国際統合報告評議会(iirc)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138(...

12
1.はじめに 国際統合報告委員会(International Integrated Reporting Committee:IIRC)は,2010年 8 月 に, サ ス テ ナ ビ リ テ ィ の た め の 会 計 プ ロ ジ ェ ク ト(The Prince’s Accounting for Sustainability Project:A4S)と国際報告イニシアティブ(Global Reporting Initiative:GRI) が中心となって,「国際的に認められたサステナビリティ会計のフレームワークの構築」(A4S and GRI 2010)をそのミッションとして設立された.IIRCは,当該フレームワーク構築の第一 歩として,2011年 9 月に,ディスカッション・ペーパー(Discussion Paper:DP(IIRC 2011)) を公表した.IIRCは同年に,委員会(Committee)から評議会(Council)へと改称し,2013年 4 月には国際統合報告フレームワークのコンサルテーション・ドラフト(Consultation Draft: CD(IIRC 2013a))を,そして同年12月に国際統合報告フレームワーク(International Integrated Reporting Framework:IIRF(IIRC 2013b))を公表した. IIRCの設立に対しては,A4SとGRIという,環境(environment)・社会(society)・ガバナ ンス(governance)問題(ESG問題)に関心を持つ 2 つの組織が大きく関わっていたことから, IIRCの「統合」の意味ならびにそのフレームワークに対して,大きな注目を集めていた.結果 的に,IIRFでは,統合報告の目的として,(a)財務資本提供者がより効率的かつ生産性の高い 資本の配分を行うことができるよう,情報の質を改善すること,(b)組織の長期的な価値創造 能力に重大な影響を及ぼすさまざまな要因を報告すること,(c)広範な資本の源泉(財務,生産, 知的,人的,社会関係,自然)に対するアカウンタビリティやスチュワードシップを高め,そ れらの相互依存関係に対する理解を高めること,そして(d)短期,中期,長期の価値創造にフォー カスした統合思考 ,意思決定,行動を支援すること,が掲げられ(IIRC 2013b, p.2),統合報 告の中心となる統合報告書が,「財務資本提供者 」(par.1.7)に対して,「ある組織が長期的な 価値をどのように創造するのか」(par.1.7)を説明するものであることが示されたのである.つ 論  説 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 フレームワークの形成 小 形 健 介  井 上 定 子  植 田 敦 紀  八 木 裕 之 1 統合思考とは,各種の活動単位や機能単位と組織が利用する,もしくは影響を及ぼす資本との間の関係 性に関する当該組織の能動的な検討である.統合思考は,短期,中期,長期の価値創造を考察する統合的 な意思決定や行動を導く(IIRC 2013b,p.2). 2 また,IIRFでは,組織の長期的な価値創造能力に関心を持つステークホルダーとして,従業員や顧客, サプライヤー,ビジネス・パートナー,地域コミュニティ,立法機関,規制当局,政策当局を挙げる(IIRC 2013b, par.1.7).

Upload: others

Post on 04-Feb-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

1.はじめに

 国際統合報告委員会(International Integrated Reporting Committee:IIRC)は,2010年 8月 に, サ ス テ ナ ビ リ テ ィ の た め の 会 計 プ ロ ジ ェ ク ト(The Prince’ s Accounting for Sustainability Project:A4S)と国際報告イニシアティブ(Global Reporting Initiative:GRI)が中心となって,「国際的に認められたサステナビリティ会計のフレームワークの構築」(A4S and GRI 2010)をそのミッションとして設立された.IIRCは,当該フレームワーク構築の第一歩として,2011年 9 月に,ディスカッション・ペーパー(Discussion Paper:DP(IIRC 2011))を公表した.IIRCは同年に,委員会(Committee)から評議会(Council)へと改称し,2013年4 月には国際統合報告フレームワークのコンサルテーション・ドラフト(Consultation Draft:CD(IIRC 2013a))を,そして同年12月に国際統合報告フレームワーク(International Integrated Reporting Framework:IIRF(IIRC 2013b))を公表した. IIRCの設立に対しては,A4SとGRIという,環境(environment)・社会(society)・ガバナンス(governance)問題(ESG問題)に関心を持つ 2 つの組織が大きく関わっていたことから,IIRCの「統合」の意味ならびにそのフレームワークに対して,大きな注目を集めていた.結果的に,IIRFでは,統合報告の目的として,(a)財務資本提供者がより効率的かつ生産性の高い資本の配分を行うことができるよう,情報の質を改善すること,(b)組織の長期的な価値創造能力に重大な影響を及ぼすさまざまな要因を報告すること,(c)広範な資本の源泉(財務,生産,知的,人的,社会関係,自然)に対するアカウンタビリティやスチュワードシップを高め,それらの相互依存関係に対する理解を高めること,そして(d)短期,中期,長期の価値創造にフォーカスした統合思考1,意思決定,行動を支援すること,が掲げられ(IIRC 2013b, p.2),統合報告の中心となる統合報告書が,「財務資本提供者2」(par.1.7)に対して,「ある組織が長期的な価値をどのように創造するのか」(par.1.7)を説明するものであることが示されたのである.つ

論  説

国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告

フレームワークの形成

小 形 健 介  井 上 定 子  植 田 敦 紀  八 木 裕 之

1  統合思考とは,各種の活動単位や機能単位と組織が利用する,もしくは影響を及ぼす資本との間の関係性に関する当該組織の能動的な検討である.統合思考は,短期,中期,長期の価値創造を考察する統合的な意思決定や行動を導く(IIRC 2013b,p.2).

