科学系博物館における トランス・サイエンス問題の展示等の調査 · 日...

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1. 総合研究の概要 1. 1. 研究目的および概略 本研究目的は,日本科学館において,トランス・サイエンス領域問題展示,あるい 教育プログラムを計画する場合基礎的理論構築展示可能性提言することにあ る。 日本科学系博物館では,トランス・サイエンス領域問題展示教育プログラムをほと んどっていない。トランス・サイエンス領域問題とは,科学うことはできるが,科学 だけではえられない領域問題,すなわち,デザインベイビーや出生前診断などの生命倫 理問題や, BSE 狂牛病),原子力開発など,科学技術専門家だけでは判断できない領域問題である。 今日科学技術は,人々便利さや快適さだけを提供するだけではなく,社会のあり個々人までにも,きな影響ぼしつつある。したがってこうした問題議論は,専門家だけでなく一般市民にも,参加めていかなくてはならない。そしてこれ からの科学博物館は,そのためのつなぎの役割をはたすべきである。科学博物館は,科学関心めるこれまでの啓発活動から,一歩踏んだ展示教育プログラムを提供すべ きである。 こうしたことをざして, 2005 から科学専門家一般市民との相互コミュニケーショ ンを媒介する,サイエンスコミュニケーター養成をすでにおこなってきている。しかしなが ら,まだまだ浸透しているとはいえないばかりか,誤解されており困難状況にある。こう 247 研究代表者小笠原喜康 教育学科教授研究分担者北野 秋男 教育学科教授佐藤 晴雄 教育学科教授後藤 範章 社会学科教授中里 勝芳 生命科学科教授市原 一裕 数学科教授尾崎 知伸 情報科学科教授科学系博物館における トランス・サイエンス問題の展示等の調査 平成 30 年度 人文科学研究所総合研究 研究報告

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Page 1: 科学系博物館における トランス・サイエンス問題の展示等の調査 · 日 時:2018年10月17日(木)16:00~18:00 場 所:新本館5階 小笠原研究室

1. 総合研究の概要

1. 1. 研究目的および概略

本研究の目的は,日本の科学館において,トランス・サイエンス領域問題を展示,あるいは教育プログラムを計画する場合の基礎的理論の構築と展示の可能性を提言することにある。

日本の科学系博物館では,トランス・サイエンス領域問題の展示や教育プログラムをほとんど扱っていない。トランス・サイエンス領域問題とは,科学に問うことはできるが,科学だけでは答えられない領域の問題,すなわち,デザインベイビーや出生前診断などの生命倫理問題や,BSE(狂牛病),原子力開発など,科学技術の専門家だけでは判断できない領域の問題である。今日の科学技術は,人々に便利さや快適さだけを提供するだけではなく,社会のあり方や個々人の生き方までにも,大きな影響を及ぼしつつある。したがってこうした問題の議論には,専門家だけでなく広く一般市民にも,参加を求めていかなくてはならない。そしてこれからの科学博物館は,そのためのつなぎの役割をはたすべきである。科学博物館は,科学への関心を高めるこれまでの啓発活動から,一歩踏み込んだ展示と教育プログラムを提供すべきである。

こうしたことを目ざして,2005年から科学の専門家と一般市民との相互コミュニケーションを媒介する,サイエンスコミュニケーター養成をすでにおこなってきている。しかしながら,まだまだ浸透しているとはいえないばかりか,誤解されており困難な状況にある。こう

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研究代表者:小笠原喜康(教育学科・教授)研究分担者:北野 秋男(教育学科・教授)

佐藤 晴雄(教育学科・教授)後藤 範章(社会学科・教授)中里 勝芳(生命科学科・教授)市原 一裕(数学科・教授)尾崎 知伸(情報科学科・教授)

科学系博物館における

トランス・サイエンス問題の展示等の調査

平成30年度 人文科学研究所総合研究 研究報告

Page 2: 科学系博物館における トランス・サイエンス問題の展示等の調査 · 日 時:2018年10月17日(木)16:00~18:00 場 所:新本館5階 小笠原研究室

科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

したことを踏まえて本研究では,トランス・サイエンス領域問題も含む,科学と市民をつなぐ(STS=Science, Technology, Society)教育への取り組みの科学博物館の実態を調査するとともに,国内外の博物館の展示の事例調査から,今後取り組むべき科学と社会の関係の展示と教育プログラムを多方面から理論化し,具体的な改善を提案することをめざした。

1. 2. 研究の結果

① 研究の経過

本研究では,以下のように4回の研究会と講演会をおこなうと共に,全国500館の科学系展示をおこなっている博物館にアンケート調査をおこなった。〔研究会〕

第1回研究会 日 時:2018年4月12日(木)16:00~18:00

 場 所:新本館5階 小笠原研究室 テーマ:研究推進計画の策定第2回研究会 日 時:2018年6月21日(木)16:00~18:00

 場 所:新本館5階 小笠原研究室 テーマ:研究の進捗状況について第3回研究会 日 時:2018年10月17日(木)16:00~18:00

 場 所:新本館5階 小笠原研究室 テーマ:科学論の歴史と今後の予定第4回研究会 日 時:2019年2月20日~21日(水~木)1泊2日  場 所:私学共済保養所 箱根対岳荘 テーマ:・これまでの活動の整理     ・アンケートの集計結果について     ・講演会の内容確認     ・報告書作成についての分担内容の検討     ・神奈川県立生命の星・地球博物館訪問調査〔講演会〕

テーマ:人と社会と科学の関係を考える日 時:2019年1月10日 16:00~18:00

場 所:日本大学文理学部 3号棟・3403教室演 題:サイエンスコミュニケーションはなんのために

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

       小川義和(国立科学博物館 連携推進・学習センター長)    トランス・サイエンスとサイエンスコミュニケーション       小川達也(国立科学博物館 連携推進・学習センター参加者:40名(院生・学生25,教員12,学外者3)

〔アンケート調査〕

全国の自然科学系の展示をおこなっているとみられる博物館(自然・科学技術系,動水族系,植物系,電力系,総合系,その他)500館を対象に,トランス・サイエンス展示をおこなったことがあるか,現在おこなっているか,将来おこないたいか,などのアンケート調査を12月から1月にかけて郵送でおこなった。

依頼館:500  返送館:15   回答館:282   回答率:58.14%

1. 3. 研究の考察・反省

科学博物館は,教育の面でみれば,専門家の科学者や科学的知識と一般市民をつないで,近代市民社会を担う市民を啓発・育成するのがその主たるミッションである。しかし今日その啓発の意味は,大きく変わらなくてはならない。すなわち,科学的知識が欠如している一般市民を啓発することで,科学への理解を高めようとする科学社会学でいう「欠如モデル」は,科学者と一般市民の「双方向コミュニケーションモデル」へと変わらなくてはならない。とりわけ,福島第一原子力発電所事故(通称:フクイチ)を経験した我が国にとって,「安全神話」からの脱却は喫緊の課題である。なぜなら「安全神話」は,科学者の責任であるとともに,一般市民の責任でもあるからである。したがってこれは,単に科学を批判してすむことではない。科学と科学技術は,私たちの生活の向上に大きく寄与してきた。それは批判されるべきではない。21世紀を迎え,私たちの生活は,これから今まで以上に科学技術に依存するようになることは明らかである。人工知能,ビッグデータの活用,自動運転技術,IoT,ロボット,個別化医療など,これからの社会を一変させるであろうと予想されている。こうした考えから本研究では,展示によって科学技術の問題を市民と共に考えるにはどの

ような課題があるのかを探究することとした。そのために,本研究が目ざしたのは,2点である。第1点目は,ますます科学技術が日常の中に入り込むばかりか,人生の選択にまで関与するようになっている現在,これを博物館において問うことの意味を探究することである。第2点目は,現在の日本でこのことがどのくらい意識されて,実際に展示に反映されているかどうかを探ることである。第1の課題は,講演会や四度にわたる研究会によって,共通の理解にいたっており,ある程度達成された。しかしながら,それをどのように展示すべきであるかという具体的な問題については,十分に検討できなかった点が反省される。

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

第2の課題は,全国500館という日本で初めて調査をおこない,約60%の回答を得た。その結果,最初思っていたよりも多くの博物館で取り組む姿勢があることが明らかとなり,むしろ意外な結果になった。しかしながら,予算的なこともあり,海外ばかりか国内についても実地に調査ができなかった点は残念であった。また研究の継続を求めて,多摩六都科学館,東京大学大学院農学生命科学研究科附属・生態調和農学機構,神奈川県立生命の星・地球科学館との連携で,新しい展示の準備を進めていたが,研究審査の方針や予算が変更になったために,継続が認められず,調査で終わらざるをえなかったことは,極めて残念であった。

2. 本研究の意義:トランス・サイエンス問題と博物館

小笠原 喜康2. 1. 科学系博物館の近代社会における役割

(1)今日の時代

学校教育では,これからもいわば「欠如モデル」にたった基礎的科学リテラシーの涵養が重要であることは確かである。しかしながら,科学系博物館では従来の「欠如モデル」からの脱却が必要ではないか。というのもこれまでは,科学技術が豊かさ・便利さ・快適さを提供してきたのに対して,これからは一人一人に生き方の選択をせまるようになるからである。人工知能やロボットを,生活の中でどのように活用していくかは,単に「便利」というだけではすまされない問題をつくりだす。象徴的にいえば,人工知能によって全てが予測可能なら,生きている意味をどこに見出すのか。全てがロボットで済むなら,人はいらないのか。遺伝子診断による個別化医療の浸透は,一見するとより良いようにみえるが,出生前診断にみるように,それは直接的に私たちに生き方と命の選択をせまることになる。こうした問題を市民が考える場として,もっとも身近で直接的なのは科学博物館ではない

だろうか。とすればこの問題への取り組みは,果たして進んでいるのか,そして進めるためにはどうすべきなのか,それを考えなくてはならない。こうしたことから本研究では,基礎的実態を調査するとともに,哲学・社会学・教育学・数学・生命科学といった多方面からの理論研究をすすめたい。それは,すぐには改善に結びつかなくても,文理学部という本学部が率先して進めなくてはならない研究であると思われる。

(2)科学系博物館の歴史と今日の役割

科学系博物館は,近代国家の発展とともに次の二つの段階を歩んできた。

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

すなわちこれまでは,第1段階の啓蒙はもちろん,その変化系としての「欠如モデル」においても,科学系博物館の展示の基本は「知らせる展示」であった。しかし今日の世界,とりわけこれからの世界は,科学技術がさらに深く,生活のあらゆる場面に密接に入り込み,出生前診断や遺伝子検査に代表されるように,人生の選択にまでも深くかかわってくる。こうした時代の科学系博物館は,もはや科学知識の普及を図るだけでは,その使命を果たせなくなってきている。

本研究は,こうした認識にたって,これからの科学系博物館は第3の段階,すなわち市民とともに科学を考え,それを通じて市民各々の自己実現を図る場となるべきではないかと考える。本研究の意義は,その場へと転換するための一つの方法として,これまでのような「知らせる展示」から脱却する「問いかける展示」の開発を試みることにある。

近代国家は,科学技術が作りだす物語,『ポスト・モダンの条件』で知られるレオタールのコトバでいえば,「大きな物語」を追い求めることで発展してきた。18世紀の百科全書派による啓蒙思想により出発した近代国家は,19世紀において,科学技術の開発をその発展の基軸にすえた。日本においても,明治に始まる近代教育において最も重視されたのは,科学教育であった。上野の国立科学博物館が,かつては「東京教育博物館」と称していたことは,その端的な現れである。本研究の意義は,上記の「問いかける展示」によって,その明治からの科学博物館の役割を根本から問い直すことにある。現代につながる科学技術の発展は,18世紀の第2次科学革命に始まる。その様子は,野家

啓一によれば,「科学の制度化」といわれる。「科学者」というコトバが造語され,それまで他に仕事をもちながら研究をしていた人びとが,科学者として独立するようになる。それを支えたのが国家による制度化された様々な働きかけであった。この時期,理工系大学,理工系学協会,自然系博物館・動物園,万国博覧会,これらが以下のように相次いで設立・開催される。

〔理工系大学の設立〕 〔理工系学協会の設立〕

〔動物園・科学博物館の設立〕

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

〔万国博覧会の開催〕1851 ロンドン万国博覧会 1867 パリ万国博覧会1853 ニューヨーク万国博覧会 1873 ウィーン万国博覧会1855 パリ万国博覧会 1876 アメリカ独立記念万国博覧会1862 ロンドン万国博覧会 1878 パリ

こうしてみると,19世紀がいかに科学の時代,それも第2次科学革命の時代であったかがわかる。しかしこの後,ヨーロッパ学問の危機が訪れる。19世紀末からの学問運動,現象学的人間理解の中のフッサールらの動き,そしてレオタールがいうところの,物理学の相対性論,不確定性論の登場に始まるパラロジーへの道,すなわち理論の絶対性ではなく並び立つポストモダンの方向が明確になってくる。こうして科学の学問としての絶対性・特異性・不変性の地盤が揺らぎ始める。もちろんその途中では,論理実証主義に代表される,科学的実証をその根底にすえようとする運動もあった。だが,思想運動としては失敗し,その後のネオ・プラグマティズムの興隆をへて,今日の思想的ポストモダンへとつながることとなる。上記は,理論的・思想的変化であったが,19世紀末から20世紀中頃にかけて,誰の目にも見える科学の問題も明らかになってくる。それは,科学の力がもたらす災厄の問題である。象徴的にいえば,ダイナマイト,毒ガス,原子爆弾の登場である。そしてまた,マイケル・ファラデーが取り組んだ,川の汚染に代表される公害問題。日本でも,1900年の田中正造の国会演説「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」が知られる。そして近年では,戦後の高度成長経済下で発生した,四大公害事件,光化学スモッグなどの公害,そしてなんといってもフクイチが記憶に新しい。

