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This document is downloaded at: 2020-02-10T02:18:11Z Title 最近のシンガポール言語事情 Author(s) 大高, 博美 Citation 東南アジア研究年報, (33/34), pp.69-80; 1992 Issue Date 1992-12-25 URL http://hdl.handle.net/10069/26536 Right NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

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Title 最近のシンガポール言語事情

Author(s) 大高, 博美

Citation 東南アジア研究年報, (33/34), pp.69-80; 1992

Issue Date 1992-12-25

URL http://hdl.handle.net/10069/26536

Right

NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE

http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

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                      (注1)

最近のシンガポール言語事情

大 高 博 美

1.はじめに

 アメリカのコンサルタント会社「PHHファンタス」が1992年九月に全米の企業幹部八百

                      ラ人を対象に実施したアンケート調査に依れば,国際企業の理想的本社所在地としてシンガ

ポールが選ばれている。ここで興味深いのは,いくつか挙げられたその理由の内の一つであ

る「シンガポールにおける通信の充実度」が,近年のシンガポールの優秀な英語力に大きく

負っているという点である。

 人口の77%を華人(中国)系で占められるシンガポールは,ほんのつい30年ほど前までは,

当然のことながら,非英語圏に属していた。しかし1963年より政府主導で始まった英語重視

の二言語主義政策によって,現在では,教育,公務,ビジネス等のあらゆる分野で広く英語

が使われるまでに変貌を遂げている。それは,シンガポールが国際経済社会における自国の

地盤強化を狙い,生き残りを賭けて,英語重視の国策を選択した結果である。このことは結

局,外国資本の導入を側面から支援することに寄与し,又,科学技術へのアクセスにも一役

買っている。そして現在では,周知の通り,アセアンの優等生として近隣諸国からの羨望を

浴びるまでに経済発展し,将来の展望としては,アジア最大の情報受発信基地となることを

目指すまでに国力を増してきているのである。実際,その可能性はある。シンガポールがア

ジアの中にあって英語を常用するという特色により,将来的には日本などより有利な立場に

立つと考えられるからである。

 又,近年シンガポールは,アジアにおける英語習得の為の留学先としても注目を浴びてき

ている。近頃のシンガポールの英語学校は,夏休みともなると,タイ,インドネシア,マレー

                         ヨラシア,日本,韓国などからの学生で賑わっているという。これは,英米に留学するよりも,

コストが安い,安全である,カルチャーショックが少ない等の理由からである。これなども,

シンガポールが英語教育に心血を注いできた結果がもたらしたプラスの一つと言えよう。

 しかし一方,英語重視の二言語主義政策は,必ずしもすべてにわたって良い結果をもたら

している訳ではない。例えば,通常,母語は文化の一部と.して自己のアイデンティティー形

成に重要な一翼を担っていると考えられているが,この点シンガポール人の場合,不幸な状

況に置かれていると言える。何故なら,多くのシンガポール人にとって英語は母語ではない

からである。幼稚園から始まる英語での教育を長年受けても,彼らが家族や同民族系の友人

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と話す時に使う言語は英語ではなく,母語(方言)なのである。心の言語は依然,民族語に

