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目目 (Indice) 1. 私私私私私私私私 p. 2 2. 私私私私 p. 3 3. 私私私私私 p. 4 4. 私私私私私 p. 5 5. 私私私私私 p. 6 6. p. 7 7. 私私私私私私私私 p. 8 8. 私私私私私私私私私 p. 9 9. 私私私 p. 10 10. 私私私私私 (Zamenhof) p. 11 11. 私私私私 p. 12 12. 私私私私私私私私 p. 13 13. 私私私私 p. 14 14. 私私私私私私私 p. 15 15. 私私私私私私私 p. 16 16. 私 私 p. 17 17. 私私私私 p. 18 18. 私私私私 p. 19 19. 私私私私私私私 p. 20 20. 私私私私私私 p. 21 21. 私私私私私私私 p. 22 22. 私私私私 p. 23 23. 私私私私私私 p. 24 24. 私私 p. 25 25. 私 p. 26 26. 私私私私私私私 p. 27 27. 私 p. 28 28. 私私 p. 29 29. 私私 p. 30

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目次 (Indice)

1. 私の趣味について p. 22. 学歴社会 p. 33. 鶏とムカデ p.

44. 料理の常識 p. 55. 漢字の起源 p. 66. 一休さん p. 77. 日本へ旅行に行く p. 88. ホームスティの意義 p.

99. 盲導犬 p. 1010. ザメンホフ (Zamenhof) p. 1111. タンポポ p. 1212. 七千円で買える弟 p. 1313. 男性と女性 p.

1414. アイヌについて p. 1515. 韓国と日本文化 p. 1616. 写真家、土門拳 p. 1717. 平塚雷鳥 p. 1818. 本当の闇 p. 1919. 指揮者と母国語 p. 2020. 歴史について p. 2121. 極寒の地に住む p. 2222. 悩み相談 p. 2323. 世の中の変化 p. 2424. 実感 p. 2525. 鍵 p. 2626. 郊外から都心へ p. 2727. 卵 p. 28

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28. 戯曲 p. 2929. 地球 p. 3030. 生活に必要なもの p. 31

