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6 2012.06 西20 20 調調10 連載   世界の先進的街づくり探訪 TOURING INNOVATIVE TOWNS OF THE WORLD 20 大自然に囲まれたチューリッヒ。スイス各地の結節点としても便利だ アルプスを望む、風光明媚な湖畔の古都 金融の中心地としての経済力を背景に、 文化の香るコスモポリタン都市へと進化 中世からの重厚な町並みを残す、チューリッヒ。かつては厳格で保守的な印象を与えたが、 現在はオープンでリベラルな気風があふれ、斬新な都市計画も成功している。 リゾート風情が漂う、初夏の湖畔の街からレポートする。 スイス チューリッヒ

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Page 1: TOURING INNOVATIVE TOWNS OF THE WORLD スイス ......TOURING INNOVATIVE TOWNS OF THE WORLD 20 ジ ャ ー ナ リ ス ト 篠 田 香 子 大自然に囲まれたチューリッヒ。スイス各地の結節点としても便利だ

62012.06

民の豊かな生活は

観光資源にも

 

他の西欧諸国からスイスの首都、チューリッ

ヒに入ると経済のファンダメンタルが安定して

いることが実感されている。街には廃頽した

地区がほとんどなく、通りに浮浪者もいな

い。街並みも公共施設も掃除が行き届いて

いる。市内には1200の噴水があり(人口

あたり最大の噴水数を誇るそうだ)、どこで

も美味しい水が飲める。

 

チューリッヒ湖も水がきれいなことで知られ

るが、最近は浄化されすぎてプランクトンが減

り、魚が生息しにくくなったという。湖にアル

プスの雪解け水を運んでくるリマト川も澄ん

だ水をたたえている。夏になると、湖畔には

遊泳施設が20か所に設置される。これらを

利用して泳いで通学や通勤する人も出てきて

いる。

 

20世紀はじめにチューリッヒに数年間滞

在した作家、ジェームズ・ジョイスは、故郷の

友人に次のように書き送っている。「チュー

リッヒの通りでミネストローネを食べるため

に皿は不要だ。通りを皿代わりにしても

問題ないほどに、この街は清潔なのだから」

――チューリッヒは伝統的に清潔な街であっ

たらしい。

 

だがコンサルティング企業・マーサー社の調査

でチューリッヒが〝世界で最も生活の質が高い

街〞の上位に常にランキングされているのは、

清潔さだけが理由ではないだろう。チューリッ

ヒの物価はけっして安くないが、マーサー社の

調査によると、東京よりも安くトップ10位に

は入っていない。失業率は低く高所得だが、

連載   世界の先進的街づくり探訪T O U R I N G I N N O V A T I V E T O W N S O F T H E W O R L D

20ジャーナリスト

篠田香子

大自然に囲まれたチューリッヒ。スイス各地の結節点としても便利だ

アルプスを望む、風光明媚な湖畔の古都金融の中心地としての経済力を背景に、文化の香るコスモポリタン都市へと進化

中世からの重厚な町並みを残す、チューリッヒ。かつては厳格で保守的な印象を与えたが、現在はオープンでリベラルな気風があふれ、斬新な都市計画も成功している。

リゾート風情が漂う、初夏の湖畔の街からレポートする。

スイス チューリッヒ

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Page 2: TOURING INNOVATIVE TOWNS OF THE WORLD スイス ......TOURING INNOVATIVE TOWNS OF THE WORLD 20 ジ ャ ー ナ リ ス ト 篠 田 香 子 大自然に囲まれたチューリッヒ。スイス各地の結節点としても便利だ

