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Title お伽草子『木幡狐』と古注釈 : 業平・小町の伝承世 Author(s) 大野, 暖奈 Citation 詞林. 67 P.40-P.59 Issue Date 2020-04-20 Text Version publisher URL https://doi.org/10.18910/75581 DOI 10.18910/75581 rights Note Osaka University Knowledge Archive : OUKA Osaka University Knowledge Archive : OUKA https://ir.library.osaka-u.ac.jp/ Osaka University

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Page 1: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

Title お伽草子『木幡狐』と古注釈 : 業平・小町の伝承世界

Author(s) 大野, 暖奈

Citation 詞林. 67 P.40-P.59

Issue Date 2020-04-20

Text Version publisher

URL https://doi.org/10.18910/75581

DOI 10.18910/75581

rights

Note

Osaka University Knowledge Archive : OUKAOsaka University Knowledge Archive : OUKA

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/

Osaka University

Page 2: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

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詞林 第67号 2020年4月

一、はじめに

 

お伽草子『木幡狐』は「中ごろの事にや有けん山城国、木

幡の里に年をへて、久しき狐あり」という一文で始まるよう

に、木幡を舞台とする作品である。木幡に棲む老狐の娘・き

しゅ御前が三位中将に懸想をし、女人に変化して契りを結ぶ。

その後、若君を生むが、若君に進上された犬を恐れ、中将と

別れることになった。きしゅ御前は木幡の里に帰って出家し、

仏道修行に励む、という内容である。

 

この作品は題名にも「木幡」とあり、木幡に棲む狐の物語

であるということが明確に示されている。しかしながら、例

えば『十二類絵巻』に

  

先、一門の猵の守、稲荷山の老狐、熊野山の若熊、蓮台

  

野の狼、愛宕護の山の古鵄、ゆるきの森の白鷺、二日市

  

庭の村鳥、梟悪このむ、ふくろふ、なとそ、同心しける

(堂本家蔵・古絵巻)

とあるように、一般的に狐といえば稲荷山が想起される。実

際、きしゅ御前は「稲荷明神の、御使者」である老狐の娘で

あるので、稲荷山との関係も深い。

 

加えて、木幡は「大和と山城を結ぶ交通の要衝)

((

」である。

木幡のイメージは、柿本人麻呂が詠んだ「山科の木幡の山を

馬はあれど徒歩ゆそ我が来し汝を思ひかねて」(『万葉集』巻

一一・寄物陳思・二四二五)によって形成されており、木幡

に関する動物は馬であるという印象が強くあったと考えられ

る)((

。荒川結香氏)

((

は、木幡が馬と関連のある場所であることか

ら、なぜ『木幡狐』の舞台が木幡であったのかとい問いを発

し、以下のように論じている。

  

そう考えると「木幡狐」は「木幡」を舞台として狐の物

  

語を描こうという着想によるものではなく、「木幡に棲

  

む狐」という既存の物語から直接影響を受けて成立した

  

のではないだろうか。

 

ここで指摘された「既存の物語」とは、『伊勢物語難儀注』

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―大

野� 

暖奈

https://doi.org/10.18910/75581

Page 3: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

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お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

の「玉津嶋の御使の事」である。この話は『伊勢物語』第二

一段に付会されたもので、あらすじ)

((

は以下の通りである。

 

ある時、在原業平が木幡山の辺で女と出会う。業平と女は

契りを結び共に暮らしていたが、ある日女が「いでていなば」

の歌を書きおいて立ち去る。しばらくして女の使者が「いま

はとて」の歌を記した文を持ってきた。怪しんだ業平が使者

の後を追っていくと、使者は木幡山の奥に入っていき、そこ

には数匹の狐がいて、文を見て泣いていた。業平がいるのに

気づいた狐は女に化け、夜明けまで業平と過ごした。そして、

女は自らが玉津嶋明神の使者であることを明かして消えた。

 「玉津嶋の御使の事」は、木幡を舞台にすること、狐との

異類婚姻譚であることが『木幡狐』と共通する。また「玉津

嶋の御使の事」の狐が玉津嶋明神の神使、きしゅ御前が稲荷

明神の神使の娘であることも似通っている。この『伊勢物語

難儀注』(以下『難儀注』)とは中世に成立した『伊勢物語』

の注釈書であり、中世の他文献に影響を与えていることが先

行研究で明らかになっている。例えば石川透氏は、『塵荊抄』

(文明一四(一四八二)年ごろ成立)

((

)や、お伽草子『青葉の笛』

(明応六(一四九七)年以前成立)

((

)に『難儀注』の影響があ

るという)

((

。また今西祐一郎氏は、お伽草子『月林草』(近世

初期頃成立)

((

)や幸若舞曲『静』が『難儀注』に因っているこ

とを指摘する)

((

。室町末期成立と考えられる)

10(

『木幡狐』が『難

儀注』に影響を受けていても不自然ではないだろう。

 

たしかに、荒川氏以前にも『木幡狐』と『難儀注』「玉津

嶋の御使の事」の関連は指摘されてきた。「玉津嶋の御使の事」

は、仮名本『曽我物語』巻五「三原野の御狩の事」にも「伊

勢物語の秘事」として引用されており、荒木良雄氏は『大石

寺本曽我物語』頭注にて「流布本は夏野の狐に因んで、木幡

山ほとりで業平が女に化けた狐に会つた話をつゞけてゐる。

お伽草子「木幡狐」はそれから出たか。」と述べている)

11(

。こ

れを承けて、徳江元正氏も「両者(『曽我物語』巻五「三原

野の御狩の事」と『木幡狐』:引用者注)とも「伊勢物語の

秘事」に関わりを持たせている点、勢語註釈の世界との交渉

を思わせるものがある。」と指摘し)

12(

、さらに、石川透氏は『難

儀注』、『曽我物語』、『木幡狐』について以下のように述べる)

13(

  

仮名本『曽我物語』巻五「三原野の御狩の事」には、夏

野に狐が鳴いた例として、業平の故事が記されている。

(中略)室町時代物語『木幡狐』をも想起させるこの話

にも、やはり『伊勢物語』注との関係がうかがえる。(中

略)とすれば、室町時代物語『木幡狐』も、おそらく

は、荒木良雄氏が『大石寺本曽我物語』頭注に説かれ

たごとく、このような『伊勢物語』の秘伝から作られた

だろうと想像がつく。

 

これらの先行研究から考えると、『木幡狐』の成立背景に

は『難儀注』「玉津嶋の御使の事」があったといえよう。荒

川氏は『木幡狐』における『難儀注』の影響をふまえて

Page 4: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

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お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)  

�確かに舞台を木幡とするだけでなく、異類を神の使いと

すること、「色好み」をする中将を相手とすることや、

物語中に和歌を取り入れた王朝物語的な雰囲気も似通っ

ている。(中略)「木幡狐」には明らかに『伊勢物語』や

その古注釈を利用している箇所はないが、中将という身

分の男を相手とするという設定には典型的な業平像が重

ねられているように感じられる。

と論じ、『木幡狐』の中将に業平が重ねられていることを指

摘する。しかし『木幡狐』における『伊勢物語』古注釈(以

下、勢語注)との具体的な関連は示されていない。また石川

氏によって、中世の謡曲やお伽草子には、『古今和歌集』注

釈書(以下、古今注)の影響も色濃いことが指摘されている)

14(

『木幡狐』を考察する際、勢語注のみならず、古今注の影響

も視野に入れる必要があるだろう。

 

