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1 機械と工具誌平成27年6月号掲載 安定ポケットの理解と実用 星技術研究所 所長 星 鉄太郎 1. 緒言 切削加工の能率向上は、これまでもっぱら切削工具と工作機械の進歩 によるものであっ たが、安定ポケットはそれとは異なる、別な原理によるものである。 安定ポケットは基本的にはびびりを防ぐ技術で、これを援用することにより今日では荒加 工においては 工作機械の動力性能限界までの加工が可能となっている。 チェコ出身の偉才、故トラステイ教授が生涯かけて研究し、実用に成功したこの画期的新 技術と安定ポケットを実用するための解析ソフトウエア CutPRO が本文の主題である。 狭義にはびびりとは機械加工に有害な振動現象の内、再生びびりといわれる種類の振動を 指している。これを防ぐことが本文の主題であるが、CutPRO の計測機能を援用すること により、それ以外の発生機構による振動問題、例えばハードターニングで生じやすい CBN 工具刃先の欠損の防止、研削加工におけるびびりなどの解決を図ることもできる。 再生びびりの理論はチェコ国立工作機械研究所(当時 VOUSO と略称)のトラステイ等が チェコ語で出版したのが 1954 年(ロシア語訳が 1956 年)、初めて西側に知られたのは 1962 年のドイツ語出版によるとされている。ミュンヘン大学のアイズル教授が、トラステ イと、同様な理論を別個に唱えていたイギリスのトバイアス(ハンガリー出身)を招いて 開いた講演会で両者は互いに譲らず論争は対立したそうである。しかしベルギーのルーベ ンカトリック大学が行った実験によって、両者の理論が相補うものであることが 1963 に明らかにされ、そのころから、世界各地で研究が重ねられてびびりの理論が確立され た。 その理論によれば、主軸回転速度が高い領域で安定ポケットと呼ばれるびびりの起こり 難い加工条件のあることが予言されてはいたが、当時は工作機械の主軸速度が今日ほど 高くなかったために、空論とされすぐには実用化されなかった。 トラステイ教授が後年カナダのマックマスター大学と引き続いてアメリカのフロリダ 大学で主導した多くの研究により、安定ポケット理論を実用して従来にない高能率な切 削加工を可能とする新技術が 2000 年以降に実用されるようになって来ている。

