国文学論集.琉球大学法文学部紀要 = bulletin of the issue date...

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Title 陶淵明における虚構のありかた(3) -「桃花源記并詩」 を中心にして- Author(s) 上里, 賢一 Citation 国文学論集.琉球大学法文学部紀要 = Bulletin of the College of Law and Letters, University of the Ryukyus. Japanese Literature(25): 37-66 Issue Date 1981-02 URL http://hdl.handle.net/20.500.12000/15028 Rights

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Title 陶淵明における虚構のありかた(3) -「桃花源記并詩」を中心にして-

Author(s) 上里, 賢一

Citation国文学論集.琉球大学法文学部紀要 = Bulletin of theCollege of Law and Letters, University of the Ryukyus.Japanese Literature(25): 37-66

Issue Date 1981-02

URL http://hdl.handle.net/20.500.12000/15028

Rights

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陶淵明における虚構のあり方

1

「桃花源記井声

を中

心にして-

「桃花源記井詩」は、陶淵明の作品のなかにあ

って、も

っとも物語的構想の豊かなものである。梁啓超は'この

<‖-ヽ

作品を中国小説の出発を告げるものという評価をした。

短いけれどもそれほどに、この作品は内容的にかなり純度

の高いまとまりをみせている。こ

の作品は、陶淵明の理想とする社会のあり方を空想をまじえて描いたものであり'

思想的には現実政治に対する痛烈な批判が'その底に流れている。

あたかも漁夫が実際にわれわれの身近かに生活

する者で、彼が訪ねあてた理想郷が、今すぐにでも行けそうな場所として描かれながら'実際

にはどこにも無い空

想の世界を形象したものにな

っている。

その意味でこの作品は、陶淵明の虚構のさまざまな形態と,虚構

への関心を示す作品中にあ

って'その純度と完

成度とにおいてひときわ光雲

っている。

「桃花源記井詩」における虚構性と虚構の世界

への関心は'作品のど

の部分から読みとれるのか。その特徴はなにか。文学的

・思想的意義はどこにあるか。という問題について、淵明

の描-

ユートピアの特色を明らかにしっつ追求しようというのが'本稿の目的である。

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なら

/〓2

桃花源記#びに詩

とら

晋の大元中'武陵の人、魚を

るを業と為すO漠

に縁

りて行き、路の遠近を忘る.忽ち挑花の林に逢う。岸を爽みて数

すす

百歩'中に雑樹な-'芳草鮮美にしてへ落莫績紛たり。浪人甚だこれを異とLt復

行きて、其

の林を窮めんと欲す。

吉わ

'uと

林は水の源に尽き'便

一山を得たり。山に小口あり'努鞘として光あるが

。便ち船を捨

てロより入る。初めは極め

かつぜん

て狭-'わずかに人を通ずるのみ.復

行-こ

と数十歩'敢

して開朗す.

晋のオ元年間のことへ武陵の漁夫が'漁をしながら流

れをさかのぼ

って行き'桃花

の林

に踏み迷

ってしま

った。

ぐわし

い香草

の美しさと'はら

はらと散る桃

の花びら

に誘われて林

の奥

へと進むと、川

の源のと

ころで林は尽き、

そこ

一つの山があ

った。山

には小

さな穴があ

って'

そこからはのかな光がさしているようである。漁夫はその奥

をきわめようと船をのり捨

てて、

ほら穴

の中

へ入

って行

った。

ひと

一人がや

っと通れるほどの狭

い中を通

って行く

と、数十歩

ほどし

て突然目の前がからりとひらけた.こ

でを第

一節とするO

晋の大元中と実際

の年代を明記したのは、

これが作り話

ではな-'実際

にあ

った

ことだと言

いたか

ったのである。

大元年間は、西暦三七六から三九六年までの二

〇年間

で、陶淵明の十

二歳から三二歳までにあたる。武陵

の漁夫と

にあ

る地名

と職

業を出した

のも、現実感を出

すうえでの効果をねら

ったのかもしれない。

ひろ

土地は平らかにして

-

、屋舎は偶然たり。艮田夫池桑竹の属あり0肝陥交通Lt親犬相い聞こゆ。其の中に往来して種作

こと1)と

JJJ)

みずか

する'男女の衣著は

外人の如し。黄髪垂留'並

恰然として

楽しめり。

目の前

にひらけた世界

についての描写がこ

こから始まる。

そこは、機巧と汚税に満

ちて苛酷

な現実社会とは異な

って、平穏

で自由な息吹き

に満

ちあふれていた。平坦な土地がひろがり'家屋はき

ちんとよくととのい、

良-肥え

た田畑があり'美しい池があり、と

ころど

ころに桑や竹がはえている。道路

は四方

にゆきかい'鶏や犬

の声も

のど

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かに聞こ

て-る。そこ

に行きかい'種をまき土地を耕す男女の服装は'まるで外部の人とかわらず、老人も子供

もみな喜こ

ぼしげにそれぞれの生活を楽しんでいる。以上が第二節である。

【qさ

すなわ

むか

漁人を見て'乃ち大いに驚き'従りて来たりし所を問う。具

これに答うれば'

便

て家に還り'酒を設け鶏を殺し

みな

て食を作る。村中'此人あるを聞き'成

たりて問訊す。自ら云う'先世秦時の乱を避け'妻子邑人を率いて'此の絶境

■-

ここ

に来たり'復た蔦より出でず、遂に外人と間隔せりと。今は是れ何の世なるかを問う。乃ち漠あるを知らず'魂晋に論触し。

つぷyL'

まわ

此の人いちいちために

聞-所皇亭えば'皆嘆悌す。余人各おの復

て其の家に至らしめ、皆酒食を出だす。停まる

こと数日、辞し出る。此の中の人、語りて云う'外人の為めに道うに足らざるなりと.

そのうち、漁夫を見

つけて'たいへん驚

いた様子

で、どこ

から来たのかと問う。細かに事の次第を答えると'す

ぐさま家

に招き入れ'酒をととのえ鶏を

つぶして'親切にも

てなしてくれた。また'聞きつけた村

の人たちも訪ね

て来ては、丁寧なあいさ

つをする。そして言うには'

「ずいぶん昔のこ

と'先祖が秦の時代

の戦乱を避けて'妻子

や村人をひき

つれてこ

の人里離れた土地

に住み

つき'それ以来こ

こから

一歩も出ず'とうとう外界の人

々と隔絶し

てしま

った。」そして'彼ら

は漢という時代

のあ

ったこ

とを知らず'まして魂や晋の時代など知るはずもなか

った。

それで、

この漁夫が、いちいち細かに知

っている話をしてやると'みんなはへただ感心して驚-ばかりであ

った。

はかの人びとも各おの其

の家

に招待Lt

みんな酒と食べものを出してくれる。

このようなも

てなしを受けること数

日'やがて漁夫がいとまといをすると'こ

この人びとは'