2  また,IIRFでは,組織の長期的な価値創造能力に関心を持つステークホルダーとして,従業員や顧客,サプライヤー,ビジネス・パートナー,地域コミュニティ,立法機関,規制当局,政策当局を挙げる(IIRC 2013b, par.1.7).

Page 2: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

横浜経営研究 第37巻 第2号(2016)138(   )

まり,IIRFでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家の投資意決定をより有益なものにすることが強調されているのである3. IIRCの設立に当たって,A4SとGRIが共同で発表したプレス・リリースの冒頭では,「世界はこれまでに経験したことのない極めて大きな課題に直面している:限りある天然資源の過剰消費,気候変動,来るべき国際的な人口増大に向けたクリーンな水,食料,より良い生活水準の供給の必要性」(A4S and GRI 2010,p.1)という人類の課題に言及した上で,IIRCの使命は,そうした課題を解決するために,既述したように,「国際的に認められたサステナビリティ会計のフレームワーク」を構築することであるとしていた.そのため,IIRCの上記のような,投資家偏重のサステナビリティ情報の開示に対しては,「当初の問題意識から離れた」(水口2014,423頁)や,IIRCは会計専門家や多国籍企業に捕囚され,サステナビリティ関連情報の開示を諦めた(Flower 2015;Thomson 2015),との激しい批判を受けるに至っている. 組織論や戦略論では,組織のパフォーマンスが組織の編成によって左右されることが伝統的に示されてきた(Rumelt 1974;Miles and Snow 1978).また近年,財務報告基準の形成に際して,会計基準の設定に関わるメンバーの出身母体がどこであるのかによって,会計に対する背景知識や価値観が異なり,個々の会計問題および会計基準に対するアプローチが変わること,すなわち,当該機関の組織編成によって会計基準の内容は大きく変わる可能性があることが強調されてきている(大石2015;小形2012,2013;大日方2013).このことを前提にするならば,IIRFの形成にあたっては,ESG問題解決のためのサステナビリティ報告に関心を持つアクターではなく,むしろ従来の財務報告の延長として,ESG情報の資本市場への役立ちに関心を持つアクターが,IIRCにおいて支配的立場を占めていることが予想される.そこで本稿では,IIRCの組織編成の特徴,すなわちどのような組織の下でIIRFが形成されたのかを明らかにすることで,IIRCの戦略に接近することとする.

2.サステナビリティ報告に対する 2つのアプローチ

2.1 投資家指向アプローチとマルチ・ステークホルダー・アプローチ いくつかの団体が展開したサステナビリティ報告のガイドラインやフレームワークをレビューした日本公認会計士協会(Japanese Institute of Certified Public Accountants:JICPA)の経営研究調査会研究報告第44号『投資家向け報告におけるサステナビリティ課題の識別と重要性評価―開示課題を特定するための考え方と方法論の検討―』(JICPA 2011)によれば,サステナビリティ報告には,情報利用者として投資家を想定するか,あるいは投資家のみならず従業員,消費者,NGOや政府といった多様なステークホルダー,すなわちマルチ・ステークホルダーを想定するか,という 2 つのアプローチがあるという(18頁).投資家指向アプローチでは,サステナビリティに関わる情報が将来キャッシュ・フローや株価に影響を持つのか,すなわち投資意思決定にとって重要であるかに焦点がある(12頁).他方,マルチ・ステークホルダー・アプローチでは,企業が,気候変動,生物多様性,雇用と労働といったサステナビリティに関

542

3  大鹿(2015)は,統合報告に関する研究を 3 つに大別する.すなわち,(i)統合報告を財務報告の拡張として捉え,バリュー・ドライバーが何かを検討する研究,(ii)統合報告を非財務情報の開示スキームとして捉える研究,(iii)統合報告における社会・環境情報の開示,すなわちサステナビリティ情報の開示に焦点を当てた研究,である.本稿は,(iii)の領域に関わるものである.

Page 3: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告フレームワークの形成(小形 健介・井上 定子・植田 敦紀・八木 裕之) (   )139

わる重要な課題をどのように特定しているのか,利害関係者との対話を通じてどのようにそうした課題を解決しようとしているのか,に関心が向けられているとする( 8 頁).

