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Shakespeare のソネット集の特異性 坂本 完春 第一章結婚への勧誘 エリザベス時代のソネット詩人達はそのほとんど全てが「時」と「美J のテーマを同時に考え9 人間の脆さ,惨さを強調した.天性の美は移ろう ものであり,人間はそれに対してどうする術もないかのようである.この テーマによれば人間の無能さが非常に意識さぜられる.そしてp 人間の有 為転変が彼等のソネット集に悲痛な意味を与えラ 「時」と「美」が常に敵 対関係で描かれる. ThyLove thatisontheunworthyplac'd TimehaththyBeauty whichwithAgewillleavethee; (I dea10) herminderemembrethhermortalitie whatsoitfayrestsha l1 toearthreturne. (Amoretti13) 時間が美を破壌し,人間に一層苛酷な苦渋を経験させ,避けられない「死」 を運命づける生死の円環現象に文学的表現を試みたのは古< Ovidにさか 3) のぼることが出来ょう. また9 エリザベス朝の時代思潮で“ plenitude というアイデアがルネッサンスに於ける人間性の伸長にともなってP エリ ザ、ペス朝人の倫理観を構成する一因子になったことも注目しておこう.人 聞は「時」の持つ二面性一豊譲な生成力と非情な破壊力ーにさいなまれな がらも,なお,現実の世界を実体として自己の支配下に捕えようとする願 いを拭いきれないでいる.したがって,彼等の無常感は,彼岸の世界〔魂

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Shakespeareのソネット集の特異性

坂本 完春

第一章結婚への勧誘

エリザベス時代のソネット詩人達はそのほとんど全てが「時」と「美J

のテーマを同時に考え9 人間の脆さ,惨さを強調した.天性の美は移ろう

ものであり,人間はそれに対してどうする術もないかのようである.この

テーマによれば人間の無能さが非常に意識さぜられる.そしてp 人間の有

為転変が彼等のソネット集に悲痛な意味を与えラ 「時」と「美」が常に敵

対関係で描かれる.

Thy Love, that is on the unworthy plac'd,

Time hath thy Beauty, which with Age will leave thee;

(Idea 10)

her minde remembreth her mortalitieヲ

what so it fayrest shal1 to earth returne.

(Amoretti 13)

時間が美を破壌し,人間に一層苛酷な苦渋を経験させ,避けられない「死」

を運命づける生死の円環現象に文学的表現を試みたのは古< Ovidにさか3)

のぼることが出来ょう. また9 エリザベス朝の時代思潮で“plenitude円

というアイデアがルネッサンスに於ける人間性の伸長にともなってP エリ

ザ、ペス朝人の倫理観を構成する一因子になったことも注目しておこう.人

聞は「時」の持つ二面性一豊譲な生成力と非情な破壊力ーにさいなまれな

がらも,なお,現実の世界を実体として自己の支配下に捕えようとする願

いを拭いきれないでいる.したがって,彼等の無常感は,彼岸の世界〔魂

160 Shakespeareのソネット集の特異性

を肉体の桂桔から解放して9 神との合ーを遂げる世界〉や生成の世界(自

己に代るものを育てようとする生殖による自己保存本能の世界〉と表裏の

関係にあり 9 その確信によって精神的な支柱が与えられ,そうあるのだと

自づからを説得していた.言葉をかえると,豊譲な実存の世界と不易の世

界に於ける安心立命を疑いながらも信じていた.エリザベス朝人は「時」

の支配を免れえないことを熟知していたので,神や永遠性に代償の世界を

求める.

古来,文学の世界で不滅のテーマとして多くの発想がなされた「時Jと

「美」との敵対関係は,英国のルネッサンス文学では独特な様相を示して

いたと見られる. P. Sidneyは Arcadiaの中で友に結婚を勧めてうたう:

o Histor, seeke within thy selfe to flourish;

Thy house by thee must live, or e1se be gone:

And then who shall the name of Histor nourish?

Riches of children passe a Princes throne;

Which touch the fathers hart with secret joy, 4)

When without shame he saith, these be mine owne.

美しいものは惨い生命なのだから, 後継者がいないと, 直ぐに滅び, 絶

えてしまうと Histor に呼びかける. これは友情からの忠告である. c.

Mar10weも同じテーマを次のご行に定着させている.

The richest corn dies, if it be not reapt; 5)

Beautya10n巴 is10st, too w耳rilykept.

簡潔な比倫に巧みに定着された好例であろう. J. Lylyもこの必要を強調

して,

Waye wyth thy seIfe what slender profite they bring to the common

wealth, what sleight pleasure to themse1ues, what greate griefe to

theire parentes which ioye most in their ofspringe, and desire moste

to町向ethe noble and b1巴蹴dname of a gramdfather:

Shakespeareのソネット集の特異性 161

と語っている.

これらの文学的表現は全て善なるもの,特に美なるものを永続さぜるた

めに意がつくされている. ところが, エリザ、ベス朝のソネット詩人達は

「時」に抗するのに,愛する婦人を偶像崇拝 (Platonismによれば,現実

の美はイデアの一つの反映にすぎない.だから,現実の女性も一つの仮象

にすぎないのに,理想化してその美を讃仰する〉的対象にしたり,詩の永

遠性をうたう一これらのテーマをもってした.一方,ソネット以外のジマ

ンルで当時の文人達は,後継者を得ることで,移ろい易い美を守ろうとし

た.けれども,ソネット詩人達は不思議にもこのテーマに関心を寄せてい

なかった. P. Sidneyも同じし ソネット詩人としてこのテーマに注意し

なかったが,上述したように Arcadiaに於いてそれを利用し, 後代の詞

華集に必らず掲載されるものにまでした. ソネット詩人の中でも E

Spenserは Amorettiで P.Sidneyとは遣った,また, エリザ、ベス時代

の他のソネット詩人達にも見られない意表に出る新しい発想を試みている。

求婚の適当な期間が過ぎれば,結婚につながるという発想である。すなわ

ち,求婚の延長線上に結婚を考える Amorettiが Epithalamionの序章

として書かれたことは周知の事実である.

E. HubIerの説を借りるならば, 後継者を遺すテーマは“pIenitude"

という時代思潮から派生したものらしい.

If a writer is deeply aware of the riches of the world, the joy of

Love, the splendor and briefness of be且uty,and the terror of obli圃

vion, he is not likely to think of the body with shyness, and h巴 wil1

find it good to hav巴 achild.

これは当時のソネット集以外の作品を解釈するのに説得力を持つ.けれど

もソネット集にこれが用いられていないことに問題は残るであろう.

Shak巴sp巴areのソネットを除いて.すなわち,ソネットの世界は結婚によ

って後継者を遣すというテーマとは相容れない性質らしいことが理解出来

162 Shakespeareのソネット集の特異性

る. P. Sidneyの奇妙な使い方一結婚を勧誘するテーマを Arcadiaで使い

ながら Astropheland Stellaで使っていない一ーにも明白であるが,ソネッ

ト詩人達がテーマとして関心を寄せなかった理出としては, ソネットに発

想される愛の本質と結婚とはほとんど関係がないと考えた点にあるのでは

なかろうか.ソネット文学では Petrarca以来, 婦人のつれなさをテーマ

のーっとする伝統がある.これは troubadourの芳情詩に見られるテーマ

でもあった. というのは,西欧の行情詩のほとんど全ての源がこの吟遊詩

人達の行情詩に発見されるからである.そして9 宮庭風恋愛の結婚観〈後章

で詳述するが,結婚と恋愛は両立しない〉が最も完全な形で保存されてい

るのはエリザ、ベス朝のソネット集であろう.確かに9 エザザ、ベス朝のソネ

ット集が,美を保存するため結婚を勧めるテーマを使わなかったのは9 彼

等の愛が宮庭風恋愛の愛の作法に従ったものだから,その必要はなかった.

Shakespeare のソネット集冒頭の十七篇は明らかに「時」に示す re国

sistanceであって,友人の「美」を永遠化しようとする試みである.友人

は,Arcadiaの Historと同じ役割が与えられている.世界に「美」の典

型を遣す義務が Mr.W. H.という友人にある,それを果さなければ,美

の終需が直ちに来ると Shakespeareeは説得する.

Looke what an unthrift in the world doth spend

Shifts but his place, for sti1l the world inioyes it

But beauties waste hath in the world an end,

And kept unvsde the vser so destroyes it.

(Sonnet 9)

Shakespeareは友人の家庭の利害関係から結婚を勧めていZのでなく,

友人の「美」が「時」や「死」の餌食にならないように結婚を勧めている B

THose howers that with gentle worke did frame,

The louely gaze where euery eye doth dwel1

Will play the tirants to the very same,

Shakespeareのソネット集の特異性

And that vnfaire which fairely doth巴xcell:

For neuer resting iime leads Summer on,

To hiddious winter and confounds him th位。Sap checkt with frost and lustie leau's quite gon.

