第3章 中心市街地における軌道街路の位置付け -平 …¹³成28年度lrt...図3...

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17 3-1 序論 3-2 平成後期の富山中心市街地軌道環状線化事業 3-3 昭和初期富山都市計画事業における軌道の位置付け 第3章 中心市街地における軌道街路の位置付け - 平成後期及び昭和初期の富山市内軌道整備事業考

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Page 1: 第3章 中心市街地における軌道街路の位置付け -平 …¹³成28年度lrt...図3 市内総曲輪地区周辺図(2016年富山市提供資料を筆者にて一部抜粋、改編)

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3-1 序論3-2 平成後期の富山中心市街地軌道環状線化事業3-3 昭和初期富山都市計画事業における軌道の位置付け

第3章 中心市街地における軌道街路の位置付け- 平成後期及び昭和初期の富山市内軌道整備事業考

Page 2: 第3章 中心市街地における軌道街路の位置付け -平 …¹³成28年度lrt...図3 市内総曲輪地区周辺図(2016年富山市提供資料を筆者にて一部抜粋、改編)

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3-1 序論

第 3 章 中心市街地における軌道街路の位置付け

富山中心市街地の軌道環状線化 本章の目的 本章の構成

 2009( 平成 21) 年、富山地方鉄道市内軌道富山都心環状線 ( 以下「都心環状線」と呼ぶ ) が新規開業した。当該路線は、図 1 の青色で示されるように、富山駅停留所を出発し、大手モールやグランドプラザ前など市内中心商業地の総曲輪 ( そうがわ ) 地区をまわり、富山駅停留所に戻ってくる路線である ( 図 2)。 都心環状線は、従来の富山地方鉄道市内軌道の従来路線に加え、図 3 の赤破線で示される、同軌道支線の丸の内停留所から同軌道本線中町 ( 西町北 ) 停留所までの延伸区間をもって開業した。延伸区間には新たに電停 3 箇所を設置し、開業とともに新型低床車両を導入し、2019 年現在、この新型車両 3 編成で運行されている。

 次節で詳しく触れるとおり、富山市の軌道環状線化事業は、ただ移動手段を簡便にする取組というだけではなく、軌道延伸区間沿線の再開発事業や、中心商業地における歩行者の回遊性を高める等の目的をもっておこなわれた。また、徒歩ではだいぶ距離の離れた富山駅周辺地区と、中心商業地である総曲輪地区との二地区を結びつける役割も果たしており、環状線化事業の目的と意義は複合的である。 上述の二地区を軌道が結びつけ、軌道周辺の地区を開発するという手法は、富山市において平成後期環状線化が初めてのことではない。富山市は数十万人の人口を支える近代都市として、風格を備えた街路や公共施設を整備していくための大規模な都市計画事業が大正期より構想され、昭和初期に実現した。 大正期より存在していた軌道は、昭和初期に都市計画上の施設と位置づけられ、軌道上の街路や橋梁、周辺建築が整備されていった。

 本章では、平成後期富山市の環状線化事業を概観するとともに、昭和初期の同市における都市計画事業に伴う軌道整備事業について、当時の写真や行政文書などの一次資料を基に、後者が前者の下地を形成していたことを見出す。この実態を見ることによって、現在の国内軌道整備事業が多くの影響を受けているストラスブール市やポートランド市等、1980 年代以降に軌道を新設した海外事例とは異なり、戦前から継続した軌道を活用しながら現代に応用していく国内独自モデルの形成に寄与することを企図する。

 2 節では、平成後期の市内軌道環状線化事業において、都市計画区域内で併用軌道区間である街路 ( 以降、便宜的に「軌道街路」と呼ぶ ) を富山市がどのように位置付けたか考察する。 続く 3 節で、昭和初期の都市計画事業の中で、富山市が当時既設の軌道を捉え直し、都市の中心として位置づけていった過程に着目する。また、富山市が昭和初期に構築した軌道および街路が、平成後期における軌道活用の基層となっていたことを指摘し、今後の国内都市における軌道の可能性を探る。

図 1 富山地方鉄道市内軌道路線図   ※青線が都心環状線

図 3 市内総曲輪地区周辺図 (2016 年富山市提供資料を筆者にて一部抜粋、改編 )   ※赤破線が都心環状線新設部分。方位とスケールは筆者にて加筆

図 2 都心環状線運行の様子

3-1 序論

Page 3: 第3章 中心市街地における軌道街路の位置付け -平 …¹³成28年度lrt...図3 市内総曲輪地区周辺図(2016年富山市提供資料を筆者にて一部抜粋、改編)

