の支配J論(特に③の意味)に読み込むことで,アランは

イギリス憲法の文脈で「法の支配Jの実質的概念を正当化し,佐藤は「法治主義」と対照

される「法の支配」の概念を獲得している65) I多中心的課題Jは司法的解決に馴染まな

いとするフラー (LonFuller)の議論をアランは援用しつつ,コモン・ロー裁判の対審的

構造が公法理論に持つ意義を強調する.さらに,裁判所は選挙民や公論に責任を負えない

以上,その守備範囲を法原理の探求に限定する伝統的裁判モデルを維持するべきであり,

イデオロギー上の理由で行政訴訟をしている個人・集団に原告適格を拡張することには慎

重であるべきだとアランは論じ,マレーシアのダム建設に対するイギリス政府の援助の違

法性を争う原告適格を「世界開発運動 World Development Movement Jに認めた

IPergauダム事件Jを消極的に評価する66) 佐藤もフラーの裁判本質論を援用して, I法

原理部門としての裁判所」という彼の憲法学説の核心ともいうべきアイデアを提示してい

る.そして,伝統的裁判モデルと対照的なものとして構成された「公共訴訟」を擁護する

62) Craig, supra note 60, pp.473-474 ;長谷部・前掲注 (24)151-152頁.

63) Loughlin, supra note 7, pp. 151-153. は③の意味はコモン・ローと密接に関連しており,ダイシーを法実

証主義者とみるのは妥当でないと論じている.J ohn Alder, Generα1 Principles of ConstitutionalαndAd-

ministrαtive Lαω(4th ed., Palgrave, 2002) p.100. も向様の理解を示す.

64)愛敬浩二「立憲主義,法の支配,コモン・ロー」浦町賢治先生古稀記念論文集(日本評論社, 2005年公刊

予定)所収において,アラン憲法学説の問題点を検討しておいた.

65)佐藤・前掲注 (18)33頁における「法の支配Jとダイシー学説の説明を参照.アランの場合,彼の学説全

体がこのことを語っているともいえるわけだが,特に彼のこの主張が明快に示されている叙述として参照,

Allan, supr,αnote 15, pp.4-16, 135-136, 290; T. R. S. Allan,“The Rule of Law as the Rule of Rea-

son" Lαω Quαrterly Review, vol. 115, pp.239-241 (1999).

66) T. R. S. Allan, Constitutionα1 Justice:αLiberα1 Theory of the Rule of Lαw, (Oxford University Press,

2001) pp.187-197. rPergauダム事件Jと略称される判決は,R. v. Secret,αry of Stαte for Foreign αnd

Commonweαlth A庁airs,ex p. World Development Movement Ltd [1995J 1 WLR 386.である.荷判決の詳

細を紹介する邦語文献として,関村周~ rイギリスにおける司法審査と裁判官J~京都大学法学部創立百潤

年記念論文集 第 2巻.1(有斐閣, 1999年) 152頁以下.

17

Page 16: 「法の支配J再考な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26. はこ の論点に関する鐙れた説明である

特集 「法の支配」の現代的位相

シエイズ (AbramChayes) の議論を批判的に検討している67) この佐藤の関心が,前述し

た客観訴訟に関する彼の解釈論にも反映されていることはいうまでもないが,ともあれ,

この論点において,アランと佐藤の議論の類似性は顕著である.

