格差・不平等と文化伝達の構造 - tohoku university official ......― ―50...

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―  ― 49 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第57集・第1号(2008年) 本論文は、BasilBernstein が提唱した「コード理論」の検討を通して、社会的な格差・不平等の維 持、拡大、正当化に対して、教育の過程はいかにして寄与しているのか、という問題を解明する手が かりを得ることを目的としたものである。彼の理論は、構造決定論であるとしてしばしば批判され るが、本論文では、ヴォイスの多声性に着目し、ヴォイスの具現化であるメッセージは、ヴォイスの 多声性に起因する多義性を孕んでおり、メッセージの表出を規制する「枠づけ」における変化は、権 力分配を象徴する「類別」における変化を引き起こしうること、また、解釈枠組みとしてのコードと ヴォイス/メッセージとの間には、前者が後者の関係を規制すると同時に、後者における変化が前 者の変化を伴う、相互作用的な関係が存在することを指摘し、彼の理論が、構造の「再生産」だけで なく「変化」の側面をも説明しうるものであることを示す。 キーワード:バジル・バーンスティン、コード理論、教育、文化伝達、格差・不平等 はじめに 教育社会学において、社会経済的な格差・不平等 1 と教育との関係は、伝統的に、中心的なテーマ の一つであり続けてきた。それは、階級や人種の問題が社会的に重大な問題として認識されてきた イギリスやフランス、アメリカといった欧米諸国に限らず、特定の社会集団に結びついた可視的な 不平等が存在しないと一般にいわれるわが国においても同様であった。そうした意味においては、 この問題は何ら目新しいものではない。しかし、近年における「格差社会」化をめぐる議論の高ま りを背景として、格差や不平等、あるいは貧困といった問題が国民的な関心を集めていることを鑑 みれば、わが国において、こうした問題に対して教育社会学が果たすべき役割は、ますます大きく なっているといえるであろう。 いわゆる格差社会論が包含する論点は多岐に渡るが、教育社会学の立場からまず問われるべきは、 そうした格差・不平等の維持、拡大、正当化に対して、教育がどのように関わっているのか、という 論点であろう。そして、この問いに対しては、未だ十分な説明がなされていないように思われる。 つまり、社会経済的な格差・不平等と教育との間に、何らかのつながりが存在することは認めると 東北大学大学院教育学研究科博士課程後期 格差・不平等と文化伝達の構造 ―コード理論の再検討― 鳶 島 修 治

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Page 1: 格差・不平等と文化伝達の構造 - Tohoku University Official ......― ―50 格差・不平等と文化伝達の構造 しても、教育が格差・不平等の存続に寄与し、またそれを正当化する、その過程

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第57集・第1号(2008年)

 本論文は、Basil�Bernstein が提唱した「コード理論」の検討を通して、社会的な格差・不平等の維

持、拡大、正当化に対して、教育の過程はいかにして寄与しているのか、という問題を解明する手が

かりを得ることを目的としたものである。彼の理論は、構造決定論であるとしてしばしば批判され

るが、本論文では、ヴォイスの多声性に着目し、ヴォイスの具現化であるメッセージは、ヴォイスの

多声性に起因する多義性を孕んでおり、メッセージの表出を規制する「枠づけ」における変化は、権

力分配を象徴する「類別」における変化を引き起こしうること、また、解釈枠組みとしてのコードと

ヴォイス/メッセージとの間には、前者が後者の関係を規制すると同時に、後者における変化が前

者の変化を伴う、相互作用的な関係が存在することを指摘し、彼の理論が、構造の「再生産」だけで

なく「変化」の側面をも説明しうるものであることを示す。

キーワード:バジル・バーンスティン、コード理論、教育、文化伝達、格差・不平等

はじめに 教育社会学において、社会経済的な格差・不平等1と教育との関係は、伝統的に、中心的なテーマ

の一つであり続けてきた。それは、階級や人種の問題が社会的に重大な問題として認識されてきた

イギリスやフランス、アメリカといった欧米諸国に限らず、特定の社会集団に結びついた可視的な

不平等が存在しないと一般にいわれるわが国においても同様であった。そうした意味においては、

この問題は何ら目新しいものではない。しかし、近年における「格差社会」化をめぐる議論の高ま

りを背景として、格差や不平等、あるいは貧困といった問題が国民的な関心を集めていることを鑑

みれば、わが国において、こうした問題に対して教育社会学が果たすべき役割は、ますます大きく

なっているといえるであろう。

 いわゆる格差社会論が包含する論点は多岐に渡るが、教育社会学の立場からまず問われるべきは、

そうした格差・不平等の維持、拡大、正当化に対して、教育がどのように関わっているのか、という

論点であろう。そして、この問いに対しては、未だ十分な説明がなされていないように思われる。

つまり、社会経済的な格差・不平等と教育との間に、何らかのつながりが存在することは認めると

東北大学大学院教育学研究科博士課程後期

格差・不平等と文化伝達の構造―コード理論の再検討―

鳶 島 修 治

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格差・不平等と文化伝達の構造

しても、教育が格差・不平等の存続に寄与し、またそれを正当化する、その過程4 4

、あるいはメカニズ

ムが明らかでないのである。

 本論文では、この問題を解明する手がかりとなりうる理論枠組みとして、イギリスの教育社会学

者Basil�Bernstein が提示した理論に注目する。彼の理論は、「文化伝達と象徴的統制に関する綜合

理論であり、パーソンズの行為一般理論と対比されるべき壮大な構築物である」(柴野,2001,p.21)

