学校建物の耐震性能向上手法 · 2012-08-22 · 27 chapter 3...

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C hapter 3 学校建物の耐震性能向上手法 北山和宏 大規模改修やコンバージョンの対象となる学校建物は比較的単純な 構造で成り立っていることを今まで説明してきました。日本のよう に地震が多発する地域においては、地震に遭遇したときに建物がど のように挙動して地震に耐え得るのかという性能(これを耐震性能 と呼びます)が重要となります。 ここでははじめに、既存の学校建物の耐震性能の特徴とその弱点は どこにあるのかについて説明します。 次に、耐震診断を行って耐震性能が劣っていると判断された場合、 耐震補強を施して建築構造としての耐震性能を向上させることが必 要になりますが、同時に空間の質もアップ・グレードするためには どうしたらよいのかについて考えてみます。 最後に耐震補強の基本的な考え方とその具体的な方法についてご紹 介しましょう。なおここでは学校建物に最も多く用いられている鉄 筋コンクリート造(RC)を主な構造種別として話を進めます。

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Chapter 3学校建物の耐震性能向上手法

北山和宏

大規模改修やコンバージョンの対象となる学校建物は比較的単純な構造で成り立っていることを今まで説明してきました。日本のように地震が多発する地域においては、地震に遭遇したときに建物がどのように挙動して地震に耐え得るのかという性能(これを耐震性能と呼びます)が重要となります。ここでははじめに、既存の学校建物の耐震性能の特徴とその弱点はどこにあるのかについて説明します。次に、耐震診断を行って耐震性能が劣っていると判断された場合、耐震補強を施して建築構造としての耐震性能を向上させることが必要になりますが、同時に空間の質もアップ・グレードするためにはどうしたらよいのかについて考えてみます。最後に耐震補強の基本的な考え方とその具体的な方法についてご紹介しましょう。なおここでは学校建物に最も多く用いられている鉄筋コンクリート造(RC)を主な構造種別として話を進めます。

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学校建築の構造の特徴による弱点桁行方向の耐震性能が劣る

 日本における学校建物の多くは、南側に教室を配して北側の片廊下でつなぐという一文字形の平面形状を採用しています。典型的な柱割りタイプを図3-1に示します。桁行方向(長手方向のこと)のスパン(柱と柱との間隔)は4mから9mで、4m程度の場合には教室の中間に柱がきます(同図 (b))。張間方向(短手方向のこと)のスパンは7mから8mが多いようです。教室間の戸境には鉄筋コンクリート(RC)耐震壁を配置することが多いので、建物の張間方向の耐震性能は比較的優れています。 しかし桁行方向では採光や通風が要求されるため、必然的に耐震壁のない純フレームで架構を形成することになります。廊下の北面では垂れ壁・腰壁を付けることが多いのでRC柱の内法高さが小さくなって(これを短柱と呼びます、図3-2参照)、地震時にもろくて危険な破壊を生じやすい形状を呈しています。すなわち、斜めのひび割れが交差して発生して水平力に抵抗できなくなり、最後は自分の重さ(自重)を支えられなくなります。このような破壊を専門的にはせん断破壊と呼びます。その例を写真3-1に示しました。これらの理由で学校建物の桁行方向の耐震性能は張間方向と比較して一般には相当に劣っています。

張間方向の耐震性能の弱点—耐震壁の偏在と下階壁抜け— 耐震壁の存在が耐震性能を引き上げている張間方向ですが、その耐震壁の配置によっては逆に弱点になることもあります。平面的に見て耐震壁が偏って配置されている場合および立面的に見て下階の耐震壁が無い場合です(図3-3参照)。 前者では建物の固い部分(すなわちRC耐震壁)が偏在することによって、建物全体のねじれ振動が発生して耐震性能に悪影響を与えます。後者は、例えば1階の職員室では広い空間を確保するために耐震壁を設置せずにぶち抜きの居室としますが、その上部の2階、3階、4階には普通教室を設けるので耐震壁を設置している、というような場合です。このような事例を下階壁抜けと呼びますが、弱点となるのは耐震壁が抜かれている1

