中国江南のモチ米食文化とその機能―民俗学的・人...

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カン セイチョウ 略 歴 2008 年 6月 (中国)南京農業大学日本語学部 卒業 2011 年 3月 (中国)東南大学外国語学院  修了 修士(文学) 2016 年 3月 名古屋大学大学院 国際開発研究科 修了 博士(学術) 2016 年 6月 人間文化研究機構・ 総合地球環境学研究所  拠点研究員 現在に至る 中国江南のモチ米食文化とその機能 ― 民俗学的・人類学的考察 The Culture of Glutinous Rice Food and Its Functions in south of the Yangtze River, China The southern bank of Yangtze River downstream is the origin of Chinese rice plantation, namely the barn area in history. This area has a long tradition to take rice food, especially the glutinous rice food as festival food. At present, residents living there get used to eat glutinous rice food in annual festivals, such as coming-of-age ceremonies, weddings, funerals as well as ancestor worship, which forms various folk culture and customs related to glutinous rice food. However, most of researches regarding to Chinese glutinous rice food culture focus on south area like Yunnan Province and Guizhou Province. The target of these researches generally concentrates on minorities other than the Han nationality, who treat glutinous rice as their main food. For this purpose, from 2010 to 2016, the author did the six-year field investigation focusing on the culture of glutinous rice food in regions south of the Yangtze River. This report, which based on first-hand information collected from fieldwork, looks into culture of festival food, aiming for deeply understanding local society. As a result, this report is able to demonstrate the current situation and history of culture of glutinous rice food in regions south of the Yangtze River, as well as culture function of this society. Especially, from observing oblation offering during Spring Festival and traditional eating habit like eating together, this report investigates thoroughly on cultural society function of glutinous rice food eaten at festivals, which has great significance for the study of customs of God Buddha belief and ancestor worship leaving in the root of Chinese society. 1

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甘カン

 靖セイチョウ

超 略 歴2008年 6月 (中国)南京農業大学日本語学部

卒業2011年 3月 (中国)東南大学外国語学院 

修了 修士(文学)2016年 3月 名古屋大学大学院

国際開発研究科 修了博士(学術)

2016年 6月 人間文化研究機構・総合地球環境学研究所 拠点研究員

現在に至る

 

中国江南のモチ米食文化とその機能 ― 民俗学的・人類学的考察

The Culture of Glutinous Rice Food and Its Functions in south of the Yangtze River, China

The southern bank of Yangtze River downstream is the origin of Chinese rice plantation, namely the barn area in history. This area has a long tradition to take rice food, especially the glutinous rice food as festival food. At present, residents living there get used to eat glutinous rice food in annual festivals, such as coming-of-age ceremonies, weddings, funerals as well as ancestor worship, which forms various folk culture and customs related to glutinous rice food. However, most of researches regarding to Chinese glutinous rice food culture focus on south area like Yunnan Province and Guizhou Province. The target of these researches generally concentrates on minorities other than the Han nationality, who treat glutinous rice as their main food.

For this purpose, from 2010 to 2016, the author did the six-year field investigation focusing on the culture of glutinous rice food in regions south of the Yangtze River. This report, which based on first-hand information collected from fieldwork, looks into culture of festival food, aiming for deeply understanding local society. As a result, this report is able to demonstrate the current situation and history of culture of glutinous rice food in regions south of the Yangtze River, as well as culture function of this society. Especially, from observing oblation offering during Spring Festival and traditional eating habit like eating together, this report investigates thoroughly on cultural society function of glutinous rice food eaten at festivals, which has great significance for the study of customs of God Buddha belief and ancestor worship leaving in the root of Chinese society.

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1 研究背景と目的

 中国揚子江の下流域南岸地域は中国の稲作の起源地及び穀倉地帯である(佐藤洋一郎:1996 、2008等)。この地域では米とくにモチ米食品が古くから行事食とされ、今なお年中行事に頻繁に用いられ、モチ米関連の民俗文化と習俗が多く見られる。しかし中国のモチ米食文化の研究は、地域的に見て西南部の雲南省や貴州省に集中しており、対象としては漢民族以外のモチ米を主食とする少数民族に関心を寄せているものが多い。江南地域のモチ米食文化に関する詳細な事例研究はきわめて少ない。本稿1は中国江南地域6市9村落の年中行事に用いられる行事食に着目し、モチ米食文化の現状と歴史および、その文化的社会的機能を明らかにすることを目的にしている。