「外部の人には話さないよう

に」というのだ

った。以上

が第三節

である。

すなわ

いた

既に出でて'其の船を得'便

路に扶

'処処こ

れを誌す。郡下に及びて'太守に

、説くこと此くの如し。太守

呈勺

即ち人を適して其の往-に随いて、向

誌せし所を尋ねしむるに'遂に迷いて復た路を得ず。

3 9

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やがてここを出て'もとの船を見

つけ'もと来た道をたど

って帰

った。帰り道'あちこちに目じるLを付けてお

いた。武陵の城下にもど

った漁夫は'郡の太守のもと

にまかり出で、事の次第を話した。太守はすぐさま部下に命

じて漁夫

のあとについて行かせ'先に付けておいた印の場所をたど

ったが'結局見失

って'その道を探し出すこと

はできなか

った。ここまでを第四節とする。

南陽の劉子磯は、高尚の士なり。これを聞き、欣然として往かん⊥毎

。末だ果たさずして・和いで病みて終わるO後遂

に津を問う者無し。

南陽の劉子機という人物は'高潔な士であ

った。彼はこの話を聞くと'喜こ

んですぐにも出かけようとしたが、

目的を果さぬうちに病気にかかり'死んでしま

った。こうして'その後は'渡し場のありかを尋ねる者さえもない。

以上第五節。

一節は、隔絶された夢のような世界

へ踏み入る道程であり'最後の第五節は、理想的な世界から現実

へ立ちか

った後の事後談の

一つである。そして'その間にある三つの節は'偶然探しあてた理想郷の姿を描写したものに

っている。導入から展開'そして結びと実

にみごとに構成された作品であることがわかる。

この文

に続いて詩があり'内容はほぼこ

「記」と同じである。その全体を次に掲げておこう。

鹿

の世

-

は商

人も

ようや

・つヂ

し速

-

もれ

40

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に蕪

日入

重余

無薪

童禰

つと

て;3i桝に

て憩

に従

は余蔭

▲フ

は時

に随

蚕に

を収

peの

の熟

王の税

て交

わり

tuと

は新

はしいまま

-

-歌

いた

詣る

はな

の栄

の和す

ほけし

の衰

の席

さを

の志

四時

ら歳

4 1

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1朝

とし

*い

いて

を労

あら

一朝

簿

にし

たちま

問す

の士

いすく

こ・J

・4

を蒔

を尋

42

注①

梁啓超は'次のように言

っている。

「淵明有他理想的社会組織'在《桃花源記》和《詩》基頭表現出来。‥-這記記可

以説是唐以前第

二抽小説'在文学史上昇是極有価値的創作.(「陶淵明之文芸及其品格」)

「桃花源記井詩」としたが'これには

「桃花源記#序

(詩をかく)」

(陶封)、

「挑花源詩刈序」

(古直)

「桃花源詩

#記」

(丁福保)という意見があ

って'まだ

t定していないが'こ

こでは大矢根文次郎の説に従

った。

(r陶淵明研究」

早稲田大学出版部発行

七四二~七四五ページ参照。)

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「桃花源記井詩」の虚構性とその特色を問題にしようとすれば'次のようなことがらがすぐに解決をせま

ってくる。

一は、こ

の作品が事実を記録したものであるか'寓意であるか、事実であり同時に寓意であるか、それとも虚構

による作り話しかという点である。第二は'こ

の作品の着想と素材の問題である。陶淵明は'詩の題材を現実生活

の身近かなところに求めた詩人であるが、そのこ

とと虚構性はどうかかわりあうか。第三は'作品に描かれている

理想社会のあり方と陶淵明の他の作品との関係である。こ

れらは'それぞれ内容的に関連し合

っていて、単純に切

り離しては論ずることのできない問題ではあるが、あえて図式化すればこのようなこ

とが問題として出て-る。そ

のうち'第二と第三の問題については'淵明のユートピアの構想の方法とその特色を論ずる次章以下で述べるこ

にして、ここでは'最初の問題にしぼ

って'従来の研究のあらましを整理し'私見を述べることにする。

の作品が構虚によって作り出されたものであるか'事実を記録したものであるか'寓意の作品であるか、とい

う点については'いまのところ定説はないようである。ことに中国においては'虚構

への関心や傾斜をこの作品に

見ようとする研究者はほとんどいない。唐・宋以来、明

・清を経て今日に至るまで'桃花源が実在するか否かという

ことを中心にすえて'あるものはその実在を主張し、あるものは神仙境との関係を重視し、あるものは寓意の作で

あるとする三つの見方が支配的である。最近は'事実であ

って同時に寓意の作とする見方もある。しかし'これら

の意見の中には'淵明が描いた話が実際にあ

った話であるのか'話の素材を当時の伝承にと

ったことを事実とする

のか'この両者を区別しないままの議論が多いように見うけられる。

唐の頃は、桃花源が実在するかしないかということに興味の中心がおかれ'神仙境とのかかわりというこ

とが強

43

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調されている。それが'末代になると、王安石や蘇拭らによ

って'その実在説が強調され、神仙との関係を重視し

た唐代の方向を否定して、実在説が広が

っていった。王安石や蘇拭そして彼らに続く人々は、桃源郷がどこにあた

るか、その所在をつきとめることに夢中になり、

「先世秦時の乱を避け、妻子邑人を率いて、此の絶境に来たり」

というのは'神仙の世界でもない限りありうるはずもないのだから不合理だとして'漁夫が見た人たちは'秦人の

子孫であるとか、避けたと

ころの秦は巌秦

ではな-符秦であるとか'それはそれなりに理路整然とした議論を展開

している。

明代になると'唐代の神仙説と末代の実在説がそれぞれ細部

にわた

って修正補強されていく。実在説には'李公

・呉寛らがおり、江盈科らは神仙説をと

っている。しかし、これと同時

に'明代

には寓言説を主張する研究者が

出ており'注目される。洪適

・組与時

・黄文換

・張自烈らがその主な人たちである。

そして'宿代考証学の時代

になると'実在説も寓言説もさらに詳細にな

って深化されてい-。東銑敏

・王先謙ら

は'実在説の補強者

であり'呉楚材

・馬瑛

・林雲銘らは'寓言説を信奉した。こ

うした実証主義的風潮の中では'

神仙説はその存在力を弱めるのは、あるいは自然のなりゆきかもしれない。この時代

には'ほとんどこの説の支持

者を見ることができない。宿代

の特色としては'事実を記録したという見方と璽

昌説とが結合され'紀実であ

って

同時に寓意であるとする意見が出ていることである。王文治らの主張がそれである。

こうして'虚構をまじえたもの'あるいは虚構

への関心を感じさせるものとして虚構性を見ようとする意見をの

ぞく、ほとんどすべての評価が出そろ

ったことになる。そして'

これらの説は今日

へ引き継がれている。こ

れまで

述べてきたことを紹介した順序

に整理すると、次のようになる。

L

神仙境を描いた、いわゆる神仙帯。

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2.

