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Philosophy as Adventures of Ideas Week18 笠間 稲田の 親鸞 (in Japanese) Kazuyoshi KAMIYAMA 2016/11/01

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Philosophy as Adventures of Ideas

Week18

笠間稲田の親鸞(in Japanese)

Kazuyoshi KAMIYAMA 2016/11/01

SHINRAN (1173–1262)

Born in Kyoto

Buddhist teacher recognized as the founder of the Jōdo Shinshū

(True Pure Land School), which advocates that faith, recitation of the

name of the buddha Amida (Amitabha), and birth in the paradise of

the Pure Land. For centuries Jōdo Shinshū has been one of the

largest schools of Buddhism in Japan. (Britannica.com)

During his lifetime Shinran was not a prominent figure, he is now

recognized as one of the most profound thinkers in the history of

Japanese thought.

Shinran Shonin(1173-1262)(1173-1262)

親鸞(1173-1262)

法然(1133-1212、浄土宗開祖)の高弟

9歳で出家、29歳まで比叡山で修行。さとりを求めて、

京都六角堂参籠、救世観音の夢告。比叡山を降りて、

法然門下となる。妻帯

承元の法難(承元元年1207)旧仏教側からの弾圧:越後へ流刑(法然は土佐)

1212頃ー32頃:関東(笠間稲田の草庵)

布教のかたわら、主著『教行信証』を執筆

1232-62:京都

三帖和讃(浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃)

エピソード1 枕石寺(ちんせきじ)「出家とその弟子」(倉田百三)

日野左衛門尉頼秋という武士の家に、1212(建暦2)年の雪の夜、親鸞

聖人が訪ねてこられた。一夜の宿を請う聖人を頼秋は、「仏道を修する

者が雪や寒さを苦にして安楽に宿をとるとは何事か」と追い出してしまう。

その夜、守り本尊の夢告により外に出た頼秋は、石を枕に念仏を称える

聖人の姿に改心し、聖人の教えを受けて帰依した。頼秋は入西と名のり、

邸宅を寺として「枕石寺」ができた。

エピソード2 弁円板敷山で待ち伏せ

弁円は、修験道をする山伏で、関東では一大勢力を誇っていました。

ところが親鸞聖人が布教を開始されるや、弁円の信者が次々と聖人

の教えを聞くようになっていきました。

弁円は、聖人を恨み、呪いの祈祷をしたり、山で待ち伏せして殺そう

としました。

あげくのはてに聖人の館まで剣をかざして乗り込んだのです。

親鸞聖人は、数珠一連で弁円を出迎えられました。

その尊いお姿を拝見した弁円は、たちまちに害心は失せ、その場にひ

れ伏してしまいました。

己の誤りを知らされた弁円は、その場で聖人に弟子入りを懇願し、明法

房と生まれ変わったのでありました。

数年後、明法房は、かつて聖人を亡き者にしようとした山を通った時に

次の歌を残しました。

山も山 道も昔に かわらねど 変わり果てたる わが心かな

鏡の御影

エピソード3 一休、親鸞を詠む

襟巻の暖かそうな黒坊主

此奴が法は天下一なり

寛正二年(1461)本願寺で営まれた

親鸞の二百回忌法要に参じた一休が、

そのおり詠んだとされる歌

一休宗純(1394-1481)“破戒禅”

室町時代、臨済宗大徳寺派の禅僧

応永27年(1420)のある夜、

カラスの鳴き声を聞いて俄かに大悟する

歌集「狂雲集」:盲目の女性「森侍者」(しんじしゃ)

