アニメキャラクターにおける ボイス・アイデンティティとその表現 ·...

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22 アニメキャラクターにおけるボイス・アイデンティティとその表現―『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』『PSYCHO-PASS サイコパス』を中心に アニメーション研究の中で、日本の商業的、娯楽的なアニメーション、いわゆる「アニメ」 を対象とする試みとして「アニメ研究」が盛んになりつつある。従来の「アニメ研究」は、津 堅信之に代表される歴史研究や、スーザン・ネイピアのように、アニメのテーマを日本文化と の関係から論じる研究手法が主流を占めていた。そして、近年ではトーマス・ラマールの『ア ニメ・マシーン』や、イアン・コンドリーの『アニメの魂』のような、表現としての「アニメ」 や、その表現がどのように制作されているのかといった視点を提供する研究も散見され、「ア ニメ表現論」というべき領域が立ち上がりつつある。しかし、これらの「アニメ表現論」が対 象とする「表現」とは、主に視覚表現についてである。アニメの場合も、多くの作品で技法と してのアニメーションが表現の基盤をなしており、それは静止画を撮影や編集によって映像化 し、仮現運動を生成するというものである。その仮現運動が視覚への働きかけによって成立し ている以上、そうした表現の分析は妥当なものだと考えられる。だが、それはあくまでアニメー ション全般について要請される表現形式に過ぎず、「アニメ」の表現について語る場合、アニ メの持つ性質―商業性、娯楽性、他メディア(マンガ、ライトノベル、ゲーム等)との親和性 ―や、可視化できない構成要素―形式、物語、音声・音響等―を看過することはできない。本 論はそうしたアニメの構成要素の中から特に音声表現に着目し、それを演じる声優とキャラク ターの関係性を考察することで、アニメ的な「視聴覚」表現の分析に新たなパースペクティブ を築くことを目的とするものである。 アニメの音声表現についての先行研究はほとんど存在していないが、その中で、アニメーショ ン研究者の今井隆介は重要な指摘を行っている。今井は、映画監督エイゼンシュテインのアニ メーション理論を元に、アニメーションキャラクターの制作過程を「運動のようなもの」「生 はじめに:ボイス・アイデンティティとは 小 林  翔 KOBAYASHI Sho アニメキャラクターにおける ――『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』 ボイス・アイデンティティとその表現 『PSYCHO-PASS サイコパス』を中心に――

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Page 1: アニメキャラクターにおける ボイス・アイデンティティとその表現 · 情報化されていない近未来――」7という時代背景の、西暦2029年の日本が作品の舞台である。

― 22 ― アニメキャラクターにおけるボイス・アイデンティティとその表現―『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』『PSYCHO-PASS サイコパス』を中心に

アニメーション研究の中で、日本の商業的、娯楽的なアニメーション、いわゆる「アニメ」

を対象とする試みとして「アニメ研究」が盛んになりつつある。従来の「アニメ研究」は、津

堅信之に代表される歴史研究や、スーザン・ネイピアのように、アニメのテーマを日本文化と

の関係から論じる研究手法が主流を占めていた。そして、近年ではトーマス・ラマールの『ア

ニメ・マシーン』や、イアン・コンドリーの『アニメの魂』のような、表現としての「アニメ」

や、その表現がどのように制作されているのかといった視点を提供する研究も散見され、「ア

ニメ表現論」というべき領域が立ち上がりつつある。しかし、これらの「アニメ表現論」が対

象とする「表現」とは、主に視覚表現についてである。アニメの場合も、多くの作品で技法と

してのアニメーションが表現の基盤をなしており、それは静止画を撮影や編集によって映像化

し、仮現運動を生成するというものである。その仮現運動が視覚への働きかけによって成立し

ている以上、そうした表現の分析は妥当なものだと考えられる。だが、それはあくまでアニメー

ション全般について要請される表現形式に過ぎず、「アニメ」の表現について語る場合、アニ

メの持つ性質―商業性、娯楽性、他メディア(マンガ、ライトノベル、ゲーム等)との親和性

―や、可視化できない構成要素―形式、物語、音声・音響等―を看過することはできない。本

論はそうしたアニメの構成要素の中から特に音声表現に着目し、それを演じる声優とキャラク

ターの関係性を考察することで、アニメ的な「視聴覚」表現の分析に新たなパースペクティブ

を築くことを目的とするものである。

アニメの音声表現についての先行研究はほとんど存在していないが、その中で、アニメーショ

ン研究者の今井隆介は重要な指摘を行っている。今井は、映画監督エイゼンシュテインのアニ

メーション理論を元に、アニメーションキャラクターの制作過程を「運動のようなもの」「生

はじめに:ボイス・アイデンティティとは

小 林  翔KOBAYASHI Sho

アニメキャラクターにおける

――『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』ボイス・アイデンティティとその表現

『PSYCHO-PASS サイコパス』を中心に――

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命のようなもの」「人格のようなもの」を吹き込む 3段階に分け、そのうち「生命のようなもの」

「人格のようなもの」を吹き込む段階において「声」が用いられていると述べている 1。のちの

議論においては、「生命のようなもの」としての身体、「人格のようなもの」としての主体を、

それぞれ「声」が指標し存在証明として機能しうるのではないかとする 2。また、主体の存在

証明としての「声」の独自性について、アニメ『機動戦士Zガンダム』(1985-86)に登場する

メカニックのパイロット、アポリーを例に、エピソードごとの作画のバラつきによって生じる

キャラクター図像とキャラクターの同一性のズレを「キャラ化け」と呼称し、声優によって演

じられる声の一貫性がそれを補完すると論じている 3。本論はこうした今井の指摘を踏まえつ

つ、従来的に論じられてきたキャラクターについての議論も参照することとする。

今井の論考はアニメーションキャラクターが視聴者に聴覚的にも認識されるに至る過程を分

析したものだが、その分析はキャラクターとしての一貫性、アイデンティティの問題に踏み込

んだものとなっている。そうしたキャラクターのあり様については、主に文学研究やマンガ研

究の領域で論じられてきた。古くはイギリスの小説家E・M・フォースターが『小説の諸相』(1927)

において提示した「平面的人物」「立体的人物」という分類に遡る。前者は類型的かつ戯画的

な描写によって造形された小説の登場人物、後者は複数の人物描写によって物語の進行ととも

に読者の印象を変化させてゆく登場人物というように概説できる。後者について換言するなら、

内面の成長を伺わせる登場人物といえるだろうか。翻って、今日的な図像表現を中心としたキャ

ラクターについての分析にも同様の観点は採用されている。マンガ研究者の伊藤剛は『テヅカ・

イズ・デッド』の中で、マンガ表現の基礎を成す要素として「コマ構造」「言葉」「キャラ」と

いう 3要素を挙げている。伊藤は、従来論じられてきたキャラクターを「キャラ」と「キャラ

クター」に峻別し、それぞれを簡単な線画によって描かれ、固有名によって名指され、人格の

ようなものを想起させるものと、キャラの存在を基盤とし、人格を持った身体として表象可能

な、テクストの背後に人生や生活を感じさせるものとして扱っている。伊藤の「キャラ/キャ

ラクター」をめぐる議論を精緻に追うことはしないが、伊藤の議論があくまでも図像表現に対

して展開されたものであること、キャラクターは作品世界を織り成すテクストと、人格や内面

描写が不可分であるのに対して、キャラは作品やテクストから自律可能な存在であるという指

摘は抑えておく必要があるだろう。伊藤の議論を引き継ぐ形で、アメリカンコミックス研究家

の小田切博は『キャラクターとは何か』の中で、自律化しメディアや産業を横断して存在感を

発揮するキャラクターを、「意味」「内面」「図像」の 3要素によって規定し、いずれかの要素

と名前が同一性を保っていれば、その他の要素は自由に変形が可能であるとした。また、精神

科医の斎藤環による『キャラクター精神分析』は、国内におけるキャラクターをめぐる議論の

暫定的な着地点であろう。斎藤は私たちが日常的に用いる「性格付け」としての「キャラ」ま

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でを射程に含めた議論の果てに、キャラクターとは「同一性を伝達するもの」という定義 4を

