年 忘 れ∴狼 や う...日五十月二年五和昭 u- ↑ (1) 涜 五 第 報 町 蓮 田...

11
日五十月二年五和昭 u- (1) 襲印襲緩 行別行輯闘 新人 暮す 昭和五年一月十五 京都府綴蕾都田蓮町 笥珊用量番謹 京都府綴喜都田適用役場 -i 圏邁・町長 溝しい親藩をお迎へになりまして、 嘗榛が至擾御紐解でいらっしゃる苺を空言 び面上ます。 )昨年狂は緊縮々々で新聞、雑誌、或は謹撰 富治勤馬糞等、機含める毎に滞貨簡約空同 湖せられまして、皆様も夫々緊続生活をなす って居られる轟を存じます。緊縮ざ言ふ雷は まこきに日下の重要事でありまするが、然し 乍ら只無暗に滞貨の節約を)すると言ふだけ では、十分に巽の憲義が徹腰しないご恩びま 即ち滞貨の節約は一面に於で精細の緊嬢を 僻ひ、績橙的に麗率の増進、生産の欝展きな らなければなりません∵例へは樽は一時間長 く働き、期は一時間早く起き、そうして家業 に努める三善ふ風にして、始めて緊縮の眞憲 に適玉ものき思ひます。而して之は無論皆-榛 の御家庭に於きましても、それIヾ十分に御 賞行して居られる轟き信ずるのであります。 申蓮もなく薬園緊縮は、多年の懸案たる、 金解禁決行の前提でありまし に亘り圃家並に国民経騎士の一瓶 いね、金の輸出禁止は、愈々去る拾 で解かれ点して、我々国民として国家永 藤瓢の鴛、慶賀に堪へないのであります。 頼れば欧州大戦に伴ふ自衛上の方策竜宮で 大遥六年九月、金の輸出禁止あって以茶へ蕊 に拾有憂年、政治的烏も、経溝的にも幾多の 波瀾を重ねしめ、経済界の癌香も見るべき解 禁問題がかくして華麗に解決を見得に事は、 最も現政府の努力に負ふ朗大なるわ申す蓬も ない掌でありますが、一面には我々お互が壁 画一致勤と倹ぜの賞行を期した結果でめりま すノo 繭して塊の解禁の断行によって、我鑑臍葬 が、正しさ軌道の上に復し得すごのでめりま の嚢のない固 す○ 二年日蓮の我経臍界は鶴番は動揺して韓する 厨を知らず、事業界は不安の内に何等.恒久の 策を立つる事を得なかったのでめります。言 わば砂の上に築かれた家であって、鼓にカ揺 さ建設を望む事は不可撥でありました。乍併 既に解禁の決し覚る今日iよりは、不安と動揺 城で八ケ開城叫ばれ に解決しましたが、雌の 何なる家が建設せらる1かい であります。何を建つるかわI 軽電努力如何によって定まるもので 売からして、暁の解禁を一博機きしで 志を勇気さを以て、更始一新の道に進ま ればなすないご恩ひます。 丁度解禁は登載の布告の様なもので、異の 戦は今後に泰るここを聾悟せなければならな いのであります9戟間に於でも最も必要なる ものは、憲義であり積騒的の努力であるざ存 トごます。解禁すでになつ宣今日徒に国民が唯 滑橙的になり∵萬聾に慮潜の粗製して居る様 な聾は喜ぶ・べきこきでないざ存じます。、 不安は既に去って基礎の固くなつ花土台の 上に、積極的に大建設の努力を議さんざする に降し、「私の皆様に希望い/たしたいこきを申 上げやう意思ひます。l 、先般も府下町村長食に於て長官の訓示に、 国運の進展を固らむきするには・まうしても 地方官治の振興にカを致さなければならない 三毒はれましたが、之は誠に其の通りであり まして∵園家々々き、言っても国家は飛行魅 のやうに宙に浮かんで居るものではなく、萱 萬武子の市町村の桂、の上にのつて屠る棟木の やうね÷ものでふ∵oます。

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日五十月二年五和昭

u- ↑

報 町 蓮 田涜 五 第(1)

襲印襲緩

行別行輯闘

新人

年 忘 れ∴狼 や う

暮す

昭和五年一月十五日護符

京都府綴蕾都田蓮町大字

笥珊用量番謹

 

 

 

 