実在する桃源郷について'実際

に語り伝えられている話を記録したもの。

3.

作者が、桃源物語にかこ

つけて'現実社会

についての思いをほのめかした'いわゆる寓意である0

4.実際の話を記録したもの

(紀実)であると同時に原意

である。

以上'四つの意見に分けられるが、現在は特

に最後の意見が強いようである。陳寅格

・季長之らは、その代表的

<托-

なものとみてよかろう。

ここまでは'おもに中国の研究者について述べてきたのだが'日本

においてもその評価ははば右の四

つに集約で

・t:1)\

きる。狩野直音は虚構ではなく、事実を描写したもの

(紀実)とする立場であり

'岡村繁は、神仙葦と

のかかわり

<注3>

<止4

,

を重視するようで

大矢根文次郎は'紀実であ

って同時

に寓意

(寓言)である

する

そして'

日本

における

研究で注目すべきこ

とは'虚構

による作り話'虚構

への傾斜や関心を示すものとする見方があることであろう。

<‖5>

海知義や中谷孝雄らがその主唱者である

「桃花源記井詩」が、古-から理想郷を描いた

ユートピア物語の

一種であるといわれ、そのこと

については誰も

異論を唱えた者がないのにもかかわらず、そのユートピア物語が、その内容も'話の素材もすべて事実

であると言

われ'あるいは紀実であ

って同時

に寓意であると言われるばかりで'

ユートピア物語のも

っとも大きな特色のひと

つである虚構との関係が'あまり重要視されてこ

なか

ったことは'不思議なことである。もちろん、それには中国

の文学においては虚構よりも現実

・史実が重んじられたとか'空想や仮構の世界

への関心か弱

いとかいう、思想的に

大きな背景が横たわ

って、問題が単純ではない、と

いう事情もあるだろう。

注①

この部分については、大矢根文次郎

r陶淵明研究]七五六~七六四ページ.および

r陶淵明詩文棄評

J(世界苗局版)

4 5

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の「桃花源詩#記」部分を参照した。

狩野直音

「疎音学術考』筑摩書房。

岡村繁

r陶淵明-世俗と超俗-』NHKブックス十二-十七ページ。

大矢根文次郎

「前掲書』七六二~七六四ページ。

1海知義

「陶淵明における<虚構>と現実」

r吉川博士退休記念

中国文学論集』筑摩書房'および'同訳

r陶淵明』

世界古典文学全集25所収、筑摩書房O

「桃花源詩並びに記」の注を参照。中谷孝雄

rわが陶淵明』筑摩書房・1五〇~一

六二ページO

ユートピアとは'ギ-シャ語の

「ウートポス」からきているといわれている.

「ウ-」はギ-シャ語で

「ない」

という意味であり'

「トポ

ス」は場所を意味する。したが

って、

ユートピアとは'

「どこにも存在しない場所」と

いう意味のこ

である。

その意味では、

ユートピアは'現実社会とは隔絶した別天地として構想される世界であり'

現実を超越した世界'完全にフィクションの世界であるといえる。換言すれば、それは空想であり架空の世界

への

飛期であり'非日常的なお伽話の世界である。

トー

マス

・モア以来'多-のユIトビ

アンは、その時代の生産形態のあり方と深-かかわり

つつ、たえずその時

代にふさわしい形のユートピアを構想してきた。そして'現在も人々はさまざまな思想的

・文化的な事象と深-結

合しながら、やはり今日の社会

の在り方

に根ざしたかたちの

ユートピアを求めているといえる。

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「桃花源記井詩」も、そうした時代の制約を受けながら、その時代の生産形態のあり方と、時代

の思潮とを当然

反映している。

「桃花源記井詩」に描かれている陶淵明の理想社会の特色は'およそ次の八つにまとめられるが'それはいずれ

も彼が生きた時代の思想的文化的特徴を反映している。

桃花源は'漁夫が遇然見

つけた山の入口の向こ

うの限定された場所にあって'再び訪れることの不可能なと

ころである。

は、よ-整備された美田と美しい自然にかこ

まれ、ととの

った家屋の建ちならぶ農村共同体

である。

桃花源は'鶏犬の声が聞こえるほどの狭小な区域である.

服装や生活様式などは'外部の人たちのそれとほとんど同じである.

比較的現在に近い時代

のとある村という設定だが、そこは隔絶された超歴史的な絶境で秦代の乱を避けて逃

げた人々の子孫が生活している。

共時的に存在しながら、隔てられたこの世界には政府も王様も官吏もなく'したが

って税金とか権力による

圧迫や拘束などはないこと。封建的王朝の交替に

一切縁がな-'個人を束緯するものはない。

m

そこ

では、無為自然な生き方が実現され、人間の巧知や欲望も吃-'古の純朴な生活を慕い'原初的社会

の回帰を人びとは願

ってる。

老子や列子らの思想系列に近いといわれながら'陶淵明は明確に神仙否定の立場に立

っている。

上のような特色を内容とする

「桃花源記井詩」は、中国におけるユーーピアの中でどのような位置にあるのだ

ろうか.秋田成明の分類によると'

「小国寡民型」のユー-ピアに属するという.

ユートピアの型としては'『

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・礼運篇

』に描かれるユートピアは、

「大同公為型」'康有為

(一八五八

~一九二七)の『大同書

』は

「世界国

家型」'李汝珍

『鏡花縁

』その第十

一回と第十二回の

「君子国」や劉鉄雲

『老浅遊記

』は

「異国旅行型」、李朝威

<注->

『柳毅伝

』沈亜之

『湘中怨

』は'「仙境楽園型」である

いう

『老子

』の

「小国寡民」や『礼記』の中

に描かれているユートピア以来、中国のユートピア物語には共通した特

色がある。それは、閉ざされた世界であり'現実とは何らかの境界線によ

って隔てられている絶境

・別天地である

こと。歴史の流れを超越した世界で、そこには現実社会における虚偽憎悪'怨恨'貧困'混乱など、あらゆる暗黒面

はなく'誠実で善意に満たされ'人々は自然のままにその性をのはし生活を楽しんでいること。生活が純朴であるこ

と。そこに生きる人々は'現実社会の習慣や礼法をそのまま実現していることが多

いこと'等である。

ユIトピアが'どこ

にもない世界であり、架空のもので想像によ

って作り出される世界であるといわれるのは'

現実と隔絶され閉ざされた

1定の地点にイメージされる別天地で'そこでは、現実社会の否定的な面が完全に除去さ

れており'人間がその性のままに自由に生きているこ

とにあるO

「桃花源記井詩」も'そうしたユIトピアのひと

つの形であり'理想の空想的な表現であることにかわりはない。

ユー-ピアは空想の産物であり、架空の物語であ

るという

1般論で'問題が片づくものではないが'

「桃花源記#詩」も

ユートピアの

1形態であれば'