といわれるが、その意義・可能性は、未だ十分に明らかにされているとはいえない2。本論文では、

Bernstein 理論の再検討を通して、その意義と可能性の一端を明らかにすることを試みる。

 以下では、まず、第1節において、近年のわが国において提起された多岐にわたる格差社会論の中

から、苅谷(2001)および山田(2004)の議論に注目し、その基本的な論点を確認した後、第2節では、

Bernstein 理論の基本的な枠組みを用いることによって、それらを統一的な視点から把握しうるこ

とを示す。しかし、彼の理論は、その決定論的な外観ゆえに、多くの批判に晒されてきた。本論文

では、Bernstein 理論の内在的な検討を通して、その捉え直しを図る。まず、第3節では、Bernstein

理論において、行為主体が潜在的に有する多元的な役割(ヴォイス)は、特定のコンテクストにおけ

るその具現化(メッセージ)に還元しえないこと、すなわち、ヴォイスとメッセージとの間にダイナ

ミックな関係が存在することを示し、そこに、「再生産」に対する「変化」が生じる可能性が見出され

ることを論じる。そのことを踏まえた上で、第4節において、一種のテクスト生産としての行為主

体による「解釈」の過程に注目し、解釈枠組みとしてのコード概念の含意について、そのヴォイス・

メッセージとの関係を中心に検討する。以上の作業を通して、Bernstein 理論のさらなる精緻化を

図り、格差・不平等と教育との関係をよりよく説明しうる枠組みを提示することが、本論文の課題

である。

1.格差社会論と教育の問題 前述したように、教育と社会経済的な格差・不平等との関係については、古くから数多くの研究

が行われてきた。とりわけ、この問題に関して現在でもしばしば言及される諸理論、すなわち、

Bourdieu や Bowles�&�Gintis、そして Bernstein といった諸論者によるいわゆる「再生産論」が、

1970年代に相次いで提起されている(Bernstein,�1974=1981;�Bourdieu�&�Passeron,�1970=1991;�

Bowles�&�Gintis,�1976=1986-1987)ところに、この問題が教育社会学において古くからの重要な関心

事であることを見てとることができる。

 わが国においても、再生産論は以前から少なからず紹介・検討されてきたし、あるいは、1955年

から継続的に実施されている「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)」をはじめとする社会調査

データに依拠した実証的な研究も行われてきた。しかし、こうした問題が一般に広く注目を集める

ようになったのは、近年における「格差社会」化をめぐる議論の高まりによるものであるといえよ

う。それは、単に言説のレベルで注目されているだけではなく、現に社会経済的な格差が拡大し、

また教育がそうした格差の維持・拡大に寄与している、あるいは、少なくともその是正に対して無

力である、といった認識が広く共有されているということでもある。

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第57集・第1号(2008年)

