中世書札礼における「脇付」記述の類似harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/onomichi-u/file/13375/20190219105242/03服部圭.pdf ·...

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   序

 本論は、中世期に編纂された書札礼(1)、こと男女間

で取り交わされる手紙の「脇付」用法について記述され

た資料の分析・調査の報告である。これは、ロドリゲス

『日本大文典』の「女子の消息に就いて」項(2)の典拠

研究を契機とするもので、類似する周辺資料を見出した

ことから、中世期における各書札礼の連関性について指

摘するものである。

 中世書札礼の研究については、小松茂美氏(3)や小久

保嘉紀氏(4)によって、全体的な連関性、体系が明らか

にされている。すなわち、中世初期においては、『弘安

礼節』に代表されるように公家による書札礼の体系化

が先行し、それに続く形として、『細川家書札抄』など、

各武家の礼法を編纂した書札礼が誕生した。戦国期を経

て、故実家たちが武家社会全体において影響力をもつよ

うになると、故実家たちによる書札礼が諸氏に伝播して

いく、といった大まかな流れである。一方で、平野明夫

氏(5)による、伊勢氏の『宗吾大双紙』が家康の書状に

影響を与えている、といった指摘に代表される、各家、

各氏の書札礼の用法などに注目した研究も多くみられる。

 しかしながら、中世書札礼研究において、「男女間の

消息における用法」を主眼に置いた検証は、十分にされ

ているとは言い難い。

 そのため、本論によって示される視点が、中世書札礼

研究の新たな可能性を見出すものであると考える。

中世書札礼における「脇付」記述の類似

  –ロドリゲス『日本大文典』「女子の消息に就いて」の典拠調査から–

服 部   圭

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・ 「~参らせそろ」「さぞさぞ」などの優しい語が多く使

われる

・文字詞を用いる

 としている。また、両者に共通する脇付(6)の例が以

下のように示されている。

・1.参る人々申したまへ 2.人々申したまへ 3.

参る誰にて申したまへ 4.参る参るべし 5.参るべ

し 6.参る 7.参らせそろ

 このうち、典拠調査において、他資料との類似が認め

られた記述は以下の通りである。

(イ)1.参る人々申したまへ 2.人々申したまへ 

3.参る誰にて申したまへ 4.参る参るべし 5.参

るべし 6.参る 7.参らせそろ

(ロ)(女子から男子へ送る書状について)文字詞を用

いる

(ハ)(女子から男子へ送る書状について)こゑを混ぜ

ない優しい通用の語で書かれる

  なお、記述(ハ)における「こゑ」は、『日本大文典』

においては、漢語由来の言葉を差すものであり、「荘重

であり、日本人が普通には文書」に「重々しい身分の者

   一 ロドリゲス『日本大文典』の典拠

一.一 「女子の消息に就いて」の記述

 本章では、本論の契機となったロドリゲス『日本大文

典』内における「女子の消息に就いて」項に関する整

理・分析を行う。『日本大文典』(原題Arte da Lingoa de

Iapam

)は、中世期末一六〇四から一六〇八年、イエズ

ス会の宣教師として来日したポルトガル人、ジョアン=

ロドリゲスによる日本語の文法書である。当該箇所は同

書第三巻に収録されており、女子から男子、男子から女

子に送られる書状の書き方について、具体的な用例とと

もに記されている。

 当該箇所の内容に関しては、以下のようにまとめるこ

とができる。

 男子から女子へ送る書状については、

・こゑを混ぜない優しい通用の語で書かれる

・書面の終は、敬語の助辞でなく、「かしく」で留める

・月日と名と判を加える

・宛所は「御局」とするか、固有名詞を書くかする

・地位の重い人には、仕えている女の名を置く

 一方、女子から男子へ送る書状には、

・書面の終わりに敬語を書かない

・判も月日も加えない

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中世書札礼における「脇付」記述の類似 ─ロドリゲス『日本大文典』「女子の消息に就いて」の典拠調査から─

申給へ。第三。御名をかきてまいる申給へ。第四。

申給へ。第五。まいる。まいるへし。第六。まいる。

第七。まいらせ候。大かた如此可有分別。

(『伊勢加賀守貞満筆記』七一頁)

 この記述は、用例を七つに分類している点や、それら

の順序・配置について『日本大文典』記述(イ)と類似

しているといえる。またその他の個所に関しても類似が

みられる。

  女中かたの文言。女房衆の詞に書ことも在之。

(『伊勢加賀守貞満筆記』七一頁)

