強く、優しくの - 学校法人 金城学院 · 私が入学したのは1930年。13歳...
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すばらしき同窓生賞
私が入学したのは1930年。13歳から旧制の高等女学校で5年間、専門部の家政科で3年間の計8年間、金城学院で学びました。創立当時の校則は「キリストは学校の主、キリストの愛が教育の命。教師は親、生徒は子ども」というもので、たいへん家族的であたたかい校風でした。専門部では国文科、英文科、家政科の教員資格が無試験で取れたので、みんな真剣に勉強して資格取得をめざしていましたね。 今の栄光館ができる前の場所はグラウンドでしたが、そこで創立45周年の文化祭が開催されました。そのとき行われた「世界の子どもが仲良く」という英語劇で黒人役だった私は、顔を真っ黒に塗って役に徹しました。また名古屋港から客船に乗って、神戸や別府、横浜などへも行きましたね。船上マナーを学ぶための旅行で、大変楽しかったです。当時の学院の先進的な志を今でもすばらしく感じています。
卒業後は結婚して上海に渡り、そこで終戦を迎えて日本に引き揚げてきました。戦中戦後は大変な苦労がありましたが、前向きに生き抜けたのは学院での学びの日々があったからこそです。また同じ学びの日々を送った尊敬する先輩のひとりに、重賀よしをさんがいらっしゃいます。関東大震災で焼け出された人たちを名古屋駅で見かけた重賀さんは、「彼らを助けたい」と校長に直訴し、学校総出でボランティアを行ったそうです。先生と生徒が一緒に奉仕に携われる学院の校風は他にはなかなかないもの。私が今、高齢者福祉に携わっているのも、先輩の姿勢や学院で育んだ奉仕の心が礎です。また学院の校歌もすばらしく、教えの根底として今も息づいています。 金城学院は弱い人の味方になり、社会に役立てる女性の育成をめざしています。そのために「強く、優しく。」というスローガンがあり、自立をうたう
教育方針があります。人は10代でほぼ人格形成されるので、学院の一貫教育は素晴らしいことだと思います。中高では毎朝礼拝をしますが、聖書の御言葉に接し、主を讃美するというその礼拝は、何年たっても私の人生の支えになっています。在校生の皆さんには「強く、優しく。」の心を忘れず、世界に羽ばたいてほしいと思います。ぜひ人と繋がり、連帯し、社会に貢献できる人になっていただきたいと思います。時には人生という航海に迷ったり疲れたりする時もあるでしょう。そんな時は母校という港に立ち寄ってゆっくりと休み、また羽ばたく力を身につけてほしいと願っています。
強く、優しくの
心を忘れず
世界へ向かって
尾崎 志満子 さん1938年 女子専門学校 家政科卒業
みどり野会会長などを務め、現在愛知三愛福祉会理事長を務められる尾崎さん
(旧姓 尾関)
私が金城学院で学んでいた頃はちょうど戦後の復興期にあたり、日本全体が激動していた時代でもありました。そんな中、私の父が「学院の生徒たちが少しでもよい環境で勉強やスポーツに励み、社会貢献できる立派な女性になってくれれば」と学院に寄付をいたしました。私は父の気持ちに大変感動し、またとても感謝をし、その気持ちに少しでも応えられるようにと勉強やスポーツを一生懸命頑張りました。そうして勉強するうちにさまざまな分野に興味を持ち、その中でも特に法律関係に深く関心を持
つようになり、「将来は裁判官になりたい」という夢を抱くようになったのです。 その後結婚し、しばらくはその夢から遠ざかっていました。しかし私はせっかく勉強した司法の知識を生かして「父が私たちにしてくれたように、私も母校で学ぶ学生や先生方に少しでも恩返しができ、お役に立てたら」と常々心の中で思っていました。そこで、父と同じく母校へ寄付をさせていただくことにしたのです。 一口に寄付、といいましてもそこには法における煩雑な手続きが必要となります。その手続きは大変なものでしたが、「今こそ学んできたことが実を結ぶとき」と思い、ひとつひとつ丁寧に進めてまいりました。その結果、2006年から2008年の3年間にかけて、10億円余の寄付をさせていただくことができたのです。学校など公益法人への寄付には税法上の優