 近年のわが国における格差社会論は、当初、経済的な格差の拡大という論点を中心に展開された

が、「格差社会」という語それ自身が一種の流行となる中で、経済的格差のみに限らず、多種多様な

「格差」をめぐる議論が提起された。そうした多岐にわたる議論の内、ここでは、山田(2004)の「希

望格差社会」論と苅谷(2001)の「意欲格差社会」論に言及しておきたい。これらは、所与の社会経済

的な格差が「希望」や「意欲」における格差に転化することを通して再生産されるメカニズムを、教

育のあり方と関連づけて考える際に有用なアイデアを提供してくれる点において、注目に値するも

のである。

 山田(2004)の「希望格差社会」論は、経済的格差という量的な格差が質的な格差へ転換し、個々人

がもつ「希望」における格差の拡大を帰結することを指摘し、大きな注目を集めた。そこでは、「リ

スク化」と「二極化」というキーワードによって、近年のわが国における「希望格差社会」化が説明さ

れている。「リスク化」とは、Beck(1986=1998)の「リスク社会(risk�society)」論に依拠したもの

であり、(第一の)近代以降の社会において、社会生活のさまざまな側面における大きな自由・多く

の選択肢を手にしてきたわれわれが、その反面、ライフコースの各段階における「選択」というリス

クをとることを強いられるようになっていることを表す考え方である。また、ここでいうリスク化

は、「個人化(individualization)」という問題とも密接に結びついている。すなわち、現代(あるいは

第二の近代)の社会において、リスクは、普遍的なものであると同時に、個人的なものとして立ち現

れてくるのであり、諸個人は皆、リスクをひとりの個人として引き受けなければならない。種々の

リスクに対する防波堤として機能してきた職業、家族、教育といった諸領域の不安定化・不確実化は、

経済の領域における「ニューエコノミー」(Reich,�2000=2002)の到来によってもたらされる「二極

化」の傾向と相俟って、限りなく不安定な生を営むことをわれわれに強いるのである。

 そして、山田(2004)によれば、こうした社会経済的な状況の中で、多くの若者にとっては、将来

に対する見通しを得ることが非常に難しくなっている。こうした事態は、「今、努力すること」が将

来の利益に結びつかないのではないか、という意識を生み出す。すなわち、若者の意識から将来に

対する「希望」が失われていく。そして、同時に、たまたま家庭環境に恵まれ、「良い学校」から「良

い会社」への移行にも首尾よく成功し、希望に満ち溢れる一部の者と、そのような恵まれた環境にな

く、あるいは「学校から職業へ」の移行経路のどこかで「パイプ漏れ」してしまった、希望をもつこと

のできない者との間に、「希望の二極化」が生じるのである。

 他方において、教育における格差を主題とした議論も数多くなされている。その代表的なもので

あるいわゆる「学力低下論」は、その途上から、学力が単に低下しているということだけでなく、学

力格差が生じていること、学力の二極化が生じていることといった問題を含む形で展開していく。

そうした中で提唱された苅谷(2001)の「意欲格差社会」論は、基本的には、1990年代からすでに加

熱していた学力低下論に位置づけられる議論であるが、単に学力が低下している、あるいは学力格

差が拡大している、というだけではなく、学習に対する「意欲」が減退していること、そして階層間

の「意欲格差」が拡大していることを指摘した点において、大きなインパクトをもっていた。

 いわゆる学力低下論それ自身が、文部(科学)省の推し進める「ゆとり教育」、とりわけ2002年度

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格差・不平等と文化伝達の構造

から実施された新学習指導要領(大幅に学習内容を削減した)に対する批判をその旨としていたよ

うに、苅谷(2001)においても、ゆとり教育が学力低下や学力格差の拡大に寄与するだけでなく、そ

の主要な目的であった子どもたちの内発的な学習意欲の向上という点に関してもネガティブな結果

をもたらすことが指摘されている。教育方法の違いによって教育達成の格差が左右されうるという

議論それ自体はさほど目新しいものではないが、ある特定の教育方法が学習意欲の階層間格差を拡

大させることを(その方法については批判もあるが)わが国において実証的に示した点に、その意義

があるといえる。

 しかし、こうした教育に関する議論が、社会経済的な格差の拡大を主眼に置いた議論と適切に関

連づけられているわけではない。橋本によれば、「学力低下論」の「主張の論理構造は、⑴もともと

社会階層による教育機会の格差があるということを前提としたうえで、⑵『ゆとり教育』によって教

育機会の格差が拡大していると指摘し、⑶格差拡大の原因である『ゆとり教育』を批判する、という

もの」(橋本 ,�2006,�p.188)であり、そこでは、「ゆとり教育」という特定の教育方法に対してのみ批判

の目が向けられ、所与としての社会階層による教育機会の格差やその背景にある社会経済的な格差

の拡大という問題に対する視点が欠落している。橋本は、こうした議論を、「もっぱら教育政策や

学力といった教育内部の要因に注目して、社会経済的な要因を軽視する議論であり、教育内部の要

因を過大評価して、社会経済的な格差拡大のもつ意味を過小評価するものである」と断じ、これを

「教育学的誤謬」であるとしている(橋本 ,�2006,�p.191)。

 橋本(2006)の指摘は、教育学者がしばしば陥る誤りに対して注意を喚起する意味で重要なもので

あるが、しかし、同時に、教育の様相は、社会経済的な格差の問題と無関係であるわけではないであ

ろう。というのは、たとえば、ニューエコノミーといった社会経済的な構造の様相が、個人レベル

における希望や意欲を規制するのは、まさに教育あるいは文化伝達の過程を媒介してのことだから

である。このように、社会経済的な構造変動および教育の問題については、それぞれ数多くの議論

が提起されてきたけれども、そこに欠けているのは、両者を適切に関連づけ、統一的な視点から把

握しうる理論的枠組みである。

2.Bernstein 理論の基本的な枠組み およそ40年間にわたるBernstein 理論の展開過程は、いくつかの段階に分けて捉えることが可能

である3が、その過程において一貫して探求され続けたのは、「文化伝達の構造」であったというこ

とができる。Bernstein 理論においては、「education」ではなく「pedagogy」の訳語としての「教育」

という概念が、しばしば用いられる。その含意については、次のように説明することができよう。

すなわち、そこでは、教育という営みが、特定の学校的な知識や職業的な技能だけでなく、より広い

意味での「文化」が伝達/獲得される過程として捉えられているのである。

 文化という概念を厳密に定義することは容易でないが、ここでは、さしあたり、「後天的に獲得・

形成され、また、ある集団の成員に共有された、行動や認識、思考の基本的な諸パターンの体系」と

捉えておこう。教育をこうした意味での文化が伝達/獲得される過程として把握したとき、本論文

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第57集・第1号(2008年)