京都府綴喜都田適用役場

-i 圏邁・町長 青山屍三

溝しい親藩をお迎へになりまして、

嘗榛が至擾御紐解でいらっしゃる苺を空言

び面上ます。

)昨年狂は緊縮々々で新聞、雑誌、或は謹撰

富治勤馬糞等、機含める毎に滞貨簡約空同

湖せられまして、皆様も夫々緊続生活をなす

って居られる轟を存じます。緊縮ざ言ふ雷は

まこきに日下の重要事でありまするが、然し

乍ら只無暗に滞貨の節約を)すると言ふだけ

では、十分に巽の憲義が徹腰しないご恩びま

す。

即ち滞貨の節約は一面に於で精細の緊嬢を

僻ひ、績橙的に麗率の増進、生産の欝展きな

らなければなりません∵例へは樽は一時間長

く働き、期は一時間早く起き、そうして家業

に努める三善ふ風にして、始めて緊縮の眞憲

に適玉ものき思ひます。而して之は無論皆-榛

の御家庭に於きましても、それIヾ十分に御

賞行して居られる轟き信ずるのであります。

申蓮もなく薬園緊縮は、多年の懸案たる、

金解禁決行の前提でありました。然るに永年

に亘り圃家並に国民経騎士の一瓶根ざなって

いね、金の輸出禁止は、愈々去る拾登用を翠

で解かれ点して、我々国民として国家永遠の

藤瓢の鴛、慶賀に堪へないのであります。

頼れば欧州大戦に伴ふ自衛上の方策竜宮で

大遥六年九月、金の輸出禁止あって以茶へ蕊

に拾有憂年、政治的烏も、経溝的にも幾多の

波瀾を重ねしめ、経済界の癌香も見るべき解

禁問題がかくして華麗に解決を見得に事は、

最も現政府の努力に負ふ朗大なるわ申す蓬も

ない掌でありますが、一面には我々お互が壁

画一致勤と倹ぜの賞行を期した結果でめりま

すノo

繭して塊の解禁の断行によって、我鑑臍葬

が、正しさ軌道の上に復し得すごのでめりま

す。

の嚢のない固い岩石に襲り得たのであ言!ま

す○

二年日蓮の我経臍界は鶴番は動揺して韓する

厨を知らず、事業界は不安の内に何等.恒久の

策を立つる事を得なかったのでめります。言

わば砂の上に築かれた家であって、鼓にカ揺

さ建設を望む事は不可撥でありました。乍併

既に解禁の決し覚る今日iよりは、不安と動揺

城で八ケ開城叫ばれてゐた、解築問題は既

に解決しましたが、雌の不動の基礎の上に如

何なる家が建設せらる1かい、凍るべき間題

であります。何を建つるかわI 、我々お互の境

軽電努力如何によって定まるものでありますi

売からして、暁の解禁を一博機きしで騒き憲

志を勇気さを以て、更始一新の道に進まなけ

ればなすないご恩ひます。

丁度解禁は登載の布告の様なもので、異の

戦は今後に泰るここを聾悟せなければならな

いのであります9戟間に於でも最も必要なる

ものは、憲義であり積騒的の努力であるざ存

トごます。解禁すでになつ宣今日徒に国民が唯

滑橙的になり∵萬聾に慮潜の粗製して居る様

な聾は喜ぶ・べきこきでないざ存じます。、

不安は既に去って基礎の固くなつ花土台の

上に、積極的に大建設の努力を議さんざする

に降し、「私の皆様に希望い/たしたいこきを申

上げやう意思ひます。l

、先般も府下町村長食に於て長官の訓示に、

国運の進展を固らむきするには・まうしても

地方官治の振興にカを致さなければならない

三毒はれましたが、之は誠に其の通りであり

まして∵園家々々き、言っても国家は飛行魅

のやうに宙に浮かんで居るものではなく、萱

萬武子の市町村の桂、の上にのつて屠る棟木の

やうね÷ものでふ∵oます。

Page 2: 年 忘 れ∴狼 や う...日五十月二年五和昭 u- ↑ (1) 涜 五 第 報 町 蓮 田 襲印襲緩 行別行輯闘 新人 年 忘 れ∴狼 や う 暮す 昭和五年一月十五日護符

