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Tsure Zure Gusa,a japanese classic

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1 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

新 訂 徒 然 草

吉田兼好(吾妻利秋訳)

www.tsurezuregusa.com

3 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

一、はじめに(訳者より)

二、つれづれぐさ上

三、つれづれぐさ下

この版では、『徒然草』の現代語訳のみを記載しております。

本文との対訳は(w

ww.ts

urez

ure

gusa

.com

)をご覧ください。

5 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

はじめに

このページでは、ぼくの変態の先生、吉田兼好先生の紹介をします。

『徒然草』は、学校で勉強したり、入試の問題になっていたり、くそ面白くないシーンで活躍していますが、

別に襟を正して正座をして読むものではないと思っているんです。

ぼくは、吉田先生をとっても尊敬していますが、別に気むずかしい方ではありません。先生は、人様からは出

家した偉いお坊さんと言われていますが、ぼくの吉田先生は、単なる非国民です。たぶん日本赤軍に誘われたら、

二日間考えて参加してしまう方だと思っています。ちなみにぼくは日本赤軍ではありません。特におもてだった

テロ活動もしていません。

ぼくは、不良です。ちょっと斜に構えてグレてしまいました。これは、全部吉田先生のせいです。ぼくは、吉

田先生に洗脳されてしまったのかもしれません。でもそれは、とっても幸せなことだと思っています。

『徒然草』は、こんなに面白いのに、聖書みたくはやっていないのは、みんなが、吉田先生に洗脳されてしま

うと日本中、非国民だらけになってしまい、国がなくなってしまうから、政府が隠蔽しているのかもしれません。

ぼくも、こんな危険な活動をしていると、神隠しにあうかもしれません。そうしたら、このページはそこで終わ

りです。そういった場合は、どうぞ察して下さい。

女の子にももてないし、友達も

近遊んでくれなくなって、お金もなく、仕事もばかばかしくなってきたので、

『徒然草』の翻訳なんてぜんぜん世の中の役に立たないことをやってみようかな、なんて思いつきました。

くは『徒然草』を十六回読みました。『徒然草』で射精できるかもしれません。そのぐらい大好きな書物です。日

本で『徒然草』が焚書にあったら、ぼくはイスラエルに亡命しようと思っています。そんな、大好きな『徒然草』

を翻訳するにあたって、よくよく考えると大変なことだと思ってきました。全部訳せるかも、自信がありません。

お金がもったいないので、底本は岩波文庫ですませます。時間ももったいないので、辞書と参考書もあまり使わ

ないことにします。だって、べつに古典の専門家になるつもりはないですから。ちなみに古語辞典は旺文社です。

だから、変な翻訳をしてしまうかもしれません。間違っていたら優しく教えてください。

実際、翻訳作業を開

始してみると、時間がかかって大変です。だから、

初から読んでいって、訳したいと思ったものから順番に訳

し、残ったものは、後で泣きながら

訳そうと思っています。

こんなに苦労して翻訳しているときに、うちにエホバの証人がきました。ぼくの楽しい妄想が中断されたので、

今日は本当にぶっ殺そうと思ってしまいました。

本当は、原文と対訳にしたかったのですが、原文を打つのは大変なので、訳だけにしました。序段は一応打っ

ておきました。もし、あまりにも暇すぎて『徒然草』の原文を打たないと死んでしまうという人がいらっしゃっ

たら、ぼくにご一報ください。

1998年

途中に

7 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

『徒然草』の翻訳を初めてから、もう四年もたってしまった。途中、予想通りとん挫し、しばらくの間放置し

ていたが、近頃、とある理由でもう一度、訳してみようと思った。四年前のぼくは今よりも、もっと馬鹿で、少

し調子に乗っていた節があるので、すでに翻訳済みの段に対しても若干の手を入れた。また、今回は対訳という

こともあって「見当違いの意訳はみっともない」と思ったので極力抑えているつもりである。とは言ってもそれ

ほどたいして世の中に影響がない作業であることは何ら変わりない。

あれから四年たち、

近では『徒然草』が首都の若い女性達の間で密かなブームをよんでいる。都内、青山の

某アパートでは流行の

先端を追い求める若者達でごった返し、『徒然草』を考える合同コンパなるものが開催さ

れ、そこでフィーリングが合った男女が渋谷の円山町の坂をネオンに向かって登って行くという。

常識ある人間であれば、この先、「うそだよーん」などと書かなくても察していただけることを信じている。

四年の歳月の間に『徒然草』の原文を打ってみたいという殊勝な志をお持ちの大学生からお便りをもらったり、

意外なこともなきにしもあらずであったが、時間だけは刻々と過ぎていってしまったことは間違いない。

今回は、序段より順に、訳していければいいと思うが、今までのぼくの傾向からして、困難を極めることは間

違いなさそうである。

2002年

1月

中旬

あとがき

六年がかりで翻訳が終わりました。二十代前半から初めて、石川啄木であったならとっくに死んでいる年齢に

なってしまいました。これが『源氏物語』であったならば、死ぬまで翻訳が終わらなかったことでしょう。

ぼくの周りにいる人は、ぼくが徒然草の翻訳をしているなんていうことは誰も知らないことで、やっと今日、

翻訳を終えたということも誰も知らないことでしょう。それでも、今日は記念すべき日のような気がして、明日

は仕事を休んでしまいたい気分です。もちろん、明日は何事もなかったように仕事をする予定なのですが。

この作業を始めたときは、おもしろ半分に始めたわけで、まさかこんな日が来るとは思っていなかったけど、

ついに

後の読点を打ち付ける日が来ました。途中、何度も辞めようと思って、実際、一年間断筆なんかもして

みましたが、なんとかここまでやってきました。なんとか今日まで生きてきました。

この訳は、訳しっぱなしで校正を入れていないので誤字脱字、勘違い甚だしいなど、多々、あると思います。

たまには自分でも読み直して、修正を行っていきます。もし、ここを読んでくださって、気が付いたことなどあ

れば、ご連絡いただければとてもうれしいです。

近、ウィルスメールと迷惑メールしかお便りが届かないので、

生身の人間から電子メールを頂いたら、欣喜雀躍すると思います。

また、この翻訳は何かの目的があって行っているものではないので、色々な部分で引用していただいてもかま

いません。だけど、できましたら是非ご一報いただければ幸いです。そうしたら、何か少し報われた気分がして、

ぼくは救われると思います。

この翻訳も永遠のものではありません。何かの事情で、ぼくが消えてしまえば、おそらく誰もホームページの

9 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

使用料金を払う人がいなくなって、この翻訳も消えてしまうでしょう。そんな日がいつの日か訪れるのだという

ことを忘れずに、徒然草の翻訳を脱稿します。

2004年

9月12日

行楽日和の日曜日に

改訂にあたって

完訳から二年半、すっかり放置しており、その存在すら忘れていた、このホームページですが、誤字脱字等、ご

指摘いただいた箇所を訂正し、見た目も刷新しました。

また、読み返してみて、自分でも自分で書いた文章が鼻につく箇所、解読困難な箇所について、気がついた範

囲で加筆、改ざんを施しました。

このホームページを読んでいただいた上に、わざわざご連絡いただき、誤りを指摘していただきました皆様、

この閉鎖的なホームページをご覧頂いて、励ましのご連絡をくださった皆様、稚拙なコンテンツにリンクを張っ

てくださった皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。

2007年6月吉日(かどうかは不明)に

新訂版発行にあたって

このたび、十年以上前に訳した『徒然草』を四ヶ月かけて校閲した。もはや校閲というよりも訳し直しであった。

誤字脱字、行抜け、誤訳、酷かった。

これで高校生がコピーペースとして宿題に持って行っても、少し先生に怒られる程度までは精度が上がったの

ではないかと勝手に思っている。

しかし、『徒然草』が持つ本来の魅力を味わいたいのであれば、こんな得体の知れない個人訳を読んでいる場合で

はないとつくづく思った。

だが、知らない間にこのページも検索エンジンに引っかかることが多くなってしまったようで、大変恐縮して

いる。変な訳を載せていたら恥だと思い、泣く泣く校閲するに至ったわけだが、いくら校閲してもし足りないの

が本音である。

校閲にあたって、ブログを利用した。本来であれば、校閲終了と共に「あぼーん」と消してしまう予定であっ

たが、携帯電話での閲覧及び、注釈をウィキペディアにリンクしたため、何かの役に立てばと残しておくことに

する。ぼくが滅んでも、しばらくはインターネット上にテキストが残るかも知れないから。

なお、このサイトの翻訳は自由に引用して戴いて構わないが、その内容を保証するものでもなく、著作権を放

棄するものでもない。

当分校閲はしたくないと思いつつ、校閲完了(のつもり)のご挨拶にかえて。

2009年7月22日

皆既日食の日に

吾妻利秋

11 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

つれづれぐさ上

序文

ムラムラと発情したまま一日中、硯とにらめっこしながら、心の中を通り過ぎてゆくどうしようもないことをダ

ラダラと書き残しているうちに、なんとなく変な気持ちになってしまった。

第一段

さて人間は、この世に産み落とされたら、誰にだって「こういう風になりたい」という将来のビジョンが沢山あ

るようだ。

皇帝ともなるとあまりにも畏れ多いので語るまでもない。竹林で育った竹が、その先端まで竹であるのと同じで、

皇帝の系譜は、その末端まで遺伝子を受け継ぐ。その遺伝子が人間を超越して、もう訳が分からないものになっ

ているのはとても聖なることだ。政界のナンバーワンである、摂政関白大臣の外見が尊いことも説明する必要が

なく、それ以下のプチブルの皇族を警備させていただける身分の人でさえも偉そうに見える。その人の子供や孫

がその後、没落してしまったとしても、それはそれで魅力があるように思われる。もっと身分が低い人たちは、

やはり身分相応で、たまたまラッキーなことが重って出世したわりには、得意げな顔をして自分では「偉くなっ

たもんだ」と思っているのだが、他人から「馬鹿だ」と思われている。

13 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

坊さんくらい、他人から見ると「ああはなりたくない」と思われるものはない。「人から、その頼りなさに樹木の

末端のように思われる」と清少納言が、『枕草子』に書いているのも、本当に同意してしまう。出世した坊さんが

偉そうに調子に乗っているのは、見た目にも立派ではない。蔵賀先生が言っていたように「名誉とか、人からど

う見られるか、などで忙しくなってしまって、仏様のご希望に添えなくなっている」と思ってしまう。それとは

対極に、もうどうでもよくなってしまうまで、世の中のことを捨ててしまった人は、なんだか輝かしい人生を歩

んでいるように感じられる。

現実を生きている人としては、顔、スタイルが優れているのが一番よいに決まっている。そういう人は、何気な

く何かを言ったとしても嫌みな感じもしないし、うっとりとさせてくれて、言葉数の少ない人であったとしたら、

無言のままいつまでも向かい合っていたいものだ。

「立派な人かもしれない」と尊敬していても、その人の幻滅してしまうような本性を見つけてしまったらショッ

クを受けてしまうに違いない。「家柄が良い」とか「美形の遺伝子を受け継いだ」とか、そういうことは産んでく

れた両親と深く関わっているから仕方がないが、心のことは努力して「スキルアップしよう」と思えば、達成で

きないこともない。見た目や性格が素敵な人であったとしても、お勉強が足りないと、育ちの悪い生活態度が顔

に滲み出ている人の中に混ざってしまうと赤く染まってしまうので、とても残念だ。

本当に必要な未来のビジョンとは、アカデミックな学問の世界、漢詩の創作、短歌、音楽の心得、そうして基本

的なマナーで、人々からお手本にされるくらいになるのが、なんといっても一番だ。お習字なども優雅にすらす

らと書けて、歌もうまくリズム感があって、はにかみながらお酌を断るのだけど、実は嫌いじゃないのが、本当

に格好いい男の子なのである。

第二段

聖なる古き良き時代の時代の政治の方針を忘れてしまって、一般市民が困って嘆いていることや、国に内乱が起

こりそうなことも知らないで、何もかも究極に豪華なものを用意して、自分のことを偉いと勘違いし「ここは狭

くて窮屈だ」というような態度をしている人を見ると、気分が悪くなるし、自分のことしか考えていない厭な野

郎だと思う。

「作業着やヘルメット、シャベルカーからダンプカーまで、すべて間に合わせで済ませよ、新品や

新機種を欲

しがってはいけません」と、死んだ右大臣の遺言にもあったことだし、順徳院が宮中の決まり事を書いた『禁秘

抄』という参考書にも「天皇のおべべはコンビニで買えばよい」と書いてある。

15 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第三段

どんなことでも要領よくこなせる人だとしても、妄想したりエッチなことを考えない男の子は、穴が空いたクリ

スタルグラスからシャンパーニュがこぼれてしまうように、つまらないしドキドキしない。

明け方、水滴を身にまとい、よたよたと千鳥足で挙動不審に歩いたりして、おとうさん、おかあさんの言うこと

も聞かず、近所のひとに馬鹿にされても、何で馬鹿にされているのかも理解できず、どうしようもないことを妄

想してばかりいるくせに、なぜだか間が悪く、ムラムラして寝付けずに一人淋しく興奮する夜を過ごしたりすれ

ば、得体の知れない快感に満たされる。

とはいっても、がむしゃらに恋に溺れるのではなくて、女の子からは「節操のない男の子だわ」と思われないよ

うに注意しておくのがミソである。

第四段

死んでしまった後のことをいつも心に忘れず、仏様の言うことに無関心でないのは素敵なことだ。

第五段

「自分は不幸な人間だ」などと悩んだり嘆いたりしている人が、頭の毛をカミソリでつるつるにするように、も

のの弾みで悟りきってしまうのではなくて、ただ意味もなく、生きているというよりは死んでいないといった感

じで、門を閉め切ってひきこもり、意味もなくだらだらと日々を漂っているのも、ある意味では理想的である。

源顕基中納言が「罪を犯して流された島で見る月を無邪気な心で見つめていたい」と言ったことにもシンパシー

を感じる。

第六段

自身の身分が世間的に高い人の場合はもちろんのことで、ましてや、死んでも何とも思われないような身分の人

は、子供なんて作らない方がよい。

前の天皇の息子や政府長官、花園の長官は自分の一族が滅びてしまうことを望んでいた。染殿の長官にいたって

は「子孫などはない方がよい。後々の子孫がグレて不良や暴走族になったら困るではないか」と言っていたと、

世継ぎ物語の『大鏡』に書いてあった。聖徳太子は自分の墓を生前に建築して「ここをちょん切って、あそこを

17 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

塞いでしまえ、他には誰も入れないようにしてしまえ。子孫はいらないからだ」と言っていたらしい。

第七段

あだし野の墓地の露が消える瞬間がないように命は儚く、鳥部山の火葬場の煙が絶えないように命は蒸発してい

く。もし灰になった死体の煙のように命が永遠に漂っていたとすれば、もうそれは人間ではない。人生は幻のよ

うで、未来は予想不能だから意味があるのだ。

この世に生きる生物を観察すると、人間みたくだらだらと生きているものも珍しい。かげろうは日が暮れるのを

待って死に、夏を生きる蝉は春も秋も知らないで死んでしまう。そう考えると、暇をもてあまし一日中放心状態

でいられることさえ、とてものんきなことだと思えてくる。「人生に刺激がない」と思ったり、「死にたくない」

と思ったりしていたら、千年生きていても人生なんて夢遊病となんら変わらないだろう。永遠に存在することの

できない世の中で、ただ、口を開けて何かを待っていても、ろくなことなんて何もない。長く生きた分だけ恥を

かく回数が多くなるだけだ。長生きをしたとしても、四十歳手前で死ぬのが見た目にもよい。

その年齢を過ぎてしまえば、無様な姿をさらしている自分を「恥ずかしい」とも思わず、人の集まる病院の待合

室みたいな場所で、「どうやって出しゃばろうか」と思い悩みむことに興味を持ち、没落する夕日みたいに、あと

少しで死んでしまうのに、子供や孫を可愛がり「子供たちの晴れ姿を見届けるまで生きていたい」と思ったりし

て、現実世界に執着する、みみっちい気持ちだけが増幅する始末である。そうなってしまったら「死ぬことの楽

しさ」が理解できない、ただの肉の塊でしかない。

第八段

男の子を狂わせる事といえば、なんと言っても性欲がいちばん激しい。男心は節操がなく身につまされる。

香りなどはまやかしで、朝方に洗髪したシャンプーのにおいだとわかっていても、あのたまらなくいいにおいに

はドキドキしないではいられない。「空飛ぶ術を身につけた仙人が、足で洗濯をしている女の子のふくらはぎを見

て、仙人からただの厭らしいおっさんになってしまい空から降ってきた」とかいう話がある。二の腕やふくらは

ぎが、きめ細やかでぷるぷるしているのは、女の子の生の可愛さだから妙に納得してしまう。

第九段

19 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

女の子の髪の毛はなんてハラショーなのだろう。男の子だったら、みんなが夢中になってしまう。けれども、女

の子の性格だとか人柄は、障子やすだれ越しに少しお話しただけでもわかってしまうものだ。

ささいなことで女の子が無邪気に振る舞ったりしただけでも、男の子はメロメロになってしまう。それに、女の

子は、ほとんどぐっすりと眠ったりはしないで「わたしの体なんてどうなってもいいの」と思いながら普通なら

辛抱たまらんことにも、健気に対応できるのは一途に男の子への愛欲を想っているからなのである。

人を恋するということは、自分の意志で作り出しているものじゃないから、止まらない気持ちを抑えることはど

うにもできない。人間には、見たい、聞きたい、匂いかぎたい、舐めたい、触りたい、妄想、という六つの欲望

があるけれども、これらは、百歩ゆずれば我慢できなくもない。しかし、その中でもどうしても我慢できないこ

とは、女の子を想って切なくなってしまうことである。死にそうな爺さんでも、青二才でも、知識人と呼ばれる

人でも、コンビニにたむろしている人でも、なんら違いがないように思われる。

だから「女の子の髪の毛を編んで作った縄には、ぞうさんをしっかり繋いでおくことができ、女の子の足のにお

いがする靴で作った笛の音には、秋に浮かれている鹿さんが、きっと寄ってくる」と言い伝えられているのだ。

男の子が気をつけて「恐ろしい」と思い、身につまされなくちゃいけない事は、こういった恋愛や女の子の誘惑

なのである。

第十段

住まいの建築様式は、バランスが理想的であってほしい。短い人生の仮寝の宿と知りつつも気になるものだ。

優良市民が閑静に住み続けている所は、降りそそぐ月光が、よりいっそう心に浸みる。流行の

先端を走ってい

るわけでもなく、ゴージャスでもなく、植えてある木々が年代物で、自然に生い茂っている庭の草も趣味がよく、

縁側のすの子や透かしてある板塀の案配もちょうどよく、その辺に転がっている道具類も昔から大事に使ってい

る感じがするのは、大変上品である。

それに引き替え、大人数の大工が汗水たらしながら磨いた「メイド・イン・チャイナ」とか「メイド・イン・ジ

ャパン」とか言う、珍品、貴重品などを陳列したり、植え込みの草木まで不自然で人工的に仕上げたものは、目

を背けたくなるし、見ると気分が悪くなる。そこまでして細部にわたって拘って建築したとしても、いつまでも

住んでいられるわけがない。「すぐに燃えてなくなってしまうだろう」と見た瞬間に想像させるだけの代物である。

たいていの建築物は、住んでいる奴の品格が自然と滲み出てくるものだ。

後徳大寺で坊さんになった藤原実定が、ご本殿の屋根にトンビがクソを垂れないように縄を張っていた。それを

21 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

西行が見て「トンビが留まってクソをまき散らしたとしても、何も問題はありません。ここの亭主のケツの穴と

いったら、だいたいこの程度のものでしょう」と、この家に近寄ることは無くなったと聞いた。綾小路宮が住ん

でいる小坂殿という建物に、いつだか縄が張ってあったので、後徳大寺の実定を思い出したのだが「カラスが群

をなして池のカエルを食べてしまうのを綾小路宮が見て、可哀想に思ったから、こうしているのだ」と誰かが言

っていた。何とも健気なことだと感心した。もしかしたら、後徳大寺にも何か特別な理由があったのかも知れな

い。

第十一段

神様たちが出雲へ会議に出かける頃、栗栖野というところを越えて、とある山奥を徘徊し、果てしない苔の小径

を歩いて奥へと進み、落ち葉を踏みつぶして歩くと、一軒の火をつけたらすぐに燃えそうなボロい家があった。

木の葉で隠れた、飲料水採取用の雨どいを流れる雫の音以外は、全く音が聞こえてこない。お供え物用の棚に、

菊とか紅葉が飾ってあるから、信じられないけれど誰かが住んでいるのに違いない。

「まったく凄い奴がいるものだ、よくこんな生活水準で生きて行けるなあ」と心ひかれて覗き見をしたら、向こ

うの方の庭にばかでかいミカンの木がはえていて、枝が折れそうなぐらいミカンがたわわに実っているのを発見

した。そのまわりは厳重にバリケードで警戒されていた。それを見たら、今まで感動していたことも馬鹿馬鹿し

くなってしまい「こんな木はなくなってしまえ」とも思った。

第十二段

自分と同じ心を持っている人がいれば、水入らずに語りあい、興味深い話題や、どうでもよいつまらない与太話

でも、お互いに歯に衣を着せず話し、癒しあうことができて、こんなに嬉しいことはない。でも、そういう人は

都合よくいるわけなく、たいていの場合は、相手を逆上させないように適当に相槌を打って話す羽目になる。す

ると鏡に向かって話しているような気分になり、虚しくなる。

同じ結論の話であれば「そうだね」と聞いてみる価値もあるけれど、違った意見であったならば「そんなことは

ない」と論争が勃発し「そうしたら、こうなるではないか」などと議論になる。それはそれで退屈な気持ちから

解放されて良いのかもしれない。けれども本当は、小さな愚痴も受け止めてもらえない人と話していたら、とり

とめのない話をしているうちは良いけれど、魂まで交流できる友達と比べたら宇宙の彼方にいる人と話している

ようで、切ない気持ちになる。

23 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第十三段

ひとり淋しく懐中電灯の下で本を広げて、昔の文筆家たちと友情関係を育むことは、安心できて、楽しさのあま

り心臓が停止してしまうぐらいに心が穏やかになる。

読書では、昭明太子が選んだのめり込みそうな詩集たちや、白楽天の詩や、老子のありがたい言葉や、荘周の道

徳本などがよい。ニッポンの偉い先生方が書いたものだと、古い時代に書かれたものであれば信頼できるものも

多い。

第十四段

短歌はとても面白いものである。他人から羨望を集めることのない人や、マタギのやることなども歌の歌詞にし

たらポップな感じになるし、あんなに恐ろしいイノシシのことでも「イノシシが枯れ草を集めて作ったベッド」

なんて言うと可愛らしいものになってしまう。

近の短歌といえば、一部分は面白く着地できているものはあるけれど、古き良き時代のものと比べたらどうだ

ろうか。言葉を超越した何かに満たされる歌はまずない。紀貫之が「糸によるものならなくに別れ路の心ぼそく

も思ほゆるかな(糸のようにねじって細くするわけにもいかないので、一人の別れ道は細くなってしまう。そし

て一緒に心も細くなっていくことだ)」と歌った短歌は、古今和歌集の中では「クソだ」と言われているけれども、

今の人が作れるレベルの短歌だとは思えない。この時代の短歌にはこういう格調や言葉の使い方のものが多い。

どうして貫之の歌だけが「クソ」扱いされているのか理解不能である。この歌は『源氏物語』では「糸による物

とはなしに」と、紫式部によって引用され、改造されている。新古今和歌集の「冬の来て山もあらはに木の葉降

り残る松さへ峯にさびしき」と言う短歌も「クソ」呼ばわりされていて、まあそうかもしれない。けれども、歌

合戦の時に「佳作である」と言うことになって「その後皇帝がありがたがり、勲章をもらったと」家長の日記に

書いてあった。

「短歌は昔から何も変わっていない」という説もあるけど、それは違う。今でも短歌によく使われている単語や

観光名所などは、昔の人が短歌に使った場合の意味とは全く異なるのである。昔の短歌は優しさがあり、流れる

ようにテンポが良く、スタイルが整っていて、美しい。

『梁塵秘抄』に載っている懐かしのメロディは、中身も具だくさんで内容がぎっしり詰まっている。昔々の人々

は便器に流すような言葉を使ったとしても、言葉の意味が自由に響き合っていた。

第十五段

25 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

どんな場所でも、しばらく旅行をしていると目から鱗が落ちて新しい扉が開く。

旅先の周辺を「あっち、こっち」と見学して、田園や山里を歩けば、たくさんの未知との遭遇がある。それから、

都心に送る絵はがきに「あれや、これを時間があるときにやっておくように」などと書き添えるのは格好がいい。

旅先の澄んだ空気を吸うと心のアンテナの精度が上がる。身につけているアクセサリーなども、よい物はよく見

え、芸達者な人や男前な人や素敵なお姉さんは普段よりも輝いて見える。

お寺や、神社に内緒で引きこもっているのも、やはり渋い。

第十六段

宮中サロンの演奏会は優雅で心を揺さぶる。

よく響いて聞こえてくる音は、普通の笛と小さな竹笛の音色で、いつまでもずっと聴いていたいのは、琵琶や琴

の音だ。

第十七段

山寺にこもって、ホトケ様をいたわっていると「ばかばかしい」と思った気持ちも消え失せて、脳みその汚れを

ゴシゴシと洗濯してもらっている気分がする。

第十八段

人は、無くても良い物を持ったりせず、欲張るのをやめて、貴金属も持たず、「他人が羨むようになりたい」など

と考えないことが一番偉い。今日まで人格者が高額納税者になったなどという話は、お伽噺でしか聞いたことが

ない。

昔、中国に許由さんという人がいた。その人は身の回りの所持品がなかったから、水は手で掬って飲んでいた。

それを見た人が、柄杓を買い与え、木の枝にかけておくという余計なお世話をした。すると、柄杓は風に吹かれ

てカラカラと音を立てるので、許由さんは「うるせぇ」とおっしゃって、柄杓を投げ捨ててしまった。そうして、

また手で掬って水を飲んでいたそうな。きっと許由さんは、せいせいした気持ちだったに違いない。また、孫晨

さんという人は、クソ寒い冬の季節にも、お布団がなかったので、納豆みたいに藁にくるまって寝て、朝が来る

27 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

と藁を片づけたという。

昔々の中国人は、こんなことが伝説に値すると思ったから本に書いたのだろう。この近所に住んでいる人なら、

こんな話は素通りして語り伝えたりはしない。

第十九段

巡る季節に心が奪われてしまう。

「心が浮き立つのは秋が一番」と、誰でも言いそうで、そんな気もするが、心が空いっぱいに広がるのは春の瞬

間だ。鳥の鳴き声は春めいて、ぽかぽかの太陽を浴びた花畑が発芽すれば、少しずつ春も本番になり、霞のベー

ルで包まれていた花々の蕾が少しずつ開きかけた刹那の雨風で、花片が彗星のように散ってしまう。桜が毒々し

く青葉を広げる頃まで、様々なことにふわふわして切ない気持になる。「橘の花の香りは昔のことを思い出す」と

いう和歌もあるけど、やはり梅の香は、記憶をフラッシュバックさせ、恋しく切ない気持ちにさせる。山吹の花

が青春時代のように咲き乱れ、藤の花がゆらゆらと消えそうに咲いているのを見ると、記憶を忘却すること自体

もったいない。

「釈尊の誕生日の頃、それから葵祭りの頃、若葉の梢が涼しそうに茂っている頃になると、世界との関係を思っ

て人恋しくなり心臓が破裂しそうだ」と誰かが言っていたが、本当にそうだと思う。端午の節句に菖蒲の花を屋

根から下げる頃、田植えをする頃、クイナが戸を叩くように鳴き叫んだりして、心細くさせないものは何一つと

してない。六月、荒ら屋に夕顔の花が白く見え隠れする陰で、蚊取り線香の煙がゆらゆら揺れているのは、郷愁

を誘う。六月の

後の日に水辺で神様に汚れた世間を掃除してもらう儀式は、不思議で面白い。

七夕祭りもゴージャスだ。だんだんと夜が寒くなる頃、雁が北の空から鳴きながら渡ってくる頃、萩の葉が赤く

染まる頃、

