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10981019 大西英里子2013/01/15

インターネットが支える中国の自由

もくじ

はじめに第1章 中国の現状第1節 経済

(1) 高度経済成長期(2) 国進民退と不動産バブルの崩壊(3) 格差の拡大と世界の工場の終焉

第2節 政治(1) 政治への不満のぶつけ方(2) 中国共産党最 18回党大会と権力闘争(3) 烏坎村の抗議行動

第2章 インターネット規制とユーザー第1節 言論の自由

(1) 防火長城について(2) Google撤退騒動

第2節 インターネットユーザーの特徴(1) 第 30次インターネット発展統計報告(2) 80后、90后

第3章 インターネットの影響力第1節 微博

(1) 新浪微博について(2) ビジネスにおける役割(3) デモにおける役割

第2節 ネット世論(1) オピニオンリーダー(2) 浙江省の列車事故

第4章 アラブの春と中国の民主化運動第1節 アラブの春

(1) ジャスミン革命(2) エジプトの春

第2節 中国における反政府運動(1) 中国におけるアラブの春の影響(2) 南方週末事件(3) これからの中国とインターネット

おわりに

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はじめに中国では新聞やテレビなど、すべてのメディアが共産党の管理下に置かれている。その統制は

厳しく、共産党にとって都合の悪いものは、すべて規制してきた。しかし、インターネットが広く普及し、統制が難しくなってきている。そのため、インターネット上では今まで規制されてきた政府への批判や不満の声などがみられる。政府は、そのような意見や共産党にとって都合の悪い情報の削除を試みるが、中国内のインターネットユーザーは5 億人を超しており、次々と転送されるために削除しきれないことが多くある。つまりインターネットは、中国国民にとって今までになかった、自由な意見交換の場であり、また、既存メディアが伝えないような様々な情報を得るためのツールとして役立っている。そこで中国の現状を調べ、そこにインターネットがどう関わっているのが調査し、まとめた。本稿第1 章では、経済と政治の点で現在の中国をみていく。2000年代の経済成長率は高水準を

維持し、世界の工場とも呼ばれていたが、現在の経済状況は悪化の一途たどっている。さらに経済悪化に伴う国民の政府への不満についてまとめた。第2 章は中国でのインターネット規制についてみていく。また、そのように規制されているインターネットの利用者についても紹介する。第3 章では、いま中国で多くの人が利用している微博について、また、その影響力についてまとめた。微博とは、中国版twitter のようなもので、微博上ではネット世論が形成されつつある。第4章では、インターネットを利用して政権を倒した例として、アラブの春を紹介する。また、アラブと中国を比較して類似点と相違点についてみていく。

第 1 章 中 国 の 現 状

 中国は、約960 万㎢の面積と人口約13億人を抱える国で、人口の94%を占める漢民族と55の少数民族からなる多民族国家である。現在、中国のGDPは日本を追い抜き、世界第2 位である。しかし近年、その成長率は下降傾向にある。また、2012年11月には共産党大会が開催され、新たに習近平氏が総書記となった。第1 章では、中国の現状について経済と政治の2 つをみていく。

第1 節 経済 2011年の名目GDPは約7.3 兆円と、2010年に日本を抜いて世界第2 位の経済大国になっている。しかしその成長率は、2007年の14.2% をピークに下降している。ついに、2012年第3 四半期には7.4%にまで落ち込んだ。債務危機の続く欧州への輸出低迷や、内需の低迷が響いた結果とみられている。そこで、世界第2 位の経済大国に成長するまでの過程と、近年の経済状況についてみていく。さらに、大きな経済問題となっている所得格差の拡大についてもまとめた。

(1) 高度経済成長期  1949年の建国以来、毛沢東氏が指導者として国を牽引していた。毛沢東氏の死亡後、彼の流れを受け継いだ四人組が失脚する1978年までは、毛沢東時代とされている。彼は全国民が平等であることを重視した政策をとっており、皆が等しく貧しい生活をしていた。そのため、毛沢東時代の経済成長率は平均6.1%となっている。しかし、年間20%を達成した年もあれば、-25%を記録した年もあり、その変動が激しい。 1976年の文化大革命の際に毛沢東氏が死亡してからは、鄧小平氏が指導者となった。彼は毛沢東氏とは違い、中間層を増やすことで社会が安定すると考え、改革開放を中心とする資本主義的な要素を積極的に取り入れた政策をおこなった。主な内容としては、決められた額を国に納めれば残りは自分の取り分として認められる、生産請負制の導入や、海外の企業の誘致が認められた経済特区の設置などだ。それまで金儲けとは、資本主義による毒として常に批判されていた。それが改革開放によって一転、推奨されるようになった。その後、中国の経済は急激に成長していった。特に90年代は市場化が進み、外資系企業や民営企業などの非国有企業が成長していった。さら

に、90年代後半以降は国有企業の民営化も始まった。労働力や資本などの生産要素が非国有化することで、効率が上がり、中国経済全体の生産性が高まった。また、1979年には外国の資本や技術の導入を目的とした経済特区が、広東省、福建省などの4 都市に設置された。当時の中国は人

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件費が非常に安く、多くの海外企業が中国に工場を移転させた。中国は、19世紀半ばの産業革命後のイギリスになぞらえて「世界の工場」といわれる。その結果、毛沢東時代が終わった1979年から2011年までの経済成長率は平均9.9%と非常に高い値を記録している。

(2) 国進民退と不動産バブルの崩壊 そんな中国経済も最近は下降傾向にある。その要因として、国有企業が隆盛し民営企業の発展を妨げる「国進民退」が考えられる。2008年のリーマンショック後に、中国政府は大規模な公共事業を実施した。その結果、中国経済は急激に回復することができた。しかし、その公共事業の受け皿のほとんどが国有企業であったため、民営企業が割を食う「国進民退」がいっそう強まった。ただでさえ、国有企業は様々な優遇を受けている。例えば、不況下においても、国有企業は容易に銀行から低金利で資金を調達することができた。銀行は、独自の技術を持っているなど、技術革新の担い手となりうる企業に融資する。国有企業は、公共事業で得たお金や銀行からの融資を、技術革新のための投資にまわす。それが技術革新の担い手であると判断され、さらに銀行の融資を受けやすくなる。一方で、民営企業は一部の大手を除いて、公共事業の受注が少なく、また銀行融資を受けることもできなかった。そのため技術革新への投資が行き届かず、また、革新できるかどうかも不確かであるため、民営企業経営者の技術革新への意欲は失われがちとなり、さらに銀行からの融資を受けることができなくなる。そこで、多くの民営企業経営者が投資先に選ぶのが、不動産だ。その結果、開発が始まったばかりの内陸都市へ資金が流れ込み、住宅価格はつりあがっていった。 ここで、「中国のドバイ」ともよばれる内蒙古自治区のオルドス市を例に挙げる。オルドス市周辺は中国でも最大級の石炭の産地である。世界的な資源価格の高騰を受け、2004年ごろから経済規模は急激に拡大した。前述のような民営企業を初めとする、外部から金融やサービス業が続々と流入したほか、それらに従事する労働者などで市の人口は2 倍以上になったからだ。当然、不動産価格は高騰した。そして、市は大規模なインフラ整備やマンションなど住宅建設を進めていった。中国では、国が土地の所有権を保有している。政府は最大の地主であり、宅地開発業者だ。開発規模が大きいほど政府が潤う、という構造になっている。オルドス市郊外の元農民によると、代々耕してきた農地を市政府の要求に応じて、1 ムーあたり5000元で売却した1 。しかし後に、市政府が民間の宅地開発業者に、その600 倍の1 ムーあたり300 万元で転売したという。市政府は、このような転売を繰り返していった。これら新規開発物件の買い手は、もともとのオルドス市街に住んでいた地元市民である。彼らは再開発のための立ち退きの際、多額の補償金と新たな住宅を配分されている。その余剰資金を新規開発物件に投資していた。そうして次々と購入していった結果、地元民は平均3 戸以上のマンションを持っているという状況になった。しかし、ヨーロッパの債務危機の影響などで石炭の輸出量が激減した。さらには、このような不動産価格の高騰に批判が高まり、政府は投資用不動産の購入を制限する策を講じるなどしている。その結果、新規開発物件は値がつかないという状況に陥り、地元市民の資産の多くが売れる見込みのない物へとなってしまった。このような不動産バブルの崩壊は、程度の差はあるものの、中国全土で起こりつつある。