Beauty ore-snO¥'Iγ'd and barenes eu巴rywhere,

(Sonnet 5)

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移ろい易い美を守るため,前述の“plenitude円のアイデアがしばし

Shakesp巴areの関心をヲlいたかも知れない.

From fairest creatures we desire increase,

That thereby beauties Rose might neuer die,

But as the riper should by time d己cease,

His tender heire might beare his memory:

(Sonnet 1)

この世界はエリザ、ペス時代のソネット詩人達によって創造されたものでな

い. Shakespeareにしてみれば P.Sidneyが Astropheland Stellaで

何故このテーマを使わなかったか9 と奇異に思ったかも知れない. Shake-

speareはソネット文学になかった新しいテーマを導入したが,宮庭風恋愛

の愛の作法を受け継ぐソネットの愛の伝統に微妙な変化がShakespeareに

よってなされる.宮庭風恋愛の徴妙な変化と考えても不当ではあるまい.

第一に,結婚をテーマにしたことであり,結婚をテーマにしながら,自

づから結婚することを意図したものでない (Shakespeareが結婚を勧める

のは男性の友人で,心の結びつきを願っても男性とは結婚出来なし、また,

同性愛的な期待はない,そこからは美の後継者は生れないから).しかし,

友人を讃美する時の Shakespeareは宮庭風恋愛の愛の作法に従っている.

その反面,結婚のテーマが宮庭風恋愛やソネット文学で激しい恋愛の障害

であったのに,友人の美を讃美ずるあまり,だれかと結婚してその美の後

継者を遺せと忠告する.宮庭風恋愛やソネット文学では自己のために結婚

164 Shakespeareのソネット集の特異性

が避けられた(エリザベス朝のソネット詩人達も E.Spenserのように

結婚を期待していたかも知れないが,現実には,愛する婦人がつれなくて,

その愛が充されない.だから,彼岸での合ーを期待する.さらに,その合

ーが唯一の呂的に錯覚されて来ると,彼岸での合ーのために9 魂の合ーの

ために,地上での純潔こそ飛躍へのそーメ γ トと考えられるようになっ

た). しかし, Shakespeareは他者のために結婚を勧めフ他者愛から自己

を高めようとする.このように, Shakespeare自身が結婚するのでないこ

とを考慮すれば, Shakespeareも宮庭風恋愛の提を遵守したことになる.

また,Arcadiaについて考察したように,結婚は,慾情を満足させるため

のものでなく, 生殖作用による自己保存本能であり, I時」の暴力から青

年の「美」を守るためである. これは,封建君主への忠誠が友情への忠誠

に転移されたと考えるなら騎士道精神の,女性への忠誠が男性への忠誠に

移されたとするなら宮庭風恋愛のルネッサンス(美を守るための結婚とい

う発想は上述したようにルネッサンスの文人達が多く使っているし,ま

た,男性への友情は女性への愛情よりも高蓮だとルネッサンス人は考えた

ので〉的発想法ではなかろうか.

このルネッサンス的発想、法が宮庭風恋愛の愛の作法(次の章では“修辞'う

を圧倒して登場するのが DarkLadyの美である.

第二章 Dark Ladyの美

MY Mistres eyes are nothing like the Sunn。Currall is farre more red, then her lips red,

If snow be white, why then her brests are dun:

If haires be wiers, black wiers grow on her head:

1 haue seene Roses damaskt, red and white,

But no such Roses see 1 in her cheeks,

(Sonn巴t130)

Shakespeareのゾネット集で DarkLadyはとくに論議の対象になって

Shakesp巴areのソネット集の特異性 165

きた.宮庭風恋愛に登場する貴婦人や一般ソネット集に登場する婦人の讃

辞を極められた描写を知っている者は必らず一驚するに違いない. r黄金

なす髪」などの比喰は Shakespeare にとって何の価値もなかった.髪を

“wiers"に喰えた例は他のソネット集にも二・三ある.

…the yellow gold

Made blush the beauties of her curled wir烏

Which heaven itself with wonder might beholdフ

(Phillis 9)

Her hair disordered, brown, and crisp色dwiry,

(Parthenophil and Parthenophe 13)

これは我々の想像力の範圏では及びもつかない奇想である.連想を走らせ

るには不連続である困難を感ずる.このような修辞によらず,あまりに現実

の真の描写によるがため9 不連続の連想を働かせなくてはならないものが,

Dark Lady.を描写したソネットにある. Dark Ladyは「容貌」と「行為」

が黒で象散される婦人である.エリザベス時代の他のソネット集は勿論の

こと,宮庭風恋愛を遵守した詩には単なる修辞の多様さ以外フ DarkLady

ほど独特な個性が表現された例は少ない.“thineeyes the Fix占dStars.円

(Diana 6, IV),“then burn me, Sweet, with brightness of your eyes ;円

(Licia 15),“thy celestiall eyes円 (Idea'sMirror 3),“NO STARS

her eyes to clear the wandering night, / But shining suns of true

divinity,円 (Phillis8), "in her eies such glorious beames did shine,"

(The Tears of Fancie 6),“those crystal記yes"(Delia 14λ“her eies

be Saphyres plaine円 (Amoretti55), "those fayre eyes円 (Wyatt). 全

てこれらの比轍は Shakespeareの修辞と趣きを異にするものである. P.

Sidneyの修辞さえも同様である.

When Nature made her chiefe worke, Stel1a's eyes,

In colour blacke why wrapt she beames so bright?

166 Shakespeareのソネット集の特異性

vVould she, in beamie blacke, like painter wise,

Frame daintiest lustre, mi玄tof shades and light?

CAstropheZ and Stella 7)

呂は心と密接な関係を持っているが, P. Sidneyの修辞は Shakespeareの

Dark Ladyを予想さぜるものにしかすぎない. この点について, w. J.

C011rthope〉は P.Sidney がソネットの伝統に新味を加えた唯一の点は

Stellaの自の特異な色だと指摘した.

次に, r美しい髪」の代りに「黒」を賛美した Shakespeareの手法が論

議の的であったことを既に述べたが,エリザ、ベス時代のソネット詩人達の

伝統的な色調は次の諸行によく窺われる.“Thinehair hath gold enough

to pay thy men!" (D仰 α42),“THOSEhairs of angel's gold," (Par-

thenolうhiland Parthenolうhe71),“The Angels tresses," (Idea' s Mirror・

48), "Like silver thread" (Licia 30),時には誇張するため「黄金又は白

銀の糸」という比輪よりも"wiers円を使った少数の例がある.けれどもラ

エリザ、ベス時代にうたわれる理想的な容色はきまってプロンドであって,

これは Chaucerに始まるもの,と M.B. Ogleは註釈している.しかし,

Franconは中世の宮庭詩ではそうであったが,民衆詩ではブルネットであ

った,と指摘している.なるほど Wyatt の作品に登場する婦人はブルネ

ットである.

If thou aske whom: sure sirs 1 did refreyne

Brunet, that set me welth in such a rore,

(TottZe's Misce!l,仰 y44)

とは言いながら DarkLadyの容色が宮庭風恋愛や,それまでのソネット

集に既にあったモデ、ルの模倣にすぎないとは断定出来ない.しかし,敢え

て求めるならばJ.Lylyの Euphuesand His EngZandの Cami11a に

Shakespeareの先鞭らしいものを見ることが出来る.

…hir haire blacke, yet comely, and such had Laed,α: hir eyes hasi!l,

Shakespeareのソネット集の特異性

yet bright, and such were the lyght巴sof Venus.

167

ところが,この作品がソネット集でないと言うならば,同様な例は前に述

べた P.Sidneyの Stellaや S.Danielの36番ソネットに見ることが出来

るであろう.

Thou may'st that thou hast scorned my tears,

When Winter snows upon thy sable hairs.

ソネット文学の常道では婦人が美しし愛されているために相手を冷遇す

る. したがって,そのつれえとさをなじるものが多い.他の人に DarkLady

がいかにつれなくとも Shakespeare には美しいものは美しし彼女はや

はり美人として映るのだから 9

... as tiranous, so as thou art,

As those whose beauties proudly make them cruel1;

(Sonn巴t131)

しかし,やはり,

And yet by heauen 1 thinke my loue as rare,

As any she beli'd with false compare.

(Sonnet 130)

のように美しい. Shakesp田町にとっては彼女の目や髪の色が黒いことは

問題ではなかった [cf.Titus Andronicus (ed. Craig, Oxford版)1, i,

11, 261-2,“ of the huejThat would choose, were 1 to choose an巴w."]

エリザベス時代や宮庭風恋愛の時代の理想的な美人を Shakespeare は知

っていたに違いないが,

In the ould age blacke was not counted faire,

Or if it w巴areit bore not beauties name:

But now is blacke beauties successiue heir巴,

(Sonnet 127)

彼は他の詩人や,一殻の人々を意、に介さなかったし,また,ソネット文学

168 Shakespeareのソネット集の特異性

の常道も彼を牽制出来なかった,と言えよう,それと言うのも彼がソネッ

ト集を書いた意図が違っていたからである.