私の趣味について

私は、中国料理を作ったり食べたりするのが大好きです。時間がなくても、簡単に

おいしく出来るからです。それに、作った料理を大きい皿に盛って、テーブルの中央

に置いておけば、友達と話しながら、楽しく食べられます。使う道具も包丁と鉄の鍋

だけなので、日本料理のように、食事の後で食器をたくさん洗わなくてもいいのです。

中国料理で一番おもしろいのは、珍しい材料を使うことです。例えば、ツバメの巣、

猿の脳みそや熊の掌などが有名です。熊は、蟻をつぶすのに掌を使いますが、この時、

掌に甘酸っぱい蟻の血がたくさんついて、おいしくなります。偏見を持たずに、広い

視点から材料を集めるのが中国料理の特徴です。

日本の中国料理の歴史は、江戸時代に中国と公式に貿易関係を結んでから、始まり

ました。千九百年ごろには、日本へ来る中国人のために、最初の中国料理店が開店し、

大正時代には庶民も、そのおいしさを知るようになったのです。

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学歴社会

日曜日の朝、重い鞄を持って塾に通う小学生を見かけることがよくある。有名な中

学の入学試験に合格するために、休みの日も遊ばずに、勉強する子供達だ。

有名な中学に入れば、いい高校、大学へ進学できる。そして一流企業に就職できる。

そうすれば、生涯安定した給料をもらって、幸せに暮らせる。そんな社会を学歴社会

と言う。

日本はこれまで学歴社会だったし、今も「学歴が高ければ幸せになれる」と考える

人が多い。

しかし最近は、大学などに進学する人が約40%もいて、「いい学歴があれば、必ず

いい生活ができる」とは言えなくなってしまった。実際、入社試験の面接で、どこの

大学を出たか聞かない会社もある。学歴より、その人自身の能力や人格のほうが大切

だと考えるからだろう。

この傾向が続けば、将来、日曜日笑いながら遊ぶ子供たちがもっと多く見られるよ

うになるかもしれない。

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鶏とムカデ

昔、琉球という国があって、東南アジアの国々と交易をしていました。安全に航海

するために、交易に使った船には、鶏の顔が描いてありました。また、天気が悪い時

は、ムカデの形をした旗を掲げることもありました。では、どうして、琉球の人々は

鶏とムカデを選んだのでしょうか。それは、次の琉球の昔話を読めば、よくわかりま

す。

昔々、竜は琉球で一番強い動物でした。竜の機嫌が悪くなると、いつも海が荒れて、

人々は航海ができませんでした。ある日、竜は海で暴れた後、陸で静かに休んでいま

した。その時、ムカデが一匹歩いて来て竜の耳の中に入りました。ムカデは耳の中を

行ったり来たりします。とても痛いので、とうとう我慢できずに泣いてしまいました。

そこへ鶏が飛んで来て、「これから、もう悪いことをしないなら、助けてあげましょ

う。」と竜に言いました。そして、くちばしでムカデを取ってあげました。竜は「小

さくて弱そうな動物でも、いろいろなことができるのだ。私は気をつけなければなら

ない。」と思って、その後あまり暴れなくなったのです。

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料理の常識

奇抜な組み合わせで食材を調理してみると、意外なおいしさに出会えることがある。

日本では数年前、「きゅうりに蜂蜜をかけるとメロンの味がする」とか、「ご飯に

マヨネーズをかけるとおいしい」という話が流行した。実際、この意外な組み合わせ

を食べると、おいしかった。

今、日本の若者の間で、数年前と違う現象が起こっている。今度の現象のほうが、

数年前の流行よりもっと奇抜だ。例えば、コーラでお米を炊いたり、なすをコーヒー

で煮たりする。若者達は、こんな経験をインターネットで紹介すると言う。

数年前に流行した食材の組み合わせはおいしくなければならなかった。しかし、今

度は、おいしくてもおいしくなくてもかまわないという。目的は奇抜な組み合わせで

料理の常識を破ることだからだ。

日本では、1日24時間開いている店があって、いつでも好きな食材が買える。だか

ら、こんな現象が生まれたのかもしれない。

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漢字の起源

いつごろ、どうやって漢字ができたかまだはっきりわかっていない。

中国の伝説に、約四千七百年前、一人の役人が鳥の足跡を見ながら漢字を考案した

話がある。しかし事実かどうかわからない。

今も残っている一番古い漢字は、中国で見つかった紀元前千五百年頃のものだ。子

供の絵のような漢字が、動物の骨や亀の甲羅に書いてある。これらの絵文字がほぼ現

在の形になるのに、さらに二千年以上かかる。

紀元前に中国で漢字が生まれたのは間違いない。しかし、漢字が日本に伝わって来

てから、日本人は、中国の漢字に新しい意味を与えたり、形を変えたりした。そして

日本独自の文字「ひらがな」も生まれた。

さらに、日本人は中国の漢字を真似しながら新しい漢字も作った。例えば「畑」は

その一つだ。「畑」という漢字は「火」と「田」という二つの漢字からできている。

昔、畑を作るために、草や木を焼かなければいけなかったからだ。かつて漢字はこの

ように必要なら作れる便利な文字だった。

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一休さん

日本語には同じ音で意味の違う言葉がたくさんあります。例えば、「はし」という

言葉には、端や橋、箸などいくつかの意味があるのです。次に、このことを示すおも

しろい話を紹介しましょう。

昔、あるお寺に、一休さんという小坊主がいました。一休さんはまだ子供でしたが、

大人より賢いという評判でした。大人でも解決できない問題を簡単に解くので、村の

人は何か困ったことがあると、いつも一休さんの所へ行きました。

ある日、一休さんは城の殿様から招待を受けました。殿様は一休さんにごちそうし

てあげようと思ったのではありません。難題をどう解くか見たかったのです。

城の門の前には川が流れていて、城に入るためには橋を渡らなければなりませんで

した。しかし、殿様は、一休さんが橋を渡れないように、橋のそばに「はしを通って

はいけません。」と書いておきました。

一休さんは立て札を読んで、少し考えてから、橋を渡って城の中に入りました。殿

様は驚いて、一休さんに言いました。「どうして橋を渡って来たのですか。はしを通

ってはいけないと書いてありましたね。」一休さんは笑いながら答えました。「私は

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『端』は通っていません。『真ん中』を通って来たのですよ。」