提案する。フォースターに始まるこれらのキャラクター論は、「同一性」をキャラクターがど

のように獲得するかを論じてきた。しかし、個別的、包括的な議論を問わず、そこでアニメと

いうメディア形態の特性を前提として、キャラクターが分析されることはほとんどなかったと

いって良い。斎藤は上記の考察の中で、アニメ『けいおん!』の主要キャラクターである秋山

澪について触れているが、それは彼女のキャラクターデザインについてであり、マンガ研究に

おける図像表現の分析の域を出ないものだ。今井のいう「運動のようなもの」を前提としたア

ニメキャラクターに対する分析は、キャラクター論においてはいまだ達成されていないという

べきだろう。

本論では上記の今井による議論や、これまでに展開されてきたキャラクターに関する議論を

もとに、身体的・図像的イメージによる「キャラクターのアイデンティティ 5」=表現メディ

アや表現者によらない、キャラクターの固有名の再認識可能性を担う表現要素の構築とは異な

るレベルで、キャラクターの声とそれを演じる声優の音声イメージの重なりあいによって生成

される再認識可能性を「ボイス・アイデンティティ」と定義し、ボイス・アイデンティティに

依拠したアニメ表現の分析を行ってゆく。なお、本論では「アニメ」を「商業的・メディア的

な要請の元で培われてきた、セル画ないしはセル画調のデジタル作画を中心とする動画表現と、

声優によるキャラクターの音声表現を兼ね備えた、主に日本で製作されるアニメーションの表

現形式」と定義する。

1.卓越するボイス・アイデンティティ

1-1. ゴーストとボイス・アイデンティティ:

『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』を手掛かりに

1 章では、声優が演じるアニメキャラクターの再認識可能性、「ボイス・アイデンティティ」

についての考察を行うための具体例として、押井守監督による劇場アニメ『GHOST IN THE

SHELL攻殻機動隊』(以下『攻殻機動隊』とする)とその派生作品 6についての分析を行う。

その際に主眼となるのが、この作品の主人公であるキャラクター・草薙素子(以下:素子)で

ある。分析に入る前にこの作品の設定、物語、素子のキャラクター性について簡単に触れてお

く。

本作は「企業のネットが星を被い電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど

情報化されていない近未来――」7という時代背景の、西暦 2029 年の日本が作品の舞台である。

作中では科学技術が発展し、人間の身体のサイボーグ化が可能となっている。主なサイボーグ

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技術として、身体の各部を義手や義足に機械的な性能を付与したパーツで置き換える「義体化」

や、自身の脳をコンピュータのネットワーク端末として用いることを可能にする「電脳化」と

いった技術が普及しており、作中でも重要な設定として登場する。素子は超法規的な活動や武

力行使の権限が与えられている政府直属の諜報機関「公安 9課」に所属するエージェントであ

り、義体化や電脳化を全身に行き渡らせた結果、本来の人間としての肉体が脳の中枢のみとなっ

てしまった女性型サイボーグである。素子のいわゆるCV8 は多くのシリーズ作品で声優の田

中敦子が務めており、本論で分析対象とした作品はいずれも田中が素子を演じている。物語は、

素子を中心とする公安 9課のメンバーが、電脳化された人間の脳をハッキングし、記憶や人格

の改竄を自在に行う凄腕のハッカー「人形使い」の犯罪行為を阻止するべく捜査を行うという

形で進行する。

物語のテーマとして端々で示されるのが、私が私であることへの懐疑、自己同一性を確立す

ることの困難さである。例を挙げれば、休暇中に海中へのダイビングを楽しむ素子が、同僚で

あるバトーと交わす議論の中の「人間が人間であるための部品が決して少なくないように、自

分が自分であるためには驚くほど多くのものが必要なのよ」9というフレーズ、素子の上司で

ある荒牧とバトーの「部長、自分の脳を弄くらせてる電脳医師の人格を疑ったことは」「電脳

医師は定期的な精神鑑定を義務付けられとるし、公安関係の医師は身辺調査も入れとるが、そ

れを実行するのも同じ人間だ。」「疑い出せばきりがない、か」10 というやりとり、そして、人

形使いが行う「ゴーストハック」と呼ばれる電脳の乗っ取り行為によって記憶を完全に上書き

されてしまい、自分が別人であることを信じ、その通りに行動してしまう人々の登場といった、

自己同一性についての議論を行うシークエンスが頻出する。素子だけではなくキャラクターの

多くが、技術的な進歩とその享受と引き換えにしてアイデンティティが容易に変質、改竄させ

られてしまう可能性に言及しており、後述する作品の結末も、素子が自己同一性のある種の変

質を迎えることで幕を閉じる。こうした自己同一性を主題とした作品において、キャラクター

のアイデンティティを分析することは、作品のテーマを監督の戦略通りになぞるだけではない

かという批判はありうるだろう。しかし、2011 年のアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』など

は極端な例だが、作品の持つテーマと作品を構成する表現の志向が、必ずしも一致していると

は限らないのである。テーマをなぞるのではなく、表現を通じてどのようにテーマが達成され

ているのかを分析することには一定の意義があると考えられる。また、提示されるこれらの懐

疑や困難は「私」や「自分」を「アニメキャラクター」に置き換えることで、アニメ自体の構

造の問題について考えることも可能である。アニメキャラクターはカットごと、場面ごと、エ

ピソードごとに異なるアニメーターによって描写される。そこでは、描かれたキャラクターが

同一のものであると認識できるように、各々のキャラクターは基準となる図像を基に描かれる

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ため、多くの場合違和感を覚えることはない。しかし、そのキャラクターを構成する線描の質

感は作品を通じて同一のものではなく、様々な理由によって基準となる図像から描写が逸脱し

た場合、視聴者にとってそのキャラクターの同一性は大きく損なわれてしまう可能性と常に隣

り合わせにある。例に漏れず、『攻殻機動隊』の派生作品やシリーズ作品では、シリーズごと

に異なるキャラクターデザインがなされている。

左から図 1,2,3 それぞれ『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』、『攻殻機動隊 STAND

ALONE COMPLEX』(以下『S.A.C』)シリーズ、『攻殻機動隊 ARISE』(以下『ARISE』)シリー

ズの草薙素子。いずれの画像も同一のキャラクターを表現したものだが、別人と呼んでも差し

支えないほどに、シリーズごとにキャラクターの身体=図像イメージには大きく隔たりがある。

作中では、肉体の機械化を突き詰めた(義体化した素子はこれに当たる)人間にとって、自

己同一性を担保する必要最低限の存在を「ゴースト」と呼称している。そして、代替可能な身

体=多くの人の手により描かれた連続性をもつキャラクター図像という解釈を導入すること

で、アニメキャラクター全般に「ゴースト」の概念を拡張することができる。それにより、個

別の作品ごとのキャラクターにおけるゴーストは、作品やキャラクターの設定により異なるも

のとなるが、アニメという表現形式においては、声優によって演じられるキャラクターの声が

ゴーストに相当するという仮説を提唱することができる。社会学者の大澤真幸は、本作の「ゴー

スト」という概念を「それに”Ghost”という独特の名称が与えられているときに前提になっ

ている感覚は、〈私〉に〈私〉としての固有性を与えるそれが、〈私〉にとってどうしようもな

く外在的なものとして感じられるということではないだろうか(中略)ときにSF的な諸アイ

テムに訴えかける誇張によって、なんとか表現しようとしていることは、〈私〉であることの、

〈私〉の存在の、〈私〉自身に対する外在性の感覚であるように思える。」と述べている 11。大

澤のいう「外在的/外在性」とは、自己の認識が「今、ここ」を前提としない自己の外部にも

存在しうるということである。作品世界における事例としては、人形使いによって植え付けら

れた偽の記憶はそれに当たるだろう。操作された自己同一性の根拠はキャラクターの自己に由

来するものではない。そして表現上での外在性とは、キャラクターに対して他者である声優が、

自身の声をキャラクターに与えることによって「アイデンティティ」を構築する声の吹き込み

図 1 図 3図 2

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作業が与える感覚に他ならない。『攻殻機動隊』と『S.A.C』における素子のCVは田中敦子に