第二の類似点として,両者とも,自己の「法の支配Jと対照的(敵対的)な理論を現代

の通説的理論の中に読み込み,その問題点を指摘することで自説を正当化している点を挙

げることができる.法実証主義者が採用する「法の支配」の形式的概念は,実務法曹の法

実践に役に立たないとアランは厳しく批判するが,佐藤も, r社会国家」を安易に前提し

舎で「行政型秩序形成Jを容認し,その結果,国民の関に「お上意識に統治客体意識jを温

存させた,通説の「法治主義Jを厳しく批判している68) なお,佐藤が戦後間もない時期

の伊藤正己等の研究に依拠しつつ, r法の支配Jを日本国憲法の「原意Jに読む込む一方,

アランはダイシー学説の再解釈として自説を提示しようとする.このように両者が共に,

自説を「原意Jや「伝統Jに位置付ける点も指摘しておこう 69) 関連して,ダイシー学説

の形式的・合理主義的要素は,コモン・ローの歴史的・実践的英知への暗黙のコミットメ

ントによってバランスを取る必要があるとアランは論じるが,このアランのダイシー擁護

論は,ダイシーの分析は「それが論理的に均斉がとれているだけに,被雑な歴史性を背景

とするイギリス公法の解明としては一面的Jであるとする伊藤正己のダイシー批判と,根

底において問題意識を共有している点にも注目したい70) 佐藤が f法の支配jを説明する

際に援用するダイシー学説やコモン・ローの理解は,伊藤の研究からかなりの影響を受け

ているものと解されるので,アランと伊藤の問題意識の共有が注目されるのである.

5.政治道徳哲学への禁欲とその帰結

次に注目したいのは, r憲法と道徳の関係」という問題である.アランにとって「痛い」

のは,前述した「クレイグの練」である.特定の正義論(政治道徳哲学)に訴えることな

しに,法理論のレベルで「善き法の支配Jを正当化することは可能だろうか. r法・自

由・正義jにおけるアランは, r普遍的に妥当する法の支配の理論を定式化することが可

能かどうかはたいへんに疑わしい」としながらも, r英国の政治体の文脈において法の支

配の意味と内容を明らかにすることJは不可能で、はないと論じていた71) ここでのアラン

67)佐藤・前掲注 (40)r現代国家と司法権j53-62, 84…100頁.68) Allan, supra note 15, p. 26 ; Allan, supra note 66, pp.28-29, 38 ;佐藤・前掲注 (18)15-16, 36頁.69)向上書 3-11,40-43頁, Allan, suprαnote 15, pp.2-16. 70) Allan, supra note 66, p.20 ;伊藤・前掲注 (46)82貰.

71) Allan, suprαnote 15, p. 21.

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Page 17: 「法の支配J再考な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26. はこ の論点に関する鐙れた説明である

日去の支配」再考

の戦略は, ドゥオーキン法哲学の援用によってダイシー学説を法実証主義の呪縛から解放

し,イギリス悶有の文脈に限定した形での「法の支配」の実質的概念を構成する,という

ものだったと理解される.すると問題になるのは,意外にも,アランの「法の支配J論を

イギリス憲法に適用することの困難性である.ゴールズワージー(Jeffrey Goldsworthy)

は,イギリスの法執行に携わる公務員の慣行はアラン学説を支持しないと批判する.イギ

リスは国会主権の長い伝統を持ち, 20世紀の間ずっと,裁判官もその原理を繰り返し承

認してきたのだから,と 72)

このような批判を意識したのか,近年の著書, w憲法的正義j(2001年)でアランは,フ

ラーの「法の内在道徳、 internalmorality of law Jの議論に依拠しつつ, r西欧型のリベラ

ル・デモクラシーに広く適用可能な,リベラルな立憲主義の基本原理Jとして「法の支

配」を理論化しようと奮闘する73) この企図が成功したか否かはともあれ(私は失敗した

と評価するが),ここで注目しておきたいのは, ドゥオーキン法哲学を頻繁に引用するにも

かかわらず,アランが自己の守備範囲を実定法理論の枠内に限定する(政治道徳哲学へと越

境しない)点である.アランは, r我々が司法権の行使のための確実な基礎を探求している

のであれば……,民主主義であれ,リベラリズムであれ,様々なもっと広範な理論とは実

糞的に区別されうる法の支配の概念を構成することが使宜であろうJと述べている74) こ

の点に関するアラン学説の問題点は,彼が自説の依拠する正義論を,批判者との間でも相

互批判が可能な政治理論や法哲学上の理論として明確化しない点にある75) コモン・ロー

は基本的諸原理と結び付いたユニークな正義のシステムを提供するという「コモン・ロ一

例外主義」の前提なしには,アランの議論を理解することは難しい76) しかし, rコモ

ン・ロー例外主義」は論証されるべき事柄であって,前提されるべき事柄ではない77) 憲

法学におけるダイシー伝統と法理学における法実証主義的傾向に従って,政治理論や法哲

学のレベルでの「国会主権Jの正当化の問題を回避していた従来の公法学説とは異なり,

ドゥオーキン流の「法学的リベラリズム」を批判する観点から改めて「国会主権Jを擁護

72) Jeffrey Goldsworthy, The Sovereignty of p,αrliament (Oxford University Press, 1999) pp.248-253;

Je旺reyGoldsworthy,“Homogenizing Constitution" Oxford Journα1 of Legal Studies, vol. 23, p.497

(2003) .

