publicness and pursuit of self-interest in adam...

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Publicness has been a keyword of alternatives to neoliberal policy that effect badly to the peopleÊŒs actual life. Many peple feel a loss of publicness from our society and the feeling disturbs us. But economics treat this publicness only as a business of government, so economics cannot suggest a way to protect publicness successfully. This paper shows relation between publicness and self-interest in Adam Smith from the context of history and thought background. Our results indicate that Adam SmithÊŒs publicness gives us a very important point of view, but it is not enough to solve our todayÊŒs problem. And we discuss about thought on the passions and the interests relying on an literature of A. O. Hirschman. Finally, we conclude that we need reconstruction of publicness in economics. Publicness and pursuit of self-interest in Adam Smith Katsuya Yamamoto 41

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Page 1: Publicness and pursuit of self-interest in Adam Smithpetit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/file/23393/...Publicness and pursuit of self-interest in Adam Smith Katsuya Yamamoto 41

Publicness has been a keyword of alternatives to neoliberal policy that effect badly to the peopleÊŒs actual life. Many peple feel a loss of publicness from our society and the feeling disturbs us. But economics treat this publicness only as a business of government, so economics cannot suggest a way to protect publicness successfully.This paper shows relation between publicness and self-interest in Adam Smith from the context of history and thought background.Our results indicate that Adam SmithÊŒs publicness gives us a very important point of view, but it is not enough to solve our todayÊŒs problem. And we discuss about thought on the passions and the interests relying on an literature of A. O. Hirschman. Finally, we conclude that we need reconstruction of publicness in economics.

Publicness and pursuit of self-interest in Adam Smith

Katsuya Yamamoto 

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はじめに 2008幎リヌマンショックに始たるアメリカ発金融危機は、ペヌロッパを盎撃し、ギリシャの財政問題を远加的な契機ずしお、ナヌロ危機にたで及んだ。金融の自由化ず囜際化を䞀心に远求するこずで成立した珟代のグロヌバル金融資本䞻矩は、その成立原理自䜓を再怜蚎する必芁に迫られおいるず蚀っおよい。 そしお、こうした危機による砎滅的な圱響は人々の生掻を盎撃しおいる。人間を生産芁玠ずしおの劎働者ずのみ扱い、「人栌ある人間」ずいう面を捚象する傟向も、新自由䞻矩に圩られた政策が実斜されおいく䞭で、ずみに掚し進められおいるように芋える。さらに膚倧な政府債務の环積は攟挫な政府の責任ずされ、公共サヌビスは代金が回収できる限り民営化するのがよいずされおいる。たるで、これたで政府が果たしおきた圹割など党く必芁なくなったかのような状況ずなっおいる。 そうした珟状に察抗するための抂念ずしお、1990幎代以降、公共性が新たなキヌワヌドずなっおいる。公共哲孊なる分野も隆盛であり、垂民瀟䌚ずの関係で「公共」あるいは「公共性」を語る機䌚も増えおいる。公共性ずは非垞に倚矩的であり、捉えどころのない抂念でもある。公的利益、公共財・サヌビス、公共投資、共同䜓・コミュニティなど、類䌌する抂念は倚岐にわたる。しかし、発蚀者によっお指すものはそれぞれ違っおも、この䜕かしらの「公共性」が危機に瀕しおいるずいう感芚は、倚くの人々の間で共有されおいるのではないか。䟋えば、公共の堎でのマナヌ悪化、コミュニティなどが保持しおきた人々の玐垯や関係性の厩壊、公園等におけるホヌムレスの匷制排陀、などずいったものである。この危機感の背景には、利益远求を䞀途に求めるこずを是ずする珟圚 鳥谷・束浊線著2013では、グロヌバル金融資本䞻矩を「ICTInformation and Communication Technology, 情報通信技術に支えられ、1990幎代を前埌に先進囜はいうに及ばず新興経枈諞囜・発展途䞊囜にたで及んだ金融の自由化・金融の囜際化により成立した、米ドル䞭心の囜際通貚金融システム」ず芏定しおいる。本皿においおも、この芏定に埓う。

アダム・スミスにおける公共性ず自己利益の远求

山 本 勝 也 

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の経枈制床ぞの疑念、個々人の利益远求が党䜓ずしおの公的利益に぀ながるずいう長く経枈孊が保持しおいる信念ぞの懐疑があろう。 省みるに、経枈孊は、その祖アダム・スミス以来、自己利益を远求する個人を仮定するこずで、瀟䌚党䜓の厚生も増倧するずいう信念を維持しおいる。しかし、この信念も、近幎の床重なる金融危機・経枈危機の発生によっお倧きな詊緎を受けおいるずいえよう。たた他方で、アダム・スミスは利己心のみを䞻匵したのではなく、より広範な感情に぀いお述べ、議論しおいるずいう指摘もある。この点は、その著曞『道埳感情論』を玐解けば、芋぀け出すこずは難しくない。たた、公共性や正矩ずいう芳点からスミスに蚀及する文献も少なくない。しかし、アダム・スミスを批刀するにせよ、擁護するにせよ、スミスによる利己心の重芖を、圌の生きた時代の芁請や思想的背景を党く無芖しお、珟代に移し替えるこずには倧きな問題があるずいわざるを埗ない。 そこで本皿では、アダム・スミスに立ち返り、圌の公共性抂念ずはどのようなものであったか、たたどのような意図を持っお利益に期埅したのか、その思想的・歎史的背景は䜕であったのかを確認する。そしお、その䞻匵によっお期埅されたこずず実珟したこずを比范しながら、公共性に぀いお考える䞀助ずしたい。

公共性ずは䜕か いかに「公共性」が倚矩的であるずいっおも、この甚語の敎理をせずには本皿を進めるこずはできない。たずは、経枈孊においお公共性がどのように扱われ、たた無芖されおいるかを確認しおおく。 経枈孊では、垂堎における取匕に関する分析が䞻であり、公共性は垂堎の内郚ずその倖郚䞡方に関わるものず考えられる。垂堎取匕においおは、個々人・䌁業はそれぞれ自己利益を远求する圢で行動し、その結果、垂堎メカニズムを通じお瀟䌚的厚生は最倧になる。こうしお扱われる瀟䌚的厚生が経枈孊における公共性の䞀぀の圢態であるず蚀えるが、自己利益を合理的に远求するこずでこれは達成されるのであるから、この堎合の公共性は意識的に取り扱われおはいない。たた、垂堎では扱えない「公共性」ずしおは、政府によっお䟛絊されるこずになる公共財・公共サヌビス、公害がもたらす環境砎壊による瀟䌚的損倱ずいったものが挙げられよう。 以䞊のように、垂堎の内郚ず倖郚の䞡方に公共性に関わる抂念は存圚するが、 この点に぀いおは、山本2013、pp.107-109も参照。

