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132. 可逆的神経伝達阻止法による大脳基底核神経回路の制御機構の解明 疋田 貴俊 Key words:大脳基底核,神経回路 大阪バイオサイエンス研究所 システムズ 生物部門 大脳基底核は運動制御や報酬系に重要な役割を担っている 1) .線条体,側坐核の出力を担当する中型有棘細胞には,黒 質,腹側被蓋野の神経細胞からのドーパミン,大脳皮質からのグルタミン酸,インターニューロンからのアセチルコリン,GABA などが入力し,大脳基底核内の神経回路を調節している(図1).これらの神経伝達物質の異常は大脳基底核障害につなが り,たとえばパーキンソン病はドーパミンの枯渇によって運動障害を呈する.また種々の依存性薬物は側坐核のドーパミンを亢進 し,この亢進が薬物依存を誘導する.しかしながら,運動制御や報酬系における情報処理やパーキンソン病,薬物依存症とい った病態における大脳基底核神経回路の詳細な制御機構はほとんど分かっていなかった.著者らはイムノトキシン標的神経細胞 破壊法(IMCT 法)を用いて,大脳基底核内の局所神経回路の制御機構を研究してきた 2-5) .IMCT 法により大脳基底核に局 在するアセチルコリン産生細胞を選択的に除去すると,急性期にはドーパミンの過剰な反応をもたらし異常な運動症状を呈し た.さらに慢性期にはドーパミン受容体の代償反応により異常運動が消失した.この結果は基底核のドーパミンとアセチルコリン が協調的かつ拮抗的に作用し基底核の神経活動を制御していることを示す 2) .さらに側坐核アセチルコリン産生細胞除去マウス では依存性薬物の感受性が顕著に亢進し,一方アセチルコリンの分解酵素であるアセチルコリンエステラーゼの阻害薬を投与 すると側坐核アセチルコリン産生細胞依存的に薬物依存行動が軽減することを明らかにした 3,4) . また,報酬関連学習において も線条体アセチルコリン産生細胞の関与を示した 5) .これらの結果より,大脳基底核神経回路におけるアセチルコリン産生細胞 の役割が明らかになった.一方,大脳基底核においてドーパミンやアセチルコリンの入力を受ける中型有棘細胞については,黒 質網様部に投射する直接路と淡蒼球を介する間接路に大きく二分されているにもかかわらず,形態に違いがないことから,直接 路と間接路の情報処理や制御機構について明らかにされてこなかった. 本研究では大脳基底核の神経回路の制御機構を調べるために,可逆的神経伝達阻害法(Reversible neurotransmission blocking; RNB)を用いた.これはテトラサイクリン依存的に破傷風菌毒素 TN を発現させ,シナプス小胞開口分泌制御タンパ ク質 VAMP2 の機能を阻害しシナプス活動を可逆的に阻害するシステムであり,GABAA 受容体 α6 サブユニットの発現調節 部位を用いることによって小脳顆粒細胞によるグルタミン酸神経情報伝達を完全に阻害することが出来る 6,7) .RNB 法を適応す ることによって,大脳基底核の直接路あるいは間接路の GABA 神経情報伝達を可逆的に調節する in vivo の系を確立した. この系を用いて,運動や報酬系の制御において二つの大脳基底核神経回路の役割を解析していく. TN トランスジェニックマウス 6,7) とその野生型対照群を用いた.ドキシサイクリンは固形飼料に 6mg/g 及び 10% sucrose 水 に 2mg/ml 混入して与えた 6,7) .全ての動物実験は大阪バイオサイエンス研究所の承認を受け,規定に従った.サブスタンス P とエンケファリンのプロモーター領域をそれぞれ 2.1kb, 2.0kb の範囲で BAC cDNA より入手し,flag-tTA をつないで, pAAV vector (Stratagene)に挿入した.アデノ関連ウイルス(AAV)は AAV-Helper-free system (Stratagene)を用いて 作製した.AAV ViraTrap AAV Purification kit (Omega Bio-Tek Inc.)を用いて,精製濃縮を行った.精製した AAV は線条体の 11 箇所に定位脳固定手術によって注入した 5) .ウエスタンブロット法はすでに報告した方法に従って行った 6) .回転 行動は直径 25cm の半球のボウルにいれて,直後より5分間観察した 2) 上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009) 1