73) Allan, suprlαnote 66, preface & pp. 1-3, 31-59. 74) Ibid, p.28.

75) Dyzenhaus, supr,αnote 54, p. 160.

76) Poole, supr,αnote 57, p.470.

77)たとえば,ラフリンはイギリスの旧式な裁判制度が 1998年人権法のもたらす新たな挑戦に対応できる見込

みは僅かだから,特別な憲法裁判所を設置して,コモン・ローの伝統と決定的に決別することが必要と論ず

る.Martin Loughlin,“Rights, Democracy and Law" in Scepticα1 Essα:ys on Humαn Rights, eds. by

Tom Campbell et al. (Oxford University Press, 2001) pp.59-60.

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Page 18: 「法の支配J再考な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26. はこ の論点に関する鐙れた説明である

特集 「法の支配jの現代的位相

する憲法理論が出現しつつある現在,アランの議論の説得力は乏しいと考える78) アラン

憲法学説を援用して「法の支配」の実質的概念を擁護しようとする者は,理論的に脆弱な

立場に自らを置くことになると私は評価する.

佐藤も同様に, ドゥオーキン法哲学を好意的に援用しながらも, rその権利論は, r憲法

及び法律jの枠の存在そのものをつき破って,人権を不断に根源的な政治道徳哲学の空間

に漂わせる契機をもっているかにみえるJとして, ドゥオーキンの権利論を「憲法理論と

してそのままでは受け入れ難いものを覚えるJと評価する79) r憲法典は『意思iの所産

と考え(主権 t 憲法制定権力),憲法典の規定のあり方が何よりも重視さるべきと考えるか

らであるj と佐藤はその理由を述べている80) 他方,樋口陽一の国民主権の「永久凍結

説Jを佐藤は「憲法を制定した世代と後の世代との間に不平等を帰結し,後の世代が何故

に憲法に拘束されるのかの説明を困難にするJと批判して,以下のように論ずる.

私は,憲法制定権力論と「法の支配Jとの関係の問題については,憲法制定権力者たる由民が

どのような考え方に立って憲法典を定立するかが肝要だ、と考えています.どのような考え方かは

された憲法典を通じて知ることができますが, 日本国憲法は,すでに申しましたように人格

的自律権の尊重を基盤にしていると理解できるとしますと,そこには,憲法制定権力者たる国民

が,各人の人格的自律権が尊重される“善き社会"の形成発展を図るという長期的視野に立って

「自己拘束Jをなすという意味が発生すると考えるのです.……かかる憲法典の定立は,相互に

自律的生を大事にしようとする最も深い制定権力者たる国民の自律的意思の表現ということにな

ります81)

佐藤のこの議論は,いわゆる「プリコミットメント論jと呼ばれる考え方に似ている82)

78) H. W. R. Wade等の伝統的な学説は「国会主権がなぜ正当化されるのかjという論点を回避していたこと

を批判しながらも,他方でウオルドロン等の間会主権擁護論は開会主権の正当性に関する政治哲学的考察を

回避してない以上,その議論を批判はできても無視はできないはずだとクレイグは論ずる. Paul Craig,

“Public Law, Political Theory and Legal Theory" [2000J Public LαW, pp.223-228. また, ドゥオーキン

法哲学によって生み出された法理論のトレンドに抗して,民主政に関する法的・道徳的理論に基づいて国会

主権を擁護する「ネオ・ベンサム主義Jの復権を語る, David Dyzenhaus, “The Geneology of Legal

Positivism" Oxford Journal of Legal Studies, vol. 24, pp.62-67 (2004) も参Jm.彼がその代表例に挙げる

のもウォルドロンである.関連して,英米の法律家の間での「立法の悪評jに関するウォルドロンの議論も

参照されたい.].ウォルドロン(長谷部恭男ほか訳)r立法の復権j(岩波書庖, 2003年) 4-14頁;なお,

現代イギリス憲法学における f民主主義派jの憲法論のいくつかを,愛敬浩二「イギリス憲法改革と憲法理

論の動向J松井幸夫編『変化するイギリス憲法j(敬文堂, 2005年) 58頁以下において簡単に検討した.

