kunjara, gaja, varanaな - jst
TRANSCRIPT
ナ
ー
ガ
(Naga)
考
雲
井
昭
善
は
じ
め
に
(1)
ナ
ー
ガ
に
関
す
る
研究
は
既
に
い
く
つか挙
げ
ら
れ
るが
、
仏
典
に
登
場
す
る
ナ
ーガ
(naga)に
は種
々
の意
味
づ
け
が
あ
って、
必
ず
し
も
一様
で
は
な
い。
し
たが
って、
ナ
ーガ
と
いう
語
の
み
でそ
の概
念
を
規
定
す
る
こと
は許
さ
れな
い。
広
く
、
仏
典
と
の
関
わ
りと
いう
点
か
ら
み
て
も、
或
いは民
間信
仰
と
の関
わ
り
と
いう
点
から
し
ても
、
仏
教
に
お
け
る
ナ
ーガ
の占
め
る位
置
づ
け
は
極
め
て広
い。
古
く
は、
ブ
ッダ
を
ナー
ガ
と称
し
た
こと
は
よ
く知
ら
れ
て
い
る。
し
か
し、
如
何
な
る意
味
内
容
で以
てブ
ッダ
を
ナ
ーガ
と呼
称
した
か、
は重
要
な
意
味
あ
いを
も
つ。
ま
た、
原
語Naga暫
は、一般
に龍
を
指
示す
るが
、
反
面
、
象
でも
あ
る。
龍
と
象
と
は
前
者
が
神
秘
的
力
を
秘
めた
想
像
上
の架
空
的
存
在
であ
る
のに
対
し、
後
者
は実
在
の動
物
であ
り、
且
つイ
ンド
文
化
圏
の土
壌
に
親
近
さ
を
も
つ。
尤
も
、龍
を
蛇
と等
置
す
るな
らば
話
は別
であ
る。
しか
し、
八
部
衆
に
は
ナー
ガ
(龍)と
マホ
ー
ラガ
(大蛇)
とが
並
列
さ
れ
て、
明
ら
か
に別
個
の存
在
と
し
し
位
置
づ
け
る。
蛇
を
意
味
す
る原
語
(パーリ語)
は、ahi, uaga, bhga
(bhujanga), bhogin, asa, alagadda, sappa,
な
ど
であ
る
し
、象
は
鼠
naga以
外
にhain, matga,
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-13-
密
教
文
化
kunjara, gaja, varanaな
どが同様の意味内容を持
つ。とすれば、少なくともナーガに
ついて言えば、それが龍を指
示するかそれとも象を指示するか、を検討する必要があろう。
加えし、.仏伝」とナーガとの関わりも数多である。成道前後に登場するムチャリンダ龍王、仏
入滅時に登場するナ
ーガ龍王の供養、は、何を意味するのか。そしし、インド古代説話はもとより、現代、韓国や日本
の民間信仰として
根づいた龍神信仰、龍頭観音として登場する仏教美術、民間説話にみる龍宮等々、ナーガをめぐる課題は広領域に亘
っている。それは、文化史的、民俗学的、かつ思想史的背景の中で検討されるべき要素を多く孕んでいる。
この小論は、これらのすべしに亘
って論及するのではない。主として、原始仏教聖典に登場す
るnagaに焦点をし
ぼ
り、若干の課題にアプ
ローチすることによっしその位置づけ、意味づけを試み、以て喜寿を迎えられた堀内寛仁教
授
の順寿に献ずるも
のである。
一
「仏
伝
し
と
ナ
ー
ガ
い
わ
ゆ
る、仏
伝
」に登
場
す
るブ
ッダ
と
ナー
ガ
と
の関
わ
り
に
つい
し
は、
既
に詳
述
した
論
麗
が
あ
る。
そ
れ
ら
の中
で、
こ
の小
論
で
は(一)仏
成
道
時
、
ム
チ
ャ
リ
ンダ
(Mucalinda)龍
王が
ブ
ッダ
を
守
護
し
た
伝
承
と
、二
仏
、
ウ
ルヴ
ェー
ラ
・カ
ッサ
パを
教
化
の際
、
火
神
堂
中
に毒
龍
を
降
伏
さ
せ
た
、
と
いう
)点
を
と
り
あげ
て、
禅
定
と
の関
わ
り
の中
で再
検
討
し
た
い。
(一)ムチ
ャリ
ンダ
(目真隣陀
、牟枝隣陀)
龍
王
の守
護
を
伝
え
る
資
料
は多忌(3)。
そ
の中
で、
「仏
伝
」の第
一次
資
料
と
し
て、『ヴ
ィナ
ヤ
』
(Vinaya)マハーヴ
ア
ッガ
(Mahavagga)一三
は、
以
下
の如
く
伝
え
る。
-14-
仏
・世尊
が
正等
覚
を
成
じ、
ウ
ルヴ
ェー
ラ
ー
(Uruvela)村ネ
ー
ラ
ンジ
ャラ
ー
(Neranja)河の
ほと
り
に
あ
る菩
提
樹
下
に
坐
し
て
七
日
間、
解
脱
を
自
受
法
楽
し、
初
夜
、
中
夜
、
後
夜
に
縁
起
(十
二支)を
順
・逆
に
観
じ
し
いた。
七
日を
過
ぎ
し
三昧
よ
り起
ち
、
菩
提
樹
下
よ
り
出
て
アジ
ャパ
ー
ラ
ニグ
ローダ
(Ahaoakanigrodha)樹
下
に
結
蜘
跣
坐
し、
七
日間
、
解
脱
を
自
受
法
楽
し
た
。更
に七
日を
過
ぎ
て、アジ
ャパ
ー
ラ
ニグ
ローダ
樹
下
よ
り出
し
ム
チ
ャリ
ンダ
(Mu-
calinda)樹
下
に結
蜘
跣
坐
し、
七
日間
、
解
脱
を
自
受
法
楽
し
て
坐
し
た。
この時
、
時
な
ら
ず
大
雲
が
起
り、
七
日
間
雨
が
降
り
続
き、
寒
気
あ
り、
風が
吹
い
て曇
った。
そ
の時
、
ム
チ
ャ
リ
ンダ
龍
(4)
王
は自
分
の棲
処
から
出
て来
て、
世
尊
の身
体
を
七
回
ト
グ
ロを
巻
いて
め
ぐ
ら
し、
大き
な鎌
首
を
上
にも
たげ
て
〔世
尊
の
頭
上
を覆
って〕
立
った
(atha kho Mu naa sana nikkamitva bhato kayam sattakk-
hattum bhogehi parikkhva upri mudi tam pham karitva atthasi
)
(<Vinaya,I,P.3
)
そ
し
て
思
う
に
は、
「寒
さ
も
世
尊
を害
す
る
こと
な
く、
熱
気
も
世
尊
を
害
す
る
こ
とな
く
、虻
・蚊
・風
・熱
・蛇
と
の接
触
(sirimsapasamphhasso
)も
世
尊
を
害
す
る
こと
な
き
よ
う
に
し
と。
さ
て
ム
チ
ャ
リ
ンダ龍
王
は
、七
日を
過
ぎ
て後
、空
も
清
明
で雨
も