2. 2. トランス・サイエンス領域問題と科学教育問い直しの動向

(1)トランス・サイエンス領域問題

科学技術が私たちの生活の隅々にまで入り込み,生き方そのものにも及んでいる今日,AI

技術や生命科学技術などの進歩が,これからの私たちにどのような課題を迫るのか,それを来館者の市民に考えてもらうことが,新たな科学系博物館の課題であると思われる。本研究では,これまでの科学系博物館では,ほとんど顧みられることのなかったトランス・サイエンス問題の展示を開発して,今後のあるべき方向を提案したい。トランス・サイエンス問題とは,核物理学者Alvin Martin Weinberg (1915 – 2006)によっ

て,1972年にその著 “Nuclear Reactions: Science and Trans-Science” において提唱された概念である。これは,直訳すれば「科学を超えた問題」であるが,「科学に問うことはできるが,科学だけでは答えられない問題」と定義される。ワインバーグは,科学で答えられる問題と,

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

答えられない問題をきちんと分けるべきであることを示した。ただしこのことは,科学を批判せよということではない。科学では答えられない問題の場合には,専門家以外の市民を巻き込んだ,社会的討議が必要であるということである。ワインバーグの著作は,1972年であるが,同年には,ローマクラブの報告書『成長の限界』

が発表された。1906年のハーバー・ボッシュ法の発明により窒素肥料が作られ,食料の安定供給を可能にして今日の人口爆発を引き起こすとともに,硝酸の大量供給を可能にして戦争を長引かせているともいわれる。どちらにしても,今後の科学技術の展開については,科学者ばかりに,その責を負わせる時代ではなくなってしまったのである。今日の私たちの生活は,正にこうした問題に取り囲まれている。その後,この提起を受け

て,科学者と市民とが共に話し合って,科学技術の開発のあるべき方向を考えるという運動が展開された。ただしこれは,科学を否定したり,逆に畏怖する運動ではない。科学技術をどのように開発していけばいいかを,一緒に考えるむしろ前向きの検討である。本研究でも,この姿勢を強調しておきたい。日本は,3.11の福島原発事故を抱えているが,

科学技術を忌み嫌うのではなく,明日のよりよい社会のために,どのように開発していくべきかを話し合うコンセンサス作りが最も重要である。本研究の試みは,その土台を提供するためのものである。

いうまでもなく,フクイチを経験した我が国にとって,この「トランス・サイエンス問題」に取り組むことは,喫緊の課題であるだろう。だがこの問題に対して小林傳司は,次のように提案する。

しかし,今回の原発事故に関しては,一般市民を巻き込んだ社会的討議の前になすべきことがあると思う。原子力発電技術のような巨大技術を社会に実装して利用していくためには,この技術がもたらす社会的影響,メリットとデメリットなどを多角的に検討することが必要であり,それらの作業は本来,文系,理工系を問わず各種の専門家がまずもって取り組むべきものなのである。(下線筆者,小林 , 2012, p. 20)

確かに,巨大技術に限らず,今日の科学技術に関する問題は,非常に社会的に影響があるとともに,一部の専門家だけではなく各分野・方面の専門家の検討を要する事ばかりである。生命倫理問題では,「遺伝子診断」とりわけ日本でも一般化しつつある「出生前診断」の問題,そして「卵子凍結保存」にかかわる「デザインベイビー」問題などがある。情報科学や数学の問題では,昨年から急激にマスコミを賑わすようになった人工知能(AI)とロボット問題,ビッグデータの利用問題があり,かつインターネットの普及は,これまでの社会論が通用しないネット社会問題を提起している。しかしこうした様々な新たな,しかも喫緊の問題に対して,「文系,理工系を問わず各種

の専門家」の取り組みも,科学と市民をつなぐ専門家としての科学博物館の取り組みも,十

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

分に対応できていないのが実情ではないだろうか。もちろん,フクイチ問題に取り組むのは時期尚早であるだろう。しかしこの「トランス・サイエンス問題」は,原子力問題の観点からすでに1970年代に提起されており,DNA組み換え技術の遺伝子操作問題についての「アシロマ会議」は,1975年のことである(北田 , 2011)。日本に限って見ても,今日の北京を笑えない公害問題は,1960年代のことである。申請者も,60年代後半に高校で,工場地帯の水質調査によって公害問題に取り組んで,報告書を作成した経験がある。もちろんこうした科学技術と社会との関係問題について,科学系博物館がなにもしてこなかったわけではない。それは次の三つに分けられる。  ・ 公害問題を取り扱う専門資料館(水俣病資料館,四日市公害と環境未来館など)での

展示  ・ 自然史系博物館における地球温暖化やオゾン層の破壊による環境問題,動植物の絶滅

問題  ・ サイエンスコミュニケーターの育成による市民との対話の模索科学系博物館では,こうした活動をすでにおこなってきてはいる。だが,公害展示は一部に限られ,環境問題も科学的事実としての展示であって,必ずしも一般市民を巻き込むことにはなっていないのが現状ではないだろうか。またサイエンスコミュニケーターの育成もまだ始まったばかりで,肝心の市民の方では展示解説員と同じと捉える傾向に留まっている。そしてなにより,科学系博物館の大きな部分を占める科学技術系の博物館や科学センターといったところの展示や教育活動は,依然として科学的知識の啓発が中心である。しかし3.11のフクイチ以来,これまでの学校教育を中心とした啓発的教育活動は見直され

つつある。文部科学省も,平成24年4月3日付けで,「全ての学校関係者の皆様へ 平野文部科学大臣からのメッセージ」を発表しており,その中で次のように訴える。

この大震災と原発事故を通じて,日本の教育の在り方も,当然見直すべきところは大きく見直していく必要が出てくると私は考えています。/一例ですが,科学技術がどのように人々の役に立つのか,またその限界や危険性は何かなどを含めた視点から,人間生活と科学技術の在り方を共に考える教育を一層重視していく必要があるかと思います。/防災,防犯や安心・安全に関わる教育は,それぞれの教科等の学習と連動させながら,「いのちを守る教育」として改めて考えていくべきかもしれません。/自然と共生できる新しい日本社会を作っていくためには,どのような教育の形が必要なのかを,皆さんと共に考えていきたいと思います。/どうか,皆さんの知恵を出していただき,新しい日本の教育の形を作っていこうではありませんか。(下線筆者)

しかしこうした危機意識にも関わらず,フクイチから6年を経て,早くも忘れ去られようとしているかに見える。むしろ「風評被害」「除染」「それほどでも」「昔はもっとだった」と

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

いった中和言説が増えてきているうえ,避難者に対して「自己責任」論まで飛び出す始末である。私たちは,こうした現状を踏まえて,トランス・サイエンス問題領域を社会教育活動として,あるいはSTS(Science, Technology, Society)教育の問題として調査し,それを理論問題として考察することで,そこから少しでも展示改善の示唆を得たい。

(2)科学教育の問い直しの先行研究

こうした問題は,公害問題への取り組みという点においては,田中正造の1900年の国会演説「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」から数えれば,すでに100

年以上の歴史をもつ。海外では,1825年に始まるイギリスのマイケル・ファラデーの金曜レクチャーや,子ども向けのクリスマス・レクチャーが有名であるが,STS教育が取りざたされるようになったのは,アメリカにおいて1970年代からである。日本では,1980年代後半に紹介されるようになって,一時は盛んに研究されたが,その後は下火になってしまっている(下図参照)。しかし,1999年に開催された世界科学会議「ブタペスト会議」で採択された,「科学と科学知識の利用に関する宣言」が出され,以下の4点の科学の役割が示された。  1. 知識のための科学・進歩のための知識  2. 平和のための科学  3. 発展のための科学  4. 社会の中の科学と社会のための科学こうした背景の中で2005年以降,日本でも科学離れ対策もあって,北大・早稲田・東大の3大学や,国立科学博物館や科学未来館で,サイエンスコミュニケーター養成が始まる。それと並行して,サイエンス・カフェも盛んに開かれるようになっていった。こうした,科学の専門家と一般市民の相互交流をめざす活動の研究は,日本では2015年に「サイエンスコミュニケーション協会の研究(代表・高安礼士)によって,『科学系博物館におけるサイエンスコミュニケーション活動調査研究報告書』としてまとめられている。この研究では,その

図 1 STS教育研究・実践の文献の発表数の変遷(内田・鶴岡 , 2014, p. 33)

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

調査研究のまとめとして次のようなことが述べられている。

6. 調査研究のまとめ及び提言

本調査研究においては,科学系博物館におけるサイエンスコミュニケーション活動について,アンケート及びインタビュー等による実態調査を行ったものである。その結果分かったことは,

ア. 科学系博物館におけるサイエンスコミュニケーション活動は,個人文脈である「科学を楽しむ」分野では活発な事業展開がある。

イ. 一方,先進科学の紹介や社会的なテーマについての活動や事業は思ったほど進んでいない。

ウ. その理由としては,館のミッションとなっていないこと,その種の事業を進める人材がいない,などを理由としている。

エ. 学校との連携は定着しつつあるが,図書館等の関連機関との連携はさほど進んでいない。連携する範囲が限られている理由は,テーマ設定が限られているからと推定できる。

オ. 社会構造の変化に対応する科学館の在り方が明確にさこのような分析を受け,各地で先進的な取り組みを行う機関及び地域の活動を実

地調査したことを参考にして中長期的な取り組みとして以下の3 点を提案したい。① 科学系博物館の社会的役割が変化することを教育普及事業に反映させる。② 利用者に「学ぶ」だけではなく「学習成果を社会的に還元する」ためのサイエンスコミュニケーションの在り方を構築する。

③ サイエンスコミュニケーターの養成講座の実施を通じて科学館自身の活動範囲の拡大を図る。 (下線筆者 , 高安 , 2015.03, ⅳ)

上記の先行研究は,サイエンスコミュニケーションの活動が,必ずしも順調にいってはいないことを示している。その原因としてあげられているア~オの中,注目すべきはイとウである。すなわち,イでは「先進科学の紹介や社会的なテーマについての活動や事業は思ったほど進んでいない」としており,ウでは「その種の事業を進める人材がいない」ことを挙げている。

サイエンスコミュニケーションは,これまでの「欠如モデル」ではなく,「相互コミュニケーションモデル」にたった,科学の専門家と一般市民を橋渡しすることを目差している。だがコミュニケーターがそうした理念で語りかけても,参加者はそれに応えることは少ないのが現状である。大学でも同じであるが,日本の今の文化では,自分の意見をきちんとのべることには強い抵抗がある。子どもの頃から染み付いた正解主義は,自分の意見をのべることを抑制してしまう。こうした現状では,専門家と市民が対等に渡り合うということは,極めて

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

難しいと言わざるを得ない。高安らの調査研究は,そのことを明確に描き出している。ではどうすればいいのか。日本人は自分の意見も考えも持っていないのか。科学をブラクックボックスにして,その成果だけを享受すればいいと思っているのか。もちろん,そうではないだろう。確かに正解主義からはなかなか抜け出せないとしても,現代の急激な変化や科学的な問題について,様々な疑問を感じ,それなりに問題点を考えているはずである。ましてフクイチ以降は,絆を大切に思いながらも,「風評」だといわれながらも,福島産の野菜などを買うことに,ためらいを感じているのが現実であるだろう。とするならば,いま必要なのは,なれない相互コミュニケーションを求めることよりも,博物館の原点である展示を通じて語りかけるべきではないだろうか。展示を通じて問題を提示し,その問題に参加してもらう,問いを出す展示が必要なのではないか。現代の科学問題は,すぐには答えを出せないことが多い。しかしそうであるからこそ,答えを教えたり,擬似的発見をうながすようなこれまでの展示ではなく,共に問題を考える展示が必要なのではないか。それは,21世紀の私たちの一人一人の生き方・幸せ感の問いになるはずである。本研究では,先行研究を踏まえつつ,原点にかえって展示による相互コミュニケーションのあり方を理論と実際例から考えて見たい。本研究の独創性はここにある。

〈参考文献〉

内田隆・鶴岡義彦(2014)「日本における STS教育研究・実践の傾向と課題」『千葉大学教育学部研究紀要』62: 31~ 49

北田薫(2011.02)「組換え DNA論争史に学ぶ STS教育:大学一般教育課程での授業実践報告」北海道大学大学院教育学研究院教育方法学研究室『教授学の探究』28: 1-35

小林傳司(2007.06)『トランス・サイエンスの時代:科学技術と社会をつなぐ』NTT出版小林傳司(2012.05)「トランス・サイエンスの時代の学問の社会的責任」『学術の動向:SCJフォー

ラム』17(5): 18-24

高安礼士(2015.03)『科学系博物館におけるサイエンスコミュニケーション活動調イエンスコミュニケーション活動に関するアンケート調査』(一般社団)サイエンスコミュニ

ケー

文部科学省 HP(2017.0718取得)「全ての学校関係者の皆様へ 平野文部科学大臣からのメッセージ」http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1319422.htm