So is it not with me as with that Muse,

Stird by a painted beauty to his verse,

Who heauen it selfe for ornament doth vse,

And euery faire with his faire doth reherse,

Making a coopelm巴ntof proud compare

With Sunne and Moone, with earth and seas rich gems:

With Aprills五rstborne fiowers and all things rare.

That heauens ayre in this hugεrondure hems,

o let me true in loue but truly write,

And then beleeue me, my loue is as faire,

As any mothers childe, though not so bright

As those gould candells fixt in heauens ayer:

(Sonnet 21)

最初の八行は婦人の美しさを誇張して賛美する亜流を激しく非難している.

H. Constableがその実例を書いている. 当時太陽や月や星などを用いて

婦人の美をうたう修辞は常套語句と言うより,むしろ,彼等の因習になっ

ていた.

ONE SUN unto my life's day gives true light.

One moon dissolves my stormy night of woes.

One star my fate and happy fortun色 shows.

One saint 1 Serve, one shrine with vows 1 dight.

(Diana 6, 1)

こうして時流にのったソネット詩人達は, ただ Petrarcaの亜流を祖述す

ることにのみ汲汲して,ソネットを書く霊惑を欠乞照覧する神も詩神も持

ち合せなかった.ただ Petrarcaが宮庭風恋愛から体系化したソネットの

Shakespeareのソネット集の特異性 169

世界に満足し9 ひたすらに牽強附会の奇想や誇張された比聡を捻出するこ

とに独創性を求めていたにすぎなかった.だから, Shakespeareは流行に

遅れまいとする亜流のソネット詩人達が多〈用いるおおげさな,当を得な

い比H誌を攻撃した.それよりも Shakespeareがソネットに定着させようと

したものは,そのテーマとしてp あの若くて美しい友人や DarkLadyの

天性の美をうたうことにあった.この二人の美しさは自然のままで美しい

ことを Shakespeareはうたう. それも誇張的な修辞を弄して逆説的に美

を強調しようとするのでなし現実を忠実に描写することによって功を奏

している.このように虚飾や粉飾とは無縁の天性の美を強調することは,

まさに宮庭風恋愛や Petrarca 流の因習への反援とも言うべきであろう.

もっとも, E. Hartmannは Shakespeareもこのような Petrarca流の因

習から脱皮出来なかった9 と言い, P. Borghesi も同じ趨冒のことを言っ

ている e この言及は或る程度皮肉な真理を含んでいるかも知れないが,我

々は Shakespeare の Petrarca流への反援の姿勢と, P. Sidneyや M.

Draytonに見る姿勢とは必ずしも軌をーにするものではないことに注意し

よう. P. Sidneyについて言えば,彼は入念な直鳴や誇張された絞切型の

称賛を非難し, Stella自身が彼にとって詩神であり,霊感だと公言する.

しかしそれは当時のソネット詩人達の票[]窃や誇張された比鳴に反援するた

めであった.その反面,彼はそのようなものを一切使用しないとは公言し

なかった.すなわち,彼も婦人の美しさをうたう場合, 遂に Petrarca流

の典型的な賛辞を送る結果;こ導かれてしまった.だから,霊感は Stellaか

ら得ることを力説ぜざるを得ないことになり,結果的には,誇張を排しつ

つも,新しい誇張の型を創るに終った, とも言い得る M.Draytonも

P. Sidneyと同じ反援の形式を示している.

Yet these mine own, 1 wrong not other men,

Nor tra伍cfurther than this happy clime,

Nor五lchfrom Porte's no.r from Petrarch's pen,

170 Shakesp己areのソネット集の特異性

A fault too common in this latter time.

Divine Sir Philip, 1 avouch thy wit,

1 am no pickpurse of another's ,wit.

(ldea's Mirror)

したがって, P. Sidneyこそ M.Draytonとその特異な姿勢を分ち合って

いる,と言えよう.両者とも軽蔑しながらエリザベス時代の様式化された

ソネットの世界から逃れ出ることが出来なかったことになる. Petrarcaが,

'Charming eyes where love makes his nest, to you 1 apply my fee-

ble style, inert in itseH, but great delight spurs it; and he who dis-

courses of you draws from the subject a gentle habit which, with ~1)

amorous wings exalting, withdraws from all ignoble thought.

と Lauraの目を霊感だとしたように, 亜流の詩人達はそれぞれの婦人の

目を詩神と考える常套があった. ところが, Draytonはこの浅薄な模倣を

意識して, Petrarca風のゾネットを否定しようとする.

Since Sonnets thus in Bundles are imprest

And ev'ry drudge doth dull our satiat巴 Eare;

Think'st thou my Love shal1 in those Ragges be drest.

That ev'ry dowdy, ev'ry trull doth wear?

Up, to my Pitch, no common Judgment flyes,

1 scorned al1 Earthly Dung-bred Scarabies.

(ldea 31)

そうでありながら,被が Petrarca流への反援から得たものは少なし か

えって我々に Pertrarcaの影響の大きいことを印象づける結果に終ってい

るように思はれる. S. Danielも同類に属するが, 彼にあってはやや異な

った姿勢を示している.

DRA WN with th' attractive virtue of her eyes,

My touched heart turns it to that happy coast;

Shakespeareのソネット集の特異性 171

(Delia 48)

このこ行だけでは明らかでないかも知れないが, 彼は確かに Petrarcaを

祖述していることを自認している. Constableと同じく単なる猿真似に終

る危険を字んでいた.“Delia"とL寸名前すら創造ではない Danielや

Constableはぺトラルカに対する反抗の必要を感じず,むしろ伝統を居心

地のよい住居としていた,と言える. P. Sidneyや Draytonが反抗しな

がら伝統を認める結果になったのと対照的に, Danielや Constableは伝

統の前でいわば香をたいていた.ところが, Shakespeareの描いた Dark

Ladyは Lauraとは似ても似つかず, まして“Idea"とか“Delia円或い

は“Diana門などという名前さえ与えられていない. それでいて Dark

Ladyが創り出す世界は決して Laura やその他の婦人が創り出す世界に

劣るものでない. 前述のように Shakespeareは表現の虚飾や粉飾に翠撞

Lていた.したがって,被は一般のソネット集に登場する婦人の美しさは

言葉の上で美しくとも,決して自然のままでないことを非難する.

For since each hand hath put on Natur巴spower,

Fairing the foule with Arts faulse borrow'd face,

Sweet beauty hath no name no holy boure,

But is prophan'd, if not liues in disgrace.

(Sonn邑t127)

と言って理想的な美が悔蔑されているのを Shakespeareは嘆く. それは

天性の美が無視されるのを見るに忍びなかったからである.

Therefore my Mistresse eyes are Rauen blacke,

Her eyes 80 suted, and they mourners seeme,

At such who borne faire no beauty lack,

Slandring Creation with a false esteeme,

Yet so they mourn becomming of their woe,

That euery toung saies beauty should Cooke so.

172 Shakespeareのソネット集の特異性

(Sonnet 127)

このソネットに明らかなように, 天性の美の喪失に対ーする Shakespeare

の哀惜が凝縮されている.そもそも DarkLadyを登場させたのは,単

に人の意表をつき,劇的効果を狙ったものでなし自然の美を強調したい

からにほかならない. Shakespear巴にとって不当な誇張や比鳴は必要で、な

かった.勿論,写実的な描写にも不連続の連想を働かせねばならない場合

もあるから, その意味からは Shakespeareも修辞法から逃れ得なかった

であろうけれども,宮庭風恋愛やエリザ、ベス時代までのソネット集の修辞

を否定しているのは注目に価する. この修辞の否定こそ DarkLadyの美,

ひいては Shakesp巴are のソネットの世界を特異にした原因の一つである.

第三章愛情と友情の相麹

12世紀の荷仏@プロパンスには貴婦人達による恋の法廷があって,恋愛

の撒妙な問題に決裁を与えていた.その恋の法典に「一人の女が二人の男

に愛され,一人の男が二人の女に愛されるを妨げる何ものもない」と「何

人も同時に二つの恋にはふけれない」という二つの判決が含まれていた.

この二つの判決は宮庭風恋愛の最も根本的な機微にふれるものである.宮

庭風恋愛に登場する婦人は,決って夫以外に,愛を捧げる臣下としての騎

士を持つのに3 愛に燃える騎士は,文字通り水火の別なし一つの愛を守

らなければならなかった.これらの騎士にとって,更に酷なことは,結婚

を度外視して,一つの愛の試練を堪えねばならない. というのは, “All

matches were matches of Interestフ and,sti11, of an interest that was

continuously changing."と C.S. Lewisが述べた理由に明らかなように,

当時では結婚は政権と政争の具であり,宮庭風恋愛に見られる騎士道精神

はこの封建社会の腐敗に対するアンティテーゼとして結婚を恋愛の延長線

上に置かなかった.宮庭風恋愛では結婚こそが恋愛を妨げるものだ,と考

えられた. Denis de Rougemontの 「騎士道恋愛はその初期の純粋な形

では,悩むために愛する,すなわち《苦しむ》ために愛するのだった」と

Shakespeareのソネット集の特異性 173

いう言葉は,騎土達の恋愛に対する態度を言い得て妙である.そして,結

婚は勿論のこと,愛の充足すらもなかった,と言えば,彼等の求める愛が

「愛に死ぬこと」であると理解出来る.