2 「モチ米食文化」の定義と研究対象地域

 本研究が対象とする「モチ米食品」は、モチ米を主な素材として加工した伝統的な食べ物と定義する。年中行事などにおけるモチ米食品の奉納・贈与・共食に関する地域の生活風習や民俗信仰、社会規範が本研究で扱う「モチ米食文化」の意味である。本報告で用いる「中国江南」は、図 1 で示したように揚子江下流南岸の江浙平野に位置している江蘇省南京市・鎮江市・常州市・無錫市・蘇州市と浙江省嘉興市を指す。

 

図1:調査対象地域(江南農村部)の位置図

(天児慧他 1999:302 、635 の江蘇省・浙江省地図より作図)

3 中国江南(農村部)におけるモチ米の行事食の概観

 中国では旧暦正月の「春節」は古くから最大の年中行事である。民間では旧暦 12月30日の大晦日から旧正月15日の「元宵節」までを「春節」としている。「春節」には年始回りをしたり、祖先と神 を々迎えるためのいろいろなしきたりや物忌みがあり、家族で様 な々行事を行う。江南地域の 9 地区にある主な年中行事を表1に示した。 

   

1 本稿は甘靖超(2016)「中国江南のモチ米食文化とその機能に関する民俗学的研究」名古屋大学大学院国際開発研究科2015年度博士学位論文の一部を再構成したものである。

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表1:中国江南・農村地域9地区の年中行事とモチ米の行事食

No. 時期(旧暦) 行事名称 奉納対象

モチ米の行事食の有無

モチ米の行事食の種類南京

鎮江常州無錫

蘇州

嘉興

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨

1 1月1日 年初一 なし ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

①②④年糕・炒米・炒米団・元宵・雪片糕、③年糕・炒米・炒米団・元宵・雪片糕・団子、⑤湯円・黄酒、⑥青白円子、⑧湯円

2 1月5日 年初五 財神 × × × × × × ○ × ○ ⑦団子、⑨年糕

3 1月15日 元宵節 なし ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ △ ①-⑨元宵/湯円(③⑦元宵/湯円+団子)

4 1月 立春 なし ─ ─ ─ ─ ─ ○ ─ ─ ─ ⑥湯円

5 2月2日 二月二 なし × ─ ─ × ─ ─ ○ ○ ─ ⑦⑧年糕

6 3月 清明節 祖先 ○ × ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

①④粽子(新仏)、⑤団子、⑥青白団子、⑦青団子・粽子、⑧団子、⑨青団子・粽子・米酒・野火飯

7 4月8日 四月初八 なし △ × △ △ × × × × × ①③④烏飯

8 5月5日 端午節 なし ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ △ 粽子

9 6月4、14、24日 竈神生誕 竈神、土地神 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ○ ─ ⑧湯円

10 7月15日 中元節 祖先 × × × × △ △ × × × ⑤雪片糕・団子、⑥茄餅

11 8月15日 中秋節 月神 ○ × × ○ × × × ○ × ①④ 、⑧湯円

12 9月9日 重陽節 なし × × △ × × △ × △ × ③方糕、⑧松糕

13 11月 冬至 祖先 × × ○ × △ △ ○ △ × ③⑤⑥団子、⑦年糕、⑧臘八粥

14 12月8日 臘八節 なし ○ ○ ○ ○ ○ × ○ × △ ①-⑤⑦⑨臘八粥

15 12月24日 送竈竈神 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ①②④炒米団・炒米糖、③団子、

⑥年糕・黄酒、⑦年糕・団子・黄酒、⑧糍団、⑨赤豆飯竈神、土地神 ─ ─ ─ ─ ─ ○ ─ ○ ×

16 12月30日 年三十 祖先、竈神、年菩薩 × × ○ × ○ ○ ○ ○ ○

③団子・年糕、⑤黄酒・年糕・団子・湯円、⑥黄酒・年糕、⑦黄酒・年糕・団子、⑧黄酒・松糕、⑨米酒・年糕

凡例

1.丸数字①-⑨は筆者の調査対象地域を示す。①②③は順に南京市東陽社区東陽街・双崗社区咸墅村・河濵社区中山大街、④は鎮江市宝華鎮和平村、⑤は常州市薛埠鎮薛埠村、⑥は無錫市 湖鎮、⑦は蘇州市同里鎮、⑧は蘇州市古里鎮団結村、⑨は嘉興市河山鎮石欄橋村である。