よるものであり、『ARISE』における素子のCVは坂本真綾が担当している。図像的な一貫性

を喪失しており、作品ごとの世界設定も異なるシリーズを跨いで通底する各々の素子の再認識

可能性を担保しているのは、田中と坂本が演じる素子の声である。そして、それは作品の視聴

のみがもたらす感覚ではない。バトーのCVを演じる声優の大塚明夫は自著の中で、『S.A.C』

の監督である神山健治とのやりとりをこのように記している。「あるとき、神山監督にこう言

われたことがあります。『シナリオを作るとき、敦モ ト コ

子さんや明バ ト ー

夫さんが勝手に喋り出すんですよ』

これは声優として大変光栄なことですし、『自分も制作に関わっているんだ』と強く思わされ

た発言でした。」12 ここで大塚は、自身や田中の名前にキャラクター名のルビを振っている。

神山の発言が実際にどちらの名前で行われたのかはこの記述からは判断できないが、キャラク

ターと声優の声を同一視するという感覚は、制作者や声優にとっても共有されているといえる

だろう。さて、素子のCVに関して議論を戻すと、『ARISE』の素子は異なる声優によって演

じられており、CVの一貫性も損なわれているのではないかという指摘は当然ありうるだろう。

しかし、少なくとも『攻殻機動隊』と『ARISE』の素子のボイス・アイデンティティは、綱渡

り的にではあるが一貫性を持ったものである。それについては次章において考察を行う。素子

のボイス・アイデンティティの分析を行う前に、『攻殻機動隊』におけるもう一人の重要キャ

ラクター、人形使いの分析を挟んでおく必要があるからだ。

1-2. 人形使いのキャスティング:「性別」からみた『攻殻機動隊2.0』

人形使いについては前節で簡単に触れたが、今節では人形使いの正体や設定に踏み込んだ分

析を行い、次章の素子についての分析と接続する。人形使いはその素性の一切が謎に包まれた

神秘的なハッカーとして紹介され、物語の中盤に素子をはじめとする公安 9課のメンバーの前

に、素子の義体の製造元でもあるメガテク・ボディ社の製造ラインをハッキングし作成した女

性の義体の姿を借りて姿を見せる。その正体は、外務省が極秘裏に開発した外交工作を非合法

に進めるためのウィルスプログラムであり、その制作過程でネット上へと逃れた人形使いは、

そこで自我を獲得し「情報の海で発生した生命体」13 を自称する。さらに、意識を宿した義体

の電脳からゴーストらしきものの反応が検知されたことで関係者を動揺させる。9課の施設へ

の襲撃によって奪取された人形使いを追う素子は、物語の最終局面で大型戦車との死闘の末、

四肢の千切れた無残な姿になりつつも、バトーの協力を経て人形使いの電脳へのダイヴ(電脳

へのネットワークを介したアクセス)し、人形使いの真の目的を知る。それは、生命としての

不完全さを補完するために、子孫を残して死を得るというプロセスを求めたというものだった。

そして、それを果たすために、素子に自身との融合を申し出る。

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上記の物語は素子と人形使いを対になる存在として描いている。肉体から生命の必要条件を

限りなく切り捨て、最後に残ったゴーストさえ所与のものではないかと疑う素子に対し、人形

使いはネットという情報の海の中で自我を芽生えさせ、ゴーストの存在さえ疑われるにも関わ

らず自身を生命であると主張する。このように、自己同一性についての 2人のアプローチは見

事に対照を成している。また、人形使いが素子に対しての融合を申し出る下りは、自己同一性

への不安と、それを強く肯定する他者同士が一体となるという点でも、自己同一性の調和を目

指したものだ。そして、素子が人形使いのように身体性に依らない「アイデンティティ」を獲

得するという結末は、続編である『イノセンス』へと繋がる。さて、こうした読解はリメイク

作である『攻殻機動隊 2.0』でも有効なのだろうか。なぜなら、人形使いのCVが男性声優で

ある家弓家正から、女性声優である榊原良子へと変更されているからだ。声優の性別によるボ

イス・アイデンティティの大きな変容が、表現にどのような効果をもたらすのか。以下では、

この声優の変更に伴う、両作品の人形使いのキャラクター性の変化について比較分析を行う。

分析に際し、『攻殻機動隊 2.0』の主な変更点を挙げておく。まず、人形使いを始めとする声優

の変更が挙げられる。主要キャスト以外のほとんどのキャラクターを演じる声優が変更となっ

ている。次に、人形使いの性別だが、オリジナル版では彼と呼ばれていたのに対し、リメイク

版は彼女と呼ばれている。最後に一部のシークエンスが、新規に制作したフル3Dアニメーショ

ンに置き換えられている。構図や物語上の配置などに一部を除き大きな変更はない。

新規の3Dアニメーションは最も大きな変更点だが、今回の分析に関与する要素はないため

割愛し、声優の変更と人形使いの性別について検討する。人形使いの声優が変更となったこと

は、映画の公開の際に話題を呼び、舞台挨拶においても強調された 14。監督の押井守は榊原に

ついて「彼女がいないと僕の作品はなりたたない」と称した 15。しかし、上述したように、『攻

殻機動隊 2.0』において、素子やバトー、トグサといった公安 9課のメンバー以外のほとんど

のキャラクターで担当声優の変更が行われている点は留意する必要がある。これらの声優の変

更にどのような意図があったのだろうか。

一つにはボイス・アイデンティティの問題がある。声優の変更が行われたキャラクターの多

くは、オッサンや狙撃手といった名前を持たないキャラクターであり、セリフの量も最低限の

ものである。つまり、オリジナル版においてもボイス・アイデンティティが希薄であり、容易

に代替が可能であることを意味する。オリジナル版の公開から 13年が経過し、かつリメイク

作であるという二点において、サブキャラクターの希薄なボイス・アイデンティティに拘泥す

る意義を、押井は見いだせなかったのではないだろうか。また名前を与えられているキャラク

ターとしては、AI研究の第一人者、ウィリス博士とプログラマーの台田瑞穂という二名のキャ

ラクターについて声優が変更されている。しかし、これらのキャラクターは台詞や役割も少な

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く、ともに人形使いの誕生に関与していたという関係性を素子の同僚であるイシカワが説明す