初の稲を刈って天日干しにしたりして、心奪われることが一遍に過ぎ去っていくのは、秋の季節に

多いことだ。大地を切り裂く秋風の翌朝は、これも不思議な気分がする。このまま書き続ければ『源氏物語』や

『枕草子』に書き尽くされた事の二番煎じになるだけだが「同じことを二回書いてはいけない」という掟はない

のだから筆にまかせる。思ったことを言わないで我慢すれば、お腹がふくれて窒息してしまうに違いないからだ。

筆が自動的に動いているだけで、ちっぽけな自慰のようなものであって、丸めてゴミ箱に捨ててしまうようなも

のだから、これは自分専用なのである。

ところで、冬の枯れ果てた風景だって、秋の景色に劣ることもない。池の水面にもみじの葉が敷きつめられ、霜

柱が真っ白に生えている朝、庭に水を運ぶ水路から湯気が出ているのを見るとわくわくした気分になる。年が暮

れてしまって、誰もが忙しそうにしている頃は、特別に煌びやかである。殺風景なものの象徴として、誰もが見

29 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

向きもしない冬のお月様は、冷たく澄みわたった二十日過ぎの夜空で淋しそうに光っている。宮中での懺悔や断

罪、墓参りの貢ぎ物が出発する姿は、心から頭が下がる。宮中の儀式が次から次へとあり、新春の準備もしなく

てはいけないのは、大変そうだ。大晦日に鬼やらいをし、すぐに一般参賀が続くのも面白い。大晦日の夜、暗闇

をライトアップして、朝まで他人の家の門を叩いて走り回り、何がしたいのかわからないけど、「ガー。ピー」と

騒ぎ立て、ハエのように飛び回っている人たちも、夜明け前には疲れ果てて大人しくなり、年が去っていく淋し

さを思わせる。精霊が降臨する夜だから鎮魂をするということも、もう都会では皆無だが、関東の田舎で続いて

いるのだから感動物だ。

こうして、元旦の夜明けは、見た目に普段の朝と変わりないが、状況がいつもと違うので特別な心地がする。表

通りの様子も松の木を立てて、キラキラと嬉しそうに笑っているから、格別である。

第二十段

名もなき路上のアナーキストが「生きているのが馬鹿馬鹿しくなっちゃった僕でも、空を見て放心していると日々

の移ろいに名残惜しいなんて思っちゃいます」と言っていたのは、そうだと思った。

第二十一段

どんなに複雑な心境にあっても、月を見つめていれば心落ち着く。ある人が「月みたいに感傷的なものはないよ」

と言えば、ほかの人が「露のほうが、もっと味わい深い」と口論したのは興味深いことである。タイミングさえ

合っていれば、どんなことだって素敵に変化していく。

月や花は当然だけど、風みたいに人の心をくすぐるものは、他にないだろう。それから、岩にしみいる水の流れ

は、いつ見ても輝いている。「沅水や湘水が、ひねもす東のほうに流れ去っていく。都会の生活を恋しく思う私の

ために、ほんの少しでも流れを止めたりしないで」という詩を見たときは鳥肌が立った。嵆康も「山や沢でピク

ニックをして、鳥や魚を見ていると、気分が解放される」と言っていたけど、澄み切った水と草が生い茂る秘境

を意味もなく徘徊すれば、心癒されるのは当然である。

第二十二段

何を考えるにしても、古き良き時代への憧れは募るばかりだ。

先端の流行は見窄らしく、野暮ったい。タンス

職人の名工がつくった道具なんかも、トラディショナルなほうが存在感がある。

昔に書かれた手紙は、たとえチリ紙交換に出す物でも素晴らしい。日常生活で使う言葉なども、退化してしまっ

31 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

たみたいだ。昔は「車を発車させてください」とか「電気をつけてください」と言っていたのに、

近では「発

車!」とか「点灯!」などと言っている。照明係に「立ち上がり整列して灯りをともせ」と言えばよいものを「立

ち上がって明るくしろ」と言うようになったり、世界平和を祈る儀式の特設会場に作った「大会委員本部席」を

「本部」と略すようになったのは「誠に遺憾である」と頑固で古風な老人が言っていた。

第二十三段

「やんぬるかな。世も末です」と、人は言うけれど、昔から受け継がれている宮中の行事は、浮世離れしていて、

クラクラするほど煌びやかだ。

板張りを「露台」と呼んだり、天皇がおやつを食べる間を「朝餉」と言ったり、「なんとか殿」とか「かんとか門」

などと曰くありげに名付けられていると、特別な感じがする。建て売り住宅によくありそうな小窓、板の間、扉

ななども、皇居では眩しく輝いている。警備員が「夜勤の者、それぞれの受け持ちに灯りをつけなさい」と言え

ば、敬虔な気持ちにさえなってしまう。ましてや、天皇のベッドメイキングの際に「間接照明を早く灯せ」など

と言うのは、格別である。隊長が司令部から指示を出すのは当然だけど、実行部隊が神妙な顔をして、それらし

く振る舞っているのも面白い。眠れないほど寒い夜なのに、あちこちで居眠りをしている人がいるのも、気にな

ることだ。そう言えば「女官が温明殿に天皇が来たことを知らせる鈴の音は優雅に響き渡る」と、藤原公孝が言

っていた。

第二十四段

神に仕える斎宮が選定され、伊勢神宮に籠もる前に嵯峨野で身を清めている姿は世界一、優美であるに違いない。

「お経」とか「仏様」という忌み言葉を使わず「染めた紙」とか「中子」などと呼び、縁起を担いでいるのは面

白い。

どこでも神社というのは、素通りできないほど神がかっている。古びた森の姿が、ただ事ではない様子を呈して

いるところに、周りに塀を作って、榊の葉に白い布が掛けられている姿は、オーラを感じずにはいられない。そ

んな神社で、特におすすめスポットは、伊勢神宮、二つの賀茂神社、奈良の春日大社社、京都の平野神社、大阪

の住吉大社、奈良県桜井市三輪町の大神神社、京都市の貴船神社、同じく吉田神社、大原野神社、松尾神社、梅

宮神社、などである。

第二十五段

自由に流れる飛鳥川は、昨日まで深水だった場所が、翌日には浅瀬になっている。人の生きる世界も、永遠に今

33 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

と同じには続かない。時は過ぎ、始まりは終わりになり、喜びや悲しみも過ぎ去る。繁華街も、そのうち整地さ

れて原野となり、古民家の住人も、かって住んでいた人とは違う。昔から咲いている桃やすももの木はコミュニ

ケーション能力を持たないから、昔の繁栄を語り継ぐ術も持たない。だから、見たこともない太古の大遺跡は、

あぶくのように思われる。

京極殿や法成寺の廃墟を見ると、施工主の願いが叶わず、都市計画の跡形さえ消滅した状況なので、心に淋しく

風が吹く。藤原道長がデベロッパーとなり、土地を転がし、複合施設を建設し、ピカピカに磨き上げたのだが、

当時は「自分の肉親だけが天皇を食い物にして、いつまでもこんな日が続きますように」と願っていただけに、

どんな世界になろうとも、ここまでメチャクチャになるとは想像さえしなかっただろう。寺院の門や、本殿は

近まで残っていたが、花園天皇の時代に南の門が火災になった。本殿も地震で倒壊し、復旧計画は未だ無い。阿

弥陀堂だけは現存していて、五メートル弱の仏像が九体並び「我関せず」と他人事のように安置されている。達

筆な藤原行成が書いた額縁や、源兼行が書いた扉の文字が鮮やかに残っている光景は、異様なほど虚しい。仏道

修行をする建物も、まだ残っているが、いずれ燃えて無くなることだろう。こういった伝説さえもなく、建物の

基礎だけ残っている場所があるが、知る人もなく、いかなる物か定かではない。

この例からも、自分の死後、見ることが不可能な世界のことを思って、何かを計画するのは、森羅万象、無駄で

あり意味がないことだ。

第二十六段

恋の花片が風の吹き去る前に、ひらひらと散っていく。懐かしい初恋の一ページをめくれば、ドキドキして聞い

た言葉の一つ一つが、今になっても忘れられない。サヨナラだけが人生だけど、人の心移りは、死に別れより淋

しいものだ。

だから、白い糸を見ると「黄ばんでしまう」と悲しんで、一本道を見れば、別れ道を連想して絶望する人もいた

のだろう。昔、歌人が百首づつ、堀川天皇に進呈した和歌に、

恋人の垣根はいつか荒れ果てて野草の中ですみれ咲くだけ

という歌があった。

好きだった人を思い出し、荒廃した景色を見ながら放心する姿が目に浮かぶ。

第二十七段

35 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

新しい皇帝が即位する儀式が行われ、三種の神器の「草薙剣」と「八坂瓊勾玉」と「八咫鏡」が譲渡される瞬間

には、強い不安に襲われてしまう。

皇帝を辞めて新院になる花園上皇が、その春に詠んだ歌。

誰彼も他人になった春の日は

掃除のなき庭

花の絨毯

みんな、新しい皇帝につきっきりで、上皇のところに遊びに行く人もいないのだろうが、やっぱり淋しそうだ。

こんなときに人は本性を現す。

第二十八段

皇帝が父母の喪に服している一年間より、乾いた北風みたく淋しい気持ちになることは無いだろう。

喪に服すために籠もる部屋は、床板を下げて、安物のカーテンを垂らし、貧乏くさい布をかぶせる。家具なども

手短な物を選ぶ。そこにいる人々が着ているものや、刀や、刀ヒモが、普段と違ってモノクロなのは、物々しく

感じる。

第二十九段

静かに瞑想して想い出す、どんな事もノスタルジアだけはどうにもならない。

人々が寝静まった後、夜が長くて暇だから、どうでもよい物の整理整頓した。恥ずかしい文章を書いた紙などを

破り捨てていると、死んだあの子が、歌や絵を書いて残した紙を発見して、当時の記憶が蘇った。死んだ人はも

ちろん、長い間会っていない人の手紙などで「この手紙はいつ頃の物で、どんな用事だっただろう?」と考え込

んでしまうぐらい古い物を見つけると、熱いものをこみ上げてしまう。手紙や絵でなくても、死んだ人が気に入

っていた日用品が、何となく今日までここにあるのを見れば、とても切ない。

第三十段

人が死んだら、すごく悲しい。

四十九日の間、山小屋にこもり不便で窮屈な処に大勢が鮨詰め状態で法事を済ませると、急かされる心地がする。

37 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

その時間の過ぎていく早さは、言葉では表現できない。

終日には、皆が気まずくなって口もきかなくなり、涼

しい顔をして荷造りを済ませ、蜘蛛の子を散らすように帰っていく。帰宅してからが、本当の悲しみに暮れる事

も多い。それでも、「今回はとんでもない事になった。不吉だ、嫌なことだ。もう忘れてしまおう」などと言う言

葉を聞いてしまえば、こんな馬鹿馬鹿しい世の中で、どうして「不吉」などと言うのだろうと思ってしまう。死

んだ人への言葉を慎んで、忘れようとするのは悲しい事だ。人の心は気味が悪い。

時が過ぎ、全て忘却を決め込むわけでないにしても「去っていった者は、だんだん煩わしくなるものだ」という

古詩のように忘れていく。口では「悲しい」とか「淋しい」など、何とでも言える。でも、死んだ時ほど悲しく

ないはずだ。それでいて、下らない茶話には、ゲラゲラ笑い出す。骨壷は、辺鄙なところに埋まっており、遺族

は命日になると事務的にお参りをする。殆どの墓石は、苔むして枯れ葉に抱かれている。夕方の嵐や、夜のお月

様だけは、時間を作って、お参りをするというのに。

死んだ人を懐かしく思う人がいる、しかし、その人もいずれ死ぬ。その子孫などは、昔に死んだ人の話を聞いて

も面白くも何ともない。そのうち、誰の供養かよくわからない法事が、流れ作業で処理され、

終的に墓石は放

置される。人の死とは、毎年再生する春の草花を見て、感受性の豊かな人が何となくときめく程度の事であろう。

嵐と恋して泣いていた松も、千年の寿命を全うせずに、薪として解体され、古墳は耕され、田んぼになる。死ん

だ人は、死んだことすら葬られていく。

第三十一段

雪が気持ちよさそうに降った朝、人にお願いがあって手紙を書いた。手短に済ませて、雪のことは書かずに投函

したら返事が来た。「雪であなたはどんな気分でしょうか?

ぐらいのことも書けない、気の利かない奴のお願い

なんて聞く耳を持ちません。本当につまらない男だ」と書いてあった。読み返して感動し、鳥肌が立った。

もう死んだ人だから、こんなことさえも大切な想い出だ。

第三十二段

九月二十日頃、ある人のお供で、夜が明けるまで月を眺めて歩いた。その人が、ふと思い出した家があり、イン

ターフォンを押して入っていった。手入れが無く荒廃した庭は、露まみれで、わざとらしくない焚き物の匂いが

優しく漂う中で隠遁している様子は、ただ事に思われなかった。

ある人は手短に訪問を済ませておいとましたけど、自分としては、この状態があまりにも素晴らしく、気になっ

て仕方が無かったので、草葉の陰からしばらく見学させてもらうことにした。ご主人は門の扉を少しだけ開いて、

39 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

月を見ているようであった。すぐに引き下がって鍵をかけたとしたら、厭な気持ちになったかも知れない。後ろ

姿を見届けられていることを、帰っていく人は気がついていないだろう。こういった行為は、ただ、日々の心が

けから滲み出るものである。

その主人は、しばらくして死んでしまったらしい。

第三十三段

皇居を改築する際に、構造計算の専門家に検査してもらったところ「良くできています。全く問題ありません」

と太鼓判をもらった。皇帝の引っ越しも間近になった頃、伏見天皇のお母さんが、新築物件を見て「昔の皇居に

あった覗き穴は、上が丸くて縁もありませんでした」と、少女時代の記憶を語り出したので、大変なことになっ

た。

新しい覗き穴は、上が木の葉のように尖っていて、しかも縁取られていたので、欠陥住宅ということになり、造

り直しになった。

第三十四段

甲香というのは、法螺貝に似た小さな貝の細い先端に付いている蓋のことだ。

金沢文庫の入り江にたくさん転がっていて、土着の者が「へなだりと言うんだよ」と言っていた。

第三十五段

字が下手くそだけど、何の遠慮もなく当然のように手紙を書き殴っている様子は、かえって清々しい。恥ずかし

いからと言って、他人に代筆させるなんて厭らしいことだ。

第三十六段

「『随分とないがしろにしてしまったから、きっと怒っているだろうな』と、自分の惰性を責めながら、謝罪の言

葉も見つけられずに放心していたら、彼女の方から『暇にしているメイドさんはいませんか?

いたら、一人紹

介してくださいね』なんて言ってきてくれて、そんなことは誰にでも出来る芸当でもなく、予想外の出来事で、

耳から血が噴き出しそうになったよ。こういうハートを持った女の人は、ハラショーだね」と、ある人が言って

いたけど、私も本当にそういう女の子がいればいいと思った。

41 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第三十七段

普段は気兼ねのない関係で、いつも馴れ合っている人が、急に気を遣って、初々しいふりをするのを見て「今さ

ら、そんなよそよそしくしなくても」など、言う人もいるけれど、親しき仲に礼儀があって、デリカシーを持っ

た人に思える。

また、あまり仲良くない人が、その場の雰囲気を壊さないように馴れ馴れしいふりをするのも、気が利いていて

良い感じがする。

第三十八段

人から羨望の眼差しで見てもらうために忙しく、周りが見えなくなり、一息つく暇もなく、死ぬまでバタバタし

ているのは馬鹿馬鹿しい。

金目の物がたくさんあれば、失う物を守ることで精一杯になる。強盗や悪党を呼び寄せ、宗教団体のお布施にた

かられる媒介にもなる。黄金の柱で夜空に輝く北斗七星を支えられるぐらいの成金になっても、死んでしまった

後には、誰の役にも立たないばかりか、相続で骨肉の争いが勃発するのは目に見えている。流行の

先端を歩も

うとする人向けに、目の保養をさせて楽しませるような物も虚しい。運転手付の黒塗りの高級車や、プラチナの

爪にダイヤモンドを飾ったアクセサリーなどは、賢い人ならば「下品な成金の持ち物」で「心が腐っている証拠

だ」と、冷ややかな目で黙殺するに違いない。金塊は山に埋め、ダイヤモンドはドブ川に投げ捨てるのがよく似

合う。物質的裕福さに目がくらむ人は、とっても知能指数が低い人なのだ。

時代に埋もれない名誉を、未来永劫に残すことは理想的なことかも知れない。しかし、社会的に地位が高い人だ

としても、イコール立派な人だとは言えない。欲にまみれた俗人でも、生まれた家や、タイミングさえ合えば、

自動的に身分だけは偉くなり、偉そうな事を言いはじめる。通常、人格者は、自ら進んで低い身分に甘んじ、目

立たないまま死ぬことが多い。意味もなく高い役職や身分に拘るのも、物質的裕福さを求める事の次に馬鹿馬鹿

しいことである。

「頭脳明晰で綺麗なハートを持っていた」という伝説だけは、未来に残って欲しいと思うかも知れない。しかし、

考え直してみれば「自分の事が伝説になって欲しい」と思うのは、名誉を愛し、人からどう思われるかを気にし

ているだけだ。絶賛してくれる人も、馬鹿にする人も、すぐに死ぬ。「昔々あるところに、こんなに偉い人がいま

した」と話す、伝説の語り部も、やはり、すぐに死んでしまう。誰かに恥じ、自分を知ってもらいたいと願うこ

とは無意味でしかない。そもそも、人から絶賛されることは、妬みの原因になる。死後、伝説だけが残っても、

43 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

クソの足しにもならない。従って「伝説になりたい」と願うのも、物質的裕福さや、高い役職や身分に拘る事の

次に馬鹿馬鹿しいことなのであった。

それでも、あえて知恵を追求し、賢さを求める人のために告ぐ。老子は言った。「知恵は巧妙な嘘を生むものであ

る。才能とは煩悩が増幅した

終形だ。人から聞いた事を暗記するのは、本当の知恵ではない。では、知恵とは

いったい、なんであろうか。そんな事は誰も知らない」と。荘子は言った。「善悪の区別とはいったい、なんであ

ろうか。何を善と呼び、何を悪と呼べばいいのだろうか?

そんな事は誰も知らない」と。本当の超人は知恵も

なく、人徳もなく、功労もなく、名声もない。誰も超人を知らず、誰も超人の伝説を語ることはない。それは、

真の超人が、能力を隠し、馬鹿なふりをしているからではない。

初から、賢いとか、馬鹿だとか、得をすると

か、失ってしまうとか、そんなことは「どうでもいい」という境地に達しているから、誰も気がつかないのだ。

迷える子羊が、名誉、利益を欲しがる事を考えてみると、だいたいこの程度の事だ。全ては幻であり、話題にす

る事でもなく、願う事でもない。

第三十九段

ある人が法然上人に「念仏を唱えているとき、睡魔におそわれ仏道修行をおろそかにしてしまうことがあるので

すが、どうしたら、この問題を解決できるでしょうか?」と訪ねたら「目が覚めているときに、念仏を唱えなさ

い」と答えたそうな。とってもありがたいお言葉である。

また、「死後に天国に行けると思えば、きっと行けるだろうし、行けないと思えば無理だ」と言ったそうな。これ

も、とってもありがたいお言葉である。

それから、「死後に天国に行けるかどうか心配しながらでも、念仏を唱えていれば、成仏できる」と言ったそうな。

これまた、とってもありがたいお言葉である。

第四十段

鳥取県の砂漠に何とかの入道とかいう人の娘がいた。すごくかわいいと噂がたったので、大勢の男の子がちょっ

かいを出しにやってきた。しかし、この女の子は、栗ばかり食べていて、全くお米などの穀物を食べなかったか

ら、お父さんは、「こんなに変態な娘は、よそ様にお嫁さんとしてあげられません」と言って嫁ぐのを許さなかっ

た。

第四十一段

45 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

五月五日、上賀茂神社で競馬を見た時に、乗っていた車の前に、小市民どもが群がっており、競馬が見えなかっ

た。仕方がないので、それぞれ車からおりて、競馬場の鉄柵に近づいてみた。けれども、そこには黒山の人だか

りで、人々をかき分けて中に入って行けそうにもなかった。

そんなときに、向こうにあるアフラの木に坊さんが実っていた。木に登り枝に座って競馬を見ている。枝に抱か

れて居眠りもしている。何回も枝から落ちそうになって、そのたびに目を覚ます。これを見て、人は坊さんを小

馬鹿にしている。「珍しいほど、馬鹿ですね。あんな危険なところで、ボケッと寝ているとは」なんて言っている。

その時、思いついたことをそのままに、「我々だっていつ死ぬかわからないんですよ。今死ぬかもしれない。そん

なことも知らないで見せ物を見て暮らすなんて、馬鹿馬鹿しいことは世界一です」と言ってやった。そうしたら、

前にいる人たちは「いやあ、本当にそうですね。とっても馬鹿馬鹿しくなってきました」なんて言いながら、後

ろのわたくしを見つめた。「さ、さ、ここに入ってください」と言って、場所を空けてくれたので、割り込みした

のであった。

こんな、当たり前のことは、誰も気づかない訳がないが、今日は競馬の日だから思いがけなく、身につまされた

のであろう。やっぱり、人は木や石じゃないから時には感動したりする。

第四十二段

唐橋中将雅清という人の息子に、行雅僧徒という、密教の教理を志す学生の先生をやっていた坊さんがいた。す

ぐに逆上する病気で、年がら年中のぼせていた。だんだん老化するにつれて、鼻が詰まってきて呼吸困難になっ

た。いろんな治療は一通りやったが、余計にひどくなってきた。ついには目と眉と額もやたらと腫れてあがって

きて、顔を覆い被さってしまったので、視界が塞がり、変なお面のようになってしまった。すごく恐ろしい鬼の

ような顔で、目玉は頭のてっぺん、おでこが鼻に付いている。仕舞いには、寄宿舎の坊さんたちにも顔を見せな

いようになり、どこかに隠遁していたが、数年後、本当にひどくなって死んでしまった。

世の中には変わった病気もあるものだ。

第四十三段

春も深まって、ぽかぽかのとろけそうな空の下を散歩していると、品も悪くない家を発見した。庭木も年代物で、

花は庭にしおれて散っていた。やはり、覗かないではいられなく不法侵入を試みる。建物の南側は戸締まりがさ

れていて静まりかえっていた。東側の戸が少しだけ開いていて、ちょうど良い具合に覗くことが出来た。その隙

間にかかっているレースのカーテンのほころびから覗いてみると、二十歳ぐらいの男前が、くつろいで放心して

47 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

いた。しかし、心が奪われるほど落ち着いた様子で、机の上に本を開いて見ている。

いったい何者だったのか、聞いてみようと思う。

第四十四段

ボロボロな竹で編んだ扉の中から、とても若い男の子が出てきた。月明かりではどんな色なのか判別できないが、

つやつや光る上着に濃紫の袴を着けている。案内の子供を引き連れて、どこまでも続く田園の小径を、稲の葉の

露に濡れながらも、かき分けて、とても由緒ありげに歩いている。歩きながら、この世の物とは思えない音色で

笛を演奏していた。その音色を「素敵な演奏だ」と聴く人もいないと思い、どこに行くのか知りたくて、尾行す

ることにした。笛を吹く音も止んで、山の端にある、お寺の大きな正門の中へ消えていった。駐車場に停めてあ

る車を見ても、ここは田舎だから、都会よりも目立つので、召使いに尋ねてみると「何とかの宮がいらっしゃる

時なので、法事でもあるのかもしれません」と答えた。

お堂の方には坊さんたちが集まっている。冷たい夜風に誘われる薫き物の香りが、体の芯まで染み込んでいく気

分である。母屋からお堂まで続く渡り廊下を行き交う、お手伝いの女の子たちの残り香なども、誰に見せたりす

るでもない山里だけど、細部まで気が利いている。

全て自由に茂っている野草たちは、置き場に困るほどの夜露に埋もれ、虫が何かを訴えるように啼き、庭を流れ

る人工の河川の水の音ものどかである。都会の空よりも流れていく雲が速いような気がして、夜空に月が点滅し

ている。

第四十五段

藤原公世、従二位の兄さんで良覚僧正とか言った人は、大変へそ曲がりだったそうだ。

彼の寺には大きな榎の木があったので、近所の人は「榎木の僧正」と呼んでいた。僧正は、「変なあだ名を付けや

がって、ふざけるな」と怒って、その榎の木を伐採した。そして、切り株が残ったので「きりくいの僧正」とあ

だ名を付けられた。すると僧正はますます逆上して、今度は切り株までも掘り起こした。そして大きな堀ができ

た。その後、僧正は「堀池の僧正」になった。

第四十六段

柳原町に強盗法印という坊さんがいた。しょっちゅう強盗被害に遭っていたので、こんなあだ名を付けられたそ

49 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

うだ。

第四十七段

ある人が清水寺に、お詣りに出かけた。一緒についてきた年寄りの尼さんが道すがら、「くさめ、くさめ」言い続

けてやめない。「婆さんや、何をそんなにのたまわっているのだ」と尋ねても、老いた尼さんは返事もせず、気が

ふれたままだ。何度も尋ねられると、老いた尼さんも逆上して、「ええい、うるさい。答えるのも面倒くさい。く

しゃみをしたときに、このまじないをしなければ、死んでしまうと言うではないか。あたしが世話した坊ちゃま

は賢くて、比叡山で勉強しているんだ。坊ちゃまが、今くしゃみをしたかも知れないと思うと気が気でないから、

こうやってまじないをしているのだ」と言った。

殊勝なまでの心入れをする変人がいたもんだ。

第四十八段

藤原光親が、仙洞御所で世界平和を祈る儀式の執行委員長をしていた時、後鳥羽上皇に呼び出された。上皇と一

緒に食事をし、食べ散らかしたお膳を後鳥羽上皇のいる御簾の中に突っ込んで、退場した。宮廷のウェイトレス

達が「きゃぁ、汚らしいわ。誰に片づけさせるつもりなの」と、目を細め合っていると、上皇は「伝統継承者の

することは、宮中のマナーを心得ていて、天晴れなことだ」と言って何度も感激していたそうだ。

第四十九段

ヨボヨボになってから、「仏道修行するぞ」と、時が過ぎて行くのを待っていてはならない。古い墓の多くは、夭

逝した人の物である。思いがけず疾病して、たちまち「さよなら」を言う羽目になった時、初めて過失に気がつ

いたりする。過失とは、言うまでもなく、早く処理しておけばよい事をズルズルと先延ばしにして、どうでもよ

い事だけは、何故だか迅速に対処してきた人生に対して、過去を悔しく思うことである。やはり、こぼれたミル

クは元に戻らない。

人は、いつまでもこんな日が続かない事を、常に心に思い、いつも忘れてはならない。そうすれば、世の中のヘ

ベレケ達に混ざって俗世間にまみれる暇もなく、仏道修行にも身が入るはずだ。

「今は昔、聖人がいた。客が訪問し自分や他人の雑多な事を話し出すと、こう答えた。『今すぐにやらねばならぬ

事がある。人生の締切に追われているから、他人の話を聞いている暇などない』。そして、耳栓をして念仏を唱え

ながら、とうとう楽しく死んでしまうことができた」と、禅林寺の永観が書いた『往生十因』という文献で紹介

51 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

されている。また、心戒という聖人は、「あまりにも、この世の人生は、不安定だ」と思って、じっと座っている

こともなく、死ぬまでしゃがんでばかりいた。

第五十段

応長というのは、一三一一年の事。三月の頃、伊勢の方から、女が鬼に化けて上京したというニュースがあった。

それから二十日ぐらい経つと、日に日に、京都や白川の人が「鬼を見に行く」と言って、野次馬に変身した。「昨

日の鬼は、西園寺に出没した」とか「今日の鬼は皇帝のお宅に伺うだろう」とか「今は、あそこに」などと噂だ

けが一人歩きした。「確かに鬼を見た」と言う人もなく「出任せだ」と言う人もない。高い身分の人も、そうでは

無い人も、皆が鬼の話ばかりでキリがない。

その頃、東山から安居院の近くへ出かけたところ、四条通りから上の方の住民が皆、北を目指して走っていた。「一

条室町に鬼がいる」とわめき散らしている。今出川のあたりから見渡してみると、皇帝が祭を見物する板張り席

のあたりには、人が通る隙間もなく、賑わい、ごった返していた。「ここまでの騒ぎになるなら、全く根拠のない

話でもないだろう」と、人を使わして見に行かせると、一人も鬼と会った人がいない。日暮れまで大騒ぎし、し

まいには殴り合いまで勃発して、阿呆らしくもあった。

この頃、至る所で病気が蔓延し、患者は二三日寝込んだ。「あの鬼のそら言は、この伝染病の前触れだった」と言

う人もいた。

第五十一段

嵯峨の亀山殿の池に、大井川の水を引こうということになり、近隣の住民に命令して水車を建設させた事があっ

た。大金をばらまいて、時間をかけて丁寧に造った。川に仕掛けたのだが、水車は一向に回転しない。色々修理

したが、全く回転しないので、とうとう廃墟と化した。

そこで、宇治川沿いに暮らす土着民を呼びだして水車を建設させたら、簡単に完成させて、思い通りにクルクル

回り、水を汲み上げる姿が気持ちよかった。

どんなことでも、プロの技術は尊敬に値する。

第五十二段

仁和寺に暮らしていたある坊さんは、老体になるまで石清水八幡宮を拝んだことがなかったので、気が引けてい

53 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

た。ある日、思い立って、一人で歩いて参拝することにした。八幡宮の付属品である、極楽寺と高良神社だけ拝

んで「これで思いは遂げました」と思いこみ「八幡宮はこれだけか」と、山頂の本殿を拝まずに退散した。

帰ってから、友達に「前から思っていた事を、ついにやり遂げました。これまた、噂以上にハラショーなもので

した。しかし、お参りしている方々が、みんな登山をなさっていたから、山の上でイベントでもあったのでしょ

うか?

