虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの 『マンスフィールド...

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東京外国語大学論集第 84 号(2012219 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの 『マンスフィールド・パーク』論 鈴 木 1. お伽噺の時間 2. 暦とプロット 3. 性格描写から構造へ 4. 思惑とその帰結 1. お伽噺の時間 ヴラジーミル・ナボコフの死後、フレッドソン・バワーズの編纂により刊行された『文学講 義』(1980年) 1) は、1940年代から1950年代にかけてウェルズリー大学とコーネ ル大学で行なわれた一連の講義(コーネル大学での授業名の一例は「文学三一一‐三一二、ヨ ーロッパ小説の巨匠たち」 2)のうち英語文学、フランス語文学、ドイツ語文学を取りあつか ったもの(ナボコフが用意した草稿や覚え書きにもとづく)を収録している 3) 。講義の準備に あたっては、作品の選別やそれらを取りあげる順序について多少の試行錯誤があったものと推 察することができる 4) 。とはいえ、最終的に十九世紀初頭から年代順に開陳される形態に落ち 着いて以来、毎年、秋学期の劈頭を飾ることになった作品とは、ジェイン・オースティンの長 篇小説『マンスフィールド・パーク』(1814年)であった 5) そのあとに続く各作品が、チャールズ・ディケンズの『荒涼館』(1852‐53年)、ギ ュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』(1856年)、ロバート・ルイス・スティ ーヴンソンの「ジーキル博士とハイド氏の奇妙な事件」(1886年)、マルセル・プルース トの『スワン家のほうへ』(『失われた時を求めて』第一篇、1913年)、フランツ・カフ カの「変身」(1915年)、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(1922年)という いずれも知名度の高いものであったことを思い合わせてみるならば 6) 、「ヨーロッパ小説の巨 匠たち」(あるいは「ヨーロッパ小説の諸傑作」)と題する授業の第一段階で、『マンスフィ ールド・パーク』という、オースティンの主要な長篇小説のなかでも比較的地味な印象のある 作品について講ずるという選択は、やや意表を突いたものであるように映らなくもない。 ナボコフ当人も、当初、一年をつうじて十九世紀と二十世紀のヨーロッパ文学を論じる講義

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  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 219

    虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの

    『マンスフィールド・パーク』論

    鈴 木 聡

    1. お伽噺の時間

    2. 暦とプロット

    3. 性格描写から構造へ

    4. 思惑とその帰結

    1. お伽噺の時間

    ヴラジーミル・ナボコフの死後、フレッドソン・バワーズの編纂により刊行された『文学講

    義』(1980年)1)は、1940年代から1950年代にかけてウェルズリー大学とコーネ

    ル大学で行なわれた一連の講義(コーネル大学での授業名の一例は「文学三一一‐三一二、ヨ

    ーロッパ小説の巨匠たち」2) )のうち英語文学、フランス語文学、ドイツ語文学を取りあつか

    ったもの(ナボコフが用意した草稿や覚え書きにもとづく)を収録している 3)。講義の準備に

    あたっては、作品の選別やそれらを取りあげる順序について多少の試行錯誤があったものと推

    察することができる 4)。とはいえ、最終的に十九世紀初頭から年代順に開陳される形態に落ち

    着いて以来、毎年、秋学期の劈頭を飾ることになった作品とは、ジェイン・オースティンの長

    篇小説『マンスフィールド・パーク』(1814年)であった 5)。

    そのあとに続く各作品が、チャールズ・ディケンズの『荒涼館』(1852‐53年)、ギ

    ュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』(1856年)、ロバート・ルイス・スティ

    ーヴンソンの「ジーキル博士とハイド氏の奇妙な事件」(1886年)、マルセル・プルース

    トの『スワン家のほうへ』(『失われた時を求めて』第一篇、1913年)、フランツ・カフ

    カの「変身」(1915年)、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(1922年)という

    いずれも知名度の高いものであったことを思い合わせてみるならば 6)、「ヨーロッパ小説の巨

    匠たち」(あるいは「ヨーロッパ小説の諸傑作」)と題する授業の第一段階で、『マンスフィ

    ールド・パーク』という、オースティンの主要な長篇小説のなかでも比較的地味な印象のある

    作品について講ずるという選択は、やや意表を突いたものであるように映らなくもない。

    ナボコフ当人も、当初、一年をつうじて十九世紀と二十世紀のヨーロッパ文学を論じる講義

  • 220 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    計画を練っていたころには、オースティンの作品を候補として念頭においてはいなかった。も