 女子から男子へ送られる書状について、文字詞を用い

ることがある、という旨の記述であり、『日本大文典』

記述(ロ)と類似している。

  

おとこかたよりの文には。男の言葉をかなに可書

云々。

(『伊勢加賀守貞満筆記』七一頁)

 「男の言葉」を「かな」に変換しているという点が、『日

本大文典』記述(ハ)における「こゑ(漢語由来の荘重

とか学者」が用いるとしている(7)。

一.二 『伊勢加賀守貞満筆記』との比較

 第三巻における典拠について、ロドリゲスは次のよう

に示している。

  

この論述では、その全般に就いて簡単に述べようと

思ふのであるが、それはすべて伊勢殿(Ixedono

)の

やうな日本の大家の著述やそのほかの書物でこのこ

とに関して詳述したものから蒐集したものである。

(『日本大文典』六七八頁)

 ここにおける伊勢殿とは、中世期における武家教育の

流派のひとつである伊勢流の著述を指すと考えられる。

ロドリゲスによって、当該箇所について典拠が明示され

ているのはこの箇所のみである。

 以上を踏まえて、伊勢流の諸資料の調査を行うと、伊

勢貞満『伊勢加賀守貞満筆記』(8)に、『日本大文典』の

当該箇所と近しい記述がみられた。

  

第一。御女房達宿所にてまいる。申給へ。第二。あ

て所にてハなくて。御名をかきてたれにてもまいる

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かりもかく。是は参る参り申し給へよりは上也 四 

参る参り申し給へ 五 参る参り候 六 参る 七 

参候

(『大舘常興書札抄』六六八頁)

  

上かきには。上中下あるへし。たとへは 一 まゐ

る 人々申給へ。二 人々 申給へ。三 まゐる 

申給へ。四 まゐる参給へし。五 まゐるへし。六 

まゐる。七 まゐらせ候。

(『女房筆法』四四三頁)

 これら記述について『日本大文典』記述(イ)を比較

してみると、『伊勢加賀守貞満筆記』と同様に、七つに

まとめられている点、およびその用法記述の順序につい

て類似が認められることがわかる。そのため、『日本大

文典』当該箇所の典拠に関して、少なくとも脇付の用例

の典拠として、これらを用いた可能性が考えられる。

    二 中世書札礼における「脇付」用法

二.一 「脇付」用法の類似

 『日本大文典』「女子の消息に就いて」項の典拠につい

な言葉)から優しい語への変換」という趣旨と類似して

いると考えられる。ただし「男の言葉」という表現が、

(イ)の「優しい通用の語」と対応するかは検討が必要

である。

 比較の結果、以上三点の内容の一致を認めた。伊勢流

の書物である点、「脇付」項の大幅な類似などを鑑みて、

『伊勢加賀守貞満筆記』は当該箇所の典拠の可能性を指

摘しうるものと考えられる。

一.三『大舘常興書札抄』および『女房筆法』との比較

 先述の『日本大文典』と『伊勢加賀守貞満筆記』の比

較において、脇付に関する項目の大幅な類似が認められ

た。そこで次に、同時代における書札礼資料の「脇付」

項に着目し調査を行った。本章ではそれらの報告をまと

める。

 類似性が指摘できる資料として見出されたのは大舘尚

氏『大舘常興書札抄』(9)および『女房筆法』(

10)

である。

脇付の用法に関する記述における類似は以下の通りであ

る。

  

一 参る人々申給へ 誰にてと書も人々おなじ事な

り 二 人々申給へ 三 参る申給へ 参る人とば

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中世書札礼における「脇付」記述の類似 ─ロドリゲス『日本大文典』「女子の消息に就いて」の典拠調査から─

候て給候へく候。せめて、ミの候ハかりにても、を

かせをハしまし候なんや候しと申給へ。あなかしく。

  御ちゝへ 申給へ ゆしやう

(「ゆしやう書状」(

12)

。傍線筆者)

   (前欠)又、ゆめ〳〵しくさふらへとも、ちや一つゝ

みまいらせ候。さだゆきかもとよりたひて候。よう

やらんと覚候て、まいらせ候。猶〳〵、ゆめかまし

さ、わひしく候て、あなかしく。

  えんけうの御房へ まいらせ候 貞顕

(「金沢貞顕書状」(

13)

