リチャード三世像の変遷 -...

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(2) クラレンスに対する リチャード に、 クラレンスに対する 為があ る。クラレンス ジョージ 、シェイクスピア グロスター チャード して げる。ここ シェイクスピア いた から各 にた って、そ ってみる。 クラレンス ジョージ 、1449 に、ヨーク リチャード エストモーラン ラルフ・ネヴィル シシリー まれた。 ヨーク がヘンリー に対 して げ、1455 、セント・オールバンズ する ここに にいう まった。ヨーク 1460 エイクフィールド したが、 エド ワード キング・メイカー ォー リック リチャード・ネヴィル て、 位に き、エド ワード てヨーク いた。クラレンス ジョージ ォーリック イザベル し、 ォーリック する いた。 ォーリック にまつわる いから、 第にエド ワード から ざかり、つい に1470 いて ォーリック につき、ヘンリー 位に一 った。しかし、 されていたエドワード される ォーリック り、 してヨーク った。1471 、バーネット ォーリック する 、ヨーク 位が安 した。ヨーク -  33 - リチャード三世像の変遷 ― 文学と歴史の狭間で ― 【Ⅱ】

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Page 1: リチャード三世像の変遷 - 駒澤大学repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17506/spffl060...石 原 孝 哉 (2)兄クラレンスに対する裏切り Ⅰ リチャード三世の数々の悪業の中に、兄クラレンスに対する裏切り行為があ

 

 

 

 

石 原 孝 哉

(2)兄クラレンスに対する裏切りⅠ

 リチャード三世の数々の悪業の中に、兄クラレンスに対する裏切り行為があ

る。クラレンス公ジョージは、シェイクスピアの劇では、弟のグロスター公リ

チャードの陰謀の犠牲者として劇的な死を遂げる。ここではシェイクスピアの

描いた文学上の悲劇の主人公から各種の資料を逆にたどって、その歴史的な実

像に迫ってみる。

 クラレンス公ジョージは、1449年に、ヨーク公リチャードとウエストモーラン

ド伯ラルフ・ネヴィルの娘シシリーとの間に生まれた。父ヨーク公がヘンリー

六世に対抗して兵を挙げ、1455年、セント・オールバンズで両軍が激突すると、

ここに世にいうばら戦争が始まった。ヨーク公は1460年のウエイクフィールド

の戦いで死亡したが、長兄エドワードはキング・メイカーと異名をとるウォー

リック伯リチャード・ネヴィルの助力を得て、王位に就き、エドワード四世とし

てヨーク王家を開いた。クラレンス公ジョージはウォーリック伯の娘イザベル

と結婚し、広大なウォーリック伯領を相続する道を開いた。義父のウォーリック

伯が国王の結婚にまつわる諍いから、次第にエドワード四世から遠ざかり、つい

に1470年に反旗を翻すと、兄に背いてウォーリック側につき、ヘンリー六世の復

位に一役買った。しかし、幽閉されていたエドワード四世が釈放されると、

ウォーリック伯を見限り、兄と和解してヨーク側に戻った。1471年、バーネット

の戦いでウォーリック伯が戦死すると、ヨーク家の王位が安定した。ヨーク家の

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リチャード三世像の変遷― 文学と歴史の狭間で ―

【Ⅱ】

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勝利を決定付けたテュークスベリーの戦いでは、窮地に陥ったエドワード王の

命を救い、ヘンリー六世の妻でフランスの雌狼と恐れられたマーガレットを捕

虜にし、その息子で皇太子のエドワードを戦死させるという手柄を立てた。しか

し、エドワード四世の晩年には、国王の信頼を失って、1478年に反逆罪で処刑さ

れた。ロンドン塔に収監されているときに、刺客にぶどう酒の樽に投げ込まれて

悲惨な最期を遂げたといわれている。

 

Ⅱ 

 最初に、テューダー王朝成立以降の文学作品や年代記におけるクラレンス事

件に関する記述を追ってみたい。

 ロンドン塔内での衝撃的な死という後世の固定観念形成に、決定的な影響を

与えたと思われるシェイクスピアの作品ではどのように描かれているのであろ

うか。

 『ヘンリー六世・第3部』において、すでにリチャードがクラレンス殺しを予

言している。ほほえみながら人を殺すことができるとうそぶくリチャード

は、ヘンリー六世を殺害した後に、次兄クラレンスを抹殺すると次のように語る。

 

  

  

  

  

   (1)

 

 ここで、「エドワード王の命が狙われる恐れがある」という予言を広く言いふ

らしておいて、その恐れを取り除くという名目でクラレンスを失脚させるとい

う密かな企みが明かされる。この時点では、クラレンスに対する憎しみは、「お

前のために日の目を見られぬこのおれがいずれお前のために暗黒を用意する

石 原 孝 哉

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Page 3: リチャード三世像の変遷 - 駒澤大学repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17506/spffl060...石 原 孝 哉 (2)兄クラレンスに対する裏切り Ⅰ リチャード三世の数々の悪業の中に、兄クラレンスに対する裏切り行為があ

