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東大科学哲学ゼミ第11制度化される科学 ークライアントとしての国家の成立までー

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東大科学哲学ゼミ第11回 制度化される科学

ークライアントとしての国家の成立までー

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科学の制度化

• Institutionalization – 政治・社会的生活において法律・習慣を通じ

て行動形態や組織として定着すること

• 17c科学革命 • 科学の制度化

– 学界・研究所・大学 – 19c – 産業革命とフランス革命

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「アカデミーの時代」

制度化する科学...一歩手前

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1.専門家化する「科学者」

17Cまで:パトロンを求めて宮廷を渡り歩く系科学者 •18C頃:国民国家の成立、アカデミーの時代/官吏との二足のわらじ系科学者 •19C以降:専門教育機関、大学の学科改革/職業欄「研究者」系科学者

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2.ざっくり仏アカデミー • 17C後半に成立

– 半分が第三身分(ただし会員は科学的技能に長けたもので、欠員時に補填)

– 同僚審査システムを備え、自然科学に関する出版物を校閲する独立機関

– 宮内大臣からの依頼に対応し調査委員会を設立 • 18C後半

– 啓蒙のフィロゾーフの征服 – 政府に対して「勧告する機関」へ

• 革命期—アカデミーの閉鎖 – 新しい教育機関の設立

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3.17C前半のアカデミー • 私的な科学サークルの林立(サロン的雰囲気)

– 王権はこれをすぐには制御下に置かず。 • 英:ロイヤルソサエティー(1660~)が62年に王から

勅許状を受ける→ならフランスでも • ルイ13世→14世

– 親政のスタート(知的活動の監視、諸アカデミーの成立)

– 1666:パリ王立科学アカデミー創立(しかし、他のアカデミーより法認が遅れる。1713登録)

– 科学アカデミーには他の芸術系アカデミー以上の永続的有用性を望めない→ロングスパンでの財政投資を渋ったか?

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4.アカデミーの会員

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名誉会員以外:七割 アカデミーフランセーズ:二割

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5.アカデミーの性格(17C)

• 純粋科学、科学技術のどちらも守備範囲 – '93に設立された「技芸と職人技術協会」との分

業問題(吸収することで解決) • 99年会則:内部ヒエラルキー・会員の資格・

研究分野・義務等を明記 – アカデミーの理念を制度的に保障

• 二つの自称—AcadémieとCompagnie – 外界とは隔絶した「科学の共和国」的な性格 – 一種の職能集団=ギルド(王権の中間団体)的な

性格

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6.出版委員会 • 国家から独立した校閲権をもち、自然科学系の出

版物を完全にコントロールした史上初の機関 – 掲載内容の自由裁量・公的機関誌を持たない、英ロ

イヤルソサエティーとの対比 – アカデミー内の「出版委・審査員会」の統制によ

り、外部の介入を許さない・同僚審査システムの確立

– 非会員の著作の出版・検閲 – 機関誌「科学アカデミー年誌・論文集」の刊行、追

悼のエロージュ(一般読者向けの解説や科学者の伝記も掲載)

• オーソリティー性の確立、学会のスタイルに継承

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7.派遣集団「アカデミー」

• 宮廷における知識人囲い込み政策の枠にとどまる形をとりつつ、他方で整備されつつあった技術系官僚組織への関与と交流を深めていく。 – 1720年代:会員が官制手工業工場(マニファ

クチュール)や発明審査に導入される。 – 「非公式に人材を供給する技能集団」 – 1740年代:マニファクチュールからも人材を

受け入れる相互体制に

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8.1750~60年代の動揺

• 植民地をめぐる英との覇権争い、租税法案・宗教問題をめぐる王権と高等法院の対立→内憂外患

• 伝統的な”法”と慣習の実践知から統治のための体系だった知への必要性が増大 – 商業の科学・政治経済学等がすこしずつサロンから

行政の言論空間へ – アカデミーが行政から公共事業や発明等の案件の依

頼を受けるようになる • テュルゴー政権下における「科学」の位置づけの

変化

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9.マキャベリスト的近代科学

• 近代科学のマキャベリスト的背景

– テクノロジーは有用であれば受容されるのか?