る場面で名前を挙げられたことで視聴者に対して初めて名前が明かされることから、便宜的に

名前を与えられたに過ぎないと考えられるだろう。このように、物語の展開に大きく関与し、

かつハッカーとしての通り名ではあるが識別可能な名前を持つ人形使いは、主要キャラクター

として唯一声優が変更されたキャラクターであり、変更自体に大きな意味は持たないその他の

サブキャラクターとは異なるロジックで新たな声を与えられたということになる。その変更の

意義は、人形使いの性別と関わりがある。

物語中盤にハッキングにより女性の義体という身体を得た人形使いは、交通事故に巻き込ま

れたことを発端に公安 9課に身柄を捕縛される。その時点では素性のわからないそれを、「彼」

(『攻殻機動隊』)もしくは「彼女」(『攻殻機動隊 2.0』)と紹介するのは、公安 6課の部長であ

る中村とウィリス博士だ。中村は人形使いの性別を不明としつつも、ウィリス博士の呼称に従

い性別を便宜的に決定する。ウィリス博士が性別について断言するのは、彼が人形使いの開発

に関与していたからであり、そうでなければ、女性の義体であり、その経歴や素性のほとんど

がわかっていない人形使いを「彼」と紹介するウィリスと中村の言動は不自然である。オリジ

ナル版はそこに奇妙な不一致が生まれる。理想的に膨らんだ乳房と長い髪を持つ義体は、身体

的特徴からは男性性を読み取ることはできない。中村が人形使いをその義体に意図的に追い込

んだという作戦を荒巻に語り始めたところで、人形使いははじめて口を開き、男性の声色で話

し始める。正確には人形使いは口を動かしてはいない。『攻殻機動隊』および『攻殻機動隊 2.0』

ではキャラクターの発声・会話が二通りの方法で行われている。ひとつは実際に声を出すとい

う普遍的な表現、いわば「生の声」である。この場合、キャラクターの口許が発声の仕方通り

に動く描写がなされる。もう一つは、電脳を介して直接相手に自身の考えを伝えるというテレ

パシーのような表現、それを「機械的な声」と呼ぶこととする。この際、キャラクターの口許

は動かず、声には若干くぐもったような効果が与えられるので、どちらの方法で会話が行われ

ているかの判別は難しくない。人形使いはこのシークエンスにおいて「機械的な声」で会話を

行っている。それにより、女性を模した身体から男性の声が発せられるという身体表現的な矛

盾は解消される。だが、この峻別を人形使いに対して適応するのはそう単純ではない。何故な

ら、中村と荒巻との会話に介入した人形使いは、荒巻の「人工知能か?」16 という問いかけに

対して「私は情報の海で発生した生命体だ」17 と、義体の口を開き「生の声」で返答するのだ。

ここで再び身体表現における矛盾が回帰する。アニメ表現としてこのシークエンスを考えるの

であれば、なぜゴーストの表象である声の響きにこのようなギャップが生じるのかという問い

への解答として、女性の義体が男性の発声を行う機能を備えているという、物理的には妥当だ

が設定的には複雑な表現が行われたのではなく、発話を行う主体とその声の響きを一致させる

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ことで、直観的に身体とそこに備わる主体の関係を理解させるという演出の方法論が採られた