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1

機械と工具誌平成27年6月号掲載

安定ポケットの理解と実用 星技術研究所 所長 星 鉄太郎

1. 緒言

切削加工の能率向上は、これまでもっぱら切削工具と工作機械の進歩 によるものであっ

たが、安定ポケットはそれとは異なる、別な原理によるものである。

安定ポケットは基本的にはびびりを防ぐ技術で、これを援用することにより今日では荒加

工においては 工作機械の動力性能限界までの加工が可能となっている。

チェコ出身の偉才、故トラステイ教授が生涯かけて研究し、実用に成功したこの画期的新

技術と安定ポケットを実用するための解析ソフトウエア CutPRO が本文の主題である。

狭義にはびびりとは機械加工に有害な振動現象の内、再生びびりといわれる種類の振動を

指している。これを防ぐことが本文の主題であるが、CutPRO の計測機能を援用すること

により、それ以外の発生機構による振動問題、例えばハードターニングで生じやすい

CBN 工具刃先の欠損の防止、研削加工におけるびびりなどの解決を図ることもできる。

再生びびりの理論はチェコ国立工作機械研究所(当時 VOUSO と略称)のトラステイ等が

チェコ語で出版したのが 1954 年(ロシア語訳が 1956 年)、初めて西側に知られたのは

1962 年のドイツ語出版によるとされている。ミュンヘン大学のアイズル教授が、トラステ

イと、同様な理論を別個に唱えていたイギリスのトバイアス(ハンガリー出身)を招いて

開いた講演会で両者は互いに譲らず論争は対立したそうである。しかしベルギーのルーベ

ンカトリック大学が行った実験によって、両者の理論が相補うものであることが 1963 年

に明らかにされ、そのころから、世界各地で研究が重ねられてびびりの理論が確立され

た。

その理論によれば、主軸回転速度が高い領域で安定ポケットと呼ばれるびびりの起こり

難い加工条件のあることが予言されてはいたが、当時は工作機械の主軸速度が今日ほど

高くなかったために、空論とされすぐには実用化されなかった。

トラステイ教授が後年カナダのマックマスター大学と引き続いてアメリカのフロリダ

大学で主導した多くの研究により、安定ポケット理論を実用して従来にない高能率な切

削加工を可能とする新技術が 2000 年以降に実用されるようになって来ている。

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2. 安定ポケットの原理

自励振動である再生びびりは、不安定条件が満たされる場合には、図 1 に示すような

びびりの起こりやすい状態になる。図中、インナーモジュレーション、アウターモジ

ュレーションと記した二つの起伏のずれを表す位相差ψは主軸回転数と振動周波数に

よって定まるが、びびりが起こる場合には振動周波数が自然に微調節されて、ψが約

4分の1周期となり、振動が持続する条件が満たされる。

図 1 再生びびりの起こる状況

そこで、位相差ψを規定するもう一つのパラメータである主軸回転数を調節すること

によって位相差ψをゼロにすることができれば、両モジュレーションは平行となり、

切削厚さの変動が無くなり、したがって切削力も変動せず、びびりが起こらない状況

となるはずである。

これがびびりの理論から導かれる安定ポケットの根拠であり、トラステイ等の研究は

それが実際にそのようになることを示し実用に成功したものである。

これが成立する状況では、ミリングの場合切削の断続により発生する変動力が強制振動

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を生じることが、危惧されていたのであるが、トラステイ等の研究によりその危惧は否

定され、強制振動の生じている状況が実は健全な切削状況であり、びびりが発生したと

きに生じる振動ははるかに振幅が大きく有害であるとするのが現在の解釈となってい

る。

3. ミリングの場合の安定ポケット

図2 ミリングの場合の安定おケット

びびりは、機械構造が振動しやすい固有振動と呼ばれる現象によって発生す

る。その固有振動が一秒間に何回生じるか(これを固有振動数という)が問

題であり、図2の例では、固有振動数が 117Hz である場合を示している。

使用するカッターの刃数が4枚である場合、1次安定ポケットは相次ぐ2刃

の切削の間にちょうど1周期の振動が起こる場合であり、その中心回転数は

次のように計算される。

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1次安定ポケットの中心回転数=固有振動数 x 60 /刃数 ……(1)