3. トランス・サイエンス領域展示の調査の概要

北野 秋男全国の自然科学系の展示をおこなっているとみられる博物館(自然・科学技術系,動水族

系,植物系,電力系,総合系,その他)500館 に対して,2018年12月~2019年1月にかけて,郵送によっておこなった。

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

自然・科学系 231 46%

動水族計 119 24%

植物系 38 8%

電力系 28 6%

総合系 67 13%

その他 17 8%

計 500  

アンケート依頼館種別割合

科学系展示をおこなっているとみられる博物館は,「科学」の名前を冠してなくても様々にありうる。とりわけトランス・サイエンス領域問題となると,その範囲は一意的に決めることができなくなる。したがって館・園の選択においては,美術関係を除いて,ホームページを確認できるところを,ゼミ学生の助力によってすべてピックアップし,その内容をみて選び出した。しかし,最終的に500館に限定する十分に客観的な基準はない。アンケートの郵送においては,下記の4点を同封し,その内容も限定して,回答葉書に書き込んで投函するだけで回答できるようにした。以下その内容を提示する。なお,トランス・サイエンス問題例一覧は,某大学の人文・社会・理工の学生・院生が受講する授業において,提案してもらったものをベースにしている。その中の分類項目は筆者においておこなった。これは,当然重複・複合のある問題であるので,あくまで一つの目安に過ぎない。

  ・アンケートのお願い  ・トランスサイエンスについて  ・トランス・サイエンス問題例一覧  ・アンケート回答ロング葉書

以下に,郵送したものの中から,〔トランスサイエンスについて〕と〔トランス・サイエンス問題例一覧〕と〔アンケート内容〕について紹介する。また自由記述を求めた問2と問3に

ついても表記通り紹介する。アンケート結果の分析については,次節においてのべる。

〔トランスサイエンスについて〕

この研究では,トランス・サイエンス問題「科学に問うことはできるが,科学だけでは答

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

えられない問題」についての「問をだして共に考える」展示がなされているか,あるいは近

い将来とりくみたいかについての実態と希望を調査することを目的としています。科学技術の発達は,近年ますます私たちの生活に密着するとともに,生殖医療に代表され

るように,私たちの生き方の選択にまで影響を及ぼすようになってきています。また度重なる自然災害,そして大きな課題であるエネルギーと環境問題,などなど私たちのこれからの生活を根本から考えなくてはならない問題も山積しています。とりわけ私たちの日本では,3.11の原子力発電所事故を経験し,改めて科学技術のあり方を考えなくてはならなくなっています。こうした問題は,単に科学技術の恩恵を享受するだけではすまされません。科学技術について正しく理解するとともに,一般市民が科学者とともに考えていかなくてはなりません。これまでもサイエンスカフェなどで,こうした市民との対話はおこなわれてきました。しかしそうした場に集まる市民は,科学問題に強い関心をもつ人々に限られがちです。そこで博物館の基本である展示によって,市民に語りかけることはできないだろうかという考えから,例えば日本科学未来館では,「オピニオン・バンク」や「ともに進める医療」などの展示によって,来館者に科学問題を考えていただく展示をおこなっています。これまでも,環境問題や公害問題を伝える展示は多くおこなわれてきました。それらの展

示では,科学的事実を正しく伝えることに主眼をおいてきました。しかしトランス・サイエンス問題には,こうすべきだという答えはありません。立場や考え方によって,人それぞれの意見があります。原子力発電所を稼働すべきかどうかでも,市民において様々な意見・立場があります。遺伝子組み換え食物のおかげで,安定した食料確保ができるとともに,その影響を懸念する意見もあります。こうした問題は,すぐには結論がでないものが大半です。しかしだからこそ,私たちみんなが話し合っていくことが重要です。科学の問題は難しいからと,その成果だけを享受するだけではすまされません。別紙「トランス・サイエンス問題例」にありますように,こうした問題は多種多様にあります。科学博物館においても,いままでのように科学の成果を正しく伝えることの他に,こうした問題を展示していくことが,これから求められるのではないでしょうか。

お忙しいこととは存じますが,現在の状況と今後のお考えをお聞かせいただければと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

*** アンケート回答は,同封のロング葉書にてお願いします。***

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

〔トランス・サイエンス問題例一覧」

下記の項目を一覧表の形で提示した。

分野名 トランス・サイエンス問題例食品 遺伝子組み換え 人工甘味料・添加物 健康食品 霜降り肉と失明牛 食品輸入健康 電磁波の影響 太陽光発電低周波 電子機器による視力・聴力 水素水 電子タ

バコ

医療 延命治療  脳死判定 高額医療 インプラント  安楽死・尊厳死 人体改造 整形 医療の発達と高齢化

生殖 代理母 精子提供 クローン工学 デザイナーベイビー 出生前診断環境 ジオエンジニアリング 気象操作 廃棄物処理 宇宙デブリ 窒素肥料とCO2

農業開発問題 ペットボトル プラスティック人権・倫理 ネット広告 SNS ビックデータの活用 監視カメラ 実験動物 ペット問題

遺伝子病理検査 適性・能力遺伝子検査 AI利用判決教育 タブレット教育利用 GoogleHome 人工現実感 ネット依存交通 自動運転 電車網の発達 リニア交通システム 宇宙観光開発エネルギー 原子力発電 太陽光発電 燃料電池用水素精製とCO2 揚水発電社会システム 人工知能 科学技術の格差拡大問題 ネットの巨大化 認証技術 耐震基準

消費社会システム コピー技術 3Dプリンター 防災問題  電子マネー ベーシックインカム 本の再販制度 服の流行による廃棄処分 廃棄ロス問題

ロボット 介護ロボット ロボット兵器 産業ロボット ドローン

〔アンケート内容〕

アンケートにおいては,次節4で紹介する内容をロング葉書に印刷して同封した。

〔問 2の自由記述の内容〕

館種 記述内容自然・科学系 発電に関するもの(手回し発電も可),光害について自然・科学系 災害発生時の避難所における生活を再現し,来館者に考察を促すコーナー自然・科学系 ソエルくんの太陽電池発電シミュレーション自然・科学系 外来種問題,自然保護と土地開発自然・科学系 農業開発と土壌流出,失われる緑,太陽光発電の外洋・意義,実際の発電量自然・科学系 廃棄物処理装置(自社開発)自然・科学系 海洋環境について(天然せっけん等)

自然・科学系 展示されたメッセージを読んで,環境について各自が考え意見を書いてもらい,またそれを掲示する。

自然・科学系 宇宙デブリ自然・科学系 環境問題・防災問題に関して。森林の保護・保全について

自然・科学系当館は,地球の営みの中での数億年前~現在進行中の変動に至る,日本列島の地史をテーマにしています。地球を学ぶことそのものが,その中で人はどのように生きるべきかという問いかけを含むものと考えます。

自然・科学系 プラスティックゴミについて ウミガメの誤飲など。自然・科学系 「原子力発電の安全性について」という展示品があった。自然・科学系 噴火と観光と暮らし

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

自然・科学系

全国科学館連携協議会巡回パネル展#Lesson3.11あの時,そして5年間で起きたこと~7年目の選択(震災,原子力の利用や放射線について)。企画展「昆虫の世界」(虫の毒の利用や食用利用としての将来について)。企画展「きのこふしぎ発見」(きのこの役割や毒の医学的利用)。

自然・科学系 都市鉱山(携帯等に使われる微量元素の回収の問題について)。河川護岸と自然保護(パネル)。どちらも企画展で

自然・科学系企画展「地球環境と立山の自然」平成22年4月29日~5月24日に開催。立山の大気環流の現状とこれに対する地域や大陸起源の汚染物質の影響について紹介した。

自然・科学系 ひとつの結論をおしつけず考えてもらいたいとの指向で科学的事実を伝えることはしてきましたが,「問いを出して共に考える」ことはしてきませんでした。

自然・科学系 人間活動と動植物の保全(生物多様性の維持)。ニホンジカ増加の弊害と個体数管理。鉱山開発と自然保護。

自然・科学系 電車の乗車マナーについて自然・科学系 外来生物(人が利用のために導入。駆除に際しての生命の課題)

自然・科学系 40年程前より海洋の環境問題をテーマに,プラスチックゴミの生物に与える影響について事例を紹介しています

自然・科学系 原子力発電の推進に関する展示自然・科学系 ドローン,タブレット教育利用自然・科学系 絶滅危惧種の生息地保全について

自然・科学系なぜ自然災害がおきるのか? 人はどう備えるべきか身のまわりの自然にむきあい,将来の対策と普段のきづきにくい恵みについても問い考えてもらう「シアター」や「展示パネル」など

自然・科学系 原子・分子のしくみについて

自然・科学系

1. 「case3.11」3.11以降の放射線汚染巨大地震への備え,エネルギー問題など,科学的データをまとめ,どのような未来をつくれるのか考える展示。2. 「100億人でサバイバル」自然災害や人為的な事故がおよぼすハザードとそれにどう向き合うかを考える展示。3. 「オピニオンバンク」「ともに進める医療」「地球環境とわたし」。 その他「細胞たち研究開発中」などほとんどの展示が該当する。

自然・科学系 産業ロボット,介護ロボット,自動運転自然・科学系 介護ロボット,ドローン

自然・科学系 展示物「病んでいる地球」「ひえひえワールド」にて,環境問題・人口問題について触れている。

自然・科学系直接トランス・サイエンスを問題にした展示ではないが,特別展や講座などで,ロボット,環境問題など科学技術に伴う展示の中で紹介・体験する機会があった。

自然・科学系 外来生物(動物,昆虫),外来植物の展示

自然・科学系 展示ではないのですが,プラネタリウムで宇宙デブリに関する番組を投映しました。

動水族系 野生動物によるプラスチックスの誤飲問題標本,写真,タブレット使用動水族園 動物福祉・環境エンリッチメント・希少動物の保全と人間社会の関わり

動水族系

2005年クマ展~クマと人との共存を考えよう~(特別展)その時にクマの言い分をはじめ,地元の人,町の人,行政の人,専門家などの意見を展示し,クマとの共存について来園者にも考え,投稿してもらった。2009年「地球温暖化を動物たち」(特別展)温暖化がなぜ起きているか,今後どうするのかを解説し,来館者に何ができるかを考えてもらう展示を行った。

動水族系 環境問題で釣りのワームなど海で分解される商品について紹介

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動水族系猛獣館299における環境問題のポスターとビデオ展示。ハ虫類館の外来種問題の展示。園内施設の太陽光発電の利用(オランウータン館,トイレ,フライングメガドーム等)

動水族系 ペットとして飼育されていた外来種の飼育展示。自然界への放棄により生態系崩壊へつながる啓発

植物系 絶滅危惧種の展示

植物系 健康食品などに含まれる植物について展示している。薬用植物と近年中国などから輸入される有害な事象を示す植物についての展示です。

電力系 太陽光発電

電力系 日本のエネルギー事情,環境問題を考慮したうえで,原子力も含めたエネルギーのベストミックスの重要性を訴求する展示

電力系 原子力発電総合系 宇宙デブリ,宇宙観光開発に関するプラネタリウム番組を投映

総合系 リニア交通システム,太陽光発電,3Dプリンタ,介護ロボット,産業ロボット,防災関連問題

総合系 環境破壊問題,太陽光発電など自然エネルギー問題総合系 常設展として「特定外来生物」の紹介,「岐阜県の活断層」に関する展示総合系 理系の展示はありません総合系 獣害総合系 環境(消えゆく生きものたち)

総合系

自然干潟の生物多様性と重要性と人工干潟の対比から,今ある自然の保全が重要なのか?環境の修復が重要なのかを来場者に問う展示。実際は,環境修復性は利権もからみ,環境破壊につながる面もある。人と環境との共生を見つめるキッカケとしている。

総合系 バイオミメティクス関連展示

総合系 全国的には絶滅危惧種であるが,熊本にとっては外来種である魚類について「どう扱うべきなのか?」問うもの

その他 ごみ問題・エネルギーの成り立ちと環境との関わり . 燃料電池等 .