行ってみたかったのですが、今回は参拝が目的だったので、余計な事はやめておこうと、山頂は見てこ

なかったのです」と語った。

どんな些細なことでも、案内がほしいという教訓である。

第五十三段

またもや仁和寺の坊さんの話。「小僧が坊主になる別れの名残」などと言って、坊さん達は、それぞれ宴会芸を披

露してはしゃいでいた。酔っぱらって、あまりにもウケを追求するあまり、一人の坊さんが、近くにある三本足

のカナエを頭にかぶってみた。窮屈なので、鼻をペタンと押して顔を無理矢ねじ込み踊りだした。参加者一同が

大変よろこんで、大ウケだった。

踊り疲れて、足ガナエから頭を取り外そうとしたが、全く抜けない。宴会はそこで白けて、一同「ヤバい」と戸

惑った。メチャクチャに引っ張っていると、首のまわりの皮が破れて血みどろになる。ひどく腫れて首のあたり

が塞がり苦しそうだ。仕方がないので叩き割ろうとしても、そう簡単に割れないどころか、叩けば叩くほど、音

が響いて我慢ができない。もはや、手の施しようが無く、カナエの三本角の上から、スケスケの浴衣を掛けて、

手を引き、杖を突かせて、都会の病院に連れて行った。道中、通行人に「何だ?

あれは?」と気味悪がられて、

良い見せ物だった。病院の中に入って、医者と向き合っている異様な姿を想像すれば、面白すぎて腹筋が痛くな

る。何か言ってもカナエの中でこもってしまい、聞き取ることが出来ない。医者は「こう言った症状は、医学関

係の教科書にも治療法がなく、過去の症例も聞いたことがありません」と事務的に処理した。匙を投げられて、

途方に暮れながら仁和寺に戻った。友達や、ヨボヨボの母親が枕元に集まり悲しんで泣く。しかし、本人は聞い

ていそうにもなく、ただ放心していた。

そうこうしていると、ある人が「耳と鼻がちょん切れても、たぶん死なないでしょう。力一杯、引き抜くしかあ

りません」と言った。金属の部分に肌が当たらないよう、藁を差し込んで、首が取れそうなぐらい思いきり引っ

張った。耳と鼻が陥没したが、抜けたことには変わらない。かなり危ない命拾いだったが、その後は、ずっと寝

込んでいた。

第五十四段

55 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

しつこく仁和寺の話。仁和寺の住職のお宅に、とても可愛い男児がいた。どうにか誘惑して、この幼児と一緒に

遊びたいと思う坊主達もいた。彼等は、芸人かぶれの坊主を丸め込んで仲間にした。オシャレな弁当箱を特注し

て、汚れないように箱にしまい、仁和寺から南一キロにある三つコブの丘の分かり易い場所に埋めて、紅葉を振

りかけ、さり気ないようにしておいた。それから寺へ戻り、幼児をそそのかして連れ出した。

幼児と遊ぶことがあまりにも嬉しく、あちこちと連れ回した。丘に登り苔むす地面に皆で座って「とても疲れた」

とか「誰か、紅葉で焚き火して、酒の燗をしてくれないか」とか「火遁の術を修行した坊さんよ、試しに呪文を

唱えてくれないか」などと言う。すると超能力者役の坊さんが、弁当箱を埋めた木の根っこに向かい数珠をスリ

スリして、物々しく両手で印を結んだ。演技をしながら紅葉をかき払うと、もぬけの殻だった。「場所が違ったか」

と、掘らない場所が無いほど山を荒らしたが、とうとう見つからなかった。埋めているところを誰かに見つけら

れて、仁和寺に戻った頃には盗まれてしまったのだろう。坊さんたちは、その場を取り繕う言葉も失って、年甲

斐もなく口喧嘩をし、

後は逆上しながら帰って行った。

必要以上に小細工すると、結果はこうなるという教訓である。

第五十五段

住まいの建築は、夏を考えて造りなさい。冬は、住もうと思えばどこにでも住める。猛暑の欠陥住宅は我慢なら

ない。

庭に深い川を流すのは、涼しそうではない。浅く流れているほうが、遥かに涼しく感じる。小さい物を鑑賞する

時は、吊すと影ができる窓よりも、引き戸の方が明るくて良い。部屋の天井を高くすると、冬は寒く、照明も暗

くなる。「新築の際には、必要ない箇所を造っておけば、目の保養になるし、いざという時に役に立つ事があるか

も知れない」と、一級建築士が言っていた。

第五十六段

長らく会わず久しぶりの人が、こちらに有無を言わせず、自分の近況報告だけを矢継ぎ早に話し出したとしたら

気にくわない。遠慮のいらない関係でも、久しぶりに会えば、親しき仲にも礼儀ありだ。品格の無い人は、ちょ

っとお出かけしただけでも、「今日のできごと」などと、呼吸している暇があるのか心配になってしまうぐらい、

嬉々として話すものである。人格者であれば、大勢の中で一人に向かって話しても、周りの人まで聞き入るであ

ろう。人格者で無い人は、目立ちたい根性を丸出しにして、座の中に割り込み、作り話をいかにも見たように脚

色する。つられて一同、ゲラゲラ騒ぐのは喧しくて困る。高尚な話をしても、全く興味を示さず、反対に下品な

57 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

話を始めて笑い転げるのを見れば、おおよそ知能指数が判定できる。

勉強家が学問の事を議論している時に、突然、人の器量の善し悪しを、自分と比べて馬鹿にしていたら、それは

取り返しようのない馬鹿である。

第五十七段

誰かが短歌のことを話し出して、取り上げた短歌がつまらなかったら、白けてしまう。しっかり短歌を読み解け

る人ならば、そんな短歌は「良い歌だ」と勘違いして取り上げたりはしない。

どんなことででも、よく分かりもしない世界の持論をこねくり回しているのを聞くと、気の毒な気がするし、良

い気がしない。

第五十八段

「仏の道の修行をしようという心構えがあるのならば、住む場所は関係ないと思う。家族の住む家に住み、他人

とつき合っていても、死んだ後の世界のことを願う気持ちに支障があるでしょうか?」と言うのは、極楽往生を

理解していない人の意見である。本当に現世をチンケな世界だと思い、絶対に生死を超越してやろうと思うのな

ら、何が面白くて、朝から晩まで社会の歯車になって、家族計画に気合いを入れるのだろうか。心は周りの雰囲

気に移ろうものだから、余計な雑音がない場所でないと修行などできっこない。

仏道修行への気合いは、到底昔の人に及ばないから、山林に籠もっても、餓えを凌いで嵐を防ぐ何かがなければ

生きていくこともできないわけで、一見、俗世にまみれていると、見方によっては見えないこともない。けれど

も「それでは、世を捨てた意味もない。そんなことなら、どうして世を捨てたのだろうか?」などと言うのは、

メチャクチャな話だ。やはり、一度は俗世間を捨てて、仏の道に足を踏み入れ、厭世生活をしているのだから、

たとえ欲があると言っても、権力者の強欲さとは比較できないほどせこい。紙で作った布団や、麻で作った衣装、

お椀一杯の主食に雑草の吸い物、こんな欲求は世間ではどれぐらいの出費になるだろうか?

だから、欲しい物

は簡単に手に入り、欲求もすぐに満たされる。また、恥ずかしい身なりをしているので、世間に関わると言って

も、修行の妨げになることからは遠ざかり、修行にとってプラスになることにしか近寄ることもない。

人間として生まれてきたからには、何が何でも世間を捨てて山籠もり生活を営むことが理想である。節操もなく

世の中の快楽をむさぼることに忙しく、究極の悟りを思わないとすれば、そこらのブタと何ら変わることがない。

第五十九段

59 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

悟りを開くのであれば、気がかりで捨てられない日常の雑多な用事を途中で辞めて、全部そのまま捨てなさい。

「あと少しで定年だから」とか「そうだ、あれをまだやっていない」とか「このままじゃ馬鹿にされたままだ。

汚名返上して将来に目処を立てよう」とか「果報は寝て待て。慌てるべからず」などと考えているうちに、他の

用事も積み重なり、スケジュールがパンパンになる。そんな一生には、悟り決意をする日が来るはずもない。世

間の家庭を覗いてみると、少し利口ぶった人は、だいたいこんな感じで日々を暮らし、死んでしまう。

隣が火事で逃げる人が「ちょっと待ってください」などと言うものか。死にたくなかったら、醜態をさらしてで

も、貴重品を捨てて逃げるしかない。命が人の都合を待ってくれるだろうか?

儚い命が閉店する瞬間は、水害、

火災より迅速に攻めてくる。逃れられない事だから、臨終に「死にそうな親や、首のすわりの悪い子や、師匠へ

の恩、人から受ける優しさを捨てられそうもない」と言ってみたところで、捨てる羽目になる。

第六十段

真乗院に盛親僧都という天才がいた。里芋が大好きで、大量に食べていた。説法集会の時でも、大鉢に山の如く

積み上げて、膝の近くに置き、食べながら本を読んでいた。疾病すれば、一二週間入院して、思い通りの良い芋

を選別し、普段よりも大量に食べ、どんな大病も完治させた。また、誰にも芋をやらず、いつも独り占めした。

貧乏を窮めていたが、師匠が死んで、寺と二百貫の財産を相続した。その後、百貫で寺を売り飛ばし、三百貫も

の大金を手にした。その金を芋代と決めて、京都銀行に貯金した。十貫ずつ金を引き出しては、芋を買い、満足

するまで食べ続けた。他に散財する物もなく、全て芋代に化けた。「三百貫の大金を、全て芋に使うとは類い希な

る仏教人だ」と人々に称えられ、殿堂入りした。

この僧都は、ある坊さんを見て「しろうるり」とあだ名を付けた。誰かに「しろうるりとは、どんな物ですか?」

と問われると「私も何だか知りません。もし、そんな物があったなら、きっとこの坊さんの顔にそっくりな物で

しょう」と答えたそうだ。

この僧都は、男前で、絶倫で、大食漢で、達筆でもあり、学才が半端でなく、演説させれば

高だった。仁和寺

系列ではナンバーワンの僧侶だったが、世間を小馬鹿にしている節があり、いわゆるクセ物であった。勝手気ま

まに生き、ルールなども守らない。もてなしの宴でも、自分の前にお膳が来ると、たとえ配膳中であっても、す

ぐに平らげ、帰りたくなれば、一人だけ立ち上がり退室した。寺の食事も、他の僧のように規則正しく食べたり

せず、腹が減ったら、夜中、明け方、構わず食べた。欠伸をすれば、昼でも部屋に施錠して寝てしまう。どんな

に大切な用事があっても、人の言いなりになって目覚めることはなかった。寝過ぎて目が冴えると、夜中でも夢

遊状態のまま、鼻歌交じりで徘徊する。かなりの変態であったが、誰からも嫌われることなく、世間からは許容

されていた。まさに、超人のなせる技である。

61 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第六十一段

天皇の正妻や二号、愛人が出産する際に、炊飯器を転げ落とす儀式は必至でない。後産が長引かないようにする、

単なるまじないなのだ。安産であれば必要ない。

元は庶民の風習であり、何の根拠もない。大原の里から炊飯器を取り寄せるのだが、これも「大原」と「大腹」

をもじっただけの事である。宝物殿に安置してある古いタブローに、貧乏人の出産時に、炊飯器を転がしている

様子が残っている。

第六十二段

悦子内親王が、小さなお嬢ちゃんだった頃、父上の隠居先を訪ねる人に「ことづて」と言って、渡した歌。

「こ」は二本「ひ」は牛の角「し」を曲げて「く」にして繋ぐ

君のことだよ

この歌は、「恋しく」思う歌なのである。

第六十三段

後七日の儀式の実行委員長である導師が、近衛兵を配備して厳重に警備するのは、いつだったか、儀式の

中、

強盗に襲撃されたからである。「一年の計は元旦にあり」と言うぐらい、大切な儀式だが、軍隊に囲まれて開催さ

れれば、軍事国家のようになる。

第六十四段

近頃の冠と言えば、昔と比べると、ずいぶん長くなった。ビンテージ物の冠ケースを持っている人は、端を継ぎ

足して使うしかない。

第六十六段

近衛家平は、またの名を岡本関白とも言う。家平は、家来の親衛隊長、鷹匠の下毛野武勝に「捕らえた夫婦の雉

を二羽、満開の梅が咲きこぼれる枝に結び付けて、ワシによこせ」と言った。武勝は、「花の枝に鳥を縛り付ける

方法も、一本の枝に二羽の鳥を結び付ける方法も知りません」と突っぱねた。何としても、梅に夫婦の雉を緊縛

63 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

したい家平は、料理人や、雉の献上方法に詳しい人間にも聞いてみたが、誰も知らなかった。仕方なく、武勝を

呼び出して「だったら、お前が考えろ」と命令した。すると、武勝も「厭です」と言うわけにもいかず、花が散

った梅の枝に雉を一羽だけ縛り付けて持参した。

伝統に従い献上した武勝が弁解するには「ご主人様から預かっております鷹の獲物の雉を献上するには、雑木林

で伐採した木の枝や、梅でしたら、蕾の枝、花の散ってしまった枝に緊縛します。五葉松に緊縛することもあり

ます。枝の長さは一メートル八十センチから二メートルまでとし、切り口は斜に切り、反対側を二センチ削って

V字に整えます。次に、枝の真ん中に雉を一羽だけ立たせます。雉が倒れないよう固定する枝と、足を留める枝

が必要になります。つづら藤の蔓を割らないように使って、二カ所を固定します。藤の蔓の先端は火打ちの羽と

同じ長さに切り、牛の角を真似て結びます。初雪の朝、その枝を肩に背負って、わざとらしく門をくぐります。

飛び石を飛んで、初雪に足跡を付けないよう注意して、雉のうぶ毛を少しだけ散りばめて歩きます。二棟造りの

欄干に枝を立て掛けます。褒美の着物を頂いたら、それを襷掛けにして、一礼して退散します。靴が埋まらない

程度の積雪でしたら出直します。雉のうぶ毛を散らしたのは、ご主人様から預かっている鷹が、雉の弱点を狙っ

て狩りをした証拠です」と、尤もな事を、教科書の朗読のように言って誤魔化した。

満開の梅の枝に、なぜ雉を緊縛しなかったのだろうか。九月頃、造花の梅に雉を縛って「あなたのために手折っ

た梅なので、秋でも花が満開です」と、キザな短歌を作った話が『伊勢物語』にもあった。イミテーションなら

問題ないのだろうか。

第六十七段

賀茂別雷神社の境内にある岩本社と橋本社は、それぞれ在原業平、藤原実方を祀っているが、参拝する人たちは、

しょっちゅうごっちゃになっている。ある年、参拝した際に年を召された神社の職員が横切ったので呼び止めて

聞いてみた。「実方は、手を清める水の上に影が映ったという話もありますので、水に近い橋本社の方でしょう。

また、慈円僧正が、

月を愛し花を見つめて放心していた昔々の風流人は

今はここに祀られている在原業平

と歌っているので、業平は岩本社の方に祀れていると聞いていますが、私などよりあなたの方がよくご存じでし

ょう」と、大変親切に教えてくださり、とても好感が持てた。

今出川院の中宮、嬉子に仕えた近衛という名の女官は、勅撰和歌集に数多くの歌が入選しているが、若かりし頃

は、常に百首の短歌を詠み、この二つの神社の清めの水で清書して奉納したそうだ。当時は「天才」と呼ばれ、

今でも人々がそらんじる歌が多い。漢詩や、その序文に至るまで、良い文章を書く人であった。

65 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第六十八段

九州に、何とかと言う兵隊の元締めがいた。彼は、「大根を万病の薬である」と信じて疑わず、毎朝二本ずつ焼い

て食べることを長年の習慣にしてきた。

ある日、警備の留守を見計らうように敵が館を襲撃し、彼を包囲してしまった。すると、どうしたことか、見知

らぬ兵隊が二人現れて、捨て身の体勢で戦い、敵を撃退してくれた。とても不思議に思って「お見かけしないお

顔ですが、このように戦って頂きまして、一体どちらさんですか?」と尋ねると「あなたがいつも信じて疑わず

毎朝、食べていた大根でございます」とだけ答えて去っていった。

どんなことでも深く信じてさえいれば、こんなラッキーなことがあるのかも知れない。

第六十九段

円教寺の性空上人は、法華教を毎日飽きずに唱えていたので、目と耳と鼻と舌と体と心が冴えてきた。旅先で仮

寝の宿に入った時、豆の殻を燃やして豆を煮ているグツグツという音を「昔は一心同体の親友だった豆の殻が、

どうしたことか恨めしく豆の僕を煮ている。豆の殻は、僕らを辛い目に遭わせる非道い奴だ」と言う声に聞こえ

たそうだ。一方、豆の殻がパチパチ鳴る音は「自ら進んでこんなことをするものか。焼かれて熱くて仕方がない

のに、どうすることも出来ない。だから、そんなに怒らないでくださいな」と言う声に聞こえたらしい。

第七十段

後醍醐天皇の時代、平安京のコンサートホールで演奏会が開催されたのは、宮中に秘蔵されていた琵琶の名器、

玄上が盗難にあった頃だった。名手、菊亭兼季が、もう一つの名器、牧馬を弾くことになった。席に座り手探り

でチューニングをしていると、支柱を一本落としてしまった。菊亭は、ポケットに米を練った糊を忍ばせておい

たので、修理した。準備が完了して供え物が飾り終わる頃には、よく乾いていて、演奏に差し支えはなかった。

だが、何か恨みでもあったのだろうか? 観客席から覆面女が乱入して、支柱を取り外して、元に戻して置いた

という。

第七十一段

名前を聞けば、すぐにでもその人の面影で想像が一杯になるのに、実際に会ってみると記憶の中の顔と同じだっ

67 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

たことはない。昔の小説を読んでいると「今だったら、あの家のあの辺の事かしら」などと空想し、「あの人みた

いな雰囲気だろう」と妄想してしまうのは、誰もがする事だろうか。

また、何かにつけて、道ばたで会った人が言ったことや、目に見える現象が、昔から自分の心の中にあるような

気がして「いつか、こんな事があったような気がする」と思うのだけど、いつの事だったかは思い出せず、でも、

本当にあったかのようにノスタルジーを感じてしまうのは、私だけの事だろうか。

第七十二段

下品に見えてしまうもの。座っている周りに道具がたくさん転がっていること。硯に筆がたくさん陳列されてい

ること。礼拝堂に仏像が多いこと。ガーデニングで石や草花を騒々しくすること。家の中に子供や孫がうようよ

していること。人と会うとおしゃべりなこと。自分の自慢をたくさん書いた紙と引き換えに神仏に無理な祈願を

すること。

およそ、多くても見苦しくないのは、キャスター付きの本棚に本がたくさんあること。ゴミ箱のゴミ。

第七十三段

この世の中に語り伝えられている事は、真実そのままに語ってもつまらないからだろうか、多くの話はインチキ

である。

人は事実よりも大げさに物事を言う傾向がある上に、ましてや、年月を経て、遠く離れた場所の出来事であれば、

言いたい放題に語られる。書物などに記録されてしまえば、もはや嘘は真実に書き換えられてしまう。巨匠の伝

説は、愚かな人間が、ろくに知らないくせに神のように崇め奉るので、たちが悪い。しかし、その道の達人だっ

たら、そんな架空伝説は信用しない。やはり「百聞は一見にしかず」なのである。

話している側から嘘のメッキが剥がれているのにも気付かず、口が自動的に出任せを言い出せば、すぐに根も葉

もないウソッパチであることがバレる。また話している本人が、はなから「こんな話はウソッパチだろう」と知

りながら、人から聞いたまま、鼻をピクピクさせて話せば、それは語り部をやっているだけだから、あながち「嘘

つき」呼ばわりする訳にもいかない。だがしかし、もっともらしく話を捏造し、都合が悪い部分は曖昧にしたま

ま、

終的に話の辻褄を合わせてしまうようなインチキ技は、危険である。お世辞を言われて調子に乗っている

者は、それを否定しない。周囲がインチキ話で盛り上がっている時に、一人だけ「嘘ばっかり」とムキになって

も気まずくなるだけだから黙って聞いていると、そのうち嘘の証人になどにさせられて、瓢箪から出た駒みたく

なってしまう。

69 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

と、文句を書いても、この世はインチキでまみれている。世の中を漂っている何げない事を、ありのままに受け

入れてさえいれば、真実を見失わないはずだ。しかし、愚か者は、刺激を喜ぶから適当な事ばかり言っている。

信頼できる人なら、いい加減な話をしたりはしない。

そうは言っても、「神の奇跡や、超人の輝かしい記録までも信じてはいけない」と言うわけではない。世の中にま

みれている嘘に染まれば、間抜けである。それを信じる人に「そんなのはインチキだ」と言っても、既に洗脳済

みだから仕方ない。どうせ殆どはインチキなのだから、諦めて適当にあしらい、意味もなく信じたりせず、心の

中では「こいつはバカじゃないのか?」と思っても、用心の為に黙っていた方が良い。

第七十四段

蟻のように群れをなし、西へ、東へ猛スピード、南へ、北へ超特急。社会的身分の高い人もいる。貧乏人もいる。

老人もいる。小僧もいる。出勤する場所があって、帰る家もある。夜に眠くなり、朝に目覚める。この人達は何

をしているのだろうか。節操もなく長生きを欲しがり、利益は高利回りだ。もう止まらない。

養生しながら「何かいいことないか」と、呟きながら果報を待つ。とどの詰まりは、ただ老いぼれて死ぬだけだ。

老いぼれて死ぬ瞬間は、あっという間で、思いの刹那が留まる事もない。老いぼれて死ぬのを待っている間に何

か楽しい事でもあるのだろうか?

迷える子羊は老いぼれて死ぬのを恐がらない。名前を売る為に忙しく金儲け

に溺れて、命の終点が近い事を知らないのだ。それでいてバカだから死ぬのを悲しむ。この世は何も変わらない

と勘違いし、運命の大河に流されているのを感じていないからだ。

第七十五段

暇で放心している事に耐えられない人は、何を考えているのだろうか?