2次、3次…の安定ポケットは、その間にちょうど2周期、3周期…の振動が

起こる場合であり、その中心回転数は、上記の式の2分の1、3分の1、…と

なる。

4. びびり抑制の手段

図3 現在知られているびびり抑制の方法

古くから知られて来たのは、次の二つであった。

(1) 切込みを小さくすればびびりは起こらない。

図3右側に複数の安定ポケットが並んで示されているが、その谷間を

つなぐ水平線より小さい切込みを Amin 無条件安定限界と呼び、これ以

下の切込みを取ればびびりは起こらない。

(2) 低速安定性

切削速度を下げると、安定限界が向上し、びびりが起こらなくなる。

この現象は、プロセスダンピングと呼ぶ振動減衰力が作用するためで

あるとされている。

安定ポケットが実用される今日では、さらに次の二つの方法がある。

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(3) 安定ポケット

切削速度の高い範囲で起こり、一番高い安定ポケットを1次、その半

分の切削速度で起こるのを2次、3分の1で起こるのを3次、と呼ん

でいる。 通常5次程度までは有効に使用できる。

(4) 不等ピッチ/不等リードカッター

安定ポケットの幅と高さがが小さくなり等ピッチ等リードカッターが

有効に使用できない低速範囲で有効な安定ポケットを生じる。

5. 安定ポケット実用の手順

加工現場において安定ポケットを実用するためのツールとしては、トラステ

イ教授のフロリダ大学における教え子たちが製品化している Metalmax と,マ

ックマスター大学でエンジニアであったアルテインタス教授がブリテイッシ

ュコロンビア大学で研究を続けた結果を製品化している CutPRO というソフト

ウエアがある。これらのソフトウエアを使用して、少なくてもびびりを起こ

す原因となる構造部分の固有振動数を把握しなければならない。

図4 ボーリングバー先端の動特性測定

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5.1 動特性の測定

図4はボーリングバーの場合であるが、工具を工作機械の主軸に装着した状

態でインパルスハンマーにより工具先端をたたき、工具刃先の振動する状況

を加速度計を用いて測定する実験を行う。その結果図5に示すような入力信

号である加振力と応答信号である加速度の二つの信号が得られる。

5.2 動特性の解析

CutPRO ソフトウエアは得られた二つの信号から、入力・出力信号間の周波数

応答間数(Frequency Response Function, 略称 FRF)を計算して、図6に示す

ように実部虚部表示を行う。

あるいは、CutPRO には主軸と、主軸に取り付けたホルダー、およびその先の

取り付けた工具の構造モデルを有限要素法解析して、動特性を計算する

SpindlePRO というソフトウエアがオプションとして使用できるので、それに

よって図面情報から計算する方法もある。

図5 工具先端をインパルステストして得られる二つの信号

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図6 二つの信号から演算して得られる FRF の実部虚部表示

FRF はゲインと位相の二つの変数を表示するのが一般的であるが、びびりの理

論においては、図6中に示している 大負実部という測定値がびびり易さの指

標となるので実部と虚部という二つの変数により表示する。

これは、 大負実部が先に図3で示した無条件安定限界(Amin)と次のような理

論的関係にあることに由来している。

抗)(垂直方向の比切削抵大負実部)

(2

1minA ……(2)