79)住藤・前掲注 (40)r現代国家と司法権j63頁.

80)佐藤幸治「立憲主義といわゆる f二重の基準論jJ芦部信喜先生古稀記念 f現代立憲主義の展開 上巻j(有

斐閣, 1993年)26頁.

81)佐藤・前掲注(18)28貰.なお,この叙述の流れの中で,佐藤は憲法改正に関わる国民投票法が制定され

ていない現状を批判している.その捺にもキーワードになるのは,国民の「統治客体意識Jである.向上

30頁.

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Page 19: 「法の支配J再考な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26. はこ の論点に関する鐙れた説明である

日去の支配」再考

佐藤は「憲法制定権の主体たる国民が『人格的自律権』の観念の導入をはかる憲法典を定

立した場合,そこには道徳理論上一定の意味が発生すると考える.それを象徴的に表現す

れば,憲法典を実際に定立した世代の国民,現在の国民,さらに将来の国民を包摂する

『国民jとして,各人の自律的生を可能ならしめる“物語 (narrative)"を共有し,憲法典

はその“物語"を成文で表現したものであるということになるJ83)という考え方も示して

いるが,これはまさにプリコミットメント論である.そして,これらの佐藤の議論をみる

と, r法の支配」こそ世代を超えて共有されるべき「物語」だと彼が考えていることを窺

い知ることができょう.

佐藤は自分の「法の支配J論の意義を 90年代の「新自由主義改革」との関係で熱く語

ることがあるので84),佐藤の議論を「規制緩和によるその変容の方向に親和的な考え方と

いうことができる」という小沢隆一の評価に私も賛成する.しかし,佐藤の「物語として

の国民主権Jについて, rそれは,憲法制定という事実についての科学的認識を弱めるこ

とになる一方で、,日本国憲法の『国民主権jについての解釈としては,一種の『決断主

義J的解釈の登場と位置付けられようJという小沢の評価には賛成できない85) 所有論と

の関係を切断されれば,プープル主権論も一種の「決断主義」的解釈ではないかと疑う余

地はあるし,そもそも「フランス革命期の主権論の科学的認識が,なぜ日本国憲法の解釈

において決定的な意味を持つのか」という問題もまだ解決済みとはいえまい86) 他方,プ

リコミットメント論が問題とする「制憲者の世代が後の世代を拘束できるのはなぜかJと

いう問題は,民主主義の価値を信奉しながら,硬性憲法を有する全ての政治体において,

少なくとも論理的には成立する向いである.佐藤の「物語としての国民主権Jという問題

提起を軽々しく斥けるべきではないと私は考える.

だからといって,佐藤の議論に問題がないと考えているわけではない.私の理解では,

プリコミットメント論は本来,民主主義(国民の自己決定)から出発して,硬性憲法(=立

を正当化する議論のはずである.ところが,佐藤の議論では,どちらかというと,

制憲者が憲法典に込めた道徳的価値を世代を超えた共同によって社会に実現し,さらに発

82) プリコミットメント論の簡単な紹介とその憲法学への応、用の可能性に関しては,愛敬浩二「プリコミットメ

ント論と憲法学J長谷部恭男・金泰品編『公共哲学 12 法律ーから考える公共性j(東京大学出版会, 2004

年)363頁以下を参賠.

83)佐藤幸治円国人の尊厳と国民主権」佐藤ほか共著『ファンダメンタル憲法j(有斐閣, 1994年)11頁.

84)佐藤・前掲注 (18) 17, 109, 115-116, 121頁,佐藤・前掲注 (20)24-35頁.

85)小沢・前掲注 (17)62-63頁.