階のRC柱です。

■3-1  学校建物の耐震性能上の弱点はどこか

廊下

張間方向

桁行方向

普通教室

廊 下

普通 教室

8~9m 約4m 約4m

7~8m

7~8m

図3-1 教室棟の典型的な柱割り

写真3-1 鉄筋コンクリート柱のせん断破壊

水平力 P

細長い柱短柱

腰壁

垂壁

内法高さ

変形小

変形大

耐震壁

耐震壁

偏心距離

地震力

耐震壁

耐震壁

剛性:大

剛性:大

剛性:小

図3-2 垂れ壁・腰壁と短柱

(a)耐震壁の偏在とねじれ振動

(b)下階壁抜け  (不適切な剛性分布)

図3-3 不適切な構造計画

(a)1スパンタイプ (b)2スパンタイプ

廊下

張間方向

桁行方向

普通教室

廊 下

普通 教室

8~9m 約4m 約4m

7~8m

7~8m

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Chapter 3 学校建物の耐震性能向上手法

下階壁抜けが弱点となる理由 その理由を簡単に説明しましょう。地震によって発生した水平方向の慣性力は上階から下階へと柱、梁や耐震壁のなかを通って地面にまで達します。このときRC耐震壁はRC柱に比較して数倍から十倍程度の耐力を発揮できますが、下階壁抜け部分では図3-4のように上階の耐震壁が負担した水平力を1階では二本のRC柱(これを下階壁抜け柱と呼びます)で受けざるを得ません。また地震時に骨組を転倒させようとする作用に対して、下階壁抜け柱が踏ん張って抵抗しますので過大な圧縮軸力も生じることになります。 1階の下階壁抜け柱が崩壊すると、その柱が負担していた自重を支えることができなくなることが多く、その結果建物の部分崩壊を招きますので特に注意が必要です。下階壁抜け柱の地震被災例を写真3-2に示します。これは昭和38年に建設されたRC3階建ての学校建物で、図3-5のような平面および下階壁抜

けを有していました。1階は料理教室のため耐震壁が抜かれており、壁抜け柱は激しくせん断破壊するとともに軸力を支えきれずに10cmほど沈下しました。

一文字形校舎の弱点 ここまでは建物の桁行・張間各方向について個別に説明してきましたが、一文字形校舎の桁行方向の長さが長いこと自体が実は耐震性能上は好ましくないことなのです。鉄筋コンクリート建物では通常は床スラブもRCで作りますから、ワン・フロア全体の床スラブを一体と見なすことができます(これを剛床の仮定と呼びます)。ところが一文字形校舎のように床スラブが平面的に細長くて、張間方向の耐震壁が少ない場合にはそうはなりません。すなわち図3-6のように建物の両端と中央部分とで揺れ方が異なるというような現象が生じて、耐震壁や柱などの水平力抵抗要素が有効に機能しなくなるのです。同様の現象は吹き抜けがあるような建物でも起こり得ます。

地震力

せん断力

せん断力

せん断力

引張り軸力 圧縮軸力

変形の様子

5通り軸組図

a通り軸組図

1階平面図と部材損傷度

a b c

cb

a

1 2 3 4 5 6 7 8

2.5m 2.5m9m 9m 9m 9m 9m 9m 9m

2.5m

9m

事務室

料理室

腰壁(t=120mm)

下階壁抜け8m 2.5m

3.6m

3.6m

3.6m

床スラブの変形

地震力

図3-4 下階壁抜け骨組の力の伝達

写真3-2 下階壁抜け柱の地震被災例 図3-5 下階壁抜け柱に甚大な被害を生じた学校建物の平面と軸組

図3-6 細長いプランで剛床が成立しない例

鉄骨梁

鉄筋コンクリート柱

鉄筋コンクリート柱

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屋内体育館の問題 最後に学校には必ずある屋内体育館について触れておきます。これは地震発生後には近隣住民の避難場所として使われることも多く、校舎と同様に重要な施設です。屋内体育館の構造形式は多種多様ですが、RC造の片持ち柱の上部に鉄骨梁を載せて鉄骨屋根を支えるというのが一般的な架構形式でしょう(図3-7)。古い(1981年以前に竣工した)屋内体育館の鉄骨屋根に設けられた屋根面ブレースは貧弱なことが多く、その場合には剛床の仮定が成り立ちません。そうすると妻面に立派なRC