の冒頭で掲げた問いは、以下のように転換される。つまり、Bernstein の問題意識は、文化の伝達

/獲得の過程を媒介した社会的再生産のメカニズムを明らかにすることにあり、社会経済的な格差・

不平等という問題は、教育に外在的なものであるというよりも、むしろ、そうした再生産過程に内

在する現象として把握されるのである。

 Bernstein 理論の成熟期ともいえる1980年代以降の理論展開に焦点を当てたとき、そこで展開さ

れた「象徴的統制論(theory�of�symbolic�control)」は、本論文が主に取り上げる「コード理論(code�

theory)」と、「教育ディスコース(pedagogic�discourse)」や「教育装置(pedagogic�device)」といっ

た概念を中心とした言説論という二つの議論に大別することができる。これらは、完全に独立した

議論であるとはいえないものの、後者が、ある所与の社会文化的背景の下で特定の教育の様相が構

造化する過程を論じたものであるのに対し、前者は、そのようにして規定された教育の様相を媒介

して社会集団間の不平等な関係が再生産される、そのメカニズムを解明することを試みたものであ

り、両者を相補的な関係にあるものとして捉えることは可能である。前述した関心にもとづいて、

本論文では、前者のコード理論について、とりわけ、その一つの到達点となった論文(Bernstein,�

[1981]�1990)を中心に検討する4。

 はじめに、コード理論の基本的な枠組みを確認しておこう。そこで中心となる概念は、もちろん、

コードである。Bernstein 理論におけるコード概念は、主に二つのレベルにおいて用いられる。一

つは、伝達者と獲得者からなる構造的関係の様相を表す概念としてのコードである。ここでの要点

は、第一に、コードの諸様相が、「類別(classification)」と「枠づけ(framing)」という概念の組み合

わせによって表されることであり、第二に、類別および枠づけが、マクロレベルにおける社会諸関

係の「権力分配(distribution�of�power)」と「統制原理(principle�of�control)」という二つの側面を象

徴するものとして概念化されていることである。すなわち、権力分配は類別に、統制原理は枠づけに、

それぞれ象徴され、コードの様相は、類別と枠づけの値の関数として定められるのである。

 類別とは、「諸カテゴリー間の疎隔(insulation)の程度」(Bernstein,�1990,�p.24)を表す概念である。

あるカテゴリーと他のカテゴリーとの間が強く疎隔されているとき、類別は「強い」とされ、カテゴ

リー間の疎隔の程度が弱ければ、類別は「弱い」とされる。類別は、もともと、学校のカリキュラム

における科目間の分離の程度を表すものとして提示された概念であるが、その後、概念規定が修正

され、階級、ジェンダー、エスニシティといった領域を含む、あらゆるカテゴリー間の関係を示す概

念とされている。

 枠づけは、「伝達者と獲得者との間の関係を規制する原理を指す」(Bernstein,�1990,�p.36)概念で

ある。伝達者︲獲得者間の相互作用実践において、伝達/獲得される知識の選択や、伝達の順序、ペー

スの決定に際して、伝達者の側が裁量を強く有するとき、枠づけは「強い」とされ、逆に、獲得者の

側が相対的に裁量を強く有しているように見えるとき、枠づけは「弱い」とされる。

 このように、コードは、権力分配と統制原理の様相を反映する形で構成され、類別および枠づけ

の値の関数として表される。そして、コードは、伝達のコンテクスト、すなわち、学校や家庭といっ

た象徴的統制の諸機関における教師︲生徒、あるいは親︲子といった教育的(pedagogic)な関係の

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格差・不平等と文化伝達の構造

中での相互作用実践を通して、伝達/獲得される。諸行為者によって獲得される個人レベルのコー

ド(これが、コード概念の二つ目の主要な用法である)は、それを有する行為者のコンテクストの認

知、コンテクストに応じた意味の構成、およびその具現化を規制する原理として作動する

(Bernstein,1990,p.14)。

 Bernstein理論において、コード獲得の過程は、「ヴォイス(voice)」および「メッセージ(message)」

の獲得過程でもある。これら諸概念の関係については後述することとして、以下では、ヴォイスお

よびメッセージに焦点を当てて議論を進めよう。

 前述したように、類別は、諸カテゴリー間の疎隔の程度を表す概念であるが、互いに疎隔された