(2)日五十月一年五和昭競 五 第 髄蓮町報

それ故に自己の磨する市町村をよくするこ

蚤が、ごりも薗さす国家の鶴めに隷す事にな

みのでありまして、愛町心が愛国心でめるの

であります。斯様な吹第でめりまするが故に、

其の営局におる私の責任の重患っ大なるこき

は、私の編成する厨でありまして、今後皆様

で共に本町の自治政をより以上禽重し特に其

の蓮箆を怒重ならしめ、尊心町民の霜敢増進

を念さして其の聞一点の親心を緩むこきな

く、至蚕室率本町の向上蜜展、建ては国運の

進展に微力ながら輯身のカを用ひて、進みま

する壁悟でありまするから、皆様に於かせら

れても一十二分にこの田蓮町を愛され、 、縫衆

より以上の御簾接ぎ脚韻擬をお願かする吹篤

であります○

塊に御報告を申上げておきたいのは、

二)京都陸裁判厨田遽龍醸所の落成

でありますぅ前報に申し上げて撞きました如

く、敷地は昨年五月上旬に河内街道辛溜ふた

土地に決起致しまして、爾泰設計を急ぎ工事

を進め建築委員諸君の熱心なる奉仕き、英の

監督のよろしさを得まして、地歴に建築も何

等の支障なく完成し、昨冬中旬に目盤定期藤

倉に於で落成式を蕃げ、自今本町外六ケ村の

町村民は、気韓のよい薪藤倉で権利確保の便

宜を得るを英に、取引上敬語を求むろ輩にな

線坪五輪部会轟務室、土頻、官舎、門柱等立派

に撞球上り、全く面目を一新しへだ議でありま

す。 攻は

(二) 邁路問題

邁路問題で一番焦眉の急を要しまする奈良

電車の停車場道、即ち省線踏切より河内街道

の起点に蓮ずる府道改修は、昨年六月の臨時

雁首と昨冬の通常腐食に於で愈々線工饗登萬

覿千回の醸算を以て.改修される轟に決定な

トソしましたも潰地の買収及地上物件の移鴇も咋

夏以来、委員議席き共に持主‡工螢燐雪の中

間を斡旋致しましす、九分通り夫々承諾書に

捺印がすみ、昨年末に建築の移噂通牒があっ

たのでふ∵ります○

鼓に一昨年泰の希望が蓮せられ順序よく進

めば、該工轟も五年度に於で終了する見込ら

しいのです〇

六年度に於では、奥戸底及薪瞳の入口席題

の璃嬢で、これも経費の関係を会穏考慮して、

無理をせない種皮に計藩を立てたいき思って

おります○∴∴攻は

合併の賞現に、努められつゝあるのでめりま

す○

金閣町村穣一芦替りが武拾九回四輪四餞で

あり、府下町村の率均が一声稔り塞拾五回参

餞電煙(昭和戴年度細雪であり、いかに府下

町村民の負撥が過重である加を物語って居り

ます。騙して蛇の原懐は我京都府下が小町村

の多い緯栗であります。

雌の問題は垂大間越であり、今田焦眉の憲

を要するざ言ふ問題でありません。けれざる

世運の進歩に伴ひさしで、早晩道営の時機に

解決やなければならぬ事であるご信じますの

っ光のは鯛同慶の至りでありますの

新懸命の工費は五千回余りで、木蓮卒家漣

(三) 町村合併問題

国家並に府の方針さして、高給の成績を十分

に塞げる第、月敦八百月以下の小町村をなく

する意向で、町村合併を奨励されで居る轟

は、皆様も御承知の賽を存じますo

之は窮乏せる町村財政の救溝並に、町村行

・政の回漕を計る根本策さして

で、今の中より皆様の御考慮を煩しておきた

いご恩ひます。 次は

(四) 瞳駒底止の問題であります。

本部内に於きまして、未だ彊制の在掻して

ある町村は、乍邁憾我田遽町の外一ケ村ある

のみで他は皆徹麿ぶれて居るのであります。

本町は郡のヰ極地でめ高ますかが政信賠茶世

運の廟上遊歩については、むしろ先鞭をつけ

るべき蕾でありまするが、今日迄其の機熟さ

ず、樺薄命に立至っておるのであります。本

年は麗禽議員の改選期であり此機合に皆様の

諒解を得て賢現する撃は、最も避雷の時を得

るものかざ存じ.購求大田遽町を建設します

上に、便駐のめる韓は勿論日嗣の轟きしまし

ては、お互の負担すべき経費が賎少する藩で

めります。

こゝでよく御了解を願かたいのは、騎制の

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日五十月一年五和昭

(二)(一)

