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11
This document is downloaded at: 2020-05-22T00:02:40Z Title ヒロシマ・ナガサキ通信 No.110 Author(s) Citation ヒロシマ・ナガサキ通信 No.110; 1992 Issue Date 1992-01-31 URL http://hdl.handle.net/10069/36700 Right © 長崎の証言の会 NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

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Page 1: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/36700/...言 F (3) ヒロシマ ナガサキ通信NullO (2) 広島長崎の原子爆弾の大惨禍か

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Title ヒロシマ・ナガサキ通信 No.110

Author(s)

Citation ヒロシマ・ナガサキ通信 No.110; 1992

Issue Date 1992-01-31

URL http://hdl.handle.net/10069/36700

Right © 長崎の証言の会

NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE

http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

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F---= 睦

1

剛(1) ヒロシマ・ナガサキ通信NollO

長崎の証言の会会計報告1991年度総会承認(総会への報告の要約)

科目’1991年度決算 老’1992年度予算’備備 考

前年度繰越金

会饗・泡関購読料

刊行物売上

広告収入

カンパ収入

雑収入

2,306,760

2,030,500

5,452,080

0

386,300

675,940

3,076,726

2,380,000

3,000,000

100,000

200,000

5,000

収 「旅」「証言」『双書」他 総計600名分

1992 「原爆記録」第11集(長崎の証言) 預金利息

計 10,851,580 8,761,726

●発行長崎の証言の会●事務局〒852長崎行宝栄mn8-4"0958(62)8725 1.31 印刷饗

事務所維持饗

消 耗 品 費

通信運搬費

図書・新聞

術品費

渉外費

人件費

活動饗

雑饗

仕入本代

予備費

次年度繰越金

瀧他他

rフ金

施一祝代饗

rリ代年卜集

蝶ズ話周イ編他

公費一電他釦ゞハ、料

j熱ル、代、ル饗替

書光、料机告ア議振

硬道一送み広、会便

蝶水ダ、た伽員、郵

雷識年率癖緬》》誹恋

30610700610

30180800850

10545002170

65431156380

3454444726

027031L

覇需騨椿窪調鬮5,000,000

287,000

40,000

5,000,000

287,000

40,000 封筒の印刷他I

新年おめでとうございます。

昨年は湾岸戦争で始まり、ソ連

邦解体という劇的結末で終りまし

た。今年は正月早々ブッシュ大統

領が東南アジアを経て来日、首相

官邸での晩餐会の席で倒れるとい

うハプニングで幕があけました。

’801:::’801:::’支核

廃絶へ新たな前進を

● ● 150,000キヤノフアクス260購入

50,000

1,100,000

380,000

100,000

100,000「双書」

753,226

150,000

50,000

1,100,000

380,000

100.000

100,000

753,226

3076面|轆璽』ジュニア版、改訂版計 10,851,58011990年11月~1991年10月 8.761.726

●カンパに感謝します(敬称略)

放影研、浦川他哩名(一万四千

円)、山中敏夫、武田菊野(六千巴、

真島次子、渡辺厳、大川アシ子、滝

田衛・滝田笑子、岩井鶴次郎、山村

晋(五千円)、岩川登志浩、伊達章、

田中憲助、鶴文乃(三千円)、銀林

美恵子、豊後レイコ、おおえひで、

植松基、妹尾芙美子、隅谷三喜男、

藤原辰雄、吉岡恭子(二千円)、高

比良千恵、新人文学会、浜崎均、

加藤礼子、田浦米助、阪本五十鈴

子、佐藤昭子、吉松初子、荒木智

恵子、別当守也、渡辺信生、夏田・

太、小林文男、河岸洋和、八木浩

一、高木里美、前川雅美、吉田孝

子、錦戸陽子、鈴木明子、大田容

子、梶原和代、鈴木洋子、山内隆

司、橋本直樹、北村敏広、荒木良

子、秋月涼子、大屋精一、岩本冨

一、吉田孝子、山口(千円)、二瓶

敏枝(六百二十五円)、野上順子(四

百九十円)、山本由三(四百二十円)

(合計十一万七千五百三十五巴

●受贈資料

軍縮問題資料u~蛇2月号(宇

都宮軍縮問題研究所)、平和文庫

弱~“(北海道・前川雅美)、非

核平和通信“~鴎、資料調査通信

”(広島大学原爆放射能医学研究

所)、平和の推進爾団法人広島平和

「世界新秩序」を唱えながら、

他方では核抑止論を主張、今なお

広島・長崎への原爆投下の正当化

に固執しつつ、同時に日本への経

済摩擦解消を迫るという、核超大

国の自己矛盾が、そこには鋭く露

呈していたといえます。

しかし、その原爆投下を免罪、

自からの戦争責任を放棄し、憲法

● ●h

和文化センター)、ヒロ、ンマ・ナガ

サキを考える虹~墾号(石川逸子)

●活動日記

呪・uo8証言の会会計監査

u・焔長崎の証言の会総会

n.四松谷訴訟公判

no型沖縄・長崎を結ぶ交流

シンポジウム(教文へ蕊題

、.”『旅』改訂編集会議

辺・7アジア太平洋戦争開戦帥

年を考える市民の集い

哩・8ナガサキ不戦の集い

皿・鱈九州地区平和誉x貢佐賀)

哩。妬、”九民研集会、九州

地区平和教育研究会(福

岡・原鶴)・

唾・1.7『旅』編集会議

1.u証言の会新年会

〈あとがき〉反核平和への決意あ

ふれる数多くの賀状を涙をのんで

割愛し、伊達さんの連載も次号に

まわした。それでも加頁になって

しまった。ことしも志を持続して

いきたい。ご支援下さい。(N)