以上から、本稿では、まず『木幡狐』にみられる古注釈の

具体的な影響を明らかにする。その上で、古注釈がどのよう

に機能しているのか、謡曲や『木幡狐』以外のお伽草子を比

較対象とし、検討を加えていく。

二、『木幡狐』にみられる古注釈の影響

二―一、業平と中将

 

まず、『木幡狐』本文における『伊勢物語』の利用を確認

する。荒川氏が述べるように、男主人公である中将は業平に

もまさる美男であり、色好みであると設定されており、業平

との重なりが見えることは前節で示したとおりである。加え

て、先行研究では述べられていないが、次に示す場面にも業

平が重ねられていると考えられる。

  

さるほどに、中将殿みかどより御召ありて、七日の管絃

とありしかば、姫君にのたまふやう、「われ笛の役とて、

内裏へ参り候、留守のほどよく〳〵若君慰め給ふべし」

とて、出でさせ給ふ。

 

これは、中将が留守の間にきしゅ御前が木幡へ帰る場面で

あり、中将が留守にする理由は帝による管絃の遊びである。

ここで中将は「笛の役」として召されるのだが、中世におい

て業平は笛の上手として描かれていた。石川透氏)

15(

の指摘する

通り、すでに『伊勢物語』六五段「在原なりける男」に「こ

の男、人の国より夜ごとに来つつ、笛をいとおもしろく吹き

て、声はをかしうてぞ、あはれにうたひける。」とあり、お

伽草子『小式部』では、「くわんけんの道、あふきまても、

きはめ給ふ、ことさら、ふへのしやうすなり」(天理図書館蔵・

写本)とあるように、業平は管絃の道を究めており、殊更に

笛の上手であると述べられる。また『浄瑠璃十二段草子』で

は、義経が笛を吹く場面に、日本の笛の上手の例として業平

が挙げられる。

 

氏は、お伽草子における業平の笛の話の背景には、鎌倉時

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お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

代後期の『続教訓抄』、南北朝時代の『神道集』巻四第一八「諏

訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。『続

教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に

入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に

拠っているという。

 

中世における業平像との重なりを考えると、中将の、美男

子・色好み・笛の上手という人物造型には、業平が影響して

いるといえよう。

 

そして、本文中には『伊勢物語』の影響を受けたと見られ

る表現が二箇所指摘されている)

16(

。一つ目は、中将と出会う前、

きしゅ御前が男性からの求愛を退ける場面にある。

  

聞き伝へし人々は、心を懸けずといふことなし。御めの

と思ひ〳〵に縁をとり、我も〳〵と数の文をつかはし、

心をつくすと申せども行く水に数かく如し)

17(

。うち靡くけ

しきもましまさず。

 

ここには『伊勢物語』五〇段「鳥の子」に見られ、『古今集』

(巻一一・恋一・五二二・題しらず・読人しらず)にも見ら

れる「行く水に数書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなり

けり」歌の影響がある)

18(

。きしゅ御前のすばらしさを聞いた人々

が数多くの文を送るが、「行く水に数かく如し」(流れる水に

数を書くように儚く、一向に反応がないさま)であり、きしゅ

御前は靡く様子を見せない。後述するが、古注釈において「行

く水に」歌は小町が詠んだ歌であると解釈されることも注目

に値する。

 

二つ目は、きしゅ御前が中将を稲荷山から眺め、見初める

場面に見られる。

  

ころは、三月下旬のこと成(る)に、花園に立ち出給ひ、

散りなん花を御覧じて、業平のけふのこよひにと、詠み

けるも、かかる折にやとながめ給ふ。

 

右に掲げた場面には『伊勢物語』二九段「花の賀」に見ら

れる「花に飽かぬなげきはいつもせしかども今日のこよひに

似る時はなし」歌が引用されている)

19(

。ここで「花園に立ち出

給ひ、散りなん花を御覧じ」ているのは中将であり、「花に

飽かぬ」歌を詠む業平が重ねられている。この引用について

田川沙夕里氏は、中将に業平のイメージが重ねられているこ

とを指摘するものの、単に「きしゅ御前の突然の恋心を読者

に納得させようとする作者の仕掛け」であるとし)

20(

、他のつな

がりは示されていない。

 

ここで注目したいのは、中世では業平が描かれる場合、小

町と共に語られることが多いことである。とすれば、『木幡狐』

においても業平と小町が関わっていることが想定されよう。

そこで次項では、きしゅ御前の造型に注目して考察していく。

二―二、小町ときしゅ御前

 『木幡狐』の背景に『難儀注』が想定されることは先に述

べたとおりである。では、『難儀注』で業平が玉津嶋明神の

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お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

神使と契ることは、『木幡狐』とどのように関連するのだろ

うか。玉津嶋明神についての古注釈を確認していくと、小町

との関連を示す記述が見られる。まず『古今和歌集』仮名序

には、小野小町について「小野小町は、古の衣通姫の流なり。

哀れなる様にて強からず。」と述べられるが、『毘沙門堂本古

今集注』の記述を見てみると、仮名序の小町の記述に対し

  

註曰、小野小町ハ、桓武ノ後胤出羽郡司小野常初カムス

メ也。衣通姫カ流トハ、衣通姫ノ歌ヲウケテ読也。衣通

姫ハ、応神天皇ノ後胤雅ヌマノ王子ノムスメ也。允恭天

皇ノ后也。容貌カヽヤク如ニテ、御衣ヨリ光通スル故ニ、

シカ云也。今、玉津島明神也。

という注が付されている)

21(

。つまり、小町は衣通姫の歌の流れ

を受けており、衣通姫は玉津嶋明神であるとされている。加

えて『為相古今集註)

22(

』に「彼小野小町は、玉津嶋明神の、歌

をよにひろめん為に、仮に小町と化現し給へり」とあること

からも、小町と玉津嶋が強く結びついていることが分かる。

 

また、玉津嶋・業平と関わって小町が登場するものがある。

石川透氏は『神代小町』について以下のように述べる)

23(

  

� 

さらに、『神代小町』の全体において、小町の話相手

をつとめる、藤原の中将が誰であるか、が問題となる。『神

代小町』には、別に業平の記述があるから、業平とは別

人であるとも考えられるが、その行動や秘伝類の説明か

らみて、やはり藤原の中将は業平とみてよいのではない

か、と思われる。全くの同一人物とみなくても、業平が

投影された人物とした方がよいのではなかろうか。

  

� 『神代小町』によれば、藤原の中将は、歌のことを祈

るために玉津島へ参詣しようとしている。実は、謡曲『鸚

鵡小町』、狂言『業平餅』、『伊勢物語難儀注』等には、

業平の玉津島詣での話が記されていたのである。特に、

小町と関わり玉津島へ参詣するのは、業平であるとみて

よいだろう。

 『神代小町』は小町の一代記であり、落魄した小町のもと

を「藤原の中将」が訪れる。石川氏はこの「藤原の中将」が

誰か、という点について、謡曲『鸚鵡小町』や狂言『業平餅』

を例に挙げ、小町と関わって玉津嶋へ参詣するのは業平であ

ると論じる。この石川氏の論を言い換えれば、業平・玉津嶋

と関わる女性は小町であると言えるのではないだろうか。謡

曲『鸚鵡小町』を確認してみると、

  ワキ「�

いかに小町。業平玉津島にて法楽の舞をまなび候

  

シテこれを聞いて、杖を力にして立ち、後見座にくつ

ろぎて【物着】。唐織を脱ぎて長絹を着、風折烏帽子を

被りて常座に立ち、

  シテ「�

さても業平玉津島に参り給ふと聞えしかば。われ

も同じく参らんと。『都をばまだ夜をこめて稲荷山。

葛葉の里もうら近く。和歌吹上にさしかかり

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お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)  