宮庭風恋愛では結婚を三つの理由から避けた.すなわち,宮庭風恋愛を

妨げるものであること,そして,腐敗した政略結婚への反嬢から.

宮庭風恋愛が南仏の troubadour達から北仏の trou吋 re達へと受け継

がれる頃 Tristan物語, King Arthur物語など多くの騎土道物語が現

われラ宮庭風恋愛を少しづっ変貌させる新風が吹きこむ.

初期の宮庭風恋愛のテーマは精神的不貞であって,現世で結ぼれること

のない愛の悩みであった,

... with their paleness, sorrow, and silence, it appeareth they have

everemore their owne discomfort painted in their eyes. And if they

speak accompanying every worde with certaine treblefolde sighes,

they reason of nothing else but of te旦res,of torments, of despera-2o)

tions, and of longing for death.

これは宮庭人達が恋愛の時に示す様式化された愛情表現を Castig1ioneが

pejorativeに写したものであるが(ェリザベス朝のソネットの世界も想像

出来て興味がある), 彼等の宮庭風恋愛は死への旅立ちを意味し, 愛のた

めの苦しみを愛す.

The courtly poet, putting the probI巴m of love between two beings

of fl.esh and blood, can conceive of purity only in the exclusion of 26)

all real union between these b巴ings;

と E.Gilsonが言うように, 彼等の純潔は地上での結びつきを拒否する

ものである.彼等はキリストの愛を信じないで,キリストを通らずに愛に

昇華することを望む.この神格化するための愛が宿命的に宮庭風恋愛を不

幸なものにした. troubadourの詩によく見られる narclsslsmの詩(え自

虐が神格化に通ずるという一種の錯誤からであろう.そして,女性はfl.esh

':'74 Shakespeareのソネット集の特異性

and bloodを持った実存であるよりも,超自然的な観念上の理想であるこ

とが多い.

宮庭風恋愛が死に至る病であり,そして,宮庭風恋愛の結婚観と義務観

とをよく説明する実例は Tristanand Iseultの物語であろう.叔父 Marl王

王の妃になるべき Iseultを叔父の領地へ案内する船上, 渇きを癒すため

に Iseultの侍女が誤まって飲まぜた“据薬"が宿命となって宮庭風恋愛

で禁じられている肉体関係を結ぶようになる(肉体関係は結ばれなかった

とする版もあるらしい). 宮庭風恋愛の愛の作法からはみ出したことが直

接に被等の愛と死につながる.この過誤のためにヲ Tristanは愛することを

愛するという narcissismに落ちこまなければならなくなる.現に, Tristan

と Iseultの聞の度重なる人為的な別離や避遁は Tristanが愛することを

愛したことの証明である. また Tristanが白い手の Iseultと正式に結

婚しながら彼女を純潔のままにしておいたこともその理由の一端を負う.

この Tristanの白い手の Iseult との結婚は宮庭風恋愛が結婚と両立し

ないことを証明するものである. Tristanと白い手の Iseultには Tristan

と金髪の Iseultとの聞の愛がない.むしろ, 前者の愛は後者の愛を苦し

めるための愛である,と言えよう. Champagne伯爵夫人が「真の恋は既

婚者間にあり得るや」という賀間に答えた恋の法廷の判決で「我らは列席

者の趣旨により宣告する.恋は二人の既婚者の上にその権利を及ぼし得な

い.事実,恋するものは,いかなる必要ある動機によっても束縛されず,

互いに無報酬で,すべてをあたえあうものであるが,夫婦は義務によって,

相互にその意志に従い,互いに何ものをも拒まざるよう結ばれているから

である……」と断じるが,正式結婚にともなう夫婦聞の義務は宮庭風恋愛

の恋人同志の義務と異なることを明らかにしている. ところが,宮庭風恋

愛の義務感が恋愛にもとづく貞節から由来するものであってみれば,義務

は婦人への服従と奉仕にある.ここに奇妙な義務の相支liが窺われる.つま

り,宮庭風恋愛の義務は封建社会の臣下の君主に対する義務を犠牲にせね

Shakespeareのソネット集の特異性 175

ばならない場合が多く,君主への忠誠を愛する貴婦人への忠誠に転移する

ことにもなる Tristanは騎士道精神に従って名誉にかけて Mark壬の

命に服従せねばならぬ.ところが,実際には Iseultへの忠誠と Mark王

への忠誠が詰抗している.

C. S. Lewisが宮庭風恋愛の著しい特徴について論じた言葉を聞くと理

解出来ることだが9 宮庭風恋愛の愛の作法が封建的主従関係によく擬せら

れる.彼はその愛の作法にラ必然的な転移,つまり宗教の文学的表白を観29)

じ取る結果宮庭風恋愛は正統宗教,キリスト教の parodyだとする. ここ

では宮庭風恋愛はキリスト教の正統に対して異端の“宗教"と目された.

これらの事情をよく説明する実例が Chaucerの Troilusand Criseyde

であろう.この作品に宮庭風恋愛の影響があることに関しては異論はある

まい. Troilusば Criseydeの美しさに心を奪われ

whεr hastow woned,

That art so feyr and goodly to devise?

(Bk. 1. 276-7)

また, Troilusが Criseyde に見せる服従と奉仕は宮庭風恋愛の作法であ

る. このことから,いかにも宮庭風恋愛の徒に従って物語が発展している

かに見えるが9 その実.結婚を度外視した上に立って,充たされない愛を・・・・・., (1) ., .,・・., .. e 11 19 .・@うたうのが宮庭風恋愛の提であるのに,二人は肉体的に結ぼれてしまう.

• • e • • • 0 e •

Criseyde, which that felte hire thus itake,

As writen clerks in her bokes olde,

Right as an aspes leef she gan to quake,

When sh巴 hymfelte hire in his armes folde.

But Troilus, al hool of cares colde,

Gan thanken tho the blistful goddes sevene.

Thus sondry peyn巴sbryngen folk to hevene.

176 Shakespeareのソネット集の特異性

This Troilus in armes gan hire streyne,

And seyde,“o swete, as ever mot I gon,

Now be ye kaught, now is then but we tweyne 1

Now yeldeth yow, for oth巴rboth is non!円

(Bk. III. 1198-1208)

Criseydeはi生来美しく貞淑でもある. Pandarusに導かれて宿命のとり

こにならず9 その夜の雷雨がなければ.だからタ彼女が美徳、をけがしたこ

とに対する絶唱は真実の芦である:

She seyde,“ Allas! for now is clene ago

My name of trouthe in love, for evermo!

For I have falsed oon gentileste

That evere was, and oon the worthieste!

(Bk. V. 1054-7)

宮庭風恋愛では貴婦人は白づから犯した罪に悔俊を明からさまに表現する

ことはない.ここで Criseydeは宮庭風恋愛で重要視される名誉を Troilus

を“falsed円することで失う.これで明らかなように宮庭風恋愛の提は反

古にされている. Troilusと Criseyde の不幸な恋愛はこの過誤に起因し

ている, と言えば言い過ぎであろうか.エピローグの中の愛の本質に関す

る Chaucerの洞察は,両極の批評があるのにも拘わらず, この問題解決

への示唆に富んでいる.

And dampned al oure werk that foloweth so

That blynde lust, the which that may not laste,

And sholden al oure herte on heven caste.

(BK. V. 1823ーの

エピローグについて,異端の宮庭風恋愛よりキリスト教の愛がより高次元

にあって,人間が地上で探究せねばならないのは宮庭風の激しい恋愛であ

るべきでない,との解釈に対して,恋の本質を語るために〈キリストの愛

Shakespeareのソネット集の特異性 177

の擁護〉エピローグの僅かな詩行を費し,それに反して,世俗的な恋愛を

語るのに五巻も費したのは余りにも不可解だ, とする解釈もある.この二

つの所論の是非は別として,宮庭風恋愛がキリスト教の愛のアシティテー

ゼである,とすることに問題はないようだ.さらに,宮庭風恋愛がキリス

ト教の愛にまで浸錯しているのも疑えない(実際には,キリスト教が宮庭

風恋愛を浸蝕したとも云える).地主的な煩悩から解放され,天上の愛の至

福に酔っている Troilus と,地上の宮庭風恋愛に生色人間の煩悩から

解放されていない Criseyde,このごつの愛が共存していることに Chaucer

は彼の愛の本質についての洞察を収数さぜているのではなかろうか.宮庭

風恋愛で貴婦人に恭JI見誠実,尊敬p 忠誠を誓うのは9 掃人との肉体的関係

を拒否し,純i潔を守ることから生まれるものである(封建時代は女性を理

想視するどころか,財産視していた時代で,宮庭風恋愛がその反動である

と考えても不当でない.)ところが,地上での恋愛が如何に空しい異端の愛

であったか, これが死后キリスト教の愛を知った Troilusへの Chaucer

の答えでないだろうか. Chaucerは正統キリスト教のために異端の宮庭風

恋愛を否定しているようだが9 宮庭風恋愛に於ける異端の要素,その激し

い恋愛が危険な本能の犠牲になり易いことを洞察して,宮庭風恋愛の愛の

そラノレを犯さないこと,つまり宮庭風恋愛そのものを否定したと見るより

は,宮庭風恋愛のモラルが如何に空しいかを指摘しているのだと見たい.