あると言えよう。しかし,そうであるにも拘らず,学校では英語が丁重要語として与えられ

るから,どうしても傾向として,自分の母語を二番目に位置づけたり,延いては自分達の文

化をも二流と卑下するような偏った意識がしばしば生じてしまうことになるのである。なに

せ華人系に至っては,民族の母語である華南方言は第三言語の地位すら与えられていないの

であるから。

 更に,1990年に行われた調査に依れば,英語で長年教育を受けた16歳から29歳までの層で,

その約20%が「英語使用には依然違和感があり,テレビやラジオの英語放送や英字新聞は利

用しない」と答えている。この統計結果などは,シンガポール型の二言語主義政策の限界を

暗示しているようで,興味深い。

 英語重視の二言語主義政策からくる弊害は,他にもまだある。試験による選抜が小学校三

年から始まるシンガポールにおいて,英語の能力が極端な死活問題となっているのもその一

つであろう。つまり,たとえ語学以外の能力をもっていたとしても,現行制度の下では,英

語が不得手であれば進学の機会は閉ざされてしまう可能性が極めて高くなっているのであ

る。勿論それは英語が授業用語であるからである。しかし,先述の通り,英語は多くの生

徒にとって母語ではなく,外国語である。まして学ぶ言語は,英語のみではないのである。

 本稿の目的は,多民族国家シンガポールがこれまでに採ってきた言語政策を検証し,その

結果生じた様々な社会・経済的利益,及び問題を考察することにある。このことは,今後よ

り一層の国際化(多民族共存)と外国語教育の徹底化が予想される日本の未来社会を考える

上でも,有意義であろう。なにせ現在のシンガポールは,前衛的な言語政策に関しては,正

に実験真っ最中の国家なのであるから。

2.シンガポールの民族構成

 1990年現在で,複合民族国家シンガポールの民族構成は,華人77%,マレー人15%,イン

ド6%,その他(欧亜混血のユーラシアソも含む)2%となっている。固有の土着民族であ

るマレー人が少なく,外来民族である華人が国民の中核となっている点が特色と言えるであ

ろう。シンガポールが昔より「華僑の都市」と呼ばれてきたのは,正にこの為である。

 資源をもたないシンガポールが発展したのは,周知の通り,それが東洋と西洋を結ぶ海路

の要衝にあった為に,19世紀初頭より自由貿易港中継港としての機能を果たし,又,石炭,

錫ゴム等の積込港あるいはイギリスの海軍基地などとして栄えてきたからである。1821年

に人口わずか4727人であったのが,1833年には3万人を越している。』その後も人口は年率4.5

%のペースで増え続け,一時は1977年末までに300万人にも達することが懸念されたが,現

実には,現在250万人余りとなっている。これは,二次にわたる家族五ヵ年計画(1966-70,

1971-75)に基づく産児制限が効を奏した為である。

 戦前のシンガポールにおいては,全人口の8割を労働参加人口が占めていた。つまり,そ

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れはいわゆる出稼ぎ社会型の社会だったのである。ところが戦後は,徐々に定着型の傾向が

進行していった。これは,東南アジアにおける現地ナショナリズムが高揚した結果としてみ

ることができるが,特に華僑に関しては,中国が社会主義化した為に,もはや華僑としての

生活ができなくなったことも大きな理由の一つである。中国系住民は,現在では華僑と呼ば

れることを嫌い,自らを華人と呼び,又,その話す国語を「中国語」ではなぐ「華語」と呼

び慣わしている。試みに,シンガポールの中国系の人に「あなたは中国人か」と聞くと,「い

や,シンガポール人だ」という応答が返ってくる。これは,シンガポールの指導者が,シン

ガポールが中国の飛地とか第三の中国と呼ばれるのを恐れ,独立当時からシンガポール国民

としての連帯統一意識を育むことを国是して努めてきた成果である。

3.シンガポールの言語状況

 上述のシンガポールの民族構成上の特色は,そのままその言語状況によく反映している。

各民族は民族固有の母語をもつ為に,現在,公用語として英語,マレー語,華語,タミル語

が採用されている。英語重視の言語政策である為,政府の文書等には英語が使用されるもの

め,ラジオやテレビの放送はチャンネルを変えて以上の四種の公用語で流されている。その

言語状況は,日本などでは想像もつかないほど複雑なのである。

 更に複雑なことは,実生活において話される言語(方言)の数が以上の四種を遥かに越え

る点である。まず,華人系の話す母語には,広東語,福建語,閾下語,潮州語,客家下等が

ある。華語(マンダリン)はないのが特色である。これは,シンガポール華人のほとんどが

中国の南部から移民してきた者達(あるいはその末畜)だからである。中国南部の方言とい

っても,各方言は相互に理解し合うのが困難なほどに文法・音韻体系が異なる為に,当初,

華人は生活上の必要性からリソガフランカとしてマレー語を習得した。しかしその後,華人

の数が:増大し,華人系住民による経済的・文化的な高まりと共に,華人はマレー語を捨て,

                                  の闘南語を相互の共通語とするようになった。閾南語が採用されたのは,三三幕が当時最も有

力であったからである。

 華人系と比べれば,マレー系は比較的均質に見えるが,それでもマレー人(68%),ジャ

ワ人(25%),ボヤネーズ人(5.5%)等によるサブ・コミティーが存在し,マレー語は現在

(1992年)でも発音が完全に標準化されてはいない状態である。

 インド・パキスタン系では,南部インド出身のタミル(76%),マラバル海岸出身のマラ

ヤリー(12%),スリランカ出身のセイロニーズ(3.7%),北部インド出身のテレグやパン

ジャービ(8%)等がある。この内,タミル語,マラヤーラム語,テレグ語はドラビダ系の

言語であるが,その他はインド・アーリア系に属する言語である。

 このように複雑極まる言語状況下にあって,かつてシンガポールはマレー語を基にアラビ

ア語,英語,ポルトガル語,華南方言を混成させて作った標準語「バザール・マラヤ」を使

用した時代もあった。しかし結局,これは有力な標準言語には発展しえず,結果的にシソガ

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ポールは先述の四種の言語を公用語として現在に至っているのである。