その他 防災

その他 原子力発電についての広報のパネルや測定。機器等展示した展示ルームがあった。

〔問 4の自由記述の内容〕

自然・科学系 産業の発達との関係で生じる課題について,今後展示の可能性を含めて検討する可能性がある。

自然・科学系漁業の乱獲問題。十分な科学的根拠に基づかない政策決定が行われていることもあるが,漁業者の生活と資源の消費,環境保全をどう両立させるか,それを考える展示が必要。チリメンモンスターに取り組んでいる館として必要なこと。

自然・科学系 火山噴火による防災について(特別展 火山展の一部として)

自然・科学系当館が扱える良いテーマがあれば取り組みたいと思います。自然環境,いのち,食糧などで。しかしそのためには相応の専門性が必要であり,当館学芸員の専門とテーマがマッチしているか明言できないので「わからない」としました。

自然・科学系 光害など

自然・科学系・牛の飼養にかかるアニマルウェルフェアの問題 ・BSEなど食の安全課題とHACCPなどその対策制度・家畜解体業,皮革加工業に対する差別問題

自然・科学系 担当者レベルで取りあげてみたいテーマはあるが取り扱いが難しい。

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

動水族系トランスサイエンス問題について勉強不足の為,動物や環境とのつながりを正しく伝えることができるよう準備ができれば,ぜひ検討したいと思っております。

動水族系水族館である当館の運営方針の中には,「自然保護への理解を深める」と規定しています。そのためにも,生物が生息する環境について深く考えていただくことも大切だと思います。

動水族系昆虫や動物の系統分類,生態において,決して数字(データ)だけではとらえきれない例外的(中間的)な考察について。※データ(任意)だけが自然をとらえることの限界を示したい。人間の直感・感覚なども組み入れたいという考え。

動水族系 プラスティックごみなどによる海洋汚染についてなど動水族系 海洋のプラスチック汚染

その他絵本の展示(思いつくこととして)例えば トランスサイエンス 問題に関わるテーマの絵本を展示し,読み聞かせるなど関心を高め,考えるキッカケを作る…そういう絵本があるとできるかも知れないなと思いました。

動水族系この地方で直面している環境に関する問題や,それに起因する生物を脅かす問題をとりあげ,啓発したい。また,それらが地球規模での環境問題につながっていることを訴える展示(特別展)

動水族系当館は動水族系の施設で,川の自然環境や生き物を中心に展示しています。その中で「プラスティックゴミ」がどのような影響をもたらすかを身近に伝える展示が出来ればと思っております。

総合系 雪に関わる暮らしと地球温暖化。地球温暖化問題と原子力発電。火山との共生総合系 飲料容器とリサイクル

その他現時点で予定はないが,「空飛ぶ車」のように航空技術がもっと身近な生活に関わってくるとしたら,一般市民として考えておくべき問題をテーマとした展示を考えても面白いと思う。

その他

災害は科学的に予測は難しい。観測技術は気象衛星などで精度が上がっている。気象庁HPなどで自分でデータを取ることができるようになった。災害こそ,自分で判断し,考え,命を守らなければならない。どうするか?どう考えるか?と呼びかけ,考えてもらう展示。

総合系(例えば)外来生物について,人が意図的に持ちこんだものと,非意図的に入ってきたものが,それぞれどのように扱われ,在来の生態等にどのような影響を及ぼしているのか,など

〔その他の記述〕 問1について下記のような記述があった。問1とくに「トランス・サイエンス問題」の展示は行なっていませんが,下記の理由により通常の展示解説がその入り口になっていると思います。自然科学と科学技術の違いは何か? 信仰・倫理と科学。人に対する倫理だけでなく,地球に対する倫理。個人的には科学技術への過信が失われる中で,宗教やバーチャルリアリティの荒唐無稽さに陥らないために現実の地球に立脚する必要を感じます。

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

4. トランス・サイエンス展示等の実態とその意向

佐藤 晴雄4. 1. 調査の回答概要

本研究の一環として,下記により全国の博物館(自然・科学技術系,動水族系,植物系,電力系,総合系,その他)500館に対して,トランス・サイエンス展示の実態と今後の意向の有無等に関する調査を実施した。限られた設問のデータであり,サンプル数が少ないため統計的な信頼性は高くないが,本稿ではその調査結果に若干の分析を加えて,トランス・サイエンス展示等の実態を明らかにしたい。 (1)調査対象

依頼数500館のうち回収数280館を分析対象とする。回収

 (2)調査実施時期及び調査方法   2018年12月。調査票郵送による自記式アンケート調査 (3)調査項目問1  貴館・園では,トランス・サイエンス問題に類する展示をおこなっていますか。過去のこと

も含めてお答えください。     展示をおこなって: いる   いた   いない 

問2  「いる」「いた」とお答えの方は,それはどんな展示ですか。問3  「いない」とお答えの方は,今後そうした展示を検討したいですか(複数回答可)。     検討: したい  予定はない  わからない問4  「したい」とお答えになった方は,それはどのような展示ですか。もしお考えがあれば,お

聞かせください。問5  貴館・園では,サイエンス・カフェ的なワークショップをなさったことがありますか。     したことが:  ある  ない❖ 貴館の館種・園種の当てはまるところに◯をお願いします。差し支えなければ,貴館・園名をお書きください。 自然・科学系  動水族系  植物系  電力系  総合系 その他

4. 2. 分析結果

(1)回答館の系統

回答館280館のうち,自然科学系45.0%が最も多く,以下,動水族系18.9%,植物系4.3%,電力系4.3%,総合系17.1%,その他10.4%という割合になる(表1)。「その他」には,歴史博物館,児童館系,郵政,環境などに関わる館がみられた。ちなみに,最多の自然科学系は文部科学省社会教育調査上の「科学博物館」に相当し,類似施設を含めると全国合計447館となる。これを自然・科学技術系全体(1215館)比でみると,約36.8%

を占めるので,今回の回答館(45.0%)は全体比で高い割合を占めることになる。

表 1 系統別回答館―分析対象―系統 館数(%)自然・科学系 126(45.0%)

動水族系 53(18.9%)

植物系 12(4.3%)

電力系 12(4.3%)

総合系 48(17.1%)

その他 29(10.4%)

Total 280(100%)

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

(2)トランス・サイエンス展示の有無

トランス・サイエンス展示の有無については,全体で15.4%が「している」と回答した(表2)。これに「していた」(5.7%)を加えると21.1%(展示実施経験館)になり,5館に1館程度の博物館でその展示実施経験を有することがわかった。博物館の系統別にその展示の有無をみると,「おこなっている」の%の数値上は電力系の

25.0%が最多になるものの,実数は3館に過ぎない。実数では自然・科学技術系の23館が最多になる。この自然・科学技術系はサンプル数(45.0%)が他に比べて多いことから系統比にバイアスがかかるが,「おこなっている」43館に占める割合は53.5%になる。一方,動水族系の「おこなっている」は9.4%に過ぎず,他の系統に比べてトランス・サイエンス展示があまり実施されていない傾向にある。

表 2 トランス・サイエンス展示の有無―系統別―  問 1.トランス・サイエンス展示実施の有無

Total系統 おこなっている おこなっていた おこなっていない 無回答自然・科学系 23(18.3%) 11(8.7%) 92(73.0%) 0(0.0%) 126(100%)

動水族系 5(9.4%) 1(1.9%) 47(88.7%) 0(0.0%) 53(100%)

植物系 2(16.7%) 0(0.0%) 10(83.3%) 0(0.0%) 12(100%)

電力系 3(25.0%) 0(0.0%) 9(75.0%) 0(0.0%) 12(100%)

総合系 8(16.7%) 3(6.2%) 36(75.0%) 1(2.1%) 48(100%)

その他 2(6.9%) 1(3.4%) 26(89.7%) 0(0.0%) 29(100%)

Total 43(15.4%) 16(5.7%) 220(78.6%) 1(0.4%) 280(100%)

(3)トランス・サイエンス展示実施の意向

つぎに,展示実施経験のない博物館に対して,展示実施の意向を探るために,「検討」の有無を問うたところ,表3のようになり,「検討したい」は全体で6.8%にとどまったが,展示未実施が多かった動水族系の12.8%という数値は実数こそ少ないものの系統間で最高になった。動水族系には陸水の動物をトランス・サイエンスに活かしたいという意向がやや強めに見出されるのである。そのほか「検討したい」は自然・科学技術系5.3%,総合系8.3%となり,植物系及び電力系では皆無であった。なかでも,電力系が意向を示していない実態は予想外であった。

表 3 トランス・サイエンス展示実施の検討の有無

系統 問 3.トランス・サイエンス展示実施の検討Total検討したい 予定はない わからない 無効回答

自然・科学技術系 5(5.3%) 56(59.6%) 33(35.1%) 0(0.0%) 94(100%)

動水族系 6(12.8%) 28(59.6%) 13(27.7%) 0(0.0%) 47(100%)

植物系 0(0.0%) 6(60.6%) 4(40.0%) 0(0.0%) 10(100%)

電力系 0(0.0%) 9(100%) 0(0.0%) 0(0.0%) 9(100%)

総合系 3(8.3%) 22(61.1%) 10(27.8%) 1(2.8%) 36(100%)

その他 1(4.2%) 17(70.8%) 4(16.7%) 2(8.3%) 24(100%)

Total 15(6.8%) 138(62.7%) 64(29.1%) 3(1.4%) 220(100%)

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(4)サイエンス展示等の実施の有無

科学が関わりつつも,科学だけでは解決できないトランス・サイエンス問題を専門家だけでなく,専門外の人々が意見を交わし合う場をサイエンス・カフェと呼ぶ。これは,1997年頃からイギリスとフランスで始められ,日本では2004年に京都で最初に実施されたとされる(本間 2010)。

今回の調査でサイエンス・カフェ実施の有無を問うたところ(表4),「したことがある」は

32.6%となり,中でも自然・科学技術系(43.2%,残差分析結果 **p<.01)で最も多く実施されていることが分かった。次いで,動水族系(30.8%),総合系(29.2%)が続き,植物系は皆無であった。動水族系は展示の実施館は少ないが,カフェ実施率が若干高くなっている。

表 4 サイエンス・カフェ実施の有無問 5.サイエンス・カフェ(実施の有無)

Total系統 したことがある したことがない

自然・科学技術系 54(43.2%)** 71(56.8%) 125(100%)

動水族系 16(30.8%) 36(69.2%) 52(100%)

植物系 0(0.0%) 11(100%)* 11(100%)

電力系 2(16.7%) 10(83.3%) 12(100%)

総合系 14(29.2%) 34(70.8%) 48(100%)

その他 4(14.3%) 24(85.7%)* 28(100%)

Total 90(32.6%) 186(67.4%) 276(100%)

(5)カフェ実施の有無とサイエンス展示の有無

カフェ実施の有無と展示実施の有無との関係を探るために,問5と問1のデータのクロス

集計を試みた結果,表5のようになり,無回答を除く3×2のセル中で,最も数値が高いのセルは,「(カフェ)したことがない」×「(展示)していない」の83.9%(残差分析結果 **p<.01)である。8割以上がカフェも展示も実施経験がないことが分かる。これに対して,「(カフェ)したことがある」×「(展示)している」は21.1%となり,これに「(展示)していた」(11.1%)を加えると32.2%になり,カフェ実施経験と展示実施経験にプラスの関係性が見出された。実施経験率が展示に比べてカフェの方が高いのは,展示よりもカフェの方が実施容易なのか,あるいは展示の予備段階に位置づけられているなどのことが考えられる。なお,参考までに,問5と問1を入れ替えてクロス分析を試みたところ,展示経験館の

50%がカフェ経験を有することが明らかになった。

表 5 サイエンス・カフェ実施の有無とサイエンス展示の有無

  問1.トランス・サイエンス展示の有無Total

している していた していない 無回答問5.サイエンス・

カフェ実施の有無したことがある 19(21.1%)10(11.1%)** 61(67.8%)0(0.0%) 90(100%)

しことがない 23(12.4%) 6(3.2%)156(83.9%)** 1(0.5%)186(100%)

Total 42(15.2%) 16(5.8%) 217(78.6%)1(0.4%)276(100%)

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

(6)カフェ実施の有無とサイエンス展示の意向

今度は,カフェの実施が展示実施の意向を促す可能性を探るために,問5と問3のクロス

集計を試みたところ,表6の結果が得られた。まず,「(カフェ)したことがある」×「(展示)検討したい」の11.3%は,「(カフェ)したことがない」×「(展示)検討したい」の5.1%を上回ったが,データ間に有意差が認められなかった。カフェ実施の有無別に,「(展示)予定はない」の数値をみると,「(カフェ)したことがある」(50.0%)が「したことがない」(67.9%)を下回った。

以上の数値からは断言できないが,カフェ実施が展示の検討にある程度プラスの影響を及ぼす可能性があると考えられる。

表 6 サイエンス・カフェ実施の有無とサイエンス展示実施の検討の有無問 3.トランス・サイエンス展示実施の検討

Total検討したい 予定はない わからない 無効回答問 5.サイエンス・カフェ実施の有無

したことがある 7(11.3%) 31(50.0%) 24(38.7%)0(0.0%) 62(100%)

したことがない 8(5.1%) 106(67.9%) 39(25.0%)3(1.9%) 156(100%)

Total 15(6.9%) 137(62.8%) 63(28.9%)3(1.4%) 218(100%)

4. 3. 結論

以上のデータ分析結果は限られたものであるが,おおよそ以下のように結論づけられる。第一に,トランス・サイエンス展示については,全体の15.4%で実施され,これに実施したことがある館(5.7%)を加えると,21.2%の博物館で展示経験を有することが分かった。展示経験(過去及び現在)を系統別にみると,電力系25.0%,自然・科学技術系18.3%とな

るが,前者については3館に過ぎない。なお,動水族系は9.4%と最低値を示したのは,トランス・サイエンス展示の条件が不十分だからだと考えることができる。第二に,トランス・サイエンス展示実施のための検討の有無をみると,検討したいという回答は全体で6.8%に止まるが,系統別では,展示経験の割合が最低であった動水族系が12.8%と最高値を示した。その数値は,自然・科学技術系5.3%,電力系0.0%となり,これ

に系統では展示が経験館にとどまる傾向にあるのに対して,動水族系では展示が今後の課題だと認識している傾向が相対的に強くみられた。第三に,サイエンス・カフェの実施については,実施経験ありが32.6%であり,展示よりも高い数値を示した。カフェは展示よりも実施しやすいからだと考えられる。系統別では自然・科学技術系の43.2%が最高になり,動水族系の30.8%がこれに続く。第四に,カフェ実施の有無と展示実施経験や展示実施検討の有無との関係を探ると,カフェ実施経験と展示経験との間には正の相関が見出され,またカフェ実施経験と展示実施の「検討」意向有りとの関係にも有意差が認められないものの一定の関係が見出された。全体的にみると,現在の博物館はトランス・サイエンスに対する理解が定着していないの

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

か,あるいはその展示のための条件整備が不十分なのか,その展示やカフェの実施率は高いとは言えない。したがって,今後は,観せるだけの博物館から,来館者に考えさせ,議論を促す博物館への発展の工夫が課題となるだろう。