(3) 格差の拡大と世界の工場の終焉 次に、格差の拡大についてみていく。所得格差の程度を示すジニ係数は、2010年で0.61 となっている。ジニ係数は、全世帯の所得が同じ場合は0 、一部の世帯が極端に大きな所得を占める場合は1 に近づく、という指数である。警戒ラインは0.4 、社会不安につながる危険ラインは0.6とされている。改革開放直後の1980年代初めは、0.2 程度であった。また、OECD に加盟している30か国の平均は0.31 である。中国のジニ係数を詳しくみると、農村部は0.6 、都市部は0.56 、また、沿海部は0.59 、内陸部は、0.55 となっている。 ここまで格差が広がってしまった要因として、戸籍制度が挙げられる。中国では、都市と農村で戸籍が分けられている。経済発展が進んでいる都市部には、農村からの出稼ぎ労働者である農民工が、大量に流入している。彼らは、零細企業で最低賃金にも満たない労働条件で働いている場合が多い。しかし、農村出身者の都市戸籍の取得は、厳しく制限されている。また、都市で生

1 1 ムーは 1/15ha(約 6.67a)、5000 元は約 6 万 8000 円(1 元≒13 円)2

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まれても、親が農村戸籍ならば子供も農村戸籍となってしまうため、格差の固定化が進む結果となっている。 所得格差以外にも、沿海部と内陸部の成長率の格差が存在する。沿海部は1990年代後半からの高度経済成長で、「世界の工場」として工業化、都市化が進んできた。しかし、最近はその成長率が低下してきている。人件費の安い、内陸部に工場を移転させる企業が増えているからだ。そのため、内陸部の成長率は伸びている。しかし、内陸部に大きな工場が急増し、もともとあった工場も含め、人材の確保に苦労している。スマートフォンの普及などによって、労働者は情報が得やすくなり、より良い雇用条件の工場に人材が流れていってしまうのだ。工場側は、人件費を上げざるを得なくなっている。また、人件費引き上げのもう1 つ理由が、人口の減少だ。一人っ子政策の導入から30年以上が経ち、すでに若年労働者数は減少し始めている。さらには、2010年代に生産年齢と言われる15~64 歳の人口が減少に転じることも確実視されている。労働市場が売り手市場となれば、人件費のさらなる高騰は避けられない。安い人件費を求めて、中国に工場進出してきた企業からすると、前提条件が崩れたことになる。実際にユニクロやナイキなど、これまで中国においていた製造工場を別のアジア諸国に移転する企業が急増している。主な移転先は、ベトナムやバングラデシュなどの人件費がより安い、新興国だ。中国がこのまま世界の工場であり続けることは、不可能であると言える。

第2 節 政治 以上のような経済状況の悪化や格差の拡大から、政治への不満が広がりつつある。そんな中、2012年11月8 日から14日にかけて中国共産党第18回党大会が開催された。習近平氏が総書記として就任したが、その選出方法は明らかにされていない。そこで、共産党大会とその中であった権力闘争について、また、2011年末に広東省の村で起こった民主化運動についてみていく。

(1) 政治への不満のぶつけ方 国民が政治への不満をぶつける方法は2 つある。1 つは人肉検索だ。これは、標的にした人物のあらゆる個人情報をインターネット上で暴き出す、というものだ。共産党の統制のために既存メディアが報じることのできない、腐敗や不祥事があぶりだされている。近年では、ネット上で多くの贈収賄事件が摘発されている。ここで、陜西省安全監督局の楊達才局長の例をみていく。2012年夏、中国各地ではバスの衝突事故などの人身事故が各地で相次いでいた。そのとき人肉検索のターゲットにされたのが、彼だ。ネット上にアップされた1 枚の写真の中で、楊局長が笑っていたことがターゲットとなった理由だ。さらに、ネットユーザーたちは楊局長が身に着けていた腕時計のメーカーや値段を特定し、ネット上にさらした。最終的には党紀律検査委員会が動く事態にまで発展した。楊局長の自宅からは大量の現金や高級時計23個が押収された。不正金額は総額1 億元(13億円)とされる。このように人肉検索には世直しのような一面がある。しかし、このターゲットにされるのは政治家だけではない。非難や中傷をあびせられる市民も続出している。殺人事件にまで発展してしまった例もある。

2 つめの方法として、デモやストライキがある。最近のものでは、2012年10月に寧波市で発生したデモがある。これは、中国三大国有石油企業の1 つである中国石油化工集団(シノペック)が計画していた、化学工場の拡張中止を求めるものであった。200 人近い住民が、環境悪化やそれに伴う健康被害を懸念して市政府に強く抗議していた。その結果、市政府は化学工場の拡張を中止した。理由としては11月8 日に開幕予定であった共産党大会の存在があげられ、社会の安定を優先した結果といえる。現在の中国では、全国の至る所でデモやストライキが発生しており、その数は年に十万件以上と言われる。そのため、政府がすべてを取り締まることは難しく、共産党の脅威とならないようなものは厳しく取り締まることをせずに、国民の不満やストレスを発散させるものとして、政府が利用しているようにも感じ取ることができる。例えば2012年の激しい反日デモは、実質「政府公認」のものであったと言われている。

(2) 中国共産党第18回党大会と権力闘争 そんな中、2012年11月8 日に中国共産党第18回党大会が開催された。胡錦濤国家主席は、党総書記と軍事委員会主席の両方から退くことが決まった。さらに、2013年3 月には国家主席からも退き、完全引退する。そして今回の党大会で総書記に、来年3 月に国家主席に就任するのが、習

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近平氏だ。そして、李克強氏が首相に就任する。習近平氏は太子党の有力者である。中国共産党には、大きく分けて3 つの派閥がある。習近平新総書記の太子党、胡錦濤国家主席

の共産主義青年団( 共青団) 、江沢民前国家主席を中心とする上海閥だ。太子党は、党の老幹部の子弟を指し、親子にわたる人脈で緩やかにつながっている。共産主義青年団は、エリート人材を輩出するための党の青年組織である。これらの派閥はあくまでも出身母体の違いであり、政策など政治的志向で集まった集団ではない。それでも派閥間の争いは存在する。今回の党大会では、太子党と共青団が争った結果である。党大会の少し前にも、同じ太子党と

共青団の権力争いがあった。それが、重慶市の薄熙来氏失脚事件だ。薄氏は次期指導部入りが有力視されていたが、2012年3 月に重慶市の党委員会書記を解任された。薄熙来氏は、習近平総書記と同じく太子党の有力者であった。また、薄熙来氏のライバルは、前重慶書記で現在は広東省党委書記の汪洋氏である。汪氏は胡錦濤国家主席と同じ、共青団の出身である。共青団側が、習氏の勢力拡大を防ぐために、習氏に近い薄氏を追い込んだ結果と言える。