ということであろう。人形使いの声が「生の声」に転じた時、人形使いのボイス・アイデンティ

ティはキャラクターの身体性に優先され、性別の不一致はまさにこの二重性を明確に意識させ

る。そして、視聴者は図像的な身体とキャラクターの声の関係性を再考させられることとなる。

人形使いのCVに男性声優を起用したことは、アニメ表現がしばしばこうした二重性を用いる

こと、そしてそれは聴覚表現抜きには成立しないことを浮き彫りにする。では、人形使いの声

が女性声優に置き換わった『攻殻機動隊 2.0』では、そのキャスティングはどのような効果を

生み出しているだろうか。

第一には、上述したような矛盾は生じないという点である。人形使いの性別は女性であり、

それが女性の義体を作り、そこに意識を宿し女性の声で話す。家弓が演じたことで生じていた

音声と身体のギャップは、身体とゴーストの性別の統合により解消される。第二に、それによっ

て結末の意味合いが変化するという点だ。人形使いの電脳にダイヴした素子と人形使いのやり

とりは、恋愛映画のそれと同質のものであり、人形使いからの融合の申し出はプロポーズのよ

うに解釈することも可能である。エピローグにおいて、バトーのセーフハウスに登場する少女

の義体に素子の意識が宿るという展開は、二人の融合の果てに生み出された新たな生命を予感

させるものだ。このような結末は、人形使いが男性であるという設定を前提としたものである。

人形使いが女性であったなら、融合という行為に結婚という意味付けを見出すのは困難であろ

う。それを裏付けるように、オリジナル版では融合の瞬間に天から舞い降りる天使のシルエッ

トを素子の視野は幻視するが、リメイク版では、オレンジ色の光が差し込むだけで天使の姿は

ない。天使を祝福、言い換えれば受胎告知の象徴としてみるなら、女性同士の融合が彼女たち

に子供を授けるわけではない。それゆえに天使は不在であるという解釈が成り立つだろう。ま

た、男女の融合が融合後の性別を不確かなものとしてしまう(素子の「私が私でいられる保証

は?」という問いに対して、人形使いは「その保証はない」と答え 18、また「融合後に互いを

認識することも不可能なはずだ」19 と述べている)のに対し、女性同士の融合であれば、自己

同一性の変容は不可避であっても、性別的にゆらぎが生じることはないはずである。つまり、

エピローグに登場する素子は彼女たちの子孫ではなく、生まれ変わった素子自身(そして人形

使いでもある)ということになるのではないか。このように人形使いの性別の変更は、クライ

マックスである素子と人形使いの融合と、その結果として少女となった素子が何者であるかと

いう結論にも大きな変化を与えている。人形使いの台詞はオリジナル版とリメイク版の間にほ

とんど違いはない。しかし、声優が交代しキャラクターの性別も変化したことで、物語の示す

結論が変化してしまうのは、キャラクターの「アイデンティティ」が物語内容を左右する力、

ひいてはそれを構成するボイス・アイデンティティの力を意識させられる。

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― 31 ―京都精華大学紀要 第四十八号

2. 変容するボイス・アイデンティティ

2-1. 草薙素子のボイス・アイデンティティ分析:『攻殻機動隊』から『イノセンス』へ

人形使いの声優の交代とその影響を比較分析することで、キャラクターの声が表現形式や物

語展開をときに左右するということを示した。では、その議論を素子の声に対して引き継ぐこ

とで、何が見えてくるだろうか。それは、アニメ表現が旧来的な「アイデンティティ」観を乗

り越える可能性だ。作中において、素子の身体と声のイメージの結合は 2度分離することとな

る。1度目は人形使いへのダイヴを試みるも、逆に人形使いによる干渉を受け、義体を乗っ取

られてしまう場面。2度目は先述したように、人形使いとの融合を果たした後、義体を破壊さ

れてしまった素子はバトーの用意した少女の義体に意識を移し生き延びる場面だ。その義体か

ら発せられる声は、それまで素子が発していたものではない。この二例について前章からの議

論を継続することとする。

まず、1度目の音声の変化は、素子の義体に存在する意識がその時点で誰のものかを示す意

味合いを持つ。突如として人形使いの声(家弓の声であり、榊原の声でもある)を「生の声」

として発する素子の義体には、人形使いのゴーストが宿っていることを意味し、素子の意識は、

時折挿入される素子の義体を見つめる視野によって、素子の隣で横たわる人形使いの義体に存

在することが示される。素子は人形使いの身体を完全に制御することはできず、人形使いと「機

械的な声」でのやりとりを行うのみで、傍らで見守るバトーの呼びかけには、「生の声」「機械

的な声」ともに応えることができない。対して、人形使いは素子の義体を制御下におき、素子

に対して素子の義体から自身の声を発声することで語りかけている。その言葉はバトーにも聞

き取れるため、融合を提案する人形使いと素子の意識接続を遮断しようとするバトーの身体の

自由をも人形使いは奪い、その妨害を阻止する。この描写は人形使いの電脳に対するハッキン

グ技術が、素子やバトーを大きく凌駕することを示している。ここでは、身体と声のイメージ

の分離とその発声方法の差異によって、キャラクターの力関係を簡潔に視聴者に印象付けるこ

とに成功している。アニメ表現としては、家弓による人形使いの初めての発声と同様の効果が

見込まれている。女性である素子の義体が男性の声で話し始めるのは、ゴーストの肉体に対す

る卓越を意味し、すなわち、人形使いが肉体に「アイデンティティ」を規定されない存在であ

ること、そのボイス・アイデンティティこそが人形使いにとっては本質であることを表現して

いる。

2度目の音声の変化は、義体の変化という物理的な要因に由来する。この変化は、素子がバ

トーの用意した少女の義体に備え付けられている声で発声しているということを示す。余談だ

が、この少女の姿の素子の声を演じたのが、『ARISE』で素子を演じた坂本真綾であることは

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特筆すべきだろう。『攻殻機動隊』と『ARISE』は、時系列や世界設定を異にするパラレルワー

ルドの関係にあるが、公安 9課設立までの物語という前日譚的な設定の『ARISE』ではシリー

ズで初めての声優陣の一新が行われており、バトーやトグサといったシリーズを通じてボイス・

アイデンティティを一貫させてきたキャラクターについても例外なく声優の交代が行われてい

る。その中で主人公の素子だけは、かつて素子を演じたことのある坂本がキャスティングされ、

ボイス・アイデンティティの一貫性を備えることとなっている。かつての草薙素子という

『ARISE』における位置付けが、少女の姿の草薙素子と重ね合わされるキャスティングの効果

について本論では詳察を行わず、そのようなキャスティングの背景には、草薙素子というキャ

ラクターに潜在するボイス・アイデンティティの強固さを想起させられることだけ指摘してお

こう。さて、議論を『攻殻機動隊』の最後のシークエンスへと戻そう。素子が坂本の声で発声

に至るまでの展開は、人形使いとの融合後、義体を狙撃され千切れた素子の頭部をカメラが捉

える。駆け寄るバトーの姿を移しつつも素子の視界はブラックアウトし、次のカットでは少女

の姿をしつつも、頭部は素子のそれと酷似した義体がロングショットからのズームで映し出さ

れ、しばらくの後に素子は覚醒する、というものである。バトーの説明と合わせて考えるなら、

少女の義体の頭部は素子の頭部を移植したものであることがわかる。目覚めた当初は坂本の声

で話している素子だが、バトーとの会話の中で前触れなく田中の声へと切り替わり、映画はエ

ンディングを迎える。

この声の切り替わりをどのように解釈すればよいだろうか。人形使いの事例と比較するなら

ば、この作品における「声」は義体の中に宿るゴーストの表象である。少女の義体の姿となっ

た素子は、頭部を除いて素子としての身体的・図像的な同一性を欠いている。くわえて、その

CVも身体イメージと密接に結合した田中による声ではなく、誰ともしれぬ少女の声である。

これは人形使いと融合を果たした素子の存在が、大人の女性の頭部と少女の身体という図像的

なパッチワークに象徴されるように不安定なものであることを示唆する。坂本の声は、素子と

しての自己同一性が融合によって変容を遂げつつある兆しとして解釈できるだろう。バトーと

の会話の中で、自身が被った身体の損失と、自己同一性の混交という状態を認識した素子は、

改めて田中の声で語り始めることによって新たなアイデンティティを自認し、「此処には、人

形使いと呼ばれたプログラムも少佐と呼ばれた女もいないわ」20 と、新たな存在となったこと

をバトーに表明する。このように、田中から坂本へ、坂本から田中への声の往還は、作品を通

じて示される容易に変容してしまう不安定な自己同一性を、新たな「アイデンティティ」とし

て認めるプロセスをなぞったものである。素子の自己同一性への懐疑とその変容を受け入れる

までの過程は、前節における人形使いのゴーストの発露と、素子の声の変遷という 2つの表現

に集約されているといっても過言ではない。

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― 33 ―京都精華大学紀要 第四十八号

最後にもう一点に触れて『攻殻機動隊』シリーズの考察を終えることとする。続編である『イ

ノセンス』では、物語の主役はバトーへと変更され、素子の登場シークエンスはごく限られた

ものとなっているばかりか、『攻殻機動隊』で描かれたマッシブなサイボーグとしての素子の

肉体は描かれない。この場合、素子のアイデンティティは担保されているのだろうか。素子の

登場シークエンスを中心に、素子のボイス・アイデンティティとキャラクター表現を再確認し

ていこう。

『イノセンス』において素子は、人形使いとの融合を果たした前作『攻殻機動隊』の後、物

理的な身体を捨てネット上に存在する情報生命と形容すべき存在となったようである。そのた

め、バトーの前に現れる素子は毎回違った姿を取る。最初の登場は、帰宅途中のバトーが愛犬

の餌を購入しようとコンビニを訪れるシークエンスではないかと思われる。バトーは何者かに

電脳をハッキングされており、小柄な老婆のような女性 21 が発したかのようなタイミングで、

バトーは「キルゾーンに踏み込んでいるわよ」22 という声を聞く。このセリフは田中が演じて

いるが、スタッフロールに役名表示はないため、この老婆が素子の変わり身かどうかは判断の

別れるところであろう。ここでは、特に断りのない限り、一人の声優が演じる複数のキャラク

ターは実際には同一のキャラクターであるという音声表現の慣例に則り、素子の登場シークエ

ンスと位置づける。しかし、この映画において田中の声はここで初めて発せられること、バトー

に声をかけたと目される老婆は、外見上は素子との同一性が損なわれていることなどの理由か

ら、この映画を初めて見る観客が素子の存在を連想することは難しいかもしれない。2度目は

バトーの追う事件に関与していると思われるハッカー、キムの屋敷を訪れたシークエンスであ

る。キムの屋敷のエントランスで犬とともに座り込み、「aemaeth」と書かれたカードを並べ

ているのは、前作のラストで登場した少女の義体姿の素子である。ともに捜査に訪れたバトー

の同僚トグサは素子の姿に何の反応も示さないことから、おそらくこの犬と素子の姿はバトー

にのみ知覚できるものとして描かれている。ここで観客はバトーとともに初めて素子の姿を視

認し、素子がバトーに対して待ち受ける脅威への何らかのメッセージを送っていることが明ら

かになる。このシ―クエンスでは少女の姿の素子は声を発しないものの、コンビニで田中の演

じた老婆らしき人物の声が、少女の姿の素子の出現により亡霊のように想起されることで、そ

の正体が素子であったという可能性に辿り着く。こうした読解は、素子というキャラクターと、

それを演じる田中の声がシリーズにおける前提として密接に関係しているからこそ可能とな

る。ただし素子の助力を得てキムを追い詰めるバトーが素子を「守護天使」と呼ぶことについ

ては、それが老婆の姿を借りた素子までを含めた言葉なのかは判断することができない。最後

の登場シ―クエンスは、女性型アンドロイドの製造工場である巨大船に乗り込んだバトーを、

戦闘用に改造されたそれらの大群が襲撃するシーンである。その中の一体にダウンロードさ

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れた素子は、ここでようやくバトーに「少佐」と呼ばれることで再認識可能性を確かなもの