2.「モチ米の行事食の有無」欄の「○・×・△・─」は、それぞれ「あり・なし・一部の家にあり・該当する行事・行事食なし」を意味する。

3.奉納対象の有無については筆者の実地調査によるものである。例えば臘八節は12月8日の釈迦成道日に由来したが、元来の仏事的な意味が江南の家 に々伝承されていないので、「奉納対象なし」とした。

 この9地区の16行事には十数品目のモチ米食品が用いられ、「糕(gāo)・団(tuán)・円(yuán)・飯(fàn)・粥(zhōu)・粽(zòng)・酒(jiǔ)」の7 つの名称が付けられている。加工後の米の状態から、大きく粉食・粒食・液体状食の3つに分類され、粉食系として「年糕」、「松糕」、「方糕」、「雪片糕」、

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「円子・元宵・湯円」、「団子・青団子」、「茄餅」、「 」があげられる。粒食系では「炒米・炒米団・炒米糖」、「野火飯」、「烏飯」、「赤豆飯」、「臘八粥」、「粽子」、「糍団」がある。液体状食は

「黄酒」、「米酒」がある。

4 中国江南の正月餅である「年糕」

 江南の最も代表的なモチ米の行事食には「年糕(niángāo)」と呼ばれる正月餅がある。「年糕」の名は、明末北京の『帝京景物略』巻 2 正月元旦「黍糕を喰らい、年年糕と曰う」のが最初(『清嘉録』1830 /1988:253 )という。江南地域の「年糕」については清代の『清俗紀聞』(東洋文庫, 1799/1966)・『清嘉録』(平凡社, 1830/1988)に記載がある。 「12月20日頃より25 、6日までのうち、家々年糕を制す(糯米の粉を蒸し、砂糖をつきまぜ円き蒸籠に入れ、再び蒸す。ゆえにその形まろきをそのままに用ゆ。あるいは 3 つ 4 つに長く切りまたは金錠の形にこしらえたるもあり。大小等しからず。もっとも寒中にかぎり制する事にあらず)」(中川忠英 1799/1966:62)。 「黍の粉に砂糖を加えて糕につくり、これを『年糕』という。黄と白の2種類があり、差し渡し1尺ほどで方形のものを俗に『方頭糕』と称し、元宝の形としたものは『糕元宝』という。黄白ともに積み上げて、年夜(除夜)の神への供え物、歳朝(元旦)の祖先への供え物、及び親戚朋友への贈答品として用いる。下僕や婢女に賞与する糕は短冊形で、俗に『条頭糕』と称する。これよりやや広幅のものは『条半糕』という。富家にて糕職人を雇って、粉磨きから蒸し上げまで家でさせるところもある。しかし簡単にすませる家では、皆店屋で買う」(顧禄1830/1988:252-253)。 これらの記録から、清代江南の「年糕」は米粉に砂糖をまぜて蒸した餅であることがわかる。「『清嘉録』に「年糕」の材料が黍の粉とあるが、年糕にはモチ米粉ともちきびの粉で作られるものがあり、

     

①蒸した米粉を搗く⇒   ②搗きたての米粉を細長く伸ばす⇒  ③糸で長方形に切る写真1:石欄橋村の「年糕」の加工(2011年筆者撮影)

   

写真2:石欄橋村の「年糕」と「元宝」(2011年筆者撮影)

