『現代日本の食糧パニック』...経 23 年˙ 月号 23...

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筑波経済月報 20178 月号 22 経 歴 1955年:東京大学農学部農業経済学科卒 1964年:東京大学大学院経済学研究科農業経済学専 攻修了 農学博士 1965年:岩手大学農学部農学科講師、教授 1989年:筑波大学農林学系教授 1994年:筑波大学付属駒場中高等学校校長併任 1998年:日本大学生物資源科学部食品経済学科教授 2005年:宮城大学食産業学部教授 『現代日本の食糧パニック』 つくばのシニア人材紹介コーナー 科学の街「つくば」からサイエンス・インフォメーション (協力:つくば市OB人材活動支援デスク) 1.食糧パニックとは・異常態フードシステム この豊食、あるいは飽食の日本で、食糧パニッ クは無縁ではない、むしろかなり“有縁”であるこ とを話したいと思います。その理解の道具として 「異常態フードシステム」についてまず話したい と思います。 ここで、私たちの日常の食生活が無事平穏におこ なわれている場合、「正常態」と呼ぶことにします。 しかし、いくつかの要因が作用して、異常態化し、パ ニック、さらには「飢餓」にまで進む場合が生じます。 これらの要因として、私は大きく 3 つの「外的 衝撃」があると考えています。①自然要因(気象、 地震等)、②社会性要因(戦争・紛争、禁輸等)、 ③病疫(BSE、鳥インフル等)です。 日本は歴史的に見ても、食糧飢饉、騒動、パニッ クを発生し、あるいはその因子を持つ国といって 過言ではありません。事項からは、20世紀以降 の顕著な重要事例(米と牛肉)について取り上げ ていきます。 2.第二次大戦終戦時(昭和 20 年、1945) この戦争開始(昭和 16 年)と終戦(昭和 20 年) が、実は前述の①自然要因、特に気象に大きく影 響を受けています。昭和 20 年は、第 1 図からもわ かる通り、日本の水稲統計が発足して以来現在に 至るまでの最悪の記録で、作況指数は67 でした。 この異常態に直面した軍部は、さすがに終戦案を 飲まざるを得なくなったのです。 なお、強調したいのは、第 1 図から水稲長期変 動には 3 つの安定期・変動期がかかわっているこ とです。そしていくつかの異常態のなかでも、こ の終戦時の異常態は“観測史上”唯一の変動期の出 来事で、これ以外はすべて安定期でした。戦争を 継続していた場合、とりわけ翌年の昭和21年度 は食糧が足りず、フードシステムはメルトダウン、 間違いなく“飢餓地獄”となったはずです。 なお、形式的には軍部の統制のためパニック現 象は表現化しないまま、飢餓水準への推移となっ たでしょう。つまり変動期という条件のもとでは 20年に終戦となったのは不幸中の最大の幸運 だったということです。なお、現在は第Ⅳ変動期 に進入していると考えられます。 3.平成米騒動の場合(平成 5 年、1993) 平成 5 年は全国的に異常気象となり、水稲作況 指数も74、終戦時の67に次ぐひどいもので、文 字通りのパニックが生じました。 第 2 図は私が調査した青森県の米市場の大混乱 を示したものです。米凶作という事態に敏感な消 費者が一挙に小売店に押しかけ、そして小売店か ら卸売り店への注文が殺到し、通常の3.5倍とな る有様です。このパニックは当初生産地を中心に 発生し、260 万tを緊急輸入しました。政府はタイ 1図 水稲収量長期時系列変動 (出典:樋口貞三「異常態フードシステム」食品経済研究第42号) 600 500 400 300 200 100 0 10a当収量 1878 1882 1886 1890 1894 1898 1902 1906 1910 1914 1918 1922 1926 1930 1934 1938 1942 1946 1950 1954 1958 1962 1966 1970 1974 1978 1982 1986 1990 1994 1998 2002 2006 2010 筑波大学名誉教授 樋 口 貞 三