4.シンガポールの言語政策

 シンガポールには,言語計画を専門とする特別な組織が存在する訳ではない。言語政策に

関することは,通常まず,政府(首相)によって声明が発表され,教育省がそれに従う形で

その大綱化を行うのである。

 シンガポールにおいて,全党委員会によって初めて公用語として先の四つが推薦され,ま

た教育の目標にバイリンガルの育成が掲げられたのは,1956年のことであった。しかしこの

時点では,シンガポールがまだマレーシアから独立していなかったこともあって,これらの

公用語はどれも皆同等の比重で考えられていた。英語が重視されるようになるのは,1959年

にイギリスから内政自治権を獲得して,人民行動党(首相リー・カアソユー)が政権を握っ

てからのことである。

 また一方,この年には公用語四種の内のマレー語はシンガポールの国語に定めちれている。

そしてこれは,意外に知られていないことであるが,現在まで続いている。シンガポール全

人口の8割近くが華人系によって占められるにも拘らず,マレー語が国語として採用された

のは,多分に政治的な理由からであった。ともあれ,この時点の言語政策に従えば,シンガ

ポール人はまず全民族のコミュニケーション手段として英語を,そして次に国語としてのマ

レー語を,そしてまた更には第三言語として民族語を修得することが期待されていたのであ

’る。

 しかし実際に英語を重視する二言語主義政策が教育システムの中に組み込まれたのは,シ

ンガポールがマレーシア連邦の一員となる1963年のことであった。この時点から,シンガポー

ル人は必修言語として英語を,そして第二言語として自分の属する民族系の公用語を習得す

ることになったのである。結果として,マレー語はこの時から名目上の国語になった形であ

る。法律上は国語でも,実質は,マレー系の為の第二言語としてのみ機能するようになった

からである。尚,この時点で確立した言語政策は,1965年の独立の後も,大筋においては変

化がない。

 人民行動党政権がシンガポールの第一言語として英語を採用したことには,様々な理由が

考えられるが,,主なものは以下の四つであろう。

(1)シンガポールは元々イギリスの植民地支配下にあり,下級官僚を養成する為の英語系学

 校(例:ラッフルズ学院)が以前から存在した。つまり,伝統的な中国文化と絶縁したヨ7

 ロッパ的教育環境の中で育ち,英語を第晶言語あるいは第二言語とする華人が早くから存

       ラ 在していた。

(2)1959年以来30年間首相の座にあったりー・カアンユーは,英語教育を受けた政治的指導

 者であった。(ラッフルズ学院,ケソブリヅジ大学卒)又,彼の率いる人民行動党は,元

 々英語教育を受け,戦後イギリスへ留学した経験をもつ人々(弁護士,ジャーナリスト,

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 労働運動家等)が中心になって結成された政治団体であった。

(3)どの民族の母語でもない中立的立場にある英語を採用することで,,民族間の心理的軋礫

 を回避することができる。且つ,どの民族にも共通して使えるコミュニケーション手段を

 もっことになる。換言すれば,英語を重視することで,後述の,華人ショービニズムの温

 床となってきた華語の勢力を相対的に弱めることができる。

(4)英語を採用することで,世界経済において有利な立場に立つことが可能となる。(例:

 外国資本を誘致しやすくなる。日進月歩の科学技術について行くことが易しくなる。又,

 世界のあらゆる情報が入手しやすくなる,等。)