諸カテゴリーは、それぞれ、他のカテゴリーとは異なる秩序・アイデンティティを有する。この諸

カテゴリー間の差異あるいは諸カテゴリーのアイデンティティを表すのが、ヴォイスである。また、

メッセージとはヴォイスの具現化した形態である。ヴォイスは、その伝達・獲得の過程においては、

常にメッセージという形態をとるのであり、したがって、「ヴォイスとメッセージは、経験的には切

り離すことができない」(Bernstein,�1990,�p.33)。このように、ヴォイスとメッセージの間の区別は

分析的になされたものである。しかし、両者を混同あるいは同一視すべきではない。ヴォイスそれ

自身と、特定のコンテクストにおけるヴォイスの具現化であるメッセージは、異なるものでありう

る。この区別は、社会諸関係が権力分配と統制原理という二つの側面に分析的に区別されているこ

とに起因している。すなわち、権力分配は類別の原理を通してヴォイスを規制し、統制原理は枠づ

けの原理を通してメッセージを規制するのである。

 Bernstein によれば、権力関係は、社会的分業上に位置する諸カテゴリー間の関係、とりわけその

ヒエラルキカルな関係を維持し、同時にその中での自身の支配的な位置を維持するために、諸カテ

ゴリー間の疎隔を創出・維持・再生する。その過程は、同時に、ヴォイス再生の過程でもある。そし

て、ヴォイスは、相互作用実践の過程において伝達/獲得される。Bernstein 理論は、所与の権力関

係を反映したヴォイスの伝達/獲得の過程を媒介した社会諸関係の再生産のメカニズムを論じたも

のであるということができる。

 次に、前節で取り上げた二つの議論を、Bernstein が提示した枠組みにもとづいて、改めて捉え

直してみたい。まず、マクロレベルでは、山田(2004)において希望格差のマクロ的な要因として指

摘されているニューエコノミー化の進展を、Bernstein 理論における「権力分配」の問題として、ま

た、苅谷(2001)において意欲格差の拡大を助長する要因とされているゆとり教育への転換を「統制

原理」の問題として、それぞれ捉えることができる。

 ここで、苅谷(2001)における「意欲」や「努力」が、「学校外での学習時間」を指標として変数化さ

れていることに注目しよう。このとき、そこで議論される「意欲」が、山田(2004)における「希望」

とは異なるレベルに存するものであることが明確となる。すなわち、「希望」が、いわば心理的・潜

在的なレベルの概念であるのに対して、「意欲」は、実際に表出された行為のレベルに位置する概念

であるといえる。このように捉えると、ミクロレベルにおいては、山田(2004)における「希望」が

「ヴォイス」の次元に、苅谷(2001)における「意欲」は「メッセージ」の次元に、それぞれ位置づけら

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れうる。

 現代社会におけるニューエコノミー化は、権力分配の変容をもたらし、それは、象徴的統制の諸

機関において伝達/獲得されるヴォイスの変化を必然的に伴う。山田(2004)に従えば、そうした変

化が、個人レベルにおける「希望」に格差を生ぜしめている。また、このとき、「意欲」は「希望」の具

現化として捉えられる。したがって、希望格差は自動的に意欲格差を帰結するのではなく、希望格

差によって意欲格差がどの程度引き起こされるかは、「権力」よりもむしろ「統制」の問題であると

いえる。

3.ヴォイス概念における「多声性」 このように、Bernstein が提示した理論枠組みは、社会経済的な格差・不平等の問題を、教育ある

いは文化伝達の構造と関連づけて捉える視角を提供してくれる。しかし、彼の理論に対しては、あ

る大きな問題点が指摘されている。以下では、Bernstein 理論の内在的な検討を通して、その克服

を試みる。

 Bernstein 理論に対しては、これまでに、様々に異なる捉え方が提示されてきたが、基本的に、そ

の構造主義的な側面を強調する見方が広く共有されている(Atkinson,�1985;�Gibson,�1984;�Sadovnik,�

1991)。そして、たとえば、Atkinson(1985)による以下のような指摘は、Bernstein に対する批判

の根拠としてしばしば用いられることとなっている。

 �Bernstein における言語、ディスコース、そして構造の概念は、社会的な諸行為者と意味

(meanings)はコードによって構築されるのであり、その逆ではないことを含意している……コー

ドは自律的な地位を有している――それは、主体を位置づけ、構築するのであって、その逆では

ない。(Atkinson,�1985,�p.180)

