traverse 8

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traverse 8 | 新建築学研究 001 新建築学研究 t r a v e r s e 8 新建築学研究第 8 今年に入って、3 度、中国に行く機会があった。6 月(北京)、7 月(上海)は、日本建築学会 の短期の仕事であったが、中国の勢いに気圧(けお)されそうであった。とにかく、北京オリン ピックを目前にした中国は元気である。中国建築学会では、200 を超える新しい作品をスライド・ ショウの形で見せてもらったが、その斬新性と多様性には驚くばかりであった。中国は実に広い。 しかし一方、中国は大丈夫か、とも思う。北京は大気汚染がひどい。渋滞はバンコクなみであ る。上海の繁華街はずいぶん「柄」が悪くなった。著作権侵害の問題、食品安全の問題、異常気 象・・・中国社会の闇の問題が次々に明るみに出つつある。8 月中旬には、西安から洛陽、鄭州、 開封、東西 500 キロを往復した。夏王朝の遺址と考えられる二里頭遺蹟や鄭州商城などを訪れ る東アジアの都城に関する研究プロジェクトの一環であったが、いわゆる「中原」の風景に初め て触れた。黄河も初めて見た。中国は奥深いと思う。 この中国行に先立って、ウズベキスタン(タシュケント、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ)を訪 れた。シルクロードに触れるのは初めてであったが、『ムガル都市』の仕上げを現地で書きなが ら、改めてユーラシアの歴史を思った。また、砂漠を走りながら、地球温暖化問題を肌で感じる ことが出来た。パミール高原の氷河の水をアラル海に運ぶアム河とシル河に囲まれた地域は古来 マー・ワラー・アンナフル(川向こうの地)と呼ばれて、ユーラシアの歴史の興亡の舞台であっ たが、今も世界の注視を集める。知られるようにアラル海が消滅しつつあるのである。灌漑農地 の拡大によって、水不足が慢性化している。そして、マー・ワラー・アンナフルは、インド、パ キスタン、アフガニスタン、イランに接する。イスラーム世界の激震地帯でもある。 中国の次に焦点となるのはインドである。わが国の首相も遅ればせながらインドを訪れた。中国 とインド、この二つの大国で 25 億人である。インド市場がどんどん開けば、建築家も引き寄せ られるであろう。意欲ある若者は「インドへの道」を目指すべきだ。 しかし、グローバルな経済に翻弄されない道を目指すべきこともまた一貫して問われてきたので あり、模索されるべきだ、といいたいのだけれど。 布野修司/編集委員会

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Page 1: traverse 8

 traverse 8 | 新建築学研究

0 0 1

新建

築学

研究

t r a v e r s e 8  新 建 築 学 研 究 第 8

今年に入って、3 度、中国に行く機会があった。6 月(北京)、7 月(上海)は、日本建築学会

の短期の仕事であったが、中国の勢いに気圧(けお)されそうであった。とにかく、北京オリン

ピックを目前にした中国は元気である。中国建築学会では、200 を超える新しい作品をスライド・

ショウの形で見せてもらったが、その斬新性と多様性には驚くばかりであった。中国は実に広い。

しかし一方、中国は大丈夫か、とも思う。北京は大気汚染がひどい。渋滞はバンコクなみであ

る。上海の繁華街はずいぶん「柄」が悪くなった。著作権侵害の問題、食品安全の問題、異常気

象・・・中国社会の闇の問題が次々に明るみに出つつある。8 月中旬には、西安から洛陽、鄭州、

開封、東西 500 キロを往復した。夏王朝の遺址と考えられる二里頭遺蹟や鄭州商城などを訪れ

る東アジアの都城に関する研究プロジェクトの一環であったが、いわゆる「中原」の風景に初め

て触れた。黄河も初めて見た。中国は奥深いと思う。

この中国行に先立って、ウズベキスタン(タシュケント、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ)を訪

れた。シルクロードに触れるのは初めてであったが、『ムガル都市』の仕上げを現地で書きなが

ら、改めてユーラシアの歴史を思った。また、砂漠を走りながら、地球温暖化問題を肌で感じる

ことが出来た。パミール高原の氷河の水をアラル海に運ぶアム河とシル河に囲まれた地域は古来

マー・ワラー・アンナフル(川向こうの地)と呼ばれて、ユーラシアの歴史の興亡の舞台であっ

たが、今も世界の注視を集める。知られるようにアラル海が消滅しつつあるのである。灌漑農地

の拡大によって、水不足が慢性化している。そして、マー・ワラー・アンナフルは、インド、パ

キスタン、アフガニスタン、イランに接する。イスラーム世界の激震地帯でもある。

中国の次に焦点となるのはインドである。わが国の首相も遅ればせながらインドを訪れた。中国

とインド、この二つの大国で 25 億人である。インド市場がどんどん開けば、建築家も引き寄せ

られるであろう。意欲ある若者は「インドへの道」を目指すべきだ。

しかし、グローバルな経済に翻弄されない道を目指すべきこともまた一貫して問われてきたので

あり、模索されるべきだ、といいたいのだけれど。

布野修司/編集委員会

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新建築学研究 | traverse 8

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 traverse 8 | 新建築学研究

0 0 3

最適化のための反最適化 | Anti-optimization for Optimization

フェニキアからギリシアへ | From Phoenicia to Greece

景観・風景・ランドスケープ 景観論ノート 01 | Notes on

Theory of Landscape Design

スタジオコースの作品から | Selected Students' Work s from

Studio Course 2006

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移動する人々 −災害の住宅誌− | Moving People -A Journal of