これより謡に合せて静かに仕科、

 地『玉津島に参りつつ。玉津島に参りつつ。業平の舞の袖。

�〈ワキ:陽成天皇勅使新大納言行家 

シテ:小野小町〉

とある。ここで小町は、業平が玉津嶋へ参詣すると知り、自

らも玉津嶋へ参詣しようとする。業平・玉津嶋と関わる女性

が小町であるならば、『木幡狐』のきしゅ御前には小町が重

ねられていると考えられる。

 

業平・玉津嶋・小町という三者の結びつきにおいて、き

しゅ御前と小町の重なりが確認できた。では、業平・玉津嶋・

小町の関係以外で、きしゅ御前と小町のつながりを確認する

ことはできるのだろうか。

 

きしゅ御前と小町を結ぶ要素として、第一に小町が狐であ

るとされることが挙げられる。徳江元正氏は古今注である『古

今無名作者抄』を紹介し、小町・玉津嶋・狐の関わりについ

て論じている)

24(

。まず『古今無名作者抄)

25(

』の本文を確認すると、

「一日本紀云」として

  

小野小町―野干狐也

   三代ニ出生

とある。そして

     白狐ト云 〻

住吉ニテハ

  

一衣通姫―玉嶋―南宮

    

是ニヨリテ古今序ニモ小野小町ハ衣通姫ノナカレト

ハカケリ

    

同野干ノ垂跡ナル故ナリ

と述べられている。徳江氏はこれらの記述から、以下のよう

に論じる。

  

柿本人丸・住吉明神とともに和歌三神と仰がれた玉津島

明神を、また衣通姫と一体と説くのも『伊勢物語』の秘

伝に限らなかった。『古今和歌集』仮名序で、すでに、

小野小町を「衣通姫の流」としている。「古今無名作者抄」

の所説には、「伊勢物語難儀抄」のほかにもしかるべき

典拠が求められようが、これも併せてみるならば、衣通

姫・小野小町・玉津島明神・野干が一直線につながって

こよう。

 

この徳江氏の論では、『古今無名作者抄』と『難儀注』「玉

津嶋の御使の事」から「玉津嶋・小町・狐のつながりが見え

る」と述べられる。

 

徳江氏が掲げる『古今無名作者抄』の他に、小町を狐と明

記する古注釈の類いは発見できない。しかし、『玉造物語』

巻七「たまの通路�

九」には

  

なにがしの少将の、わらはを、きつねのばけゝるとはし

らで、まことの人とやおもひけん、文しきりにかき、歌

はかりなくよみて、おこせぬる、いでやばかしておもひあ

たらせん、かどに、くるまこそありけれ、このしぢに、

百夜かよひませ、百夜にならばあひ見なん、もし雨のふ

り、風の吹とて、こずなりなば、かならず、あはじとい

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― 46 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

へば

と始まる、百夜通いの話がみられる)

26(

。この『玉造物語』は小

野小町の一代記であり、この話の狐が化けている女性も小町

とみてよいだろう。

 

きしゅ御前と小町の関わりが窺える第二の要素としては、

先に掲げた、『木幡狐』本文に引用される「行く水に」歌(『伊

勢物語』五〇段、『古今集』巻一一・恋一・五二二・題しらず・

読人しらず)が挙げられる。この歌については『弘安十年古

今集歌注』に

  

行水ニカズカクヨリモハカナキハヲモハヌ人ヲ思フナリ

ケリ(中略)此歌ハ、小町ガ業平ヲ恨ミテ読ナリ。

とあり)

27(

、『伊勢物語抄』の五〇段に対する注に

  

うらむる人をうらみてとは、小町、業平の一かたならぬ

をうらみ、業平は小町をうらむる也。

とある)

28(

。このように、古今注でも勢語注でも、「行く水に」

歌は小町が業平に詠んだ歌であると記述されているのである。

 

ここまで、中世において業平・玉津嶋と関わる女性が小町

であり、小町を狐とする説がみられることを確認してきた。

また、きしゅ御前が男性からの求婚を退ける場面に引用され

る「行く水に」歌が、古注釈において小町が業平に詠んだ歌

であるとされることも明らかにした。以上から、きしゅ御前

には小町が重ねられていると考えられる。

 

古注釈が明示的に『木幡狐』に引用されることはない。し

かし、『木幡狐』本文から中将と業平の重なりが読み取れる

こと、業平・玉津嶋・小町・狐がつながること、引用される

『伊勢物語』の古注釈に業平・小町の関連が見えることを考

えると、『木幡狐』は中世に広く享受された古注釈に形作ら

れる業平・小町説話を背景に成立したものだといえよう。

三、古注釈の機能―小町ときしゅ御前―

 『木幡狐』の背景に『伊勢物語』『古今集』の古注釈の存在

があることを確認してきた。では、背景にある古注釈を意識

したとき、『木幡狐』はどのように読み解くことができるの

だろうか。まずは本文中のきしゅ御前の描かれ方を検討する。

その上で、きしゅ御前と小町の重なり方を、より具体的に浮

き彫りにする。

三―一、きしゅ御前について

 

本項では、きしゅ御前がどのように描写されているのかを

二つの面から検討する。一つ目は、きしゅ御前が人間の姫君

のように描かれることである。

  

いづれよりも殊にすぐれて、容顔美麗にうつくしく、心

ざまならびなく侍りて、春は花のもとにて日を暮し、秋

は隈なき月影に、心をすまし、詩歌、管絃にくらからず。

聞き伝へし人々は、心を懸けずといふことなし。(中略)

明し暮し給ふ程に、十六歳にぞなり給ふ。

Page 9: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

― 47 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 

これは、きしゅ御前が人間に変化する以前の場面である。

このように容姿端麗で気立てがよく、詩歌管絃に優れるとい

う描写や、一六歳という年齢設定は、お伽草子に登場する人

間の姫君に散見される)

29(

。そして人間に化けた後、中将がきしゅ

御前を見初める場面では

  

此姫君を御覧じて、夢か現かおぼつかなしと御覧じける

に、そのかたち云はかりなく、まことに玄宗皇帝の、楊

貴妃、漢の武帝の世なりせば、李夫人かとも思ふべし、

さてわが朝には、小野良実が女、小野小町などゝいふ)

30(

も、是程こそありつらん

と述べられるように、きしゅ御前は人間に化ける前後で一貫

して人間の姫君のごとく描かれるのである。また、狐は一般

的に年を経て人間に変化するものとされており)

31(

、きしゅ御前

の一六歳という年齢は変化する狐の典型からは外れている。

 

更に注目すべき点として、きしゅ御前は「稲荷明神の、御

使者)

32(

」である老狐の娘であるが、神使そのものではなく、あ

くまで神使の娘である。お伽草子『いなり妻の草子)

33(

』のよう

に、稲荷明神に命じられて中将と婚姻を結んだわけではない。

神使として行動しないのである。

 

このように、きしゅ御前は人間の姫君に近い描写をされる

一方で、異類としての一面も持つ。きしゅ御前が中将を見初

める場面では、

  

折ふしかのきしゆ御前、稲荷の山より見おろして、うつ

くしの中将殿や、われ人間と生れなば、かゝる人にこそ

逢ひ馴るべきに、いかなる戒行によりて、かやうの身と

は生れけるぞや

と語られる。きしゅ御前は、「戒行」(の拙さ)