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Page 1: 132.可逆的神経伝達阻止法による大脳基底核神経回 …...blocking; RNB)を用いた.これはテトラサイクリン依存的に破傷風菌毒素TNを発現させ,シナプス小胞開口分泌制御タンパ

132. 可逆的神経伝達阻止法による大脳基底核神経回路の制御機構の解明

疋田 貴俊

Key words:大脳基底核,神経回路 大阪バイオサイエンス研究所 システムズ生物部門

緒 言

 大脳基底核は運動制御や報酬系に重要な役割を担っている 1).線条体,側坐核の出力を担当する中型有棘細胞には,黒質,腹側被蓋野の神経細胞からのドーパミン,大脳皮質からのグルタミン酸,インターニューロンからのアセチルコリン,GABAなどが入力し,大脳基底核内の神経回路を調節している(図1).これらの神経伝達物質の異常は大脳基底核障害につながり,たとえばパーキンソン病はドーパミンの枯渇によって運動障害を呈する.また種々の依存性薬物は側坐核のドーパミンを亢進し,この亢進が薬物依存を誘導する.しかしながら,運動制御や報酬系における情報処理やパーキンソン病,薬物依存症といった病態における大脳基底核神経回路の詳細な制御機構はほとんど分かっていなかった.著者らはイムノトキシン標的神経細胞破壊法(IMCT 法)を用いて,大脳基底核内の局所神経回路の制御機構を研究してきた 2-5).IMCT 法により大脳基底核に局在するアセチルコリン産生細胞を選択的に除去すると,急性期にはドーパミンの過剰な反応をもたらし異常な運動症状を呈した.さらに慢性期にはドーパミン受容体の代償反応により異常運動が消失した.この結果は基底核のドーパミンとアセチルコリンが協調的かつ拮抗的に作用し基底核の神経活動を制御していることを示す 2).さらに側坐核アセチルコリン産生細胞除去マウスでは依存性薬物の感受性が顕著に亢進し,一方アセチルコリンの分解酵素であるアセチルコリンエステラーゼの阻害薬を投与すると側坐核アセチルコリン産生細胞依存的に薬物依存行動が軽減することを明らかにした 3,4). また,報酬関連学習においても線条体アセチルコリン産生細胞の関与を示した 5).これらの結果より,大脳基底核神経回路におけるアセチルコリン産生細胞の役割が明らかになった.一方,大脳基底核においてドーパミンやアセチルコリンの入力を受ける中型有棘細胞については,黒質網様部に投射する直接路と淡蒼球を介する間接路に大きく二分されているにもかかわらず,形態に違いがないことから,直接路と間接路の情報処理や制御機構について明らかにされてこなかった. 本研究では大脳基底核の神経回路の制御機構を調べるために,可逆的神経伝達阻害法(Reversible neurotransmissionblocking; RNB)を用いた.これはテトラサイクリン依存的に破傷風菌毒素TNを発現させ,シナプス小胞開口分泌制御タンパク質 VAMP2 の機能を阻害しシナプス活動を可逆的に阻害するシステムであり,GABAA 受容体 α6 サブユニットの発現調節部位を用いることによって小脳顆粒細胞によるグルタミン酸神経情報伝達を完全に阻害することが出来る 6,7).RNB 法を適応することによって,大脳基底核の直接路あるいは間接路の GABA 神経情報伝達を可逆的に調節する in vivo の系を確立した.この系を用いて,運動や報酬系の制御において二つの大脳基底核神経回路の役割を解析していく.