 ところで,1959年以降のシンガポールにおいて英語がいかに重要視されるようになったと

はいっても,現在のようにすべての授業が英語で行われるようになるのは比較的近年のこと

で,1987年まで待たなければならなかった。それまでは,伝統的に授業用語の選択は親権者

に任されていたのである。多民族による複合社会であるシンガポールにとって,教育用語の

問題は,この国の教育政策の基本に関わるものであるからである。政府としても慎重になら

ざるを得なかったのである。そんな訳で,1987年以前の二言語主義政策は,英語重視とはい

っても,あくまで四公用語のどれを授業用語として選択してもよいという自由を保証した上

での言語政策だったのである。

 政府主導の鳴物いりで1963年に発進した二言語主義政策も,当初は捗捗しい成果を上げえ

なかった。1978年四月に行われたりー・カアソユー首相のテレビ演説録に依れば,当時の新

教育を受けた結果バイリンガルとなっている者は全体の3~5%にすぎず,大半の者は依然

モノリソガルであったのである。この時リー・カアソユーは,すべての学校において授業用

語には英語を使いたいと思ったことであろう。英語をメディアとする学校においてだけは,

バイリンガル育成の成果がかなり見られたからである。

 一方,教育上の効率の悪さは,学業に関することだけではなかった。授業用語が四種ある

ことは,教育上さまざまな問題を付随させることを意味したからである。例えば,教員の雇

用,目標到達レベルの決定,あるいはシラバス,検定試験,認定証等の作成などにおいても

四種類の考慮(四倍の時間)が必要なのである。

 しかしこの問題は,図らずも労せずして解決に向かうこととなる。1960年代から70年代に

かけて,英語をメディアとする英語系の学校が圧倒的な人気を得ることになるからである。

これは,1965年のマレーシアからの独立の頃から特に,政府関係の職種を中心に,英語教育

を受けた人材がいわゆるエリートとして重用され始まったからである。この傾向にいち早く

反応したのは,親達であった。こぞって自分の子供を英語をメディアとする学校に入学させ

るようになったのである。その結果,英語系以外の学校は急速に減少していくことになる。

まず1976年にマレー系の学校が完全に姿を消し,つづいてタミル系の学校も1982年に姿を消

した。そしてすべての学校で英語が授業用語として使用されることが決定された1987年の大

教育改革の年には,華語系の小学校は僅か四校を残すのみとなっていたのである。かつて30

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年ほど前には,全体の46%が華語系の学校で学んでいたのであるから,大変化と言えるであ

              のろう。因みに,華語系の南洋大学は,1975年に英語による授業も開始したが,1980年にはシ

ンガポール国立大学に組み込まれることとなった。つまりこの時をもって,華語系の大学は

完全に消失したのである。これは,シンガポールの言語政策を理解する上で象徴的な出来事

だったと言えるだろう。

 ところでシンガポールの言語政策は,華語の存在を抜きにしては語ることができない。人

口の8割近くを華人系で占められるシンガポールは,華人系の為のリンガフランカとして華

語を普及させることにも並々ならぬ努力をはらってきているからである。

 シンガポールにおいて若い世代に北方標準語である北京官話(華語)が普及し,次第に華

人間の共通語が北京語に移っていく気配が現れたのは,1911年の辛亥革命の頃からであった。

その後1949年に,中国に中華人民共和国の共産主義国家が現れるが,このことは,中国系が

多数を占めるシンガポールにも大きな影響を与えずにはおかなかった。この時,最も大きな

                              ラ影響(感化)を受けたのは,中国語教育を受けていた学生である。このような人々には,傾

向として,いわゆる華人ショービニズム(自民族の優i秀性に対する強い信念)の意識が次第

に現れ,それはしばしば共産主義に対する親近感と結びついた。したがってそのような考え

方の基となる中国語教育に対しては,次第に疑義を唱える者も現れるようになり,結果とし

て後には,英語教育に人気を奪われることになるのである。何故なら,英語教育を受けた人

々は中国に対する親近感が希薄で,華人ショービニズムや共産主義とも縁が薄かったからで

ある。つまり,彼らの保守性がイギリス植民地支配者や,シンガポールに非共産主義的な新

国家を樹立しようとする者達の利益に合致したからなのである。

 ともあれ,華語を華人系のリソガフラソカにしょうとする運動はその後も続いた。その理

由には色々あるであろう。まず一つには,共通語がなければ華人間のコミュニケーションが

不可能だったからである。特に学校教育などは,それなしでは成り立たなかったのである。

勿論,各方言ごとにそれぞれの学校を設立することも可能であったが,もしこれをしていた

ら,華人間の連帯意識は高揚することなく,延いては1965年のマレーシアからの独立も起こ

りえなかったに違いない。又さらに,二つ目の理由としては,北京語がいかに華南方言と異

なる言語ではあっても,文化背景を共有する同民族の言語として,英語やマレー語などより

は遥かに親近感を覚えることのできる対象でありえたからであろう。

 1980年の統計資料に依れば,華人が家で話す言語の比率は,方言が最も多くて全体の64.4

%,次いで華語25.9%(1957年には僅か0.1%だった),英語9.3%,その他0.3%の順であっ

た。ところがその10年後の1990年には,その比率は以下のごとく大きく様変わりしている。

    年方言華語英語その他    1980       64.4%       25.9%        9.3%        0.3%

    1990        5.6%       67.9%       26.2%        0.2%

現在では方言の使用は著しく低下し,代わって華語と英語の使用が大幅に伸びているのが分

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かる。これには,1979年から始まった華語使用運動(The Speak Mandarin Campaign)が