臨終のことば:「死にとむない」

門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな

仏法はなべのさかやき石の髭 絵にかく竹のともずれの声

死にてのちいかなるものとなりぬらん めし酒だんご茶とぞなりぬる

女をば 法の御蔵と 云うぞ 実に釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

「諸悪莫作(しょあくまくさ)」

「衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」

一休書

エピソード4 ハイデガー (「存在と時間」1927)歎異抄を読む

「今日、英訳(『歎異抄』)を通じて、初めて東洋の聖者親鸞を

知った。もし、十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあった

ことを知ったなら、私はギリシャ語や、ラテン語の勉強もしなか

った。日本語を学び、親鸞の教えを聞いて世界中に広めること

を生き甲斐にしたであろう。だが、おそかった。

自分の側には、日本の哲学者や思想家が30名近くも留学して

いたが、誰一人日本にこんな偉大な人がいたことを聞かせてく

れなかった。日本の人たちは何をしているのだろう。

日本は戦に負けて、今後文化国家として世界文化に貢献する

と言っているが、私をして言わしむれば、立派な建物も美術品

もいらない。何もいらないから、親鸞の教えを世界に宣伝して

いただきたい。商売人、観光人、政治家であっても、日本人

にふれたら、何かそこに深い教えがあるという匂いのある

人間になって欲しい。そうしたら世界の人々がこの親鸞の教

えの存在を知り、それぞれにその教えをわがものとするであ

ろう」

鎌倉仏教:自力門と他力門

民衆の仏教へ

自力門:禅宗(臨済宗(栄西),曹洞宗(道元『正法眼蔵』)

他力門:浄土宗(法然『選択本願念仏集』),浄土真宗(親鸞),

時宗(一遍:踊り念仏)

親鸞

龍樹 (空の思想)、天親(インド)、

→ 曇鸞、道綽、善導(中国)

→ 源信、法然(日本)

の7人(七高僧)の教えを継承・発展

根本教典:浄土三部教(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)

基本的思想

(1)他力本願

(2)悪人正機

(3)現世往生(現生正定聚)

阿弥陀仏

「阿弥陀」はサンスクリットの

「アミターユス(amitaayus)」=「無限の寿命をもつもの」、

「アミターバ(amitaabha)」=「無限の光をもつもの」

の音写

無量寿経

阿弥陀仏(Amida Buddha, Amida Nyorai)は『無量寿経』で

次のように説かれている。

過去、久遠劫(くおんごう)のとき世自在王と名づくる仏があった。そのころ一人の国王が仏の話を聞いて無上の道意をもよおし、比丘(びく、仏教に帰依して出家入道した男子)となって法蔵と称した。

法蔵比丘は世自在王仏によって、もろもろの行を摂取し

四十八の大願を発したが、その第十八願に

「もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生(しゅじょう)、至心に信楽(しんぎょう)して、わが国に生ぜんと欲し、ないし十念せんに、もし生ぜずんば正覚(しょうがく)をとらじ」

とあった。しかるに、今、この大願はすでに成就し、この比

丘は仏となって西方の仏国土におられる。この仏こそ、阿

弥陀仏である。

(http://www.worldtimes.co.jp/special/mida/md000423.htm)

他力本願 (ABSOLUTELY OTHER-POWER)

第18番目の願い(本願 the Great Vow of Amida Butsu)

「私を信じて、私の作った仏国土に生まれたいと思って、私の名前を呼んだものは、すべて人を私の国土に生まれさせて、私の指導によって、ゆるぎない幸せな「仏陀」にさせよう」

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏:「わたくしは阿弥陀仏に帰依します」

と唱えることにより人は救われる

信心を含めすべては阿弥陀仏の働き(他力本願)

悪人正機(THE SALVATION OF EVIL PEOPLE)

善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや

しかるを世の人つねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。

この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。

そのゆゑは、自力作善の人(善人)は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれら(悪人)は、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。

(「歎異抄」第3章)

THE SALVATION OF EVIL PEOPLE

'It is evil people who are the major object of salvation

based on the Vow of Amida Nyorai.‘

(Honen also developed the theory by

remarking, ''I intend to preach the very best law

for the sake of the most evil, wicked people.”)

現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)救いは現世において起こる

現生正定聚

現在の生存の生存において浄土往生が正しく確定した仲間

(救いは現世において起こる)

回向(えこう)

自分の修めた功徳(くどく)を他にも差し向け、

自他ともに悟りを得るための助けとすること

往相回向と還相回向(げんそうえこう)(OUTGOING EKO, RETURNING EKO)

「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。

一つには往相、二つには還相なり」(教行信証 )

「回向に二種の相がある。一つには往相、二つには還相である。

往相というのは、自分の修めた功徳をもってすべての人に施し、願をお

こして共々に、彼の阿弥陀如来の安楽浄土に生まれようと願うことである。

還相とは、かの浄土に生まれた後に、作願・観察の自利が成就し、利他の

方便力を成就することを得て迷いの世界にあらわれ、すべての衆生の苦し

みを済度して仏道に向かわせることである。

往相であっても、還相であっても、みな衆生の苦しみを除いて迷いを渡らせ

るためである。」

(曇鸞『往生論註』巻下)