1般的に言

われるユー-ピア物語と共通する特色と内容を含んでいるはずであるO

注①

秋田成明

「中国文学に描かれたユIトピア」

-陶淵明の

「陶花源記」を中心にして

ー(上・下)

r甲南大学文

学会論集」二二

二二号所収。

48

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「桃花源記井詩」が'長-人々に紀実の物語とみなされ'今

日に至るまで根強い支持を得ているのには'それな

りの理由がある。作品の内容に別して言えば、第

一にこ

の作品の時間と空間が身近かなとこ

ろに設定されており'

誰もが今すぐにでも行けそうな錯覚をおぼえるような場所と時間にな

っていることである。

「晋の大元中--」

いう書き出しの言葉によると'それは陶淵明の幼年から青年期に当たるわけだ。また、桃花源の人

々は秦というず

いぶん古い時代の乱を避けてきた人々の子孫であるとはいえ'その時代は実在の時代であるし'話の中

に出て-る

漠とか魂晋という時代もまた身近かな時代である。そして、場所は'武陵の近-の山中である。

第二には'武陵の漁夫や太守'南陽の劉子機らの人物についてみると'劉子機は実在の人物であるし'漁夫は川

を生活の場とする人物で身近かに生きている人物である。こ

うした人物の設定によって'話が読者にスムースに受

け入れられ'現実感を抱かせる役目を果している。

第三に'桃源郷の様子が'われわれの現実から大きくかけ離れて遠い存在のものとしてではな-'山の崖の入口

を入

ってい-とそこに別天地があったというように、現実社会の地平の延長線上に想定されており'誰でも何か遇

然の幸運にめぐりあえば行けそうな、そんな世界であること。桃花源は'現実社会と隔絶した場所

にあるとはいえ

現実社会と次元の違うとこ

ろに構築されているのではない。

第四は'そこに実現されている生活は、われわれの日常をそのまま持ち込んだ世界にな

っているこ

と。桃花源が

現実の延長線上に構想されているこ

とと並んでこ

れは大きな特徴である。

「其の中に往来し種作する'男女の衣著

ことどとく

は'

-

外人の如しo」

「狙豆

猶お古法のごとく'衣裳は新製なし.」というように'ほとんど外部の人たちの

生活や習慣や服装がそのまま用いられていること。

みのり

しかし'そこには

「春蚕

長糸を収め

秋の

王税なし。」

「情然として余楽あり'何に干い

てか知恵を労せ

49

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んや。」と'税金のとりたてはな-、物産は満ち足り'幼児から老人にいたるまで自由にその生活を楽し

んでおり'

人間関係もわずらわしい知識など労する必要もない。

これは、現実社会と大き-違う。現実生活の苦難にたえなが

ら'逃げてしまうわけにもいかず'

一部の知識人のように隠者にもなれtII6い大多数の人びとにと

って、

このような

理想社会は'ほんとう

にこ

の地上のどこ

かに存在していてはしい願望の土地であると同時に'もしかすると、こ

地上のどこかに'そんな隠れ里が存在するのかも知れないと思えたこ

とだろう。それほどに'

ここに描かれた世界

は、人間味

に満

ちた現実感の濃厚な内容になっている。

このような要因によ

って、

「桃花源記井詩」は、それがあたかも事実を描写したも

のであるかの如き印象を与え

たのである。

「桃花源記井詩」を紀実とする見方

について'もうすこ

し詳し-見てみよう。たとえば、清

の轟銑敏は'

「桃源

いえど

ハ仙境ナ-ト

、ナホ是レ人間世界ノゴーシ.或

ハ淵明

ハ身ラ魂

・普

二居-テ'哉皇ヲ慨想セルヲ以テ、<:五柳

先生伝

V-同ジク

一ツノ寓言ナ-ト

スル者ア-'非ナ-。菰五柳伝

Vハ明ラカニ自力ラニ係ルヲ記ス、故二何許ノ人ナルカ

ヲ知ラズ,姓氏ヲ詳ラカ

ニセズ,末

ハ無懐

・葛天ヲ朋テ托空シ以テ意ヲ見

ス.i:桃源記

>,ハ則チ確カ

ニ指

スト

コロ

ア-'首言ノ大元中ノ如キ

ハ、則チ其代無キ

ニ非ザ

ルナ-。継ヒデ武陵

ノ漁人卜言

へルハ'則チ其

ノ地無キ

ニ非ザ

ルナ-O末

二劉子機卜言

フハ'則チ訪

ン-欲セシ人ノ無キ

ニ非ザ

ルナ-o肝晒交リ通ズト言

フハ'耕盤

ヲ習

ハザル

ニ非ズ'酒

ヲ設ケ鶏

ヲ殺

ス、食ヲ梱火セザ

ルニ非ズ、先世卜日フ'祖親板キ

ニ非ズ'垂暫トロ7、子孫無キ

ニ非ズ、

シ秦ヲ避ケテ来り、外人卜間隔シ、別

二天地有ルニ因-テ'故

二其ノ居民寿甚ダ長キヲ享ケ

シノミ。太守人ヲ過

ハシ随

ヒテ往カセルモ'遂

二津

二迷ヒ、亦夕瑛径幽遠

ス'前

ニハ此レ偶然歴シ所

ニシテ'過テ或

ハ忘

ルナ-O東披

へけ->

ハ南陽

ノ甘谷ヲ以テ之

二比

ス'最

モ理

二近キ

ス。」と述べ、先にあげた桃花源の時

・場所

・漁夫や劉子機とい

50

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う人物をとりあげ'さら

に作品

の中のいく

つかの事例を引

いて'こ

の物語が紀実

である

ことを主張している。しか

も、

このように物

の内容

に別して、そ

の紀実なることを証明しようとする方向ならまだしも'他のほと

んどすべ

ての紀実説は'

いきなり桃源郷が今

のどこ

に当

たるかその場所さがL

に夢中にな

ったり、

「先世

泰時

の乱を避け'

妻子邑人を率

いて此

の絶境

に来

たり。」というが'こ

れは秦

の乱を避けて来た人ではな-て'

その子孫でなければ

ならないとか'実在

・紀実を前提

にしての議論が多

い。陳寅情

が'桃源説話の素材は北方

にあり'弘農

あるいは上洛

あたり

に実際

の桃源郷はあ

って'南方

の武陵ではないとするのも'また'人々が避けたとこ

ろの秦は、符秦

であ

て威秦

ではな

いとか'義興十三年春夏

の交

に劉裕が軍隊を率

いて関

に入

った時の戴延之らが見聞したと

ころを材料

て話を組

み立

てた

のだ

というのは'

いずれもこ

の話が事実を記鎚したものであるという前提

に立

っての議論

、・TZ

はな

かろうか。

また'

「桃花源記井詩」を紀実とする研究者は'その根拠として'当時桃源説話が流行していたことをあげ

てい

る。たしかに'

『捜神後

』に見えるとおり'桃花源記に近い話が当時

い-

つかあり'また山中の洞穴を抜けると

そこに異な

った世界があ

ったという話が'