5.3 安定限界の計算

図6の FRF が得られると、CutPRO はびびりが起こるか起こらないかの境界条件

を示す安定限界線図を図7のように計算して表示する。

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図7 安定限界線図

図4に示したボーリングバー(固有振動数 184Hz)の例

例題のボーリングバー(加工径 80mm)は、旧来はいかに工夫を重ねても強烈なびびり

が発生して、貫通穴の仕上げ加工ができなかったものが、No.4 ポケットの中心回転数

2,760rpm を採用することにより、びびりを生じることなく高精度の仕上げ加工が行え

るようになった。

6. ミリングシミュレータの使用例

CutPRO ソフトウエアには図 8 に示すようなミリングシミュレータがあり、安

定ポケットを計算するには、解析的方法と呼ばれる迅速計算機能と、時間に対す

るシミュレーションを繰り返し行い、探索手法で安定限界を求めるタイムドメ

インという機能のいずれかを使用する。不等ピッチ/へリックス工具の安定限界

は後者によらなければ計算できない。

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図8 CutPRO のミリングシミュレータ機能

これ等の機能を用いて高能率な加工条件を定める手順を、荒加工用の高送りカ

ッターを例題として説明しよう。

7.1 高送りカッター

荒加工工程は、半径方向切り込みが大きく、カッター直径一杯のいわゆるスロッ

ト加工に近い状況で、高能率に切削加工を行いたい。

図9は数年前から広く実用されるようになった、高送りで使用する荒加工カッ

ターの一例である。

荒加工は等高線輪郭送りで行うこととする。所定の軸方向切り込みに達するま

でのランピング加工がこの工具では可能である。また走査線送りによる荒加工

は行わないこととする。

一刃あたりの送りを 2 ミリ前後と大きく取り、軸方向切り込みは 2mm 程度以下

に抑えて高送りの荒加工を行う。高送り工具は、次の三つの理由によりびびり

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の起こりにくい工具として荒加工に適している。

1. 突き出しの長いツーリングは、工具にかかる半径方向の加工力のために

曲げ振動を起こしてびびりを生じやすいが、高送りカッターは軸方向切

り込みが小さい状況で使用するので、工具に作用する半径方向加工力が

小さい。

2. 一刃あたりの送りが大きい場合には、重複係数というびびり発生に関わ

るパラメータが小さくなるため、びびりが起こりにくい。

3. 一刃当たりの送りを大きくとると、プロセスダンピングによる低速安定

性の効果が大きくなる。

初の加工例題は、BT50 番の主軸を持つ MC を想定し、主軸 高回転数は

8,000rp に限定されているものとする。 加工例題は図 9 のタイプの直径 63mm、

刃数 4、突き出し長 200mm の高送り荒加工工具による。被削材は S58C 鋼

(221Bhn)を想定する。

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7.2 工具刃先の構造動特性

工具刃先において測定される FRF は、使用する工作機械の主軸構造と、工具を

把持するホルダーおよび工具そのものの構造に依存する。 実際の組み合わせ

に対して、構造動特性を同定するインパルステストを行うことが必要である。

研究開発現場では、必ずインパルステストを行わなければならないが、本稿にお

いては、CutPRO システムの中に用意されている SpindlePRO と呼ばれている

シミュレーションソフトウェアを用いて理論計算を行った結果を持って代用す

る。

SpindlePro は、回転体に特化した 2 次元有限要素法ソフトウェアであって、

主軸・ホルダー・工具の概略図面から、図 10 に示すような要素モデル図を作成

する。

図 10 BT50 サイズのマシニングセンター主軸に、延長アーバを介し

て直径 63 ミリ刃荒加工用工具を装着したツーリングの要素モデル

右端の工具先端に、1 ニュートン(N)の半径方向変動外力がかかった場合の、

刃先位置の振動変位応答の FRF を計算させた結果は図 11 のように求められる。

図 11 の下図には、FRF の虚部(Imaginary part)が示されているが、その数値が

小になる周波数が固有振動数である。この事例では固有振動数 A は 401.6Hzと求まっている。ほかに固有振動数 B および C のあることも判る。固有振動数

A に対応する 大コンプライアンスの値は 0.674µm/N と求められている。

図 11 の上図には FRF の実部(Real part)が示されている。実部の数値が 小にな

る値を 大負実部と呼び、びびり発生機構の理論から先の式(2)によって 大負

実部の大きい固有振動数がびびり発生に関わっている。固有振動数 A(401.6Hz)

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固有振動数 A 401.6Hz

最大負実部 A 0.31434µm/N

固有振動数 B

固有振動数 C固有振動数 C

固有振動数 B

最大コンプライアンス 0.674

Nm / Nm /

Nm /

図 11 図 10 の要素モデルについて行った FRF 計算結果

の固有振動数によってびびりが発生することが判る。固有振動数 B および C に

対応する 大負実部はそれよりはるかに小さい値であるから、これらの固有振

動数はびびり発生に関与しない。

実加工に当たっては、以上に述べたような要素モデルによる計算結果ではなく、

必ず実機上でインパルステストを行ってFRFの実測値を得ることが必要である。 なお、SpindlePRO ソフトウェアでは、続いて非減衰(アンダンプト)モード形計

算を行うことにより、それぞれの固有振動数では主軸・ホルダー・工具からなる

系がどのような形に変形しながら振動するかを知ることができる。図 12 は、図

11 における固有振動数 A,B,C それぞれについて求めたモード形を示している。

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図 12 三つの固有振動数 A,B,C におけるモード形計算結果

びびりを生じることが判っている固有振動数 A 401.6Hz では、主軸・アーバ・

工具からなる系は、一つの節点(節点とは振動変位の無い点)を中心として揺れ

ながら曲げ振動をしていることが判る。このようなモード形は「揺動曲げ」と呼

ばれている。

5.3 安定限界線図の予測計算

等ピッチカッターの場合には CutPRO ミリングシミュレータの解析的安定限界

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計算の機能を用いて工具の切れ刃条件、構造動特性の FRF、加工条件などを図

13 のように設定する。FRF の設定は、実機に実際の工具を取り付けた状態で、

X 方向に測定した FRF と Y 方向に測定した FRF をそれぞれ入力する。 X 方

向というのは送り方向であるので、もし Y 方向に送りをかける加工状況であれ

ば、X,Y 両方向の FRF を入れ替えて設定しておく。

図 13 CutPROV10 のミリングシミュレータによる計算設定例

荒加工工程は、半径方向切り込みが大きく、カッター直径一杯のいわゆるスロッ

ト加工に近い状況で、高能率に切削加工を行いたい。

半径方向切り込みの値は図 13 の設定画面において加工条件(Cutting Condition)の中に設定しておく。加工条件までの設定が終了したら、左上の START ボタン