(http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/02_05_30.html)

この世

「南無阿弥陀仏」(悟り)

→現生正定聚(往生決定)

→大衆を救う:往相

→往生(死)

→再びこの世に生まれる

→大衆を救う:還相

自然法爾(じねんほうに):親鸞最晩年の思想

「自然」といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはから

ひ(自力による思慮分別)にあらず、「然」といふは、しからし

むといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからい

にあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。「法

爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからし

むるを法爾といふなり。

法爾はこの御ちかひなりけるゆえに、およそ行者のはから

ひのなきをもつて、この法の徳のゆゑにしからしむといふな

り。すべて、ひとのはじめて(あらためて)はからはざるなり。

このゆゑに、義なきを義としるべしとなり。

メタファーとしての阿弥陀仏AMIDA BUDDHA AS A METAPHOR

阿弥陀仏は実在者?

必ずしもそのように考えなくてよい

「彼(曇鸞)は若いとき龍樹の「般若」つまり「空」の考え方を学んだ。真

実なるものは,あるとかないとか,是とか非とか,敵とか味方とか,そう

いう人間的な分別を離れたものが真実の,ありのままの現実のあり方

である。人はそのいづれかに固定して考えようとするけれども,本来あ

りのままの現実は,人の思いを超えたものであり,とらわれのないもの

である。そういう考え方に根ざしている般若の考え方をもって,曇鸞は経

典に向かいました。非常にとらわれのない考えを用いられたわけです。

親鸞が曇鸞から学んだのは,浄土とか仏とかを,固定的な実体あるも

のとは考えないという自由な考え方でした」

(坂東性純「親鸞和讃ー信心をうたう」NHKライブラリー、p.225)

次は親鸞の和讃

十方微塵世界の念仏の衆生をみそなわし摂取してすてざれば阿弥陀となづけたてまつる

坂東氏によれば,摂取不捨がさきにあり,阿弥陀が後にくる点がポイント。

「苦しみ悩んでいた人が,教えを聞いて道理にうなづき,苦しみ悩みがおさまる,救われる。その宗教体験の尽きぬ味わいのゆえに「阿弥陀」と名づけるという。これが阿弥陀さまの言葉の定義なのです」

「人が根本的に救われるのは,道理にうなずいたときです。人が人を救うのではなく,道理が,法が,人を救うのです」(上掲書、p.143)

この道理,法の名前が阿弥陀仏ということになる。

(親鸞自身直接そのように述べていたと思うが)

阿弥陀仏はメタファー(暗喩)なのだ、と理解することができる。

何のメタファー?

赤の他人であるはずの人(たとえば私)のことを顧慮してくれる人がこれまで

無数いたし、現在もいるし、未来永劫いるだろう、という事実をあらわすメタフ

ァー。言い換えれば、自分のことではなく他人の救いに心を砕く心の伝統(仏

教!)をあらわすメタファー。そして、この世で最も尊いのはこの心の伝統な

のだ、と語るメタファー。

(See 信楽峻麿『親鸞とその思想』(法蔵館刊))

MEMO メタファー(METAPHOR)

ものを文字どおりに示すのではなく類似点をあげて連想させる比喩表現

隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)ともいい、比喩(figure of speech)の一種であ

りながら、比喩であることを明示する形式ではないもの

のび太はカナヅチだよ

He has a heart of gold.

Her home was a prison.

You are my sunshine.

America is a melting pot.

親鸞和讃から

浄土真宗に帰すれども

真実の心はありがたし

虚仮不実のわが身にて

清浄の心もさらになし

無慚無愧のこの身にて

まことのこころはなけれども

弥陀の回向の御名なれば

功徳は十方にみちたまう

親鸞と常陸奥郡

1212頃ー32頃:関東(笠間稲田の草庵)

