江戸時代前期の噺本に現れた「ござる」 ·...

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江戸時代前期の噺本に現れた「ござる」 三原裕子 1.はじめに 1.1目的と方法 噺本の資料‘性については池上秋彦1996に「会話の部分は極僅かで大部分が伝 統的な型の上に立つ地の文である。而も、其の極く僅かな会話の部分の中には、 恐らく当時の町人間の実際の会話では用いられなかったであろう文語的な表現が 相当に混入して」(p,75)いることが指摘されている。また武藤禎夫1965ではそ の文学的価値の低さや嗣足改題再板の容易さなどから「噺本は近世文学において 極めて低い存在としてしか認められていない」(p、55)現状が述べられる。しかし その量の豊富さや取り扱う側の配慮によって、噺本は十分貴重な資料を提供し得 る江戸語研究の資料として「言語史研究の上で手がかりの多さが期待できる」(前 田桂子2004.p、140)ことも近年指摘されているところである。資料に現れたことば の推移を見ることは、資料自体とその分野とが日本語史研究上どう位置づけられ るかを考えるために有効であろう。たとえば、人情本や酒落本が当代性を反映す る資料として重用されるように、噺本に反映された言語現象を知ることは江戸語 研究の多様化に資すると考える。 三原裕子2010では「ござる」「ござります」が改まり度の高い場面での丁寧な 表現だけでなく、次第に「年寄」「田舎者」「尊大な態度をとる侍」などの類型化 された人物を描くためにも使われるようになったことに着目し、近世後期におけ る「ござる」の意味機能の変化と消失の様子を報告した。ではどのような過程を 経て、この「ござる」や「ござります」が本来の意味から、「年寄や田舎者が使う」 と言うような類型化された使われ方をするに至ったのか。現在ではあいさつ程度 にしか用いられなくなった「ございます」について、前稿では江戸時代後期に活 躍した三笑亭可楽の作品を通して考察した。ここでは視点を江戸時代前期に遡ら せ、「ござある」から「ござる」「ござります」へと使用が移行する状況を観察し、 その過程から表出される噺本の'性格を探っていく。なお、「噺本」「ロ出本」等の用 語については武藤1965に拠った'。 さて、江戸中期の酒落本やロ出本の中には「新五左殿」「新五左衛門」という勤 番侍を郷撤することばがしばしば現れる2.これは出府した武士が「ござる」「ご l武藤1965では「古い時代のものを軽口本、江戸で出板されたものを落ロ出本、’1出本と呼び、 両者を含めて噺本」い4)とし、元和から明和までの「初期噺本」「軽口本」「後期軽口本」を 合わせて「前期噺本」としている。 2刊年は不明だが狂歌や11出本の作者であった大田南畝寛延2-文政6(1749-1823)の作品に は『世説新語茶』という「シンゴザ」を題名に冠した栖落本も見られる。 -43-

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江戸時代前期の噺本に現れた「ござる」

三原裕子

1.はじめに

1.1目的と方法

噺本の資料‘性については池上秋彦1996に「会話の部分は極僅かで大部分が伝

統的な型の上に立つ地の文である。而も、其の極く僅かな会話の部分の中には、

恐らく当時の町人間の実際の会話では用いられなかったであろう文語的な表現が

相当に混入して」(p,75)いることが指摘されている。また武藤禎夫1965ではそ

の文学的価値の低さや嗣足改題再板の容易さなどから「噺本は近世文学において

極めて低い存在としてしか認められていない」(p、55)現状が述べられる。しかし

その量の豊富さや取り扱う側の配慮によって、噺本は十分貴重な資料を提供し得

る江戸語研究の資料として「言語史研究の上で手がかりの多さが期待できる」(前

田桂子2004.p、140)ことも近年指摘されているところである。資料に現れたことば

の推移を見ることは、資料自体とその分野とが日本語史研究上どう位置づけられ

るかを考えるために有効であろう。たとえば、人情本や酒落本が当代性を反映す

る資料として重用されるように、噺本に反映された言語現象を知ることは江戸語

研究の多様化に資すると考える。

三原裕子2010では「ござる」「ござります」が改まり度の高い場面での丁寧な

表現だけでなく、次第に「年寄」「田舎者」「尊大な態度をとる侍」などの類型化

された人物を描くためにも使われるようになったことに着目し、近世後期におけ

る「ござる」の意味機能の変化と消失の様子を報告した。ではどのような過程を

経て、この「ござる」や「ござります」が本来の意味から、「年寄や田舎者が使う」

と言うような類型化された使われ方をするに至ったのか。現在ではあいさつ程度

にしか用いられなくなった「ございます」について、前稿では江戸時代後期に活

躍した三笑亭可楽の作品を通して考察した。ここでは視点を江戸時代前期に遡ら

せ、「ござある」から「ござる」「ござります」へと使用が移行する状況を観察し、

その過程から表出される噺本の'性格を探っていく。なお、「噺本」「ロ出本」等の用

語については武藤1965に拠った'。

さて、江戸中期の酒落本やロ出本の中には「新五左殿」「新五左衛門」という勤

番侍を郷撤することばがしばしば現れる2.これは出府した武士が「ござる」「ご

l武藤1965では「古い時代のものを軽口本、江戸で出板されたものを落ロ出本、’1出本と呼び、

両者を含めて噺本」い4)とし、元和から明和までの「初期噺本」「軽口本」「後期軽口本」を合わせて「前期噺本」としている。

2刊年は不明だが狂歌や11出本の作者であった大田南畝寛延2-文政6(1749-1823)の作品に

は『世説新語茶』という「シンゴザ」を題名に冠した栖落本も見られる。

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ざ候」を多用することから来たと言われるが、噺本の初出は『鹿の子餅』(明和9)

や『口拍子』(安永2)、『千里の趣』(安永2)であろう。浅黄裏と同様に野暮で

世事に疎い田舎侍の代名詞として使われ、江戸者の笑いの対象とされた。

○「新五左殿」

誹名なくて為になる客と来て居るお国の御家老たま、/家内引つれ江戸へ

の出府出入の町人芝居ふるまい翌日機嫌きふにまいれば(中略)いやはや

よい人品何を言つけてもつとめ兼まい男いかうさしはたらき分別もある

と見うけ申したそれにつけてもあの音八郎のたわけは『鹿の子餅』(17オ)

○新五左様戸口へ立よりコリヤ、/若いもの狂言はまだはじまったかと尋られ

札うりなぷると思ひわざとイヤまだ初りましたと云『口拍子』(61オ)