ぞ」と、日の当たる道を行く兄クラレンスに対する日陰者の、単なる嫉妬として

描かれている。王位簒奪や王位継承にクラレンスが邪魔になるといった「リ

チャード三世」における最大の主題には、まったく言及がない。史実のヘンリー

六世の死は1471年であるから、リチャードは兄の失脚の陰謀を7年間も暖めて

いたことになる。だが、芝居の世界の話を歴史に直結させてもあまり意味はない

であろう。ここでは、シェイクスピアにおいては、リチャードが早い時期からク

ラレンスの抹殺を画策していたことが分かれば十分である。

 『リチャード三世』は歴史的には『ヘンリー六世』三部作に続く作品である。

二つの劇にともに登場する登場人物は、原則として性格や筋書きに大きな矛盾

が見られることはない。

 『リチャード三世』の一幕一場は、クラレンスがロンドン塔に引かれてゆく場

面を背景にしているので、1478年ということになる。そこではリチャードがかね

てからの計画を着々と実行に移してきたことが示されている。

 

  

  

  

  

  

  

  

  

   (2)

 その筋書とは、「予言、中傷、夢占いなどによって、二人の兄、エドワード王

とクラレンス公ジョージをとことん憎みあうように仕向け」、次に王にたいして

「Gを頭文字にする男が王位継承者を殺すだろう」という予言を、ジョージのG

であると思い込ませるという手の混んだものである。

リチャード三世像の変遷

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 先に引用した『ヘンリー六世・第3部』では、「エドワードの命が狙われる恐

れがある」となっているが、ここで少し変更されて、「Gを頭文字にする男が王

位継承者たちを殺すだろう」と内容もより具体的になり、狙われる人物も王自身

ではなくその後継者たちに変えられている。これが後にロンドン塔で殺害され

ることになる「塔のなかの王子たち」を指すことは明らかで、こうした事情を熟

知していた当時の観客の反応を十分計算し尽くしたシェイクスピアの心憎いば

かりの筆運びである。ここでは、「Gを頭文字にする男」という予言が、クラレ

ンス公ジョージのGを指すと国王に信じ込ませたのはリチャードであると明言

されていることに注目したい。

 リチャードの目論見どおり、クラレンスはロンドン塔に幽閉される。ロンドン

塔に護送されてゆくクラレンスが身の不幸を嘆くと、リチャードは心底から兄

に同情したように見せかけ、国王に取りなしをすると約束する。しかし、兄の姿

が見えなくなると、たちまち本性を現わす。

  

  

   (3)

 

 この場面は、「ばか正直なクラレンス!おれはあんたが大好きだよ、だからあ

んたの魂をすぐ天国に送りとどけてやるぞ」、というブラック・ユーモアで有名

な見せ場のひとつで、リチャードの面従腹背ぶりが遺憾なく示されている。

 首尾良くクラレンスをロンドン塔に送ったリチャードは、「クラレンスへの王

の憎しみを、強力な論拠で鍛え上げた嘘の刃であおり立て」(4)、思惑通り死刑宣

告を引き出すことに成功する。そして、気弱なエドワード四世の気が変わらない

うちにリチャードは、すぐに暗殺者を送る。哀れなクラレンスは、リチャードの

善意を信じたまま、剣で刺された後、死体を葡萄酒の樽に放り込まれる。

 一方、死の床にあるエドワード王は、思い直してクラレンスの死刑を取り消す

命令を出すが、時すでに遅くクラレンスは帰らぬ人となっていた。エドワードは

石 原 孝 哉

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激しく後悔する。

  

  

  

  

  

  

  

   ‘ ’(5)

 エドワード王が、クラレンスを処刑したあとで自責の念に駆られるというエ

ピソードは、比較的後世になって生まれたものといわれている。シェイクスピア

ではこのエピソードが実に効果的に使われている。エドワード王は、いったんは

処刑命令を出したものの、すぐにそれを取り消す。ところが、この時を待ってい

たリチャードが、時を移さず刺客を送って殺害したために、取り消しの礼状は無

駄になるという「すれ違い」の技法で、クラレンスの悲劇が増幅される仕掛けに

なっている。シェイクスピアの描くリチャードは、徹底した悪事を、水も漏らさ

ぬ周到さで小気味よいくらい手際よくやり遂げていく。エドワード王の後悔の

せりふから、われわれは王が、クラレンスが舅のウォーリック伯を見捨てて帰参

したことを喜び、また、テュークスベリーの戦いでオクスフォード伯に倒される

寸前だった王の命をクラレンスが救ったことを深く感謝していることなどを知

る。しかし、この事件で落胆したエドワードは失意のうちに息を引き取る。

 このようにシェイクスピアでは、Gの予言を国王にジョージと信じ込ませ、ク

ラレンスをロンドン塔に送らせ、国王に死刑の命令書を出させ、間髪を入れず処

刑人をロンドン塔に向かわせるなど、その没落と悲劇の最後のすべてがリ

チャードによる周到な計画として描かれている。リチャードの悪逆ぶりと狡猾

さがことさら誇張され、一方、クラレンスはリチャードの姦計にはまった悲劇の

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犠牲者として描かれている。

 

 つぎに、シェイクスピアが『リチャード三世』を執筆する際に直接の原本とし

て使ったとされるホリンシェッドの『イングランド、スコットランド、アイルラ

ンド年代記』(1577)はクラレンスの死をどのように扱っているのであろうか。

    

(6)