2.2 A4SとGRI 前者の,投資家指向アプローチを提唱する代表的な団体がA4Sである.A4Sは,2004年に設立され,産業界,政策立案者・規制当局・政府,会計専門家,投資家からファイナンスおよび会計の専門家を集結し,弾力性のあるビジネス・モデルおよび持続可能な経済に向けた抜本的なシフトを推進することを目的としている.この背後には,現在のファイナンスおよび会計の制度が,短期的な財務業績重視を支えるものとなっており,経済的な成功がコミュニティや自然環境の健全性や安定性に左右されている側面を十分に反映しきれていないこと,そして長期的かつ持続可能なパフォーマンスが財務,社会,そして環境要因の相互依存関係に左右されるという認識が企業や投資家,政府の間で広まっていることがある(A4S 2016).つまり,A4Sは,ESG問題に関わるサステナビリティ情報を,将来キャッシュ・フローや企業価値に組み込み,そのことをつうじて投資家の行動を変え,その結果,社会・地球規模でのサステナビリティ問題の解決につなげることを目指している. それに対して,後者のマルチ・ステークホルダー・アプローチを提唱する代表的な団体が,GRIである.1997年に設立されたGRIは,人口爆発や貧困,飢餓,さらには高まりつつある環境リスクといった地球規模で生じている,持続可能性に対する各種の危機の緊急性や大きさを多くの人々の間で共有するために,規模,セクター,所在地の違いに関わらず,あらゆる組織が利用することのできる,サステナビリティ報告のための信頼性の高いフレームワークを構築することを目的としている(GRI 2006, p.2).ここで,サステナビリティ報告とは,これまでの企業の開示システムが経済的業績に偏重しすぎているということへのアンチテーゼとして展開されてきた,「トリプル・ボトムライン」や「企業の社会的責任報告」と同義であり,ESG問題に関する報告を指している(p.3).かくして,2013年 5 月に,GRIが公表した『サステナビリティ・レポーティング・ガイドライン』(G4)では,経済カテゴリー,環境カテゴリー,そして社会カテゴリーの 3 つに大別し,さらに社会カテゴリーを労働慣行とディーセント・ワーク,人権,社会,製品責任の 4 つのサブ・カテゴリーを設定し,それぞれのカテゴリーでのパフォーマンスや影響を評価するための記述情報や指標を提示している(GRI 2013).G4の作成に当たっては,企業,労働組合,市民社会,金融市場の代表者,監査機関やさまざまな分野の専門家,規制当局や政府機関といったマルチ・ステークホルダーとの協議をつうじて作成されたことを明示している(p.5).つまり,GRIは,ESG問題に対する,企業をはじめとする組織の情報開示をつうじて,社会・地球規模でのサステナビリティ問題の解決を図ることを目的としているのである.

3.国際統合報告フレームワークの開発と仮説の設定

3.1 IIRCのフレームワーク開発3.1.1 DPの公表 IIRCの設立に向けて動き出すこととなった2009年12月のロンドンでの円卓会議では,金融市場さらには経済社会全体の短期志向にどのように対処するべきか,そして企業の報告はどのような役割をはたすべきかがテーマとなった.そこでは,その解決に向けた方策の一つとして,

543

Page 4: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

横浜経営研究 第37巻 第2号(2016)140(   )

企業報告の変革,さらには統合報告の必要性が議論され,参加者によって合意されたという(森2014,27頁).こうした合意を受けて,2010年 8 月にIIRCが設立され,翌2011年 9 月に,フレームワーク構築への第一歩として,DPが公表された. DPではまず「世界は変わった」として,経済とサプライ・チェーンにおけるグローバル化,その結果として生じる相互依存性,科学技術の進歩,急速な人口増加とグローバルな消費の拡大が,水,食料,エネルギーを含む資源の品質,入手可能性,そして価格の変動をもたらし,結果として,経済および社会において不可欠な生態系へのプレッシャーを高めている,と述べる(IIRC 2011,p.4).多くの経営者は,こうした持続可能性に関わる課題を企業の戦略や経営活動に統合すべきであるとの認識を持っているものの,実行に移せていないとして(p.4),こうした状況を改善するための方策として,IIRCは統合報告の開発に取り組むのである.すなわち,統合報告は,組織が活動を行う,商業,社会,そして環境のコンテクストを映し出すように,当該組織の戦略,ガバナンス,パフォーマンス,そして見通しに関する重要な情報を結び付けることであり,これにより当該組織がスチュワードシップをどのように果たし,そして現在および将来,どのように価値を創造するのかを明確かつ簡潔に示すことができるようになる(p.6). 統合報告を実践する上での成果物が統合報告書であり,これは現在様々な形で報告されている企業情報を,首尾一貫した説明ができるように体系立てるものであり,新たな情報を付け加えるものではない(p.6).したがって,現状,企業が報告する財務報告以外の企業情報との間で報告される情報の範囲は変わらないこととなり,それゆえ「統合報告書は,広範なステークホルダーのニーズを満たすことになる」(p.8)が,IIRCは,フレームワーク開発の当

初・

段・

階・

において,投資家(負債および持分の資金提供者)に限定することを明示している(p.8). DPにおいて,IIRCは,統合報告の中核が組織のビジネス・モデルにあり,それが組織の価値創造を左右するという認識に立つ.すなわち,組織は,IIRCが「資本」と呼ぶ,財務,製造,人的,知的,自然,そして社会といった資源をどのように活用し,価値創造につなげているのか,を明らかにすることを中心的な関心事としている(pp.10-11).こうしたビジネス・モデルおよび価値創造プロセスを明確にするために,DPでは統合報告書の内容および情報の提示方法についての考え方を提示し,当該報告書作成の基礎となる基本原則(p.13)と,内容要素(p.14)を明示している.

3.1.2 CDの公表 IIRCは,DPに対する回答やテクニカル・コラボレーション・グループ,IIRCパイロット・プログラムに参加したビジネス・ネットワークおよび投資家ネットワーク,IIRC技術作業部会,IIRC作業グループおよび評議会によるレビューを経て,2013年 4 月にCDを公表した(IIRC 2013a,p.ii).そこでは,DPにおいて示されていたような,統合報告がなぜ必要なのか,すなわち持続可能性に関わる問題への言及が捨象され,統合報告とは何か,その目的,利用者,そしてフレームワークの目的が展開される.すなわち,統合報告とは,「組織による,長期的な価値創造に関わるコミュニケーションをもたらすプロセス」(par.1.2)であり,これは「組織の外部環境を背景として,組織の戦略,ガバナンス,実績および見通しが,どのように短期,中期,長期の価値創造につながるかについての簡潔なコミュニケーション」(par.1.3)を可能とする統合報告書によって達成されるとする. かくして,統合報告は,(a)組織の長期にわたる価値創造能力に強く影響するあらゆる要因