『太平御覧

』巻五四や

『北堂書抄

』巻

一五八等

に散見

できるLへ「桃花源

記井詩」

の成立

にこ

れら

の話が大きな影響を与えていることは否定できな

い。

「桃花源記井詩」と内容的

に関係の

ある話をあげると、

次のようなも

のが'その例とし

てあげら

れる。

長沙醒陵

県有小

二人乗

取樵

o

見崖下土穴中'水流出.有新析木片逐流下O深山中有人跡、異之

乃相謂

日、可試如水中。看何由商。

一人便似笠自陣人穴。穴橡客

人'行数十歩便開明。

即然不具世間。

(『捜

神後記

』・『太平御覧

・『北堂書抄

』所収。ただし、

『北堂書

抄』にはここに記されていない文字がふくま

れている。)

5 1

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i9

武陵記云、鹿山有穴、昔宋元嘉初'武陵渓蛮入射鹿、遂入

1石穴'穴才可客人、蛮人人穴'見有梯在其傍'

因上棟.戟然開朗、桑果霜然'行人殉期、不似戎境、此蛮乃批樹'記之'其後尋之'莫知所処。

(『太平御覧

』)

南陽劉映之字子額。好遊山水。嘗採窮至衡山'深入忘返。見有

1潤水、水南有二石困'

1閉

1開。水深広不

得渡'欲遺失道.遇伐弓人間径、僅得還家O或説困中皆仙木霊荊'及諸雑物.蛸之欲更尋索、不得知処失o

(『捜神後記

』)

風俗通日、南陽県有甘泉。谷水甘美、云其山上有菊花'水従山中流下'得其滋液'谷中三十余家'不復穿井'

仰飲此水。上寿者

一百二十'中者百余歳。

(『太平御覧

』)

以上のような例は'数ある絶境についての説話の中でも'比較的まとまっているものだといえるが'ここにあげ

た話と陶淵明の

「桃花源記井詩」とを比べると'物語としてのまとまりにおいて大きな差のあることがわかる。

事実を記録したものであるとか、紀実であり同事に寓意であるとする時の根拠は'以上のようなところにあるわ

けだが'はたしてへこれで事実の記録であるという証明になりうるであろうか。

「桃花源記井詩」を事実の記録で

あるというためには'桃花源の実在を証明する以外に確実な方法はないわけで'陶淵明の描いたような土地の実在

を指し示すことは、まずほとんど不可能ではないだろうか。

紀実であるとするとき'

「桃花源記#詩」が実際に語り伝えられている伝説や説話にその素材を得ているという

こと

、できあが

った話も事実の記録であるとするのとでは区別する必要がある。できあが

った話とその素材とを

区別し'

その関係を明確にする必要があろう。これま

で言われてきている紀実説の大部分は'素材を事実に得てい

るから紀実

であるとしているように見える。そこに、大きな落し穴がある。そして'いったん紀実であるとしてし

52

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まうと'桃花源の所在ががどこか、という場所さがL

に走ることになる。紀実とする立場に立

てば'それは必然

結果

である。桃花源は北方だとか南方だとかの議論も'所在

さがしの行きつく

べきところであろう。蘇東坂から陵

寅格

に至るまで数多くの人々がその所在

について'あきることな-議論を展開してきながら、その場所

について納

のいくような結論を得ていないという

ことは'何ら不思議なことではない。陳寅情の桃花源北方説や蘇東坂

・大

矢根文次郎らの南方説は'桃花源郷の実在を前提とLt

「桃花源記井詩」を紀実

であるとか'紀実

であり同時に寓

意であるとする前提があ

ってはじめて意味をも

つ議論であろう。

「桃花源記#詩」は、当時はや

っていた桃源説話や、老子

・荘子

・列子など道家の書

の影響を受けているこ

とは

確かである。しかし'物語の素材を当時流行の説話

や'知識として身

につけている.老

・荘

・列など道家

の思想に得

いるからtできあが

った作品は事実であると決められるであろうか.また、物語の素材が実際

にあ

った話

にもとづい

ていたり'当時広-語り伝えら

れていた話

に求

められていたり'思想的な書か.ら知識として得

ているも

のにあるこ

とは'

できあが

った作品の虚構性を否定するものであろうか。

素材とできあが

った作品との関係からみれば'素材は多-現実

の中にあるのであ

って、虚構といえども'ま

った

-何も無いとこ

ろから構想されるものではない。したが

って、作品の虚構性は'素材の性質

によるよりも、作

品世

界の構成と内容

によ

って決定される。

フィクションといえども'現実から完全に自由であるわけではなく'

いつも

大きな

制約

を受けて

いる。

フィクシ

は'いつも現実らしい姿

で立ちあらわれる。

「虚構とは現実を真実

に近づ

<止3~

∧t:4し

けるた

めの

方法

」であり、

「現実をさらに現実化する方法

こそが虚構なのだ

いうとき'現実とは、われわれ

が逃

がれようも

なく生活し続けている現実であ

って'作品の素材を提供してくれる現実でもある。現実を深-認識

し得る者

たけが'すぐれた物語を構築

できる。

53

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「桃花源記井詩」が'素材を現実に得ているから紀実であると決められないのはこのことからも明らかではない

だろうか。現実

に素材を得ているから、現実

に語られている話にもとづ

いているから事実を記録したも

のだという

立場と、素材は現実

に得

ているが、それだけでは必ずしも事実の記録とは言えないという立場とでは'大きな違

が出てくるCすくなくとも前者

の立場からは'

フィクシ

ョンという問題は出てくる可能性は少ない.

フィクション

あるいは

フィクション

への閑心のあらわれを見る方向は、後者のような認識を根底にすえてはじめて出て-ると言える.

現実

に素材を得ている

「桃花源記井詩」

のどこに虚構成があるか。何故

それが虚構といえるのか。その特色はど

こにあるのかOということが次に問題にされねばならないっ

注①

轟銑敏のこの説はt

r陶淵明詩文東評」

(他界古以版)より引用Lt筆者が訓読した。

陳寅佑

「挑花源記勇讃」

r陳寅悟先生文史論放し上巻所収

香港

・文化出版社。

井上光昭

「フィクションの問題」岩波講座文学2、八六ページ参照。

井上光的

「同前」九

lページ参照。五

「桃花源記井詩」の弟材と着想については'季長之が

「義熱十

三年劉裕が北伐

l旦成功した時'淵明の友人羊

松齢がその祝賀のため胸中

へ赴いたが、淵明はその羊松齢を通じて

「桃花源」に似た北方

での見聞を手

に入れたと

思われる。」としているはか'大矢根文次郎は'

「南方

に流行していた仙境説話に素材を兄いだし'

