「ウイルス除去膜による安全性について」「ウイルス除去膜による安全性について」...
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「ウイルス除去膜による安全性について」日本赤十字社血漿分画センター副所長 脇坂 明美
皆さんこんにちは。本日はお忙しい中多数お集まり下さりあり
がとうございます。また日ごろは日本赤十字社の血液事業にご
理解、ご協力を賜りありがとうございます。それではウイルス除
去膜による安全性について話させていただきます(図1)。
クロスエイトMの製造にはスライドに表示された4つの主要な
工程があります(表1)。有機溶媒・界面活性剤(S/D)処理工程で
は化学処理によりウイルスを死滅させます。ウイルス除去膜によ
るナノフィルトレーション工程ではろ過によりウイルスを除去しま
す。またイムノアフィニティクロマトグラフィー、イオン交換クロ
マトグラフィーの2つの工程は第Ⅷ因子の純度を上げるための精
製工程で、ここで不純物と一緒にウイルスが除かれます。この4
つの工程を経てウイルスが含まれない、極めて安全性の高い製
剤が作られます。
この安全性は、平成3年の供給開始以来これまで170万本の
クロスエイトMをお使いいただきながらB型肝炎、C型肝炎、エイ
ズウイルス等のウイルス感染が1例も無いという「実績」で証明さ
れています(表2)。それでは、どのようにしてウイルスが除かれ
ているのかを、少し詳しくお話します。
図2ではウイルスを漫画化して描いてあります。ウイルスはそ
の表面に脂質膜を持つウイルスと持たないウイルスがあります。
また遺伝情報を担う核酸の種類で見るとDNAのものとRNAのも
のがあります。この2つの基準によってウイルスは4つに分けられ
ます。このスライドを見れば、B型肝炎ウイルスは脂質膜を持つD
NAウイルスであり、C型肝炎ウイルス、エイズウイルス(HIV)、一
昨年新型肺炎の病原体として問題になったSARSウイルス、ま
た最近日本でもアメリカからの帰国者で1例見つかり騒がれたウ
エストナイルウイルス等はすべて脂質膜を持つRNAウイルスとい
うことが分かります。先述のS/D処理工程では有機溶媒がウイル
スの表面を覆う脂質膜を瞬時に溶かし、ウイルスは死滅いたし
ます。このためクロスエイトMは脂質膜のあるウイルスに対して
は極めて安全です。一方、ヒトパルボウイルスB19(B19)やA型肝
炎ウイルス、あるいは最近北海道で生の豚レバーを食べると感
染するといわれるE型肝炎ウイルスには脂質膜がありません。し
たがってこれらのウイルスに対してS/D処理は無効です。
このようなウイルスはウイルス除去膜によるナノフィルトレー
ションや精製工程で除いています。ナノフィルトレーションに使
われるウイルス除去膜には直径35nmの孔が開いており、これよ
(図1)
(表1)
(表2)
(図2)
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り大きいウイルスは通り抜けることができませんが、これより小さ
なB19やA型肝炎ウイルス、E型肝炎ウイルスは孔を通過して製剤
に入ることもあり得ます。
実際にクロスエイトM製剤中に入っていたB19の量を調べたの
がこの図です(図3)。横軸がクロスエイトMの製造番号、縦軸
がDNAで測ったB19のウイルス量です。このグラフから以前の製
剤ではB19が少なからず入っていたことがわかりました。日本赤
十字社はこれを重視して98年8月からB19のスクリーニングを始
めました。製造工程で除去できないのであれば、B19を含まな
い血漿を原料にしようというわけです。これによって98年12月
以降に作られたすべてのクロスエイトMにはB19が含まれなくな
りました。しかしスクリーニングをしていないA型肝炎ウイルス
やE型肝炎ウイルスの混入を完全には否定し得ません。
そこで安全性を上げるためにウイルス除去膜の孔のサイズを
小さくする、すなわちこれまでの35nmから、20nmに変える事
にしました(表3)。20nmは第Ⅷ因子が通り抜けできる大きさで、
これより小さくなると第Ⅷ因子が通り抜けできません。
図 4では各ウイルスの大きさと、細菌を取り除くための一般