Housing and Disaster-

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寄稿者一覧 | List of Contributors0 9 4

森 田 司 郎 名 誉 教 授イ ン タ ヴ ュ ー

I n t e r v i e w w i t h D r . S h i r o M O R I T A0 7 5

牧 紀 男N o r i o M A K I0 6 3

座 談 会D i s c u s s i o n0 5 5

0 0 3

布 野 修 司S h u j i F U N O0 4 1

竹 山 聖K i y o s h i S e y T A K E Y A M A0 2 9

大 崎 純M a k o t o O H S A K I0 2 1

学部の4回生は毎年「スタジオコース」と呼ばれ

る設計演習課題に取り組むことになる。

それぞれの担当教官が独自のテーマを設定し、学

生はそのテーマに応じて、自らの望むコースを所

属する研究室に関係なく自由に選択するといった、

いわば卒業設計の前哨戦だ。

その様々な作品の中から、4 コース 8 名の作品を

ここに紹介する。

In the 4th grade, undergraduate students take the

design class called 'studio course'.

Each professor sets up his original subject,

and students select freely regardness of their

laboratory.

These studios, so called, are 'the preliminary

skirmish' of diploma projects.

We will introduce 7 works among the various

courses.

Yoichi SUGIKI 

Naoko NATSUME 

Momoko FUJITA 

TAKEYAMA STUDIO 

"CINEMA × ARCHITECTURE"

Kenta HORI 

TAKAMATSU STUDIO 

"TELLING ARCHITECTURE"

Takuma FUTAE 

Kohei YUKAWA 

MUNEMOTO STUDIO 

"SCENARY AND ARCHITECTURE IN TIME"

Kosuke ISHIGURO 

Rei NIFUKU 

MON-NAI STUDIO 

"CITY AND ARCHITECTURE" 

スタジオコースの作品から | Selected Students' Works from Studio Course 2006

Page 3: traverse 8

From Studio Course

bathroom

kitchenbilliards

N

bath room

kitchenW.C.

store-house

laundry

2F plan 1:100

mini l ibrary

N

N

N

1/250

1/250

1/250

billiards

terrace

bath room

TAKEYAMA Studio | Yoichi SUGIKI

Page 4: traverse 8

From Studio Course TAKEYAMA Studio | Naoko NATSUME

Page 5: traverse 8

From Studio Course TAKEYAMA Studiio | Momoko FUJITA

Page 6: traverse 8

From Studio Course TAKAMATSU Studiio | Kenta HORI

c o l l a g e o f p e r c e p t i o n

芸術家が住まう場、創作する場と来訪者が作品を

鑑賞する場が一体となった芸術空間を作り出すこ

とを目的とした集合住宅三条通と柳馬場通に面す

る敷地に企画する

コンセプト…コラージュ

アトリエ

展示室

居室

居住者

訪問者

人の流れ

人の流れは右図のように訪問者と

居住者がねじれの関係にある。

これにより居住者のプライバシ

ーは確保され、訪問者は展示室を

介しながら、1,2層間を行き来し、線

的な流れと面的な広がり、そして迷

路性と透明性を連続的にリズミカル

に繰り返す。 

構造

4本の柱によるコア構造である。ダ

ブルの柱梁構造で間の空間が全ての

上下動線となる。

配置図 1:5000

様々な知覚される要素を重ねる。

奥行き、広がり、速度感、光沢、質感、…

それらを知覚することで、場所が生まれ、

建築は語りかける

語りかける建築

プ ラ イ ベ ー ト 住 宅

展 示 室

ワ ー ク ス ペ ー ス

上下動線

展 示 空 間

ダイアグラム

公的な空間、展示空間、居住空間と3層に分け、アトリエ、展示室、居室を市松模様のように配

置することで、各層の空隙に様々な流れが生じる。図の矢印のように一層目はアトリエが連なる

街路空間、2層目はアトリエの屋根がつなぐ回遊型展示空間、3層目はテラスつきの居住空間に

なる。また、上下動線を下図のように重複部分に設けることで、人の流れやプライバシーを制御

する。

Page 7: traverse 8

From Studio Course MUNEMOTO Studiio | Takuma FUTAE

Page 8: traverse 8

From Studio Course MUNEMOTO Studiio | Kohei YUKAWA

Page 9: traverse 8

From Studio Course MON-NAI Studiio | Kosuke ISHIGURO

Page 10: traverse 8

From Studio Course MON-NAI Studiio | Rei NIFUKU

Page 11: traverse 8

新建築学研究 | traverse 8

0 2 0

Makoto OHSAKI |  大崎純

0 2 1

The concept of anti-optimization is briefly introduced, and a general form of optimization

problem with anti-optimization is presented. The basic procedure of response spectrum approach

is discussed based on the framework of convex analysis with unknown-but-bounded uncertainty.

