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り
起る
〓
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幸福も
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下よ
り
生ず
べし
然ば
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天
下の
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他に
あ
ら
ず
国民一
般の
知
愚に
係る
ヿ
推し
て
知る
べ
き
の
み
今爰に
世
界国
尽の
著ある
も
専ら
児童婦女
子の
輩を
し
て
世
界
の
形勢を
解せ
し
め
其知
識の
端緒を
開き
以
て
天
下幸福の
基を
立ん
と
す
る
の
微意の
み
書成る
に
及び
合
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ウヨ
ル
ク
」州の
士
人「ワ
ル
プ
ラン
ク
」
氏の
文章を
翻訳し
て
序文に
代る
ヿ
左の
如し
世の
文人
筆を
下し
て
人の
功
業を
表す
る
も
の
常に
其文の
趣工
を
盛に
し
或は
経
済家の
知
才
を
誉め
或は
武将の
勇胆を
称し
或は
説客の
明
弁を
賛し
字句
秀英文章華麗自か
ら人
を
し
て
功
名青雲の
趣を
想像せ
し
む
る
も
の
尠か
ら
ず
然りと
雖〓
事実天下の
裨益を
計り
世
の
為め
に
功
を
成す
の
大小如
何を
論ず
る
〓
は
誰か
学校
教師の
右に
出る
も
の
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人
民教育
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に
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法を
設け
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も
の
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区必ず
一
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教を
授け
り
但し
五十
所の
大学校及び
許
多の
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此数の
外な
り
此学校に
出
入す
る
児童の
数五
十
万人に
下ら
ず
此
外上
級の
学校に
於て
教を
受る
少年も
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或は
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も
の
は
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風俗と
其人
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教師に
随従し
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門の
教
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我国人
衆庶一
般相為め
に
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る
の
公
法を
以
て
国
体を
成し
其国に
益あ
る
ヿ
甚だ
洪大な
り
然る
に
此国益を
為す
所の
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唯前条の
一
事の
み
な
ら
ず
他に
又
功
徳の
大な
る
も
の
あ
り
其大なる
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は
何ぞ
や
慈母の
教育即是な
り
政
府其体
裁を
寛大に
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と
雖〓
議政
其法を
巧に
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と
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為め
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義士
報国の
為め
に
身を
殉ず
る
も
其国に
益
す
る
所の
実功
を
論ず
れ
ば
母の
子に
教る
の
功
徳に
及ば
ざ
る
ヿ
遠し
後世若し
我共
和政
治の
人
民其先人の
富強を
承け
て
其名其実に
恥ざる
も
の
あら
ば
此人
物
は
必ず
母の
賢徳と
知
識とに
由
て
然る
者な
ら
ん
先ず
人の
心
に
慈悲温和の
情を起し
て
其習
慣を
成し
虔孝の
道に
先入
せ
し
め
て
其方向を
正だ
し
人
類の
職分を
知
らし
め
万物の
霊た
る
責を
弁じ
以
て
明徳の
門に
入
ら
し
む
る
の
道は
唯慈母の
鞠育教養に
由
て
得べ
き
な
り
前条の
如く
慈母
の
教育は
其子の
本心
を
誘導
し
純精無雑神霊微妙な
る
も
の
と
云
う
べし
此
教に
亜て
功
を
奏す
る
も
の
は
学校教師の
教な
り其功
徳亦小な
らず
今此
国に
於て
学校の
増
加す
る
ヿ
毎
年千を以
て
計う
此
学校に
在て
教
を
授る
者尽く
皆博識の
士
に
し
て
腐儒の
臭を
ヲF’
去
り小
説に
惑わ
ず
し
て
真理の
趣を
解し
其道
を
尊び
其教を
好み
当務の
職を
達し
て
節義を
守り以
て
風化の
徳を
盛に
せ
ば
其恩の
生
霊に
及ぶ
所実に
鴻大
無窮な
る
べし
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年
己
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八
月
福
澤諭吉
訳
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間に
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風に
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其実は
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米利加
に
て
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る
地
理
書歴史類を取集めそ
の
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処だ
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訳した
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六
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人
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西
洋の
横文字を読て
略その音
に
近き縦文字を当る
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古来翻訳者
の思々
に
色々
の文字を用い
同じ土
地
にても
二
も
三も
其名
あるに
似たり又
或は
唐人の
翻
訳書を見て
其訳字を真似
したる
もありこれ
は
唐の文字の
唐音を以
て
西
洋の
字音に
当た
る
ゆえ
唐音に
明る
き学者達に
は
分る
べ
けれ
ども我々
共に
は少しも
分らず故に
此書中に
は
勉て
日
本人
に
分り易き文字を用る
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ども本字を記して
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るに
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字と
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柳の
字なりと
憶に
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おぼえ
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りゆ
うと
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など
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固
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ず
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足
らず
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弁の
字
は
弁慶の
弁の
字なり論頓の
論の
字は
論語の
論の
字なり大抵こ
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方を記憶す
べし
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本人も
英文を
読み
得ず和
蘭の
書のみを飜訳せ
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名
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蘭人の
唱と
英人の
唱と同じからざるに由
て
訳字の
相異
なる
ものあり
譬え
ば
昔日
蘭書の
飜訳文中に
窩々
所徳礼幾と
記したる
もの
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利
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上
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り
一
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ありこれは
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あらず
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うぺ
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音なり
目
録
一
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巻発端
亜
細亜
洲
同頭書図入
二
の
巻阿弗利加
洲
同頭書図入
三の
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欧
羅巴
洲
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四
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巻北亜
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洲
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理
学の
総論
天文の
地
学
自然の
地
学
人
間の
地
学
目
録終
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世
界の
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万人
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人
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J:-Iメ、?ノ、た色工 J-11人よう 程L 憶、?程al
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百
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十
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多
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洲
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道
近
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甚だ
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も
こ
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なり
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は
五
百
二
十
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数
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都の
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洲の
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の
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の
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の
支配
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長
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多良島」と相
対し東
西
僅か二
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の
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軽骨田
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景
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の
南の
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と
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英
吉
利
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港
に
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諸国の
船の
立
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万国の
船の往来も
賑しく
瀬戸を出れば「印度海」
北へ
向て「弁軽」の入海
深く入こ
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小
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河
よク人つ
寄る
所
なり
後
印度の
南の
端に
も
西
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り
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東国筋に「伊留久須
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」
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売買城に
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地
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始
終
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泊
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