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3-2 平成後期の富山中心市街地軌道環状線化事業

第 3 章 中心市街地における軌道街路の位置付け

軌道環状線化事業の経済的枠組 同事業における景観設計

 2007( 平成 19) 年に制定された地域公共交通の活性化及び再生に関する法律の規定により、従来軌道法において認められていなかった軌道運送事業者と軌道整備事業者の分離、いわゆる軌道事業における上下分離制度が、軌道運送高度化実施計画の認定を受けることにより可能になった 1。富山市の都心環状線は、地域公共交通活性化法における軌道運送高度化事業の第一号の認定を受けた。軌道整備や車両購入に要する費用は地方自治体である富山市が負担し、民間鉄軌道会社である富山地方鉄道が運行に関する事業を担当する仕組みである。公設民営の軌道事業運営が可能になることで、既存の路線維持負担で苦しい経営状況に

 公共交通活性化を支える法律と補助金のセットにより、人口減少下にある地方都市においても新たな交通基盤の形成が可能になった。この仕組みを活用しながら、富山市は都心環状線延伸区間をトリガーにして、市内商業中心地再活性化を目指した。 図 4 の赤白線で示した延伸区間沿線を中心に商業、居住、オフィス各機能を備えた複合施設が、都心環状線開業の 2009( 平成 21) 年前後に竣工している。 環状線沿線は、再開発施設や既存公共施設を取り込みながら、それぞれの街路に適した軌道施設が設定されている。図 5 および図 6 は、そのうち

の総曲輪地区の北側に位置する、大手モール電停周辺の景観イメージ図および街路デザイン図であるが、欧米のトランジットモールを意識した、軌道を含む車道と歩道の両方に共通した舗装を施している。車道と歩道の間の柵は簡易的に着脱できるようになっていて、イベント時には柵は除かれる。イベントで一般乗用車が通行禁止になった際、この街路を通行するのは歩行者と、歩行行為の延長線上にある軌道上の電車だけになり、一時的ではあるが街路は歩行者が抵抗なく往来できるトランジットモールに変化する。 富山市が開業後、都心環状線利用者に中心市街地の滞在時間をアンケート調査した図 7 において、中心市街地での滞在が休日を中心に増加傾向にある。開業から日も浅く微視的ではあるものの、これらの施策の効果が現れている効果と捉えられる。

図 4 都心環状線周辺開発事業図 (2016 年富山市提供資料を筆者にて一部抜粋、改編)   ※赤白線が都心環状線新設区間。方位とスケール、丸抜き数字は筆者にて加筆     丸抜き数字で示された施設が、都心環状線新設に関連した再開発施設の一部

図 5 都心環状線の景観イメージ図

図 6 都心環状線の街路デザイン図 図 7 開業後の都心環状線利用者、中心市街地滞在時間推移表

3-2 平成後期の富山中心市街地軌道環状線化事業

ある民間地方鉄軌道会社は、路線新設に伴う負担増加を避けることができる。 他方で、地方自治体は、国からの補助金を活用しながら、直接軌道施設を保有、維持管理することで、長期的に安定したインフラを築くことができる。また、自治体が中心商業地と位置づけた地区に、短期的景気動向による変動を相対的に受けにくい軌道という装置を直接取り込むことにより、民間投資や外来者を呼び込むことが期待できる。こうした仕組みを利用することで、都心環状線化事業は、単に交通基盤の充実というだけでなく、中心商業地区への投資期待や高密度化などの狙いも指向されていた。

⑦ ⑨

⑤③ ④⑥

N

100m0 200m

以下、番号、施設名称、施設目的 ( 竣工年 )①プレミスト総曲輪、居住 (H22)②ユウタウン総曲輪、商業等 (H28)③総曲輪 FERIO、商業 (H19)④グランドプラザ、広場 (H19)⑤西町・総曲輪 CUBY、商業等 (H17)⑥プレミストタワー総曲輪、居住 (H31 予定 )⑦ TOYAMA キラリ、銀行・図書館等 (H27)⑧シティハウス富山西町、商業等 (H19)⑨プレミスト西町・西町プレミア、居住等 (H24)