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Page 1: 『現代日本の食糧パニック』...経 23 年˙ 月号 23 この「つくばのシニア人材紹介コーナー」は、つくば市が2008年度から推進している「つくば市OB人材活動支援事業」に登

筑波経済月報 2017年8月号22

経 歴1955年:東京大学農学部農業経済学科卒1964年:東京大学大学院経済学研究科農業経済学専

攻修了 農学博士1965年:岩手大学農学部農学科講師、教授1989年:筑波大学農林学系教授1994年:筑波大学付属駒場中高等学校校長併任1998年:日本大学生物資源科学部食品経済学科教授2005年:宮城大学食産業学部教授

『現代日本の食糧パニック』

▶▶▶つくばのシニア人材紹介コーナー

    科学の街「つくば」からサイエンス・インフォメーション (協力:つくば市OB人材活動支援デスク)

1.食糧パニックとは・異常態フードシステムこの豊食、あるいは飽食の日本で、食糧パニックは無縁ではない、むしろかなり“有縁”であることを話したいと思います。その理解の道具として「異常態フードシステム」についてまず話したいと思います。ここで、私たちの日常の食生活が無事平穏におこなわれている場合、「正常態」と呼ぶことにします。しかし、いくつかの要因が作用して、異常態化し、パニック、さらには「飢餓」にまで進む場合が生じます。これらの要因として、私は大きく3つの「外的衝撃」があると考えています。①自然要因(気象、地震等)、②社会性要因(戦争・紛争、禁輸等)、③病疫(BSE、鳥インフル等)です。日本は歴史的に見ても、食糧飢饉、騒動、パニックを発生し、あるいはその因子を持つ国といって過言ではありません。事項からは、20世紀以降の顕著な重要事例(米と牛肉)について取り上げていきます。

2.第二次大戦終戦時(昭和20年、1945)この戦争開始(昭和16年)と終戦(昭和20年)が、実は前述の①自然要因、特に気象に大きく影響を受けています。昭和20年は、第1図からもわかる通り、日本の水稲統計が発足して以来現在に至るまでの最悪の記録で、作況指数は67でした。この異常態に直面した軍部は、さすがに終戦案を飲まざるを得なくなったのです。なお、強調したいのは、第1図から水稲長期変動には3つの安定期・変動期がかかわっていることです。そしていくつかの異常態のなかでも、この終戦時の異常態は“観測史上”唯一の変動期の出

来事で、これ以外はすべて安定期でした。戦争を継続していた場合、とりわけ翌年の昭和21年度は食糧が足りず、フードシステムはメルトダウン、間違いなく“飢餓地獄”となったはずです。なお、形式的には軍部の統制のためパニック現

象は表現化しないまま、飢餓水準への推移となったでしょう。つまり変動期という条件のもとでは20年に終戦となったのは不幸中の最大の幸運だったということです。なお、現在は第Ⅳ変動期に進入していると考えられます。

3.平成米騒動の場合(平成5年、1993)平成5年は全国的に異常気象となり、水稲作況

指数も74、終戦時の67に次ぐひどいもので、文字通りのパニックが生じました。第2図は私が調査した青森県の米市場の大混乱

を示したものです。米凶作という事態に敏感な消費者が一挙に小売店に押しかけ、そして小売店から卸売り店への注文が殺到し、通常の3.5倍となる有様です。このパニックは当初生産地を中心に発生し、260万tを緊急輸入しました。政府はタイ

■第1図 水稲収量長期時系列変動(出典:樋口貞三「異常態フードシステム」食品経済研究第42号)

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2006

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筑波大学名誉教授

樋 口 貞 三

Page 2: 『現代日本の食糧パニック』...経 23 年˙ 月号 23 この「つくばのシニア人材紹介コーナー」は、つくば市が2008年度から推進している「つくば市OB人材活動支援事業」に登