遇措置がありますが、こうした手配につきましてもスムーズに行うことができました。 今、金城学院で日々学び、友人や先生方とかけがえのない学生生活を送る生徒さんたちに、この寄付がお役に立てたらこんなすばらしいことはありません。よりよい学習環境の中でおおいに学び、キリスト教の教えに基づく「愛と奉仕の精神にあふれる女性」となっていただけたら、と日々願っております。私も今、語学勉強のために大学へ通い、再び学ぶ楽しさを心から実感しております。 人生で一番輝ける時期にこのすばらしい金城学院、そして先生方のもとで学べることはとても幸せなことです。ここで学んだことや築いた友情はきっと心の財産となるでしょう。どうか今という時を大切にさまざまなことを学び、広い視野を持ち、強く優しい女性となられることを願います。
よりよい環境で
おおいに学んで
素敵な女性に
川野 富美 さん1947年 女子専門学校 附属高等女学部 専門部育児科卒業
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COMMEMORATIVE CEREMONY
「母校のために」と煩雑な手続きもすべて行われ多額の寄付をされた川野さん
(旧姓 水野)
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すばらしき同窓生賞
金城学院大学大学院で学んだ2年間は、私にとって大変豊かで濃密な時間でした。岡山での大学時代に学んだ近世思想史は、いうならば本の中だけで学んでいたように思いますが、大学院ではそれを実際に体感し、学ぶことができたと思います。ゼミの先生や先輩方からいろいろな話を伺ったり、また「芝居や歌舞伎をたくさん観なさい」といわれ、初めて歌舞伎を観た時は江戸という時代を立体的に体感して、カルチャーショックを受けましたね。少しだけ大人の世界を垣間見ながら、豊かな文化にたっぷりと触れた2年間だったと思います。 歴史物時代物を書いていますが、小説家になろうと思ったきっかけは、大学院を卒業して福岡に戻った時に「私にも何かできるのではないか。何かやってみたい」と思ったことに始まります。岡山の大学時代からその気持ちはすでに芽吹いていたのですが、大学院時代にさらにさまざまなこ
とを学び、吸収し、徐々に形となっていったのです。現代小説ではなく歴史時代小説を手がけているのは、こうした学生時代が背景にあります。また江戸という時代は、私自身がペンを握って自分の思いを飛ばすのにとても心地よい距離感であったということ。自分をさらけ出しすぎず、なおかつその中に自分自身を十分に溶かすことができる世界。それはとても奥深く、まだまだ勉強することがたくさんあります。今後も江戸という時代を立体的に感じてもらえる小説を書いていきたいと思っております。 学生の皆さんに伝えたいのは、楽しい事も嫌な事も決して無駄な経験ではない人生の財産だということです。社会に出ればさまざまな関係が生まれ、学生時代のようにいかないことも多いでしょう。ですからこそ、濃密な人間関係を築いてほしいと思います。 さらにいろいろな悩みに押し潰されそうになった時はぜひ手あたり次
第本を読んでください。本は裏切らない友人。いつ読んでも違う顔を見せてくれ、いつも誠実に向き合ってくれます。また自分が経験していなくても、登場人物が体験する人生経験が参考になったりもします。本を読んでさらに視野を広げ、豊かな心と人間性を養ってほしいと思います。
今、経験することは
すべてすばらしい
人生の財産です
杉本 章子 さん1978年 大学院文学研究科修士課程国文学専攻修了1989年に「東京新大橋雨中図」で第100回直木三十五賞を受賞された
杉本さん
結果を恐れないで
挑戦すれば、必ず
得るものがあります
江森
史麻子
さん
1989年
文学部英文学科卒業
私は中学校から入学したのですが、 在学中は本当に楽しい日々でした。友達と旅行や映画に行ったり、部活動や先輩たちとの学校行事など毎日が初めての経験ばかりでワクワクしました。私はどちらかといえば入学当時から、元気で活発に振舞うリーダー格。その頃はあこがれの上級生に手紙を送ることが流行していて、私も何度も後輩から手紙をもらいました 。 大学に入り音楽に興味を持つようになり、作曲やアレンジを習い始めました。コンテストを受けたり、イベントスタッフとして参加したりと音楽に熱中し過ぎてその学年の文学部では私1人だけが、4年間で卒業できなかったという苦い思い出も。「何とかしなければ」という思いもあり、バークリー音楽大学のセミナーに応募。運良く奨学生試験に合格することができ渡米しました。帰国後は東京で音楽関係の仕事をし、それなりに充実した日々で