Examples are presented for optimization of trusses under compliance constraints, and design of

flexible structure for specified strain energy and norm of displacements.

構造物を設計する際には,材料特性のばらつきや,作用する荷重の不確定性を考慮しなければ

ならない。このような不確定性は,構造設計者によって直接意識されることは稀であるが,設

計時に参照する設計基準・指針などには,安全率として導入されている。

安全率は,実用的には非常に便利な概念であるが,理論的な根拠は曖昧である。材料や外力の

不確定性や不確実性を,より厳密に考慮するためには,確率理論,統計理論,信頼性理論など

を用いることができる。しかし,これらの理論を用いて地震荷重などの外力に対する応答量の

ばらつきを厳密に予測するためには,以下のような問題点がある。

1.   材料特性などのパラメータの確率分布を正確にモデル化するのは困難である。

2.   パラメータの確率分布が得られた場合でも,弾塑性の複雑な解析で得られる応答量の確率分布

    を予測するためには,モンテカルロシミュレーションに頼らなければならず,実用規模の構造

    物では膨大な計算量を必要とする。

3.   応答量の確率分布の予測を簡略化するために,材料特性などを正規分布で仮定すると,極めて

    大きいあるいは小さい剛性などの非現実的な値まで考慮することになってしまう。

一方,確率分布は分からなくても,不確定量の存在範囲を経験などによって指定できる場合が

ある。そのような場合には,応答量の範囲を求める問題は確定的な問題になり,非確率的手法

を用いることができる。

材料特性や外力などのパラメータの範囲を指定して,応答量の最大値 ( 最悪値 ) を求め

る問題を,反最適化問題 (anti-optimization problem) という [1]。不確定なパラメータのベ

クトルを X, 最大変位,最大応力などの代表応答量を R(X) とする。実験・計測あるいは経験か

ら,X のばらつきの範囲として,上・下限値 XU, XL を与えることができるものとする。あるいは,

X の大きさの範囲を,重み行列 W を用いて XTWX ≤ 1 で定義することが可能であるものとする。

このような場合,反最適化問題は一般に次のように定式化できる。

maximize          R(X)

subject to          XL ≤ X ≤ XU あるいは XTWX ≤ 1

1 . は じ め に

最適化のための反最適化 | Anti-optimization for Optimization

大 崎 純

M a k o t o O H S A K I

Page 12: traverse 8

最適化のための反最適化 | Anti-optimization for Optimization

0 2 2

Makoto OHSAKI |  大崎純

0 2 3

パラメータのばらつきを考慮した応答評価法の概念を,地震応答解析を例に考えてみる。地震

応答解析には,時刻歴応答解析など種々の方法が存在するが,最も計算効率の良い方法は応答

スペクトル法である。地震応答において,1 つのモードが卓越する場合には,最大応答を求める

ための地震力は,静的荷重に置き換えることができる。また,骨組構造の実務設計において弾

塑性応答を評価する際には,地震力を静的外力に置き換えて単調載荷することが多い。したが

って,地震力と等価な静的荷重を求めることは,実用上重要である。

構造物の節点変位のベクトルを時間 t の関数として U(t)とする。応答が弾性であると仮定すると,

U(t) は非減衰自由振動の i 次固有モードΦi とその係数 ci(t) を用いて

         U(t) = c1(t) Φ1 + ... + cn(t)Φn

のようにモード分解できる。ここで,n は変位の自由度である。

Φi に対応する等価な静的荷重 Pi を次式で定義する。

Ui = ΩiM Φi

ここで,M は質量行列,Ωi は i 次固有値 (固有円振動数の 2乗 )である。

いま,1 つのモード i の応答が卓越する場合を考える。例えば,ビル形式の骨組では 1 次モー

ドの応答が卓越する。このとき,剛性行列 K とすると,モード i に対応する応答変位の最大値

Uimax は次式を解いて求められる。

KUimax = ci

max Pi

ここで,cimax は応答スペクトル法で得られたモード i の最大応答である。

いま, U の線形関数として与えられる応力などの代表応答量 R を

R = bTU

で定義する。モード i の最大応答に対応する R の絶対値の最大値 Rimax は次式を解いて求められる。

Rimax = |bTUi

max|

ところで,1 つのモードが卓越しない場合でも,数個のモードで応答を近似することができる。

例えば 3 個のモードで近似できるとき,全てのモードの最大応答に対して R が正であると仮定

すると,最悪の応答量は次式で与えられる。

Rworst = R1max + R2

max + R3max

したがって,最悪の荷重は次式で与えられる。

Pworst = c1maxP1 + c2

maxP2 + c3maxP3

しかし,上式では,全てのモード応答の最大値が同時に発生するものと仮定しており,応答を

過大に評価することになる。このような過大評価を避けるため,一般に次式の SRSS 近似が用

いられる。

RSRSS = [R1max + R2

max + R3max]1/2

SRSS 法は,ランダム振動論に基づく方法であるが,地震動と構造物の特性に基づいて,cimax の

組合せの範囲について何らかの条件を定めることができれば,それを反最適化問題の制約条件

として与えて,最悪応答量を求めるこができる。例えば,線形制約を与えた次のような問題を

考えることができる。

maximize          R(cmax)