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モチ米が一般的である」と中村喬氏(1988)の注記がある(顧禄 1830/1988:253)。なお江南地域を含む南中国の人々は、「黍」を「稲」の類語として使う場合があり(遊修齢・曽雄生 2010:43-59 、394-405)、『清嘉録』の「黍の粉」は米粉の意と解すべきだと思われる。 「年糕」の形については『清俗紀聞』に円形・長方形・金錠の形(中川忠英:62)、『清嘉録』に方形・元宝の形・短冊形とある(顧禄1830/1988:252-253)。金錠と元宝は馬蹄型の金塊・銀塊を指し、清代の通貨である。つまり、「年糕」には円形・長方形・正方形・馬蹄型の4種類があった。 江南地域の 9 地区では現在でも旧正月に「年糕」を食べるが、家で「年糕」をつくるよりは市販のものを買うようになりつつある。浙江省嘉興市石欄橋村の「年糕」搗きは今なお旧暦 12月下旬に始まる。一晩水分を吸わせたモチ米を米粉に加工して蒸し、5・6 軒の村人が共同で搗くのが普通である。搗かれた米粉の餅を板の台に載せてこね伸ばし、紐で長方形(縦18cm・横8cm・高さ3cm・重さ750gほど)に切る。最後に切れ端の「年糕」を馬蹄型に握り、「元宝(yuánbǎo)」にし、「年糕」と「元宝」の両端に食紅で点を1つずつつけて飾る。 江蘇省無錫市 湖鎮の「年糕」はモチ米 6・7 割にウルチ米 3・4 割の比率である。米粉に白砂糖・赤砂糖・汁粉を加えて、それぞれ「白糖年糕(báitáng niángāo)」・「紅糖年糕(hóngtáng niángāo)」・「紅豆年糕(hóngdòu niángāo)」の3種類にする。「年糕」の加工は、米粉を蒸しあがったら、手でこねて布や包丁で長方形に切るのである。

 切り残した両端の半円形を生かし、押して「糕頭(gāotou)」を作る。また「元宝」を「糕頭」にセットする。農家のつくる「元宝」は、蒸した米粉を丸めた団子(直径 6cm ほど)である。餅店でつくる

     

①砂糖入りの米粉⇒ ②米粉を蒸す⇒ ③蒸し立ての米粉⇒     

④さらし越しでこねる⇒ ⑤米粉を伸ばす⇒ ⑥包丁で切る

写真3:「年糕」の加工・ 湖鎮花沿橋糕餅店にて(2014年筆者撮影)

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場合は、蒸した米粉をこねて直径 10cmほどの円形に押し、真ん中から2つに折る。写真 4に示したように茶碗の凹みに沿って8 の字の形にしつらえ、真ん中が高くなるよう整える。最後に食紅で「壽」や「福」の印字をつけて飾る。長方形の「年糕」は両端に1 つずつ印字をつけるが、「糕頭」・「元宝」は中央に1つである。     

写真4:蕩口地区の「年糕」(左)・「糕頭」(中)・「元宝」(右)(2014年筆者撮影)(「年糕」は上から順に「紅豆・白糖・紅糖年糕」である)

 江蘇省蘇州市同里鎮の「年糕」は紅白の2種類がある。白いほうは「桂花年糕(guìhuā niángāo)」といい、表面に金木犀の花の蜜付けをまぶしたもので、赤いほうは「玫瑰猪油年糕(méigui zhūyóu niángāo)」と称する。バラの花の蜜付けで赤く染め、中に砂糖漬けのラードの細切りを入れる。同里鎮の「年糕」は 湖鎮のものと同様に作られている。 蘇州市古里鎮団結村の「年糕」は「松糕(sōnggāo)」という円盤状の餅(直径50cm・厚さ8cm・重さ8~10kgほど)である。米粉に溶かした砂糖を混ぜて蒸す。モチ米対ウルチ米の割合は6:4または7:3である。米粉に混ぜる砂糖によって「紅糖松糕」・「白糖松糕」の2種類があり、赤・緑に染めた乾燥フルーツの細切りやナッツをまぶすこともある。「白糖松糕」は2 層の米粉にこしあんを挟むようにつくることもある。加工中に米粉を搗いたりこねたりせずに、生地がふわふわして柔らかいことで「松糕」と名づけられる(中国語の「松」は、ふわふわして柔らかい、またはものが固まっていないという意味がある)。     

写真5:同里鎮の「玫瑰猪油年糕」(左)と「桂花年糕」(2013年筆者撮影)

写真6:古里鎮の「紅糖松糕」(2011年・古里鎮S家による)

写真7:咸墅村の「方糕」(2012年筆者撮影)

 南京市東陽街・咸墅村・中山大街と鎮江市句容市和平村、常州市薛埠村の「年糕」は湿った米粉を正方形に成形してから蒸した餅である。米粉の配合はモチ米 7 割にウルチ米 3 割の比例が一般的である。「糕盒子」という型を使い、米粉を正方形に成形するので、「方糕(fānggāo)」といい、旧正月に用いられる「方糕」は「年糕」と称する。