〈事務局だより〉『通信』一○六

号で会費納入へのご協力を訴えま

したが、おかげさまでかなりの成

果がありました。本年もどうぞよ

ろしくお願いします。(岩永)

違反の自衛隊海外派遣によって、

その忠実なパートナーとなること

を、草の根の民衆は許しません。

今年は「国際環境年」です。日

本では、国際平和研究学会(7月

末)や非核自治体国際会議(n月)

が開かれます。人類と地球にとっ

ての最大の脅威、核兵器廃絶へ今年

こそ新たなる前進を/・(鎌田定夫)

(上野通春の鳥)

ゴーーー一 -■~一

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F

(3) ナガサキ通信NullO (2)ヒロシマ

広島長崎の原子爆弾の大惨禍か

ら四十七年目である。

戦争はその初まりは、いつも小さ

く、正しく、最後には人類の大殺り

くがなければ終りとならない。この

原子爆弾の傷害は今もなお後遣が

あり、後世にも残るであろう。

「証言の会」は、この長崎原爆

の体験を平和運動の原点として、

これまで三十年、原子爆弾が悲惨

で非人間的であることを訴え続け

た。それが戦争をなくす運動であ

り、核廃絶運動である。

その標的は、東西両陣営、米ソ

両大国の対立・冷戦から起った核

兵器の拡大競争であった。

五十年経ると、人間の世も世界

山口仙二新年おめでとうござ

います。ことしもよろしく。年末

のブッシュ米大統領の原爆投下正

当化発言、それに追随する渡辺外

相発言は被爆者だけの問題ではな

い。このまま黙認しては、これま

での努力が無になる。ソ連は解体

したが核拡散、管理上の問題が新

たに生じた。アメリカも廃絶はし

ない。ことしは反核の努力をいっ

そう強める必要がある。全国三千

三百の自治体のうち二○一三(砲

%)が被爆者援護法制定促進を決

山口仙二新年おめでとうござ

います。ことしもよろしく。年末

のブッシュ米大統領の原爆投下正

当化発言、それに追随する渡辺外

相発言は被爆者だけの問題ではな

い。このまま黙認しては、これま

での努力が無になる。ソ連は解体

したが核拡散、管理上の問題が新

たに生じた。アメリカも廃絶はし

ない。ことしは反核の努力をいっ

そう強める必要がある。全国三千

三百の自治体のうち二○一三(砲

%)が被爆者援護法制定促進を決

あと四年で定年、平和教育のひ

とつのパターンを残したい。語り

部も年釦回、通算四○四回、『ピ

ース・トーク』もことし四号目。

内田伯生命の大切さをどう伝

えるか。正義の戦争とは何か。歴

史の検証をし直しながら現在を生

きたい。朝日社説「いまこそ平和

これからの平和運動

’一九九二年の年頭にI

秋月辰一郎

一九九二年一月十一日、恒例の証言の

会新春のつどいを行い、新年の抱負を藷

一九九二年一月十一日、恒例の証言の

会新春のつどいを行い、新年の抱負を藷

りあった。

りあった。

も変るものである。鉄の如き統制、

一国一党支配の超大国ソ連邦が崩

壊して、民族国家の共同体になっ

てしまった。米国が対立していた

大国が突如無くなった。巨大な核

権力の一方が消滅したかに見える。

これで、当面の核兵器競争はなく

なったようである。

しかしここに、私たちがもっと

も怖れていた核兵器の拡散と、核

兵器の管理の混乱が残ったのである。

両陣営の超大国がほぼ半世紀に

近く技術と富を傾けて、やがて残

したものは、私たちが恐れていた

地球上を覆う核兵器なのである。

いまこそなおいっそう核兵器廃絶

を叫ばねばならない。

の配当を」に感銘。いまなおぼう一

大な戦費、軍事費が世界で消費さ

れている。被爆者市民としての原

点にかえり、希望を探求したい。

山口真樹人唯一の加代。冬休

みの課題に「戦争体験」の取材と

まとめをさせたら驚くほど出てきた。

長崎に来て四年目、事実の重みの

●●

力はすごい。ことしもがんばる。

鎌田哩・8に秋月先生と沖縄

へ。いろんな方々と会えた。ソ連

邦解体後の微妙な状況は、核を一

つ一つつぶす契機ともなりうる。

また超大国の核廃棄過程を速める

こと。反核証言運動も自信をもっ

て、援護法や非核の政府・自治体

イラクのフセインのクウェート侵

攻、湾岸戦争、そして多国籍軍の武

力進攻という歴史の歯車の回転は、

いま経済大国、技術大国になった日

本にも〃国際貢献〃をすべき大き

な役割と責任を背負わせている。

考えてみれば、日本はあまりに

も急速な経済発展によって物質的

には世界大国になったが、この戦

後五十年、歴史の反省、アジアへ

の謝罪がまだすんでないのである。

私がいいたいのは、金銭的な謝罪

でなく、歴史への反省、謝罪である。

そのために、平和維持軍といっ

ても、アジア各国から見れば、先

の大戦の悪夢の再現でしかない。

長崎も変っていく。経済発展の

み考え追求した日本の中で、長崎

がその原爆体験を世界平和実現の

ために生かそうと努力してきたこ

とは、すばらしいことであった。

●●

運動などとともに進みたい・

浜崎去年は長崎県内外ともに

運動がひろがった。私も熊本、佐

賀、北海道とまわり、ヒロシマ・

ナガサキが大きく受けとめられて

いることを知った。証言の会も本

の刊行中心にことしもがんばろう。

(文責。編集部)