【参考文献】

・本間善夫(2010)「サイエンス・カフェによる科学コミュニケーション」日本コンピュータ化学会,Journal of Computer Chemistry, Japan-International Edition,Vol.9-No.4,pp13-16。

5. トランスサイエンス問題と数理科学リテラシー

市原 一裕本稿では,本総合研究の目的の一つである「多方面からの理論研究によって,トランスサ

イエンスの領域とそれぞれの課題を明確にする。」に向けて,これまであまり着目されてこなかった「数学的(数理科学的)」側面からトランスサイエンス領域の問題に関する提言を行いたい。

トランスサイエンス領域の問題(以下,簡単にトランスサイエンス問題)とは「科学に問うことはできるが,科学だけでは答えられない領域の問題」などと定義されることが多い。このトランスサイエンス問題の具体例や,それに関連する様々なアプローチは他稿に譲るとして,以下では数学・数理科学的視点からのアプローチを検討する。

5. 1. トランスサイエンス問題への数理科学的アプローチ

細分化・複雑化がより進みつつある現代科学の諸問題に対して,数学・数理科学的なアプローチが必要とされてきている。契機となったのは,平成18年(2006年)の文部科学省 科学技術政策研究所の報告書「忘れられた科学―数学」であった。この報告書において新たなイノベーションにおける数学の重要性が指摘されたことを受け,文部科学省では「数学・数理科学と諸科学・産業との連携による数学イノベーションの推進」というプロジェクトを開始した(http://www.mext.go.jp/a_menu/math/index.htm)。そこで取り上げられているのは「社会の複雑化・情報化の進展により,極めて多くの要因や現象が複雑かつ相互に絡み合っている問題」である。このような社会科学における多くの問題は,トランスサイエンス問題を提起した

Weinbergが1972年に既に指摘しているように,トランスサイエンス問題としてみることができる。なぜなら,それらは「極めて多くの要因や現象が複雑かつ相互に絡み合っている」ために,いわゆる自然科学的な手法では合理的に扱うことが困難だからである。しかし,大規模計算技術を始め,高度に情報処理技術が発展してきた現在,それらは「数

理科学的(合理的)」に扱いうる対象になって来つつあるのではないか。以下では,具体例と

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して,情報科学に関わる形で発展してきた純粋数学における研究を2点あげ,そのトランスサイエンス問題へのアプローチとしての可能性について説明したい。

① 位相的データ解析(Topological Data Analysis)

位相的データ解析とは,幾何学の一分野である位相幾何学(トポロジー)の概念を用いて(大規模)データを解析する手法である。特に,2002年に導入されたパーシステント・ホモロジーという概念が重要手法として活用されている。一般に,様々な形で集積された(大規模)データの解析は,主に確率論に基づく統計的手

法を用いてなされている。実際,そのような大規模データ解析を元にした機械学習技術(Deep Learning等)が,近年,飛躍的に発展しつつある人工知能(AI)の基盤となっている。しかし,そのデータ解析の段階で,統計的手法では失われる情報があることや,そもそも

データがカオス性を持つなど統計的手法が適用しづらい場合があることが指摘されている。これらによって様々な社会科学的問題(複合的な問題や現実問題への応用問題)についてデータ解析が有効にならず,いわゆるトランスサイエンス問題として取り扱われることがあり得る。このようなデータ解析に関する課題に関して,幾何学的なデータの特徴を捉えうる位相的データ解析が注目されているのである。ここではその数学的内容の詳細には触れない。少し専門的になってしまうが以下の参考文献をあげておく。

・ 大林 一平(2017)「位相的データ解析の現在」京都大学数理解析研究所講究録『統計的モデリングと予測理論のための統合的数理研究』第2057巻,p.34-50.

・ 平岡 裕章(2016)「位相的データ解析とパーシステントホモロジー」『数学』, 68(4), p. 361-

380.

位相的データ解析の応用範囲は非常に広い。例えば,最近では,富士通の研究チームが,位相的データ解析技術を基にした機械学習技術を開発し,それを適用した橋梁劣化解析についての報告がある(梅田・金児・菊地 , 2018.07)。これは,高度経済成長期に建設されすでに老朽化が進んでいる社会インフラの一つである,橋梁の維持管理への高度情報処理技術の適用に向けての研究の一つであり,位相的データ解析を用いた非破壊内部検査(異常検知技術)の有効性を報告している。実際,大規模インフラの老朽化による破滅的崩壊事故がいつ起こるか,またそれは確率論的には非常に稀にしか起こり得ないが故に,それにどのように対応をするべきか,と言う(社会的)問題は,古典的なトランスサイエンス問題の一つとされていた。位相データ解析は,そのような問題に対する数理科学的アプローチの糸口を与える可能性がある。

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② 精度保証付き数値計算精度保証付き数値計算とは,応用数学の一分野である数値解析において,数学的に厳密な誤差評価を伴う数値計算のことである。一般に,数値解析では,代数的な方法等で解を得ることが困難な解析学上の問題を,コンピューターなどを用いて近似的に解いていく。数値解析は,自然科学だけではなく比較言語学や社会統計学を始め,コンピューターによる計算を用いる現代のほぼ全ての科学領域においての基礎となっている。しかしながら,一般的に行われる全ての(ノイマン型)コンピューターによる数値解析には必ず誤差が含まれる。これはノイマン型コンピューターが,原理的に二進法を元にした有限桁の計算しか行えないことに起因する。現在のコンピューターでは,真の実数を扱うことはできないのであり,(小学生レベルの四則演算であっても)その計算過程には必ず近似誤差が含まれてしまう。例えば,

    (333.75 - x2) y

6 + x

2(11x

2y

2 - 121y

4 - 2) + 5.5 y

8 +

x

2y

という式にx = 77617,y = 33096を代入する。これは単純な四則計算のみで実行可能であり,代数的には-54757/66192 という値が得られるはずである。しかし,実際に通常のコンピューター(現在,最も多く使用されている IEEE754規格のプロセッサを用いているコンピューター)において実行すると,有効桁数10進8桁として 1.172603… という値が得られてしまう。これは真の解とは符号すらあっていない間違った結果である。(Rump, S. M, 1988)

実際,著名な数学者・計算機科学者であるW. M. Kahan は,次のように述べている。

浮動小数点演算によって得られた結果と真値に大きな差が生じることは非常に稀であり,つねに心配するにはあまりにも稀であるが,だからといって無視できるほど稀なわけではない。(Kahan, 1989.)

これはトランスサイエンス問題についての記述に非常によく似ている。実際,このような計算機科学の基礎における本質的脆弱性が,トランスサイエンス問題への数理科学的アプローチを困難にしてきた一因とも言えるのではないか。このようなコンピューターによる数値計算の限界に対処するために開発されたのが区間演

算という概念である。区間演算の基礎的なアイディアはいわゆるはさみ打ちによる不等式評価であるが,それを区間代数演算として包括的に初めて研究を行なったのは九州大学の須永照夫氏であった(Sunaga, 1958)。その影響もあり,精度保証付き数値計算は,日本において盛んに研究されてきている。その詳細については,最近,発刊された大石進一編著『精度保証付き数値計算の基礎』(コロナ社,2018)を参考文献として挙げておく。

上記の2つの例のような,最新の数学・数理科学における研究の発展は,全ての科学の基

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盤を改良し得る。つまり,文部科学省のプロジェクトにもあるような「数学・数理科学と諸科学・産業との連携」は,いわゆるトランスサイエンス問題とされていた問題を,実際に(理論)科学によって「答えられる」問題に変化させる可能性がある。ここで課題となるのは,どのようにしてその連携を進めていくかである。もちろん(意識改革を伴う)数学者側からのアプローチが重要であることは間違いない。しかし他方で,一般の科学者(諸科学研究者)が「数学的(数理科学的)」に何ができ得るかを知ることも非常に重要ではないだろうか。これは理工系学部等における大学(大学院)基礎教育(カリキュラム)の課題とも考えられる。つまり,今後の課題の一つとして「科学研究者に対する数学・数理科学リテラシー教育」の必要性をあげることができるのではないだろうか。

5. 2. 一般市民の数学的リテラシー

本総合研究の申請段階において,研究目的の記述の中に次のような文章がある。「今日の科学技術は,人々に便利さや快適さだけを提供するだけではなく,社会のあり方や個々人の生き方までにも,大きな影響を及ぼしつつある。したがってこうした問題の議論には,専門家だけでなく広く一般市民にも,参加を求めていかなくてはならない。」この説明にもあるように「科学に問うことはできるが,科学だけでは答えられない」トランスサイエンス問題に「答える」ことが一般市民にも求められてきている。では,科学的専門家でない「一般市民」はどのようにそれらの問題に答えれば良いのだろうか。確かだと思われるのは,生命倫理問題など倫理的・道徳的な問題はともかく,他の科学的

なトランスサイエンス問題に対しては,専門家でなくとも「論理的」思考を持って判断に当たるべきだと言うことである。少なくとも,個人的な(主観的な)思いや感情だけによって判断しようとすれば,社会全体として答えることはできそうにない。そこで必要な能力として考えられるのが「数学的リテラシー」である。日本において数学的リテラシーという言葉が着目されるきっかけとなったのは,いわゆる

OECDによる生徒の学習到達度調査(PISA,Programme for International Student Assessment)

であろう。これは経済協力開発機構(OECD)による国際的な調査であり,OECD加盟国の多くで義務教育の終了段階にある15歳の生徒を対象に,読解力・数学リテラシー・科学リテラシーなどの能力が調査される。調査プログラム開発が1997年に始まり,第1回調査は2000年,以後3年毎に調査が実施されている。最新の調査は2018年であるが,まだ結果が公開されていなく,また2012年度調査において数学的リテラシーが重点的分野だったことから,2012年度調査の報告書『OECD生徒の学習到達度調査~2012年調査国際結果の要約』(国立教育政策研究所,国際研究・協力部,2013.12)を見てみると,「数学的リテラシー」は次のように定義されている。

数学的リテラシーとは,様々な文脈の中で定式化し,数学を適用し,解釈する個人の能

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力であり,数学的に推論し,数学的な概念・手順・事実・ツールを使って事象を記述し,説明し,予測する力を含む。これは,個人が世界において数学が果たす役割を認識し,建設的で積極的,思慮深い市民に必要な確固たる基礎に基づく判断と決定を下す助けとなるものである。(p. 3)

最後の文がまさにトランスサイエンス問題に対する市民の能力として考えられるものであろう。

数学教育学において数学的リテラシーに関わる研究は非常に盛んに行われている。例えば,数学的リテラシーを身につけるにはどうしたら良いかについて,教材・カリキュラム・評価などの様々な面から考察がなされている。しかしながら,その多くは上記の定義の後半に着目して「数学を応用する」能力育成に主眼が置かれているように思われる。しかしそもそも数学教育において,純粋数学を構造的に学ぶことによって「数学的に考える力」をより伸ばすことも必要ではないだろうか。実際,数学者として大学の数学教育を担当し,また数学科教員養成に携わっている中で,現在の日本における初等・中等数学教育において,数学を厳密に学びきれていないのではないかと考えられる点がいくつかある。以下に簡単に2つの代表的な例を挙げたい。一つは,小学校算数で学ぶ「分数のわり算」についてである。例えば,「小学校算数6年」(学校図書,平成31年発行)を見ると,「分数を分数でわる計算は,わる数の逆数をかけて計算します。」とまとめられている。その理由については,具体的な「へいをペンキでぬる」問題について,まず文章題から「分数÷分数」の計算までを誘導し,その計算方法について3名の「児童」がそれぞれの考えを説明している。へいの面積の図や線分図を利用した2人の説明の後,3人目の児童の説明が代数的で一般な証明となっている。この3人目の説明(証明)が正しく理解されていれば,全く問題なく一般の場合(上記のまとめ)も理解できるであろう。しかしながら,理系大学生に尋ねても,「どうして逆数をかければよいのか」について,大多数がきちんと説明できないのは何故なのだろうか。またそれについて,なんの疑問も持たずに「公式として適用できればよい」とだけ考えている様子なのが非常に不安なのである。もう一つは,中学校1年で学ぶ「(-1)× (-1)= 1」の計算である。これも多くの教科書では,

数直線を使うなどの具体的(現実的)な例を用いたり,また類推によって積の値の予測をしたりするなどの後で,あまり数学的な正当性なくまとめが述べられている。(詳細な教科書比較による分析が次でなされている。小林孝至「「負数乗法とは何か」を考える授業」 2011)

本来,歴史的に見ても様々に議論があり,「どうして負の数と負の数の積が正の数になるのか」は生徒から見て当然の疑問であるはずなのに,論理的(数学的)に明確な説明(証明)がなされないことに対して,疑問を感じないのだろうか。またそれについて,不安も持たず計算だけできれば良いとする生徒(そして教員)には,正しく数学的リテラシーが育成されているのだろうか。

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以上,かなり私見も含まれているかもしれないが,トランスサイエンス問題に対するアプローチへの「数学・数理科学的リテラシー」の必要性・有効性についてみてきた。これらにより,現代におけるトランスサイエンス問題に対するアプローチとして,諸科学の研究者(科学者)と一般市民の両方について,より「数学・数理科学的リテラシー」を育成していくこと重要性が示唆されたと考える。

【引用・参考文献】

平岡 裕章(2016)「位相的データ解析とパーシステントホモロジー」『数学』, 68(4), p. 361-380.

