スルハンダリヤ州の山岳地帯。10世紀のイスラム王朝下で文芸...

多くの歴史的建造物を擁する、世界遺産に指定された都市サマルカンド。 美しい彩色タイルの霊廟が並ぶシャーヒ・ズィンダ廟群は人気の観光地で、 11世紀から造られた20以上の建物が並ぶ。 R epublic of Uzbekistan [ウズベキスタン共和国] EARTH GALLERY Vol.145 歴史ある 若者の国 29

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Page 1: スルハンダリヤ州の山岳地帯。10世紀のイスラム王朝下で文芸 ができたや学問。がさらに発達して中央アジア文明の下地 13世紀にモンゴルの支

多くの歴史的建造物を擁する、世界遺産に指定された都市サマルカンド。美しい彩色タイルの霊廟が並ぶシャーヒ・ズィンダ廟群は人気の観光地で、11世紀から造られた20以上の建物が並ぶ。 地

球ギャラリー写真・文⃝鈴木

革(写真家)

R epublic of Uzbekistan[ウズベキスタン共和国]EARTH GALLERY Vol.145

歴史ある “若者の国”29

Page 2: スルハンダリヤ州の山岳地帯。10世紀のイスラム王朝下で文芸 ができたや学問。がさらに発達して中央アジア文明の下地 13世紀にモンゴルの支

人々はパーティが大好きで、高級レストランではよくパーティを見かける。爆音、ダンス、カラフルな照明、すべてに圧倒される。サマルカンドにて。

上写真と同じく国境の遺跡カンプルテパ。アレクサンドロス大王の渡河地点とされ、遺跡修復の日干レンガを作っていた。

ウズベキスタンではバザールのことをタキといい、直射日光を避けるために天井を覆った美しい商店街がある。世界遺産の都市ブハラのタキ・ザルガロン。

サマルカンドの台所、ショブバザール。あらゆるものが屋内、屋外に山積みになっていて、

目にも鮮やか。

サマルカンドの中心、レギスタン広場のウルグベク・マドラサ(イスラム教の学院)。新婚の妻たち専用という美しい衣装が映える。

街道沿いの地元運転手らが立ち寄るローカルレストラン。少しいかつい感じだが、皆穏やかな人々だった。カシュカダリア州の山間部にて。

郊外ではヒツジやヤギを追う大陸的な遊牧風景に出合う。スルハンダリヤ州の山岳地帯。

遠方にアフガニスタン国境のアムダリア川が見えている。豊かな穀倉地帯だが厳しい監視下に置かれている。テルメズ近郊にて。

夏は結婚シーズン。世界遺産を背景に、大事な記念写真を撮るカップルがあちらこちらで目につく。ブハラのタキ・サラフォンにて。

31 October 2020

Page 3: スルハンダリヤ州の山岳地帯。10世紀のイスラム王朝下で文芸 ができたや学問。がさらに発達して中央アジア文明の下地 13世紀にモンゴルの支

ウズベキスタン

 中央アジアという地域の歴史はたいへ

ん古く、紀元前にさかのぼる。ウズベキ

スタンに加えてカザフスタン、トルクメ

ニスタン、キルギス、タジキスタンをま

とめて西トルキスタンと呼び、隣接する

中国側の東トルキスタンと区別している。

トルキスタンとは「トルコ人の住地」と

いう意味で、西トルキスタンでは紀元前

から活躍したイラン系のソグド人*

1

の地に、

6世紀ごろテュルク*

2

系遊牧民の突と

厥けつ

が侵

入してテュルク化が始まった。8世紀に

はアラブ勢力の侵入によってイスラム教

化され、10世紀のイスラム王朝下で文芸

や学問が発達して中央アジア文明の下地

ができた。さらに13世紀にモンゴルの支

配を受け、14世紀にはその末裔といわれ

るティムールが登場し、古都サマルカン

ドを中心に世界帝国を築き上げた。

 地勢的に西トルキスタンは北部の草原

地帯と、東のパミール高原から西流する

大河がつくる南部のオアシス地帯に分け

られる。北部草原では騎馬遊牧民が勇猛

に疾走して、南部オアシスでは華麗な都

市文明が発展した。ウズベキスタンはこ

の古代オアシス都市国家の中心地であり、