34(

)によって狐の

身に生まれたことを自覚しており、狐という罪深い身として

生まれために中将と添い遂げることができない。そして、物

語末尾に「かゝる畜類だにも後生菩提の道を願ふならひなり」

と述べられるように、きしゅ御前は「畜類」であることが明

示されている。

 

また、きしゅ御前と中将との別れの発端となるのは犬の進

上であり、人間に化けることで一度は中将と結ばれるものの、

進上された犬を恐れて中将と別れることになった。狐と犬は

相容れないものであり)

35(

、きしゅ御前が犬を怖がることは狐の

性質によるものだと考えられる。言い換えると、きしゅ御前

は狐という畜生の身に生まれたために、中将と添い遂げるこ

とができないのである。

 

生駒哲郎氏は『沙石集』の畜生を検討した上で、中世にお

ける畜生像について「欲が強く、仏道を修せないのが畜生で

あり、人であっても欲が強く、仏道を正しく修せない畜生の

ような者は、来世、本当に畜生道に堕ちたと中世人には考え

られたのである。」と論じる)

36(

。では、「欲が強く、仏道を正し

く修せない」という畜生の中で、狐はどう捉えられるのか。

 

狐は人間に変化し交接を求めるものとして、平安時代から

Page 10: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

― 48 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

既に知られていた。例えば、源為憲が著したとされる空也の

伝記『空也誄』には空也に交接を求める老狐が描かれる。中

村一晴氏は平安期の狐像について論じる中で、『空也誄』の

記述を受けて以下のように述べる)

37(

  

狐が人に化けて人間の男との交歓を望むのは伝統的な狐

観であったが、ここでの狐は畜生道に墜ちる業を備え、

狐であるが故に生臭物を求め、また交接を求めるという

救いがたい存在として描写され、破戒を厭わずその要求

に応じようとした空也を「真の聖人」と讃嘆する役割を

与えられている。

 

つまりこの狐は、狐であるが故に交接を求め、畜生道に墜

ちる業を備えているという。また、白居易の新楽府「古塚狐」

(『白氏文集』巻四・諷諭四)にも狐が淫婦となって人を惑わ

すという認識があらわれている。白居易「古塚狐」は広く受

容されており、中世の和歌や『注好選』にも影響がみられた)

38(

狐に対するこのような認識は、中世期においても強く根付い

ていたと言えるだろう。

 

以上から、「欲が強く、仏道を正しく修せない」という畜

生の中で、狐という畜生に際立った特徴は、色欲(性愛)を

持つことではないか。淫婦となって人を惑わすという一面を

持つ狐は、「畜生」という仏教的な罪深さと結びついていく。

「欲が強く、仏道を修せない」畜生として狐を捉えた時、狐

は性愛の業を備えたものであると考えることができるのだ。

 

見てきたように、きしゅ御前には二つの側面がある。人間

の姫君のような面を持つ一方で、性愛に関する罪を負う狐と

いう畜生の面をも併せ持っているのである。

三―二、小町ときしゅ御前の共通点

 

先にきしゅ御前には小町が重ねられていると述べ、きしゅ

御前の描写を確認した。ここでは、小町ときしゅ御前の共通

点を具体的に見ていく。

 

小町といえば、六歌仙の一人であり、美人の代表として知

られている。しかしながら、中世において説話化された小町

は年を経て零落した姿で描かれる。市古貞次氏は中世の小町

像について以下のように述べる)

39(

  

和歌に秀で、みめ美しく、奔放な恋愛遊戯に耽った―と

伝え信ぜられ、年たけて後は落魄してみじめな姿で都の

辺をさまよひ、果は奥州でわびしく死んだといはれる(こ

れも壮衰書や、古今集雜下の「わびぬれば身をうきくさ

のねをたえてさそふ水あらばいなんとぞ思ふ」などから

派生すると思はれる)小町の数奇な生涯は、平安朝以降

の髑髏伝説と相俟って、中世人に異常な興味と関心を喚

起せしめる素地を十分に有ってゐた。

 

小町は和歌に秀でて容顔美麗な女性であったが、後に落魄

し、みじめな姿でさまようことになったという。では、なぜ

小町は落魄することになったのか。『小町の草紙』では、小

Page 11: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

― 49 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

町は「色好みの遊女」「いにしへの、色好みの、小野小町」「い

にしへ聞えし、色好みの、小町」と称され、訪ねてきた業平

に以下のように述べる。

  

とはれければ、「はづかしや、こはそも夢か、現か、幻か。

(中略)その歌人の色にふけりしこと数をしらたまの、

手にとる文の数あまたありしかども、身のはてまでは情

の夫はなかりけり。ありがたの、在原や、これこそよき

たよりなれ。いで過ぎにし愛念のうちを語り申さん」と、

「はづかしながらいくへふたすきかけてたのみはありそ

海のそこいなく、懺悔申さん」と有(り)ければ

(渋川版)

 

小町は色好みであり、色に耽った愛欲の罪を懺悔している。

また謡曲『卒都婆小町』にも零落した小町が登場し、小町の

罪は次のように語られる。

  

シテサシ『あはれやげに古は。驕慢もつとも甚だしう。翡

翠のかんざしは婀娜とたをやかにして。楊柳の春の風に

靡くが如し。又鶯舌の囀りは。露を含める糸萩の。かご

とばかりに散りそむる花よりも猶めづらしや。今は民間

賎の目にさへきたなまれ。諸人に恥をさらし。嬉しから

ぬ月日身に積もつて。百年の姥となりて候(中略)シテ「い

や小町といふ人は。あまりに色が深うて。あなたの玉章

こなたの文。『かきくれて降る五月雨の。「そらごとなり

とも。一度の返事も無うて。『今百年になるが報うて。

あら人恋しやあら人恋しや�

〈ワキ:高野山僧�

シテ:小町〉

 

ここでの小町は自らの美貌を驕り、色好みをして、言い寄

る男性に返事をしなかったことの報いとして落魄したとされ

る。このように、中世の様々な作品において、小町は和歌に

秀でた美貌の女性だったが、色好みをして零落し、老女となっ

てさまよう存在として描かれている。

 

では、きしゅ御前はどうか。きしゅ御前も小町と同様に、

美しい容貌で、詩歌管絃に優れていることが述べられる。ま

た、乳母の紹介する縁談に取り合わず、数多くの男性(狐)

を無下にしたという点でも小町と共通する。そして、きしゅ

御前の容貌・能力のすばらしさが強調される一方で、きしゅ

御前は中将を見初める場面において

  

折ふしかのきしゆ御前、稲荷の山より見おろして、うつ

くしの中将殿や、われ人間と生れなば、かゝる人にこそ

逢ひ馴るべきに、いかなる戒行によりて、かやうの身と

は生れけるぞや

と語る。きしゅ御前は畜生(狐)という罪深い存在であるた

めに、中将と添い遂げることができない。そして、先に確認

したように、狐が負う罪とは色欲であった。つまり、色好み

によって落ちぶれた小町と、狐という畜生の身と生まれたき

しゅ御前は、同様に罪を背負った女性であると考えられるの

である。

 

和歌に秀で美しい容貌であった小町のイメージを基礎とし

Page 12: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

― 50 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

て、狐という畜生の一面を持つことにより色欲の罪を表現し

たものがきしゅ御前である。そして同様に、優れた歌人であ

り美貌であった小町のイメージを前提にしつつ、落魄した老

女の身として現れることによって色欲の罪を表したものが、

『小町の草紙』や『卒都婆小町』といった中世の小町である

といえよう。きしゅ御前が人間の姫君のように描かれるのは、

小町像が重ねられていたためであると推察される。

三―三、小町ときしゅ御前の相違点

 

