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shishi No.7 Tour by Mariko Sato

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キリスト教の巡礼をめぐる写真とエッセイ。歴史や文化、信仰の重みを受け止めながらも、訪れたドイツやイタリアの都市にそれぞれの美しさを発見していく様子が、瑞々しい筆致で描かれている。

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Page 1: Tour

shishiNo.7

Tourby Mariko Sato

Page 2: Tour

 私の通う大学はローマ・カトリック教会に所属

する男子修道会の一つ、イエズス会が設立母体で

あるため、年に何度も大学に所属するイエズス会

の修道者達によって、巡礼旅行が企画される。

 昨年の夏、私はその一つであるドイツ・イタリ

アへのヨーロッパ巡礼旅行に参加した。訪れた都

市はミュンヘンやローマ、アッシジにフィレン

ツェだ。ヨーロッパを初めて目にした私が感じた

ことは、その中に空気のように自然にキリスト教

が存在しているという事だった。街を歩けば教会

や十字架、聖母子像が至る所に立っている。

 ドイツで訪れた場所の中で、強く心に残ったの

はダッハウ収容所だ。これはナチス・ドイツによ

る強制収容所であり、ドイツにつくられたもの

としては初めてのものである。収容所の扉には

Pilgrimage巡礼

佐藤真理子

Page 3: Tour

「ARBEIT MACHT FREI(労働は自由をもたら

す)」と掲げられており、ここには当時使ってい

た建物の中で、名簿などの残された資料が生々し

く展示されている。展示用の写真に写った当時の

囚人達は皆失望とも疲労ともつかないような無

表情で、彼らの瞳は何かこちらの胸に迫りくるよ

うな不思議な力を持っていた。ダッハウ収容所は

森に囲まれ、小川の流れる美しい場所に建てられ

ており、それらの美しさや静けさが余計にこの収

容所の持つ冷たさや重さを際立たせているよう

だった。

 収容所跡には現在女子カルメル会の修道院が

添えられるように存在している。私たちはその修

道院にある聖堂でミサをあげてその場を去った。

収容所跡にある修道院で、今もこれから先も祈り

が捧げられることは私にとってとても印象深い

事だった。

 キリスト教では、モーセが奴隷として扱われて

いたイスラエルの民をエジプトから脱出させる

ため砂漠で 40 年間歩き続けたという旧約聖書の

記述により、苦難を砂漠に例えることがある。ミ

サの中での説教では「砂漠の中にこそ命がある」

という言葉が語られた。この言葉の意味を理解す

るのは決してたやすいことではないが、深く心に

響く言葉であるように感じられた。

 

 ドイツでの爽やかな涼しい気候とは裏腹に、イ

タリアでは真夏の太陽が燦々と輝いていた。ロー

マにあるバチカン市国は昼間多くの巡礼者で賑

わっており、サンピエトロ大聖堂は一際大きな存

在感を持っていた。隣接するシスティーナ礼拝堂

は非常に大きく、有名なミケランジェロによる

創世記などの大天井画や「最後の審判」の壁画

の迫力には圧倒される。ここではコンクラーヴェ

Page 4: Tour

聖地である。彼は 12 世紀後半、裕福な家庭に

生まれ放蕩生活を送っていた。しかし戦地に赴

き捕虜になり病気にかかるなどの体験をした後、

宗教的回心を経て、一切のものを捨てハンセン

氏病患者に奉仕した。彼は「太陽の歌」Cantico

delle creature を残し、太陽や風、月、水、大地、

また死までをも兄妹として賛美した。アッシジ

の美しさを一目見れば、フランチェスコがこの

歌をつくったことには大きく頷ける。ローマの

ような都市の美しさとは全く別の、大自然の持

つ暖かな美しさがそこにはある。中世そのもの

の石造りの建物が、沢山の木々や広い草原といっ

た豊かな緑に囲まれて建っている。アッシジは

小高い場所にあるため、眼下には思わず息を呑

むほどの絶景が広がる。とりわけ夕暮れ時の美

しさは言葉を失うほどのもので、一度目にした

ら忘れることはできない。日が沈む光景はいつ

と呼ばれる教皇選出が行われる。礼拝堂をはじめ

とする歴史ある装飾を眺めるたびに、時代を超え

て信仰が美しい形として残されていることに心

が打たれた。私自身が偶像に対し厳しい考え方を

もつプロテスタントの教会にいるため、こうした

ことには深く考えさせられるのである。バチカン

市国の外でも、ローマの中にはイエス・キリスト

の弟子ペトロを記念する教会もあれば、伝道にお

いて非常に大きくキリスト教に貢献したパウロ

という人物を記念するサン・パウロ教会もある。

やはりカトリック教会の中心地であるローマは、

殉教者たちの足跡、彼らによってつくりあげられ

た信仰の道を強く感じる場所であった。

 ローマの次に訪れたのはアッシジである。こ

の地は 1972 年のイタリア映画「ブラザーサン・

シスタームーン」で有名な聖フランチェスコの

Page 5: Tour

も美しいものだが、このアッシジの夕陽、それ

から旅で最後に訪れたフィレンツェの修道院に

ある果樹園の中で見た夕陽は、本当に忘れがた

いものだった。

 都市や絵画、彫刻や自然など、この旅の中で

私は多くの美しいものを目にしてきた。しかし

その中で非常に印象的だったのは、旅の仲間の

一人が言った「この世で一番美しいのは、人間だ。

どんなに美しい教会の絵画や彫刻も、それに勝

ることはできない。」という言葉だった。私達は、

ローマで宣教クララ会という女子修道院の経営

するホテルに泊っていた。そこで、旅に参加し

ていた 30 代の男性が、同じく宣教クララ会の設

立した幼稚園に通っていた時代に世話になった

というシスターの一人に再会し、涙を流してい

た。その様子を眺めていたときにふと感じたの

がその言葉だったそうだ。カトリックの世界で

は、世界中に広がった修道院の中で、脈々とした

修道者達の流れがある。また、プロテスタントに

おいても、宣教師は見知らぬ土地へと赴いて仕事

をする。その中で世界を繋ぐ多くの出会いと別れ

が生まれるのである。ダッハウ収容所に跡を残す

ような、残虐な戦争や虐めは全て人間が引き起こ

すものであり、そうしたことを考えるとこの世で

最も醜いものは人間なのではないかと感じさせ

られる。しかし、この巡礼旅行を通し、それと同

時に、もしかするとこの世で最も美しいものは人

間であり、人と人との関わりの中にあるものなの

かもしれないとも思うことができたのである。

Page 6: Tour

MARIKO SATO

佐藤真理子

鹿児島県出身。上智大学神学部神学科所属。新約聖書神学について研究。

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