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明治大学教養論集通巻514 (2016 3)pp.23-48 {夢い平和: ルソーの戦争論における国家と個人 折方のぞみ J-. J.ルソー(1 712-1778) の政治思想においては, (1 755) 1) や『社会契約論j](1 762) といった理論的著作から『コルシカ憲法草案』 (I 765 ,遺作)や『ポーランド統治論j](1 77 1)といった具体的共同体に関す る著作にいたるまで,一定の完結した体裁を取っている著作の大部分で内政 の問題に重点が置かれている O その理論の中心はノfトリオティスムによる公 民教育や一般意志理論に基つ eいた人民主権の主張であり,コスモポリティス ムや国際法理論への関心の存在は端々にかいまみられるものの,結局ルソー は外交問題への関心がそこまで高くはなかったのではないか,といった見解 が長く一般的であった九 だが,プレイアッド版「ルソー全集j] 3) の編者の一人であるB. Gagnebin 1965 年にルソーの未発表の手稿「戦争と戦争状態」を発見したことで状 況は変化する九とのテクストが, 1734 年頃から計画していた未完の大著 『政治制度論』の一部,外交論・国際法の原理を扱う部分としてルソーが執 筆していたものの断片であり,内政論・国制法の原理を展開する『社会契約 論」と対をなすものとして位置づけられていたのではないか,と考えられる ようになったのである。 B.Bernardiらの研究グループは, Gagnebin の発 見と示唆を展開する形で進められた G.G. Roosevelt による草稿研究5) を引

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明治大学教養論集通巻514号(2016・3)pp.23-48

{夢い平和:

ルソーの戦争論における国家と個人

折方のぞみ

J-. J.ルソー(1712-1778)の政治思想においては, ~政治経済論j] (1755) 1)

や『社会契約論j](1762) といった理論的著作から『コルシカ憲法草案』

(I765,遺作)や『ポーランド統治論j](1771)といった具体的共同体に関す

る著作にいたるまで,一定の完結した体裁を取っている著作の大部分で内政

の問題に重点が置かれている O その理論の中心はノfトリオティスムによる公

民教育や一般意志理論に基つeいた人民主権の主張であり,コスモポリティス

ムや国際法理論への関心の存在は端々にかいまみられるものの,結局ルソー

は外交問題への関心がそこまで高くはなかったのではないか,といった見解

が長く一般的であった九

だが,プレイアッド版「ルソー全集j]3)の編者の一人であるB.Gagnebin

が 1965年にルソーの未発表の手稿「戦争と戦争状態」を発見したことで状

況は変化する九とのテクストが, 1734年頃から計画していた未完の大著

『政治制度論』の一部,外交論・国際法の原理を扱う部分としてルソーが執

筆していたものの断片であり,内政論・国制法の原理を展開する『社会契約

論」と対をなすものとして位置づけられていたのではないか,と考えられる

ようになったのである。 B.Bernardiらの研究グループは, Gagnebinの発

見と示唆を展開する形で進められた G.G. Rooseveltによる草稿研究5)を引

24 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

き継ぐ形で戦争論関連テクストの新たな手稿の読み直し作業引を行ってきた

が,それによって今世紀に入って上記の解釈に大きな変更がなされるととも

に,ルソーが計聞していた r戦争法の原理』と呼ばれるまとまった一連のテ

クスト 7)を諸断片から浮かび上がらせることに成功した。

読み直し作業はまず,従来テーマ的な類似からプレイアッド版全集ではセッ

トで考えられて来た「サン=ピエール師の「永久平和論J抜粋J(1761)お

よびその『批判』と,戦争論に関する一連のテクストの位置づけの修正から

始まる。 Bernardiらはジュネーヴおよびヌーシャテル大学図書館での草稿

研究から,一連の戦争論関連テクストが, rサン=ピエール師の「永久平和

論」抜粋』と『批判』と同系列で考えられるべきであるという従来の主張に

疑問を投げかける。そして,当時の書簡や戦争論関連テクストとlレソーの他

のテクストの精微な比較検討を通して, r戦争法の原理Jの執筆時期を厳密

に特定していくのである。 Bernardiによると,ルソーの戦争論は社会契約

pacte socia18)と一般意志 volontegeneraleというこつの概念を鍵として展

開されるが,後者の概念は初出が『政治経済論』であり, ~戦争法の原理』

がこの著作よりも前に執筆されたとは考えにくい。また, ~社会契約論』の

「ジュネーヴ草稿Jの内容と『戦争法の原理』の内容は互いに深く影響しあっ

ており, r社会契約輪』決定稿や『エミールJ(1762)の記述にも一連の戦争

論関連テクストの内容との重複が散見されることから, r戦争法の原理』は

これらテクストと並行する形で執筆されていたと考えるのが妥当である。逆

にひとことの言及もない『サン=ピエール師の「永久平和論」抜粋』および

「批判」との関連性は低く,執筆時期も「戦争法の原理』の方が若干先であ

ると考えられるo 以上の分析に基づいて, r戦争法の原理』は幻の大著『政

治制度論』の一部であり,国制法の原理を扱う『社会契約論』を補完するも

のとして構想されていたのだと Bernardiらは結論づけるのである 9)。ルソー

は結局戦争論についての著作を完成させることはなく, r社会契約論』およ

び『エミール』で問題に多少触れるにとどまっている。だが,同時代の歴史

惨い平和:ルソーの戦争論における国家と個人 25

的状況を鑑みても,ルソーの政治的関心が外交関係に向けられていなかった

とは考えにくく,その重要性が軽減されるものではないl九また,これら戦

争論を取り巻く断片を読み直す作業は, r戦争」の定義が国民国家の繋明期

にルソーらが確認した近代的な定義から外れ, r対テロ戦争」等といった言

葉が身近に溢れつつある現在においても大きな意味を持つのではないだろう

か。

本稿ではまず,ルソーの戦争論関連テクストを同時代の文脈に位置づけ,

ルソーの理論の新しさとその意義・特徴を紹介するヘ続いて,戦争と奴隷

権という切り口から,ルソーにおける自由と隷従の問題そ考察する。最後に

「エミールとソフィ J(1781,死後出版〉においてエミールの選ぶ生き方と

「新エロイーズJ(1761)のクララン共同体の役割について,戦争状態を前提

とした世界において個人がどう生きるのかといった視点からの読解を試みる。

以上の作業を通して,ルソーの戦争論において,枠組みとしての法的理論と,

暴力の現場に曝される個人の自由と隷従の現実がどういった形で交悲し,描

き出されているのかという問題に光を当てたい。

I 社会問関係性の病

1 -1.戦争は平和への「努力Jから生まれるということ

ルソーにとって,戦争を語る際に念頭においていたのは,社会契約説によっ

て絶対王政の正当性を唱えた政治学者として知られるホップズの理論,およ

び「戦争と平和の法J(1625)等で知られるグロティウス,そしてプーフエ

ンドルフやビュルラマキといった自然法学者逮の理論であった。特にホッブ

ズに闘しでは,人間の自然本性のあり方に対する根本的な認識の相濃から,

「人間不平等起源論J(1755)でも「社会契約論』でも,常にルソーにとって

の論駁対象としてその政治理論は鋭く取りあげられている。周知のように,

ホップズ理論は人聞を自然本性的に非社会的な存在と捉え,自然状態を「万

26 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

人の万人に対する戦争状態」と定義する。そして,暴力の無法地帯を終わら

せ個々人の生存を保障すべく人々が自らの意志によって合意のもと社会契約

を結び,最強者に各々の自然的権利を譲渡したことを社会状態の始まりとす

る同。つまりホッブズによれば,社会状態は「戦争状態に終止符をうつ」た

めにこそ生まれたものだということになる。人聞の自然本性を社会的・平和

的なものと定義するロックらによる新たな自然状態の解釈により,自然状態

における人聞が常に相互不信状態にあると仮定するホップズ理論はすでに異

を唱えられていたが,ルソー自身もこの理論に正面から異議を唱えることで

自らの政治理論を構築していくことになる。ルソーにおいて決定的に特徴的

なのは,自然状態の人間の社会性を否定した上で彼らの暴力性(反社会性)