日本へ旅行に行く

一般に日本は安全で旅行しやすい国だが、旅行の計画を立てる時、気をつけなれば

ならないのは、旅行の時期である。お正月、ゴールデンウイーク、お盆の時期になる

と、飛行機や電車を予約するのがとても難しくなる。ゆっくり旅行したいなら、この

時期は避けたほうがいい。

また、日本人は、春は花見をし、夏は涼しい高原へ行き、秋は紅葉を見、冬は温泉

に入るのを楽しむ。日本人のように、季節を感じながら旅をするのもおもしろいかも

しれない。

物価が高い日本を旅行する時は、費用を少しでも安くするために、いろいろな努力

が必要だ。例えば、高い新幹線を使わないで安い長距離バスに乗る。

ホテルや旅館は一泊二万円以下では泊まれないから、「民宿」という家族経営の宿や 、

寺を選ぶ。特に京都は、観光客を一泊五千円ぐらいで泊めてくれる寺が多い。

このように、出発の前にインターネットなどを利用して情報を集めておけば、お金

をたくさん使わなくても、日本を楽しむことができるのだ。

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ホームスティの意義

最近、日本人の家族と生活をする留学生が多くなった。しかし、ホームスティをす

る家族とうまくいかなくて、途中で一人で生活を始める学生もいる。ホームスティ先

の母親が学生の生活に口を出し過ぎるという話をよく聞く。つきあっている友達につ

いて干渉したり、お風呂に入る時間も決めたりするそうだ。自分の両親からもそんな

扱いを受けたことがない学生は、とまどってしまう。

ホームスティ先の母親は、留学生を自分の家族と同じように心配する。しかし、学

生は大人として扱われないことに不満を感じる。この行き違いの原因は、家族関係に

対する考え方の相違だと言える。

一般に、欧米の国々では、家族の間でもあまり干渉しないし、個人の考えと独立性

を大切にする。それに対して、日本や東洋の国々では、家族がお互いに依存する傾向

が強い。西洋の考え方が正しくて、東洋のが間違っているとは言えないので、問題が

あった時は話し合ってお互いに歩み寄るようにしなければならない。話し合いと歩み

寄りの中から、お互いの文化を学ぶことができれば、それがホームスティの一番の意

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義と言えるだろう。

盲導犬

犬は、賢くて活発で、人間と仲良くなれる動物である。

ペットとしてかわいがられる犬もいるが、警察犬などのように、人間のために働く

犬もいる。働く犬の仲間である盲導犬は、目の不自由な人が町を安全に歩けるように 、

目の代わりになって助ける犬だ。

盲導犬になる犬は、一才からきびしい訓練を始める。

最初は、人間の言うことに従う訓練である。訓練をする人は、「進め」、「止ま

れ」などのように、犬に命令を出す。犬は、だんだん人間の言葉がわかるようになっ

ていく。

次は、人を安全に導く訓練である。「ハーネス (harness)」という器具が、犬の体

に取り付けられ、危ない物の前で止まったり、それをよけたりすることが、繰り返し

犬に教え込まれる。また、主人にとって危険な命令には従わないことも、覚えなけれ

ばならない。

訓練中には、盲導犬にふさわしい心構えも身につけていく。盲導犬は、人々が忙し

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く動き回っている町で仕事をする。しかしどんなことがあっても、吠えたり、暴れた

りしてはいけないし、おいしそうな臭いのする方へ行ってもいけない。

目の不自由な人にとって、盲導犬は体の一部であり、心の通う家族なのである。

ザメンホフ (Zamenhof)

国際語と呼ばれているエスペラントを創案したのはザメンホフである。ザメンホフ

はユダヤ人で、1859年にポーランドの東にあるビアリストック (Bialystok) という町

で生まれた。そのころ町にはポーランド人、ドイツ人、ロシア人など様々な民族が住

んでいて、十二、三種類の言葉が使われていた。相手の言葉が理解できないことが原

因で、度々争いが起こった。「人間はみな兄弟だと教えられているのに、町で見るの

は争いばかりだ。」ザメンホフは子供の時からこのことに心を痛めていた。なんとか

してこの不幸をなくさなければならないと考えるようになった。そして、世界中の人

がわかる共通語を作れば、ビアリストックで起きたような争いはなくなるだろうと考

えたのである。

国際語を研究し、作ることに成功したのは1878年、ザメンホフが19歳の時であっ

た。医者になるために医科大学に入り、大学時代の6年間は自分の作った国際語を実際

に試して、より完全なものにする努力を続けた。1885年、大学を卒業した年にザメン

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ホフの国際語はできあがった。卒業後は眼科医として生活を始めたが、完成した国際

語を世界の人々に知らせたいと思い、本を出版することにした。ザメンホフは、第一

次世界大戦中に、58歳で生涯を閉じた。

タンポポ

春が来ると、野原では、タンポポの花がいっせいに咲き出す。雨が降った後の野原

は、まるで黄色いじゅうたんのようだ。

この植物は、寒い冬の間も、しっかり根を張って生きているのだそうだ。秋が過ぎ

て寒くなると、タンポポは、その時まで立てていた葉を地面に倒して、放射状に広げ

る。それは、この姿勢なら、冷たい風に当たらずに、弱い太陽の光を効率的に受ける

ことができるからだ。そして、タンポポは暖かくなるのを待つ。

開いた花は、二、三日経つとしぼんで、だんだん黒っぽい色に変わっていく。そし

て、花の軸が地面に倒れてしまうが、タンポポは枯れたのではない。花と軸を休ませ

て、種に栄養を送り、種を太らせるのだ。やがて花がすっかり枯れてしまうと、その

後に白い綿毛ができてくる。この綿毛のそれぞれは、広がると、ちょうど落下傘のよ

うな形になる。タンポポは綿毛についている種を飛ばすのだ。

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この頃になると、倒れていた花の軸がまた起き上がり、急速に伸びていく。それは、

背が高くなれば、綿毛によく風が当たって、種を遠くまで飛ばせるからだ。

晴れて風のある日には、綿毛は空中に舞い上がり、落下傘をいっぱいに開いてあち

こちへ飛んでいくが、湿気の多い日や雨の日には、綿毛が湿って重くなるので、種は

遠くまで運ばれない。

タンポポは、どこにでも育つ、平凡な植物なのに、こんなに知恵を働かせて増殖し

ているのだ。

七千円で買える弟

今、中国で流行しているものがある。それは、人間の赤ちゃんの形をした人形だ。

この人形の中には電池が入っていて、手を握ると、泣いたり笑ったりする。ふだんは

ミルクを飲ませなければならないし、病気の時には薬をあげなければならないし、ま

るで本物の子供のようだ。一個約7千円で販売されている。

現在、中国の農村では多数出産が認められていて、兄弟が多くいる家庭も珍しくな

い。しかし、都市では人口を抑制するために、子供を二人以上産んではいけないこと

になっている。1980年以降に生まれ、もうすぐ20歳になる子供の大部分が一人っ子

だ。

実際には多くの親が複数の子供をほしがっているようだ。しかし、国の政策で禁じ

られているので、経済的にゆとりのある家庭でも子供は一人しかいない。その結果、

「一人っ子は、財布を六つ持っている。」と言われるようになった。これは、一人っ

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子が甘やかされている現実を表している。例えば、デパートには高級なおもちゃや衣