¥警 鐘堅 牢 久瀬

郎  青苗  吹¥三盲

㊦西陣 ロ 村多

麿止は匿の財産統一ではめりませんe

を町倉が代決するのみでありまするから此点

に誤解のない撥呉や:ら希望致します。何れ其

の内に機を見て国曾議員諸君とも種々協議を

進める心細であります。最後に、

(五) 時間毎重に関して、

ざうか各種の合食は勿論.各自の変移や取

引上にも時間を禽重しで十分活動をなしお互

の富を曙すやう、御奮脚を願ひ度う存じま

すo∴

新しい年の明けにと共に、斯しい目標に向

ひ、金的努力を傾注して、それlぐ○○自分の職

務を轟したい上のと存じます。

切に皆様の御自愛き御津動を御所りいたしま

-

`

-

一月十五日竣行田蓮町報第五競申左謡韻事訂正

本隼二月十日舞鶴重砲兵大隊へ入隊された岡山卯一郎氏厨川孝三氏の二名

申岡山卯一郎氏は印刷洩れに付左諒加入す

五頁 二段

五頁 二段

重賞 二段

九頁一/段

十頁 二段

十頁 二段

入営老中へ舞鶴重砲兵大隊へ岡山卯一郎加入

登詑厨建籠基礎工畢入札落札者竹村聾一は竹村武治の讃

七行目 (醗日輪郷)は(靭日輪郷)の諜

表彰者申竹村諒三は竹村謙一の誤

一行日管生産の蔭か一ら、ハ皆生徒の蔭からの揆

二十二行目

二十二行目

西瓜五十歩は五丁歩の諜

採種反別三十歩は三丁歩の謀

¥ 聾務露見

北辰二眼三郎、

市 川 武 卒、

西村輿三次郎

陪審

片岡溝

西

蔑見の異動

昭和四年四月覿給田就職

薪′擾 i長    書

新院長代漣者   奥

昭和四年五月七日就職

田邁瞳長代理者

昭秤四年七月十六日就職

河原霞長

河原園長代攫寿

昭和五年一月十五日就職

輿戸隠長

昭和四年十二月二十照

返域助役

北尾

南  由治郎

賎員の異動

昭和四隼十月二十四日任命

代用教員   杉 山 茂 樹

昭和四年十月二十四日解職

代用教員∴∴∴∴龍 田 ハ ナ

勝利幽隼十二月二十五日赴任

・ 薪駐佳巡査  吉 岡 叉∴捨

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日五十月一年五和昭

香北加加北北

禁川憲藤鵠治垂郎穣三太郎苗育苗郎郎

加大橋帝

村多西口浪¥二 経堂∴卒 久瀬

郎  青苗  吹一 三膏

第五競い,l’いり

8-白日同い

贋止は恒の財産続

一ではめりませ辱唯匝禽

を町倉が代決するのみでありまするから批点

に誤解のない穣呉々も希望致しますo何れ其

の内に機を見て霞曾議員諮若きも種々協議を

進める心組であります。最後に、

孟) 時間毎垂に関して、

三晶して撞きたいご存じます。教化縫動

員に関する質行要目も植苗数ありますろが重

体ごしては、一時に多きを望んでも、却って

貰効を期し難からうご考へられます。英の第

一に掲げたる時間脚行、是は申合せ以荻.従

妹の悪習がよほど矯正駐独だ撥に見受けまず

が、未だ或る一部に於で貨行が出衆ない擬に

察せられます。雌の事は基部が守る気になり

さへすれば、凝なし易い苺でありながら、さ

うでないご個々賞行の出蒸にくい苺でありま

すo腱の蛙亦むいのは全く時間の概念に乏し

い結果で、他人の財登輝は相雷電重しで、妄

りに之を犯すやうな事はめりませんが、晴間

の問題になるき、重く別人の榛で、他人の時

間を馨っても少しも憲に介しない風がめり、

其の鶴人を訪問するにも酸め何の打合も往く

突然押かけ雑談に長い時間を濃貸して∵先方

の議定を狂はぜたり亦一旦人を時間の約粟を

して置き乍ら率気で之を破って、人の迷惑を

何さも恩は拡い三言ふ有様で、之が種情動撥

率を奴じ、国運の番屋を妨げて居るこきが何

程か知れないのであります。

ざうか各種の曾合は勿論 各自の交渉や取

引上にも時間を禽重して十分活動をなしお互

の宮を増すやう、御奮励を願ひ度う存じま

す。新しい年の明けにと共に、新しい目標に向

ひ、金的努力を傾注して、それー′ぐ自分の職

務を謹したいものと存じます。

切に皆様の御自愛ご御津動を御蹴りいたしま

やノo昭

和四年四月二十五日嘗町々禽議員改選の

薄黒左の諸氏営選さる (議席膿)

中大市北橋

田 宮 議 員

村 三 三

時 蕾 荻

川 武 卒

春 治 哉

北擾轟太郎

¥ 畢務露見

北尾二眼三郎、

市 川 武 卒・ i

西村典三吹郎

際審黄綬論者

西

西 川 正 雄

襲員の異動

昭和四年四月武据膳就職

 

 

 

 

 

軸鱒柵隔離鶏舎組合合議員

町禽議員互選の諸県(イロハ臓)

川 武 卒   加藤治郎青

薪院長代淫費

昭和四年五月七日就職

幽遠踵長代理寿

昭種四年七月十六日就駿

河原匪長

河原園長代攫着

昭和五年一月十五日離職

輿戸隠長

昭和囲年十二月二十日

蓮職助役

木口書

花屋

南  由海蝕

哉   北川忠一郎

瞬 善 次 へ 北 川 重 吉

藤 種 苗  北尾渥三郎

本町合評瞼蜜寛

尾張三郎

村孝二滞郎

中 村 三 三

酸鼻の愚二勘

昭和四隼十月二十閏日任命

代用教員   杉 山 茂 樹

昭和四年十月二十四日解職

代用教員∴∴∴∴覇 田 ハ ナ

昭和四年十二月二十五日赴任

」  薪離任巡査  盲 同 文∴治

喜一

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日五十月一年五和聴  く包)

キ 二 ‾ ‾

四ヽ

田港(町報

圏魔務

昭和四年四月十五日以降室ナル行革

四月二十五日 午前八時営町田禽議員避寒ヲ

行フ

四月三十日 府離家屋穣本町配常額賦課方法

ノ伸一)¥テ町曾開合

五月七日/町食間禽

二∵本町官許検査員選馨ノ僻

二組禽隔離病舎組合禽議員選撃ノ伸

一、大字典声陸長及ノ田遽擾長代理者

推薦、離任認定ノ伴

七月三日 田遽町外六ケ村組合登謡厨(京都

瞳裁判厨圃遽出張所)建築基礎工事入札

落札蕃 竹村諒三

七月六日 全長関係町村長及営町建築委員

立合ノ上藤倉建築請負ノ入札

落札者 西川豊治

七月十五日 十六日聞合聞合

し、浦邁改修工寧受益蕃負担金-)代ハル

べキ寄附盆四年度二於テ寄附ノ伸

二府道改修工事受谷若負担金一一代ハル

べキ寄附昭和五年度--於テ支出ノ僻

一、本町第百追加更正濠舞子僻

一、地方穣法律施行規則第二十四l條)-ヨ

ル控除額決定ノ伸

一、四年度本町特別穣月数割賦課ノ僻

一、大字河原瞳長及代理着、解任、推薦

決定ノ僻

七月十九日 農薬調査員離合倍達式ヲ行フ

八月二十一月 京都園裁判所田遽出醸厨上棟

式撃行

九月十七草 親和禽綴喜郡支禽主催一校議習

合ヲ田遽囲念着工於一ブ開催

三山木村、普賢寺村、草内村、田遽町、

大住村、受讃者六十名

九月三十日 本町町曾開合

一、本町基本財産郵便貯金及撃事基本財

産郵便貯金ノ内ヨリ勧業債券購入ノ

l

 

 

一、管町撃務委員維薦決定ノ件

十月七日 元郡公食堂一【於夕教化綿動員公私

麗溝緊縮大議渡合開衛

十月二十四日 本町小母校訓於テ教化総動員

二閲スル協議曾開催

十月二十五日∴朗得調査員、令補欠員選碁ヲ

行フ

十」月五日 本町陪審員候補者拙戦執行

十二月十四日 京都匿裁判所出邁出張厨藤倉

新築落成式寒行

十二月二十日 町曾開曾

一、本町有給助役解任理由認定ノ件

i畠侮蔑奨励欝金が借入-

て雷患ず

自作農奨励の存め府は撞く低利な資金を貸

付します。本町は其の資金を借入まして、自

作農待ちむきして餅勉を購入やらるゝ方又は

維持せむさする方に輯貸します。既に前三国

に亘って借入れました金額は武琵覿手套百回

でこれを御希望の方々に貸付ました。

合叉八千回を借入るゝ内定がありました故

不日肴塑着に貸付が出求まず。

雌の資金は皆様も既に御存知の如く年三歩

き言ふ最も安い利子で、二十四ヶ年の間に年

賦均等償還になっておをます。其の上、登録

擬も要りません、不動産取得稀も免やられる

特典がめります故、奮って御申込み下きい。

然し左に掲ぐる所の資格を具備やねぼ貸付も

盤泰す、僑入るゝ事が出求ません。

一、借受人は現に耕作に従寧し自作曲、畑

の経箆を持麗し得る見込ある藷。

二、借受人は購入せんさする土地が、小作

地である場合は其の土地の小作人なる

こきへ但し騰人に付き碁の土地の小作

人の同意を得た膏もの、

三、ノ蟻人やむきする土地の購入債格は、一

段歩に付、田は凡そ六歯回、畑は凡そ

い塞百回以内なるここ、・

擬人又は維持せんさする土地は、其の

上に自作の障害きなるべき藤利、及抵

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日五十月一年五和昭」田

園町報

◎兵 苺

昨昭和四年十一月六日田遽棚倉孫融融に於で

田蓮町、草内村、三山木相場普賢奇相聯余徳′

第五醗ヽ

l

)1eH向い

武宮主催昭和四年度大塔報告集並に遽螢軍人

表彰式寒行されました。

入螢宕及表彰者左説の通りです0 1

 