誰にも邪魔されないで、一人で変な事

をしているのが一番いいのだ。

浮き世に洗脳されると心は下界の汚れでベタベタになり、すぐ迷う。他人と関われば、会話は機嫌を伺うように

なり、自分の意志も折れ曲がる。人と戯れ合えば、物の奪い合いを始め、恨み、糠喜びするだけだ。すると、常

に情緒不安定になり、被害妄想が膨らみ、損得勘定だけしか出来なくなる。正に迷っている上に酔っぱらってい

るようなものである。泥酔して堕落し路上で夢を見ているようでもある。忙しそうに走り回るわりには、ボケッ

として、大切なことは忘れてしまう。人間とは皆この程度の存在である。

「仏になりたい」と思わなくても、逐電して静かな場所に籠もり、世の中に関わらず放心していれば、仮寝の宿

71 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

とは言っても、希望はある。「生き様に悩んだり、人からどう見られているか気にしたり、手に職を付ける為に己

を研鑽したり、教典を読み込んで論じる事など、面倒だから全て辞めてしまえ」と中国に伝わる『摩訶止観』に

書いてある。

第七十六段

社会的に偉い事になっていて、時代の波にも乗っている人のお屋敷に、葬式とか祝い事があり、大勢の人が出入

りしている中に聖職者であるはずの宗教家が、玄関のインターフォンを押しているのはやりすぎだと思う。

どんな理由があるにしても、宗教家は孤独であるべきだ。

第七十七段

世間で、当時の人のブームになった事を話題にしたり、知らなくても良いような分際にも関わらず、岡目八目に

内情を熟知していて、人に喋り散らしたり、質問攻めにしたりするのは、頭に来ることだ。特に田舎の坊さんに

至っては、世間のゴシップに詳しく、自分の身辺の様に調査して、「なんで、何でお前がそんなことを知っている

のだ」と軽蔑されるぐらいの勢いで暴露するようだ。

第七十八段

流行の

先端を追いかけ、珍しい物の宣伝をし、有り難がるのも、また嫌なことだ。流行が廃れるまで知らない

方が格好良い。

不慣れな人がいる際に、現場の人間には馴染みの作業や物の名前を、知っている者同士が通称で呼び、目配せを

して笑い合い、その意味がわからない者を不安な気持ちにさせるのは、世の中の仕組みが分かっていないバカタ

レがやりそうなことである。

第七十九段

何事に関しても素人のふりをしていれば良い。知識人であれば、自分の専門だからと言って得意げな顔で語り出

すことはない。中途半端な田舎者に限って、全ての方面において、何でもかんでも知ったかぶりをする。聞けば、

こちらが恥ずかしくなるような話しぶりだが、彼等は自分の事を「偉い」と思っているから、余計にたちが悪い。

自分が詳しい分野の事は、用心して語らず、相手から何か質問されるまでは黙っているに超したことはない。

73 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第八十段

誰にでも、自分とは縁が無さそうな分野に首を突っ込みたくなる傾向があるようだ。坊主が屯田兵まがいの事を

したり、弓の引き方も知らない武士が、さも仏の道に通じているような顔をして、連歌をし、音楽を嗜む。そう

いう事は、怠けている自分の本業よりも、より一層、バカにされることであろう。

宗教家に限ったことではない。政治家や公家、上流階級の者まで、取り憑かれたように戦闘的な人が多い。しか

し、例え百戦錬磨であっても、その勇気を称える人はいないだろう。なぜなら、ラッキーな事が重なって敵をバ

タバタと薙ぎ倒している

中は、勇者という言葉さえ出てこない。武器を使い果たし、弓が尽きても、

後まで

降参することなく、気持ちよく死んだ後に、初めて勇者の称号が与えられるからだ。生きている人間は、戦闘力

を誇ってはならない。戦闘とは、人間のやるべき事ではなく、イーグルやライオンがやる事である。武術の後継

者以外、好き好んで特訓しても意味がない。

第八十一段

屏風や襖などに、下手くそな絵や文字が書いてあると、みっともないと言うよりも、持ち主の品格が疑われる。

大体の事において、持ち物から持ち主の品性が察せられる場合が多い。常識を逸した高級品を持っていれば良い

という話ではない。壊れないように、無骨に作って、変な形になったり、変わっているからと、余計な部品を付

けて使いづらくなったり、コテコテなのを喜んだりするのが良くないのだ。よく使い込んであって、わざとらし

くなく、適正価格で作ってあり、その物が自体が良い物であればいい。

第八十二段

「薄い表紙の巻物は、すぐに壊れるから困る」と誰かが言った際に、頓阿が、「巻物は上下がボロボロになって軸

の飾りが落ちると風格が出る」と言ったのが立派で、思わず見上げてしまった。また、全集や図鑑などが同じ体

裁でないのは、「みっともない事だ」と、よく言われるが、弘融僧都が「何でも全部の物を揃えるのはアホのする

ことだ。揃っていない方が慎み深い」と言ったのには感動を覚えた。

「何事も完璧に仕上げるのは、返って良くない事だ。手を付けていない部分を有りの儘にしておく方が、面白く、

可能性も見出せる。皇居の改築の際も必ず造り残しをする」と誰かも言っていた。昔の偉人が執筆した文献にも

文章が脱落した部分が結構ある。

75 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第八十三段

竹林入道、西園寺公衡は、

高長官へと出世するのに、何の問題も無くトントン拍子で進んだのだが「長官にな

っても、何ら変わったことも無いだろうから大臣で止めておこう」と言って出家した。洞院左大臣、藤原実泰も、

これに感動して長官出世の望みを持たなかった。

「頂上に登りつめた龍は、ジェットコースターの如く急降下するしかあるまい。後は悔いだけが残る」と言う。

太陽は黄昏に向かい、満月は欠け、旬の物は腐るのみ。森羅万象、先が見えている物事は破綻が近い証拠である。

第八十四段

三蔵法師は、インドに到着した際に、メイド・イン・チャイナの扇子を見てはホームシックになり、病気で寝込

むと中華料理を所望したそうだ。その話を聞いて「あれ程の偉人なのに、異国では甘ったれていたのだな」と誰

かが漏らした。それを聞いた弘融僧都が「心優しいお茶目な三蔵法師だ」と言ったのは、坊主じみてなく、かえ

って広がりがあるように思えた。

第八十五段

人の心は素直でないから、嘘偽りにまみれている。しかし、生まれつき心が素直な人がいないとも言い切れない。

心が腐っている人は、他人の長所を嗅ぎつけ、妬みの対象にする。もっと心が腐って発酵している人は、優れた

人を見つけると、ここぞとばかりに毒づく。「欲張りだから小さな利益には目もくれず、嘘をついて人から崇め奉

られている」と。バカだから優れた人の志も理解できない訳で、こんな悪態をつくのだが、この手のバカは死ん

でも治らない。人を欺いて小銭を巻き上げるだけで、例え頭を打っても賢くなる事はない。

「狂った人の真似」と言ってバス通りを走れば、そのまま狂人になる。「悪党の真似」と言って人を殺せば、ただ

の悪党だ。良い馬は、良い馬の真似をして駿馬になる。聖人を真似れば聖人の仲間入りが出来る。冗談でも賢人

の道を進めば、もはや賢人と呼んでも過言ではない。

第八十六段

惟継中納言は、自然派の多彩な詩人だった。お経漬けの仏道修行をする為に、三井寺の寺法師だった円伊僧正と

同棲していた。文保の時代、三井寺が延暦寺の僧侶に放火されて焼け落ちた時、惟継は、この法師に「三井寺の

法師であったあなたの事を寺法師と呼んでおりましたが、寺も無くなったので、今からはただの法師と呼びまし

ょう」と言ったそうだ。とても気の利いた慰め方だ。

77 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第八十七段

労働者に酒を飲ませる際には、厳重な注意をはらわなくてはならない。宇治に住んでいたある男は、京都に住ん

でいる具覚房と言う、ちょっとは名の知れた世捨て人と義兄弟の関係だった。なので、よく酒盛りをして親睦を

深めた。いつもの様に、馬をやって具覚房を迎えに行かせた。具覚房は「この先、道のりは長い。まずは一杯や

りなはれ」と言って、馬を引く男に酒を飲ませた。男は出された酒を次々と、ダラダラこぼしながら飲みまくっ

た。

太くて長い刀を腰からぶら下げ、勇敢に歩く男の姿を見て、具覚房は「何とも頼もしい事だ」と、心強く思いな

がら連れ歩いた。伏見の山道まで進むと、奈良法師が武装した兵隊を連れて歩いていた。泥酔状態の男は、何を

血迷ったのか「おいこら、待て。日の暮れた山道を歩く怪しい狼藉者め」と言って、刀を抜いた。すると相手も、

刀を抜き、矢を向けて防衛追撃の態勢に入った。具覚房は、咄嗟に危険を察知し、揉み手をしながら「どうかご

無礼お許しください。この男は酒に酔って前後不覚なのです。私が頭を下げます。この通りです」と、命乞いを

したので、兵士達は冷笑して去っていった。出鼻を挫かれた男は「何を言っているのだ、あんたは。俺は酔っち

ゃいねぇ。狼藉者を成敗して名を轟かす予定が狂ったじゃないか。抜いた刀のやり所に困ったものよ」と逆上し

て、ブンブンと刀を振り回しながら、具覚房を斬ってしまった。

そして男は、「山賊が出た」と怒鳴った。「何事が起きたのか」と、飛び出してきた野次馬達に向かって、男は「俺

が山賊だ」と叫んで、走り回って刀を振り回し、無差別殺傷に打って出た。向かい打つ村人は、大勢で取り囲み、

押さえ込み、男を縛り上げた。血まみれになった馬だけが、宇治の大通りを疾駆したので、具覚房を迎えにやら

せた男は狼狽した。大男達を現場に急行させると、クチナシの花に埋もれて具覚房が唸っていたので病院に担ぎ

込んだ。かなり危ない命拾いだったが、腰の傷が深く、車いす生活を余儀なくされた。

第八十八段

或る者が、「これが書の達人として誉れ高い、小野道風が書き写した『和漢朗詠集』です」と言って秘蔵していた。

別の者が、「あなた様のお宅に代々伝わる品物ですから、根拠が出鱈目だとインネンを付けるつもりは毛頭ないの

でございますが、藤原公任が撰集した歌を、その時代に他界している小野道風が書き写しているので、矛盾して

いてインチキ臭いのですが」と尋ねた。すると、「お目が高い!