subject to          R = bTU, KU = P

P = c1max P1 + c2

max P2 + c3max P3

c1max + c2

max + c3max ≤ cU

ここで,cU は指定された上限値である。

指定された外力に対する応力や変位などに関する制約の下で,構造コストを最小化する設計を

求める問題を最適設計問題という。部材断面積などの設計変数のベクトルを A,最小化すべき

目的関数を A とし,簡単のため1つの代表応答量 R(A) に関する制約を考慮すると,最適設計

問題は一般に次のように書ける。

minimize          F(A)

subject to          R(A) ≤ RU

2 . 地 震 に 対 す る 応 答 評 価

3 . 最 悪 応 答 量 を 考 慮 し た

最 適 設 計 問 題

Page 13: traverse 8

最適化のための反最適化 | Anti-optimization for Optimization

0 2 4

Makoto OHSAKI |  大崎純

0 2 5

ここで,RU は応答量 R に対する上限値である。

通常の最適設計では,荷重や材料パラメータは確定的な量であると考える。これらのパラメー

タの不確定性を考慮した場合には,設計変数の関数としての最大 (最悪 )応答量が上限値以下と

ならければならないので,最適設計問題は次のようになる。

minimize          F(A)

subject to          Rworst(A) ≤ RU

X を不確定性を有するパラメータベクトルとすると,Rworst(A) は,X を変数とした反最適化問

find               Rworst(A) = max R(X)

subject to          XL ≤ X ≤ XU あるいは XTWX ≤ 1

を解いて求められる。したがって,最適設計解は,2 段階の最適化・反最適化問題を解いて得ら

れる。あるいは,構造コストの上限値を FU として,以下のように定式化することもできる。

minimize          Rworst(A)

subject to          F(A) ≤ FU

図1のようなアーチ状トラスを考える。本節では,荷重の不確定性を考慮した最適設計の概念

を解説することを目的とするため,トラスの形状や材料パラメータの詳細は省略する。

節点 1, 2, 3 に作用する荷重を P1, P2, P3 とし,線形制約

− D ≤ P1 − P3 ≤ D

を与える。ここで,D は荷重の非対称性の大きさを制限するパラメータであり,D = 0 のとき荷

重は対称である。また,表現を簡単にするため,荷重ベクトル P = (P1, P2, P3)T が,2節での

パラメータベクトル c を表すものとする。

節点 1, 2, 3 の鉛直変位を U1, U2, U3 とすると,節点変位ベクトル U = (U1, U2, U3)T は P の

線形関数であり,以下のように書ける。

U = CP

ここで,C は柔性行列 (C = K-1) である。

下弦材,上弦材,斜材の断面積を A1, A2, A3 とし,それらは次の離散値をとるものとする。

Ai = k ∆A, (i = 1,2,3; k = 1, 2, …)

以下の例では∆A = 10 とする。

最適設計問題で最小化すべき目的関数は,次式で定義されるコンプライアンス(外力仕事あるいは

ひずみエネルギーの2倍 )W とする。

W(A, P) = PT U = PT C P

ここで,U と C は A の関数である。Pi の上・下限値を PiU,Pi

L とすると,反最適化問題は P を

変数とした次のような問題になる。

maximize          W = PT CP

subject to          − D ≤ P1 − P3 ≤ D

         PiL ≤ Pi ≤ Pi

U, (i = 1, 2, 3)