(3) 烏坎村の抗議活動 次に、広東省陸豊市烏坎村で起こった抗議活動について紹介する。烏坎村は広東省の東部の村で、人口約1 万2000人と人口の多い村である。その村で2011年11月に、共産党村支部書記らが村民の土地使用権を無断でリゾート開発業者へ売却し、蓄財していたことが明らかになった。それに怒った村民は、無断売却された土地の回収と自ら新たな村の指導部を選ぶ民主的な選挙の実施を求めて、デモを行った。12月には、村民組織の代表者5 人が警察によって拘束され、1 人がなくなり、村民による抗議活動はさらに拡大した。そこで、警察は村を囲い込み、電気や水道、ガスの供給を止め、さらには食料の運び込みも禁止した。村民は、メディアを利用してこれに抵抗していた。インターネット上に村の様子や動画を投稿したり、海外メディアの取材を受けたりした。村民が自ら投稿した情報は当局によってすぐに削除されてしまったが、削除される前に閲覧することのできたネットユーザーによって、その情報は拡散していった。さらに海外メディアの取材を積極的に受けたことで、この騒動は広く知れ渡ることとなった。 また村民たちは、村の共産党幹部や警察官らを村から追放したが、共産党体制そのものには反対していないことを強調した。共産党体制そのものを批判すると、国による弾圧が始まるからだ。これらの抗議活動の結果、広東省党委書記の汪洋氏は、村民らと対話し、村の共産党幹部の追放と新たな幹部を民主的な選挙で選出することを約束した。

第 2 章 イ ン タ ー ネ ッ ト 規 制 と ユ ー ザ ー

 中国では新聞やテレビなど、あらゆるメディアが中央宣伝部によって規制されている。テレビや新聞は発信者を特定しやすく、規制しやすい。しかしインターネットは、あらゆる個人が発信者となりうるため、規制が難しい。2006年頃からは、インターネット利用者が急増し、2012年6月には5 億人を超えた。そこで、インターネットの検閲やユーザーについてみていく。

第1 節 言論の自由 中国憲法では言論の自由や文化活動の自由が保障されている。しかし実際は、中国共産党の権力を脅かす内容の物は統制されてしまうため、政府が許可する範囲内でしか自由がないといえる。そこで、中国において最大のインターネット検閲システムである、中国防火長城とその検閲について説明し、2010年に中国から撤退したGoogleの問題についてまとめた。

(1) 防火長城について中国には「中国防火長城(Great Fire Wall)」とよばれるファイアーウォールが存在する。これ

は中国国内外で行なわれるインターネット通信に対して接続規制・遮断する大規模な検閲システムである。とくに2010年にGoogleが中国から撤退した際に、注目された。例えば、中国国内から国外のサイトにアクセスしようとした際に、政府が禁止しているキーワードが含まれているサイトやURLへの接続は遮断される。防火長城は「金盾工程」というプロジェクトの一環として設けられたものだ。「金盾工程」は、全国の警察業務に関する電子化システムの建設を目的として、提唱された。内容としては、大きく以下の3 つに分けられる。

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犯罪捜査のための、中国全公民の個人情報管理や指紋データバンク、音声、映像、顔認識などを利用した個人情報判別に関するもの

電子商取引における国民生活の安全性の確保 国家安全を確保するための、いわゆる情報の検閲とフィルタリング

このうちの3 点目が「防火長城」の建設である。「金盾工程」が初めて提唱されたのは1998年であり、それ以降、中国国内におけるインターネットユーザーが爆発的に増加したことにより、「防火長城」の部分が2008年の完成を目標に強化されていった。2008年は北京オリンピック開催の年で、治安の維持が目的であった。

「防火長城」の基本的な機能は、自動検閲システムを遂行することである。方法は主に、「敏感な政治内容に言及しているウェブサイト」「政治的に有害なキーワード、URL、IPアドレス」などを検知し、フィルタリングすることにある。検閲ワードは「敏感詞」と呼ばれており、たとえば「台湾独立」「六四事件」「民主化運動」などが挙げられる。これらの検閲ワードには、明確な基準があるわけではない。党指導部が、その時々によって「政治的に有害である」と判断した語を、一方的に検閲ワードとして登録しているのである。例に挙げるならば、2010年末のジャスミン革命以降、「ジャスミン」「エジプト」「ムバラク」が登録された。さらに「防火長城」は、パソコンのIPアドレスごとにアクセス履歴を調査、解析した上で、そ

のユーザーの政治的傾向に合致した規制を行うなどして、検閲の精度を上げている。人工知能を備えたコンピューターが、インターネットユーザー1 人ひとりの動き、嗜好を監視し、政治的に有害な動きを見つけると即座に介入するのだ。たとえば、娯楽サイトにしかアクセスしていないパソコンが、「人権」という用語で検索したり、人権サイトにアクセスしたりしても問題はない。しかし、チベットやウイグル族関連のサイトにアクセスし続けた後に接続しようとすると、遮断されてしまうというものだ。中国政府は海外サイトへのアクセス規制を正式には認めていない。したがって、実際に何がど

う規制されているのはわからない。しかし、中国から海外サイトへのアクセスが遮断される、ということは事実である。たとえばYouTube は、2009年3 月から中国本土では閲覧することができない。チベット騒乱などの映像が投稿されたことなどが原因であると考えられる。

(2) Google撤退騒動

2010年にGoogleが中国から撤退した。その理由として、Google側は「自主検閲の撤廃要求が受け入れられなかったから」としている。Googleは2006年から中国に本格的に参入した。当初から中国当局は、天安門事件や民主化運動などの検索結果を表示しないよう要請しており、Google側もそれを受け入れ、それらの検索結果を表示しないという自主検閲をおこなっていた。しかし、Googleの経営理念は「Don’t be evil ( 邪悪になるな) 」というものだ。ネットの自由を重んじるGoogleにとって、自主検閲はその理念に反するものであった。参入当初のGoogle 社内では、中国進出に伴う自主検閲を受け入れることへの反対意見もあったが、検索サービスを全く提供できないよりは、少しでもできた方が良いとし、中国に進出することを決定した。もともとGoogleは、世界中の情報を整理し、多くの人々が自由にすべての情報にアクセスして使えるようにすることを目標としており、不本意な自主検閲を必要とする中国参入も、その目標に近づくためのものであった。このように中国に進出してきたGoogleであったが、約4 年間という年月で中国から撤退することになる。このGoogle撤退騒動の発端は、2009年春に中国政府がGoogleに対して、検閲機能の付いた中国

版の「google.cn 」から、検閲機能の付いていない「google.com 」へのリンクを外すように要求したことだ。Google側がこれを拒否すると、2009年末にはGoogleのサーバーにサイバー攻撃が行われた。このサイバー攻撃はGoogle だけでなく、インターネットや金融などの広い分野にわたる20以上の大企業や組織に対して行われ、その狙いは中国の人権活動家のG メールの情報を取得することだったという。さらに、このサイバー攻撃に中国政府が関与しているとの疑いがあることや、

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中国政府による検閲がいっそう強まったことから、Googleは撤退を示唆しつつ中国政府に抗議した。しかし、共産党の権力を維持することが最優先である中国政府には「ネット管理は治安維持の生命線である」と、受け入れられることはなく、Googleは2010年3 月に中国から撤退していった。しかし中国には、中国生まれの検索エンジンである百度( バイドゥ) がある。百度のシェアは

中国国内では6 割を超え、一方でGoogleは約3 割に留まっていた。そのため、Googleが撤退しても構わないという意見も多い。Googleの世界的なシェアは7 割近くにまで迫っているが、Googleの売上は大半を欧米が占め、中国での売上は約2% となっており、短期的に見るとGoogleにとっても業績に与える影響は少ない。しかし、5 億人以上のネットユーザーを抱える中国には、まだ長期的な成長余地があり、撤退したことは、大きな損失とも言える。