をも否定したことである(自然状態の人聞は互いに無関心で交流がほとんど

なかったとルソーは仮定している)0~人間不平等起源論」によれば,人間同

士が利己心から争い,暴力的行為を行うようになるのは,人間同士に恒常的

な関係性が存在するようになった自然状態の末期になってからである。それ

は社会契約による国家設立前ではあるが,人間同士の交流がほとんど不在で

あったと前提される,いわゆる「本源的な自然状態」からはすでに脱してい

る。こうした前提に基づき,ルソーはその『戦争法の原理』において,戦争

との関係における社会契約の役割を 180度転換させる。つまり,戦争は社会

状態以前には存在せず,社会契約によって国家が設立されて初めて誕生した

ものだと主張するのである。

Mettons un moment ces idees en opposition avec l'horrib1e syst色me

de Hobbes, et nous trouverons, tout au rebours de son absurde doc-

trine, 1a guerre est nee de 1a paix ou du moins des precautions que

1es hommes ont prises pour s'assurer une paix durab1e.

これらの考えをひとまずホッブズの恐ろしいシステムと対比してみよう。

彼の馬鹿げた学説とは逆に,戦争は平和から生まれたということ,ある

修い平和;ルソーの戦争論における国家と個人 27

いは少なくとも持続的平和を保障するために人々が取った予防措置によっ

て生まれたということに我々は気づくのであるω。

Nous allons voir les hommes unis par une concorde artificielle se

rassembler pour s'entre-egorger et toutes les horreurs de la guerre

naitre des soins qu'on avait pris pour la pr・evenir.

我々は人為的和合によって結合した人々が互いに殺し合うために集まり,

戦争のあらゆる恐怖がそれを予防するために取られた心遣いによって生

まれるのを見ることになるだろうω。

戦争の起源を国家主tatの誕生であるとしたルソーの鋭い指摘は,悪malの

生まれる場所を「人間と人間の間」つまり関係性という場に置く独特の思想、

から演揮されたものである。ルソーはこれを「事物の関係」と呼んでいる。

C'est le rapport d巴schoses et non des hommes qui constitu巴 la

guerre, et l'etat de guerre ne pouvant naitre des simples relations

personnelles, mais seulement des relations reelles, la guerre privee

ou d'homme a homme ne peut exister, ni dans 1もtatde nature ou il

n'ya point de proporiete constant日, ni dans l'etat social ou tout est

sous l'autorite des lois.

戦争を構成するのは事物の関係であって人聞の関係ではない。また,戦

争状態は単純な個人聞の関係によって生まれることはなく,事物同士の

関係からしか生まれえないのだから,私的な戦争や個人聞の戦争という

ものは,聞定した所有権のない自然状態においても,会てが法の権威の

下にある社会状態においても存在しえないのである 15)

従来の性悪説を覆し,替であり完全である神により生み出された人間の本質

28 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

的善性(性善説)を主張するルソー叫にとって,自然状態(本質的状態)

における人間に rn伐争」の生まれる要因は内在し得ず,また他者との交流が

極めて限定される状況においては「戦争」の生まれる余地は論理的にありえ

なL、。よってルソーの理論においては,国家はホッブズ理論のように「戦争」

を回避するために作られたものではあり得ないことになる。

このように,ホップズにとって「戦争状態」の終了を意味した国家誕生の

瞬間は,ルソーにとってはまさに「戦争状態」の誕生の瞬間を意味している

のだが,ここで両者の示す「戦争」の語の定義にズレが生じていることは明

らかである。個人間の争いから国家聞の抗争まで広く連続的に「戦争」概念

に包摂して理解したホップズに対し,ルソーは「戦争Jの主体を国家に限定

し,個人間の争いと閤家聞の「戦争」を本質的に別の事象として捉える。そ

うすることで,個人聞の争いや非合法的な武力闘争と「戦争」を区別し,後

者を国際法の枠組みから検討することが可能になる。

そもそもルソーの時代において, r戦争」はどのように定義されていたの

だろうか。『百科全書Jの項目「自然状態 etatde natureJにおいて,ジョ

クールは戦争状態について次のように述べている。

[... ] mais la violence d'une personne contre une autre, dans une

circonstance ou i1 n'y a sur la terre nul superieur commun a qui

l'on puisse appeler, produit l'et,αt de guerre.

[... ]しかし,ある人の他の人に対する暴力は,この世に頼みになるよ

うな双方に共通のより上位の権威がない状況では,戦争状態を生み出す

ことになるω。

ジョクールはここで,個々人間の争いともとれる文脈で「戦争状態」につ

いて語っている。ジョクールによってまとめられた戦争状態の説明は,まさ

にホッブズの言う「万人の万人に対する戦争」であり,ホップズ的な理解で

惨い平和:ルソーの戦争論における国家と個人 29

の自然状態における人間個々人の状態である。 Silvestriniも指摘している

ように,ホッブズにとって,こうした戦争状態の枠組みはそのままヨーロッ

パの専制君主同士の関係に援用出来るものであったヘルソーはこうした当

時の理解とその前提の一端を担うホップズ理論に対抗し,人民主権の理想に

基づく近代的な意味での戦争の理論を構築する必要性に応えるため,法的な

意味で正当性を認められる戦争を国家聞の関係に限定する新たな理論を提案

する。 lレソーはこのようにして,戦争に必然的に巻き込まれる個人の自由や

生命を国家的な文脈から救い出そうとしたのである。

1 -2. r正当」な戦争

こうして第二次英仏百年戦争まっただ中の「戦争法の原理J執筆当時,拡

張主義的なヨーロッパの専制君主同士による王位継承戦争と,それに連動し

た植民地獲得戦争はまったくの非合法な暴力行為としてルソーから退けられ

ることになる。

「戦争法の原理J2008年版序文において,編者である B.BachofenとC.