服が並び、値段が高い物のほうが安い物より好まれる。

この政策の影響で、子供たちが兄弟関係を通して他人へのいたわりを学ぶ機会が少

なくなってしまった。この人形を販売している会社によると、このおもちゃを使えば、

一人っ子でも弟のいる生活が経験できるそうだ。

男性と女性

先日、日本人の平均寿命に関する統計が発表された。今まで、日本人の平均寿命は 、

毎年少しずつ長くなってきた。しかし今年は、男性の数値が前の年より少し低くなっ

た。それは、昨年自殺した男性の数が不況の影響で40パーセントも増えたからだ。日

本では不況になると、多くの男性が、仕事の重責やストレスに耐えられなくなったり、

将来に不安を感じたりして、自分の命を絶ってしまうことがある。つらい時も、他の

人に弱みを見せないように、誰にも相談しないで一人で我慢する人が多い。また、悩

みを人に話すのは恥ずかしいと感じる人もいるようだ。

一方、同じ時期の女性の自殺者は男性の半分以下だそうだ。最近は日本の女性も仕

事をするようになり、ストレスを感じる機会もたくさんあるはずだが、女性の自殺者

は少ない。ある新聞記事は、次の3つの点が原因として考えられると言っている。1)

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女性は困った時、ためらわずに周囲の人に救いを求めることができる。2) 生物学的に

女性のほうが男性より簡単に衝動をコントロールできるので、女性は自殺以外の解決

策を見つけやすい。3) 女性の場合、自殺をするために薬物を使う傾向がある。だから、

死に至る確率が低い。

つまり、女性は日常的に感情を表現しながらストレスを発散しているので、苦しい

ことがあっても、致命的な行動を避けることができるのだ。

アイヌについて

北海道では古くから、「アイヌ」という民族が生活している。「アイヌ」は日本語

で「人間」という意味だ。この民族は、自分たちに恩恵をくださるすべてのものが神

だと考えているので、自然神や動物神などいろいろな神がいる。

アイヌの社会では、人が死ぬと埋葬をする。夫婦でも、同じ墓に埋めることはない。

墓標は、普通、男性のは槍のような形をしている。女性のは細い針の先のようにとが

っている。葬式に来た人は、墓地で亡くなった人を埋めるのを手伝う。埋葬が終った

ら、みんなでいっしょに墓地を出なければならない。この時、悲しくても泣かないの

がアイヌの習慣だ。また、帰る時に後ろを見てはいけないし、寄り道することもでき

ない。死者の霊が、生きている人々の世界に帰って来てしまうからだ。女性は夫が死

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んだら、年間着物を裏返して着、外へ出ずに一年中家の中で生活する。

韓国と日本文化

昨年日本を訪れた外国人でいちばん多いのは韓国人で、百一万人だった。また、韓

国へ出かけた日本人は百六十万人で、アメリカ合衆国への旅行者の次に多かった。日

本と韓国の交流は密だ。

私も、仕事や観光でよく韓国へ行く日本人の一人である。夕食時、ソウル (Seoul)

の裏町を歩いていて、窓から韓国人の一家だんらんの光景を見たことがある。おばあ

ちゃんを囲んで楽しそうにご飯を食べている様子は、昔の日本にそっくりだった。日

本人観光客がよく利用するホテルでは、いろいろな案内が英語より先に日本語で書か

れている。衛星放送で、日本のテレビ番組も見ることができる。韓国で流行している

歌を聞くと、メロディーがまるで日本の歌謡曲のようで、びっくりさせられる。日本

語を勉強する学生も多いらしい。韓国を旅行する日本人は、この隣の国に強い親近感

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を抱くはずだ。

けれども、最近まで韓国では、日本映画の上映やビデオの販売が公式には禁じられ

てきた。日本製のアニメも事前に検閲されてきた。韓国政府がこのように日本の大衆

文化をずっと拒絶してきたのは、韓国が日本に支配されていた時代の日本政府の態度

に問題があったからである。ところが、韓国政府はこの方針を変えることにし、段階

的に禁止を解いていくと発表した。現実にはすべてが禁じられていたのではなく、日

本の小説も出版されていたし、漫画も翻訳されていたが、公式に開放することの意味

は非常に大きいと思う。今後は大衆レベルでも、日本と韓国の相互理解が深まるだろ

う。

写真家、土門拳

戦後の昭和二十七年に出版された「日本の彫刻」という本で、私は土門拳の写真を

知った。仏像写真を集めた五十ページぐらいの薄い本だったが、彼の白黒写真は私を

感動させた。

奈良に生まれた私は、当時は二十三歳で、この古都で青春を過ごしていた。それま

で私は奈良の仏像を漫然と眺めていたが、この本の写真によって、仏像の非常に人間

的な表情に気づかせられた。私はあらためて奈良を歩くようになった。彼の写真のお

かげで私の故郷を見る目がすっかり変わったのである。

土門は日本の仏像や古寺、焼き物などの写真でたいへん知られている。広島の原爆

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や筑豊の貧しい子供たちなどの社会的なテーマの写真も有名である。また、昭和十六