 ここでの予言の言葉は、「エドワード王の後には頭文字がGであるような人物

が君臨するであろう」と、シェイクスピアの二つの作品とは微妙に食い違ってい

る。王と王妃はこの馬鹿げた予言に振り回されて、心を悩まし、公爵に対して激

しい悪意を抱くようになった。そして、「それは彼に死をもたらすまで静まるこ

とはなかった」とクラレンスを死に追いやったのがエドワード王と王妃である

ことが明言されている。

 さらに、ホリンシェッドは予言について次のように記述している。

 

    

(7)

 「悪魔は、このように悪魔的な妄想を喜ぶ人の心を煩わせるのが常である」

と、この事件が予言の妄想に取り付かれた王と王妃によって引き起こされたこ

とを確認したうえで、「エドワード王亡き後、グロスターが王位を簒奪したと

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き、この予言が効果を失ってはいなかった」と後になって人々が語っていたこと

を伝えている。なお、シェイクスピアでは、予言のGが、実は、クラレンス公

ジョージのGではなく、グロスターのGであったという形で生きていたという

後日談については一言も触れられていない。

 最後にホリンシェッドは、クラレンスの死の様子について次のように結んで

いる。

    

(8)

 クラレンスは、「ロンドン塔に投ぜられ」、「反逆罪と判定され」、「マルモジィ

ぶどう酒の樽に投げこまれて密かに溺死させられた」ことがわかる。シェイクス

ピアにおいては短剣で刺し殺された後に死体がマルモジィぶどう酒の樽に投げ

込まれるのに対して、ホリンシェッドでは生きたまま樽に放り込まれて溺死さ

せられるという点が微妙に異なっている。

 以上のように、ホリンシェッドでは、馬鹿な予言に翻弄されたエドワード四世

と王妃がクラレンス公を死に追いやったこと、Gの頭文字の予言がグロスター

公のGであり、予言が生きていたこと、ロンドン塔におけるマルモジーぶどう酒

の樽の中での悲劇的な最後などが淡々と記載されている。ホリンシェッドに

は、エドワード王の後悔やグロスター公リチャードの陰謀というシェイクスピ

アの有名な筋書きはまったく出てこず、シェイクスピアに言及されていないG

の予言が生きていたことが記されていることに注目したい。

 次に、後世の年代記作家に多大な影響を与えたトマス・モアの『リチャード三

世伝』(1413-8)からクラレンスの死に関する部分を見てみよう。

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(9)

 ここから要点を整理してみる。クラレンスが兄にそむいたのは「敵の嫉みにそ

そのかされた」ゆえであり、「自分の野心」ゆえであったこと; 一方、王妃と

王妃の一族は王の一族をひどく嫌っていたこと; 女性というものは夫の愛す

る者を嫌うものであること; 「王になろうという彼自身の傲慢な欲望」によっ

て「反逆罪」に問われたこと; 「咎があったにせよ、なかったにせよ」、「議会

によって公権を剥奪され、死刑の判決を受けた」こと; 判決後「すぐにマルモ

ジィぶどう酒の樽のなかで溺死させられた」こと; エドワード王が処刑の知

らせを聞いて、悲嘆にくれ、後悔した」こと; などが明らかになる。

 ここから、クラレンスが議会による正式な手続きを経て公権を剥奪された後

に死刑の宣告を受けたことや、王になろうという傲慢な野心ゆえに反逆罪に問

われたことなどが明らかになる。ちなみにシェイクスピアではこれらの事実は

まったく無視されている。さらに、シェイクスピアにおいては、リチャードが王

妃とその親戚の貴族たちにクラレンス失脚のいわれ無き罪をなすりつけたごと

く描かれているが、王の一族と、王妃およびその一族がそれ以前から鋭く対立し

ていたことも明らかになる。

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 次にリチャードとクラレンスの関係について述べたところを見てみよう。

    

(10)

 この部分は実に微妙で暗示的であるが、「ある賢い人たちは、兄クラレンスを

死にやるはからいにグロスター公リチャードの密かなた手が動いていないわけ

はないと信じている」、そしてこのこと(クラレンス殺害)に、「彼は表向きは反

対した」が、世間で考えられているところでは、その「主張は弱くて、クラレン

スの幸福を心から願っている」人とは思えないほどであった、と遠まわしながら

リチャードの陰謀を暗示している。モアは、「ある賢い人たちは~信じている」

と第三者の例を引きあいに出して、慎重に断定を避けているが、リチャードに疑

惑の目を向けていることは明らかである。

 これに続く文章を見てみよう。

 

    

(11)

 モアは、‘ ’(そのように考えている人々によると)と留保条件

を付ながら、リチャードは「エドワード王の在世中からずっと」、もし王に万一

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のことがあれば、またその子供たちがなくなるようなことがあれば、「自分が王

になるつもりでいた」と述べている。次に、だから内心「クラレンスの死を喜ん

でいた」と続け、「クラレンスが甥の幼い王に忠実であったにせよ」、「クラレン

ス自身が王になろうとたくらんだにせよ」、いずれにせよ「クラレンスの命はリ

チャードが王になるのに邪魔であったに違いない」と、リチャード犯人説の輪を

絞ってゆく。しかし、慎重なモアは、‘ ’(世間の人は思っている)とい

う言葉をはさんで、これがうわさであることを認めている。さらに次の文章で

は、念には念を入れて次のように述べる。

 