「常陸奥郡」(那珂川・久慈川に沿った山間

地帯の総称)を中心に布教

主著『教行信証』を執筆

歎異抄

親鸞(1173~1262)の教えた真実信心に異なっていることを歎き、親鸞の

教えに帰ることを呼びかける書物である。

本書には作者名が記されていないために、古くから作者について推測され

てきたが、最近では本文中に名前の出る唯円(ゆいえん)であることが、定

説となっている。

唯円は関東の河和田(現在の茨城県水戸市)の人で、親鸞から直接に教

えを受けた門弟の一人である。

歎異抄第二条関東の門徒、上洛

皆さんが、十幾つもの国々をこえ、命がけで私をたずねてきたその目的は、ただ極楽に生まれてゆく道 を問いただしたいという、ただその一事のためでしょう。

ところで、わたくし親鸞が念仏以外に、往生の道を知っているのではないかとか、あるいは往生に関する特別な教説などを知っているのではないか、と思っているのでしたら、それは大きな誤解です。もしそういうことを聞きたいのならば、南都(奈良の興福寺などの諸大寺)や、北嶺(比叡山延暦寺)には、すぐれた学者がたくさんいますから、その人々にでもお会いになり、往生についての要点を十分にお聞きになるのがよろしいでしょう。

この親鸞は、ただひとすじに念仏して、阿弥陀仏にたすけていただこうと、よき人、法然聖人のお言葉をいただいて信じているだけで、そのほかに特別のわけなどありません。

念仏が地獄におちる道だと、いいおどす人々がいるとのことですが、念仏がほんとうに浄土に通じる道(因)であるのか、それとも地獄におちる道(因)であるのか、私は一切知りません。たとえ法然上人にだまされて、念仏して地獄におちたとしても、わたしは決して後悔はいたしません。それというのも、ほかの修行をしていたら仏になれたはずの身が、念仏を申したばかりに地獄におちたとでもいうのならば、だまされた、という後悔もありましょうが、どんな修行にもたえられないこの私ですから、結局、地獄こそ定まれる住み家であるといわねばなりません。

しかし、このような愚悪の身を救おうという阿弥陀如来のご本願がまことであるならば、その本願を伝えるためにこの世に出現されたお釈迦様の説教がいつわりであるはずがありません。お釈迦様の説教がまことならば、その仏説に随順して本願念仏のこころをあらわされた善導大師のご解釈にうそいつわりのあるはずがありません。善導大師のご解釈がまことならば、法然上人の念仏往生のみ教えが、どうしてうそいつわりでありえましょう。法然上人の仰せがまことならば、その教えのままを信じているこの親鸞の申すことも、決してうそいつわりではありますまい。

結局のところ私の信心は、この通りです。このうえは、念仏の教えを素直に信じるか、それともお捨てになるかは、皆さん各自のお心のままになさるがよろしい、と仰せられました。

(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/4022/tanni/01.html)

APPENDIX

法然(1133-1212)

善導(613-681)

法然は中国の善導(613-681)を読んで独自の浄土思想に目覚めた

とされる。

善導は「無量寿経」(大経)の中の第18願について、重要な書き換え

(明確化、解釈)を行っている。

「善導独り仏の正意を明かせり」(親鸞)

善導独り仏の正意を明かせり

無量寿経では法蔵菩薩(後に成仏し阿弥陀仏となる)の48の願のうちの第18願はもともとつぎのようであった。

「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我国 乃至十念 若不生者不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」

(たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚 を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。

私が仏になるとき、あらゆる人たちが、私の至心をよりどころに、往生まちがいないという思いから、ただ念仏を申す身となるように育てます。それでも私の国に生まれることが出来ないようなら、私はさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の正しいみ教えを謗ったりする人だけは除きます。

善導は、このうち「至心信楽 欲生我国」と「唯除」以下を削除、

「称我名号」を加えて、

「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」

<私が仏になるとき、私の名前を唱えるにもかかわらず私の国に生

まれることが出来ない人がひとりでもいたならば、私はさとりを開きま

せん>

とした。これが今日見る第18願。

法然はここに注目し、専修念仏の教えを開いた。

一枚起請文死の2日前弟子源智(平帥盛の遺児)に与えたもの

私がすすめている念仏は、

中国や日本で、

昔から多くの智者たちによって論議されているような、

仏のみすがたや浄土のありさまを心のうちに思いうかべ、

往生の手だてとする念仏でもなければ、

学問をして念仏とは何ぞやという意味を悟り、

初めてとなえる念仏でもない。

ただ極楽浄土に往生するためには、口に南無阿弥陀仏ととなえるほかには道はないのだと、阿弥陀仏の慈悲を信じ、疑いの心をおこすことなく、おすがりするほかには、何一つとして方法はない。素直な心(至誠心)で、身を仏にまかせて(深心)、脇目もふることなく、浄土に往生させてほしいと願う心(廻向発願心)も、敬虔(けいけん)な態度で(恭敬修)、雑念をまじえず(無間修)、ただひたすらたえることなく(無間修)、長くつとめる(長時修)のも、みな南無阿弥陀仏と申して往生したいと思う心の中に、含まれている。要は念仏を申すことである。