    ともと彼は、一読者としてオースティンに親しんでいたわけではなかったし、オースティンを

    作家として高く評価していたわけでもなかったのだ。そのナボコフに懇切な助言を与えて、当

    初まったく関心のそとにあった作品に眼を向けさせたのが批評家エドマンド・ウィルソンであ

    ったことはすでによく知られている事実である。

    1950年四月、のちに『記憶よ語れ──自叙伝再訪』7)と題されて単行本化されることに

    なる散文の最終章を執筆中であったナボコフは、次年度、開講することとなった「ヨーロッパ

    小説」の授業で、「少なくとも五人の」ロシア人作家と、西ヨーロッパの小説を代表する「カ

    フカ、フローベール、プルースト」以外に、「少なくともふたり」はあつかう予定になってい

    るイングランド人作家(「長篇小説あるいは短篇小説の」)についてウィルソンに意見を求め

    た(四月十七日付書簡)8)。その依頼にたいしてウィルソンは、「アイルランド人であるとい

    う理由でジョイスを除くならば」、「比類なく偉大な」ふたりのイングランド人作家とはディ

    ケンズとオースティンであると躊躇なく断定したのだった(四月二十七日付書簡)9)。

    かつて読んだオースティンのべつの長篇小説『高慢と偏見』(1813年)からは得るとこ

    ろがなにもなかったといい、女性作家全般にたいする偏見をいだいていると告白するナボコフ

    は、ウィルソンの勧めにしたがって『荒涼館』を読んでみておおいに気に入ったものの、オー

    スティンの代わりにスティーヴンソンを選ぶつもりだと告げる(五月五日付書簡)10)。ウィル

    ソンはかさねて返事を送り、ナボコフはオースティンのことを誤解しているようだが、是非と

    も『マンスフィールド・パーク』を一読してみるべきだと強く勧奨した(五月九日付書簡)11)。

    ウィルソンにいわせるならば、オースティンは「シェイクスピア、ミルトン、スウィフト、

    キーツ、ディケンズ」と並んで「半ダースの偉大なイングランド人作家」のひとりに数えられ

    るべき存在である(もちろんそのなかでスウィフトはアイルランド生まれであるが)。自己の

    作品にたいするオースティンの態度は、「男性の、すなわち藝術家のそれ」であって、「女性

    的な白日夢を不当に駆使するような、典型的な女性小説家のそれ」ではないとウィルソンは主

    張する。オースティンの題材処理方法は「客観的」であり、その作品はそれぞれが「異なる女

    性像の研究」になっているとされる。オースティンがめざしていたのは、「みずからの憧憬を

    表現する」ことではなく、「持続し得る完全ななにかをつくり出す」ことなのである。

    私信のなかでの発言であって、おそらく明確な悪意は籠められていないのだろうし、とくに

    ウィルソンの場合は、ナボコフを説き伏せようという必要に駆られてのことと斟酌することも

    できようが、両者の口吻にいささか女性蔑視の響きが察知されることは否定しがたい。ともあ

    れ、ウィルソンの粘り強い説得は功を奏し、とりあえず『マンスフィールド・パーク』を入手

    したナボコフは、読みはじめてみて、たちどころに考えを改め、これを新学年の授業で使うこ

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 221

    とを決意するとともに、ウィルソンの慧眼に謝意を表するのだった(五月十五日付書簡)12)。

    このような経緯からは、ナボコフの突然の心変わりについて、また彼が『マンスフィールド・

    パーク』に惹かれるにいたった理由について忖度することはできない。とはいいながら、講義

    のなかで作品の本文にひたすら寄り添おうとするナボコフの一貫した姿勢が、『マンスフィー

    ルド・パーク』のうちにナボコフが見いだした魅力とそれに注がれる彼自身の愛着の真摯さを

    申し分なく証し立てていることはまちがいない。

    「『マンスフィールド・パーク』はハンプシャーのチョートン 13」で創作された」(Nabokov

    1980: 9)という講義冒頭の一文はきわめて客観的、中立的なものであるように見える。だがそ

    れに引き換えて、「それは1811年二月に書きはじめられ1813年六月を過ぎて間もなく

    完成された。ということはつまり、ジェイン・オースティンが四十八章に分けられた約十六万

    語からなる長篇小説を完成させるのに約二十八箇月を要したということである」という直後の

    一節には、やや特異な拘りのようなものが感じられるといえよう。この細密なデータの挿入は、

    それ自体としてはとくに重大な意味を有していない。オースティンのテクストが、営々と積み

    あげられ精緻に組み立てられた細部からなる構造体であること、正面からそれと向き合おうと

    するとき、読者にもそれに似つかわしい忍耐強さと気遣いが不可欠となってくるであろうとい

    う婉曲な示唆こそが肝要なのだ。

    「内容と形式を区別すること」にも「因襲的なプロットと主題の流れを混同すること」──

    ナボコフ自身が覚え書きのなかでで註記した用語法にしたがうならば、「プロット」とは「想

    定された物語」(Nabokov 1980: 16)を意味し、「主題」とは「長篇小説のそこここで、ちょ

    うどひとつの旋律がフーガのなかで繰り返し再帰するように反覆されるイメージないしは観

    念」を意味している──にも反対するナボコフが、「書物の奥深くに跳びこみ身を浸す」まえ

    にあらかじめ断っておくのは、『マンスフィールド・パーク』の「表面的な筋立て」は「田舎

    の名家二家族間の情動的な相互交流」だということである。

    「表面的」と形容されている点は注目しておくべきであろう。表面上、登場人物たちの多く

    の運命を動的、劇的に巻きこんでゆくかのように見える物語の機構は、じつは不動の中心ある

    いは核心によってささえられている。すなわち、ふたつの家族のいっぽうであるバートラム家

    14)──准男爵であり国会議員であるサー・トマス・バートラムとバートラム令夫人(旧姓ウォ

    ード)、息子のトム(トマス)とエドマンド、娘のマライアとジューリア──に引き取られた

    プライス家(バートラム令夫人の妹フランセスの嫁ぎ先)の長女ファニーの存在こそが、『マ

    ンスフィールド・パーク』というテクストの重点をなしているのだ。

    ファニーに割り当てられているのは、「十八世紀、十九世紀の長篇小説ではもっとも人気が

    あった人物像」であった「被後見人」という控えめな役どころである。といっても、物語論的

  • 222 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    な観点からすれば、貧しい家庭から裕福な家庭に迎え入れられながら、絶えず余所者、余計者

    としての疎外感と悲哀を味わい続けるというその立場には、多彩な機能を発揮し得る有利さも

    附随している。つまり、他方においてファニーは、表面上、つねに受動性と消極性によってそ

    の行動をしるしづけられながらも、バートラム家の次男であるエドマンド──一家のなかでフ

    ァニーがもっとも信頼を寄せる人物であり、幼いころから一貫してファニーの最大の理解者で

    もある──にたいして密かな恋心をいだく女主人公としての役割をも担っているのだ。

    さらに、「作者のお気に入り」であるファニーは、たんなる傍観者にとどまっているわけで

    はなく、家族の事情に精通した当事者のひとりでもある。その二重の立場のおかげによって彼

    女は、事態の推移を冷静に見守る観察者として(場合によっては批判者として)、作者あるい

    は語り手──このテクストのなかでは、ごく一部で「私」という一人称が用いられている(第

    二巻第六章、第三巻第十七章、Austen 2003: 181, 362, 369)──の「代理」(Nabokov 1980: 10)

    としてふるまうこともできるのである。

    「ディケンズ、ドストエーフスキイ、トルストイ」にも例を認めることができる「穏やかな

    被後見人」、「物静かな乙女」という登場人物──「美徳の論理が人生の偶然に打ち克つ」と

    き、「謙譲と卑下のヴェール」をとおして「はにかんだ美」をついに輝き出させる女性──は、

    シンデレラを原型としたものだとナボコフは指摘する。おそらくこれは、『マンスフィールド・

    パーク』の読みかたとしてはもっとも単純なものであり、解釈の可能性を広げるためには、た

    とえば、祖型となるシンデレラの物語(シャルル・ペローの「サンドリヨン」、グリム兄弟の

    「灰かぶり姫」)における継母・継子関係が『マンスフィールド・パーク』においては変形さ

    れ、シェイクスピアの『リア王』における父親と三人姉妹の関係──長女と次女を不当なまで

    に溺愛し、三女の誠意を過小評価した結果、父親が権威を失うにいたる──というモティーフ

    と部分的に組み合わされているのではないかと仮定してみるような、ある程度の創意工夫が求

    められることになるだろう 15)。

    しかしながら、ナボコフがあえて単純明瞭なことがらを強調している点こそをわれわれは重

    要視すべきなのだ。「『マンスフィールド・パーク』はお伽噺だけれども、そうだとすれば、

    ある意味で、すべての長篇小説はお伽噺なのだ」とナボコフは喝破する。『ボヴァリー夫人』

    や『アンナ・カレーニナ』のような鮮烈なまでに生気溢れる傑作にくらべてみれば、オーステ

    ィンの作品は「婦人の仕事」、「子どものゲーム」のようなものだろう。だが、その「裁縫道

    具箱」からは「精緻な裁縫藝術」が生み出され、その子どもには「驚異的な天才の特性」が備

    わっていると称されるのは、オースティンの作品が典型的な長篇小説としての美質に富んでい

    るからにほかならないのだ。

    一見したところ、オースティンの素材や内容は「旧套、大仰、非現実的」に思えるかもしれ

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 223

    ない。しかし、それは「拙い読者」が陥りやすい迷妄にすぎないのであって、「よい読者」は、

    書物における「人物や事物や環境の現実性」が 個々の作品独自の世界に依存したものであり、

    その世界が独創的な作家によって独創的に発明されたものであることを知っている。「『マン

    スフィールド・パーク』の魅力」は、「その約束事、その規則、その魅惑的な見せかけ」を読

    者が承認し受け容れてこそはじめて十全に享受し得るものとなるのである。

    単刀直入とも虚心坦懐とも呼び得るようなテクストへの接近方法は、ナボコフの講義全体に

    共通した特徴となっている。そのような姿勢からすれば、『マンスフィールド・パーク』が典

    型的に(あるいは模範的に)かたちづくられた虚構であることを詳細に解き明かす手順が、こ

    の長篇小説の冒頭の数語──「三十年ほどまえのこと」(第一巻第一章、Austen 2003: 916) )

    ──からはじまるのも至極当然ということできるだろう。物語の出発点が、作品の執筆がはじ

    まった1811年からちょうど三十年まえにあたる1781年 17)であることは、作品中、唯一

    明確に示された日付(十二月二十二日木曜日[第二巻第八章、Austen 2003: 198-99, 201])をは

    じめとして、年月や期間にかんする複数の記述を仔細に照合することによりおのずと明らかに

    なるはずなのである。

    「ジェイン・オースティンは、彼女の主要な登場人物たち、作中の比較的若い人びとが放逐

    され、希望に満ちた結婚生活の、あるいは希望のない独身生活の忘却のなかに沈んでいったあ

    とでこの長篇小説を書いているのである」とナボコフは述べる(Nabokov 1980: 12)。『マン

    スフィールド・パーク』は虚構ではあるが、そのなかで生じる出来事は現実と同じように生じ、

    現実と同じように過去へと遠ざかってゆく。おそらくそうした構成原理をつねに意識して、作

    者がじっさいの暦を参照していると思われる以上、読者もまた、テクスト内における時間の経

    過に無関心であることはできないのだ。

    2. 暦とプロット

    サー・トマス・バートラムがファニーのために舞踏会を催すことにした十二月二十二日が木

    曜日にあたる年は1808年である 18)。この年の夏(七月と思われる[第一巻第四章、Austen

    2003: 32])、ファニーは十八歳になっていた。『マンスフィールド・パーク』の物語は、その

    大半のところがこの年から翌年にかけての出来事によって占められることになる。それらを項

    目化して1808年十二月から1809年五月まで一日から数日を単位としてまとめた詳細な

    一覧(暫定的に日付を記載したもの)は、R・W・チャップマンによって呈示されている 19)。

    1808年夏までの出来事については、省略が多く、具体的な日付などを推定する手がかりは

    まったく与えられていないものの、チャップマンもいうように、首尾一貫性が保たれているこ

    とはまちがいない。

  • 224 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    1781年、ウォード家の次女 20)マライアは、(「七千ポンド」[第一巻第一章、Austen 2003:

    3]の財産しかなかったが)幸運に恵まれて、ノーサンプトンシャーにあるマンスフィールド・

    パークの主サー・トマス・バートラムの心を射止めて、准男爵夫人という身分を手に入れる。

    この発端からおよそ六年の間隔をおいて、ウォード家の長女(慣例にしたがって「ミス・ウォ

    ード」とのみ呼ばれ第一名は明示されない)は、サー・トマスの友人である聖職者ノリス師を

    結婚相手に選ばなければならないという気になり(その後ノリス師はマンスフィールドの聖職

    禄を給わる)、三女フランセスは、家族にたいする面当てのように「教育も、財産も、係累も

    ない」プライスという姓の海兵隊中尉と結ばれる顚末となる。幸運と妥協と自暴自棄という差

    異は介在するものの、三人姉妹のそれぞれの選択が、収入の多寡によって幸福の度合いを評定

    されていることは疑うまでもない。また、三人姉妹の末娘がもっとも不幸な結婚をするという

    のは、シンデレラの物語を諷刺的にパロディ化した挿話であるようにも見える。

    不可解なことに、ナボコフの見積もりではウォード家の三人姉妹の結婚はいずれも1781

    年の出来事とされている(Nabokov 1980: 13)。講義原稿にそう記されていたか、それが活字

    化されるまでのあいだに誤りが生じたか定かでないが、ナボコフ自身が作成した年表(Nabokov

    1980: 6121))にあたってみれば、『マンスフィールド・パーク』本文の内容がより忠実に反映

    されていて、ミス・ウォードとフランセス・ウォードのそれぞれの結婚は1787年のことで

    あったと明記されているのがわかるはずである。

    ともあれ、プライス家の十人の子どもたちの二番めにあたる長女ファニーは、1790年生

    まれと考えられる(それ以前に兄弟のなかでは彼女ともっとも仲のよい兄ウィリアムが生まれ

    ている)。姉たちと交際を断って十一年経ったころ、九人めの子どもを妊娠していたプライス

    夫人が、家計の苦しさから、窮状を訴える手紙をバートラム令夫人宛に送ったことが端緒とな

    り、同情の念を掻き立てられたバートラム夫妻が(ノリス夫人の提言に動かされて)プライス

    家の長女を引き取るというなりゆきになる。ファニーがマンスフィールド・パークに迎えられ

    たのは、彼女が十歳のとき、1800年のことであった。それ以後の歳月で生じた「一家にと

    ってはじめてのちょっとした重大事」(第一巻第三章、Austen 2003: 18)はノリス師の死であ

    った。それはファニーが十五歳のときのこと、すなわち1805年前後のことである。

    年表中の項目のすべてが講義内容に取り入れられているわけではないにしても、『マンスフ

    ィールド・パーク』の物語が、きわめて現実的な時間の経過を前提としたうえで展開されてい

    る点にナボコフがとくに留意し、整合性を念入りに確認している理由は検討に価する。『マン

    スフィールド・パーク』以外の作品の講義にさいしても、ナボコフは同様の年表を用意したも

    のと想像されるが、一例としては、『アンナ・カレーニナ』の時間構造にかんする精緻な説明

    を挙げることができよう(Nabokov 1981: 190-98)22) 。

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 225

    『アンナ・カレーニナ』第一部第三章では、ステパーン・アルカージイヴィチ・オブローン

    スキイ公爵が、フリードリヒ・フェルディナント・フォン・ボイスト伯爵(イギリス駐箚オー

    ストリア=ハンガリー帝国大使)がヴィースバーデンに向けて出発したことを伝える新聞記事

    を読んでいる。この挿話を推論の出発点としてナボコフは、物語が1872年二月二十三日(新

    暦の日付であり、旧暦では二月十一日)金曜日からはじまっていることを立証する。そして彼

    は、それ以後、露土戦争開戦の前年、1876年八月にいたるまでの時間経過は個々の登場人

    物たちごとに相対的なものとなってゆくと主張する。このきわめて光彩陸離たる論証は、長篇

    小説『プニン』(1957年)23)のなかで、主人公であり、ナボコフと同じくアメリカの大学

    で教えるロシア人教授であるチモフェーイ・パーヴロヴィチ・プニンの口をとおして断片的に

    語られるものと実質的に同一である(Nabokov 1989(1): 122, 129-30)。

    「客観的な時間の観念を処理する段になるとトルストイはかなり迂闊であった」(Nabokov

    1981: 142)にもかかわらず、その時間感覚が正確無比な、揺るぎないものであるという点が、

    ナボコフの議論の根幹をなしている。トルストイの散文が「われわれの脈搏と同じ速度で進み

    続け」、その登場人物たちが「われわれが彼の書物を読んでいるあいだに窓のしたを通り過ぎ

    る人びとと同じ歩調で動いているように思われる」こと、彼が、「平均的な読者」(Nabokov 1981:

    141)が日常知覚しているものと同様の「ありふれた平均的な時間」を「きわめてさりげなく、

    きわめて無意識的に」表出し得ていることが、ナボコフを讃歎させずにおかないのである。

    虚構作品の内部における時間経過がこのうえなく自然に感じられること、架空の時間がわれ

    われの日常生活のリズムと完全に一致しているように思えることが、登場人物の心理と行動を

    描写するうえで不可欠な現実味の裏づけとなる要件だとするのは、全面的に首肯し得る主張で

    あろう。しかしながら、『失われた時を求めて』における時間がプルースト的なものであった

    り、『ユリシーズ』における時間がジョイス的なものであったりするのとは根本的に異なって、

    『アンナ・カレーニナ』における時間が「平均的」なものであることをたしかめるために、ナ

    ボコフのように丹念にテクストを読みこみ、十九世紀の暦や新聞記事に眼を向けようとする献

    身的な読者はけっして多くはあるまい。

    このように見てくることで理解し得るように、テクストのうちに散見される年代への言及を

    洩れなく拾い集め、空白となっている年や月日も年表によって埋めようとするナボコフの努力

    は、あくまでも作者あるいは書き手がテクストの構築をとおしてなにをなし遂げようとしてい

    るのか、そもそもなにを前提として虚構を組み立てようとしているのか解明することを目的と

    したものである。それは、たとえば長篇小説『ロリータ』(1955年、1958年)24) の執

    筆にあたって、ナボコフ自身が、物語の主要部分を占める1947年から1952年にかけて

    の暦に配慮していることを鑑みるならば、じゅうぶんに納得のゆくことと思われる。

  • 226 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    『ロリータ』第一部第十一章(Nabokov 1991: 42-57)で語り手=主人公であるハンバート・

    ハンバートは、「黒い模造皮革で装幀された小型日記帳」(五年まえに廃棄されたもの)に含

    まれた1947年六月の項目を「写真的記憶力」によって詳細に復原する。それ以後、同年八

    月までの出来事は、ほぼ一日単位でたどることができるようになっているのだ。虚構作品の作

    者にそのような肌理細やかさが求められている以上、それに相当するものがテクストに接する

    読者にも求められていることは疑いないとナボコフは暗にいわんとしているようでもある。

    その点で、『マンスフィールド・パーク』における時間経過の問題を論じるナボコフの姿勢

    は、近年の研究者や批評家が、往々にして虚構上の日付を黙殺し、たとえそれを引き合いに出

    すとしても、歴史的背景とテクスト自体との齟齬を指摘するのみで、物語の生起する舞台とな

    っているじっさいの年代は、作品の執筆年代そのものと完全に重なっているのだとする一面的

    な主張に固執しがちであるのとはじつに対照的だというほかないだろう 25) 。

    オースティンは、たとえば『第一印象』という表題で書きはじめられた作品をのちに『高慢

    と偏見』として書き改めるにあたって、テクストのうちに複数の暦を混在させたままにしてい

    る 26) ように、過去を振り返る様態で書かれた作品でありながら、時としてそのなかに年代にそ

    ぐわない事項を織りこむことがある。ラッシュワース家 27) の屋敷であるサザトン・コートの客

    間におかれた『クォータリー・レヴュー』誌(1809年三月創刊)(第一巻第十章、Austen

    2003: 82)、ファニーが愛読しているらしいジョージ・クラッブの『物語集』(1811年)(第

    一巻第十六章、Austen 2003: 123)などがその例にあたる。それらが、端的にある種のアナクロ

    ニズムに類するものとして認定されることはまちがいなかろう。

    簡単にいってしまえば、オースティンのいくつかの作品においては、過去に設定された虚構

    の現実性と作品の執筆年代における現代性が、一見してそう思われるような矛楯としてではな

    く、両立させるべき課題として受けとめられているものと考えられる。そのような見かたをす

    るならば、バートラム家の所有する「西インド諸島の地所」(第一巻第一章、Austen 2003: 4)、

    おそらくは奴隷を使役し砂糖栽培によって収益をあげている「アンティグア島の所領」(第一

    巻第三章、Austen 2003: 24)という、物語上、とくに重要な役割を果たしていない土地にかん

    する言及がなぜ必要なのか、「自分の問題のよりよい処置」(第一巻第三章、Austen 2003: 25)