大きな貢献をしている。「家庭では方言ではなく華語を話そう」というこの二丁使用運動は,

元々は小学校就学者の華語学習を容易にする為に始まったものであるが,「10年間で方言の

使用をなくそう」という最終目標も同時に掲げられ,注目された。実際には,その後10年経

っても方言の使用はゼロにはなっていないが,傾向としては,最終目標に向かって進行中だ

とは言える。実際,華語は現在,シンガポール英語に対するクイーンズイングリッシュ同様

の,方言に対するお手本としての地位を築いているのである。

 ところで最近,あくまで第二言語としての位置しか与えられてきていない華語に対しても

英語同様の重要性を認識すべきだという考え方が世論として生じてきているのは,注目に値

する。つまりそれは,華語を華人系の為のリンガフラソカとしてだけではなく,インターナ

ショナルなコミュニケーションの手段としても位置づけようとする考え方である。この背景

には,勿論,近年の中国の改革・開放政策や台湾,香港の経済分野での台頭に因る中国語需

要の高まりがある。この点に関しては,1再び後述する。

 又さらに,言語政策が順調な成果を上げていることにより,近年ではマイノリティー言語

への配慮も余裕として見受けられるようになっていることも特記すべきであろう。例えば,

なにかと中心的話題から外れがちなマレー語に,「マレー語月間」(1992年二月)が与えられ

たり,マレーシアやインドネシアに倣ってマレー語の発音を標準化しようとしたりしている

のも,その現れである。シンガポールは1978年にマレーシア式マレー語正書法を採り入れて

いるが,先にも言及したように,発音に関しては方言により一定していなかったのである。

尚,シンガポールの標準マレー語発音(sebutan baku)は,スペル通りに発音する方式に依

ってではなく,ジョホールーリオウ地域で話されるマレー語の発音に統一する方式で標準化

が行われ,1993年から教育,放送界等で実施される予定である。

5.シンガポールの二言語主義政策の功罪

 複合民族国家における言語政策をみる時,それは大きく二つのタイプに分けられる。一・つ

の典型はアメリカで,言語や文化の面で様々な背景をもつマイノリティーな移民に対し,強

制的に自国の国語(英語)を受け入れさせようとするタイプである。そしてもう一つは,カ

ナダやシンガ:ポールのように二言語主義を採り,公用語をいくつか設けるタイプである。ス

イス,ベルギー,ルクセンブルク等の国々も後者のタイプに入るから,二言語主義は特別珍

しい存在という訳では決してない。しかしシンガポールの場合,よく考えてみると,ある意

味でやはりその二言語主義はかなりユニークである。何故なら,他の二(多)言語主義を採

る国においてはその言語がどれも普通,同語族系のものばかりであり,又それぞれの民族の

母語となっているのに対し,シンガポールの場合は,四種の公用語がどれも異系統の語族に

属するばかりか,どの民族の母語でもない英語を第一・言語として採用しているからである。

これは,母語を差し置いて民族とは直接関係のない外国語を共通語として人工的に使用する

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ことであり,さしづめ日本に当て嵌めて言えば,第一言語に日本語ではなく英語を採用し,