的な除菌フィルターやウイルス除去膜の孔のサイズ(35nm、20
nm)を相対的に示しています。これを見ると35nmの孔を通り抜
けていたB19やA型肝炎ウイルス、E型肝炎ウイルスも20nmの孔
では通り抜けできないことがイメージとしてよく理解できます。
しかし単なるイメージではなく、これらのウイルスが実際に
20nmの孔を通り抜けできないことを検証する必要があります(表
4)。そのためにはウイルスが混入した血漿を原料として製造し、
できた製品にウイルスが残っているか否かを見れば良いのです
が、それでは工場を汚染することになりますのでできません。そ
こで実製造と全く同じ工程を再現したミニチュア版の工場を実験
室の中に構築して行います。これをウイルス・バリデーションと
いいます。
(図3)
(表3)
(図4)
(表4)
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表5にはB19、ブタパルボウイルス、A型肝炎ウイルスおよび
マウス脳心筋炎ウイルスを混入させた場合のウイルス・バリデー
ション結果を示しています。表では今まで使っていた孔径35nm
の膜と新しく導入した20nmの膜のウイルス除去能を比較してい
ます。表で使われている数値は対数減少率(LRV)といい、この
工程を経るとウイルスが最初の何分の1になるかを対数で表した
数値です。LRV=1は10分の1、2は10 分の1つまり100分の1、3は
10 分の1すなわち1000分の1に添加したウイルス量が下がると
いう意味です。LRVが1より低い場合は誤差範囲と考え、除去効
果なしと評価します。そうしますと35nmの膜ではLRVが1以下と
除去できなかった(すなわち孔を通り抜けた)これらのウイルスが
20nmの膜では効果的に除去され、LRV>5、10 すなわち10万分
の1以下になることが分かりました。
ナノフィルトレーション工程だけでなく、S/D処理工程を除く
先述の2工程中でもウイルスが除去されますので、クロスエイト
Mの全工程でみるとB19やA型肝炎ウイルスのLRVは8~9と非常
に高くなります(表6)。これは最初の原料血漿にウイルスが入っ
ていた場合でも製品となったときには10~10、つまり1億分の
1~10億分の1以下に減ることを示しています。ちなみにB19は
一般的にはりんご病、医学的には伝染性紅斑と言われる病気の
原因ウイルスで、現在知られている最小の病原性ウイルスです。
B19が取り除けることは、現時点ではすべての病原性ウイルスも
取り除かれていることを意味します。
次に孔径20nmのウイルス除去膜を通すことによる第Ⅷ因子へ
の影響について検討しました(図5)。まず安定性についてです。
11℃に20カ月保管したときの力価を比較していますが、従来の
35nmのウイルス除去膜と今般 20nmで作られた製品には全く違
いがありません。
次にトロンビンによる活性化試験の結果です(図6)。20nmを
通したクロスエイトMも従来品と全く同じパターンで、トロンビ
ンを添加すると第Ⅷ因子の活性は速やかに立ち上がり、やがて
消褪していきました。このことから機能的な面でも変わっていな
いということが分かります。
次に20nmは第Ⅷ因子がようやく通過できる大きさなので、こ
(表5)
(表 6)
(図5)
(図 6)
2
3
5
8 9
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れを通すことによってクロスエイトM製剤中の第Ⅷ因子の構造に
変化がないかを電気泳動法で調べてみました(図7)。この図の
ように35nmを通した時と20nmを通したときでは全く同じパター
ンが得られました。また第Ⅷ因子に結合しているvWFの多量体
の構成も全く変わらない、すなわち20nmのウイルス除去膜を通
すことで安全性は大きく向上したが、第Ⅷ因子そのものには変
化がないということが分かりました。
これまでをまとめますと、「ウイルス除去膜の孔径を20nmにするこ
とによって、脂質膜のない小型ウイルスに対する除去効果が向上した
が、第Ⅷ因子の性質や安定性への影響は認められなかった」と
なります(表7)。