止
んだ
のを
見
て世
尊
の身
体
か
ら
ト
グ
ロを
解
き
放
ち
、
そ
の本
来
の姿
を
捨
て
し童
子
の形
に
化
作
し、'合掌
し
て
世尊
に帰
依
し
つ
つそ
の前
に立
っ
。
(bhagavato kaya bhoge vinivethetva sakam paria manvannam abhinnininn bhagavato
Puaato atthai anjalko bha namassano.)(Vin,I,P.3)
右の叙述を仔細に分析すると、凡そ三つの素材があることに気づく。
一は仏像
のモチーフとな
った禅定仏の構図。
)はムチャリンダ龍王の棲処と仏身守護の意義。三は龍王が童子に化身して礼拝した、という三点である。
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-15-
密
教
文
化
先
ず
、
禅
定
仏
と
龍
の構
図
が
現在
、
最
も
一般
的
に見
られ
る
の
は
スリ
ラ
ンカ
であ
る。
コ
ロンボ
の市
中
に限
ら
ず
、
凡
そ菩
提
樹
のあ
る処
に
は
必
ず
垣
を
め
ぐ
ら
し、
そ
こに坐
す
ブ
ッダ
の頭
上
を龍
が
蓋
って
いる
座像
を
見
る。
ま
た、
禅
定
仏
と
龍
の構
図
と
し
し、
敦
焼
莫
高窟
の第
二五
一、
二五
九窟
等
に見
ら
れ
るが
、
そ
れ
ら
の仏像
は、
中
央
に禅
定
仏
のブ
ッダ
を
配
し、
そ
の
左
右
両
側
か
ら龍
(naga)が覆
う
よ
う
に禅
定
仏
を
と
り囲
ん
で
い
る。これ
ら
の構
図
は、
まさ
しく
、
蝕
にと
りあ
げ
た
「ヴ
ィ
ナ
ヤ』
に
伝
承
さ
れ
る
ブ
ッダ
と
ム
チ
ャリ
ンダ
龍
王と
の
一節
を
モ
チー
フに
し
たも
のに他
な
らな
い。
で
は何
故
、
ム
チ
ャ
リ
ン
ダ
龍
王
が
仏
身
を守
護
し
た
のか。
ブ
ッダ
時代
の禅
定
家
が
一般
に
そう
であ
った
よ
う
に
、
「独
一静
処
。専
精
思
惟
」
を
めざ
す場
合
、
樹
下
に
宴
坐
、
宴
黙
し
し
ひ
た
す
ら
思念
を
凝
ら
す
ことが
第
一条
件
であ
る。
専
心
禅
思
す
る禅
定
者
に
と
っし、
外
界
から
の危
害
を
避
け
、
且
つ内
心
の統
一
を
は
か
る
た
め
に
は、
あ
ら
ゆ
る危
害
を
避
け
るか
堪
え
忍
ぶ
ことが
要
望
さ
れ
る。
『寒
さ
も
熱
気も
、虻
・蚊
・風
・熱
・蛇
と
の接
触
も
世尊
を害
す
る
こと
のな
い
よう
に』
(ma bhagam sitam,ma bhaam unham, ma bham damm-
sam moa mahas hasa vata tap asi riimsa psasso, ti
(Vin.,I,P.3)と
、ム
チ
ャリ
ンダ
龍
王
がブ
ッダ
を
守
護
した
と
いう
背
景
に
は
、禅
(5)
定
と
の関
わ
りを
み
る
ことが
可
能
であ
る。
.増
支
部
』四
・二
・
一
一四
経
は、
四
つ
の条
件
と
し
て比
丘
が
能
聞
者
(sotar)、能
殺
者
(hantar)、能
忍
者
(khantar)、能
行
者
(gantar)であ
る
こと
を
、四
つ
の条
件
を
備
え
た
象
(naga)に喩
え
る
。
そ
の
(6)
中
で、
「比
丘
が
寒
・熱
・磯
・渇
・虻
・蚊
・風
・熱
・蛇
と
の接
触
を
堪
忍
す
る
」こ
とを
堪
忍
者
・能
忍
者
の条
件
と
し
て
いる。
或
い
は、
雪
山
の山
頂
に
あ
る
とさ
れ
る
阿褥
達
池
(Anotatta)に
棲
息
す
る龍
(阿褥達龍王)
の場
所
は、
熱
風
・暴
風
・熱
沙
の
(7)
襲うことがない理由から無悩と言われる。
元来、自然現象から受ける苦痛の多いインドにあ
っし、禅定者を悩ます外敵は数多である。
依天
(adhidaivika)・
-16-
依外
(adhibhautika)・依
内
(adjuatmka)の
三苦を語るサーンキヤ哲学にしても、
一切皆苦を唱える仏教にししも
す
べし、苦を如何に忍受しそれから脱皮することが問われた。しかし、現実的には、生存者にと
っし、前述の寒
・熱
・乃至蛇との接触から受ける苦痛は想像に難くない。特に、猛毒のコブラの脅威を想うならば、その危害を如何に避
け、身を守るかは大きな課題である。そうした場合、或る特別な力を有するものに対しし怖畏の感情を呼び起
こさせ
る。そこから、そうした存在に対する畏敬
の念を呼びさまさせることによって、却
って崇拝の念に結びつくものであ
る。
この崇門の念によ
っし自己防衛するという、言わば逆転
の思考が生まれてくる。悪鬼
・羅刹
・夜叉が仏教の守護
神
として位置づけられた過程を想起すれば、十分に首肯されしょい。
以上、
一、二を総合的に叙述したが、龍
の棲処についしは諸説あり、河、大海、古木の中、井戸の中、雪山山麓等
々が挙げられよう。
しかし、
龍神信仰や龍宮伝説にみられる娑伽羅龍王
(Sagara)は
別にして、
蛇の棲処
(棒
・根
・岩石など
の間)
と等
置
し
た点
が
多
い。
ム
チ
ャリ
ンダ
龍
王
の棲
処
を
ム
チ
ャ
リ
ンダ
樹
と
し
し樹
に宿
る神
と
み
る発
想
と
、
雨
・雲
・水
・川
・海
・サ
ーガ
ラ龍
宮
に連
な
る発
想
と
は
、
い
った
い、
何
処
で結
び
つく
のか。
こ
の点
に
つい
し
は小
論
三に
お
いし
検討
し
た
い。
さ
て、
次
に
「ヴ
ィナ
ヤ』
伝
承
中
、
ム
チ
ャリ
ンダ
龍
王
が
童
子
に化
身
し
てブ
ッダ
を
礼
拝
し
た
点
に
つ
いし考
察
し
た
い。
い
わ
ゆ
る
「仏
伝
」
の常
識
か
ら
言
えば
、
成
道
後
の釈
尊
が
最
初
説
法
を
し
た
いわ
ゆ
る
『初
転
法
輪
経
』
(『相応部』五六
・一一-
二経と
その漢訳等)
に
よ
っしサ
ンガが
成
立
し、
仏
弟
子
と
し
て
五比
丘が
誕
生
した
。
こ
の説
法
を
介
し
て、
ブ