をクリックすると、図 14 のような安定限界線図が計算されて表示される。

複数の山のそれぞれが安定ポケットであるが、山の裾を連ねた水平線は、無条件

安定限界 Amin(この例の場合の数値は 0.48mm)を示しており、軸方向切込みを

この値より小さくとる場合には、主軸回転数の如何に関わらず、安定範囲内であ

ってびびりが起こることはない。

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Amin 無条件安定限界

安定ポケット#1

#2

#4

#3

図 14 安定限界線図計算結果の一例。

一番右に見られる山が一次(#1) 安定ポケットで、その中心主軸回転数は先の式

(1)により簡単に計算できる。

それより左隣に順番に並んでいる 2 次(#2)、3 次(#3)、4 次(#4)の安定ポケット

の中心回転数は、それぞれ上記主軸回転数の 2 分の1、3 分の1、4分の1で求

めることができる。

左側の次数の高い安定ポケットほど、幅が狭くなるので安定効果が得られにく

くなる。 経験上 5 次の安定ポケットまでは有効なことが多いが、それより高

次の安定ポケットは効果が薄くなる。

なお、一枚刃の工具の場合には、1次の安定ポケットはシステムの危険速度であ

るため、決して使用してはならない。

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Stability Pocket #2

#3#4

S3,180rpm V629m/min ADoc1.5mm f2.0mm/t F19,080mm/min

S1,510rpm V299m/min ADoc0.8mm f2.0mm/t F12,080mm/min

S2,120rpm V419m/min ADoc1.0mm f2.0mm/t F19,080mm/min

図 15 D63 高送りカッター突き出し長さ 200mm の安定限界線図

実用上の指針としては、できるだけ右側にある低次の安定ポケットを使用した

いが、主軸回転数が高くなるため、工具寿命が短くなるので、適当なところで妥

協することが必要となる。

図 14 の安定ポケットのうち#2, #3, #4 の三つについて、数値をあてはめて

検討すると図 15 のようになる。超硬工具の実用的な工具寿命を考慮すると#4 の

S1,510rpm, V299m/min が推奨条件である。

使用する安定ポケットが決定できたら、線図の縦軸に表示されている軸方向切

り込みの値を決定することとなるが、安定ポケットの頂点の切り込み値を使用

することはできない。 大体の目安として、ポケットの山の高さの半分くらいの

高さの軸方向切込みを採用する。

上図の例では、安定ポケット#4 により主軸回転数 S1,510rpm を採用すると、切

削速度は V299m/min となり、被覆超硬工具であれば実用的に可能と考えられ

る。軸方向切り込みを仮に 1.0mm と定めておく。

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5.4 Milling process simulation 計算による確認

このあとミリング作業を時間に対してシミュレーションする Milling process simulation 計算によって、仮定した条件でびびりが発生するかどうか確認し、

若し発生するようであれば軸方向切込みを漸減させて Milling process simulation を繰り返し、びびりの生じない事を確かめて確定する。

CHATTERING

図 16 Milling process simulation による、びびり抑制の確認。

びびりが発生する場合。

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STABLE

図 17 Milling process simulation による、びびり抑制の確認。

びびりが発生しない場合。

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上で仮に定めた加工条件を設定し、Milling process simulation を行ってみると、 図 16 の上図に見るように工具刃先の変位が加工時間の経過とともに発散し、び