第2 節 インターネットユーザーの特徴 中国では言論の自由が抑圧されたり、インターネットに対する規制が厳しい中でも、多くの人がインターネットを利用している。普及率は約40%と日本の約半分であるが、人口にすると5 億人を超え、日本の5 倍以上にもなる。その利用者のほとんどは、1980年代以降に生まれた若者である。また、最近では携帯電話の普及が広がっており、貧しい生活をしている者も多くインターネットを利用している。

(1) 第30次インターネット発展統計報告1997年に設立した中国ネットワーク情報センター(CNNIC)が、毎年2 回「インターネット発

展統計報告」を発表している。2012年6 月末に発表されたものによると、中国のインターネットユーザーは5.38 億人に達し、また、39.9 %のインターネット普及率を達成した( 図2-1) 。全インターネットユーザーのうち、携帯電話でのインターネット使用割合は72.2 %で、3.88 億人となっている( 図2-2) 。モバイルネットユーザーが増加した一方で、デスクトップ型パソコンの利用率が低下し、初めて携帯電話の利用率がパソコンの利用率を上回った( 図2-3) 。経済的に余裕のない農村部では、デスクトップ型パソコンを購入する金銭的余裕がないが、携帯電話ならば購入できるため、農村部での携帯電話利用者が増加したことが理由として挙げられる。農村部におけるインターネットユーザーは1.46 億人で、全インターネットユーザーのうちの27.1% を占める( 図2-4) 。また、携帯電話利用者の増加に伴い、微博の登録者数が増加しているが、最も多い利用サービスはチャットである( 図2-6) 。微博は利用者が2010年から2011年にかけて大きく増加している。

図 2-1  中国のインターネット普及率と利用者数

( 出典;CNNIC)

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図 2-2 モバイルネットユーザー数と全ネットユーザーにおけるモバイルネットユーザーの割合

( 出典; CNNIC)

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図 2-3 ネット接続時の利用端末

【青線…デスクトップ型パソコン、赤線…携帯電話、緑線…ノートパソコン】( 出典;CNNIC)

図 2-5 インターネットで利用するサービス

2009.12 2010.12 2011.12 2012.60

50001000015000200002500030000350004000045000

チャットBBS ニュースブログ微博

( 万人 )

( 出典;CNNIC)

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図 2-6 モバイルで利用するサービス

2010.12 2011.12 2012.60

102030405060708090

チャットBBS ニュースSNS微博

(%)

( 出典;CNNIC)

また、インターネットユーザーを職業別、収入別に見ていくと、学生が約3 割を占めていることが

分かる( 図2-7) 。また、自営業者や無職者も多い。さらに、ひと月の収入が3000元以下の者が半数以上だとわかった( 図2-8) 。2 縦軸の1 番下は無収入の者の割合である。次に、年齢別にみていく( 図2-9) 。2009年

12月のグラフを見ると、10代が最も多く、20代と合わ

せると6 割近くを占める。この年齢層は1990年代と

1980年代に生まれた者たちで、それぞれ90后、80后と

呼ばれる。2012年6 月のグラフを見ると、20代が最も多くなっており、全体的にネットユーザーが高年齢層

へシフトしている。以上のことから、インターネットユーザーには学生や80年代、90年代生まれの若者が多く、ま

た、半数以上が低収入だということがわかった。

2 3000 元≒43,000 円9

農村部 , 1.46億人 , 27%

都市部 , 3.92億人 , 73%

( 出典 ;CNNIC)

図 2-4 地域別にみたネットユーザー

図 2-7 職業別にみたネットユーザー

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図 2-8 ひと月の収入別にみたネットユーザー

( 出典;CNNIC)

(出

典;CNNIC)

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図 2-9年齢別にみたネットユーザー

学生28.6%

党関係者4.9%

会社員11.6%

自営業 17.2%農村からの出稼ぎ

4%

退職者、無職者11.9%

その他21.9%

( 出典 ;CNNIC)

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(2) 80后、90后

中国では80后世代以降は、それ以前の人たちとはまったく異なるメンタリティを持つ。それにはいくつかの政治的要因がある。1978年の改革開放の開始や、さらに1 人っ子政策が提唱され始めたことだ。改革開放によって、中国の経済は急激に成長していった。また、中国は農業国であったため、子供は貴重な労働力であった。人海戦術を得意としており、それまでの出生率は5.8 人にも上っていた。1978年以降、中国の人たちは改革開放によって金儲けへとひた進み、それまでよりも少し裕福になった。そして、たった1 人のわが子にその金と多くの愛情をそそぐ。当然、その子供たちは甘やかされ、わがままいっぱいに育つ。それが80后、90后だ。一方で、両親や祖父母からのプレッシャーともいえる期待の中で育ってきたことも、事実であ

る。そこに就職難という、大きな関門まである。改革開放以前には「分配制度」があった。中央または地方の行政機関の管理下の大学を卒業すると、その行政機関の管轄の国営企業や行政機関などに分配される。つまり、自動的に就職することができたのだ。しかし、改革開放によって市場経済が動き出し、多くの国営企業が倒産してしまった。そのため、卒業しても分配すべき職場がなくなり、分配制度は撤廃された。80后たちは、大学は卒業したが就職先がないため、低収入で暮らしていかなければならなくなった。そのような若者たちが、集まって古いアパートで群居して住んでいる状態のことを指して「蟻族」ともいわれる。インターネットユーザーの「エリートが嫌い」「弱者の側に立つ」という大きな特徴は、これらが理由である。

第 3 章 イ ン タ ー ネ ッ ト の 影 響 力

規制が厳しい中、中国のインターネット利用者数は年々増加している。その主な利用者は、若者や低所得者が多く、ネット上では政府に対する不満も見られる。もちろん、反政府的なものは政府によって削除されてしまう。しかし、5 億人以上が登録し、また情報がリアルタイムで拡散するという特徴を持つSNS の登場によって、「必ず」削除されるとは言い難くなってきている。1 つ1 つの投稿に対する監視は難しく、削除が追い付かないからだ。そのため、デモの際はSNSが利用されることが多い。また、SNS上ではユーザー達の正直な意見が多く、ネット世論が形成されつつある。本章では、中国で最も利用者の多いSNSである微博と、近年政府も注目しているネット世論についてまとめた。

第1 節 微博中国では2009年7 月以来、twitter とFacebook へのアクセスが遮断され、アクセスすることがで

きない。時々刻々と情報が更新されるtwitter の登場によって、情報伝達のスピードはそれまで盛んに利用されていたブログや掲示板よりも一段と早くなった。政府にとって目障りな情報でも瞬

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10歳以下 10-19歳 20-29歳 30-39歳 40-49歳 50-59歳 60歳以上0.0%

5.0%

10.0%

15.0%

20.0%

25.0%

30.0%

35.0%

1.10%

31.80%

28.60%

21.50%

10.70%

4.50%1.90%1.20%

25.40%

30.20%

25.50%

12.00%

4.30%1.40%

2009年 12月2012年 6月

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時に広範囲に拡散するため、言論統制は難しくなった。政府はその威力を恐れ、twitter へのアクセスを遮断したと言われている。またFacebook については、2009年7 月のウイグル騒乱の際に、ウイグル独立派がFacebook を使って海外の支持者に国際的な抗議デモを呼びかけて以来、アクセスが遮断されている。そこで登場したのが、twitter とFacebook を合わせたような機能を持ち、中国版twitter ともよば