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しかし、これに共通する尺床は瀟䌚的厚生ずいう芳点である。公共財・公共サヌビスも公害もずもに、垂堎に委ねおも瀟䌚的厚生を最倧化できないずいうこずから、政府の圹割ずしお公共財・公共サヌビスの䟛絊や公害防止策などずいった垂堎ぞの介入が認められるこずになるいわゆる垂堎の倱敗のケヌス。こうしおみるず、経枈孊における公共性ずは、自由垂堎においおは理論䞊垞に最適に達成されおおり、垂堎の倱敗ずしお問題になる堎合にのみ政府ないしは囜家の介入によっおそれが維持されるものず考えられおいるこずになる。こうした態床は、公私二元論ず蚀っおよいであろう。たた、こうした状況は政府による公共性の独占、぀たり公共性に関わるこずは政府によっお取り仕切るものだず考えおいるこずを瀺しおいる。 経枈孊における公共性の扱われ方ずしお、この垂堎ず囜家の二分法公私二元論に泚目するものは少なくない。しかし、すでに述べた通り、グロヌバル金融資本䞻矩の䞋での自由化政策が招いた危機が人々の生掻に倚倧な圱響を䞎え、加えお、政府債務の环増が非難される今日、こうした公私二元論では、問題解決の糞口すら芋えないずいうのが実情であろう。こうした状況においお公共性は再確認を芁する抂念ずしお浮䞊しおいるのである。 霋藀2000は、この公共性を぀の次元から説明しおいる。第䞀に、囜家に関係する公的なofficialものずいう意味での公共性である。これは囜家が法や政策を通しお囜民に察しお行う掻動であり、先に䞊げた経枈孊における公共性ず重なるであろう。第二に、特定の誰かにではなく、すべおの人々に関係する共通のcommonものずいう意味での公共性であり、特定の利害に偏しおいないずいうポゞティブさの反面、暩利の制限や「受忍」を求める集合的な力、個性の䌞匵を抌さえ぀ける䞍特定倚数の圧力ずいった意味合いも含むずしおいる。䟋えば、「公共の利益」ずいう堎合がこれにあたる。第䞉には、誰に察しおも開かれおいるopenずいう意味の公共性である。これは、誰もがアクセスするこずを拒たれない空間や情報を指す。公園のベンチ、氎道などのも぀公共性である。そしお、これらの公共性は互いに抗争するずしおおり、䟋えば、公共事業ずその公益性の確認、囜家の掻動ず公開性の間の緊匵などを䟋ずしお䞊げおいる。ずりわけ、霋藀が特に重芁ずしお挙げおいるのは、共通しおいるこずず閉ざされおいない開かれおいるこずの間の抗争である。これは、共通しおいるこずはほずんどの堎合、䞀定の範囲を限定せざるを埗ず、このこずは閉ざされおいないこずず決定的に衝突する局面をも぀ず述べおい さしあたり、間宮2001、生越2001を挙げおおく。

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る。 この点からみれば、経枈孊における公共性がいかに䞀面に偏ったものであるかがわかる。たた、生越2001は、こうした経枈孊の状況を総括し、「経枈孊における公共性」は、その質的内容があたり問われないたた、それをいかに金銭的な量に換算するかずいう分析的手法に重点がおかれ、個人䞻矩的な利害蚈算ず数量分析が支配的になっおいるず述べおいる。そしお、瀟䌚党䜓が目指すべき䟡倀は、経枈的䟡倀だけでなく、政治、文化、モラル、瀟䌚的公正などの様々な面から総合的に刀断されるべきであるず指摘しおいる。 公共性は政府に関わるものだけではないずいう点は、公共性の担い手は誰か、ずいう問いに぀ながっおいる。これに関しおは、ハヌバヌマスによる「垂民的公共性」ずいうこずが蚀われるように、垂民同士の自由で開かれた蚎議やコミュニケヌションの結果、お互いが了承、承認できるものずしお公共性が成立する面に泚目する必芁がある。 それでは、次節においお、スミスの考えた公共性を確認しおいこう。

アダム・スミスにおける公共性 経枈孊の祖、アダム・スミスは利己心に埓っお行動するこずが、各人の意図ずは離れお自然調和的に瀟䌚的利益を達成するず䞻匵したず䞀般的に理解されおいる。この点だけであれば、確かにスミスは経枈孊の祖ずしお公共性に぀いおは政府の問題ずしお理解したずいうこずになろう。この意味では、スミスにおいおも公私二元論が芋られるこずになる。しかし、スミスの取り䞊げた人間の感情sentimentsはただ利己心のみに限られるものではない。垂堎経枈における自由な人的関係の䞭から、公共性が成立しおくる様を確認しよう。 スミスの想定した個人は、珟圚の䞻流掟経枈孊における原子論的な個人ではなく、人間関係の䞭に生き、諞感情を䜵せ持぀個人である。スミスは、この諞感情の適宜性を重芖する。぀たり、他者ずの関わりの䞭で、自らの感じる感情が適切であるかどうかを刀断し、適切であろうず努力する。これがスミスにおける同感sympathy原理ず呌ばれるものである。

 以䞊、霋藀2000はじめに、pp.ⅷ -ⅹ参照。 生越2001p.15参照。 「共感」ずも蚳される堎合があるが、「感情が盞互に䌝わり、その共有が生み出される」ず考えるヒュヌムの sympathyを「共感」、「『想像䞊の境涯の亀換』によっお、他者の感情に぀いおの芳念を圢成する」ずするスミスのそれを「同感」ずする。柎田2010p.18参照。

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   人間がどんなに利己的なものず想定されうるにしおも、あきらかにかれの本性のなかには、いく぀かの原理があっお、それらは、かれに他の人びずの運䞍運に関心をもたせ、かれらの幞犏を、それを芋るずいう快楜のほかはなにも、かれはそれからひきださないのに、かれにずっお必芁なものずするのである。

 スミスは、同胞に察する哀れみや同情などずいった同胞感情を「同感」ず呌ぶ。われわれは、他の人びずずの「立堎の亀換」によっお、かれの感じおいるこずを心に思い描いたり、それによっお䜜甚されたりする。そしおかれの感じおいるこずを思い描くわれわれの同感が適切なものであるかどうかを刀断するのが、胞䞭の「公平なる芳察者impartial spectator」である。この「公平なる芳察者」による適宜性の刀断が、同感原理の䞭心的な䜜甚であり、「公平なる芳察者」は同感によっお感芚された感情が、圓事者の感芚ず䞀臎しおいるかどうかを刀断する。その結果、適切であるず認められる感情は是認され、䞍適切であるずされた感情は吊認される。人は他者からの承認を求めるために、できるだけ䞭立的で公平な芳察者ずしお振る舞おうずし、たたそのような芳察者を胞䞭に぀くり出しおいく。こうした過皋が、各人の行動を道埳的に基瀎づけ、それが「䞀般的諞芏則」ずなっおいく。

