ch02 p42 75 - 世界遺産検定|npo法人 世界遺産アカ...

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浄土思想の宇宙観をあらわす建築と庭園 ちゅう そん 、毛 もう つう 、観 かん ざい おう いん あと 、無 りょう こう いん あと 、金 きん けい さん の 5 資産からなる『平泉― 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』は、この地の豪族であった 奥州藤原氏ゆかりの遺産。東北に極楽浄土を創り上げようとした藤原清 きよ ひら の思い が代々受け継がれ、11 世紀後半から 12 世紀後半の約 100 年間にわたり平泉は文化 の隆盛を誇った。藤原清衡は堀 ほり かわ 天皇の勅命を受けて中尊寺を再興し、金色堂を建 立した。2 代基 もと ひら は毛越寺を再興。観自在王院は基衡の妻が建立し、無量光院は 3 代秀 ひで ひら が造営している。 藤原氏は政治の主体が貴族政治から武家政治へ転換していく時代のなか、奥州で 産出される金の力を背景に、軍事に頼らない平和的な政治をこの地に実現させた。 この遺産は、平泉が東北地方の行政の中心地であり、さらには京都と肩を並べるほ どの都市であったことを今に伝えている。 構成資産は、8 ~ 12 世紀に日本に広まった仏教の浄土思想の宇宙観に基づいてい る。6 世紀に日本へと伝来した仏教は、日本古来の自然崇拝と結びついて、独特の 展開を見せた。11 世紀末には末 まっ ぽう 思想が広がり、 浄土思想が興隆したことで、人々 平泉―仏国土(浄土)を表す 建築・庭園及び考古学的遺跡群― 日本の遺産 中尊寺の金色堂。方三間の阿弥陀堂 建築としては日本最古の事例である World Heritage Sites in Japan 2 CHAPTER 平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び 考古学的遺跡群― Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land 登録年 2011年   登録基準 (ⅱ) (ⅵ) CHAPTER 01 2 岩手県 文化遺産 042 2

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浄土思想の宇宙観をあらわす建築と庭園中ちゅう

尊そん

寺じ

、毛もう

越つう

寺じ

、観かん

自じ

在ざい

王おう

院いん

跡あと

、無む

量りょう

光こう

院いん

跡あと

、金きん

鶏けい

山さん

の5資産からなる『平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』は、この地の豪族であった奥州藤原氏ゆかりの遺産。東北に極楽浄土を創り上げようとした藤原清

きよ

衡ひら

の思いが代々受け継がれ、11世紀後半から12世紀後半の約100年間にわたり平泉は文化の隆盛を誇った。藤原清衡は堀

ほり

河かわ

天皇の勅命を受けて中尊寺を再興し、金色堂を建立した。2代基

もと

衡ひら

は毛越寺を再興。観自在王院は基衡の妻が建立し、無量光院は3代秀

ひで

衡ひら

が造営している。藤原氏は政治の主体が貴族政治から武家政治へ転換していく時代のなか、奥州で

産出される金の力を背景に、軍事に頼らない平和的な政治をこの地に実現させた。この遺産は、平泉が東北地方の行政の中心地であり、さらには京都と肩を並べるほどの都市であったことを今に伝えている。構成資産は、8~12世紀に日本に広まった仏教の浄土思想の宇宙観に基づいてい

る。6世紀に日本へと伝来した仏教は、日本古来の自然崇拝と結びついて、独特の展開を見せた。11世紀末には末

まっ

法ぽう

思想が広がり、浄土思想が興隆したことで、人々

平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―

日本の遺産中尊寺の金色堂。方三間の阿弥陀堂建築としては日本最古の事例であるWorld Heritage Sites in Japan

2CHAPTER

平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land

登録年 2011年   登録基準 (ⅱ)(ⅵ)