びりが発生する結果となっている。

びびり発生であるかどうかを詳細に判定するためには、時間経過のデータを

FFT 解析し下図に見るように顕著な成分の周波数を、切削断続周波数(Tool Passing Frequency, TPF)と比較する。

びびり発生の場合には周波数が TPF の整数倍の周波数に一致することはなく、

必ず中間の値となる。この例では、TPF の 2 倍と 3 倍の中間の周波数となって

いるから、びびりが発生することが確かめられる。

軸方向切り込み 1.0mm ではびびりの生じることがわかったので、その値を漸減

し、Milling process simulation を行ってみると、今度は図 17 の上図に見るよ

うに工具刃先の変位が加工時間の経過とともに発散することなくびびりは生じ

ない。このことを正確に判定するためには、時間経過のデータを再び FFT 解析

し下図に見るように顕著な成分の周波数が TPF の整数倍の周波数に一致してい

ることを確かめる。この場合にはびびりではなく強制振動が発生しているはず

である。しかしその振幅は 4.5 m と小さいので、事実上この振動は障害となら

ない。

軸方向切込みが 1.0mm であったものをを漸減させ、0.8mm にするとびびりが

生じないことが確認されたので、この例題では 0.8mm を軸方向切込みとする。

6. 応用事例

CutPRO ソフトウエアを使用して、加工能率を高める種々の手段が可能であり、

多数の応用事例を挙げることができる。 その概要は以下のとうりで、次号から

これらの応用事例を連載してお届けする。

6.1 プロセスダンピングによる低速安定性の利用

チタン合金などの難削材の加工では、切削速度を高くできないので、安定ポ

ケットの利用が困難である。 荒加工の場合にはプロセスダンピングを応用

して、低速重切削が可能となる。

6.2 金型型面の等高線フライス加工

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ミリング加工における代表的な応用事例として金型型面加工の能率向上の

ために CutPRO による解析をおこなった。

6.3 1枚刃三角チップのボーリング工具(刃先直径 90mm)

ボーリング加工はびびりを発生することが多いが、CutPRO による解析を行

ってびびりを防止する手順を解説する。

6.4 SKD61 黒皮丸棒 D125 L4000 の旋削荒加工

長い丸棒の外周旋削はびびりを発生しやすいが、その状況を解析し、解決

案を提示している。

6.5 SCr440浸炭焼き入れ鋼のソリッド超硬ドリルによる深穴加工

ドリルは一般にびびりにくい作業ではあるが、深穴の場合には問題とな

る。プロセスダンピングを用いて、びびりを防ぎドリルの欠損を防止し

た。

6.6 細長鋼材円筒研削

研削作業におけるびびりは、切削作業とは全く異なる状況をとなってい

る。 解決の方法を提示する。

6.7 不等ピッチ/不等へリックス角カッターの利用

切削速度を高くできないチタン合金などの加工で、仕上げ加工の場合には

プロセスダンピングの原理が利用できない。 不等ピッチ/不等へリックス

角カッターが有効である。

6.8 シャープコーナ部のびびり抑制

工具軌跡の方向が鋭く変化するシャープコーナーの加工はびびりが発生し

やすい。 解決の方法を提示する。

6.9 ハードターニングにおける CBN 工具刃先の欠損防止

CBN 工具の登場により、焼き入れ材の切削加工が可能となったが、工具刃

先が切削速度方向(Y 方向)に数 kHz の高い周波数で振動しやすい固有振

動があるときに CBN 工具刃先が細かいチッピングを起こし、工具寿命が短

いことがある。この問題を防ぐには、高周波数の振動を吸収するように減

衰能力の高い工具支持を行うことが必要である。

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6.10 工作機械構造のびびり原因探索 主軸起因のびびり問題は通常その周波数が 300Hz 以上であることが多く、

主軸チャックにつけたエンドミルのみの変形による場合には 1,000Hz 以上

の事が多い。67Hz という低い周波数のびびりが問題となったこの事例で

は、しばしばみられるようなコラムの曲げ捩じれによるものではないかと

初は疑われたが、コラムにはそのような変形モードが顕著ではないこと

が判った。CutPRO による測定を多数箇所で繰り返した結果、コラムと主

軸頭の間にあるサドルという部品の設計欠陥が原因であることが判った。

6.11 フリクションダンパーの応用

フリクションダンパーは数千 Hz 以上の高い周波数の振動問題に有効であ

る。直径 15mm のボーリングバーで見られたびびりは周波数が 10,000Hzを越えており、基本的には再生びびりであるが、通常はびびりを抑制する

機能を持つプロセスダンピングが周波数が高いためにびびりを起こす機構

として作用している特殊な場合であることが判った。この場合の解決方法

としてフリクションダンパーが効果的であった。

6.12 薄肉工作物の仕上げ加工における工具選定

工作物が薄肉になった場合には工作物の動特性 FRF が極端に低くなっ

ているので、工具の選択には特別の注意を必要とする。なるべく刃数

の小さい(できれば一枚刃の)工具を使用するか、状況に合わせて設

計された不等ピッチ角の、あるいは不等ピッチ・不等へリックス角の

複数刃エンドミルを使用する。

6.13 インプロセスびびり抑制システムの開発

CutPRO などの解析診断機能を使用するには、担当者を育成し診断設備を

そろえる必要があり、すべての職場に応用することは困難な場合が多い。

工作機械自体にびびりをインプロセスで検出し、自動的にびびりを回避す

るようなシステムが望まれる。

7. 切削速度範囲による安定ポケットの使い方

7.1 アルミ合金の高速ミリング

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安定ポケットの原理的な特徴として、切削速度の高い範囲で高能率加工が可能