耐震壁があっても有効に機能せず、建物中間部の片持ち柱の転倒などによって破壊することになります。桁行方向の構面ブレースが不足していることもよくあります。このような場合には大地震に遭遇すると写真3-3のように構面ブレースが破断するなどして、地震抵抗能力をほとんど失ってしまいます。 鉄骨屋根の代わりに軽量薄肉プレキャスト・コンクリート(PC)版を載せた屋内体育館もときに見られます。しかし兵庫県南部地震(1995年)の際にこの形式のPC版屋根が落下する被害が発生しました。その例を写真3-4に示します。このような被害からこの構造形式の屋内体育館は大変に危険なことが認識されたため、早急な耐震補強が必要です。

構造形態以外の耐震性能の弱点劣悪なコンクリートの問題

 以上は建物の構造形態に起因する耐震性能上の弱点でしたが、鉄筋コンクリート建物を作り上げている肝心のコンクリートについても注意する必要があります。これは学校建物に限られた話ではありませんが、昭和40年代の高度経済成長期に建てられたRC建物には品質の劣悪なコンクリートが打設されることが多かったようです。この当時、設計時に想定したコンクリートの圧縮強度は18~21MPa ですが、コア抜きをして実際のコンクリート強度を調べるとこれを下回ることがよくあり、ひどいときには10MPa 未満の場合もあります。コンクリートの圧縮強度があまりに低いと自重を支えるのがやっと、ということになります。そのような建物に耐震補強を施そうとしても有効な手法がなかなか見つからないのが現状です。

図3-7 屋内体育館のよくある架構形式

写真3-3 屋内体育館の構面ブレース・ガセットプレートの溶接部 破断

写真3-4 屋内体育館のPC版屋根の落下 (今井弘筑波大学教授提供)

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Chapter 3 学校建物の耐震性能向上手法

■3-2 耐震性能と空間の質とを同時に向上させるには

大規模改修2つの方法 今までは耐震補強とそれ以外の大規模改修とを別個に計画して実施することが一般的でした。しかし建物を使う側からすれば安全で居心地の良い空間が創出されればよいのですから、耐震補強と建築計画的な改修や断熱改修とは本来同時に計画されて実施されるべきものでしょう。そのほうが空間の使い勝手、工期および経費の面からも有利であると考えられます。 これまでの調査検討から、大規模改修の計画に当たって空間単位としての普通教室はほぼ保全されることがわかりました。そこで例えば新しい教育形態に対応できるオープンプランを実現するためには、主に以下の二つの方法が考えられます。①�教室と廊下とのあいだの桁行方向の間仕切りを(部分的に)撤去して空間を拡大する。②�張間方向の耐震壁を撤去したり、耐震壁に開口を設けることによって空間を拡大する。 ここでは耐震補強を施しながら空間を拡張して、その質をアップ・グレードする方法について考えてみます。

⑴ 水平方向への拡張 上記①の方針を採用したときの改修例を図3-8に示します。この例では間仕切りの非構造壁を完全に撤去しているので、耐震補強用の増設部材は教室南側あるいは廊下北側のRC骨組に設置しています。換気や採光を考えると陳腐ではありますが鉄骨ブレースやプレキャスト・コンクリートブレースを使用することになります。ただし最近では鉄骨格子(写真3-5)や半透明のFRPブロックによる耐震補強工法(写真3-6)も提案されており、間仕切り壁の一部あるいは全部をこのような耐震補強部材に置き換えて通気や採光を確保することも可能になっていますので、一考の価値はあるでしょう。 太田市立休泊小学校(5章4の1参照)のように新規にRC骨組を増設して耐震補強に役立てるとともに空間も拡大する、という方法は魅力的ですが、床面積の増加をともなうためやや特殊な方法と言えるでしょう。 なお耐震補強部材が外部から目立つことを補強済みの印として好ましいと考える施主がいる一方で、補強部材はできるだ

P.S. 倉庫 P.S. 倉庫

普通教室

普通教室 普通教室

普通教室 普通教室

ワーキングスペース ワーキングスペース

可動間仕切り 可動間仕切り

開口付耐震壁増設

鉄骨ブレース補強

談話コーナー

相談室 ロッカーベンチ

(a)改修前

(b)改修後

図3-8 桁行方向の間仕切り撤去による空間の拡大と耐震補強

(a) 学校建物に設置した例 (木質版で仕上げ)