方 法

  TN トランスジェニックマウス 6,7)とその野生型対照群を用いた.ドキシサイクリンは固形飼料に 6mg/g 及び 10% sucrose 水に 2mg/ml 混入して与えた 6,7).全ての動物実験は大阪バイオサイエンス研究所の承認を受け,規定に従った.サブスタンスP とエンケファリンのプロモーター領域をそれぞれ 2.1kb, 2.0kb の範囲で BAC cDNA より入手し,flag-tTA をつないで,pAAV vector (Stratagene)に挿入した.アデノ関連ウイルス(AAV)は AAV-Helper-free system (Stratagene)を用いて作製した.AAV は ViraTrap AAV Purification kit (Omega Bio-Tek Inc.)を用いて,精製濃縮を行った.精製した AAVは線条体の 11 箇所に定位脳固定手術によって注入した 5).ウエスタンブロット法はすでに報告した方法に従って行った 6).回転行動は直径 25cm の半球のボウルにいれて,直後より5分間観察した 2).

 上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009)

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結 果

 大脳基底核の直接路を構成する中型有棘細胞にはサブスタンス P(SP)が,間接路を構成する中型有棘細胞にはエンケファリン(Enk)が特異的に発現する(図1).  

 図 1. 大脳基底核の神経回路.

GABA 作動性の中型有棘細胞は SP をもつ直接路と Enk をもつ間接路に二分される.白抜き矢印は興奮性,矢印は抑制性のシナプス伝達を示す.

   大脳基底核の2種類の神経回路に RNB 法を適応するために,それぞれのプロモーター下にテトラサイクリン反応性転写因子 tTA を挿入したリコンビナント AAV を作製した(V-S-tTA, V-E-tTA; 図2).このウイルスを,テトラサイクリン応答配列(TRE)の下流に破傷風菌毒素(TN)と GFP の融合遺伝子をつないだトランスジーンをもつ TN トランスジェニックマウスの線条体に注入した.AAV が TN トランスジェニックマウス線条体の神経細胞に感染すると,SP あるいは Enk のプロモーターによって直接路あるいは間接路の中型有棘細胞に特異的に発現した tTA が TRE に働き,GFP-TN を発現させる.GFP-TN は

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VAMP2 を切断し,目的の神経細胞のシナプス伝達を遮断する 6,7).テトラサイクリン類似体であるドキシサイクリン(DOX)を投与すると,tTA は活性を失い,GFP-TNの発現がなくなり,やがて新生したVAMP2 によってシナプス伝達は再開する.  

 図 2. 可逆性神経伝達阻止法.

V-S-tTA と V-E-tTA はそれぞれ SP と Enk のプロモーター下に tTA を持つ.TN トランスジェニックマウスは GFP-TN 融合遺伝子を持ち,DOX 非存在下で tTA がテトラサイクリン応答配列 TRE に働いて GFP-TN を発現させる.DOX投与により,この発現は消失する.破傷風菌毒素TNは VAMP2 を切断し,シナプス伝達を遮断する.

   この系が機能していることを確認するために,V-S-tTA あるいはV-E-tTA を TN トランスジェニックマウスの線条体に注入し,その2週後に線条体組織を取り出した.SP, Enk の前駆体である PPTA, PPE を直接路と間接路の中型有棘細胞のマーカーとして,GFP との共局在を二重免疫組織で確認したところ,GFP-TN は目的の中型有棘細胞に特異的に局在した.また,TNの発現の時系列をGFP のウエスタンブロット法で観察すると,DOX非存在下ではウイルス投与2週後から6週後までGFP-TN の発現が見られた(図3 A).一方,DOX を 4 週間与え続けると,GFP-TN の発現は完全に消失した.さらにシナプス蛋白VAMP2 の状態をVAMP2 の N 末抗体によるウエスタンブロット法で観察した.ウイルスを投与すると,DOX非存在下で 12kDa の VAMP2 断片が観察された(図3 B).この VAMP2 断片は DOX 投与により消失した.これらの実験からGFP-TNの特異的な機能発現が,DOX投与により可逆的に制御されていることが分かった. 