    のためしばらく(結果的には二年ほど)その土地で過ごしたのちにようやく帰還したサー・ト

    マスにたいして、ファニーが「奴隷貿易」(第二巻第三章、Austen 2003: 155)にかんする質問

    を発するのはどうしてなのか 28)、多少考えてみる機縁が得られるかもしれない。

    この点でも近年の研究者や批評家とは相違して 29)、ナボコフは、アンティグア島をささやか

    な波瀾の源としか考えていない(「ある一箇所、サー・トマスが小アンティル諸島で果たすべ

    き所用が生じるというくだりでは若干の貿易風が吹きつけてくる」[Nabokov 1980: 12])。

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 227

    彼はそれをただ、サー・トマスを少しのあいだマンスフィールド・パークから立ち退かせるた

    めの方便、彼の不在中に、ファニーを除く若い人びと(バートラム家の兄弟姉妹、クローフォ

    ード兄妹、トムの友人であるジョン・イェイツ氏 30) )がしだいに屋敷内での芝居の上演とい

    う計画に夢中になってゆき、ついには、アウグスト・フリードリヒ・フェルディナント・フォ

    ン・コツェブーの原作(『私生児』[1780年])にもとづいてエリザベス・インチボール

    ドが翻案した戯曲『恋人たちの誓い』(1798年) 31) を演じるため、撞球室に舞台装置を

    据えようとするところまで増長するというプロットの発端と見なしているだけなのだ

    (Nabokov 1980: 18)。

    その素人芝居の下稽古の過程は人間関係を紛糾させ、(とりわけ不本意にもエドマンドが巻

    きこまれてゆくことについて)ファニーの煩悶を募らせる。彼女自身が傍役のひとつ(グラン

    ト夫人が演じることになっていた「農夫の妻」)の「科白を読む..

    」(第一巻第十八章、Austen

    2003: 134-35)よう無理強いされたことも相俟って、事態は最悪なものとなりつつあった。その

    ただなかで、人びとが演技に熱中しているちょうどそのときに(デウス・エクス・マキーナ的

    に)突如サー・トマスを屋敷に帰還させて、第一巻の締め括りとすることに作者の最大の狙い

    があったことはたしかであろう。

    かくしてマンスフィールド・パークは渾沌に陥ることを免れ、秩序を取りもどすことになる

    が、その中核たるサー・トマスという登場人物の役割にナボコフ自身があまり関心を払ってい

    ないであろうこと、ある意味では、彼もまたサー・トマスの不在を歓迎していたであろうこと

    にもほぼ疑念の余地はない。彼が興味を惹かれているのは、ひとりの登場人物がテクスト上に

    登場することではなく、テクスト上から姿を消すことによって──ノリス師が亡くなったり、

    ファニーが長年愛してきたポニー(第一巻第四章、Austen 2003: 28)が亡くなったりしたとき

    と同じように 32)──プロットを新たな、もうひとつの局面へと転換する契機が生じることなの

    だ。

    全般的にいって、ナボコフは、プロットそのものを深く掘りさげてなんらかの解釈の道筋を

    示すことよりも、プロットを展開するために作者が駆使している手法や仕掛けに力点をおくこ

    とをみずからの務めと心得ているようだ。それと同じように彼は、登場人物の行動や心理、立

    場や性格についても、まず第一にプロットを起動したり左右したりする役割を担ったものとし

    てとらえている。そのような場合も、ナボコフがなににもまして関心を払っているものとは、

    各登場人物──なかでも彼が気に入っているらしいのは、「書物中でもっとも愉快でグロステ

    スクな人物のひとり」(Nabokov 1980: 13)だとされたノリス夫人である──の内面それ自体

    というよりはむしろ、それを描出するために作者が臨機応変に繰り出す多様な方法の追求なの

    だ。

  • 228 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    3. 性格描写から構造へ

    ナボコフによれば、『マンスフィールド・パーク』の前半部分でオースティンが用いている

    性格描写の方法は四種類に分類される(Nabokov 1980: 13-14)。(1)直接的な描写。その例

    としては、サザトン訪問をまえにしたノリス夫人やラッシュワース夫人のふるまいとさまざま

    な思惑の交差(第一巻第八章、Austen 2003: 60)が挙げられる。そこに見いだされるものとは、

    オースティン特有の「アイロニー溢れる機智」の煌めきを感じさせる地の文によってなされた

    叙述である。

    (2)直接的に引用された発話をとおして行なわれる性格描写。その例としては、ファニー

    を引き取ることにかんするサー・トマスの見解(第一巻第一章、Austen 2003: 6)が挙げられる。

    そこでは、発話者の語る内容だけでなく、その発話者の特徴となっている口調や口癖を克明に

    造型することにより、その人物像が読者にとってまざまざと感じ取れるようにすることがめざ

    されている。発話をとおして読者は、サー・トマスが「演劇用語でいう堅物の父親」であるこ

    とを生き生きと感じることができるのである。

    (3)登場人物によって報告された発話をとおして行なわれる性格描写。その例としては、

    牧師館の新たな住人となったグラント博士夫妻の暮らしぶりにかんするノリス夫人の憾みがま

    しい評言(第一巻第三章、Austen 2003: 25)が挙げられる。このような場面においては、報告

    されている対象そのものというよりはむしろ報告者自身の性格が照射されることになるのだ。

    (4)ある登場人物による他の登場人物の口調の模倣。その例としては、ファニーと語り合

    いながらエドマンドが、ファニーのことをメアリー・クローフォードが褒めていたと伝える場

    面が挙げられる(本文からの具体的な引用がなされていないものの、第三巻第四章[Austen

    2003: 270-79]における遣り取りの一部[Austen 2003: 276]33)が該当するものと思われる)。

    これは当事者間の会話が第三者にそのまま報告されるような場合に限られるため、ごく稀れに

    しか用いられることがない。

    登場人物の性格描写にかんしては、以上で簡単に見てきた四種類の方法以外に、いくつか付

    け加えるべき要素があるものと思われるが、それらについては少しあとの箇所で改めて触れら

    れる機会がある。ラッシュワース氏がバートラム令夫人に灌木の植えこみのことを話そうとし

    てしどろもどろになってゆく場面(第一巻第六章、Austen 2003: 44)についてナボコフは、こ

    こで作者は会話を直接描き出す代わりに、「記述文」をそれに充てているのだと指摘する

    (Nabokov 1980: 23)。このようにして、「文の内容」だけでなく、「それ自体のリズム、構

    文、抑揚」もまた、「記述された発話の特筆すべき特徴」を遺憾なく伝えるものとなるのであ

    る 34)。

    オースティンが自家薬籠中のものとしている自由間接話法によって叙述される対象は、じつ

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 229

    は登場人物たちの会話の要約ばかりでなく、登場人物の(とくに主人公であるファニーの)密

    かな物思い(しばしば地の文と一体化される)35)にまでおよんでいるのだが、ナボコフはその

    点に触れていない。また、直接話法によって叙述されたファニーの「内的独白」(第三巻第十

    三章、Austen 2003: 333)、メアリー・クローフォードに熱をあげているエドマンドにたいする

    彼女の苛立ちを伝える「抑揚」をさして、「百五十年後にジェイムズ・ジョイスによって見事

    に用いられることになるもの」(Nabokov 1980: 50)と評し、今日では「意識の流れ」とも呼

    ばれているものの直接的な先駆であることを示唆しているように、ナボコフの論述のうちに、

    いささか方法論的な厳密さに欠け、恣意に流されているのではないかと危惧されるところ、気

    紛れとも奔放とも受け取られかねない型破りな一面があることは否定できない。

    文学史的にいえば、オースティンとジョイスを結びつけるためにはいくつかの段階を踏まな

    ければならないところだろう。だがナボコフは、多少無理を押してでも、オースティンの作品

    がいくつかの意味で(ナボコフ自身の講義の主要テーマでもある)十九世紀以降における文学

    的表現方法の進化過程の原点として位置づけられ得ることを強調しようとしている。ひとつの

    虚構テクストは、それ自体が種々の言説の集積であり混淆であるだけでなく、過去と未来の境

    界線上にあって、それらふたつの文学的伝統をともに写し出す鏡のような存在でもあるという

    ことになろう。

    『マンスフィールド・パーク』は、ウィリアム・クーパー(第一巻第六章、Austen 2003: 44)、

    サー・ウォルター・スコット(第一巻第九章、第二巻第十章、Austen 2003: 68, 220)、ロレン

    ス・スターン(第一巻第十章、Austen 2003: 78)、サミュエル・ジョンソン(第三巻第八章、

    Austen 2003: 308)などからの引用を含んでいるだけではない。「シンデレラ的類型」(Nabokov

    1980: 56)のあつかいや、あまり好ましくない「喜劇的」人物の特徴となっている「グロテスク」

    なふるまいを「演劇のなかで」のように登場のたびに繰り返させながら、そのつど照明のあて

    かたを変えてゆく手腕の卓抜さは、後年のディケンズを予感させるものである。そうしたナボ

    コフの見かたからすれば、登場人物の心理描写の点でオースティンが、二十世紀にはいってか

    らジョイスによって完成の域に達することになる方法上の革新の先鞭をつけていたとする主張

    にも、それなりの必然性があることになるはずだ。

    そのような観点も含めて、オースティンの用いている話法ならびに虚構上の登場人物たちに

    よる発話や会話の表現方法について論じるべきことがらはまことに多岐にわたっているといわ

    なければならないだろうが、ナボコフの論点は明確そのものだと断定しておいてよい。つまり、

    ある地点で性格描写が「構造に近づく」(Nabokov 1980: 14-15)──ナボコフ自身が覚え書き

    のなかで註記した用語法にしたがうならば、「構造」とは「書物の構成、ひとつの事件がもう

    ひとつの事件を惹き起こすような出来事の展開、ひとつの主題からもうひとつの主題への推移、

  • 230 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    登場人物たちを導き入れたり、新たな筋立ての複合体を開始したりするさい、またあるいは多