だからこそ類い希なる珍品なのでございます」

と答え、今までよりも大切に秘蔵したという。

第八十九段

79 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

「山奥には猫又という肉食の怪獣がいて、人を食べるらしい」と、誰かが言えば「この近所でも、猫が猫又に進

化して、人を襲ったらしい」と、言う者もいた。油小路にある行願寺の近くに住む、何とか陀仏という、連歌好

きな坊さんが、それを聞いてしまって、「一人でうろつく私などは用心しなくては」とビビっていた矢先の事であ

る。一人で夜道を、ドブ川に沿って歩いていると、噂に聞いた猫又がいるではないか。猫又は狙いを定めて足下

に突進し、素早く飛びつき首を引き裂こうとした。びっくり仰天して逃げようにも腰砕けになっていて、ドブ川

に転げ落ちた。「助けて。で、出た。猫又、猫又が出た」と叫んだので、近所の住民が懐中電灯を灯しながら駆け

つけた。灯りを照らしてみると、この辺の名物坊主である。「なんで、そんなに無様な姿を晒しているのですか?」

と、引っ張り出せば、連歌の懸賞で貰ったポケットの中の小箱や扇などがドブ川に浮いている。崖っ淵から生還

した坊さんは、血圧が上がったまま帰宅したのであった。

実は、愛犬ポチが暗闇の中、ご主人様の帰りが嬉しくて尻尾を振り振り抱きついたそうだ。

第九十段

大納言法印の召使いだった乙鶴丸は、やすら殿という人と仲が良かった。いつも遊びに出かけるので、法印が、

乙鶴丸が帰宅した時に「何処をほっつき歩いているのだ」と尋問した。「やすら殿のお宅へ遊びに行っていました」

と答えるので、法印は「やすら殿は、毛が生えているのか? それとも坊主か?」と再尋問した。乙鶴丸は、袖

をスリスリしながら「さあ、どうでしょう。頭を拝見したことが無いもので」と答えた。

何故、頭だけが見えないのか、謎である。

第九十一段

六日ごとに訪れる赤舌日という日がある。陰陽道の占いの世界では、取るに足りない事である。昔の人は、こん

な事を気にせずに暮らしていた。

近になって、誰が言い出したのかは知らないが、不吉な日だと言う事になっ

て、忌むようになった。「この日に始めた事は、中途半端で終わり、言った事、行った事は、座礁し、手に入れた

物は、紛失し、立てた計画は、失敗に終わる」と言うのは、馬鹿げたことだ。敢えて大安吉日を選んで始めた事

でも、行く末を見てみれば、赤舌日に始めた事と同じ確率でうまくいってない。

解説すれば、世界は不安定で、全ての物事は、終わりに向かって緩やかなカーブを描いている。そこにある物が、

永遠に同じ形で存在することは不可能である。成功を目指しても、

終的には失敗し、目的が達成できないまま、

欲望だけが膨れあがるのが世の常だ。人の心とは、常に矛盾していて説明出来るはずもなく、物質は、いつか壊

れて無くなる事を思えば、幻と一緒である。永遠など無いのだ。このシステムを理解していないから「吉日の悪

81 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

い行いは、必ず罰が当たり、悪日の良い行いは、必ず利益がある」などと、寝言を言うのである。物事の良い悪

いは、心の問題で、日柄とは関係ない。

第九十二段

或人が、弓の稽古で、二本の弓をセットして的に対峙した。すると師匠が「素人が二本の弓を持つんじゃない。

次の矢があるからと、一本目の矢に気合いが入らなくなるじゃねえか。いつでも、一本の矢が的中するように精

神統一をせんか」と指導した。師匠の手前、わざと

初の一本を無駄遣いする人もいないだろう。しかし、無意

識に怠け精神は目を覚ます。師匠はその事を知っているのだ。この戒めは、何事にも同様である。

悟りの道を歩む者は、夜には翌朝の修行を思い、朝には夜の修行を想像する。同じ事を繰り返し、「次はしっかり

修行しよう」と思い直したりもする。そんな体たらくでは、この一瞬の中に、己の怠けの精神が目覚めているこ

とを自覚しないだろう。この瞬間を自主的に生きるのは、何と難しい事であろうか。

第九十三段

「牛を売る人がいた。牛を買おうとした人が、明日代金を払って引き取ります、と言った。牛はその夜、未明に

息を引き取った。牛を買おうとした人はラッキーで、牛を売ろうとした人は残念だった」と誰かが話した。

近くで聞いていた人が「牛のオーナーは、一見、損をしたように思えるが、実は大きな利益を得ている。何故な

ら、命ある者は、死を実感できない点において、この牛と同じだ。人間も同じである。思わぬ事で牛は死に、オ

ーナーは生き残った。命が続く一日は、莫大な財産よりも貴重で、それに比べれば、牛の代金など、ガチョウの

羽より軽い。莫大な財産と同等の命拾いをして、牛の代金を失っただけだから、損をしたなどとは言えない」と

語ったら、周りの一同は「そんな屁理屈は、牛の持ち主に限った事では無いだろう」と、軽蔑の笑みを浮かべた。

その屁理屈さんは続けて「死を怖がるのなら、命を慈しめ。今、ここに命がある事を喜べば、毎日は薔薇色だろ

う。この喜びを知らない馬鹿者は、財や欲にまみれ、命の尊さを忘れて、危険を犯してまで金に溺れるから、い

つまで経っても満たされる事は無い。生きている間に命の尊さを感じず、死の直前で怖がるのは、命を大切にし

ていない証拠である。人が皆、軽薄に生きているのは、死を恐れていないからだ。死を恐れていないのではなく、

死が刻々と近づく事を忘れていると言っても過言ではない。もし、生死の事など、どうでも良い人がいたら、そ

の人は悟りを開いたと言えるだろう」と、まことしやかに論ずれば、人々は、より馬鹿にして笑った。

第九十四段

83 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

常磐井の太政大臣が、役所勤めをしていた頃、皇帝の勅令を持った武士が、大臣に接見した。その際に馬から下

りたので、大臣はその後「先ほどの武士は、皇帝の勅令を持ちながら馬から下りやがった。あんな馬鹿タレを中

央官庁で働かせるわけにはいかん」と言って、即座に解雇した。

勅令は馬に乗ったまま両手で高く上げて見せるのであって、馬から下りたら失礼なのだ。

第九十五段

「箱に紐をくくってフタを付ける場合、どちら側を綴じればよいのでしょうか」と、ある専門家に聞いてみたと

ころ、「右側と左側、諸説ありますが、どちらでも問題ありません。箱をレターケースとして使う場合は右側、道

具入れにする場合は左側にする事が多いようです」と教えてくれた。

第九十六段

メナモミという草がある。マムシに噛み付かれた人が、この草を揉んで患部にすり込めば一発で治るという。実

物を見て知っておくと、いざという時に役立つ。

第九十七段

その物に寄生し、それを捕食し、結果的に食い尽くしてしまう物は、佃煮にするほどある。身体にはシラミが湧

く。家にはネズミが同居する。国家には反逆者がいる。小市民には財産がある。権力者には義理がある。僧侶に

は仏法があるのであった。

第九十八段

『一言芳談』という、坊さんの名言集を読んでいたら感動したので、ここに紹介しよう。

一つ。やろうか、やめようか迷っていることは、通常やらない方が良い。

一つ。死んだ後、幸せになろうと思う人は、糠味噌樽一つさえ持つ必要は無い。経本やご本尊についても高級品

を使うのは悪いことだ。

一つ。世捨てのアナーキストは、何も無い状態でもサバイバルが出来なくてはならない。

一つ。王子は乞食に、知識人は白痴に、金持ちは清貧に、天才は馬鹿に成りきるべきである。

85 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

一つ。仏の道を追求すると言うことは、たいした事ではない。ただ単に暇人になり、放心していればよい。

他にも良い言葉があったが忘れてしまった。

第九十九段

堀川の太政大臣は、金を持っている色男で何事につけても派手好みだった。次男の基俊を防衛大臣に任命して黒

幕になり勤めに励んだ。太政大臣は庁舎にある収納家具を見て「目障りだから派手な物に造りかえなさい」と命

じた。「この家具は、古き良き時代から代々受け継がれている物で、いつの物だか誰も知りません。数百年前のア

ンティークあって、ボロボロだから価値があります。そう簡単には造り直しができません」と、古いしきたりに

詳しい職員が説明すると、それで済んだ。

第百段

久我の太政大臣が、皇居の関係者以外立ち入り禁止の間で水を飲もうとしたら、女官が焼き物のカップを持って

きた。太政大臣は「柄杓を持ってきなさい」と言って、それで飲んだ。

第百一段

ある人が、大臣の任命式を取り仕切った際に、天皇の直々の任命書を持たないまま壇上に上がってしまった。失

礼極まりないと分かりつつも、取りに戻るわけにもいかず放心していると、康綱係長が目立たない女子職員にお

願いし、この任命書を持たせて内緒で手渡した。とても気が利く男であった。

第百二段

公安の長官であった源光忠が、新年の鬼やらいの行事を取り仕切ることになったので、公賢右大臣に進行につい

てアドバイスを伺ったところ、「だったら又五郎さんに聞いてみなさい」と教えられた。この又五郎というのは、

年老いた警備員で、国家行事の警備に勤しんだので色々と詳しかった。

ある時、警視庁長官の近衛経忠が国家行事に参加した際に、自分が跪くための敷物を敷かずに係員を呼びつけた

のを、焚き火の世話をしている又五郎が見て「まずは敷物を敷いた方が良いのでは」と、人知れず呟いた。彼も

また、とても気が利く男であった。

87 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第百三段

大覚寺の法皇御所で、側近どもが「なぞなぞ大会」をやっていた。そこへ医者の丹波忠守がやってきた。そこで

三条公明が「忠守は、我が国の人間には見えないけど、どうしてか?」という問題を作ったら、誰かが「中国の

医者」と答えて笑い合っていた。「からいし」は、中国製の徳利である「唐瓶子」と、没落した「平氏」を掛けた

駄洒落なのだが、ドクターは非道くご立腹の様子で、そこから立ち去った。

第百四段

人里離れた僻地の荒廃した家に、世間から離れて暮らさなければならない境遇の女がいて、退屈に身を任せたま

ま引き籠もっていた。ある男が、お見舞いをしようと思って、頼りなさそうに月が浮かぶ夜、こっそりと訪問し

た。犬が世界の終わりを告げるように吠えるものだから、召使いの女が出てきて「どちら様でしょうか?」と聞

いた。男は、そのまま案内を受けて中に入った。淋しい様子で、「どんな生活をしている事だろう」と思うと、男

は胸が苦しくなる。放心したままボロボロの廊下にしばらく立っていると、若々しさの中に落ち着きのある声が

して「こちらにどうぞ」と言うので、小さな引き戸を開けて中に入った。

しかし、家の中までは荒れ果ててはいなかった。遠慮がちにオレンジ色の火が奥の方でゆらゆらと揺れている。

家具も女性らしく、焚いたばかりではない香が、わざとらしくなく空気と溶け合いノスタルジーを誘った。召使

いの女が「門はきちんと閉めて下さい。雨が降るかもしれないから車は門の下に停めて、お供の方々はあちらで

お休み下さい」と言う。男の家来が「今日は雨風を凌いで夢を見られそうだ」と内緒話をしても、この家では筒

抜けになってしまう。

そうして、男と女が世間のことなどを色々と話しているうちに、夜空の下で一番鶏が鳴いた。それでも、過ぎた

過去や、幻の未来について甲斐甲斐しく話し込んでいると、鶏が晴れ晴れしく鳴くものだから、「そろそろ夜明け

だろうか?」と思うのだが、暗闇を急いで帰る必要もないので、しばらくまどろむ。すると、引き戸の隙間から

光が差し込んできた。男が女に気の利いたことでも言って帰ろうとすれば、梢も庭も、辺り一面が青く光ってい

た。その、つやつやと光る四月の明け方を、今でも想い出してしまうから、男がこの辺りを通り過ぎる時には、

大きな桂の木が視界から消えるまで振り返って見つめ続けたそうだ。

第百五段

陽当たりの悪い北の屋根に残雪がカチカチと凍っている下で、停車してある牛車の取っ手の霜がキラキラと輝い

ている。明け方の月が頼りなさそうに光っているのだけど、時折雲隠れする。人目を離れたお堂の廊下で、大層

な身分の男が、女と柵に腰掛けて語り合っているのだが、何を話しているのだろう。話は尽きそうにない。

89 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

女の顔、姿がとても美しく見え、何とも言えない良い香りをばらまいているのだから、たまらない。聞こえてく

る話し声が、時々フェードアウトして、何ともくすぐったい気分になる。

第百六段

高野山の証空上人が上京する時、小道で馬に乗った女とすれ違った。女の乗る馬を引く男が手元を狂わせて、上

人の乗っている馬をドブ川に填めてしまった。

上人は逆上して「この乱暴者め。仏の弟子には四つの階級がある。出家した男僧より、出家した尼は劣り、在家

信者の男はそれにも劣る。在家信者の女に至ってはそれ以下だ。貴様のような在家信者の女ごときが、高僧であ

る私をドブ川に蹴落とすとは、死刑に値する」と言ったので、僧侶の階級に興味のない馬引きの男は、「何を言っ

ているんだか、さっぱり分からない」と呟いた。上人はさらに逆上し、「何を抜かすか、このたわけ!」と沸点に

達したが、罵倒が過ぎたと我に返り、恥ずかしさに馬を引き返して逃げた。

こんな口論は滅多に見られるものではない。

第百七段

「突然の女の質問を、優雅に答える男は滅多にいない」らしいので、亀山天皇の時代に、女達は男をからかって

いた。いたい気な若い男が来るたびに、「ホトトギスの声は、もうお聴きになって?」と質問し、相手の格付けを

した。のちに大納言になった何とかという男は、「虫けらのような私の身分では、ホトトギスの美声を聞く境遇に

ありません」と答えた。堀川の内大臣は、「山城国の岩倉あたりでケキョケキョ鳴いているのを聞いた気がします」

と答えた。女達は「内大臣は当たり障りのない答え方で、虫けらのような身分とは、透かした答え方だわ」など

と、格付けるのであった。

いつでも男は、女に馬鹿にされないよう教育を受けなければならない。「関白の九条師教は、ご幼少の頃から皇后

陛下に教育されていたので、話す言葉もたいしたものだ」と、人々は褒め称えた。西園寺実雄左大臣は、「平民の

女の子に見られるだけでドキドキするので、お洒落は欠かせない」と言ったそうである。もしもこの世に女がい

なかったら、男の衣装や装飾品などは、誰も気にしなくなるだろう。

「これほど男を狂わせる女とは、なんと素敵な存在だろう」と思いがちだが、女の正体は歪んでいる。自分勝手

で欲深く、世の中の仕組みを理解していない。メルヘンの世界の住人で、きれい事ばかり言う。そして都合が悪

くなると黙る。謙虚なのかと思えば、そうでもなく、聞いてもいないのに下らないことを話し始める。綺麗に化

91 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

粧をして化けるのは、男の洞察力を超越しているのかと思えば、そんなこともなく、化けの皮が剥がれても気が

つかない。素直でなく、実は何も考えていないのが女なのだ。そんな女心に惑わされ、「女に良く見られたい」と

考えるのは、涙ぐましくもある。女に引け目を感じる必要はない。仮に、賢い女がいたとしよう。近付き難さに

恋心も芽生えないだろう。恋とは女心に振り回されて、ときめくことを楽しむものなのである。

第百八段

一瞬の時間を「勿体ない」と思う人はいない。「一瞬を惜しむことすら意味がないことだ」と悟りきっているから

だろうか。それとも単に馬鹿なだけだろうか。馬鹿で、時間を浪費している人のために敢えて言おう。一円玉は

アルミニウムだが、積もって山となれば貧乏人を富豪にする。だから商人はケチなのだ。瞬間を感じるのは困難

であるが、瞬間の連続の果てには、命の終焉があり、あっという間に訪れる。

だから修行者は長い単位で月日を惜しんでいる場合ではない。この瞬間が枯れ葉のように飛び去ることを惜しむ

べし。もし、死神がやってきて「お前の命は明日終わる。残念だったな」と宣告したら、今日という日が終わる

まで、自分が何を求め、何を思うか知るがよい。今、生きている今日が、人生

後の日ではない保証はない。そ

の貴重な一日は、食事、排便、昼寝、会話、移動と退っ引きならない理由で、多くを費やすことになる。残った

わずかな時間を、無意味に行動し、無意味に語り、無意味に妄想して無駄に過ごし、そのまま一日を消し去り、

ひと月を通り抜け、一生を使い切ったとすれば、それは、阿呆の一生でしかない。

中国の詩人、謝霊運は、法華経の翻訳を速記するほどの人物だったが、いつでも心の空に雲を浮かべて、詩ばか

り書いていたから、師匠の恵遠は仲間達と念仏を唱えることを許さなかった。時間を無駄にして浮かれているの

なら、何ら死体と変わらない。なぜ瞬間を惜しむのかと言えば、心の迷いを捨て、世間との軋轢がない状況で、

何もしたくない人は何もせず、修行したい人は修行を続けるという境地に達するためだ。

第百九段

木登りの名人と呼ばれている男が、弟子を高い木に登らせて小枝を切り落としていた。弟子が危ない場所にいる

時には何も言わず、軒先まで降りてきた時に、「怪我をないように気をつけて降りて来い」と声をかけた。「こん

な高さなら飛び降りても降りられるではないか。なぜ今更そのようなことを言うのか?」と問わば、「そこがポイ

ントです。目眩がするくらいの危ない枝に立っていれば、怖くて自分で気をつけるでしょう。だから何も言う必

要はありません。事故は安全な場所で気が緩んだ時こそ起こるのです」と答えた。

たいした身分の親父ではないが、教科書に掲載できそうな内容だ。バレーボールのラリーなどでも、難しい球を

レシーブした後に、気が緩んで必ず球を落とすらしい。

93 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第百十段

双六の名人と呼ばれている人に、その必勝法を聞いてみたところ、「勝ちたいと思って打ってはいけない。負けて

はならぬと思って打つのだ。どんな打ち方をしたら、たちまち負けてしまうかを予測し、その手は打たずに、た

とえ一升でも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」と答えた。

その道を極めた人の言うことであって、研究者や政治家の生業にも通じる。

第百十一段

「囲碁、双六を好み、朝から晩まで遊びほうけている人は、強姦、窃盗、殺人、詐欺といった犯罪や、親殺し、

恩人殺し、背任、聖職者の傷害といった反逆よりも重い罪を犯している」と、ある聖人言ったのが、今でも忘れ

られず、ありがたく思える。

第百十二段

明日、遠い場所へ旅立とうとしている人に、じっくりと腰を据えてすることを、誰が言いつけるだろうか。突然

の緊急事態の対処に追われている人や、不幸に嘆き悲しむしかない人は、自分のことで精一杯で、他人の不幸事

や祝い事を見舞うこともないだろう。見舞わないからと言って「薄情な奴だ」と恨む人もいない。得てして、老

人や寝たきりの人、ましてや世捨てのアナーキストは、これと同じである。

世間の儀式は、どんなことでも不義理にはできない。世間体もあるからと、知らないふりをするわけにも訳にい

かず、「これだけはやっておこう」と言っているうちに、やりたいことが増えるだけで、体にも負担がかかり、心

の余裕が無くなり、一生を雑務や義理立てに使い果たし、無意味な人生の幕を閉じることになる。日が暮れてい

るのに、道のりは遠い。人生は思い通りに行かず、既に破綻していたりする。もう、いざという時が過ぎてしま

ったら、全てを捨てる良い機会だ。仁義を守ることなく、礼儀を考える必要もない。世捨てのやけっぱちの神髄

を知らない人から「狂っている」と言われようとも「変態」と呼ばれようとも「血が通っていない」となじられ

ようとも、言いたいように言わせておけばよい。万が一、褒められることがあっても、もはや聞く耳さえなくな

っている。

第百十三段

四十過ぎのおっさんが、恋の泥沼に填って、こっそりと胸に秘めているのなら仕方がない。でも、わざわざ口に

95 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

出して、男女のアフェアや、他人の噂を喜んで話しているのは嫌な感じがして、気色が悪い。

ありがちな、聞くに忍びなく、見苦しいことと言えば、年寄りが青二才に分け入ってうけ狙いの物語をすること。

有象無象の人間が、著名人を友達のように語ること。貧乏人の分際で宴会を好んで、客を呼びリッチなパーティ

をすること。

第百十四段

今出川の大臣が嵯峨へ出かけた時に、有栖川あたりの泥濘んだ場所で運転手の賽王丸が牛を追ったので、牛が蹴

り上げる水が車のフロントバンパーに飛び散った。後部座席に乗っていた、大臣の舎弟の為則が「おのれ、こん

なところで牛を追う馬鹿がいるか」と罵ったので、大臣はにわかに機嫌が悪くなり「お前が車の運転をしたとこ

ろで賽王丸に及ぶまい。お前が本当の馬鹿者だ」と言い放ち、車に為則の頭を打ち付けた。噂の賽王丸とは、内

大臣、藤原信清の家来で、元は皇室のお抱え運転手であった。

信清内大臣に仕える女中は、今となっては何のことだか分からないが、一人は膝幸、一人はこと槌、一人は抱腹、

一人は乙牛と、牛にちなんだ名前が付いていた。

第百十五段

宿河原という所に、ぼろぼろという無宿渡世人が大勢集まって、死んだら地獄に堕ちないように念仏を唱えてい

た。外から入って来たぼろぼろが、「もしかしてこの中に、いろをし房というぼろぼろはいらっしゃいますか?」

と尋ねた。中から「いろをしはここにいるが、そう聞くお前は何者だ?」と尋ね返したので、「私は、しら梵字と

いう者です。私の師匠の何某が、東京でいろをしと名乗る者に殺されたと聞いたので、その人に会って恨みを晴

らそうと尋ねたのです」と答えた。いろをしは「それは、ようこそ。そんなこともあったかも知れないが、ここ

で向かい合ったら道場が汚れる。表の河原に出ろ。周りの野次馬ども、助太刀無用。大勢の迷惑になると折角の

法事も台無しだ」と話を付けて、二人は河原に出て、思い切り刺し合って共倒れた。

昔は、ぼろぼろなどいなかった。

近になって、ぼろんじ、梵字、漢字と名乗る者が現れて、それが始まりだと

いう。世捨て人のように見えて、自分勝手で、仏の下部のふりをしているが、戦いのエキスパートだ。無頼放蕩

で乱暴者だが、命を粗末にし、いつでも死ねるのが清々しいので、人から聞いた話をそのまま書いた。

第百十六段

お寺の名前や、その他の様々な物に名前を付けるとき、昔の人は、何も考えずに、ただありのままに、わかりや

97 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

すく付けたものだ。

近になって、よく考えたのかどうか知らないが、小細工したことを見せつけるように付け

た名前は嫌らしい。人の名前にしても、見たことのない珍しい漢字を使っても、まったく意味がないことだ。

どんなことも、珍しさを追求して、一般的ではないものをありがたがるのは、薄っぺらな教養しかない人が必ず

やりそうなことである。

第百十七段

友達にするにふさわしくない者は、七種類ある。一つ目は、身分が高く住む世界が違う人。二つ目は、青二才。

三つ目は、病気をせず丈夫な人。四つ目は、飲んだくれ。五つ目は、血の気が多く戦闘的な人。六つ目は、嘘つ

き。七つ目は、欲張り。

良い友達には、三種類ある。まずは、物をくれる友達。次は、ドクター。

後に、賢い友達。

第百十八段

鯉こくを食べた日は髪の毛がボサボサにならないという。鯉の骨は接着剤の材料になるからネバネバしているの

だろうか。

鯉だけは天皇の目の前で調理しても問題ない大変ありがたい魚である。鳥で言えばキジが一番リッチだ。キジや

マツタケは皇居の台所にそのままぶら下がっていても見苦しくはない。その他の食材は、汚らわしく見える。あ

る日、中宮の台所の棚にカリが乗っているのを、お父様の北山入道が見て、帰宅早々、手紙を書いた。「キジのよ

うな下手物が、そのままの姿で棚に乗っているのを見たことがない。世間体が悪いことである。一般常識を知っ

ている者が近くにいないからこうなる」と意見した。

第百十九段

鎌倉の海を泳いでいる鰹という魚は、この地方では高級魚として

近の流行になっている。その鰹も、鎌倉の爺

様が言うには「この魚も、おいら達が若い頃には、真っ当な人間の食卓に出ることも無かったべよ。頭はゴミあ

さりでも切り取って捨てていたっぺ」と話していた。

そんな魚も世紀末になれば、金持ちの食卓に出されるようになった。

第百二十段

99 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

メイドインチャイナの舶来品は、薬の他は全て無くても困らないだろう。中国の本は、この国でも広まっている

からコピーすればよい。貿易船が危険な航路を承知の上で、必要のない贅沢品を窮屈そうに満載し、海に揺られ

て来るとは、ご苦労なこった。

「賢者は遠くの物を宝として欲しがらない」とか「入手困難な物を価値ある物として喜んではならない」などと、

古い中国の本にも書いてあるではないか。

第百二十一段

エサを与えて育てる動物には牛と馬がいる。繋いでおくのは可哀想だけど、いなくては困るので仕方がない。犬

は気合いが入っていない用心棒よりも、よっぽど役に立つので絶対に飼っておいた方が良さそうだが、どこの家

にもいるので無理をして飼う必要もない。

それ以外の鳥や動物は、全て飼う必要がない。鎖に繋がれて檻に閉じ込められた獣は、駆け出したくて仕方なく、

翼を切られてカゴに監禁された鳥は、雲を恋しく想い、飛び回りたく野山のことばかり考えている。鳥や動物の

身になれば、辛くて辛抱できないだろう。血の通っている人間が、こんな事を楽しいと思うものか。動物に辛い

思いをさせて目の保養にするのは、極悪非道な暴君と同じ心の持ち主である。風流な王子様が鳥を愛した逸話は、

梢で遊んでいる鳥を見て、散歩のお供にしただけだ。決して捕まえていたぶっていたのではない。

だいたい「天然記念物の鳥や絶滅寸前の動物は日本に密輸してはいけない」とワシントン条約で決められている

ではないか。

第百二十二段

人の能力は、多くの書物を吸収し儒教の教えを熟知するのが第一である。次は習字で、プロを目指すわけでなく

とも教わっておいた方が良い。いずれ勉強の役に立つ。その次は医療だ。自身の健康管理だけでなく、人命を救

い、人に尽くすのは、医療の他にない。その次は、武士の六つの心得にもある射的と乗馬だ。この三つの分野は、

何が何でも習得しておく必要がある。学問と武道、そして医療は三つ巴であり、どれ一つとして欠落してはなら

ない。この道を究める人を「意味のないことをする人だ」と馬鹿にする者は、馬鹿でしかない。その次に料理が

あるが、生命にとって太陽と同じくらい重要である。料理が上手な人は、偉大な才能を授けられたと思って良い。

次に日曜大工があるが、いざという時に役立つ。

この他にも様々な能力があるが、何でもこなす超人というのは恥ずべき存在でしかない。素晴らしき詩の世界や、

101 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

音楽の超絶技巧などは、知識人達がシリアスに考えがちだが、今どきアートの力で世界征服をするのは不可能に

近い。純金はピカピカと光るだけで、鉄の利用価値に及ばないのと一緒である。

第百二十三段

無駄な時間を過ごすのは、馬鹿者とか勘違い人間と言うに値する。国のため、経営者のためと、やりたくない事

をやる羽目になる時は結構ある。その結果として、自分の時間は情けないほど少なくなる。よく考えてみれば、

人として生きていくために必要な事と言えば、一つ目は、食べ物、二つ目は、衣服、三つ目に住居ぐらいである。

世界で大切な事は、この三つ以外、糞と同じだ。餓死せず、凍死せず、雨風凌いで、静かに過ごせばそれで良い

ではないか。しかし、人間は誰でも病気になる。病に冒されると苦しくて仕方がない。そこで医療も忘れるわけ

にはいかない。衣食住に薬を加えて、四つのことがままならないのを貧乏という。四つが何とかなれば裕福とい

う。四つ以外の物欲を満たすのを強欲という。この四つ、爪に火を灯して生きていけば、誰だって「満たされな

い」などと思うだろうか?

第百二十四段

是法法師は浄土宗の僧侶の中でも一目置かれる存在でありながら、学者ぶったりせず、一心不乱に念仏を唱えて

いて、心が平和だった。理想的な姿である。

第百二十五段

人に先立たれ、中陰

後の法事をした時の話である。ある聖職者を呼ぶと、説法が有り難く、一同、涙を流して

感動した。聖職者が帰ると聴衆は、「今日の説法は格別に有り難く、感動しました」と、思うままに話し合った。

すると誰かが、「何と言っても、あれ程まで狛犬に似ていらっしゃいましたから」と言うものだから、感動も吹っ

飛んでしまい、皆で笑い転げた。こんな坊さんの誉め方があるものか。

別の話に、「人に酒を飲ますと言って、自ら先に飲み、人に無理矢理飲ませる行為は、諸刃の剣で人を斬るのと似

たようなものだ。両側に刃が付いているから、振りかぶると自分の頭を切る羽目になり、相手を斬りつける場合

ではなくなる。自分が先に酔って倒れたら、相手は酒を飲む気も失せるだろう」と言う人がいた。剣で人を斬る

実験でもした事があるのだろうか?

非常に面白い話であった。

第百二十六段

「ギャンブルで負け続け、すっかり仕上がって、全財産をぶち込もうとする相手を挑発してはならない。振り出

103 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

しに戻って、連勝するチャンスが相手にやってきたと察知すべきだ。この瞬間を感じ取るのが伝説のギャンブラ

ーというものである」と、ある人が言っていた。

第百二十七段

直してもどうにもならないものは、ぶっ壊した方がよい。

第百二十八段

大納言雅房は博学で身分の高い人格者だったので、亀山法皇は「大将にでもさせてやろう」と思っていた矢先の

ことである。法皇の取り巻きが、「今、とんでもないものを見てしまいました」と報告した。法皇が「何を見たの

だ?」と問い詰めると、「雅房の奴が鷹にエサをやるのだと、生きている犬の足を切断しているのを垣根の隙間か

ら覗いてしまったのです」と答えた。法皇は気味悪さに嫌気がさした。そして、雅房の日頃の評判も失墜し、出

世コースから弾き出されることになった。これほどの人格者が鷹をペットにしていたのは意外であるが、犬の足

の話はデマだったそうだ。冤罪は気の毒であるが、この話を聞いて嫌気がさした法皇のハートは腐っていなかっ

た。

どんな場合でも、動物を殺したり、いたぶったり、格闘させて喜んでいる輩は人間でなく、畜生がお互いに噛み

殺し合っているのと同類だ。生きとし生けるもの全て、鳥や獣、虫けらまでも、よく観察してみると、子を想い、

親を慕い、夫婦で寄り添い、嫉妬し合い、逆上し、欲張り、防衛本能が働いている健気な姿は、単純な脳味噌な

だけに、人間よりもずっと素直である。そんな動物を、いたぶり殺しても平気だとすれば異常でしかない。

全ての心ある動物を見て優しい気持ちになれないとしたら、人間ではない。

第百二十九段

孔子の一番弟子、顔回は他人に面倒をかけないことをモットーとした。どんな場面でも、人に嫌な思いをさせ、

非道い仕打ちを与えてはならず、貧乏人から希望を奪う事は許されない。しかし、子供に嘘をつき、いたぶり、

からかって気晴らしをする人がいる。相手が大人なら冗談で済むが、子供心にはトラウマになり、怖さと恥ずか

しさで壊れそうになってしまう。いたい気な子供をいたぶって喜ぶのは、真っ当な大人のすることではない。喜

怒哀楽はドーナツの穴のように実態がないが、大人になっても心の中に存在している。

身体を傷つけるよりも、心を傷つける方が人に与えるダメージは大きい。病気の多くは心が駄目になるからだ。

外から感染する病気は少ない。ドーピングで発汗しないことがあっても、恥に赤面したり、恐怖にちびりそうに

105 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

なると必ず汗がダラダラと流れ出すから、心の作用だとよくわかる。楼閣の高所で文字を書いた書道家が、骨の

髄まで灰になった例も、なきにしもあらず。

第百三十段

人間は争うことなく、自分の主張を曲げてでも人の主張を受け入れ、自分を後回しにしてでも他人を優先するの

が何よりである。

世に数多ある遊び事の中でも、勝負事が好きな人は、勝利の悦楽に浸りたいからするのである。自分の能力が相

手より優れているのが、たまらなく嬉しいのだ。だから負けた時の虚しさも身に染みるほど知っている。だから

と言って自ら進んで敗北を選び、相手を喜ばせたとしたら、もっと虚しい八百長になる。相手に悔しい気持ちを

させて楽しむのは、単なる背徳でしかない。仲間同士の戯れ合い勝負でも、本質は、友を罠にはめて自分の知能

指数を確認する為だから、とても失礼な行為である。ケチくさい宴会の与太話から始まって、仕舞いには大喧嘩

になることがよくある。これは全部、戦闘的な心の終着駅なのだ。

他人に勝ちたいのなら、脇目も振らず勉強をして知識で人に勝てば良い。しっかり勉強して世の中の仕組みが理

解できれば、利口ぶることもなく、仲間と争っても馬鹿馬鹿しいだけだと思うだろう。名誉ある閣僚入りを辞退

し、権利収入を放棄する心が働くのは、ひとえに学問のなせる技なのである。

第百三十一段

貧乏人は、金を貢ぐのを愛情表現だと思い、老いぼれは、肉体労働の役務が社会貢献だと思っている。そう思う

のは身の程知らずでしかない。自分の限界を知って、出来ない事はやらないにこしたことはない。それを許さな

いのなら、許さない人の頭が狂っているだけだ。身の程知らずにもリミッターを解除したら、自分の頭が狂って

いる証拠だ。

貧乏人が見栄を張れば泥棒になるしかなく、老人が土木作業をやり続ければ病気で死ぬのが世の常である。

第百三十二段

鳥羽新街道は鳥羽宮殿が造営された後につけられた呼び方ではない。昔からある名前なのだ。「元良親王が一般参

賀で演説した声が透き通るようで、高台の上から鳥羽新街道まで聞こえ届いた」と、鳥羽宮殿が造営される前に

記された、重明親王の日記に書いてあったそうだ。

107 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第百三十三段

天皇の寝床は東枕である。当然だが、東に向けた顔に朝日を浴びて目覚めると気分がよい。だから孔子も東枕を

した。だから、寝床の間取りは東枕か南枕にするのが一般的だ。白河上皇は北枕で眠った。「北枕は縁起が悪く、

南向きの伊勢神宮に足を向けて眠るのはいかがな事でしょうか?」と、ある人がケチをつけたそうだ。だが、伊

勢神宮の神殿は南東向きで、南ではない。

第百三十四段

高倉上皇の法華堂で念仏まみれだった坊さんに、何とかの律師という人がいた。ある日、鏡を手にして自分の顔

を注意深く見つめていると、我ながら気味悪くグロテスクなのにショックを受けた。そして、鏡までもが邪悪な

物に思えて恐ろしく二度と手にしなかった。人と会わず、修行の時にお堂に顔を出すだけで引き籠もっていたと

聞いたが、天晴れである。

頭が良さそうな人でも、他人の詮索ばかりに忙しく、自分の事は何も知らないようだ。自分の事さえ知らないの

に、他人の事など分かるわけもない。だから、自分の分際を知る人こそ、世の中の仕組みを理解している人と呼

ぶべきだ。普通は、自分が不細工なのも知らず、心が腐っているのも知らず、腕前が中途半端なのも知らず、福

引きのハズレ玉と同じ存在だということも知らず、年老いていくことも知らず、いつか病気になることも知らず、

死が目の前に迫っていることも知らず、修行が足りないことにも気がついていない。自分の欠点も知らないのだ

から、人から馬鹿にされても気がつかないだろう。しかし、顔や体は鏡に映る。年齢は数えれば分かる。だから、

自分を全く知らないわけでもない。しかし、手の施しようが無いのだから、知らないのと同じなのだ。「整形手術

をしろ」とか「若作りしろ」と言っているのではない。「自分はもう駄目だ」と悟ったら、なぜ、世を捨てないの

か?

老いぼれたら、なぜ、老人ホームで放心しないのか?「気合いの入っていない人生だった」と後悔したら、

なぜ、それを深く追及しないのか?

全てにおいて、人気者でないのに人混みにまみれるのは、恥ずかしいことである。多くの人は、無様な姿をさら

して、節操もなく表舞台に立ったり、薄っぺらな教養を持ってして学者の真似をしたり、中途半端な腕前で熟練

の職人の仲間入りをしたり、鰯雲のような白髪頭をして若者に混ざり肩を並べたりしている。それだけで足りな

いのか、あり得ないことを期待し、出来ないことを妄想し、叶わない夢を待ちわびて、人の目を気にして恐れ、

媚びへつらうのは、他人から受ける恥ではない。意味もなく欲張る気持ちに流されて、自ら進んでかく恥なのだ。

欲望が止まらないのは、命が終わってしまう大事件が、もうそこまでやって来ていることを身に染みて感じてい

ないからである。

第百三十五段

109 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

藤原資季大納言と申し上げた人が、源具氏中将に向かって、「お前が質問してくる程度のことだったら、何だって

答えてやろう」と言った。中将は「さあ、どうでしょう」と答えた。「ならば質問してみろ」と言われて、中将は、

「難しいことは少しも勉強していないので質問する術を知らないのです。ですから、日常生活の中で疑問を感じ

る、どうでもよいことを質問します」と答えた。大納言は「なんだ、この辺のどうでもいい疑問であれば、どん

な事でも華麗に解き明かして進ぜよう」と胸を張った。周囲にいた天皇の取り巻きや、女官達が「面白そうな勝

負だ。帝の御前で夕飯を賭けよう」と勝手に決めて、天覧試合となった。中将が「子供の頃から聞き慣れたこと

で、意味が分からないことがあります。『ムマノキツリヤウ、キツニノヲカ、ナカクボレイリ、クレンドウ』と言

ったりするのは、どういう意味があるのでしょうか?

教えて下さい」と質問した。大納言は「うんうん、ばり

ばり」と気張ってから、「こんなどうでもよい質問に答えても仕方がない」と誤魔化したので、中将は「

初から

難しいことは知らないので、どうでもよい質問をしますと断りました」と言った。大納言の負けになり、豪華な

食事をご馳走する羽目になった。

第百三十六段

医者の篤成が、今は亡き後宇多法皇の御前に参上し、法皇の夕餉が配膳された際に、「今ここに配膳された色々な

料理の食材の名前や栄養素を質問して下されば、何も見ずにお答え申し上げます。『食材大辞典』と比べてみて下

さい。一つも間違えずに答えてみせます」と言った。その時に、今は亡き源有房内大臣がやって来て、「この在房

も一緒に勉強をさせて下さい」と言い、「質問ですが、『しお』という漢字の部首は何偏でしたか?」と、篤成に

聞いた。篤成は得意げに「土偏です」と答えたので、内大臣は「あなたの学識が既に分かってしまいました。こ

れ以上調子に乗るのは止めて帰りなさい」と一蹴し、笑い者になった篤成は、ゴキブリのように逃げていった。

111 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

つれづれぐさ下

第百三十七段

サクラの花は満開の時だけを、月は影のない満月だけを見るものだろうか?

雨に打たれて雲の向こうに浮かぶ

月を恋しく思い、カーテンを閉め切って春が終わっていくのを見届けないとしても、また、ふんわりと優しい気

持ちになるものだ。こぼれそうなツボミの枝や、花びらのカーペットが敷かれている庭だって見所はたくさんあ

る。短歌の説明書きなどでも「お花見に行ったのですが、既に散り去っていて」とか「のっぴきならぬ事情で花

見に行けなくて」と書いてあるのは「満開のサクラを見て詠みました」と書いてある短歌に負けることがあるだ

ろうか?

花が散り、月が欠けていくのを切ない気持ちで見つめるのは自然な気持ちだが、中にはこの気持ちを

知らない人がいて「この枝も、あの枝も、花が散ってしまった。もう花見など出来ない」と騒ぐ。

この世界の事は、始めと終わりが大切なのだ。男女のアフェアだって、本能の赴くまま睦み合うのが全てだろう

か?

逢わずに終わった恋の切なさに胸を焦がし、変わってしまった女心と、未遂に終わった約束に放心しなが

ら、終わりそうもない夜を一人で明かし、恋しい人がいる場所に男の哀愁をぶっ放したり、雑草の生い茂る荒れ

果てた庭を眺めては、懐かしいあの頃を想い出したりするのが、恋の終着駅に違いない。澄み切った空に、光り

輝く満月が空を照らす景色よりも、夜明け近くまで待ち続け、やっと出た月が、妖しく青い光を放ち、山奥の杉

の枝にぶら下がったり、樹の間に影を作ったり、時折雨を降らせた雲の向こうに隠れているのは、格別に神々し

い。椎や樫の木の濡れた葉の上に、月の光がキラキラと反射しているのを見ると、心が震え、この気持ちを誰か

113 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

と共有したくなり、京都が恋しくなる。

月であってもサクラであっても、一概に目だけで見るものだろうか?

サクラが咲き乱れる春は、家から一歩も

出なくても、満月の夜は、部屋に籠もっていても、妄想だけで気持ちを増幅させることは可能だ。洗練された人

は好事家には見えず、貪ったりしない。中途半端な田舎者ほど、実体だけをねちっこく有り難がる。サクラの木

の根本にへばりついて、身をよじらせ、すり寄って、穴が空くほど見つめていたかと思えば、宴会を始め、カラ

オケにこぶしを震わせたあげく、太い枝を折って振り回したりする始末である。澄んだ泉には手足をぶち込むし、

雪が降れば、地面に降りて足跡を付けたがり、自然をあるがままに、客観的に受け入れられないようだ。

こういう田舎者が、下鴨神社の葵祭を見物している現場は、大変ちんちくりんである。「見せ物がなかなか来ない。

来るまでは観客席にいる必要もない」などと言って、奥にある部屋で酒を飲み、出前を取って、麻雀、花札など

のギャンブルに燃える。見物席に見張りを立たせておいたので、「いま通り過ぎます」と報告があった時に、あれ

よあれよと内臓が圧迫するぐらいの勢いで、お互いに牽制しながら走り、落っこちそうになるまで、すだれを押

し出して、押しくらまんじゅう。一瞬でも見逃すまいと凝視して、「ガー。ピー」と何かあるたびに奇声を発する。

行列が去ると「次が来るまで」と、見物席から消えていく。ただ単に祭の行列だけを見ようと思っているのだろ

う。一方、都会の気高い人は目を閉じて、何も見ようとしない。都会の若者たちは、主人の世話に立ったり座っ

たりして、見物を我慢している。控えのお供も、品なく身を乗り出したりせず、無理をして祭を見ようとしない。

葵祭の日だから思い思いに葵の葉を掛けめぐらせて、街は不思議な雰囲気である。そんな中、日の出に、するす

ると集まってくる車には「誰が乗るのだろうか」と思い、あの人だろうか?

それともあの人だろうか?

と、

思いを巡らせていると、運転手や執事などに見覚えのある人がいる。そして煌びやかに輝く葵の葉を纏った車が

流れて行くのを見れば、我を忘れてしまう。日が落ちる頃、並んでいた車も、黒山の人集りも、一体どこへ消え

て行くのだろうか?

人が疎らになり、帰りの車が行ってしまうと、スダレやゴザが片付けられ、目の前が淋し

くなる。そして、永遠なんて何一つ無い世の中とオーバーラップして儚い気持ちになる。行列を見るよりも、終

日、大通りの移り変わりを見るのが本当の祭見物なのだ。

見物席の前を往来している人の中に、知った顔が大勢いたので、世間の人口も、それほど多くないと思った。こ

の人達がみんな死んでしまった後に、私が死ぬ運命だったとしても、たいした時間も残されていないだろう。大

きな袋に水を入れて針で小さな穴を刺したら、水滴は少しずつ落ちるが、留まることが無いのだから

後は空に

なる。同じく、都会に生きる人の誰かが一人も死なない日など無い。毎日、死者は一人や二人では済まない。鳥

部野や舟岡、他の火葬場にも棺桶がやたら多く担ぎ込まれる日があるけれど、棺桶を成仏させない日などない。

だから棺桶業者は、作っても、作っても在庫不足に悩まされる。若くても、健康でも、忘れた頃にやって来るの

が死の瞬間である。今日まで何とか生きてこられたのは有り得ないことで、奇跡でしかない。「こんな日がいつま

でも続けばいいな」などと、田分けた事を考えている場合ではないのだ。オセロなど盤上にコマを並べている時

115 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

は、ひっくり返されるコマがどれだか分からないが、まず一カ所をひっくり返して、何とか逃れても、その次の

手順で、その外側がひっくり返されてしまう。このコマが取れる、あのコマが取れる、とやっているうちに、ど

れも取れなくなってしまい、結局は全部、ひっくり返されて、盤上は真っ黒になる。これは、死から逃れられな

いのと、非常によく似ている。兵隊が戦場に行けば、死が近いと悟って、家や自分の身体のことも忘れる。しか

し、「世を捨てました」と言って隠遁しているアナーキストが、掘っ建て小屋の前で、いぶし銀に石を置き、水を

流して庭をいじりをし、自分の死を夢にも思っていないのは、情けないとしか言いようがない。静かな山奥に籠

もっていたとしても、押し寄せる強敵、平たく言うと死の瞬間が、あっという間にやって来ないことがあるだろ

うか?