。傍線筆者)

 この脇付は、差出人と受け手の身分差や、書状そのも

のの性質などによって様々使い分けられており、手紙文

における重要な礼儀作法の一つであると考えられていた

とされている。

 書札礼における「脇付」用法の記述に関して、その資

料のいくつかに、類似の性質を持つ記述がみられること

は、先述の通りである。それらの特徴をまとめると、七

つの記述に分類している点、身分の高い者に用いる用法

を「一」とし、数字が増えるにつき身分の低い者に用い

る用法になるように並記している点、「参る」「参らせ候」

のように、それぞれの順位においても一致する記述がみ

ての検証・考察を行い、「脇付」用法に関する類似した

記述を認めた。これらの類似については、『日本大文典』

の典拠に関する研究史だけでなく、中世期の書札礼研究

においては主たるテーマとしてとらえられてはいない

(11)

。そこで、研究の視野を広げ、中世期の書札礼にお

ける「脇付」用法記述の類似に主眼を移し、さらなる資

料調査、および分析を行っていく。これは、これらの分

析が、ひいては『日本大文典』の典拠研究にも接続しう

ることを考えたうえで行うものである。

二.二 中世期書状における脇付

 中世期の書状においては、宛所への敬称のほかに、脇

付とよばれる文言を付す用法が存在した。以下に引用す

るのは、金沢文庫所収の、鎌倉時代に書かれた書状であ

り、『日本大文典』等に記載があった脇付が、実際に用

いられていたことを示す実例である。「ゆしやう書状」

は女性から男性へ、「金沢貞顕書状」は男性から女性へ

送られた書状である。

  

しもとのよりミそかめのミの入て候三、ミも候はぬ

三候。御てらへ申て、をかせまいらせてとおほせ事

候。これニハ、をきも候ハす候。をかせをハしまし

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いる。樋口元巳氏(15)

は『大諸礼集』の解説において「近

世の小笠原流諸礼家の伝書群中に伊勢家の伝書が交る事

はしばしば見られる事である」としている。一例として、

『大諸礼集』第一五冊から第十七冊の「大双紙」につい

ての文書は、伊勢貞頼『宗吾大双紙』そのものであると

されている。そのように考えれば、先述の類似に関して

も伊勢氏の書札礼、こと『伊勢加賀守貞満筆記』が『大

諸礼集』に影響を与えている可能性は十分に指摘できよ

う。また、同解説においては、『大諸礼集』の成立にお

いて、小笠原流と相互的影響関係にあった曽我氏は、『大

舘常興書札抄』をはじめとする大舘氏の資料の影響を伺

わせる資料を多数残しているとしている。

 脇付用法の類似は、いわば各故実家の書札礼における

近似的側面の表出であり、各家の影響関係を考える一つ

の視座として、十分に価値を持ちうるものであるといえ

るのではないか。

   三 まとめ

 以上、中世期書札礼資料における「脇付」用法の記述

について、特にその類似点を中心に考察した。ロドリゲ

ス『日本大文典』内の記述について、典拠論的アプロー

られる点と、三点指摘することができる。

 これら特徴を参考にさらなる文献調査を行うと、小笠

原流の礼法伝書である『大諸礼集』第一冊『書札之次第』

(14)

にも同様の記述があることが分かった。以下の通り

である。

  

 女中がたの事。第一「人々御中申給へ。」第二「参

る申給へ」。第三「申給へ」。第四「参る参るべし」。

第五「参るべし」。第六「参る参らせ候」。第七「参

らせ候」又「参る」。

(『大諸礼集』第一冊「書札之次第」一〇頁)

 ここまでの調査によって確認された、脇付の記述に類

似の性質を持つ資料の一覧を、時代順に並べたものが後

に付した表1である。また、「脇付」の用法の比較ほかに、

『日本大文典』の他記述との比較を記載している。

二.三 各故実家の関連を示す記述として

 先述の類似が、中世期の故実家の大家である大舘氏、

伊勢氏、小笠原氏の資料に共通してみられるという点

は、興味深い事実である。時系列では、大舘・伊勢両氏

のテクストが先行し、小笠原氏がそれに続く形になって

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中世書札礼における「脇付」記述の類似 ─ロドリゲス『日本大文典』「女子の消息に就いて」の典拠調査から─