その一方で、小町ときしゅ御前には異なる点も見られる。

 

業平と小町が共に語られるとき、小町は観音の化身であり、

衆生に仏教の教えを示すために仮にこの世に生まれたという。

『小町の草紙』には以下のように描かれる。

  

いにしへの、衣通姫の流れとも申(し)、観音の、化身共

申(す)。かりに此世に生れ給ひて、うあく、無あく、衆

生の迷ひ深き、女人あまりに心なきものの、あはれをも

知らず、仏をも礼せず、神を拝まずして、いたづらに月

日を送り給ふことを、かなしび、色好みの遊女と生れ、飛

花落葉の世の中、一度は栄へ、一度は衰ふ。(中略)此

物語を聞く人、まして読まん人は、すなはち観音の、三

十三体をつくり、供養したるにも等しきなり。小町は、

如意輪観音の化身なり。又業平は、十一面観音の化身な

り。あだにもこれを思ふべからず。南無大慈観音菩薩と、

回向あるべし。�

(渋川版)

 

古注釈において、業平は女性を往生させるために女性と交

わるとされるものが散見されており)

40(

、共に語られる小町も衆

生を救う観音であるとされる。

 『神代小町』では「なりひらと申は、かぶのほさつの、け

げん」、「こまちと申は、大日如来のへんさ」と述べられる。

小町が零落した姿で現れるのは、「ぼんなふのきづなを、たゝ

しめんかため」であり、衆生を救う「方便」であるとする点

は『小町の草紙』と同様である。

 

業�

平以外と共に語られるときはどうか。『小町物語』には

西行聞召て、さては、をのゝ小まちの、かうべかやと、

かの□□原野へに、とりよせて、すゝきを、むすひて、七

日御きやうをよみ、よもすから念仏申。ざくをのべ、か

うをたきて、すなはち、へんじやうなんしとなつて、わ

うじやうし給へと、ゑかうし給ふ。七日と申、あした、

しうんたなびき、こくうに、をんかくきこえ、玉のこし

を、かきさけて、すなはち、かうへをかきのせて、くも

にあかり給ふ也、有かたき御とふらひ、ためしすくなき、

しだいなり。

とある。ここでの小町は西行の念仏によって成仏をする。つ

まり小町は他人(僧)に救済されるのである。あるいは、謡

曲『関寺小町』や『鸚鵡小町』のように、零落したままで物

語が終えられる)

41(

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― 51 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 

一方、きしゅ御前は自ら仏道修行をする。きしゅ御前が最

初に仏道を意識するのは中将と出会う前である。

  

姫君、うき世に長らへば、いかならん殿上人か、関白殿

下などの北の方ともいはれなん、なみ〳〵ならん住居は、

思ひもよらず、それさなき物ならば、電光朝露夢幻の世

の中に、心をとめて何かせん、いかなる深山の奥にも引

籠り、うき世を厭ひ、ひとへに後世を願ひ侍らばやと思

と、木幡の里には自分にふさわしいと思う人がおらず、その

ような人がいないならば出家してしまいたいと考えていた。

その後中将と一度結ばれ、別れたことで再び仏道を意識する。

  

さまをかへさせ、菩提の道に入らんと、案じ、また木幡

の塚を立ち出でゝ、嵯峨野の方へ分け入(り)て、庵室

を結び、みどりの髪を剃りおとし、この世はかりの宿、

電光朝露、夢幻のことなれば、今此時、生死輪廻をまぬ

がれ、未来は必ず一つ蓮の台に生れんと、願はれけり。

とあるように、極楽で中将や若君と共に暮らすために、輪廻

を脱して往生したいと願うのである。そして今度は出家して

しまいたいと願うだけでなく、以下のように仏道修行に励ん

だ)42(

  

花を折、谷の水をむすび、少納言もろともに、弥陀の名

号となへ行ひすまし給ひけり。かゝる畜類だにも後生菩

提の道を願ふならひなり。いはんや人間としてなどか此

道を歎かざらんや。かやうにやさしき事なれば、書き伝

へ申(す)なり〳〵。

 

ここには、きしゅ御前の意識の変化が見られる。中将と出

会う前の場面に「電光朝露夢幻の世の中に」とあり、別れた

後の場面に「電光朝露、夢幻のことなれば」とある)

43(

ように、

類似した表現によって、きしゅ御前が仏道を意識する場面が

対比されている。中将を見初める前は、自分にふさわしい人

がいないために出家をしようとしていたが、中将と契りを結

んでからは極楽で中将や若君と共に暮らすという明確な目的

を持ち、往生するために仏道修行をする。きしゅ御前は中将

との出会いによって、仏道を修せない畜生とは異なる存在に

なるのである。

 

小町ときしゅ御前は共に「罪を背負った女性」であるが、

仏道との関係は異なっている。小町の描かれ方は二つある。

一つ目は、「罪を背負った女性」として現れることは衆生を

救う方便であり、本来は観音や如来であるとする描かれ方、

二つ目は、「罪を背負った女性」として彷徨い、最後は他者

に救済されるという描かれ方である。一方、きしゅ御前は「罪

を背負った女性」であるが、畜生の身を脱して往生するため、

自ら仏道修行をする。他者を救済する存在とも、他者に救済

される存在とも異なり、自ら仏道に向かうのだ。

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― 52 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

四、きしゅ御前と女訓

 

きしゅ御前が人間の姫君のように描かれることは先に確認

した通りである。きしゅ御前は

  

いづれよりも殊にすぐれて、容顔美麗にうつくしく、心

ざまならびなく侍りて、春は花のもとにて日を暮し、秋

は隈なき月影に、心をすまし、詩歌、管絃にくらからず。

とあるように、気立てがすばらしく、詩歌管絃に優れる。ま

た、中将と和歌を詠み交わし、仏道に向かう。このようなき

しゅ御前の姿は、中世の女訓書)

44(

に述べられるような女性の理

想像とも重なるものである。例として、『庭の訓』(別名『乳

母の文)

45(

』)を掲げる。この『庭の訓』は、訴訟のために鎌倉

に下った阿仏尼が宮仕えする娘の紀内侍に書き送ったという、

阿仏尼仮託とみられる女訓書である。成立は鎌倉最末期・南

北朝初期までは下らぬものとされ)

46(

、お伽草子『乳母の草紙』

にも影響を与えたとされる)

47(

。以下、『庭の訓』における、きしゅ

御前と重なる記述を見ていく。

  

らうたくうつくしき人のそのかたちのうきよにならびな

く候とも。心さだまらずなど候へば、いたづらごとよと

おんこゝろをそへて。いかにあらまほしくおぼしめす御

ことありとも。をのづから人ももり聞て。もどきそしり

ぬべからんことは。御心にこころをかたらひて。おぼし

めしわすれ候へ。

 

ここでは、容姿の美しさのみならず心の大切さを述べる。

また、

  

月の色花のにほひもおぼしとゞめて。むもれいふがひな

き御さまならで。かまへて歌よませおはしまし候へ。

とあるように、和歌を詠むことを推奨する。これに対し『木

幡狐』において、きしゅ御前が中将に詠んだ和歌「思ひ出づ

る、身は深草の荻の葉の露にしほるゝわが袂かな」には「思

ひ入る身は深草の秋の露頼めし末や木枯しの風」(『新古今集』

巻一五・恋五・一三三七・家隆)が参考にされていると指摘

されており)

48(

、きしゅ御前の和歌の教養が窺える。

 

そして仏道については以下のように述べられる。

  