Spectorは戦争法 droitde la guerre (jus belli)は以下の 2つの意味を従

来含んでいると指摘する則。すなわち.jus ad bellum Censemble de r色gles

definissant un droit a faire la guerre)としての開戦法規と. jus in bello

Censemble de r色glesencadrant les pratiques guerrieres) としての交戦

法規である。従来,グロティウスを始めとする自然法学者たちは,後者に重

点を置いて理論を構築して来た。ルソーはその偏りに着目し.jus ad bellum

に焦点を合わせて論を展開する。それはすなわち,戦争 guerreの本質 na-

tureの問題にも光を当てるものである。

まずルソーは,戦争guerreと平和 paixは対の概念でありながら,その

意味する範囲は決して対照的ではないと指摘する。戦争まではL、かないが平

和が乱された状態というものが現実には何段階もあるためである。むしろ

「平和状態Jは理念的なもので,現実社会においてはどの社会も常になんら

30 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

かの程度において「戦争状態」にあると言える。先に述べたように, ~社会

契約論』一一国制法(政治的権利)の原理一ーと『戦争法の原理』は『政治

制度論』という完成されなかった大著の両輪をなす書物である叫ことを考

えると,後者は前者が前提とする社会契約によって誕生した社会同士の国家

間関係を論じているものだとみなすことが出来る。ルソーは defactoでは

なく dejureの次元で論じつつ,当時の権力構図の正当化を促すホップズや,

植民地における奴隷制を認めるグロティウスらの理論に貰っ向から対抗する

のである。

ここで,ルソーが『戦争法の原理』の中で提唱している,国家と国家が戦

争状態に入るために必要とされる条件を確認しておきたLザ九それは,以下

の4点にまとめられる。

1) 国家がその主体であること

2) 相手国の存在が自国の存在と相容れない「荘立危機事態」であるこ

3) 理性的で合理的な判断であること

4) 戦争の必然性が相互的m であること

『戦争法の原理」においてルソーは,国家 Etatがひとつでも生まれた時

点で全世界は「瞬時に al'instantJ様相を変え,少しの隙間もなく他の Etats

で埋め尽くされることになると主張する。国際社会においては制裁を加えら

れるようなすべての国家の上位に位置する法的機関も存在しないことから,

それら国家と国家の関係は社会契約前の個人と個人の関係に他ならず,常に

互いに勢力上緊張状態にある。従って複数の国家が同時に存在して世界を覆

い尽くしている状況では,個々の国家同士は本質的に「戦争状態己tatde

guerreJにあるのである。もちろん,ここでルソーは事物の本質 natureに

修い平和:ルソーの戦争論における国家と個人 31

ついて述べているのであって,個々の国家同士が常に「法的な意味」でも戦

争状態にあるとか,常に戦争行為が正当化されるといったことを主張してい

るわけではなし仰)。

では,正当な(法的に容認される)戦争とはなにか。上記4つの必要条件

に加え,十分条件としてルソーは「宣戦布告」の重要性を強調する。すべて

の正当な戦争は宣戦布告をもって開始し,双方の合意のもとの終戦宣言をもっ

て終了する。つまり,奇襲攻撃や宣戦布告のない戦闘行為は戦争としての正

当性を認められず,たとえ国家の君主によって開始されたものだとしても,

それは単なる殺裁,破壊,強奪行為に過ぎなL、。逆にすべての条件を満たし

た上で宣戦布告をもって始められた戦争は,一時的に具体的な戦闘行為が行

われていなくても(休戦,停戦中であっても)終戦宣言がない限り継続中で

あるとみなされ,当事国同士は法的に戦争状態るtatde guerreにあると解

釈されるのである。

社会状態に移行してしまった人聞は, もはや自然状態に後戻りは出来なL、。

社会化された人聞から駆逐され,国家と国家の聞に逃げ込んだ「自然状態」

は,それがいわゆる原始の人聞に関して『人間不平等起源論』第一部で描か

れた自然状態と同様に,十分な資源と食料による自己充足性と他者との接点

を極力排除した空間的孤立性が保障されていれば,戦争状態を生じさせるこ

ともなかったかもしれなL、。ただしルソーが『戦争法の原理Jで述べている

のはヨーロッパで生まれつつあった近代主権国家同士の関係であり,近代主

権国家は必然的に同時多発的に発生し,世界の外観およびその関係性を瞬時

に一変させるのである。すなわち,ひとつの国家Etatが生まれた瞬間に,

その周囲の共同体は自らも同様に国家主tatとなって自己同一性を守るか,

あるいは本質的に自己拡張的な論理を持つ最初の国家に吸収されるかのどち

らかしか選択肢がなくなる。

このように国家聞が本質的に戦争状態である以上, I戦争法の原理」の確

認によってできる限り正当でない戦争を排除し,また個々人の生命や財産を

32 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

保全することに着目していくことが急務となるのである。

「戦争は平和から,あるいは少なくとも,継続的平和を保障しようとして

人間たちが行う予防措置から生まれる」。この非常に本質的な指摘は,あら

ゆる意味において,平和が常にうちなる闘争状聴によって確保されるもので

あり,また平和は必然的に常に脅かされ続けているものでもあることをも示

しているのではないだろうかω。

1 -3.国家の生命としての社会契約

ルソーが上記4条件において,開戦理由の合現性とその判断が理性的に行

われることの必要性を強調していることにも注目したい。戦争を国家と国家

の閣の関係でしかありえないものと定義することで,論理的には人命の損失

を最小限に抑えることが要請される。すなわち, I相手の生存が自分の生存

と相容れない状態」の「相手」というのは「国家の構成員」ではなく「国家

それ自体Jについてなので,直接的には構成員の命を奪う理由にはならない

というのである。では国家の生命とはなにか。国家を生かしているもの,そ

れは社会契約 pactesocialであり,それを何を置いても守ろうとする構成

員連の姿勢であるとルソーは述べる。つまり,仮に対戦国の社会契約 pacte

socialを一瞬で骨抜きにすることが出来れば,論理的には相手国の構成員の

血を一滴も流すことなく相手国を滅亡させることも可能だ,というのである。

もちろんこれは極端な例といえるが,自ら(の所属する国家)の存続とい

う目的のために奪おうとしているのは対戦闇の「国家の生命」であり,決し

てその「構成員の生命」ではないという結論へと導くこの指摘は重要である。

この論理によって,相手国の破壊を目的として行われている戦争においても,

相手国の国民(兵士)の命を奪うことは手段ではありえでも目的にはなりえ

ないことになるためである。逆にいうと,もしも相手国の社会契約 pacte

socialを破壊出来なければ,例え国土を占領しその国が物理的に消滅したと

しても,当該国の生命は奪われてはいないことになる紛。

惨い平和:ルソーの戦争論における国家と個人 33

この視点に基づいて,敗戦国構成員の戦勝悶への隷従を直線的に結びつけ

る自然法学者たちへのル、ノーの鋭い批判が展開されることとなる。同時代の

実際の「戦争」の非正当性 illegitimiteを明確に指摘している点で,この小

片はその体裁安超えてラディカルなものとなっているといえよう。

n r平和Jの苧む病

II-1.サン=ピエールの夢想

こうした国家聞の本質的な戦争状態において,生き残りと平和実現のため

のルソーにとっての次善の策は長らく「小国連合 confederationdes petits

EtatsJではないかと言われて来た2九それはルソーが droitsdes gens (諸

国民の法,国際法)の問題への踏み込んだ議論を展開していないことがひと

つの要因になっていたと考えられる。ただ,ルソーは「サン=ピエール師の

「永久平和論」批判Jにおいて,師の提唱する「啓蒙された君主たち主導の

ヨーロッパ連合」による平和の実現を,人聞の理性を過度に信頼しその利己

的傾向を過小評価した幻想 chim色reであるとして退けている。ルソーの提

唱する「小国連合」は実際,その領土や国力がほぼ均衡していることを条件

とし,また,その意義は大国の侵略に対抗するためとされている。つまり,

ルソーにとって小関連合は常に大国という「仮想敵悶Jを想定した上での小

国同士の自衛手段なのであり,それは戦争状態を終わらせるどころか,常に

戦争状態の緊張関係が継続していることを前提としたものである。また,ル

ソーが最も重視したのは小国各国の主権の保持であり,連合により各国がよ

り上位の機関にその主権を譲渡したり,共同で主権を分割保有するような事

態は想定されていない。 Bernardiはサンコピエールとルソーの撮唱する

「小国連合」の性質の違いを以下のように分析する。

Pour Saint-Pierre, il s'agit de faire de l'Europe une confederation;

34 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

pour Rousseau, former une confederation deρetits Etats a pour objet

de leur permettre d'une part de faire 句uilibrea la force des grands,

de l'autre de conserver les dimensions restreintes qu'exige l'exer-

cice de la souverainete des citoyens.