– テクノロジー科学は”イデオロギー”として近代政体に取り込まれる。

• マキャベリ『君主論』(1532)

– 政治におけるリアリスト(by F.ベーコン)

• 「人間はどんなことをすべきか、ではなく人間はどんなことをするのか」を書いた。

– How(いかにして)という機構への問いを発する関心のあり方(=機械論との共通項)

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9.マキャベリスト的近代科学 • ベーコンの評価→ホッブズによる近代科学化 • 「国家は機械」(by ホッブズ)

– 分析というアプローチにより政治科学が誕生(徹底したリアリズム)。

– 政治学≒力学という解釈により、自然哲学(科学)と政治科学を統一。

– 近代啓蒙国家並びに社会契約説的な国家はアカデミーを備えた。(というより個人的には徐々に双方のニーズが一致して行ったのが「アカデミーの時代」かと)

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10.イギリスという脅威

• モデルかつライバルの隣国 • 経済的インパクト

– 小麦の大量輸出が可能になるような農業システム – ニューリバー運河建設などの工業建築技術

• 既存の体制・技術の組み直しや改良で商業国としての成功を収めた

• 算術の利用 – 人口・経済・軍事力の知的把握(cf.フーコー「生

権力」的次元にも踏み込むか...)

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11.産業革命とロビンソン・クルーソー

• デフォウ(1660~1731)『ロビンソー・クルーソー』 – 農村工業の発達期「アーバン・エクソダス」の最

高潮。 – マンチェスターやバーミンガムの台頭 – 中産的生産者層の理念像を描き出す試み。将来あ

るべきイギリス人の理想像の提示(教育書) • 人間類型論(大塚久雄)

– ウェーバーの「エートス」に近い – ある社会集団の外面的な行動様式(社会科学がそ

の理論の立脚点とする「人間」)

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11.産業革命とロビンソン・クルーソー

• ロビンソン・クルーソーの思考 – 目的合理的な経営思考 cf.小麦や弾薬の資源分配 – 本質的な「資本主義」

• ロビンソン的人間類型の歴史的意味 – ウィッグ党の勝利→重商主義政策(国民経済の確

立) – 産業革命を支えた中産階級の経営者たちの存在

• 仏:こうした行動様式をより大きな制度とし

て政治に組み込む試みが1750~から徐々に始まる。

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12.啓蒙のフィロゾーフの征服 • 1760後半 • 目標:「王が哲人であるか、哲人が王である

とき、民は幸いであろう」→知識人のアンガージュマン – フィロゾーフとは17Cまでの伝統的学者のあり方

を批判する呼称 • ヴォルテールの指摘

– 仏にはフィロゾーフが活躍できない状況がある『哲学書簡』1724

– アカデミーという手厚い保護=年金制度によって王権に従属させ、飼い殺し。模範:ニュートン

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12.啓蒙のフィロゾーフの征服 • フィロゾーフたちの征服