Chaucerの Troi・lusand Criseydeが宮庭風恋愛を否定して,キリスト教

的愛を擁護したとしても 9 宮庭風恋愛の愛の作法がその百の世代にも否定

されたことを意味するのでない.地上での恋人達の隔たりもさることなが

ら初期宮庭風恋愛の捷を犯す密通と不貞のテーマが新しい展開を見せる.

キリスト教の正統な愛のアンティテーゼで異端だとまで評された宮庭風

恋愛の一般化は troubadourの愛の奉仕に始まり,続いて宮庭風恋愛の愛の

作法に異質の密通のテーマは Chaucerのエピローグを生むまで変貌する a

一方, Danteの超宮然的な理想の女性 Beatric巴への愛を経て, Petrarca

178 Shakespeareのソネット集の特異性

はプラトニック流の愛,すなわち最高至善のイデアの反映にずぎない仮像

の女性への観照の愛を生む.仮象の女性への観照の愛は,初期宮庭風恋愛

の一般化現象と共に,エリザ、ベス時代のソネット文学の本流となって流れ

出す.そこでは充たされない愛の悩みが変らぬテーマであった.それに反

して, Tristan物語や騎土物語などに現われた密通のテーマはかえり見ら

れなかっfこ理

Criseydeは Pandarus の策略にかかって Troilusへ導かれる.彼女

は宿命の犠牲になった機械人形にでも喰えられようが,だからといって,

Troilusへの不貞は許されない.宮庭風恋愛では密通や不貞のテーマは第

二義的な役割しか与えられない,それは宮庭風恋愛の激しさ 9 それに身を

焼き,癒すことのない傷を負った苦渋を強調するための手法であったから.

Shakesperaeのソネット集は宮庭風恋愛の常套からすれば,青年に結婚を

勧めるテーマはその迫真力を失うであろうし DarkLadyの不貞もテー

マになり得ないであろう.しかし, Shakespeareのソネット集に登場する

Dark Ladyこそ不貞の典型として, その迫真力を印象づける性格が与え

られている.

Her prettie lookes haue beene mine enen:ies,

And th巴reforefrom my face she turnes my foes,

That they else-where might dart their iniuries:

(Sonnet 139)

Dark Ladyは不貞を働ぎながら Criseydeのような罪悪意識を持たずラ

不名誉であることすら意にしない.

In louing thee thou know'st 1 am forsworne,

But thou art twice forsworne to me loue swearing,

In act thy bed-vow broake and new faith torne,

In vowing new hate after new loue bearing:

(Sonnet 152)

Shakespe且reのソネット集の特異性 179

彼等の肉体関係は偽りの契りでありラ Shakespeareの愛の試練はここに原

因が作られる.既に述べたように DarkLadyは宮庭風恋愛や一般のソ

ネット集に登場する女性の範噂からすれば美人でない. 美人でない D丘rk

Ladyは騎士の服従と奉仕を得ることが出来ないのに, 彼女は宮庭風恋愛

やソネット集の貴婦人達と同様につれない暴君である,

THou art丘8tiranou8, 80出 thouart,

As those whos巴 beautiesproudly rnakεthern cruell;

(Sonnet 131)

この愛の苦しみは宮庭風恋愛に於ける結婚無用論と Tristan物語以后の

テーマが交錯する相殖である.

Oh though 1 loue what others doe abhor,

(Sonnet 150)

騎土道精神からすれば当然避けるべき愛と知る故に苦しみが増し, Shake司

speareは愛することを愛するために彼女を愛しているのでないことを告白

している.さらに,“一つの愛を守らなければいけない円という宮庭風恋

愛の提を知る故に DarkLadyへの愛が不純なものだと認める.

Shakespeareがソネット集を捧げた友人と Dark Lady との関係は9

Shakespear巴を苦しめるが,それより以上に美徳の化身ともいうべき友人

を堕落させはしないかと Shakespeareは案じる.

Others, but stewards of their excellence:

The sornrners :flower is to the sornrner sweet,

Though to it selfe, it only liue and die,

But if that :flowre with base infection rneete,

The basest w巴edout-braues his dignity:

For sweetest things turne sowrest by their deedes,

Lillies that fester, srnel1 far worse then weeds.

(Sonnet 94)

180 Shakespeareのソネット集の特異性

Shakespeareが案じるのは友人の美徳である.今を盛りと咲いている夏

の花は見る者を喜ばせるが9 それも瞬時のこと.友人の美貌もそれと同質

である.彼の美も消え去るものだが,美しい故に追従と誘惑に陥ち込み易

い. 美徳を失えば美しい容色も何の益もない. しかし, 友人は Dark

Ladyの手練の誘惑に陥ち入ってしまう.

1'st not ynough to torture me aloneヲ

But slaue to slauery my sweet'st friend must be.

Me from my selfe thy cruel1 eye hath taken,

And my next selfe thou harder hast ingrossed,

(Sonnet 133)

愛情と友情の相支IIがここに始まる. Shakespeareの愛情と友情の相理lはソ

ネット集の本流には見られない,ルネッサンス的発想法である.ルネッサ

ンス文学には3 友が友の恋人に懸想し,横取りする三角関係のテーマをい

たるところに発見出来る.

Lylyの Euphues では Philautus が Luci1la を愛している.一方,

Euphuesと Philautusの間には親密な友情があり, その故に Philautus

は披女を Euphuesに紹介する Euphuesは身持ちの悪い Lucillaを愛

するようになる.しかし,友を裏切った Euphu回も Luci11aの不貞のた

めに見捨てられる Euphuesは友人と恋人とを一挙に失ってしまう.こ

の場面は Shakespeareのソネット集にも現れる. (Shakespeareの不貞に

よるものでないカ今.

Of him, my selfe, and thee 1 am forsaken,

A torment thrice three-fold thus to be crossed:

(Sonnet 133)

また, Lyly による EUlうhuesand his Englandに登場する Cami1laとい

う女性はその性格に於いて DarkLadyと非常に密接な類似を示している e

and onely for Camillas loue, which Philautus quickly espyedヲ and

Shakespeareのソネット集の特異性 181

seeing his Camilla to be courted with so gallant a youth, departed :

yet with-in a corner, to the ende he might decipher th巴 Gentle-man

whom he found to be one of the brauest youth in all England,

called Surius, then wounded with griefe, hee sound己d with weak司

nesse, and going to his chamber beganne a fr巴she to recount his 32)

miseries in this sorte.

Lyly がこれらの作品で強調するのは友情であり 9 友情にまさるものはな

いヲと説く.

.. a true friend is of more price then a kingdome, and that the

faith of thee is to be preferred, before the beauty of Camilla.

Lylyのもう一つの作品 Camjうaspeにも同じ三角関係のテーマを用いてい

る. Alexander王が捕虜である Campaspeに恋をする. 被女は自由が与

られ,丁重に遇される.或る日, 美しい Campaspeの肖像を作ろうと,

忠臣の忠告にも耳をかさず、に Apellesという画家を招く. Apellesは王の

彼女に対する愛を知りながら彼女を愛するようになり,彼女もこの画家を

愛す.彼は一枚の肖像を画き終っても王に渡さず,再び画き始める.そし

て9 最后に手渡された肖像を見た王は Apellesの心を見破仇 彼にその

愛を譲る.

これらに共通して強調されるのは一つの愛を守ることである.

さらに. P. Sidneyの Arcadiaでは Philoxenus と Amphialus との

友情が語られている.ここでも同じし l-Ielenは紹介された Amphialus

を寵絡する. l-Ielenは不貞な女で,操を守ることが出来ない.

これらの作品には愛情と友情がからみ合って物語が進んで行く.或る時

は友情の重要性が強調され9 また,時には貞節であることが強調される.

高逼な友情で結ばれた二人の友が一人の不貞な女によって友情の幹が切ら

れ忍のを常としている.ほとんどの場合.友情のため女性への愛が犠牲に

される.宮庭風恋愛で君主への忠誠と婦人への忠誠とが相越し9 しばしば

182 Shakesp邑ar巴のソネット集の特異性

君主への忠誠が犠牲にされたことを思い合わせるとルネッサンスの微妙な

変化が理解出来る.