サン=ピエールにとっては,ヨーロッパを「ひとつの連合」にすること

が目的であった。ルソーにとっては, I小国の連合Jを作ることが,一

方でそれらの国々に大国に対する均衡を保つことを目的とすると同時に,

他方ではそれぞれの国が公民による主権の直接行使を可能とする程度に

小さな規模のままであることを許すことをも目的としていたZ九

ルソーが「サン=ピエール師の「永久平和論」抜粋』とその「批判」で強

調して指摘していたのは,彼の理論が啓蒙専制君主の善意と慧眼によるヨー

ロッパ同盟という,あまりにも非現実的なユートピア思想に依拠していたこ

とである。「抜粋Jの最後でもすでに,人聞はその美徳ではなく利害計算に

よって導かれる存在として描かれているが,この部分は実際のサン=ピエー

ルの意見というよりも,ルソー自身の考えが濃厚に反映されているといえよ

つ。

[ ... ] on doit bien remarquer que nous n'avons point suppose les

hommes tels qu'ils devraient etre, bons, genereux, desinteresses, et

aimant le bien public par l'humanite; mais tels qu'ils sont, injustes,

avides, et preferant leur interet a tout. La seule chose qu'on leur

suppose, c'est assez de raison pour voir ce qui leur est uti1e, et assez

de courage pour faire leur propre bonheur.

我々が人聞をあるべき状態,すなわち善良で,寛大で,欲がなく,人類

愛によって公共の善を愛する者としてではなく,現にある状態,すなわ

ち不正で,どん欲で,自らの利益を最優先する者として想定しているこ

官事い平和:ルソーの戦争論における国家と個人 35

とに注意しなければならない。我々が人々に想定している唯一のことは,

彼らにとって有益なことを見分けるのに十分な理性と,彼ら自身の幸福

を作り出すために十分な勇気のみである28)。

さらに「批判」においてルソーは,現実の人聞が自らの利害に関して合理的

判断が出来ると考えることさえも幻想であるとして,サン=ピエールの案の

実現可能性を否定するのである。「善良な王 1ebon roiJの代名詞であるア

ンリ四世の治世を例にあげてルソーは以下のように述べる。

[...] une guerre qui devait etre 1a derniきre,preparait une paix

immortelle, quand un evenement dont l'horrib1e mystere doit aug-

menter l'effroi vint bannir a jamais 1e dernier espoir du monde. Le

meme coup qui trancha 1es jours de ce bon roi rep10ngea l'Europe

dans d'eternelles guerres qu'elle ne doit p1us esperer de voir finir.

[…] voila 1es moyens qu'Henri IV avait rassemb1es pour former 1e

meme etablissement que l'Abbe de 8t. Pierre.

[…]最後の戦争になるはずの戦争が不滅の平和を準備していたが,恐

怖を増幅させる恐ろしくも不可思議な出来事が世界の最後の希望を永遠

に排除しに来てしまった。普良な王の命を奪ったその同じ一撃によって,

ヨーロッパは再び終わりなき永遠の戦争状態に陥ってしまったのである。

[…]アンリ四世がサン=ピエール師の提案する体制と同じ体制を作る

ために集積した手段とはこうしたものだったのである紛。

永連平和が最終戦争と呼ぶべき暴力的な手段によってしかもたらされないと

するならば,それは本当に望むべき平和と言えるのか。上記段落のあと,ル

ソーはこの永遠平和が実現されないことに関して次のように述べる。

36 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

Qu'on ne dise donc point que si son syst品men'a pas ete adopte,

c'est qu'il n'etait pas bon; qu'on dise au contraire qu'il etait trop bon

pour etre adopte; car le mal et les abus dont tant de gens profitent

s'introduisent d'eux.memes; mais ce qui est utile au public ne s'int.

roduit gu色reque par la force, attendu que les interets particuliers y

sont presque toujours opposes.

だから,彼のシステムが採用されなかったからといってそれが良いもの

でなかったなどと言わないでほしL、。むしろ反対に,そのシステムは採

用されるにはあまりにも良過ぎたのだと言ってほしL、。多くの人々が乱

用する悪は自ずから入り込むが,公共に有用な物事は強制力をもってで

なければほぽ導入することが出来なL、。個々人の利益がほとんど常にそ

れに相反しているからである叫。

J咽 Swensonは「社会契約論Jの完成稿とその複数の草稿を比較検討し,

「ジュネーヴ草稿」までと最終稿の決定的な相違として,徳 vertuを始めと

した情念に基づく人聞の内実を求める詩嚢が最終稿においてはほとんど消え

去っている点を指摘しているs~実際検討してみても, rジュネーヴ草稿」

までは「政治経済論」同様,パトリオティスム patriotismeや徳 vertuな

ど,国家の内実を埋める構成員個々人の「情念の教育Jに依拠した原動力に

着目した語葉が散見される。他方,決定稿の「社会契約論」ではそうした語

葉はほぼ抹消され,立法や制度といった国家を機能させる装置=システムの

詳述に焦点が絞られている。このことはまさに,このルソーの代表的政治的

著作が,脱自然化=社会化した現実社会の「ありのままの人間」による統治

を前提としたよで,どこまで社会を健全かっ合法的に存続させられるか,と

いった問題を最重要課題として設定していた所以といえるのではないだろう

か。国制に関するこのルソーの姿勢はそのまま,国際秩序を論じる際のサン=

ピエールへの『批判』および『戦争法の原理』の執筆姿勢と重なる。現実問

修い平和;ルソーの戦争論における国家と個人 37

題として,本質的な戦争状態は常にそこに存在する。国家が複数存在し,そ

れらの多くが専制君主によって統治されている現状で, I永遠平和」を説く

ことの非現実性は歴史をひもとくまでもなく明白である。その前提に立った

上で,いかにして戦争状聴寄生きる構成員還を救うのか。そういった視点を

突き詰めた結果,ルソーは『社会契約論」決定稿において,骨折j度=枠組みに

ついて論じることに徹する選択をしたのだと考えられる。

II -2.所有への渇望と奴隷権

ロックと速い,ルソーは所有権奇人聞に与えられている自然権としては認

めなかった。社会状態の繁明期に人々の定住化とともに広がった土地の所有

と分割は,ルソーにとっては人類の堕落と不幸の歴史の始まりでもあった。

『人間不平等起源論』第二部で描き出されているように32) ルソーにおいて

所有の観念の誕生は他者との関係性(社会〉の誕生を前提としており,所有

によって人間の聞に社会的不平等と不公正な状態が生まれ,人聞は持てる者

と持たざる者へ主分断されていくことになる。

「だけど僕には畑がないJと,教師とともに種から育ててきた空豆を園丁

ロベールによって無惨にも描り返された畑でエミールはつぶやく制。この世

は隅々に至るまで分断され所有されつくしており, もはやカンディード34)