しかし、原爆総謄罐有も疲れ老いて

いくであろう。いわゆる「原爆垣跡」

も消えていく。原爆体験を伝え継承

し、後世に残すためには「これまで

と違った事をいま考えねばならない。

原爆五十年を期して、今まで大き

な拷割を果した原爆謬織逗串も建て替

えねばならない。もともとこの資料

館は、初めはその目的で建てたもの

ではなかった。こんどは原爆体験

の情報発信と継承に真にふさわし

いものでなければならない。

また政府も、少くとも原爆五十

年には原爆死没者慰霊のため何か

をなすべきである。

私は公文書館のごとく、図書館

のごとく、また原爆の惨害を上映

するビデオ館のごとく、かっての

被爆者たちが、いつまでもなお語

り合うことのできるような資料館

を期待している。(証言の会顧問)’ -

証言新春座談会

があるのか。証言運動も困難だが後って、改めて当時をしのんだ。

存在は重い。現天皇の訪中も言わ

退させぬよう、がんばっていきたい。鎌田信子石川逸子さん発行のれているが、真の日中友好の心を

浜崎均年金生活二年目に入っ『ヒロシマ・ナガサキを考える』くんでやってほしい。

たが、まだなかなかゆっくりできはいっも感動的.証言運動も運動末永浩生活歌集『つっぱり』

ない。ともかく『証言』の本づく者の熱い思いがあってこそ、よいを出したが、あのような日々です。

りを少しでも早い時期にと努力し証言が得られるのではないか。三月にはマレーシア戦跡への旅も

たい。持続していくことが大切。岩永洋子去年同様、全国の皆考えている。中国の戦争体験発掘

黒崎晴生去年九月、妻の父を様のご支援をお願いします。もした哨夏は妻と語学研修訪中蕊

亡くし、その元気な姿をきちんと吉田孝子砺才です。年々足の

撮っておく尋へきだったと悔んだ。力も衰えていくが、平和学習や語

ことしは被爆者の写真に専念したりべ活動にも、階段のないところ

い。一月三、四日、島原へ行ったが、ならできるだけ参加したい。あと

まさに被爆直後の長崎が再現して五年やれるかどうか.:・・・。

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ヒロシマ・ナガサキ通信No1lO (4)(5)