以下の例では,PiU = 10,Pi

L = − 10 とする。

定義から明らかなように,C が正定値行列なので,コンプライアンスは荷重の凸関数である。

したがって,その最大 ( 最悪 ) 値は,荷重がとり得る領域 ( 許容領域 ) の頂点での値を列挙す

ることによって得られる。また,W は P の 2 次形式なので,1 つの成分の符号を正と仮定して,

その値を最大値に固定することができる。さらに,例えば P2 = 10 としたとき,全ての部材の

断面積が同一であるものとすると,トラスの対称性より,(P1, P3) = (10, 10 − D), と (P1,

P3) = (10 − D, 10) での W の値は同じなので,P1 を 10 あるいは− 10 に固定できる。以上より,

許容領域の頂点 (P1, P2, P3) = (10, 10, 10), (10, 10, 10 − D),

( − 10, 10, − 10+D), ( − 10, 10, − 10) での W の値を比較すれば良いことがわかる。

例えば,P1 = P2 = 10 のとき,P3 を変化させたときのコンプライアンスの変化を図に示す。制

約条件より,P3 の範囲は P1 − D ≤ P3 ≤ P1 + D なので,図から分かるように,P3 の最悪値は,

D ≤ 14 のとき 10, D ≥ 14 のとき 10 − D である。

コンプライアンス W の上限値を 100, D = 10 として,汎用最適化プログラムを用いて最適設計

解を求めると,図3のようになった。ここで,(A1, A2, A3) = (170, 90, 60) であり,図3は,

部材幅が断面積に比例するように描いている。また,最悪荷重は P1 = P2 = P3 = 10 である。

図1 アーチ状トラス 図2 P1 と P2 を固定したときの P3

     とコンプライアンスの関係

図3 コンプライアンスの最悪値を

   考慮したアーチの最適断面積

4 . 不 確 定 性 を 有 す る 静 的

外 力 に 対 す る 設 計

Page 14: traverse 8

最適化のための反最適化 | Anti-optimization for Optimization

0 2 6

Makoto OHSAKI |  大崎純

0 2 7

建築骨組構造物の設計における基本的考え方は,「剛構造」と「柔構造」に分けられる。「剛構造」

では,構造物は外力に対する変形が十分に小さくなるように,十分な剛性を持つように設計さ

れる。「柔構造」では,地震などの外乱に対して共振しないように柔に設計される。

一方,膜構造物やケーブルネットなどの張力構造物は,外力作用時に大きく変形しても,仕上げ材

などに影響がなく,外力除去時に変形が初期状態に戻れば,大変形を許容することができる。本

節では,簡単のため,トラスモデルを用いて最悪の荷重パターンを考慮した設計法を解説する [2]。

漸近安定性の定義          荷重を除去したときに初期状態に戻るための条件は,初期状態の漸近安定性を用いて定式化できる。

節点変位ベクトルを U とし,変位ノルムを

S(U) = (U T U)1/2

で定義する。構造物の性能は,指定された変位ノルム S(U) = S* の下でのひずみエネルギー

H(U) で定めることができる ( ひずみエネルギーが大きいほうが性能が大きい )。また,ひずみ

エネルギーの勾配 grad H(U) を用いて G(U) を次式で定義する。

G(U) = U T grad H(U)

変位のノルムが S* 以下であるような許容な変形状態で G(U) > 0 が成立するとき,U = 0 の無

変形状態は漸近安定である。

最適設計問題            変位ノルムが S* であるような変形状態での諸量の最悪値を * で表すと,それらの量は設計変数

ベクトル A の関数である。例えば,ひずみエネルギーの最悪値(最小値)は H*(A)のように書ける。

ひずみエネルギーを性能指標と考え,その最悪値に対する下限値を HL とする。すなわち,変位の

ノルムが指定されたとき,ひずみエネルギーが最小になるような状態を最悪の変形状態とし,そ

の状態で吸収できるひずみエネルギーが,指定された下限値以上となる設計を,許容な設計とする。

さらに,外力を開放したときに無変形状態に戻るために,変位ノルムが指定値以下の領域にお

いて,G(U) > 0 が成立しなければならない。したがって,最適設計問題を以下のように定義する。

OPT minimize          F(A) = LT A

subject to          H*(A) ≥ HL

         G*(A) ≥ 0

ここで,L は部材長ベクトルである。この問題を解くために,以下のような 2つの子問題 (反最

適化問題 )を解く。

S1  find            H*(A) = min H(U; A)

    subject to          S(U) = S*

S2  find           G*(U) = min G(U; A)/S(U)

    subject to          S(U) ≤ S*

ここで,G(U; A), H(U; A) の変数は U であり,A はパラメータである。

最適化の詳細は省略するが,例として,図4に示すような 24 部材トラスの最適化を行った。頂

部の高さは 821.6 mm であり,節点座標などの詳細は文献 [3] を参照すること。

ひずみエネルギーの指定値を 1.0000 × 106 N ∙ mm とする。以下では,力と長さの単位はそれぞれ

N, mmとして省略する。図4において,頂点に接続する部材をグループ1,周方向部材をグループ2,

支点に接続する部材をグループ 3とし,それらの断面積を A1, A2, A3 とする。

種々の変形ノルムの指定値 S* に対する最適化の結果を表 1 に示す。ここで,UI 及び UII は,そ

れぞれ子問題 S1 及び S2 の最適解 ( 最悪解 ) での U の値である。表より,ひずみと変位ノルム

に関する制約は等号で満たされていることが分かる。S* が 50, 180 のときには,G*(A) は変位

ノルムが最大になる状態で最小になっている。しかし,S* = 100 では,G*(A) は領域内部で最

小になっている。また,全部材体積は S* の減少関数であり,S* が小さいときにはグループ 1 の

断面積が相対的に大きくなっている。逆に,S* が大きいときにはグループ 3 の断面積が大きく

なっている。

S* = 180 のときの子問題 S1 の最悪変形状態を図5に実スケールで示す。ここで,点線は変形前

の状態である。変形は対称であり,頂点の鉛直変位が大きい状態が最悪な変形であることが確

認できる。

漸近安定性について検証するため,大変形動的時刻歴解析を行った。各節点の鉛直方向に,ラ

ンダムに初速度を与え,初期の運動エネルギーがひずみエネルギーの指定値に一致するように

図4 24 部材トラス 図5 最悪変形状態

S* 50.0 100.0 180.0F(A) 3.5598 × 107 1.0905 × 107 5.2154 × 106

A1 795.19 161.62 110.25A2 370.69 168.13 165.88A3 476.60 156.93 281.74H(UI) 1.0000 × 106 1.0000 × 106 1.0000 × 106

D(UI) 49.978 99.956 179.92D(UII) 50.040 45.069 179.84G*(A) 5.6848 × 104 2.4705 × 104 13.121表 1 最適化の結果