上一つ目は芝居の筋を知らずに恥をかく国家老のはなし、二つ目は横柄な態度

をとる侍が芝居小屋の札売りに軽くあしらわれるはなしである。

松井定之1941では江戸以前の滑稽説話が小ロ出として成立する条件に固有名詞

の離脱、教訓からの独立、落ちの確立を挙げているが、「新五左衛門」もすでに固

有名詞から離脱して、大衆の理解が得られる田舎侍の代名詞として扱われている

ことが察せられる。例えば「熊公」や「八つつあん」の人名だけで、聞き手は「無

知で粗忽な長屋の住人」を容易に想起できるのと同様の効果が見込まれたのであ

る。上のはなしからは明和期にはすでに類型化された「ござる」の使用が行われ、

「新五左衛門」の名を聞く側が登場人物のイメージを想起できたことが窺える。

『鹿の子餅』や『口拍子』が生まれた明和・安永期には、この「ござる」がすで

に「田舎者」や「格式ばった使用」、「年寄り」を連想させるいわゆる「役割語」3

としても、大衆に受け取られつつあった可能'性が高い。そこでこの明和・安永期

以前と以後との使用におおよその境界線を引き、今回は慶長から明和・安永初年

までの「ござる」や「ござある」、「ござります」などを検討していく。

1.2先行研究

「ござる」「ござります」の先学による考察は、前稿に記したのでここでは省

略する。本稿で取り上げた作品よりも早い時期に著されたロドリゲス『日本大文

典』(1604-08)では、「ござる」の解説に多くの紙数が割かれているが、これは17

世紀初「ござる」とその活用形の使用が広く見られ、「ござる」が日本語を理解も

しくは使用するために重要な語であると捉えていたことによろう4。たとえば「ご

3役割語については金水2003に「ある特定の言葉づかいを聞くと特定の人物像を'思い浮か

べることができるとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使

用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき、その言葉づかいを「役割語」と呼

ぶ」(p、203)と定義づけされている。

4広範に使われていたことを窺わせる記述として「‘関東’(Quanto)ではNu(ぬ)の代り

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ざる」「ござある」については次のような記述がある。(頁数は注4に同じ)

○Gozaru(ござる)はGozaaru(ござある)であって,居る,ある,来るの意味

をもってゐる(p、592)

○Gozaru(ござる),vogiaru(おぢやる)を何々 であるといふ意味に使って,

自分自身なり身分の低い者なりに就いて話し,話し対手やその座に居る人に

対して敬意を払ひながら謙遜し丁寧であることを示す。例へぱ,Vareraua,

Christamde,gozaru,nitegozaru(われらはキリシタンでござる,にてござ

る)等(p、593)

次に、本稿で扱ったテキストとおおよそ同時期、もしくはそれに先立って現れ

た5キリシタン本・狂言本の「ござる」についての先行研究を見ていく。なお先行

論文に使用される「御座ある/ござある」「御ざる/御座る/ござる」などの表記に

ついては論文引用部分以外は統一して「ござある」「ござる」とした。キリシタン

本をテキストとしたものには、まず金水敏2005がある。『天草版平家物語』に現

れる「ござる」は「空間的存在文」6では殆どの用例が尊敬表現であり、それ以外

では丁寧表現が殆どを占めることが報告される。また「ござる」の尊敬表現が「い

る」系に置き換えられさらに「ます(る)」と結びついた結果、丁寧表現化が促進

したことが指摘される。これよりも前に発表された川口敦子2002では「ござあ

る」は尊敬用法が主で丁寧用法は少なく、やがて「ござる」に至って丁寧用法が

発生したと言われていることが確認される。またロドリゲスの文典や『日葡辞書』

には「ござある」の語形が見られないことから「'6世紀末にはすでに「ござる」

の方が一般的であった」(p,39)ことの指摘がある。

狂言本に現れた「ござる」を論じたものには亀井孝1980(1942成稿)、蜂谷清

人1957、佐々木峻1971、大倉浩1987ほかがある。亀井1980では狂言のことば

が室町時代の言語を反映するとの通念に疑問を示し、そこに現れたことばは「狂

言語といふ(略)人工的舞台口語」(p、257)7であると言う立場で「ござる」を観察

している。そこでは『虎清本』には古形「ござある」が存在すること、「単に表現

を丁寧にする」ために広く使われるようになったのは「「ござある」が「ござる」

に移行して行ったころ」(同上)と指摘し「か坐る「ござる」をもつと丁重に言は

に助辞Nai(ない)を使ふ。-略一さうして,あらゆる地方に通用してゐるGozanai(樹1座

ない),Vbinai(おりない),Vnnai(おんない)は,Aguenai(上げない)等とその構造を異にしているけれども,同類のものかと思はれる」(p、559)がある。なお引用頁数は土井忠生訳ロドリゲス『日本大文典』の頁である。以降、『日本大文典』の引用頁数は同左。

5『天草版平家物語』1592、「虎明本』1642、『虎清本』1646,『虎寛本』は後期11出本と同時期の1792年の成立。

6金水2005では空間的存在文について「ある条件を備えた対象が世界に存在するか否かとい

うことの判断を示す文である」(p、22)と定義づけられている。7頁は『能楽全書』第5巻掲載の頁数。

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うといふ時代の要求は、やがて口語のうちに「ござります(る)」の新形を発生せ

しめた」(同上)とする。蜂谷1957には『虎明本』では「ござある」「ござる」に

使用の区別がなく、同場面での併用も見られるが、対話場面では「ござる」がや

や優勢であって『虎寛本』では「ござる」のみであることが報告される。また打

消しの形も『虎明本』は「ござらぬ」も見られるが、多くは「ござない」である

のに対し『虎寛本』では「ござらぬ」が殆どで「「虎明本」に見られる両者併用の

現象は、江戸初期の用法を示すもの」であり「「虎寛本」に於て「ござらぬ」のみ

用いられている事も又、書写当時の用法を反映している」(p、56)と論じられてい

る8・大倉浩1987では天理図書館蔵『狂言六義』(以下天理本と略す)と同時代筆

録の大蔵流狂言本とを比較して、天理本上巻前半部分における「ござある」の集

中傾向を「天理本筆写当時の話ことばにおける、新しい語形「ござる」の勢力の

強まり.定着」(p、96)を示すとしている。この状況と大蔵流二種を比較した結果、

『虎清本』は「ござある」が、また『虎明本』は新形「ござる」が優勢であって、

この二者の相違は用語選択意識の相違によると考察している。佐々木峻1971も

同様に『虎清本」が古態「ござある」を伝承、残そうとするのに対し、『虎明本」

は当時使われていた新しい形「ござる」を積極的にとり入れ、用語表現法の統合・

整理を図つた結果であるとする(pp、103.104)。なお『虎明本』や『天理本』よりも

古くに成立した『祝本』では「ござある」は139例中1例のみで、残りは「ござ

る」であるとの指摘が坂口至1997によってなされ、「より近世的な、くだけた口

語を積極的に採用した結果」(p365)であると指摘されている。以上を踏まえ、

江戸時代前期の噺本に現れた「ござある」「ござる」他を見ていく。

2.調査資料の概要

いわゆる前期噺本といわれる9ものの中から代表的な作品12種(表1)をテキスト

にした。また比較のために、後期ロ出本の2種(表中二重線以下)を加えた'0.各作品に

ついては武藤1965の解説、同1975.79の解題、岡雅彦1974、鈴木業三1983解

説、宮尾輿男1992他を参考にした。テキストの函架番号等は文末に記したが、

検索には武藤貞夫編『噺本大系』および国文学研究資料館作成の噺本大系データ

ベース他を利用した。作品の詳細は後述するが、『武左衛門口伝噺』『鹿の巻筆』

『正直噺大鑑』『軽口福徳利』および参考資料としてあげた後期ロ出本2種が江戸

8狂言本の打消しについては小林賢次1971に詳しい。

9武藤1965では江戸期の笑話本を「『鹿子餅』が出刊された明和9年を境として前期噺本(初期噺本/軽口本/後期軽口本)と後期11出本(江戸小'1出本/中期小'1出本/後期小I出本)に大別」(P、4)す

るが、ここでは比較のために翌年の安永元年に刊行された『口拍子』を加えた。

'0作品成立年の間隔は大きく隔たらないよう心掛けたが、『醒睡笑』と『宇喜蔵主古今Ⅱ出揃』では55年の隔たりが生じた。この間の作品として以下を調べたが用例が極めて少ないため今