あくごうのつもりたらんをつねにはらはんとおぼしめし

て。五ぢよくあくせの我ら。けうまんけだいの心しきり

におこり候へば。庭草のやうにたねをたえぬものにて候

へども。たかきふしぎのぐわんはあさきよめするともの

みやつこまで。つねにさたしをこたりなく念仏だに申候

へば。わうじやううたがひなくおぼしめし候へと申され

候し。

ここでは、女性は念仏を唱え仏道に向かうべきであると説か

れている。恋田知子氏が

  

�古代社会で国家の統制や保護を受けていた尼は、官寺と

しての尼寺が衰退した中世においては、律宗や禅宗、時

宗や浄土宗などの諸宗派の尼寺に属し、専門的宗教者と

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― 53 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

して学問や修行生活を送っていた。その一方で、世俗の

生活を送った女性が夫や子供の死などを契機に信仰生活

に入る在家の尼たちも多くいたことは言うまでもない。

と述べる)

49(

ように、中世には女性の仏道修行者が多く存してい

た。女人救済の思想が注目された中世では、女性が仏道に励

むよう説かれていたのである。

 『庭の訓』のような女訓書に述べられる理想の女性像は、

きしゅ御前と共通している。では、きしゅ御前が女訓書とも

重なるような人間の姫君のごとく造型されることには、どの

ような意義があるのか。それにはお伽草子の読み手(あるい

は聞き手)が関係していると推測される。

 

お伽草子が読まれた場は様々である。桑田忠親氏)

50(

や市古貞

次氏)

51(

は、御伽の衆による戦国大名の知識教養のための御伽の

場で読まれたことを論じた。市古氏は、低い身分から成りあ

がった戦国武将は「種々の知識教養を身につける必要があっ

た」ため、御伽から「政治家として心得ておくべきことを、

学ばうとした」と指摘する。例えば、『鴉鷺合戦物語』(赤木

文庫蔵本・寛永古活字版)は「抑、天地開闢して、人民、は

しめて生てこのかた、三皇五帝の時、一天、其仁によくし、

四海、其儀をのつとる。」とあるように、中国の故事を引用

し「道、たかふときんは、文を以て、これをたゝし、敵、を

こるときんは、武を以て、是をたゝしくす。」と文武両道を

説く。しかし、『木幡狐』には和漢の有職故実や兵法、武具

などの知識は説かれず、戦国大名の知識教養のために読まれ

たとは想定しがたい。

 

また、徳田和夫氏や松本隆信氏によると、お伽草子の本地

物には唱導に用いられるものもあったという)

52(

。しかし、本地

物のようにきしゅ御前が神仏の前身とされることはなく、神

仏の化身とされることもない。加えて、『木幡狐』には具体

的な経典や仏神の名、経の文言は見られない。よって、『木

幡狐』が唱導の場で主に読まれたとも考え難い。

 

きしゅ御前が人間の姫君のように描かれることと、『木幡

狐』の現存諸本の体裁が小絵巻(ローマ本)や奈良絵本(黒

川本、徳江本、岡見本)となっていることを併せて考えてみ

ると、『木幡狐』の読み手には貴族・大名の姫君や、上層町

衆などの良家の子女が想定されるのではなかろうか。石川透

氏は、奈良絵本について以下のように述べる)

53(

  

これらの奈良絵本は、挿し絵は彩色され、詞書きはきれ

いに清書されていることから、絵と詞書きは分業により

制作され、高価な商品として取り引きされたものと推測

できる。とても、庶民の手に入るものではなかった。特

に、特大絵巻や特大縦型の奈良絵本などは、大名や裕福

な町民にしか購入できなかったろう。これらの奈良絵本

が、大名家の嫁入り本と呼ばれるのも、もっともなこと

なのである。

 

つまり『木幡狐』の読み手には、姫君や良家の子女といっ

Page 16: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

― 54 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

た身分の高い女性が想定され得る。きしゅ御前が畜生として

の狐とも神使としての狐とも離れ、人間の姫君のように描か

れることで、きしゅ御前は読み手に近接し、読み手はきしゅ

御前に感情移入して『木幡狐』を読むことができるのである。

そして同時に、詩歌管絃に優れ、気立てがよく、仏道に向か

うという理想の女性像をも見出すことができよう。

五、おわりに

 『伊勢物語難儀注』「玉津嶋の御使の事」をはじめとした古

注釈の影響下で成立した『木幡狐』では、中将に業平、きしゅ

御前に小町が重ねられている。狐と人間の異類婚姻譚である

と同時に、中世に信じられた業平・小町伝承を背景にもつ作

品であるといえよう。

 

加えて、きしゅ御前と小町の重なりを考察すると、色好み

によって落ちぶれた小町と、狐という畜生の身と生まれたき

しゅ御前は、同様に性愛に関する罪を背負った女性であると

解釈できる。和歌に優れた容顔美麗な小町のイメージに、狐

という性愛の業を負った畜生が重ねられることで罪を表した

ものが、きしゅ御前である。そして、零落した醜い老女の姿

で罪を表したものが中世の小町なのである。きしゅ御前が人

間の姫君のように描かれるのは、若く美しかった頃の小町像

が重ねられていたためであろう。

 

また享受の視点から見れば、きしゅ御前が人間の姫君のご

とく造型されることで、読み手に共感を得させることができ

る。美しい姫君が中将との別れによって仏道へ向かう様は、

読み手にとって感情移入できるものであると同時に、理想と

もいえる姿なのだ。

 

きしゅ御前のような、容姿端麗で気立てがよく、詩歌管絃

に優れ、仏道に向かうという姿は、中世の女訓書にみられる

女性の理想像といえる。『木幡狐』は、中世(室町末期)に

成立したと目される作品だが、近世(享保年間(一七一六~

一七三六年))に大坂の書肆・柏原屋渋川清右衛門により「御

伽文庫」「祝言御伽文庫」と称して二三篇三九冊(または二

三冊)で刊行されたものの一篇でもある。

 

渋川版の書目にある「御祝言御伽文庫�

三十九冊いにしへゟの草紙す�

あつめ箱入にして物

語の類のこら女中

身を治る便とす

」)54(

という宣伝文句から分かるように、渋川版御伽文

庫は女性を読み手として出版されたと考えられる。また、渋

川版「女中の見給ひ益ゑ

有ある

書物も

目もく

録ろく

」には『女大学宝箱』など

の女訓書と並んで「祝し

言げん

御お

伽とぎ

文ぶん

庫こ�

いにしへのおもしろき 

箱入 

草紙こと〳〵くあつむ 

廿三冊

」)55(

と宣伝

されることからも、女性への教訓を意識したものであるとい

えよう。しかしながら、渋川版御伽文庫と同時期に出版され

た『和俗童子訓』「教女子法」、『女大学宝箱』、『女今川』な

どには「仏道に向かうべき」といった記述は見られない)

56(

 

中世から近世にかけて、女性と仏教・儒教の関わり方は変

容していった)

57(

。『木幡狐』は、中世から近世への女性像の接

続を考える上で、示唆に富む作品であると言えるのではない

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― 55 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

だろうか。

【引用本文】

伊勢物語・万葉集・古今集・新古今集―新編日本古典文学全集(小

学館)

木幡狐―日本古典文学大系(岩波書店)(渋川版本)

 

お伽草子は、渋川版は日本古典文学大系(岩波書店)、その他は『室

町時代物語大成』(横山重・松本隆信編、角川書店)による。謡

曲は『謡曲大観』(佐成謙太郎、明治書院)。引用の際、便宜のた

め句読点を改めた箇所がある。

【『木幡狐』伝本】

渋川版本―渋川版御伽文庫本(版本)