 

皆様の存在やない事、

五、購入又は維持せんさする土地の債権は

四千回を超えないこき、

但し現に田、畑を所有するものは、其

の土地lき購入せんさする土地の償播き

を合せて四千回を超えないこき、

六、貸付金額は」世帯に付四千回以内香し

土地の購入憤格又は土地抵営債務額以

内さす.

七、借受人は簡易生命保険加入者であるこ

雌lの外借受の手繰さか借入後の方法其の他萬

股に亘って御不安の点は、営役場に御薗で下

されば、縞而御了解得る榛御琵明申し上げま

す。最後に御希繋希は一日も轟く御申込み願

ひます。若し借入金限度に満つる申込みが出

恭ます暁は断然申込-の受付を致しませんo

輔重兵第十六大隊へ 村

歩兵第九聯隊へ 、明

野砲兵第二十二聯隊へ西

仝輔重兵第十六大隊へ

仝但シ一酌臣節郷)

、短鶴垂砲兵大隊へ

英海兵団へ

 

 

 

濠備後陸電工真上等看護卒

全   輪重奏上繋真

金   砲兵上等兵

全   砲兵一等密一

全   輪垂真一籠卒

後備役陸軍歩兵上等兵

角西中西所三

 

 

辻 甚 蓮

野 正 夫

圃 敏 夫

村 利 夫

村 孝一

川嬰太郎

川 穿 三

宅 藤∴造

竹 村 諒 三

北 屋∴秋一二

西村己l之助

西 川 貞 二

西 川 久 三

北 川 義 夫

竺十師団歩兵第七震撼へ助二

輔重兵第十六大隊へ 太 田 鷲

海軍葱願兵捻壁書

恭る一月二十八日柄欒郡木津町套合掌に於で

海軍志願兵の検査が執行されますo

賠郊ある帝国軍人きしで志しを立てんざする

青年は奮って志願してげさい。志願書は検査

の嘗日蓮に町役場を経由して、府知革袋に提

出せばよいのでありますが、成可早い方が宜

薮、志願者は役場へ衆で下されば詳細説明し

て手緩を致します。

徴 兵 除 蛮

本年度の徴兵適齢者は、明治四十二年十二月

二日より、同四十三年十二月一日迄の間に於

圧l慌悼惜坊で霊

適齢眉はその戸主よりそれ-ぐ事績をされた

でせうが、事績未済の方は至急本籍地の役場

へ届出をしなさい。若し本籍地地外へ寄留さ

れて居って寄留地で受検せんご恩ふ御方は、

一月三十一日迄に寄留地受検願を、寄留地の

町村役場へ行って手績しなさい遅くなると許

可されんこ)さがあります。

◎衛生に関する件

瞭和四年度左記儀装病患者を隔難病合に枚

零す。

÷昭和四年四月十一日デフ一フグヤ患者獲生

全日牛后四時隔離病舎に収容午后五時死

一、昭和四年七月一日午后九時デブブリヤ患

着欝生、全日午后十時隔離病舎に収容、

全七月九日全治退院。

一、昭和四年十月五日午后七時燭チブス忠君

欝生、全日午后十時隔離病舎に牧容、全

年十一月十四日垂線退院

一、昭和四年十二月十十日宇后九時デフ一ブリ

ャ患者落掌患者病体重態に付き明十二

日早朝に収容を延期し、十二日午前七時

隔離病舎に収容す。全月十五日宇后十一

時死亡

謹んで覿春を奉賀る

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曲 目五十月一年五和昭報 町 邁

昨年九月一日現在により、

〇授業調査に繭き絢知らせ

内閣訓令第一競農業調査施行細則烏練り、盃

園田、鋼、耕地面積の調壇施行さるゝに常り

本町の耕地面積調査の続果並に調査員は左の

如し

左  寵

第一彊調蛮員

第二瞳調査員

第三暖調査員

第蝉彊調査員

第五駐調査員

調査、主任

桐 山 秒

西 川 溝

大 崎 果

高村事大

太 田 太

‥吹一郎郎一

田畑耕塊鰹面積 パ

四百爵拾五町憂反四散爵拾七歩

(自作曲も畑)

戴宵参掩五町四反参畝難路璧歩

(小作田、畑)

璧百八輪九可九度登畝〇六歩

闘、鰹面積愛

育拾八町八度九畝輪登歩 )

(自作曲、)

聾宙五輪六町四度○敬重歩

(小作園、)

、萱宙末路覿町四反九畝〇八歩

畑、緯面積聾

百六町四反五畝拾六歩

昨ノ

(自作舶‥)

七輪九町参勤輸入歩

(小作畑、)