   他の人びずの行動に぀いおの、われわれの継続的な芳察は気づかぬうちにわれわれを導いお、なにが、なされたり回避されたりするのにふさわしく適切であるかに぀いおの、ある䞀般的諞芏則を圢成させる。 䞭略 。すなわち、われわれを、嫌悪すべきもの、軜蔑すべきもの、凊眰すべきものずし、われわれが最倧の恐怖ず嫌悪をいだくすべおの感情の察象ずする傟向のある、すべおの行為は回避されなければならない、ずいうこずである。反察に、他の諞行為は、われわれの明確な是認をよびおこし、そしおわれわれは自分たちのたわりのあらゆる人が、それらの行為に぀いお、同じく奜意的な意芋を衚明するのをきく。 埌略。

   良俗に぀いおの䞀般的諞芏則が圢成されるのは、このようにしおである。

 スミスにおける公共性ずは、以䞊のようにしお他の人びずずの想像䞊の「立 Smith1759邊蚳䞊巻 p.23。 同䞊、邊蚳䞊巻 pp.328-329。

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堎の亀換」を通じた「公平なる芳察者」による同感原理によっお、人びずの間に立ち䞊がっおくる「䞀般的諞芏則」であるずいえよう。いかに利己的な個人を仮定しようず、この同感原理によっお、利己心はやがお慎慮、慈愛、正矩などの埳ぞず高められ、人びずを埳ある行動ぞず導いおいくのである。たた、所有に関する問題や法芏範の内容も、同感原理で導出できるずされる。䟋えば、先占による所有暩取埗は、次のように説明されおいる。

   先占は、私がその察象を占有するこずに、芳察者が぀いおいくこずができお、私が自分の占有を実力でたもるこずを是認するずいうばあいに、十分に根拠があるように思われる。もし私がある野生の果実を集めたならば、私がそれをすきなように凊分するこずは、その芳察者にずっおは劥圓だずおもわれるだろう。

 そしお、スミスは欺瞞理論ずしお有名な、以䞋の䞻匵をするこずずなる。

   ふた぀の原理が、人びずを垂民瀟䌚にはいらせる。それらをわれわれは、暩嚁の原理ず効甚の原理ずよぶこずにする。 䞭略 、それでもかれら貧者は、富者からなんの䟿益も期埅しないにもかかわらず、富者を尊敬するずいう぀よい性向をもっおいる。この原理は、『道埳感情論』でくわしく説明されおいお、そこではそれが、䞊䜍者にたいするわれわれの同感が、同等者あるいは䞋䜍者にたいするより倧きいこずから生じるのだずいうこずが、瀺される。われわれは、かれらの幞犏な境遇に驚嘆し、よろこんでそれにはいりこみ、それを促進しようず努力するのである10。

 スミスはこれを『道埳感情論』においお「自然の欺瞞」ず呌んだが、こうした「富者にあこがれる」あるいは「称賛を欲する」匱い人間が、埳ではなく富を远求するこずを肯定し、それが瀟䌚党䜓の利益になるずした。スミスが垂民瀟䌚の担い手ずしお期埅したのは、このような匱い人間であり、こうした人間が富を求めるこず富ぞの道を行くこずは埳を求めるこず埳ぞの道にも぀ながっおおり、こうした自然の欺瞞によっお利己心に埓う匱い人間が称賛を求めお富を求めるこずは、慎慮、正矩、慈愛ずいった埳ぞず人びずを導き、これ Smith1766邊蚳 p.188。10 同䞊、邊蚳 pp.32-33。

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らの人びずがこうした埳を涵逊しお、垂民瀟䌚の担い手ずなるこずを期埅したのである。 しかし、スミスは埌にこうした期埅がやや楜芳的であったこずに気づくこずになる。それが『道埳感情論』第版での倧きな改蚂に぀ながっおいる。いわゆる道埳的腐敗ぞの懞念である。スミスは、『道埳感情論』第版の改蚂箇所においお、以䞋のように述べおいる。

   富裕な人びず、有力な人びずに感嘆し、ほずんど厇拝し、そしお、貧乏でいやしい状態にある人びずを、軜蔑し、すくなくずも無芖するずいう、この性向は、諞身分の区別ず瀟䌚の秩序を確立するのにも維持するのにも、ずもに必芁であるずはいえ、同時にわれわれの道埳諞感情の腐敗の、倧きな、そしお最も普遍的な、原因である11。

 この道埳的腐敗は、先ほどの富ぞの道ず埳ぞの道に関する欺瞞理論が、珟実には富ぞの矚望を匷く匕き出す結果にも぀ながる可胜性を有するこずに察する危機感の衚明である。スミスの「公平なる芳察者」による同感原理は、他者ずの想像䞊の立堎の亀換によっお盞互に感情を通わせるこずによっお共通の行動芏範を圢成するずいう過皋を蟿るが、これは良くも悪くも䞖間や䞖論によっお人間が巊右される可胜性を排陀できない。特に、富ぞの道を求める匱い人間はそうしたこずが道埳的腐敗に぀ながる可胜性は高いず蚀えよう。 スミスは、こうした状況に察しお、同じく『道埳感情論』第版の改蚂においお、称賛を求めるこずず、称賛にあたいするこずを求めるこずを区別しお、以䞋のように論じおいる。

   人間は自然に、愛されるこずだけでなく、愛すべきものであるこずを、すなわち、愛情の自然で適切な察象であるこずを、欲求する。 䞭略 。かれは、称賛だけでなく、称賛にあたいするこずを、すなわち、だれによっおも称賛されないずしおも、それにもかかわらず称賛の自然で適切な察象であるこずを、欲求する。かれは、非難だけでなく、非難にあたいするこずを、すなわち、だれによっおも非難されないずしおも、それにもかかわらず非難の自然で適切な察象であるこずを、恐れる12。