それを整頓修

54

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<ぴ

2

飾して作品にまとめあ

た.」としている。また、岡村繁は'神仙との関係を重視する立場から'「淵明をして<桃

花源の記>を構想せしめたそもそもの発端は'恐らく<桃>の林にあったと推測されるが、この桃は、中国では'か

なり古い時代から'人びとの心を夢幻の世界に誘いこむような甘美な色香の花木であ

ったと共に、人間に災厄をも

たらす邪気をはらい除く仙木として'神仙的信仰にも強-支えられてきた花木であった。淵明が'苦し-血なまぐ

さい俗界を峻拒Lt楽しく平和な仙境に人を誘導するものとして'この桃花の咲きにおう林を設定したのは'思

‖3

に'より多-後者の神仙的な信仰に基づ-ようである。」と指摘している。

これらの説は'老子

・荘子

・列子等の影響を重視する説とともに'淵明の外部にその着想の契機を求めている。

しかし'例は少ないが'これらのどの説とも違う注目すべき説がある.中谷孝雄は'その基づ-ところとして老子

・荘子

・列子を継承していることは認めながら'次のように言

っている。「どちらの意見

(桃源郷の北方説や南方説

-

筆者)にも傾聴すべきとこ

ろはあるやうだが、私は必ずしもどちらの意見にも参成する者ではない。思ふに淵明はそ

<注4>

のやうな素材を外に求めな-とも、これしきの夢は内に築くこ

とができた筈

であ

る。」

「桃花源記井詩」の素材とその着想をどこに得たかについて'代表的な意見を見てきたわけだが、素材を何にと

ったか、桃源説話が北方か南方かということに興味があって引用したのではない。素材と作品との関係から'フィ

クションへの関心や傾向を見ようとする立場に立つとき'最後に引用した中谷孝雄の指摘には見逃せないものが含

まれていると思えるところから'代表的な意見と述べてみたわけである。中谷孝雄の指摘は、

「桃花源記井詩」の

素材や着想についてのさまざまな意見の中にあ

って、きわめて例外的な立場にあるようである。中谷孝雄は、そ

着想の契機を淵明の内部に見ている。淵明の他の作品'たとえば

「帰園田居」

(五首)'

「勧農」'

「葵卯歳姶春

懐古田舎」

(二首)'

「戊申歳六月中退火」、

「庚成歳九月中於西田穫早稲」、

「丙辰歳八月中於下僕田舎穫」'

5 5

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「帰去来今辞#序」等の農耕に関する作品を見れば'

「挑花源記井詩」における理想郷のイメージを必ずしも外部

に求めな-てもよいこ

とはうなづける。これと同時

に中谷孝雄は、「桃花源記井詩」が'淵明が内に築いた夢であ

った

ことを指摘しており'

ここには'この作品にフィクションへの傾斜あるいはフィクションへの関心を読みと

ってい

ることが反映されている。その意味で'この指摘は注目すべき内容を持

っていると思われる。

「桃花源記#詩」の素材は、陶淵明の外と内と両面に求めることができると思う。そのことを実際の例にてらして

明らかにしなから淵明の理想郷の特色について検討してみよう。

ユートピアというのは'それが行動的

・社会的

・政治的なものであれ、現実逃避的なものであれ'その根底には

現実社会のあり方

に対する不満

・批判

・抵抗などが含まれている。現実に対する不満

・批判というのであれば'そ

の前提には'まず現実をどう見ていたかという認識の問題がある。そして現実の何に対して不満や批判をも

ってい

るのか'抵抗の姿勢があれば'それはどのような性質の抵抗であるかということが問題にされなければならない。

これらのことが明らかになれば、描かれているユーーピアがどのような特色を持

っているかということも明らかに

なるはずである。

陶淵明の生きた時代は'中原に異民族の進入があり'北方は鮮卑族などによって占領されており'江南に都を移

した束晋王朝は、たえず失なわれた北方の土地の回復を民族的課題としていた。しかし'この対外的な課題をかか

えながら'東普王朝内部における矛盾も大きく'貴族は政治的支配力を弱め、武人が権力をふるい'血なまぐさい

武力抗争があいついだ。

「桃花源記#詩」の成立時期は'明確な年代はまだわからないが'凹

1八年

(義輿十四年

・淵明五四歳)か、四

5 6

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一年

(永初二年

・淵明五七歳)といわれている。四

〇四年

(淵明四〇歳)に栢玄を攻めてこれを殺した劉裕は、

その翌年

に安帝を復位させたが'四

1八年には'安帝を淵明の故郷薄陽

に幽閉した後殺して恭帝を立て'みずから

は相国とな

って権力の座についた。清の桃培謙をはじめ'季長之や埋欽立らは'劉裕が安帝を如殺したこ

の年を

:LJ)>

「桃花源記井詩」の成立の時期としている

四二

一年には、恭帝

(零陵王)は毒殺されている。その前年、

劉裕は

帝位について国を末と改めていた。こうして'淵明の五四歳から五七歳にいたる四年間は'劉裕の権力のまえに朝

廷内部

においてさえ'拒殻や毒殺といういたましい事件が続いていることに象徴されるように'世相は暗いもので

った。

帝位をめぐるこのような暗い抗争が

1万にあり'他方には'天災と武力抗争があ

って、民衆は窮乏しており'生

活の苦難

にたえきれなくなった農民のなかには'蛮地

へ逃亡するものも少な-なか

ったという。速欽立は、

『晋書

・劉毅伝

』『末書

・武帝記

』、

『末書

・刑州蛮記』の記載するところによって、陶淵明の郷里江州とそこに近い刑

~り6

州の当時の社会状勢と'農民生活の困窮の様子について詳細に述べているO年代については相違はあるものの、「桃

花源記井詩」の成立が'このような時代を背景にしているこ

とについては意見は

一致している。

「桃花源記#詩」の「勿ち桃花の林に逢う。

岸を爽みて数百歩'中に雑樹なく

芳草鮮美にして'落莫績紛たり。」

という平穏で甘美な書き出しによって、すでに絶境に実現されている生活の様子は予想できる。そこには'

「黄髪

JJ4

みの

垂暫'並

恰然として

楽しめり。」

「春蚕に長糸を収め'秋の

りに王の税なし0」

という生活があ

ったO戦

乱がうち続き農民がその土地を棄てて流浪する現実社会の実情とはま

ったく違

った、理想的な社会が実現されてい

たのである。われわれは'こ

こに淵明がこの物語を通して批判しようとした社会の実態と、彼が描いた理想の姿を

見ることができる。

57

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庄①㊤④④⑤④

季長之著

松枝茂夫

・和田武司訳

f)陶淵明し

筑摩宣房

1六ページ参照o

大矢根文次郎

「陶淵明研究』

早稲田大学出版部

七六四ページ参照0

岡村繁

r陶淵明

-世俗と超俗』NHKブ

ックス。十六ページ参照。

中谷孝雄

Fわが陶淵明』筑摩書房

一五七ページ参照。

退欽立校注

r陶淵明集」

中華書局

二八六ページ参照。

逮欽立

F同前山

二五五-二五六ページ参照.