となる場合が多い。 CutPRO によって計算される1次から5次の間の安定ポケットがそのまま実用

できるのは、高い切削速度を自由に選ぶことができるアルミ合金の高速ミリン

グでしかも荒加工にほぼ限定されている。

仕上げ加工で、工作物が薄肉になった場合には工作物の動特性 FRF が極端に

低くなっているので、工具の選択には特別の注意を必要とする。なるべく刃数

の小さい(できれば一枚刃の)工具を使用するか、状況に合わせて設計された

不等ピッチ角の二枚刃エンドミルを使用する。

7.2 高速ミリングが適用できない場合

固有振動数が数百 Hz 以上と高い場合に、鉄鋼あるいは耐熱合金などを加工す

る場合には、安定ポケットの切削速度が高過ぎて使用できないのが普通であ

る。この場合の対処方法は荒加工と仕上げ加工で次のように異なる。

7.2.1 荒加工の場合

プロセスダンピングによる低速安定性の利用が有効な場合が多い。応用事例 1に述べている臨界切削回転数を与える式(1)を参照していただきたい。

低速安定性といっても、次の条件がそろう場合にはかなり高い回転速度におい

てもプロセスダンピングを有効に使用できる。

(1) 固有振動数が高い(400Hz 程度以上) (2) ミリング加工でイマ-ジョン角が大きい場合(応用事例 1)、旋削(応用事

例 4)、ドリリング加工(応用事例 5)などの場合 (3) 送り(一刃当たりの送り、あるいは旋削における一回転当たりの送り)の

大きい場合、つまり高送り加工用工具を使用する場合。 (4) 工具径が小さい。

(1)から(3)は荒加工に相当する条件であるが、臨界切削回転速度を計算してみ

るとかなり高い値となることが多い。安定ポケットが使用できない場合に有効

な方法である。

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7.2.2 仕上げ加工の場合

ミリング加工であればイマ-ジョン角が小さい状況で、送りも小さな値を用い

るから、プロセスダンピングの効果が全く期待できない状況である。 この場合には次の二つの方法のいずれかを検討する。

7.2.2.1 刃数の少ない(できれば刃数 1)の工具を使用する。

びびりは工具の刃数に比例して起こりやすくなるので、刃数を 1 として

CutPRO により安定限界線図を計算してみて、びびらずに加工できるかどうか

検討する(応用事例 8)。

7.2.2.2 不等ピッチ不等へリックス角工具の使用

二枚刃の不等ピッチ角工具とし、とくに二つの切れ刃のへリックス角を大きく

異なる値とすると大変びびりにくい工具となる。応用事例 7 を参照されたい。

8. 結び

今日理解されているびびり理論の帰結として、安定ポケットという新しい原理

が利用出来るようになり、それを実用する手順を加工例題によって説明した。

しかしアルミ合金の高速ミリング以外の加工状況では、安定ポケットを計算さ

れたそのままの条件では使用できない場合が多いが、荒加工においてはプロセ

スダンピングによる低速安定性が有効である。

仕上げ加工においては、プロセスダンピングの効果は期待できず、一枚刃のカッ

ターの使用、あるいは2枚刃にして不等ピッチ不等へリックス工具とすること

が有効である。

特に工作物が薄肉になった場合には工作物の動特性 FRF が極端に低くなって

いるので、工具の選択には特別の注意を必要とする。なるべく刃数の小さい

(できれば一枚刃の)工具を使用するか、状況に合わせて設計された不等ピッ

チ角の、あるいは不等ピッチ・不等へリックス角の複数刃エンドミルを使用す

る。このような状況の仕上げ加工については、応用事例 12 を参照されたい。

以上