黒川本―実践女子大学蔵黒川文庫本(奈良絵本)

徳江本―徳江元正氏所蔵本(奈良絵本)ローマ本―ローマ東洋美術

館蔵本(小絵巻)

岡見本―岡見弘道氏所蔵本(奈良絵本)

内閣文庫蔵本―国立公文書館蔵墨海山筆本(巻四六に収録・挿絵な

し)

【注】

(1)『国史大辞典』(吉川弘文館、一九八五年)「木幡」項(黒川直

則執筆)。

(2)『歌ことば歌枕大辞典』(角川書店、一九九九年)「木幡」項(田

坂憲二執筆)には、「木幡のイメージは「山科の木幡の山を馬は

あれど徒歩ゆそ我が来し汝を思ひかねて」」(万葉集・巻一一・二

四二五・二四二九・人麻呂歌集歌)と、これを引用する『源氏物

語』宇治十帖によって確立された。この歌を受けて「馬」「駒」「徒

歩」などの語とともに詠まれるようになる。」とある。

(3)荒川結香「中世異類女房譚の一形成―お伽草子「木幡狐」を

中心に―」『国文目白』五四号、二〇一五年二月。

(4)あらすじは『伊勢物語古注釈大成』二(片桐洋一・山本登朗編、

笠間書院、二〇〇五年)を本文とし、稿者が簡単にまとめた。

(5)市古貞次『古典文庫四四八�

塵荊鈔�

上』古典文庫、一九八四年、

解題参照。

(6)徳田和夫編『お伽草子事典』東京堂出版、二〇〇二年。「青葉

の笛の物語」項(濱中修執筆)参照。

(7)石川透『室町物語と古注釈』三弥井書店、二〇〇二年、四八

~五三頁。初出『室町文学纂集』第一輯、三弥井書店、一九八七

年。

(8)徳田和夫編『お伽草子事典』「月林草」項(斎藤(中野)真麻

理執筆)参照。

(9)今西祐一郎「『月林草』覚書」『国語国文』五〇巻七号、一九

八一年七月。

(10)『お伽草子事典』(徳田和夫編、東京堂出版、二〇〇二年、「木

幡狐」項(伊藤慎吾執筆))によると、成立時期には「室町中期

頃か」とあるが根拠は不明。岡見弘道氏は、氏の紹介する奈良絵

本について「江戸時代初期あるいはそれ以前のものと推定される」

と述べる(岡見弘道「異本『こはたきつね』解題翻刻紹介」『大

阪成蹊女子短期大学研究紀要』第三四号、一九九七年三月)。また、

ローマ東洋美術館蔵本については、「本絵巻の制作年代の下限が、

少なくとも一六七四年以前である」「やはり室町時代最末期、十

六世紀を下らぬ時期を推定することができるのではないだろう

Page 18: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

― 56 ―

お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

か」と述べられる(佐伯英里子「新出の『木幡狐』について」『美

術史学』第一三号、一九九一年三月)。

(11)荒木良雄校注『大石寺本曽我物語』白帝社、一九六一年。

(12)徳江元正『室町芸能史論攷』三弥井書店、一九八四年、三五

八頁。初出『文学』四四―九、一九七六年九月。

(13)引用は前掲書(注7)四六~四八頁。初出も同様。

(14)前掲書(注7)参照、六九~一三一頁。初出『室町文学纂集』

第二輯、三弥井書店、一九九〇年。

(15)前掲書(注7)参照、五〇~五一頁。初出も同様。

(16)この二箇所の引用については『日本古典文学大系』頭注をは

じめ、複数の先行研究で既に指摘されている。

(17)黒川本のみ、「行く水に数かく」という表現がない。黒川本で

は、後述するきしゅ御前が木幡の里に帰る際に詠んだ「思ひ出づ

る」歌も欠落している。

(18)「行く水に」歌は『木幡狐』の背景に『難儀注』があることを

ふまえると『伊勢物語』や勢語注からの影響と思しい。しかし、

古注釈との関係を考えたとき、この歌が『古今集』にあることに

も注意したい。「行く水に」歌の古注釈については後述する。

(19)「花に飽かぬ」歌は『新古今集』(巻二・春下・一〇五・業平)

にもみられるが、『難儀注』が『木幡狐』の背景にあることを鑑

みれば、ここは『伊勢物語』や勢語注の影響と考えてよいだろう。

(20)田川沙夕里「御伽草子『木幡狐』考―きしゅ御前�

恋愛に生き

たヒロイン―」『梅花児童文学』一六、二〇〇八年六月。

(21)人間文化研究機構国文学研究資料館編『中世古今和歌集注釈

の世界―毘沙門堂本古今集注をひもとく』勉誠出版、二〇一八年。

同様の記述は『三流抄』にも見られる。

(22)京都大学国語国文学研究室編『古今集註�

京都大学蔵�

京都大

学国語国文資料叢書四八』臨川書店、一九八四年。

(23)石川透「室町時代物語における『古今和歌集』享受」(徳江元

正編『室町文学纂集�

第二輯�

伊勢物語註』三弥井書店、一九九〇年、

二八九頁)。

(24)徳江元正「玉津島にての法楽の舞�

業平と狐の怪婚譚」『能楽

タイムズ』第四〇二号、一九八五年九月。徳江氏はこの論文にお

いて、先に述べた荒木良雄氏が『大石寺本曽我物語』頭注にて『木

幡狐』に触れたことを指摘するのみで、『木幡狐』の中将・きしゅ

御前については一言も触れない。しかし、この論文以前に出版さ

れた前掲書(注12)の「あとがき」(六五七~六五八頁)において、

   

� 

御伽草子のきしゅ御前と三条の宰相とは玉津島明神と在原

業平とに置き換えてみることが可能になる。玉津島明神が白

狐に化身するとの所説が和歌の秘事として相伝されていた事

実があり、斯くして、玉(

津明神―小野小町―衣通姫という系

譜の同一線上に、白狐を加え得るかと思うのである。

 

と述べる。本稿で述べてきたように、きしゅ御前に重ねられてい

るのは玉津嶋明神ではなく小町であると稿者は考えるため、徳江

氏の論とは距離がある。

(25)https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100139520/

 

宮内庁書陵部図書寮文庫所蔵本。新日本古典籍総合データベース。

書誌ID:100139520

。享保三(一七一八)年写の奥書を持つ。『国

書総目録』(補訂版第三巻、一九九〇年、岩波書店)によると、

神宮文庫(万治元(一六五八)年写)東北大学狩野文庫(嘉永六

(一八五三)年写)、尊経閣文庫にそれぞれ写本があることが確認

されている。

Page 19: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

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お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