授業やビジネスや放送等に使用するようなものなのである。当然のことながら,様々な社会

的混乱(問題)は避け難い。

 しかし予想に反して,大局的には,シンガポールの言語政策は狙い通りの成果を十分に上

げ得ていると言えるも1987年の調査に依れば,英語を理解する者は120万人(全人口の約50

%)おり,その内英字紙を読む者の数は84万5千人(この内華人系70%)にも達している。

特に16歳から29歳までの青年層に限って言えば,10人中7人までがバイリンガルという結果

になっているのである。

 さて,シンガポールにおける二言語主義政策の功と罪を検証するにあたり,まず「功」に

関するものとしては,Tay(1983:51-52)の挙げたシンガポールにおける英語の六つの機i能

を挙げることができよう。

 (1).公用語としての機能       (2)授業用語としての機能

 (3)ビジネス用語としての機能   (4)全民族の共通語としての機能

 (5)シンガポール人としてのアイデンティティーを強化する機能

 (6)国際語としての機能

 以上の六つの機能から敷衛される具体的な功については,先にも多少言及していることで

もあり,また紙幅の関係で,詳述しない。

 一方,「罪」に関しては,主なものとして以下の六つが挙げられよう。

(1)まず一つには,冒頭でも触れたように,民族語(方言)の軽視により(勿論,政府当局

 は方言を重視も軽視もしていないという中立の立場をとっている。),民族語による自己の

 アイデンティティー形成が阻まれていることが挙げられよう。確かに英語を使用すること

 でシンガポール人としての共通のアイデンティティーが形成可能でも,その前に各人には,

 それぞれの民族の異なる文化や宗教を背景とする個人としてのアイデンティティーが存在

 することは否めない。全民族の共通語としての英語が急速に普及しつつあるにも拘らず,

 華人系が並行して華語の普及にも力を入れているのも,結局はこの中国系としてのアイデ

 ンティティーの問題が根底にあるからであろう。アイデソティーティーの形成には母語が

 大きく作用すると考えられるが,シンガポールにおいて母語は第一言語の座を外国語であ

 る英語に譲っている。華南方言などは第二言語にすらなっていない。(現在,華人系小ド

 中学生90%の第二言語は華語で,残りは英語と華語を第一言語のレベルで学んでいる状態

 である。)つまりこのことは,自分の民族語は英語や華語に劣るもの,延いてはその文化も

 二流,といった偏った意識を生徒の精神にしばしば生じさせる元凶になっているのである。

(2)次に,近年の華語の大幅な普及(つまり方言の相対的低下)に因り,華人の若年層と老

 年層間のコミュニケーションが不可能になっていることが挙げられる。これは,勿論,老

 年層の多くが方言のみしか話せず,また逆に若年層が英語と華語しか話せぬ為に生じる悲

 劇である。よって,祖父母がせっかく孫に会いに来ても意志の疎通ができずに帰るという

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 ような残念なことが,実際に起こり得るのである。

(3)意外に知られていないことであるが,シンガポール華人は二つのグループに分けられる。

 英語を常用するグループと華語を常用するグループである。この英語系と華語系の華人間

 には,ファッション上のような目に見える差異ばかりではなく,宗教観や道徳観のような

                               ラ 精神面の次元(考え方)でも色々な違いが傾向として認められる。そしてこの考え方の不

 一致は,しばしばシンガポールの国内世論を二分して対立させるのである。特に言語や教

 育の政策に関しては顕著である。新聞の投書欄などを読んでいても,しばしば両極端の意

 見に出会うことがある。例えば,「シンガポールはアジアの一国ではあるが,精神は西洋

 式である」と誇りをもって主張し,又「シンガポール英語をもっと英米式に近づけるよう

 政府は努力する必要がある」などと説く者がいるかと思えば,「そのような西欧偏向の考

 えはアジア人としておかしい。どんなに英語が話せても我々の心はアジアにあり,またシ

 ングリッシュ(Singlish=シソガポールロ語英語)を恥じる必要はない」といった反対意

 見も目にする。最近では,英語同様に華語を扱うべきだとしてCL2(第二言語としての

 華語)の呼称廃止を求めたり,「幼稚園における言語教育においては英語と華語に同等の

 時間が割かれるべきである」などといった意見をよく目にするが,これは勿論,華語が英

 語より重要でないと錯覚されることを危惧する華語重視派の人々の主張である。

(4)又,言語習得に大量の時間が必要となっている為に,結果として他の教科にしわ寄せが

 きている点も「罪」の一つとして挙げられよう。実際,小学校一,二年生では総授業時数

                           ラ の55%が言語学習であり,最終学年でも42%を占める。又,中学校では35%となってい

 る。因みに,数学は12.5%であるから,その偏りぶりが看取できよう。

                 の(5)1990年に行われた調査に依れば,小学生の10~15%が授業についていけないでいるが,