11 Smith1759邊蚳䞊巻 p.163。12 同䞊、邊蚳䞊巻 p.379。

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 スミスは、こうしお「称賛を求めるこず」ず「称賛にあたいするこずを求めるこず」を、たた「非難ぞの恐れ」ず「非難にあたいするこずぞの恐れ」を区別した。この「称賛にあたいするこずを求めるこず」や「非難にあたいするこずぞの恐れ」は、自然が人間に授けおおいたものであるずしおいる。これが良心であるずしお、スミスはこの良心が人間を導くこずに期埅しおいる。 こうしお芋おくるず、スミスにおける公共性は、次のようにたずめるこずができよう。心の䞭に「公平なる芳察者」をもち、己の感情を䞀定皋床抑制するこずができる人間を想定しおいる。このような抑制は、人間が良心に埓っお、他人からの承認を求める性向、適宜性ぞの性向によっお自然ず埗られる。こうしお瀟䌚の「䞀般的諞芏則」が圢成され、これが瀟䌚の道埳的芏範ずなっおいく。このため、各人の利己心は、こうした芏範に支えられた各人の自由で公正な競争の結果、瀟䌚党䜓の利益を達成するのである。 たた、前節で觊れた公共性の担い手の問題に関しお、スミスは瀟䌚の䞭栞を担う指導者ずしお䞭䞋局の人びずを基盀ずしお考えおいる。匱い人間を埳ぞの道に導く利己心は、しかし「公平なる芳察者」ずいう第䞉者の芖点によっお慎慮の埳ぞず高められる。この慎慮の埳に぀いお、スミスは『道埳感情論』第6版第6郚においお「䞊玚の慎慮」ず「䞋玚の慎慮」ずいう区別を蚭けおいる。「䞊玚の慎慮」は偉倧な将軍や政治家、立法者が保有する「歊勇、広汎で匷力な仁愛、正矩の諞芏則ぞの神聖な顧慮」であり、これらは「適切な皋床の自己芏制によっお」支えられおいる13。この「䞊玚の慎慮」を保有するのは有埳の賢人であるが、スミスはこのような有埳な賢人が䞭䞋局の人びずの䞭から涵逊されお登堎するこずを期埅しおいた。こうしおスミスは、商業瀟䌚が進展するこずによっお、䞭䞋局の人びずが涵逊されお有埳の人ずなり、瀟䌚の䞭心を担う政治的指導者ぞず成長しおいくこずを、瀟䌚における公共性の担い手の進出ず芋おいたのである。 こうした同感原理を基瀎においた公共性に぀いお、倚田2006は、アレントやハヌバヌマスの限界を越えおいくものずしお評䟡しおいる。倚田は、以䞊のようなスミスの公共性の圢成を「同感を基瀎ずしたコミュニケヌション」によるものず捉え、次の点を特城ずしお指摘しおいる14。第䞀は、垂堎を公共性のパラダむムから排陀したアレント流の「公共性」論ずは異なり、共同領域からの信認を受けるこずにより垂堎をも公共性のパラダむムの䞭に取り蟌ん13 同䞊、邊蚳䞋巻 p.103。14 倚田2006p.13。

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だ点であり、第二には、理性を有する人びずのみの参加による公共性を䞻匵したハヌバヌマス流の「公共性」論ずは異なり、倚様な人びずの同感を基瀎ずした点である。 たた、アマルティア・センもたた、スミスの公共性理解、ずくに「公平なる芳察者」ずいう他者の芖点ずの関わりから圱響を受ける行動芏則の圢成をヒントにしお、コミットメントなどの非利己的な人間行動を基瀎付けおいる。䟋えば、『正矩のアむデア』においお、センはスミスを擁護しお、自己の利益を普遍的に远求するずいう仮定の限界に぀いおスミスは入念に論じおいるずしおいる。そしお、狭い利己心に基づく行動の背埌にある「自己愛」は人間が持っおいる倚くの動機の䞀぀にすぎず、共感、寛容、公共心など、自己愛に反する様々な理由をスミスは区別したずいう。にもかかわらず、スミスは自己利益の远求のみを䞻匵したかのように、誀解されおいるずいうのである15。たた、センは囜境を越えたグロヌバルな正矩に関しおも、スミスの「公平なる芳察者」を利甚した「公共的な思考の枠組み」によっお掞察や教蚓をひきだすこずに可胜性を芋出しおいる。特に、スミスの「公平なる芳察者」が近くにいる人ず同様に、遠くにいる人の思慮をも掻甚できるこずを論じおいるこずを挙げ、今日の䞖界におけるグロヌバルな公共的蚎議ぞの適甚可胜性を瀺唆しおいる16。 しかし、これらのスミスぞの評䟡に察しお、筆者にはいく぀かの疑念がある。たずえば、センのいう同感原理のグロヌバルな正矩ぞの適甚可胜性に぀いおは、スミスが自らその限界を提瀺しおいるずころでもある。『道埳感情論』第6版の第郚第線第章においお、スミスは自囜ぞの自然な愛情に関しお述べおおり、自囜の戊士、政治家、私人、哲孊者、文筆家たちを、他囜のそういう人びずよりも高く䜍眮づけようずする性向を指摘しおいる。その箇所では、自分の生呜をこの瀟䌚のために投げ出す愛囜者が最も厳密な適宜性をもっお行為するように芋えるずしおいる17。

   われわれ自身の囜民にたいする愛によっお、われわれはしばしば、どこでも近隣の囜民の繁栄ず拡倧を、もっずも悪意ある猜疑ず嫉劬をもっお眺めたいずいう気分になる。独立隣接の諞囜民は、かれらの争論を決定する共

15 Sen2009邊蚳 pp.275-279。16 同䞊、邊蚳 pp.215-220, pp.230-231。たたこの点に関しおは、江川2005も参照のこず。17 Smith1759邊蚳䞋巻 p.131。

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通の䞊䜍者をもたないので、すべおが継続的な盞互の恐怖ず疑惑のなかに生きおいる。それぞれの䞻暩者は、かれの隣人たちからほずんど正矩を期埅しないので、かれらを、かれらがかれらから期埅するのずおなじだけわずかな正矩をもっお、ずりあ぀かおうずいう気持になっおいる18。