薄給社町四度霊歌試給人参

以上の内畑に於で普通畑、樹木藤木翰培細、

桑畑、茶畑、果樹触、其の他の細に擾分す

るこき左の如しo

普通畑縄面積

拾九町登反四畝拾武歩¥

(自作千路室町九度霊歌拾五歩

(小作) 七野鼠反蔚歓談拾七歩

樹木擢木栽培細線面積

八輪七町塞反璧畝〇四歩

(自作) 六拾七町登反琉歌○参歩

(小作) 戴拾町登反九歌登歩

桑畑、総面積

戴拾町九度○歌登歩

(自作) 路参町七度童歌難路歩

¥(小作)∴七町登反八畝掩嚢歩

茶畑、縄面積

或拾町萱反六畝○墓参

育作) 拾五町七度八畝或拾町歩

(小作)  四町参反七畝〇九歩

綱田職級

果樹畑、鰹面積

戴拾塞町人反五畝給萱歩、

(自作) 競輪町五度六歌謡給電歩

(小作) 蓼町試反八畝拾六歩

其の他の畑、総面積

t

i

i

i

おります雌皆様を巽に御同慶の至♪です。昭

和参年度分に致して徴収延期を筏した分鵠之

昭和四年度に放て咋拾鼠月末現在の滞納額を

見よするに町挽調定額試萬六千九百九回路峯

銭の内約一割強の泰納数字が現はれでおりま

す年度出納閉鎖期も近づきました何卒未納者

は手数を要さず御細め下さい。

副剛剛闇劇馴馴馴馴剛剛馴剛馴劇馴馴劇副劃

醍距離務

は椅

=

i○○11○○○○I                                        ユ

戴拾戴町重度九畝拾九歩∴仁

(自作) 播七町〇四敵襲拾囲歩

(小作) 五町参反四散武治五歩

調

=

◎金銭袋付薬に灘て

こ抵営撥を設定して金銭の貸付をやらるゝ

きき府は金銭貸付業として螢繋親を課擬

し†居ります。然るにこれが抵嘗撥撮滑

の際役場へ慮業の御届出無之筏に、往々

課続を離縁するこまめ♭て、後日廃業の

申出ある場合は月割遼付の手繰を要する

とか種々の厄介が生じて、お互に迷惑を

致すこきあり今後親ら節は是非経験書類

を具し麿業の中盤概成榛御深意中上ます

納残の成績は数年轟き比し遁辞良好を示して

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日五十月一年五和昭報 町、蓮 田

上以来ナシセ五、四(上以分立サー約)

ー挫緒論デ上以来ナシ七五、四(上以分注す一紙)

◎葡車輪諦幅に就て

荷車の輸帯幅は道路取締令第十二儀の規定を

大正十年一月細目より施行せられしも今回上

司よりの通牒有之昭和五年一月一日より該規

定を断然適用やらろゝに付縫恭御使用の餓幅

を左の過り改造授戒庭石御通知造

一、牛馬は三寸五分泌上に改める苺

但し四輪車は巽前輪を後輪の二分の一邁

鰭少するこヾ」を得    〆

て馬車は三寸以上に改める蔓

但し四輪苺は其前輪を後輪の二分の一造

縮少すらこきを徳

一、大草は二寸以上に改める輩

荷聾両横は十八年方尺以上のもの

二、甲小輩は後嗣の通b

一説蕎積半八重方尺霧のもの

第-五琵

〇日「‖]

『′置書ヽ.

◎鶴 畢

氏名頼札掲南方ノ停

一、京都府命第百十七擬住居ノ地番並二氏名

i 標札掲示方ノ僻左′通り定ノラレクヅ

第一傑一戸ヲ構ブル藷及一月ヲ榛へズト離

成緯以上ノ男子ハ別紀様式第一撥叉メ第

二撥一)依り住居ノ地番姐二氏名ヲ謡シタ

ル標札ヲ住居ノ阿声叉か堆人里-掲クべ

第二條 事務所、螢楽所等一-於チ少尉條ノ規

l 足裏)嘩ジ共ノ名器商擬等ヲ説シタル標札

ヲ掲クべシ

ー五センチ米以上へ約五寸)

附 、則

本命ハ昭和五年一月一日ヨリ之ヲ施行ス本命

施行ノ際現--標札ヲ掲グルキノハ本命ノ様武

--適合セサル毛管分ノ内裏ノ標札一-代ブルロ

トヲ格

別 紀

様式第一擬(佳霹ノ艶番卜氏名ヲ併託ヌル

場合)

一五センチ米以上ペ約五寸以上)

浬 憲

一、同一飽番内-)於テ要一-蟻分アルトキ少

、 之ヲ謁載スべシ

二、標札ノ地蛋小木、石、陶器叉ハ金慶ノ

類トス

三、書体ハ可成構蓄ヲ用フベン

嶺、文字鮮明ヲ練ク一室リタルトキふ之ヲ

改ムべシ

五、様式第一戦及第二識英樹居着邁註ヌル

ゴトラ得

様式(第二駿住居ノ強番卜氏名トラ別語ヌ

ル場合)

-五センチ米以上(約五寸以上)