回の報告からは外した。『わらひ草』(1656)10丁[ござ候2例.ござる3例]、『百物語』(1659)

60丁【ござ候1例のみ]、『私可多11冊』(1671)64丁[ござる2例のみ]

-46-

の出板である

ないため、共

から24丁と

【表1】作品

作品名

寒川入道筆記

戯言養気集下

昨日は今日の物語

醒睡笑

宇喜蔵主古今I出揃

武左衛門口伝噺上

鹿の巻筆

正直噺大鑑

軽口星鉄抱

軽口瓢金苗

軽口腹太鼓

軽口福徳利‐

鹿の子餅

口拍子

作者

未詳

未詳

未詳

安楽庵策伝

未詳

鹿野武左衛門

鹿野武左衛門

石川流舟

未詳

如皇

八木ひれすけ

故応斎玉花

木室卯雲

軽口耳赦

成立

慶長18(1613)

慶長・元和頃

元和・寛永頃

元和9序(1623)

延宝6(1678)

天和3(1683)

貞享3(1686)

貞享4(1687)

正徳4(1714)

延享4(1747)

宝暦2(1752)

宝暦3(1753)

明和9(1772)

安永2(1773)

書型

大本

横本

半紙本2巻

大本8巻

中本5巻

大本2巻

半紙本

半紙本5巻

半紙本5巻

半紙本3巻

半紙本5巻

半紙本5巻内4巻

小本

小本

な刊年はわかってい

った12.量は512丁

・半紙本である。

話数 本文丁数.半面行数字数

4話 51丁10行約18字詰

46話 40丁11行約13字詰

142話 69丁10行約20字詰

1039話 512丁9行約18字詰

30話 45丁8行約19字詰

30話 24丁14行26字詰

39話 66丁11行約22字詰

52話 63丁12行約20字詰

75話 51丁10行約18字詰

32話 35丁9行約11字詰

60話 34丁9行約23字詰

35話 35丁10行約20字詰

63話 59丁7行約16字詰

86話 57丁7行15字詰

調査した語は「ござる」の前身である「ござある」と、後には書簡文で専ら用

いられた「ござある」の丁寧語「ござ候」、および前稿で扱った「ござる」「ござ

ります」とその活用形である。下にテキストに現れた用例を挙げる。

*用例の「ござある」等はテキスト本文の表記に従った。句読点も同様に原本に付さ

れているもののみ表示した'3。なお、『正直噺大鑑』には一部句読点が黒点で記されて

いる。本稿ではその部分を「.」とした。また話し手(矢印左)、聞き手(矢印右)は出

来る限り本文に拠ったが、筋から推したものもある。

11吉田澄夫1935では宝暦以前は江戸語の「未完成時代」(p、30)であって資料も極めて少なく、上方語と江戸語の明らかな対立が見られないことの指摘がある。本調査でも宝暦以前の「無資料の時代」(同上)における適当な資料が見いだせず、上方板と江戸板を分けた調査はできなかった。

12岡雅彦1974、武藤禎夫1975

13句読点の付くものは『醒睡笑」『宇喜蔵主古今Ⅱ出揃』『正直噺大鑑』『軽口福徳利』である。

-47-

a「ござある(ござない)」

○おそれながら申たき事か御座あるかなへさせられは申さうよ三郎→おかたさま『昨日は今日の物語』(11ウ)

○ただ世上に殿様のおひげを見る者ことに。からものと申さぬ物は御座ない。客→大名『醒睡笑』(二・5オ)

○手をつかれて。湯は御さるが。づけか御座なひと申したるにぞ。どっとわ

らひになりにける賄い→大名『醒睡笑』(二・5オ)

○社参の衆もめてたふ御座あるとて樽酒をは持て参れとも若党→秀次公家臣『戯言養気集』(3オ)

b「ござ候」

○九州に御座候大名衆に逢て文盲なる者の申やう東の果てに御座候ゆへ

に存知なから御見廻も申あけぬといふた文盲→大名『寒川入道筆記』(26オ)

○かんにんつかまつり候やうにと(略)御'海の御使者にて御座候ほどに御返

事申あぐるは亭主→大名家来『武左衛門口伝はなし』(40オ)

○おもひのほかかごちん高く御さ候てるせんみなになした奈良大仏→京都大仏『宇喜蔵主古今ロ出揃』(14ウ)

c「ござる(ござらぬ)」

○殿の御さられは御やかたあれてところ、/しゆりにむかふて候ある人→館の者『昨日は今日の物語」(32ウ)

○下入大きに笑ひそれで夜明がしれるものならおらはよひから夜があけてござるといふた親方→下人『軽口 腹太鼓』(12ウ)

○これは大切のぢでござるによってわたしのくすりはゑしんぜますまい医者→痔持ち『軽口福徳利』(6オ)

d「ござります」

○こ〉におひるか御さりまするか九つをうつたらはこしめせと申をい

て(略)ゑいさんのこほうし→御ちこさま『昨日は今日の物語』(13オ)

○此中は久しく御意をゑませぬ御きげんにござりまするかとといければ乞食→頭分の乞食『武左衛門口伝はなし』(39ウ)

○お姫様のといやう.あきびとのこたへやう.おもしろくの給ふ.どこ言葉でご

ざりますといふ乳母→行商人『正直ロ出大鑑』(8オ)

○いやわたくしは先日のきつねでござります。(略)こよひまた御隙にござり

ますなら。何とぞゑりをぬいてくだされませ

きつね→かみゆひどこのわかいもの『軽口福徳利』(二・17オ)

テキストでは「御さある」「ござ有」「御座候」「ござ候」など様々な表記がみら

れたが、ここでは論旨に大きな影響を与えないものと考え分類をしなかった。

-48-

3.全体的な傾向と考察

調査の結果、475例を得た。表2では本動詞と補助動詞を合算して表し、区別

したものは図2に送った。各作品における内訳は以下のようである。

【表2】語形数

作品名 ござある ござ候 ござる ござります 合計

寒川入道筆記1613 5 6 0 0 11

戯言養気集1610年代 21 4 1 0 26

昨日は今日の物語1620年代 13 10 6 1 30

醒睡笑1623 38 7 15 0 60

宇喜蔵主古今Ⅱ出揃1678 3 10 5 2 20

武左衛門口伝はなし1683 0 2 5 11 18

鹿の巻筆1686 0 0 16 8 24

正直噺大鑑1687 0 0 55 16 71

軽口星鉄砲1714 0 1 45 19 65

軽口瓢金苗1747 0 0 7 12 19

軽口腹太鼓1752 0 0 7 10 17

軽口福徳利1753 0 0 12 15 27

鹿の子餅1772 0 0 25 36 61

口拍子1773 0 0 7 19 26

*数字は例数を示す。また「ござりまする」と「ござんす」は「ござります」に、「ござない」

は「ござある」、「ござらぬ」「ござるくい」は「ござる」に含めた。

詳細は各節にまわすが、図1から各作品における「ござある」「ござる」など

の占める割合を見ると、『醒睡笑』までの「ござある」の優勢と『武左衛門口伝は

なし』以降「ござある」が衰退し、代わって「ござる」「ござります」が急増して

いくようすとが目をひく。これは1642年に書写された『虎明本』やそれ以前の

成立と言われる『祝本』がすでに「ござる」の使用を専らにしているのに比べ、

噺本では「ござある」の優勢な時期が長く保たれていたことを示し、当該期にお

ける噺本の保守'性を窺うことができる。また『寒川入道筆記』から『宇喜蔵主古

今ロ出揃』まではわずかだった「ござります」が『武左衛門口伝はなし』以降増え

始め、「ござある」「ござ候」から「ござる」「ござります」へと使用の優勢が移り

変わるようすが見て取れる。さらに『鹿の巻筆』では「ござる」と「ござります」

の2種のみの使用となり、以後おおよそこの2種が主になっていくようすが概観

される。

-49-

{図1】作品ごとの語形の占める割合

寒川入道筆記

戯言養気集

昨日は今日の物語

醒睡笑

宇喜蔵王古今ロ出揃

武左衛門口伝はなし

鹿の巻筆

正直噺大鑑

…:.:.!