86)松井茂記「国民主権原理と憲法学Jr岩波講座・社会科学の方法百 社会変動のなかの法j(岩波害賠, 1993

年) 18頁以下.

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特集 日去の支自己Jの現代的位相

展させていくというイメージが強い87) このような印象を持たせる原因は,佐藤が「善き

社会の形成発展を図る」という言い方をするからだろう.もちろん,各人の「人格的自

律Jを尊重する社会は「善い社会」なのだろうし,そのために世代を超えた共同を行うこ

とも「善いことJなのだろう.しかし,国民の「統治客体意識jを論難しつつ, I生き生

きとした“法原理のフォーラム"をもつためには,“政治のフォーラム"の場合と向様,

なすべきことは多い.そして,この点での努力を怠るならば,行政改革は結崩のところ失

敗し,日本の社会は従来の行政的規制社会へと回帰することになろう.それは,日本がグ

ローバル化への対応力を失い,国民の無力感の漂う退嬰的な停滞社会への突入を意味する

ことになろうJ88)と佐藤が論じるのをみると, I善い社会Jとは誰にとっての「善い社会」

なのか,という疑問をふと思わずにはいられない89) 佐藤のプリコミットメント論が私の

理解するとおり, I制憲者が憲法典に込めた道徳的価値を,世代を超えた共同によって社

会に実現し,さらに発展させていく Jという性格が強いとすれば, I善い社会Jのイメー

ジが予め描出されてしまえば,憲法価値を実現するための世代を超えた由民の「共同=参

加Jは, I動員」へと容易に転換してしまう恐れはないのだろうか90) また,前述したと

おり,佐藤の叙述からは, I法の支配こそ,世代を超えて共有されるべき物語」であると

いう考え方が覗われるから,彼が同法の支配jは自動的に作動するのではなく,まず何

よりも主権者たる国民自身の意思と行動にかかっていることを認識すべきだと思いま

すJ91)と述べる以上, I法の支配」についても,それが「動員Jの論理へと転換する危険性

を苧んでいるといえるのではないか92)

ここでアランと佐藤の「法の支配j論を比較してみよう.アランは成文憲法に訴えずに

アメリカ型の違憲審査を正当化するために「法の支配」の実費的概念を構成しようとした.

87) r多様な利害・価値観が存在・対立する社会において持続的で討議的な自己統治を可能にする憲法を設定す

るならば,それはどのような内容・形式を採るかjを問う規範的議論としてならば,憲法学もプリコミット

メントを採用する意味はあるという立場を私は採っている.愛敬・前掲注 (82)367-369頁.この観点から,

佐藤がプリコミットメント論を採るならば,憲法を「この聞のかたちjと11乎ぶことを禁欲すべきと論じたこ

とがある.向上 373頁の注 (31) と (37)を参照.

88)佐藤・前掲注 (18)121真.

89)たとえば, r大衆社会統合の再収縮」という問題を提起する,後藤道夫「帝国主義と大衆社会統合j渡辺

治・後藤道夫編『講座現代日本社会2 現代帝国主義と世界秩序の再編.! (大月害届, 1997年)所収を参照.

90)佐藤は「日本が国際社会の趨勢から取り残されたJというが,どうも「趨勢」とは,グローパル市場経済へ

の対応として先進諸国が何らかの形で手を付けた新自由主義改革のようである.佐藤・前掲注 (20)161頁

以下.

91)佐藤・前掲注(18)29-30頁.

92)久保田穣「司法改革と立憲主義・民主主義j憲法問題 14号 (2003年)28頁は意見書について,国民を「法

の支配Jの主体とすることで,国民を自発的な秩序維持形成者に転じさせてしまい,支配・被支配の現実の

緊張関係を前提とする権力拘束原理としての「法の支配」の核心的意味を消去してしまったと批判している

が,この批判は佐藤の「法の支配j論にもある程度,妥当するのではないか.