 そして、Bernstein の分析視角は「構造」の側面に偏重しており、「行為」の側面、あるいは行為者

の「主体性」を無視・軽視している、また、それゆえに、Bernstein 理論は、「再生産」に対する「変化」

をうまく説明することができない「構造決定論」となっている、といった見方は、彼の理論をめぐる

言説空間において、半ば支配的な位置を占めてきた。

 しかし、後述するように、彼の理論には、こうしたスタティックな枠組みには収まらない側面が

伏在している。以下では、Bernstein 理論におけるヴォイス概念について、ヴォイスの「多声性

(multivoicedness)」に着目しつつ検討することを通して、ヴォイスとメッセージの間にダイナミッ

クな関係が存在することを示す。

 ところで、Bernstein は、一般的には、未だ、「言語」に関する研究を行った社会学者として知ら

れているといってよいであろう。この点について、われわれは、Bernstein 理論を「言語」に関する

理論としてのみ捉えるべきではない、というAtkinson(1985)の主張に同意するけれども、しかし、

ここで注目したいのは、Bernstein が、言語学的な用語を(しばしば比喩的に)好んで用いている点

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格差・不平等と文化伝達の構造

である。こうした観点から、ヴォイス概念について改めて考えてみよう。

 わが国の言語学において、「voice」という語は、一般に、「態」と訳される。「能動態」や「受動態」

などというときの「態」である。たとえば、「AはBを買う」という文(能動態)と「BはAに買われる」

という文(受動態)は、同一の事象を言い換えただけであるが、それが語られる視点は異なっている。

つまり、前者においては「買う」側である「A」に焦点が合わせられているが、後者においては「買わ

れる」側である「B」に焦点が合わせられている。ここで挙げたような単純な文であっても、それは、

単一の視点からではなく二通りの視点から語られうるのであり、すなわち、そこには二つのヴォイ

スが存在するのである。

 このことを発話の「多声性」として論じたのが、ロシア(ソビエト連邦)の人文学者・思想家

Bakhtin である。彼は、言語の問題を論じるにあたって、そのラングとしての側面よりも、むしろ言

語の使用、すなわち「発話」としての側面に注目し、その本質が「宛名性」にあること、すなわち、発

話は、常に誰かしらの「他者」5へ向けてなされるのであり、したがって、あらゆる発話は、少なくと

も話し手のヴォイスと聞き手のヴォイスという二つのヴォイスからなること、つまり「多声性」ある

いは「対話性」を有していることを論じた。Bakhtinにおいて、ヴォイスとは「人格としてのヴォイス、

意識としてのヴォイス」(Holquist�&�Emerson,�1981,�p.434)であり、こうした概念規定は、人格や意

識といったものそれら自身が「他者性」にもとづいている、という彼の根本的な思想に基礎づけられ

ている。

 Bernstein におけるヴォイス概念も、単に「視点」というよりも、むしろ、Bakhtin が用いた意味

でのヴォイス概念に近いものとして捉えられるべきであろう。さらにいえば、それは、G.�H.�Mead

における「態度」あるいは「役割」概念との関連で把握することができる6。Bernsteinによれば、「デュ

ルケームの業績はシンボル秩序、社会関係、経験の構造化という三者の相互関係を実にみごとに解

明している」(Bernstein,�1974=1981,�p.207)が、「たとえシンボル体系、社会構造、経験の構造化の三

者が基本的なところでつながっているということを認めるとしても、そうしたつながりがどのよう4 4 4 4

にして4 4 4

生じるのか……つまり、経験の社会的構造化の底にひそんでいる過程4 4

がはっきりしない」

(Bernstein,�1974=1981,�p.208)[強調原文]点において、不十分なものであった。

 そして、Bernstein にとって、Mead(1934=1973)の「役割取得」や「一般化された他者」というア

イデアが、この残された問題を解明する手がかりとなったのである。Durkheim およびMead の業

績について、ここで詳述することはしないけれども、Durkheim における「集合表象」に対して、

Mead は、集合表象に似た概念である「一般化された他者」について、その獲得の過程、つまり個人

レベルにおける経験の構造化の問題を含めて論じた、ということができよう。

 ヴォイスの獲得について考える上で重要なことは、行為者が獲得するヴォイスは、ある単一のカ

テゴリーのヴォイスだけではない、ということである。あるカテゴリーが他のカテゴリーとの差異

によって定義されるのと同様に、あるヴォイスは、他のヴォイスの存在を前提し、他のヴォイスと

の差異としてのみ存在する。換言すれば、あらゆるヴォイスは、単に「voice」であるのではなく、常

にすでに「voices」として、すなわち「多声性」を孕んだものとして存在しているのである。Holquist

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は、Bakhtin における「意識とは、中心と中心でないすべてのものとの間の差異的関係なのである」

