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白檀とチーズは,天竺の香り?~1400年前の世界と日本~
大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎 笹川裕史
日本史とのつながりで授業をおもしろく! “舶来品”からいざなう世界史
本稿は,香木および乳製品と日本とのかかわりを切り口とした,古代東アジア世界の学習に挿入する授業案(1時間)である。ここまで先史時代や東アジア文明の成立をタテに追いかけてきた生徒に,世界史のさまざまなつながりに気づかせ,あらためて興味関心を喚起することをねらう。授業は,生徒への発問を軸に組み立てた。
《導入》メシア(キリスト)の本来の意味は? メシアとは「油を塗られた者」の意味である。古代イスラエルでは,祭司や王の就任に際して,香料を混ぜた油(香油)を塗る習慣があった。 香料の歴史は古代インドにさかのぼる。煙からにおいを楽しむ焚
ふん
香料,油脂や脂肪分をはだに塗る化粧料,飲食物に加えて食欲を高める香辛料など,その種類や用途は時代や地域で異なったが,西は液体,東は固体を中心に香料文化は発達した。 オリエントの香油は地中海世界に伝わり,中世ヨーロッパでは香料の原料を蒸留して精油をつくった。またハーブも蒸留し医療に使うようになった。アロマテラピーである。こういった文化を基盤に18~19世紀にフランスを中心に香水が誕生する。 西方では,液体でない香料(没
もつ
薬やく
と乳香)も使われていた。殺菌作用のある没薬は鎮痛薬としても使用されたが,古代エジプトでは遺体の防腐処理に用いられた。ミイラの語源は没薬(ミルラ)だという説もある。また乳香は「マリアの涙」と
はじめに1
香木と日本とのかかわり2
もよばれ,今も教会では祈りの際にたかれている。
《展開》「栴せん
檀だん
は双葉より芳し」の意味を問う。 栴檀は,芽を出した頃からよい香りがある。すぐれた人物は幼少期から人なみはずれてすぐれたところがあるというたとえである。さて,ここでいう栴檀とは,白檀の中国名で,東アジアで好まれた香木である。原産地はインドだが,インドネシアやオーストラリアなどでも産出する。ひかえめな甘さをふくんだやさしい香りが生まれるまで50年以上かかるという。白檀は加熱しなくても芳香を放つので仏像や仏具,扇子の骨や小箱などの材料とされてきた。また線香の原料としては白檀が最も一般的である。
沈じん
香こう
という香木がある。「沈」という文字が使われている理由は? 沈香とは,ベトナム・タイ・インドネシアなど東南アジアの特定の地域に生育する樹木に傷がつき,樹木内部に入った真菌類が樹液に作用してできた芳香物質のかたまりである。これが水に沈むことから沈水香木,略して沈香とよばれた。沈香は日照・気温・湿度・土壌などの諸条件が積み重なって奇跡的に生まれる。沈香のなかでも最高の香りがする伽羅は極めて高価で,乱伐されたため,現在ではワシントン条約の希少品目に指定されている。 漢代に香料がもたらされた中国では,南北朝以降より積極的に香料が求められた。南海貿易が最も盛大であった宋~元代には,輸入品の大部分が香料・薬品となった。北宋期の朝貢貿易の記録からは,占城・三仏斉・大食が主要交易国であり,沈
- 2 -世界史のしおり 2015①
香と乳香が大量に輸入されていた。「清明上河図」には「劉家上色沈檀楝」という看板の香料店が描かれ,庶民も広く香を楽しんでいたことがわかる。
(〈図1〉を見せて)法隆寺に伝わった白檀の原木には何が刻まれているのだろうか? 約20cmの刻銘は,ササン朝時代のパフラヴィー文字で「ボーフトーイ」という人名である。原木には「ニーム=シール」(二分の一シール。シールは重さおよび貨幣の単位)というソグド文字の焼印もある。この白檀の原産地から日本への輸送には,イラン系商人がかかわっていたと推測される。 平安時代の貴族たちは,『源氏物語』にみられるように自己表現の手段として香(薫物)を用いていた。一方,武士たちも香を兜にたきしめて出陣をした。やがて武士たちは,香木そのものに執着を抱き,海外からの入手にいそしんだ。こうして公家と武家の香文化が融合し,室町時代の東山文化の頃には芸道としての香道が確立した。 東大寺正倉院には,蘭
らん
奢じゃ
待たい
とよばれる沈香(伽羅)の原木が収蔵されている(長さ156cm,重さ
11.6kg)。足利義政や織田信長など,時の権力者がこの一部を切り取ったのは有名な話である。