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「法の支配j再考

そのために様々な理論的障碍(たとえば,クレイグの練)を克服する必要があり,議論はま

すます複雑なものになっていった.アランは実務法曹が利用できる「法の支配」の概念が

必要だと論じて法実証主義者を批判したが,アランの「法の支配」論も同様に,実務法曹

が実際に利用するには複雑すぎるとバレントは批判する.そして,アランのように複雑な

「法の支配」論をするよりも,率痘に成文憲法や権利章典の制定という手段を採った方が

ベターだとバレントは主張する93) このパレントの批判はある意味で,アランの議論の急

所を突いている.クレイグも指摘するとおり,アランは自説と異なる理論的論争を全て非

実践的な形式主義として斥ける傾向がある94) たとえば,現代イギリス公法学における理

論的な争点の一つに,行政活動の適法性を審査するために裁判所が発展させてきた司法審

査(judicialreview) を,国会主権との関係で立法意思に根拠付けるのか(修正した権限険越

の法理), I法の支配jとの関係でコモン・ローに根拠付けるのかという論争がある95) ア

ランは両説とも国会主権を前提にした概念上の議論に終始しており,裁判官の憲法上の役

割の本質や正統性に関する,より複雑で論争的な実体的問題に関する憲法論(たぶん彼の

「法の支配」論を指すのだろう)を回避していると批判している96) アランの「法の支配」

論は,その理論的根拠が脆弱であるにもかかわらず(あるいは,だからこそ),アランは自

説と異なる学説や論争に対してドグマティックな批判を浴びせたり,あるいは, 自説と異

なる論者の問題意識をあっさりと無視してしまう印象がある 97)

他方,佐藤は違憲審査制を採用する日本国憲法を前提にして議論をしているため,アラ

ンが格闘した困難には遭遇せずに済む.しかし, I法の支配」が日本国憲法の「原意」に

読み込まれたため, Iなぜ今,日本において,法の支配を血肉化する必要があるのかJと

いう問題が,①帰結主義的な政策論や政治道徳哲学のレベルで議論されず,②憲法価値の

具体化という政策論と憲法解釈のレベルで議論される.ところが,②のレベルで議論をし

ようとするばかりに, I法の支配Jと「法治主義Jの峻別というそれ自体,問題のある議

論が駆使され,プリコミットメント論というそれ自体,理論的には複雑な議論が導入され

る.佐藤は「政治道徳哲学の空間に漂うJのを禁欲するあまり,特定の法概念に厳密な内

容を付与し,その法概念を駆使して,強い帰結を導き出す傾向がある.たとえば,高橋和

93) Barendt, suprαnote 53, p.164.

94) Craig, suprαnote 58, pp.92-93.

95) Christopher Forsyth (ed.), Judiciαl Reuiewαnd the Constitution (Hart Publishing, 2000). に収められ

た論稿を参照.日本語による簡潔な説明として,戒能通厚編『現代イギリス法事典j(新世社, 2003年)

186…188頁(榊原秀吉11執筆)を参照.

96) T. R. S. Allan,“The Constitutional Foundations of Judicial Review" Cαmbridge Lαω Journαl, vol. 61, pp. 123-125 (2002).

97)愛敬・詩掲注 (51)54-55頁で検討した,ユーイングのイギリス憲法史理解をほとんど理解する気のないア

ランのコメントを参照.

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特集 「法の支配Jの現代的位相

之が彼なりの体系的な統治機構解釈に基づいて,司法権の概念から「事件・争訟性Jを外

した形式的な司法権の定義を提示したところ,高橋理論は「垂車下降型の秩序形成j観な

いし行政型秩序形成観へと引き寄せられる旨の批判を佐藤から浴びた98) しかし,高橋の

ように制定法主義を国民主権モデルと立憲君主政モデルとに区別する考え方が,なぜ、日本

国憲法の統治機構を理解するモデルから当然のように排除されるのか,高橋ならずとも理

解に苦しむところである99)

ただい司法権の概念から「事件・争訟性」を外す議論は, r伝統的裁判モデル」から

の決定的な希離を意味するので,コモン・口一裁判の対者的構造とそこでの経験主義的な

法形成を「法の支配」と接続することによって,政治道徳哲学レベルの問題を回避しなが

ら,独自の憲法理論を構築しようとする論者にとって,易々と受け入れられるものではな

い.アランが可法審査の原告適洛の拡大を批判し,佐藤が客観訴訟について限定的な解釈

論を採る理由も,この文脈で理解できる.ところで, r事件・争訟性Jの問題を「軽んじ

たJ結果,佐藤の批判を浴びたのは,高橋が始めてというわけではない.奥平康弘もその

一入である.佐藤による奥平批判が興味深いのは,奥平も佐藤と同様に, r法の支配Jと

「法治主義Jを峻別し, r法の支配Jをコモン・ローの観点から説明するからである 100)