細坪護挙・伊東裕子・桑原輝隆(2006.05)『忘れられた科学 -数学:主要国の数学研究を取り巻く状況及び我が国の科学における数学の必要性(POLICY STUDY No. 12)』文部科学省科学技術政策研究所科学技術動向研究センター

(http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/997660/www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/pol012j/pdf/

pol012j.pdf)

Kahan, W. M. (1989). The Regrettable Failure of Automated Error Analysis, A Mini-Course prepared

for the conference at MIT on Computers and Mathematics.

小林孝至(2011)「「負数乗法とは何か」を考える授業」上越教育大学数学教室『上越数学教育研究』26: 41-50.

国立教育政策研究所国際研究・協力部(2013.12)『OECD生徒の学習到達度調査~ 2012年調査国際結果の要約』

(https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/pisa2012_result_outline.pdf)

大石進一編著(2018)『精度保証付き数値計算の基礎』コロナ社,大林 一平(2017)「位相的データ解析の現在」京都大学数理解析研究所講究録『統計的モデリングと予測理論のための統合的数理研究』第 2057巻,p.34-50.

Rump, S. M. (1988). Algorithms for verified inclusions: theory and practice, In R. E. Moore (ed.),

Reliability in Computing: The Role of Interval Methods in Scientific Computing, Academic Press, 109–

126.

Sunaga, Teruo (1958). Theory of interval algebra and its application to numerical analysis. RAAG

Memoirs. p. 29–46.

梅田裕平・金児純司・菊地英幸(2018.07)「トポロジカルデータアナリシスと時系列データ解析への応用」『FUJITSU』 69(4): 97-103.

6. 社会におけるビッグデータ・人工知能の利用と課題

尾崎 知伸6. 1. はじめに

インターネット技術を中心とするユビキタスなネットワーク環境の浸透と,IoTデバイス

の小型化およびその上でのセンシング技術の発展は,人々の日常生活を含めたあらゆる行動・現象のデータ化を実現し,ビッグデータと呼ばれる3V(Volume:量,Velocity:速さ,

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Variety:多様性)と更なるV(Variability:変動性,Veracity:正確性,Value:価値)を特徴とする大規模データを生成し続けている。また,得られる大規模データを処理するビッグデータ技術とその分析を行うデータマイニング技術の進展は,これまで,過去の記録を確認するためだけに利用され,多くはゴミとして捨てられていた蓄積データを金の鉱脈に変え,そこから価値のある情報や知識を掘り出す(発見・抽出する)手段を提供し始めている。更に,深層学習技術を中心とした近年の人工知能・機械学習関連技術の革新とそのコモディティ化は,第4次産業革命の中核に位置付けられ,社会そのものを根底から変える様相を呈している。

元々技術進展の速い情報技術が,ビッグデータの登場と IoT,人工知能により爆発的な勢いで発展し,2045年にはシンギュラリティ(技術的特異点)に到達するという予想も議論されている。「十分高度に発達した科学技術は,魔法と見分けがつかない」(Any sufficiently

advanced technology is indistinguishable from magic)というアーサー・C・クラークの言葉の通り,今日の人工知能技術はこれまでの常識では理解・制御できないと言う点で魔法であり,近年ではそれを驚異と見做すことも珍しいことではない。例えば,理論宇宙学者のスティーヴン・ホーキング博士もインタビューの中で,「人工知能が完全に人間の代わりになるのではないかと恐れている」と語っている(Medeiros, 2017)。その一方で,元Googleエ

ンジニアのアンソニー・レバンドウスキー氏により,「人工知能に基づく神の実現を発展・促進すること」を目的とした宗教団体も設立されている(岡本 , 2017)。

日本においても,人工知能技術が社会に与える影響について活発に議論が行われている。例えば,内閣府における人間中心のAI社会原則検討会議(https://www8.cao.go.jp/cstp/

tyousakai/humanai/index.html)では,人工知能をより良い形で社会実装し共有するために,(1)人間の尊厳が尊重される社会(Dignity),(2)多様な背景を持つ人々が多様な幸せを追求できる社会(Diversity & Inclusion),(3)持続性のある社会(Sustainability)を基本理念とし,実現されるべき社会的枠組みに関する原則として「人間中心のAI社会原則」((1)人間中心の原則,(2)教育・リテラシーの原則,(3)プライバシー確保の原則,(4)セキュリティ

確保の原則,(5)公正競争確保の原則,(6)公平性・説明責任・透明性の原則,(7)イノベー

ションの原則)を作成している(内閣府 , 2017)。

技術革新により社会や文化が急激かつ大きく変わりつつあるという現状を背景に,本稿では,ビッグデータやそれを利用する人工知能技術に関する代表的なトランスサイエンス問題(科学に問うことはできるが,科学だけでは答えられない領域の問題)として,(1)データ

マイニングにおけるプライバシー保護,(2)人工知能・機械学習の説明性と公平性について概観する。また,これらの諸問題と日本における情報教育との関連について簡単に私見を述べる。

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6. 2. データマイニングにおけるプライバシー保護

SNSやオンラインショッピング,天気予報や渋滞(混雑度)予測など,現在の日常生活において情報技術は不可欠な存在である。その一方で,これらのサービスの質を保ち,便利さを享受するためには,個人情報の提供が となる。個人情報を扱う企業やサービスでは,どの様な情報を収集・利用するのかを規約に明記してはいるが,一般利用者がその影響範囲をどの様に認識しているかは定かではない。例えば,JR東日本では,Suicaを通じて得られるデータを社外へ提供することを明記している(JR東日本)。また代表的なコミュニケーションサービスTwitterでは,投稿が行われたデバイス(スマートフォン)の位置情報(GPS情報)を収集・利用することが明記されている(Twitter)。これにより,例えば,利用者の位置情報を利用し,周辺のおすすめスポットの情報をプッシュするなどのサービスが可能となる。その一方で,Twitterの場合,設定によっては第三者(極端に言えば筆者)も他人の位置情報にアクセスすることが可能となるので,対象者の自宅住所を特定するなど悪用される危険性も否定できない。一方,情報推薦に関しても,個人情報の利用は推薦精度の質に直結する。情報が少ないと正確な推薦がなされない(コールドスタート問題)が,多くの履歴を提供すれば,それにより利用者の嗜好が明示的になり,精度の高い推薦を得ることができる。しかし,SNSにおける推薦がメンタルに与える悪影響(例えば(Gerrard, 2019)など)も報告されており,個人情報の提供と推薦システムへの過度の依存は,必ずしも生活を豊かにするとは限らない。秘匿性の高いデータの収集や分析,得られたモデルや予測結果の開示など,個人情報や機

密情報を安全にデータ分析・知識発見に活用するための技術は,プライバシー保護データマイニング(佐久間 , 2011・荒川 , 2017)と総称され,21世紀当初より盛んに研究が行われている。例えば,プライバシー保護データマイニング技術の一つである非識別・匿名加工技術を利用すれば,収集した個人情報の集合から個人を特定したり,特定個人の情報を復元することができない情報(匿名加工情報)を生成することができる。これらの技術的な背景に加え,EUでは,一般データ保護規則(General Data Protection Regulation; GDPR)として,個人データの保護・利用に関するガイドラインを示すことで,個人情報を安全に利用する土壌を整える動きが見られる。日本においてはGDPRに相当する規則は現状存在しないが,例えば,住信SBIネット銀行が住宅金融支援機構から非識別加工情報の提供を受ける(ITメディア ,

2019)といった事例や,健康データを収集・分析する企業活動について,個人情報保護が徹底されていることを認証する制度を設けることを経済産業省が予定している(SankeiBiz,

2019)など,時代に即した個人情報の利用とその整備が進められている。

6. 3. 人工知能・機械学習の説明性と公平性

一般データ保護規則(GDPR)においては,人工知能を用いて完全自動意思決定を行う際に,その決定が法的効果を発生させ,データの主体に対して重大な影響を及ぼす場合,原則

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として処理ロジックを含めた説明が行うことが求められる。人工知能の説明性・解釈性に関しては,特にここ数年で大きな関心を集め,アメリカの国防高等研究計画局(DARPA)が主導し,説明可能人工知能(Explainable AI; XAI)(https://www.darpa.mil/program/explainable-

artificial-intelligence)の名のもと,集中的な研究が開始されている。従来の機械学習モデルは,複数の変数を複合的に考慮しながら予測・判断を行う。また深

層学習モデルは,非線形変換を多段に重ね合わせたものであり,いずれも人間が直接的に理解できるほど単純ではない。しかし,人工知能による予測・判断の根拠・基準を(ある程度)把握できなければ,その妥当性や信頼性を議論することは難しい。例えば,写真(画像)に含まれる物体名を判別するモデルを考える。工学的には,画像はピクセル(RGBを表す3次元ベクトル)を縦横に配置したものとして扱われる。人工知能の学習モデルは,このベクトル列を受け取り,いくつかの演算を通じてあるシンボルを返すことになる。最新のモデルは,識別精度の点で既に人間の能力を越えているが,スパムに弱いということも知られている。例えば,元画像のたった一画素を変更するだけで誤認識させる方法も提案されている(Su,

2017)。この様なことを防ぐ意味でも,説明性は重要な役割を果たす。説明性を考える場合,「何をもって説明とするか」に関しては議論が必要である。例えば,「ある座標のR値と,別の座標のB値を掛け合わせた値が…」の様に計算機と同じレベルで説明をされても理解は困難であるし,その意図が不明瞭である。そのため,例えば判断に大きな影響を与えるピクセルを強調表示するなど,視覚化を通じて説明とすることも数多く試みられている。解釈性の研究には,(1)大域的な説明,(2)局所的な説明,(3)説明可能なモデルの設計,

(4)深層学習モデルの説明等の分類があり(原 , 2018・原 , 2019),それぞれ研究が進められている。しかし,人間にも難しい説明と言うタスクを機械で実現できるかは疑問であるし,仮に説明自体を生成することは可能となっても,説明を受けた相手(人間)が納得するかはまた別の問題である。相手の背景や論点を理解し,説得することまで含めた技術の発展が期待される。

近年の人工知能研究では,説明性に加え,公平性も重要な要素と認識されている。機械学習,特に深層学習を用いた人工知能では,その性能・性質は,良くも悪くも環境(与えるデータ)と育て方(最適化戦略と基準)に依存する。従って,仮に大量のデータを与えたとしても,それが偏っている場合,偏った思想・判断を行う人工知能が出来上がる。例えば,人工知能Tay(マイクロソフト)は,19歳のアメリカ人女性という設定でTwitter等を通じユーザとのやり取りを行っていたが,人間と会話をするうち人種差別や不当な思想,性差別を学習し,不適切な投稿を繰り返すようになってしまったという事例(Worland, 2016)が報告されている。同様に,中国の人工知能Baby Q(テンセント)は,ユーザからの政治的な質問対して政府批判や皮肉を返すようになり,サービスが急遽停止されたこと(産経ニュース , 2017)も

報告されている。また,米アマゾンでは採用に人工知能を利用していたが,女性を差別する

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という欠陥が判明し,その運用が取り止められている(Dastin, 2018)。

こうした機械学習におけるバイアス(偏見・差別)を排除し,公平性を扱う研究分野は,公平性配慮型機械学習・公平性配慮型データマイニング(神嶌 , 2019)と総称される。公平性配慮型機械学習のタスクとしては,不公平発見と不公平防止に大別できる。前者は判断結果に含まれる不公平性を抽出し,後者は不公平が生じないよう配慮しつつ分析を行うことが中心的な課題となる。また公平性の種類に関しては,(1)Group unaware(集団非識別),(2)

Group thresholds(集団閾値),(3)Demographic parity(統計均衡),(4)Equal opportunity(機会均等),(5)Equal accuracy(精度均等)等が提案されている(平, 2018)。いずれの場合も,技術的な側面からゴールを設定することは可能であるが,何を持って公平とするかは利用者の背景や思想に依存するものである。従って,可視化ツール等も利用した上で,人間とのインタラクションを通じた分析・モデル構築が重要となると考えられる。

6. 4. 情報教育とトランスサイエンス

日本における情報教育は,ここ数年で大きな変化を迎えることとなる。学習指導要領が改定され,学習の基盤となる育成すべき資質・能力の一つに情報活用能力が掲げられ,小学校におけるプログラミング教育の必修化が2020年度から全面実施となる。また中学校においては,技術・家庭科においてプログラミングに関する内容が充実され(2021年度全面実施),高等学校においても共通必修科目「情報 I」においてすべての生徒がプログラミング・ネットワーク・データベースの基礎について学習することとなる(2022年度より年次進行で実施)。特に小学校におけるプログラミング教育は,プログラミングを体験しながらコンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考力を身に付けるための学習活動と捉えられ,「プログラムの働きやよさへの気付きや,論理的に考えていく力」,「情報技術を効果的に活用しながら,論理的・創造的に思考し課題を発見・解決していく力」という意味で「プログラミング的思考」という言葉のもと,プログラミング(コーディング)技術とは違ったレベルでの能力の育成が行われることとなる。これにより,近い将来,コンピュータや人工知能に代表される情報技術をブラックボック

スとしての単なる便利な道具と捉えるのではなく,それらの仕組みを理解・意識した上で論理的に利活用することのできる人材の育成が期待できる。またこのとき,ビッグデータ・人工知能・IoT・ロボットの各情報技術がどこまで発展しているかは予想がつかないが,これらに関する種々のトランスサイエンス問題に対し,一般市民が論理的に議論できる土壌が形成されるのではないかと期待している。

以上本稿では,人工知能技術に関する幾つかのトランスサイエンス問題を取り上げ,その情報教育との関連について私見を述べた。本稿が,当該分野に関するトランスサイエンス問題における市民参加の一つのきっかけとなれば幸いである。

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

【引用・参考文献】

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内閣府(2018.12.27),人間中心の AI社会原則検討会議,人間中心の AI社会原則(案)JR東日本.Suicaに関するデータの社外への提供, https://www.jreast.co.jp/suica/procedure/suica_data.html

Twitter.モバイル端末で正確な位置情報を活用する方法, https://help.twitter.com/ja/safety-and-security/twitter-location-services-for-mobile

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SankeiBiz(2019.8.19),健康データ活用へ,経産省が認証制度創設 信頼性明示,個人に安心感J. Su, D. V. Vargas and K. Sakurai (2017). One Pixel Attack for Fooling Deep Neural Networks,

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J. Dastin (2018.10.11).焦点:アマゾンが AI採用打ち切り,「女性差別」の欠陥露呈で,REUTERS.