れる微博( ウェイボー) だ。その登録者数は急増し、現在では4 億人以上が利用している。中でも新浪( シナ) 、騰訊( テンセント) 、捜狐( ソウフ) 、網易( ワンイ) は4 大微博と言われる。そもそも、微博とはマイクロブログの意味で、この4 つ以外にも微博は存在する。現在では日常的な投稿だけでなく、様々な場面で利用されている。中国で微博と言えば、一般的に新浪微博を指す。そのため、ここでも主に新浪微博について取りあげていく。

(1) 新浪微博について 2012年6 月末の新浪微博の発表によると、登録者数は3 億6800万人となっており、微博の中でも一番人気である。登録者数を見ると、中国最大のネット企業である騰訊が運営している微博が最多である。しかし騰訊微博は、騰訊QQ という中国で最も人気のあるインスタントメッセンジャーに登録すると、自動的に微博にも登録される仕組みになっている。そのため、登録者数と人気度合いが直結するわけではなく、新浪微博が一番人気となっている ( 図3-1) 。新浪微博では、「つぶや

き」とよばれる投稿は140 字までに制限されており、また写真が投稿できるという点はtwitter と同じであるが、1 度に複数枚投稿できるという点はtwitter と異なる。twitter の大きな違いは、3つある。第一に、動画や音楽を投稿できることだ。twitter でもYouTube などのURLを掲載することはできる。しかし、微博では動画を直接投稿でき、別のサイトを開く手間が省けるため、より手軽に動画を視聴することができる。また、写真と動画を、あるいは写真と音楽を合わせて掲載することも可能だ。次に、twitter ではリツイートとよばれる転送時に内容をそのまま転送するが、微博では新たに140 字のコメントを付け加えることができ、蓄積されていく。この機能によって、投稿された内容だけでなく、自分の意見を投稿したり、誰がどんな意見を持っているのか知ることができる。最後に、多くのコミュニティー、グループが存在することだ。特定の話題や興味・関心ごとにコミュニティーが作られ、ユーザーによる議論がなされている。他にも、微博独自の絵文字やアプリ、ゲームなどそのサービスは多様である。

(2) ビジネスにおける役割新浪微博は2009年8 月にサービスが始まり、その1 年半後には登録者数が1 億人を突破した。理由として、中国の人気俳優や企業が多く公式のアカウントを持っていることが考えられる。また、政府関係の公式アカウントも多く、政府の公式アカウントや政府関係者の個人アカウントを合わせると、2 万を超える。つまり、新浪微博は政府公認の微博であり、閉鎖されるリスクが少ないということだ。これが企業に安心感を与え、多くの企業が公式アカウントを設けるのだろう。他にも、企業にとって便利な機能がある。 まず、企業版アカウントではフォロワーについてのデータ解析が行えるということだ。フォロワーの増減数や属性分析、アクティビティ分析ができる。これによって、企業は自社に関心のあるユーザーがどんな人なのか知ることができる。これ以外にも企業は、登録者に対してさらに積極的なアクションをとることもできる。それがアンケート機能、キャンペーン作成機能だ。アンケート機能によって、多くの微博ユーザーの趣味・嗜好、商品開発、自社商品やサービスのテストマーケティングを行うことができる。その特長としては、前述のとおりコミュニティーが存在するため、特定の集団アンケートをとることができるということだ。さらに微博は実名登録制のため、ユーザー属性に対する信憑性が高い。またキャンペーン作成とは、企業が、より多くのユーザーに企業や商品・サービスを知ってもらうために、自社商品のサンプルを配布したりイベ

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図 3-4よく利用する微博

(出典;2011年微博利用習慣調査)

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ントを開催したりすることだ。 また、ビジネスの立ち上げにおいて微博を利用した例として、スマートフォンのメーカーである小米科技有限责任公司の事例を挙げる。 小米公司は2010年に設立され、グーグル中国やマイクロソフト中国からスカウトしてきた優秀な人材が多くいる。2011年に初めてスマートフォンを発売し、2 日間で92万もの申し込みが殺到した。何の実績もなかった小米公司が、これだけの顧客を獲得した理由には微博の口コミがある。小米公司のCEOである雷軍氏はもともと有名な経営者で、330 万人以上のフォロワーを持っていた。雷氏をはじめとする経営陣が、発売前から製品についての情報を発信しており、話題を呼び、関心も高まった。また、企業の公式アカウントからの投稿だけでなく、経営者の生の声で伝えたこともユーザーに支持された理由の1 つだと言える。

(3) デモにおける役割 これまで述べてきたように、微博が中国社会に及ぼす影響は大きいにも関わらず、検閲の技術に優れている中国政府でも、完全に管理下に置くことはできていない。そこで2012年3 月、中国政府は微博の実名登録制を導入した。それまでは仮名でも登録することが可能であったが、実名や身分証の番号の入力が必須となった。これは、中東で起こったジャスミン革命を懸念してのことであると考えられる。しかし、それでも微博の登録者数が減少することはなかった。政府が、微博の瞬時の伝播力と微博上で交わされる自由な議論を警戒していることは明らかだ。いくら微博が政府の監視下に置かれていると言っても、3 億人以上の投稿をすべてチェックすることは簡単ではない。だからと言って、ユーザーが政府を表立っての批判することができるというわけではない。しかし、国民にとっては多少の本音を出すことのできるメディアとなっている。政府が、デモの様子や既存メディアが伝えていなかった情報など、政府にとって都合の悪い投稿を削除したとしても、その情報は削除される前に転送され、次々拡散されていく。その伝播力が認識されたのは、2011年7 月の浙江省で起こった高速鉄道の脱線事故の時だ。これについては次項で紹介する。また、微博の動画を投稿する機能によって、デモの様子が広く伝わるようになった。動画によって、既存メディアが伝えることのできないデモの様子や被害の様子が知れ渡り、全国からデモの妥当性を疑問視する声や暴力行為を非難する声が上がりやすくなった。

第2 節 ネット世論 中国におけるインターネットユーザーが増加し、そのサービスも充実し、またネット上では激しい議論が展開されることもある。それに伴ってネット世論が形成され、ネット世論によって政府が方針を転換することも増えてきている。ネット世論の脅威を実感した政府は、その操作も試みている。また、インターネット上にはオピニオンリーダーが存在し、特に若者に対して強い影響力を持っている。そこで、オピニオンリーダーについて、また、ネット世論によって政府の決定を覆した例について紹介する。

(1) オピニオンリーダー インターネットが普及するまでは、テレビや新聞、ラジオなどの伝統メディアが、主流な大衆向け情報伝達手段であった。これらの特徴は、発信者が特定できること、また、発信が一方向性であることだ。つまり、政治的に有害な情報を発信すれば、すぐに発信源を特定し、処罰することができるため、誘導にも役立っていた。しかし、インターネットは匿名性も高く、双方向の発信が可能である。さらに瞬時に全世界へ公開することもできるため、誘導どころか管理も難しい。しかし伝統メディアで世論の誘導をしていた政府は、インターネットでも試みようとしている。その際に政府が重要視しているものが、オピニオンリーダーだ。前述のとおり、中国のインターネットユーザーは80后、90后が多く、伝統メディアの視聴者、読者よりも低年齢、低学歴である。彼らは十分な社会的経験や知見を持っていないため、オピニオンリーダーの意見は大きな影響力を持つ。そんなオピニオンリーダーたちが討論を繰り広げるのは、BBSや掲示板だ。もちろんBBSや掲示板には、オピニオンリーダー以外のインターネットユーザーも多い。このような、オピニオンリーダーを中心に掲示板等で討論する者たちは、新意見階層とよばれる。 CNNICによると、中国のインターネットユーザーで、SNS をパソコンで利用している者は46.6 %、携帯電話で利用している者は41.2 %、BBSや掲示板をパソコンで利用するものは29.0 %