筑波経済月報 2017年8月号 23

■この「つくばのシニア人材紹介コーナー」は、つくば市が2008年度から推進している「つくば市OB人材活動支援事業」に登録されている研究者・教育者の方々より寄稿を受けて作成しています。現役を一旦引退されてもいつまでも社会発展の牽引力となってご活躍をされている方々の研究実績や業務経験の一端をご紹介させていただくものです。

米等を国産米と“抱き合わせ”で売りましたが、外米に慣れていない消費者は内地米欲しさにパニックとなり、輸入したタイ米が鶏の餌になるという“事件”も起きました。

4.BSEパニック(平成13年9月、2001.9)この年、日本で最初の症例が報告され、その後牛肉市場は大混乱に陥り、10月には前年の5割台にまで購入量が減少。まさにパニック現象です。これは国産牛忌避、輸入牛肉獲得型パニックでした。どうしてこのような現象が生じるのでしょうか。BSEの場合はテレビ、新聞等が情報発信元です。消費者はテレビでBSEを知ったといって過言でないでしょう。

第3図はTBSによるBSE関連の放映データを用いて牛肉消費量との関連を分析したものです。手続きの詳細は省きますが、消費者の需要はBSE情報(と価格)によってかなり左右されるといえるようです。

こうした状況は恐らく、米騒動の場合についても適用可能であると思います。同種の放送データがあればいい分析ができるでしょう。

5.若干の付言による結び上記のケース以外にも20世紀に入ってから、

大正米騒動(1918)では軍隊が出動するほどだったし、また、戦後の1973年6月、米国トルーマン大統領が突如米国産大豆の輸出を禁止し、日本国内では第一、第二のオイルショックと重なり大変な目にあいました。近年では2011年の東日本大震災が記憶にまだ

新しく、私は東京に居たのですが、米がスーパーから消え、数日間米探しに奔走し、私自身は明らかにパニック状態でした。こうした異常態化はいわゆる先進国間では日本は突出しているといって過言でないでしょう。ところで“外的衝撃”が共通していても結果が異

なるのはその国の“パニック特性”の相違があるためです。“パニック特性(耐性)”は、①資源性要因(食糧自給率等)②政治性要因(食糧政策等)そして③国民性要因(歴史的食糧パニック、飢餓体験による敏感性等)が考えられます。まず②ですが、平成米騒動(1993)を経験した

日本は長い間日本の食糧政策の根幹であった「食糧管理法」にかわり「食糧法」を制定。これ以降、消費者の米購入窓口が増えたため、平成米騒動のようなケースには有効です。しかし、上記①と③さらには「地震」というパニックリスクは残り続けています。本稿を閉めるにあたり、3つのことに触れます。

ⅰ)前述の、「第二次大戦終戦時」で気象変動(データは収量変動)の3つの安定・変動サイクルについて触れました。今後は第Ⅳ変動期を歩むということになります。ⅱ)皆さんの多くは、おそらくあの3.11の大災害時に、世界から絶賛された数々の共助、利他的行為の美しい事例を記憶されているはずです。こうした事実もこの国には確かにあるのです。ⅲ)日本が抱える以上のリスクに対して備蓄等の物的準備は重要ですが、ⅱ)のいわば“精神的資源”の増強により「不安」、パニック性の軽減化をはかる新しい展望に期待がかかります。

■第2図 平成米騒動時のパニックの様相:            青森A販売店への買い付け注文(出典:樋口貞三「日本型フードシステムの災害耐性の研究:

平成5年米騒動を通して」、文科省科研費報告書2001.3)

■第3図 BSE発生時の牛肉需要量変動とテレビ報道の関連(出典:樋口貞三他「食料政策における「信頼」問題の考察:狂

牛病パニックを中心に」2003年度日本農業経学会論文集)

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Yt=a+bPt+cXt東京上場頭数とtv放映時間、上場価格との関連

h13年8月第2週ーh15年8月Yt(実測値)Yt(予測値)

サイエンス・インフォメーション