もし、このほかに奥深いことを承知しているにもかかわらず、いわないならば、そのような自分こそは念仏を軽んじ、仏意を曲げることにもなり、釈尊や阿弥陀仏の思いやりの心にそむき、本願の救いからもれ、地獄におちてしまうであろう。

念仏を信じ、浄土に往生したいと願う人は、今までたとえ仏教のすべてを学んだ人であっても、自らを何も知らない愚かな者であると自覚し、ひたすら阿弥陀仏の慈悲を信じて念仏せよ。決して智者であるかのような高慢な心をおこしてはならない。

(http://www15.ocn.ne.jp/~satori/memo/memo11.html)

平家物語と法然教団

平家物語全編に色濃く影を落とす無常観は、法然浄土教の哲理

に深く根ざしている。

物語の謎の作者群はことごとく法然ゆかりの人々であり、そして登場人物

は実際に次々に法然門下となっていく。

(http://www.jodo.or.jp/heike/4heike/1.html)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。・・・

式子内親王(しきしないしんのう1149-1201)

後白河天皇(頼朝「天下一の大天狗」)の第3皇女

賀茂の斎院を病気で退下するまで10年間つとめる

新古今時代の代表的な女流歌人

玉の緒よ 絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする

<正如房へつかわす御文>

同じ仏の国にまいりあひて、蓮のうえにてこの世のいぶ

せさも、ともに過去の因縁をもかたり、たがひに、未来の

化導をたすけむ事こそ、返す返すも詮にて候べきと、は

じめより申しおき候しが……

石丸晶子「式子内親王伝ー面影びとは法然」

(朝日新聞社)

浄土真宗

親鸞:法然の弟子として死去

孫の覚恵:浄土真宗教団をつくる(本願寺)

(親鸞ー如信ー)覚如ー・・・

ー 蓮如(8代):本願寺中興の祖

石山本願寺、一向一揆

ー 顕如:対信長戦争

ー 西本願寺、東本願寺に分かれる(江戸時代)

笠間西念寺:浄土真宗別格本山

恵信尼消息

明治の終わり頃、親鸞についての客観的記述が本願寺宗門以外にみ

られないことを理由に、「親鸞」は実在せず,本願寺によるフィクションで

はないかという議論がなされたことがあった。

これを最終的にくつがえしたのが、親鸞の妻、恵信尼の手紙の発見で

ある。鷲尾教導という学者が京都,西本願寺の宝庫を整理中に、親鸞

の死後,越後にいた恵信尼が京都の末娘覚信尼にあてて書き送った8

通の手紙を発見した。

善鸞義絶

善鸞は親鸞の長男(あるいは次男)で、親鸞帰洛後の東国信徒の動揺

(造悪無碍(ぞうあくむげ)ー阿弥陀仏の本願を頼りに悪事をほしいままに

なすことーの拡大、門徒間の勢力争い)を鎮めるために、東国に派遣され

た。

しかし、父親鸞から夜中ひそかに特別な法門を伝授されたと称したこと

(秘事法門)などによってかえって信徒の動揺を拡大、親鸞(84歳)により

義絶された。

「善鸞は自分一人が父から直々に秘密の法門を授かっている

こと,それが唯一絶対の他力門で,まさに他力の中の他力であ

ること,従来の道場主が説く念仏の宗旨は己の秘伝にくらべれ

ばまことに「しぼめる花」にすぎないこと」

などと説いたとされる

(唐木順三「親鸞の一通の手紙」)

如信(1235-1300)

親鸞の孫(善鸞の子)

陸奥国の大網(現、福島県石川郡古殿町)に草庵(後の願入寺)で布教

常陸国上金沢の草庵(現、茨城県大子町上金沢、法龍寺)にて死去

法龍寺(大子町上金沢)

願入寺(大洗)