のように,流れ着いた「世界の片隅Jを「自分の臆Jとして耕すというつま

しい生き方さえ,持たざる者には不可能なのである。エミールには,自分の

土地を手に入れるために杭を打ち,囲いをつくり, Iここは自分の土地だ」

と宣言し,労働を注ぎ込む道はすでに残されていなLザ九持てる者の土地は

常に脅かされ,持たざる者は他者から奪い取るしか方法がないため,他者か

ら奪い取る手段のない人聞は永還に持たざる者でありつづける,ということ

になる。

先に見て来たように,国家が戦争を前提とせざるをえないのは,物理的な

隙聞なく同時多発的に誕生した他の諸国家と世界36)を分断して所有し,互

38 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

いに常に隣接せざるをえない状況において,常に他者から己の生存を脅かさ

れるというその本質的状態から来るものである。だが国家閣の関係において

は,個々の国家は各々,自らの土地や構成員をすでに持っていることが原則

的には前挺とされている。すでに所有する者である国家がなぜ他国の領土へ

と手を伸ばし,さらに持とうとするのであろうか。こうした国家の拡張志向

性は, I所有してしまった者」の無限の欲望の連鎖による必然的な欲求の表

れであるとルソーは説明する。ただしその所有への無限の欲望は,戦争によ

る破壊・殺裁行為を正当化するには矛盾を苧んでいる。国家の自己拡張願望

によって開始された戦争は対戦国の所有と同化ぞ目指すものであり,個々人

の命を奪うことそのものを目的とすることは論理的にありえなL、。敗戦国の

構成員の生命を奪うことはそれ自体, I所有Jを目的としている戦勝国の利

益にも反するためである。

Ce desir effrene de s'approprier toutes choses est incompatible av官C

celui de detruire tous ses semblables;