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平 和博(2018.9.25).AIのバイアス問題,求められる「公平」とは何か?,ハフポスト.

7. 個別専門領域とトランス・サイエンス

―交通インパクト・スタディーズが拓く市民社会との対話と協働の地平―

後藤 範章7. 1. はじめに

今回,私たちが掲げた研究課題「トランス・サイエンス領域についての博物館展示の調査研究」には,「現代の科学は,私たちの生活のすみずみまでに影響を及ぼすとともに,社会

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全体においても,そのあり方の選択をせまるほどになってきている」(本総合研究のプロポーザル)という時代と科学に対する私たちの共通認識が反映している。科学と市民社会との相互連関性が高まって,以前にも増して双方が同時にかつ双方向的に影響を及ぼし合うようになっているのであり,このことは「科学に問うことはできても科学だけでは答えられない」「科学技術の専門家だけでは判断できない」という意味での,所謂「トランス・サイエンス(科学を超える)問題」が引き起こされる所以ともなっている。他方で,近年,「○○スタディーズ」と複数形で表現する研究が盛んになっている。

カルチュラル・スタディーズ,ジェンダー・スタディーズ,グローバル・スタディーズ,ローカル・スタディーズ,モビリティーズ・スタディーズ,ヨーロピアン・スタディーズ,

アメリカン・スタディーズ,サウンド・スタディーズ,ビジュアル・スタディーズ,

スクリーン・スタディーズ,シネマ・スタディーズ,メディア・スタディーズ,

テレビジョン・スタディーズ,フード・スタディーズ,バリア・スタディーズ,クィア・スタディーズ,フィールド・スタディーズ,エモーション・スタディーズ,リベラル・スタディーズ,ヒストリカル・スタディーズ,宗教スタディーズ,レジャー・スタディーズ,エリア・スタディーズ,等々枚挙に暇がない。これらはいずれも,人文科学,社会科学,自然科学における専門化・細分化された学問領

域(ディシプリン)を横断する文理融合型の学際研究として行われるところに特色がある。同時に,「幅広い市民が調査研究に参画する」「社会からの要請に耳を傾ける」「市民と研究成果を共有して,一緒に問題解決の道を探る」などという形で,市民社会との「対話」と「協働」を促すという側面を持ち合わせていることにも,留意しておく必要があるだろう。科学にアクチュアリティと共にリアリティが求められるようになり,領域の異なる研究者同士,ディシプリン間,そしてサイエンス界と市民との間で「対話」と「協働」を積み重ねて「相互連関性」を深め,科学だけでは答えられない問題への解を市民と共に見出していくことが,ますます重要なことと受け止められるようになっているのである。そこで,こうしたあり方を考察する材料として,筆者が長年取り組んできた個別領域としての「交通の社会学」的研究を,「交通インパクト・スタディーズ」という領域横断的な地平に拓いていくことを展望してみたい。

7. 2. 単数形の交通インパクト研究と複数形の交通インパクト・スタダィーズとの間

交通は,鉄道・自動車・船舶・航空機などの交通メディア(鉄路・陸路・水路・空路)を介して成り立つ人や財貨の場所的・空間的な移動を意味する。鉄道などを「メディア」と捉えるのは,人と人,機関と機関,人と機関との「社会的交流を媒介する」からである。交通は従って,社会学的な観点からは,社会的交流を促進させる点が重要なポイントとなる。もっとも,交通が現に果たしている機能や効果は,社会的交流に限られるわけでは勿論な

い。交通の諸効果(=交通インパクト)をやや一般化して整理しておくと,交通は,各都市・

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地域相互の時間 -費用上の距離を短縮させる(交通の「工学的効果」と表現しよう)。これによって,その地理的・空間的距離を実質的に短縮させ(交通の「地理学的効果」),諸都市・地域・人々を分かち難く結びつける(交通の「ネットワーキング効果」)。また,より広い市場を成立させ,経済活動に対しても大きな影響を与え(交通の「経済学的効果」),様々な政治的な動きを随伴させる(交通の「政治学的効果」)。以上のような交通の諸効果をめぐる研究は,これまで,「交通インパクト研究」として,

工学や地理学,経済学などの諸分野で活発に進められてきた。社会学の分野では,交通インパクト研究はほとんど手つかずのままであったが,筆者らの調査研究(後藤,2020ほか)な

どによって,一定程度の蓄積が見られるようになった。この際,交通インパクトを社会学的に研究するためには,インパクトが社会構造の変動にどのように連動するのかを明らかにすることが を握る。工学であっても,地理学であっても,経済学であっても,そして社会学であっても,交通

インパクト研究とは,「交通」が基底的要因(起動因)となって引き起こされる諸影響(効果)を測定して,交通=原因(独立変数)と効果=結果(従属変数)との間の因果の連関(メカニズム)を解き明かす研究を意味するのであり,この一点は学問領域の違いを超えて共通する,と言って良い。であれば,学問領域毎に成り立っていた交通インパクト研究の「蛸壺」を打ち壊して,「交

通インパクト・スタディーズ」という新たな地平を切り拓き,かつ市民との「対話」と「協働」を深めていくことが可能となるだろう。次節以下で述べる今日的な状況を踏まえるならば,その必要性は確実に大きくなっている。

7. 3. 交通インパクトが加速度的に増加する原理と現代社会

ある一定の領域(空間)に人々が集住し社会生活が営まれる集落社会をAとして,次のようなプロセスで交通が拡充していくことを仮定してみることにしよう。

1) Aに街道(陸路)が走り,他の地域との間で徒歩での行き来(徒歩交通)が活発に行われるようになった。

2) 河川/海に面したAには港湾が開設され,船舶によって他の港湾(都市)との間を結ぶ水路(水上交通)が開かれた。

3) 近代になってから鉄道が通り,駅が開設されて,鉄道によって他の駅(都市)との間を結ぶ鉄路が開かれた。やがて蒸気機関車が電車に変わり,技術革新と共に,鉄道交通はめまぐるしく進展していった。

4) 自動車やバス,自転車なども走るようになり,自動車交通,バス交通,自転車交通なども拡充していった。

5) 空港が開設され,飛行機によって他の空港(都市)との間を結ぶ空路(航空交通)が開

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かれた。

6) 高速道の ICが出来,自動車によって他の IC(都市)との間を結ぶ高速道路が開かれた。7) さらに新幹線も敷かれ,他の駅(都市)との間を結ぶ超高速鉄道も開かれた。

お気づきの通り,1)→7)は日本の交通の展開史に沿ったものである。Aは,多種多様な交通ネットワークのターミナル(起・終点)ないしノード(結節点)となり,結ばれた「路/道(みち)」をたどって人口と機関,財貨と情報が集中・集積し,交易と社会的交流が促進される。ターミナル駅の周辺には中心業務地区(CBD)が出来,Aは小さな集落から小都市,さらには大都市へと成長し,やがて多くの諸都市・地域を影響下に組み入れてAを中心とする大都市圏が形成されていく。かくして,交通の展開史は,都市の展開史と接合する。要は,「交通」がリーディング・ファクターとなって,(大)都市及び(大)都市圏が形成され,ひいてはそれらが相互に連接して(1国ないし地球規模での)巨大な都市・地域間ネットワークがハイアラーキカルなものに構造(システム)化していくのである。次に,交通媒体(メディア)別の平均速度と1時間の到達圏を導いてみよう。陸上交通に

限定して,1)の徒歩が5km/h,3)の鉄道が50km/h,4)の自動車やバスが30km/h,6)の高速道路が80km/h,7)の新幹線が200km/hとし,時間を1時間に固定して,1)徒歩→4)自動車・路面バス→3)鉄道→6)高速道路→7)新幹線という速度順に1時間の到達圏(注1)

を整理してみると,5km→30km→50km→80km→200kmとなる。現実にはあり得ないが,居住人口が同じ人口密度で分布していると仮定して(1km

2あたり百人と少な目に見積もって),各圏域(円)の居住人口を求めると,次の通りとなる。

1)徒歩での1時間圏=半径5km圏 7千850人4)自動車・バスでの1時間圏=半径30km圏 28万2千600人3)鉄道での1時間圏=半径50km圏 78万5千人6)高速道路での1時間圏=半径80km圏 200万9千600人7)新幹線での1時間圏=半径200km圏 1,256万人

この数は,それぞれの圏域内での1住民の潜在的に交流可能な人口の多寡を表す。そのように考えると,エリア内に居住する人口に限っても(エリア外からの流入者を含めないで考えても),交流(可能)人口が最少の7,850人と最大の12,560,000人との間で実に1,600倍もの開きが生じることになる(仮定する人口密度を上下させても「1,600倍」に変わりはない)。ここに,1時間距離圏の拡大に伴って交通インパクトが幾何級数的に増大していくメカニズムが隠されており,インパクトは交通が発達すればするほど大きくなっていく。今度は,時間ではなく移動する距離を固定して,検討してみよう。以下は,東京-大阪間の高速鉄道による所要時間の変遷を示したものである(1992年3月

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15日(日)朝日新聞「データスポット」より)。

①1889(M22年)年 新橋-神戸間全通 18時間52分(最高速度30.1km)

②1930(S5)年 特急つばめ 8時間20分(同上95km)

③1958(S33)年 特急こだま 6時間50分(同上110km)

④1965(S40)年 新幹線ひかり 3時間10分(同上210km)

⑤1992(H4)年 新幹線のぞみ 2時間30分(同上270km)

東京-大阪間を約515kmとして,時間距離が歴史的にどのように短縮していったかが分かる。1889年には18時間52分かかっていたのに対して,1992年にはたった2時間半で結ばれるようになった。1889年を100とすると,1992年は13.3となり,実に1/8弱にも短縮したことになる。時間距離の短縮は,東京-大阪間の地理的・空間的距離を実質的に短縮させる。515km離れている距離が1/8の68kmに縮まるのと同じ効果を持つ,ということである。ここに,時間距離の短縮に伴って交通インパクトが幾何級数的に増大していくメカニズムが隠されており,インパクトは交通が発達すればするほど大きくなっていく。

AとBとの距離(distance)は,「空間[による隔たりの]距離(space distance)」や「時間[による隔たりの]距離(time distance)」だけでなく,「費用[による隔たりの]距離(cost

distance)」でも測定される。「心理的[な隔たりの]距離(psychological distance)」や「社会的[な隔たりの]距離(social distance)」や「政治的[な隔たりの]距離(political distance)」

もある。これらの「距離」を埋めるのが「交通(及び通信)」であり,それ故に交通の地理学的研究に留まらず,交通の心理学的研究や社会学的研究や政治学的研究などを拓くことにも繋がっていくわけだが,ここではこれ以上踏み込まない。そこで,東京-大阪間の空間距離(500km前後)を,移動する交通手段別に時間距離/費用距離がどれくらいになるかを整理してみよう(片道)。時間と費用は,いずれも2019年8

月現在のものである。

A) 飛行機(羽田空港-伊丹空港) 約1時間/8千円程度(LCCの運賃やFSCの割引運賃)~30,400円(FSCの普通席運賃の最高額)

B) 新幹線のぞみ(東京駅-新大阪駅) 約2時間半/14,450円(座席指定)C) 高速道路(八重洲IC-梅田IC) 約5時間半/9,390円(ETC料金)・13,500円(通常料金)D) JR在来線(東京駅-新大阪駅) 約9時間/8,750円(乗車券のみ)E) 高速バス(東京-大阪) 約8~9時間/4~8千円程度

かつては,時間距離が短ければ費用距離が長くなり,時間距離が長くなれば費用距離が短くなるという関連性と運賃格差を明瞭に確認することができた。このA)~E)からも,費

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用距離が最長の飛行機の最高値(30,400円)と最短の高速バスの最安値(4千円)とを比較する限り,飛行機は高速バスの7.6倍の費用距離となり,時間距離の長短(飛行機は高速バスの1/8~1/9倍)とほぼ正反対になっている。だが,時間距離が最短(約1時間)の飛行機の運賃の最安値(約8千円)は,時間距離が最長(約9時間)のJR在来線(8,750円)と同水準となっているし,時間距離が約2時間半の新幹線の運賃(14,450円)は,時間距離がその2倍以上の高速道路のコスト(燃料代などを含めれば)とほぼ同水準である。つまり,今日にあっては,交通媒体別の時間距離の長短と費用距離の長短とは,実態とし

て逆相関の関係性が大幅に薄れるようになっており,また運賃格差もそれほど大きくはない。その分だけ,誰に対しても選択の幅が確実に広がっているのである。ここに,費用距離の短縮に伴って交通インパクトが幾何級数的に増大していくメカニズムが隠されており,インパクトは交通が発達すればするほど大きくなっていく。

7. 4. おわりに

交通の発達がもたらす,〈A〉1時間距離圏の拡大,〈B〉時間距離の短縮,〈C〉費用距離の短縮という3局面別の原理的説明が指し示すことは,時間や費用をあまりかけず,思いのまま,いつでも,世界中のどこにでも,気軽に移動することができるようになればなるほど,交通インパクトは増大していくのであり,それが現代である,ということである。今日の人類(地球)社会は,交通で成り立っていると言っても決して過言ではない。それだけ,交通が人々の日常生活に浸透し,人々の行動のみならず人類社会全体を下支えし,私たちは意識するしないに関わらず絶大な影響を受けている。交通インパクトは,社会の隅々にまで,より強くより濃密に発現するようになっているのである。以上の検討から導き出せる結論は,個別学問領域毎に成立していた「交通インパクト研究」を「交通インパクト・スタディーズ」に組み替え,領域横断的で文理融合型の学際研究を拓くと共に,市民社会との対話と協働を促進させていく現実的な基盤がより一層強まっている,ということになる。「交通」に対する市民の関わりの深さや関心の高さを踏まえるならば,本事例は,トランス・サイエンス問題を考察する上で重要な示唆を与えてくれるに違いない。

1) 1時間到達圏(円)に関しては,A.H.ホーリー(Hawley,1950)がコミュニティの範域を中心地へ/からの routine daily movement(決まり切った毎日の活動,すなわち通勤・通学・買い物などによる流動)の最大半径をもって確定していることから着想を得ている。なお,ホーリーは,「人間の集合生活の形式と内容は交通通信手段の効果の機能である」と見る点を,研究の基本的なスタンスとしている(Hawley,1971= 1980:3)。

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文献

後藤範章編著『鉄道交通の社会学――鉄道は都市をどう変えるのか』(2020年に出版の予定)Hawley, A. H., 1950, Human Ecology: A Theory of Community Structuer, The Ronald Press Company.