 䞊の匕甚郚分は、スミスが囜際的あるいはグロヌバルな正矩の成立に関しお「公平なる芳察者」による同感原理に限界を認めおいるこずを瀺しおいる。田䞭1974はこの点に関しお、スミスの同感原理の二面性を指摘し、これを「想像的同感」論ず「慣行的同感」論に分けお論述しおいる。前者は想像䞊の立堎の亀換によっお意識的に圓事者ず芳察者の双方に他人の立堎に身を眮くように努力するこずを倫理的に芁請し、埌者は近芪者に察しおわれわれが自然に抱く自然の愛着ずしおの慣行的な同感感情を埐々に瀟䌚的に拡倧するものである19。こうした区別をした䞊で、田䞭は、スミスが「慣行的同感」論に基づいお、囜際間においおは「公平な芳察者」が存圚しないために、正矩は守られないず指摘した点を確認しおいる。 こうしおみるず、スミスの同感原理を囜際的な、あるいはグロヌバルな正矩にたで拡倧しおいこうずいうこずは、スミス自身の語った原理のなかからは出おこないだろう。しかし、このこずはこの同感原理によっおそのようなグロヌバルな正矩のルヌルを構築するこずが党く䞍可胜であるこずを意味しないだろうし、むしろ「想像的同感」論の芳点から、どのようにしお遠く離れた隣人ぞの同感を共有するのかを考えおいく必芁は残されおいる。 たた、スミスの同感原理のコミュニケヌション的偎面に着目する議論も、垂民的公共性の蚀論空間においお議論に加わるこずが可胜な人びずに限られた、ハヌバヌマスの゚リヌト䞻矩的な性栌を克服するものずしお期埅されおいるが、柎田2010はこの点に関しお、ヒュヌムず比范しながら、スミスのコミュニケヌション論における蚀語性の欠劂を問題芖しおいる。柎田は、「想像䞊の立堎の亀換」により他者ず同じ感情を持぀こずが果たしお可胜かどうかず疑問を提瀺し、スミスの「公平なる芳察者」には、「自分が想像した他者の感情に関する仮説を、実際のコミュニケヌションによっお確蚌する、ずいう議論が欠けおいる20」ずしお、蚀語によるコミュニケヌションずいう芖角が垌薄で

18 Smith1759邊蚳䞋巻 p.132。19 田䞭1974pp.24-28。20 柎田2010p.15。

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ある点を指摘する。この指摘に筆者も同意する。他者の感じおいるこずず自らの感じおいるこずが䞀臎しおいるのかを確認するこず、あるいは自らの感じおいるこずが適切であるこずを確認するこずは、䜕らかの圢で蚀語によるコミュニケヌションを必芁ずするだろう。 以䞊、スミスの公共性抂念がも぀問題点に関しお点指摘した。ただ、そうはいっおもスミスの捉えた公共性に関する議論は倚くの瀺唆に富んでいるず蚀える。利己心による瀟䌚的利益の最倧化の䞻匵が取り䞊げられがちなスミスだが、利己心あるいは自己利益の远求が、これほどにスミスにおいおクロヌズアップされるのは、なぜであろうか。スミスが個人の自己利益远求をよしずしたのには、䜕か理由があるはずである。次節においおは、この理由をスミスの生きた歎史的背景たた思想的背景から確認するこずずする。

自己利益ず情念 ―情念抑制の思想― そもそも、なぜ利己心ないしは自己利益の远求が重芁な行動原理ずしお認められるようになっおいくのだろうか。この点を確認する前に、たずは、『囜富論』においおスミスが個人の利益ぞの関心に぀いお蚀及した箇所を確認しおおく。

   われわれが食事を期埅するのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲心からではなく、圌ら自身の利益にたいする配慮からである。われわれが呌びかけるのは、圌らの人類愛にたいしおではなく、自愛心にたいしおであり、われわれが圌らに語るのは、けっしおわれわれ自身の必芁に぀いおではなく、圌らの利益に぀いおである21。

 スミスは、『道埳感情論』では様々な諞感情に぀いお蚀及しおいたものの、『囜富論』では、自愛心あるいは利己心に絞り、この利己心に埓うこずが瀟䌚党䜓の利益ずなるこずを䞻匵し、たさに経枈孊の祖ず祭り䞊げられるこずずなった。この埌、自己利益の远求は経枈行動や垂堎取匕における基本的な行動原理ずしお定着するこずずなる。 この点に関しお、なぜ自己利益の远求が瀟䌚䞀般における行動原理ずしお、これほどに広く浞透しおいるのかに぀いお、A. O. ハヌシュマンがその著曞『情念の政治経枈孊』においお詳説しおいる。これに䟝拠しながら、本節では利益がいかにしお珟圚の地䜍を勝ち埗たかを確認するこずずする。21 Smith1776邊蚳第䞀分冊 p.39。

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 ハヌシュマンは、資本䞻矩瀟䌚が擁護された歎史は、暎発すれば戊争や混乱を招く人間の情念passions、匷欲、名誉欲、怒りなどを制埡し、瀟䌚に安党ず平和をもたらすためであったず総括しおいる。そしお、この目的のために人間の行動パタヌンを生み出す方法ずしお、①匷制ず抑圧によるもの、②情念を利甚するもの、③情念を区別しお、毒をもっお毒を制する、あるいは比范的無害な情念によっお砎壊的な情念を盞殺するもの、ずいう぀の手段に倧別できるずしおいる22。このうち、①は問題を解決したように装うだけであり、②に぀いおは珟実的ではあるが信頌性を獲埗できおおらず、ずもに説埗力を欠いおいたずハヌシュマンは蚀う。こうした状況で第3の解決法ずしお、情念によっお盞殺するあるいは匱め、飌いならすずいう方法が17䞖玀に登堎し、18䞖玀にはかなりありふれた知的慰めになっおいたずいう。利益が察抗機胜を持った情念の総称ずしお甚いられるようになっおいくのである23。 ハヌシュマンは、単数圢の利益interestずは本来倚矩的であり、単に個人の物質的幞犏だけを指す蚀葉ではなく、人間の願望党䜓を意味し、願望远求に関しおの熟考、打算の芁玠を含んでいたずいう24。圓初は、「君䞻は囜民に呜什し、利益は君䞻に呜什する」ず蚀い衚されたように、君䞻の利益が䜕をなすべきか君䞻を導くずされ、政治における支配者の利益が泚目されおいた。぀たり、利益ぞの泚目は、囜家の統治に察する関心に端を発しおおり、最も抑制を芁するのは暩力者の情念であった25。しかし、その定矩の曖昧さのためにこの発想は行き詰たっおいく。 その埌、この利益抂念は個人や囜内のグルヌプに察しお甚いられるず成功を収め、支配される様々な集団の諞利益interestsずいう圢で広たっおいくのである。そしお、合理的蚈算ずいう偎面が経枈掻動ず芪密さを持぀こずから、経枈掻動ずの関わりで利益は理解されるようになり、経枈成長ずずもに富が蓄積される䞭で、利益抂念はいっそう狭たり、経枈的利益・物質的利益ず同矩になっおいく26。 こうしお人間の利益が情念ず察立させられるようになっおいき、人間のほずんどの行動が自己利益の远求で説明されるようになる。情念が砎壊的であり、理性がその制埡に圹に立たないずなったずき、利益ずいう「より穏圓な情念」22 Hirschman1977邊蚳 pp.12-18。23 同䞊、邊蚳 pp.17-26。24 同䞊、邊蚳 p.31。25 同䞊、邊蚳 p.68。26 同䞊、邊蚳 p.34-40。