ッダ
の伝道
教
化
が
開
始
す
る
の
であ
る
が
、
仏
に素
朴
な
供養
を
捧
げ
た点
から
言
え
ば
、
五比
丘
に先
き
立
っしタ
プ
ッサ
(日碧
募
銘
)
バ
ッリ
カ
(Bhallika))商
人
の供
養
に
よ
る
世尊
と
法
への)
帰依
(dve-vacika)が
あ
り
、更
に
そ
の以
前
に、
ム
チ
ャ
リ
ンダ龍
王
の童
子
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-17-
密
教
文
化
化
身
に
よ
る礼
拝
が
あ
る
。
さ
し、『ヴ
ィ
ナ
ヤ』
の伝
承
に
よれ
ば
、ム
チ
ャリ
ンダ
龍
王
は「本来
の姿
を
捨
し
し童
子
の形
を
化
作
し
し」
(saka vann pi-
sami tva man nam adhtomaitv)と冒一口い、「合
掌
し
て世
尊
に
帰
依
し
つ
つ前
に立
った
」(bha vato purato
atthasi anjal iko bha gav am na)と
結
ぶ。
こ
の
一文
は、
わ
れ
われ
に龍
女
変
成
男
子
(『法華経』提婆達多品第
十二)の物語り、すなわち
「時龍王女。忽現於前。頭面礼敬。却住
一面」「皆見龍女。忽然之間。変成男子。具菩薩行」
(10)
を
想
わ
せ
る。
も
と
よ
り、
・ム
チ
ャリ
ンダ
龍
王
の化
身
と
サ
ーガ
ラ龍
王
の娘
(sagara-naga-duhita)の
変
成
男
子
と
は、
そ
の
構
成
に
お
い
て異
な
る
の
では
あ
るが
、
仏
・世
尊
に礼
拝
す
る
に童
子
の形
を
化
作
し
た
、
と
いう
点
で原
初
的
な
素
材
と
な
る
であ
ろう
。『ヴ
ィ
ナ
ヤ』
大
品
(一・六
・三
一)
に
、龍
(ナーガ)
が
龍
の生
を
悲
嘆
し
、差
恥
し
、
「何
ら
か
の方
便
で龍
の生
を
脱
し
て
速
か
に人
間
の性
を
得
た
い」
(kena nu kho aham upaa nagayya Param khan ca mamn
Pati labh ti)
(Vin.,I,P.87
)と
いう
願
い
から
、こ
の龍
が
童
子
の形
を
と
って比
丘た
ち
の許
で出
家
を
請
う
、
と
いう
話
(11)が
み
え
る。
何
故
、
龍
が
人
間
に化
生
した
いか
、
と
いう
設
問
に対
し
し
は、
『想
応
部
』の
「ナ
ーガ
・サ
ン
ユ
ッタ」
に
、「ナー
ガ
に
四
種
の生
あ
る中
で化
生
の龍
(Opapatika-naga)が
卵
生
、
胎
生
、
混
生
の龍
よ
りも
勝
れ
し
いる」
と
いう
叙
述
が
、
そ
の
一
面
を
語
る
も
の
であ
る。
(二)三迦
葉
帰仏
を
伝
え
る伝
承
は
、
ブ
ッダ
が
三
兄弟
のウ
ルヴ
ェー
ラ
・カ
ッサパ
(Uruvela-kassapa)ナ
デ
ィー
・カ
ッサパ
(Nadi-kassapa)ガ
ヤ
ー
・カ
ッサパ
(Gaya-kassapa)と
いう
結髪
外
道
(Jatila, jatiaka
)を
教
化
し
た
と
いう
叙
述
であ
る。
三兄
弟
が
五
百
人、
三
百
人、
二百
人
の結
髪
外
道
の導
師
と
し
しネ
ー
ラ
ンジ
ャラ
ー
河
のウ
ルヴ
ェー
ラ村
を
中
心
に活
躍
し
て
い
-18-
た。
『ヴィナヤ
』の叙述にょると、世尊が三迦葉を教化するに際してウ
ルヴ
ェーラ
・カッサパと対話
したこと
を
伝
え
る。その折、火堂に
一夜を過ごすことをめぐ
っし、「猛悪な神通力ある龍王、猛毒の毒蛇が害するかもしれない」と、
世尊に告げる。世尊はカッサパの言を退けし火堂に入り、
一夜を過ごす。すると火堂の龍が火焔を吹いたので
「世尊
も火界三昧に入
っし火を放
ったし(bhagvepi tejodhatunm samajjitva pajjali)
(Vi.,I.P,25)火
堂は火焔に包まれ
たが、世尊は皮膚、内筋、骨髄を損うことなく威力を滅した龍を鉢に入れ、それをカッサパに示した、というのが叙
述
の大要である。
ここにみられる叙述は、神通力を以て龍の威力を滅した世尊
の神通力を強調したものであるが、
このあとに続く叙
述と照応ししみるとそれだけでないことに気づく。すなわち、龍の威力を滅した云々は、実は拝火教の信者カッサパ
が、仏の威神力に敗れて教化されしいくプ
ロセスを示すための伏線とな
っている。龍が火焔を吹き出すという構想は
とも
かく
、
そ
れ
に
対
し
て、
世
尊
が
火界
三
昧
に
入
って火
焔
で対
応
した
と
いう
叙
述
は
、
い
った
い何
を意
味
し
て
い
る
の
か。
(12)
一般に、ブ
ッダ時代に即して言えば事火外道
(Aggika)が
想像できるし、又、火定
・火界定三昧という内容からす
(13)
れば
、
ウ
ルヴ
ェー
ラ
・カ
ッサ
パ
も
火
定
三
昧
の実
修
者
だ
った
こ
とが
知
ら
れ
る。
「火定
に
入
っし身
中
から
青
・黄
・赤
・白
の
火
焔
を
出
し、
上
、
下
身
よ
り火
・水
を
出
す
し
と
す
る
説。
例
えば-
、
尊
者
欝
毘
羅
迦
葉
。
入
)火
定
一巳
。身
中
便
出
二種
種
火
焔
幻青
黄
赤
白中
水精
色
。
下身
出
レ火
上身
出
レ水
。上
身
出
レ火
下身
出
レ水
。
(『大正蔵』一・四九七下)
と
す
る
『中
阿
含
』
巻
第
十
一頻
碑
娑
遷
王
迎
仏経
の所
説
が
そ
れ
で
あ
る
。更
に、
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-19-
密
教
文
化
於レ是尊者欝毘羅迦葉止二如意足一已。為レ仏作レ礼白日。世尊。仏是我師。我是仏弟子。仏
一切智我無二一切智
一。
…中略…。爾
時尊者欝毘羅迦葉因二自己一故。而説レ頚日。
昔
無
二所
知
一時
為
二解
脱
一事
レ火
。
錐
レ老
猶
二生
盲
一
邪
不
レ見
二眞
際
一
我
今
見二上
跡
一
無
上
龍
所
説(14)
我
為
蓋
脱レ苦
見
已
生
死
盤
尤
も