次に話題を変えて、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)
について話したいと思います(表8)。
今年の2月5日の新聞に、国内初の変異型ヤコブ病(vCJD)
が見つかったと報道されました(図8)。この方は40歳代の男性
で、1990年にイギリスに24日間、フランスに3日間滞在したこ
とがありました。この方が日本に戻られて14年たった後vCJDを
発症し、2005年に亡くなりました。
(図7)
(表7)
(表8)
(図 8)
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vCJDは一般に狂牛病といわれている牛海綿状脳症(BSE)に感
染した牛の危険部位に蓄積されていた異常プリオンが食事を介
して人の体内に入って増殖し、発症します(表9)。ですからvCJD
患者のほとんどすべてがBSEの多発したイギリス在住、もしくは
イギリス産の牛肉を食べたことのある方です。
2005年8月現在、世界で181名の方がvCJDに感染しました(表
10)。うち1人が先ほどの日本人です。181人中157人はイギリス人。
続いて13人がフランス人ですが、これはフランスで食べている
牛肉の5%はイギリスから輸入しているためです。その他の発症
した人をみますと、基本的には何らかの形でイギリスのBSE感染
牛を食べた人になります。
ここで日本人がどういう経路で異常プリオンを摂取し、その
結果としてvCJDを発症するか考えてみましょう(表11)。残念なが
ら日本でも現在までにBSEが20例発生していますので、1つは日
本で発生したBSE感染牛を食べた場合です。そしてもう1つは、
ヨーロッパ、特にイギリス滞在時にBSE感染牛を食べた場合で
す。それぞれの経路で発生するであろうvCJD患者数を科学的に
推定してみましょう。
まず日本産BSE牛を食べてvCJDに感染する場合ですが、内閣
府食品安全委員会が次のように推定しています(表12)。イギリ
スは低く見積もって100万頭のBSEが発症し、これが 5,000万
人のイギリス人の口に入ったことから、vCJD患者数は現在157人
でも最終的には5,000人程度になるだろうと予測されています。
この割合を日本の人口、BSE発生頭数に当てはめて計算すると、
0.1~0.9人となります。すなわち日本国内に居て、日本産BSE牛
を食べて発症する可能性は1人以下ということになります。
(表9)
(表10)
(表11)
(表12)
次にイギリス、フランスなどへ旅行した人が滞在中にBSE牛を
食べて感染する場合です(表13)。これは厚労省薬食審血液事
業部会運営委員会で推定されています。イギリスの人口が6,000
万人で最終的に5,900人、すなわち約1万人に1人の率でvCJD
が発生すると予想されます。BSEが始まった1980年から1996年
の間にイギリスへ行ったことのある日本人の数は364万人です。
この人たちがイギリス人と同じリスクと仮定して、1万人に1人の
率でvCJDを発症すると360人になります。これは非常に極端な
見積もりです。せいぜい3~4日しかイギリスに居ない旅行者と、
この間ずーっと住んでいるイギリス人が同じリスクであろうはず
はありませんが、ここでは最悪のシナリオを想定しています。同
じ期間にフランスに行った人は393万人で、この人たちの中から
vCJDを発症する人は同様に最高22人と推定されます。
vCJDに感染しているか否かを調べるスクリーニング法は残念
ながらまだありません。そこでこれら海外でvCJDの感染を受け
た可能性のある方を排除するために、日本赤十字社では欧州
36カ国への渡航歴によって献血を制限しています(図9)。特に
イギリスに関しては1980年から96年に1日以上滞在したことの
ある人の献血をご辞退いただいています。またこの時期に西ヨー
ロッパに6カ月以上滞在した方、また東ヨーロッパに5年以上居
た方の献血をご辞退いただいています。できればフランスも1日
以上滞在した方の献血をお断りしたいのですが、血液が不足す
る事態を憂慮し、今のところは6カ月以上滞在した人だけをお断
りしています。
これをまとめてみますと、献血者の中でvCJDに感染している