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 「糕盒子」は凹刻した吉祥図や縁起の文字が施された押し型であり、5 段 25マスに仕切られるのが普通であるが、写真 6に示した南京市東陽街にみられる「糕盒子」のようにマスの形が施された吉祥図の輪郭によって異なるものもある。この糕盒子は年代が定かではないが、持ち主の G 氏(1932 年生まれ)が 1950 年に夫の徐家に嫁いだ時にはすでにあったという。マスの図案は吉祥の意味をもつ動植物や寿老人のような神様または「壽」字や「太極図」などの模様が多い。

   

写真8:東陽街G氏の「糕盒子」(縦・横・高さ:36・36・5cm)(2012年筆者撮影)

図2:東陽街G氏の「糕盒子」の図案(写真8によって筆者作図)

 「方糕」の作り方は以下のとおりである。まずは米粉に少量の湯をかけて混ぜる。米粉が固まらずにさらさらした状態になるようにし、篩にかけて型に詰める。型の上にさらしを敷き、「蒸板」という

     

①米粉を揉み、篩にかけて型に詰める⇒②米粉を均す⇒③さらしと「蒸板」をかける⇒

     

④型を反転させ米粉を叩き落とす⇒⑤成形済みの米粉を蒸す写真9:咸墅村の「方糕」作りの流れ(2012年筆者撮影)

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格子状の板をかけて素早く反転させる。「糕盒子」の底面を叩いて型を抜くと、米粉が模様付きの正方形になる。米粉を「蒸板」にのせたまま鍋に入れて蒸す。蒸しあがったら、取り出して箕に並べ、表面を飾り付ける。箸を使い食紅で「方糕」の真ん中に赤い点をつける。「方糕」の四隅に赤・緑の点を2つずつ、真ん中に赤い点をつける飾り方もある。 このように中国江南地域の正月餅はいずれも粉食系の餅である。素材はモチ米 7 割・ウルチ米 3 割の比率でこしらえるのが多いが、砂糖などの配合物も用いられる。その加工は粉化・形状調整・加熱・装飾の4つに分けられる。水分を十分に吸わせた米を粉化して蒸すことは共通している。「年糕」の形状調整は(1)米粉を蒸してから搗いたりこねたりする方法と、(2)せいろや型で成形して蒸す方法がある。その形は清代と同様に円形・長方形・馬蹄型・正方形の4種がみられる。

表2:中国江南6都市9地域(村落)の「年糕」

 「年糕」は温めて主食や菓子として食べるのが一般的である。スライスして汁や粥に入れてゆでたり、溶き卵をつけて油で揚げるという調理法もある。

5 年中行事時の祖先祭祀におけるモチ米食品

 江南地域では年中行事に祖先祭祀の儀礼が行われるのは、清明節と中元節、冬至、「年三十」であるが、以下では「年三十」(大晦日)の祖先祭祀を例にモチ米の供物について述べていく。祖先祭祀の大まかな次第は以下のようである。①食物と食器を用意し供物台に並べる⇒②ろうそくを灯し、

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線香をたてる⇒③酒を3 回にわけて杯に注ぐ⇒④紙銭を燃やし、家長から順に祖先に拝礼する⇒⑤供物をかまどの台にさげる⇒⑥供物(食物)を加熱し直して家族・親族で共食する。

(1)事例1:無錫市 湖鎮(2015年)〔食物類の供物〕飯2碗、「年糕」1組・2切れ、肴6品、「黄酒(huángjiǔ)」(モチ米の醸造酒の一種)1壺・数杯、果物3品を供える。「年糕」を2組2切れ、肴を6品以上に増やす家もいる。たばこを加えることもみられる。祖先祭祀に使われる「年糕」は両端に赤い「壽」の字が捺印されたセットであり、「紅糖年糕」の上に「白糖年糕」を積み重ねるという形をしている。

〔配膳の作法〕供物台の南側の中央に香炉を据え、赤ろうそく2 本と線香を立てる。その西側に「黄酒」入りの壺、東側に「年糕」を供える。供物台の西・北・東側の縁に箸1膳・杯1つを1組にして数組を並べる。数は祀る祖先の人数に応じる。「黄酒」を3 回に分けて壺から杯に注ぐが、杯の半分を満たすのが目安である。供物台の中央に肴と飯を供える。写真10は 湖鎮華金生家2015年の「年三十」祖先祭祀の供物台である。供物と祭具はそれぞれ図3のように配膳する。図3の●は