騎士物語とソネット文学との歴然、たるジャンノレの相違を否定することは

出来ないにしても,宮庭風恋愛に見られる愛の作法,服従と奉仕の倫理,

地上に於ける恋人との隔たりによる純潔と貞瀬な愛,イデアの反挟である

仮象の女性を理想化すること,俗にいうプラトニックな愛はェリザ、ベス朝

のソネット集にも存在している.そして,愛の歓びが愛の苦しみにあると

いう paradoxも成立する.しかしながら Shakespeareにきて愛を捧げ

る対象が女性でない男性に転移され,女性に対する愛情の告白と変らない

友情を吐露しているーその特異性の原因をどこに求めるかが問題である.

Tristan物語以后の密通のテーマを扱った騎土物語になしただルネッサ

ンス文学にその原型を僅かに発見することが出来るのみである.女性から

男性への対象の転移から起る愛情を倒錯と考え“同性愛" と評す説もあ

る.

Platoは天上の愛は男性の方に志向するとして“Hencethose who are

inspired by this love (i. e. Heavenly Love) are attracted towards the

male sex, and value it as being natural1y the stronger and more intel-

ligent.円のように説いているが, Aristotleの The"1日立'comacheanEthics

や Ciceroの“ OnF riendship "では友情の重要性を体系化している.し

たがって Castiglione が TheBook of the Courtierの中で友情の必要

性を説いたのも, Lylyや P.Sidneyが強調するのも理由のあることであ

った.特に,ノレネッサンスの友情論では,男性への友情の方が女性に対す

る愛情よりも高く評価されていたことを E.Hublerが論証している.

There was also the Renaissance concept of the superiority of the

friendship of man to man over the affection of man for woman.… The superiority of friendship was part of the beHef of the age, and

zのpeople heard it with no sense of strangeness.

Shakespeareのソネット集の特異性 183

何故男性の男性に対する友情の方が,女性への愛情より珍重されるかは上

述の Platoの説にその理由の一面を発見することが出来る.より堅固な,

そしてより知的だとする説と同時に, ソネット集などに見られるような

“官能的円だとの批判を免れないような女性への愛情より立派だと考える

当時の精神的風土に原因がある.

この精神的風土に於いて男性問の友情が女性への愛情よりも優れている

一この説のみで Shakespkεareが愛の対象を女性から男性に転移したと考

えるのは早計であるだろう.ソネット集では青年の外に DarkLadyの存

在を無視することは出来ない Shakespeare が青年に呼びかける言葉が

“Lov巴円であってみれば,現代的な言語感覚からすると“同性愛円の響き

がないでもない.しかし, Shakespeareは“Love円に“ friendship円を36)

“Lover円に“ friend円の意味を含めているのは認められている.特に注

意しなければならないのは, Shakesp巴areは女性に対ずるような情熱の表

白をしているがラ宮庭風恋愛以来の愛の作法に見られる女性崇拝,女性へ

の愛の理想化は DarkLadyについてのソネットにはない.

MY Mistres ey田 arenothing like th巴 Sunne,

Currall is farre more red, th色nher lips red,

If snow be white why then her brests are dun:

If haires b巴 wiers,bl且ckwiers grow on h巴rhead:

(Sonnet 130)

宮庭風恋愛以来の伝統的なイメージを駆使しているが,ソネットとして出

来上った時の効果は決して伝統的なものでない. Shakespεareは,むしろ

伝統を室、に介さずラ現代的な人間,同時代の女性を忠実に描くことに意を

つくしている.

Dark Ladyを理想、の女性に描くことを拒否しラ 同性愛でなくルネッサ

ンス風の友情で青年の騎土的美徳を高らかに誇示する Shakespeare は愛

情と友情の相克llr:::.,もう一つの友情論 真の友情に対しての偽りの友情一

184 Shakespeareのソネット集の特異性

を絡ませている. J. L. J acksonが“Shakespeare'sDog-And-Sugar Ima-

gery And The Friendship Tradition"とし、う論文の中で“Amicitiaand

adulatio, true and false friendship, are the two poles of the R巴nms-お7コ

sance friendship tradition'・・と説き, “false friendship円の属性として

Adulation に注目している Shakespeare は Ti・'mon of Athens で

Apemantusという皮肉屋に次のように語らせた.

Apem. What a coilヲsher巴!

Serving of becks and jutting out of bums!

1 doubt whether their legs be worth the sums

That are given for'em. Friendship's ful1 of dregs:

Methinks, false hearts should never have sound legs.

Thus honest fools lay out their wealth on courtsies. 38)

(1, ii, 239-44)

真の友情に反するものとして金銭のための adulationが槍玉に上げられて

いる. この追従は TheTwo Gentlemen of Veronaの Proteusやソネ

ット集の RivalPoetに定着された.愛情と友情の相支IIには真の友情と偽

りの友情が対源的に描かれ,そこには決って女性の不貞がモーメントとし

て働く. Lylyの Euρhuesにこの実例を発見することが出来る.

And canst thou Lucilla be so light of loue in forsaking philautus

to flye to Euphues?

その上,次の段階で真の友情を唱導するには,友のために恋人を譲る一自

己犠牲のドラマ化が行われる.男性の男性への友情が女性への愛情よりも

優れていることを示すのに,必ず真の友情・偽りの友情→女性の不貞→自

己犠牲と描写される.愛情と友情の相到には自己犠牲の浄化作用を経なけ

ればならない. S. Lee は次のような論拠を与えてくれる.

The call of friendsship often demanded the sacrince of love. The

laws of 'sovereign amity' were so fantastically interpreted as fre-

Shakespeareのソネット集の特異性 185

quently to require a lover, at whatever cost of emotional suff巴ring,

to abandon to his friend the woman who excited their joint adora-40)

tlOn.

これを証明する例は Shakespeareにもある CamJうaspeの Alexander王

の自己犠牲の例をひくまでもない(もっとも Alexander王と Apellesと

の間に友情があったとは言えまいが). Shakespeare はこのテーマを The

Two Gentlemen of Veronaで見事に結晶させている.

Val. Then, 1 am paid;

And once again 1 do receive thee honest.

Who by repentance Is not satisned

Is nor of heaven, nor earth; for these are pleas'd.

By penit巴ncethe Eternal's wrath's appeas'd:

And, that my love may app巴areplain and free,

All that way mine in Silvia 1 give thee.

(V, iv. 77-83)

Valentina は Pr叫 eus に臨時せずに恋人を譲り 9 高逼な友情を発揮して

いる. かつては自分を裏切った不実な友 Proteusに. 真の友情のために

喜んで友に代って苦しむ.これは封建社会の君主に仕えていた臣下が示す

忠誠をルネッサンス風に発想したものにほかならない.

以上考察してきたように,愛情と友情の相魁には不貞や不実がモーメン

トだった.女性の不貞の故に友情の破綻を惹きおこし,最後にその不貞故

に二人の友がそれぞれ一人の女性に見捨てられる結果になる.そして和解

・友情を回復する. この愛情と友情の相魁は真の友情への回心を求める.

Shakespeareの愛情と友情の相到を扱ったソネット集はこれらの要素が

織りなす心理的ドラマに等しい DarkLadyの裏切りと誘惑が傷つき易

い青年を陥す.

SO now 1 haue confest that he is thine,

186 Shakespear巴のソネット集の特異性

And 1 my self am morgag'd to thy will,

My selfe Ile forfeit, so that other mine,

Thou wi1t restore to be my comfort still:

But thon wilt not, nor he wil1 not be free,

F or thou art couetous, and he is kinde,

Him h.aue 1 10st, thou hast both him and me,

He paies 'the who1e, and yet am 1 not free,

(Sonnet 134)

Shakespeareにとって青年ば第二の自己と同じである. だから, もし

Dark Ladyが Cami1laや Luci1laのように青年を見逃がしてくれるなら

自分が低当として身代りになろうと懇願する‘しかし,どちらもその意志

を見せない. Dark Lady は見捨てようとしない.一方, 青年はその愛に

甘んじようとする. Shakespear巴は愛情と友情に悶える.披の心理的葛藤

はどちらをも愛していることにある.

THat thou hasther is not all my grief,

And yet it may be said 1 1ou'd her deere1y,

That she hath thee is of my wayling cheefe,

A 10ss己 in10ue that touches me more neerely

(Sonnet 42)

Shak巴spear巴は彼女を愛していることを自認している.友人である青年

が DarkLady を愛していることは気にならない. それよりも Dark

Ladyが友を誘惑して友情を脅かすのが痛恨事だという. Shakespeareは

男性問の友清が女性への愛情よりも大切なことだと,無意識に語っている.

その声は苦しまぎれの強がりではあるまい.