    種多様な主題を連結させたり、長篇小説を進捗させるために用いたりするさいの抜け目のない

    やりかた」(Nabokov 1980: 16)を意味している──ところにこそ、『マンスフィールド・パ

    ーク』という作品の妙味があるということである。

    ノリス夫人という「グロテスク」な登場人物がそれ自体で「一個の藝術作品」(Nabokov 1980:

    14)となり遂せているばかりでなく、「機能的な性質」をも有しているといい得るのは、「彼

    女のお節介な性格」こそが、ファニーがバートラム家に引き取られる運命的な転換点をもたら

    したものだからなのだ。そこまで劇的な役割を演じてはいないものの、外出や催しへの参加を

    煩わしい面倒としか見なすことのできないバートラム令夫人の怠惰さが、(十九世紀当時の上

    層階級の生活習慣とは相反して)社交季節のあいだロンドンで過ごすことを忌避させ、とりわ

    けファニーが田舎から出る機会を奪っていることも、登場人物の性格とプロットの有機的な連

    関を示す好個の例と見なすことができるだろう 36)。

    ナボコフの見るところ、各登場人物の性格と言動、それらの人びと(ファニーの「大切な友」

    [第一巻第四章、Austen 2003: 28]であった「年老いた葦毛のポニー」を含む)の登場と退場

    によって複数の「主題」が形成され、それらの「主題」が互いに連鎖してゆくことによって、

    長篇小説の「構造」がかたちづくられてゆくことになる。「それらの主題が徐々に展開され、

    ひとつまたひとつと生み出されては発展させられてゆく。これが構造というものだ」(Nabokov

    1980: 22)とナボコフはいう。

    生来蒲柳の質であったファニーが、あまり負担のかからない運動のため必要としていたポニ

    ーを失ったことを気の毒に思い、エドマンドは、自分の三頭の持ち馬のうちの一頭を「おとな

    しい牝馬」(第一巻第七章、Austen 2003: 53)と交換し、ファニーに使わせることにする。と

    ころがその直後、彼は、グラント博士夫妻のもとに身を寄せたメアリー・クローフォードに乗

    馬を勧め、その牝馬を(ファニーの了承を得たうえで)メアリーに一時的に提供することを約

    束して、付き切りで手解きするのだった。一日めはファニーも馬に乗る余裕があったが、二日

    めからはメアリーに完全に独占されるようになる。結果的にファニーが四日間も蔑ろにされ、

    そのあいだ、わがままな伯母たちの酷使をいつもよりも長時間耐え忍ばなければならなかった

    ことにエドマンドはあとで気づかされ、愕然とするとともに、おおいに反省することとなる。

    このような経緯の全体をさしてナボコフは「馬の主題」(Nabokov 1980: 20)と呼んでいる。

    とくにナボコフが重視しているのは、ファニーを除く「若い人びと全員」(第一巻第七章、

    Austen 2003: 56)──このときにはトムが不在なので、バートラム家のエドマンド、マライア、

    ジューリアとクローフォード兄妹のことが意味されている──が馬に乗って「マンスフィール

    ド共有地」に出かけるという挿話である。「この種の首尾よくいった計画は一般にもうひとつ

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 231

    の計画を生じさせる」ものなので、結局のところ、四日続けて天気のよかった午前中、同じ顔

    触れで、ほかの風光明媚な場所にも遠出する次第となったのだった。

    その延長上で、以前、ラッシュワース氏が自分の屋敷の改良にかんしてヘンリー・クローフ

    ォードの意見を仰ぐために提案し、ノリス夫人が──とくにヘンリーに興味を惹かれているら

    しいマライアとジューリアに気を遣って──自分も含めてその場にいた全員で出かけることに

    しようと修正した、サザトン・コート訪問の計画(第一巻第六章、Austen 2003: 41-50)が、二

    週間後に実現化の方向で再検討されることになる(第一巻第八章、Austen 2003: 60)。このよ

    うにして、「馬の主題」からナボコフが「サザトン脱出行の主題」と呼ぶものへの移行がもた

    らされるのである。

    サザトン・コートの改良という話題は、あとでソーントン・レイシー(エドマンドが聖職禄

    を得ることになっている土地とその牧師館をさす)の改良というもうひとつの話題(第二巻第

    七章、Austen 2003: 188-94)と照応することになる点から見ても、『マンスフィールド・パーク』

    を主題論的に考察するうえでひとつの要諦となり得るものと思われる。しかしナボコフにとっ

    てのそれは、なによりもまず「書物中の最初の大規模な会話場面」(Nabokov 1980: 22)なの

    である。説明の必要上、前置きとして、改良とは、程度の差こそあれ「画趣」という原理にも

    とづいた建築の改修と造園をさすものであり 37)、「アレグザンダー・ポウプの時代からヘンリ

    ー・クローフォードの時代にいたるまで」教養ある人士の余暇の愉しみごとのひとつであった

    と註釈を付したあとで、ナボコフは、この問題にかんする各人の見解を対比してみせる。

    改良という多くのひとを熱中させずにおかない話題にたいして、もっともひややかな反応を

    示しているのはエドマンドとファニーだということになろう 38)。サザトン訪問の計画を最初か

    ら逐一耳にしながら、「この書物の良心」(Nabokov 1980: 23)であるエドマンドは「なにも

    いわなかった」が、そのことによって、碌な介添えもなく若い人びとが、「愚鈍なラッシュワ

    ース」が所有する庭園をそぞろ歩く計画自体に「漠然と罪深いなにか」があるかのように暗示

    されているのだとするナボコフの指摘はおそらく正しい。ナボコフが主張するように、サザト

    ン訪問は、第一巻第十三章以降で中心となる素人芝居の予行演習となるものなのだ。

    べつの意味においてもサザトン訪問は、『マンスフィールド・パーク』に内包された演劇的

    要素を予示するものとなっている。そこでは作者が、風景式庭園を造園するように精妙に事態

    を整え、長篇小説の一場面をまるで「演劇のように」(Nabokov 1980: 27)進行させているの

    である。サザトンの宏大な庭園──そこにはボウリング用の芝地や隠れ垣、「荒蕪地」と呼ば

    れる、わざと手つかずのまま草木が生い繁るままにされた、小ぢんまりした森のような場所も

    ある──を散策するあいだに三つのグループが形成され、それぞれの人間模様が、ベンチで休

    んでいるファニーの眼のまえで繰り広げられるのだ(第一巻第九章‐第十章、Austen 2003:

  • 232 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    75-82)。

    いっぽうではエドマンドがメアリー・クローフォードの機智に魅了され 39)、他方ではヘンリ

    ー・クローフォードを中心としつつ、バートラム家の姉妹(マライアとジューリア)が一喜一

    憂し、ラッシュワース氏が鬱ぎこんでしまうというささやかなドラマは、のちに『恋人たちの

    誓い』の下稽古のさなかにも繰り返されることになるものである。そのことから察しても、作

    者自身が、若い人びとの交際を活性化させる口実となっている、邸宅の改良問題にも素人芝居

    の上演にも懐疑的であることはあえて揚言するまでもないように思われる。いずれの場合もそ

    れぞれに苦いアイロニーの籠められた顚末となっていることも、作者自身が人びとの軽佻浮薄

    なふるまいを容認していないからなのだとすれば、なんの不思議もないわけである 40)。

    4. 思惑とその帰結

    『マンスフィールド・パーク』という虚構テクストのうちに埋めこまれたもうひとつのテク

    ストである『恋人たちの誓い』という演目は、たまたま選ばれたものではない。イェイツ氏の

    魅力的な口説に触発された登場人物たちは、自分たちの人数にちょうど見合った戯曲を選び出

    すことに苦心惨憺し、紆余曲折を経て、疲労困憊したあげく、イェイツ氏が最初に題名を挙げ

    た(第一巻第十三章、Austen 2003: 96)この作品に舞いもどってくる仕儀となるのだが、作者

    自身は、物語全体の組み立てを構想する段階で緻密な計算を行ない、ふたつのテクストの対応

    によって生み出されるアイロニーを最大限効果的に用いることを当初から意図していたものと

    考えることができる。

    もちろん、『恋人たちの誓い』にたいするオースティンの評価が冷淡きわまりないものであ

    ったことは、じゅうぶんに読み取り得るだろう。エクルズフォードという土地に滞在中、友人

    たちとともに演じることになっていた『恋人たちの誓い』が、親類の老女が急逝したため、中

    止を余儀なくされたことを遺憾に思っていたイェイツ氏にとっては、幸運にもマンスフィール

    ドで与えられた機会は失地回復にあたるもののように思えたに違いない。だが、そのこと自体

    が不吉な予兆となっているように、この戯曲の上演は、『マンスフィールド・パーク』のなか

    ではいわば呪われているようなものであって、そもそも順当に実現に漕ぎつける見こみなどあ

    りはしなかったということになるかもしれない。

    『恋人たちの誓い』では、『マンスフィールド・パーク』が慎重に抑制し表層に現われない

    ようにしているもの──上層階級の上品さの蔭に覆い隠された不道徳な醜聞めいたもの──が

    あからさまに前面に打ち出される。男爵の子を産んだ、彼の母親のかつての侍女が顚落し、宿

    賃が払えないため旅宿から追い出されるほどまでに窮乏したり、五年間行方不明となっていた

    のちにようやくめぐり会ったその息子が物乞いをしなければならなくなるように、貧困という

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 233

    モティーフも『マンスフィールド・パーク』のなかでよりも極端化されている。

    そこでは、衝撃を受けた女性が失神するように、感情表現も大袈裟に誇張されている。不幸

    な母と息子は、マンスフィールドの素人芝居ではマライア・バートラムとヘンリー・クローフ

    ォードによって演じられる。演技ではあるし、恋人同士ではなく母子ではあるが、マライアの

    婚約者であるラッシュワース氏の見ているまえで、両者がいだき合い、情熱的な愛情表現が交

    わされるという倒錯的な事態が出来するわけである。その配役にあたっては、ヘンリーが「悪

    魔的な奸智」(Nabokov 1980: 35)を発揮したのだった。

    苦境に陥り、不運にも牢獄に繋がれる羽目になった息子を救い出そうとするのは、男爵の娘

    (その母親は富裕な名家の女性であったが、すでに亡くなっている)と彼女の家庭教師を務め

    る牧師である。『マンスフィールド・パーク』でこのふたつの役を割り当てられたのは、メア

    リー・クローフォードとエドマンド・バートラムであった(狐疑逡巡があったものの、結局、

    兄たちによって押し切られて役を引き受けざるを得なくなるのである)。その娘は、『マンス

    フィールド・パーク』におけるメアリー・クローフォードとは違って(またコツェブーの原作

    とも相違して 41))、牧師を愛しているが、巧妙な策略を弄して、相手に愛を告白させることに

    成功する。娘に求婚していた伯爵は、牧師を使って娘を説得させようとしていたが、体面を失

    ったまま退場せざるを得ない。この伯爵の役を演じることになったのはラッシュワース氏であ

    る。

    好奇心に駆られて『恋人たちの誓い』の本を手に取ったファニーは、一心不乱に読み耽るが、

    一再ならず途中で啞然としてしまうところがあった(第一巻第十四章、Austen 2003: 108)。と

    くにふたりの主要な女性の役はいずれも、家庭内での上演ということからいえば「不穏当」で

    あると思われた。「いっぽうの境遇」と「もういっぽうの言葉遣い」は、「慎みのある女性」

    によって演じられるにはふさわしくないものであったのだ。

    ナボコフの言にもあるように、「ジェイン・オースティンの感想がファニーのそれと同様の

    ものでないと考える理由はない」(Nabokov 1980: 35)と見ることは可能だ。そのような戯曲

    が、若い未婚の男女の恋愛遊戯の機会を提供することはさらにいっそう不穏当もしくは不道徳

    だということができよう。とはいえ、物語の構成上、そうした不穏当さを作者が必要としてい

    たこと、登場人物たちの幾人かが忌避するそうした不穏当さにたいして、他の幾人かの登場人

    物たちが徹底して鈍感であることにも留意しておくべきであろう。

    『マンスフィールド・パーク』のうちに書き入れられた『恋人たちの誓い』は、結果的に、

    虚構の内部における現実の人間関係のパロディのようなもの、あるいは反転像のようなものを

    暗に提起している。だが、それだけで終わっているわけではない。偶然、第三幕までの下稽古

    の最中に帰宅したサー・トマスが家族と再会したあと、久しぶりに自分の部屋を覗いてみると、

  • 234 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    驚いたことに、調度品が乱れ、撞球室につうじるドアのまえにおかれていたはずの書棚がかた