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3-3 昭和初期富山都市計画事業における軌道の位置付け

第 3 章 中心市街地における軌道街路の位置付け

都計整備事業前と事業後の軌道の相違点 明治、大正期の市街地における軌道

 図 8 は 1919( 大正 8) 年時点の富山駅と図南側の商業地である総曲輪地区を示した市街図である。それに対し、右側の図 9 は 1934( 昭和 9) 年の都市計画上の施設として決定した、図 8 とほぼ同地域内の都市計画軌道を示したものである。 本節で主対象とする昭和初期の富山市都市計画事業以前の大正期から、軌道は既に民間電気軌道

 表 1 は富山市街地における軌道整備事業と昭和初期都市計画整備事業をまとめたものである。以降では、軌道整備に関する事項を中心に、富山市街地の推移を時系列順に追っていく。 1899( 明治 32) 年に北陸線が富山駅まで開通し、富山駅は 1908( 明治 41) 年に、現在の同駅の位置に移転した 3。神通川の左岸にある富山駅と総曲輪地区を結ぶ市内初の軌道が富山電気軌道によって、1913( 大正 2) 年に開業した。図 8 に見るように本線と支線の二つの路線が存在し、路線は環状の形を描いているが、環状系統運行はさ

れず、幅員が十分にとれない旧城下町の道路上に設置された軌道上を電車が運行していた 4。また図 8 の赤線部分で確認できるとおり、旧神通川を跨ぐ軌道上の橋梁は、歩車道上の橋梁とは別に架けられていた。 富山市は、軌道事業者の富山電気鉄道に対して、路線延長建設費補助や一部市税の減免等、開業当初より経済的便宜を図っていた 5。1920( 大正 9)には、富山電気軌道の経営不振により、軌道事業の一切が富山市に譲渡され、市内軌道は富山市営となった。

図 8 大正 8 年時の富山市街地と軌道路線図   ( 方位、スケール、黄字は筆者にて加筆 )   ※赤線が当時の軌道線、赤丸が停留所

図 9  昭和 9 年富山市街地都市計画軌道図   ( 方位、スケール、黄字は筆者にて加筆 )   ※赤線が計画された軌道線

※【】内は典拠資料,数字は根拠ページ(数字記載のないものは各資料における年表を根拠とする)  月日付表示なしの項目は時期不明。表内の下線部分は昭和初期都市計画整備事業に関与する事項を示す  【a】富山地方鉄道 ( 株 )(1983)『富山地方鉄道五十年史』 【b】富山市史編さん委員会 (1987)『富山市史 通史 下巻』   【c】富山県 (1984)『富山県史 通史編Ⅵ 近代下巻』 【d】白井芳樹 (2009)『都市 富山の礎を築く』

表 1 富山市街地の軌道及び都市計画整備事業年表

3-3 昭和初期富山都市計画事業における軌道の位置付け

会社によって運営されていた。 図 8 北側の富山駅周辺と南側総曲輪地区の間には旧神通川が位置し、二地区は物理的に寸断されていたが、図 9 の計画軌道図では神通川は富山市街地の西側を流れるように改修され、旧神通川流路は廃川地となった。廃川地の大半は平地として造成され、廃川地の右岸一部は水路として松川が設けられた 2。

年次 軌道整備に関する主要事項 軌道整備以外の昭和初期都市計画事業に関する主要事項

1913( 大正 2) 年

(5/30) 富山市内軌道敷設許可を受け、富山電気軌道 ( 株 ) 設立【a】 (9/1) 富山市内初の軌道として、富山駅前・小泉町、富山駅前・西町間開業【a】

1920( 大正 9) 年(7/1) 富山電気軌道 ( 株 ) 解散、軌道線事業を富山市に譲渡、軌道線は市営に【a】

1924( 大正 13) 年 (5/30) 富山市、都市計画法の指定を受ける【b562】1925( 大正 14) 年 (3 月 ) 都市計画富山地方委員会設立【b564】1926( 大正 15) 年   ( 昭和元 ) 年

(4 月 ) 当時の市中心地の西町電車交差点から半径 3.5km 地域が、都市計画区域と公示される【b564-565】

1928( 昭和 3) 年(10/21) 西町・東田地方間、東部線開業

【a158-159】

(3 月 ) 富岩運河を開削し、その掘削土を神通川廃川地埋立に利用し、市商工業地となる新市街地の街路事業・土地区画事業と併せて執行する旨公示される【b564-566】