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によっお激しい情念を盞殺しようずいう思想が党面に出おきたのである。 たた、ハヌシュマンは、人間の行動原理ずしおの利益远求が生み出す利点ずしお、可枬性ず恒垞性を挙げおいる27。可枬性に関しおは、自己利益远求ずいう目暙は、ある人間の行動を芋通しやすくし、自分自身にずっおよいだけでなく、呚囲の人間にずっおもこの可枬性が有益ずなる。こうしお、自分自身ず呚囲の人間ずの間に盞互利益の可胜性が政治の面においお生じるこずになった。たた、恒垞性に぀いおは、情念にしたがっお生きる人間は、気たぐれで、䞍確かで、蚈り知れないものであり、これに察しお、自分の利益を远求する人は着実で誠実、䞀貫した行動をずるず芋なされたのである。 そしお、蓄財欲は、穏やかだが力匷い情念であり、荒々しいが匱い情念に打ち勝぀ずいうヒュヌムの理解を頂点に、資本䞻矩は人間の有害な性質を抑圧しお奜たしい性質を匕き出すものであるずいう理由から、圓時の知識人らの称賛を受けるこずずなる28。 このように、たずは政治的な圱響、支配者の激しい情念を抑制するずいう理由から、自己利益の远求ずいう穏圓な情念がより激しい情念に察眮され、これを抑制するこずが期埅されたずいう思想的背景を確認しおおくこずは重芁である。この点に぀いお、ハヌシュマンは、䟋えば、モンテスキュヌずゞェむムズ・スチュアヌトを代衚的論者ずしお挙げおいる。圌らはずもに、商業ず工業の膚匵が囜王の気たぐれで暩嚁䞻矩的な意思決定を陀去するだろうず信じおいたずされる29。 こうした政治に察する利益远求の圱響を重芖した論者に察しお、アダム・スミスは個人の自己利益の自由な远求に関しお匷力な経枈的

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正圓化を確立したずしお、ハヌシュマンは以䞋のように敎理をしおいる30。 たず、スミスの泚目は封建領䞻の過剰な暩力に向けられおおり、圌らは技術の進歩が切り開いた新しい消費ず物質的向䞊の新しいチャンスを利甚しようずしお、知らず知らずのうちに

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暩力を手攟すこずになる。たた、重商䞻矩政策などの実際に経枈成長を阻止した政府の愚行に察しお匷い憂慮の念を持っおいた限りにおいお、こうした政策は倉えられなければならない厳しい珟実であるずスミスは䞻匵した。ただし、スミスは貿易ず工業による物質的進歩に察しお䞡

27 同䞊、邊蚳 p.4752。28 同䞊、邊蚳 p.6629 同䞊、邊蚳 p.87。30 同䞊、邊蚳 p.100-114。

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矩的な態床をもっおおり、それは「秩序ずよい統治、それらずずもに個人の自由ず安党」ずいう幞犏な結果ず、こうした結果をもたらした䞀連の事実ず動機付けに察する手厳しい評䟡である。こうした䞡矩的な態床は、分業に察する称賛ず酷評にも珟われおおり、商業や工業の隆盛が、誠実さや几垳面さに建蚭的な圱響をもたらす点で有益だずするが、しかし、商業の垰結のあるものは、砎壊的でもあるずしおいる勇敢さず矎埳の喪倱。この点は、前節でも確認した道埳的腐敗にも぀ながる議論である。 ハヌシュマンによれば、野蛮な情念を利益によっおコントロヌルするこずによっお、勃興する資本䞻矩が政治秩序を改善できるずいうモンテスキュヌスチュアヌトの芋方に察しお、スミスは賛成しない。むしろ、スミスはこの芋方を決定的に切り厩したずしおいる。スミスは、人間は「生掻条件を良くしたいずいう欲求」だけに突き動かされおいる存圚だずし、さらに「倧郚分の人間は富を増倧させるこずによっお生掻条件の改善を䌁おそれを期埅する」ず断蚀した。 このようなスミスの想定に察しお、ここに欠萜しおいるのは「貪欲」を含むさたざたの情念が人間を突き動かし、しばしば惑わしおいるずいう豊かな人間芳であるず、ハヌシュマンは指摘する。実際、スミスは様々な情念を熟知しおいるが、ハヌシュマンによれば、『道埳感情論』においおスミスはその他さたざたな情念を「富の増倧」ぞの衝動の䞭に抌し蟌める準備をしおいる。スミスが人間の基本的な関心事ず芋なしおいるのは、名誉、嚁厳、尊敬、および衚地ぞの枇望であり31、「経枈的利益ぞの衝動はもはや自埋的なものではなく、尊敬を埗たいずいう欲望にずっおの単なる手段である。同じ理由から、非経枈的衝動はすべお経枈的衝動に流れ蟌んで補匷するだけのものずなり、以前の独立性は剥奪される」ずいうのである。この点は、スミスが匱い人間が富ぞの道を行くこずが、埳ぞの道を行くこずず䞀臎するずみなしたこずを指しおいるず思われる。 そしお『道埳感情論』ず『囜富論』の間にズレを認めるか吊かずいう、有名

31 同䞊、邊蚳 p.109-110。ハヌシュマンによれば、これらぞの枇望を人間の基本的関心事ず芋るのは、ホッブズその他17䞖玀の人々ず同じであるが、ホッブズはこの枇望を「必需品ぞの枇望」ずは区別しおいた。さらに、ル゜ヌはもっず明瞭に、有限なものを獲埗するこずで私たちの新の必芁を満たそうずする自愛心amour de soiず、同胞からの承認ず賞賛ず結び぀き、性質䞊無限である利己心amour propreずの間に有名な区別をしおいるず、ハヌシュマンは指摘しおいる。しかしスミスは、これらを䞀぀にたずめおしたったのである。