年から十八年まで彼は文楽を撮影した。しかしそのときの写真は三十年後にやっと、

「土門拳文楽」という本として出版された。撮影当時、日本は戦争中で、文楽のよう

な伝統芸能の写真集が出版できる時代ではなかったのだろう。

文楽は大阪の庶民の中で生まれて育った芸能で、悲恋、心中なども大事なモチーフ

になっている。どうして土門がこの文楽に興味をもったのか、私は写真を見ながら長

い間考えた。おそらく彼は、この時代の文楽の名人たちの中に日本的な美意識と精神

性が受け継がれていることを理解し、それを写真の中にとらえようと思ったのであろ

う。

平塚雷鳥

1970年代に日本でも女性解放運動が盛んになった時、これは女性解放の「第二の

波」と呼ばれた。それでは、第一の波はいつ、どのように起こされたのだろうか。

この第一の波を起こしたのは、平塚雷鳥であった。雷鳥は、1886年に高級官僚の家

庭に生まれた。教育を重んじる家庭であったので、女子大学に進むことができた。大

学では英文学を勉強したいと思っていたのに、父の反対で雷鳥は家政科に入らなけれ

ばならなかった。当時は、将来良い妻、賢い母になれるように女子を教育していたが、

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この傾向は大学教育でも強く、彼女は反発した。

雷鳥は女であることの意味を深く考えるために、1911年に女性だけのグループを作

り、責鞜社と名付けた。「責鞜」は「青い靴下」という意味で、18世紀のイギリスの

女性たちのグループであった「プルーストッキング」に基づいている。

同じ年に『青鞜』という雑誌が創刊された。雷鳥が創刊号に書いた文章は、たいへ

ん有名になった。「元始*、女性は実に太陽であった。......今、女性は月である。他に

よって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」

雷鳥はどんな困難に出会っても、女性のための運動を続けた。そして第二次世界大

戦後には、平和運動にも参加するようになった。

1971年、ちょうど女性解放運動の第二の波が起ころうとしていた時、平塚雷鳥は

85歳で生涯を閉じた。

*元始=原初

本当の闇

先日、仕事で沖縄の小さな島にいった。仕事の終わった晩、私はひとりで近くの小

さな山の頂上まで、散歩することにした。村はずれの山の入り口に着いたら、街灯は

一本もないし、人家もなく、山道はまっ暗だった。それにここは亜熱帯の森だから茂

みが濃くて、夜空のわずかな光も届いてこなかった。懐中電灯は持っていたが、三ワ

ットの小さな光は、やっと足元を照らすことしかできない。これは本当の闇だと思っ

た。

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「ここでいきなり後ろから誰かに肩を叩かれたら、こわいだろうな」と考えながら

歩き続けた。でも汗をかいた顔に夜風が当たって気持ち良かった。二十分ほどで頂上

に着いた。下の村の夜景がきれいだったので、懐中電灯を消してしばらく眺めていた。

帰り道は、闇に目が慣れたので、明かりは消したまま山を下りた。さっきほどこわい

気持ちはなかったし、むしろ闇は私の気持ちを落ち着かせてくれるようだった。

「本当の闇を体験したことがありますか」と問われて、どのぐらいの人が「ある」

と答えられるだろうか。今では街灯のない道はほとんどないし、家々の玄関の明かり

も一晩中点いている。24時間営業のスーパーマーケットの前へ行けば、夜でもまるで

昼間のように明るい。「本当の闇」と言えるためには、広々とした感じが大事だから、

家の中で明かりを消してじっとしていても、闇の実感は味わえない。考えてみると、

私たちの日常生活から闇はすっかり失われてしまったのである。

指揮者と母国語

「音楽は世界の共通語だ」と言われている。しかし指揮者にとって、「言葉」はど

んな意味を持っているのだろうか。

私は日本人の指揮者だから、私の母国語は当然、日本語だ。聴衆に演奏を聴いても

らうために、私はオーケストラと何回もリハーサルをしなければならない。オーケス

トラに私の解釈をわからせ、演奏の質を高めるには、私の考えを口で説明することは

絶対に必要である。解説ばかりやる、おしゃべりな指揮者は、世界中どこのオーケス

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トラでも嫌われるようだ。オーケストラのメンバーたちは、指揮棒や指揮者の表情か

ら音楽を汲み取ろうとするからだ。けれども最低限の説明は、やはりやらなければな

らない。

私はドイツ語と英語がまあまあできる。だからドイツやイギリスやアメリカのオー

ケストラを指揮する時は、あまり困らない。フランス語も少し話せるから、フランス

のオーケストラと仕事をする時も大丈夫だ。

私にとっていちばん難しいのは、日本のオーケストラとの仕事なのである。母国語

だと何でも言えるので、ついしゃべりすぎてしまう危険性がある。これは私だけの問

題ではないらしくて、自分の国のオーケストラが苦手な指揮者はたくさんいる。指揮

者の言葉が少し不自由なほうが、オーケストラのメンバーは指揮者を好意的に理解し

てくれるのである。

だから日本では、まず、もし今英語やドイツ語やフランス語を使わなければならな

いなら私は何と言うか、考えてみる。それからこれを全部日本語に訳して、オーケス

トラに話す。この方法は少ない言葉で私の意志を伝えるのに、とても有効である。

歴史について

私達が生活している社会では、私達のすぐ近くの場所でも遠い外国でも、毎日いろ

いろな「できごと」がおこっている。このできごとの中には、新聞やテレビで報道さ

れる大きな事件がある。たとえば殺人や強盗、それから戦争などである。しかし、友

達とのけんかのような日常的な繰り返しも「できごと」とよぶことができる。どんな

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小さいできごとでも、一つのできごとともう一つのできごとは鎖のようにつながっで