(b) 施工状況

写真3-5 鉄骨格子による耐震補強工法(竹中工務店提供)

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け目立たないことを希望する施主もいます。耐震補強工法の決定にあたっては設計者と施主との十分な意志疎通が大切です。 上記②の方針を採用したときの耐震補強例を図3-9に示します。図書室やコンピュータ室など比較的広い空間への用途変更を実現するためには張間方向の耐震壁を撤去したり、開口を設けたりすることが必要になります。これによって張間方向の耐震性能は当然低下します。そこで撤去した耐震壁分の耐力を補うため、ほかの位置にRC耐震壁を増設したり既存耐震壁のコンクリート厚さを増やしたりして補強することが望まれます。学校校舎の張間方向の耐震性能は前述のようにかなり良好であることが多いのですが、むやみに耐震壁を撤去することは厳に慎むべきです。耐震壁を撤去するときには平面内での耐震壁配置がアンバランスにならないように注意して下さい。また耐震壁撤去によって下階壁抜けフレームとなることは避けるべきですが、使い勝手からやむを得ない場合には下階壁抜け柱の巻き立て補強(RC、鋼板、炭素繊維シート)などによって、過大な圧縮軸力に対する耐震補強を行うことが不可欠となります。桁行方向の耐震補強部材を下階壁抜け柱の補強に兼用することも有効です(図では南構面の下階壁抜け柱を抱きかかえるように鉄骨ブレースを桁行方向に設置しました)。 このほかに室用途変更にともなう積載荷重の増加、耐震壁を

撤去することによる張間方向大梁の長期たわみに関する検討なども必要になります。 既存耐震壁に開口を設ける場合には不要なコンクリートをハツリ取って鉄筋を切断しますが、開口周りには新たに補強筋を配することが望まれます。また図3-10のように通路程度の小さい開口が連層で設けられると、開口上下の短スパン梁の破壊によって開口耐震壁の耐力が決定されてしまうことが多々あるため、その検討も必要となります。

⑵ 鉛直方向への拡張 床スラブを撤去して吹き抜けを設けたり階段を新設することによって、空間にダイナミズムを与えることが可能になります。これは学習活動には直接には関係しないかも知れませんが、豊かな空間体験を幼少の頃から経験することは情操教育の面で大いに貢献できるはずです。上下の空間のちょっとした繋がりがそこを利用するひとびとにワクワク感を与えることは多くの方が経験済みだと思います。ただ床スラブの撤去には技術的な問題があり、簡単ではありません。また撤去する床スラブの位置や面積によっては剛床が成立しなくなるような場合(図3-11)があるので注意が必要です。床を撤去できたらつぎは梁も、というふうになり勝ちですが、大梁を撤去すると骨組を構成できなくなって文字通り建物の屋台骨を揺るがすこととな

開口付き耐震壁補強

RC巻き立て補強

開口新設

RC耐震壁増し打ち補強

RC耐震壁増し打ち補強

耐震壁撤去(下階壁抜け) 

鉄骨ブレース補強

上下に連なる開口

上下方向のせん断力による破壊

地震力

開口上下の短スパン梁

図3-10 開口上下の短スパン梁の破壊図3-9 張間方向の耐震壁撤去による空間の拡大と耐震補強

写真3-6 FRPブロックによる耐震補強工法(大林組HPより転載)

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Chapter 3 学校建物の耐震性能向上手法

りかねません。 最近では屋上での建屋の増設も行われています。既存建物の屋上に免震層を新設してその上にさらに建物を増設する、というやり方です(例:海城学園校舎増築工事、2006年)。まさに「屋上屋を重ねる」事例と言えましょう。下部の既存躯体もそれなりに耐震補強することが必要ですが、狭隘敷地や建物密集地域では有効かも知れません。

⑶ 昇降口から他の用途への変更 学校校舎には広い昇降口を設けるのが一般的です。しかし近年の少子化にともない児童・生徒数が減少したことによって、複数ある昇降口を一つにまとめることができる場合や昇降口の面積を縮小できる場合がでてきます。後者では新たに戸境になる耐震壁を増設することが可能になるので、図3-12のように既存耐震壁の撤去と同時に行えば張間方向の耐震性能の低下を防止できます。そのほか、昇降口棟を新設することによって不要となった昇降口を一般居室に転用することもできます。