「黄酒」入りの杯、二重線は箸、○は肴を意味している。   

写真10:無錫市 湖鎮「年三十」祖先祭祀の供物台(華金生氏撮影・2015年)

図3: 湖鎮祖先祭祀の配膳位置図(写真10による筆者作図)

 一方、死者の家では「年糕」を搗いたり購入したりすることはタブー視されている。そのため喪主の親族は大晦日までに「孝糕(xiàogāo)」と名付けた餅を贈る。年によって立春が大晦日の前になる場合は立春の日までに贈る。喪主の姉妹は 2 つの①正方形の「紅糖年糕」を台に②長方形の「紅糖年糕」2 つと、③「糕頭」・「元宝」各 1 つ、④「順風団(shùnfēngtuán)」(赤砂糖入りの米粉を蒸して、こねずに丸めた団子・直径 6cm ほど)1 つをのせて図 4 のようにセットする。他の親族から贈られた「孝糕」は「糕頭」・「元宝」・「順風団」を含まない。喪主は「孝糕」を受け取ってから、正方形の「紅糖年糕」以外のものを返す。 この交換は縁起直しの俗信に通じ、親族同士が今後とも支え合うという意思表明にもなると考えられている。

 

図4:喪主の姉妹が用意する「孝糕」(筆者作図)

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なお「糕頭」・「元宝」の中央には一つずつ、長方形の「紅糖年糕」の両端には一つずつ、正方形の「紅糖年糕」の四隅と中央には1つずつ「壽」の字が捺印してある。

(2)事例2:嘉興市石欄橋村(2013年) 嘉興市石欄橋村では大晦日の前と旧正月3日の夕飯前に2回祖先を祀る。

〔食物類の供物〕飯1碗、「年糕」1皿、肴数品(魚・肉・鶏等)、「米酒(mǐjiǔ)」(モチ米の醸造酒の一種)1碗・数杯、果物(りんご・みかん)を供える。

〔配膳と作法〕供物台の手前の縁にろうそくを立てる。ろうそくの両サイドと向かい側の縁に、祀る祖先の人数に応じた箸と杯の組み合わせをセットする。ろうそくと箸・杯に囲まれるように飯・「年糕」・肴・果物を並べる。飯は高く盛って碗にちりれんげをさす。「年糕」は必ず加熱し薄切りにして皿に盛り付ける。「米酒」を加熱し3 回に分けて杯の半分を満たすように注ぐ。別途「米酒」入りの茶碗を用意し、ちりれんげをさす。飯と「米酒」の碗とセットしたちりれんげは、祖先が飯と酒のお代わりをする時に使うものとされている。

 石欄橋村 W 家は旧暦 12月28日に「年三十」の祖先祭祀を行った。供物と配膳は写真 11と図 5に示したようである。箸と杯は18組供え、1列9組でろうそくの両側に並んでいる。W氏(1961年生まれ)の両親が健在であった時には毎年 16 組を用意していたが、W 氏の両親が他界後に2 組分を付け加えた。箸は右手に、杯は左手に置いてある。「祖先は家族であるので温かい料理と酒を供え、食器を用意する。箸と杯の向きは生前の通りにする」とW氏は語った。肴の品目については魚・肉・鶏・野菜を揃え、飯・年糕・米酒とあわせて8/10/12品目にすればいいという。

   

写真11:石欄橋村W家の「年三十」祖先祭祀の供物台(王暁明氏撮影・2013年)

図5:W家の「年三十」祖先祭祀の配膳(写真11によって筆者作図)

  と石欄橋村のようにモチ米食品を「年三十」祖先祭祀に用いるのは、南京市中山大街と常州市薛埠村・蘇州市同里鎮・同市団結村の 4 地区である。それに対して南京市東陽街・咸墅村と鎮江市和平村の 3 地区は旧暦 12 月にモチ米の「方糕」をこしらえるが、祖先祭祀には使わない。東陽街と和平村は「年糕」の代わりに餡子入りの饅頭を供える。「黄酒・米酒」のような米の醸造酒の代わりに「白酒」という穀物の蒸留酒を用いる。筆者の 2010 年から2015 年までの実地調査によると、江南9地区の「年三十」の祖先祭祀に用いるモチ米の供物は表3のようにまとめられる。

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表3:中国江南9村落の「年三十」祖先祭祀におけるモチ米の供物