この輿平の「法の支配J論は佐藤のそれと酷似している101) 今関源成は,奥平と佐藤の

議論の「外見的類似、と不一致の検討から,これからの憲法学のあり方を探るヒントを得る

ことができるかもしれない」と指摘する 102) そこで,この点に関するささやかな問題提

起を行うことで,本稿の結びに代えることにしよう.

6.改めて「法の支配jの多義性について

奥平康弘はかつて, rたとえば,ムートネスの法理であるが,これはあたかも日本に向

似の法制・理論がないがごとく,アメリカ判例だけにたよって説明される傾向が,少なく

とも一部にみられる」と述べ,その例として佐藤の論稿を挙げた後, rけれども,ムート

ネスということばこそ使われていないが,同似の訴訟要件の問題はつとに行政法上訴えの

98)佐藤・前掲注 (18)97…98頁.

99)高橋和之 f法秩序形成における国会と裁判所の役割」北大法学論集 52巻 3号 (2001年) 130-131, 141-142

頁.

100)奥平・前掲注 (26)227-236頁.

101)たとえば,高田・前掲住 (35)31-37頁は,奥平と佐藤の議論を同様な議論と理解して並置し,両説を批

判的に検討している.

102)今関・前掲注 (17)30頁.

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fi去の支配j再考

利益との関係で論ぜ、られてきており,その一応の決着が,行政事件訴訟法九条かっこ書き

ーとして,立法のうえでつけられたのであるjと述べたことがある 103) 奥平が一一彼

らしくもなく一一実定法を援用して憲法論は妨げたのはなぜか. rそこでの判例理論を日

本の側に機械的にひきつけるにしては,わが憲法訴訟制度はアメリカのそれとはあまりに

も違った格好で成長し発展してしまったようである.この彼此の差を認識し評価せずにア

メリカ法になぞらえて語れば語るほど,是正すべき日本固有の難点が見えなくなってしま

い,結果的には現状から抜け出せないことになろう」と考えるからである 104) 佐藤は,

奥平のこの批判を「ムートネスといったような問題を憲法論として取り上げることは,行

政事件訴訟の途を一層狭いものにしかねず, r司法権J論も実定法律制度を前提に展開さ

れなければならない」というように,司法権の概念構成に関する一般的な主張へと読み替

えて,奥平を「日本国憲法にいう『司法権Jについて理論的に考察することは不可能であ

る,あるいはそうした努力は無益ないし有害で、あるとする論」を立てる者に位置付け

る105) しかし,この奥平の位罷付けはあまりに座りが悪い. ドゥオーキンの「連鎖小説」

の議論を使って最高裁の「解釈」を批判する奥平が(あえていえば, r政治道徳哲学の空間に

うことを跨踏しない」あの輿平が),あたかも「実定法準拠主義」者のように語られること

には強烈な違和感がある 106)

奥平はなぜ佐藤の「ムートネス」の議論を批判してしまうのか.佐藤はなぜ、奥平を「実

定法準拠主義」者のように捉えてしまうのか.この問題には,佐藤と奥平の「法の支配J

論の共通性と異質性を解く鍵が隠されているように思われる.奥平によれば,権力や支配

に抗議する異端者や少数派こそ, r想像力」を駆使して,憲法の価値を形成・発展させて

行く主体である.このような意味での f憲法を具体化する努力Jは戦後E本でも行われて

きたし,憲法裁判のレベルでも,何の成果もなかったというわけではない107) 他方,奥

平が「法治主義」を批判するのは,憲法が裁判規範であることが不明確になって,裁判に

おいて憲法とその他の実定法が分断され,結果として「憲法の過少な配分」が生ずるから

である 108) 換言すれば, r法治主義Jは現状変革的な立場に立つ者が,裁判において「想

像力」を働かす余地を限定するからこそ,批判されるべき理論なのである.このように考

える奥平は,司法権の概念という理論的問題に拘泥することなく, r憲法訴訟にふさわし

い訴訟形態を立法により,あるいは裁判のなかで作り上げてゆくこと,そのなかで原告適

103)奥平康弘『憲法裁判の可能性.i(岩波書宿, 1995年)54頁104)向上 55頁.