5 . 最 悪 変 形 を 考 慮 し た 柔

な 構 造 物 の 設 計

Page 15: traverse 8

最適化のための反最適化 | Anti-optimization for Optimization

0 2 8 0 2 9

Kiyoshi Sey TAKEYAMA |  竹山聖

フェニキアから

する。また,減衰は与えない。S* = 100 の場合について,ひずみエネルギーと変位ノルムの時

刻歴の履歴をそれぞれ図6, 7に示す。初速度ベクトルが最悪変形モードに一致していないた

め,これらの最大値は指定値に達していないが,ひずみエネルギーはほぼ指定値に達している。

構造物の材料や作用する荷重のばらつきを考慮した設計法の一つとして,非確率的な手法を紹

介した。構造物の性能を簡便にかつ正確に評価して,これまでの仕様設計から性能規定設計に

移行するためには,安全率に依存した評価法から脱却して,パラメータのばらつきを考慮した

評価法を確立することが望まれる。

1. Elishakoff, R. T. Haftka, and J. Fang, Structural design under bounded uncertainty-optimization

    with anti-optimization, Computers & Structures, Vol. 53(6), pp. 1401-1405, 1994.

2. 加藤直樹,大崎 純,谷 明勲,建築システム論,造形ライブラリー 3,共立出版,2002.

3. M. Ohsaki, Optimum design of flexible structures under constraints on strain energy and    

図6 ひずみエネルギーの履歴 図7 変位ノルムの履歴

6 . お わ り に

参 考 文 献

The ancient Phoenician cities were famous for their production: beautiful purple fabric, transparent

glass, and exquisite metalwork. They traded fashion and design through their marine transportation

networks.

Ancient Greek people not only studied Phoenician knowledge, technology and writing methods, but

also embodied their own thought in their architecture and city planning. They found an appropriate

arrangement---agencement, in French, which implies “agency,” in other words an arrangement

made by an agent---of buildings so as to make their city open to traders. The acropolis, agora, and

amusement activities of the city were places in which to channel the traders’ desires.

われわれ研究室の有志が地中海を旅したのは、わたしが京都大学に着任した 1992 年から 1995

年にかけてのことだ。まずギリシア、キプロス、トルコ、次にヨルダン、シリア、そしてイタリ

ア、最後にスペイン。

地中海を旅しながら、われわれは多くのフェニキア人たちの痕跡に出会った。紀元前 2000 年紀

に花開いた東地中海国際文化。繁栄が突如として終わりを告げた紀元前 12 世紀頃から、かれら

の活動は独自の形を取って現れ出る。その繁栄の残り香を漂わせながら。クレタはとうに力を失

い、ミケーネが没落した前 1200 年頃からの、いわゆる「暗黒の時代」にはいって、かれらの活

動は際立ちはじめるのである。地中海をフェニキアが制していく。

ただそれはあくまでも痕跡であって都市遺構ではない。われわれが旅した遺跡の多くはギリシア

とローマの都市遺構であり、フェニキア人の都市は明快な姿をとどめていない。かれらについて

は、岬や湾や泉や岩など、機能的、象徴的、そして経済的な観点から場所の力を読み取りつつ、

防御に配慮した港町をつくっていったことが知られている。これらはのちに「ポエニの風景」と

呼ばれる。

キプロス、クレタは特に重要な拠点だったが、チュニス、のちのカルタゴ以西は地中海の南岸を

辿って航海し、夜の停泊地を求めて、海沿いに居留地を築いていった。そしてその道すがら、シ

シリーやイビサなど多くの島にも足跡を刻んでいる。かれらはジブラルタルをはさみこむヘラク

レスの柱に至るまで、いやその外側にも達しつつ船を進め、居留地を築いた。ヘラクレスはいう

までもなくかれらの主神メルカルト、バアルであり、のちのギリシア神話において苦難に遭遇し

つづける英雄となった。

商業民だからさぞ合理的な都市計画をしていたことだろうと想像はしてみる。居留地はギリシア

やローマのように地域に根づくという思想はなく、ただ物流の中継地であり砦であったようだが、

シドン、テュロスといった中心都市の構築性は極めて高く、その富の蓄積のみごとさは、旧約聖

書にも描かれている。溢れる富を相互に分け与えるソロモンとの関係。ダビデ、ソロモンの建築

フェニキア人:ファッションとデザイン

フェニキアからギリシアへ :紀元前 2000 年期から 1000 年期への移行期における東地中海古代都市

の相貌 | From Phoenicia to Greece : The Significant Features of East Mediterranean Cities in the

Period of Transition from the Second Millennium B.C. to the First Millennium B.C.