一 ・信二I

…::.......‐・~.............‘‘I

- -

…一一

L二二二二謹呈-,惹吾‘:'ざ号二一

□ござある

四ごさ候|il 1 -

|・-.‘.,.、、

’ Ⅱ華塞=三=ざま零窯舞塞亨|□ござる画ごさります

軽口星鉄飽

軽口瓢金苗

軽口腹太鼓

軽口福徳利

【後期Ⅱ出本】

,鹿の子餅

口拍子

1壁=まま=三三塁菖竺塞圭=皇室葬鞭華.弓毒等=まま-.・皇.窒垂琴..・畠.毎畢塞・雲霊-誰・1

.’

’ -.?..←司一ゼニー竺足、字一軍F,塁令司~一==・ニーーヱ.‘全,÷乏騨=際 零 号 一

20%40966096 80%100%09。

次に図2で、これらの「ござる」や「ござある」の本動詞としての使用と補助

動詞としての使用の構成比を見ていく。グラフ帯上の囲み数字は使用の実数を表

す。例えば『寒川入道筆記』では11例のうち7例が本動詞として使用され、4

例が補助動詞として使用されたことを表す。『戯言養気集』以降、本動詞と補助動

詞の使用は逆転し補助動詞としての使用が増加していることがわかる。ただし、

作品毎に登場する人物の位相が異なり、作者の意図するテーマも違うため、単純

に増減を比較して言うことはできない。これは各作品を個別に見ていく。

本動詞としての使用が減って補助動詞としての使用が増大するということは、

「ござある」や「ござる」が文意の決定に不可欠な要素を持つ語から次第に補助

的な役割を担う語へ、言い換えれば他の語に置き換えても支障のない語へと移行

していったことを意味する。語としての存在価値が低くなれば語形の変化や省略

が許容され、分担の範囲も深化せずに単純な丁寧形へと拡散することは自然であ

る。複数の意味をカバーするようになった語はその語に使用を特化する必然がな

くなるため、「いらっしゃる」などの他の語に置き換えられて、ついには消滅して

いくことは十分に予測されよう。または本来の機能とは別の機能を持ち元々の尊

敬や丁寧の意味と類型化された意味の2つの側面を有するようになったことも十

分考えられる。以下では上に述べた全体的考察を各作品から検討する。

-50-

l図2】本動詞と補助動詞比 *囲み数字は実数を表す

寒川入道筆記

戯言養気集下

昨日は今日の…

醒睡笑

宇喜蔵主古今…

武左衛門口伝…

鹿の巻筆

正直1W大鑑

軽口星鉄胞

軽口瓢金苗

軽口腹太鼓

軽口福徳利

【後期耽本】

鹿の子餅

口拍子

000

言 戸

戸 一

密 :蚤:蚕LZl準溌“:鐸I‐」且-1

ー』■

ロ本動詞

昭補助動詞

209o 40○0 6090 80・。 100。。

4.作品ごとの検討

本節では調査で得た用例について作品毎に見ていく。用例はできるだけ原本の

姿をとどめるようにしたが、例文中の振り仮名は省略した。

4.1『寒川入道筆記』の出現例

現れたものは「ござある」と「ござ候」の2種のみである。5例現れた 「-.ギ、’-ご

ある」のうち肯定形の「ござある」は1例のみで、他は 「それさまは歌道者にて

は御座なひか」「かきりが御座なひと申す」 など打消しの形で使われてい る。また

「ござある」が現れたはなしの直前にほぼ同様の内容・イ吏用者・場面で「ござ候」

が、共に主筋にあたる聞き手の奥方や若君、「かみ様」や「わこう様」に対する尊

敬の意味として使用されている。

○会席の鉢を主のとはれたれは其にわこう様やかみ様の御座候程に申すま

ひと掛酌せらる文盲 →高 知行 をと る人(20オ)

○風呂をはたかれぬと申なせにと問へはそれにかみさまの御座有程に分は

申す ま ひ あ はうの六尺→聞き手(20ウ)

-51-

尊敬語(本動詞)で用いられた例には「九州に御座候大名衆に逢て」(26オ)や「い

つかたへ御座候そと」(26ウ)他が見られた。はなしの殆どが文字の読めない者、

学識のない者を笑うはなしであって、登場人物の紹介も「右のあはうにましたる

程のウツケモノ近所にあり」「天下無双のうつけもの」「一段と文盲なる人あり」

で始まっているものが多く見られる。これらの人物が「ござない」「ござ候」をそ

の話し相手に対して使用し、「うつけ者」が真面目に答えた内容の荒唐無稽さを笑

っているはなしが殆どである。

4.2『戯言養気集』の出現例

本作品所載の『噺本大系』(第一巻)「書目解題」では「本書収録の多くのロ出は『昨

日は今日の物語』に採られており、両書の直接的関係が知られる」(p、316)と指摘

される。例えば、両書所収の類話のうち「ござ候」が現れた例を挙げると『戯言

養気集」では「おはしまし候ゆへ」が『昨日は今日の物語』では「御座候か」に

なっている。「里心御座候故」と「さと心御座候ゆへ」は「里/さと」、「故/ゆへ」

の書き換えである。文末の「御座」については「おはしまし」と読むならば表記

レベルの異同だが、「ござ」と読むのであれば「おはしまし候」から「ござ候」へ

の改変とも捉えられる。噺本に求められるものは、厳密な書写ではなく、粗筋を

写し、同様の笑を伝えていくことである。本例においても推敵した結果の書き改

めという可能'性は低い。噺本における「御座候」のよみが未調査なため改変と断

言はできないが、「ござ候」の可能’性を踏まえた上で「ござる」他の語の使用を見

ると、その割合が変化していること'4は「ござある」が衰え、「ござ候」や「ござ

る」の使用が拡大していくようすを現す例として注目される。

○小ちごの間はいまだ里心御座候故武家のりはつさいかく身にも心にも

つきそふておはしまし候ゆへならんか聞き手→高僧『戯言養気集』(6話)

○こちこのあひたはいまた皇_と心御座僅逆全ふけのりはつさいかく身につきそふて御座候か さくけん和尚→信長家来『昨日は今日の物語』(25ウ)