今年は日本国憲法施行四十五周

年にあたります。われら人民こそ

が主権者であることの実を発揮す

る年、民主主義と平和と人として

生きる権利を守る年とするよう頑

張りましょう。

昨年の湾岸戦争は、国際紛争を

武力で解決することが正義である

との考えを正当化する役割を果た

してしまいました。これが正しい

とすれば、人類はやがて核戦争で

死滅するという愚かな終末を迎え

るでしょう。日本にしかできない

国際貢献は、青年の血や命を国際

紛争に提供することではなく、憲

法第九条を世界中の国に無償で提

供してまわるために九十億ドル以

上の金をかけることだと思います。

経済は一流、政治は石器時代とい

われるこの国の情けない政治:。

いつまでもこんな馬鹿げた世の中

が続くはずはありません。

新しい磁性材料の研究にいつも

頭を悩ましながら、湾岸戦争では

生物・化学兵器と核兵器の使用を

恐れ、核兵器をなくし原爆で侵害

された人権を回復させる「被爆者

援護法」を説いて回り、バブル経

済を膨ませたものに怒り、行く末

不安で心ならずも土地の所有者に

なり、疲労困倣のすえ肥大した前

立腺を開腹摘出し、ソ連邦の解体

でレーニンたちの仕事に思いをは

せ、アメリカの新たな独善のない

わたしの年賀状新たな年に

憲法施行四十五周年に

「平和』こそ日本の国際貢献

東京都池田眞規

!東京都

仙台市田中煕己

4

小川

政亮

ことを願いつつ、一九九二年の元

旦を穏やかに迎えました。

桜の咲く頃には、まだ「老」と

は言えない夫婦二人が、環境新た

な生活に踏み出します。ほんとの

豊かさが感じられ、先行きに不安

なく平和で温もりある世の中がで

きればと、三無「さる」になるこ

となく新たな年を暹しく生きたい

ものです。

核時代の危険とともに、バイオ

時代の危険をも間うて、私どもは

五年前から国立予防衛生研究所(予

研)新宿移転への反対運動を続け、

三年前から政府を相手に移転差し

止め裁判を起こしております。今

年もこの運動に全力投球すること

になりますが、欧米諸国ではバイ

オ施設への規制が強化されつつ

あり、遅かれ早かれ私どもが勝利

するにちがいないと確信しており

ます。

三鷹市山本英典

三十年余の勤務を辞め、原爆被

爆者運動に専念することになりま

した。新しい「あとつぎ」がこの

地球上につくりだされることがな

いよう、また、生存被爆者のここ

ろ、からだ、くらしを守ることが

できるよう、知力も気力も体力も、

財力も衰えるばかりですが、精い

っぱいがんばりたいと思います。

昨年は激変の年でした。とまど

いながらも激しい歴史の流れるさ

まを自分の目で見られることを望

外の喜びとうけとめています。湾

岸戦争で「平和」について考えさ

せられる年でした。「国は国に向

ってつるぎをあげず、人とは再び

いぐさのことを学ばない」の世を

作るため、今年も働かせていただ

きたいと願っています。

小さなボタンの大きな問いかけ

八王子市田中憲助

半月前の廻月晦日広島・平和

公園の元安川の川岸に降りました。

そこに思いがけずに、焼けた寛永

歴史の流れの中で

バイオ時代の人権運動

被爆者運動に専念します

● ●

東京都芝田進午

横浜市黒川万千代

☆藤井寺市美佐田和之

冷戦が終わっても反戦平和のた

たかいはまだまだ続きます。ブッ

シュのような発言を許さぬ日本に

するまでともにがんばりましょう。

☆浦和市大竹やよい

私も本年健才になりますが、米

人達がパールハーバーを忘れない

ように、私もあの日の出来事は忘

れられません。年を経るたびに心

身の傷あとはますます深く悲しく

よみがえります。二度と再びあの

惨事はおこしてはなりません。

東村山市永坂昭

私もどうやら五月一日で透析三

年目を迎えます。最近は気絶する

こともなく、月水金に通院し、残

りの曜日を「語り部」としてお役

通宝がひとつ、小さな陶製の学生

ボタンがひとつ.::・・妬年前に流

された海から、“年ぶりに、ふた

たびようやくそこに戻ってきたの

でしょう。川底の数知れない原爆

瓦のかげのそれに、胸が痛くなり、

祈る思いで拾いあげました。この

小さなボタンがとても大きな問い

かけをしていることを考えたとき、

ことし錘歳になる私ですが、もっ

ともっと知らなかったことを知る

努力をしなければいけないんだと

思うのです。

☆川崎市豊崎博光

昨年は核被害の取材でアメリカ.

マーシャル諸島と、旧ソ連のベラ

ルーシのチェルノブイリ原発事故

の放射能汚染地を訪ねました。放

射能被害は確実に次世代に影響を

及ぼしています。

父母・教え子をはじめ多くの方

々の応援を得て、『青春フォーエ

バー』を民衆社から発行すること

ができました。また〃平和都市・

焼津″の市民の一人として、水爆

被災の証人であり人類の未来を啓

示する〃第五福竜丸″を子どもた

ちに語り続けていきたいと願って

います。久保山すずさんを中心と

する平和教育教材づくりにも取り

くんでいます。

本年もどうぞよろしく。

被爆者の悲願

焼津の教師として生きる

焼津市飯塚利弘

● ●

激動の一年、ソ連は崩れた。不

可解な男ゴルバチョフ。核査察を

強要する大国自身の査察は棚に上

げ、PKOは日本軍国主義復活へ

☆東京都江口保

世界は大きく変わりつつありま

すが、ヒロシマ。ナガサキの心を

大切にして、今年も多くの修学旅

行生を迎えたいと思っています。

☆東京都谷内真理子

新たな核管理体制による核兵器

の温存がはかられようとしている

いま、核廃絶の声をしっかりあげ

ねばと思っています。(核軍縮を

求める二十二人委員会事務局長)

☆東京都森馨子

歴史がめまぐるしく動いていま

す。六十年近く生きてきて、思い

がけない光景を次々に見ました。

いったいこの日本は何処へ向って

歩いていこうとしているのでしょ

うか。人間のたゆまぬ歩みが確か

なら.:・・今年もお教え下さい。

に立てばと出かけています。子供

たちも真剣に聞いてくれますので

大人の責任を痛感しています。戦

争のない毎日をみんなの力で作って

いきたいことと、被爆者援護法を制

定させることが被爆者の悲願です。

☆広島市深川宗俊

はぱた

爆心を時には迅き羽榑きに舞

う群れのなかわが白き鳩

来広後、早や”年目を数えます。

出会った数多くの日本人被爆者や、

世話をしている在韓被爆者渡日治

療者を通して、戦争の非人間性や

平和の大切さを教えられて来まし

た。昨年は、三菱への強制連行徴

用工被爆者坊名、元日本軍軍人被

爆者5名の世話をして、未だに補

償されない旧植民地出身者の傷の

深さを知りました。今年も夫婦と

もども、平和をつくる働きの一端

を担っていきたいと思います。

(在日大韓基督教会広島教会)

平和をつくる働きの一端を

キムシンプテン

広島市金信煥

イソ-J*

李善愛

被爆体験を語りつづけて

チユソク

広島市朱碩

’ 一

---

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■= F

yl

’ ロ1)ヒロシマ・ナガサキ通信NUllO

〃被爆詩人への脅迫〃に抗して

藤沢市滝田衛・笑子

民主主義の質が問われ、ひとり

ひとりの人権が尊重される時代に

ましてや、戦争はいけない、そし

て暴力は、いじめは.:坪:、このよ

うな時代に、信じられないことが

起っています。広島の被爆詩人、

栗原貞子さんの「海外派兵反対」

の行動に対する脅迫です。これは

私たちの未来に、暗く陰惨なファ

ハワイに帰って祝祭日の準備に

追われています。日本では日米の

関係やパールハーバー・ヒロシマ

・ナガサキの出来事などについて

ウェンドーバーはユタ州の首都ソ

ルト・レイク・シティから西方一

二五マイルの地点にありましたが

かっては大きな湖の一部でした。

その大部分は乾上りましたが、現

在でも名残りはソルト・レイクと

よばれる塩湖として残っています。

ウェンドーバーも平たい盆地で塩

分が強い土壌であったということ

ですから、その後グレート・ソル

ト・レイクとよばれることになる

かっての湖の一部として、ソルト

・レイクと(広い意味で)呼ばれ

ても不思議ではありません。四四

年の一○月には新鋭のB調が渡さ

れ、それを使って投下訓練が行わ

れますが、ボックス・カーもその

うちに含まれていました。

以上、推測をまじえながら私見

を記しました。ご検討下さい。

平和のために手を取りあおう

昨年加月鋤日の〃掃海艇戦勝パレードを許さない呉反戦大行動″

の呼びかけ人の一人、詩人の栗原貞子さんへの相次ぐ脅迫電話や

「自ら死を選ぶことを要求」するという脅迫状に対して、多くの人

びとが声をあげています。n月Ⅳ日、広島で開かれた「ヒロシマの

声圧殺を許さない緊急集会」には約百人の市民が参加しました。長

崎の証言の会では代表委員三名の連名で抗議と連帯の意志を同集会

あてに送りました。また藤沢市の会員、滝田さんご夫妻は左記のよ

うなよびかけをされています。

さきに朝日記者が右翼の凶弾に倒れ、長崎市長も襲われました。

平和と言論の自由を脅かす暴挙に対して、私たちは自らの問題とと

らえて声をあげていくことが必要ではないでしょうか。(編集部)

0川画川叫引1刈叩川別Ⅲ川叫1吋’400011叩咽咽咄00.日日日日日旧旧■0.