    

(12)

 「しかし、これらすべては確かでない。それに、あて推量をするのは、的を射

るのに近すぎたり、遠すぎたりするようなものである」と、いったん矛を収め、

すべてが推測であると述べている。つまり、トマス・モアはリチャ-ドが兄クラ

レンスを陥れたという「賢い人たちの」推量があることは認めつつも、すべては

「推測」にすぎないことを改めて確認しているのである。

 すでに見てきたように、シェイクスピアはクラレンスの失脚劇のすべてがリ

チャードの周到な計画によるものとして描いているのに対して、モアは「賢い人

たち」や「世間」が、この事件の陰でリチャードが糸を引いているらしいと推測

していると述べているにすぎない。

 前稿でも触れたとおり、モアがニュース・ソースとして頻繁に引用する「賢い

人たち」が、ジョン・モートンを指すことは明らかである。おそらくモアは、ヘ

ンリー七世の右腕として、テューダー神話の創造に大きな役割を担ったモート

ンから、リチャード犯人説を聞いたのであろう。なお、モアにはGの頭文字の予

言は言及されていない。

 

 さらに時代をさかのぼって、ヘンリー七世の命令で歴史書を書いたポリドー

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ル・ヴァージルの『英国史』(1513)から、クラレンスの死にまつわる部分を見

てみよう。

    

(13)

 ヴァージルは「エドワード四世は、弟のクラレンス公ジョージを突然逮捕し、

死刑にせよという命令を下すという恐ろしい事態に陥った」、「人々の話によれ

ばクラレンスは、マルモジー葡萄酒の樽の中で溺死させられたとのことだ」と

淡々と事実を記述している。

 これに続く部分で、処刑の理由について次のように述べている。

 

    

(14)

 ヴァージルは、一般の人々の間に広まっている話として、エドワード王は「名

前の頭文字がGである人物が、エドワード王の後に君臨するであろう」という

「占い師の予言を恐れた」、そして、これを「弟のジョージと思って激怒した」こ

とを紹介している。

 ヴァージルは、この事件に関するリチャードの関与については言及せず、予言

について次のように述べているだけである。

    

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(15)

 これはすでにホリンシェッドで見てきたように、「エドワード王の後にグロス

ター公リチャードが王位を簒奪したときに、この予言がまだ生きていたのだと

話した」という人々の後日談の紹介である。

 ヴァージルは、クラレンスの処刑後のエドワード王の後悔についてほかの年

代記作者の誰よりも具体的に記述している。

    

(16)

 ‘ ’と伝聞の形をとり、‘ ’と 推量の形をとりながら

も、エドワード王が「誰一人として助命の嘆願」をしなかったことを嘆き、ま

た、「なんという不幸な弟だ、この世の誰一人として命乞いをしなかったとは」

と激怒して叫んだこと、および、クラレンスは「明らかに貴族たちのねたみを

かって排斥された」ことを紹介している。すでに引用したシェイクスピアの「エ

ドワード王の後悔の場面は、ヴァージルのこの部分を参考にしたものかもしれ

ない。

 以上のように、ヴァージルでは、「エドワード四世によるクラレンス公ジョー

ジの突然の逮捕」と、それに続く「死刑命令」および、「マルモジー葡萄酒の樽

の中での溺死」という衝撃的な事件が、「名前の頭文字がGである人物が、エド

ワード王の後に君臨するであろう」という「占い師の予言」を「弟のジョージと

思って激怒した」エドワード王によって引き起こされたことが淡々とつづられ

ている。ヴァージルが最も力強く描いているのは、処刑後の後悔の場面である。

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リチャードに関しては、人々の後日談として、Gは実はグロスターのGであり予

言が生きていたという形で言及されているだけで、モアのように陰謀を連想さ

せる記述はない。

Ⅲ 

 次にヨーク王朝時代に書かれた資料にあたってみたい。なおこのなかには、

ヨーク王朝とテューダー王朝の両時代を生き、資料の発表がテューダー時代に

またがっている作家をも含めた。この時期の資料は同一人物の筆になるもので

も、ヨーク王朝からテューダー王朝への政権交代という節目を境に、政治的な事

柄に対する視点が逆転するなど、注目すべきものが多い。

 最初にジョン・ラウスの『ラウスの書』(1491)をみてみる。ラウスは、リ

チャード三世の在世中とテューダー王朝成立後で極端に態度を変えた一人であ

るが、以下の引用はテューダー王朝が成立して6年目にだされたものである。

     ―

(17)

 

 内容の大筋は今まで見てきた後期の資料と同じであるが、表現が多少違って

いる。「 Eの後、すなわちエドワード四世の後にはGが統治するという予言が

あった。この曖昧な予言のために、エドワードとリチャードの間のクラレンスは

名前がジョージであったために殺された」とクラレンスが殺されたのは予言に

よるものであることが記されている。しかし、背後の陰謀や王と王妃の不安と

いった後世の資料に見られる記述はない。これに続く「予言は、生き残ったもう

一人のG、すなわちグロスターの手によって実現された」という一文から、

リチャード三世像の変遷

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テューダー王朝の極めて初期の時代にGの予言が生きていたという話が流布し