544

Page 5: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告フレームワークの形成(小形 健介・井上 定子・植田 敦紀・八木 裕之) (   )141545

を伝達するための効率的なアプローチを促すこと,(b)短・中・長期の価値創造に関する財務資本の配分のための情報を提供すること,(c)広範な資本(財務,製造,知的,人的,社会・関係,そして自然)に関する説明責任およびスチュワードシップを高め,資本間の相互依存関係に対する理解を深めること,そして(d)短・中・長期の価値創造に焦点を当てた統合思考,意思決定および行動に資すること,を目的としている(par.1.5).統合報告書は,財務資本提供者を主たる利用者として想定し(par.1.6),それ以外のステークホルダー,従業員,顧客,サプライヤー,ビジネス・パートナー,地域社会,立法者,規制当局,政策立案者等にも有用であるとしている(par.1.7).CDで示すフレームワークは,統合報告書の内容を統括する基本原則および内容要素を規定し,組織が組織固有の価値創造ストーリーを表現するための最適な方法を採ることができるようにサポートするものである(par.1.9). CDにおいても,DPと同様,統合報告の中核が組織のビジネス・モデルにあり,それが組織の価値創造を左右するという認識に立つ.DPではこの価値創造プロセスをブラック・ボックス化しているのに対して,CDはこのプロセスをより詳細に説明している.すなわち,組織は,ミッションやビジョンにもとづいて,ガバナンスを行った結果,機会やリスクを特定し,そして戦略を策定する.その際に重要なのが,ビジネス・モデルであり,これはすなわち,組織の財務,製造,知的,人的,社会・関係,そして自然といった広範な資本をインプットとして利用して,製品,サービス,副産物といったアウトプットに変換し,資本への影響としてのアウトカムをもたらす一連の流れである.組織は,こうしたプロセスを実績として評価する仕組みを有しており,またこれを将来的な改善につなげていく(pars.2.5-2.11).こうしたビジネス・モデルおよび価値創造プロセスを明確にするために,CDのフレームワークでは,Chap.3において報告書作成の基礎となる基本原則が,Chap.4において内容要素がそれぞれ示されている.

3.1.3 IIRFの公表 IIRFにおいても,CDと同様,DPにおいて示されていた,統合報告がなぜ必要なのか,すなわち持続可能性に関わる問題への言及が捨象されている.フレームワークの内容に入る前に,まず統合報告の目的が示される.すなわち,(a)より効率的かつ生産的な資本の配分を可能にするために,財務資本提供者が利用できる情報の質を改善すること,(b)組織の長期にわたる価値創造能力に強く影響を及ぼす,あらゆる要因を伝達するための効率的なアプローチを促すこと,(c)広範な資本(財務,製造,知的,人的,社会・関係,そして自然)に関する説明責任およびスチュワードシップを高め,資本間の相互依存関係に対する理解を深めること,そして(d)短・中・長期の価値創造に焦点を当てた統合思考,意思決定および行動に資すること,である(IIRC 2013b,p.2).こうした統合報告を実践するのが,統合報告書であり,IIRFでは,「組織の外部環境を背景として,組織の戦略,ガバナンス,実績および見通しが,どのように短期,中期,長期の価値創造につながるかについての簡潔なコミュニケーション」(par.1.1)と定義する.また,統合報告書は,財務資本提供者を主たる利用者として想定しており(par.1.7),それ以外のステークホルダー,従業員,顧客,サプライヤー,ビジネス・パートナー,地域社会,立法者,規制当局,政策立案者等にも有用であるとしている(par.1.8). IIRFによれば,あらゆる組織の成功は,多様な形の資本,すなわち,財務資本,製造資本,知的資本,人的資本,社会・関係資本,そして自然資本によって支えられ,これら資本は価値の蓄積であり,組織の活動とアウトプットをつうじて増減,ないし変換される(pars.2.10-2.11).

Page 6: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

横浜経営研究 第37巻 第2号(2016)142(   )

IIRFでは,CDと同様,価値創造プロセスにおいて中核となるのはビジネス・モデルである.ビジネス・モデルは,上記で示した資本をインプットとして利用し,事業活動をつうじて製品,サービス,副産物といったアウトプットに変換,資本への影響としてのアウトカムをもたらす一連のプロセスである.組織のミッションとビジョン,さらには組織のガバナンスは,組織のリスクと機会の特定,ならびに戦略構築と資本配分計画をつうじてビジネス・モデルに大きな影響を及ぼし,加えて実績の把握およびそれを踏まえた将来見通しの構築も重要である(pars.2.21-2.29).こうした価値創造プロセスの説明は,CDと同様である.かかるプロセスの説明を行うために,IIRFではChap.3において統合報告書の作成と表示の基礎を提供する指導原則を,そしてChap.4において内容要素を提示している.