《導入》紀元前後の頃に最も多く摂取されていた乳製品は何か? 牛乳という答えが多いかもしれない。しかし生乳は冷蔵しなければ数日で,暑ければ数時間で腐ってしまう。また適切にパッキングしなければ運べない。これらをふまえ,保存がきき運搬にも便利なチーズを正解とする。チーズづくりに関しては紀元前3500年頃までさかのぼるなど諸説あるが,ここでは紀元前12~13世紀の有名な民話を紹介する。 「アラビアの商人が乾燥した羊の胃袋でつくった水筒に山羊乳を入れ,ラクダに乗って砂漠を横断する旅に出かけました。一日の旅を終えて水筒をあけると,中は透明な水と白いやわらかなかたまりになっていました。食べてみると,すばらしい風味でした。」 この話から,チーズの原料乳には牛乳のほかに山羊乳があることがわかる。また羊乳や馬乳からもチーズはつくられている。民話では羊の胃袋に付着していたレンネットとよばれる凝乳酵素によってチーズができているが,ほかにもさまざまな凝乳法そして熟成法がある。チーズ(乳製品)といえばヨーロッパのものというイメージが強いが,アジアを含めると,世界全体では1000種にも及ぶ種々さまざまなチーズが食されている。
乳製品と日本とのかかわり3
〈図1〉『明解 世界史A』p.22
西アジアモンゴル
インド
チーズ文化の発祥地・熟成地
インドインド
フランス西アジア
モンゴル
インド
〈図2〉チーズ文化の伝播(齊藤忠夫・堂迫俊一他編『現代チーズ学』ほかより作成)
- 3 - 世界史のしおり 2015①
《展開》日本に乳製品が入ってきた時代は「飛鳥・鎌倉・戦国・明治」のいつだろうか? 正解は飛鳥時代である。6世紀中頃に渡来した呉の国の医師が牛乳の知識を伝えたとされている。そして彼の子孫が,7世紀中頃に孝徳天皇に牛乳を献じている。乳製品の導入に朝廷は熱心に取り組み,7世紀後半には「乳の戸」という朝廷御用達の酪農家を定めるほどであった。 当時の文献には「酥
そ
(蘇)」という文字がよく出てくる。詳細は不明だが,牛乳を十分の一に加熱濃縮し,ある程度の水分を含んだものであろう。これが日本でのチーズの原型と考えられている。
鎌倉時代に乳製品が消えてしまった理由は? 平安時代,乳製品は庶民の生活とは無縁の官牧で生産され,朝廷・貴族階級の独占物となっていた。ところが朝廷権力が衰え,酥を献納する必要がなくなってくる。官牧も武士が支配するようになったが,彼らが乳製品を貴重なたんぱく質源として認識しなかったため,その需要がなくなっていった。さらに軍事面で牛よりも馬の飼育・利用を重んじた結果,酪農・乳製品の文化が断絶した。
13~14世紀にユーラシア大陸を支配したモンゴル人たちが遠征時に重用した食料は何? モンゴル兵は一人につき馬5~6頭を有して移動した。その際,彼らは,ボルツとよばれる干し肉とチーズのような保存食を携行した。栄養満点の軽食がモンゴル兵の機動力を保障したのである。
日本でチーズが大量消費されるようになった時期は「幕末の開国・鹿鳴館時代・大正デモクラシー・終戦後」のいつだろうか? 正解は終戦後である。チーズを初めとする乳製品は,明治時代に再登場した。1900年,函館のトラピスト修道院がチーズを製造・販売している。しかし日本社会全体にチーズが普及するのは,1948年に学校給食へのチーズ導入後である。栄養バランスのよいプロセスチーズは,その後,永らく日本のチーズ文化を支えることとなった。
白檀とチーズが日本に伝えられたのは,ある宗教と関連している。その宗教は? 正解は仏教である。ブッダが説法をした際には華と香りが虚空からおり,香炉がひとりでに動きまわり諸仏をたたえたという話がある。香をたくことによる功徳が強調されているのである。 仏教には乳製品に関することも多い。苦行を中断したブッダが,村娘スジャータから乳がゆを与えられ心身をいやしたという話は有名である。涅
ね
槃はん
の境地とは,乳製品の精製過程(五段階)でたとえるなら,乳→酪→生酥→熟酥の次の醍醐,すなわち最高のものにあたると記した経典もある。
仏教伝来というと,抽象的な教義だけが伝わってきたという印象を抱く生徒も多い。しかし実際は経典(文字・文具)・寺院(建築)・仏具(工芸)・儀礼(衣装)などさまざまなモノ,そして技術体系が導入されている。白檀とチーズの伝来にも,そのような背景があったことを強調しておきたい。
整理4
おわりに5
【参考文献】稲坂良弘『香と日本人』(角川文庫,2011年)松原睦『香の文化史─日本における沈香需要の歴史─』(雄山閣,2012年)山田憲太郎『香料の道』(中公新書,1977年)鴇田文三郎『チーズのきた道』(講談社学術文庫,2010年)A・ドルビー 久村典子訳『チーズの歴史 5000年の味わい豊かな物語』(ブルース・インターアクションズ,2011年)齊藤忠夫・堂迫俊一他編『現代チーズ学』(食品資材研究会,2008年)
〈図3〉『明解世界史図説エスカリエ 七訂版』巻末
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