photo:swiss-image.ch画像マチです

Zurich MAP

スイス

チューリッヒ空港

チューリッヒ湖

リマト川

チューリッヒ

チューリッヒ随一のショッピングストリート「バーンホーフシュトラーセ」(駅前大通り)。ブランドの路面店や時計、宝石店が軒を並べる

おもいおもいにランチを楽しむ。チューリッヒには住人180人に対して1軒のレストランがあるといわれるほどの激戦区でもある

チューリッヒ国際空港には150以上の都市に直行便が就航。町の中心部から電車で10分程度と、アクセスもよい

チューリッヒ観光局CEOマリス・アッカーマン氏

市内中心部にはリマト川が流れる。夏には一部分が市民プールとして開放される。川沿いのレストランは食事を楽しむ人々で賑わう

チューリッヒ・カードは一定額を払うと、市内の電車などや40以上のミュージアムが無料になる。ガイド付きツアーも半額になる、観光客にとっては魅力的なシステム

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体ではなく個人旅行がふえていることが特

徴です」と現状を語る。今後のチューリッヒ

における計画としては「チューリッヒ・ウエスト

は、かつて工業地帯だった土地が商業施設や

住居などに開発されており、新しい文化発

信地になっています。2017年には20万㎡

におよぶ空港地区の開発が完成する予定

で、空港自体がひとつの魅力的な街になり

ます。また年内には市内にスイス最大のカ

ジノも開業します。現在平均稼動率71%

を記録している市内のホテルも、さらに客室

数をふやし、ビジネスとレジャーにおけるサス

テイナブルなクオリティ・ディステイネーショ

ンを目指します」と語る。

展著しい

チューリッヒ・ウエスト

 ヨーロッパの中央に位置するというロケーショ

ンよさをフルに活用し、山岳地帯にも関わら

ず、スイスは交通インフラの拡充に力を入れ

てきた。チューリッヒ市から電車で20分ほど

のところにあるチューリッヒ空港は、ヨーロッパ

だけでなく、諸大陸へのハブ空港として拡大

している。チューリッヒ市内の交通インフラ

は、トラムや電車が縦横に走り車を必要とし

ない。

 

旅行者向けには、市内の公共機関(船も含

む)や美術館40施設などが一定時間無料で使

用できるチューリッヒ・カード(72時間の場合は

400SF)が好評だ。湖上も、市内から外

れた森林や山もこれで行き来できる。チュー

リッヒに住む人に向けてもこのような割安な

交通カードが発行されている。

 

公共機関の整備が進んでいるために、水ば

諸税金はぐっと安い。治安もいい。アルプス

山脈も近く湖もあり、市内にも公園など緑

が多く自然環境もいい。

 

また市内に50軒以上もある美術館をはじ

めとして、文化施設も充実している。大学

などの教育機関が20施設以上、大手の研究

機関が15施設以上。アカデミックな水準も

高いわけで、当然ながら医療機関も充実し

ている。永世中立国であるために、国際機

関の出先も多い。チューリッヒの人口は約

37万人だが、街を行き交う人々が国際色豊

かで、若者も多いのはこうした背景もあるだ

ろう。

 こうした生活の質の豊かさは、観光資質と

しても大きな魅力となっている。ビジネス

旅行者も多く、チューリッヒ近郊への年間旅

行者は日帰りも含むと約3100万人、宿

泊数にすると年間約5200万泊にのぼ

る。その内の約半分が外国人旅行者だ。

チューリッヒ観光局のCEO、マリス・アッカー

マン氏は「スイス全体への旅行市場は昨年は

2%減少しましたが、チューリッヒへは2・6%

増と過去最高記録となりました。なかで

もビジネス旅行市場が堅調です。ビジネス

の街でありながら、湖や山まで10分の距離

にあり、アーバン・リゾートともいえます。

日帰りでハイジの里まで行くことができま

す。中欧というロケーションもよく、インフラ

も整備されています。観光産業には力を入

れており、年間390億スイスフランを投資

し、観光PRを行なっている。、チューリッヒへ

の日本人旅行客数は年間約6万5000

人。山岳地帯への旅行が多い傾向にありま

す。近年は中国や新興諸国の旅行者の、団

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Page 3: TOURING INNOVATIVE TOWNS OF THE WORLD スイス ......TOURING INNOVATIVE TOWNS OF THE WORLD 20 ジ ャ ー ナ リ ス ト 篠 田 香 子 大自然に囲まれたチューリッヒ。スイス各地の結節点としても便利だ