したが「もっと勉強したい」という思いが日増しに大きくなっていったように思います。そんなとき大学時代の法学の授業を思い出しました。 当時講師をされていた海原文雄先生の授業は、全国の法学部でも珍しいほど、法律を幅広く多角的な視点から取り上げた、とても有意義で楽しいものでした。先生のレベルの高い講義を受けられたことが、今の私の法律家としての原点になっていると感じます。1999年に司法試験に合格後、結婚。2002年に弁護士登録を経て活動を開始しました。 弁護士の仕事は私自身の個性が生かせ、また責任が重い分、仕事との関わり方も自分の裁量で決められますから女性にとっては働きやすい仕事だと思います。特に近年は法科大学院の創設で、昔に比べはるかに合格しやすくなっていますから、女性もどんどんチャレンジしてほしい分野ですね。皆さんが目標に向かって真剣にチャレンジしているその姿を見ると、卒業生として本当にうれしくなりますね。 私の経験から後に続く皆さんへ伝
えたいのは、なんでも学び、挑戦した方がいいということ。たとえ結果がだめでも、その過程で学んだことは必ず力になっています。 そしてぜひ外国生活を、できれば複数年体験してほしいですね。私もアメリカで異なる文化や考え方など多くのことを学び、それが今の仕事にとても役立っています。 もう女性が仕事か家庭の二者択一を求められる時代ではありません。結果を恐れず様々な経験を積み、自分なりの柔軟な生き方、考え方で歩んでいってくださることを願っています。
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COMMEMORATIVE CEREMONY
現在は駒澤大学法科大学院准教授として人材育成に力を注いでおられる江森さん
(旧姓
荒川)
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すばらしき同窓生賞
写真提供:日本ラクロス協会
金城学院中学、高校と6年間、ソフトボール部で日夜練習に明け暮れる日々を送りました。その中でチームスポーツのすばらしさや一生懸命頑張ることの大切さを学びました。また中学1年の時に部の顧問をされていた深谷昌一先生との出会いも大きく、このことが私にとってのスポーツの原点であったと思います。 6年間ソフトボールをやってきたので、大学ではスポーツ以外のことをしてみたいと思い、しばらくは講義の後にアルバイトをする日々を送りましたが、自分らしくないと感じ、やはり何か熱中できるスポーツをやりたいと考えてラクロス部へ。ラクロスを選んだ理由は、他のスポーツと違って大学から始める人も多く、また私にとっても全く未知の世界であったからです。ラクロスはサッカーと同じくらい広いコートを走り回る過酷な競技。当時はチームでウエイトトレーニングをする習慣がなかったのですが、やはり基礎体力が大切だと思い、顧問の谷口裕美子先生にお願いして個人的にウエ
イトトレーニングを指導していただき、ひたすら練習に励みました。その結果、2006年には女子ラクロス21歳以下日本代表にも選ばれました。またチームとしては大学3年生の時、リーグ戦第2位に。チームの一人ひとりがそれぞれの役割を考えながら、ともに頑張ってきた成果だと今でも誇りに思っています。 現在は名古屋で社会人として仕事をしながら東京のチームに所属し、週末に東京で練習をしています。レベルの高い選手と練習することはとてもプラスになります。夢だった2009年のワールドカップにも出場することができました。しかし、自分の思うようなプレーができなかったことが残念です。今後の目標は、やはりもう一度世界の舞台に戻ることです。そして、今年の経験を生かしてぜひ勝ち進みたいと思っています。 私にとってラクロスは人生勉強の場です。目標を達成し、人として豊かになりたいと願い、たとえスランプに陥っても目の前のことに振り回され
ず、いつも先の夢を見据えて頑張ってきました。人それぞれ頑張れる場は違うと思います。学生時代は自分がずっと頑張っていけることを見つけることができる大切な時間。ぜひいろいろなことにチャレンジして自分を高められることに出会ってほしいと思います。
いろいろなことに
チャレンジして
人として豊かに
長江 泉名 さん2008年 生活環境学部 食環境栄養学科卒業
女子ラクロス日本代表に選出され、今年ワールドカップにも出場された長江さん