ていたことがわかる。

 ラウスと同じく二つの時代を経験し、ルイ十一世時代の『追想録』を書いたフ

ランス人 の記録には、「エドワード王の弟、クラレンス公

はマルムジー葡萄酒の樽の中で殺された。自分自身が王になりたかったためで

あるといわれている」(18)とあり、クラレンスが王位を狙ったために処刑され、

伝聞の形ながら「マルモジィーぶどう酒の樽での中で殺された」ことが記されて

いる。

 以上はテューダー王朝成立後に書かれた文書であるが、次に、同時代の文書か

ら、ロンドンを中心にした二つの年代記の1478年の記録を拾ってみる。最初に

『ロンドン年代記』The Chronicle of London を見てみよう。

    

(19)

 これらの年代記は、主として「ロンドン市」のことを扱うものであるためそれ

ぞれの記述はごく短い。「また、2月18日、エドワード王の弟、クラレンス公

が、ロンドン塔内で罪人として死を賜った。マルヴジィーの中に沈められて」

と、つづりは違っているがマルモジィぶどう酒の中で溺死させられたという記

述が見える。なお、ぶどう酒の中で溺死させられるという記録は、これが一番古

いものであることに注目したい。

 『大ロンドン年代記』The Great Chronicle of London の同じ1478年度を見てみ

る。

    

石 原 孝 哉

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(20)

 内容的には『ロンドン年代記』とほとんど変わらないが、多少詳しい内容に

なっている。「この年、2月18日、王弟、クラレンス公ジョージは、王の更迭を

はかったとして、ある時期からロンドン塔に囚人としてとらわれていたが、既に

述べた18日に、既に述べたロンドン塔内で、密かに殺害された。評判によれば、

マルムジィぶどう酒の樽の中で溺死させられたとのことである」。これからも分

かるとおり、この時期の関心は専ら「マルムジィぶどう酒の樽の中に沈められ

た」という衝撃的な死に方にあった。身分あるものは断頭台で打ち首、庶民は絞

首のうえ四つ裂きが常識であった時代に、この処刑が極めて異例なものであっ

たことが分かる。後世のように「Gの予言」、「エドワード王の後悔」、「リチャー

ドの陰謀」といった逸話は全く出てこないことに注目したい。

 ドミニク・マンチーニの記録はリチャード三世の在世中に書かれた数少ない

ものであり、後のテューダー・プロパガンダとは一線を画している。

  

    

(21)

リチャード三世像の変遷

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 ここではクラレンス殺害の理由がかなり具体的に述べられている。「王妃は、

自分と国王との間に生まれた子供は、クラレンス公が排除されない限り王位に

つくことは出来ないという結論に至った。そして、この論理でやすやすと国王を

説得してしまった、、、」と、背景に王妃エリザベス対クラレンスの対立があり、

その中でクラレンスがいては自分の子どもが王位につくことができないと思い

つめた王妃が国王を説得した図式が見えてくる。これにつづく「程なくクラレン

ス公は、その罪が捏造されたにせよ、本当に企みが露見したにせよ、呪術や魔法

によって国王を殺害する陰謀に加担したとして告発された」という一文から

は、クラレンスが告発されたのは呪術や魔法によって国王を暗殺しようとした

ためで、人々もその話が本当なのか、捏造なのか半信半疑であったことがわか

る。「法廷でこの罪が審理されたとき、彼は有罪となり死を宣告された」という

一節からは、クラレンスの処刑が王の一時的な怒りや気まぐれで即断されたの

ではなく、(議会の承認を経て、公式の)裁判によって死刑が確定したことが分

かる。「この事件で選ばれた処刑方法は、甘いぶどう酒の樽に投げ込んで殺すこ

とであった」と、ここではマルモジィぶどう酒とは出てこないものの、樽の中で

の溺死であることが明記されている。

 「王妃が自分の生んだ子供を王位につけるために邪魔なクラレンス公殺害を

王に迫ったこと」、「クラレンス公が呪術や魔法によって国王を殺害する陰謀に

加担したとして告発されたこと」、裁判によって彼が「有罪となり死を宣告され

たこと」、および、処刑方法が「甘いぶどう酒の樽に投げ込んで殺す」ことなど

がここで初めて出てくることに注目したい。

 一方、このときのリチャードの態度についてマンチーニは次のように記録し

ている。

    

(22)

石 原 孝 哉

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Page 17: リチャード三世像の変遷 - 駒澤大学repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17506/spffl060...石 原 孝 哉 (2)兄クラレンスに対する裏切り Ⅰ リチャード三世の数々の悪業の中に、兄クラレンスに対する裏切り行為があ

 ここにはリチャードがこの事件の背後で糸を引いていたという話はまったく

出てこない。それどころか、「このとき、グロスター公リチャードは兄の悲劇に

あまりに打ちひしがれていたので、うまく本心を隠すことが出来ず、いつの日か

兄の敵を討つと言ったのを人に聞かれてしまった」と、クラレンスの死を心から

悲しんでいることがわかる。さらに、「兄の敵を討つ」という本音を人に聞かれて

しまったことが書かれている。さらに、マンチーニはこれに続く文章で、この事

件後のリチャードの行動についても言及している。

    

(23)

