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No54 イスラーム世界の拡大(1) 1 【54】イスラーム世界の拡大 (1) 王朝の名前に慣れよう サーマーン朝、カラ=ハン朝 ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルー ク朝 後ウマイヤ朝、ナスル朝 ムラービト朝、ムワッヒド朝 アッバース朝、ブワイフ朝 ガズナ朝、ホラズム朝、ゴール朝 セルジューク朝、ルームセルジューク朝、 オスマン朝 中央アジア エジプト イベリア半島 バグダード周辺 中央アジア 中東の広い地域 イベリア半島・北アフリカ 10世紀の概観 アッバース朝では、10世紀以降、総督(ア ミール)に任命された地方の有力者や派遣 された軍人は、アッバース朝カリフの権威を 認めつつ分裂の傾向を強めた。 10世紀、各地でシーア派の国家建設運動 が激しくなった。特に北アフリカ。 中央アジアはイスラーム世界に編入された。 11世紀にはセルジューク朝が成立。 認めない勢力も イスラーム化したカラ=ハン朝は10世紀、 サーマーン朝を滅ぼし中央アジアをトルコ化。 1: アッバース朝 2: サーマーン朝 9世紀に自立 イスラーム系 トルコ系 10世紀、過激シーア派のイスマーイール派が ベルベル人を組織して 3: を建国。 初期の首都はチュニジア ファーティマ朝 アッバース朝の権威を認めずカリフを名乗った 10世紀後半、エジ プト、シリアを支配 カイロ建設 4: 建設。首都に。 ファーティマ朝 アイユーブ朝 マムルーク朝 の首都 ファーティマ朝はアズハル学院を建てた。 ファーティマ朝 カイロ バグダードに代わるイ スラーム世界の中心 カイロ シーア派 スンナ派 スンナ派

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Page 1: ppt No54 イスラーム世界の拡大(1) PowerPoint - ppt_No54_イスラーム世界の拡大(1) Author 鈴木法仁 Created Date 1/3/2013 4:06:18 AM

No54 イスラーム世界の拡大(1)

1

【54】イスラーム世界の拡大(1)

王朝の名前に慣れよう

• サーマーン朝、カラ=ハン朝

• ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝

• 後ウマイヤ朝、ナスル朝

• ムラービト朝、ムワッヒド朝

• アッバース朝、ブワイフ朝

• ガズナ朝、ホラズム朝、ゴール朝

• セルジューク朝、ルームセルジューク朝、オスマン朝

中央アジア

エジプトイベリア半島

バグダード周辺

中央アジア

中東の広い地域

イベリア半島・北アフリカ

10世紀の概観

アッバース朝では、10世紀以降、総督(ア

ミール)に任命された地方の有力者や派遣された軍人は、アッバース朝カリフの権威を認めつつ分裂の傾向を強めた。

10世紀、各地でシーア派の国家建設運動が激しくなった。特に北アフリカ。

中央アジアはイスラーム世界に編入された。

11世紀にはセルジューク朝が成立。

認めない勢力も

イスラーム化したカラ=ハン朝は10世紀、サーマーン朝を滅ぼし中央アジアをトルコ化。

【1: 】アッバース朝

【2: 】サーマーン朝9世紀に自立

イスラーム系

トルコ系

10世紀、過激シーア派のイスマーイール派がベルベル人を組織して

【3: 】を建国。

初期の首都はチュニジア

ファーティマ朝アッバース朝の権威を認めずカリフを名乗った

10世紀後半、エジプト、シリアを支配

カイロ建設

【4: 】建設。首都に。

ファーティマ朝

アイユーブ朝

マムルーク朝

の首都

ファーティマ朝はアズハル学院を建てた。

ファーティマ朝

カイロ

バグダードに代わるイスラーム世界の中心

カイロ

シーア派

スンナ派

スンナ派

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No54 イスラーム世界の拡大(1)

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アズハル学院(カイロ)はファーティマ朝が建てた。

現存する最古のイスラーム最高学府。

イスマーイール派(過激シーア派、7イマーム派)のマドラサだったが、アイユーブ朝時代にはスンナ派のマドラサとなった。

サラディンはファーティマ朝を倒し1169年、アイユーブ朝を建て

エジプトにスンナ派を復活させた。

サラディン 1138-93(サラーフ=アッディーン)