    づけられている。彼もまた、『恋人たちの誓い』が屋敷内に放ってきた磁力とも魔力とも呼び

    得るものと無関係でいられるわけではなかったのだ

    撞球室で物音がすることに気づいたサー・トマスは、そのドアを開けてみる。このなにげな

    い行為によって、思いがけなくも、眼醒ましい喜劇的効果がもたらされることとなる。彼が足

    を踏み入れたところとは、自分の与り知らないあいだに自分の屋敷のなかに設えられていた舞

    台のうえであった。だれか知らない青年が、猛烈な勢いで自分に向かって喚き声をあげていた。

    ちょうどイェイツ氏が、「これまでの下稽古の全体をとおして最高にうまくいった滑り出し」

    (第二巻第一章、Austen 2003: 143)を切ったところだったのである。

    バートラム家の兄弟姉妹が慌ただしく父を出迎えにゆき、クローフォード兄妹が牧師館に引

    きあげていったあと、取り残されたイェイツ氏はひとりで自分の台詞をさらっていたのだった。

    『恋人たちの誓い』のなかで彼が受けもっていたのは、ヴィルデンハイム男爵(コツェブーの

    原作では「フォン・ヴィルデンハイン男爵」)の役であった。ナボコフにいわせるなら、「ミ

    ス・オースティンの演出のもとで、ふたりの堅物の父親、ふたりの鈍重な親が撞球室で出会う」

    (Nabokov 1980: 37)というわけである。それはとりもなおさず、このような形で、『マンス

    フィールド・パーク』と『恋人たちの誓い』というふたつのテクストのあいだの接点が実体化

    したということでもあるだろう。

    サー・トマスとの対面の瞬間に、イェイツ氏は、「熱のこもったヴィルデンハイム男爵から

    育ちのよい屈託のないイェイツ氏へといたる段階的な変身」を遂げはじめる。最初にマンスフ

    ィールドに演劇への情熱をもちこんだ──トム・バートラムにいわせるなら「エクルズフォー

    ドから感化[infection]をもちこんだ」(第二巻第一章、Austen 2003: 144)──イェイツ氏が

    最後に舞台から去り、秩序ある日常が回復の兆しを示しはじめる。イェイツ氏やトムはいささ

    か楽観的な見通しをいだいていたかもしれないが 42)、翌日、さっそくサー・トマスは、屋敷の

    経理、会計のいっさいを検査しはじめるとともに、芝居上演のための準備があったという痕跡

    をことごとく消し去ることを命じ、眼につくかぎり『恋人たちの誓い』の「仮綴本」(第二巻

    第二章、Austen 2003: 149)を焼却するのだった。

    作品中におけるサー・トマスの存在をナボコフが比較的軽視していることについてはすでに

    触れた。そのことをとらえて致命的な欠点と断じることはできないにしても、作品解釈の見地

    からすれば、イェイツ氏とサー・トマスの出会いの場面がかなり意義深いものであることは歴

    然としている。芝居のなかで父親あるいは家長を演じている人物と現実に父親あるいは家長で

    ある人物が不意に顔を突き合わせることに劇的なアイロニーが見いだせるだけではない。『恋

    人たちの誓い』が提起している「貴族制度にたいする政治的な批判のようなもの」(これはト

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 235

    ニー・タナーの言葉である 43))が、テクストのなかで理想化された土地所有階級の一員である

    准男爵サー・トマス・バートラムに(文字どおり真っ向から)突きつけられるということでも

    あるのだ。

    マンスフィールド・パークが表象し、サー・トマスが体現し、ファニーが希求する安定は、

    アンティグア島に蟠る謎めいた不穏な情勢によって揺らぎを生じさせられているばかりでなく、

    屋敷の内部においてすら密かな脅威にさらされている。しかも、みずからも上層階級に属して

    いるイェイツ氏をはじめとして、芝居にのめりこんだ人びとは、『恋人たちの誓い』のうちに

    秘められた異議申し立ての力に自分自身も荷担しているなどとは想像だにしていないのである。

    『恋人たちの誓い』を上演する試みが水泡に帰すまでの一連の経緯が、『マンスフィールド・

    パーク』のなかで反覆されるモティーフの一環をなしている点も見逃すことはできない。「ス

    ペキュレイション」(「思惑買い」を意味する)というトランプ・ゲームに関連して、ナボコ

    フが、「計画と企てというこの主題は、地所の改良、舞台稽古、トランプ・ゲームと結び合わ

    されて、この長篇小説のなかでじつに巧妙なパターンをかたちづくっているのである」

    (Nabokov 1980: 40)と指摘していることも、その点に関連していよう。

    マライアとラッシュワース氏が結婚後、ジューリアを連れてブライトンに旅立ったあと、フ

    ァニーの兄であり、海軍に志願して以来、長く艦隊勤務に就いていたウィリアムが久方ぶりに

    帰国して、マンスフィールド・パークを訪問する。ちょうどその機会に、サー・トマスとバー

    トラム令夫人を含めて一同が牧師館に招待されることとなり、正餐のあと「ホイスト」と「ス

    ペキュレイション」が行なわれるのである(第二巻第七章、Austen 2003: 186-96)。この箇所で

    はじっさいに、ヘンリー・クローフォドがファニーにたいして好意をいだいているのではない

    かと推測しているサー・トマス、ソーントン・レイシーの改良計画に意欲を示すヘンリー、エ

    ドマンドがソーントン・レイシーに移り住むとあまり会えなくなるのではないかと恐れるファ

    ニー、牧師の務めをきわめて生真面目に受けとめているサー・トマスやエドマンドに不満をい

    だくメアリーなどといった具合に、人びとのさまざまな思惑が複雑に絡み合うのである。

    それらの思惑は結局のところ実現することがなく、期待や予想とは異なる帰結を迎えること

    になる。それが『マンスフィールド・パーク』の物語なのだ。それゆえ、「捕獲賞金」(第三

    巻第七章、Austen 2003: 294)を実家に送った残りでささやかな田舎家を買い、そこでファニー

    とともに中年と老年を過ごしたいというウィリアムの希望もかなえられることはない。さらに

    不憫なのは、厳格な父親であると同時に寛大な保護者でもあったはずのサー・トマスが、娘た

    ちや姪であるファニーのために良かれと思ってなしたことがおおむね裏目に出たことであろう。

    とはいえ、ファニーとエドマンドが結ばれたおかげで、サー・トマスの「慈悲深い親切心」

    (第三巻第十七章、Austen 2003: 371)もようやく報われる運びになる。その喜びは、かつてフ

  • 236 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    ァニーを引き取るまえに彼自身がいだいていた従兄弟同士の恋愛の可能性にかんする憂慮の念

    (第一巻第一章、Austen 2003: 5)とはまことに対極的だといわざるを得ないが、ことほどさよ

    うに時間は(「ひとの教育と、隣人たちの楽しみのため」)「ひとの計画と決定のあいだに」

    絶えず対比をつくり出し続けるものなのだ。

    思惑に左右されて齷齪する人びとの葛藤や運命の転変にたいして、オースティンはあくまで

    も超然と達観した姿勢を保っている。第三巻以降、一時期、ファニーの生活の場がポーツマス

    に移るあたりで、作者が、第二巻までの主要登場人物たちの消息と動向、さらには不行跡(マ

    ライアとヘンリー・クローフォードの出奔)を、主にロンドンにいるメアリー・クローフォー

    ドの書簡をとおして伝える方法を選んでいる点に触れて、ナボコフは、書簡体に依存しがちな

    十八世紀の長篇小説の様式への退行であるとして嘆いている(Nabokov 1980: 48-49)。しかし

    ながら、それは必ずしも「作者のがわのある種の疲労の確実な徴候」であるようには思われな

    い。作者は、描きかたによってはメロドラマ的、煽情的になりかねない構成要素をできるだけ

    遠ざけて配置しようとしているだけなのだ。

    ナボコフは言及していないが、最終的に残される問題は、マンスフィールド・パークに忍び

    寄っていた危機ははたして回避されたかのかどうかという点にかかわってくるだろう。頑迷と

    もいえるファニーの一途さは、秩序の揺らぎ、価値観の壊乱の兆しに対抗する特効薬になり得

    るのかどうか。バートラム家の経済的基盤に不安が残っていること、サー・トマスの威信が損

    なわれたままであること、その子どもたちの判断力や道徳的廉潔に疑問がつきまとうことを読

    者は承知している。だからこそ、グラント博士の死後、エドマンドとともにマンスフィールド

    の牧師館に移り住むファニーの眼に、その建物が「マンスフィールド・パークの視界と庇護の

    うちにある、他のすべてのもの」(第三巻第十七章、Austen 2003: 372)と同じく親しみ深いも

    の、「どこまでも完璧なもの」として映るという最終章末尾の一節は、皮肉と悲哀の入り交じ

    ったものを感じさせずにはおかないのである。

    1) Vladimir Nabokov, Lectures on Literature, ed. Fredson Bowers (New York: Harcourt Brace Jovanovich/ Bruccoli Clark, 1980). 引用箇所は括弧内のページ番号によって示すこととする。

    2) 「十九世紀および二十世紀の英語、ロシア語、フランス語、ドイツ語の長篇小説と短篇小説」(Nabokov 1980: vii)が教材であった。

    3) 「文学三一一‐三一二」の一部として、また「文学三二五‐三二六、翻訳で読むロシア文学」として行なわれたロシア語小説にかんする講義は、Vladimir Nabokov, Lectures on Russian Literature, ed. Fredson Bowers (New York: Harcourt Brace Jovanovich/ Bruccoli Clark, 1981) としてまとめられている。

    4) Cf. Boyd 1991: 171-72. 5) 講義録においては、さらにそのまえに「よい読者たちとよい作者たち」と題された有名な前置きがおかれて

    いる。Nabokov 1980: 1-6.

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 237

    6) じっさいの講義では、『マンスフィールド・パーク』の直後にアレクサーンドル・プーシキンの短篇小説「スペードの女王」(1835年)が続いた学年もあった。のちに、トーマス・マン(「鉄道事故」[1809

    年])とともにプーシキンやアントーン・チェーホフ(「谷間」[1899年]、「犬を連れた奥さん」[1

    899年]、『三人姉妹』[1901年])などの作品は省かれることになるが、ニコラーイ・ゴーゴリの

    『死せる魂』(1842年)と「外套」(1842年)、レーフ・トルストイの『アンナ・カレーニナ』(ナ

    ボコフ独自の表記にしたがえば『アンナ・カレーニン』、1877年)はリストに残り、春学期は『アンナ・

    カレーニナ』からはじまった。Cf. Boyd 1991: 171. 7) Vladimir Nabokov, Speak, Memory: An Autobiography Revisited (1967; New York: Vintage International, 1989). 8) Karlinsky 2001: 262-63. Cf. Boyd 1991: 166. 9) Karlinsky 2001: 265. ディケンズの作品のうちウィルソンがとくに書名を挙げて推薦したのは『荒涼館』と『リ

    トル・ドリット』(1855‐57年)であった。 10) Karlinsky 2001: 268. スティーヴンソンがじっさいにはスコットランド出身であることは考えに入れられて

    いないようである。 11) Karlinsky 2001: 270-71. 12) Karlinsky 2001: 273. 13) 1809年七月に移り住んで以後、オースティンが最晩年まで暮らした村。この時期には、完成済みの旧作

    のうち印刷段階にはいっていた『分別と多感』(1811年)が校正されたのを皮切りに、『高慢と偏見』、

    『ノーサンガー・アビー』(1818年)が推敲され、『マンスフィールド・パーク』、『エマ』(181

    6年)、『説得』(1818年)という後期の作品が執筆された。 14) もういっぽうはやや曖昧なのだが、のちにバートラム家と姻戚関係をもつことになるラッシュワース家では

    なく、ノリス師の死後、マンスフィールドの教区牧師となったグラント博士の夫人の弟と妹、ヘンリー・ク

    ローフォードとメアリー・クローフォードをさすものと思われる。メアリーには年二千ポンドの収入があり

    (第一巻第四章)、ヘンリーはノーフォークにエヴァリンガムと呼ばれる領地を所有していた。 15) Cf. Austen 2003: xxvi-xxvii; Pawl 2004: 309-10. 『マンスフィールド・パーク』が創作途上にあった摂政時代(1