何市(町村)何匪何町(字)何番地

題 辞 霊 よ り

前轍綾南氏に惜別の寵を贈る

暦を重ねさせらる1こき給有蓼同氏は本町の

鴛自治行政に謹棒さる。賓に文字通りの生字

引なりしに今回轍に仕へ蕃らる御身の獣心的

紬への奉仕が篤突如顕職を離されしぼ氏の早

く与り御希望ご御許鞠が磯熟せる時やむを衛

ぬ今日の日を週へしならん。

然りこれ紳のみ勧請らし召して統轄子の知る

龍誓-るがため今更鰭別の情感慨無量な讐

されざ氏の御許動を兢顧する㌔ゝもに爺盲氏

をして御健に巽に繭の御子きしでの意義あら

しめられご御所~申さん。

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(8) 、日五十月一年丑和昭闘蓮町報

◎教化鰹動員に関して

蕾脱輪霜月武治四日嘗町小学校に於で各種

団体の方々に御足労を得て教化縄動員に関

する貸行協議倉を開催数しましたo

音 質行革項左の如し

、日常生活に関する爵項

へ時間励行を期す雪ぎ

種、集食にはi必ず出席するこき

~ノ⑧但し不得心場合は届出づるこき

一、敬抑紫斑に関する掌項

ィ、毎月一日各戸可成氏跡菩提厨に重秀の

寄、荊融の僚典には各月必ず参拝のこき

二親先の命日には必ず漑先を灘るこき

一、国家的行革に関する事項

ィ、兢縁日には必ず国旗を掲揚するこき

種、四、大筒には拝賀式に塞列するこき

÷婚薩に関する苺項

ィ、結婚費用を簡約するこき

口、結婚の衣裳見せを全廃するこき

一、葬式に関する事項

ィ、香巽は親族間に限るこき

口、葬式には可成酒を用ひざるこき

少、臨内の葬式には可成合葬するこき

二軍大入選管に関する醇項

ィ、餞別は親族間に限るこき/

〇、入選箆の披露宴は成るべく蜃素にする

へ入選餞の遽週には各戸必ず参列するこ

一、賠答に関する聾項

ィ、中元歳暮の賂答は全廃の轟

音 で、旅行見舞を基底のこき

一、服装に閲する聾項

ィ、女子の袋倉服装は可成質素にする苺

一、其他の夢項

ィ、納撥は期日に完納するこ受

口、襲町一致貯金を励行ずるこき

◎鋤老人させに

護る樹茂の羨ましく、いざも織姫鍵に新年

をお週へ遊ばされまして御芽出度う存じます

今年もはの曖くなりました小藩楓に本年七輪

歳以上の御藷人様を御招き申し上げる敬老合

のよき日も近づきましたo

いづれ以覇御しらせ致しますが何卒この寒さ

に十分御題を御大切に遊ばされ御待ち居り下

さいo

-

-

◎農家の賓 牛、隼、牛、

田遽町の牛の敷、百六十三頭で丁獲一人覇

の農窮三拝に一頭の割合であるが、俗に云ふ

凡寧三去って一軒で「顕飼って居る方もある

が、これでは到底不足で、急に百頭位は何ん

さかして増加やなくではならない。九年の農

家はそれだけ年中通じて牛飼育に働かなけれ

ばならないが、その報酬さして間はよく肥へ

で、所謂生渡の款が有って、金肥を大い

に助けてくれる、かh二に、牛の飼育者の田畑

き、牛の飼育なき田さを比較して詩へをに、

何人もその薯賞には反謝するこきは出恭ない{

のであるo幸にして農家の大切な牛の飼育者

は、酷寒、厳冬の牛舎の保強さ、厩肥の誠、

藁シビ入真偽に充分の注意を談はれ恭る渇き

幕の若草を以って、思ふ存分肥育さるゝの御

準備を願ふ。

関連擁壁鰭も展塵蜂蚊に助力

(是非生徒冨預まして下さい)

生徒が間接に田蓮町農薬にカを謹すこきは

今更ら申し上げるこきではめりません。鰭の

ズイム一シ

職卵、外事の、、i都、拘、割引、

野ネズ、、、

去年中でも尋㍉ 登萬匹以上∵旬刊男五千

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日五十月一年五和昭田十第漫談

ヽ-′

9軸○○い

京都府農林技手 太 田 源 吾

農村の「疲弊」婆は何を物語って居るのか

ざ云ふき、麗騎士の御岳の、喰込みに、別種、

借金ご云云様な現象だご恩ふので、

喰込み、

引出、償金、

愉進んで行っては、そこに見にくい翌つ、

猫罪、やがて往生きいふ様な風に准るき、媛

舞を通り越して「荒廃」こいふ字になる。

逃亡

犯罪

馨語錐染醸轟纏

彊講義養鶏彊葦

今何か工夫を椿やなければなずなlいのであ

「人を副って出を翻せよ」は徳川時代の経輝

-

-

-

-

-

匹金、都、当事可百五十匹皆叙法の蔭かしみ助

けです。珠、豆、其他の収穫の玲牧はあづか

ってカが多いです。

農村の「醸弊」と

甲蓮の農鵠

上の思想さして居bよしだが、今日は多少璃

んでO

「出を討って人を増せよ」でなければならな

い、即農業生産に使用する経費は充分に出を

計らなければならない、その反面に収入南は

サント増加するの工夫を考へなければならぬ

御岳の支出が

一、生活費∴∴武官図

二、家業畿∴∴参宮固

、計     五百回卑

ご股足し詑言?らば、吸入はこれ以上に蕃げ

なければならぬ三二本ふ事になり。

一、度農牧入 六百回

二、巽他  愛帝国

/計     九百回也

薮にならつたきいふべきか、努力は逐ひ

に運命を開いて泰だ。今日では一町二度歩.の

土地を凝着するやうになって、どんな隼でも

登千回齢は残すご去って居る。勿論畢順な来

作でむく果樹、園馨し副築き種々工夫を重ね

て経馨しで居るからであるが、同地方では党

年荻、小作争議の渦が籍いてあったか言自分

は決して無理を願出する∴」はない:己。

「豊産の富は隷久貯鶏隈である」。ざ礎僑‖‥

金解鱒、緊縮、節約で収入の道は少くなって

斯うなるき、蓉引四百回也を増すこγ」に、

なるのであるo

◇大垣市翻戸町に、竹中所二ざ云ふ農家があ

って、本年三十四才で、十七才の晴に父をな

くした、港晴はぞくに云ふ水呑百姓さ。

云はるゝ程の赤貧溌ふが擬であったが、然る

ブル〈懐へてめる寧菜家が在るに。竹中君

は唯一の資本である土地から取れる富は「緊

縮にあらず、簡約にあらず」

「生産塔加、収入曙加」を宮の無限を雄薪に

物語る、倉庫(土地)を耕作して、不景気を知

 