ハワイロバート・ハドソン

(パールハー銀ハー生存者)

〃這鐵シママの声″圧穀を許してはな

11!■111ⅡI

シズムの到来を予想させます。

湾岸戦争の処理、「平和貢献」

の名のもとに、掃海部隊官衛隊)

が・ヘルシャ湾に派遣されました。

まさに〃海外派兵″です。

これは、戦後の「不戦の誓い」

「教え子をふたたび戦場に送るな」

という平和憲法の理にかなった貴

い教えに背くものです。

あの忌わしい十五年戦争で、い

ったい何千、何万の血が流された

のでしょうか。過去を教訓とせず

お話できて幸いでした。平和運動

の進展のために書かれた感銘深い

あなたの諸論文に感謝しつつ、私

の考えの一端を書いてみたいと思

います。

あなたの「反省と展望」という

論文はアメリカの仲間たちにもぜ

ひ伝えたい内容を持っています。

日本の皆さんから王鯉員記念品)

をいただいたことを光栄に思い、

世界平和と核廃絶への努力をいっ

そう続ける責任を痛感しています。

今回の訪日にあたって唯一の心

のこりは、日本の子どもたちと話

す機会がなかったことです。これ

までアメリカ大陸で、パールハー

バーや第二次大戦時代の恐怖の教

訓などについて子どもたちに語っ

てきて大成功でした。子どもたち

蹴榔繩繩綱蝿戦》|

の語りかけが大きな関心となって

いることを知っています。若い世

代は人類の未来であり、私やあな

た方、より古い世代の人間の話に

耳をかたむけ、学んでくれるにち

がいないと思います。私はパール

ハーバーの写真では最良のコレク

’ ● a

’ らない一い

単なる「失敗」や「手違い」程度

に合理化し、過去を〃清算″して

しまうほど愚かしいことはありま

せん。〃日章旗〃をひるがえし、

軍艦マーチを演奏して掃海部隊を

迎えようとする現代日本人の感覚

こそ問われるべきです。

掃海部隊で派兵された自衛官の

一人一人は、特に、行きたくなか

ったのに行かざるを得なかった自

衛官にあっては、ご苦労さま:::

とは思いつつも、『組織決定」だ

から、「仕事」だから、そして「お

国のため」という理由づけに、没

主体的、非民主的な戦前の〃天皇

の赤子″なる体質を感じるのは私

たちだけでしょうか。

氾才の詩人が、ご自身の反戦平

和の歴史を背負って、掃海艇の戦

勝パレードを許さないと運動した

時、匿名で「殺してやる」と脅迫

の電話と手紙が押し寄せる。

私たち一人一人が黙らず、歴史

の中に立脚し、反戦平和の詩人の

思いと、祀才の被爆者の側に立つ

ことを、自分の思想と日常にしよ

うではありませんか。

ションを持っていますし、その多

くはスライドにしています。

原爆資料センターを訪れた何百

万人もの人びとの鑓%が小。中・

高校生であることを知り、大変嬉

しく思います。アメリカでも日本

でも、さらに多くの子どもたちが

学んでほしいと願っています。日本

の子どもたちも、私に会って、〃パ

ールハーバー生き残り″の話を聞

くことに関心を持ってくれること

を望みます。

子どもたちの質問に答えるさい

に、私はあまり個人的にならず、

できるだけ客観的に答えようと努

めました。私は日本人に対して何

らの遺恨をも持っていません。こ

のことが子どもたちにも伝わり、私

との対話を心地よいものに感じて

くれたのだろうと思います。

私はいま、ハワイの「東西セン

ター」に関わっています。これは

アジア。太平洋とアメリカの関係

改善を目的とするもので、全世界

の人びとの利益にとっても重要な

ものだと思っています。私はまた

ハワイ大学を訪れる日本、中国

鵠総簔漂譲雨一

’,● 、

原爆紀元四十七年元旦

広島市栗原貞子

昨年は年頭から湾岸戦争の火

が噴き、国内的にも戦後もっと

も危機の年でした。憲法違反の

掃海艇が中東へ出動する前の四月

二十一日、長女眞理子が、戦後一

貫して護憲運動に終始した父唯

一に護憲の碑を捧げ建立してく

れました。碑の裏面に第九条を

刻んでいます。

八月の終りの集会で、反戦自

衛官の吉本三曹に出会いました。

十日、掃海艇の戦勝パレードを

許さない呉反戦行動委員会の運

動に参加しました。直後、脅迫

電話と脅迫状が送られ、全国の

友人知己、未知の方から激励の

電話やお手紙をいただき、それ

に支えられて元気に活動してま

いりました。

とりで

今年も平和憲法を砦に行動し、

憲法の世界化に向けて皆様と共

に努力したいと存じます。よろ

しくお願いいたします。

ると皆、私が日本の子どもたちと

の出合いからできるだけ多くのも

のを学び、それをアメリカの子ど

もたちに伝えることが必要で、そ

のためのスポンサーを探すように

と言います。いいアイデアですが

この意義ある仕事のスポンサーが

みつかるかどうかわかりません。

私はいま〃ヒバクシャ″の皆さ

んとの対話のことが頭にいっぱい

です。ともあれ、この手紙はあな

た方の平和のためのご活動に感謝

するためのものです。

私にできることがあればどうぞ

お聞かせ下さい。できるだけのこ

とをいたします。日本とアメリカ

がおたがいの違いをこえて世界の

人びとのために役立つことこそ緊

急の課題だと考えております。

(蛇・皿。型付.鎌田あて)