チから考察を行ったことを契機とし、脇付用法の記述に

ついて類似的特徴をもつ資料の提示、そしてこれらを題

材として用いることの、研究史における可能性を提示し

た。研究途上ゆえ、以下に今後求められる研究の課題点

を提示し、結びとする。

 第一に、本論においては中世期における書札礼に絞り

論を展開したが、これらの類似性を持つ記述は、近世以

降の資料(16)

にも存在が確認されている。これらの記述

がどのように中世期の記述と関係し、展開を遂げていく

かに関しての考察が必要である。

 第二に、これらの類似がどのように生成されたかとい

う点についての考察が必要である。この点に関しては、

伊勢貞頼『宗吾大双紙』(

17)

(一五二八年成立)や『めの

とのさうし』(

18)

(作者不詳、一四世紀前半の成立か)な

どに、内容的な近似性を指摘しうる記述が存在すること

などが手掛かりになるのではないか。

 第三に、書札礼に規定されたこれらの記述が、実際の

書状作成において具体的にどのような影響を与えていた

かという点からの検討が必要であろう。中世期におい

て、男女間で取り交わされた書状は、男性間で取り交わ

された書状と比較して現存数が少なく、資料調査は困難

である。しかしながら、調査の過程で発見された資料の

中には、脇付の用法に記述されていたものと同様の記述

がみられる資料も存在する(19)

。調査から、これらの記

述が同時代において持ちえた信ぴょう性を確認すること

ができれば、当該記述の伝播の様相について、より深い

知見が得られるのではないだろうか。

 以上の三点が今後の課題である。本研究の発展が、中

世期の書札礼研究、および『日本大文典』など書札礼の

周辺に位置する資料研究の発展に寄与することを望む。

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表1:中世期書札礼における脇付の類似、および他の項目の連関性

『大舘常興書札抄』(16世紀前半成立か)

『伊勢加賀守貞満筆記』(1533年成立)

『大諸礼集』第一冊「書札之次第」(1592年成立)

『女房筆法』(16世紀末~17世紀初頭成立か)

『日本大文典』(1604~1608年成立)

表1:中世期書札礼における脇付の類似、および他の項目の連関性

一 参る人々申給へ 誰にてと書も人々おなじ事なり二 人々申給へ三 参る申給へ 参る人とばかりもかく。是は参る参り申し給へよりは上也四 参る参り申し給へ五 参る参り候六 参る七 参候

なし

なし

なし

なし

なし

側書 (上書 ) の用例

身分の重い女性へ書状を送る際の宛所

敬語の助辞について

月日と名と判について

女子のほうから男子へ贈る書状内で使われる「優しい言葉」について

女房詞について

第一。御女房達宿所にてまいる。申給へ。第二。あて所にてハなくて。御名をかきてたれにてもまいる申給へ。第三。御名をかきてまいる申給へ。第四。申給へ。第五。まいる。まいるへし。第六。まいる。第七。まいらせ候。大かた如此可有分別。

なし

なし

なし

おとこかたよりの文には。男の言葉をかなに可書云々。(※「男の言葉」が「こゑ」と同一のものを示すかは要検討)

女中かたの文言。女房衆の詞に書ことも在之。

第一「人々御中申給へ。」第二「参る申給へ」。第三「申給へ」。第四「参る参るべし」。第五「参るべし」。第六「参る参らせ候」。第七「参らせ候」又「参る」。

上臈分の御かたは、めしつかわれ候女房達の名をかきて、「参る申給へ」しかるべきなり。忽別相当の段は別に在りといえども、女中方のことはひときわうやまい申す段、故実なりと云々。心得有るべし。

なし

日付ばかりにて、こなたの名乗・判も有るまじく候。

なし

女中方へびぶつなどまいらせ候に、女房ことばにてもとて、鮭をあか御まな、鯛を御ひらなどと書かざるがしかるべきなり。

上かきには。上中下あるへし。たとへは。一 まゐる 人々申給へ。二 人々 申給へ。三 まゐる 申給へ。四 まゐる参給へし。五 まゐるへし。六 まゐる。七 まゐらせ候。

大上らう小上らうへのふみ。いつれも御女房衆へのあてところたるへし。色々まゐる申給へ。かやうにもあるへし。又中らう衆へは。春日殿へまゐる申給へ。春日御局へまゐる申給へ。