とする。

ここまでの素子の登場シーンは、1度目が田中によって演じられた音声のみ、2度目は容姿

のみでの登場であり、最後の登場に至り、どことなく少女の素子の面影を思わせる表情のアン

ドロイドの身体と、田中の声を伴った素子が登場する。特定の身体イメージに再認識可能性を

依拠しない存在となった素子がキャラクターとしての再認識可能性を表明するためには、素子

の身体イメージと密接に結びついた音声イメージ=素子を演じた声優の声、または、特定のイ

メージに存在を制約されていた当時の素子の身体イメージ=キャラクター図像のいずれかが必

要となる。1度目の登場は鮮明ではないが、田中によって演じられていることによって条件は

満たしており、2度目の登場は前作における身体イメージのヴァリエーションが再現されたも

のである。最後の登場については、表情や髪型こそ似せられているが、裸体の球体関節人形と

いう全体的な容姿は素子の身体イメージとは隔たりがあり、そこに田中の声が加わることで、

素子としての再認識可能性を確かなものにしている。『イノセンス』は『攻殻機動隊』の続編

作品であり、独立した鑑賞によって内容を理解することは困難である。すなわち、設定や物語

のみならず、キャラクターのイメージも『攻殻機動隊』で構築されたものに大きく依存してい

る。バトーの前に現れた少女の姿の素子などはその典型であろう。そうした続編作品であり、

かつ素子というキャラクターの特殊性(特定の身体イメージから解放されたキャラクターであ

ること)もあいまって、これまで考察してきたようなシークエンスの演出におけるボイス・ア

イデンティティの重要性は、ともすれば『攻殻機動隊』以上の位置付けとなるかもしれない。

田中が素子を演じることなしには、バトーと素子の再会は描けないのである。

3. 抑圧されるボイス・アイデンティティ

3-1.「シビュラシステム」というキャラクター:『PSYCHO-PASS サイコパス』概説

ここまでは、『攻殻機動隊』と草薙素子という作品、キャラクターにおけるボイス・アイデ

ンティティの分析から、身体イメージ=キャラクター図像とは別種の「アイデンティティ」構

築の可能性を提起してきた。そうした論旨を補強する形で、2章においてはアニメ『PSYCHO-

PASS サイコパス』シリーズ(第 1期:2012-13、新編集版:2014、第 2期:2014、劇場版:

2015、以下、『PSYCHO-PASS』と表記)23 の重要設定であるシビュラシステムの音声表現に

ついての考察を行い、結論へと繋げたい。

まずは簡潔に設定をまとめておこう。作品の舞台は西暦 2112 年、近未来の日本である。不

安定な国際情勢の中、農業革命とメタンハイドレートの安定供給を背景に日本は鎖国を行い、

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世界で唯一平和を実現した国家として描かれている。その平和を制度的に維持しているとされ

るのが、失業者の雇用促進を目的とした職業適性検査を発展させた犯罪抑止システムである「シ

ビュラシステム(以下、シビュラ)」である。作中では都市部のいたるところに監視カメラと

スキャナーが設置され、人々の精神状態を数値化したデータ「サイコパス」がシビュラによっ

て常時モニターされている。「サイコパス」のパラメータの一つである「犯罪係数」は、対象

が犯罪を起こす可能性を持った潜在犯かどうかを判断するための数値である。厚労省公安局に

勤務する監視官の常守茜(つねもり・あかね)は、犯罪係数が閾値を超えてしまった元潜在犯

である執行官を監督しつつ、高い犯罪係数が観測された人間を未然に取り締まっていく中で

数々の事件に巻き込まれてゆくというのが、作品の根幹の設定である。

シビュラは、ジョージ・オーウェルの『1984 年』や、オルダス・ハクスリーの『すばらし

き新世界』が描いているような管理社会を体現する存在である。その正体は、悪事を働いたり

目論んだりしていても犯罪係数が上昇することのない「免罪体質者」と呼ばれる特殊な人間の

脳を摘出し、複数の脳をユニット化し接続することで高度な演算能力を可能とした生体コン

ピュータである。シビュラに組み込まれた個々の脳はそれぞれ独立して活動することも可能で

あり、詳細は次節での分析に譲る。しかし、第 1シリーズの終盤で、シビュラの正体を知った

茜と対話を試みるシビュラの発する音声は、一人の声優の声によるものである。また、シビュ

ラの声を担当している声優の日高のり子は、公安局員が潜在犯鎮圧に用いる大型拳銃「ドミネー

ター」のナビゲート音声も担当している。複数人の脳と意識の集合体という複数性と、個々の

構成員の素性が明かされるわけではない匿名性を備えたシビュラは、システムとしての統一さ

れた意志を表明し茜と対話を行うが、ここでは、さながら一個の人格を備えたキャラクターの

ように振舞っている。次節ではそうしたシビュラの外部端末としてのドミネーターと、茜の上

司である公安局長・禾生壌宗(かせい・じょうしゅう)の比較分析を行うことで、シビュラの

キャラクターとしての「アイデンティティ」を追究する。

3-2. 禾生壌宗とドミネーター:『PSYCHO-PASS サイコパス』分析

禾生は見た目では判断できないほど精巧に作られた義体であり、その脳の部分にシビュラ構

成員の脳を個別に搭載することで、彼らに一人の人間として活動するという機会を与えるため

に用意された人物である。よって厳密には禾生壌宗というキャラクターは存在せず、作中では、

第一期では藤間幸三郎が、第二期では東金美沙子が、それぞれ脳を移植し禾生を演じていた。

形式的にみれば、記憶や人格といった自己同一性の根拠となる要素を容易に交換可能な身体と

いう意味で、人形使いによって電脳をハッキングされた人々と同様の例に思われる。しかし、

禾生が人形使いと異なるのは、藤間と東金はシビュラに組み込まれる以前の姿が回想の形で登

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場 24 しており、それぞれ独自のCVをあてられているにもかかわらず、禾生のCVはそうした