 その内の7.2%は理由が授業用語の英語が不得手な為である。つまり,英語は大半の生徒

 にとって母語ではないにも拘らず,英語重視の選抜に容赦はない為に,たとえ他の教科に

 は才能があったとしても,思うような進学はできなくなっているのである。

(6)最後に,シンガポールでは様々な言語が存在する為に,言語習得に際し,特に音声面で,

 他の言語からマイナスの干渉を受けやすくなっているという点が挙げられる6例えば,i華

 人の英語は華語や方言の音声的影響を受け,又これは,おもしろいことに,マレー人やイ

 ンド人の話す英語にも伝染しているのである。後者の人々は,マジョリティーである華人

 系友人の話す英語環境の中で英語を学ぶからである。

6.二言語主義政策の今後の課題

 国の経済発展が何よりも優先されるシンガポールにあっては,「少」の意見はしばしば「多」

の意見に屈することと’なる。先に述べた二言語主義政策も,結局はこのテーゼに沿って案出

          のされたものと言える。よってシンガポールの二言語主義政策のもたらしたものが,たとえ功

ばかりではなくとも,功の利益が罪の不利益に優るものであるならば,この政策は今後も続

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行されるであろう。

 シンガポールの言語政策が狙い通りに進行しつつあるのは,先の統計上の数字の変化に見

てきた通りであるが,まだ完全に目標が達成された訳では決してない。当然,今後も努力(考

慮)をすべき点は残っているのである。

 まず最大の関心事は,質と量の面で,どうずればシンガポール人の英語運用能力をより一

層高めることができるか,という点であろう。しかも,母語の能力を犠牲にしないという条

件つきで。

 1990年の調査結果に依れば,小・中学生にとって英語は華語や算数などよりも難しい科目

となっているのが現状である。例えば,中学生修了認定試験(GCE O-leve1)で華語にパス

した者は93%であったのに対し,英語は65%であった。数学が84%であったことを思えば,

英語がいかに習得困難な科目層になっているかが分かるであろう。

               ユ ラ 又,最近行われた調査に依れば,幼稚園から始まる英語教育を長年受けて成長した青年

層の20%が,英語使用に際し違和感を覚え,英字紙や英語放送には全くアクセスしないとい

う。この事実が語る意味は深いように思える。母語ではない外国語の英語を最重要言語とし

て採用するシンガポール型二言語主義政策では,結局100%をバイリンガルにすることはで

きないということであろう。家庭でも英語を常用する者の数が今後ますます増加すれば,勿

論,その分英語の使用者は増えるであろう。しかしこの事は,バイリンガルが増えることに

直接結び付く訳ではない。華語を捨てた英語だけのモノリソガルが増える可能性もあるので

ある。しかしこれは,勿論,シンガポールの言語政策が目指すところではない。

 更に又,考慮すべき点としては,最近とみによく聞かれるシンガポールの大学生の英語力

低下の問題もあろう。一見,奇妙に思えるが,大学生の標準英語の力がこのところ徐々に低

下し出しているのは事実のようである。数年前から大学教授を中心に騒がれ出してきている

からである。話す英語もひどいが,レポートや論文を書かせても,誤字,脱字は当り前で、

パンクチュエーションや段落構成,あるいは接続詞の使い方等などもかなりひどいというも

のである。又,「最近の若い従業員は手紙すら満足に書けない」という会社役員らしき人か

                  ヨラらの投書が新聞記事になったりもする。これが本当だとすれば,ゆゆしき問題であろう。英

語はシンガポールの教育用言語であるからであり,又,大学以前の12年間にわたる英語教育

の成果が否定されかねないからでもある。そんな訳で,シンガポール国立大学人文学部では

                  エのこの点を解明すべく,現在調査中である。

 ところで,なぜ大学生の英語力は低下しているのであろうか。意外であろう。これには様

々な理由が考えられるが,主なものに以下の四つが考えられる。

(1)近年の大学進学率の急激な上昇で,学生全体の英語力が相対的に低下している。

                 ユらう(2)シンガポール固有の口語英語表現が若者層を中心に広く使われ出し,標準英語との境界

 が不明瞭になってきている。この種の口語表現は,かつてその使用者が少数だった時には

 単なる「悪い英語」でしかなかった。しかし近年では,その使用者が大幅に増えた為に,

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最近のシンガポール言語事情                              79

 それはシンガポール英語として認めるべきだとする意見も出るまでに市民権を得つつある

       の のである。

(3)英語が彼らの母語からの干渉を受けている。音声面において影響を受けているのは明か

 であるが,これは文法面や論理の構成法などにおいても言えることである。例えば,動詞

 の三人称単数マーカーLs’,過去マーカーLed’,不定冠詞,名詞の複数マーカー’一s’