毎日、死と向かい合っているのだから、敵陣に突き進む兵隊と同じなのだ。

第百三十八段

「葵祭りが終わってしまえば、葵の葉はもういらない」と、ある人が、簾に懸けてあるのを全部捨ててしまった。

味気ないことだと思ったが、比較的まともな人がやった事なので「そんなものか」と納得しきれないでいた。し

かし、周防内侍は、

逢う日まで葵を眺め暮らせども別れが枯れて時も過ぎ去る

と歌っていた。「簾に懸けた葵が枯れるのを詠んだ」と彼女の歌集に書いてある。古い歌の説明書きに「枯れた葵

に結んで渡した」とも書いてあった。それから『枕草子』に、「過ぎ去った郷愁と言えば、枯れてしまった葵」と

いうくだりがある。何となく枯れ葉に心を奪われたのだろう。鴨長明が書いた『四季物語』にも「祭が終わって

も上等な簾に葵が懸かったままだ」とある。自然に枯れていくだけでも淋しくなるのに、何事も無かったかのよ

うに捨てたとしたら罪深い。

貴人の寝室に懸かっているくす玉がある。九月九日、重陽の節句の日に菊に取り替えるから、五月五日に匂い玉

に懸けた菖蒲は、菊の季節までそのままにしておくのだろう。中宮、研子の死後、古ぼけた寝室に菖蒲とくす玉

が懸かっていたのを見て、「中宮が生きていた頃は、くす玉に懸けた菖蒲ですが、季節外れの今は涙の玉に懸け換

えて、泣きじゃくります」と、弁乳母が詠めば、「菖蒲は今でも匂っているのに、この寝室はもぬけの殻だわ」と、

江侍従が返したそうだ。

第百三十九段

家に植えたい木は、松と桜。五葉の松も良い。桜の花は一重が良い。「いにしえの奈良の都の八重桜」は、

近、

世間に増え過ぎた。吉野山、平安京の桜は、みな一重である。八重桜は邪道で、うねうねとねじ曲がった花を咲

かせる。わざわざ庭に植えることもないだろう。遅咲きの桜も、咲き間違えたようで白ける。毛虫まみれで花を

117 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

咲かせるのも気味が悪い。梅は白とピンクが良い。一重の花が足早に咲き、追って八重咲きの花がルージュを引

くように咲くのは嬉しい。遅咲きの梅は、桜のシーズンに重なり、適当にあしらわれ、桜に圧倒されて、情けな

く悲惨である。「一重の梅が、

初に咲いて、

初に散っていくのは、見ていて潔く気持ちがよい」と、藤原定家

が軒先に植えていた。今でも定家の家の南に二本生えている。それから、柳の木も乙なものだ。初春の楓の若葉

は、どんな花や紅葉にも負けないほど煌めいている。橘や桂といった木は年代物で大きいのが良い。

草は、ヤマブキ・フジ・カキツバタ・ナデシコ。池に浮かぶのは、ハチス。秋の草なら、オギ・ススキ・キキョ

ウ・ハギ・オミナエシ・フジバカマ・シオン・ワレモコウ・カルカヤ・リンドウ・シラギク、そして黄色いキク。

ツタ・クズ・アサガオ。どれも、伸びきらず、塀に絡まらない方が良い。これ以外の植物で、天然記念物や、外

来種風の名前の物や、見たこともない花は、まるで愛でる気にもならない。

どんな物でも、珍品で、入手困難な物は、頭の悪い人がコレクションして喜ぶ物である。そんな物は、無いほう

が良い。

第百四十段

子孫に美田を残すのは、まともな人間のすることではない。下らぬ物を貯め込むのは恥であり、高価な物に心を

奪われるのは情けない。何より遺品が多いのは、傍迷惑である。「私が貰っておきましょう」などと名乗り出る者

が現れ、醜い骨肉の争いが勃発するだけだ。死後に誰かに譲ろうと思っている物があるならば、生きているうち

にくれてやれば良い。

生活必需品を持つだけで、後は何も持たない方が良いのである。

第百四十一段

悲田院の尭蓮上人は、またの名を「三浦何とか」と言い、無敵のサムライだった。ある日、故郷から客が来たの

で語り合ったところ、「東京者が言ったことは信用できるが、京都の奴らは口先ばかりで信用ならん」という話題

になった。尭蓮聖は、「あなたはそう思うかも知れませんが、長く京都に馴染むと、とりわけ都会の人間の心が荒

んでいるようには思えません。京都の者は皆、心が優しくて情にもろいから、人からお願いされてしまうと無下

に断れないようです。気が弱く言葉に詰まって頼み事を承諾してしまうのです。約束を破ろうとは微塵も思って

いないのですが、貧乏で生活もままならないから、自然と思い通りにならないのです。東京の田舎者は、私の故

郷の人々ですが、実は、心に血が通ってなく、愛情が軽薄で偏屈頑固だから、

初から嫌だと言って終わりにし

ます。田舎者は財産を貯め込んでいて裕福な人が多いので、カモにされているだけなのです」と説き伏せた。こ

の聖は、話し方に訛りがあり、荒削りで、仏の教えを細部まで理解していないように見えた。しかし、この話を

119 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

聞いて聖のことが好きになった。大勢いる法師の中で寺を持つことができたのも、このような柔軟な心の持ち主

だった結果であろう。

第百四十二段

心に血が通っていないように見える人でも、時には大したことを言ったりするものだ。乱暴者で怖そうな男が同

僚に、「子供はいるのか?」と訊ねた。「一人もいないぞ」と答えたので、「ならば世の中に満ちあふれている愛を

知らないだろう。お前が冷酷な人間に見えて恐ろしくなってきた。子供がいてこそ真の愛を知ることができるの

だ」と言った。もっともである。愛に生きる道を選んだから、こんな乱暴者にも優しい気持ちが芽生えたのだ。

親不孝者でも子を持てば、親の気持ちを思い知ることになる。

人生を捨て、身よりも無くなったオッサンがいたとする。そんな分際で、要介護の親やスネを囓る子供達に人生

を捧げ、他人に媚びへつらってゴマを擂っている人を馬鹿にすれば地獄に堕ちるだろう。本人の身になって考え

れば、心から愛する親、妻、子供のために、恥を忍び泥棒になるしかないと思う気持ちも分かるはずだ。そんな

わけで、泥棒を逮捕してボコボコにしている場合ではなく、人々が餓死・凍死をせぬよう政治の構造改革をしな

くてはならないのだ。人間は

低限の収入が無くなると、ろくな事を考えない。生活が破綻するから泥棒になる

のだ。腐った政治の下で、餓死・凍死が絶えないから前科者が増えるのだ。政治が国民を崖っぷちに追いやって

犯罪をそそのかせているのに、その罪だけを償わせるとは何事か。

ならば救済とは何か?

国を治める人が調子に乗るのを止め、豪遊も止め、国民を慈しみ、農業を奨励すればよ

い。それが、労働者の恵みになることは疑う余地もない。着る物も食べる物も間に合っている分際で献金活動な

どをしているとしたら、そいつは本当の悪人だと言ってよろしい。

第百四十三段

大往生の話を人が語っているのを聞くと、「ただ、静かに取り乱すこともなく息を引き取りました」と言えば良い

ものを、つまらない人間が、妙に変わった脚色をして、

後の言葉や動作などを勝手に改竄して誉めたりする。

死んだ本人にとっては、飛んだ迷惑でしかないだろう。

死という大事件は、神や仏でさえ決定できない。どんなに勉強しても解明できない未知の世界だ。自分さえ良け

れば、他人が何を言おうと関係ない。

第百四十四段

121 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

明恵上人が散歩をしていると、小川で男が「脚、脚」と言って、馬の脚を洗おうとしていた。上人は立ち止まり、

「有り難や。現世に降臨した神様でしょうか?

阿字阿字と宇宙を創造する言葉を唱えておられます。どのよう

な方のお馬様かお尋ねします。この上なく神聖なことでございます」と言った。男は、「フショウ殿の馬ですよ」

と答えた。「なんて嬉しいことでしょう。阿字本不生。つまり宇宙は永遠に不滅です。未来への悟りが見えてきま

した」と言って、感動で流れる涙を拭ったそうだ。

第百四十五段

秦重躬は、上皇のセキュリティ・ポリスだった。御所の警備員、下野入道信願に「落馬の相が出ています。充分

に用心なさい」と言った。信願は、「どうせ当たりもしない占いだろう」と内心バカにしていたら、本当に馬から

落ちて死んでしまった。人々は、この道何十年の専門家が言うことは神懸かっていると感心した。

そこで、「どんな相が出ていたのですか?」と誰かが聞いた。「安定感のない桃尻のくせに、跳ね癖のある馬が好

きでした。それで落馬の相を見つけたのです。何か間違っているでしょうか」と言ったそうだ。

第百四十六段

明雲住職が、人相見に向かって、「私は、もしかして武器関係の災難と関わりがあるだろうか?」と訊ねた。人相

見は、「おっしゃるとおり、その相が出ています」と答えた。「どんな相が出ているのだ」と問いつめると、「戦争

で怪我の恐れがない身分でありますのに、たとえ妄想でもそのような心配をして訊ねるのですから、これはもう

危険な証拠です」と答えた。

やはり、明雲住職は矢に当たって死んだ。

第百四十七段

「灸の痕が体中にあるのは穢らわしいので、神に仕える行事を遠慮しなくてはならない」という説は、この頃、

誰かが言い出したことである。『いざという時の冠婚葬祭辞典』にも書いてない。

第百四十八段

四十過ぎて性懲りもなく身体に灸を据えた後、足の裏を焼かないと、逆上せることがある。必ず足の裏の決まっ

た場所を焼くことだ。

123 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第百四十九段

精力剤のロクジョウを鼻に当てて匂いを嗅いではいけない。巣喰った小虫が鼻から入り、脳味噌を食べると言わ

れている。

第百五十段

これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達して

から芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一

つとしてない。

まだ芸がヘッポコなうちからベテランに交ざって、バカにされたり笑い者になっても苦にすることなく、平常心

で頑張っていれば才能や素質などいらない。芸の道を踏み外すことも無く、我流にもならず、時を経て、上手い

のか知らないが要領だけよく、訓練をナメている者を超えて達人になるだろう。人間性も向上し、努力が報われ、

無双のマイスターの称号が与えられるに至るわけだ。

人間国宝も、

初は下手クソだとなじられ、ボロクソなまでに屈辱を味わった。しかし、その人が芸の教えを正

しく学び、尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、重要無形文化財として称えられ、万人の師匠となった。