終わりのない因果関係を作っている。この関係は「時の流れ」と言われている。

けれども、私達はただ時に流されて生活しているのではなく、いつも目の前のできご

とがなぜおこったか考えたり、できごとの中に何か意味を見つけようとしたりしなが

ら生きているのだ。このためには時の流れを反対の方向へさかのぼってみなければな

らない。こうして意味を持たされた過去のできごとを私達は「歴史」と定義している。

歴史の研究には二つの重要な仕事がある。一つめは実際におこった事実を発見する

ことである。しかし、確かな事実を次々に並べても、それだけでは「歴史」とは言え

ない。このたくさんの事実の中から主要なものだけを選んで、意味を持つように組み

立てることが、歴史の研究の二つめの仕事である。

新しい事実が発見されれば歴史は書き変えられる。現在が知りたければ、私達は過

去を知らなければならない。同時に過去を知るためには現在を知ることが必要だろう。

極寒の地に住む

「エスキモー」という言葉は、もともと「生肉を食べる人」という意味を持ってい

る。少し侮辱的に聞こえるので、今ではあまり使われなくなった。カナダのエスキモ

ーは自分たちを、「人」を意味する「イヌイット」 (inuit) という言葉で呼ぶ。現在で

は、公用語でもイヌイットと呼ぶようになった。

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よく知られているように、イヌイットは人類学的にはアジア人に属する。しかし、

彼等の祖先がいつ、どんな経路でアジアからアメリカ大陸に渡ってきたのかは、まだ

わかっていない。たぶん、二っの大陸がまだ地続きで、べ一リング海峡のなかった時

代に、陸路をたどって来たのだろうと推測されている。

私はいつも不思議に思うのだが、人間はなぜ極寒の地に定住するようになったのだ

ろうか。過酷な自然条件の地を捨てて、生活しやすい南の方へ移動できたはずなのに、

多くの民族が厳しい土地を生活の場に選んだ。何かの理由で、極寒の地にとどまらな

くてはならなかったのだろうか。それとも、人類の内部には、説明のできない不合理

な衝動がひそんでいるのかもしれない。

ともかく、イヌイットは北アメリカ大陸のいちばん北の地に定住した。そして乏し

い食料に頼りながら、寒さに耐えることのできる、すぐれだ生活方法を築いた。人類

には環境に適応するすぱらしい能力があるのだ。この思いは私をいつも感動させる。

悩み相談

<質問>

僕はどうしても対人関係がうまくいきません。友達も少ないし、授業中に先生に質

問された時にも、うまく答えられません。今通っている工業高校を卒業したら、就職

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するっもりですが、このままでは会社の面接試験で質問にうまく答えられそうにあり

ません。どうしたらよいでしょうか。

(17歳・高校生)

<答え〉

話すのが下手で、一見無愛想でも、きちんと仕事ができる誠実な人は、人に嫌われ

ません。雄弁な人より、素朴な話し方をする人のほうが、むしろ上司や同僚に信頼さ

れます。

だから、あなたの場合は、対人関係をじょうずにしようと心配するのではなくて、相

手の気持ちを尊重し、理解するように努力すればいいのです。相手があなたを正当に

理解してくれるかどうかは、相手の問題ですから、あまり気にしないほうがいいと思

います。

私はよくテレピやラジオで話す機会がありますが、実は若い時は、人前で話すのが

とても苦手でした。私の高校には作文の発表会がありましたが、いつも本当に嫌でし

た。でもその後、自分を訓練し続けて、大勢の人の前で話すのも嫌ではなくなったの

です。

社交性というのは生まれつきの性質ではありません。努力すれば、人との付き合い

も楽しめるようになります。

(評論家・秋山良子)