――――, 1971, Urban Society: An Ecological Approrch. =矢崎武夫監訳,1980,『都市社会の人間生態学』時潮社

8. 科学博物館における生命系トランス・サイエンス問題の展示に関する課題と提言

中里 勝芳8. 1. 本稿の課題

科学系博物館(以後,博物館)は,1950年代から急速に発展した科学技術の成果を社会に伝える場として大きな役割を担ってきた。しかし,博物館は,種々の科学技術が利便性だけでなく問題を引き起こす可能性を秘めていることを来場者に伝える場でもあり,我々が科学技術をどう使いこなすのか?という疑問を投げかける場として機能することが望まれる。ところが,本総合研究で行われた “科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査” の結果から明らかにされたように,トランス・サイエンス問題を展示している博物館はまだまだ少ない。特に,植物系,動水族系の博物館で少ないようである。そこで,最初に,生命系のトランス・サイエンス問題について簡単に述べ,この問題を博物館で展示する場合の課題について筆者の考えを述べることにする。生命系のトラン・サイエンス問題として,以下のような問題が挙げられるであろう。

・クローン技術を人に応用することは認められるのか?・着床前診断はどのような病気まで対象とするのか?・不妊治療における性選択は認められるのか?・出生前診断はどの範囲で利用されるべきと考えるのか?・人の遺伝子組み換えは社会にどのような影響をもたらすのか?・遺伝子組み換え作物は人体や自然環境へどのような影響をもらすのか?・政府が設定した年間20mSvという放射線被ばく線量の上限は適切なのか?・除草剤および殺虫剤の使用はどのように人や自然環境に影響するのか?・プラスチック多用社会は海洋生物や人にどのような変化をもたらすのか?

等である。ここでは,紙面の関係で,(1)クローン技術(2)着床前診断および(3)政府が設定した年間20mSvという放射線被ばく線量に関するトランス・サイエンス問題について,筆者の考えを交え簡単に述べておく。

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8. 2. 典型的生命科学トランス・サイエンス問題

(1)クローン技術は人に応用することは認められるのか?クローン技術は,1996年にイギリスでクローン羊「ドリー」が誕生して大きな注目を集め

た。「ドリー」に用いられた体細胞核移植クローン技術は,現在,畜産や医療分野で応用されているが,クローン人間産生の問題が生じている。この問題は,2018年2月に,中国科学アカデミーの研究グループが,世界で初めて猿のクローン(遺伝情報が同じ個体)の作製に成功(Z. Liu et al.2018)したことにより,より現実味のある問題になってきているように思う。このグループは,人に近い疾患モデルとしてクローン猿を利用できれば,医学研究がさらに進展すると期待を示している。しかし,クローン人間の作製に繋がるのではないかという大きな懸念がある。我が国では,クローン人間産生を禁止した「クローン技術規制法」が施行されており,子どもを亡くした親は,その子どものクローンを作りたいと期待を抱くことがあっても作れない。また,自分と同じ遺伝子を持つクローン人間ができるならば,臓器移植で問題になる免疫的拒絶反応はなくなる等の利便性があり,自分の臓器をクローン技術で作りたいと思う人がいるだろうが作れない。クローン人間の作製は現在世界各国で禁止されているが,近い将来クローン人間の作製が認められる可能性はあるのだろうか。この技術の人への応用を認めるかどうかという生命倫理問題は新たな局面を迎えているように思える。一部の専門家のみで判断できる問題ではなく,人類社会に投げかけられたトランス・サイエンス問題である。

(2)着床前診断はどのような病気まで対象とするのか?着床前診断は,体外受精でできた受精卵の染色体や遺伝子に変化がないかどうかを調べ,病気を持たない可能性が高い受精卵だけを母親のおなかに戻す方法で,日本では1998年に,重い遺伝病の赤ちゃんが生まれる可能性がある場合に限り認められた(苛原・青野,1998)。

しかし,受精卵の段階で遺伝子や染色体に変化がないものだけを選ぶことは,病気や障がいのある人への差別につながるという意見があり,対象者が限られている。今後,この診断の対象をどこまで広げるかが問題になるだろう。専門家だけに任せておけば良い問題ではなく,我々一人ひとりが考えなければならない身近なトランス・サイエンス問題である。

(3)政府が設定した年間20mSvという放射線被ばく線量の上限は適切なのか?この問題については,専門家の間でも意見が分かれている。その理由は,勿論,低放射線

被ばく量が人体に与える影響については,科学的に明らかにされていないからである。民間機関(ICRP)がつくった国際的な合意では,緊急時は年間20mSv以上の地域は避難地域にすることになっており(草間,1991)2019年9月現在でも福島県内に居住していた多くの市民が避難している。しかし,年間20mSvという放射線被ばく線量未満の地域ならば大丈夫なのだろうか。現在は被ばく状況なので,年間放射線被ばく線量の上限を20mSvと設定して

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いるが,原発事故による放射能汚染がなかったならば,年間1~20mSvの間のどこかを選ぶことになっている。年間20mSvというのはその中で一番高いので,とても子どもが住めるところではないと考える専門家がいるのは事実であり,幼子をもつ多くの親は年間20mSv

以下になった地域でも戻っていない。年間20mSv以下とう基準で本当に大丈夫なのだろうか。20mSvという基準は,市民の意見を聞かずに専門家と国(政府)だけて決めて良いのだろうか,現在進行中のトランス・サイエンス問題である。

8. 3. 博物館における展示のあり方

上記したように,人の命に関わるトランス・サイエンス問題は,一面で確かに科学的な問題ではあるが,同時に,生命倫理,人々の価値観,さまざまな規範,政治的・社会的な問題,経済的・政治的な利害関係などが重なっている複雑な問題である。従って,この問題を展示するには,展示の方法や内容については多方面からの配慮が必要になる。しかし,これらを配慮しすぎて,博物館は展示を断念しないで頂きたい。博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示の最大の目的は,多くの来場者に個々の問題について考えるきっかけを与えることであり,全ての来場者が納得できる答えを提示することではない。そもそも,誰もが納得する正解がないのがトランス・サイエンス問題である。そこで,博物館において生命系のトランス・サイエンス問題を取り上げる場合の具体的な

課題について筆者の考えを述べてみたい。最初に考えておきたいのは,来場者には小さな子どもから後期高齢者までおり,生物系のトランス・サイエンス問題についての関心や理解力は様々であるということである。多くの来場者は,遺伝子組み換え技術,クローン技術や出生前診断技術等がどのような技術なのかをしっかり学んだ経験がなく,「遺伝子組み換え作物は人体や自然環境へどのような影響をもたらすのか?」と唐突に問われても困ってしまうであろう。生物系のトランス・サイエンス問題の展示については,年齢や知識レベルを十分に考慮して行わないと,この問題を正しく伝えることが出来ず,誤解をまねく恐れがある。特に子どもたちは,科学技術の一面であるリスクのみを恐れて,クローン技術や遺伝子組み換え技術そのものが恐ろしいものであると考えてしまいがちである。そうなってしまっては展示の意味がない。この問題を多面的に捉える能力が未発達な段階の子どもたちにこの問題を正しく理解させるには,展示の内容や方法を慎重に検討する必要があるだろう。そこで,特に子供への対応について述べることにする。博物館の展示は,一般に,おおよ

そ高校生以上を対象とした内容になっていることが多いようである。筆者は,生物系のトランス・サイエンス問題についても,展示のターゲットは高校生以上にしたほうが良いと思っている。高校生は生命系の技術のいくつかをすでに学習している者も多く,この問題への関心も高いように思うし,科学技術を単に利便性の面からだけではなくリスク面を含めてある程度総合的に考える能力もあるように思う。しかし,中学生くらいの子供は,そもそも,クローン技術や遺伝子組み換えなどがどのような技術なのかを理解している子供は極めて少な

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

く,“クローン技術によるペットの作成に賛成か反対か”,“遺伝子組み換え食品を利用するかしないか” という身近なテーマで尋ねれば,それなりに答えるであろうが,トランス・サイエンス問題として正しく理解して答えているわけではないだろう。小学生くらいの子供になると,もはや,やさしい言葉で書いた展示にしても,保護者の適切なサポートなしに題材の内容を理解できないだろう。従って,保護者自身が理解できる題材である必要がある。小学生にトランス・サイエンス問題をある程度正しく理解させることは,たとえ保護者からの適切なサポートがあったとしても実際は相当難しく,単に誤解や恐れを招く結果になりかねない。トランス・サイエンス問題の展示はロボットやロケットの展示と大きく異なり,観るだけである程度理解できる展示ではないので,低年齢の子供たちへの対応は慎重に行うべきである。展示スペースに余裕があるならば,小学生以下用,中学生用,高校生以上用と分けて,題材に対する関心の高さ,知識レベル,理解力のレベルなどを考慮した展示をすることはできるだろうが,実際に出来るところは少ないだろう。従って,1つ展示物を作ることになり,ターゲットを絞ることになる。筆者は,以上の理由から,高校生以上をターゲットにする展示内容で良いと思う。トランス・サイエンス問題について来場者に考えてもらうためには,単に展示をするだけ

では不十分であるように思う。それを補完するために,サイエンス・カフェ的なワークショップが有効だろう。サイエンス・カフェ(滝澤,室伏,2009)は,トランス・サイエンス問題を専門家だけでなく,専門以外の人々(博物館では子供を含めた来場者)が意見を交わし合う場であり,この場で学芸員等が特定の技術について説明し,その技術のリスクを来場者に問うという方法が良いと思う。その場合でも,題材に対する関心の高さ,知識レベル,理解力,話し合いのスキルレベルなどは個々の来場者で異なるため,どのような来場者をターゲットにするかは重要である。説明者が,その場での会話を通して,子供の関心の高さ,知識レベル,理解力をある程度把握して話すことができるのであれば,小・中学生でもこの問題を考えさせるターゲットになると思う。

8. 4. 今後の課題

急速に発展する生命系の技術は人の命に直結する身近な技術ではあるが,この技術がもたらす不都合な部分をトランス・サイエンス問題として捉える考え方はまだまだ普及していないのが現状である。その背景には,学校教育において,生物や自然環境を対象とするトランス・サイエンス問題に関する授業が,ごく一部の学校を除いて行われてこなかった歴史がある。その結果,子どもから大人まで,この問題への対応経験がなく,関心も低い状況になっているように思う。理科教育においては急速に発展する科学技術の成果や利便性を伝えるだけでなく,科学技術が個人や社会にリスクをもたらす可能性があることを教え,そのリスクに対して考えさせる教育が求められている。多忙な教育現場で,トランス・サイエンス問題を取り上げる時間は限られるが,子どものころからこの問題に関心を持たせる教育が必要で

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科学系博物館におけるトランス・サイエンス問題の展示等の調査

あろう。このような状況で,博物館が展示やサイエンス・カフェ的なワークショップを通して,来場者にトランス・サイエンス問題に関心をもってもらうよう努力することは大きな意味をもつ。積極的な取り組みを期待したい。

〈参考文献〉

Z. Liu et al. (2018)「Cloning of Macaque Monkeys by Somatic Cell Nuclear Transfer」Cell http://

dx.doi.org/10.1016/j.cell.

苛原稔・青野敏博(1998)「世界における着床前診断の現状」『産婦人科の世界』50(4):259-264.

草間朋子編(1991)『ICRP1990年勧告-その要点と考え方-』日刊工業新聞社 .

滝澤 公子:室伏 きみ子(2009)『サイエンスカフェにようこそ !―科学と社会が出会う場所』富山房インターナショナル .

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