ウエストの発展を象徴する「プライムタワー」。126mと、市内では最も高い建物となる

ヒューリマンビールを改造した「B2ブティックホテル・スパ」。屋上には浴槽が設置され、市内を一望できる。ローマ風の浴槽も

新規開発が相次ぐチューリッヒ・ウエスト。鉄道高架下を改装した最新のショップが人気

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ール醸造所がホテルに

歴史の重みと斬新なデザインが融合

 

チューリッヒ・ウェストに比べると小規模だが、

市内北西部の高台にある再開発が話題を集

めている。地元のビールメーカー「ヒューリマン

ビール」が19世紀に築いた醸造所の跡地が、ホ

テル、オフィス、住居、店舗などの商業複合施設

「ヒューリマン・アレアール」として生まれ変わっ

た。半分以上の建物が昔の外観をそのまま

使い、昔の醸造所の雰囲気が残されている。

 

小高い丘の麓にはかつての従業員宿舎や厩

舎が、いまはカフェや小売店などの商店になっ

ている。モダンなオフィスビルがあり、グーグル

が米国外では最大のヨーロッパ拠点を構え

る。少し離れた場所にある居住用ビルも完成

が迫っている。この地域の再開発の目玉が、ユニ

ークなデザインのホテルとスパだ。小高い丘の

上の醸造所を改造した四ツ星のデザインホテル

「B2ブティックホテル・スパ」が3月に開業し

た。

 

ホテルとスパとも外観はそのままに、かつての

醸造所と工場の骨組みを使った斬新な空間

を生み出している。スパは建物の屋上部分は

すべて浴槽となっており、水着で入浴しながら

チューリッヒの町並みを一望できる。一方で地下

の酒倉はローマ風の浴場に改造されている。ミ

ネラル分豊かな鉱泉は地下から汲み上げたも

ので、かつてはミネラルウォーターとしても販

売、ビール製造にも一部使用されていたという。

 

ホテルの宿泊者には客室からスパまで直通の

エントランスが設けられている。ホテルの客室

は、メゾネットタイプのスイート8室を含む53

室、すっきりとしたモダンなデザインだ。エン

かりでなく空気も排気ガスの少ない清らかな

森と湖が街中に保たれている。

 

街の真ん中を流れるリマト川はその水運を

利用していくつかの工業地帯を築いてきた。

そのひとつであるチューリッヒ・ウエストは、工場

移転後にその跡地が再開発され、新たなビジ

ネス、商業、住居地区として活気をみせてい

る。チューリッヒでは随一の経済力を発揮して

いるが、その象徴ともいえるスイスで最も高い

36階建ての高層建築「プライムタワー」が昨

年秋に完成した。オフィスと商業の複合施設

で、サステイナビリティに優れたデザインとシ

ステムとなっている。オフィスフロアはすべて賃

貸契約済みだ。最上階の展望レストランが人

気だという。

 

近代的な建物とともに、古い工場なども一

部ではそのまま活用されており、個性を残し

ている。なかでも1894年に開設された石

造りの鉄道高架橋の下は、商業施設となって

チューリッヒの新名所に。トレンディな店舗や

オフィスと並び、新鮮な食材を売るマーケット

も残っている。古いトラックの幌を活用したス

イス産のバッグ「フライターグ」は日本でも人

気だが、この本社もここにある。古いコンテナ

を重ねた店舗が人目を奪う。

 

チューリッヒ・ウエストには、16年までに

7000人が住み、3100人が通勤するよう

になるという。若者人口が増加する一方で、

手軽なアパートが不足しているため、学生寮

も計画されている。中央駅からトラムで10

分、さらに郊外へ向けてのトラム、電車、バスな

どの交通インフラの拡充が図られている。一方

で川沿いの歩道、自転車道なども整備が進

む。

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Page 4: TOURING INNOVATIVE TOWNS OF THE WORLD スイス ......TOURING INNOVATIVE TOWNS OF THE WORLD 20 ジ ャ ー ナ リ ス ト 篠 田 香 子 大自然に囲まれたチューリッヒ。スイス各地の結節点としても便利だ