– 1769ダランベールがアカデミーの事務局長(名誉会員の役職)に。

– cf.アカデミーフランセイエーズの終身書記 – ヴォルテールの影響下から、思想的後継者をつぎ

つぎとアカデミーに送り込む。cf.テュルゴー、コンドルセ

• アカデミーは単なる技能集団から、研究機能と王権に対するコンサルタント機能を備えた諮問機関

• =「勧告する機関」へ

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13.テュルゴー政権下での変容

• フィロゾーフの征服の到達点=テュルゴー政権

• 「官僚制からテクノクラシーへ」 – 意思決定レベルの高さ:側近や官僚機構の長に科

学的な理論知識をもった人物の登用 – 自然科学・技術とも重なる政治経済思想を通して

学者の公的な政治へのアンガージュマンを促した

• 政策の失敗 – 旧来の職能団体にラヴォアッジェらの時代

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14.ネッケルとブルトゥイユの時代

• 1760~70年代:アカデミーがローカルな(パリの)都市工学系の問題に接近する。土木技師・軍事技師である会員がそれらの審査委員会へ

• 1780年代:治水事業への数学者の登用、存在感の上昇。 – イヴェット運河計画:アカデミー会員が直接会議

に送り込まれる。個人的な依頼、という形ではなくアカデミーという立場からの公的な声明。

• 大調査委員会:異分野の学者・技師たちがおなじプロジェクトのために恊働する機関

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15.アカデミーの終焉 • アカデミーの廃止

– ①旧体制の政治的終焉(という意味で必然的) – ②革命のスケープゴート的存在としてのアカデ

ミ • アカデミー批判の系譜

– アカデミー改革を訴えた「フィロゾーフの征服」

– 1750年代ルソーの学問批判 – マラーの”ダランベール的科学”批判(有用性へ

の問い) • ダヴィドの(絵画)アカデミー閉鎖要求スピーチ

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16.新しい体制 • 1794年:中央公共事業学校(翌年、エコール

ポリテクニークに改称)技術と科学の知を備えた人材の育成。 – 全ての男性市民への門戸開放

• 1795年:国立学士院(コンドルセらの「大アカデミー」構想に近い組織) – 革命期の憲法に共通する「公教育」 – 初等→中等→学院→リセ→国立科学技芸協会

という構想(革命の混迷期にはあまり議論されず...)

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19世紀欧米での体制化 産業革命・国民国家

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19世紀における科学の制度化

• 技術・科学の社会的威信上昇(フランス革命と産業革命)

• 世界の工場イギリスへの国家単位での対抗 • 科学・技術を教える制度としての大学の登場 • Scientistの誕生 • 産業革命以降の技術・科学的知識への要求 • 企業付属の研究所、国立研究所の設立 • 職業的専門家らの科学者団体設立

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• 英語scientist – 1840、W ・ヒューエル『帰納的科学の哲学』

• 「アーチスト」になぞらえて新たに造語 • 『オックスフォード英語辞典』に採録、英語とし

ての市民権を得るのは1914年以後 • 西洋に「科学者」が誕生したのは、ニュートンの

没後100年以上

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大学と科学

• 中世以来の大学 – 聖職者・法律家・医者

• 科学は余暇活動

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産業革命と科学

• 蒸気機関? – 徒弟制度のなかでの発達 – 熱力学(Sadi Carnot,1824)の寄与は少ない

• 化学工業 – ソーダ製造(ガラス・せっけん)

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フランス:革命前の動き

• 土木、軍事技術者養成学校 – 1747橋梁堤防学校、1748メジエール工兵学校 – 1756砲術学校、1783鉱山学校 – 講義なし、徒弟的方法での教授、科学の進歩

との隔絶、学校相互の連絡なし、入学資格に家柄・身分の制限

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フランス:革命戦争と科学

• 1792~反革命諸国との戦争 – 火薬、銃砲、食料の不足

• 緊急増産のため国中の科学者を動員 • 放心鋳造法、穿孔法、堆肥からの硝石製造

– 1794,外国勢力撃退 • 科学、技術の国家的重要性を印象付け • 1793,王立植物園⇒自然史博物館 • 1794,保健学校;臨床医の育成目的 • 同年,エコル・ノルマル(教師育成),公共事業学校(⇒

エコル・ポリテクニーク),国立技術職業学院 • 実験室を持ち,講義のなかで実験を行う,実践的な授

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フランス:エコル・ポリテクニーク

• 背景:革命戦争で工兵隊が役立たず – 旧上流階級出身 – 国外逃亡や忠誠心の低さ – 新しい「国民的技術者」育成学校を希求

• 成功の要因 – 身分差別廃止 – 入試 – 法定カリキュラム、講義と実演 – 図書室、実験室、実験助手

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 30

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ドイツ:革命戦争と科学する大学

• 19c初:ドイツは分裂国家 – 200以上の領邦 – ナポレオンにより征服される – 「国民」意識の形成

• 1810、ベルリン大学 – 学問による教養:純粋な学問志向(神・法・医は職

業養成機関として周辺に押しやられる) – 研究と教育の一体化、大学の自治・自由

• 19c中庸のドイツの科学・技術発展の下地 • シェリング、フィヒテ、フンボルト • 産業との結びつき弱 • 中央集権で沈滞したフランスはドイツの大学制度に学ぶ