耐震壁を新設

新しい昇降口

昇降口だったスペース

耐震壁撤去

教室を拡張

床スラブおよび小梁の撤去

教室 教室 教室 教室

建物が左右に分断される

地震力中央の床スラブがないため、左側に作用する地震力を右側に伝達できない

鉄骨格子

袖壁補強 垂れ壁・腰壁撤去

開口新設

RC増し打ち補強巻き立て補強鉄骨ブレース

床スラブ撤去

開口付き耐震壁

図3-12 昇降口スペースの縮小と耐震壁の新設図3-11 床スラブの撤去によって剛床が成立しなくなる例

図3-13 さまざまな耐震補強方法と改修事例

まとめ —耐震性能と空間のアップ・グレード— ここまで空間の質を向上させながら耐震補強する方法をいろいろと述べてきましたが、これらをひとつの絵にまとめたものを図3-13に示しました。様々な要素をてんこ盛りにしたポンチ絵ですからリアリティはありませんが、耐震補強を実施する際のイメージ作りやチェック・リストとしてご覧下さい。

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■3-3  耐震補強の考え方とその方法

補修と補強 ここまで耐震補強という用語を既に使ってきましたが、はじめにこの定義を明確にしておきましょう。図3-14に示すように建物の耐震性能は経年とともに少しずつ劣化してゆきますが、大地震などの災害によって大きく低下します。この低下した性能を竣工当初の性能に戻すことを「補修」、それよりも高い性能を付与することを「補強」と呼んで区別します。現行耐震法規の根幹が施行された1981年以前に建てられた建物の耐震性能は一般に低いですから、このような建物の耐震性能を現行法規並みに引き上げることは「補強」と言ってよいわけです。 ここでは耐震補強の考え方および耐震補強の具体的な工法例について簡単に説明します。また学校校舎の耐震補強で最もよく用いられる鉄骨ブレースの補強効果について実験例を引きながら解説します。

⑴ 耐震補強の考え方 建物が地震動などの外から作用する力に抵抗する物理的な根本はつぎの二つです。ひとつは建物に付与された高い強度、もうひとつは各々の部材にねばり強さを確保して大きい変形まで変形できることです。両者ともに外部から建物に入ってくるエネルギーを吸収するための物理事象ですが、エネルギー吸収ができなくなるとき、その建物は破壊するということになります。 既存建物の耐震補強も基本的にはこの原理に則って行います。図3-15にその概念を示します。すなわち既存建物の強度を増加させる補強(図では強度抵抗型)と変形性能(専門的には靱じんせい

性と呼びます)を増加させる補強(図では靱性抵抗型)です。

この両者を混ぜ合わせた混合抵抗型の補強もあります。いずれの方法を採用するにせよ大切なことは、既存建物の物理性状に適合した補強方法を採用することです。例えば比較的壁の多い建物に対してスリットを切る補強*1をしても実際には役に立たないどころか、逆に建物の強度を引き下げてしまい補強の体をなさないことになります。スリット切りはその隣接部材の変形性能を増加させ、その代わりに強度は低下する、というものだからです。注�*1)スリット補強とは、RC柱の脇に垂れ壁や腰壁が存在して図 3-2 のように短柱となるような場合に、それらの雑壁と柱とのあいだにすき間を新設することによって短柱を細長い柱に変える工法のことです。せん断破壊を防ぎ、よい壊れ方である曲げ破壊を生じさせることができますが、強度は一般に低下します。

 強度抵抗型の具体的な補強手法としてはRC耐震壁や袖壁の増設が広く用いられています。靱性抵抗型の補強では、既存のRC柱に対して鋼板や炭素繊維シートを巻き付ける方法や鉄筋コンクリートを巻き立てる方法などがあります。混合抵抗型の補強としては枠付きの鉄骨ブレースが挙げられます。 学校建物は常時、児童・生徒が過ごす場所であり、大地震発生後には近隣住民の避難場所にもなるところです。これを考えると地震後の損傷はなるべく抑えるべきでしょう。この理由から学校建物の耐震補強は原則として強度抵抗型あるいは混合抵抗型とすべきである、と筆者は考えます。 なお制振装置や免震装置を利用した耐震補強も最近ではよく行われますが、低層の学校建物ではその効果を発揮しにくいこともあって実施事例は少ないようです。