クルド人の武将で十字軍と戦った英雄。

アイユーブ朝

ここで8世紀半ばに戻します

8世紀

8世紀半ば、アッバース朝成立時にイベリア半島に逃れたウマイヤ家の一族は

【5:7: 】を首都として、コルドバ【6: 】建国後ウマイヤ朝

キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラーム教徒が共存する不思議な社会。

グラナダ

君主はカリフでなくアミールと称した。

西欧最大の都市

10世紀、ファーティマ朝の建国で・・

カリフカリフ

カリフ

本来のカリフ

ファーティマ朝は、建国時からカリフ名乗る。

後ウマイヤ朝も対抗上カリフを名乗る

「カリフが3人」シーア派の【8:12: 】は946年、【9: 】に入城。

アッバース朝から【10: 】の称号を与えられ、実権を掌握。

アッバース朝

は事実上解体した

ブワイフ朝

バグダード

大アミール

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No54 イスラーム世界の拡大(1)

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【11: 】は10世紀にブワ

イフ朝が始めセルジューク朝で一般化

イクター制は、アイユーブ朝(12~13世紀)、マムルーク朝(13~16世紀)では国家体制の基礎となった。

イクター制

これより、No54のB面

イスラーム圏の実権はトルコ系の人々が掌握!スンナ派が復興。

ウイグル帝国崩壊(840年)後

中央アジアのトルコ人は戦争捕虜や傭兵などとして西アジアにも流入、彼らはアッバース朝に奴隷軍人として仕え、その中には次の①②③の王朝の創始者となった者もいる。

①トゥールーン朝 868-905アッバース朝の奴隷軍人イブン=トゥールーンが創始者。

②ガズナ朝 962-1186 サーマーン朝の奴隷軍人アルプテギン③ホラズム朝 セルジューク朝の奴隷軍人

11世紀

【13: 】ガズナ朝

トルコ系奴隷軍人(マムルーク)による建国

セルジューク朝

最盛期のマフムード王(位998-1030)以降17回インド侵攻を

繰り返し、インドのイスラーム化に先鞭をつけた。

962-1186

サーマーン朝の奴隷軍人アルプテギンが創始。トルコ系イスラーム王朝。

ガズナ朝(補足):マフムード王(位998-1030)

セルジューク朝のトゥグリル・ベク以前にカリフ以外でスルターンの称号を用いた最初の人物。ガズナ朝の版図をアフガニスタンからイラン、パキスタン、北西インドまでにまで拡大し、ガズナを帝国の都に作り変えた。

フィルドゥシー(940?-1025)は、ペルシア語文学の最高峰『シャー・ナーメ』を彼に捧げたが冷遇されたという。

ゴール朝(11世紀初め頃 - 1215年)

ガズナ朝

セルジューク朝

ガズナ朝はセルジューク朝とゴール朝に滅ぼされた。

1215年、ゴール朝はホラズム朝に倒された。

ゴール朝はここで建国

最盛期にはこんな広い領域を持っていた

インドのイスラーム化を決定的にした

奴隷軍人を開祖としない!イラン系イスラーム王朝

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No54 イスラーム世界の拡大(1)

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ゴール朝補足

イラン系イスラーム王朝である。奴隷軍人を開祖としない。

1186年、ガズナ朝を打倒。

ムハンマド=ゴーリーの死後、分裂し、ホラズムに滅ぼされた。

創始者の弟、ムハンマド=ゴーリーは、1191年に北西インド、1193にはデリーを占領、

一時はベンガル湾に達し、北インドにおけるイスラーム支配の基礎を固めた。

首都はゴール

12世紀

【14: 】1077-1231ホラズム朝

ゴール朝

トルコ系奴隷軍人(マムルーク)による建国

セルジューク朝の奴隷軍人がアム川流域で建国。セルジューク朝からイランを奪いゴール朝を倒してアフガニスタンを併合。

1220年、チン

ギス=ハンに攻略され、1231年滅亡。

マムルークとは?