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 31

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ドイツ:模倣と自立の模索

• 19cはじめのプロイセン、ヨーロッパ諸国:イギリスに遅れた農業国 – イギリスは1820sに産業革命を完了 – 技術導入:模倣としての技術革新の必要

• シュタイン・ハルデンベルクの改革 – ドイツ産業革命の前提としてイギリスの機械制工

業導入 – 工業学校(ベルリン工科大)、産業助成協会 ⇒工場経営者の組織化(イギリスから技術導入・懸賞問題)

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 32

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ドイツ:産業革命終了と世界市場

• 1871ドイツ統一(帝国) • 品質問題 • 世界市場展開 • 技術導入(工業学校助成協会) ⇒品質問題(試験研究所)

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 33

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ドイツ:科学工業大国への道

• 「過去の創造物が活力を失ったあとに見出す」べき「新たな諸施設」としての「工業的・経済的活動の組織にとってのあらたな形態」 – 1877,商工業および公共事業大臣アッヘンバッ

• 国家的援助、事業としての研究所

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 34

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イギリス:産業と教育

• 19cでもしばらくは科学、技術教育は制度化されず

• 産業革命を支えた技術革新も、科学的知識をあまり要請せず

• しかし、科学や技術に関する「有用な知識」への関心は高まった

• 新興産業家、科学・技術教育運動をおこなう – オクスフォード、ケンブリッジの人文古典一辺倒

に対抗

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 35

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イギリス:メカニックスインスティチュート運動

• 1823、メカニクスインスティチュート。 – 職人・熟練労働者に機械学、数学等を教授する会

員制の講習所 • 1826,有用知識普及協会

– 下院議員H.Brougham,産業ブルジョワイデオロギーを代表

• 1828,ユニヴァシティ・カレッジ – ブルーム、ベンサム、ミルの協力。国教徒の富裕

層のみ受け入れるオックスブリッジに対抗 – 近代的カリキュラムを中心とする

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 36

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イギリス:ロンドン大学の設立

• ユニヴァシティ・カレッジに対抗し国教主義のキングズカレッジ設立(1831)

• 学位授与権がないので、両カレッジの昇格運動⇒試験機関としてのロンドン大学

• 1900、多くのカレッジを統合し真の大学に

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アメリカ:科学・技術教育の遅れ

• 19c前半、当時農業国のアメリカ – 南北戦争(1861-65)まではイギリスにプラン

テーションの商品作物を供給する従属後進国 – 北部(工業中心)は工業国化の画期

• 1847,ハーバード、エールに「科学学校」 • 1865,MIT:研究と結びついた工学

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 38

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研究専門機関の出現 企業研究機関 国立研究機関 巨大資本家の純粋研究援

1862クルップ(独) 1887ベルリン、国立物理工学研究所

1901ロックフェラー医学研究所(米)

1884ベルテレフォン機械部(⇒1925ベルテレフォン研究所)(米)

1900イギリス、国立物理学研究所

1902カーネギーインスティテューション(米)

1889バディッシュ・アニリン=ソーダ工業(独)

1903アメリカ、国立標準局 1911カイザーウィルヘルム協会(独)

1889ウエスティングハウス(米)

1913ロックフェラー財団(米)

1890バイエル(独)

1891デュポン(米)

1895GE(米)

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プレゼンター
プレゼンテーションのノート
標準・検定、およびそのための基礎研究 純粋研究援助as文化的プレステージ
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国家と科学

• L.Pasteur「科学に祖国はないが科学者には祖国がある」 – 晋仏戦争中の1871、ボン大学に縁切

状を送り学位を返上 – cf.毒ガスの父ハーバー「科学者は平

和時には世界に属するが、戦争時には祖国に所属する」

• 国民国家と産業革命 – 政治的まとまり=経済圏=一つの国家 – 科学のナショナル化

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 40

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明治維新と制度化科学の輸入 科学は日本にどのように導入されたのだろうか

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 41

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体制化前史:江戸時代の科学 • 1770s

– 「蘭学事始」…西欧近代科学の学習開始 • 1853

– ペリー来朝;科学教育の制度化開始 • 1855

– 長崎、幕府、海軍伝習所(オランダ人を教官として航海・造船・測量・砲術を教育、基礎学科として物理・化学・数学の伝授、軍医養成目的で医学)