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 図 3. 破傷風菌毒素機能発現の可逆的制御.

A. GFP-TN融合蛋白の可逆的発現.図で示した時期に線条体を単離し GFP 抗体によりウエスタンブロットを行った.B. VAMP2 の N末抗体によるウエスタンブロット像.

   大脳基底核神経回路の行動制御への役割を調べるために,TN トランスジェニックマウスの片側線条体にウイルスを投与することによって,直接路及び間接路を遮断するRNBの回転行動に与える影響を観察した.ウイルス投与後2週,4週,6週で回転行動を観察すると,DOX非存在下で,直接路遮断RNBではウイルス投与と同側に,間接路遮断RNBでは反対側に異常回転行動を示した(図4).DOX を投与すると,DOX2週では異常回転行動は存在するが,DOX4週投与で消失した.  

 図 4. 片側線条体のRNB による異常回転行動.

TN トランスジェニックマウスと野生型対照群 wt 各5匹の左線条体に V-S-tTA (A)あるいは V-E-tTA(B)を投与し,2週,4週,6週後に回転行動を観察した.**P<0.01.

  

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考 察

 大脳基底核の出力は,直接路と間接路のバランスによって制御されており,図4で示した異常回転行動の方向性は従来の報告に一致している 1,2).DOX 投与による異常回転行動の消失は図3 A で示した TN 発現の時系列に沿っており,直接路及び間接路に特異的な神経伝達の遮断がDOX投与により可逆的に制御できることを示している.これらの結果から,本研究の方法を用いることによって,大脳基底核の直接路および間接路の神経伝達を特異的かつ可逆的に遮断できた.今後この方法を用いて,運動や報酬系の制御における大脳基底核神経回路の役割の解析をすすめていく.  本研究の共同研究者は,大阪バイオサイエンス研究所の中西重忠,船曳和雄,岡澤 慎,和田教男,木村健介である.本研究を支援していただきました上原記念生命科学財団に深く感謝いたします.

文 献

1) Graybiel, A.M. : The basal ganglia. Curr. Biol., 10 : R509-511, 2000.2) Kaneko, S., Hikida, T., Watanabe, D., Ichinose, H., Nagatsu, T., Kreitman, R.J., Pastan, I. & Nakanishi,

S. : Synaptic integration mediated by striatal cholinergic interneurons in basal ganglia function.Science, 289 : 633-637, 2000.

3) Hikida, T., Kaneko, S., Isobe, T., Kitabatake, Y., Watanabe, D., Pastan, I. & Nakanishi, S. : Increasedsensitivity to cocaine by cholinergic cell ablation in nucleus accumbens. Proc. Natl. Acad. Sci.U.S.A., 98 : 13351-13354, 2001.

4) Hikida, T., Kitabatake, Y., Pastan, I. & Nakanishi, S. : Acetylcholine enhancement in the nucleusaccumbens prevents addictve behaviors of cocaine and morphine. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A.,100 : 6169-6173, 2003.

5) Kitabatake, Y., Hikida, T., Watanabe, D., Pastan, I. & Nakanishi, S. : Impairment of reward-relatedlearning by cholinergic cell ablation in the striatum. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 100 : 7965-7970,2003.

6) Yamamoto, M., Wada, N., Kitabatake, Y., Watanabe, D., Anzai, M., Yokoyama, M., Teranishi, Y. &Nakanishi, S. : Reversible suppression of glutamatergic neurotransmission of cerebellar granule cellsin vivo by genetically manipulated expression of tetanus neurotoxin light chain. J. Neurosci., 23 :6759-6767, 2003.

7) Wada, N., Kishimoto, Y., Watanabe, D., Kano, M., Hirano, T., Funabiki, K. & Nakanishi, S. :Conditioned eyeblink learning is formed and stored without cerebellar granule cell transmission. Proc.Natl. Acad. Sci. U.S.A., 104 : 16690-16695, 2007.

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