(蜀。貝も己らの旨き嵐匡匿oシく①

国○コ。巨匡・国弾急昌忠曾里

頌春

I (12.7長崎市民の集いで)

。一一--一一一一 一 一 ・ 一 一 口 一 一一 一

一一= 一一一一一一‐一一一一一=一一 =~=菫=---------‐一二一一一一一一ローーーー‐‐言___- 庫

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■■

1(12園 ヒロシマ・ナガサキ通信NullO

子が気にかか

に帰り、ただ

調査に忙殺さ

ナガサキはヒロシマとともに

暴力を弾該する

ヒロシマの詩人、栗原貞子さん

がその反戦詩のために、右翼によ

る脅迫を受けているという知らせ

を、私たちは激しい憤りをもって

「虹ナガサキ不戦の集い」は、一九

九一年十二月八日、午後五時すぎ

から爆心地公園の不戦の碑の前で

約鋤名が参加して行われた。曇っ

ていて寒い風が吹いていた。

内田伯さんのあいさ匂一「十年

前のこの日にこの碑を建立し、戦

争に反対し人類不戦を誓い続けて

きた。碑は私達の行動の決意とあ

かしです。」

第二次大戦、とりわけ日本の加

害で亡くなった人びとのために黙

祷。『誓いの火」からみんながロ-

証言の会顧問、荒川秀男先生が

去る十一月二十一日、急逝された。

享年八十七才であった。

長崎原爆投下時、爆心地の松山

町から約五百メートルの距離にあ

った鉄筋三階建ての城山國民学校

の校長室で被爆した荒川教頭は、

全身の火傷は免れたものの、二日

間を校庭横の塚ですごし、その間、

自らも放射能に犯され南高来郡国

見町に帰郷し、療養生活を続けて

いた。が、八月二十日、学校の様

子が気にかかり、病をおして長崎

に帰り、ただちに原爆被災状況の

調査に忙殺された。

遡・8ナガサキ不戦の集い

l太平洋戦争開戦帥周年I

'瀞(写真・長崎新聞提供)