キャラクターの再認識可能性を認めないかのように、禾生を演じているキャラクターのボイス・

アイデンティティに依らず同一のものとなるという点だ。そして、禾生のCVが『攻殻機動隊

2.0』で人形使いを演じた榊原良子によって演じられているのは対照的といえる。設定的に、

禾生はシビュラシステムの外部端末といえるが、同様に外部端末であるドミネーターの音声を

務め、シビュラ本体のCVも担当する日高のり子が演じているわけではないという点において、

独立した存在として扱われている。今節ではシビュラのボイス・アイデンティティの表れとし

ての禾生とドミネーターの音声表現を分析することで、これまでの分析では取り扱わなかった、

ボイス・アイデンティティと身体表現の対立について考察する。

前述したように、禾生の「アイデンティティ」は個別のシビュラ構成員によって体現されて

いるが、それぞれの構成員の再認識可能性は、身体=図像イメージおよびCVという側面に反

映されることはない。一応の理屈付けとして、シビュラ構成員たちは、公安局長の禾生壌宗と

いう中年女性キャラクターを演じることを余儀なくされている以上、禾生の自己同一性らしき

ものを引き受け再現に努めており、結果としてそれぞれの再認識可能性が抑圧されているとい

う解釈は可能であろう。しかし、藤間の場合はかつての支援者であった槙島聖護(まきしま・しょ

うご)に、東金の場合は息子の東金朔夜に、自身の正体を明かしていることから、その時点で

は禾生という人間の再認識可能性の抑圧からは解放されて然るべきである。だが作中では依然

として禾生のCVは榊原が演じるままである。ここから見えてくるのは、自己同一性と再認識

可能性というアイデンティティの 2つの側面が、禾生というキャラクターにおいて対立し、そ

の対立が音声表現において顕在化しているという構図である。

このように、特定のキャラクターの身体イメージと密接に結びついているボイス・アイデン

ティティ(通常演じられている声優の声)と、何らかの事情でそのキャラクターの身体に別個

のキャラクターに由来する「アイデンティティ」が備わる際 25、両者の「アイデンティティ」

が衝突し、その結果として表現されるボイス・アイデンティティがどちらのものになるのかと

いう表現形式のジレンマは、アニメ表現がしばしば陥る選択的な問題である。多くの場合、実

際の表現は個別の作品のテーマ、演出、キャラクター造形などの複合的な要素によって決定さ

れる。その選択がどのようなロジックによってなされたかを考察することは、作品において、

本論で提示したアイデンティティの区分のうちどちらが重視されているかについて検証するこ

とである。さらに言い換えれば、人形使いの例に代表される、音声イメージによる再認識可能

性によってキャラクターの自己同一性を担保する「ボイス・アイデンティティの卓越」か、禾

生の例における、あくまで身体イメージと音声イメージの結び付きによって表現される自己同

一性を基盤とし、作劇や演出、演技によって再認識可能性の欠如を補う「ボイス・アイデンティ

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ティの抑圧」のうち、どちらの方法が作品の形式を規定しているかということでもある。この

形式の区分は、作品全体の構造を考察するための新たな方法論となりうるだろう。

この区分を踏まえた上で、『PSYCHO-PASS』の分析に戻ろう。禾生の音声表現については「ボ

イス・アイデンティティの抑圧」の表れに他ならない。脳だけの存在となった個別のシビュラ

構成員は、人間として備えていた声を再現するための肉体を持たないため、自己同一性の表象

としての声は、シビュラに組み込まれた時点で剥奪されている。しかし、そのような物理的な

解釈だけではなく、キャラクターの「アイデンティティ」の側面からの解釈を行うなら、個別

の自己同一性の集合があたかも一人のキャラクターのように意思決定を行う、シビュラという

キャラクターが備える「アイデンティティ」を表象するのが、日高の声でありドミネーターで

ある。

ドミネーターは対象の人間の犯罪係数の計測と、それに基づく刑罰の執行を行うための武器

である。しかし、刑罰の種類をドミネーターの使用者である公安局員が決定することはできず、

計測された犯罪係数に応じた執行が行われるのみである。つまり、使用者は狙いを定めて引き

金を引くこと以外に取れる選択肢はほとんど存在しないのだが、そのような単純な構造の機械

にナビゲート音声が付属しているという点が、物語後半において意味を持つこととなる。終盤

となる第1期第 19話「透明な影」において、茜の前に現れたドミネーターの運搬機材が独りで

に起動し、ドミネーターは「常守朱監視官、今から、あなたに全ての真実を告げましょう」 26

と音声を発する。それまでドミネーターは、使用手順の定型句を執行のプロセスに応じて音声

化する、文字通りのナビゲート音声のみを備えた機械として描かれてきた。しかし、そうした

定型句から逸脱した内容の台詞を発したこと、そしてその音声がシビュラの備える音声と同一

であることが、続く第 20話「正義の在処」で描かれることで、単なるナビゲート音声だと思

われていたドミネーターの声が、実はシビュラの声、そして声に表象されるキャラクターの発

露であったことが判明する。作品世界の秩序を司るシビュラ―その名前は古代ギリシャにおい

てアポロンの神託を受け取る巫女の名と同一である―による神託を告げる巫女として、ドミ

ネーターは機能している。しかし、この構図には議論の余地がある。シビュラが巫女の名であ

ることから混乱をきたしやすいが、シビュラシステム自体は作品世界における神として機能す

る存在である。ならば、シビュラの備える声とはその神の声ではなく、神託を告げる巫女とし

てのドミネーターの声を借りたものではないか。シビュラの集合的な自己同一性は、それを構

成する個を並列化し匿名化することで成立している。それは個々の自己同一性のいずれも卓越

させないことを意味し、無機質な定型句を発する機械音声と同質のものであることで、誰のも

のでもないが、あたかも一人のキャラクターが備えているかのような自己同一性を表象してい

るのである。

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一方、個々の人格・意識は損なわれていないものの、シビュラ構成員にとって主体を発露す

るという行為は困難を伴う。シビュラに組み込まれることと引き換えに肉体は消滅し、禾生の

身体を代替とする場合にも、禾生という別のキャラクターとして振る舞わねばならないという

制約が個々の主体に生じることとなる。このような制約に抑圧されたボイス・アイデンティティ

は結果として、複数のアイデンティティを交換しつつもその中の誰のものでもない、シビュラ

の統一的かつ匿名的なアイデンティティとも違う第三のボイス・アイデンティティを生み出し

た。その音声としての表れが、禾生という生得的な「アイデンティティ」を備えないキャラク

ターの持つ匿名の声であり、生命としての存在の不確かさゆえに、キャラクターの再認識可能

性を上書きするほど強固なボイス・アイデンティティを獲得した人形使いとは、鏡像的な関係

にあるといえるだろう。

このように、キャラクターとしてのシビュラは二種類の声の形を視聴者に提示する。ひとつ

は、複数の自己同一性を統合し、結果としてはその中の誰でもない一人のキャラクターである

かのように振る舞うシビュラ(ドミネーター)の、複数の匿名性を引き受けた声である。そし

てそれは、複数かつ匿名であるがゆえに無機質で感情を伴わない声でもある。もうひとつが、

個別の再認識可能性を引き受けつつも、そのいずれも発露することのない禾生壌宗の声である。

禾生は個としてのシビュラ構成員を引き受けるキャラクターであり、「誰でもない」シビュラ

の匿名性とは異なり、「誰かである」という種類の匿名性を要請されている。それゆえに禾生

はシビュラ(ドミネーター)とは異なるCVを持ち、統一的なシビュラに対して徹底的に個で

あろうとする様が描かれる 27。このような、全体と個という区別が明確に存在する一方で、い

ずれの場合もキャラクターのボイス・アイデンティティは抑圧され後景に退いている。擬人化

されたシステムという設定を表現する上で、高度に人間的な振る舞いを会得しつつも、どこか

人間性から逸脱した部分を備えているというキャラクター造形は、アニメにおける典型的な設

定である 28。シビュラあるいは禾生におけるそれらの後景化と逸脱は、従来的なキャラクター

と声優の声の関係への異議申立てのように映る。アニメキャラクターの典型的な設定を下敷き

にしつつも、そこで表現されるアイデンティティ観は、特定のキャラクターの持つ「アイデン

ティティ」と、それが想起させるポテンシャルに依拠せず、ナビゲート音声や匿名性の強いキャ

ラクターといった、従来のキャラクター論において見逃されてきた要素を取り上げている。そ

して、そうしたキャラクターの性別や音声が、ともに女性として設定され(古代の巫女として

のシビュラは女性が担っていた)、女性声優によって演じられているという点も、前章の分析

と同様に指摘しておく必要があるだろう。素子や人形使いのように、作中で幾度も変容する流

動的な「アイデンティティ」や、シビュラや禾生のような匿名性を表現するための声の持つキャ

ラクターという単位から逃れてゆくような性質が、顕著に女性によって表現されているのは示

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唆的である。また、今回は 3作品(『攻殻機動隊』『イノセンス』『PSYCHO-PASS』シリーズ)