4.3『昨日は今日の物語』の出現例

142話の中から30例を得た。前二作品と同様、登場人物は僧侶や高位の武士

が過半を占める。「殿の御さられはおやかたあれて」(前掲p、6)のような尊敬語の

用法の他に、親から子へ、侍同士、僧侶同士など丁寧語としての用法が増えてい

る。また以前には見られなかった「ござります」が1例現れて、以後の「ござり

ます」を使用する傾向につながっていく。

○ゑいさんのこほうし山へ行さまに御ちこさまこ〉におひるか御さります

14『戯言養気集』では「ござある」が81%、「ござる」が4%であるのに対し『昨日は今日の

物語』では前者が43%、後者20%と使用の差が縮まっていく。

-52-

るか九つをうつたらはこしめせと申をいて小法師→ちご様(13オ)

本動詞、補助動詞の機能面では、本動詞としての使用と補助動詞としての使用

が『寒川入道筆記』では前者が7例、後者が4例、『戯言養気集』では同様に前

者7例後者9例、『昨日は今日の物語』で前者10例後者20例である。3.1で指

摘したように本動詞としての使用から補助動詞への移行は、文意を決定するため

の必須な語から、補助的役割の語への移行を意味する。すなわち補助的役割へそ

の語が立場を変えていったと言うことは、その語に特化する必然'性を低下させ、

金水2005で指摘されているように「いる」系への置換や省略を可能にしたと言

うことであろう。さらに本来「ござある」が持っていた「行く」「居る」等の意味

を示す表現を他の語形が代わって担うことで、「ござある」は一層その使用を減ら

していったと察せられる。

4.4『醒睡笑』の出現例

調査した作品の中で最もボリュームが大きかったため、得られた用例も60例

と他の作品に比して多い。本作品では「ござある」の例が38例あった。これは

使用構成比で63%を占めるが、その一方、「ござ候」が12%(7例)と今までの作

品に比べて少なく、代わって「ござる」が増加している。今までの3作品では「ご

ざ候」は「高知行をとる人」「宰相」「上人」など高位の者が使用し、相手も「大

名衆」「光厳院殿」「関白」と言った上層階級の人々である。つまり今までの「ご

ざ候」は上層階級に所属するもの同士がその会話の中で互いへの尊敬語として用

いていたのに対し、本作品では僧や上層武士の使用は少なく、大名家の料理人や

町衆、幸若舞の舞手など階層的には低い階層の話し手から、三位中将、板倉伊賀

守などに対してと言うように、広範囲に使用されている。下位から上位への敬意

はあろうが、それよりも使用場面における丁寧な言い方として捉えられる例が多

かった。江戸時代初期の笑話は僧侶が布教目的のために法話に差し挟んだものや、

お伽衆が支配層の武士の徒然を慰め士気高揚を目的としたものが多い。当初は上

層武士や僧侶、医師が使用者の殆どであったものが、時が下り支配者|砦級に属さ

ない大衆がこれらのはなしに接するようになると、上層の人々の話し方はこのよ

うであろうかと言う認識が生じた。その結果、当初は限られた階層内では普通に

用いられた「ござ候」が、後人の目からは一つの定型として受け取られ、限られ

た人々の使用と言う類型化が生じたと推測できる。『醒睡笑」は安楽庵策伝が京都

所司代板倉重宗に献じたものだが、下'情を知悉する必要のあった所司代職のため

に、一般的な町衆の言葉は不可欠なものになる。そこで支配者層の話題だけでな

く、所司代が接せねばならない町衆の話題が盛り込まれ、大衆を登場させる必然

‘性が生まれたのである。このように見てくると、以前の作品で多く登場した高僧

や大名衆の減少と「ござ候」の減少傾向とには関連‘性が指摘できる。すなわち当

-53-

時すでに「ござ候」を一般の町衆に使わせるのは不自然という意識が作者の策伝

や享受する側にもあって、使用者の減少がその使用する語の減少を招来したと考

えることができる。その一方で「劣等者・地方人に対する優越者の笑い」(武藤l965

p2)や無学な者への笑いの伝統は残り、支配層の使用が衰退した後も笑話を導き

出す滑稽な人物像を表現するために、田舎者や無学な者が「ござる」他の使い手

として残り続けたのであろう。下例は「大なる」名を望む者が自分の望む名より

大きな名を持つとう左衛門と言う人物に敬意を払いながらも、直接的には目前に

居る東堂に丁寧さを表すため「御座候」を用いた例と捉えた。

○いろはをもしらぬ。こさかしき俗あり。ある東堂の座下にまいり。われ、/

年もなかばふけ。我名にてもいか〉に候・何とそ。左衛門か右衛門と。(略)

さらは日本左衛門と。つきたきよし申けり。(略)あまり大なる名とは存候は

す。とう左衛門とつきたるさへ御座候はこさかしき俗→東堂(二-2オ)

4.5『宇喜蔵主古今ロ出揃』の出現例

完本が発見されないため、干'1年・体裁には諸説があり、これは武藤1975の書よしだ

目解題に詳しい。早稲田大学蔵の板本と写本を比べると板本に「吉田のゑんこうご ざ

で御座るか」(「俄分限者の事」)とあるものが写本では「よしだのゑんこうで御ざ

るか」(「にはかぶげんしやの事」)に写されているなど一見して表記の違いが分かる。

板本、写本の校合と考察は稿を改めて報告するが、まずは「ござる」に比して常

に使用が優勢であった「ござある」が本作品で劣勢に転じ、以降「ござある」は

姿を消していくようすが見て取れる。『宇喜蔵主古今Ⅱ出揃』中「ござある」は見ら

れず、出現形はすべて打消しの「ござない」である。小林賢次1971では『醒睡

笑』の「ござない」専用および『昨日は今日の物語』における「ござない」の優

勢傾向(p、62)を、『虎清本』『虎明本』『虎寛本」15と比較して「仮名草子の恨の介・

竹斎(中略)などでは「ござ(あ)る」系統の用例自体がほとんど見られないのであり、

醒睡笑などは、擬古的な文語文とは'性格が異なるわけであるが、口語資料として

はやはり限界があると言えよう」(|司上)と指摘している。近世初期すでに「ござな

い」が文語的‘性格を持っていた(p63)にも関わらず、噺本では「ござある」の衰退

後も「ござない」がなお用いられているようすが窺える。「ござある」の衰微は既

に固定化したが、「ござない」は古いがゆえに却って丁寧な表現として残存したと

察せられる。下例は松尾大社の神に向かって狼が窮状を訴える場面である。

○時に狼共。松尾へ参りなげき申様。只今野山に我、/の食物御座なきゆへ

に°里に出て人を取申に。かやうに明神のとがめゆへ。人を取事もならず。

15小林1971では三本を『虎清本』二「ござない」専用、『虎明本』今「ござない」「ござら

ぬ」共存、『虎寛本』→「ござらぬ」への統一とその固定化と位置付ける。

-54-

何とも食物に迷惑つかまつり候と申上る。 狼→松尾の明神(一-10ウ)