ホテルのラウンジ「ライブラリー」。書籍の壁とビールの空き瓶を使用したシャンデリアに圧倒される。

約90席のワインバーがあり、小皿料理が楽しめる

モダンなデザインのホテル客室。醸造所の重厚感をかすかに感じさせる

カトリーン・ウルフ総支配人バーでは同性愛者も歓迎。同性愛者のための祭典「ユーロブライド」は09年に開催されている

詳細はスイス観光局:http://www.myswiss.jp

Zurich

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トランスロビーの奥にある「ライブラリー」と名

づけられたラウンジは、約3万冊の書籍の壁に

囲まれている。天井にはヒューリマンビールの

空き瓶を使ったシャンデリア。ロビーには本を

重ねたコーヒーテーブルなど、インテリアも独

創的だ。

 

建物の改造も内装も地元の建築家による

ものだ。スイスの不動産デベロッパー・PSPス

イス・プロパティが6500万SFを投じ、26か

月をかけて完成した。ホテルの運営はスイスオ

タリカム・ホテル・メネジメントで、ブックマーク・

ホテルズと称する歴史ある小さなホテルをメイ

ンに、6軒のホテルをスイスで運営している。

「ホテル内のインテリア小物やアートなどに

も、ヒューリマンで使用していたものをさりげな

く採り入れています。ラウンジの朝食、バーの

飲み物なども地元の名産を中心に揃えてい

ます。若いビジネスマン、デザインや健康に関

心のある旅行者の滞在が多いようです。まだ

開業したばかりですが、国際会議のある週に

は満室が続きます」と、カトリーン・ウルフ総

支配人は嬉しい悲鳴をあげる。

々のライフスタイルを

尊重する風土も

 

アルプスの夕焼けがきれいだというので、ホ

テルの裏手から小さな電車に乗って、ウエトリ

バーグに向かう。チューリッヒカードを使い、20

分ほどの距離で行けるという。電車は花盛

りの庭に囲まれた可愛らしい民家が並ぶ住

宅地を抜けると、突然森の中に入った。周囲

は針葉樹が茂り、キツネらしきの姿を見かけ

た。終着点のウエトリバーグには、展望テラス

とカフェレストランが一軒あった。

 

チューリッヒ湖とチューリッヒの街並み、そし

て夕日でバラ色を帯びたアルプスの白い山並み

が一望できた。仕事帰りなのだろう、テラスで

ビールを傾けるグループ。若い男性のカップル

が仲睦まじく寄り添って語り合う。観光局

のプロモーションでも「ゲイに優しい街に」とい

う標語を掲げていたのを思い出す。虹の旗が

かかるホテルなどをよく見かけたが、これはゲ

イのカップルを歓迎、というサインだとか。

「チューリッヒ・トラブル」とも呼ばれた反体制

学生運動が勃発した90年代以来、この街はあ

らゆる面でリベラルになった。直接投票を中

心とした政治体系に変わり、市民の声がより

政治に、そして、社会に反映されている。永世

中立国を謳いながら、民兵制度とり優秀な

軍隊を有し、近年の国民投票では銃規制も

否決された。この国は自立した国民が独自の

強靭な国家を築いている。

 

自らの意思で死を望む人に自殺幇助をす

るチューリッヒのNPOがあるが、外国人の依頼

にも応じることが市民投票で合法として認め

られたというニュース記事があった。風光明媚

なチューリッヒにそんな片道切符で外国人が

来ては困るという声も聞かれたというが、国

内外を問わずすべての個人の意思を尊重する

という意見が勝ったという。みずからのライフ

スタイルに責任をもち、個々のライフスタイル

を尊重する、チューリッヒの快適さはそんなファ

ンダメンタルがあるからではないか。

 

気づくとチーズをつまみにビールを飲み終え

ていた。山の夜は早いらしい、帰途の電車はか

なりの人が乗り込んだ。かなり飲んでいたよ

うだが、酔っ払いは一人もいない。アルプスの冷

たい夜風に、みな背筋を正して座っていた。

連載世界の先進的街づくり探訪

20チューリッヒ

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