(26)石川透「『玉造物語』翻刻・校異・解題(上)」『斯道文庫論集』

二五、一九九一年三月。石川氏は『お伽草子事典』「玉造物語」

項にて、写本が写された近世前期以前の成立とし「、お伽草子と

して扱うべきか、今後も検討の要がある。」と述べる。

(27)片桐洋一『中世古今集注釈書解題』二、赤尾照文堂、一九七

三年。

(28)片桐洋一『伊勢物語の研究〔資料篇〕』明治書院、一九六九年。

(29)お伽草子『鉢かづき』『岩屋の草子』『恋塚物語』『短冊の縁』

などの姫君は一六歳。

(30)「楊貴妃・李夫人・小野小町にも劣らない」という表現はお伽

草子『かざしの姫君』にも見られる。「楊貴妃・李夫人にも劣ら

ない」とするものには『横笛草紙』『鉢かづき』『俵藤太物語』が

あり、小町の代わりに衣通姫を挙げるものには『小町草紙』『小

男の草子』がある。

(31)狐が人間に変化する年齢について『抱朴子』は「五百歳」(対

俗巻三)、『捜神記』は「千歳」(巻一二)、『倭名類聚抄』は「百歳」

と述べる。また、お伽草子『玉藻前』では八〇〇歳の狐が人間に

変化している。

(32)稲荷明神の神使には「阿小町」という狐がいる(『稲荷大明神

流記』所収「命婦事」)。この「阿小町」の名は『新猿楽記』にも

見え、男女の仲を取り持つという性愛にまつわる神として信仰さ

れていた。後述する小野小町と狐の結びつきに関連すると考えら

れる。

(33)『いなり妻の草子』の白狐は稲荷明神の神使であり、稲荷明神

の命令によって男(平次良)の妻となる。それにより平次良は富

み栄え、往生して二世安楽の身となった。きしゅ御前は神使その

ものではなく、あくまで神使の娘であって、『いなり妻の草子』

のような神使として登場する狐とは距離がある。

(34)「戒行」とは、戒律を守り正しい行いをすることをいう。

 『鴉鷺合戦物語』に「此君さきの世に、いかなる戒行を修してか。

みめかたちの妙なるのみならす、能智まて、たくひなかるらんと

て。」とあるように、前世の戒行によって優れたものに生まれる

ことが一般的である。よって、きしゅ御前が「戒行」によって「か

やうの身」(畜生)に生まれたとするのは不審。しかし、該当箇

所に関して諸本に異同はない。『沙石集』巻七ノ十「祈請して母

の生所を知る事」には「かの先世の親共、痴愛の因縁に依りて畜

類の身を受けて、今食物となれる」とあり、畜生の身に生まれる

原因は悪行である。謡曲『蝉丸』に「盲目の身と生まるる事、前

世の戒行拙き故なり」とあるように、戒行の拙さによって畜生の

身に生まれたということか。

(35)大坪俊介「御伽草子『木幡狐』諸伝本における巻末部の問題

―徳江元正氏蔵本を中心に―」『国文学踏査』)二一、二〇〇九年

三月。

(36)生駒哲郎「畜生道の衆生」『畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史�

因果応報と悪道』吉川弘文館、二〇一八年。

(37)中村一晴「古代史上の狐信仰―動物が神使となるまで―」『朱』

第六二号、二〇一九年三月。

(38)中島和歌子「平安時代の狐―類書、幼学書、家宝「子狐」、け

なげさ他―」『朱』五二、二〇〇九年三月。

(39)市古貞次『中世小説の研究』東京大学出版会、一九五五年、

一一三頁。

(40)書陵部本『和歌知顕集』、『伊勢物語髄脳』、『伊勢物語難儀注』

Page 20: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

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お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

にみられる。

(41)調査の範囲では、上記以外に小町が登場するお伽草子、謡曲、

狂言は八作品ある。業平と共に登場するものにはお伽草子『小町

業平歌問答』『玉造物語』、狂言『業平餅』がある。『小町業平歌

問答』は和歌の贈答を繰り返すもので、小町が零落した姿で描か

れることはない。『玉造物語』でも小町と業平が歌を交わす。そ

の時小町は落ちぶれていないので、業平が救うことはない。『業

平餅』でも小町が零落した姿は描かれない。業平以外と語られる

ものには謡曲『草子洗小町』『通小町』『卒都婆小町』、お伽草子『小

町歌あらそひ』『玉だすき』がある。『草子洗小町』の小町は零落

していない。『通小町』は僧(ワキ)によって小町(ツレ)が仏

道に向かう。『卒都婆小町』『小町歌あらそひ』は教化しようとす

る僧をやり込めようとする小町が描かれており、単純に僧によっ

て救済される存在とは言えない。しかし、全体としては僧との対

話によって仏道に向かっている『。玉だすき』は小町単体で仏の

化身とされる。

(42)黒川本、岡見本ではきしゅ御前が往生をとげることが明記さ

れる。

(43)岡見本では中将と出会う前の場面に「ぢんくわうてうろゆめ

まほろし」とあるが、「でんくわうてうろゆめまほろし」の誤り

であると考えられる。

(44)『お伽草子事典』(徳田和夫編、東京堂出版、二〇〇二年)「女

訓書」項(美濃部重克執筆)には「中世の女訓書には、王朝物語

との関わり方から、二様の在り方を認めることができる。ひとつ

は、王朝物語のうちに留まる在り方、いまひとつは、その外側に

身を置く在り方である。女訓書において、前者は伝阿仏尼作の『庭

のをしへ』に、後者は『女訓抄』に反映されている。」とある。

(45)塙保己一編『群書類従』第二七輯巻第四七七、続群書類従完

成会、一九九一年。

(46)『日本古典文学大辞典』四、岩波書店、一九八四年、「庭のを

しへ」項(伊藤敬執筆)。

(47)美濃部重克「テキスト・祭り�

そして女訓―お伽草子の論」『国

語と国文学』六九―五、一九九二年五月。

(48)久保田淳「御伽草子の和歌」(市古貞次他編『鑑賞日本古典文

学�

第二六巻�

御伽草子仮名草子』角川書店、一九七六年)。

(49)恋田知子『仏と女の室町―物語草子論―』笠間書院、二〇〇

八年、二一頁。初出『国文学�

解釈と教材の研究』第四八巻一一号、

二〇〇三年九月。

(50)桑田忠親『大名と御伽衆』青磁社、一九四二年。

(51)引用は前掲書(注39)による。一二頁。

(52)徳田和夫『お伽草子の研究』三弥井書店、一九八八年、第一

篇第四章。松本隆信『中世における本地物の研究』汲古書院、一

九九六年、序説。

(53)石川透『奈良絵本・絵巻の生成』三弥井書店、二〇〇三年、

第一編第一章、一三頁。初出『三田評論』九九九号、一九九八年

二月。

(54)朝倉治彦監修『近世出版広告集成』一、ゆまに書房、一九八

三年、三三一頁。

(55)引用は前掲書(注54)による。三五五頁。

(56)『和俗童子訓』は宝永七(一七一〇)年、『女大学宝箱』は享

保(一七一六~一七三六)年間、『女今川』は貞享四(一六八七)

年に初刊。

Page 21: Osaka University Knowledge Archive : OUKA―43― お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野) 拠っているという。入れるという話であり、お伽草子『青葉の笛』もこの説話に教訓抄』、『神道集』の説話は、業平が鬼から青葉の笛を手に訪大明神五月会事」周辺の説話があったことを指摘する。

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お伽草子『木幡狐』と古注釈―業平・小町の伝承世界―(大野)

(57)仮名草子の女訓物では、「儒仏一致ないし儒仏神三教一致思想」

を支えとするものに『女仁義物語』等が挙げられる(青山忠一『仮

名草子女訓文芸の研究』桜楓社、一九八二年、(初出『早稲田大

学国文学会』三八、一九六八年九月))。『女郎花物語』の写本(文

禄慶長頃)から版本(万治四年)への編集に際し、『十訓抄』を

典拠とする説話・教訓が激減する理由は「教訓の思想的内容すな

わち写本の教訓が仏教的であり、版本のそれが儒学的なものであ

ること」とされる(渡辺守邦「『女郎花物語』考―写本における

典拠と女訓など―」(『仮名草子の基底』勉誠社、一九八六年、初

出『大妻国文』二、一九七一年三月))。

(おおの・はるな�岐阜県立瑞浪高等学校教諭)