この全てを所有したいという際限のない欲求は,同胞である人間違を皆

破壊したいという欲求とは相容れないものであるaη

そこで持ち出されるのが「隷従イヒJの論理である。他者を消滅させるので

はなく所有するためには,その生命ではなく自由を破壊すればよいのであり,

それが歴史的にルソーの同時代まで続く戦争奴隷の存在安説明する。

グロティウスは『戦争と平和の法」の中で,戦争捕虜や敗戦国の人民の奴

隷化を正当化する論理として「奴隷権droitde l'esclavageJを主張した。

勝者は敗者を殺害する権利があるのだから,敗者がその命と引き換えに自由

を勝者に差し出すことで勝者から恩恵として自らの生命を受け取ることが出

来るというのである汽このように自然法学者の戦争論には,戦争捕虜およ

び敗戦国の人民の奴隷化を正当化する論理が含まれていたのだが,ルソーは

惨い平和:ルソーの戦争論における国家と個人 39

この論理を詑弁として退ける。各国家の構成員同士としての個々人が一時的

に偶然に兵士として互いに武器を持って殺し合う状況に陥ったとしても,国

家聞の戦争行為は勝者と敗者が決定した時点で終了するのであるから,戦争

が終了し兵士同士でなくなった時点で個々人が殺害しあう権利も消失する。

つまり,戦争終了後に「勝者が敗者を殺害していい権利」などといったもの

は本質的に存在しえず,国際法によっても認められるはずがない。よって,

敗者は武器を手放した時点でその命を勝者に負うものではなく,それと引き

換えに自由を差し出す必要性も皆無なのである。このように,ルソーは自然

法学者たちの奴隷制容認論の非正当性を鋭くっき,人聞の本源的自由を何も

のにも侵されない自然的権利として提唱した制。

以上のように, ~戦争法の原理』において正当な戦争を定義し,戦争の主

体を国家に限定することで,ルソーは戦争に巻き込まれる個人の生命と自由

を出来る限り守るための法的枠組みを整えようとしたのである。

E 安住の地を求めて

ill-1. r流浪の人J.:tミール

ルソーは金銭で雇われた軍人は祖国ではなく麗い主に対して忠誠を誓うこ

とになるとして職業軍人制度に反対し,すべての愛国的公民は有事には兵士

となって国家を守るべきだと主張している 40)。逆に平時には兵士は存在しな

くなるため,戦勝国の捕虜となっていた敗戦国の兵士は戦争が終了した時点

でただの公民に戻ったとみなされて解放されるべきなのである。だが実際,

戦争に巻き込まれた個人はいかにしてその自由を守り得るのだろうか。この

困難な問いに対し, ~コルシカ憲法草案』や『ポーランド統治論』における

ような,社会契約 pactesocialの保持とパトリオティスムによる国家防衛

とは別の形でのひとつの「個人」の生き方を提示しているのが,人間形成論

『エミール』の続編『エミールとソフィ:孤独な人々』である。この未完の

40 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

小片は,ルソーが『エミール」で描き出した理想、がいかにあっけなく崩れて

しまうのかをあまねく描き出した作品でもあるorエミールとソフィ」は戦

争の物語ではないが,所属する社会をやむを得ず捨てることで自らの自由を

守る生き方を選んだ人間エミールの姿は,パトリオティスムに生きる公民と

は対極をなしていると考えられる。

無括で善良なエミーノレ夫妻が,無垢で善良であるがゆえに陥った災厄と受

難の描写は,本編『エミール』の牧歌的結末からは想像、し難い衝撃的なもの

である。だがそれがあるがままの人聞社会の現実であり,堕落した現実社会

に対応出来なかった者の行く末なのである。ただし最初に「悪意」の標的に

なるのはソフィである。聖書を持ち出すまでもなく,悪魔のささやきに負け

るのは常に女性というわけだろうか。エミールは,弱さから誘惑に負けたソ

フィから離れ,一人旅に出る。本編で身に付けた様々な知識と技術を駆使し

てどんな職人仕事も器用にこなし,裏切りに遭ってアルジ L で奴隷として身

売りされることになっても,その状況の中で自らの魂の自由を確認するので

ある。隷属状態のただ中で自らの魂の自由をますます強く確認するエミール

には,ユ夕、、ヤの民やポーランドの国民とは違い,心に刻まれた律法や祖国愛

によって確認できるような特定の共同体への所属意識や同胞意識は希薄であ

る。彼は仲間の間で信頼されながらも常に孤独であり,あらゆる所属意識か

ら独立している。エミールは続編において,己の運命を受け入れつつもその

中で精神的自由を諜として保ち続け,社会的公正の実現へと理性 raisonと

冷静さ sangfroidとをもって進んで行く。目の前にいる仲間が彼の同胞と

なり,どこにいても自分自身を見失わない賢者として隣人に対して人類愛を

実践するエミールは,土地にしばられないコスモポリットの生き方を象徴的

に実践しているといえよう叫。

m-2.クラランの夢

もうひとつの「個人Jの生き方として,小説『新エロイーズ』のクララン

修い平和;ルソーの戦争論における国家と個人 41

共同体を参照したい。一連の政治思想的な著作からははずれるこのベストセ

ラーの「恋愛小説」において, )レソーが重農主義的政策を推奨し,かっ可能

な限りにおいて他者/他国との利益の絡んだ交渉を行わないような政策を推

奨していることは桟目に値するo r他者との交流Jの理組の実現には常に,

個人の思惑とは異なる次元において,戦争勃発の危険性が副産物としてつき

まとう。特に利議追求が前提となっている重商主義に基づいた交流は歴史的

に見ても,戦争の回避につながるどころか,むしろその契機を生産すること

につながっているというのがルソーの主張である4九ルソーはサン=ピエー

ルの唱えた専制君主の啓蒙によるヨーロッパ連合とは別の方向から, rコスモポリティスム」的な理想を限定的な形で「実現」しようとする。クララン

共同体は,スイス,イギリス,ロシアといった多様な出自を持ち,貴旗と平

民のように階級さえも異なる人々が,そうしたパックグラウンドを捨象して

「人間」として迎えられる一種の「理想郷」である。デタンジュ男爵,サン=

ブルー,エドワード卿,そしてヴォルマールといった男性陣は皆多様な形で

戦争を経験しているが,最後にはヴォルマールとジュリの統治するアルプス

の麓のクララン共同体を自らの象徴的な「祖国 patrieJとすることを選ぶ。

クラランの葡萄畑で人為的に栽培された「あらゆる土地の葡萄酒」のように,

彼らはクラランの土地に各々のアイデンティティを持ち寄り,根をおろすの

である。だがその「理想郷Jは限定的なだけでなく仮初めのものであり,長

く続くことは想定されていないω。ルソーは「永遠平和」の夢ではなく,

「永遠の戦争状態Jにおいて人がいかに自由に,束の聞の幸せ叫を生きるか

ということを追求したのかもしれない。

以上見て来たように,本稿ではルソーの思想、を戦争というキーワードから

読み解くことで,ルソーがどのように戦争の本質を定義付け,また戦争状態

42 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

にある現実社会で生きる個人を救いだそうとしたのかについて考察した。

序では先行研究をたどることで,ルソーの未完の論文『戦争法の原理』が

『社会契約論(国制法の原理)Jと対になる新たなテクストとして「発見」さ

れた経緯を確認した。第一望者では,近代国家翠明期におけるルソーの戦争論

の特徴として,ルソーが戦争状態を国家立tatの誕生によって生み出された

状態とした上で戦争の定義を国家聞の争いに限定したこと,また正当な戦争

を非合法な戦争と区別することで,ホッブズ理論に対抗する形で当時の専制

君主同士の争いを非正当的なものとして糾弾したことを指摘した。第二章で

は, rサン=ピエール師の「永久平和論」抜粋』およびその『批判』と『戦

争法の原理」の比較分析を通じて,ルソーが戦争状態を国家間関係にとって

本質的な状態とみなしており,その前提のもとでいかに「平和」を実現する

かといった視点から理論が展開されていることを論証した。また,ルソーの

戦争論における所有欲と奴隷制度誕生の関係を検討し,奴隷権を容認したグ

ロティウスら自然法学者の理論を反駁する形でルソーが人間の本源的自由の

不可侵性を主張したことを確認した。最後に第三章において『エミールとソ

フィ』と「新エロイーズ』のエピソードに触れ,常に本質的に「戦争状態」

にある現実社会において両作品の登場人物達がどのようにして己の精神的自

由と尊厳を守ろうとしたのかを読み解いた。

このように,これまでまに内政論を中心に論じられて来たルソーにおける

個人と共同体の問題に戦争・国際関係という視点を加えたことで,この問題

をより本質的かつ現実的な視点から分析する新たな土台を提案することが出

来た。ルソーの共同体論はともすると,常にパトリオティスムによる共同体

への個人の全面的な自己譲渡を求めているかのように捉えられがちだが,そ

のような単純な理解は必ずしも正しくないということが論証出来たのではな

いかと考える。現代社会の抱える新たな「戦争」の現状を考える上でも,分

析視点を複眼化することでより精綴な視点からこの問題を考察していくこと

が求められる。今後の課題としたい。

傍い平和:ルソーの戦争論における国家と個人 43

《議》

1) 原題の Economiepolitiqueはむしろ「国家統治論」といった訳が適切と恩わ

れるが, ここは慣例に従う。 Cf.rこの著作は通常は「政治経済論」と訳される

が,白水社刊『ルソー会集J第 5巻での訳者坂上孝氏がその「解説Jで指摘して

いるように,それは今日のいわゆる経済学ではなく, economie politiqueとは国

家の統治にほかならず,その点では, r百科全書』の((Oeconomie politique))の

項目を執筆したブーランジェや『哲学辞典Jのヴォルテールも同様なのである」

杉山吉弘「エコノミー概念の系譜学序説J~札幌学院大学人文学会紀要Jl 97号,

2015年, p.28.

2) Cf. (( Toute societe partielle, quand elle est etroite et bien unie, s'ali品nede

la grande. Tout patriote est dur aux etrangers; ils ne sont qu'hommes, ils

sont rien a ses yeux. Cet inconvenient est inevitable, mais江 estfaible.

L'essentiel est d'etre bon aux gens avec qui l'on vit. [... ] Defiez-vous de ces

cosmopolites qui vont chercher au loin dans leurs livres des devoirs qu'ils

dedaignent de remplir autour d'eux.)) Emile, liv.l, OC., IV, p. 248-249. 著作

名は慣例に従って略記する[以下,他のルソーの著作についても同様]0 [ Jによ

る挿入や省略は引用者のものである[以下同様JoOC.については注 3)参照〉。

ルソーはここでコスモポリット自体安批判しているわけではなく,真のコスモポ

リット的思考を持つことは現実では難しく,むしろ人類愛は同胞である隣人に対

してこそ実践すべきであるということを述べていると理解すべきである。

3) auvres Comρletes de ]. -J. Rousseau, edition publiee sous la direction de B.

Gagnebin et M. Raymond, Biblioth色quede Ia Pleiade. 5 tomes, Gallimard.

1959-1995.以下,OC.と略記。巻数はローマ数字で記す。

4) B. Gagnebin, (( Un inedit de Rousseau sur l'etat de guerre )). in De Ronsard

a Breton. Reαteil d'essais. Hommage a Marcel Raymond, Jos品Corti,1967, p. 103-

109; Oc., III. 1972, p. 1899-1904.

5) G. G. Roosevelt, <<A Reconstruction of Rousseau's Fragments on the State

。fWar )), Histoη01 political Thought, VIIl, n. 2, 1987, p.225-244.

6) ]. -J. Rousseau, Principes du droit de la guerre, Ecrits sur laρaix perpetuelle,

dir. par Blaise Bachofen et Celine Spector, ed. par Bruno Bernardi et Gabri-

ella Si1vestrini, Vrin, 2008 [以下, PDG,2008と略記]; J. -J. Rousseau, Principes

du droit de la guerre. texte etabli, annote et comment品parBruno Bernardi et

Gabriella Silvestrini, Vrin, 2014 [以下, PDG,2014と略記J.前者はプレイアッ

ド版の解釈を批判的に引き継いでサン=ピエール師の「永久平和論」に関連する

テクストを収録しているが,後者はテクストの生成過程を重視して『社会契約論』

のジュネーヴ草稿と決定稿,および「エミールJ第五編それぞれの関連箇所の抜

44 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

粋を収録している。なお,本稿では『戦争法の原理』および戦争論関連テクスト

に関しては PDG,2014から, rサン=ピエール師の「永久平和論J抜粋』とその

『批判』に関しては PDG,2008から引用している。他のルソーの著作,テクスト

は基本的にプレイアッド版全集から引用している。綴り字はすべて現在のものに

改め,翻訳は既存の邦訳を参考にした拙訳であるo

7) ルソーは 1758年 3月9日付けのマルク=ミシェル・レイへの書簡において,

自らの『戦争法の原理」という原稿に言及している。 Correspondancecomplete

de J.ーJ.Rousseau,長d.R. -A. Leigh, Gen色ve,Oxford, The Voltaire Foundation,

1965-1998, t. V, n. 626.