城山小、被爆の生き証人

l土小川秀男先生の急逝を悼むI

内田伯

そして清水校長はじめ二十八名

の教師の死亡と、家庭で死亡した

と推定される児童一、四○○余名

が判明した。

その間、頭髪が抜けはじめたため、

再び国見町に帰郷し、九月一日、重

態に陥り、生死の掌とさまよったが、

ようやく病も落ち着き、再び長崎へ

帰ってくるや、長崎市学務課と打合

わせのうえ、十一月十五日、稲佐国

民学校を借りて生き残った侃董を集

めたところ、放射能のために髪の毛

の抜けた弱々しい子供たち十五、

六名が集まったという。かろうじ

て生き残った児童たちは、焼け跡

聞いた。自衛隊海外派遣という憲

法じゅうりんの犯罪行為に抗議し、

反戦平和の声をあげるのは、きわ

めて正当な護憲行為であり、とり

わけ人類最初の原爆の犠牲となっ

たヒロシマ・ナガサキの被爆者、

市民にとって、それはもっとも正

当な権利であり、義務でもある。

・私たち長崎の証言の会は、満身

ソクに点火し、献火した。

真珠湾生き残りのR・ハドソン

氏の発言。「私は生き残りの一人。

海面下別ヤードを泳いで岸にたど

りつき助かった。私の心にいつも

あるのは、パールハーバーと広島

・長崎を比べる人がいるが、比べ

ることはできないということ。原

爆の恐ろしさは違うものだと思う。

私は日本にたくさんの友達がおり、

日本人の価値観と共有する部分が

ある。私が研究して書いたこの本

を差し上げたい。日本人も被むつ

た大変な被害があるが、私はパー

ルハーバーは過去の歴史の中にお

さめるべきではないかと思う。生

存者が書いた唯一のこの本を贈り

たい。日本語訳も近く出るでしょ

う。私もすでに沌歳だが、みなさ

んと共に平和のために努力したい。

核兵器がなくなるように努力したい四

パケミンキュ

朴攻奎さんの発言。「真珠湾攻撃

の時、私は妬歳、大阪で機械工。

兵隊にとられることを覚悟したが、

長崎に来て、加歳の時に原爆被爆。

● ■

11

の荒野に残る防空壕か、窓もない

昼間も暗い、風雨が降りこみ風が

吹きぬける掘立小屋に住んでいた

のである。

荒川先生は八十七才でこの世を

去るまで、被爆した城山小学校を

愛し、亡くなった子供たちのこと

が念頭から離れることはなかった。

先生は戦後、同校の存続と復興に

尽力を重ねられ、二十四年八月九

日、校庭に初めて木製の原爆殉難

者供養塔を、また二十六年八月八

日には、長崎市出身の彫刻家、富

永直樹先生の手による少年平和像

を建立し、同時に後世に残る「子

らのみ魂よ』の歌が、このとき発

表された。

また、荒川先生は『長崎原爆学

校被災誌』の編集にも取り組まれ、

の怒りをこめて今回の栗原さんへ

の脅迫に抗議するとともに、即時

その中止を要求し、ヒロシマの被

爆者、市民との強い連帯の意志を

表明するものである。ヒロシマの

被爆者、市民の皆様が、栗原さん

とともに暴力に屈することなく決

起されることを期待してやまない。

なぜ私が“年間も日本で過さなけ

ればならなかったのか、朝鮮が植

民地化されていなかったら、私の

人生も変っていただろう。私はい

ま被爆の語り部をしている。南北

朝鮮は変わり、話し合いをしてい

る。北と日本の国交正常化もやが

て実現するだろう。七千万の朝鮮

民族は統一しなければならない。

力を貸して下さい。アジアと世界

に平和を/・」

川原竹一さんの発言。『私は軍国

主義少年だった。東京大空襲と長

崎原爆のことは忘れられない。平

和のために共に仲よく手を組みま

しょうJ

青桐の枯れた葉が寒い風に鳴り、

ローソクの火が消えかかる。あた

りはすっかり暗くなった。

高校生平和ゼミの冨松俊介君が

「アジア太平洋戦争開戦五十年、

哩・8ナガサキ不戦の誓い」をよ

みあげた。

『今日十二月八日は日本軍による

真珠湾その他への奇襲攻撃から五

十年目にあたります。すでに「満

州事変」以来続けられていた日本

の中国への侵略は、この日を期し

'● Ol

てアジア太平洋の全域へ拡大して

非道な略奪と破壊を積み重ね、つ

いには沖縄への「鉄の暴風」、広

島・長崎への原爆投下という未曾

有の惨禍を招きました。こうして

内外二千数百万人もの尊い犠牲の

はてにやっと戦争は終ったのです。

:..:〃いのちをかえせ、にんげ

んをかえせ。平和をかえせノ・〃

〃ふたたびあやまちをくり返すな/・″|

と、その声なき声は叫んでいます。

船脚胤帥化即嘩咽舩旅卵細繩岬Ⅷ一

とに、自衛隊の海外派遣法案が上

程され再び〃いつかきた道″へ

の逆行が始まっています。::。.再

び〃十二月八日″を繰り返さぬた

めに、私たちはあの戦争の悲惨さ

を深く心に刻み、アジアと世界の

人びとに銃を向けることを拒否し

ます。そして核も戦争もない、飢

えと貧困、差別も戦争もない真の

平和を、この地上に実現するため

に、全力を尽すことを誓います。

ノーモア。ヒロシマ。ナガサキ、

ノーモア・ヒバクシヤ、ノーモア。

ゥオーノ・』(まとめ。末永浩)

十三年前から全国に先がけて、大

阪の松原第三中学校との平和学習

交流などで、自ら語り部として活

躍されたり、また昭和五十四年十

二月には、城山小学校同窓会、同

育友会と一緒になって、長崎市議

会に被爆校舎の保存を働きかける

など、「平和と人類愛」を説き続

けられた。

いま私たちは荒川先生の存在を

ぬきにしては、城山國民学校の原

爆受難の歴史を語り尽せないだろ

』ハノ◎

ここに改めて先生の大きな足跡

に学び、そ

ついで証言

に、心から

のである。

一九九一年十一月十七日

長崎の証言の会

代表委員一同

I

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’呵

訓--

一一

⑲ヒロシマ・ナガサキ通信NQ110 ⑱

’ 場している。これらの状況の下で、

この数年間、証言の会はその独自

の課題として、「質量ともにすぐれ

た証言」を創造することをめざし

てきた。そして、「読者の心をうっ

多彩な記録の発掘、写真・絵画・

音楽・演劇等による多面的な反核

表現運動、語りべの学習交流会、

国際活動」についても確認してきた。

それは『証言Iヒロシマ・ナガ

サキの声』や『長崎の証言双書』、

あるいは『長崎平和絵本シリーズ』

の刊行等として一定の成果をあげて

きた。だが、「質量ともにすぐれた

証言」という点では、まだ残された

課題は大きい。『ながさきへの旅』

一、情勢の劇的転換と核廃絶の

課題

一九九一年は湾岸戦争とソ連政

変、そして冷戦構造崩壊に伴う米

ソの劇的な軍縮提案が行われ、ワ

ルシャワ条約機構の解体、NAT

Oの大幅軍縮の合意へと進み、核

兵器廃絶への展望もひらけつつある。

しかし他方、これらの画期的な

軍縮提案にもかかわらず、米国を

はじめとする核保有国は、それぞ

れの覇権主義を保持しようとして

核抑止論に固執し、ソ連の核実験

停止提案にもかかわらず、依然と

して核の近代化・核実験を継続し

ている。そして、湾岸戦争の際に

実証されたように、地域的紛争に

おいてさえ、核兵器が使用される

危険性は今なお消えていない。ま

た、原発や核実験による人体と環

境への被害も深刻化しているが、

人類はまだその矛盾克服の展望を

ひらくまでには至っていない。

しかし、最近の情勢は、戦後四

長崎の証言の会一九九二年度活動方針

一九九一年十一月十六日長崎の証言の会総会

i(写真・長崎新聞社提供)

|’