1934( 昭和 9) 年・新市街地の街路事業に伴い、旧廃川地を通る橋梁等、軌道関連施設の付替工事が都市計画事業の一環として決定【b566】

1935( 昭和 10) 年(7/17) 廃川地埋立を含む土地区画整理竣工。埋立地の土地区画により一部区域の一般分譲始まる【d299】 (8/17) 廃川地の富山新県庁舎竣工【d238】

1936( 昭和 11) 年 (4/8) 廃川地の富山電気ビルディング竣工【d12】

旧神通川

富⼭駅

総曲輪地区

N

100m0 200m

図9 昭和9年富⼭市街地都市計画軌道図(⽅位、スケール、⻩字は筆者にて加

筆)※⾚線が計画された軌道線

N

100m0 200m

富⼭駅

松川

廃川地(旧神通

川埋⽴地

総曲輪地区

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昭和初期都市計画事業の軌道街路整備

 大正期に国内都市の人口は爆発的に増加し、都市の膨張に対応する都市整備を制度化するため、1919( 大正 8) 年に都市計画法が公布され、1924( 大正 13)年富山市は同法の適用を受けた 6 。1925( 大正 15)年に都市計画富山地方委員会が組織され、 1928( 昭和 3) 年には図 10 で示した西町電車交差点を中心に半径 3.5km の区域が都

図 13 昭和 14 年の旧神通川廃川地土地分譲図   ( 方位、スケール、黄字は筆者にて加筆)   ※赤塗区画が一等地、緑塗が二等地

市計画区域と位置づけられた 7 。富山市は城下町としての背景を持ち、当時の街路は幅員が狭小で屈曲が多かった 8 。前頁の図 8 と、図 9 図 10 を比べると、昭和初期の都市計画事業により、富山駅と総曲輪地区の間の街路が整備され、主要街路上には軌道が配置されたと確認できる。 都市計画区域内の軌道街路は意匠面での工夫もおこなわれた。櫻橋・西町電車交差点間 729m の軌道街路舗装工事変更許可申請の際に、富山市は花崗岩を用いた敷石の使用を鉄道省と内務省に届け出た 9 。図 11 は当該区間舗装工事設計図の一部であるが、工期 3 年の石材舗装工事費に総額19,788 円(現在の価値で約 5,000 万円 ) を要し、財政的困難にあって他の区間舗装工事を延期しながら当該区間の施工を優先させたのは、富山駅、櫻橋、西町間の交通量の増加傾向に比して従前の道路が狭隘であったと富山市長名で理由が記されている 10。図 12 は、1936( 昭和 11) 年頃に撮影された別区間の街路であるが、舗装工事が完了し

沿線の商店建築も相俟って、風格を備えた軌道街路の様子が確認できる。 1934( 昭和 9) 年に、富山駅前から、櫻橋、西町、安住橋を経由し、富山駅前に戻る全長 3.5kmの循環線(前頁図 9 赤線部分)が都市計画軌道決定された 11。軌道施設が都市計画決定対象となるのは過去に前例のない事例で 12、決定理由書には

「商業ノ中心タル西町方面」と富山駅を連絡する「市ニ於ケル交通ノ情勢ニ鑑ミ改良ノ必要アリと認ムル軌道」と位置づけられている 13 。軌道施設整備事業を都市計画事業とした理由として、「富山県知事ニ於テ執行中ノ廃川地内部都市計画街路事業」の進捗に伴い「都市計画軌道中急施ノ必要アル区間」であることが挙げられている 14。旧神通川を埋立て土地造成した廃川地の街路整備の中でも、軌道街路整備は優先度の高い事項であった。 図 13 は、一連の都市計画整備事業が終わった後に製作されたものだが、主に県所有となった旧神通川廃川地を一般に売り出した際の、土地の坪価格を現しており、赤色の区画が一等地、緑色区

N

松川

総曲輪地区

富⼭駅

安住橋

富⼭県庁 櫻橋

富⼭電気ビル

100m0 200m

⻄町電⾞交差点

図 10 昭和 11 年の富山市街地と軌道路線図              ( 方位、スケール、青字は筆者にて加筆)   ※赤実線が軌道線、白丸が停留所    

図 11 櫻橋・西町間の軌道街路舗装工事設計図 図 12 竣工後の軌道街路 ( 富山市堤町通り)        