    811‐20年)の劇場では、国王ジョージ三世の精神疾患を連想させることを憚って、 『リア王』の上演は自粛されていた。

    16) ナボコフが使用した版はエヴリマンズ・ライブラリー所収のものと思われるが、本論文中では下記の版を用いる。Jane Austen, Mansfield Park, ed. James Kinsley, with an introduction and notes by Jane Stabler (Oxford: Oxford University Press, 2003). 引用箇所は括弧内のページ番号によって示すこととする。

    17) 『マンスフィールド・パーク』の出版された1814年はサー・ウォルター・スコットの長篇小説『ウェイヴァリー』とバイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの物語詩『海賊』が出版された年でもあるという

    ナボコフの言(Nabokov 1980: 9)にならっていえば、1781年は、イマーネエル・カントの『純粋理性批判』第一版とフリードリヒ・フォン・シラーの最初の戯曲『群盗』が出版された年である。

    18) そのほかにも1814年などが該当するが、作品自体の執筆以前の年を想定するのが妥当であろう。 19) “Chronology of Mansfield Park” in Austen 1934: 554-57. 20) ナボコフは三女と見なしている。Nabokov 1980: 12. 21) 図版ページであるためページ番号は省かれている。この年表をアヴロム・フライシュマン作成のものと比較

    してみてもよいだろう。Cf. Fleishman 1970:91-92, n.19. 22) フレッドソン・バワーズの編纂により『ロシア文学講義』としてまとめられた講義録(Vladimir Nabokov,

    Lectures on Russian Literature, ed. Fredson Bowers [New York: Harcourt Brace Jovanovich/ Bruccoli Clark, 1981]、引用箇所は括弧内のページ番号によって示すこととする)中の『アンナ・カレーニナ』にかんする章は、講義のための覚え書き以外に、1954年、コンスタンス・ガーネットによる英語訳の改訂(サイモ

    ン・アンド・シュスター社)にあたって用意した註釈と序論の下書きを含んでいる。Cf. Boyd 1991: 258; McLean 1995: 270.

    23) Vladimir Nabokov, Pnin (1957; New York: Vintage International,1989). 引用箇所は括弧内のページ番号によって示すこととする。

  • 238 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    24) Vladimir Nabokov, The Annotated Lolita, ed. Alfred Appel, Jr. (1970; Revised Edition, New York: Vintage Books, 1991). 引用箇所は括弧内のページ番号によって示すこととする。

    25) Cf. Austen 2003: 396, 404. 26) 1796年から1797年にかけて執筆された初稿が1811年から1812年にかけて改訂されたさい

    にその年代の暦に合わせた日付が採用されたが、最終稿以前には、1799年から1802年の暦も参照さ

    れた段階があったため、その痕跡が残っていると考えられる。 27) ノーサンプトンシャーの名家であり、その長男(たんにラッシュワース氏と呼ばれ第一名は示されることが

    ない)とバートラム家の長女であるマライアはのちに結婚する。 28) その質問は、その場にいたバートラム家の人びと全員の「完全な沈黙」にさらされる。イギリスでは180

    7年三月二十五日成立した「奴隷貿易廃止にかんする法律」によって奴隷貿易は廃止されていた。 29) Cf. Galperin 2003: 153-57. 30) マンスフィールド・パークに演劇熱をもちこんだ張本人であり、のちにバートラム家の次女ジューリアと結

    婚することになる貴族の青年。 31) R・W・チャップマン編纂のテクストに補遺として収録されている。Elizabeth Inchbald, Lover’s Vows: A Play,

    in Five Acts in Austen 1934: 474-538. 32) 「ディケンズ、フローベール、トルストイ」の場合とは違って、『マンスフィールド・パーク』のなかでは

    登場人物が「作者と読者」の腕にいだかれて亡くなることはないとナボコフはいう。Nabokov 1980: 19. 33) “I wish you could have overheard her tribute of praise; I wish you could have seen her countenance, when she

    said that you should be Henry’s wife.” 34) もうひとつナボコフが例に挙げているのは「舞踏会にかんするバートラム令夫人の言葉」である。これは、

    第二巻第八章(Austen 2003: 197-204)の一節──“Sir Thomas engaged for its giving her very little trouble, and she assured him, ‘that she was not at all afraid of the trouble, indeed she could not imagine there would be any.’” (Austen 2003: 198) ──をさすものと思われる。

    35) その例は第一巻第十四章末尾(Austen 2003: 108)、第十六章末尾(Austen 2003: 123)などに見られるだろう。 36) バートラム家の人びとがさまざまな事情──サー・トマスがアンティグア島でかかえている農園経営上の問

    題と国会議員としての務め、トムの遊興、エドマンドの聖職叙任、マライアの結婚と新婚旅行など──によ

    って他の土地に出かける機会があり、ファニーも第三巻でポーツマスの実家に里帰りするが、バートラム令

    夫人のみは愛犬のパグとともに屋敷にとどまり続ける。 37) 『マンスフィールド・パーク』の本文中では、風景式庭園の造園家として当時を代表するハンフリー・レプ

    トンの名が引き合いに出されている(第一巻第六章、Austen 2003: 42)。 38) ファニーは、「並木を伐採する」という話を聞いて、クーパーの長詩『仕事』(1785年)の第一書(「ソ

    ファ」)を思い起こし、サザトンの屋敷内の礼拝堂では、思い描いていた昔日の礼拝堂との落差に幻滅しつ

    つ、スコットの物語詩『最後の吟遊詩人の唄』(1805年)を引用する。これらの詩についてナボコフは、

    かなりくわしい解説を加えている(Nabokov 1980: 24-26)。 39) メアリーはサザトンの礼拝堂を訪れたさいに、聖職に就くつもりでいるエドマンドの意思をはじめて知って

    困惑し、失望するが、エドマンドのほうは、そのことがメアリーに寄せる好意の障碍になるなどとは毛頭思

    っていない。そのため彼は、信仰や典礼を軽んじるメアリーの発言にもことさら動揺することはないのだ。 40) 偶然かもしれないが、『ロリータ』のなかで、ハンバートがロリータの演劇熱に悩まされていることも思い

    合わされてよいだろう。 41) Cf. Austen 2003: 372-76. インチボールドの改作において大幅に改変されているものとしては、その他にト

    ム・バートラムが率先して引き受けた「執事」の役がある(彼はほかにもいくつかの端役を兼ねることにな

    っていた)。 42) イェイツ氏にかんしていえば、エクルズフォードで芝居上演が中止となったのと同様のことが繰り返されて

    いることになる。 43) Tanner 1986: 167.

  • 東京外国語大学論集第 84 号(2012) 239

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  • 240 虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論 :鈴木 聡

    Fictions and Structures: Vladimir Nabokov’s Reading of Mansfield Park

    SUZUKI Akira

    In April 1950, Vladimir Nabokov, thinking about topics for his new lectures at Cornell

    University (he was scheduled to deliver “Russian Literature in Translation,” “The Modernist

    Movement in Russian Literature,” and “Masterpieces in European Fiction” in September), wrote a

    letter to Edmund Wilson for seeking advice: “Next year I am teaching a course called ‘European

    Fiction’ (XIX and XXc). What English writers (novels or short stories) would you suggest? I

    must have at least two.” Wilson recommended Charles Dickens and Jane Austen as “the two

    incomparably greatest.”

    In spite of his initial hesitation (he admitted that he was “prejudiced, in fact, against all

    women writers” and he “[c]ould never see anything in Pride and Prejudice”), Nabokov finally

    yielded to Wilson’s suggestion that he “ought to read Mansfield Park.” Nabokov enjoyed reading

    the book, and selected it as the first installment of the course.

    In Nabokov’s view, “Mansfield Park is the fairy tale, but then all novels are, in a sense, fairy

    tales. . . . In a book, the reality of a person, or object, or a circumstance depends exclusively on

    the world of the particular book. . . . The charm of Mansfield Park can be fully enjoyed only

    when we adopt its conventions, its rules, its enchanting make-believe.”

    Nabokov points out that one of the conventions Austen utilised is concerned with the status

    of the heroine, Fanny Price, who is a ward of a wealthy landowning family to whom she is related.

    According to Nabokov’s explanation, such a heroine, “a most popular figure in the novels of the

    eighteenth and nineteenth centuries,” is thought to be useful for various reasons. Her position

    accompanies “a steady stream of pathos,” she secretly feels affection for the son of the family, and

    “her dual position of detached observer and participant in the daily life of the family makes her a

    convenient representative of the author.” Needless to say, “the prototype of these quiet

    maidens” is Cinderella.

    Chiefly pivoting on the protagonist’s point of view, Austen brings in her own “machinery,”

    strategic or structural devices for developing characterisations and theatrical arrangements into a

    plot. Although Navokov’s presentation in this respect is sufficiently convincing, we can count it

    as a marginal defect that he never fully take the theme and plot of Mansfield Park into

    consideration. Especially the insensibility to the ideological side of the text could be contrasted

    with the tendency of recent criticism.