性能

時間

竣工当初の性能

経年劣化

経年劣化の加速

災害

補修

補強

地震入力の低減

エネルギー吸収能力の増大

免震補強

強度

靭性(変形性能)

既存の性能

いずれの方針を採用するにせよ…… 既存建物の性状に合った補強方法を採用することが大切

強度抵抗型

混合抵抗型

靭性抵抗型

目標性能

制振補強

図3-14 耐震補強の定義 図3-15 耐震補強の基本的な考え方

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Chapter 3 学校建物の耐震性能向上手法

⑵ 耐震補強の具体的な工法例 既存のRC建物を耐震補強するためには上述のような考え方に従って具体的な手段を講じることになります。ここで重要なことはいずれの考え方を採用するにせよ、既存のRC躯体に「何か」をくっつけなければいけない、ということです。具体的に言うと、増設するRC耐震壁や枠付き鉄骨ブレースを既存のRC躯体に緊結して、力がしっかりと流れることを確保することが必要なのです。ところが既存のコンクリートはすでに固まっていますから、これに「何か」をくっつけるのは容易ならざる事態であるということはご明察の通りです。 これを実現するために通常は「あと施工アンカー」を用います。その詳細を図3-16に示します。既存のRC躯体にドリルで穴を開けて、そこに頭付きの鉄筋(これがアンカーです)を打ち込んで接着剤などでしっかり止めるというのが一般的な施工方法です。このほかに補強部材を接着剤で丸ごと既存躯体に貼り付ける方法や、貫通した穴にPC鋼棒を通してナットで締め付けて圧着する方法もあります。 これらの耐震補強部材を既存躯体に取り付けるには騒音や粉塵が発生し、かなりの工期も必要です。そのため補強工事中は授業ができないという欠点があります。これを避けるために建物外部に補強部材をペタッと取り付けるような(外付け工法)、「居ながら補強」工法が近年注目されています。このような工法の幾つかでは多くの実験的検討によってその効果が確

認されているものもありますが、頭のなかで考えただけで実験による検証が不十分なものもあります。そこで、外付け工法を採用しようとするときには「ちょっと待てよ」という熟慮が必要でしょう。「あと施工アンカー」を用いて取り付けたRC耐震壁の例を写真3-7に、外付け工法の例を写真3-8にそれぞれ示します。

⑶ 鉄骨ブレースの補強効果について 耐震補強のために既存RC躯体に組み込む枠付き鉄骨ブレースを外観が無骨だと言って嫌う設計者もおります。筆者もそれは認めますがもう少しデザインの仕様もあるのでは、とも思います。要はちょっとばかりお金と智恵との両方を掛けるということではないでしょうか。このように賛否のある鉄骨ブレースですが、通気や採光をある程度確保できるため教室南面に設置する事例が多いようです(写真3-9)。 鉄骨ブレースを組み込んで耐震補強する場合、上下の層を連ねて補強すること(これを連層ブレースと呼びます)が力の流れから考えると合理的です。このような連層ブレースの補強設計法はもちろん確立していますが、その効果を実験によって検討した研究は今までほとんどありません。筆者は幸い科学研究費補助金を得て、そのような実験を行う機会に恵まれました。 連層ブレースを含む骨組の破壊形式として、ブレースの斜材が降伏・座屈するモード(単層のブレースでは通常このように破壊するよう設計します)を別とすると、図3-17に示すように

p

t

g

160~250

h’

dse2

e1e1≧60g ≧60

t ≧ds/4

あと施工アンカー(樹脂系接着剤使用)

既存RC躯体

目荒し

スパイラル筋

スパイラル筋

頭付きスタッド

モルタル充填

鉄骨枠(H型鋼の

片側フランジをカット)

鉄骨枠

写真3-7 RC耐震壁の増設(神戸市提供) 写真3-8 RC外付け耐震補強工法の例(千葉県松戸市寒風台小学校、ピタコラム工法、㈱矢作建設工業提供)