画が二等地を意味しており、同色でも色合いが濃いとより高額である 15。濃い赤色の一等地 A は一坪平均単価が 78 円で、薄い緑色の二等地Cの 18円の 4 倍以上の価格帯になっている。当時の分譲地の多くは街路に面した区画が高い坪単価とされることが多いが、廃川地の場合にもそれが当てはまる。中でも濃い赤色の一等地は、櫻橋から北に進んだ軌道街路に面した区画である。新市街地において、軌道街路は前述した交通量の増加を受けとめる必要があると同時に、軌道の通らない街路に比べ、軌道街路の価値が高く捉えられていたことを示唆している。

N富⼭駅

安住橋

櫻橋

松川

富⼭電気ビル

県庁

100m0 200m

第 3 章 中心市街地における軌道街路の位置付け 3-3 昭和初期富山都市計画事業における軌道の位置付け

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軌道街路の二つの併用軌道橋

 前述のとおり、大正期には既に市内軌道が営業していたが、市街地拡大化と廃川地という新たな土地開発事業とを背景に、昭和初期には市直営となっていた軌道の存在が重要視されていた。 長期にわたる昭和初期都市計画事業の中で旧神通川に代わって新設された水路の松川と軌道が交差するところで新たな橋梁が架けられることになった。図 14 と図 15 は松川を渡る安住橋と櫻橋建設工事の様子を映した写真で、図 8 のとおり旧来は歩車道とは別に専用軌道橋梁として別個に存在していたのに対し、新たに架橋する安住橋と

櫻橋は街路中央に軌道が通る併用軌道橋として設計された。 図 16 と図 17 は竣工、供用開始後の安住橋と櫻橋である。いずれも併用軌道橋となったことが橋梁上の電車の存在で確認できる。両図とも橋の左側が廃川地にあたり、図 16 橋梁背後の中央上部分に富山城から移転し 1935( 昭和 10) 年に竣工した富山新県庁舎、図 17 で左上部分に日本海電気(北陸電力の前身)が本社を構える 1936( 昭和 11) 年竣工の富山電気ビルデイングが見え、軌道街路沿線開発の嚆矢となった。

 以上、概観してきたとおり、富山市においては、昭和初期都市計画事業実施時に、市街地の軌道街路で舗装工事が優先され、廃川地の軌道沿線には県庁舎、電気ビルディング等の大型オフィスが建設された。 中心市街地において、交通の要である軌道街路では、市の顔となるような美観を備えた橋梁等の施設や、一等地と位置づけられた場所には街路に見合った施設が建設され、舗装工事が施され整理された軌道沿線の商業地では図 12 に見たように、洗練されたファサードを備えた各商店が同じ様式

図 15 櫻橋建設工事の様子  図 17 竣工、供用後の櫻橋

図 16 竣工、供用後の安住橋

図 11 櫻橋・西町間の軌道街路舗装工事設計図

図 18 現在の安住橋 

図 19 現在の櫻橋  図 20 都心環状線沿いの TOYAMA キラリ

の看板を揃え、多くの歩行者が足を留めた。この当時、景観設計という言葉は使われていなかったものの、軌道街路には確かな美観意識が存在していたと言える。 前節で触れた平成後期の軌道環状線化事業は、 TOYAMA キラリ ( 図 20) など最新鋭の建築に彩られた軌道街路周辺再開発や軌道利用者が立ち寄り歩きたくなるような街路の設計などをおこなっていた。これは、昭和初期の軌道街路設計との類似点が多い。 そして、これはただ昭和初期と平成期の軌道整備事業が相似関係にあるということだけでなく、昭和初期の時点で既存の軌道を活用し、中心市街地の骨格としたことが、平成後期の軌道環状線化事業の下地となって活きてきたと捉えられる。 富山市だけでなく、国内他の軌道保有経験都市も、過去の履歴を参照しながら、軌道街路を十全に活用することが、今後の国内 LRT 導入の有効な処方箋となりうることを示唆し、本章を締めたい。