、
こ
の経
典
は
パ
ー
リ
相
応
を
欠
くが
、
パ
ー
リ律
(Vin.,I,P,24-35)と
対
応
し
て
「結
髪
修
行
者
た
ち
は、
毛髪
、螺
髪
、
搬
荷
、
事
火
具
(aggihuttamissa)を
水
に
流
し、
世尊
の
いる
処
に行
って額
面
接
足
礼
した
」(Vin.,I,P,33)と
いう
点
で、
(15)
ウ
ルヴ
ェー
ラ
・カ
ッサ
パが
事
火外
道
であ
った
こと
に
は異
論
な
か
ろう
。
と
す
れば
、
三
迦
葉
教
化
に際
し、
火
堂
に
登
場
し
た
火焔
龍
と事
火外
道
と
の関
わ
り
は、
い
った
い何
を
意
味
し
し
いた
のか
。
既述
の如
く
、
火
堂
龍
の設
定
は、
あ
く
ま
でも
カ
ッサパ
事
火
外
道
教
化
のた
め
の伏
線
で
あ
った。
龍
の登
場
は、
火
に
よ
って
煩
悩
の火、
三
火
・三毒
を
断
つこ
とを
象
徴
的
に意
味
した
も
の
であ
り、
ブ
ッダ
自
身
も
、
そ
の当
時
の事
火
外
道が
実
修
し
し
い
た行
法を
体
得
し
し
いた
から
こ
そ、
火
界
三昧
に入
った
、
と
いう
伝
承
が
成
り
立
つ。
と
す
れば
、
火
焔
龍
を滅
し
た
と
いう叙
述
は、
単
な
る降
魔
だ
け
で
はな
く
、
禅
定
・三昧
と
の関
わ
りを
示
し
て
いた
と
み
て
よ
い。
二
ブ
ッダ
と
ナ
ーガ
ブ
ッダ
を
ナー
ガ
(naga)と称
す
る
こと
は、
既
に
よ
く
知
ら
れ
て
いる。
仏
教
経
典
のみ
な
らず
、
ジ
ャイ
-20-
(16)ナ
経典
に
お
いても
、
開
祖
マ
ハー
ヴ
ィー
ラ
を
ナー
ガ
と称
し
た
ことが
既
に指
摘
さ
れ
て
い
る。
し
か
し、
ナー
ガ
は
龍
であ
る
と
同
時
に
象
でも
あ
る。
ブ
ッダ
を
ナ
ーガ
と
呼
称
す
る場
合
、
そ
のナ
ーガ
は
果
た
し
て龍
を
指
示す
る
の
か
それ
と
も
象
を
指
示
す
る
のか
、
を
明
確
に
す
る
必要
が
あ
ろう
。
且
つ、
如
何
な
る意
味
でブ
ッダ
を龍
と
呼
ぶ
のか、
又
は象
と呼
ぶ
の
か、
も
当
然
、
明
ら
か
に
し
てお
く
べ
き
であ
ろ
う。
以
下、
ブ
ッダ
ー
ナ
ーガ
は
龍
か
象
か
を
め
ぐ
って
検
討
し
て
み
よ
う。
『相
応
部
』
一四
・八経
は
、
諸
天
想
応
(Devasamyutta)中、
「岩
の破
片
」(sajakuja
)
(SN.I,P.27-29)と
し
て、
原
始
仏
教
資
料
中
、
極
め
て素
朴
な
一経
であ
る。
そ
の中
で-、
沙
門
(=道の人)
ゴ
ー
タ
マは
ナ
ーガ
で
ま
し
ます
。
起
って来
る苦
し
い、
痛
々し
い、
不
快
の身
苦
に
煩
わ
さ
れ
ず、
正
念
・正
心
に堪
え
忍
ぶ
の
〔は
、
そ
の性
が
ナー
ガ
の性
に
よ
る
か
ら〕
であ
る。
Nago vata samano Gomo. navat casna srka duha toba kra katuka asata
amanapa.seto samo adhivastei avino.
(Samaniha,I,P.28)
言
う
ま
でも
なく
、
沙
門
(Samana)の呼称
は、バ
ラ
モ
ン教
以外
の宗
教
家
一般
を
言
う
。
沙
門
ゴ
ー
タ
マを
ナー
ガ
と
呼
ぶ
場
合
、
そ
の内
容
づ
け
を
本
経
は
〈苦
痛
・不快
の身
苦
に煩
わ
さ
れ
ず
、
正
念
・正
心
に忍
受
す
る〉
(sato sajano adhiseti
avihannmano)という
。
し
かも
、
ナ
ーガ
即
ブ
ッダ
の表
現
を
受
け
て、
本
経
は、
沙
門
ゴ
ー
タ
マを
獅
子
(Siha)駿馬
(Ajaniya)牛王
(Nisabha)忍耐
強
い牛
(Dhorayha)調
御
さ
れ
た
る
者
(Danta)と呼称
す
る。
Nago vata bho samo Gotamo,Siho vata bho sam Gotamo, Ajaniyo a bho Gotamo, Nhissbho
vata bho samano Gotamo, Dhorayho vata vata bho sa Gotamo, Dano va bho samano Gotano (SN.,I,P.
28)
か
つ又、
それ
ら
の意
味
づ
け
を
、
前
述
の性格
を
以
て肉
づ
け
し
て
い
る。
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-21-
密
教
文
化
(17)
右の経典に対する註釈によると、ナーガは〈力を有する義によ
ってナーガ〉(balaant, attne nago)(
怖畏なき義
によって獅子〉(asamt, attna siho)乃
至
〈重荷を運ぶ義によ
って忍耐強
い牛〉
(dhua-van,atna dhra
yho)〈従順の義によ
ってよく調御されたもの〉(Nibbevana danto.
)(SN.A.,Saratkani,I,P.80
)と
註釈する。更に、
人中
のナーガ、人中の獅子、人中の駿馬、人中の牛王、人中の忍耐強い牛、人中の調御者を侵そうと思う人あ
れば
、
彼
は無
知
者
以
外
の何
者
でも
な
い。
と
す
る
一文
か
ら
す
れば
、
本
経
の
ナ
ーガ
は
象
を
意
味
し
て
いた
こと
は
明白
であ
る。
ナー
ガー=象=dantaとす
る思
考
は
、
煩
悩
を
滅
し
た
状
態
に喩
え
る
こと
で象
を
調
御
す
る
こと
に
結
び
つく。
例
えば
、
『相
応
部
』有
偶
品梵
天相
応
・六
・
一・一二に一
、
〔煩
悩
の〕
魔
軍
に襲
わ
れ
る
こと
な
く、
心寂
静
で欲
の汚
れな
く
、
調
御
さ
れ
た
象
の如
く
歩
む。
visenito upasaitto nago vacrti anejo.
(SN.I,P.141G.)