Thou doost loue her, because thou knowst 1 loue her,

And for my sake euen so doth. she abuse me,

Shakespeareのソネット集の特異性

Su任ringmy friend for my sake to approoue her,

If 1 100se thee, my losse is my loues gaine,

And 100sing her, my friend hath found that losse,

Both fInde each other, and 1 1008巴 bothtwaine,

And both for my sake lay on me this crosse.

(Sonnet 42)

187

青年が DarkLadyを愛するのは自分, Shakespeareのためだ, と自づか

らを説得する. Dark Ladyの Shakespeare に対する心が真かどうかを

試めすために Shakespeareに代って青年が愛しているのだ, と心理的合

理化をする。 この論理を推し進めても Shakespeareの DarkLadyへの

愛は未だ否定出来ない.その反面, Shal王espeareの DarkLadyへの非難

が開かれる. 彼女がもたらした摘が Shakespeareの友情を試めす試諌で

あったとしても,また彼女への愛情を試めす試練であっても, Shak巴spεare

は Tristanのように愛することを愛するのでなく, Dark Ladyを理想化

したり崇拝したりしない.騎士道精神へのほのかな憧れが青年に体現され

ているといっても,彼は現実の苦しみをラ彼岸での合ーを期待しての愛の

歓びにすりかえたりしない. Shakespeareは真の友情に積極的な歓びを発

見するまで現実の苦渋を耐える.

TW 0 loues 1 haue of comfort and dispaireヲ

Which like two spirits do sugiest me still,

The bettεr angell is a man right faire:

The worser spirit a woman collour'd il.

To win me soone to hell my femall euill,

Tempteth my better angel from my sight,

And would corrupt my saint to be a diuel:

W ooing his purity with her fowle pride.

And whether that my angel be turn'd finde,

188 Shakespeareのソネット集の特異性

Suspect 1 may, yet no directly tell,

But being both from me both to each friend,

1 gesse one angel in an others hel.

Yet this shal1 1 nere know but liue in doubt,

Till my bad angel :fire my good one out.

CSonnet 144)

Shakespeareは DarkLadyを失うことよりも友を失うこと,友情を喪失

することの方が痛恨事であり,彼の心配事であることを既に考察したが,

真の友情への回心は上述した自己犠牲のみによらない.愛情と友情との相

鬼lが作る特異なソネットの世界は,悪を悪とするより悪を善への踏台にす

る真の友情が宮庭風恋愛の真の愛情に代っていることによる.つまり宮署

風恋愛の愛情がルネッサンス風の友情に変ったことに注目すべきである.・・.. .・・・....・@・ e il • 8 @ d * e

WHat potions haue 1 drunke of Sア7・enteares

Distil'd from Lymbecks foule as hell within,

Applying feares to hopes, and hopes to feares,

Sti1l loosing when 1 saw my selfe to win?

What wretched errors hath my heart committed,

Whilst it hath thought it selfe 80 blessed neuer?

How haue mine eies out of their Spheares bene :fitted

In the distraction of this madding feuer?

o bene:fit of il1, now 1 :find true

That better is, by euil stil1 made better.

And min'd loue when it is built anew

Growes fairer then at first, mor・巴 strong, far greater.

So 1 r己turnerebukt to my content,

And gaine by ills thrise more then 1 haue spent.

CSonnet 119)

Shakespeareのソネット集の特異性 189

“ruin'd loue" C =the forsaken friendship) の真の友情への回心は悪を

善に変える操作による.

Shakespeareの愛情と友情との相加の世界を特徴づけるもう一つの要素

は心と心とのつながりという面にある.

友情の真随は言うまでもなく相互信頼にあるCthereis a saying, ' Amity

is equality,' andthis is most fully realized in the friendship of the

goodふエリザベス朝のソネット集では愛は常に一方通行であり p 一方的

な愛し方で,女性からの応答は様式化されたつれない態度以外何も見られ

なかった.また,結婚が宮庭風恋愛で否定されたように9 その流れを汲む

ソネット詩人達は魂と魂との結婚を彼等の精神的支柱としていた.

YEA, that accursed Dead, before unsealed,

1s argum巴ntof thy :first constancy r

¥Vhich if thou hadst to me before revealed;

I had not pleaded in such f巴rvency.

Yet th1S delights, and makes me triumph much,

That mine Heart, in her body lies imprisoned!

CParthenophil and Parthenophe, 16)

貴婦人のあまりのつれなさに詩人は魂の結びつきで満足しなければならな

い.この場合には,まだ魂の結合は一方的なものであり 9 心を奪われてい

る状態とさして変りはない.双方の意志@魂の結びつきはない.ソネット

集に頻出する日と心の奇想はこの variationにすぎない.

この友情に於ける相互信頼と心の結びつきが Shakespeare のソネット

集で新しい効果を導き出した. Bradbrookは次の如く言う, “But the

interchange of hearts 呂田氏ias symbol for that 'marriage of true

mindsペェリザぺス朝のソネットの常套は貴婦人と愛する男性との間の魂

の交換,いや,一方的な没入であった.ところが, Shakespeareは女性で

ある DarkLadyとではなし男性の友と友情に支えられた相互信頼によ

190 Shakesp巴areのソネット集の特異性

る魂の結びつきを意図した.ここにもエリザ、ベス朝のソネット集と Shake-

spearε のソネット集の相異が見られる Ciceroは友情の真の在り方につ4:1)

いて“theessence of friendship being that two minds become as one,

と説いている. Shakespeareの真の友情を培うための魂と魂との結合,こ

れはエリザベス朝のソネット集の常套的なテーマ・心の結合とルネッサン

スの友情論を融合させたから生まれた効果である.

LEt me not to the marri註geof true mindes

Admit impediments, loue is not lol1e

鴨川ichalters when it alteration :findes,

Or bends with the remouer to remoue.

o no, it is an el1er :fixed marke

That lookes on tempests and is nel1er shaken;

It is the star to el1ery wandring bark鳥

Whose worths vnknowne, althol1gh his hight be taken.

Lou's not Times foole, thol1gh rosie lips and cheeks

Within his bending sickles compasse com。LOl1e alters not with his breefe hOl1res and weekes,

Bl1t beares it Ol1t euen to the edge of doome:

If this be error and vpon me prol1ed,

1 neuer writ, nor no man euer lol1ed.

(Sonnet 116)

愛情と友情の相互止は友情論が根本的な論拠になり DarkLadyの不貞ラ

魂の結合などが絡みあった世界が創る.騎土道精神の宮庭愛と人間解放を

目ざすルネッサγ スの衡突と見ることが出来よう.

...he, young man of the Sonnets, embodied for Shakespeare this

dream of a beautIful past.... Not only the past, but more precisely

the past of medieval chivalry-〉

Shakespeareのソネット集の特異性 191

Shakespeareが友情を捧げる美貌の青年は中世騎士道精神の夢を再現させ

るものだと Cruttwellが考えているように,そこには愛の単なる観照でな

く極限に置1Pれた恋愛心理のドラマを読み取ることが出来る.さらにフ査

められた現実を体現する DarkLadyはその容色に於いては宮庭風恋愛以

来ェリザ、ベス朝のソネット集に至るまでの標準化された女性の美からは想

像するのに国難なラ一風変った,しかし Shakespeareにとっては彼の美の規

準からして何の遜色もない美貌(!?)の女性フそしてそのような女性が惹き

起こす愛情の葛藤,これは正しく Cruttwellがいう“ thepersonnal centre, 45)

a vast deal of junkぅ earlyRenaissance and be!ated medieγal...円であ

る. Dark Ladyの美貌と行為は Sidneyや Lylyの作品に見られたルネ

ッサンス女性の典型である.美貌と不貞ヲそれはラ若しあるとするならばフ

ルネッサンスの騎士を服従さ-1i:",奉仕させずにはおかない性質のものであ

る. Lancelot物語の Guinevere女王が Lancelotの愛を試めすためにし

かける数々の障害を意に介さないほどのつれなさをも DarkLady は持ち

合わせている.そして“ treacherous円でもある. しかし9 友情に関する

ルネッサンスの風潮がなくしてはこのソネット集に登場する三人 Dark

Lady,青年, Shakespeareの聞の関係9 言葉をかえれば Shakespeareの

ソネットの世界がありきたりの陳腐沿世界になったであろう.

宮庭風恋愛の愛情がノレネッサンスの友情に変ったことが Shakespeareの

ソネットの世界を特異なものにしたと言える.

Shakespeareのソネット集にある多くの問題や謎について,古くからク

非常に多くの批評@研究が蓄積されてきた.それら批評家@学者が一致し

て言及することは一般のソネット集に普通発見出来ない,正確に言うと,

ユリザベス時代までのソネット集で使用されなかった新しいテーマが

Shakespeareのソネット集で駆慢されている事実である.一般には,愛す

る女性に対する熱慕や9 また婦人のつれなさに対する切情をテーマにする

192 Shakespeareのソネット集の特異性

のが常であった. Shakespeare にあっては, Mr.W. B.といラ美青年に

対して婦人に捧げるような甘美な愛の言葉で語りかけたり,雪のように白

い婦人ではなく,髪も心も黒い婦人との関係を描いたり,またみづからに

極めて悲劇的とでも見える忍従と寛容とを強いる愛情と友情との相克IIを敢

えて取り扱ったり,まことに債としては必然だと思える強い劇的要素をそ

こに加味している. Shakespeareの世界をこのように特徴あるものにした

のは宮庭風恋愛の修辞法を否定したことと,宮庭風恋愛の愛情をルネッサ

シスの友情に変えたためだと云えよう.