わきつけなくのとめやうは。御女房衆よりおとこのかたへつかはされ候文にも。又御女房衆と。たかひに御とりかはし候文にも。おなし事たるへく候。

なし

なし

( 消息の用例中に )…いかにもいかにも御ことはをそへられ候て…まゐらせ候。…むかしよりかくのことくもんこん御文候うへは。これにて御こゝろへあるへく候。

〇‘側書’(Sobagaqui)を順序によって示すと次の通りである。1.Mairu fitobito moxi tamaye (参る人々申したまへ)。2.Fitobito moxi tamaye (人々申したまへ)。3.Mairu tarenite moxitamaye (参る誰にて申したまへ)。4.Mairu mairubexi (参る参るべし)。5.Mairubexi(参るべし)。 6.Mairu(参る)。7.Mairaxe soro(参らせそろ)。

地位の重い人にはその方に仕へてゐる女の誰かの名を置いて,先方の人へSuguni(直ぐに)書くことはしないのである。1.Chuxôdonono vō tçuboneye (中将殿の御局へ)。  Mairu tarenite moxi tamaye (参る誰にて申したまへ)。2.Xôxodono mairu(少将殿参る)。  Moxi tamaye(申したまへ)。3.Agoye mairu(あごへ参る)。

男子から女子へ遣す書状は(中略)書面の終は、敬語の助辞ではなくかしくで留め女子の方から男子へ贈る消息には、書面の終に敬語を書かず

男子から女子へ遣す書状は(中略)月日と名と判を加へる。女子の方から男子へ贈る消息には、判も月日も加へない。

文して参らせそろ、御うれしくそろ、さぞさぞ、いろいろなどのやうな優しい語が使はれる。

語頭の綴字を切取ってそれにMonji(文字)といふ綴字を添へたものは,元の語の意味を表すのであって,それが使はれる。例へば,Fumonji(ふ文字)はFumi(文)を意味し,Somonji(そ文字)はSonata(そなた),Pamonji(ぱ文字)はPadre(ぱあてれ)を意味する。

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中世書札礼における「脇付」記述の類似 ─ロドリゲス『日本大文典』「女子の消息に就いて」の典拠調査から─

表1:中世期書札礼における脇付の類似、および他の項目の連関性

『大舘常興書札抄』(16世紀前半成立か)

『伊勢加賀守貞満筆記』(1533年成立)

『大諸礼集』第一冊「書札之次第」(1592年成立)

『女房筆法』(16世紀末~17世紀初頭成立か)

『日本大文典』(1604~1608年成立)

表1:中世期書札礼における脇付の類似、および他の項目の連関性

一 参る人々申給へ 誰にてと書も人々おなじ事なり二 人々申給へ三 参る申給へ 参る人とばかりもかく。是は参る参り申し給へよりは上也四 参る参り申し給へ五 参る参り候六 参る七 参候

なし

なし

なし

なし

なし

側書 (上書 ) の用例

身分の重い女性へ書状を送る際の宛所

敬語の助辞について

月日と名と判について

女子のほうから男子へ贈る書状内で使われる「優しい言葉」について

女房詞について

第一。御女房達宿所にてまいる。申給へ。第二。あて所にてハなくて。御名をかきてたれにてもまいる申給へ。第三。御名をかきてまいる申給へ。第四。申給へ。第五。まいる。まいるへし。第六。まいる。第七。まいらせ候。大かた如此可有分別。

なし

なし

なし

おとこかたよりの文には。男の言葉をかなに可書云々。(※「男の言葉」が「こゑ」と同一のものを示すかは要検討)

女中かたの文言。女房衆の詞に書ことも在之。

第一「人々御中申給へ。」第二「参る申給へ」。第三「申給へ」。第四「参る参るべし」。第五「参るべし」。第六「参る参らせ候」。第七「参らせ候」又「参る」。

上臈分の御かたは、めしつかわれ候女房達の名をかきて、「参る申給へ」しかるべきなり。忽別相当の段は別に在りといえども、女中方のことはひときわうやまい申す段、故実なりと云々。心得有るべし。

なし

日付ばかりにて、こなたの名乗・判も有るまじく候。

なし

女中方へびぶつなどまいらせ候に、女房ことばにてもとて、鮭をあか御まな、鯛を御ひらなどと書かざるがしかるべきなり。

上かきには。上中下あるへし。たとへは。一 まゐる 人々申給へ。二 人々 申給へ。三 まゐる 申給へ。四 まゐる参給へし。五 まゐるへし。六 まゐる。七 まゐらせ候。