竹 山 聖

K i y o s h i S e y T A K E Y A M A

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フェニキアからギリシアへ | From Phoenicia to Greece

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Kiyoshi Sey TAKEYAMA |  竹山聖

を技術的に支えたのもフェニキア人だ。バビロンの王ネブカドネザル 2 世がテュロスを破壊し

たとき、その損失の大きさに、エゼキエルはおおいに嘆いた。 かれらの本拠

地であったシリア地方にはいつも、アッシリア、ネオ・バビロニア、ペルシアと

いったメソポタミアの強大な王権の圧力が迫っていたから、築かれた陸の拠点は

防御の場であり、それがそのまま海への脱出口でもあった。

フェニキア人の記録は少ない。かれらが残したのは碑文の類だ。とはいえ、商業

民であるから、商売の記録は必ずあったはずだ。おそらくは粘土板にでなく、蝋

引き板か羊皮紙、あるいはパピルスに書き留めていたのだろう。だから結果的に

残らなかった。

これは移動の民にとっては当然のことかもしれない。時代は下がるが、アケメネ

ス朝とササン朝を繋ぐアルキケサス朝、いわゆるパルティアも、文字の記録が少

ない。なぜなら交易が活発だったからだ。重たくかさばる粘土板に文字を刻むの

は、スピードと効率と持ち運びを重視する交通と商業の民にはそぐわない。とりわけ移動の民に

とって、<圧縮・保存・輸送>の技術は、死活問題なのである。フェニキア人は、歴史に残るよ

り現世の繁栄を求める民であった。

かれらについては、むしろ競争相手のギリシア人たちの悪意をこめた饒舌によって、その輪郭を

窺い知ることができる。 フェニキア人は残された文献の面では寡黙だったから、弁護人抜き

の論告求刑のようなところがある。だから悪口はかなり割り引くことにしよう。すると、フェ

ニキア人が、ポエニケーというその名の由来である青みがかった深紅の染め物(ばら色から緋色、

紫にまで至る、とフェルナン・ブローデルは述べている) や、はじめての透明なガラス製品

や、みごとな金属細工など、確かな技術に裏づけられた商品力のある製品を生産していたことが

わかる。しかも、高い建築技術をもち、優れた造船技術と航海術によって海を制し、遠隔地を結

びつけながら、この時代の人々の欲望を強く惹きつける商売をしていた姿がうかがえる。だから

少々強気に出ても、あこぎなやつだと裏口をたたかれながらも、貿易立国でやっていけた。技術

と商品力が物を言うのはいつの時代も同じだ。

ところでかれら自身は自らをフェニキア人と称してはいない。あくまでもシドン人であり、テュ

ロス人であり、ゲバル(ビブロス)人だ。都市の民だ。農耕牧畜の後背地を持たない、純粋な都

市の民だ。そしてかれらこそが、都市は交易によって自立しうることを証明した。

かれらの交易は基本的に加工貿易であり、中継貿易であった。しかも独自の特産品をもっていた。

そしてそれは農産物ではなかったから、土地にしがみつく必要もなかった。すなわち人類史上初

めて、土地に縛られることのない居住形態を可能にしたのである。やがてフェニキア人に取って

代わるギリシア人たちも、航海術にとどまらず、商業・貿易立国の秘訣や居住形態などの多くを、

かれらから学んだにちがいない。

かれらの特産品が、生活必需品でなく、かといって宝石のような物自体の価値に頼った貴重品で

もなく、美しい色をした布、透明なガラス、みごとに加工された金属、木、象牙といった、ファッ

ションやデザインであったことに注目していい。裏を返して言うならば、ファッションやデザイ

ンという、人々の夢と想像力によって生きていくことが可能になるほど、当時の東地中海文化は

成熟していた、ということがわかる。フェニキア人たちの商品企画開発能力によって、東地中海

は大きなマーケットとなり、商品を待つ人々の欲望を生み育てていったのである。

文明は便利さの追求に向かい、文化は不便さ(理不尽かつ非合理なカッコよさ)の洗練に向か

う。当時の文化の洗練が窺い知られよう。あるいは文化を洗練させたのがかれらの製品そのもの

であったというべきかもしれない。人類は、遥か昔から、必要なものよりオシャレでカッコイイ

ものを求めるようにできているのである。これもまた、ギリシア人がフェニキア人を引継ぎ、や

端倪す

べか

らざる能力の持ち主であったのは、

たとえばヘロドトスが「フェニキ

ア人は何をやっても頭の良さを発

揮した」と述べたりしているのを

見てもわかる。(ヘロドトス『歴

史』松平千秋訳、岩波文庫、下巻、

p.29

フェルナン・ブローデル『地

中海世界1』神沢栄三訳、

みすず書房、p.89

がて超えていった領域なのである。

哲学の祖、ミレトスのターレスも先祖はフェニキア人であったとの説がある。 ストア派のゼ

ノンもまた。おそらくは思想的にも優れた資質を持った民族だったのだろう。キプロス出身のア

フロディテーや、ヨーロッパの名前のもとになったエウロペもレヴァントの海岸からゼウスにさ