 等が彼らの英語でよく脱落するのは良い例である。

(4)小・中・高校の英語教員の質が十分ではない。これには,勿論,英語教員の勉強不足が

 最大の元凶として挙げられるが,上記の(2)や(3)の理由も間接的には関係しているであろう。

 例えば,教師でさえ“Ieat already.”のような口語でよく耳にする非文などは,つい看過

 してしまいがちになっているのである。つまり,この問題に関しては,全部が全部英語教

 員自身の勉強不足のせいにはできないということである。

7.最後に

 シンガポールの言語政策は,たとえミクロ的には問題を残しているとしても,日本人の我

々から見れば,マクロ的には十分成果を上げているように思える。シンガポールの置かれて

いる複雑な言語状況を考慮するなら,なおさらである。現在シンガポールにおいて10人の若

者の内7人までがバイリンガルに育っているという事実は,やはり驚きであり,賞嘆に値す

る。近年になって若者の英語力が低下しているなどという指摘を受けるのも,実は裏を返せ

ば,現在の若いシンガポール人の英語力が英米人のトものと比較しうる対象にまでレベルアッ

プしたということであろう。つまり,もし彼らの英語力が現在の一般的日本人の英語力程度

であったなら,初めからそのような指摘の対象などにはならなかった筈なのである。

(注1)本稿は,長崎大学経済学部東南アジア研究助成金による研究成果の一部である。

(注2)1992年9月5日付朝日新聞朝刊13版

(注3)STRAIT TIMES,1992年4,月17日付記事

(注4)華僑が方言を連帯のテコとして形成した,地縁による独特な個別集団。温気の有力老によって,上部

   組織である中華総商会で構成された。

(注5)英語を常用し,華語は片言で漢字知識のない華人は,しばしば「両毛子」や「亡宋祖」などと呼ばれ

   て軽蔑の対象となった。

(注6)華人一人一人が1ドルずつ出し合って華人の為の大学を創ろうという運動(一華一元運動)の下に設

   立された特色ある大学。

(注7)当時シンガポールは中国大陸から教師や教材の供給をあおいでいた。

(注8)例えば,STRAIT TIMES,(1992年5月11日付記事)の調査に依れば,「なぜ華語を勉強するのか」の

   問に,英語系と華語系の小・中学生では異なる回答をしていう。英語系は第一の理由に「試験にパス

   する為」を挙げ,華語系は「自分は中国人だから」を挙げている。

(注9)小学校三年からは能力,学力別のコースとなり,学力が劣ると判定された者(約20%)は単一言語コー

   スで学ぶ。

(注10)STRAIT TIMES,1992年1月29日付記事

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(注11)複合民族国家であるシンガポールにおいて,言語政策は国の存亡に関わる大きな問題である。その言

   語政策の目指すところは,以上見てきた通り,常に,複合民族国家シンガポールの社会的安定と経済

   的繁栄である。四種の公用語を設けたこともしかり,また公用語を四種認める一方で,国際語の英語

   を重視するこ.とにより華語の相対的勢力を弱化させたこともしかりである。

    シンガポールのこれまでの言語政策において,華語は,言うなれば,’常に「生かさず殺さず」の立

   場におかれてきたと言えるみ華人が総人口の約8割を占めるからといって,.華語がシンガポールの実

   質的国語になってしまっては国の社会的安定と経済的繁栄は期待できない。華語を「生かさず」であ

   る。また一方,華人と,してのアイデンティティ「は消し去り難く(伝統文化の価偉認識),この感情

   は民族間での華語の普及という形になって現われる。そしてこの流れに樟さすことは,民族として困

   難である。つまり,華語を「殺さず」である。

    今後いかに華語重視派の世論が高まろうとも,現在の言語政策が将来大きく変化することは考えに

   くい。なんとなれば,現在の,あくまで英語重視の下での四公用語使用.こそが,複合民族国家シンガ

   ポールの社会的安定と経済的繁栄を同時に望みうる言語政策だからである。

(注12)STRAIT TIMES,1992年5月17日付記事

(注13)STRAIT TIMES,1992年4月7日付記事

(注14)STRAIT TIMES,1992年1月15日付記事

(注15)シソガポールロ語英語表現の例としては,“Why you so like that?”,“Go where?”,“Don’t want.”等

   が挙げられる。又,シンガポールに特有の表現(pet phrases)となったものとしては,次のようなも

   のがある。

   .zap notes=Photocopy notes, chim/chimalogy=Profound/difficult to面derstand, alamak=My

   goodness!, wa lao=Wow, jia lat=Tough going, siong=Terrible!, cham ah=1且deep trouble,

   sian=So boring, kiasu=Afraid to loose out, shiok man=What a feeHng1, mugging=Studying reaUy

   hard, sabo=Sabotage/Get people into trouble, buey tahan=Intolerablelcan’t stand it!, siam』Make

   way!bo chap=Couldn’t care less!, terok=Done for!, then hor=And then..., wah piang=My God1,

   shen de=You’re nuts!

(注16)STRAIT TIMES,1992年2月17日付及び3月15日付記事

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