世の中の変化

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人闇の世の中は、いったい、どうして変わるのだろうか。

例えば、交通機関が発達する。自動車や飛行機の数が増え、そのスピードも速くな

ってくる。それで、世の中が大きく変わっていく。また、通信機関が発達し、電話や

ラジオ・テレビが普及する。そうして、また世の中が大きく変わっていく。この種の

変化は、これから先たびたび起こるであろう。

ところで、このような変化は、どうして起こったのだろうか。よく考えてみると、

いちばん大きな原因として、人間の知識や技術が進んできた事の結果であることがわ

かる。一口に言うと、科学が進歩した結果、世の中が変わったのである。その科学は、

人間が作り出し、考え出してきたものであって、生きた人間の営みの積み重ねの結果

であることは、もちろんである。科学だけではなくて、その他にも世の中を変える原

因になるような人間の営みはいろいろあるが、要するに、これから先の世の中も、生

きている人間の営みによって変わっていくのである。

そこで、皆さんに、その生きている人間の中に自分も入っているのだということを 、

一度よく考えてもらいたいと思う。もし、皆さんが、「自分の力は、ほんのわずかな

もので、世の中を変えることはできない。だから、自分は、変わっていく世の中の流

れに順応するしかない。」と考えれば、それは大きな誤りである。ひとりひとりの力

はわずかでも、個人個人のそれぞれの営みの結果として、この世の中が大きく変わ一

ていく事は否定できないからである。

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実感

日本は島国だから、外国へ行くには船か飛行機に乗らなければならない。昔は飛行

機を恐がって乗りたがらない人も多かったらしいが、今では誰でも気軽に飛行機の旅

を楽しむようになった。とにかく飛行機は速くて便利だ。地球の反対側の国まで、半

日ぐらいで飛ぶことができる。国内の旅行にも飛行機を利用する人がどんどん増えて

きた。朝東京を発って、大阪で用事を済ませ、夕方にはもう家へ帰って来られるのだ

から、信じられない便利さだ。しかし飛行機で旅行すると、空港から空へ上がって、

また空から空港へ下りるだけのような感じがする。だから、長い距離を移動したとい

う実感があまりない。ところが電車なら、外の景色を眺めれば少しずつ目的地に近づ

くのがわかるから、実感もずいぶん違う。飛行機のおかげで旅の苦労は減ったが、旅

の実感は薄くなってしまった。

料理も速く便利に作れるようになった。昔は火を強めたり弱めたりしながら、何時

間も煮なければならなかった料理も、現在の電子レンジなら十分でできる。焦げない

ように時々かき混ぜなくても、電子レンジが上手に全部やってくれる。何度もなべの

ふたを取って味を見る必要もないし、おいしそうな匂いに誘われて、「もうできただ

ろうか。」と胸をわくわくさせながら、台所をうろつく時間もない。電子レンジにご

ちそうを作らせるのは簡単だが、本当に料理したという実感が残らない。

私たちの生活はますます速く便利になっていく。生活様式が変化したら、私たちの

感動のしかたも変わってしまったようだ。けれども、何かをたしかに自分で成し遂げ

た、という「実感jが失われるのは残念なことだと思う。

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新聞を読むと、犯罪の記事ののっていない日はない。殺人、誘拐、強盗、放火など、