3.2 仮説の設定 以上,IIRCの展開してきたDP,CD,そしてIIRFを概観してきたが,水口(2014)やFlower

(2015)等が指摘するように,IIRCにおいては,その発足当初に示していたような,組織のESG問題に関する情報開示をつうじて社会・地球規模でのサステナビリティ問題の解決を目指した,

「サステナビリティ会計フレームワークの構築」という狙いは次第に薄れ,組織のESG問題に関する情報を投資家向けの情報に組み込むことで投資家の行動を変え,サステナビリティ問題の解決を図るための,「企業の価値創造プロセスを説明するためのフレームワーク構築」へとシフトしていった.これは,IIRC設立に関わった 2 つの中心的組織のうち,A4Sの指向する投資家指向アプローチが,GRIの指向するマルチ・ステークホルダー・アプローチに優先されていることを示しているといえよう. 第 1 節で示したように,伝統的な組織論・戦略論,さらには近年の会計基準設定機関の組織編成と基準開発活動の関係性に関する議論にもとづくと,組織のパフォーマンスは組織の構造に左右される可能性が高い.そうであるならば,IIRF設定当時のIIRCの組織構造では,A4Sを代表とする投資家指向アプローチを選好するアクター,たとえば企業,業界団体,投資家,会計専門家が,GRIを代表とするマルチ・ステークホルダー・アプローチを選好するアクター,たとえばNGO,労働組合,市民団体,従業員よりも支配的な立場にあるものと考えられる.かくして,本稿では,次のような仮説を設定する.

(仮説) IIRCは,マルチ・ステークホルダー・アプローチを選好するアクターよりも,投資家指向アプローチを選好するアクターを中心とする組織を構築した.

 本稿では上記仮説を,社会ネットワーク分析を用いて検証する.第 4 節では,社会ネットワーク分析の基本概念を説明するとともに,本稿で用いるデータ・セットについても説明する.続く第 5 節において,その分析結果を示す.

4.組織編成を分析するための社会ネットワーク分析

4.1 社会ネットワーク分析 社会ネットワーク分析は,社会学,政治学,経済学,経営学といった社会科学の広い分野において活用されている.当該分析では,アクターの行動は他のアクターの行動やアクターの属

546

Page 7: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告フレームワークの形成(小形 健介・井上 定子・植田 敦紀・八木 裕之) (   )143

するネットワークの構造に依存する,との前提が置かれ,「ネットワークの要素同士の関係を記述し,その位置特性を分析すること」にその本質があるとされている(安田2001). 社会ネットワーク分析の分析上の特徴として,第一に,ネットワーク内の各アクター間の関係性を数量化し,当該関係性の構造的特性を描写することが挙げられる.この点については,たとえば,ネットワーク内において誰が中心的な存在か,誰がネットワークのリーダーであるのか,ネットワーク内で誰がもっとも影響力を持っているのか,を示すことができる(Knoke and Yang 2008).第二に,社会ネットワーク分析がグラフ理論をベースにしていることから,アクターを示すノード(点)と,アクター間の関係性を示すエッジ(線)を用いてグラフによってアクター間の関係性を可視化することができる(Wasserman and Faust 1994).なお,アクターは,個人である場合も組織である場合もあり,アクター間の関係性には,個人・個人,組織・組織,個人・組織のいずれの場合もありえる.こうした分析を行うことで,公式組織における非公式組織の発見が可能となり(神吉2009),分析の対象となる組織のリソースやパワーの偏在状況の明確化や重要なアクターの特定化を図ることができる(牛丸2009). 本稿においてIIRCの組織構造を明らかにするに当たり, 2 つの分析を実施する.一つはコアネス分析であり,この分析により共通のイベントに対する参加の頻度をもとにネットワーク内の結びつきの強さを特定化することができる(Borgatti and Everett 1999;Hanneman and Riddle 2005).本稿では,この共通イベントを各メンバーの「キャリア」で捉える.すなわち,IIRCメンバーの職歴にもとづいたデータ・セットを作成し,そうした組織間の関係性の強さから,IIRCはどういった価値観を持つメンバーをIIRFの作成に関わらせようとしているのか,またどのような価値観がネットワーク内で支配的なのか,を明らかにすることができる(小形2012;2013).もう一つは,ネットワーク・グラフにもとづく分析である.これによりネットワーク内のアクター間のつながりを明確にすることができる.

4.2 データ 本稿で用いるデータ・セットは,IIRCがIIRFを公表した2013年12月時点のIIRC内部の各種組織,すなわち評議会(Council),技術タスクフォース(Technical Taskforce),作業グループ

(Working Group),事務局(Secretariat),理事会(Board),そしてアンバサダー(Ambassadors)に参加しているメンバーと,彼ら/彼女らがメンバーとなる前に関わっていた組織に関するデータである.ここではメンバーの氏名を「行」に,そして彼ら/彼女らが関わっていた組織を「列」にとったマトリックス・データ・セットを作成している.なお,この組織に関するデータは,IIRCのウェブサイトで開示されているメンバーのCVにもとづいている.結果として,「行」に157名,「列」に402組織(IIRC内の6組織は除く)をとったマトリックス・データ・セットとなっている. 本稿では,当該データ・セットに対して社会ネットワーク分析ソフト『UCINET VI』(Borgatti, et al. 2002)のAffiliation作業をつうじて,「個人・組織データ・セット」を「組織・組織データ・セット」に変換している.変換した「組織・組織データ・セット」をもとにコアネス分析ならびにネットワーク・グラフ分析を行う.なお,ネットワーク・グラフの作成に当たっては,描画ソフトである『NetDraw』(Borgatti 2002)を用いる.