大上らう小上らうへのふみ。いつれも御女房衆へのあてところたるへし。色々まゐる申給へ。かやうにもあるへし。又中らう衆へは。春日殿へまゐる申給へ。春日御局へまゐる申給へ。

わきつけなくのとめやうは。御女房衆よりおとこのかたへつかはされ候文にも。又御女房衆と。たかひに御とりかはし候文にも。おなし事たるへく候。

なし

なし

( 消息の用例中に )…いかにもいかにも御ことはをそへられ候て…まゐらせ候。…むかしよりかくのことくもんこん御文候うへは。これにて御こゝろへあるへく候。

〇‘側書’(Sobagaqui)を順序によって示すと次の通りである。1.Mairu fitobito moxi tamaye (参る人々申したまへ)。2.Fitobito moxi tamaye (人々申したまへ)。3.Mairu tarenite moxitamaye (参る誰にて申したまへ)。4.Mairu mairubexi (参る参るべし)。5.Mairubexi(参るべし)。 6.Mairu(参る)。7.Mairaxe soro(参らせそろ)。

地位の重い人にはその方に仕へてゐる女の誰かの名を置いて,先方の人へSuguni(直ぐに)書くことはしないのである。1.Chuxôdonono vō tçuboneye (中将殿の御局へ)。  Mairu tarenite moxi tamaye (参る誰にて申したまへ)。2.Xôxodono mairu(少将殿参る)。  Moxi tamaye(申したまへ)。3.Agoye mairu(あごへ参る)。

男子から女子へ遣す書状は(中略)書面の終は、敬語の助辞ではなくかしくで留め女子の方から男子へ贈る消息には、書面の終に敬語を書かず

男子から女子へ遣す書状は(中略)月日と名と判を加へる。女子の方から男子へ贈る消息には、判も月日も加へない。

文して参らせそろ、御うれしくそろ、さぞさぞ、いろいろなどのやうな優しい語が使はれる。

語頭の綴字を切取ってそれにMonji(文字)といふ綴字を添へたものは,元の語の意味を表すのであって,それが使はれる。例へば,Fumonji(ふ文字)はFumi(文)を意味し,Somonji(そ文字)はSonata(そなた),Pamonji(ぱ文字)はPadre(ぱあてれ)を意味する。

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注(1) 本論では、『大舘常興書札抄』のように単独で書札礼と

して存在する書、及び『大諸礼集』のような故実書にお

ける書状に関する記述への総称として「書札礼」という

語句を用いる。

(2)

J・ロドリゲス:著 土井忠生:訳『日本大文典』(三

省堂 一九九五年)を引用等の底本とし、頁数などもこ

れに準ずる。

(3)

小松茂美『手紙の歴史』(岩波書店 一九七八年)

(4)

小久保嘉紀「日本中世書札礼の成立の契機」

   (『H

ERSETEC

』Vol.1 No.2

 二〇〇七年)

(5)

平野明夫「戦国期徳川氏の政治的立場―織田氏との係わ

りを通して―」(国史学会『國史学』一五八号 一九九五

年)

(6)

本論で紹介する資料の中では、「脇付」は「上かき」(女

房筆法)、「側書」(日本大文典)のように用語が定まっ

ていない。前者については、脇付は書状の上書き(折り

たたんだ際に最上部に来る部分)に書かれることが一般

的であるため、「上書きの用法」と「脇付の用法」の意

味するところは同じである。一方で「側書」については、

『日本大文典』独自の語句であると推測されるが、同書

を参照すると「宛所で、書状を遣す先方の人名終には、

宛名の最後に人名の下か、若し一人だけに充てたもので

あればその下かの左手に、’

側書‘

(Sobagaqui

)といふ

尊敬を意味する一種の助辞を添へる」(七〇五‐七〇六

頁)とあることから、「脇付」を意味する語として用い

られていると考えられる。

(7)『日本大文典』 五頁に記載がある。

(8)

一五三三年成立。伊勢貞満著。伊勢流の故実書。主に書

状に関する礼儀作法について記されている。なお、本論

における引用等は『伊勢加賀守貞満筆記』(塙保己一

編『続

群書類従 第二十四輯下

武家部』所収 続群書類従完成

会 一九二五年)

を底本とする。

(9)

一六世紀前半成立か。大館尚氏著。九郎とよばれる人物

に書き記した書札礼。書状のしたため方に関して、文例

を示しながらまとめている。本論では『大舘常興書札抄』

(

塙保己一

編『群書類従 第九輯

文筆部

消息部』 群書

類従完成会 一九二八年)

を底本とする。

(10)

室町末から江戸初期にかけて成立か。著者不詳。女房の

所作についてまとめた書札礼および故実書。本論では『女

房筆法』(塙保己一

編『続群書類従

第二十四輯下

武家

部』続群書類従完成会 一九二五年)

を底本とする。

(11) これらの記述に関する先行研究として、小泉吉永氏がホー

ムページ「往来物倶楽部」内の「往来物講座(続)3.