1) J, W. Hebel (巴d.),The T府市ザMichaelDrayton (Oxford: The Shake困

speare Head Press, 1941). M. Draytonの作品は以下全てこの版による.

2) E. Gree111aw and others (ed.), Amoretti, voL II of The Minor Poems,

A Variorum Edition.以下 Amorettiはこの版による.

3) A. O. Lovejoyは TheGreat Chain of Being (New York: Harper &

Brothers, 1960) の第四章で “The Principle of Plenitude and the New

Cosmogr且phy"と題して,宇宙の中での人間の位置を定めようとしている.

“plenitude"の解釈に関しては,彼の言葉を借りるなら“Ifit was the only

r巴gionof corruption it was also the on1y region of gen巴ration…" (p. 103)

と説明され得ょう.

4) A. Feuillerat (ed.), The 凸 mplete1VorksザSirPhilip Sidney (Cambridge :

At the University Press, 1922), vol. 1, p. 140. Arcadia.

5) C. Marlowe, Plays (London: Everyman,1950), p. 382, Hero仰 dLeander.

6) R. Warwick Bond (edふ TheComplete Works of John Lyly (Oxford:

At the Clarendon Press, 1902), vol. 1, p. 230, Euthues.

7) E. Hubler, The Sense of Shakρpeare' s Sonnets (N巴w-Jers巴y: Princeton

University, 1952), p. 72.

8) H. E. Rollins (edふ TheSonnets, A Neω Variorum Edition of Shake・

s)うeare(London: J, B. Lippincott, 1944), 2 vo1s. 以下シェイクスピアのソネ

ット t主この!仮による.

9) Robertsonはその著 TheProblems of the Shakesp回 reSonnets (London:

Shakespeareのソネット集の特異性 193

George Rout1edge & Sons, 1926), p. 258.'でシェイクスピアが友人に結婚を勧

めたのは,パトロンである友人の家庭的事情によるものだという推論を主張して

いる.

10) T. Lodge, Phillisは SidneyLee (edふ ElizabethanSonnets (Edinburgh:

明TesterminsterArchibald Constable, 1904), 2 voIs.によるもの.以下 T.Lodge

の作品はこの版による.

11) B. Barnesの Parthenophiland Parthenopheも SidneyL伐の版による.

以下この版による.

12) これらの詩作品は全て SidneyLeeの版による.以下同様.

13) Rollins (ed.), Tottle's lvIiscellany (1557-1587) (Cambridge: Harvard

Unive'sity Press, 1928)による.

14) A Pollard (巴dふ Astropheland Stella (London: David Stott, 1888).以下

同様.

15) W. J. Courthope, A 1五storyザ EnglishPoetry (New Y ork: Russell &

Russell, 1962), vol. 2, p. 229.

16) M. B. Ogl巴の説. H. E. Rollins (ed.)の VariorumEdition of Shakesp伺 re:

The Sonnets vol. 1, p. 324に所載.

17) 上記の Edition.vol. II, p. 255に所載.

18) R. Warwick Bond (ed.)の vol.II, p. 110に所載.

19) E. Hartmann. H. E. Rollins (ed.)の Variorum Edition of Shakespeare:

vol. 1, p. 60に所載.

20) P. Borghesi, Petrarch and昂 sInfluence on English Literature (Bologna :

Nicholas Zanichelli, 1906), p. 106.

21) J. B. Leishman, Themes and Variations in Shakes少earぜな Sωznets(London:

Hutchinson, 1961), p. 46. Leishmanの穣訳. 原文はペトラルタのカンツオニ

ーレ71琴.

22) 前川堅市訳.スタンダー Jレ「恋愛論J2巻.下巻?とは附録、主して第ト二世紀の

恋の主主典が掲裁されている.

23) C. S. Lewis, The Allegoryザ Love(New York: Oxford Univ巴rsityPress,

1958), p. 13.

24) ルーヲュモン「愛について」岩波書)苫, 237頁.

25) T. Hoby (trans.), Balda田 areCastiglioneタ TheBook of the Courtier

(London: J. M. Dent & Sons, 1959)ラ p.27.

26) E. GiIson, The 11今'sticalTheology of Saint Be;畑町i(London:Sheed and

194 Shakespeareのソネット集の特異性

1再Tard,1955), p. 193.

27) M. C ダーシ r愛のロゴスとパトスj未来社31頁.最古の写本で!土トリスタ

ンとイゾルデは肉体関係を結んでいないことをダーシは指摘している.

28) スタンダー Jレ, i恋愛論」の附録、に所載.

29) C. S. Lewis, The Allegory 01 Love, p. 18.

30) F. N. Robinson (ed.), The協Torks01 Geoffrey臼caucerCLondon: Oxford

University Press, 1957)以下同様.

31) H. E. Rollinsは VariorumEdition of Shakespeare: The Sοnnets,の vol.

II, p.123でR.Barn五eldの TheAffectionate Shepherdに言及し,そこには

男性に対する愛情の表現や,三角関係のプロットや,その上,結婚への勧誘もあ

ると指摘している.しかしこの作品は pentametreの六行でー務2になっていて,

ababccと韻をふむ.したがって3 ソネットとは言えまい.登場人物は詩人

と Ganimede(男性で,詩人の友人〕と QueeneGuendolinである.

Earか EnglishPoetry, Ballads, and Popular Literature 01 the Jt1iddle Ages (London; Percy Society, 1847), vol.瓦x.,R. Barnfield: The Affectionate

Shepherd

32) R. Warwick Bond (ecl.) , vol. II, p. 107, Euphues and His England.

33) Ibid., p. 142.

34) W. Hamilton (transふ Plato:The砂mposium(Penguine, 1959), p. 47.

35) E. Hubler,訪eSense 01 Shakespeare's So間 ets,pp. 153-4.

36) lbid., p. 153.

37) 1. L. Jackson,“Shakespeare's Dog-And-Sugar Imagery ancl the Friendship

Traclition," in Shakesρeare Quaterly, vol. 1, p. 261.

38) W. 1. Craig (ecl.), The Complete Works 01 William Shakespeare (London; Oxford Univ巴rsity Press, 1957)ソネット集以外のシェイクスピアの作品の全引

用はこの板による.

39) R. Warwick Boncl (εd.), vol. 1, p. 205. Euphues.

40) S. Lee, A Lile 01 William Shak吋 eare(London: Smith, Elcler, 1915), p.

215.

41) H. Rackham (trans.), Aristotle: The Nicomachean Ethics (London:

H巴inemann,1956), p. 471.

42) M. C. Bradbrook, Shakespeare and ElizabethaπPoetry (London: Chatto &

Windus, 1961),

43) E. S. Shuckburgh (trans.), Letters 01 Marcus Tullius Cicero (New York;

Shakespeareのソネット集の特異性 195

P. F. Co!lier & Son, 1908), pp. 8-144,“ On Friendship ", p. 40.

44) P. Cruttwell, The Shakespearean 1vfoment (New York; Random Hous巴,

1906), p. 35.

45) Ibid., p. 36.

Shakespeare生誕400年の記念出版が盛んである S.Leeや E.Chambers

による biographyが未だ書架を飾っているのにラ 1963年に出た A.L. Rowse

と P.Quennellによる二つの biography をめぐって学界は大騒ぎ.なかで

も, The 1'1忌ω 防法 TimesBook Reviewの11月13日号によれば Rowseは

自作が出る直前 TheTimesに“新発見"を発表した. (1) Who was the

Dark Lady? (Answer: We do not know, and shall not.) (2) Who was

the “Rival PO巴t"who五guresin Sonnet 86? (Answer: Mar1owe.) (3)

Who was th巴“OnlieBegetter," to whom the Sonnets, when published,

were dedicated? (Answer: Sir William Harvey, and the dedication was

by the printer, Thorp, not by Shakespeare.) (4) At whose marriage w田

“A Midsummer Night's Dream"五rstperformed? (Answer: that of the

Countess of Southampton to Sir Thomas Heneage on 2nd May, 1594.)

これについて Shaたゆeare'sSonnetsを執筆中だった DoverWilsonは Rows巴

が歴史的考証によると言いながら S.Leeの“ attitude"と同じで,その新

発見も立証されていないと読者に警告を発した. W. Empsonも Rowse説に

は新味がないと一蹴し,蕗jの制作年代に関しては E.Chambers説の踏襲だと

言う.更に T.Spencerや M.C. Bradbrookも Rowseの説は新説ではない

と言っている. (Y. S.)