547

Page 8: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

横浜経営研究 第37巻 第2号(2016)144(   )

5.分析結果

5.1 コアネス分析結果 コアネス分析の結果を示したものが表 1 である4.表 1 では,IIRC内の 6 つの組織を除く,コアネス・スコアの上位50組織を表示している.記述統計は次のとおりである.平均値0.028,標準偏差0.041,分散0.002,ジニ係数0.469である. 表 1 によれば,IIRC内部においてもっとも中核的な利害関係者グループは,会計専門家アクターである.とりわけ,PwC(順位:#1;スコア:0.273),KPMG(#2;0.198),Ernst & Young(#7;0.132),Deloitte(#11;0.093)といった,いわゆるビッグ 4 が上位を占めている.また,IFAC(#4;0.186),AICPA(#14;0.085),NZICA(#16;0.074),SAICA(#21;0.059),CPA Australia(#22;0.058),FEE(#30;0.051),そしてGAA(#30;0.051)といった国際的,地域的,各国の職業会計士団体のコアネス・スコアも高い.加えて,ICAEW(#10;0.096),CIPFA(#22;0.058),CIMA(#32;0.047),そしてACCA(#43;0.040)といった英国の会計士団体が複数含まれている.このように上位50組織のうち, 3 割を会計専門家アクターが占めている.また,会計専門家アクターとは言い難いが,IASB(#5;0.171),FASB(#13;0.086),FRC(#38;0.043)といった会計基準設定機関アクターのコアネス・スコアも高い. 表 1 において,A4S(#8;0.105)と同様,投資家指向アプローチを選好すると解される組織に,投資家主導組織のICGN(#6;0.140)やEumedion(#29;0.052),投資関連企業のFTSE(#24;0.057),Robeco(#32;0.047),Hermes(#45;0.038),投資家向け情報に気候変動リスク等の情報を組み込むことを目指しているCDSB(#15;0.075)やSASB(#20;0.062),加えて投資家向け開示情報の開発を進めているXBRL-Inte’ l(#19;0.067)が含まれる.さらに,産業界主導の組織であるWEF(#12;0.090)やICC(#35;0.046),Royal Dutch Shell,Natura,TNT,EnBW Energie,J.P. Morgan,そしてMcKinsey & Companyといった企業や銀行もそうしたアプローチを選好していると考えられる. それに対して,GRI(#3;0.188)と同様のマルチ・ステークホルダー・アプローチを選好するであろう組織として,UN Global Compact(#9;0.099)やPRI(#17;0.070),UNEP-FI(#40;0.042)といった国連関連組織,World Bank(#27;0.053),ISO(#32;0.047),EC(#36;0.044),OECD for MNE(#47;0.036)といった国際的な規制機関が挙げられる.そのほかでは,機関投資家主導でありながら企業の環境対策に対する多様な取り組みに関する情報を収集し,投資家以外の利用者への情報提供を行っているCDP(#18;0.069),産業界主導ながら環境効率性を推奨する組織であるWBCSD(#25;0.056),腐敗に取り組む国際的NGOのT-I(#25;0.056),貧困撲滅の活動を行うOxfam International(#47;0.036)は当該アプローチに近いといえる.

5.2 IIRCのネットワーク・グラフ グラフ 1 は,上記データ・セットをもとに作成したIIRCのネットワーク・グラフである.グラフ 1 の中央にIIRCの 6 つの内部組織,グラフの左側にGRIを中心としたマルチ・ステークホルダー・アプローチを選好する組織(上から順に,金融証券関係の国際機関,その他国際機関,GRI関連組織,NGO,学界),そして右側にA4Sを中心とした投資家指向アプローチを選好する

548

4  以下では組織を略語で示しているが,その正式名称は表 1 において示している.また,組織の概要やその特性については,その多くを井上(2016)に依拠している.

Page 9: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告フレームワークの形成(小形 健介・井上 定子・植田 敦紀・八木 裕之) (   )145549

表1 コアネス分析結果

# 組織 スコア # 組織 スコア

1 PricewaterhouseCoopers (PwC) 0.273 25 World Business Council for Sustainable Development (WBCSD) 0.056

2 KPMG 0.198 27 International Organization of Securities Commission (IOSCO) 0.053

3 Global Reporting Initiative (GRI) 0.188 27 World Bank 0.053

4 International Federation of Accountants (IFAC) 0.186 29 Eumedion 0.052

5 International Accounting Standards Board (IASB) 0.171 30 European Federation of Accountants (FEE) 0.051

6 International Corporate Governance Network (ICGN) 0.140 30 Global Accounting Alliance (GAA) 0.051

7 Ernst & Young 0.132 32 Chartered Institute of Management Accountants (CIMA) 0.047

8 Prince's Accounting for Sustainability Project (A4S) 0.105 32 International Organization for Standardization (ISO) 0.047

9 United Nations Global Compact 0.099 32 Robeco Group 0.047

10 Institute of Chartered Accountants in England and Wales (ICAEW) 0.096 35 International Chamber of Commerce (ICC) 0.046

11 Deloitte Touche Tohmatsu (Deloitte) 0.093 36 European Commission (EC) 0.044

12 World Economic Forum (WEF) 0.090 36 Royal Dutch Shell Group 0.044

13 Financial Accounting Standards Board (FASB) 0.086 38 Natura 0.043

14 American Institute of Certified Public Accountants (AICPA) 0.085 38 UK Financial Reporting Council (FRC) 0.043

15 Climate Disclosure Standards Board (CDSB) 0.075 40 United Nations Environmental Programme Finance Initiative (UNEP-FI) 0.042

16 New Zealand Institute of Chartered Accountants (NZICA) 0.074 41 King Committee on Corporate Governance 0.041

17 Principles for Responsible Investment (PRI) 0.070 41 University of Pretoria 0.041

18 Carbon Disclosure Project (CDP) 0.069 43 Association of Chartered Certified Accountants (ACCA) 0.040

19 XBRL-International (XBRL-Inte'l) 0.067 43 TNT, NV 0.040

20 Sustainability Accounting Standards Board (SASB) 0.062 45 EnBW Energie Baden-W・ttemberg AG 0.038

21 South African Institute of Chartered Accountants (SAICA) 0.059 45 Hermes 0.038

22 Chartered Institute of Public Finance and Accountancy (CIPFA) 0.058 47 OECD Guidelines for Multinational Enterprises 0.036