どんな世界も同じである。

第百五十一段

ある人が言っていた。「五十歳になっても熟練しなかった芸など捨ててしまえ」と。その年になれば、頑張って練

習する未来もない。老人のすることなので、誰も笑えない。大衆に交わっているのも、デリカシーが無くみっと

もない。ヨボヨボになったら、何もかも終了して、放心状態で空を見つめているに限る。見た目にも老人ぽくて

理想的だ。世俗にまみれて一生を終わるのは、三流の人間がやることである。どうしても知りたい欲求に駆られ

たら、人に師事し、質問し、だいだいの概要を理解して、疑問点がわかった程度でやめておくのが丁度よい。本

当は、はじめから何も知ろうとしないのが一番だ。

第百五十二段

西園寺の静然上人は腰が曲がり眉も真っ白だった。何とも尊いオーラを発散させながら宮中にやって来たので、

西園寺実衡内大臣は、「何という尊さだ」と羨望の眼差しを向けた。これを見た日野資朝卿が、「ただ老人でヨボ

ヨボなだけです」と言った。

125 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

何日か経って、資朝は毛が抜けてヨレヨレになり、醜く年取った犬を連れてきて、「大変尊い姿でございます」と、

内大臣にプレゼントした。

第百五十三段

京極為兼が逮捕され、兵隊に取り囲まれながら豚箱に連行された。日野資朝が、羨望の眼差しで見つめながら、「あ

あ、とても羨ましい。この世に生まれた想い出に、私もあんな目に遭ってみたい」と呟いたそうだ。

第百五十四段

この日野資朝という人が、東寺の門で雨宿りをしていた。乞食でごった返しており、彼等の手足はねじ曲がり、

反り返り、体中が変形していた。それを見て、「あちこちと珍しく変わった生き物だ。よく観察してみる価値があ

る」と、つぶらな瞳で観察したが、遂に飽きた。そして、見るのもうんざりし、不機嫌になった。「曲がっている

より、普通の真っ直ぐな人間の方が良い」と思った。帰宅してから、大好きだった盆栽を見て「自然に逆らって

クネクネ曲がっている木を見て喜ぶのは、あの乞食を見て喜ぶのと同じ事だ」と気がつき、一気に興ざめしたの

で、鉢に植えた盆栽を全部掘り起こして捨ててしまった。

わかるような気もする。

第百五十五段

一番の処世術はタイミングを掴むことである。順序を誤れば、反対され、誤解を与え、失敗に終わる。そのタイ

ミングを知っておくべきだ。ただし、病気や出産、死になると、タイミングなど無く、都合が悪くても逃れられ

ない。人は、この世に産み落とされ、死ぬまで変化して生き移ろう。人生の一大事は、運命の大河が氾濫し、流

れて止まないのと同じなのだ。少しも留まることなく未来へと真っ直ぐと流れる。だから、俗世間の事でも成し

遂げると決めたなら、順序を待っている場合ではない。つまらない心配に、決断を中止してはならない。

春が終わって夏になり、夏が終わって秋になるのではない。春は早くから夏の空気を作り出し、夏には秋の空気

が混ざっている。秋にはだんだん寒くなり、冬の十月には小春の天気があって、草が青み、梅の花も蕾む。枯葉

が落ちてから芽が息吹くのでもない。地面から芽生える力に押し出され、耐えられず枝が落ちるのである。新し

い命が地中で膨らむから、いっせいに枝葉が落ちるのだ。人が年老い、病気になり、死んでいく移ろいは、この

自然のスピードよりも速い。季節の移ろいには順序がある。しかし、死の瞬間は順序を待ってくれない。死は未

来から向かって来るだけでなく、過去からも追いかけてくるのだ。人は誰でも自分が死ぬ事を知っている。その

127 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

割には、それほど切迫していないようだ。しかし、忘れた頃にやってくるのが死の瞬間。遙か遠くまで続く浅瀬

が、潮で満ちてしまい、消えて磯になるのと似ている。

第百五十六段

大臣昇進のお披露目は、しかるべき会場を用意して開催するのが通例である。頼長左大臣は東三条殿で行った。

近衛天皇の皇居だが、会場に申請されたので、天皇は他へ避難した。親しい間柄でなくても、皇室の女性の住ま

いを借り上げるのが、古来の習わしである。

第百五十七段

筆を手に取れば自然と何かを書きはじめ、楽器を手にすれば音を出したくなる。盃を持てば酒のことを考えてし

まい、サイコロを転がしていると「入ります」という気分になってくる。心はいつも物に触れると躍り出す。だ

から冗談でもイケナイ遊びに手を出してはならない。

ほんの少しでも、お経の一節を見ていると、何となく前後の文も目に入ってくる。そして思いがけず長年の過ち

を改心することもあるものだ。もしも、今、この経本を紐解かなかったら、改心しようと思わなかっただろう。

触れることのおかげである。信じる心が全く無くとも、仏の前で数珠を手に、経本を取って、ムニャムニャして

いれば自然と良い結果が訪れる。浮つく心のまま、縄の腰掛けに陣取って座禅を組めば、気付かぬうちに解脱も

しよう。

現象と心は、別々の関係ではないのだ。外見だけでも、それらしくしていれば、必ず心の内面まで伝わってくる。

だからハッタリだとバカにしてはならない。むしろ、仰いで尊敬しなさい。

第百五十八段

「盃の底に残ったお酒を捨てるのはどうしてか知っているか?」と、ある人が訊ねた。「凝当と申しますから、底

に溜まっている酒を捨てるという意味でしょうか」と答えた。すると「それは違う。魚道と言って、魚が生まれ

た川に帰るように、口をつけた部分を洗い流すことだ」と教えてくれた。

第百五十九段

「みな結びという組紐は、二本の糸を組んで結び、それを重ねて垂らした姿が蜷という巻き貝に似ているから、

そう呼ぶのだ」と、ある人格者が言っていた。しかし、「にな」と言うのは間違いである。

129 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第百六十段

門に額縁を懸けるのを「打つ」と言うのは、よい言い方ではないのだろうか。勘解由小路二品禅門は、「額を懸け

る」と言っていた。「祭り見物の桟敷を打つ」と言うのも、討つや、撃つのようで、よくない言い方なのだろうか。

「テントの土台を打つ」と言うのは、普通に使う言葉だ。しかし、「桟敷を構える」と言った方が良いのかも知れ

ない。「護摩の火を焚く」と言うのも、「護摩」という言葉に焚くという意味が含まれているので良くない。「修行

する」とか「護摩をする」と言うのである。「行法も、清音でギョウホウと言うのは、良くない。ギョウボウと濁

音で言うのだ」と、清閑寺僧正が言っていた。普段使う言葉にも、こんな言い方が色々とある。

第百六十一段

サクラの花の盛りは、一年中で日照時間が一番短い冬至から百五十日目とも、春分の九日後とも言われているが、

立春の七十五日後が、おおよそ適当である。

第百六十二段

遍照寺の雑務坊主は、日頃から池の鳥を餌付けして飼い慣らしていた。堂の中まで餌を撒き、扉を一つ開けてお

くと、夥しいほどの鳥が誘き寄せられた。その後、自分も堂に入って鳥を閉じ込めると、捕獲しては殺し、殺し

ては捕獲した。その悲鳴がただ事では無いので、草むしりをする少年が、大人に言いつけた。村の男達がやって

来て、堂の中に突入すると、大きな雁が翼をバタバタと必死に

後の抵抗をし合っていた。この中に坊主がいて、

雁を地面に叩きつけ、首を捻って虐殺していたので、現行犯で逮捕された。判決が下りると、坊主は殺した鳥を

首からぶら下げられて、豚箱に閉じ込められた。

久我基俊が、警察庁官だった頃の話である。

第百六十三段

陰陽道で言う、陰暦九月の「太衝」は、「太」の字に点を打つべきか、打たぬべきか、専門家の間で論争になった

ことがある。盛親入道が言うには、「阿部吉平の直筆占い本の裏に書かれた記録が近衛家に残っています。そこに

は点が打ってありました」とのことだ。

第百六十四段

街中の人は、人と会えば少しの間も黙っていることができないらしい。必ず何かを話す。聞き耳を立てると、多

131 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

くは与太話である。浮ついた話。他人の悪口。そんな与太話は、他人を陥れ、自分の品格を下げるだけで糞の足

しにもならない。

そして、与太話は、心に悪影響を与えるのに気がついていないから、尚更たちが悪い。

第百六十五段

東京の田舎者が京都の人にまみれたり、京都の人が関東の片田舎で立身出世したり、所属している寺や本山を飛

び出した天台宗・真言宗の僧侶が、自分のテリトリーではない世界で、俗世にまみれているのは、見っともない

だけだ。

第百六十六段

世間の営みを見ると、ある晴れた春の日に雪だるまを作り、金銀パールで飾って、安置する堂を建てるようなも

のだ。堂の完成を待って、無事に安置できるだろうか。今、生きていると思っても、足下から溶ける雪のような

命である。それでも、人は努力が報われることを期待しているようだ。

第百六十七段

ある専門家が、違う分野の宴会に参加すると、「もし、これが自分の専門だったら、こうやって大人しくしている

ことも無かっただろう」と言ったり、勘違いしたりするのは、よくあることだ。何ともせこい心構えである。知

らないことが羨ましかったら、「羨ましい。勉強しておけば良かった」と、素直に言えばいい。自分の知恵を使っ

て人と競うのは、角を持つ獣が角を突き出し、牙のある獣が牙をむき出すのと一緒である。

人間は、自分の能力を自慢せず、競わないのを美徳とする。人より優れた能力は、欠点なのだ。家柄が良く、知

能指数が高かく、血筋が良く、「自分は選ばれた人間だ」と思っている人は、たとえ言葉にしなくても、嫌なオー

ラを無意識に発散させる。改心して、この奢りを忘れるべきだ。端から見るとバカにも見え、人から陰口を叩か

れ、ピンチを招くのが、この図々しい気持ちなのである。

真のプロフェッショナルは、自分の欠点を明確に知っているから、いつも向上心が満たされず、背中を丸めてい

るのだ。

第百六十八段

133 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

一芸に秀でた老人がいて、「この人が死んだら、この事を誰に聞いたらよいものか」と、言われるまでになれば、

年寄り冥利に尽き、生きてきた甲斐もある。しかし、才能を持て余し続けたとしたら、一生を芸に費やしたよう

で、みみっちくも感じる。隠居して「呆けてしまった」と、とぼけていればよい。

おおよそ、詳しく知る事でも、ベラベラと言い散らせば小者にしか見えず、時には間違えることもあるだろう。「詳

しくは知らないのです」とか何とか謙虚に言っておけば本物らしく、その道のオーソリティにも思われるはずだ。

ところが、何も知らないくせに、得意顔で出鱈目を話す人もいる。老人が言うことだけに誰も反撃できず、聞く

人が、「嘘をつけ」と思いながらも耐えているのには、恐怖すら覚える。

第百六十九段

「何々のしきたり、という言葉は、後嵯峨天皇の時代までは言わなかった。

近派生した単語のようだ」と、あ

る人が言っていた。しかし、建礼門院の右京大夫が後鳥羽天皇の即位の後、再び宮仕えして、「世の中のしきたり

は何も変わっていない」と書いていた。

第百七十段

たいした用事もなく人の所へ行くのはよくない。用事があったとしても長居は禁物だ。とっとと帰ろう。ずるず

る居るのは鬱陶しい。

人が対面すれば自然と会話が多くなり疲れる。落ち着かないまま、全てを後回しにして、互いに無駄な時間を過

ごす羽目になる。内心「早く帰れ」と思いながら客に接するのも良くない。嫌なら嫌と、はっきり言えばいいの

である。いつまでも向かい合っていたい心の友が、何となく、「しばらく、今日はゆっくりしよう」と言うのは、

この限りではない。阮籍が、気に食わない客を三白眼で睨み、嬉しい客を青い目で見つめたと言う話も、もっと

もなことだ。

特に用事が無い人が来て、何となく話して帰るのは、とても良い。手紙でも、「長いことご無沙汰しておりました」

とだけ書いてあれば、それで喜ばしい。

第百七十一段

神経衰弱をする人が、目の前のカードをなおざりにして、よそ見をし、他人の袖の影や膝の下を見渡していると、

目の前のカードを取られてしまう。上手な人は、他人の近くを無理矢理に取るように見えず、近くのカードばか

り取っているようだが、結局、多くのカードを取る。ビリヤードも台のカドに球を置いて、一番遠くの球をめが

135 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

けて突いても空振りだ。自分の手元に注意して、近くにある球へ筋道を定めれば、ナインボールもポケットに落

ちる。

全ての事は、外側に向かって求めると駄目になる。ただ、身の回りを固めるだけでよい。清献公の言葉にも、「今

の瞬間を

善に過ごし、未来のことを人に聞くな」とある。政治も同じ事だ。政府が、政治を疎かにし、軽はず

みな態度で、身勝手で、堕落していたら、地方は必ず反逆に出る。そうなってから緊急対策を練っても手遅れだ。

「自堕落な生活をし、自ら進んで病気になってから、神に病気を治してくれと願うのは、バカでしかない」と医

学書にも書いてある。目の前の人の苦しみを取り除き、餓えを満たし、正しく導けば、その教えが広がって、少

しずつ世界を変えるムーブメントになっていくのを知らないのだ。禹は、苗族を滅ぼそうとしたが失敗した。そ

の後、軍隊を引き上げて自国を良く治めたから、自然と苗族も見習い、感化されたのだろう。

第百七十二段

若者は血の気が多く、心がモヤモヤしていて、何にでも発情する。危険な遊びを好み、いつ壊れてもおかしくな

いのは、転がっていく卵のようだ。綺麗な姉ちゃんに狂って、貯金を使い果たしたかと思えば、それも捨て、托

鉢の真似事などをしだす。有り余った体力の捌け口に喧嘩ばかりして、プライドだけは高く、羨んだり好きにな

ったりするが、気まぐれで浮気心が強い。そして、性愛に溺れ、人情に脆い。好き勝手に人生を歩み、犬死にし

た英雄の伝説に憧れて、自分もギリギリの人生を送りたいと思うのだが、結局は、世の末まで恥ずべき噂を残す。

このように進路を誤るのは、若気の至りである。

一方、老人は、やる気がなく、気持ちも淡泊で細かいことを気にせず、いちいち動揺しない。心が平坦だから、

意味の無い事もしない。健康に気を遣い、病院が大好きで、面倒な事に関わらないように注意している。年寄り

の知恵が若造に秀でているのは、若造の見てくれが老人よりマシなのと同じである。

第百七十三段

小野小町の生涯は、極めて謎である。没落した姿は『玉造小町壮衰書』という文献に見られる。この文献は三善

清行の手によるという説もあるが、弘法大師の著作リストに記されている。大師は西暦八百三十五年に他界した。

小町が男どもを夢中にさせたのは、その後の時代の出来事だ。謎は深まるばかりである。

第百七十四段

スズメ狩りに向いている犬をキジ狩りに使うと、再びスズメ狩りに使えなくなると言う。大物を知ってしまうと

小物に目もくれなくなるという摂理は、もっともだ。世間には、やることが沢山あるが、仏の道に身をゆだねる

137 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

ことよりも心が満たされることはない。これは、一生で一番大切なことである。いったん仏の道に足を踏み入れ

たら、この道を歩く人は、何もかも捨てることができ、何かを始めることもない。どんな阿呆だとしても、賢い

ワンちゃんの志に劣ることがあろうか。

第百七十五段

世間には、理解に苦しむことが多い。何かある度に、「まずは一杯」と、無理に酒を飲ませて喜ぶ風習は、どうい

う事か理解できない。飲まされる側は、嫌そうにしかめ面をし、人目を見計らって盃の中身を捨てて逃げる予定

だ。それを捕まえて引き止め、むやみに飲ませると、育ちの良い人でも、たちまち乱暴者に変身して暴れ出す。

健康な人でも、目の前で瀕死の重体になり、前後不覚に倒れる。これが祝いの席だったら大惨事だ。翌日は二日

酔いで、食欲が無くなり、うめき声を上げながら寝込む。生きた心地もせず、記憶は断片的に無い。大切な予定

も全てキャンセルし、生活にも支障をきたす。こんなに非道い目に遭わせるのは、思いやりが無く、無礼でもあ

る。辛い目に遭わされた本人も、恨みと妬みでいっぱいだろう。もし、これが余所の国の風習で、人づてに聞い

たとしたら、異文化の不気味さに驚くに違いない。

他人事だとしても、酔っぱらいは見ていて嫌になる。用心深く、真面目そうな人でも、酔えば、馬鹿のように笑

い出し、大声で喋り散らす。カツラを乱し、ネクタイを弛め、靴下を脱いでスネ毛を風にそよがせる。普段の本

人からは想像できない醜態だ。女が酔えば、前髪をバサリとかき上げ、恥じらいもなく大口で笑い、男の盃を持

つ手にまとわりつく。もっと非道くなると、男に食べ物をくわえさせ、自分もそれを食うのだから、汚らわしい。

そして、声が潰れるまで歌い、踊るうちに、ヨボヨボな坊主が呼び出され、黒くて汚らしい肩をはだけて、ヨロ

ヨロと身体をよじって踊る。この見るに堪えない余興を喜ぶ人達が、鬱陶しく憎たらしい。それから、自分がい

かに人格者であるか、端から聞きけば失笑も辞さない話を演説し、仕舞いには泣き出す始末である。家来達は罵

倒し合い、小競り合いを始め出す。恐ろしさに呆然となる。酔えば恥を晒し、迷惑をかける。挙げ句の果てには、

いけないものを取ろうとして窓から落ちたり、車やプラットフォームから転げ落ちて大怪我をする。乗り物に乗

らない人は、大通りを千鳥足で歩き、塀や門の下に吐瀉物を撒き散らす。年を取った坊さんがヨレヨレの袈裟を

身にまとい、子供に意味不明な話をしてよろめく姿は、悲惨でもある。こんな涙ぐましい行為が死後の世界に役

立つのであれば仕方ない。しかし、この世の酒は、事故を招き、財産を奪い、身体を貪るのである。「酒は百薬の

長」と言うが、多くの病気は酒が原因だ。また、「酔うと嫌なことを忘れる」と言うが、ただ単に悪酔いしている

だけにも見られる。酒は脳味噌を溶かし、気化したアルコールは業火となる。邪悪な心が広がって、法を犯し、

死後には地獄に堕ちる。「酒を手にして人に飲ませれば、ミミズやムカデに五百度生まれ変わる」と、仏は説いて

いる。

以上、酒を飲むとろくな事がないのだが、やっぱり酒を捨てるのは、もったいない。月見酒、雪見酒、花見酒。

思う存分語り合って盃をやりとりするのは、至高の喜びだ。何もすることがない日に、友が現れ一席を設けるの

139 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

も楽しみの一つだ。馴れ馴れしくできない人が簾の向こうから、果物と一緒にお酒を優雅に振る舞ってくれたと

したら感激物だ。冬の狭い場所で、火を囲み差し向かいで熱燗をやるのも一興だ。旅先で「何かつまむ物があっ

たら」と言いながら飲むのも、さっぱりしている。無礼講で、「もっと飲みなさい。お酒が減っていませんね」と

言ってくれるのは、ありがたい。気になる人が酒好きで飲み明かせるのは、楽しい。

ともあれ、酒飲みに罪はない。ヘベレケに酔っぱらって野営した朝、家主が引き戸を開けると、寝ぼけ眼で飛び

起きる。髪を乱したまま、着衣を正す間もなく逃げる。裾をまくった後ろ姿や、細い足のスネ毛など、見ていて

楽しく、いかにも酔っぱらいだ。

第百七十六段

清涼殿の黒戸御所は、光孝天皇が即位した後、かって一般人だった時の自炊生活を忘れないように、いつでも炊

事ができるようにした場所である。薪で煤けていたので、黒戸御所と呼ぶのである。

第百七十七段

宗尊親王の御所で蹴鞠があったが、雨上がりで、庭が乾いていなかった。一同が、「どうしようか」と頭を抱えて

いると、佐々木何とかという坊主が、大量のオガ屑をトラックに積んで持ってきた。庭一面に敷き詰めると、泥

濘が気にならなくなった。人々は「こんな時のためにオガ屑を用意していたのだから、素晴らしい心がけだ」と

感心し合った。

この話を吉田中納言が聞いて、「乾いた砂の用意は無かったのか?」と質問したので、佐々木という坊主の栄光も

失墜した。素晴らしい心がけと絶賛されたオガ屑も、乾いた砂に比べてみれば、汚らしく、敷き詰められた庭の

光景も異様である。屋外イベントの責任者が、乾いた砂の準備をするのは常識なのだ。

第百七十八段

あるところのサムライ達が、女官の宮殿に神楽を見に行った。後日、その様子を人に話した。「宝剣を、誰彼が持

っていた」と話しているのを、女官が聞いて、御簾の中から、「天皇が別宅に行く際には、御座所にある剣を持っ

て行くのだ」と小声で言った。慎みのある教養だ。その女官は長い間、天皇に使えた人であった。

第百七十九段

中国に留学した道眼和尚は、仏教聖典を持ち帰った。六波羅の側にあるヤケノという場所に祭壇を造って保管し

141 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

た。特に座禅の集中講義を行ったので、その寺を「ナーランダ」と名付けた。

その上人が、「インドのナーランダの門は北向きだと、大江匡房の説が伝えられている。しかし、玄奘や法顕のル

ポルタージュには書かれていない。その他にも書いてある物を読んだことがない。大江匡房は、何を根拠にした

のだろうか。信用ならん。中国にある西明寺の門は、もちろん北向きだ」と言っていた。

第百八十段

左義長は、正月に毬を打った棒を宮中の真言院から神泉苑に持って行き焼くことである。「修行が成功したよ」と

囃すのは、神泉苑にある池で弘法大師が雨乞いに成功したことを称えているのだ。

第百八十一段

「『ふれふれこ雪、たんばのこ雪』という童謡の歌詞がある。米を挽いてふるいにかけた粉が、雪に似ているから、

粉雪と言うのだ。『丹波のこ雪』ではなく、『貯まれこ雪』と歌うのが正しいが、間違って『丹波の』と歌ってい

るのだ。その後に『垣根や木の枝に』と続けて歌うのである」と、物知りな人が言っていた。

昔から、こう歌われていたようだ。鳥羽院が幼かった頃、雪が降ると歌っていたと『讃岐典侍日記』にも書いて

ある。

第百八十二段

藤原隆親が、鮭トバを天皇の食卓に出したことがある。「このような得体の知れない物を陛下に食べさせるつもり

か」と、ケチをつける人がいた。隆親は、「鮭という魚を、差し上げてはならないのであれば問題でもあるが、鮭

を乾燥させて何が悪いのだ。鮎も天日干しにして差し上げるではないか」と反論したそうだ。

第百八十三段

人に突撃する牛は角を切り、人に噛みつく馬は耳を切り取って目印にする。その目印をつけないでおいて、人に

怪我をさせたら飼い主の罪になる。人に噛み付く犬も飼ってはいけない。これは全て犯罪になる。法律でも禁止

されているのだ。

第百八十四段

143 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

北条時頼の母は、松下禅尼と言った。ある日、息子の時頼を招待することがあった。古くなった障子の破れてい

る所を、僧尼が自ら小刀をクルクル回して切り貼りしていた。それを見た兄の義景が「私に任せなさい。某とい

う男がいるので、奴に貼らせましょう。手先が器用な男なのです」と言った。「その男だって、私の手際には敵わ

ないでしょう」と、僧尼は、障子を一マスずつ張り替え続けた。義景は、「ならば全部張り替えた方が、よっぽど

楽でしょう。このままだとマダラ模様で見苦しい」と付け加えた。僧尼は、「後で綺麗に張り替えるつもりですが、

今日だけは、わざとこのようにするのです。物は壊れた部分を修繕して使うのだと、若い時頼に注意するのです」

と答えた。なんと殊勝なことであろう。

政治の道は倹約が基本だ。禅尼は、女性ではあるが、聖人と同じ心を持つ人である。天下を統治するまでの子を

持つ親は、一般人とは違う。

第百八十五段

安達泰盛は無双の名ジョッキーだった。厩舎から引かれる馬が障害物をひらりと飛び越えるのを見ると、「この馬

は気性が荒い」と言って、鞍を他の馬に載せ換えた。また、脚を伸ばして障害物につまずく馬がいると、「この馬

は運動神経が鈍い。事故が起こる」と言い、乗ることはなかった。

乗馬を知らない人は、ここまで用心しないだろう。

第百八十六段

吉田という名乗るジョッキーが、「馬はどれも人間の手に余る。人間の力では敵わないと知っておくべきだ。始め

に、これから乗る馬をよく観察し、強い部分と弱い部分を知る必要がある。次に轡や鞍などの馬具に心配な点が

あって、気になるようなら、その馬を走らせてはならない。この用心を忘れない人をジョッキーと呼ぶ。重要な

秘訣である」と言っていた。

第百八十七段

プロフェッショナルは、例えヘッポコでも、器用なアマチュアと比べれば、絶対に優れている。油断せず、万全

に備え、対象を軽く見ることはない。我流とは違うのだ。

アートやビジネスに限らず、日常生活や気配りは、不器用でも控えめなら問題ない。反対に、器用でも、気まま

だと、失敗を招く。

145 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第百八十八段

ある人が息子を坊さんにしようと思い、「勉強をして世を理解し、有り難い話の語り部にでもなって、ご飯を食べ

なさい」と言った。息子は言われたとおり、有り難い話の語り部になるべく、

初に乗馬スクールへ通った。「車

や運転手を持つことができない身分で、講演を依頼され、馬で迎えが来た時に、尻が桃のようにフラフラしてい

たら恥かしい」と思ったからだ。次に「講演の二次会で、酒を勧められた際に、坊主が何の芸もできなかったら、

高い金を払っているパトロンも情けない気持ちになるだろう」と思って、カラオケ教室に通った。この二つの芸

が熟練の域に達すると、もっと極めたくなり、ますます修行に勤しんだ。そのうちに、有り難い話の勉強をする

時間もなくなって、定年を迎えることになった。

この坊さんだけでなく、世の中の人は、だいたいこんなものである。若い頃は様々な分野に精力旺盛で、「立派に

なって未来を切り開き、芸達者でもありたい」と、輝かしいビジョンを描いている。けれども、理想を掲げるば

かりで、実際は目先の事を片付けるのに精一杯になり、時間だけは容赦なく過ぎていく。結局、何もできないま

ま、気がついた頃には老人になっていたりする。何かの名人にもなれず、思い描いた未来は瓦解し、後悔をして

も取り返しようもない年齢だ。衰弱とは、坂道を滑り降りる自転車と同じである。

だから、一生の内にすべきことを見つけ、よく考え、一番大切だと思うことを決め、他は全部捨ててしまおう。

一つに没頭するのだ。一日、一時間の間に、仕事はいくらでも増えてくる。少しでも役立ちそうなものにだけ手

を付けて、他は捨てるしかない。大事なことだけ急いでやるに超したことはない。どれもこれもと溜め込めば、

八方塞がりになるだけだ。

例えば、オセロをする人が、一手でも有利になるよう、相手の先手を取り、利益の少ない場所は捨て、大きな利

益を得るのと同じ事だ。三つのコマを捨て、十のコマを増やすのは簡単なことである。しかし、十のコマを捨て

て十一の利益を拾うことは至難の業だ。一コマでも有利な場所に力を注がなくてはならないのだが、十コマまで

増えてしまうと惜しく感じて、もっと多く増やせる場所へと切り替えられなくなる。「これも捨てないで、あれも

取ろう」などと思っているうちに、あれもこれも無くなってしまうのが世の常だ。

京都の住人が、東山に急用があり、すでに到着していたとしても、西山に行った方が利益があると気がついたら、

さっさと門を出て西山に行くべきだ。「折角ここまで来たのだから、用事を済ませ、あれを言っておこう。日取り

も決まってないから、西山のことは帰ってから考えよう」と考えるから、一時の面倒が、一生の怠惰となるのだ。

しっかり用心すべし。

一つの事を追及しようと思ったら、他が駄目でも悩む必要は無い。他人に馬鹿にされても気にするな。全てを犠

牲にしないと、一つの事をやり遂げられないのだ。ある集会で、「ますほの薄・まそほの薄というのがある。渡辺

147 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

橋に住む聖人が、このことをよく知っている」と言う話題になった。その場にいた登蓮法師が聞いて、雨が降る

にも関わらず、「雨合羽や傘はありませんか?