(19)と、
いう。
註
釈
に
よ
れば
、〈
煩悩
の軍
隊を
撤
去
す
る
こと
がvisenibhutoで
あ
り
、
渇愛
のな
い
ことが
きanejoであ
る〉
と
解
し
て
いる。
ナ
ーガ
を
象
に比
定
す
る資
料
は
、
こ
の外
に
も
いく
つか
挙げ
ら
れ
るが
、
そ
の中
で、
修
行
の完
成
した
人
、
又
は比
丘
に
と
って
く
象
の如
く歩
む〉
こ
とを
修
行
者
の
一条
件
と
み
た
経典
を
拾
っし
み
よう
。
ナー
ガ=象
の四
つ
の条
件
と
し
て、
か
れ
らが
(一)御者
の言
を
よ
く
聞
く
能
聞
者
であ
る
こと、
二
力
強
く
て能
殺
者
であ
る
こと
(20)三よく堪え忍ぶ能忍者であること四行動をよくする能行者であることを挙げる。
この条件を修行をめざす比丘に喩え
し、比丘が世の福田となるための四条件として、如来所説の法
・律に対する能聞者たること、断煩悩の能殺者たるこ
-22-
(21)
と、
忍
受
者
た
る
こと
、
修
習
者
であ
る
こと
、等
を
教
え
る。
『テー
ラ
・ガ
ー
ター
』
六九
二一
七
〇
四
偶
は
、『増
支
部
』
六
・五
曇
弥
品
四三
に
同
じ
形
で
伝
え
ら
れ
るが
、これ
ら
の諸
偶
に
よ
る
と-、
ナ
ーガ
は雪
山林
中
にあ
っし、
ナー
ガ
と
名
のあ
る
者
の中
で
これ
に
匹敵
す
る
も
のが
な
か
った
(naganamanam sac-
canamo anuttaro)。悪
を
な
さ
ず
、
慈
愛
と
不害
と
は
ナー
ガ
の両
足。
正念
、
正知
が
他
の
二
足。
信
心
は手
。
白
牙
は
平
静
。
正
念
は
首
。
智
慧
は
頭。
思
惟
は
(法)思
の心
。
和
住
は
(法)腹
。
遠
離
は尾
で、
ナ
ーガ
(象)は
行
・住
・坐
・臥
に定
に
(22)
住
す
。
蝕
に、
仏
・世
尊
を
ナ
ー
ガ
(象)に
讐
え
た
所
以
を
見
る。
象
が
腐
った
蔓
草
を
断
つこと
を
人が
煩
悩
を断
つこ
と
に喩
え
(『テ
ープ
・ガーター』
二
八四偶)
修
行
者が
密
林
で蚊
や
虻
に咬
ま
れ
ても
心
に
念
じ
て堪
忍
す
る
ことを
戦
場
に
お
け
る
象
に
喩
え
(『同』三
、
二四四、六八四偶)
る
。
仏
自
身、
わ
れ
は勝
利者
で繋
縛
を
脱
し、
解
脱
を
得
て最
勝
、
巳
に
調
え
ら
れ
た
ナ
ーガ
(象)で
無
学
の位
に達
し、
す
で
に般
浬
契
に
入
った。
と
しう
さ
て、
ナー
ガ
"
象
と
す
れば
、
ナ
ーガ
(naga)の語
源
釈
(通俗語源)
を
、
如
何
に
経典
及
び後
世
の註
釈
家
は把
え
て
いた
で
あ
ろう
か
。
こ
の点
か
ら、
ナ
ーガ
ー=象を
指
摘
し
て
みよ
う
。
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-23-
密
教
文
化
『増
支
部
』
四
三
・二経
に-、
ナロガ
コー
サ
ラ国
に
白
(seta)と名
づ
け
る象
が
あ
る。
人
び
とが
そ
れを
見
し、そ
の広
く
大き
い
こ
とを
賞
讃
した
。
そ
の時
、
世
尊
は尊
者
ウ
ダ
ーイ
(Udayi)に対
し、「人
び
と
は象
の広
大
さ
、
肢
体
円
満
を
言
う
が
、
諸
天
・魔
・梵
・沙
門
・婆
羅
門
・
国
王
・民
衆
の
この世
の中
で、
身
・口
・意
を
以
て凡
そ
不善
・罪
悪
を
な
さ
ざ
る人
を
、
わ
れ
は
ナー
ガ
と
いう。
ya agum na karoti kayena vacaya manasa, tam aham nago ti brumi ti.
(AN.,III.P.346)
(23)
こ
こ
では
、naga をagum na karotiと通
俗
語
源
釈
を
施
す
。
こ
のよ
う
な語
源
釈
は、
他
にも
多
く
みら
れ
るが
、
古
く
『ス
ッタ
・ニパ
ー
タ』
五
)
)偶
に、
世
間
に
あ
って如
何
な
る
不善
(罪悪)を
も
な
さ
ず
、
一切
の束
縛
を
捨
て
去
り、
あ
ら
ゆ
る
こと
に
と
ら
わ
れ
る
こと
な
く
解
脱
した
人
、
こ
のよ
う
な
人
は
まさ
に
ナ
ーガ
と呼
ば
れ
る。
と
あ
る。
或
い
は
『ス
ッタ
・ニパ
ー
タ』
第
五
三
偶
に
み
る
〈
あ
た
かも
肩
が
よ
く
発
育
し
斑
紋
のあ
る
巨
大
な
象が
、
そ
の群
を
離
(24)
れ
し
欲
す
るが
まま
に独
り行
く
〉
に
対
す
る
註
釈
(『パラ
マッタジ
ョー
ティカー』)
で
は、
(一)調
御
さ
れ
た
も
のが
調御
さ
れ
な
い
土
地
に
は行
かな
い故
に
(dantatta adantabhumin nagacchati)(二)身
体
の巨
大
の故
に、
(三)罪
悪
を
な
さ
な
い故
に
(agum
akarane)と言
う。
と
す
れば
、これ
ら
の詩
偶
は
、
明
ら
か
に
ナ
ーガ
目
象
を
指
示
し
て
いた
と
見
る
べき
であ
ろう。
尤
も、
漢
訳
者
は
、
上
掲
の
『増
支
部』
四
三
・二経
に対
す
る漢
訳
に
お
いし
、「烏
陀
夷
。
如
来
於
二世
間
天
及魔
梵
沙
門梵
志
一。
従
レ人
及レ天
不
下以
二身
口意
一害
上。是
故
我
名
レ龍
し(『大正蔵』
一・六〇八中)
と
し
て、
ナ
ーガ
ー
龍
と訳
し
て
は
い
るが
。
-24-
以上、ナーガ”象と指示しうる経証をいく
つか挙げてみた。そこから導き出された結論は、少くとも仏教がインド
古代
の伝承を脱皮して、仏教本来の解釈、すなわち調御された修行の完成者をナーガー=象とみた
ことは否めない。
比丘たちよ、ナーガとは、何か、これ漏尽の比丘たちの同義異語である。