『昨日は今日の物語』で現れ、『醒睡笑」には見られなかった「ござります」が1

話に3例集中して用いられている。信心深いが「てまへまづしき」与三郎が富貴

になって死んだ後、阿弥陀如来に向かい「いかにも与三郎でござります」「さやう

でござりますか」と使用する場面である。

4.6『武左衛門口伝はなし』の出現例

本作品は江戸落語の祖と言われた鹿野武左衛門の作品である。作者は塗師から

職業噺家に転じて、「この比大かた世にもてはゆるゆへこふかしこと御伽に召

る&」(『武左衛門口伝はなし』序)座敷ロ出の名人と評された人物である。

『宇喜蔵主古今ロ出揃』刊行のわずか5年後の作品だが、出現形の種類や「ござ

ある」「ござる」他の使用の割合などは本作品の前後で大きく異なる。それまでの

作品は寺社や死後の世界に関わる内容で、俳譜師・僧・田舎者の登場とそれらの

人を笑うはなしが大方だったが、ここでは芝居小屋や店先を場面とした言語遊戯

的な笑いが増える。おそらく本作品以前の作者が高僧や俳譜師等の知識層だった

のに比べ、これ以降は知識人ではあっても高位ではなく、聞く側も特定の上層階

級の者から不特定多数の聴衆へと移行したことが一つの要因であろう。はなしを

享受する者達に合わせて、はなしの場面や登場人物は選択される。場面や登場人

物が変われば、笑いの内容や使用される語が変わるのは当然であろう。さらに作

者の創作意識の変化も出現形や内容に変化をもたらした要因の一つに挙げられる。

宮尾1992では作者の鹿野武左衛門が江戸の「I出の会」での指導的役割を果たし

ていた(p、42)ことが指摘されているが、新しい笑いへの創作意欲は古形「ござある」

よりも大衆が受け入れ易い「ござる」「ござります」の積極的な選択を促したと考

える。また『鹿の巻筆』と比較すると、同一作者であるにも関わらず「ござる」

に比して「ござります」の使用が多いが、これはおそらく登場人物の位相差であ

ろう。すなわち、本作品で使用の少ない「ござる」を使うのは焼き場の「おんぽ

う」がその依頼主に向かって「やけたるしにんはやきちんかたかふ御座る」(37

ウ)と使う場面や薦被りが「わたくしもいたしましてござる」(5ウ)と年賀の句を披

露する場面である。使用者や内容に反し、格式ばった重々しい言い方を選択する

ことで、そのコントラストを笑うことが意図されたための使用と解せる。

○さても、/めん、/のさいたんうけたまはり事てござるりよく争わいなが

らわたくしもいたしましてござるこもかふり→歳旦の句仲間(5ウ)

4.7『鹿の巻筆』の出現例

『武左衛門口伝はなし』と同一の作者によるが、使用傾向は『武左衛門口伝は

なし』よりもむしろ後の作品に通じており、本作品以降、出現形は「ござる」「ご

-55-

ざります」の二種類のみとなる。はなしの内容も劣等な者への「優越者の笑」は

減って、言語遊戯に類するものが増加する。使用場面では「ござる」「ござらぬ」

は田舎者が道を尋ねる場面や念仏を唱える者が三途の川の鬼に使う場面、医者が

訪問客に使う場面や、賭場での会話などに使われる。一方「ござります」は吉原

の奉公人(妓夫)が座敷の客に使う場面や表具屋が客に使う場面など接客場面が

主になる。既に接客場面のようなより一層の丁寧表現が求められる場合には「ご

ざります」が選択される傾向があったかと考える。

○わたくしははる、/とをき水戸からまいりましたものでござる(略)いやそれ

てはござらぬ。さてはか〉みやはりまのかみかととふにそれてもござらぬ

まつときつくさすものじやといふ。水戸から出て来た者→若い男(一-17ウ)

○なにむさと。すてませうすきと。ひとつにして樽につめておきまする。そ

れがなに鼻なると。とふに是を。うる酒やがごさりますそれよりかいにま

いります。(略)せん七か屋敷に酒やが二間までごさります

ぎゆう→しわき客(三-15ウ)

4.8『正直噺大鑑』の出現例

浅草に住し筆耕画作を生業にした石川流舟の作品である。宮尾2003に「武左

衛門の指導による成果とみられる」(p、49)とあるように武左衛門主催のロ出の会で創

出されたはなしらしく、前年に刊行された『鹿の巻筆』|司様「ござる」の優勢傾

向が見てとれる。一方で本動詞・補助動詞の割合では『鹿の巻筆』によりも後の

『軽口星鉄砲』、『軽口瓢金苗』に似る。すでに補助動詞への移行が進行しており、

「ござる」が本動詞としての機能を消失させ、それと共に使用数をも減じていく

過程を示したものであろう。時代がくだるにつれて「ござる」の表現効果は薄れ、

時代は一層の丁寧表現を求めて「ござります」と言う新形を採用する。「ござる」

が本動詞から代替可能な補助動詞へ用法を変化・拡大させたことは、時代が歓迎

する「ござります」の使用の優勢を加速させたことの反映と捉えられよう。

「ござる」は僧や小僧が檀家に、田舎者が宿の主人に使う場面及び知識層が集

まって名前の穂蓄を語る場面などに集中して現れている。一方「ござります」は

細工職人が客に使う場面と田舎者が医者に使う場面で複数例現れた他は、無筆や

浪人、盗人、乳母、遊女など多様な人物によって使用されている。「ござる」の使

用が偏ったグループに集中して現れるのに対し「ござります」は男女や職業を問

わず、広い範囲にわたるようすが見て取れる。

○さてまたちくしやうの名をつかしったがござる佐目牛殿猪熊殿是はとう

したものてごさる(略)けだ物の名てござると云た寄合の仲間同士('6オ)

○さりながらごらんなされませい(略)日月之憐とかいてござりますそれで

ぬすむと。ゑかふをいたしますといふ。盗人→山伏('7ウ)

-56-

4.9『軽口星鉄抱』の出現例

使用傾向は27年前に刊行された『正直噺大鑑』と同じく「ござる」が全体の7

割を占めるが、本作品では『武左衛門口伝はなし』に2例現れて以降、『鹿の巻

筆』『正直噺大鑑』では既に見られなくなった「ござ候」が1例現れる。今回の

調査で「ござ候」が現れた最後の例になる。本例は「やぶ医者」へ娘の容態を伝

える書状に使用されたもので、書簡用に使われたものの例である。

○あるやぶ医者の所へ権右衛門といふ人状をやられける文ていに此中は

久敷御出も御座なく候随而我等むすめりん此中わつらい申候

権右術門→やぶ医者(7ウ)

4.10『軽口瓢軽苗』の出現例

今回の調査ではこの『軽口瓢軽苗」(京都板)以降、大坂板『軽口腹太鼓』、江戸

板「軽口福徳利」と共に、「ござる」「ござります」の使用の割合がそれまでと逆

転して「ござります」の使用が優勢になる。同時期に出板された三都の作品が同

じ傾向を見せると言うことは「ござる」や「ござります」が広く使われ、これら

の語に限れば、使用傾向に地域差は殆ど見られなかったと言える。三都の三作品

のうち、登場人物に非人が現れるのは本作品のみで、大坂、江戸の二作品には見

られない。前代まで多かった非人や乞食を笑う古典的設定の名残であろうが、内

容自体は下位の者が上位の者の家をほめるもので、特に非人を登場させる必然の

ない単純な丁寧表現である。「ござります」はこの非人以外には弟子から師の僧、

手代から主人、骨董屋などに使われ、「ござる」は風の神、なまく、さ坊主、竿竹屋、

「遠耳鏡」を求める骨董屋の客などである。「ござる」の使用の中には作話上案出

されたと思われる、言わば現実離れした使用者によるものも散見される。

○ある所に竿竹屋秋右衛門といふ人何事を,恩ひ付てか兵法の指南と大看板

を出シけるを(略)亭主小声になって此比ふ用心なと申すゆへおどしの為

でござるといわれた竿竹屋→近所の者(12オ)