の分析に留まったが、こうした女性キャラクターの音声表現が構築されるに至った表現史的な

観点からの比較分析も重要な課題である。本稿では紙面の限界もあり、それについては指摘に

留め今後の議論を待ちたい。

結論に代えて

『攻殻機動隊』と『PSYCHO-PASS』という 2つのシリーズ作品を通じて、ボイス・アイデ

ンティティについての表現を分析してきた。ボイス・アイデンティティの卓越と変容、そして

抑圧は、キャラクターの「アイデンティティ」をどのように描くかという、作品における方法

論の端的な表れである。これらは作品ごとの表現形式に規定され、時にはその音声表現によっ

て形式が規定されることもある。そして、「アイデンティティ」のあり様は、ときに物語内容

や結末にさえ変革をもたらしうる。いずれの場合にせよ、作品を通じてこの選択が一貫性を持

たない限り、キャラクターの自己同一性や再認識可能性は混乱し危機を迎えることになるだろ

う。それは、声優自身の死去や、病気・怪我といった身体的なパフォーマンスへの負荷といっ

た格別の事情がない限り、現代のアニメにおいてキャラクターを演じる声優の交代が行われる

ことが非常に稀な現象であることが物語っている。

本論の分析は作品ごとの方法論に依る部分も多く、この分析結果をアニメ表現全般に拡大し

適応する、また具体例を通じて「アイデンティティ」について新たな知見を提起するには、解

消すべき課題も多く残されている。たとえば、ボイス・アイデンティティについて考えるとき、

特定のキャラクターと声優の声という 1:1の関係性に対して、ノイズのように介入しアイデ

ンティティを混交させてしまう、その声優の演じた他のキャラクターの音声イメージについて

どのように考えるべきかという問題などである。そうした経験は、多くの作品やキャラクター

に触れてきたアニメ・ファンであれば誰しも共有できるものである一方、そうではない視聴者

にとっては感覚的に理解しづらいかもしれない。そのような、個々人の視聴経験に由来し、一

般化を妨げる主観的な感性論の領域に、アニメの音声表現を取り巻く問題の核心が存在するこ

とが、これまで「声優」や「CV」についての研究が進められてこなかった要因ではないかと

筆者は考えている。それらを踏まえた今後の課題として、アニメキャラクターの「アイデンティ

ティ」表現の変遷という歴史的な視点や、「近代的自我」の系譜としての「アイデンティティ」

論に対して、アニメ理論が新たな視野を提供しうるかという思想的な課題についても考慮に入

れる必要がある。また、声優の声自体が持つ「声質」や、キャラクターイメージを内包し、口

調や響きを変えることでそれを自在に引き出す再現性といった要素をどのように記述するかと

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― 40 ― アニメキャラクターにおけるボイス・アイデンティティとその表現―『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』『PSYCHO-PASS サイコパス』を中心に

いう問題についても取り組んでいきたいと考えている。

1 今井(2007)、p.34。

2 今井(2007)、pp.38-39。

3 今井(2007)、pp 44-47。

4 斎藤(2014)、p.278。

5 本論では「アイデンティティ」という概念を、従来的な意味での「自己同一性」と、特定のキャ

ラクターについての表現を同一のものとして認識するための「再認識可能性」という形で区分し、

両者を備えたものについて「アイデンティティ」と表記することとする。

6 本論では、先述した『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』を中心に、その直接的な続編である『イ

ノセンス』と、リメイク版である『攻殻機動隊 2.0』を分析の対象とする。テレビアニメシリーズ

である『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』や、劇場アニメを中心に展開するシリーズで

ある『攻殻機動隊 ARISE』等、押井守監督作でない派生作品については、シリーズ作品という観

点からの比較は一部行っているが、分析の対象とはしない。また、これらのアニメシリーズの原

作である士郎正宗のマンガ版については、アニメとマンガというメディアの違いや、該当エピソー

ドはアニメ版では大きく設定や物語の変更が行われている点などから、一部の設定を参照するに

留めた。

7 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995):0分。

8 Character’sVoice の略、直訳すればキャラクターの声という意味であり、そのキャラクターを担

当する声優を記載する際にセットで用いられる俗語である。Ex: アンパンマン (CV: 戸田恵子 )等。

俗語ではあるが、アニメ業界およびアニメ・ファンには膾炙した表現であり、「キャラクターの声

を担当する声優」という冗長な表現をコンパクトにまとめられることから、以降本論でもCVの

記述を採用することとする。

9 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995):31分。

10 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995):40分~ 41分。

11 大澤(2004)、p.183。

12 大塚(2015)、p.83。

13 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995):49分。

14 ファミ通 .com『GHOST IN THE SHELL/ 攻殻機動隊 2.0』初日舞台挨拶リポート http://www.

famitsu.com/anime/news/1216627_1558.html(2015 年 1月 12日最終確認)

15 同上。

Page 20: アニメキャラクターにおける ボイス・アイデンティティとその表現 · 情報化されていない近未来――」7という時代背景の、西暦2029年の日本が作品の舞台である。

― 41 ―京都精華大学紀要 第四十八号

16 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995):49分。

17 同上。

18 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995):72分。

19 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995):70分。

20 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995):76分。

21 なお、後ろ姿のみが描かれるため正確な人相は不明である。

22 『イノセンス』(2004):40分。

23 本論では主に第 1期と第 2期を中心とした分析を行い、劇場版については分析対象と物語展開の

乖離から対象外とする。

24 藤間については、アニメ本編では自身の声について言及はなく、ドラマCD版で声を当てられて

いる。

25 アニメのエピソードの典型的なパターンとしての「人格の入れ替わり」に由来するハプニング等

が具体例としてあげられる。

26 『PSYCHO-PASS サイコパス』(2012-2013)第 19話「透明な影」:21分。

27 藤間は槙島をシビュラ構成員へと勧誘し、東金は息子の朔夜とともに、自身の過去の陰謀に肉薄

した監視官の霜月に独断でシビュラの正体を告げるなどの行動を起こしている。

28 近年の作品では『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門有希、『翠星のガルガンティア』に登場するAIを搭

載したロボット・チェインバー等がそれに当たる。

文献一覧

伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』NTT出版、2005 年。

今井隆介「声と主体性:アニメーションにおける声の機能」『ポピュラーカルチャー研究』Vol.1 No.4、

京都精華大学全学研究センター、2007 年、pp. 34-49。

E・M・フォースター『小説の諸相』新潮社、1958 年。

大塚明夫『声優魂』星海社、2015 年。

大澤真幸「Ghost in the Patlabor」『ユリイカ 2004 年 4月号 特集=押井守 映像のイノセンス』青土社、

2004 年、pp.178-185。

小田切博『キャラクターとは何か』筑摩書房、2010 年。

斎藤環『キャラクター精神分析』筑摩書房、2014 年。

ファミ通 .com『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 2.0』初日舞台挨拶リポート http://www.famitsu.

com/anime/news/1216627_1558.html(2015 年 1月 12日最終確認)

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― 42 ― アニメキャラクターにおけるボイス・アイデンティティとその表現―『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』『PSYCHO-PASS サイコパス』を中心に

作品一覧

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995):劇場アニメ、押井守監督、Production I.G 制作。

『イノセンス』(2004):劇場アニメ、押井守監督、Production I.G 制作。

『攻殻機動隊 2.0』(2008):劇場アニメ、押井守監督、Production I.G 制作。

『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002-2003):テレビアニメシリーズ、全 26話、神山健治

監督、Production I.G 制作。

『攻殻機動隊ARISE』(2013-2014):劇場アニメシリーズ、全 4作、黄瀬和哉総監督、Production I.G

制作。

『PSYCHO-PASS サイコパス』(2012-2013):テレビアニメシリーズ、全 22 話、本広克行総監督、

Production I.G 制作。

『PSYCHO-PASS サイコパス 2』(2014):テレビアニメシリーズ、全 11話、塩谷直義監督、タツノコ

プロ制作。

(2015 年 4月 17日受稿/ 2016 年 1月 24日受理)