「桃花源記井詩」の内容との関連

で、

いつもひきあいに出されるのが、

『老子

・八十章

』における

「小国寡民」

の思想である。

小国寡民、什伯

ノ器アレドモ用ヒザラシメ'民ヲシテ死ヲ重

ンジ

テ遠ク徒

ラザラシム。舟輿

7-ト錐

モ'

コレ

:乗

ル所

ナク、甲兵

ア-ト錐

モ、

コレヲ陳プ

ル所ナシ。民ヲシテ復

夕縄ヲ結

ンデコレヲ用

ヒ'其

ノ食ヲ甘シトシ、其

ノ服ヲ美トシ'

ノ居

二安ンジ,其

ノ俗ヲ楽シマ

シムレバ'卿国相撃

,、'鶏犬ノ芦相聞

コユルモ、民

ハ老死

二至

ルマデ、相往来

セズO

この内容は、

のよう

にまとめることができる。

国が小さく

て住民が少ないO

農耕を

いとなむ村落共同体

である.

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(6) (5) (4) (3)

素朴な生活で満足し'淳厚自然な太古の生活

への回帰を理想とする。

無欲で、巧利的な器具類を必要とせず'文明の利器はこれを否定する。

軍備はあ

っても'それを用いる必要はない。

遠国に移りたがらず'そのため他国と往来しない。

の思想は、

「桃花腺記井詩」に継承されていることは確かである。こ

の中でも'淳厚自然な太古の生活を理想

としていること'鶏犬の声が聞こえるような狭小な農村共同体を理想としていることは'大きな共通点であるとい

える。

おなじく、

「桃花源記井詩」の理想とする社会とのかかわりで、『抱朴子

・四十八

詰胞

』に描かれている詰胞

の思想は見逃せない。

褒古ノ世

'君無ク臣無シ。井ヲ穿チテ飲ミ'田ヲ耕シテ食ス。日出デテ作り'日入-テ息フO汎然トシテ繋ガ

レズ'恢繭

トシテ自得

ス0歳

ハズ営マ

ズ.栄無ク辱無シ。山

二瑛径無ク'沢

二舟梁無シ。川谷通ゼザ

レバ'則チ相

ヒ井兼

セズ。士衆ヲ

衆セザ

レバ'則チ相

ヒ攻伐セズ。是レ高巣

ハ探ラレズ'深淵

ハ漉

ハザレバ'風発

ハ庭宇

二栖息シ、龍鱗

ハ園地二群遊シ・・・・

虫LJ

(中略)--勢利萌サズ、禍乱

ズ'干支

ハ用ヒズ、城池

ハ設ケズ。万物玄同'相

ヒ道

二忘

ル。疫璃

レズ'民

ハ終

上ろこ

ヲ考

フルヲ獲

フ。純白

二在り、機心生ゼズ。舗ヲ含,,,テ梶

'鼓腹シテ遊プO其

ノ言

ハ華ナラズ'其ノ行

ハ飾ラズ。安

ンゾ飲

ヲ衆

メテ以テ民ノ財ヲ奪

フヲ得

ンヤ。安ンゾ刑ヲ厳

ニシテ以テ抗弁ヲ為

スヲ得ソヤ。

ここに描かれた詰地の理想は'

ほとんど『老子

・八十章

』と同じであるが'

『老子』においてはあまり明確でな

い君主制の否定が明快に述べられている点が注目される.陶淵明の

「桃花源記井詩」を貰-思想は、こうした退家

の系列に含まれることは'は

っきりしている。

59

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のことは'儒家の描-理想郷の姿と比較したとき'いっそう明らかになる0たとえば'

『礼記

・礼遵篇

』と比

べてみよう。

大道ノ行

ハレシトキ'天下ヲ公

卜為シ、賢ヲ選ビ能ヲ

ゲ'信ヲ講ジ睦ヲ僑

ム。故

二人独り其ノ親ヲ親ーセズ'独り其

ノ子ヲ子トセズ。老ヲシテ終

ル所7-'壮

ハ用フル所ア-'幼

ハ長ズ

ル所7-・衿寡孤独廃疾ノ者

ハ皆養

フ所

7ラシム。男

ハ分アリ、女

ハ帰

ア'-'貨

ハソノ身

二出デザ

ルヲ悪

ムモ'必ズシモ己ノ為

ニセズ。

コノ故

二謀

ハ閉ジテ興ラズ・盗窃乱賊

おこ

ズ。故

二外戸シテ閉ジズ'是

レヲ大同-謂

フ。

ここにも同じように理想とする世界像が描かれているが、

『抱

朴子』の世界は'君臣関係を否定し'完全に個人

の自由を実現することを目指し'巧知というような人為的なものを排除Lt自然

への回帰を理想としているのに対

し、

『礼記

』では'政府の存在を前提として、貿者能力者を選んでこれに政治を委ねることで、理想を実現しよう

とする。

『礼記』のこの主張も'秦漢のころの政治体制の中にあ

っては'それはそれで積極的な意味を持

った政治

思想であ

ったろう。

しかし'この両者の主張には大きな差異がある。陶淵明の

「桃花源記井詩」の政治思想は'

『礼記』の影響も否

定しえな

いとはいえ、根本的なところでは、

『老子

』や『抱朴子

』など道家の流れを、より強-受け継いでいると

いえるだろう。

このような先行思想の影響を受けつつ'陶淵明はまた'自らの内部に

「桃花源記#詩」にいた

って開花するよう

な思想を破成してもいた。それは、とくに彼が四

l歳で彰沢の県令を辞めて郷里のEE園に退隠Lt自らも鍬をとり

鋤を荷

って農耕に従事する経験を経て、は

っきりした輪郭を見せてきた。彼の農耕詩の中に'その農耕体験の深化

とともに'明確な形をかたちづく

っていく理想社会

への憧れと、あるべき生活の理想像を見ることができる。そこ

60

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に見られる彼の理想追求の姿は'彼のユートピアの結実過程であるとも見ることができるO四

1歳で官吏を辞めて

田園に帰隠して以後の彼の農耕詩としては'

「帰去来今辞#序」

(四

一歳)'

「帰園田居」<五首>

(四二歳)、

「戊申歳六月中遇火」

(四四歳)'

「庚成歳九月中於西田機早稲」

(四六歳)'