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であった。意見交換の場が多く、ネット世論が大きくなる可能性は十分にある。そこで政府は、オピニオンリーダーたちが現実や政府を批判する権利を尊重することで、破壊的に働かないよう導こうとしている。つまり、オピニオンリーダーを通じて世論を誘導しようとしているのだ。 政府はインターネットでの世論を誘導するために、ネット評論員を設けている。彼らは、胡錦濤政権以降に登場し、「五毛党」と呼ばれる。五毛党の役目は、ネット言論界で燃え上がった事件をいち早くキャッチして政府に報告し、「政府のために、政府の望むことを、政府の指示に従って」一般のインターネットユーザーになりすましながら掲示板などに書き込むことだ。その数は100 万人とも言われるが、正確な数はわからない。2006年ごろからは、ネット評論員の質を高めるために、養成をおこなう地方政府が多くなった。これらは堂々と行われ、「インターネット上の政府にとってプラスとなる宣伝を強化し、しっかりとネット世論の主導権を掌握せよ。」とまで言う者もいる。

(2) 浙江省の列車事故 次に、ネット世論によって政府が決定を覆した例として、日本でも大きくとり上げられた浙江省で起こった列車事故についてみていく。2011年7 月23日、浙江省温州市で高速鉄道の追突事故が発生した。乗客は合わせて1600名を超えており、死者40名、負傷者210 名という大惨事であった。先行していた列車は、落雷による停電で動力を失い停車しており、そこに後ろから来た列車が追突したというのが中国当局の発表である。その結果、車両4 台が地上約30メートルの高架から落下し、1 台は宙づり状態という大事故になった。後方車両に停止の指示がなかったことや、また本来は、追突した列車が先行しているはずで、運行の順番が逆になっていることから、運転管理の不具合が原因であった。さらに、事故発生翌日の24日夕方には生命反応がないと判断し、事故車両を埋めてしまった。しかし、その20時間後に2 歳の女の子が救出され、微博をはじめとするインターネット上では批判が殺到した。当初、既存メディアは事故の真相を伝えていなかったが、現場に居合わせた地元市民らによって、微博などに事故の様子が書き込まれたり、写真や動画が投稿された。そのため国民からの反響も大きく、当局は26日に再び事故車両を掘り起こして再調査を行い、また、事故の賠償金を大幅に増額した。 この高速鉄道は、国家プロジェクトとして進められてきたもので、中国社会に大きな衝撃を与えた。高速鉄道の運賃は、片道の最も安いものでも工場労働者には手の出しにくい価格で、事故の犠牲者のほとんどは中流層である。現在、中国では住宅価格の高騰により、中流層でも住宅を買えない者や、買ったとしてもその支払いに追われ、実質的に中流の生活水準から転落する人がいる。中流層には高等教育を受け、留学や旅行などで海外を知る人も多い。民主国家を知る中間層までもが、共産党に対して不満を抱き始めている。

第 4 章 ア ラ ブ の 春 と 中 国 の 民 主 化 運 動

 2010年末から2011年にかけて、アラブにおいて大規模な民主化運動が次々と発生し、これをアラブの春と呼ぶ。アラブの春の発端となったジャスミン革命では、インターネットが大きな役割を果たした。そのため中国では、同様の事態を防ごうと、ネット規制がより厳しくなった。そこで、中国でも同様の大規模な民主化運動が発生し、実際に共産党体制が崩壊することがあり得るのか考察していく。

第1 節 アラブの春アラブの春が始まったのは2010年末であるが、現在も未だ継続中である。政権を打倒した国も

あれば、大規模なデモを実施中である国、また、政府によって鎮圧されてしまった国もある。またアラブの春は、アラブだけでなくアメリカのウォール街でのデモなど、世界各国に影響を与えた。アラブの春によって政権が打倒された国はチュニジア、エジプト、リビア、イエメンの4 か国である。その中でも特にネットの役割が大きかったチュニジアとエジプトについてみていく。

(1) ジャスミン革命 アラブの春はチュニジアから始まった。2010年12月17日、チュニジア中部の町シディブジッドで、失業中の26歳の青年が道端に屋台を出して、果物と野菜を売っていたところ、見回りの警官

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が、営業許可が出ていないとして販売をやめさせた。その際、青年に暴力をふるい、青年を侮辱する言葉を吐き、さらには商品と商売道具を没収してしまった。商売道具を取り返すには、賄賂を渡すしか方法はないのだが、失業中の青年にはそんな余裕はなかった。しかし、商売をしなければ生活していくことはできない。人間としての尊厳を踏みにじられた上、収入を得る手段もなくなり、青年は抗議の意味を込めて焼身自殺を図った。この事件を巡って、地方当局に対する抗議活動が起こったが、地元メディアは何の報道もせず、代わりにその様子を撮影した動画がFacebook に投稿された。さらにはtwitter やYou Tube 上でも公開され、情報の拡散が早まり、チュニジア全体で抗議デモが起こった。また、アルジャジーラテレビがこの動画を放映したことも、情報の拡散を助けた。アルジャジーラテレビは、カタールの衛星テレビ局で、毎日中東の情勢を伝えている。1996年に設立され、政治的な圧力を受けない中東で唯一のアラビア語による報道機関で、中東各国の内政やデモの状況を発信している。

2011年1 月4 日に青年が亡くなると、抗議活動はさらに拡大し、首都チュニスでは大規模なデモや暴動が起こった。次第に、抗議は独裁政権そのものに対するものとなり、これらの騒動を収拾できずに、1 月14日に政権は崩壊し、翌日には23年間政権を握り続けたベンアリ大統領が国外に逃亡した。 チュニジアは1957年の建国以来、アラブ諸国の中では政治的に安定していると言われる国だった。元はフランスの植民地であったため、自由、博愛、平等といった西洋的な思想を持つ人も多い。もちろんアラブ的な一面もあり、古都カイラワーンを中心に伝統主義に立つ聖職者たちが、近代的改革を進める政府に対して意見を述べることによって、均衡を保っていた。2005年には世界情報社会サミットを開催するなど、最新技術の参入にも積極的で、インターネット普及率は2011年で38.8% とほかのアラブ諸国よりも高い数値である。しかし一方で、言論の自由が抑圧され、汚職が蔓延し、若者の失業率が高いという状態であった。この革命は、チュニジアを代表するジャスミンにちなんでジャスミン革命と名付けられた。

(2) エジプトの春 ジャスミン革命を受けて民主化運動が動き出したのが、エジプトである。アルジャジーラテレビやFacebook を初めとするメディアによって、ジャスミン革命の様子はチュニジア国内だけでなく、中東全土に広がりつつあった。Facebook に投稿されたジャスミン革命の動画特にFacebook は、特定の相手にのみ情報を公開したりメッセージを送ったりする機能があり、また情報を暗号化してプロバイダーに送るため情報漏洩の心配が少なく、インターネットが検閲されるエジプトにおいてインターネットは、政府に対抗する国民にとって強力な武器であった。エジプトでは、ベンアリ政権が倒れた翌日の2011年1 月15日に「1 月25日に集まれ」という書き込みがなされた。そして、その当日は首都カイロ中心部のタハリール広場に1 万人以上が集まり、ムバラク大統領の退陣を求める大規模な反政府デモが起こった。また、イスラム教国家であるエジプトでは、毎週金曜日は集団礼拝が成人男子の義務となっている。「怒りの金曜日」と呼ばれる1 月28日の礼拝後には、25日よりもさらに大規模なデモとなり、エジプト全土で約100 万人がデモに参加した。そこでムバラク大統領は、テレビ演説を行い、全閣僚を更迭して新内閣を発足するとした。しかし、ムバラク大統領自身は引き続き大統領職に留まるとしたため、エジプト国民はさらに怒りを増し、反政府勢力は100 万人規模のデモ行進を行うと宣言した。そして2 月4日にムバラク大統領の即時退任を求めデモを行ったが、ムバラク政権は、公務員給与の引き上げや憲法改正の改革案を出したり、政府支持の官製デモ隊を使ってデモを抑え込もうとするなどした。次の「挑戦の金曜日」と呼ばれる2 月11日には、三度目の100 万人規模のデモが起こり、エジプト軍にも見放されたムバラク大統領は、ついに即時辞任を表明した。そして2 月18日は「勝利の金曜日」と呼ばれ、タハリール広場では200 万人以上の民衆が歓喜した。 ムバラク政権は30年間続いてきた政権であったが、エジプト国民はこれをたったの18日間で崩壊させた。このエジプトの革命はチュニジアでの革命に影響を受けたと言えるものであるが、このエジプトの革命もまた、イエメンやバーレーン、リビアなど他の中東の国に影響を与えている。