8) pacteもcontratも日本話に訳すと「契約」という意味になるが,前者は私的・

内的な契約,後者は公的な契約というニュアンスがある。

9) (( Introduction )), PDG, 2014, p. 7-15.本稿序文は,ルソーの戦争論関連テクス

トに関する研究状況の過去と現在を詳細に紹介したこの PDG,2014序文に多く

を負っている。

10) ルソーが『戦争法の原理」を執筆していた時期は第二次英仏百年戦争 0689-

1815)まっただ中であり,フランス圏内での戦闘行為こそなかったものの,ヨー

ロッパ本土での王位継承戦争やそれと連携する植民地争奪戦争が続いていた。

11) B. Gagnebinはその卓越した解説の中で,ルソーの定義した「戦争状態」を当

時の米ソ冷戦状態と比較して考察している。((Rousseau developpe une notion

nouvel1e [... ] Lモtatde guerre ressemble a ce que nous appelons la guerre

froide )). (( Guerre日tetat de guerre )), OC., III, p. 1899またA.Honeth はjレソー

を「近代社会哲学の父」と位置づけている。 AlexHoneth, La societe du mepris,

La decouverte, 2008, p. 24.

12) ホッブズにとって, r戦争状態」は人間にとって自然的(本質的)なものがむ

き出しに現れた場合の必然的帰結であった。ホップズ「市民論J(1642)序文参

照。

13) Principes du droit de la guerre, PDG, 2014, p. 24.

14) Ibid., p. 35

15) (( De l'esclavage )), Du Contrat Social, liv. 1, chap.IV, OC., III, p.357.ここで

「社会状態」の語が国家内のことを指しているのは言うまでもない。

16) (( Tout est bien, sortant des mains de l'auteur des choses: tout deg白色re

entre les mains de l'homme. )) Emile, liv. 1, Oc., IV, p. 245.

17) Encyclopedie ou Dictionnaire r,αisonne des sciences. des arts et des metiers.

ed. Diderot et d'Alembert, Paris. Brisson, vol. VI, article (( etat de nature )),

p.17.

18) G. Silvestrini, (( Rousseau, la guerre巴tIa paix )), PDG, 2014, p.85.

19) (( Introduction 丸PDG.2008, p. 12-13.

惨い平和:ルソーの戦争論における国家と個人 45

20) (f社会契約論』初版本(アムステルダム,マルク・ミシェル=レイ出版, 1762)

の表題には現在でいうところの「副題」の記載しかないという事実も非常に示唆

的で興味深い。立教大学図書館,ルソー主要作品デジタルライブラリ参照。 (http://

library.rikJ王yo.ac.jp / digi ta1library / jeanj acquesrousseau/ con ten ts/ pdf/ conO

2-1.pdf) p.3.

21) <<Enfin, quand les choses en sont au point qu 'un etre doue de raison est

convaincu que le soin de sa conservation est incompatible non seulement

avec le bien etre d'un autre mais avec son existenc巴;alors il s'arme contre

sa vie et ch巴rchea le detruire avec la meme ardeur dont il cherche a se

conserver soi-meme et par la meme raison. L'attaque sentant qu巴 lasurete

de son existence est incompatible avec l'existence de 1 'aggresseur attaque a son

tour de toutes ses forces la vie de celui qui en veut a la sienne; cette volonte

manifestee de s'entredetruire, et tous les actes qui en dependent, produisent

entre les d巴uxennemis une relation qu'on appelle guerre. [... ] pour juger

que l'existence de cet ennemi est incompatible avec notre bien etre, il faut

du sang froid, et de la raison, ce qui produit une resolution durable, et pour

que le rapρort soit mutuel, il faut qu'a son tour l'cnnemi connaissant qu'on en

veut a sa vie ait dessein de la defendre aux depends de la notre. Toutes ces

idees sont renferm飴sdans ce mot de guerre.)) Principes du droit de la guerre,

PDG, 2014, p.26-27.強調引用者。

22) Bachofenはこの相互性について,次のように注釈を加えている。この「相互

性」の指摘はあたかも片方だけの意志では戦争は成り立たないことを意味してい

るようでありながら,実際は「戦争は定義上不可避的に相互的なものでしかあり

え」ず,一方が宣戦布告をした場合に,他方がそれを無視あるいは拒否した上で

国家として生き延びるという選択肢はもはや存在しえないことを我々に提示して

いる。つまり,一方の国家が「相手国の存続が自国の存続と相容れない状況となっ

た」と判断して宣戦布告を行った時点で,宣戦布告をされた側の国家にとっても

それは「存立危機事態jなのであり,その事実を無視あるいは拒否すればその国

家は滅びることになる。受けて立ち,存続への希望をつなぐしかもはや選択肢は

残されていないのである。 B.Bachofen, <<Les raisons de la guerre, la raison de

la guerre. Une lecture des Princ伊esdu droit de la guerre. )), PDG, 2008, p. 146-

147.

また, Bernardiも指摘しているように,ルソーにとって人民が開戦を認める

唯一の正当な戦争は防衛戦争 guerredefensiv巴である o B. sernardi, (( Puissan-

ce et souverainete: sur la double nature du corps politique )), PDG, 2014,

p.11l-1l2.

23) そうであるからこそ,平和(あるいは「戦争でない状態J)が法的に模索可能

46 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

なのである。

24) 有徳であるためには常に自己矛盾と戦い続ける必要がある人聞は,神のように

ただ善良ではいられない。『新エロイーズ」後半部のクララン共同体に描かれる

理想郷の平和は常に元恋人達の葛藤やジュリ自身の克己の努力によって保たれて

いるのであり,平穏な状況はそう長くは続かないことは,サン思ブルーに度々訪

れる自殺願望やジュリの「退屈」によって示唆されているのである。社会の問題

と個人の問題を混同することはルソー自身が批判した過ちであるが,闘争状態の

本質という意味で個々人の感情や情念の問題を軽視することは出来ない。

25) その最大の例が「旧約の民」ユダヤ人であるとルソーは『ポーランド統治論』

で指摘している CPologne,OC. III, p. 956-957)。また当時大国の脅威に曝され

瀕死の状態であったポーランドの民に向かつてルソーは「ひとりひとりの心に刻

家れた愛国心は,例え国土がなくなったとしても消えなLリと呼びかけており.

あたかも来るべきポーランド分割を予測していたかのようである αbid.,p.953四

954)。26) Bernardiはこうした混同傾向が始まった要因のひとつとして,以下の二つの

論文安挙げている。 L-lWindenberger, La Re,ρublique confederative des petits

Etats. Essai sur le systeme de politique etrangere de J. -f. Rousseau, Paris, 1899;

G. Lassudrie-Duchene, J. -J. Rousseau et le droit des gens, Paris, 1906. (B.

Bernardi, (( Rousseau et l'Europe: sur l'idee de societe civile europ品enne>>,

PDG, 2008, p. 295-330.)