 「以来彼はめったに宮廷に来なくなり」、「善意と正義によって領民の忠誠を得

た」、「王妃の嫉妬を避けて、彼女とは離れて暮らした」という記述は、敵対する

王妃一派と近づくことの危険性を察知したリチャードが、ロンドンを離れて領

地に引きこもったことを示している。前項で触れたように、この時点でリチャー

ドは、キング・メイカー、リチャード・ネヴィルの所領の多くとネヴィルの私党

を引き継いでいたために、領地にとどまって人心を掌握し、領地経営に専念する

必要があった。マンチーニの記述は、このような記録とも一致し、信頼性の高い

ものといえる。さらに彼は、リチャードが不在中の宮廷の様子にも触れている。

    

リチャード三世像の変遷

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Page 18: リチャード三世像の変遷 - 駒澤大学repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17506/spffl060...石 原 孝 哉 (2)兄クラレンスに対する裏切り Ⅰ リチャード三世の数々の悪業の中に、兄クラレンスに対する裏切り行為があ

(24)

 エドワード四世は治世の始め頃に、騎士や郷紳から多くの貴族を育て、彼らを

支持勢力として政治を行った。しかし、ウオーリック伯が彼らと敵対して第二次

内乱を起こしたために、この時期には王族との縁組によって地方を掌握しよう

としていた。その有力なコマとして使われたのが王妃エリザベスのウッドヴィ

ル一族であった。「クラレンス公の処刑後、リチャードが自分の領地に引きこ

もっている間に、王妃は多くの身内を貴族に取り立てた。それのみか、彼女は多

くの他人を自分の一派に引き寄せ、宮廷に紹介した」という記述は、有力な貴族

と次々と縁組をして、宮廷の新興勢力として台頭していったウッドヴィル一族

の隆盛をよく表している。その実体は次の一節に具体的に述べられている:「と

いうわけで、彼らだけが王室の公私の仕事をまかない、国王の取り巻きとなり、

多くの家臣を持ち、官職を与え、売却し、ついに国王自身さえ意のままに牛耳る

ようになった」。王妃エリザベス・ウッドヴィルは、エドワード王と結婚するま

では、敵対するランカスター側の騎士、サー・ジョン・グレイの未亡人であっ

た。このために、ウッドヴィル=グレイ一族は身分の低い新興貴族として、古く

からの貴族階級と対立するようになった。その旧貴族の代表として担がれたの

がクラレンスであった。

 このようにマンチーニでは、予言やエドワードの後悔については全く言及さ

れず、リチャードは陰謀どころか、クラレンスの仇を討つ側に回っていることに

注目したい。

 

 次にこの時代に書かれた物の中で、作者が比較的に政治の中心にいたと思わ

れる『続クローランド年代記』The Crowland Chronicle Continuation を見てみよ

う。原文はラテン語でかかれているが、編注者の翻訳した英文を引用する この

本にはエドワード王とクラレンスの対立の直接的な原因が事細かに載ってい

る。それによればクラレンスは次第に王の前に姿を出さなくなり、会議に出て

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Page 19: リチャード三世像の変遷 - 駒澤大学repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17506/spffl060...石 原 孝 哉 (2)兄クラレンスに対する裏切り Ⅰ リチャード三世の数々の悪業の中に、兄クラレンスに対する裏切り行為があ

もほとんど発言せず、国王の居城では食べることも、飲むこともしなくなった。

その理由について筆者は次のように述べている。

    

(25)

 多くの人々は信じているという前提ながら、「公爵の気持ちが、以前の親密さ

に反してこのようになってしまったのは、最近王が議会でおこなった俸禄の再

配分において、公爵は以前王より賜っていたタトベリィその他の多くの領地の

支配権を失ったためである」とクラレンスの不満の理由を具体的に語ってい

る。

 『続クローランド年代記』の記述は詳細にわたり、しかも長文なので以下にそ

の要点のみを紹介する。

 さらに、フランスに嫁いだエドワード王の妹マーガレットの夫、ブルゴーニュ

公シャルルが死ぬと、その相続に絡んで娘のメアリーの結婚が問題となった。先

年妻を産褥で亡くしたばかりのクラレンスは、妹マーガレットの強い意向に後

押しされて、メアリーとの結婚を望んだが、エドワード王はフリードリッヒ三世

の息子で後に神聖ローマ皇帝となるマクシミリアンを推戴したことから両者の

関係はさらに悪化した。

 こうした中で、クラレンスの下男でトマス・バーデットなる者が、ビーチャム

卿リチャードを魔法や呪術で呪い殺す計画に加わったかどで処刑された。この

件に関して、クラレンスは翌日議会に乗り込んでトマスの告白と無実の宣言書

を読み上げた。それを聞いた王は日を定めてクラレンスを喚問したが、その中で

クラレンスはあたかも国家の法を軽んじ、王国の裁判官と陪審員にとって大変

な脅威になるが如きの発言をしたために、拘束された。議会に出席していた者

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は、自分たちが聞いた情報が十分根拠のあるものだったので、公式に彼を有罪と

した。判決はバッキンガム公爵によって言い渡された。

    

(26)

  