第2 節 中国における反政府運動 中国政府は、アラブの春の影響を受けて中国でも民主化運動が発生することを懸念して、イン

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ターネットをはじめとする国内の規制を一層厳しくした。その甲斐あってか、中国ではアラブの春に触発されて大規模な民主化運動が起こることはなかった。しかし現在の中国は、アラブの春以前のチュニジアやエジプトとの状況と似ているところがある。そこで、その3 つを比較し、アラブの春の中国への影響についてまとめる。また、アラブの春以降に国民が言論の自由を求めて政府に反発した例として、2013年初めに起こった南方週末の事件を紹介する。そして、最後に実際にアラブの春のような民主化運動は起こり得るのか考察する。

(1) 中国におけるアラブの春の影響 アラブの春以前のチュニジア、エジプトと現在の中国は、若者失業率が高いことや政府への不満が溜まっていることなど、似ている点がいくつかある。そこで、チュニジアとエジプトについては、アラブの春が始まる直前の2010年のデータと、中国については、すべての2012年のデータが確定していないため、2011年のデータを比較する( 表4-1) 。

表 4-1中国(2011 年) チュニジア(2010

年)エジプト(2010 年)

1 人当たりの実質GDP

2639ドル 3143ドル 1975ドル

GDP成長率 9.24% 5.2% 3.7%

失業率4.1% ( 当局)

8% (西南財経大学)9.2% 13%

若者失業率 9.6% ( 西南財経大学) 23% 30.7%ネット普及率 38.3% 30.2% 36.6%

( 出典; 世界開発指標、中国新指導層の改革意欲を試す失業率統計、CNNIC )

 はじめに、中国当局発表の失業率を見ると4.1%となっており、他の2 か国と比べると、高い数値であるとは感じない。しかし中国当局発表のものは、過去10年間一貫して4.0~4.3%の範囲内で推移し、政府が毎年掲げる失業率目標値の「4.5 -4.7 %以内」を必ず達成している。直近を見ても、2012年第3 四半期まで9 四半期連続で4.1 %と全く変動していない。一方で、中国の西南財経大学が発表したものでは8% となっており、エジプトの値にまでは達しないものの、チュニジアの値には迫っている。西南財経大学は国家重点大学のひとつで、その家庭金融調査には定評がある。また、チュニジアとエジプトの若者失業率は15歳~24 歳の失業率であるが、中国の若者失業率は21歳~25 歳のものである。チュニジア、エジプトと比べると、中国の若者失業率はかなり低いように感じる。この中国の若者失業率をさらに学歴別でみると、小学未満 4.2 %、初中8.1 %、高等、専門大学校各11.3 %、大学以上16.4 %となっており、大学新卒の就職難が明らかである。ネット普及率は3 か国ともほぼ同じである。また、3 か国ともに独裁国家であり、ベンアリ政権は23年間、ムバラク政権は30年間続いた。その独裁体制によってチュニジア、エジプトでも、中国と同様に贈収賄をはじめとする腐敗が蔓延し、国民の政権に対する不満は高まっていたという。中国も長年に渡って共産党による独裁が続いているが、この2 か国と違い、個人による独裁ではない。最高指導者の任期は2 期10年であり、さらには最高指導部の中でも権力闘争が激しい。 他にもチュニジア、エジプトと中国には異なる点がある。第1 にインターネット規制の程度である。チュニジア、エジプトでもインターネットの規制があり、政府による検閲が行われていた。しかし、その程度は中国ほど厳しくなく、アラブの春の際はFacebook で反政府組織員同士が連絡を取り合うことができた。第2 に、デモやストライキの頻度である。中国では、各地で年間十万件以上ものデモやストライキが起こっており、国民の政治への不満やストレスはある程度発散できていると言える。しかし、チュニジアやエジプトでは頻繁にデモが発生するようなことはなかったため、アラブの春で一気に爆発したとみられている。最後に、軍の姿勢である。チュニジ

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アとエジプトの軍は、デモの早い段階で中立的な姿勢を示し、独裁者を見放した。しかし、1989年の天安門事件の際に共産党に従ったことからも、中国の人民解放軍が共産党を見放す可能性は非常に低いと言える。この軍の姿勢の違いは非常に大きなものである。また、2011年の全国人民代表大会で公表された公安関連予算は6244億元であり、これは国防費を超える額であった。 以上のように、アラブの春以前のチュニジアやエジプトと現在の中国に、多少の共通点が存在することは事実であるものの、それ以上に大きな違いが存在することから、中国で、アラブの春の影響による大規模な民主化運動が起こることはなかった。しかし、その影響が全くなかったわけではない。例えば、微博上で2011年2 月20日午後2 時に民主化集会を行うという予告が投稿され、また次々と転載されていった。さらに、「中国のムバラクを追放しよう」「デモに参加して民主的な改革を起こし、一党独裁制を廃止して自由を手にしよう」といった書き込みもみられた。もちろん、このような投稿は次々に削除され、「ジャスミン」「集会」などの単語は検索できなくなり、さらには五毛党による当局寄りの投稿が急増した。このような警戒態勢が敷かれ、2 月20日は多くの警官が待機していたため、集会は不発に終わった。そもそも、集まっていた数百人のほとんどが野次馬であったという。