CHAPTER 012岩手県

文化遺産

042

日本の遺産

2

『平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』の構成資産

阿あ

弥み

陀だ

如にょ

来らい

の極楽浄土を金箔で表現した金色堂には、藤原氏3代の遺体(ミイラ)と4代泰衡の首級が納められている。

中尊寺

毛越寺

観自在王院跡

金鶏山

無量光院跡

浄土庭園において仏国土を空間的に表現する際の中心的役割を果たす山。住居・政務の場となる居館を造営する際も、金鶏山との位置関係が重視された。

東西約120m、南北約240mの寺域に大小の阿弥陀堂と浄土庭園があったが、1573年の火災で伽藍が焼失。現在は浄土庭園が公園として残る。

藤原3代で最も繁栄した時代を築いた秀衡が、平等院鳳凰堂(宇治市)を模した阿弥陀堂を建築し、浄土庭園を造営した。西側には金鶏山を望んだ。

850年に慈じ

覚かく

大だい

師し

円えん

仁にん

が開基し、2代基衡が再興。国内最大の浄土庭園には、平安時代の遺構としては日本唯一、最大規模の「遣

やり

水みず

」が残る。

は現世の心の平和はもちろん、死後に仏ぶっ

国こく

土ど

(浄土)に行き成仏することを切望するようになった。浄土思想は日本人の死生観の醸成に重要な役割を果たし、当時の建築や庭園にも

その思想があらわれている。金色堂は、阿弥陀如来の仏国土(浄土)を表現した仏堂建築であり、自然崇拝と仏教の融合は、庭園設計と造園によって仏国土(浄土)を現世に創り上げるという、日本独自の方法を編み出した。建築・庭園群の理念や意匠などには、

仏国土(浄土)が三次元的に表現され、浄土思想を直接的に反映している。また、宗教儀式や民俗芸能等の無形の諸要素も受け継がれている。仏教とともに伽藍造営や作庭の技術

も伝来したが、これが日本の水辺の祭祀場における水景の理念と結びついて、独自の浄土庭園を完成させた。このような浄土庭園は、東アジアにおける建築・作庭技術の価値観の交流を示している。

平泉駅

柳之御所遺跡

義経堂

平泉駅

北上川

東北本線

北上川中尊寺中尊寺

柳之御所遺跡

義経堂

金鶏山金鶏山

観自在王院跡観自在王院跡

無量光院跡無量光院跡

毛越寺毛越寺

東北本線

N

平泉(★印が構成資産)

043

日本の遺産

2

人々の信仰を集め、芸術のモチーフとなった霊山文化遺産として世界遺産に登録された富士山は、古くから噴火を繰り返す火山と

して恐れられ、また富士山に住まうとされていた神仏への信仰から多くの人々に敬われてきた。人々は噴火をおさめるために浅

せん

間げん

神社を建立するなど、神々に祈りを捧げる一方で、湧き水をはじめ富士山がもたらす自然の恵みを享受し、長年にわたってこの火山と共生してきた。平安時代後期になると富士山の噴火活動は沈静化し、山岳信仰や密教などとあわさった修験道の霊場として、多くの修験者を集めるようになった。富士山に対する信仰は、遠くから拝む「遥

よう

拝はい

」だけでなく、ご神体である富士山そのものに登ることが祈りとなる「登

とう

拝はい

」が古くから行われてきた点も特徴で、江戸時代には富士山を巡礼して登拝する「富

士じ

講こう

」が民間信仰として広まった。また、国内外を問わずさま

ざまな芸術作品に多大な影響を与えたことでも評価されており、19世紀には葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「不

二じ

三十六景」など富士山をモチーフとした浮世絵が多く描かれた。また浮世絵は、ゴッホやモネなど印象派の画家にも影響を与え、日本の文化の象徴的存在としても広く認知されている。構成資産は登山道や神社、

湖や池に滝、遺跡や旧跡などの25資産で、富士山を望む景勝地として、静岡市の「三保松原」も登録された。

富士山-信仰の対象と芸術の源泉

富士山―信仰の対象と芸術の源泉Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration

登録年 2013年   登録基準 (ⅲ)(ⅵ)文化遺産

CHAPTER 032山梨県・静岡県

湖面に映る逆さ富士

046

日本の遺産

2

富士山域

山頂の信仰遺跡群

大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)

須山口登山道(現御殿場口登山道)

須走口登山道吉田口登山道

北口本宮富士浅間神社

神奈川県

河口浅間神社富士御室浅間神社

三保松原

富士山本宮浅間大社

村山浅間神社須山浅間神社

富士浅間大社(須走浅間神社)

山宮浅間神社

白糸の滝

人穴富士講遺跡

静岡県

本栖湖本栖湖

精進湖精進湖 西湖西湖

山中湖山中湖

富士山域

山頂の信仰遺跡群

大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)

須山口登山道(現御殿場口登山道)

須走口登山道吉田口登山道

北口本宮富士浅間神社

忍野八海忍野八海吉田胎内樹型吉田胎内樹型船津胎内樹型船津胎内樹型

御師住宅(旧外川家住宅、 小佐野家住宅)

御師住宅(旧外川家住宅、 小佐野家住宅)

神奈川県山梨県

河口湖河口湖 河口浅間神社富士御室浅間神社

三保松原

富士山本宮浅間大社

村山浅間神社須山浅間神社

富士浅間大社(須走浅間神社)