(Holquist,�1990=1994,�p.27)と論じているが、同様に、Bernstein 理論において、主体の意識とは、中

心的なヴォイスと中心でないヴォイスとの間の差異的関係である、ということができる。

 ここで問われるべきは、「中心」なるものが絶対的ではなく相対的なものであるにもかかわらず、

ある特定のヴォイスが、あたかも絶対的な中心であるかのように経験されるということであり、い

かにしてそのような事態が生じるのか、という問題である。Bernstein によれば、類別の疎隔は、「そ

のヴォイスが現実のものとして(as�real)経験されるような想像上の主体(imaginary�subject)を創

出」(Bernstein,�1990,�p.25)し、行為者は、想像上の主体のヴォイスを、(実際にはそうでないにもか

かわらず)絶対的な中心として経験し、獲得する。すなわち、「諸個人は歪められた現実の表象たる

想像上の主体と自らを同一化させることで、初めて主体となる」(高橋 ,�2008,�p.68)のである。

 諸カテゴリー間の関係を表す類別の様相は、不可避的に何らかの恣意性を孕んでいるが、それは、

シンボルそれ自身に内在する恣意性に起因している。一面において、われわれ人間は、「シンボル

を操る動物(animal�symbolicum)」(Cassirer,�1944=1997)であるがゆえに、シンボルを媒介するこ

とを通してしか、事物を認識しえない。このことが、「誤認」という語を用いるかどうかはともかく

として、Bernstein が、文化伝達/教育の過程を「象徴的統制(symbolic�control)」と表現した所以

である。

4.コード理論における変化の問題 では、Bernstein理論において、象徴的統制の過程を通して押しつけられる想像上の主体に対して、

諸行為者が抵抗し、オルタナティブな主体像を見出す可能性は、どのように描かれているのであろ

うか。この点について、ヴォイス︲メッセージ間の関係、および個人レベルのコード概念とヴォイ

ス︲メッセージとの関係に関する検討を通して考えたい。

 すでに述べたように、ヴォイスは、それ自身として、様々な矛盾、葛藤、ジレンマを孕んでいる。ヴォ

イスは、その多声性ゆえに、変化のポテンシャルを常に有しているといってよい。また、ヴォイス

の具現化であるメッセージは、ヴォイスによって限界づけられるが、完全に決定されるわけではな

い。メッセージの多義性は、枠づけの値の関数である(Bernstein,�2000,�p.204)。すなわち、メッセー

ジの多義性は、枠づけが強いときには制限され、枠づけが弱いときに引き起こされるのであり、「ミ

クロレベルにおいては……『メッセージ』は『ヴォイス』を変化させうる」し、「相互作用における枠

づけの所産は、類別を変化させるポテンシャルを有している」(Bernstein,�2000,�p.125)のである。

 Bernstein 自身も述べているように、ヴォイスの伝達/獲得は、マクロレベルにおける社会的分

業上の諸カテゴリーから諸行為者へ直接になされるのではなく、家庭や学校といった象徴的統制の

機関における相互作用実践を媒介してなされる。相互作用実践の過程において伝達/獲得される

メッセージは、少なくとも、伝達者のヴォイスと獲得者のヴォイスを内包するという点において、

多声性によって特徴づけられるのであり、Bernstein 理論におけるヴォイス・メッセージの伝達/

獲得の過程は、所与の役割の「内面化」といった機械的な過程とは根本的に異なる。

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格差・不平等と文化伝達の構造

 類別は社会諸集団間の葛藤の所産であり、したがって、必然的に矛盾や裂け目、ジレンマを内在

する形で創り出される。権力関係は、類別に内在する矛盾やジレンマを抑圧すべく、諸カテゴリー

間の疎隔を維持・再生することを試みるが、そこに社会諸集団間の葛藤・闘争が存在するがゆえに、

ある特定の集団によるそうした試みが完全に4 4 4

成功することはない。そして、潜在的に矛盾、裂け目、

ジレンマを有する類別に対して、現実に変化を引き起こすポテンシャルは、枠づけのレベルにある。

われわれは、類別と枠づけ、あるいはヴォイスとメッセージの間に存在するダイナミックな関係に

注目すべきである。

 ところで、Bernstein の知的源泉に関してしばしば言及されるのは、第一に、マクロレベルでは

Durkheim とMarx に、ミクロレベルではMead およびシンボリック相互作用論に依拠している

(Bernstein,�1974=1981,�p.209)という点であり、第二に、Durkheim から類別概念を、初期のシンボ

リック相互作用論から枠づけ概念を引き出し、独自に定義した(Bernstein,�1996=2000,�p.170)とい

う点であるが、前述したように、その構造主義的あるいはマクロ社会学的な側面がしばしば指摘さ

れる一方で、Bernstein 理論における相互行為論の受容に関しては、これまで、あまり注意が払わ

れてこなかった。

 しかし、柴野も指摘しているように、Bernstein 理論の意義を十全に把握するためには、しばし

ばその構造主義的な側面を象徴する概念として言及されるコード概念だけに目をとられるのではな

く、彼が「テクスト」という概念を駆使している点に着目すべきである(柴野 ,�2001,�p.47)。

Bernstein 理論における「テクスト」あるいは「テクスト生産(textual�production)」という概念につ

いては、別の機会に改めて論じる必要があるが、Bernstein が、行為主体による「解釈」の過程、す

なわち、Blumer のいう「自己相互作用(self� interaction)」をもテクスト生産の一過程として捉えて

いたことは、ここで指摘されておいてよい。というのは、このことが、コード概念と関連づけて、ヴォ

イスとメッセージの間のダイナミックな関係を示すのに有用と考えられるためである。

 Blumer のシンボリック相互作用論は、⑴「人間は、ものごとが自分に対して持つ意味にのっとっ

て、そのものごとに対して行為する」、⑵「このようなものごとの意味は、個人がその仲間と一緒に

参加する社会的相互作用から導き出され、発生する」、⑶「このような意味は、個人が、自分の出会っ

たものごとに対処するなかで、その個人が用いる解釈の過程によってあつかわれたり、修正された

りする」、という三点を基本的な前提としている(Blumer,�1969=1991,�p.2)。自己相互作用とは、内

在化された社会的相互作用であり、すなわち、自分自身を対象とする相互作用であるが、Blumer

によれば、「他のあらゆる対象と同様に、ある人間にとっての自分自身という対象もまた、そこにお

いて他者たちが、その人間をその人自身に対して定義している社会的相互作用の過程から生じてく

るものである」(Blumer,�1969=1991,�p.16)。

 ここでは、さしあたり、自己相互作用の対象たる自分自身が社会的相互作用の過程から生じる、

という点を確認しておけばよい。このことは、メッセージの次元における社会的相互作用の在り様

が変化することによって、ヴォイスの次元における変化が引き起こされることを示している、と捉

えることができる。そして、ヴォイスの変化はメッセージのポテンシャルにおける変化を含意し、

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第57集・第1号(2008年)