(2) 南方週末事件 天安門事件以来、中国では共産党体制そのものに反対する大きな民主化運動はほとんど起こっておらず、この20数年間で唯一とも言えるものが、劉暁波氏の08憲章であった。しかし2013年に入ってすぐ、中央宣伝部が動くような事件が起こった。それが、南方週末の記事書き替え事件だ。これは、中国の新聞である南方週末に、掲載される予定だった政治の民主化などを求める記事が、地元当局によって書き換えられたとして、この新聞の記者らが抗議しているというものだ。また、記者らを支持する市民までもが抗議活動を起こしている。南方週末は、取材に基づく腐敗追及やルポタージュで人気を集め、また、アメリカのオバマ大統領の単独インタビューを掲載するなど、大衆紙としては最高の170 万部を発行している。中国の新聞は、人民日報など党の中央機関紙と、営利を目的とした大衆紙がある。もちろん、大衆紙も党の管理下にあるのだが、大衆紙は部数を伸ばすために娯楽や政府批判など、検閲を受けるぎりぎりのような記事も多く掲載している。 当初は、2013年1 月3 日発売の新年特別号に「中国の夢、憲政の夢」と題された、憲法に基づく民主的な政治や自由、平等の実現を求める記事を掲載予定であった。しかし、編集者らが正月休暇に入っている間に、習近平氏の唱える「中華民族の偉大なる復興」や社会保障、自己実現などの「夢」の実現に近づいているという、現状肯定的な内容に書き換えられていた。これに怒った記者らは、書き換えられる前の記事をネット上に公開し、中央宣伝部を批判した。しかし1 月6 日の夜に、微博の南方週末の公式アカウントで中央宣伝部の編集介入を否定した。その1 時間後に南方週末の記者らが、微博の公式アカウントが当局に乗っ取られたと発表し、多くの記者が実名で抗議を行ったが、この投稿は20分も経たないうちに削除されてしまった。また、1 月7 日には南方週末の本社前に、記者を支持する学生などの市民が約1000人集まり、言論の自由や民主を当局へ訴えかけた。てさらに、アメリカにいる人権活動家である陳光誠氏が記者らを支持すると発表したため、中央宣伝部は1 月8 日に、敵対勢力が事件の拡大に加担していると全国のメディアに通知し、事件に関与した記者、また、事件に関する意見をネットで転送した者は厳重に処罰すると警告した。しかし、微博を中心とするネット上では南方週末やその記者らを支持する声が相次いでおり、当局の必死の削除も大量の投稿には追いつかなかった。そこで、政府は事態を収束するために、南方週末が求めた事前検閲の中止、また、当局に抗議した編集者や記者を処分しないことを受け入れた。さらには、当局寄りだとして記者から辞任要求の出ていた編集長を、時期をみて更迭することも決まった。そして、南方週末は毎週木曜日に発売であるが、1 月10日木曜日は通常通りに発売された。10日の紙面の編集責任者の欄には、当局への抗議に参加していた記者の署名もあった。この事件で、政府が異例とも言える譲歩を示した理由としては、発足したばかりの習近平指導部への不満を高めたくなかったことが考えられる。膠着すれば政府への批判がばらまかれると判断し、早期の収束を最優先した結果だろう。 南方週末は広東省を地盤にしている。広東省は、改革開放と経済成長で先行したうえに、報道の自由がある香港とも近く、香港のラジオやテレビも視聴できる。そのため北京などと違い、市

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民の考え方も自由で開明的であると言われている。このような土地柄も、抗議活動を引きおこした要因の1 つであると言える。

(3) これからの中国とインターネット インターネットが普及するまでは、共産党の新聞やテレビなどメディアへの管理が行き届いていた。しかし、インターネットの普及によって、国民が自由に発言できる場が初めて提供された。もちろん、政府の規制が厳しいことに変わりはないが、5 億人以上がインターネットを利用する中で、そのすべての情報を検閲することは、どれだけ技術が発達したとしても不可能である。さらに、携帯電話の普及や微博をはじめとするSNSなど多くのサービスが充実してきたことで、インターネット上では、ますます自由な発言や行動が可能になっていく。今回紹介したインターネットを利用したデモや抗議活動の例は、どれもこの2~3 年の出来事で

ある。これら以外にも、中国各地で似たような出来事は起こっており、国民の政府に対する不満が大きいことがうかがえる。これからも経済の悪化や所得格差の拡大によって、政府に対して不満を抱く人が増加していることは確実である。また、社会の中心は、甘やかされわがままいっぱいに育ち、インターネットユーザーの多くを占める80后、90后へとなりつつある。これを踏まえると、これからの中国では、政府への不満がさらに大きくなること、また、その不満をインターネット上で共有することが予想できる。しかし、その大きな不満が一気に爆発する可能性は低いと考えられる。1 つ目の理由として、検閲が厳しいからである。政府側がネット上のすべての情報を検閲することが不可能なように、ネットユーザー側も政府の検閲を完全に逃れることは不可能であると言える。次の理由として、人民解放軍を挙げる。人民解放軍が共産党を見捨てることがない限り、天安門事件のように弾圧されてしまうだろう。特に中国では、政府の指示で軍が国民を虐殺した前例があるため、アラブの春のように軍が中立の立場をとるという可能性は非常に低いと考えられる。

以上のことから、すぐに民主化運動が起こることはないと思われる。しかし、インターネット普及によって政府に対する批判や不満、腐敗政治の是正など、これまでの中国では起こり得ることのなかった出来事が続いている。したがって、これからも頻繁に様々なことに対する抗議活動が起こると考える。

おわりに インターネットやメディアを利用して、民主化運動を行ったり政府の決定を覆した例として、烏坎村の事件や浙江省の列車事故を紹介した。しかし、どちらも村の共産党や鉄道省に対しての抗議で、共産党そのものに関わるものではない。共産党に対して抗議した例としては、検閲撤廃を要求したGoogle撤退騒動がある。しかしこの事件は、結局共産党が検閲を撤廃することはなく、Googleが撤退する結果に終わった。つまり、どの抗議運動によっても中央の共産党を動かすことはできなかったのだ。ところが、2013年初めに起こった南方週末の記事改ざん事件は違う。共産党に対して、言論の自由を求めた抗議で、さらにはこの抗議を受け入れ、共産党が検閲の中止を受け入れた。これは、それまでの他の抗議運動とは違い、共産党を動かすことのできたものであった。これからも、共産党を動かすことのできる抗議運動は少ないだろうが、少しずつ増えていくのではないかと思う。

参考文献 石平「中国ネット革命」( 海竜社、2011年) 遠藤誉「ネット大国 中国」( 岩波新書、2011年) 三船恵美「中国と『アラブの春』」( 中東研究、513 号【2011年度、Vol.Ⅲ 】) 富阪聰「薄熙来が暴露した党の限界」(『週刊ダイヤモンド』第6415号) 田中信彦「ゴーストタウンと化した『中国のドバイ』の悪夢」(『週刊ダイヤモンド』第

6415号)

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田代秀敏「中国新指導部が持つ核とマネーと海軍力」(『週刊エコノミスト』第 90巻第53号)

関志雄「鄧小平の『改革開放』で飛躍 79年以降は平均9.9%成長」(『週刊エコノミスト』第90巻第43号)

2012/3/1 付 日本経済新聞朝刊8 ページ掲載分 2012/12/8付 日本経済新聞朝刊7 ページ掲載分 2010/1/6 付 日本経済新聞朝刊6 ページ掲載分 2012/6/16付 日本経済新聞朝刊6 ページ掲載分 2011/11/4付 日本経済新聞朝刊25ページ掲載分 2013/1/8 付 日本経済新聞朝刊7 ページ掲載分 2013/1/9 付 朝日新聞朝刊12ページ掲載分 2013/1/11付 朝日新聞朝刊11ページ掲載分 2013/1/10付 日本経済新聞朝刊3 ページ掲載分 任 哲「中国の基層管理メカニズムと変容 —広東省烏坎の事例—」

(http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Seisaku/120308.html、2012年3 月) 金森 俊樹「中国新指導層の改革意欲を試す失業率統計」

(http://www.dir.co.jp/consulting/asian_insight/20130111_006665.html 、2013年1 月) 世界開発指標

(http://www.google.co.jp/publicdata/explore?ds=d5bncppjof8f9_&hl=ja&dl=ja 、2012年10月) 中国互联网络信息中心「第 27 次中国互联网络发展状况统计报告」

(http://www.cnnic.cn/research/bgxz/tjbg/201101/P020110221534255749405.pdf 、2011年1 月)「第 30 次中国互联网络发展状况统计报告」(http://www.cnnic.cn/research/bgxz/tjbg/201207/P020120719489935146937.pdf 、2012年7 月)

中尾 貴光「中国ソーシャルメディア分野で躍進する ” 微博( ウェイボ)” その実態と動向」(http://www.slideshare.net/osschina/ss-11209669 、2012年1 月)

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