○長者の門に非人たへずとかや(略)非人おも屋はどこで御ざります旦那二三町上

ミの大きな家じや(略)非人大きな御家でござります旦那のこらず桧の木作り

じや非人結構な御普請でござります非人→長者(中・7ウ)

4.11『軽口腹太鼓』の出現例

京都で興隆した出板産業は大坂に拡がり、本作も書建で賑わったと言われる心

斎橋での刊行である。「ござります」が女’性の使用も散見されるのに比べ、「ござ

る」の使用者は和尚やおやぢ等の中高年層か飛脚、田舎出の下人等で全例が男‘性

の使用である。槍の名人と間違われた「六十ばかりの在所もの」の使用は歌の類

であって話し言葉とはレベルが異なるがこれは調子を整えるための「ござる」で

ある。同じように「ござる」を「来る」の意味で用いたものに和尚から娘へ「そ

-57-

もじの心にか出るならば方丈へござれ」と使う場面や、弟子が漢学の師に堅苦し

い口調の中で「居る」の意味に用いた例などがあった。

○弟子になりたか大和へござれおらはよしの〉鮎突じや

六十ばかりの在所もの→若侍衆(3オ)

○おる、/なみだにていふはかねてうけ給はる七尺さって師の影をふむなと

それに最前先生の庭にござるをしらずそのかげをふみたり弟子→師(12オ)

4.12『軽口福徳利』の出現例

「ござる」は12例を7人が、また「ござります」は15例を12人が使用して

いる。一人あたりの使用回数ではわずかに「ござる」が多く、これは『正直噺大

鑑』と同様の結果である。特に「ござる」は医者、俳譜師、碁打に幾度も使われ

る一方、「ございます」は下のように祥を付けた猫や人を化かす狐など人間以外の

ものから、医家の文盲な弟子、浪人が訪問した先の女房や商家の小間使い、新参

者や三助など多様な人物によって使われている。

○泥右衛門といふおとこれこのなくまねえてもの又となき上手なり(略)ね

こ四五ひき-やうに上下をちやくし。どろゑもんかまへにきたり(略)おしろ

とげいには。御きとくでござりますといふた祥を付けた猫→猫の鳴声名人(7オ)

このように「ござる」は知識層や高年層と田舎者に使われ、「ござります」はも

う少し広い範囲での使用と言うのが三都に共通する「ござる」と「ござります」

の使用傾向である。「ござります」が男女・貴賎を問わず使われる一般的な語であ

る一方、すでに「ござる」が限られた層や場面、例えば俳譜仲間のあいさつなど

の使用語としてイメージされていたことが窺われる。

○徳入とかやはいかいずきのらくぽうず。ある夜おなじ友二人とつれだちて会

よりかへりけるが(略)あいつはひさしゐすきものなれど。いかひ下手でござ

るのといへば。つれもさやうでござるなどあひさつする

俳譜好きの仲間同士(7オ)

○いまは徳入ひとりになりて下人にいふやう。(略)いづれが上手じやとおもふ

ぞ。六介き坐わたくしはなにもぞんじませぬが。とかく人より跡にのこっ

た御かたが御上手でござりませふ下人→俳譜好き(7ウ)

4.13『鹿の子餅』の出現例

「落しロ出しの本も多し、小本に書きしは、卯雲の鹿の子餅をはじめとして、百

亀が間上手といふ本、大に行れたり、其後、小本おびた宜しく出しなり」と大田

南畝が『奴師労之』’6に記したように、『鹿の子餅』は江戸小ロ出本の祖と言われ、

16『燕石十種』(岩本活東子編安政4年~文久4年)所載。文化15年(文政元年)、大田南畝の自序があり文化文政期に記されたものと言われる。

-58-

書型も小本の体裁をとり、知識層ではなく広く大衆を読者としたようすが窺われ

る。また半面が7行16字詰めと以前の作品よりゆったりとしたものになり、一

見して識字能力の低い層にも読み易くなっている。この『鹿の子餅』をもって、

武藤禎夫は江戸の笑話を前期噺本と後期ロ出本とに区別するが、「ござる」「ござり

ます」の使用は『軽口瓢金苗』以降と同じ「ござります」の使用の優勢が見られ、

この「ござります」の使用の優勢は固定化したと捉えることができる。「ござる」

「ござります」両形の使用者とその使用場面を見ていくと「ござる」は剣術指南、

料理指南所の取次、俳譜師、非番の侍によって使われている。剣術指南と俳譜師

の話し相手は不明だが、料理指南所の取次は弟子志願の者へ、非番の侍は道連れ

に対して各々使用している。変わったところでは猿が桃太郎に向かって「ござる」

を2例続けて使う場面がある。

○むかし、/の桃太郎は鬼か嶋へ渡り(略)件の団子ぶらつかせ行過るを猿

よびかけおまへどこへござるおれかおれは鬼がしまへたからを取り

にゆく腰につけたは何でござる是は日本一のきびだんご猿うかい完に

てこいつうまくな いや つだ 猿→ 桃太郎(11ウ)

一方「ござります」の使用は商人が客に使う場面が殆どである。見舞いに来た

「北佐野三五右衛門」と言う聞き手の笑いを誘う名の侍と、その訪問先の使用人

が互いに「わたくしは無筆でござります」「拙者も無筆でござります」と言い交す

場面や下例のように尊敬すべき人物ではないが丁寧な応答は必要と考えた町人が

隣家の浪人に向かって使う場面などである。

○おなじ裏借屋の牢人原減右衛門用事有て出か坐り(略)コリヤ各、/大

勢つれ何用有て早朝に此裏へは這入らる坐ぞと小むづかしぐ問れてみ

な、/もみ手にもじ、/としてイヤちとこの裏に見ます物がござりま

してアイまいりましたでござりますとみんなが見を見あわせていへば

長屋の浪人→見物の客(38ウ)

『鹿の子餅』の読者が桃太郎の猿と会うことがなかったと同様、剣術や料理の指

南と言葉を交わしたり、それらの人々の会話する場面に遭遇したりすることは皆

無に近かったであろう。すでに本作品の段階で、格式ばった場面やかたい人物が

勿体ぶった態度ではなしをする場面では「ござる」の使用が納得され、より一層

の丁寧さが求められる場面や自分たちと同様の生活を営む人物たちの会話場面で

は「ござります」の使用が適当と意識されていたことが察せられる。『鹿の子餅』

がもてはやされた時期にはすでに「ござる」が一般の人々の常用語から、イメー

ジの世界の語となりつつあったと言える。

-59-

4.14『口拍子』の出現例

86話の中から26例を得た。『鹿の子餅』よりも大部であるにも関わらず出現数

は少ない。これは「ござる」「ござります」に代わる表現手段が増えたことによろ

う'7。『口拍子』の方が『鹿の子餅』よりもはなしが短く、会話も短い。結末のオ

チを「つらの皮があつい」「虫がつかいでよい」など形容詞でとめるものや、「コ

ウハラナ今度は鯛」「これはきついてつほう」など名詞でとめるものが目立つ。

動詞でオチを付ける時も「ソレデたすかる」「竹に酔た」など言い切りで終わるこ

とが殆どである。使用者では「ござんす」「ござります」などの使用に於いて、女

性によるものが複数例見られる。噺本では女′性の登場は少なく、従って発話も多

くはない。今回の調査では「ござる」「ござ候」などの調査語が女‘性の使用語では

なかったこともあろうが、用例は稀で、全体でも26例に過ぎない。このような

中で「ござります」の音変化した「ござんす」が一般の女'性に使用されているこ

とは変化形が生まれる程「ござります」が常用化したことを表すと言えよう'8。

○どうぞと上様ゆもじにめづらしひもやうを染てほしうござんすそれは

やすい事何がよからふソレ、/いてうがよいイヤわたしやいてう

はいやでござります娘→父親(無丁オ)