主にトルコ系の白人軍人奴隷。9世紀のアッバース

朝以降、約千年間、イスラーム世界の軍事力の中心をなす。 ブワイフ朝

946

アッバース朝

ファーティマ朝

ブワイフ朝はバグダードに入城、大アミールに任命された。(946) アッバース朝の解体

カラ=ハン朝

サーマーン朝

【15: 】は999年、

サーマーン朝を滅ぼした。トルコ系最初のイスラーム帝国

16:

シーア派

カラ=ハン朝

セルジューク朝

たちまち勢力を拡大し、カラ=ハン朝を封じ込め、

1038年、シル川流域にトルコ系遊牧民が

【16: 】建国セルジューク朝

【17: 】ブワイフ朝を追い出して、バグダードに入城した。

1055年、

11世紀後半

指導者トゥグリル=ベクはアッバース朝のカ

リフから【18: 】の称号を与え

られた。(1055)

スルタン

セルジューク朝

ファーティマ朝(シーア派)

マンジケルトの戦い(1071)

カラ=ハン朝

ガズナ朝

ルーム=セルジューク朝

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アッバース朝カリフからスルタンの称号を与えられるトゥグリル=ベク。

これ以降スンナ派の諸王朝で継承された。

これに対して「シャー」は

こっちは、シャア=アズナブル(機動戦士ガンダムより)

ペルシア(イラン)の王の称号でイスラーム教成立のずっと前から使用された。

一時廃れたが、サーマーン朝が復活させ、16世紀のサファヴィー朝以降も使用された。

トルコ共和国が何故小アジアに?

セルジューク朝の王族が

【19: 】(1071年)の勝利を機に、小アジアに

【20: 】を建設した。この地に多くのトルコ系集団が定着し、イスラーム文化が根付いた。これが後のオスマン帝国成立の下地となった。

マンジケルトの戦い

ルーム=セルジューク朝

セルジューク朝は12世紀末、内紛で分裂した。

十字軍と戦ったのはルーム=セルジューク朝

出典 『グローバルワイド』

『グローバルワイド』(第一学習社)

2012年版 P96、P972013年版 P80

イスラーム圏の実権はトルコ系の人々が掌握した

これは11世紀

カラ=ハン朝、ガズナ朝、セルジューク朝は、皆トルコ系。

西欧の力

東方植民エルベ川以東

国土回復運動(レコンキスタ)イベリア半島

【21: 】の遠征

農業生産の発展等で蓄えられた西欧の力は3つの方向に発散され、そのうち2つはイスラーム勢力と激突した。

十字軍

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No54 イスラーム世界の拡大(1)

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アッバース朝

750

1258

後ウマイヤ朝

946 ブワイフ朝 バグダード入城

1055 セルジューク朝 バグダード入城

909 ファーティマ朝 カリフを名乗る

999 カラ=ハン朝 の勝利

9世紀 サーマーン朝 の自立

の成立8世紀

ナスル朝 の成立1232

アイユーブ朝1169 の成立

フレグの西征でアッバース朝滅亡

シーア派

スンナ派

サラディン

大アミールシーア派

スンナ派

スルタン

市販教材の地図で復習しよう

10世紀中頃

出典『グローバルワイド』(2013年版)

『グローバルワイド』(第一学習社)

2012年版 P96、P972013年版 P80

11世紀後半

出典『グローバルワイド』(2013年版)

『グローバルワイド』(第一学習社)

2012年版 P96、P972013年版 P80

12世紀後半

出典『グローバルワイド』(2013年版)

『グローバルワイド』(第一学習社)

2012年版 P96、P972013年版 P80

13世紀中頃

出典『グローバルワイド』(2013年版)

『グローバルワイド』(第一学習社)

2012年版 P96、P972013年版 P80

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No54 イスラーム世界の拡大(1)

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画像の出典

• 『グローバルワイド』最新世界史図表 第一学習社

• 『タペストリー』 最新世界史図説 帝国書院• 『世界史のミュージアム』 歴史風景館 とうほう• 『アカデミア世界史』 浜島書店• 『ニューステージ』 世界史詳覧 浜島書店• 『ニュービジュアル』 新詳世界史図説 浜島書店

• 『プロムナード世界史』浜島書店• 『世界史のパサージュ』新世紀図説 とうほう

【54】ここまで

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