105)佐藤・前掲注 (40)r現代自家と司法権.i122頁.106)奥王子・前掲住 (1)278頁以下.

107)奥平康弘『憲法の想像力.i(日本評論社, 2003年)2-24, 74-85, 101-102頁,奥平・前掲注 (103)6-7真.

108)向上 155-210頁.

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Page 24: 「法の支配J再考な性格を無視することであると整理する, J eremy Waldron, The Lαω(Routledge, 1990) pp. 11-26. はこ の論点に関する鐙れた説明である

特集 「法の支配」の現代的位相

格その他の訴訟要件の再編成をはかつてゆくことJが必要であると論じることができ

る109) その一方で、,佐藤の「ムートネス」論のような議論に対しては,批判的な言及を

することにもなる.

他方,佐藤の議論は, r司法権が英米流のものであるJという日本国憲法の内容理解と

その解釈に強く依存している.この前提に立って,アメリカ型違憲審査制の核心を成す

「事件・争訟性Jという法的概念を駆使して,様々な解釈論上の帰結を導き出す手法を取

っている110) 佐藤の司法権論にとって, r事件・争訟性」の問題はアルファでありオメガ

であるとさえいえよう.だからこそ,その問題を軽視した奥平は「実定法準拠主義J者と

して論難され,高橋和之は「垂直下降型の秩序形成Jの支持者として批判されたわけであ

る.本稿が,佐藤とアランの「法の支配」論を比較するという一一両者の憲法学説をよく

知る者なら意外に d思うかもしれない一一手法を採ったのは, r法の支配Jを自己の憲法理

論の核心に据えた両者が,自分の「法の支配j論と異なる発想に基づく憲法学説に対して

ドグマティックな批判をする,この共通性に関心を抱いたからである.

ところで,現状変革的な立場に立つ者が「想像力jを駆使して,その時々の「支配」ゃ

「迫害Jとの関いの中で「橋頭盤Jを作り,憲法を発展させていくという奥平の憲法論は,

f下からの憲法秩序形成観Jと呼ぶに値する内容を持っている111) 他方, r政治部門Jに

ついて小選挙区制を支持し, r法原理部門Jについて最高裁判所の判決の法源性を認める

一方,国民についてはその「統治客体意識Jを厳しく批判する佐藤の憲法論を一一奥平の

議論との比較において 「上からの憲法秩!手形成観Jと呼ぶことも可能であろう 112)

このような二項対立的把握が妥当か,あるいは,理論的・実践的に有効かといった問題を

議論するつもりはない.ここで確認しておきたいのは, r法の支配Jの概念はかように多

義的で論争的だ,ということだけである 113) ともあれ,以上の検討から, r法の支配=下

からの法秩序形成観J,r法治主義=上からの法秩序形成観Jという二項対立的把握の有効

性はもう少し限定的なものかもしれない,という結論を導き出すことだけでもできれば,

本稿の目的は達成されたことになる.

109)奥平・前掲注 (26)96頁.

110)佐藤・前掲注 (40)r現代田家と可法権.]118頁以下.

111)奥平・前掲註 (107)14…15頁.なお,奥平康弘 n表現の自由」を求めて.] (岩波書宿, 1999年)の叙述全

体が,このような奥平の憲法観を見事に映し出していると私は評価する.

112)佐藤はイギリスの選挙制度をこ大政党制の観点から好意的に評価した上で,小選挙区比例代表郁の評価も

この観点から長期的に考えるべきと主張する.佐藤・前掲注(18)239…240頁.

113) Jeremy Waldron,“Is the Rule of Law an Essentially Contested Concept (in Florida)?" Lαωαnd Phi-

losophy, vol. 21, pp.153-164 (2002).

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