k0 nago ti bhikkhave khinasavass,etam bhikkhuno dahivacanam.(MN.,I,P145)
次
に
、
ナ
ーガ
を
ブ
ッダ
に等
置
す
る場
合
、
神
秘
的
な
力
を
具
え
る
ナ
ーガ
ー
龍
ー
ブ
ッダ
を
意
味
す
る資
料
に
つい
て検
討
を
加
え
た
い。
原
始
仏
教
資
料
の古
層
に
位
置
す
る
とさ
れ
る
『テ
ー
ラ
・ガ
ーダ
ー
』
第
一二四
〇
偶
は-、
世
尊
は
ナー
ガ
の名
を持
ち、
諸
仙
中
の第
七仙
にあ
た
る。
大
雲
の如
く
に
し
て、
弟
子
に
〔法
の〕
雨
を
そ
そぎ
た
も
う
。
ナ
ーガ
ー
龍
が
、
雨
・雲
・水
・河
・海
と
関
わ
る点
か
ら
す
れば
、〈
大
雲
の如
く
〉と
いう
表
現
は
龍
を
指
示
す
る
と
考
え
ら
れ
(25)
る。
古
く、
ブ
ッダ
を
ア
ンギ
ー
ラ
サ
(Angirasa)と
呼
称
し
た
点
か
ら
す
れば
、
龍
ー
ブ
ッダ
の呼
称
は当
然
、
可
能
性
を
も
つ。
『テー
ラ
・ガ
ー
タ
ー』
の別
の詩
偶ぽ
、
両
足
者
の中
の最
上
な
る
人
よ、
わ
れ
は、
汝
、
天
の中
の天
を
拝
す。
汝
か
ら
生
ま
れ出
で、
ナ
ーガ
の嗣
子
であ
る〔私
は
〕
ナ
ーガ
を
礼
拝
す
る。
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-25-
密
教
文
化
ブ
ッダ
を
眼
あ
る
者
、
日
種
族
(adicca-bandhu)と
呼
ぶ
こと
と
比
べ
て、
ナ
ーガ
を
神
秘
的
な
力
を
具
有
す
る存
在
と
み
た
こと
は、
十
分
に首
肯
でき
る。
と
す
れば
、ブ
ッダ
を
ナ
ーガ
と称
す
る場
合
、
一
神
秘
力
を
具
え
た
存
在
と
し
て
、龍
と
し
て
のナ
ーガ
と、
二
よく
調
御
さ
れ、
煩
悩
を
断
って罪
悪
を
な
さ
な
い存
在
と
し
て、
象
を
指
示
す
る
ナ
ーガ
の
)
つが
考
え
ら
れ
る。
そ
の場
合
資
料
の新
古
、
後
世
の註
釈
と
いう
こと
で、
龍
、
象
と
概念
規定
す
る
こと
は危
険
であ
る。
例
え
ば
、
前
掲
の
『相
応
部
』
(Sn.
I,P,28G.)にみ
え
る
ナ
ーガ
の如
く
に。
そ
し
て、
仏
教
的
煩
悩
論
の体
系
化
に
と
も
な
っし
、
ナ
ーガ
を
象
の意
味
でブ
ッダ
と
称
し
た
、
と
考
え
ら
れ
る。
三
ナ
ーガ
と
説
話
ナーガ
に
関
わ
る
伝
説、
説
話
は多
い。
龍
神
信
仰
に
代
表
さ
れ
る
ナ
ーガ
の伝
承
は、
い
った
い
イ
ンド
神
話
の
い
つ頃
に求
め
ら
れ
る
であ
ろ
う
か。
こ
の項
は、
言
わば
ナ
ーガ
に関
す
る問
題
提
起
でも
あ
。
イ
ンド
古
代
説
話
に
み
る
伝
承
中
、
ナ
ーガ
の概
念
を
想
起
さ
せ
るも
のを
強
い
て挙
げ
る
な
らば
、『リグ
・ヴ
ェー
ダ
』讃
歌中
の
イ
ンド
ラ
・スー
ク
タが
挙げ
ら
れ
る。
尤
も、
ヴ
ェーダ
宗
教
に
お
い
て
ナー
ガ
神
信
仰
の形
跡
は
な
いが
、
龍
と
雲
・水
・河
・海
(27)
と関
連
さ
せ
るな
ら
ば
、
以
下
の讃
歌が
み
ら
れ
る。
われ
今
宣
ら
ん、
イ
ンド
ラ
の武勲
〔の数
々〕
を
、
ヴ
ァジ
ュラ
(電撃)手
に持
つ
〔神
〕
が
、
最
初
に
た
てし
と
ころ
の。
彼
は
ア
ヒ
(「蛇」=ーヴリ
トラ)を
殺
し
、
水
を
穿
ち
いだ
し
、
山
々
の牌
腹
を
切
り裂
け
り。
(一・三二
・一)
彼
は山
に
わだ
かま
る
ア
ヒを
殺
せ
り。
ト
ゥヴ
ァ
シ
ュト
リ
(工巧神)
は彼
のた
め
に
鳴
り
ひび
く
ヴ
ァジ
ュラ
を
造
れ
り
。
鳴
き
つ
っ
〔仔
牛
のも
と
に
赴
く
〕
乳
牛
のご
と
く、
水
ら流
れ
て、
速
か
に海
に
向
か
って落
下
せ
り。
(一・三二
・
)
-26-
イ
ンド
ラ
は、
肩
を
拡
げ
た
る
・最
も
頑強
な
る障
碍
・ヴ
リ
ト
ラ
(「障碍」、蛇形の悪魔)
を
殺
せ
り。
偉
大
な
る
武
器ヴ
ァ
ジ
ュラ
に
よ
って。
斧
も
て伐
り
倒
さ
れ
た
る
木株
のご
と
く、
ア
ヒ
は大
地
の上
に傭
伏
に
横
た
わ
る。
(一・三二
・五)
止
ま
る
こと
なく
、
休
む
こと
な
き
水
流
(また
は流木)
のた
だ
中
に
、
彼
の
屍
は
かく
し置
かれ
た
り。
水
は
ヴ
リト
ラ
の
秘
所
(恥部または墓場)を
越
え
て進
む。
イ
ンド
ラ
を敵
と
す
るも
の
は、
長
き
暗
黒
に沈
みぬ
。
(一・三二
・一〇)-
傍
点
は
筆
者-
右
の讃
歌
は、
も
と
よ
り
武
勇
比類
な
き
イ
ンド
ラ神
を
讃
え
た
も
の
であ
る
が
、
単
に
武
勇
の神
と
し
て
で
は
なく
、
古
代
ア
ー
リ
ャ民
族
の農
耕
生
活
に
必
要
な
降雨
と関
わ
る
イ
ンド
ラ神
、
す
な
わ
ち
雷
寒
神
を
歌
った
も
ので
も
あ
る。
且
つ、
こ
の讃
歌
に
は、
自
然
現
象
を
象
徴
化
した
意
図
が
隠
さ
れ
て
いる。
イ
ンド
ラ
の別
名
を
ヴ
リ
トラ
・ハン
(Vrtrahahan)、す
な
わ
ちヴ
リ
ト
ラを
殺
す
者
と
いう
。
ヴ
リト
ラ
は
「障
碍
」「蛇形
の悪
魔
」
と
言
わ
れ
る如
く
、
イ
ンド
ラは
蛇
形
の悪魔
を
殺
す者
であ
る。
ヴ
リ
ト
ラを
ア
ヒ
(ahi)の意
に
解
す
る
(一・三二
・一)
な
らば
、
イ
ンド
ラ
は
くvrtra-han, ahi-hanと等