貸して下さい。その薄のことを聞くために渡辺橋の聖人の所へ行

ってきます」と言った。「随分せっかちですな。雨が止んでからにすればよいではないか」と、皆で説得したとこ

ろ、登蓮法師は、「とんでもないことを言いなさるな。人の命は雨上がりを待たない。私が死に、聖人が亡くなっ

たら、薄のことを聞けなくなってしまう」と言ったきり、一目散に飛び出して、薄の話を伝授された。あり得な

いぐらいに貴重な話だ。「出前迅速、商売繁盛」と『論語』にも書いてある。この薄の話を知りたいように、ある

人の息子も、世を理解することだけを考えねばならなかったのだ。

第百八十九段

今日はあれをやろうと思っても、思いがけない急用ができて、そのまま時間を費やしてしまう。待ち人は都合が

悪く来ず、当てにしていなかった人が、ひょっこり顔を出したりする。期待通りに物事が運ばないと思っていた

ら、意外なことが成功したりする。「言うは易く行うは難し」だと思っていたら「案ずるより産むが易し」だった

り、日々の移ろいとは予想不可能だ。一年単位でも同じであり、一生もまた同じである。

前もって予想したことが、全て覆るのかと思えば、たまには予想通りに行くこともある。ますます物事の予想が

できない。ならば、全てが予想不可能だと諦めてしまえば、もっともらしく、間違いもない。

第百九十段

男は妻を持ってはいけない。「いつでも一人住まいです」と聞けば清々しい。「誰々の婿になった」とか「何とか

という女を連れ込んで同棲している」という話を聞けば、ひどく軽蔑の対象になる。「恋の病気を患って、たいし

たことの無い女に夢中になっているのだろう」と思えば、男の品格も下がる。万が一、いい女だったとすれば、「猫

可愛がりをして、神棚にでも祀っているのだろう」と思ってしまうものだ。ましてや家事を切り盛りする女は情

けなく見えて仕方がない。子供が出来しまったとしたら、可愛がる姿を想像すると、うんざりする。男の死後、

女が尼になって老け込むと、男の亡き後までも恥を晒す羽目になる。

どんな女でも、朝から晩まで一緒にいれば、気に入らなくなり、嫌になるだろう。女にしても、どっちつかずの

状態で可哀想だ。だから、男女は別居して、時々通うのが良いのである。いつまでも心のときめきが持続するだ

ろう。不意に男がやって来て、泊まったりしたら、不思議な感じがするはずだ。

第百九十一段

「夜になると、暗くてよく見えない」などと言っている人は、馬鹿に違いない。様々な物の煌めき、飾り、色合

149 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

いなどは、夜だから輝く。昼は簡単で地味な姿でも問題ない。だけど夜には、キラキラと華やかな服装がよく似

合う。人の容姿も、夜灯りで一層美しくなる。話す声も暗闇から聞こえれば、その思いやりが身に染みてくる。

香りや楽器の音も、夜になると際立ってくる。

どうでもよい夜更けに、行き交う人が清潔な姿をしているのは、この上もない。若い人は、いつ見られているか

分からないのだから、特にくつろぎ時には、普段着と晴れ着の区別なく、身だしなみに気をつけよう。美男子が

日が暮れてから髪を整え、美少女が夜更けに抜け出して、こっそりと洗面所の鏡の前で化粧を直すのは、素敵な

ことだ。

第百九十二段

神様や仏様のへ参拝は、誰もお参りしないような日の夜がよい。

第百九十三段

知識の乏しい人が、他人を観察して、その人の知能の程度を分かったつもりでいたとしたら、全て見当違いであ

る。

一般人で、碁しか取り柄の無い者が、碁が苦手な賢人を見つけ出し、「自分の才能には及ばない」と決めつけたり、

各種の専門家が、自分の専門分野に詳しくないことを知り、「私は天才だ」と思い込むことは、どう考えても間違

っている。経ばかり唱えている法師と、座禅ばかりしている法師が、お互いに牽制し、「私の修行の方が徳が深い」

と思い合っているのは、どちらも正しくない。

自分とは関係ない世界にいる人と張り合うべきでなく、批判をしてはならない。

第百九十四段

世界の道理を知る人が、人を見る目は、寸分の狂いもない。

例えば、ある嘘つきが出任せをでっち上げ、世に広め、人を騙そうとしたとする。ある人は、素直に真実だと思

い、馬鹿正直に騙される。ある人は、洗脳までされて、話に尾鰭と背鰭をつけ、ますます面倒にする。ある人は、

話を聞いても上の空。ある人は、少しおかしいと思って、信じるでもなく、信じないでもなく、曖昧にしておく。

ある人は、あり得ない話だが、人の言うことだから、そんなこともあるかも知れないと思考を停止する。ある人

は、知ったか振りをして得意げに頷き、笑うのだけど、実は何も理解していない。ある人は、嘘を見破るのだが、

151 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

「なるほど、こんなことか」と思い、自信がなくなる。ある人は、嘘だと知りながら「別にどうでもよい」と手

を叩いて笑う。ある人は、嘘だと知っているが、何も言わず、知らん振りを決め込み、知らない人と同じ態度で

いる。ある人は、嘘だと知りながら、何も追及せず、自らが嘘つきに成り代わって、人を騙す。

嘘つきが人を騙す事でさえ、それが嘘だと知る人には、答える言葉や顔つきで、話の理解具合が分かってしまう。

まして、世界の道理を知る人が見れば、我々のような悩める子羊は、手のひらを転がっているようなものだろう。

しかし、戯れ言の推察のようなことを、仏の教えに応用してはいけない。

第百九十五段

ある人が久我の畦道を真っ直ぐ歩いていると、下着姿に袴という出で立ちのオッサンが、木製の地蔵を田んぼの

水に浸して、せっせと洗っていた。何事かと思い見ていると、貴族の身なりをした男が二三人やって来た。「こん

な所にいたのですか」と言い、この人を引っ張って行った。この人とは、なんと久我の内大臣、通基公であらせ

られた。

意識がこちら側にあった頃は、優しい立派な人だった。

第百九十六段

東大寺の御輿が、東寺に新設した八幡宮から奈良に戻されることになった。八幡宮を氏神とする源氏の公家が御

輿の警護に駆けつけた。キャラバンの隊長は、かの内大臣、久我通基公である。出発にあたって、随身が野次馬

を追い払うと、太政大臣の源定実が、「宮の御前で、人を追っ払うのはいかがなものでしょうか」と咎めた。通基

は、「セキュリティポリスの振る舞いは、私たち武家の者が心得ているのでございます」とだけ答えた。

その後、通基は、「あの太政大臣は、『北山抄』に記された作法だけ読んで、『西宮記』に書いてある作法を知らな

いようだ。八幡宮の手下である鬼神の災いを恐れ、神社の前では、必ず人払いをしなくてはならない」と言った。

第百九十七段

各地の寺の僧だけでなく、宮中の下級女官まで定員がある。これは『延喜式』に書いてあることだ。「定額」とは、

定員が決まっている役人の肩書きである。

第百九十八段

153 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

名誉会長に限らず、名誉顧問なんていう役職もある。どうでもよいことだ。

第百九十九段

横川で修行した行宣法印が、「中国は音階でいうと長調の国で、短調の音がない。倭国は変短調で、長調の音がな

い」と言っていた。

第二百段

呉竹は葉が細く、河竹は葉が広い。帝の御座所の池にあるのが河竹で、宴会場に寄せて植えられたのが呉竹であ

る。

第二百一段

インドの霊鷲山には「関係者以外立ち入り禁止」と「車両乗り入れ禁止」の標識があった。山の外側に「車両乗

り入れ禁止」の標識がある。山の内側に入ると「関係者以外立ち入り禁止」の標識が立っているので一般人は入

山できない。

第二百二段

十月は「神の居ない月」と呼び、祭事を慎まなければならない、と書いてある文献はない。参考になる文章も見

つからない。もしかしたら、十月はどの神社にも祭事がないので、こう呼ばれるのだろうか。

この月には、神々が伊勢の皇大神宮に集まるという説もあるが、それも根拠がない。事実ならば、伊勢では特別

な祭でもありそうだが、それもない。十月は天皇が神社に出かけることが多くなる。しかし、ほとんどは不幸が

らみである。

第二百三段

朝廷から法によって裁かれる罪人の門に、矢を入れる靫を取り付ける習わしも、今ではなくなり、知る人もいな

い。天皇が病気の際や、世間に疫病が蔓延した際にも、五条天神に靫をかける。鞍馬寺の境内にある靫の明神も、

靫をかける神である。判決の執行係が背負う靫を罪人の家にかけると、立ち入り禁止になる。この風習がなくな

り、今では門に封をするようになった。

155 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第二百四段

変態をムチで打つ時には、拷問道具に緊縛する。ムチの打ち方は今でも伝えられているが、拷問道具の形状や緊

縛の作法について、今は知る人もいない。

第二百五段

比叡山の「大師

澄との誓約」というのは、良源僧正が書き始めたものである。「誓約書」は法律では取り扱わな

いものである。昔、聖徳太子の時代には、全て「誓約書」に基づいて行う政治はなかった。近年になり、宗教の

匂いがする政治が蔓延するようになった。

また、憲法では火や水にたいしては穢れを認めていない。容器に穢れがあるからだ。

第二百六段

藤原公孝が警視庁官だったときに話である。「ああでもない。こうでもない」と話し合い、判決を取っていると、

ノンキャリア官僚、中原章兼の車を牽く牛が逃げ出した。牛は役所の中に入り、公孝が座る台座によじ登り、口

をモゴモゴさせながらひっくり返った。その場に居た官僚どもは、「とても不吉である。牛を占い師に見せてお祓

いしなさい」と言った。それを聞いた、公孝の父君である大臣の実基が、「牛には善悪の区別がない。脚があるの

だから、どこにでも登るだろう。貧乏公務員が通勤に使う痩せ牛を取り上げても仕方がない」と言って、持ち主

の章兼に引き渡した。牛がいた場所の畳を張り替えて終わりにしたが、取り立てて縁起の悪いことも無かった。

「不吉なことがあっても、気にしなければ、凶事は成り立たない」と古い本に書いてある。

第二百七段

後嵯峨上皇が亀山御所を建築する際の話である。基礎工事を行うと、数え切れないほどの大蛇が塚の上でとぐろ

を巻いていた。「ここの主でしょう」と、現場監督が報告すれば、上皇は「どうしたものか」と、役人達に尋ねる

のだった。人々は「昔からここに陣取っていた蛇なので、むやみに掘り出して捨てるわけにもいかない」と、口

を揃えて言い合う。この、実基大臣だけは、「皇帝の領地に巣くう爬虫類が、皇帝の住居を建てると言って、どう

して悪さをするものか。蛇の道と邪の道は違うのだ。何も心配する必要は無い。掘り起こして捨てなさい」と言

った。その通り、塚を壊して蛇は大井河に流した。

当然、祟りなど無かった。

157 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第二百八段

お経など、巻物の紐を結ぶのに、上と下からタスキのように交差させて二本の間から紐の先を横に引き出すのは、

よくやる方法である。そう巻いてある巻物を、華厳院の弘舜僧正は巻き直させた。「

近流行の嫌な巻き方だ。ぐ

るぐる巻きにして、上から下へ紐の先を挟んでおけばよい」と、おっしゃる。

年寄りで、こんな事をよく知っている人だった。

第二百九段

他人の田んぼの所有権を求めて訴えていた人が、裁判に負けた。悔しさ余って、「その田を収穫前に全部刈り取れ」

と、召使いに命令した。召使いは、手当たり次第、通り道にある田を刈りながら進むので、「ここは、訴訟で負け

た田では無いのに、どうして、こんなに無茶をするのだ」と、問われた。田を刈る召使いは、「起訴して負けた田

であっても、刈り取って良いという理由はありませんが、どうせ悪事を働きに来たのだから、手当たり次第、刈

り取るのです」と言った。

その屁理屈も一理ある。

第二百十段

「カッコウは、春の鳥だ」と言うけれど、どんな鳥か詳しく書いてある本はない。ある真言宗の書物に、カッコ

ウが鳴く夜に幽体離脱を逃れる方法が記されている。この鳥はトラツグミのことだ。万葉の長歌には、「霞が立つ

春の夜長に」とあって、続けてトラツグミが歌われている。カッコウとトラツグミは似ているのだろう。

第二百十一段

何事も期待してはならない。愚か者は節操もなく頼りすぎるから、恨んだり怒ったりするのだ。権力者だからと

言って、頼ってはならない。血の気が多い人が、

初に没落するのだ。金持ちだからと言って、お願いしてはな

らない。時間が経てば貧乏になる。才能があるからと言って、期待してはならない。孔子だって、生まれた時代

が悪かった。人格者だからと言って、あてにしてはならない。顔回も、不遇の人生だった。君主に可愛がられて

も、安心してはならない。怒らせれば、その場で闇に葬られるから。家来がいても、安堵してはならない。裏切

って逃げることがよくある。人の優しさを、真に受けてはならない。必ず心変わりする。約束も、信じてはなら

ない。守られることは希である。

159 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

自分にも他人にも期待しないことだ。ラッキーな時は、ただ喜び、失敗しても、人を恨まずに済む。心を左右に

広く持てば動じず、前後に奥行きを持てば行き詰まることもない。狭い心は衝突ばかりして、傷つきやすい。少

ない気配りしか出来ない人は、何事にも反抗的で、争って自爆する。穏やかな心でいれば、身の毛、一本も損な

わない。

人間は現世を彷徨う妖精だ。世界はブラックホールのように留まることを知らない。人の心も、また同じである。

穏やかな気持ちを解放していれば、一喜一憂することなく、人に苦しめられることもないのだ。

第二百十二段

秋の月は、信じられないほど美しい。いつでも月は同じ物が浮かんでいると思って、区別をしない人は、何を考

えているのだろうか。

第二百十三段

天皇の御前に火を入れる時は、種火を火鉢で挟んではならない。素焼きの器から、直接移すのである。その際、

炭が転がらないように、用心のため炭俵を積んでおく。

天皇が石清水八幡宮を参拝した時に、お供が白い礼服を着て、いつものように手で炭を注いでいた。それを見た

物知りの者が、「白装束の日は、火箸を使っても問題ない」と言った。

第二百十四段

想夫

恋れん

という楽曲は、女が男に恋い焦がれるという意味ではない。元は「相府

蓮れん

」という。つまり当て字である。

晋の王倹が大臣だった時、家に蓮を植えて愛でながら、鼻歌交じりに歌った曲なのである。以後、中国の大臣は

「府蓮」と呼ばれるようになった。

「廻忽

かいこつ

」という楽曲も、本来は「廻鶻

かいこつ

」だった。廻鶻国という、強力な蛮族の国があった。その国の人が、中国

に征服された後に、ふるさとの音楽として演奏していたのだ。

第二百十五段

宣時の朝臣が、老後に、問わず語りをしたことがあった。「ある晩、北条時頼様から、お誘いがありました。『す

161 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

ぐ伺います』と答えたものの、上着が見つからずあたふたしていると、また使いの者が来て、『上着でも探してい

るのか。もう夜なのでパジャマで構わない。すぐに参られよ』と、言います。仕方なくヨレヨレの背広を着てノ

ーネクタイのまま伺いました。時頼様が、お銚子とお猪口を持って現れて、「この酒を一人で飲むのは淋しいから

呼び出したのだよ。酒の肴も無いのだが……。皆、寝静まってしまっただろう。何かつまむ物でもないか探して

きてくれ」とおっしゃいます。懐中電灯を持って、隅々まで探してみるとキッチンの棚に味噌が少し付いた小皿

を見つけました。『こんな物がありました』と言うと、時頼様は『これで充分』と、ご機嫌で、何杯も飲んで酔っ

ぱらいました。こんな時代もあったのですよ」と語ってくれた。

第百二十六段

北条時頼が鶴岡八幡宮へ参拝したついでに、足利義氏のところへ、「これから伺います」と使いを出して立ち寄っ

た。主の義氏が用意した献立は、お銚子一本目に、アワビ、お銚子二本目に、エビ、お銚子三本目に、蕎麦がき

だった。この宴席には、主人夫婦の他に、隆弁僧正が出席して座っていた。宴もたけなわになると、時頼は、「毎

年頂く、足利地方の染め物が待ち遠しくて仕方ありません」と言うのだった。義氏は「用意してあります」と、

百花繚乱に染め上がった三十巻の反物を広げ、その場で女官に、シャツに仕立てさせて、後で送り届けたそうだ。

それを見ていた人が

近まで生きていて、その話をしてくれた。

第二百十七段

ある大金持ちが言うには、「人は何を後回しにしても、ひたすら金儲けに徹するしかない。貧乏人は生きていても

仕方がないからだ。金持ち以外は人間ではない。富豪になりたいと思ったら、何はさておき、金持ちの心構えを

修行しよう。その心構えは、何も難しいことではない。人生は長く、間違っても、「世界は刻々と変化している」

なんて、つまらん事を考えるな。これが第一のポイントだ。次に、いつでも欲求を満たすな。生きていれば、自

分にも他人にも欲求は果てしない。欲望の赴くまま生きれば、百億円あっても、手元には少しも残らない。欲望

は無限にあり、貯金は底を尽きる。限度のある貯金で、無限の欲望に振り回されるのは不可能だ。ということで、

心に欲望が芽生えだしたら、自分を滅ぼす悪魔が来たのだと注意して、爪に火を灯せ。その次は、お金を奴隷か

何かと勘違いしていたら、貧乏を一生辞められないと思え。お金は、主人や神のように恐れ敬うもので、思い通

りに使うものではない。その次に、恥をかいてもプライドを捨てろ。そして、正直に生きて約束を守ることだ。

この心がけで金を稼ごうと思えば、乾いた物がすぐ燃えて、水が低いところに流れるように、ジャブジャブ金が

転がってくる。金が貯まって増え出すと、宴会や女遊びなどは下らなくなり、住む場所も簡素になる。欲望を追

求することなく、心穏やかで、毎日が楽しい」と宣わった。

そもそも、人は欲望を満たすために金を欲しがるのだ。金に執着するのは、あると願いが叶うからだ。欲望を我

163 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

慢し、金があっても使わないのなら、これは貧乏人と同じである。いったい何が楽しいのだろうか。しかし、こ

の大金持ちの教えは、欲望を捨て去り、貧乏を恐れるなという戒めに置き換えられそうだ。金で「願い」を叶え

て満足するよりも、むしろ「願い」がない方が優れている。インキンの人が、水で洗って「気持ちいい」と思う

より、もともとそんな病気にかからない方がよいのと一緒である。こうやって考えれば、貧乏人と金持ちは同じ

人間で、悟りと迷いも一緒で、強欲は無欲なのと似ている。

第二百十八段

狐は化けるだけでなく人に噛み付くものだ。久我大納言の屋敷では、寝ている召使いが足を噛まれた。仁和寺の

本道では、夜道を歩く小坊主が、飛びかかる三匹に噛み殺されそうになった。刀を抜いてこれを避け、二匹を刺

した。一匹を突き刺して殺したが、二匹に逃げられた。法師は散々噛まれたが、命に別状は無かった。

第二百十九段

四条大納言が「豊原竜秋という奴は、管楽器の分野においては神様のような者だ。奴が先日、こんなことを言っ

た。『浅はかで、口にするのも恥ずかしいのですが、横笛の五番の穴は、いささか信用ならないと秘かに思ってい

るのです。何故かと申せば、六番目の穴は、ミカンのミに近い音で、その上の五番目の穴は、変ト調です。その

二つの穴の中間に、ファイトのファがあります。その上にある穴はアオイソラのソで、次の穴の中間がシアワセ

のシ、二番目の中の穴と一番目の六の穴の間は神聖な音です。このように、どの穴も、穴と穴の間に半音階を潜

ませているのに、五番目の穴だけは上の穴との間に半音がありません。それでいて、他の穴と同じ間隔で並んで

いるのです。ですから、五番目の穴からは、不自然な音が出ます。この穴を吹く時は、必ず口をリードから離し

て吹かなければならないのです。それが上手くできないと、楽器が言うことを聞いてくれません。この五番目の

穴を吹きこなせる人は滅多いないのです』などと。奥深い考え方で、勉強になった。先輩は後輩を畏れよとは、

このことであるな」と、おっしゃった。

後日、大神景茂が「笙の笛は調律済みの物を手にするのだから、適当に吹いていれば音が出る。笛はブレスで音

を調整する。どの穴にも吹き方があり、しかも、演奏者は自分の癖を考えて調整するのだ。用心して吹くのは、

五番目の穴だけではない。竜秋のように、ただ単に口を離して吹けば済むなどという、簡単なことではないのだ。

適当に吹けば、どの穴も変梃な音が出るに決まっている。音の調子が、他の楽器と合わないのは、楽器に欠陥が

あるのではなく、演奏者に問題があるのだ」と、言った。

第二百二十段

「何事も、辺鄙な片田舎は下品で見苦しいが、天王寺の舞楽だけは、都に勝とも劣らない」と言う。天王寺の奏

165 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

者が、「我が寺の楽器は、正確にチューニングされている。だから響きが美しく、他の舞楽よりも優れているのだ。

聖徳太子の時代から伝わる調律の教えを今日まで守ってきたおかげである。六時堂の前に鐘がある。その音色と

完全に一致した黄鐘調の音だ。暑さ寒さで鐘の音は変わるから、釈迦入滅の二月十五日から、聖徳太子没日の二

月二十日の五日間を音の基準とする。門外不出の伝統である。この一音を基準に、全ての楽器の音色をチューニ

ングするのだ」と、言っていた。

鐘の音の基本は黄鐘調だ。永遠を否定する無常の音色である。そして、祇園精舎にある無常院から聞こえる鐘の

音なのだ。西園寺に吊す鐘を、黄鐘調にするべく、何度も鋳造した。結局は失敗して、遠くから取り寄せた。亀

山殿の浄金剛院の鐘の音も、諸行無常の響きである。

第二百二十一段

「後宇多天皇の時代には、葵祭りの警備をする放免人が持つ槍に、変梃な飾りを付けていた。紺色の布を、着物

にして四・五着ぶん使って馬を作り、尾や鬣はランプの芯を使い、蜘蛛の巣を書いた衣装などを付け、短歌の解

釈などを言いながら練り歩いた姿をよく見た。面白いことを考えたものだ」と、隠居した役人達が、今でも昔話

する。

近頃では、年々贅沢になり、この飾りも行き過ぎたようだ。色々と重たい物を、いっぱい槍にぶらさげて、両脇

を支えられながら、本人は槍さえ持てずに息を切らせて苦しがっている。とても見るに堪えない。

第二百二十二段

山科の乗願房が、東二乗院の元へ参上したときのことである。東二乗院が、「死んだ人に何かをしてあげたいので

すが、どうすれば喜ばれるでしょうか」と質問された。乗願房は、「こうみょうしんごん、ほうきょういんだらに、

と唱えなさい」と答えた。弟子達が、「どうしてあんなことを言ったのですか。なぜ念仏が一番尊いと言わないの

ですか」と責め立てる。乗願房は、「自分の宗派の事だから、軽々しいことを言えなかったのだ。正しく、なむあ

みだぶつ、と唱えれば、死者に通じて利益があると書いた文献を読んだことがない。万が一、根拠を問われたら

困ると思って、一応、経にも書いてある、この呪文を申したのだ」と答えた。

第二百二十三段

九条基家が、鶴の大臣と呼ばれるのは、幼少の頃に「鶴ちゃん」と呼ばれていたからだ。鶴を飼っていたからと

いう話は、でまかせだ。

167 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第二百二十四段

占い師の安倍有宗が、鎌倉から上京し訪ねて来た。門に足を踏み入れると、まず一言、「この庭は無駄に広い。何

の工夫もなく、けしからぬ。少し頭を使えば、何かを栽培できるだろうに。小径を一本残して、あとは畑に作り

かえろ」と説教した。

もっともな話である。少しの土地でも荒れ地にしておくのはもったいない。食べ物や薬でも植えた方がましであ

る。

第二百二十五段

舞踏家の多久資が言っていた。「藤原信西入道が、数ある舞の中から好きな物を選んで、磯の禅師という芸妓に教

えて舞わせた。白装束に匕首、黒烏帽子という出で立ちだったので、男舞と呼んだ。その芸妓の娘が静御前であ

る。母の舞を伝承したのだ。これが白拍子の起こりである。太古の神話を歌っていたが、のちに、源光行が多く

の台本を手がけた。後鳥羽院の手なる作品もあり、愛人の亀菊という芸妓に舞わせた」と。

第二百二十六段

後鳥羽院の時代のことである。地方官の行長は古典の研究に優れ、評判が高かった。しかし、漢詩の勉強会で、

白楽天の新楽府を論じた際に「七徳の舞」のうち、二つを忘れてしまい、天皇の前で恥をかいだけでなく「五徳

のお兄さん」という不名誉なあだ名まで額に烙印されてしまった。羞恥心に悶絶した行長は、勉強を辞めて、人

生も捨ててみることにした。慈円僧正という人は、一つの芸に秀でた者ならば奴隷でも可愛がったので、この行

長の面倒をみた。

『平家物語』の作者は、この行長なのだ。性仏という盲目の坊主に教えて、語り部にさせた。比叡山での事を特

に緻密に書き、義経にも詳しい。範頼の事は詳しく知らなかったのか、適当に書いている。武士や武芸について

は関東者の性仏が仲間に聞いて行長に教えた。今の琵琶法師は、この郢曲で名高い性仏の地声を真似しているの

だ。

第二百二十七段

六時の礼賛は、法然の弟子の安楽という僧が経文を集めて作り、日々の修行にしていたのが起源である。のちに、

太秦の善観房という僧がアクシデンタルを追加して楽譜にした。これが一発で昇天できるという「一念の念仏」

の始まりである。後嵯峨天皇の時代のことだ。「法事讃」を楽譜にしたのも善観房である。

169 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

第二百二十八段

千本釈迦堂で「南無釈迦牟尼仏」と念仏を唱える仏事は、亀山天皇の時代に如輪上人が始めたのだ。

第二百二十九段

名匠は少々切れ味の悪い小刀を使うという。妙観が観音を彫った小刀は切れ味が鈍い。

第二百三十段

五条の皇居には妖怪が巣くっていた。二条為世が話すには、皇居に上がることを許された男たちが黒戸の間で碁

に耽っていると、簾を上げて覗き込む者がある。「誰だ」と眼光鋭く振り向けば、狐が人間を真似て、立て膝で覗

いていた。「あれは狐だ」と騒がれて、あわてて逃げ去ったそうだ。

未熟な狐が化け損なったのだろう。

第二百三十一段

園の別当入道は、二人といない料理人である。ある人の家で見事な鯉が出てきたので、誰もが皆、別当入道の包

丁捌きを見たいと思ったが、軽々しくお願いするのもどうかと逡巡していた。別当入道は察しの良い人物なので、

「この頃、百日連続で鯉を捌いて料理の腕を磨いております。今日だけ休むわけにもいきません。是非、その鯉

を調理しましょう」と言って捌いたそうだ。場の雰囲気に馴染み、当意即妙だと、ある人が北山太政入道に言っ

た。入道は、「こんな事は、厭味にしか聞こえない。『捌く人がいないなら下さい。捌きます』とだけ言えばいい

のだ。どうして百日の鯉などと、わけの分からないことを言うのだろうか」と、おっしゃったので、納得したと

いう話に、私も納得した。

わざとらしい小細工で人を喜ばせるよりも、何もしない方がよいのだ。口実を作って接待をするのも良いが、突

然にご馳走する方が、ずっと良い。プレゼントも、記念日などではなく、ただ「これをあげよう」と言って差し

出すのが、本物の好意なのだ。もったいぶって、相手を焦らしたり、ギャンブルの景品にするのは興ざめである。

第二百三十二段

人間は何事も知らず、出来ず、馬鹿のふりをしたほうが良い。ある賢そうな子供がいた。父親がいる前で人と話

171 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

すので中国の史書から話題を引いていた。利口には見えたが、目上の人の前だといっても、そこまで背伸びする

こともなかろうと思われた。また、ある人の家で琵琶法師の物語を聞こうと琵琶を取り寄せたら柱が一つ取れて

いた。「柱を作って付けなさい」と言うと、会場にいた人格者にも見えなくはない男が、「使わない柄杓の柄はな

いか」と立ち上がった。爪を伸ばしているから、この男も琵琶を弾くのだろう。だが、盲目の法師が弾く琵琶に、

そこまで気を遣うこともない。琵琶を心得たつもりでいるのだろうと思えば、片腹痛くなった。「柄杓の柄は、わ

っぱ細工だから琵琶の柱になどにできる物ではない」という説もある。

若者は、わずかなことで、よく見え、悪くも見える。

第二百三十三段

何事でも失敗を避けるためには、いつでも誠実の二文字を忘れずに、人を差別せず、礼儀正しく、口数は控え目

でいるに超したことはない。男でも女でも、老人でも青二才でも同じ事である。ことさら美男子で言葉遣いが綺

麗なら、忘れがたい魅力になろう。

様々な過失は、熟練した気で得意になったり、出世した気で調子に乗って人をおちょくるから犯すのだ。

第二百三十四段

何かを尋ねる人に、「まさか知らないわけがない、真に受けて本当のことを言うのも馬鹿馬鹿しい」と思うからだ

ろうか、相手を惑わす答え方をするのは悪いことだ。相手は、知っていることでも、もっと知りたいと思って尋

ねているのかも知れない。また、本当に知らない人がいないとは断言できない。だから、屁理屈をこねずに正確

に答えれば、信頼を得られるであろう。

まだ誰も知らない事件を自分だけ聞きつけて、「あの人は、あきれた人だ」などと省略して言うのも良くない。相

手は何の事だかさっぱり分からないから、「何の事ですか?」と、聞き返す羽目になる。有名な話だとしても、偶

然に聞き漏らすこともあるのだから、正確に物事を伝えて何が悪いのか。

このような言葉足らずは、頭も足りない人がすることだ。

第二百三十五段

主人がある家には、他人が勝手に入って来ない。主人のない家には通りすがりの人がドカドカ押し入る。また、

人の気配が無いので、狐や梟のような野生動物も我が物顔で棲み着く。「こだま」などという「もののけ」が出現

173 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

するのも当然だろう。

同じく、鏡には色や形がないから、全ての物体を映像にする。もし鏡に色や形があれば、何も反射しないだろう。

大気は空っぽで、何でも吸い取る。我々の心も、幾つもの妄想が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。もしかした

ら、心の中身は空っぽなのかも知れない。家に主人がいるように、心にも主人がいたら、妄想が入り込む余地も

ないだろう。

第二百三十六段

京都の亀岡にも出雲がある。出雲大社の分霊を祀った立派な神社だ。志田の某という人の領土で、秋になると、「出

雲にお参り下さい。そばがきをご馳走します」と言って、聖海上人の他、大勢を連れ出して、めいめい拝み、そ

の信仰心は相当なものだった。

神前にある魔除けの獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、聖海上人は非常に感動した。「何と

素晴らしいお姿か。この獅子の立ち方は特別です。何か深い由縁があるのでしょう」と、ボロボロ泣き出した。「皆

さん、この恍惚たるお姿を見て鳥肌が立ちませんか。何も感じないのは非道いです」と言うので、一同も変だと

思い、「本当に不思議な獅子狛犬だ」とか、「都に帰って土産話にしよう」などと言い出した。上人は、この獅子

狛犬についてもっと詳しく知りたくなった。そこで、年配のいかにも詳しく知っていそうな神主を呼んで、「この

神社の獅子の立ち方は、私などには計り知れない由縁があるとお見受けしました。是非教えて下さい」と質問し

た。神主は、「あの獅子狛犬ですか。近所の悪ガキが悪戯したのですよ。困ったガキどもだ」と言いながら、もと

の向きに戻して去ってしまった。果たして、聖海上人の涙は蒸発したのだった。

第二百三十七段

道具箱の蓋の上に物を置く際には、縦に向けたり横に向けたり、物によってそれぞれだ。巻物は、溝に向かって

縦に置き、組木の間から紐を通して結ぶ。硯も縦に置くと筆が転がらなくて良い」と三条実重が言っていた。

勘解由小路家の歴代の能書家達は、間違っても硯を縦置きにしなかった。決まって横置きにしていた。

第二百三十八段

随身の中原近友が自慢話だと断って書いた、七つの箇条書きがある。全て馬術の事で、くだらない話だ。そう言

えば、私にも自慢話が七つある。

175 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

一つ。大勢で花見に行ったときの事である。

勝光院の近くで馬に乗る男がいた。それを見て、「もう一度馬を走

らせたら、馬が転んで落馬するでしょう。見てご覧なさい」と言って立ち止まった。再び馬が走ると、やはり引

き倒してしまい、騎手は泥濘に墜落した。私の予言が的中したので、連中は、たまげていた。

一つ。後醍醐天皇が皇太子だった頃の話である。万里小路の東宮御所に堀川大納言がご機嫌伺いにやって来て、

待合室で待っていた。用事があって待合室に入ると、大納言は『論語』の四、五、六巻を広げて、「皇太子様が『世

間では紫色ばかり重宝され、朱色を軽く見ているのが憎い』という話を読みたいと言うのだが、本を探しても見

つからない。『もっとよく探してみろ』と言われて困っているところだ」と言った。私が「九巻の、そこにありま

すよ」と教えてあげたら、「とても助かった。ありがとう」と言って、その本を持って皇太子様のもとへと飛んで

行った。子供でも知っているような事だけど、昔の人は、こんな些細な事も大げさに自慢したものだ。後鳥羽院

が、「短歌に袖という単語と、袂という単語を一首の中に折り込むのは悪いことでしょうか」と、藤原定家に質問

したことがあった。定家は、「古今集に『秋の草

薄が袂に見えてくる稲穂は手招きする袖のよう』という和歌が

古今集にございますので、何ら問題はないでしょう」と、答えたそうだ。わざわざ「大切な場面で記憶していた

短歌が役に立った。歌の専門家として名誉なことであり、神がかった幸運である」と、物々しく書き残している。

藤原伊通も、嘆願書に、どうでも良い経歴を書きつけて自画自賛していた。

一つ。東山、常在光院にある鐘突の鐘は菅原在兼が草案を作った。藤原行房が清書した文字を、鋳型にかたどる

時に、現場監督が草案を取りだして、私に見せた。「花の外に夕を送れば、声百里に聞ゆ」と書いてある。「韻を

踏んでいますので、この百里というのは誤りでしょう」と言ってみた。監督は、「吉田先生にお見せして良かった。

私の大手柄です」と、筆者である在兼の所へ伝えた。すると、「私の間違いだ。百里を数行に修正したい」と返事

が返ってきた。しかし、数行というのもどうだろうか。数歩という意味だろうか。覚束ない。

一つ。大勢で比叡山の東塔、西塔、横川の三塔をお参りしたときの事である。横川のお堂の中に『竜華院』と書

かれた古い額があった。「書道の名人、藤原佐理が書いたものか、藤原行成が書いたものか、どちらかが書いたも

のだと言われているのですが、はっきりしません」と、下っ端坊主がもったいぶって言うので、反射的に「行成

が書いたものであれば、裏に説明書きがあるだろう。佐理が書いたものなら、裏は空白だ」と言ってやった。裏

面はホコリまみれで蜘蛛の巣が張っていた。綺麗に掃除して、みんなで確認すると、「行成がいついつに書きまし

た」と書いてあったので、その場にいた人は感心していた。

一つ。日本のナーランダで、道眼上人がありがたい話をしたときの事である。人の心を煩わせる八つの災いとい

う話をしたのだが、その八つの災いを忘れたようで、「誰かこれを覚えている奴はいないか?」と言った。しかし、

ここの弟子の中に覚えている奴はいなかった。草葉の陰から「かくかくしかじかのことですよ」と言ってやった

ら、上人に褒められた。

177 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

一つ。賢助僧正のお供として香水を聖なる玉に注ぐ儀式を見学していたときの事である。まだ儀式が終わってい

ないのに僧正は帰ってしまった。塀の外にも見あたらず、弟子の坊主たちを引き返らせて探させたけれども、「み

んな同じような坊主の格好をしているので、探しても見つけられませんでした」と、かなり時間がかかった。「あ

あ、困ったことだ。あなたが探してきなさいと」言われて、私が引き返して、僧正をつれてきたのだった。

一つ。二月十五日の釈迦が入滅した日の事である。月の明るい夜更けに、千本釈迦堂にお参りに行き、裏口から

入って、顔を隠してお経を聴いていた。いい匂いのする美少女が人を押しよけて入ってきて、私の膝に寄りかか

って座るので、移り香があったらマズイと思って、よけてみた。それでも少女は私の方に寄り添ってくるので、

仕方なく脱出した。そんなことがあった後に、昔からあるところで家政婦をしている女が、世間話のついでに、「あ

なたは色気の無いつまらない男ね。少しがっかりしました。あなたの冷たさに恨みを持っている女性がいるので

すよ」などと言い出すので、「何のことだかさっぱりわかりません」とだけ答えておいて、そのままにしておいた。

後で聞いたところ、あのお参りの夜、私の姿を草葉の陰から見て気になった人がいたらしく、お付きの女を変装

させ、接近させたらしい。「タイミングを見計らって、言葉などをかけなさい。その様子を後で教えて。面白くな

るわ」と言いつけて、私を試したのらしいのだ。

第二百三十九段

十五夜と十三夜は牡羊座が輝いている。その頃は空気が澄んでいるから月を観賞するのにもってこいだ。

第二百四十段

人目を避けて恋路を走り、仕掛けられたトラップを突破し、暗闇の中、逢瀬を求めて性懲りもなく恋人のもとへ

と馳せ参じてこそ、男の恋心は本物になり、忘れられない想い出にも昇華する。反対に、家族公認の見合い結婚

をしたら、ただ間が悪いだけだ。

生活に行き詰まった貧乏人の娘が、親の年ほど離れた老人僧侶や、得体の知れない田舎者の財産に目がくらみ、

「貰ってくださるのなら」と呟けば、必ず世話焼きが登場する。「大変お似合いで」などと言って、結婚させてし

まうのは、悪い冗談としか思えない。こういうお二方は、ご結婚後、いったい何を話すのだろうか。長く辛い日々

を過ごし、嶮しい困難を乗り越えてこそ、問わず語りも尽きないだろう。

通常、見合い結婚は不満ばかりがつのる。美女と結婚しても、男の方に品がなく、みすぼらしく、しかも中年だ

ったら、「自分のような男のために、この女は一生を棒に振るのか」と、かえってくだらない女に見えてくる。そ

んな女と向き合えば、自分の醜さをしみじみと思い知らされて、死にたくなるのであった。

179 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

光源氏は、満開の梅の夜、小麦粉をまぶしたような月に誘われて、女の家の周りを彷徨った。恋人の家から帰る

朝、垣根の露をはらって消えそうな月を見た。こんな話にドキドキしない男は、恋愛などしてはいけないのだ。

第二百四十一段

月が円を描くのは一瞬である。この欠けること光の如し。気にしない人は、一晩でこれ程までに変化する月の姿

に気がつかないだろう。病気もまた満月と同じである。今の病状が続くのではない、死の瞬間が近づいてくるの

だ。しかし、まだ病気の進行が遅く死にそうもない頃は、「こんな日がいつまでも続けばいい」と思いながら暮ら

している。そして、元気なうちに多くのことを成し遂げて、落ち着いてから死に向かい合おうと考えていたりす

る。そうしているうちに、病気が悪化し臨終の間際で、何も成し遂げていないことに気がつく。死ぬのだから、

何を言っても仕方ない。今までの堕落を後悔して、「もし一命を取り留めることができたら、昼夜を惜しまず、あ

れもこれも成し遂げよう」と反省するのだが、結局は危篤になり、取り乱しながら死ぬのである。世に生きる人

は、大抵がこんなものだ。人はいつでも死を心に思わなければならない。

やるべきことを成し遂げてから、静かな気持ちで死に向かい合おうと思えば、いつまでも願望が尽きない。一度

しかない使い捨ての人生で、いったい何を成し遂げるのか。願望はすべて妄想である。「何かを成し遂げたい」と

思ったら、妄想に取り憑かれているだけだと思い直して、全てを中止しなさい。人生を捨てて死に向かい合えば、

煩わしさや、ノルマもなくなり、心身に平穏が訪れる。

第二百四十二段

人が性懲りもなく苦楽の間を逡巡するのは、ひとえに苦しいことから逃れて楽をしたいからである。楽とは何か

を求め執着することだ。執着への欲求はきりがない。その欲求は第一に名誉である。名誉には二種類ある。一つ

は社会的名誉で、もう一つは学問や芸術の誉れである。二つ目は性欲で、三つ目に食欲がある。他にも欲求はあ

るが、この三つに比べれば高が知れている。こうした欲求は自然の摂理と逆さまで、多くは大失態を招く。欲求

など追求しないに限る。

第二百四十三段

八歳の私は父に、「お父ちゃん。仏様とはどんなものなの」と聞いた。父は、「人間が仏になったのだよ」と答え

た。続けて私は、「どんな方法で人は仏になるの」と聞いた。父は、「仏の教え学んでなるんだ」と答えた。続け

て私は、「その仏に教えた仏は、誰から仏の教えを学んだんですか」と聞いた。父は、「前の仏の教えを学んで仏

になったのだよ」と答えた。続けて私は、「それでは

初に教えた仏は、どんな仏だったのですか」と聞いてみた。

181 徒然草 吉田兼好著・吾妻利秋訳

父は、「空から降ってきたか、土から生えてきたのだろう」と答えて笑った。後日、父は、「息子に問い詰められ

て、答えに窮したよ」と、大勢に語って喜んでいた。

新訂

二〇〇九年七月二十四日

初版第一刷発行

著者

吉田兼好

訳者

吾妻利秋

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