メッセージの変化は、再びヴォイスの変化を引き起こす。

 前述したように、Bernstein 理論におけるコード概念は構造的な関係の様相を表す概念であるが、

そうした「構造的関係は、個人のなかにあっては解釈手続きのかたちをとって存在する」(Bernstein,�

1977=1985,�p.178)。コードの獲得とは、つまり、構造的関係を内在化することであるといえよう。

Bernstein 理論において、主体化とはコード獲得によって成し遂げられるものであるとされるが、

主体化、すなわち「主体になる」ということは、諸個人が彼/彼女なりの解釈枠組みを手に入れると

いうことである。

 解釈枠組みとしてのコードはヴォイス︲メッセージ間の相互作用のあり方を規定するが、そのこ

とは、コードそれ自身が固定的なものであることを含意しない。ヴォイスおよびメッセージの変化

は構造的な関係それ自身の変容を伴うのであり、したがって、「構造的関係を問題にするからといっ

て、その理論が静的な(スタティックな)社会理論だということにはならない」し、「ましてや構造

的関係は経験的に不変であるなどという含意はそこにはない」(Bernstein,�1977=1985,�p.178)のであ

る。Bernstein 理論における「権力」と「統制」という視点は、彼が、権力分配に起因する諸カテゴリー

の差異的体系ではなく4 4 4 4

、カテゴリー内部の相互作用的な社会関係を意味生成の現場として捉えてい

たこと、そして、同時に、シンボリック相互作用論においては捨象されていた権力の問題、すなわち、

相互行為の様相を(決定するのではなく)限界づける権力関係を、理論の内に適切に組み入れてい

ることを示している。

おわりに 以上、本論文では、ヴォイス︲メッセージ間の関係について、コード概念の含意と関連づけなが

ら再検討することを通して、構造決定論としてではないBernstein 理論の把握を試みてきた。

Bernstein 理論を含めて、いわゆる「再生産論」は、変動を説明しえないスタティックな理論である

として、しばしば批判されてきた(小内 ,�1995,�p.12)。Bernstein 自身は、この点に関して、それは

経験的な問題であると述べるにとどまり(Bernstein,�1996=2000,�p.341)、反論に多くを費やすこと

はしなかったけれども、そのことが、彼の理論が決定論であることを必ずしも意味しないことは、

本論文が示した通りである。

 最後に、今後の課題として、以下の二点を挙げておきたい。第一に、Bernstein 理論に内在的な

問題としては、いかにして「ミクロとマクロ」あるいは「行為と構造」という二つの次元が統一的に

捉えられうるか、という点に関して、さらなる検討の余地が残されている。本論文が、権力分配︲ヴォ

イスと統制原理︲メッセージとの間のいわばヨコ4 4

の関係に注目した議論であるとすれば、権力分配

︲統制原理とヴォイス︲メッセージとの間のタテ4 4

の関係に焦点を当てた研究を行うことが必要であ

る。第二に、わが国の社会を対象とした経験的な分析を行うことが要される。本論文では、主に苅

谷(2001)および山田(2004)の議論を参照しつつ、Bernsteinが提示した枠組みを援用することによっ

て、両者のアイデアを統一的な視点から捉える分析の可能性を示唆したが、具体的な研究は、別の

機会に改めて行われるべきである。本論文では、そうした分析を行う上での理論的な基礎となりう

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格差・不平等と文化伝達の構造

る枠組みを提示したが、これは、今後取り組まれるべき研究の予備的な作業の一部分に過ぎない。

いずれにしても、わが国においては、Bernstein 理論に関して、理論面・実証面のいずれにおいても、

十分な検討がなされていないのが現状であり、さらなる研究の積み重ねが求められているといえよ

う。

【注】1 �「格差」と「不平等」という概念は、本来、異なるものとして用いられるべきであるとされる(白波瀬,2006,p.7)が、

本論文では、これらを厳密に区別してはいない。

2 �諸外国の例に漏れず、わが国においても、Bernstein 理論は、初期の社会言語学的研究を中心に受容されてきたが、

他方において、「その後のやや抽象度を増した理論的展開は十分に理解されているとは言いがたい」(岩井・片岡・

志水 ,�1987,�p.125)とされる。岩井らがこのように評してから20年が経過した現在においても、こうした状況が大

きく変わったとはいえない。

3 �たとえば、小内は、Bernstein 理論の展開過程を、「言語コード理論の成立とその精緻化による社会言語コード理

論の確立が試みられた第一期、教育コード理論の成立から教育コードと生産コードの概念による文化的再生産論

の意識的な構築が進められた第二期、教育ディスコース・教育実践に注目した独自の文化の生産と再生産の理論の

構築を目指している……第三期」(小内 ,�1995,�p.16)という三つの段階として捉えている。

4 �本論文で主に取り上げるBernstein(1981)は、第一期の「言語コード理論」と第二期の「教育コード理論」を統合・

再定式化しているという点で重要な意味をもっており、同時に、そこでの議論が、その後展開された言説論の基礎

としての性格をも有している点において、全体としてのBernstein 理論それ自身の基底的な部分をなす業績であ

るといえる。なお、本論文では、この論文からの引用に際して、Bernstein(1990)に再録されたものを用いること

とする。

5 �Bakhtin において、「他者」、すなわち、発話の「受け手は、日常会話の直接の参加者である話し相手のこともあれば、

文化的コミュニケーションのなにかある特殊な分野の専門家たちの、他とは区別された集団のこともあれば、国民、

同時代の人々、同志、反対者や敵、部下、上司、目下の者、目上の者、近親者、他人といった、多少とも区別された

人間集団のこともある。また、それは、まったく不特定の、具体性を欠いた他者のこともある」(Bakhtin,�1988,�

p.181)。

6 �無論、ここでいう「役割」は、Parsons 流の構造―機能主義におけるそれとは明確に異なる。片桐によれば、Mead

やシンボリック相互作用論における役割論の意義は、第一に、「役割を社会システムに付随する地位の属性として

の規範的な期待の束とする考えを否定したこと」、第二に、「役割と人格(person)の二分法を否定したこと」、主に

この二点にある(片桐,�2006,�pp.68-69)。Bernstein自身は、初期の社会言語学的な研究の出発点において、役割の「内

面化」といった「幾分か神秘的な過程に結局頼ってしまう、当時流布していた社会化の理論」(Bernstein,�

1996=2000,�p.155)を否定している。

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第57集・第1号(2008年)

� The�aim�of�this�paper�is�to�consider�how�the�process�of�cultural�transmission�contributes�to�

the�maintenance,�widening� and� the� legitimization� of� social� disparities� by� examining�Basil�

Bernstein's�code�theory.�While�his�theory�of�code�has�often�been�criticized�as�deterministic�and�

unable�to�explain�the�changes�of�the�structure�of�cultural�and�social�reproduction,�I�point�out�that�

we�can�explain�the�structural�change�by�using�his�theoretical�framework.

� In�this�paper,�I�make�clear�there�is�a�dynamic�relationship�between�his�concepts�of�“voice”�

and�“message”.�This�means�that�the�voice�limits�the�message�as�its�realization�in�specific�context,�

but�doesn't�strictly�determine�it�because�of�the�multivoicedness�of�the�voice,�and�the�change�of�

the�message�can�provoke�the�change�of�the�voice.�Hence,�possibilities�for�change�in�the�level�of�

“classification”� that� represents� the�distribution� of�power�are� in� the� level� of� “framing”� that�

regulates� the�realization�of� the�message� in�communicative�context.�Then� I�point�out� that�his�

concept�of� “code”�as� interpretive�scheme�regulates�the�relationship�between�the�voice�and�the�

message,�and�at�the�same�time�the�changes�of�voice/message�necessarily�involve�the�change�in�

code.�That�is,�there�is�an�interactional�relationship�between�them.�Through�these�examinations,�I�

reveal� that�his� theory�of�code�can�explain�not�only� the�reproduction�but�also�changes�of� the�

structure,� and� it� has� the� potential� to� perceive� the�mechanism�how� social� disparities� are�

maintained�through�the�process�of�pedagogy�(cultural�transmission).

Keywords:Basil�Bernstein,�code�theory,�pedagogy,�cultural�transmission,�social�disparities

Social�disparities�and�the�structure�of�cultural�transmission:�reconsidering�Basil�Bernstein's�code�theory

Shuji�Tobishima(Graduate�Student,�Tohoku�University,�Graduate�School�of�Education)

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