さまざまな犯罪が連日報道される。しかし、新聞記事にならない小さな犯罪も数多く

おこっている。その中でも最も多いのは「空き巣」、つまり留守の家に入って物を盗

む犯罪だろう。事実、安全と言われる日本でも「空き巣」は多い。警察の調査による

と、昨年の東京都内の「空き巣」は二万件をこえ、被害は二十四億円にのぼるそうだ。

「空き巣」の侵入方法は、鍵のかかっていない玄関から家の中に入るのが四十三パ

ーセントで、いちばん多い。錠を開けたり壊したりたりして入るのは、わずか二十パ

ーセントだ。どろぼうも、手数のかからない仕事を好むらしい。だから、鍵をかける

のを忘れなければ、かなりの被害は防げるはずだ。

最近は錠もたいへん改良されたそうだ。鍵にもさまざまな種類が声るが、比較的単

純な鍵の場合、二千から三千四百の中に一つ、同じ鍵が見つかる。

だから、どろぼうが三千四百の鍵を持って、次々と試せば、必ず合う鍵が見っかるは

ずだが、そんなことをするどろぼうはいない。もっと進んだ鍵の場合には、同じもの

は二億の中に一つしかなくて、さらに安全だと言われる。

しかし、いぐらすぐれた鍵があっても、かけるのを忘れてしまえば役に立たない。意

外なことだが、こんなに簡単なことをうっかり忘れてしまう人が多い。不注意が被害

を招く。犯罪防止には、人々の注意力を高めるのがいちばん有効な対策だろう。

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郊外から都心へ

今年の四月に引っ越しをした。八年間のんびり暮らしていた郊外の住宅地に、ある

有名私立大学が移ってきて、ぼくの家の前を五分に一台バスが走るようになった。お

まけに、ある日の夕方、新宿方面に出かけようとすると、駅のホームはラッシュアワ

ーのような混雑だった。新宿までは急行で約五十分かかる。高尾山の麓の静かな八王

子駅で初めてその光景を見た時、必ず座って行けると思い込んでいたぼくは、ショッ

クだった。

郊外には静けさと澄んだ空気がある。しかしいったん変化が起き始めると、たちま

ち変貌を遂げてしまう。いまはバス通りになったその道路は、以前は車が一台も通ら

なかった。僕はよくそこでテニスをしたり、ローラースケートをして楽しんでいた。

今度引っ越してきた所は都心の住宅地だが、こっちの方がはるかに静かだ。狭い道

路がいりくんでいて、バスが走る心配はまったくない。家の窓からは高速道路が見え、

あまり良い景色ではないが、とにかく書斎のすぐ前をバスが走る恐怖からは解放され

た。

引っ越してからはよく散歩をするようになった。前に住んでいた郊外の新興住宅地

とは違い、この辺はどこまでも街が広がっているから、飽きないで散歩ができる。毎

日遠くまで歩いていく。

自転車も購入した。自転車があれば、どこへでも自分でこいで行ける。八王子にい

た頃は、電車か車に乗らなければどこへも行けないので、あまり出かけようとは思わ

なかった。それで、家から一歩も出ないで小説を書き続ける日が多かった。いまは天

気がよければ毎日外へ出る。妻に頼まれて、近所の豆腐屋やパン屋へ走っていくこと

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もたびたびある。

友子は三年前からビアノを習っている。ある日、ピアノの先生に二時間も読けてビ

アノの練習をさせられたので、とても疲れて家に帰って来た。少し休んだ後、おなか

がすいてきたので、何か食へようと思った。家には誰もいなかった。冷蔵庫を開ける

と、白い卵が目についた。友子は卵を食べることにした。卵をゆでるために鍋を用意

して、ガスをつけながら、十五分ぐらいたったら台所に戻って来ようと思った。それ

から、宿題をやり始めた。その時、ふと、その日は祖父母を訪ねる予定たったことを

思い出した。それで、大急ぎで家を出た。卵のことはすっかり忘れてしまったらしい。

祖父母の家で、友子はお菓子をごちそうになったり、いろいろな話をしたりした。

夕方になって、兄が自転車でそこに来て、友子に言った。「友子、卵はどうした。」

友子は思わず息をのんで、真っ青になった。兄はとても怒っていた。「鍋には大きな

穴があいていたし、卵は炭のようになって赤く燃えていたよ。台所は煙でいっぱいだ

った。火事になるところだったんだ。卵をゆでようとしたのはおまえだろう。」友子

は泣きそうな顔をしていた。兄はそれだけ言うと、すぐ帰っていった。

「火事にならなくてよかった。もし火事になっていたら大変だったでしょう。」祖

母が慰めた。外はもう暗くなっていたのに、友子は家に帰りたくなかった。

「遅くならないうちにかえりなさ、両親を心配させてはいけない。そしてお父さん

とお母さんによく謝れば、許してもらえるかもしれないよ。小さい不注意が火事の元

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になることがよくあるそうだ。」と祖父が言った。

戯曲

私は戯曲を書いている。戯曲は「話される」ための文章で、小説のような「読まれ

る」ための文章とはかなり違う。

日本文学には、小説家によって書かれた戯曲が多くあるが、そんな戯曲では、登場

人物のせりふが何ページも続いていることがある。戯曲家の私はこのような文章を読

むと、同じ舞台にいる他の俳優たちの気持ちを考えて心配になってしまう。彼らはこ

の長い独白が終わるまで、じっと待っていなければならないのだ。気持ちはどんどん

冷めていくだろう。

かわいそうだなあと思う。

私達が小説を読むのは、これから人生の真実を学びたいからだ。登場人物はあんな

時、あんな行動をした。では読者の私も、同じような時には同じようにしてみよう。

ところが戯曲は、「こんな時はどうしたらいいか」だけでなく、「どんな言葉を使え

ばいいか」も教えてくれるのだ。また、私達はふっう、日常生活で「話し言葉」を使

いながら他人と接している。それなら、戯曲は人生に役立つ「話し言葉」だけを使っ

ているのに、どうして一般的に読みにくいと思われているのであろうか。

私は次のような経験がある。ある詩を頭の中だけで読んだらつまらなかった。同じ

詩を朗読してみたら、深く感動した。これは「読まれる」ことと「話される」ことの

違いをよく証明している。私は作品を書く時、何度もせりふを声に出してみる。どの

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表現がいちばん言いやすくて、気持ちを伝えやすくて、適切だろうか。私の作品は、

俳優が実際に話した時、はじめて本当の価値を発揮するのだ。

地球

今も昔も、地球の大きさはほとんど変わっていない。しかし、私達は地球がだんだ

ん小さくなってきたような印象を受ける。昔は船で一ヵ月もかからないと行けなかっ

た遠い国へ、今は、飛行機に乗れば一日か二日で行ける。人工衛星は二時間もかから

ずに地球を一周するし、電波は、一秒もかからずに、地球上の一地点から反対側の地

点までニュースを伝える。

遠い所への旅行がむずかしかった時代、遠い所からのニュースが伝わって来なかっ

た時代に生きた人々は、自分の回りの小さな世界のことしか考えなかった。生きるた

めには、まず自分のことを考えなければならなかったのだ。遠い所のことは考える必

要もなかったし、どう考えていいのかもわからなかったのだ。

科学や伎術の進歩によって、交通や通信の方法がだんだん改良され、今は、遠くに

住む人々の生活も、テレビや新聞やその他の方法で、くわしく知ることが出来るよう

になった。世界の国々へ旅行がしたければ、私達はいつでもどこへでも行ける。旅行

者の数も毎年増えているようだ。たとえば、観光客か多すぎて、ヴェネツィアでは、

泊まる宿の見つからない人もいるらしい。夏休みには、人込みを避けるために、ヴェ

ネツィアの住人は、必要なとき以外はあまり外へ出ないのだそうだ。町が水に囲まれ

ているのに、人が多くて海水浴もゆっくり楽しめないようだ。観光客の多いのは、商

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店やホテルやレストランにとってはいいことかもしれないが、住人にとっては迷惑な

ことではないだろうか。

私は科学や技術を進歩させたが、それが私達の住んでいる環境を悪くした。住みや

すい環境に戻すために努力することが、今後の私達の義務ではないかと私は思ってい

る。

生活に必要なもの

人間の生活にどうしても必要なものは「衣・食・住」の三つです。国々によって言

葉が違うように、衣食住もその国の気候、風俗、習慣によってそれぞれ違います。日

本人の昔からの「衣」は着物です。現代では、着物は労働に不便なので、以前ほどは

用いられなくなりましたが、署い季節には、まだ多くの日本人は、家に帰ると浴衣を

着るようです。これは、着物のほうか洋服より日本の気候、住居、生活様式の適して

いるからでしょう。

次に、「食」は人間の生活と深い関係があり、それぞれの国で食べるものが違いま

す。アジア人は昔から米を主食にしています。海に囲まれた日本のような島国では、

米の他に魚を多く食べます。気候や風土に影響されて、日本人はあっさりした味の料

理が好きです。日本料理で、材料の持つ味を保ちたいなら香辛料を入れすぎてはいけ

ません。

気候は「住」と切り離すことができません。暑い国では、住居の窓が狭かったら、

風通しが悪くて困ります。寒い国では、壁を厚く窓を小さくしなければ、寒くて住み

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にくいです。日本の伝統的な住居は木、竹、紙などで作られています。床は湿気を防

ぐために高くしてあり、各部屋はふすまや障子で区切られています。今は、建築の技

術が発達したおかげで、いろいろな材料を使った和風や洋風の家がたくさん建てられ

ています。洋風なのに和室のついている家が少なくありません。老人がいる家庭では 、

伝統的な住居に慣れた老人に楽な生活をさせるために、和室のある家を選ぶそうです。

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