置
さ
れ
る。
、障
碍
」
「蛇
」を
象
徴
化
した
背
景
に
は
、
雨
雲
、
水
を
堰
き
と
め
た
堤
防
を
想
起
さ
せ
る。
こ
の堰
を
打
破
って大
空
か
ら
雨
降
ら
す
役
目
を
イ
ンド
ラ
に託
し
た、
と
し
ても
何
ら
不
思
議
で
な
い。
「障
碍
し
「蛇
形
の悪
魔
」が
「屍
を
横
た
え
て水
流
に流
さ
れ
た
」
(一・三二
・一〇)と
す
る発
想
は、
蛇
・水
・雨
雲
と
いう
民
間
信
仰
の
素
材
を
示
唆
す
る。
龍
が
雨
・水
と
不
可
分
の関
係
を
も
つ素
材
億、
実
は
イ
ンド
ラ神
と
ア
ヒ
ヴ
リト
ラ
と
の戦
闘
に物
語
るも
の
であ
る。
密
雲
の
横
た
わ
る障
碍
ヴ
リ
トラ
が
除
去
さ
れ
し雨
雲
を
呼
び、
水流
とな
って海
に流
れ
ゆ
く
、
と
す
る
説話
は、
ヒ
ンド
ゥ
ー教
美
術
に
み
る
恒河
降
下
の
それ
に類
似
であ
る。
上
掲
のイ
ンド
ラ讃
歌
は、
(一)アー
リ
ャ人
の崇
拝
神
と
し
しヴ
ェーダ
神
話
に
絶
対的
地位
を
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-27-
密
教
文
化
確保したインドラ神が、その神格的地位を不動にした点と二原住民族の信仰対象としてのアヒ、、蛇形
の悪魔」ヴリト
ラを退治したことによる非
アーリアン宗教の後退、という)面が示唆されていたと考えられる。
(28)
次
に
、
いわ
ゆ
る
八部
衆
と
し
て
の龍
に
つい
て考
察
し
た
い。
八
部
衆
の数
え方
と
し
て、
(A)天
(Deva)龍(Naga)夜叉
(Yaksa)乾闇婆
(Gandharva)阿
修
羅
(Asura)迦楼
羅
(Garuda)緊那
羅
(kim-
hara)摩
喉
羅
伽
(Mahoraga
)
(B)
天
・龍・
夜
叉
・阿
修
羅
・迦
楼
羅
・緊
那
羅
・摩
喉
羅
伽
(乾闊婆を除く)
の
)型
が
一般
的
であ
る。
し
か
し、
八部
衆
そ
のも
の
の検
討
は
こ
の小
論
の意
図
で
は
な
い。
む
し
ろ、
非
人
・鬼
霊
と
し
て龍
と
摩
喉
羅
伽が
並置
さ
れ
て
い
る点
を
追
求
した
い。
摩
喉
羅
伽
の原
語Mahoragaは勿
論maha-uraga餌
大
腹
行
・大
蛇
(urena gachati urago,saps,etam av-
nam,Sn.A.,p.13)をいう
。
ナ
ーガ
も
マホー
ラガ
も
鬼
霊
の
一つに数
え
ら
れ
るが
、
架
空
的
想
像
上
の
ナー
ガ
に
対
し
、
マ
ホー
ラガ
は
よ
り
現実
的
であ
る。
言
わ
ば
、
八部
衆
中
、
他
の七
つに
対
し
て現
実
性
のあ
る存
在
であ
る
。
に
も
か
か
わ
らず
、
仏
教
の守
護
神
と
し
て位
置
づ
け
ら
れ
た背
景
は、
何
であ
った
か
。
マホ
ー
ラガ
を
コブ
ラ
に等
置
す
る
こと
に
は
異
論
あ
ろ
う
が、
蛇
の特
徴
と
し
て(一)猛
毒
が
あ
る
こと
、
二
脱
皮
(of.Sn.vv.
1-2)か
ら
く
る
再
生
の観
念
日
トグ
ロを
巻
く
四
蛇
の頭
部
シ
ンボ
ルと
生命
の
エネ
ルギ
ー、
(五)
龍
が
雨
・雲
と
関
わ
る
如
く
生
殖
と
繁
栄
の観念
と結
び
つく
。
と
りわ
け
、
毒
蛇
と
し
て
の驚
威
性
か
ら
く
る怖
畏
感が
、
民
間
信
仰
と
し
し崇
拝
の対
象
と
な
る
こと
は
ナ
ーガ
の場合
と同
様
であ
る。
古
代
原
始
宗
教
形
態
か
ら
す
れば
、
マホ
ー
ラガ
が
鬼
霊
的
存
在
と
し
て
の意
義
を
担
う
一理
由
と
考
え
て
よ
い。
-28-
この小論の最後に、龍宮に関する説話をとりあげたい。龍宮を娑端羅
(Sagara)龍
王の宮殿とする資
料
は、『世記
経』『起世因本経』『大楼炭経』などに伝えられる。娑端羅龍王は、
いわゆる八大龍王の
一つとして護法神であること
は、
これ又、
『法華経』(『大正蔵』九
.九上)の語るところである。この中、
『長阿含経』巻第十八
『世記経』と、その
異訳とみられる
『大楼炭経』六巻、『起世経』十巻、『起世因本経』十巻における娑蜴
・娑伽羅龍王宮殿の叙述は、ほぼ
等同である。以下、直接、関わる箇所のみを列挙しよう。
『世記経』龍鳥品第五
(後秦弘始年仏陀耶舎共竺仏念訳)
大海水底有)娑蜴龍王宮
一。縦広八萬由旬。宮矯七重七重欄楯七重羅網七重行樹。周匝厳飾皆七宝成。乃至無数
衆鳥相和而鳴。亦復如是。
(『大正蔵』
一、
一二七中)
『大楼炭経』巻第三龍鳥品第六
(西晋沙門法立兵法炬訳)
大海底須彌山北有二娑端龍王宮一。広長入萬由旬。以)七宝金銀水精琉璃赤真珠車栗馬璃一。作二七重壁七重欄楯七重
刀分
(交路
・交露)七重樹
一。周匝妹好。金壁門。銀門。銀壁金門。琉璃壁水精門。水精壁琉璃門。赤真珠壁馬
璃門。馬璃壁赤真珠門。車栞壁
一切宝門。彩画妹好。
(『同』
一、二八八中)
『起世経』巻第四諸龍金翅鳥品第五
(階天竺三蔵闊那堀多等訳)
大海水下。有)娑伽羅龍王宮殿一。縦広正等八萬由旬。七重垣縞。七重欄楯。周匝厳飾。七重珠網。宝鈴問錯。
復有二七重多羅行樹一。扶錬蔭映。
周廻國続。
妙色楼観。
衆宝荘按。所謂金銀琉璃頗梨赤珠陣栞薦璃等七宝所
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-29-
密
教
文
化
成。於二出四方
一各有二諸門一。(『同』
一二三二中)
『起世因本経
』巻第五諸龍金翅鳥品第五
(晴天竺沙門達摩笈多訳)
大海水底。有二娑伽羅龍王宮殿
一。縦広正等八萬由旬。七重垣踏七重欄楯。周匝荘厳。七重宝鈴。問錯珠網。復
有二七重多羅行樹一。扶躁蔭映之所園続。妙色可レ観。
衆宝荘按。
所謂金銀琉璃頗梨赤真珠車栞馬璃等。七宝所
成。於二彼四方