22 CPA Australia 0.058 47 Oxfam International 0.036

24 FTSE 0.057 49 J. P. Morgan & Co. 0.035

25 Transparency International (T-I) 0.056 49 McKinsey & Company 0.035

Page 10: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

横浜経営研究 第37巻 第2号(2016)146(   )

組織(上から順に,会計基準設定機関,投資業界,A4S関連組織,産業界・金融機関,会計専門家)をプロットしている.なおここでは,全402組織のうち中心性の高い48組織を抽出し,その高さをノードの大きさに応じて 3 スケールで示している(中心性が高いほど,ノードは大きい). グラフ 1 より, 3 スケールで示した,中心性の高い組織(ノードの大きい組織)が,マルチ・ステークホルダー・アプローチを選好する組織ではGRIだけであるのに対して,投資家指向アプローチを選好する組織では,ICGN,WEF,KPMG,PwC,Ernst & Young,IFACと6組織あること,またIIRC内部組織とのつながり,および組織間のつながりから,会計専門家,産業界・金融機関,そして投資家といったアクターがIIRCにおいて中心的な立場にあることが指摘できる.かくして,コアネス分析の結果と同様,ネットワーク・グラフにもとづいた分析においても,IIRCでは投資家指向アプローチを選好する組織の方がマルチ・ステークホルダー・アプローチを選好する組織よりも大きな影響力をもっているといえるのである.なお,マルチ・ステークホルダー・アプローチを選好する組織の中では,GRIとともにUN Global CompactやPRIといった国連関係アクターの中心性が高いことが指摘できる.

6.議論と課題

 上記のコアネス分析およびネットワーク・グラフの分析にもとづくと,IIRCは,GRIを中心とするマルチ・ステークホルダー・アプローチを選好する組織よりも,A4Sを中心に,ビッグ4とIFACを代表的組織とする会計専門家,WEFをはじめとする産業界,ICGNをはじめとする投資家といった,証券市場に深い関わりを持つ,投資家指向アプローチを選好する組織が中心と

550

グラフ1 IIRCのネットワーク・グラフ

Page 11: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告フレームワークの形成(小形 健介・井上 定子・植田 敦紀・八木 裕之) (   )147

なった組織を形成している.これは上記仮説を支持するものである.つまり,IIRCでは,ESG問題に関する組織の情報開示をつうじて社会・地球規模でのサステナビリティ問題の解決につなげることを目的とした組織が中心となっているのではなく,ESG問題に関わる組織のサステナビリティ情報を企業価値等の投資情報に組み込むことで投資家ならびに企業のマインドを変え,社会・地球規模でのサステナビリティ問題の解決につなげることを意図した組織が中心となっているのであり,かくしてIIRCの統合報告フレームワークにおいては,当初想定されていたようなサステナビリティ問題そのものでなく,サステナビリティ情報の投資意思決定への役立ちが重視されたものになったと考えられるのである. IIRCのこのような組織編成ならびにIIRFの形成をIIRCの戦略としてどのように考えるのか.その一つの鍵となるのが,IIRCとGRIが2013年 2 月に公表したMoU(GRI and IIRC 2013)であろう.IIRCとGRIは,MoUにおいて,GRIをサステナビリティ報告フレームワークの「開発者」,IIRCをその「利用者」とそれぞれ位置付け,当該報告フレームワークの形成においてオーバーラップが予想された両組織の棲み分けを図るのである.このことは両者が競合関係にあるのではなく,共存関係にあることを意味する.つまり,IIRCは,GRIや国連関連組織のリソースを利用して,ESG問題に関わるサステナビリティ情報の充実を図り,そしてその情報を投資家の投資意思決定に役立たせること,すなわち財務報告とサステナビリティ報告とのリンクにその存在意義を見出したと考えられるのである. しかしながら,こうしたIIRCの試みにより,上妻(2012)や向山(2015)が指摘するように,投資家への情報提供が重視されるあまり,組織の資金調達には不都合であるが,ESG問題に関しては重要な情報が抜け落ち,サステナビリティ問題に対する社会の関心が低下してしまう可能性は否定できない.そうではなく,IIRCが既存の財務報告に,サステナビリティ情報を補完的に組み込むことで,サステナビリティ情報の重要性に投資家や企業が気づき,そのマインドを変えることができれば,IIRCの統合報告プロジェクトは将来の望ましい社会の構築に向けての試金石になるであろう.このことは,IIRC自体もその認識を持っているようであり,IIRCは,GRI以外のESG問題に関心を持つ組織との間でMoUを締結し,サステナビリティ情報の充実を図っている5. 社会・地球規模でのサステナビリティが喫緊の課題となりつつある現代において,統合報告が,投資家・企業のマインドを変え,結果的に上記サステナビリティ問題の解決に寄与することができるのか.すなわち,八木(2015)が指摘するように,統合報告が長期的視点に立った経済的価値と社会的価値の融合につながるのかは,IIRCによる統合報告プロジェクトの今後の展開にかかっているといえ,その動向に注目していかなければならないであろう.

