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総総総

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総動員体制

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1940年体制 1938年制定の「国家総動員法」に基づき,当時の政府が,戦争をより効果的に遂行するために政治・経済・社会を改革した国家社会主義的戦時体制のこと このシステムの大部分は GHQによる占領を経ても温存され,官僚統制など高度経済成長を支えた体制へと継承された

戦時体制が確立したのが 1940(昭和 15)年

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内閣情報局 1940年 12月,内閣情報部を拡大改組して設立された組織。大本営 /陸海軍も参画

国内の情報統制(検閲),メディアの「総動員体制」,対外謀略(諜報)活動の司令塔に

日本放送協会 (NHK)も,逓信省管轄から内閣情報局の直轄に

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情報国防国防・国家体制の建設を目標として,事変の完遂を期し,国策の徹底と国内外情勢の闡明を図り,国民の一致団結と国民士気の高揚を斉らすように務める。放送内容は全国民を対象とするも,特に農村生活者,勤労者,青年を重視する内閣情報局 (1940)「国内放送の基本方針」

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ソフト・パワー総力戦に国民を参加させるためには,強制 ( 権 ) 的な動員 ( ハード・パワー ) だけでは不可能

国民が主体的・自主的に政権を支持し,自らが進んで参加を希望するような雰囲気を醸成していくこと ( ソフト・パワー ) が重要になる

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情報組織内務省が,新聞法,出版法,治安警察法,軍機保護法などでメディアを統制

1919年 : 陸軍大臣官房に情報係(20年に「新聞班」と改称 )

1921年 : 外務省が情報部を設置 1925年 : 普通選挙法と併せ,「治安維持法」が制定

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国際情報戦の要―通信社 1914年 : 国際通信社→ 26年 : 日本新聞聯合社 ( 聯合 ):対中情報戦を統括

1907年 : 日本電報通信社 ( 現 : 電通 )が誕生 日本広告社 (1901)と電報通信社が合併

聯合= ロイター ( 英 ) ・ AP(米 )〈外務省〉,電通=UP〈陸軍〉の複占体制 United Press Internationalは国際協定非拘束。現在は世界基督教統一神霊協会系

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国策通信社 1932年 : 外務省・陸軍・聯合・電通が大同団結し「満州国通信社」

1936年 :二大通信社が合併し「社団法人同盟通信社」が誕生 1945年 10月に「同盟通信社」は解体 通信社部門は,社団法人共同通信社が継承 (*) 経済情報・出版部門は,株式会社時事通信社が継承

(*) 情報サービス部門で株式会社共同通信社

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トーキー映画国産化 1934年 : 内務省映画統制委員会 1936年 : 大日本映画協会 : 官民共

同の映画による国家協力機関 1939年 :映画法 :映画の製作・

配給・興行の国家統制が目的 映画企業の許可制 映画製作従事者の登録制 脚本・フィルムの検閲強化

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ニュース映画 朝日・毎日・讀賣の 3社がそれぞれ映画班で「ニュース映画」製作

1937年 :同盟通信社映画班に統合 1940年 4月 : 社団法人日本ニュース

映画社( 41年 : 日本映画社に改称)戦場などから送られ,ほぼ 1 週代わりで上映されるニュース映画がプロパガンダの重要なツールに

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『日本ニュースにみる昭和の戦争』から

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映画観 ナチス・ドイツ→娯楽映画さえ政治的手段と認識し,軍需に優先してまで積極的に製作

日本→主にフィルム不足から,劇映画の製作本数は激減。松竹・東宝・大日本映画製作(大映)の 3社に。配給は映画配給社(映配 :42年)に一本化

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『ハワイ・マレー沖海戦』( 1942年)

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出版 1941年 : すべての取次店を統合した「日本出版配給株式会社」(日配)

内務省情報局・商工省・日本出版文化協会が監督

複雑な流通機構を一元化。出版社も戦時下企業合同で 300社に 日配は敗戦後,日本出版販売・東京出版販売(トーハン)の 2社に分かれ,今でも 90 %超のシェア

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総力戦と新聞新体制内閣情報部・内務省警保局による各

地の零細新聞の「自主的」統廃合 約 1200 あった新聞が 1945年に 57 紙に統合 )

1942年 7月「一県一紙主義」 ( 中部日本新聞= 新愛知 + 名古屋,静岡新聞= 静岡民友 + 静岡新報 + 浜松新聞 ) で大統合

日本の新聞界の「 42年体制」の成立

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新聞による報国 背景は「物資不足」。 1940年 : 内閣情報部「新聞雑誌用紙統制委員会」

1941年 : 「新聞共販制」 : 新聞社の専売組織を統合

統制団体「日本新聞会」 : 新聞事業令に基づく“自主的組織”

1942年 : 大日本言論報国会(会長 :徳富蘇峰)

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戦時歌謡① 中国戦線

東海林太郎

麦と兵

一九三八年

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戦時歌謡② 銃後・殉国

塩まさる『

九段の

一九三九年

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戦時歌謡③ 兵 士の望郷霧島昇

誰か故郷を想わざる

一九四〇年

 

西條八十

 

古賀政男

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戦時歌謡④ 支那慕情

渡辺はま子

蘇州夜曲

一九四〇年

 

西條八十

 

服部良一

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戦時歌謡⑤ 出征

小唄勝太郎

明日はお立ち

か』一九四二年

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戦時歌謡⑥ 職業軍人になろう !

霧島昇

若鷲の歌

一九四三年

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戦時歌謡⑦ お山の杉の 子

四 ラジオ 体操 一二三  子 どもは元気で 伸びてゆく  昔々の 禿山は 禿山は  今では立派な 杉山だ  誉れの家の 子 のように  強く 大きく 逞ましく  椎の木見おろす 大杉だ 大杉だ

文部省唱歌 ( サトウハチロー 詞 , 1944年 )

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戦時歌謡まとめ 威勢が良 い曲 も作られたものの,日本人の琴線に触れたのは,哀調・抒情に溢れる 曲 だった

情報局や軍部はレコード会社に「愛国精神高揚の歌を」と要求し続けたものの,日本人には受容されなかった

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相互監視・連帯責任体「隣組」

曲調は明るいが、

隣組

は最小の共同体。

相互に生活・思想を監視し合い、

逸脱者が

出れば、

隣組

全体で連帯責任を負う

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戦後占領軍(GHQ)は,占領政策の都合から総動員の仕組みをほぼ温存

検閲・指導監督の仕組みをほぼ内閣情報局から引き継いだ

このため,新聞・出版・放送・映画のすべてが「戦争(協力/煽動)責任」を曖昧にしたまま,GHQ お墨付きの「民主主義の申し子 」に豹変できた

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戦後改革の不徹底戦後のメディア産業の構造は「 1940年体制」をほぼ継承した形でスタートして,今日に至る

新聞・出版では新規参入者に対する障壁が築かれる(再販制度の存続。専売店網・二大取次業と取引できなければ新規参入できない)

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シベリア抑留の歌①

竹山逸郎

異国の丘

一九四八年

推定死亡者

三十四万人

(

六十五万人中

)

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シベリア抑留の歌②

菊池章子

岸壁の母

一九五四年