一各有二諸門一。(『同』
一・三八七中)
以上、煩を厭わず列挙した所以は、これらの龍宮の描写が、浄土経典における極楽の描写を想わせるに十分だから
(29)
である。とくに《無量寿経》《阿弥陀経》における極楽
の描写と比較するとき、娑伽羅龍王宮との類似性に気づ
く
こ
と
であろう。む
す
び
以上、ナーガに関する諸伝承の二、三について検討してみた。龍を指示するナーガと象を指示するナーガに限定し
し考えるならば、形体的な面と、架空的存在に対する実在の動物、という点、鬼霊とする龍とそうでない象とは基本
的
に異なる。にもかかわらず、どちらも四足である点、象の鼻の形状と龍との類似性や、水中に象が鼻をさし込んで
水を吸い上げては水を吐き出す等
々、龍と象との混同される面が多くみられる。事実、経典中、龍
でも象でも指示し
う
る場合がいく
つかみられる。しかし、雨
・水
・海と結び
つく龍と陸地
・森
・戦場と結びつく象
とは、明らかに異質
-30-
と言わねばならない。
反面、龍と蛇との類似性は
一般的に認められる。尤も、八部衆においし龍とマホーラガとが併存し、何れも非人
・
鬼霊としし位置づけられてはいるが、象と比べたとき、両者
の類似性を認めざるを得ない。
原始仏教聖典において登場するナーガに関する叙述は、小論に述べた如く
一様ではない。その背景には、インド的
伝承と仏教的理解とが交錯していたこと、それ故に、複合的な文化現象があ
ったことを再確認す
べきであろう。
註
(1) J.Fergusson;Tree and SerpentWorship, London,
1868.pp.60-61
。
宮坂宥勝
『仏教
の起源』第六章第
一節三五〇頁-。
中村元
『ゴ
ータ
マ
・ブ
ッダ』
(選集第
11巻))〇六、
)九
一頁。
前田恵学
「イ
ンドの仏典に現われた竜と竜宮」
(『東
海仏教』第五輯、
二九-
三五頁。)
杉本卓州
『イ
ンド仏塔
の研究』
三九四-四〇三頁。
M.M.J.Marasinghe:in Early Bulddhisn,
pp.24.27.55.70-79、224-6
(2)
宮坂
『前掲書』
三五
一頁以下。仏伝
に見えるナーガ
を
〔1〕竜王灌水
〔II〕乳靡供養
〔III〕菩提座讃歌
〔IV〕
ムチャリ
ング龍王の庇護と帰仏
〔V〕竜王
の降
伏調・礼仏調
〔VI〕仏塔
供養
の六項目に亘
って述
べる。
(3)
126;Catusparisatutra, S.438-;四
分律』巻三
十
一
(『大
正蔵』)二
・七八
一下)。
「五分律』巻十五
(『大正蔵』
))
・一〇三上-
中)。『根本説
一切有部毘
奈
耶破僧事』巻五(『大
正蔵』
二四
・一)五下-
一二六
上)。『仏本行集経』三十
一(『大
正蔵』三
・八○○上)
(4)
宮坂氏は、
「ムチ
ャリ
ンダ」が
二通りの語義を有す
る点を指示し、
(一)mucal-inda
、
ムチ
ャラ樹
の王、すな
わち樹木と
ナーガとの結合。
二Xmucと音韻
の
一部が
通ず
るから、
ムチ
ャリンダは仏陀
の成道を象徴す
ると
述
べる。(同
『前褐書』三五七頁)
(5)
(6)
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-31-
密
教
文
化
(7)
長阿含経巻第十八
『世記経』閻浮提州品第
一。
(『大
正蔵』
一・一一六下-一
一七上)
(8)
拙論
「初期仏教教団と夜
叉」
(仏教史学会
三十周年
記念
『仏教の歴史と文化』)
(9)
註
(4)参照。
(10)
『法華経』提婆達多品第十
)(『大
正蔵』九
・四五中
下) 梵本、荻原本、
))六-七
頁。
(11)
『相応部』)九
・八経。乙SN.III.P.240-241
。なお、
ナーガの四生
に
ついて、
『大正蔵』
一・一二七上
、三
三)中、六四四上等。
(12)
代表的なバラ
モンについては、『ス
ッタ
・ニパータ』
)
一頁
にみられるAggika-Bharadvaja
。
(cf.Sn.A.,
pp.174-193
)
火を崇拝す
る修行者で漢訳は
「事火外
道しと訳す。
(13)
(14)
『大正蔵
』
一・四九七下。なお、
『大般
浬葉経』巻
下に、ブ
ッダ最後
の弟子
スバ
ッダ
(Subhadda14)
「時
須践陀
羅。
即於二仏前
一。入二火界
三昧
一而般浬葉し(『大
正蔵』
一・二〇四中)
とみえる。
(15)
註
(83)
参
照
。
(16)
中
村
元
『ゴ
ー
タ
マ
・ブ
ッダ
』
四
九
一頁
、
四九
九
頁
注
(17)
なお、次の偶も、ナーガ力強いことを示す。
(18)
(19)
-32-
ti, nittanho.A I,p.207
)
(20) AN.,II,p,116;cf,SN.,II,p.117.
(21) SN.II,p.117.
なお、
「人は、杖、鉤
、鞭で象を調
御するが、大仙は刀杖を用
いずしてナーガ
(象)
を調
御したし
(Vin.,II,p.196
)
(22) Theragatha,vv.692-697;cf.AN.,III,pp.346-
347.なお、
「象が群を離れ
て森
の中を遊歩する如く、
一人歩め」
(23)
(24)
なお、Sn.v.166「欲望を顧みない
〔か
の世界の〕
もとに獅
子や象
のよう
に独り行くし
に対する註
(Sn.
(25)
(26)
(27)
辻直四郎
『リグ
・ヴ
エーダ讃歌』
(岩波文庫本)
一五〇頁
以下
の訳
による。
なお、ヴリト
ラ
・ハンに
ついて、K.F.Geldner;
Der Rig-Veda,1,3,37
註
により、6,30,5;2,
19,3;8,3,20
参照。
(28)
囚
比丘
・比
丘尼
・優婆塞
・優婆夷
の四衆と、天
・龍
・
夜叉
・乾闊婆
・阿修羅
・伽楼羅
・緊那羅
・摩喉羅伽と
いう人
(四衆)
と非
人
(八部衆)
團 Buddho bhan satkrto guto manh
ナ
ー
ガ
(Naga)考
-33-
密
教
文
化
(29)
藤
田宏達
『原始浄
土思想
の研究』四四二
頁
以
下
の
《無量寿経》《阿弥陀
経》
における描写。
-34-