可能性のある人数は、英仏に滞在して発症する可能性のある人
で382人です(表14)。これらの人については献血時の渡航歴に
関する問診ですべて排除しています。また日本に居て、国産の
BSE感染牛食べて発症する確率は0.1~0.9人です。現在の献血
率は約5%ですから、実際に献血に来る可能性のある人は0.005
~ 0.045人となります。要するに、vCJDの潜伏期にあって一見
健康だが異常プリオンを持つ人が献血に来る確率は極めて少な
いといえます。
世の中にゼロリスクというのはありませんが、それでも原料血漿
に異常プリオンが入ったらどうなるのかとやはり心配になります(表
15)。
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(表13)
(図 9)
(表14)
(表15)
これは異常プリオンの電子顕微鏡写真です(図10)。ここ
に100nmのスケールが書いてあります。プリオンは分子量
27,000の小さな蛋白ですが、異常型では相互に集って大きな
凝集体となります。この凝集体は先述の20nmのウイルス除去
フィルターで十分除けます。
またクロスエイトMのように純度の高い製剤では、異常プリオ
ンそのものが不純物として精製工程で除去されます(表16)。バ
リデーションの結果全工程ではLRV>10、10 分の1以下になる
ことが分かっています。原料血漿に異常プリオンが入る確率は
極めて少ない上に、もし入ったとしても製造工程で万が一をはる
かに越える、10億が一以下になります。
クロスエイトMは献血してから実際に病院でお使いいただくま
でには16カ月かかります(図11)。先述のごとく、日本ではvCJD
の潜伏期の方が献血をされること自体がないのですが、もし後
日vCJDを発症したことが判明した場合には、この間であればい
つでも使用を差し止めすることができます。つまり献血後16カ
月が最後の関門となって安全性に寄与しております。
もう1つ重要なことは、異常プリオンの摂取量とvCJD発症ま
での潜伏期には反比例の関係があることです(図12)。しかも
vCJDは非常に潜伏期が長いことが分かっています。たとえば、
先ほどの日本人初のvCJDの方は異常プリオン摂取14年後に発症
しています。摂取量が少なくなればなるほど、潜伏期は長くなり
ます。明らかに異常プリオンを摂取したにもかかわらず、摂取量
が少なくて潜伏期が伸びて寿命を超え、死ぬまで発症しないこ
ともあることが分かっています。つまり、異常プリオンの摂取量
が必ずしもゼロである必要がないということです。ですから、製
造工程で10億分の1以下になるということは、製剤を介しての感
染は実際上起こりえないであろうことを意味します。
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(図10)
(表16)
(図11)
(図12)
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以上、これらをまとめますと、表の4項目になります(表17)。
最後に、「安全」と「安心」の違いについてお話ししたいと思い
ます(表18)。安全性は科学的根拠に基づいて、確率で表すこ
とができます。一方「安心」は情緒の問題で科学的に表すことが
できません。世の中にゼロリスクはありえません。「安心」のため
には膨大なコストをかけることは必ずしも賢い選択ではありませ
ん。日本赤十字社は皆様のご理解をいただきながら、「安全」と
「安心」をお届けします。
6万人の献血者の血漿をプールして、クロスエイトMの1ロット、
3,000本を作っています(図13)。その1本1本に、貴方のお役に
立ちたいと願う6万人の方の第Ⅷ因子が入っています。言い換え
ればあなたの血友病が治ることを願っている6万人の心が入って
います。どうか献血者の心に応えてクロスエイトMを末永くお使
いいただくようにお願い申し上げます。
ご清聴ありがとうございました。
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(表17)
(表18)
(図13)
発行年月日 平成 18年 3月 31日