5.まとめ

本稿では初めに全体の考察をおこない、これを作品ごとに観察・検証する方法

で「ござある」「ござ候」「ござる」「ござります」について使用の変化をたどり、

噺本の'性格と資料'性を検討した。

見てきたように江戸初期の笑話集『寒川入道筆記』や『戯言養気集』では「ご

ざある」「ござ候」の使用が多数であったが、次第にこれに「ござる」が加わって

「ござる」・「ござります」へと使用の主流が移行していくようすが観察された。

噺本に限って言えば、『鹿の巻筆』以降、「ござある」「ござ候」は姿を消し、明和

期に入ると、もっぱら「ござります」が用いられるようになる。このようにして

17世紀初頭から18世紀末に至る「ござある」から「ござります」までの使用の

推移を確認したが、これはキリシタン資料や狂言本で指摘されている「ござある」

から「ござる」への変化と比較して緩慢な変化であり、当時の噺本の保守’性を表

すものと指摘できる。言い換えればこの保守的側面をもつ噺本の「ござある」の

衰退と消失は、江戸時代における「ござある」消失の完了を示すものと言える。

17金水2005では近世の中央語では有生物主語の空間的存在文では「いる」が占めるように

なり、「ござる」の尊敬表現も「いられる」「いらっしやる」等に置き換えられていったこと

が指摘されている。(p、28)

18今回調査対象から外したが、「ござんす」から転じたとされる(湯津幸吉郎l954p、210)「どんす」(『鹿の子餅』2例)もまた同様に「ござります」が一般的に使われるようになった

結果の出現と捉えられる。

-60-

さらに図1と図2を併せて眺めると、語形の変化と本動詞から補助動詞への移行

には関連'性があることに気付く。意味を左右する内容語としての本動詞から、補

助動詞への移行が、語自体の使用数に関わっていることがわかる。特に「ござる」

における補助動詞としての使用が「ござる」の使用数そのものを減少させていく

ようすが窺える。使用が本動詞から補助動詞に変化すると言うことは、文意の決

定に必要だった語から、代替や語形の変化が許容される語への変化と捉えられる。

代替や語形の変化が許容されればその語であることの必然'性は薄れ、使用の衰微

は自明であろう。さらに「ござある」から「ござる」、「ござる」から「ござりま

す」への移り変わりには登場人物の変化や笑いの対象の変化が関わっていること

がわかった。登場人物が移り変わる中では、日常社会から消えていく登場人物が

「ござる」を使うことによって、遭遇しないであろう上層の人々の会話や、堅苦

しい場面では「ござる」のような語が使われるだろうと言う固定化したイメージ

が徐々に生じていった可能'性を指摘した。

6.おわりに

調査したもののうちの数作品に写本と板本による語形や表記の違いが見られた。ござ

一方が「ござある」であるのに対し、他方は「ござる」になっているものや「御座

る」・「御ざる」などの表記の違いが見受けられる。書写レベルでの異同であろう

が、使用意識や語義の薄れとの関連'性も考えられ、今後の課題である。同様に今

回肯定形と区別しなかった「ござない」「ござらぬ」などの変化についても精査が

必要である。単に打消しの形が文意として多かったのか、それとも「ござる」に

使用の優勢が移り「ござある」の衰退後も打消しとしては「ござない」が残り続

けたのかについては後日の報告とする。ここでは本動詞から補助動詞の移行を「ご

ざある」が衰退していった原因として論じてきたが、言うまでもなく本動詞から

補助動詞への移行だけが衰退の要因ではない。もともとの尊敬語としての用法が

次第に薄れ、機能を拡張させて丁寧語に変化していったことが「ござある」や「ご

ざ候」の衰退を招来したと考えられる。今回検討できなかった尊敬語から丁寧語

への移行と言う内容面からの精査が必要である。『寒川入道筆記』から『口拍子』

までの160年間のアウトラインは概観してきたが、時期も対象も窓意的である。

今後、量・質ともに増やし、噺本の資料'性を探っていきたい。

参考文献

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岡雅彦1974「昨日は今日の物語成立考」『国語と国文学』51巻7号

亀井孝1980「狂言のことば」『能楽全書』五巻所収(1942成稿1980初版)

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j||口敦子2002「キリシタン資料の「口語資料」と「文語資料」」『国語国文学』71(9)

金水敏2003『ヴアーチヤル日本語役割語の謎』岩波書店

金水敏2005「日本語敬語の文法化と意味変化」『日本語の研究』第1巻3号

なお引用される前稿とは金水2004「日本語の敬語の歴史と文法化」『言語」33.4である

小林賢次1971「「ござない」と「ござらぬ」について」『国文学言語と文芸』74

坂口至1997「『祝本狂言集』用語考」『国語国文学研究』32

佐々木I唆1971「大蔵流古狂言における待遇表現の研究」『広島大学文学部紀要』30

鈴木巣三1983『寛永版本醒睡笑』解説笠間書院

土井忠生訳1955『日本大文典』(J・ロドリゲス原著1604-1608)三省堂

蜂谷清人1957「国語史に於ける「狂言言葉」の位置」『文学」21.4

前田桂子2004「噺本の歴史とその可能性」『日本語学』23.12明治書院

松井定之1941「小Ⅱ出の成立」『国語と国文学』18巻3号

三原裕子2010「三笑亭可楽作品における「ござる」について」『論集』Vアクセン史

資料研究会

宮尾輿男1992『元禄舌耕文芸の研究』笠間書院

宮尾興男2003「鹿野武左衛門」『国文学解釈と鑑賞舌耕芸落語誕生』68巻4号至文堂

武藤禎夫1965「噺本概説」『江戸小11出辞典』東京堂出版

武藤禎夫1975『噺本大系』1巻.5巻1976同2巻1979同9巻東京堂出版

湯撰幸吉郎1954『江戸言葉の研究」明治書院

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**六六*****☆*夫夫六六

天理図書館善本叢書影印『戯言養気集下』、勉誠社文庫影印『きのふはけふの物語』、笠間書院

影印『醒睡笑』、早稲田大学図書館蔵『宇喜蔵主古今'1出揃』へ13-1917へ13-04246、早稲田大

学図書館蔵『武左衛門口伝はなし上』へ13.02983、早稲田大学図書館蔵『鹿の巻筆』へ13-1960、

早稲田大学図書館蔵『正直'1111大鑑』へ13.01736(補国立国会図書館デジタルは.77)東京大学霞

亭文庫画像『軽口瓢金苗』、早稲田大学図書館蔵『軽口腹太鼓』へ13-01315、国立国会図書館蔵

『軽口福徳利」858-67、大東急記念文庫善本叢刊6影印『鹿の子餅』、早稲田大学図書館蔵『口

拍子』へ13-1984

※前稿「三笑亭可楽の作品における「ござる」について」(『論集Ⅵ』2010)に以下の誤記が

ありましたので、訂正いたします。

86頁31行目(誤)主人「このこの茶杓(正)「この茶杓

87頁3行目(誤)「りやうのばん(正)「りやうりのばん

早稲田大学大学院(非常勤)

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