参 考 文 献

井上定子(2016)「サステナビリティ報告のガイドラインについて-GRIとIIRCを中心として-」『横浜経営研究』第37巻第2号,117-136頁.

牛丸元(2009)「シンポジウム 組織ネットワーク分析の可能性を探る:理論的展開と経営行動への応用(における発言)」『経営行動科学』第22巻第 2 号,161-177頁.

551

5  たとえば,World Intellectual Capital Initiative(2013年 6 月),CDPやCDSB(ともに2013年 7 月),Global Initiative for Sustainability Ratings(2013年12月),SASB(2013年12月)である.IIRCはこのほかにも,IFAC(2012年 9 月)や,IASBの親組織であるIFRS財団(2013年 2 月)ともMoUを締結している.

Page 12: 国際統合報告評議会(IIRC)の組織編成と統合報告 ... · 2017-04-27 · 138( ) 37 (2016) まり,iirfでは,サステナビリティ情報を含む統合報告が,既存の財務報告を補完し,投資家

横浜経営研究 第37巻 第2号(2016)148(   )

大石桂一(2015)『会計規制の研究』中央経済社.大鹿智基(2015)「統合報告の方向性とその変遷」『會計』第188巻第 3 号,88-101頁.小形健介(2012)「会計基準設定機関の組織構造とパフォーマンス―2000年代後半のIASBメンバーを対象

とした社会ネットワーク分析―」『會計』第182巻第 5 号,56-71頁.小形健介(2013)「国際標準化におけるFASB基準開発活動の規定要因―2000年代後半におけるFASBの規

制環境・基準化戦略・組織構造―」『会計プログレス』第14号,68-81頁.大日方隆(2013)『アドバンスト財務会計<第 2 版>』中央経済社.神吉直人(2009)「シンポジウム 組織ネットワーク分析の可能性を探る:理論的展開と経営行動への応用(に

おける発言)」『経営行動科学』第22巻第 2 号,161-177頁.上妻義直(2012)「統合報告はどこへ向かうのか」『會計』第182巻第 4 号,107-123頁.JICPA(2011)経営研究調査会研究報告第44号『投資家向け報告におけるサステナビリティ課題の識別と

重要性評価―開示課題を特定するための考え方と方法論の検討―』,JICPA.水口剛(2014)「統合報告論の構築―責任ある経済に向けたパラダイムの転換―」『経営論集(明治大学経

営学部)』第61巻第 1 号,423-442頁.向山敦夫(2015)「統合報告とCSR情報開示との位置関係」『會計』第187巻第 1 号,83-96頁.森洋一(2014)「国際統合報告評議会(IIRC) 国際統合報告フレームワークの位置づけと基礎概念」『会計・

監査ジャーナル』第705号,27-32頁.八木裕之(2015)「会計情報の多様化と統合報告」『會計』第187巻第 1 号,54-67頁.安田雪(2001)『実践ネットワーク分析―関係を解く理論と技法』新曜社.A4S (2016) “Project Aims and Mission Statement,”https://www.accountingforsustainability.org/about-us.A4S and GRI (2010) “Formation of the International Integrated Reporting Committee (IIRC)” Press

Release dated on 2nd August 2010.Borgatti, S.P. (2002) Netdraw: Network Visualization, Harvard, MA: Analytic Technologies.Borgatti, S.P. and Everett, M.G. (1999) “Models of core/periphery structures,” Social Networks, Vol.21,

pp.375-395.Borgatti, S.P., Everett, M.G. and Freeman, L.C. (2002) Ucinet for Windows: Software for Social Network

Analysis, Harvard, MA: Analytic Technologies.CDSB (2012) Climate Change Reporting Framework: Advancing and Aligning Disclosure of Climate

Change-Related Information in Mainstream Reports, edition 1.1, CDSB.Flower J. (2015) “The International Integrated Reporting Council: A Story of Failure,” Critical

Perspectives on Accounting, Vol.27, pp.1-17.GRI (2006) Sustainability Reporting Guidelines, version 3.0, GRI.GRI (2013) Sustainability Reporting Guidelines, version 4, GRI.GRI and IIRC (2013) “Memorandum of Understanding” dated on 01 February 2013.Hanneman, B.A. and Riddle, M. (2005) Introduction to Social Network Methods, University of California,

Riverside, published in digital form at http://faculty.ucr.edu/~hanneman/ .IIRC (2011) Towards Integrated Reporting: Communicating Value in the 21st Century, Discussion Paper,

IIRC.IIRC (2013a) Consultation Draft of the International <IR (Integrated Reporting)> Framework, IIRC.IIRC (2013b) The International <IR> Framework, IIRC.Knoke, D. and Yang, S. (2008) Social Network Analysis, second edition, SAGE Publications.Miles, R.E. and Snow, C.C. (1978) Organizational Strategy, Structure, and Process, McGraw-Hill.Rumelt, R.P. (1974) Strategy, Structure, and Economic Performance, Harvard University Press.Thomson I (2015) “‘But Does Sustainability Need Capitalism or an Integrated Report’ A Commentary

on ‘The International Integrated Reporting Council: A Story of Failure’ by Flower, J.,” Critical Perspectives on Accounting, Vol.27, pp.18-22

Wasserman, S. and Faust, K. (1994) Social Network Analysis: Methods and Applications, Cambridge University Press.

〔おがた けんすけ 長崎県立大学経営学部教授〕 〔いのうえ さだこ 流通科学大学教授〕 〔うえだ あつき 専修大学商学部准教授〕 〔やぎ ひろゆき 横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授〕 〔2016年9月29日受理〕

552