らわれてクレタに連れ去られたからフェニキア人といっていいだろう。ギリシア神話経由で、フェ

ニキア文化のヨーロッパ文化に果たした役割も大きい。

そしてその活動範囲は、思いがけぬほどの広がりを持っていた。ギリシアの歴史家ヘロドトスは、

アフリカ大陸を一周して来たというフェニキア人のエピソードを紹介している。 ヘロドトス

はこの話を訝しんでおり、その理由は「太陽は右手にあった」というフェニキア人の報告にある。

この「太陽は右手にあった」というのは 、太陽が北に見えたということで、ヘロドトスには「信

じ難いことである」のだが、むしろ 、 赤道を越えて一周したことの動かぬ証拠といえるだろう 。

フェニキア人たちは、バスコ・ダ・ガマが希望峰をまわるより 2000 年以上前に、アフリカ一周

を成し遂げていたのである。時計まわりに。最後には「ヘラクレスの柱」と呼ばれたジブラルタ

ル海峡を通って地中海に戻って来た。

そういえば、このギリシアの英雄ヘラクレスも、フェニキア、テュロスの主神メルカルト神と同

じだと考えられている。

時代はおおいに下がるが、ここでアレクサンダーとヘラクレスの関係に思いを馳せてみよ

う。紀元前 4 世紀のアレクサンダー大王のアジア遠征。アレクサンダー自身がヘラクレスの

末裔をもって任じており、人々にもそう信じさせることが重要だったのだろう。つまり神話

が遠征を正当化する論理であった。ギリシアの人々はアレクサンダーをヘラクレスに重ね合

わせることによって、ヘレニズム世界の拡大と実現を了解した。かれは、フェニキアの最も重

要な都市テュロスを徹底的に攻略しながらも、その主神メルカルトの神殿

に逃げ込んだ者は許し、なお盛大なスポーツの催しと供犠を奉げたという。アレク

サンダーがテュロスにこだわったのは、そこがヘラクレスの聖地であったからだろ

う。メルカルトに供犠を捧げようとして拒否されたのでなお逆上したとも伝えられて

いる。もちろん聖地には富が埋蔵されている。ただ聖地巡礼の気持もあったのではな

いか。むしろアレクサンダーの遠征自体が聖地巡礼であったと見ることも可能かもし

れない。ヘラクレスの偉業をトレースしながら。なにしろヘラクレスは移動と植民を

体現する神なのである。そしてアレクサンダーは、聖地バビロンで生涯を終えている。

シリアの地中海岸にラタキアという港町がある。港があり、市場があり、ホテルがある。瀟洒な

保養地の趣である。1993 年の 9月に、われわれはこの地を訪れた。

旧フランス領のシリアは街や人の雰囲気があかぬけている。ダマスカスではイスラム教国にもか

かわらず、屋台でビールが手に入るし、怪しげなバーがビルの 2階にあって、男の軍人同士がビー

ルを飲んでキスしたりもしている。目が合うとニヤリとめくばせをする。イスラムであり、フラ

ンスである。

ラタキアから海沿いの道を北に 10 キロほど行くと、アルファベットの発見で有名な古代交易都

市、ウガリットの遺跡がある。

ウガリットの発見は、1928 年、畑を耕していた農夫が偶然に掘り当てた墓石に端を発する。フ

ランスの調査隊がやってきて、ここが文献などで古来名高い交易都市、ウガリットであることが

わかった。

ヘロドトス、前掲書、中巻、

p.28

ヘロ

もこの神殿について触れている。

「私はこの件に関して正確な知識

を与えてくれる人に会いたいと思

い、海路フェニキアのテュロスま

で渡ったことがある。ここにヘラ

クレスの神殿があると聞いたから

である。私はそこにおびただしい

奉納物に飾られた神殿を見たので

あったが、数ある奉納物の中でも

特記すべきは二本の角柱で、一つ

は精練された黄金製、一つは闇中

にも輝くほどの巨大なエメラルド

製であった。」(

ヘロドトス、前

掲書、上巻、p.190

たとえば、「彼らはツロ(著

者註:テュロス)の城壁

を破壊し、その塔を引き倒す。わ

たしは彼女から土を一掃し、彼女

を裸の岩にする。」「彼女は諸国民

の略奪の的となって、野にある彼

女の娘たちは剣で殺害されよう。」

(p.104)

「彼らはお前の財産を強

奪し、交易によるお前の富を略奪

する。」(p.105)

「ああ、お前は滅

亡し、海から消滅した、かつて海

で強くなって、賛美された町よ。」

(p.106)

「お前は自分の心を神々

の心のようにしたがゆえに、それ

ゆえ、みよ、わたしは諸国民の中

の最も凶暴な異国人(著者註:ネ

ブカドネザル2世のことである)

をお前に向かわせる。彼らはお前

の知恵の美しさに向かって剣をふ

るい、お前の栄華を冒瀆する。」

(p.115)「

おまえは特愛の印章で

あって、知恵に満ち、美しさのき

わみであった。おまえは神々の園

エデンにいて、あらゆる宝石が

おまえの包衣であった。」(p.116)

等。ここで「わたし」とはヤハ

ウェであり、エゼキエルがこれを

聞き取ったのである。『エゼキエ

ル書』、月本昭男訳、岩波書店。

ヘロドトス、前掲書、上巻、

p.129

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ウガリット:場所を移した都市ゲーム