– 洋学所、幕府(外国書の翻訳;地理・物理・化学・兵学などの教育)⇒蕃書調所(1856)⇒洋書調所(1862)⇒開成所(1863)

• 1860 – 種痘所(←58蘭方医たちが設立した種痘館を幕府直

轄に)、63,医学所となる 2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 42

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日本の輸入した科学=体制化科学

• 19c後半の欧州では科学の体制化が進行 – もはや17c以来のアマチュア科学ではない

• 産業革命への遅れは50年ほど • 明治維新=殖産興業、富国強兵の時期に輸

入した科学はすでに体制化されていた – 体系的整理:学校で教えられる

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 43

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留学生の派遣

• 1862 – 西周(法学) – 榎本武揚(船舶に関する実地、工学の学習)

• 1866,海外渡航許可 – 学術修業、貿易(薩長ではこれ以前からイギ

リス留学をさせていた)

• 幕臣子弟を多くイギリスに留学させる

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 44

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お雇い外国人での教育、建設で当面の必要を満たしつつ、将来の自立のために留学生を送る。この方式は明治政府にも引き継がれる

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 45

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体制化前史;明治政府の教育

• 1871,文部省設置 – 近代化方針

• 学制 – フランスにならいアメリカも参考に

• 小学校が主。、大学、高等専門教育にはまだ実態がなかった。幕府から引き継いだ開成所、種痘所が出発点となった

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 46

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• 1871南校(開成所) – 英仏独、数学、物理、化学(中学、高校程度)

• 1873,開成学校 – (専門学校へ改組し英語に外国語を絞る);法学、

化学、工学、諸芸学(fr専修生収容)、鉱山学(de専修生収容)

• 1871,医学所、東校に名称変更、ドイツ医学を教授

• 1877,東校と南校が合併し(東京)帝国大学。

– 法文理医 – 理学部―化学、数学・物理学及星学科、生物学科、工学科、地

質学及採鉱学科

• 同時期、工部省下に工学寮があり、チューリヒ連邦工科大学(当時世界唯一の総合工科大)にならい組織 – 1886,工部省廃止の翌年に東大に合併、帝国大学工科大学に

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 47

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何のための自然科学

• 東大設立時の理学部設置理由 • アクセサリー論(技術導入のついで) • 理学部―化学科、数学・物理学及星学科、生

物学科、工学科、地質学及採鉱学科 – 応用;工学科、地質学及採鉱学科 – 応用化学がほとんど;化学科 – 数学;開成学校時代には工学科に含まれ、東大に

なっても物理学・天文学とひとまとめ。他のための基礎科目的性格

• ⇒なかば工学部の役割

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 48

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学科編成論争

• 1877東大開校前、学科編成に関するの意見聴取「意見百出議論紛糾して容易に決せざりし」

• 1.大学という以上ヨーロッパの体裁に従い、純然たる高尚な学問を修めさせよ

• 2.簡易にして早く日用に便する学術を授けよ

• ⇒理論・実用の両方を修める

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 49

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帝国大学令と国家 • 1886帝国大学令

– 国家のための大学という規定 – 大学についてはじめて詳しく性格・組織・位置づけを規定

• 大学令以前の学制の精神 – 『学問のすすめ』に通じる。士君子のみちでなく利用厚生

の道、功利的価値のある学校。 – 研究には学制・教育令(1879)では触れられていない。し

かしナウマン(日本列島地質構造)、モース(大森貝塚)アトキンソン(日本酒醸造)、ミルン・グレー・ユーイングの地震学など、お雇い外国人教師の自発的活動がなされた

• 第一条「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ考究スルヲ以テ目的トス」 – 研究をかかげる。国家主義。国に役立つ研究

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 50

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次回予告 • 1/15 第12回:制度化される科学ービッグサ

イエンス時代の到来ー • 「科学と政策」に関する回の2回目です。第

一次世界大戦以後、科学は好むと好まざるとに関わらず政治・経済との相互作用によって発展してきました。この回では日本の戦間期の科学(理研や東大の研究所)にスポットライトを当て、そこからビッグサイエンスというモデルを理解するとともに今後それがどのように機能していくべきかを論じたいと思います。

2013/1/8 東大科学哲学ゼミ 51