27) B. Bernardi, ibid., p. 297.

28) Extrait du Projet pourωpaix perpetuelle, PDG, 2008, p. 113.

29) Jugement sur la paix peゆetuelle,ibid., p. 125-126

30) lbid., p. 126.

31) J. Swenson, (( La vertu republicaine dans le Contrat social )), Philosophie de

Rousseau, dir. B. Bachofen, B. Bernardi, A. Charrak et F. Guenard, Classique

Garnier, 2014, p.379-392.

32) r人間不平等起源論」第二部の有名な冒頭部分参照。((Le premier qui ayant

enc10s un terrain, s'avisa de dire ceci est a moi [... ] fut le vrai fondateur de

la societe civile. Qu巴decrimes, de guerres, de meurtres, que de mis色reset

d'horreurs, n'eut point epargnes au genre humain celui qui arrachant les

pieux ou comblant le fosse, eut crie a ses semblables. Gardez-vous d'ecouter

cet imposteur; vous etes perdus, si vous oubIiez que les fruits sont a tous, et

que la terre n'est a personne.>> lnegalite, OC., III, p. 164.

33) 労働による所有の正当化を主張したロックに対し,ルソーは『エミール」にお

いて,すでに土地が分割されつくした状況ではロックの理論は適用しないこみを

明らかにし,持てる者と持たざる者に分断された現実社会の現状とその抱える問

惨い平和:ルソーの戦争論における国家と個人 47

題に光を当てている。 Emile,liv. II, OC. IV, p.330-333. C. Spector, ((“Mais moi

je n'ai point de jardin". La lecon sur la propriete d'Emile )), in Eduquer selon

la nature. Seize etudes sur Emile de Rousseau, C. Habib ed., Paris, Editions

Desjonqu紅白, 2011, p. 26-37.吉岡知哉「エミールと空豆 ジャン=ジャック・

ルソー問題の現在。作品の臨海をめぐってJr思想.!l(1027), 2009年 11月,

p.116-131.

34) Voltaire, Candide ou l'optimisme, chap. XXX, auvres Completes, Garnier,

t. 21, 1877, p. 214-218.

35) ただしエミールは「貧族の息子」と想定されており,両親から引き継ぐ土地や

財産を生まれながらに持っていたと考えられる。ルソーはしかしエミールを両親

から引き離して「みなしご」同然に教師に託し,貴族の子弟ではなく人間の一員

として養-育させる。つまり,エミールは生まれた瞬間にその生まれによって世襲

で所有するはずだったものを象徴的に剥奪されている。だが,彼を取り巻く世界

は土地が隅々まで分割された「あるがまま」の世界であり,そこでいかに生き抜

くかが問題となっている。 Emile,liv. 1, Oc., IV, p. 267.

36) ここでルソーのいう「世界」は当時の常識からいって「ヨーロッパ」に限定さ

れる。次々に発見,植民地化されていったヨーロ γパ外の地に関してはここでは

考慮されない(あるいは国家聞の植民地獲得戦争の延長,目的物としてのみ考慮、

される)。

37) Principes du droit de la guerre, PDG, 2014, p. 31.

38) グロティウス『戦争と平和の法』第三編第七主主参照。ク。ロティウスにとって,

奴隷権は自然法には反するものの,国際法によって認められるものであった。

((( Fragment A)) sur la guerre, PDG, 2014, p. 55, note 1.)

39) (( De l'esclavage )), Contrat Social, liv. 1, chap.IV, op. cit., p.356-358.戸部松

実氏は『不平等論」解説の中で, droitの訳語選択についての説明をしつつ,革命

前の 18世紀後半までは droitの語は権利(基本的人権)という意味よりも法(学)

といった意味で一般的に使用されていたことを指摘している。また, I自然の法

(自然の摂理)Ioi natureIIeJと「自然法(自然の条理,自然権)droit natureIJ

という概念の関係性について, ビュルラマキ,ホッブズ,ディドロ,ルソーの説

を比較した上で,ルソーが loinaturelleについては「自然の摂理」と同等に考

えてほとんど関心を示しておらず,逆にホッブズの提唱した「人聞が獲得した自

由としての自然権」という意味をルソーが引き継いでいることを指摘している。

このように,ルソーは一方でホッブズの「万人の万人に対する戦争」という説に

強く反発しながらも,他方ではその思想に深く影響を受けている (]-J.ルソー

「不平等論』戸部松実(訳・訳、注・解説)国書刊行会, 2001 年, p. 331-346.)

40) Nouvelle Heloise, Iero partie, lettre 34, Oc., II, p. 108. Cf . Ibid., I'ro partie, lettre

57, p. 157sqq.

48 明治大学教養論集通巻514号 (2016・3)

41) Emile et Sophie ou les solit,αires, OC., IV, p. 881sqq. Wエミールとソフィ」第

二の手紙において,エミールは旅の途中で裏切られてアルジェで奴隷として売ら

れ,そこの監視役に酷い扱いを受ける。エミールは奴隷仲間の激しい怒りや憎し

みとは一定の距離を置いた上で,怒りに任せた反乱を起こすのではなく冷静に対

応すべきであると皆を諭し,奴隷仲間を代表してパトロンに夜訴する。賢明なパ

トロンはエミールの才能を見抜き,彼を奴隷の監視役に抜擢する。奴隷仲間を人

間的に扱うことで彼らの労働意欲や生産能力はあがり,パトロンはエミールを重

宝する。そのたぐいまれな能カは大きな評判をよび,最終的にはアルジェの大守

に気に入られ仕えることになるところで,この小片は終わっている。第二の手紙

のこうした顛末は, 111約聖書「創世記」のヨセフの物語を暗示させる内容となっ

ている。ルソーにおける自由と隷従のパラドクサルな関係については,次の拙論

を参照。井上のぞみ「ルソーにおける自由と隷属のパラドクスJW日本フランス

語フランス文学会関東支部論集」第 l号,日本フランス語フランス文学会, 2003

年, p.55-73.

42) 井田尚氏は,ディドロが一時的にルソーの支持する薫農主義思想への接近を見

せながらも最終的にはそれと決別し, ヒュームの思想に近い改良裂重商主義思想

へと傾倒していった経緯を 1751年の「学問芸術論Jをめぐる両者の対立にまで

遡って詳細に分析している。井田尚 m百科全書』あるいは啓蒙の『学問芸術論J]:

ディドロの文明社会論(175I-l770)J W法政大学教養部紀要J]122号, 2003年,

p.61-85.

43) W新エロイーズ』第五郎;書簡 7における葡萄の収穫祭のエピソード参照。この

書簡において,現在はジュリの「子供たち」として女主人に忠誠をつくしている

ほとんどの男性使用人達が,かつては武器を取って闘った屈強な戦争経験者であ

ることが指摘されている点も興味深い。 NouvelleHeloise. V"" partie, lettre 7,

OC.. II, p. 602sqq.

44) Tzvetan Todorov. Frele bonheur. Essai sur Rousseau, Hachette, 1985

(おりかた・のぞみ 経営学部准教授)