山宮浅間神社

白糸の滝

人穴富士講遺跡

静岡県

駿河湾駿河湾

N

…富士山域

富士山―信仰の対象と芸術の源泉

『富士山―信仰の対象と芸術の源泉』のおもな構成資産

山頂の信仰遺跡群をはじめ、大宮・村山口登山道などの登山道、北口本宮富士浅間神社、西湖や本栖湖といった湖など9つの資産で構成される。

富ふ

士じ

山さ ん

域い き

富ふ

士じ

山さ ん

本ほ ん

宮ぐ う

浅せ ん

間げ ん

大た い

社し ゃ

御お

師し

住じゅう

宅た く

三み

保ほ の

松ま つ

原ば ら

人ひ と

穴あ な

富士講遺跡

『万葉集』にも詠まれた、富士山を望む景勝地。その構図は歌川広重の絵画などで海外にも広く知られている。ICOMOSから除外を勧告されたが登録された。

宿坊を兼ねた住宅で、富士山に祈りを捧げるために登山をする人の世話をした。御師は富士山信仰の布教を行う人のことを指す。

長谷川角かく

行ぎょう

が荒行を行った風穴で、入滅した場ともされる。周辺には富士講信者が残した多くの顕彰碑や登拝回数などの記念碑が残る。

富士山を浅あさ

間まの

大おお

神かみ

としてまつる浅せん

間げん

神社の総本宮。徳川家康の保護を受け、現在の社殿がつくられた。かつて道者が水ごりを行った湧

わく

玉たま

池いけ

がある。

047

日本の遺産

2

独自の進化を遂げた生物種が暮らす島々日本列島から約1,000㎞離れた太平洋上にある『小笠原諸島』は、これまでに日本

列島や大陸と陸続きになったことがない海洋島のため、多くの固有動植物が独自の進化を遂げながら生息しており、その進化は今も続いている。また小笠原諸島のなりたちは、同じく海洋島に属する火山島のガラパゴス諸島やハワイ島とは異なり、プレートの沈み込みから誕生した、「海洋性島弧」と呼ばれる。父島では枕

まくら

状じょう

溶よう

岩がん

として太古に活動したプレートを陸上で見ることができる。世界遺産の登録範囲は小笠原諸島の陸域(ただし父島・母島の集落近郊、硫黄島、

沖ノ鳥島、南鳥島を除く)と、父島および母島周辺の海域の一部で、その面積は79.39㎢に及ぶ。これらの島々の生態系は、島によって大きく異なる。ある生態系が島に定着するには、その起源となる種が島に到着することが不可欠であるが、当然、島ごとにばらつきが出てくる。また、島に定着した生物は、ほかの地域の生物と交わることがないため、独自に進化し種分化が起こる。このように起源が同じ生物群が、異なる環境に適応して生理的または形態的に分化することを適応放散という。とりわけ小笠原諸島においては、陸産貝類と維

管かん

束そく

植物★が高い固有率を示し

小笠原諸島

小笠原諸島Ogasawara Islands

登録年 2011年   登録基準 (ⅸ)

CHAPTER 162東京都

自然遺産

南島の洞門と扇池

維管束植物:維管束をもつ植物。維管束とは、植物全体に水などの養分を送る管のことで、シダ植物以上に見られる。

072

日本の遺産

2

ており、陸産貝類では、葉の表に棲むか裏に棲むかといった違いでも、異なる進化を遂げた例もある。小笠原諸島の面積の狭さを考えると異例ともいえる。小笠原諸島で自然に分布している昆虫の約25%、陸産貝類の約95%が固有種であるのに対し、哺乳類の固有種は絶滅危惧種のオガサワラオオコウモリのみである。小笠原諸島は亜熱帯に属し暮らしやすい気候だが、一般住民が生活しているのは

父島と母島だけである。1675年に江戸幕府が調査のための船を小笠原諸島に送り、「此島大日本之内也」という碑を設置して「無人島(ブニンジマ)」と名付けたが、その後も人が住むことはなかった。1830年にハワイから白人5人、ハワイ人25人が入植し初の移住民となると、「無人島」を語源とする「ボニン・アイランズ(Bonin-Islands)」と名付けられた。その後、住人が増える

につれて家畜のヤギやブタ、ペットの犬や猫などが持ち込まれ、固有の生態系が脅かされている。特に固有種のチョウやトンボを捕食する北米産の外来種グリーンアノール対策は緊急の課題となっている。

絶滅したヒロベソカタマイマイの化石

小笠原諸島の世界遺産登録範囲

…世界遺産登録範囲N

全域図

聟島列島

父島列島

母島列島

西之島

北硫黄島

南硫黄島

南島

父島母島

兄島西島

073

日本の遺産

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