十六年余り続いている核軍拡と軍

事同盟が、根底からその意味を失

いつつあり、核超大国自体がその

軍拡経済の重圧の下で瓦解しかね

ない矛盾にさらされ、高まる反核

平和世論とともに、みずから軍縮

に着手せざるを得なくなったこと

をも示している。

この動きを加速し、核兵器廃絶

と冷戦の遺産である軍事同盟解体

や軍事基地の撤去を実現すること

は、全世界の反核平和勢力にとっ

て歴史的な最重要課題となっている。

二、日本国憲法と『ヒロシマ・

ナガサキ」

一九九一年は「満州事変」六十

周年、アジア太平洋戦争開戦五十

年という、日本国民にとって忘れ

ることのできない、重大な歴史の

節目の年である。去る八月九日の

「長崎平和宣言」は、その第一項

で「私たちはあの戦争を心から深

く反省し、犠牲となった内外二千

数百万人のごめい福をお祈りし、

四、証言の会の事業と年間行事

1事業企画

①『証言』一九九二年度版(第六

集)刊行。

②『ヒロシマ・ナガサキ通信』

(二○~二五号)刊行。

③『長崎の証言双書』(第四、五

巻)刊行。

④『ながさきへの旅』改定版、ジ

三一ァ版、英語版刊行。

⑤『長崎平和絵本シリーズ』七巻

(汐文社)刊行協力。

⑥証言の会関係出版物の普及。

の改訂版とジュニア版、英語版の

編集・刊行も未完成のままである。

また、被爆二世自身による証言

活動など若い世代の参加を求めつ

つ、さらに運動の継続・活性化を

はかることが求められている。

「長崎原爆松谷訴訟』支援、外国

人被爆者問題、原爆遺跡保存など

にもひきつづいてとり組みたい。

例年提起されている「一千名会

員・読者の実現」「各地の会員・委

員を核とする証言ネットワークの

拡大」の目標を今年も掲げながら、

いっそうの前進に努めたい。

’|

’● ●

その償いを考えなければなりませ

ん」とのべ、さらに第二項で「今

こそ、戦争放棄を誓った日本国憲

法の理念に立って、国際社会に果

たす独自の役割を考えなければな

りません」と訴えている。

しかし、海部内閣に代わる宮沢

新政権は、冷戦からの脱出と軍縮

という歴史の進展に逆行し、「国際

貢献」の美名のもとに自衛隊海外

派遣の立法化、日米合同演習や軍

事基地の強化をはかり、さらに憲

法改悪につながる小選挙区制の導

入さえ策している。

湾岸戦争と前後して、日本国憲

法の平和主義を否定する乱暴な主

張が目だってきたが、草の根の国

民大多数は非軍事的手段による国

際貢献をこそ望んでおり、アジア

・太平洋の諸国民もまた、かつて

のような日本を盟主とする「大東

亜共栄圏」の再現など決して望ん

ではいない。

こうして、星憧廃絶・人類不戦」

を誓う私たちの原点、「ヒロシマ。

ナガサキ」の証言も、それに先立

つ日本軍国主義による数々の侵略

加害、それ以後の現在に続く無責

長崎の証言の会総会報告

冒頭、この一年間の死没者に黙

祷。つづいて広瀬方人事務局長よ

り、次のような活動報告が行われた。

11湾岸戦争からソ連邦解体へと

激動の一年だった。証言の会もイ

ラク。アメリカ大使館あてに打電

し戦争反対座込みに参加するなど力

をつくした。「日中不再戦碑」存続

運動や「松谷訴訟」‐統一地方選、

ゴルバチョフ来日などについての

⑦その他、平和・市民。教育文化

団体、被爆者団体との提携・共

同事業等の推進。

2主な年間活動日程

一月証言の会新年会

三月一日ビキニデー

四月一百須磨子忌の集い

八月一日平和の母子像の集い

八月上旬原水爆禁止世界大会、

海外被爆者との交流

八月十五日非核不戦の集い

十月下旬国連軍縮週間

十一月中旬科学と平和国際週間、

証言の会姪唆云

士一月八日非核不戦の集い

● ●

任と差別、経済侵略などとの関連

において、さらに深められ、説得

性を強めねばならない。

アメリカによる原爆犯罪ととも

に、政府による戦争開始。遂行責

任、戦後の隠蔽・放置責任を問い、

再び被爆者をつくらぬ保証を求め

る原爆被害者援護法制定の運動、

それはまた、私たちの反核証言運

動、「ヒロシマ・ナガサキ」の語り

べ活動とも不可分である。そして

それは、必然的に第二次世界大戦

における日本軍国主義とナチズムに

よる、すべての犠牲者たちへの償い

と連帯への運動にもつながっている。

声明など、身近かな問題にも取組

んだ。『通信』(一○六~一○九号)、

『証言』第五集、『双書』第三巻

ほかの刊行、普及も行った。とり

わけ『旅』の普及は事務局の努力

もありめざましく、例年を大きく

上まわり、会の財政を支えた。

以上の活動経過と決算報告(岩

永洋子)をうけ、新年度の活動方針

(鎌田提案)、予算案について討議

の結果、別掲のように決定した。役

員については、運営委員の一部変

更を除き前年通り留任となった。

以下は討論の要約である。

湾岸戦争後、米国による一極支配

の動きとともに、ソ連邦解体に伴う

核の拡散・管理問題など、核をめぐ

る状況はさらに複雑化している。根

本的解決は察急な核兵器廃絶」し

かなく、反核証言運動の重要性はい

っそう大きい。「質・量ともにすぐ

れた証言」『若ものの参加」に努め

つつ、さらに前進していきたい。

総会に先立ち、在韓被爆者で長

ペオクレン

崎市の病院に入院治療中の襄玉蓮

子グ

さん(大邸出身)が、被爆当時の

体験を生々しく語り、在韓被爆者へ

の支援を訴えた。(文責・編集部)

三、証言運動の重点課題

証言の会は、反核証言集の編集

・刊行と語りべ活動、平和教育へ

の参加を中心に、この二十数年間、

党派をこえたさまざまな平和活動

を展開してきた。

しかし、被爆者運動と同じく、

証言運動でもその中心的担い手が

高齢化し、その多くが六十才前後

に達しており、草の根市民による

平和運動もまた多様化し、さまざ

まな世代が新しい担い手として登’

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