 ここから分かるように「処刑はロンドン塔の中で密かにおこなわれた」が、そ

の方法は「それがいかなる形にせよ」と明らかにされてはいない。

 以上見てきたように、『続クローランド年代記』では、クラレンスの死はエド

ワード王との不和が原因という立場をとっている。具体的には、俸禄再配分で領

地を減らされたクラレンスが不信感を募らせ、それが、ブルゴーニュのメアリと

の結婚を反対されてさらに増幅していった。下男の不当な処刑について議会で

抗議し、その弁明の中で「国家の法を軽んじ、王国の裁判官と陪審員にとって脅

威になるが如き発言をした」ために死刑の判決を受けたことが分かる。注目すべ

きは、これだけ詳しく経緯が書かれているにもかかわらず、予言、エドワード王

の後悔、マルモジィぶどう酒の樽の中での溺死といったクラレンス事件の定説

となっている逸話が全くないことである。

 

Ⅳ 

 以上の古い資料をみると、クラレンス公ジョージの死は、テューダー朝の年代

記やシェイクスピアの劇のようなリチャードの陰謀とか、予言といった大衆好

みのスキャンダルではなく、もっと大きな歴史の流れから見たほうがよさそう

である。

 ひとつのヒントはマンチーニの資料にあるように、王妃の一族であるウッド

ヴィル=グレイの新興貴族と、古くからの王族、貴族との対立である。すでに触

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石 原 孝 哉

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れたように、エドワード四世はその初期の統治において、ばら戦争で戦功のあっ

たヨーク側の騎士、郷紳を抜擢して、重用したが、これが古くからの貴族から反

発をかい、ウオーリック伯の離反を招いて、ランカスター家の復活を許すことに

なった。この混乱によって、1460年代に行った地方における俸禄配分は、実情に

そぐわなくなったために、改めて各貴族家の勢力圏設定による地方統治の再設

定を余儀なくされた。今回は王族および婚姻によって地方を掌握しようとした(27)。こうしたなかで親族の多い下級貴族のウッドヴィル グレイ一族が重要な役

割を果たしたのである。彼らは、次々と有力な貴族と婚姻を結んで、各地に配置

され、所領を与えられて、勢力を拡大していった。一時期には、両家の関係者が

イングランド貴族社会の結婚適齢期の男女を独占するような事態が生じた。こ

の過程でかなり無理な縁談が強行され、相続法の歪曲が行われ、これが特例とし

て議会で立法化された。これは古くからの貴族の間に不満を募らせていった。貴

族たちはこうした不満を表に出すことをはばかったが、王に対して面と向かっ

て意見の出来るクラレンスやリチャードの下には、こうした不満が次々と寄せ

られた。結局、宮廷には新興のウッドヴィル グレイ一派とクラレンス・リ

チャードの下に集まる古くからの貴族という二大勢力が出来ることになった。

 一方、エドワード王は、古くからの貴族の中ではグロスター公リチャードを重

用して、故ウオーリック伯領の多くを彼に与え、北部の守りを固めさせようとし

た。こうしたなかで、不満を募らせていったのがクラレンス公ジョージであっ

た。王は、かつてウオーリック伯と組んで反旗を翻し、ランカスター王朝の復活

を図ったことのあるクラレンスを心から信頼していなかったのである。

 このような状況の中で、クラレンスを直接巻き込むような事件があった。この

時期クラレンスは、俸禄再配分の際に領地を削られたうえに、ブルゴーニュのメ

アリとの結婚を王に反対されて落胆していた。直前に妻を失った彼は、これを毒

殺と疑っていたようで、極度に神経質になっていた。彼が宮廷に近寄らず、飲み

食いさえ拒んだのは毒殺を恐れていたためであるとされる(28)。実際彼は、毒殺

の容疑で自分の召使の女性を告発している。この事件に絡んで、

なる人物が同じ嫌疑で告発されるという事件になった。そんななかで、同じく召

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リチャード三世像の変遷

Page 22: リチャード三世像の変遷 - 駒澤大学repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17506/spffl060...石 原 孝 哉 (2)兄クラレンスに対する裏切り Ⅰ リチャード三世の数々の悪業の中に、兄クラレンスに対する裏切り行為があ