図3-16 「あと施工アンカー」による既存RC躯体との接合

34

-300

-200

-100

0

100

200

300

-5% -4% -3% -2% -1% 0% 1% 2% 3% 4% 5%

Drift Angle

Stor

ySh

ear

Forc

e,kN

Uplift rotation failureSpecimen No.1

Qmax=215.0kN

Predicted capacity(Uplift rotation)

Predicted capacity(Entire flexure)

Occurrence of uplift ofbase foundation

-300

-200

-100

0

100

200

300

-5% -4% -3% -2% -1% 0% 1% 2% 3% 4% 5%

Drift Angle

Stor

ySh

ear

Forc

e,kN

Entire flexural failureSpecimen No.2

Qmax=269.8kN

Entire flexural capacitycomputed without restrainingeffect of boundary beams

Entire flexural capacity computed withrestraining effect of boundary beams

ブレースに隣接する柱主筋の破断

-300

-200

-100

0

100

200

300

-5% -4% -3% -2% -1% 0% 1% 2% 3% 4% 5%

Drift Angle

Stor

ySh

ear

Forc

e,kN

Uplift rotation failureSpecimen No.1

Qmax=215.0kN

Predicted capacity(Uplift rotation)

Predicted capacity(Entire flexure)

Occurrence of uplift ofbase foundation

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Drift Angle

Stor

ySh

ear

Forc

e,kN

Entire flexural failureSpecimen No.2

Qmax=269.8kN

Entire flexural capacitycomputed without restrainingeffect of boundary beams

Entire flexural capacity computed withrestraining effect of boundary beams

ブレースに隣接する柱主筋の破断

水平力 変形

連層ブレースごと基礎から浮き上がる場合と、ブレースに隣接するRC柱の全主筋が引張り降伏して片持ち柱のように曲げ降伏する場合とが考えられます。そこでここでは、この二通りの破壊が生じるように2層3スパンの縮小RC骨組試験体を設計して地震力を模擬した加力実験を行いました。 最終的な破壊の様子を写真3-10に示します。左では、連層ブレースを含む部分骨組右側の基礎が浮き上がっているのがわかります。右では、ブレース脚部のコンクリートが激しく損傷しており、写真では分かりませんがブレースに隣接するRC柱の主筋は全て破断しました。各試験体の力と変形との関係を図3-18に示します。横軸は変形、縦軸は水平力をそれぞれ表します。基礎の浮き上がりによって破壊する場合には、耐力は比較的小さいですが変形性能は豊富であることがわかります。図では部材角3~4%近くの大変形まで相当の耐力を保持しています。これに対してブレース脚部で全体曲げ破壊した場合には最

大耐力は大きいですが、部材角2%を超える大変形において急激に耐力が低下しました。これは柱主筋がつぎつぎに破断したためです。 このように二通りの破壊形式にはそれぞれ特徴があります。しかし、低層の学校建物の耐震補強では比較的小さな変形で強度を発揮してエネルギーを吸収できればよい、ということを考えると、ブレース脚部での全体曲げ破壊のほうが基礎の浮き上がり破壊よりも耐震性能として総体的には優れている、と判断しています。ブレース脚部での全体曲げ破壊では部材角2%*2

の範囲内では十分な耐力を保持しており、かつエネルギー吸収量も多い(図のループの囲む面積がエネルギー吸収量です)ことがその理由です。注�*2)部材角 2%というのは相当に大きな変形で、地震時には間仕切り壁が壊れたりドアが開かなくなったり、RC躯体にはひび割れが多数発生してRC梁からコンクリート片が落下するような相当激しい被害を生じます。

⒜連層ブレースの浮き上がり回転破壊 ⒝�連層ブレース脚部の全体曲げ破壊(RC側柱の全主筋の引張り降伏とアンカー筋の抜け出し)

図3-17 連層鉄骨ブレースを含む骨組の破壊形式

⒜連層ブレースの浮き上がり回転破壊 ⒝�連層ブレース脚部の全体曲げ破壊

写真3-10 連層鉄骨ブレースで補強したRC骨組の実験における破壊状況(北山研究室) 図3-18 実験における水平力と変形との関係

写真3-9 鉄骨ブレースによる耐震補強(宮城県涌谷町立湧谷中学校)

(a)連層鉄骨ブレースの浮き上がり破壊

(b)連層鉄骨ブレース脚部の全体曲げ破壊