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なアダム・スミス問題に察しお、ハヌシュマンは次の点を指摘する。第䞀に、スミスは人の感情や情念を広く扱ったが、同時に、「人類の倧郚分の民衆」に関する限り、䞻芁な人間的衝動ずはせいぜい物質的幞犏の改善に向かうものでしかないずみおいるずいうこず。第二に、野心、暩力欲、および尊敬されたいずいう枇望は経枈的状況の改善によっお満たされるずいうのがスミスの䞻匵であり、これによっお、スミスは情念同士あるいは利益を情念に察抗させうるずいうモンテスキュヌスチュアヌトの発想を切り厩したずいう点である。 スミスが情念ず利益を同䞀芖したのは、察象ずしお勃興する䞀般庶民を想定したからであり平均的な人間の行動に泚目した、情念に悩たされるのは貎族のみであり、利益で情念を抑え蟌む必芁があったのは貎族や君䞻であった。スミスにおいおは、䞀般庶民はそれほど耇雑だずは認識されおおらず、ハヌシュマンは、商業の問題点䞡矩性も理解しおいたスミスは、しかし、あえお利益を情念ず同䞀芖し、利益的行動が䞖界をよりよくするず䞻匵したずしおいる。 この結果、スミスの「瀟䌚構成員䞀人ひずりが各々の物質的自己利益を自由に远求できるずき、䞀般の物質的犏祉ももっずもよく増進される」ずいう呜題は、瀟䌚思想がそれたで自由に扱っおきた利益ず情念に関する研究領域を倧幅に狭めるこずになり、したがっお、孊問的分化ず専門化をもたらしたず、ハヌシュマンはたずめおいる。 以䞊が、ハヌシュマンによるスミスの利益远求の意図である。君䞻の気たぐれで危険な情念に利益を察眮し抑制するずいうモンテスキュヌスチュアヌトの思想は、スミスによっお抌し流されおしたったのだが、スミスによる自己利益の远求も瀟䌚を安定的なものにするこずに、あるいは同感原理による「䞀般的諞芏則」の成立を通じた公共性の創出に成功しおいないこずは、珟代の経枈危機を芋れば䞀目瞭然である。それは、利益ず情念を同䞀芖し、自己利益の远求が䞖界をよりよくするずいうスミスの楜芳的な芋通しによるものず蚀っおよかろう。珟状はむしろ、グロヌバル金融資本䞻矩のもずで、金融手法の高床化・耇雑化により、必ずしも成功するずは限らないが自己利益の远求がより容易になったこずで、貧富の栌差は拡倧し、金儲けにおける勝者はより䞀局自己の欲望充足を求め、その競争に敗れたものは鬱屈した粟神状況の䞋で恚みや嫉劬などの激しい情念に苛たれるずいう圢で、諞個人の情念はより増幅され、瀟䌚はむしろ䞍安定にすらなっおいるようである。 重芁な問いは、利益远求は情念を抑えるのかずいうものである。珟実にはそうなっおはいないようにみえるこずから、このような問いは怜蚎するにも倀

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しないように思われるかも知れない。しかし、ハヌシュマンの説明に埓えば、「資本䞻矩が普及したのはむしろ瀟䌚の砎滅を防ぐ

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方法を必死になっお捜したため32」である。䞭䞖末期以降、「特に17、8䞖玀に倚発した戊争ず内戊の結果、宗教芏範に倉わる行動の基準が求められおおり、支配する偎される偎双方に必芁な芏埋ず抑制を課す新しい行動や仕組みのルヌルが求められおいた」ずいうのが、圓時の歎史的背景である。この状況䞋で、政治的な偎面から利益远求に情念抑制の期埅がかけられおいたが、スミスは情念ず利益を䞀緒にしお、経枈的利益远求による瀟䌚的厚生の最倧化ずいう呜題にたで高めた、ずいうこずであろう。 実際のずころ、モンテスキュヌスチュアヌトによる情念抑制の考え方は楜芳的であり、アダム・ファヌガ゜ンやトクノィルによっお批刀されおいる。ハヌシュマンによれば、ファヌガ゜ンもトクノィルも、利益远求が情念を抑制しお、政治的によい方向に導くずいうモンテスキュヌスチュアヌトの説を批刀し、商業の発展は政治的な技術を進歩させもすれば、衰匱させもするず䞻匵した。すなわち、近代経枈及びその耇雑な盞互䟝存関係、その成長がきわめお繊现なシステムを䜜り出したので専制政府の巚倧な暩力濫甚は䞍可胜になるずいうモンテスキュヌスチュアヌト説は䞀面的であり、もし経枈に埓わなければならないなら、同じ理由によっお、人々の䞍謹慎な行動を抑圧し、政治参加を制限し、「粟密な時蚈」の正垞な動きを脅かすず経枈孊者の王が解釈するこずすべおを撲滅するこずも正しいこずになる。たた、金儲けずいう「無邪気」なゲヌムに党員が参加しおいるのではない限り、ほずんどの垂民がそのゲヌムに完党に没頭する結果、高い暩力の座を求める少数の人々は、逆に埓来よりも自由に野望を远求できる面がある。ファヌガ゜ントクノィルは、経枈成長あるいは利益远求は公共粟神を殺し、それゆえ暎政に道をあけるずいう副䜜甚が生じうるずいう懞念を衚明しおいたのである33。この点、経枈孊者の王が蚀うたたに、人々の行動が抑圧、制限される可胜性に぀いおは、珟代においおも、特にアゞアにおいお暩嚁䞻矩䜓制ず経枈成長ずが䞀囜においお矛盟しないこずを考えおも劥圓な指摘だず蚀わざるを埗ない。たた、近幎の新自由䞻矩的な経枈政策が「経枈孊者の王」の呜じるこずであるずすれば、この政策が珟代の珟実においお人々の自由や犏祉、生掻を逆に䟵害しおいる面を想起させずにはおかない。 スミスにおける公共性抂念ず自己利益の远求ずの関係をたずめおおこう。ス32 同䞊、邊蚳 p.130。33 同䞊、邊蚳 p.124-125。

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ミスは同感原理によっお「䞀般的諞芏則」の生成を説明し、これが瀟䌚的な公共性のよりどころになるこずを意図した。自己利益の远求は自然に慎慮、正矩、慈愛の埳ぞず高められるこずで、瀟䌚における公共性構築ぞず向かっおいく。こうしたスミスの原理は「床重なる戊争や内戊を避けるために、より穏圓な情念である利益远求によっおより激しい情念を抑制する」ずいう圓時の歎史的・思想的背景から生たれおいる。しかし、スミスは利益ず情念を同䞀芖したために、この「利益で情念を抑制する」ずいう芖点を捚象し、かえっお埌に「道埳的腐敗」ずいう問題を抱えたのではないか。そしお、そのこずが珟代の䞻流掟経枈孊に導かれる新自由䞻矩政策においお公共性の危機を招く結果になっおしたったのではないだろうか。もしそうであるならば、再床「利益で情念を抑制する」ずいう思想を再怜蚎する必芁がある。そのこずが経枈孊においお公共性を再構築するこずに繋がるのではないだろうか。

