心臓刺激伝導系発見者 田原淳の顕彰 - uminjsmh.umin.jp/journal/57-2/57-2_140.pdf140...

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140 日本医史学雑誌 57 2 号(2011臓刺激伝導系見者田原淳の顕須磨 幸蔵 1島田 宗洋 2島田 達31護老人保健施設むくげのいえ2世軍清瀬病院3大分医学技術門学心臓刺激伝導系の異常に起因する各種不整に対する治療法の進歩には目ましいものがある.こような時刺激伝導系の発見者田原淳の業績事績を知ることは重要である.われわれは多くの方の協力のもと田原博士の顕を行ってきたが,その概要を述べる1出版1976 5 回国際心臓ペーシングシンポジウム(会長 故木村栄一事務局長 堀原一)が東京で開された際に田原記念展示(委員長 須磨幸蔵)が行われその内容を記した冊子「Tawara Memorial Noteが配された.1987 年に原著(Das Reizleitungssystem des Säugetierherzens, Gustav Fischer, 1906)の復(責任者 須磨幸蔵)が行われ1990 に邦訳(訳者 須磨幸蔵島田宗洋島田達生丸善) 2000 に英訳(訳者 K. Suma, M. Shimada, Imperial College Press)が刊行された.2003 年にはフライブルクL. Aschoff 邸で発見された田原が Aschoff に宛てた 6 通の手紙などを収めた世界の心臓学を拓いた田淳の生涯」(須幸蔵島田宗洋島田達生編著ミクロスコピア出版会考古堂書店)が出版されたまた一高時代の日記や一般人向けのマンガ小説も最近出版されている2005 11 月,田原通信(日本不整脈学会田原委員会,NPO 法人ペースメーカーの父田原淳の会代表 島田達生)が刊され現在まで 5 号が刊行されている2)田原・Aschoff シンポジウム,田原淳顕彰公開シンポジウ1999 7 月田原が研究を行ったマールブルク大学解剖学細胞生物学研究所旧病理学研究所いて,H. Kern 教授当時同大医学部長,のち学長の発案によりAschoff-Tawara Symposium on Cardiac Conduction System」が開催された.その引き続き第 2 回(東京須磨幸蔵[組織委員長,以下同じ] 2001 5 月,福岡杉岡洋一,6 月),第 3 回(Bad Oeynhausen: K. Minami2004 9 月),第 4 回(東京磨幸蔵,2005 11 月,この回より Tawara-Aschoff Symposium と改称),第 5 回(中津島田達生,2005 7 月),第 6 回(Heidelberg: D. Horstkotte2008 5 月),第 7 回(東京高柳寛,2010 11 月)がわれた.ほぼ隔年にドイツと日本で交互に開催されている.シンポジウムには「History and Recent Developments」の副題がけられており,刺激伝導系や不整脈に関する学術的な問題のほかに日独医流の歴史などにも光が当てられる田原淳顕彰公開シンポジウム(世話人島田達生須磨幸蔵)は第 1 回(2003 9 月) 2 回(2008 10 月)いずれも大分県で行われた3)顕彰碑日独研究交流展示ケース,ブロンズ像な1994 7 中津市自性寺の境内に「田原淳碑」(発起者田原淳長女 故村山サダ)が建てられた1999 7 Aschoff-Tawara Symposium が行われた時,マールブルク大学解剖学細胞生物学研究所日独研究交流展示ケース」が設置され,油絵田原淳と L. Aschoff プラスワン』 吉野順夫画 150 が壁に掲られ除幕式が行われた.また 2007 9 月田原淳ブロンズ像(佐脇健一作)が中津市役ロビーにかれた17

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Page 1: 心臓刺激伝導系発見者 田原淳の顕彰 - UMINjsmh.umin.jp/journal/57-2/57-2_140.pdf140 日本医史学雑誌 第57 巻 2 号(2011) 心臓刺激伝導系発見者・田原淳の顕彰

140 日本医史学雑誌 第 57巻第 2号(2011)

心臓刺激伝導系発見者・田原淳の顕彰

須磨 幸蔵 1),島田 宗洋 2),島田 達生 3)

1)介護老人保健施設むくげのいえ,2)救世軍清瀬病院,3)大分医学技術専門学校

心臓刺激伝導系の異常に起因する各種不整脈に対する治療法の進歩には目覚ましいものがある.この

ような時,刺激伝導系の発見者・田原淳の業績,事績を知ることは重要である.われわれは多くの方々

の協力のもと田原博士の顕彰を行ってきたが,その概要を述べる.

1)出版物

1976年第 5回国際心臓ペーシングシンポジウム(会長 故木村栄一,事務局長 堀原一)が東京で開催

された際に田原記念展示(委員長 須磨幸蔵)が行われ,その内容を記した冊子「Tawara Memorial Note」

が配布された.1987年に原著(Das Reizleitungssystem des Säugetierherzens, Gustav Fischer, 1906)の復刻

(責任者 須磨幸蔵)が行われ,1990年に邦訳(訳者 須磨幸蔵,島田宗洋,島田達生,丸善),2000年

に英訳(訳者 K. Suma, M. Shimada, Imperial College Press)が刊行された.2003年にはフライブルクの

L. Aschoff邸で発見された田原がAschoffに宛てた 6通の手紙などを収めた「世界の心臓学を拓いた田原

淳の生涯」(須磨幸蔵,島田宗洋,島田達生編著,ミクロスコピア出版会,考古堂書店)が出版された.

また,一高時代の日記や一般人向けのマンガ,小説も最近出版されている.

2005年 11月,田原通信(日本不整脈学会・田原委員会,NPO法人ペースメーカーの父田原淳の会・

代表 島田達生)が創刊され,現在まで 5号が刊行されている.

2)田原・Aschoff シンポジウム,田原淳顕彰公開シンポジウム

1999年 7月田原が研究を行ったマールブルク大学解剖学・細胞生物学研究所(旧病理学研究所)にお

いて,H. Kern教授(当時同大医学部長,のち学長)の発案により「Aschoff-Tawara Symposium on Cardiac

Conduction System」が開催された.その後引き続き第 2回(東京:須磨幸蔵[組織委員長,以下同じ],

2001年 5月,福岡:杉岡洋一,6月),第 3回(Bad Oeynhausen: K. Minami,2004年 9月),第 4回(東京:

須磨幸蔵,2005年 11月,この回より Tawara-Aschoff Symposiumと改称),第 5回(中津:島田達生,2005

年 7月),第 6回(Heidelberg: D. Horstkotte,2008年 5月),第 7回(東京:高柳寛,2010年 11月)が行

われた.ほぼ隔年にドイツと日本で交互に開催されている.シンポジウムには「History and Recent

Developments」の副題が付けられており,刺激伝導系や不整脈に関する学術的な問題のほかに日独医学

交流の歴史などにも光が当てられる.

田原淳顕彰公開シンポジウム(世話人:島田達生,須磨幸蔵)は第 1回(2003年 9月),第 2回(2008

年 10月)いずれも大分県で行われた.

3)顕彰碑,日独研究交流展示ケース,ブロンズ像など

1994年 7月,中津市自性寺の境内に「田原淳碑」(発起者:田原淳長女 故村山サダ)が建てられた.

1999年 7月Aschoff-Tawara Symposiumが行われた時,マールブルク大学解剖学・細胞生物学研究所に

「日独研究交流展示ケース」が設置され,油絵『田原淳と L. Aschoffプラスワン』(吉野順夫画 150号)

が壁に掲げられ除幕式が行われた.また 2007年 9月田原淳ブロンズ像(佐脇健一製作)が中津市役所

ロビーに置かれた.

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