に、騎珊珊瑚何苺か成らざらんご決心して奮

勺、

闘した。

発つ農食ににのみ、〆試験場に依頼して、背

き襲った経笹方面や嬢責其他の醇に就いて楓

談、親しく研究を績け一憲尋心農薬のために

働いた号∴趣

「成せば成る成さねは成らぬ何苺も、

成らぬは雷が威さぬなりけれ」、ごて

附通の農家は皆何れも農業者の手本として特

に青年諸君は一生懸笹に留って居ると、御岳

与)喰込んで一は、貯金を引出し、吹に借金ゴ

泰では遂には疲弊し、相互が疲弊すれば、我

郷土問返町の農業癒瞬き事ふ輩になかのであ

る。今密接一番‖以って竹中君の様なカの有

る農業番もなりたいものである○

我隠避町にも竹中君の様な農薬藷も多々在

りますが、序へ起こし見て農業成功者を手本

としてQ

壁塵璃加、農薬貯蓄、土地魔人、

牧人輯加、貯金、貯金、

へ宇遅めば、農業本位の本町は生産増加の

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日五十月一年五和昭竣 五 第

塵」 )

田蓮町報

だめ、有細になる撃ご確信し、全都合さの利

便も有り、愈々天、の恵み、地の恵みに好過し

て、青年諸兄の力強さ努力を期待するのでゐ

-かo (終り)

町罷合だより

企1 蘭井藤副業共進禽 本町花井組合よ

り、百合、なく巧、卵′不評、早宮叫イオ出

品す、四等賞に入賞すo

企.畜牛品評曾 昨秋開催やし、第四画筆

品評曾は盤品頭数五輪丸顔入賞拾九

名、特別賞に批尾正夫氏子萱等賞に小

西惣太郎、木村図枚.山村千松▼武等

賞に片岡雷松外四名:蓼築賞、西川久

苗外九名。)

座∴輪作覿縁 昨秋稲作親察さして滋賀鰊

犬上邪説山村賃牧七石重合穫をの若林

へ 蓄右衛門氏か親猿に本町より七輪襲名

試作塊に親猿して大いに盆する靡多大

潜÷り。

△ 果樹兢縁 官有柿親察きしで奈良懸柳

本別所文一氏の経螢櫛園を兢寮費地に

説きで研究をなす。

稽作立毛審査 去十二月全町稲作田各

個別に、ノ二隊に別れ、藤倉各役員、郡

度合、本曾技手立合ひ数千点に就き、

田、水田別に採点す。本月下旬審査礎

定二月中句に成績を蚕関する壕定。

隼.米七希重合貨収講演管、若林氏増収講

演倉は二月中旬本町にて開催壕定。

金 田遽賃農曾稲作研究閲去一月十五日に

稲作研究田賢妹授輿式碁行、審査の要

点は一言田地等級?

二、肥料配合を金肥/の多少?.

三、璃収穫ヂ

四、米品質?

前年の成績にかんがみ、本年の成績は

何れも各官員の鎗程な研究が革質に表

ほれて居るござは、全倉が鎗種有意気

な鰭をせる目的に二致して居る導き購

郊益々研究繊績さる㌧室を斬る。

△∴輿月瞳の農業 全瞳は最近数名の努力

家によって、現在の盛業麓箆では行詰

りで、経螢上に大改革を叫ばれて着々

賃現して行く蕾は、仝陵のため慶賀に

輝へませんゝ今試みに一二の例を選べ

ト西瓜.五十歩、コ採種反別、三十歩

ヨ櫛酋楢込二丁卦勘桑常七千本購入

郵開墾荒廃、地開墾二丁歩

今後寵麿畑地の整理をさるれば、或は

薮に果樹園(梅、¥桃、番う梯)になるな

らば五年後には篤子べき生産の宮が織

稽作立毛の審査をなす享

各々山田青春

-泰で、不景気は他所の風にするこき

容易であらう、兎に角努力を以って

農業の行詰りを打開せなければならぬ

~△ 新田遽西瓜栽培 前年本町西瓜は京都

西瓜の代表として市場に最高偏を保持

して、市民に漱越された事は出荷者各

位の御承知の通りで、今年の作付醸想

¥ 賞に拾敷丁歩で、之れが統二子壁員に

就中ては今から頭を関わで屠るので、

) 二月早々協議倉を開いて種々方針を確

定して生産者各位の期待に靖ふ様に努

めたい、第一肥料ざ妹の問題で是非共

同で西瓜の味付け肥へを購入したいき

存じて居も‥ます。満々憲気込んで御研

究下さる撃を御期待します?

全 米は旭本町栽培の品種の四割造旭で

今各陸別に見ろに

一、奥戸彊 八潮五分(旭)

) 二、薪底∴(六鞠 (旭)・

三、四遽匪 四割 (旭)

/四、河原匪一説∴旭)

品質別では輿声優第一等、河原瞳の旭

栽培少なさは土質の関係上紳カにて概

雷の成績を収めて屠るからである。米

債は奥戸願最高で脚力の多き底稽低い

これはl米滑賀寿側の市民のロから取乱

器にざ灰から秋へご侮る償倍が定める

千l吉で詮方ない。書生は是非巽旭毒収

穫方法を貸現せなければならない、丁

度重々が太九二品島、物塵館へ雪買物

吋を選ぶのき同棲か?