「丙辰歳八月中於下灘田舎楼」(五

二歳)があり、帰隠直前の作と思われるものに

「勧農」と

「発卯歳始春懐古田舎」<二首>

(三九歳)があるO

農耕に関係するこ

れらの作品は'田園における彼の生活の時間的経過と密接に開通しながら、その描写の方法は

もちろん'描かれた農耕生活の実態も精密になり'思想的にも役人的傍観者的立場から農民的立場

に近づいてい-

など'しだいに内容的に狭まりをみせている。そして'どの作品にも'彼が太古の素朴で自然な生活を理想として

いたこと、いろいろな災害があ

ったり、肉体的な疲労はあるものの、農耕生活こそ自己の理想の生活であるとする

点では共通していることが'これらの作品群のも

っている特徴としてあげられる。

少無通俗鶴

性本愛坪山

誤落慶網中

一去十

三年

萌烏恋旧林

池魚恩故淵

開荒南野際

守拙帰園

かtT<

少さ

より俗

に適

の組

ペな

-

性本と坪山

を愛せL

ちて塵網

の中

に落ち

一たび去

て十三年

罵鳥

は旧林を恋

池魚は故淵

を思う

を南野

の際

に粥かんと

を守

って園田に帰

方宅

61

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後雀

羅堂

依依

狗吠

深巷中

おお

に羅

たり

の煙

の中

に吠

いたださ

鮫に

-

塵雑

な-

-

焚篭

の塵

にあ

Lも

た自

に返

を得

たり(

「帰園田屠」其

1)

62

ここに描かれた村

の生活や風物と'居室

のたたずま

いは、

「桃花源記井詩」に描かれた平

和でのどかな生活とど

れほど似ていることだろうO「方宅

十余畝'草屋

八九間。倫柳

後蒼を蔭

い'桃李

堂前

に羅なる.嘆曙

たり達

の村'依依たり

嘘里

の煙。狗は深巷

の中に吠え、鶏

は桑樹の蹄

に鳴く.」という表現は'

「桃花源記井詩」の中

おさ

の村落を妨排

させる.

「巌

に興きて荒磯

'月を帯び鋤を荷いて帰る」(「帰園

田屠」其三)'

「我が新たに熟

せる酒を漉し'隻鶏もて近局を招-」

(「同」其五)などと

いう表現は'

「桃花源記井詩」における村

の生活を

描写したと

ころ

によ-似た表現

である。

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先寒

四体

の瑞

しつ

に出

て微

-

入れ

i<を

て還

しげ

鋭く

に苦

-

の干

-

63

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耕非

は歎

-

に非

(「庚成歳九月中於西田穫早稲」)

この詩からは'陶淵明

の農耕生活

の深まりととも

に'彼の思想がしだいに農民の立場

に近づ

いてい

った

ことを読

みとることができ

るO

こに描かれている田園生活の描写は'頭

の中で考えて作り出したものではなく'彼

の生活

に根ざし

たも

のであ

ったこと

が'

その詩句を通し

て伝わ

ってくる。

「ト

ーマス

・モアの<:ユートピア

>,をはじめとして'古来有名

なユー-ピア物語は'農業社会として設定されて

<汀->

いる

。」という。

「桃花源記井詩」も、そうした

ユートピアの典型であるとみること

ができよう。淵明は、生活の

基盤

を農耕生活に

いて

いるo

「民生は勤むるに在り、勤むれば則

ち依しからず」

(「勧農」)'

「貧居

稼稔

つく

依る、力を致す東林

の隈」

(「丙辰歳八月中於下灘田舎穫」)と、生活するために働かねばならぬとし

ている。

には農耕

こそ自己

の意志にかなう'自然の生き方

であるという認識があ

った。しかし、その反面、現実社会の動向

にもたえず関心を寄

せるなど、農村

に生きながら'完全に農夫と

一体

にはなれず、内面に満たされな

いう

つ屈した

いを秘めていた。農村

にあ

ってなお満たされぬ生活

の中で'彼が自己の理想を描き出したものが'

「桃花源記井

詩」

に描

かれた理想郷

であ

った。

注①

渡辺

1衛

「共同体-市民社会-共同休-共同休意識論」

『日本

ユートピア学事始

』所収o

河出垂居新社.

三九ページ。

64

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「桃花源記井詩」が、素材としてはこれまで見てきたように、

『礼記

』や

『老子

』や

『抱朴子

』および'当時江

南地方

に広-語り伝えられていた

「桃源説話」

に得ている

一万㌧淵明自身の田園

における農耕生活

の体験を過して

得た身

かな生

の見聞

にもとづさながら、彼自身の理想を描いたものであることは、以上述

べてきたとおり

である。

このような内容を特色とするこ

の作品が'空想をまじえて構想されたものであり、虚構

への関心を強-感じさせ

るというのは'どのような理由

によるか。こ

れまで述べてきたことをもとに簡単にまとめておこ

う。

桃花源は'その場所

・時代

・そこに生活する人々

・漁夫や劉子機

・太守などの同時代人

・そしてそこに実現され

ている生活の実態が、現実社会の延長のような身近かなものによって組み立

てられているOそのため'

そのような

土地が'

この地上のど

こかに存在するような結党を覚えるほど'じ

つに身近かなと

ころとして設定されている。し

かし'

「秋熱磨王税」とい

った'現実にはありえない理想を描-ことによ

って、その土地が実際

には存在不可能で

あることを示している。

桃源境は'山

の洞穴をくぐりぬけただけで見

つけられた。

この社会と地続きの場所

であるが'現実社会

に生きる

には到達不可能なところである.俗世に生きるものだけでな-'高尚な志を持つ劉子機

のような人物

でさえ、こ

の理想

へ行き着けずして死んだ。そのように桃花源は'誰にでも行けそうなと

ころだが'実際

には誰も行けないと

ころであることによ

って'その存在を主張し続けるも

のとな

っている0

<ル

ー>

そして、その虚構

の特色

は'

「日常世

と密

し'そこには土くさい生活のにおいがしみついて

「桃

花源記井詩」のような空想的仮構

への関心を'

これほど甘美

に描いた作品は'中国

にはそんな

に例はな

い。中国に

6 5

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おいては'空想や虚構よりも、合理的で実証可能なこと'

つまり現実の記録

・史実が重要視されてきたことは'よ

-知られている。

「桃花源記井詩」の中の人びとの生活や風俗が'現実社会のそれと同じものとして描写されてい

ることは、桃花源がほら穴

lつで隔

った水平的な地平の

t角に想定されているのとともに'中国における空想物語

の特色をよく示している。竹内実

によれば'中国思想の特色の

1つは'

「<実在>尊重'あるいは<実在>

に即し

てのみ<思想>が展開する」

とさ

'

それは、

空想の場合においてさえも実在感をなかなか離

れるこ

とができな

<止2>

いことを特徴とするという。

「桃花源記井詩」が'ユー-ピア物語としての特徴をもちながら、西洋

におけるそれのよう

に虚構

の中で自由

飛びまわり、虚構

のわ-の中で自己完結し得ず'桃源郷

の世界においてさえ'

日常生活の習慣がそのままあり'現

実社会のしきたりや礼法が支配しているというところに、空想の世界で自由

に想像力を働

かせるほど楽しいはずの

ユートピ

ア物語さえ'現実

の延長としてしか構想しない、中国的特色を見ることができるo

注①

l海知義

「陶淵明における<虚構>と現実」

三口川博士退休記念

中国文学論焦し

筑摩撃居所収。

竹内実

r中国の思想-伝統と現代IL第

1章<実在>と<超越>参侭。NHKブックス。日本放送出版協会O

(1九八〇年七月脱稿)

66