経枈孊における公共性の再構築に向けお 珟圚、日本孊術䌚議においお「経枈孊委員䌚経枈孊分野の参照基準怜蚎分科䌚34」がひらかれ、倧孊教育における質保蚌のための「経枈孊分野の参照基準」が䜜成されおいる。圓初怜蚎されおいた案参照基準第二次玠案では、経枈孊は「代替的甚途を持぀皀少な諞手段ず諞目的ずの間の関係ずしお人間行動を研究する孊問」であるずいうL.ロビンズによる定矩を匕きながら、基瀎科目ずしおミクロ経枈孊、マクロ経枈孊、統蚈孊を、準基瀎科目ずしお財政孊、金融論、囜際経枈孊を、発展科目ずしお公共経枈孊、産業組織論、劎働経枈孊、環境経枈孊、郜垂経枈孊、蚈量経枈孊を指定し、経枈孊説史、経枈史、制床経枈孊、実隓経枈孊、行動経枈孊は補完的科目に䜍眮づけるずいうものであった35。こうした参照基準に察しお反察意芋を支持する眲名や関連孊䌚からの意芋曞などが倚数提出され36、珟圚の原案では盞圓な修正が加えられ、各倧孊における経34 日本孊術䌚議経枈孊委員䌚「経枈孊委員䌚分科䌚の蚭眮に぀いお」、経枈孊分野の参照基準怜蚎分科䌚、http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/keizai/pdf/sanshoukijun-setti.pdf2014幎2月27日アクセス35 日本孊術䌚議経枈孊委員䌚「経枈孊分野の参照基準第二次玠案」、経枈孊分野の参照基準怜蚎分科䌚第5回資料6、http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/keizai/pdf/shiryou_sanshoukijun_220506.pdf2014幎2月27日アクセス36 たずえば、「経枈孊分野の教育『参照基準』の是正を求める党囜教員眲名」https://pro.form-mailer.jp/fms/8fe8371a49520、経枈理論孊䌚「経枈孊分野の教育『参照基準』策定に぀いおの芁望曞経枈理論孊䌚幹事䌚」http://jspe.gr.jp/drupal/node/107、進化経枈孊䌚「参照基準改定版玠案に察する意芋曞」http://www.jafee.org/sanshokijun.html、などいずれも2014幎2月27日アクセス。

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枈孊教育ぞの介入ず受け取られるような衚珟は削陀ないし修正されおいる37。 仮に、以前の第二次玠案のたたであれば、今埌の経枈孊教育の画䞀化をいっそう掚し進めるものにしかならなかったであろう38。時代の危機においお、孊問が持たなければならない「倚様性」「倚角的な分析の芖座」が、あるいは数量的な分析を必ずしも必芁ずしない「歎史分析」「制床分析」が、「䜓系性」「理論的䞀貫性」の䞋で軜芖されようずしおいる。この玠案は、公正や正矩ずいった䟡倀刀断の排陀ず効率性基準ぞの偏重を掚し進めるものであったずいっおもよい。 こうした経枈孊の眮かれた状況䞋においお、経枈孊に公共性を再構築するずはどのようなこずであろうか。経枈孊は、アダム・スミスを祖ずしおPolitical economyずしお誕生した。しかし、䞊蚘分科䌚で進めようずしおいたこずは、Economicsのみを経枈孊ず認めようずいうものであったず蚀える。スミスは公共性を意識しお、その著䜜を曞き䞊げた。その意図は十分に成就しおいないが、珟代のわれわれに必芁な芖座を提䟛しおいる。そこでは、道埳、正矩ずいった抂念が重芁さを持ち、その生成がいかにしお行われるのかをわれわれは議論できた。ハヌシュマンの指摘するように、スミスが利益ず情念を同䞀芖したこずが瀟䌚科孊における孊問的分化ず専門化をもたらしたのであれば、この点を再床議論・怜蚎するこずは、経枈孊においお公共性を正面から議論し、再構築するこずになるだろうし、経枈孊が狭い殻に閉じこもらず、他の孊問分野ず議論し亀流するこずを可胜にする䞀぀の契機ずなるだろう。 倚様性に察する寛容さは、い぀の時代でも危機ぞの備えになる。画䞀的な考えしか認めないずころには掻力は宿りようもなく、危機察応にも限界があろう。経枈孊が珟代の危機に察しお誠実なる回答を甚意するためにも、孊問的倚様性は維持しおおかねばならない。

おわりに 珟圚の金融危機埌の䞖界においおは、たさに「経枈孊者の王」の呜ずるたたに、効率最優先、犏祉の軜芖がたかり通っおいる。しかし、この王は、実は「裞の王」ではなかろうか。合理性や利益远求のみを求める個人ずいう「貧困な人

37 経枈孊分野の参照基準原案http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/keizai/pdf/shiryou_sanshoukijun_220902.pdf2014幎2月27日アクセス38 山本、2013、pp.114-115も参照のこず。経枈孊の教授法は、教科曞テキストのあり方など、たすたす画䞀化の䞀途をたどっおいるず蚀わざるを埗ない。

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間芳」が経枈孊を支配し、新自由䞻矩的な政策ずしお珟実を凊理しおゆくたびに、珟実を生きる「人栌をもった人間」をより貧困や苊境に远い立おおいるのが珟状だ、ず蚀っおは蚀い過ぎだろうか。 ハヌシュマンは、われわれの䞖界には、ある決定からの「意図せざる垰結」が倚く存圚し、それは「実珟しない結果に終わるようなある皮の効果が本気で期埅」されおいたからだずいう。そしお、奇劙にも、意図されずにしかし実際に実珟されおいるような圱響ず比范しお、「意図されおはいたが実珟されなかったような瀟䌚的決断の圱響のほうが研究を必芁ずしおいる」ずいう39。぀たり、ハヌシュマンにおける問題はこうである。資本䞻矩はたさに人間のある衝動や情念を抑圧し、その代わりに非倚面的でより可枬的な人栌を圢䜜るものず期埅され芋なされおいた。それは資本䞻矩勃興期における切実な芁請であった。しかし、結局このように資本䞻矩が成し遂げるべきだず期埅されおいた事柄そのものが、今、資本䞻矩の最も悪い点であるず非難されるこずになっおいるのである40。 そうであるずすれば、われわれはスミスの時代に立ちかえり、圓時の時代背景の䞋で利益ず情念が察眮させられ、利益远求が容認されたずいう思想をもう䞀床䞹念に探る必芁があろう。利益远求をただ吊定あるいは肯定するのではなく、珟実問題の解決策ずしお利益远求が䜕を担わされおいたのかを再怜蚎する必芁があり、それは利益远求が公共性をいかに圢成するのかを再床考える契機ずなるだろう。

参考文献江川盎子「アマルティア・センのコミットメントの抂念に぀いお」『人間関係孊研究倧劻女子倧孊人間関係孊郚玀芁』第6巻、pp.21-32、2005幎。

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39 Hirschman1977邊蚳 pp.131-132。40 同䞊、邊蚳 p.133。

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