サマルカンドやブカラ、ヒヴァ、コーカ

ンドなど「シルクロードの華」ともいえ

る歴史的な町を擁している。

 一方で、ウズベキスタンという国はき

わめて〝新しい国〞でもある。西トルキ

スタンの5か国はソビエト連邦が自治区

分として画定した境界がもとになり、

1991年のソ連邦解体によってそれぞ

れ独立して新しい国家になったのである。

ロシア支配より以前は都市国家が群雄割

拠して、ときに争いながらも、近似する

言語や文化を共有する一ひ

塊かたまり

の文明圏で

あった。

 あらためて地図を俯瞰すると、内陸国

に囲まれたウズベキスタンは二重内陸国

と呼ばれている。つまり外洋と2カ国以

上を隔てた国のことで、それは世界に2

カ国しか存在しない。ちなみにもう1カ

国はヨーロッパの小さな公国リヒテン

シュタインだが、ウズベキスタンは外洋

までのルートがいずれも数千キロメート

ル以上の距離があり、世界で最も海から

遠い国といえる。むろん空路は世界各地

と結ばれているが、それは人間や軽量物

資の輸送に限られ、重量物はやはり陸海

運に頼ることになる。世界の重量基準で

の物資輸送は97パーセントが海運といわ

れるが、おのずとウズベキスタンの貿易

相手国は隣国をはじめロシアや中国、ト

ルコなど地続きの国が大きな割合を占め

る。だが陸運にしてもいくつもの国境を

跨また

ぐことになり、コストは経由国の数だ

け膨らむ。くわえて不安なことは、経由

国の政治リスクだ。現在近隣国との関係

はおおむね良好だが、問題がないわけで

はない。たとえば水資源である。降雨の

少ない中央アジアでは、先述の西流する

鈴木

革(すずき・かく)

1956年秋田県生まれ。85年の解放間もないチベットの

取材を皮切りに、

開発途上国や秘境を中心に50か国以上、

200件近くの世界遺産を訪れる。著書に森谷公俊氏(歴

史学者)との共著『図説アレクサンドロス大王』(河出書房新

社)がある。

内陸河川が主要な水源であるが、アラル

海の砂漠化*

3

など大きな問題を抱えている。

しかもこれらは国際河川として、河川自体

が国境となっている場合もあり、また上流

と下流の国の間で利害がつねに存在する。

 しかしながら久しぶりに訪れたウズベ

キスタンは、相変わらず明るく優しい国で

あった。独立してから30年足らずで、国

の人口が約2100万人から3380万

人へと増えた。したがって年齢構成で

も、55歳未満の人口比が86パーセントと

圧倒的に若い国なのである。町には子ど

もや若者が溢れ、活気のある様子に国と

してのエネルギーを感じる。おりしも訪

れた夏季は結婚シーズンで、有名な世界

遺産の美しい街並みを背景に、あちらこ

ちらで新婚カップルがドレス姿で記念写

真を撮っていた。なんだか、経済指標の

GDPなどの数字とは無縁に、数値化で

きない豊かさや幸せがあるようで、少し

うらやましい気持ちになってしまった。

左 : 子どもたちは人懐こい。世界遺産をバックに素敵なポーズ。ブハラにて。中 : 名物メロンの季節。街道には露店が並ぶ。その大きさに似つかわしくない濃厚な甘さは世界一とか。右 : 田舎の民家の中庭でくつろぐおばあちゃんと孫たち。スルハンダリヤ州。

サマルカンド、レギスタン広場のティラカリ・マドラサ(イスラム教の学院)。礼拝堂に入る婦人たち。経年変化なのか建物がゆがんでいるが、壮麗な装飾は衰えていない。

*1

古代ソグディアナのイラン系民族で、アケメネス朝ペルシャに

属しギリシャまで知れ渡っていた。

*2

現トルコだけではなくアジア大陸に広く分布したトルコ系民

族。突厥はテュルクの音訳といわれ、6世紀ごろモンゴル高原から

中央アジアを支配した。

*3

かつて世界4位の大湖だったが、ソ連時代の農業政策によって

流入するアムダリア、シルダリアの2大河から大量取水を続けたた

め湖は干上がって縮小し、塩湖になって魚類は全滅した。

33 October 2020 32October 2020