第 3 章 中心市街地における軌道街路の位置付け 3-3 昭和初期富山都市計画事業における軌道の位置付け

図 14 安住橋建設工事の様子

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2016 年 12 月に実施した富山市路面電車推進課および同市富山駅周辺地区整備課へのヒアリング、レクチャー内容を基にしている。具体的な統計や数値はヒアリング時、ならびに、事後の富山市提供資料に基づく。白井芳樹 (2009)『都市 富山の礎を築く』、技報堂出版、p.236富山地方鉄道 ( 株 ) (1983)『富山地方鉄道五十年史』、pp.100-102同書、pp.156-157同書、pp.157-158富山市史編さん委員会(1987)『富山市史通史 下巻』、pp.560-562同書、pp.564-565同書、p.5651933( 昭和 8) 年 10 月 9 日付鉄道大臣及び内務大臣決定「富山市営軌道西町、櫻橋間工事方法変更(敷石舗装)及西町、東田地方間舗装期限延期ノ件」(国立公文書館所蔵「運輸省」文書)同書1934( 昭和 9) 年 11 月 7 日付内閣総理大臣決定「富山都市計画軌道決定ノ件」、同日付内閣総理大臣決定「富山都市計画軌道事業及其ノ執行年度割決定ノ件」(いずれも国立公文書館所蔵「内閣・総理府」文書)白井芳樹 (2016)「昭和 3 年の富山都市計画 ( その 2)」『土木史研究講演集』、vol.36、p.124前掲 11 「富山都市計画軌道決定ノ件」前掲 11 「富山都市計画軌道事業及其ノ執行年度割決定ノ件」制作者不明 (1939 頃 )「神通地区県有土地分譲図」( 富山県公文書館所蔵)

1

23456789

1011

12131415

図 1

図 2図 3図 4図 5

図 6図 7図 8 

図 9 

図 10図 11

図 12

図 13

図 14

図 15図 16

図 17図 18図 19図 20

表1

2016 年富山市提供資料から一部抜粋し、筆者にて Microsoft Power Point(以下、「PP」と呼ぶ)で加筆、加工2016 年 12 月撮影図1と同様図1と同様富山市 (2009)「市内環状線化の事業概要」.p.14http://www.city.toyama.toyama.jp/data/open/cnt/3/9075/1/32kanzyousen.pdf ( 最終検索日:2019年 3 月 11 日)図 5 と同様図1と同様富山市 (1920)「大正八年富山市勢一覧」の付属図(「富山市全図」)( 富山市郷土博物館所蔵)から一部抜粋、筆者にて PP で加筆都市計画富山地方委員会 (1933)「富山都市計画軌道事業一般図」(富山県公文書館所蔵 ) から一部抜粋、筆者にて PP で加筆制作者不明 (1936 頃 )「富山市全図」 ( 富山市郷土博物館所蔵)から一部抜粋し、筆者にて PP で加筆1933( 昭和 8) 年 10 月 9 日付鉄道大臣及び内務大臣決定「富山市営軌道西町、櫻橋間工事方法変更(敷石舗装)及西町、東田地方間舗装期限延期ノ件」(国立公文書館所蔵「運輸省」文書)制作者不明 (1936 頃 )「整然たる商店街堤町通り(絵葉書 )」「躍進の富山」( 富山市郷土博物館所蔵)から一部抜粋制作者不明 (1939 頃 )「神通地区県有土地分譲図」( 富山県公文書館所蔵)から一部抜粋し、筆者にて PP で加筆1934( 昭和 9) 年 4 月 23 日付「幹二号橋(安住橋)( 写真 )」、富山県都市計画課 (1934 頃 )『アルバム』 ( 富山県公文書館所蔵)から一部抜粋1934( 昭和 9) 年 4 月 25 日付「幹三号橋(櫻橋) ( 写真 ) 」、同上冊子から一部抜粋制作者不明 (1936 頃 )「安住橋より新県庁舎遠望(絵葉書 )」前掲図 12 資料、( 富山市郷土博物館所蔵)から一部抜粋制作者不明 (1936 頃 )「櫻橋と電気ビルデング(絵葉書 )」( 富山市郷土博物館所蔵)から一部抜粋2018 年 1 月撮影2017 年 2 月撮影2016 年 1 月撮影

富山地方鉄道 ( 株 ) (1983)『富山地方鉄道五十年史』、 富山市史編さん委員会(1987)『富山市 史通史 下巻』、富山県 (1984)『富山県史 通史編Ⅵ 近代下巻』 、白井芳樹 (2009)『都市 富山の礎を築く』の記載を基にして作成

- 補注および参考文献 - 図表の出典