使の一人 、および、オクスフォードの なるものが、

国王を魔法で呪った嫌疑で、捕らえられ、裁判で有罪となって処刑された(29)。

これは、クラレンス自身に対する王の警告であったにもかかわらず、クラレンス

は口をつぐむどころか、王の了解なく議会に出向いて、彼らの無実を訴えたので

ある。これは聞き入れられるどころか王の不信をますます募らせることとなっ

た。こうしたなかで、クラレンスは「無謀にも、王が私生児であるという古い話

を言い広め、家臣を武装させ、裏工作をしてケンブリッジ州とハンティンドン州

で騒乱を起こさせた」。そして、「エドワードは私生児だという話が、王の堪忍袋

の緒を切らせた」(30)といわれている。

 しかし、この部分には異論もある。すなわち、ケンブリッジ州とハンティンド

ン州の反乱はオクスフォード伯爵家の出身者をかたる詐欺師が起こした事件

で、首謀者は逮捕されたが、その捜査の過程でこの事件にもクラレンスが関与

している疑いがかけられた(31)とする説である。

 いずれにせよクラレンスが、この反乱事件で急速にエドワード王の不信を

かっていったことは確かである。

 さらにこの当時は、フランスのルイ十一世がブルゴーニュ問題にからめてさ

かんにイングランドを牽制していた時期であった。自身がブルゴーニュ公領に

野心を持つフランス王は、クラレンスがブルゴーニュに来ることを阻止しよう

と、密かに手を伸ばして盛んにクラレンスの野心を吹聴した。こうした雰囲気の

なかで、エドワード王はついにクラレンスの逮捕に踏み切った。このなかでクラ

レンスは「治世始まって以来前例のないほど不自然かつ忌まわしい反逆」ゆえに

有罪とされたのであった。王の告発理由の中には「彼がヘンリー六世やマーガ

レット・オヴ・アンジューに対して、ヘンリーと息子が男の後継者なくして死

んだ場合には、彼および彼の後継者がイングランドの支配者となる」との密約を

結んでいたことも挙げられていた。王は最後に、もしクラレンスが恭順を示せば

許すといったが、彼自身は改めるつもりはないといったので「国家は彼に死刑を

要求した」(32)。

 クラレンスは、義父ウオーリック伯の反乱に加わって、一時は王位に野心を

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石 原 孝 哉

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持ったことはあったとはいえ、義父のキング・メイカーがバーネットの戦いで

戦死すると、エドワードにとっては、もはや危険な存在ではなく、厄介な存在に

すぎなかった。しかし、国王にたてつき、反乱を画策したとなると王もこれを放

置しておくことは出来なくなったのである。

 なお、この事件へのリチャードの関与については古い資料にはまったく見ら

れない。「秋も深まったころリチャードが宮廷に戻ってみると、クラレンスの命

は風前の灯であった」(33)というチーサム( )の記述に代表さ

れるように、リチャードはこの事件に関与していないことは明らかである。リ

チャード陰謀説はトマス・モアが暗示にとどめたものが、やがて A Mirror for

Magistrates のなかで増幅され、エリザベス朝の作者不詳の作品、The True

Tragedy of Richard the Third などをへて、シェイクスピアのように明確な陰謀に

発展していったものと思われる。

 エドワード王の後悔というエピソードも初期の資料にはない。「エドワード王

が処刑の日にちの決定をためらっていたので、議会が処刑を速やかに実施すべ

きとの嘆願書を出した」(34)というチーサムの主張に対して、ジェイコブ( ・

)は「死刑の判決が出た後もクラレンスはすぐには処刑されなかった。

エドワード王が許可しなかったのと、議長を務めた が判決の

実行について諸卿の見解を問わねばならなかったからである」(35)と述べてい

る。いずれにせよ、クラレンスの処刑が遅れたことは確かで、ここから後世のエ

ドワード王の後悔という逸話が生まれたものと思われる。

 次に、マルモジィぶどう酒の樽の中での溺死については、同時代の『ロンドン

年代記』、『大ロンドン年代記』および、マンチーニの記録に記されているが、ク

ラレンス事件についてもっとも詳細な記録を残している『続クローランド年代

記』は、「それがいかなる形でなされたにせよ」と処刑方法を明確にしていな

い。現代の歴史書の多くは、「クラレンスが処刑の方法を選ぶことを許されて、

自らマルモジィぶどう酒の樽で溺死という方法を選んだ」としているが、ジェイ

コブは、これは の記録によったもので、その正しさを立証

する手段はないとした上で、「クラレンスは2月18日、ロンドン塔のなかで、お

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そらく風呂に沈められて殺された」(36)としている。

 後世の伝説では、クラレンスは大酒飲みだったのでこの方法で処刑されたと

か、マルモジィぶどう酒の樽は兄弟の蜜月時代にエドワード王がクラレンスに

贈ったもので、二人の親愛の象徴であるなどといわれている。また、クラレンス

の娘で、後にヘンリー八世の手で処刑されたマーガレット・ポールはいつもマ

ルモジーぶどう酒の樽をあしらった腕輪をしていたことが知られている。

 Gの予言が最初に出てくるのは『ラウスの書』であるが、これも初期の記録に

はまったく見られない。GがグロスターのGを表し、予言が生きていたという話

は、王位簒奪の1483年以前に出てこないのは当然としても、予言の話自体が1491

年以前に見られないのは、これがいわゆる、テューダー・プロパガンダの中で作

られたエピソードであることを示している。

 以上に見てきたように、クラレンスの死は、エドワード四世の宮廷内対立に端

を発し、俸禄配分を機に不満を募らせたクラレンスが反乱事件への関与をきっ

かけに反逆罪で処刑されたのが真相であるが、時代がたつにつれて次第に大衆

好みのエピソードが強調されていったことがわかる。

 

Notes:

King Henry VI,pt,3

Richard III

Hollinshed’s As Used in Shakespeare’s Plays.

The Yale Edition of the Complete Works of St. Thomas

More, Volume 2 The History of King Richard III

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The Anglica Historia Richard III A

Source Book

History of the Kings of England

Memoir

The Chronicle of London

The Great Chronicle of London

The Usurpation of Richard III

The Crowland Chronicle

青山信義編、『イギリス史1、先史・中世』山川出版社 1991, 441

The Oxford History of England: The Fiftennth Century

The Life and Times of Richard III

1399-1485

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リチャード三世像の変遷