筆手本類の散らし書き」

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中世書札礼における「脇付」記述の類似 ─ロドリゲス『日本大文典』「女子の消息に就いて」の典拠調査から─

   (http://w

ww.bekkoam

e.ne. jp/ha/a_r/A500.htm#1

 二〇一

八年一〇月二一日参照)において、一覧としてまとめて

いるものがある。本論においては、小泉氏の提示した『大

舘常興書札抄』などの例を参照しつつ、新たに『大諸礼

集』『日本大文典』における記述の存在を示している。

また、これらの類似を主軸とした論考は、先行研究の調

査の段階においては見いだせなかった。

(12)

金沢文庫 二二〇〇号。相川高徳:編『金沢文庫の古文

書2 中世鎌倉人の手紙を読む[女性編]』(岩田書院 

二〇〇四年)を参考とした。

(13)

金沢文庫 四八一号。相川高徳:編『金沢文庫の古文

書1 中世鎌倉人の手紙を読む[男性編]』(

岩田書院 

二〇〇四年)

を参考とした。

(14)

一五九二年成立。故実家である小笠原家における礼法を

まとめた「大諸礼集」のうち、書状の書き方についてま

とめられた巻。島田勇雄、樋口元巳:編『東洋文庫561

 

大諸礼集〈1〉 小笠原流礼法伝書』(平凡社 一九九三

年)を底本とする。

(15)

樋口元巳「解説」(『東洋文庫562

 大諸礼集〈2〉 小笠

原流礼法伝書』(平凡社 一九九三年)

(16)

小泉吉永氏は近世以降に見られる同系統の資料として『和

簡礼経』(一六四七年)『簡礼集』(一六六六年)『女文章

鑑』(一六八八年)『女書翰初学抄』(一六九〇年)『女諸

礼綾錦』(一七五一年)『新増 女諸礼綾錦』(一八四一年)

を挙げている。ただし、これらの資料においては、中世

期にみられたものに比べて異同も多く、適当な例である

かに関しての検討が必要である。

(17) 『宗吾大双紙』(『群書類従 第二十二輯下

武家部』所収)

に「女房文の書やう。いづれの御かたへ参申候へと書敬

也。参へしと書ハそれよりつぎなり。参とばかり書て。

真中に其名を書ハ我より下へ成べし。」(六〇〇‐六〇一

頁)という記述がある。

(18) 『めのとのさうし』(『群書類従 第二十七輯

雑部』所収)

に「御うはがきの事。むかしは大かた我身どうはいにも。

またはおとゞいなどにも。参とかき申候。ちかきころ色々

の御さだめ候ひし時。御あつかひ候は。御しうへは。御

ひろう。一けのしうおやかたなどへは。申給へ。その下

の上らうへは。中らうのかたより申給へ。上らうのかた

より中臈へは参。上郎の御なかは。参るべしとあり」

(二三五頁‐二三六頁)とあり、注一七の例とともに、

脇付記述の生成にかかわる記述であるかと推測できる。

(19)

先掲の「ゆしやう書状」や「金沢貞顕書状」のほかに、

金沢文庫二六二一号、二七三九号、二七五九号など。

 本論文は筆者が尾道市立大学日本文学科の講義科目のひとつ

である日本語学基礎演習(二〇一七年度)における発表から、

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発展的に研究を行い、その成果をまとめたものである。日本文

学科准教授藤本真理子先生には、指導教官として本研究の実施

の機会を与えていただき、その遂行にあたって終始、ご指導を

いただいた。ここに深謝の意を表する。また、同教授藤沢毅先

生には、本論文の構成、および章立てや表作製の方法など、細

部にわたりご指導いただいた。ここに深謝の意を表する。

 なお、本論文の記述についての一切の責任は筆者の負うとこ

ろである。

――はっとり・けい 日本文学科二年生――