(注釈:×は「モチ米の供物がない」を意味する。括弧内はモチ米食品の代用品である)

6 年中行事時の神仏祭祀におけるモチ米食品

 江南地域の年中行事に行われる神仏祭祀においては、9 地区ともに供物を用意して供える神様が「竈神」(かまどの神)のみである。旧暦 12月24日に「送竈」と称する竈の神の祭が行われる。それは一年を各家で過ごしたかまどの神が、この日に天に昇って天帝に家々の出来事を報告すると信じられているからである。かまどの神は大晦日の夜半から元旦にかけて再び各家に降下する。この時また「接竈」という神迎えの儀式が行われる。 嘉興市石欄橋村W家では、旧暦12月23日の夕食後に「赤豆飯(chìdòufàn)」(赤飯)1碗・杯3つを一列に並べ、かまどの供物台に供える。当主のWは3回に分けて杯に「米酒」を注ぎ、妻子とともにかまどに3 回拝礼する。夜半 0 時になった時に「竈神」の御札「竈門簾」をかまどに投じて燃やす。これで「竈神」が天に昇っていくという。最後に「赤豆飯」と「米酒」を下げて家族で食べることで「送竈」の儀式を終了する。 大晦日の「接竈」は「年糕」3 碗・杯 3つ・「豆乾(半乾燥の豆腐)」1 碗・「油泡(厚揚げ)」1 碗・

「豆腐皮(ゆば)」1碗・果物(りんご・みかん・砂糖黍)若干・「紙元宝」(馬蹄銀状の紙銭)1枚を供える。これらの供物の配膳は写真 12(右)と図 6に示した通りである。夜中 12 時前に当主が 3 回に分けて米酒を杯に注ぎ、家族がそろって3回拝礼する。元日の0時を回った時に新しい御札をかまどに貼り付ける。下げた供物は後日に調理して食べる。これで新たな一年において「竈神」の加護をいただくという。         

写真12:石欄橋村W家のかまど(2012年年筆者撮影)と「接竈」祭祀の供物(右)(王暁明氏撮影・2013年)

図6:「接竈」祭祀の供物配膳

(写真12によって筆者作図)

 石欄橋村以外の江南の8地区では「送竈」の儀礼に供える食物の品目と数は多少異なるものの、みなモチ米食品が供物に用いられており、その詳細を表4にまとめた。

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表4:中国江南9地区・「竈神」の祭祀におけるモチ米の供物

 「送竈」の儀礼に用いるモチ米食品の種類と数は以下の通りである。薛埠村・同里鎮・団結村の3地区はみな「黄酒」1杯を供える。東陽街・咸墅村・和平村は「炒米糖(chǎomǐtáng)」(炒ったモチ米に麦芽糖を加えて固めたもの)1碗、中山大街は団子3皿、薛埠村は団子1碗(6つ)・「方糕」1碗

(6つ)、 湖鎮は「年糕」2切れ、同里鎮は団子1碗(6つ)、団結村は「糍米団(címǐtuán)」(蒸したモチ米にこしあんを加えて丸めたおはぎのようなもの)1碗を供える。同里鎮では団子を2つや3つ供える家や、団子の代わりに「年糕」1 切れを供える家もある。「接竈」の儀礼においては薛埠村・ 湖鎮・団結村は「円子(yuánzi)」(モチ米の米粉で丸めた団子であり、ゆでて食べる)1 碗を供え、同里鎮は「送竈」時と同様に団子6つを供える。

7 考察:中国江南の祖先・神仏祭祀におけるモチ米食品の機能と位置づけ

 以上、中国江南 9 地区の旧正月行事を中心に(1)どんなモチ米の行事食があるのか、(2)どのように加工・調理するのか、食用にするのか、(3)どのような作法で奉納するのかについて述べてきた。以上の諸事例を総合してみると、多種多様のモチ米食品が行事食・供物として用いられていることは明らかである。年中行事においてモチ米食品の奉納と共食、すなわち祖先と神仏にモチ米の行事食を供え、家族同士が下げた供物を食べるという行為を通して、祖先と子孫・人間と神仏の連帯感を再確認し結束させる機能が働いている。 一方、祖先・神仏祭祀にはモチ米食品以外の供物も見られる。そこでモチ米の供物はどう位置づけるべきなのかを改めて考える。ここで注目したいのは以下の4点である。 第一は、「年糕」が冷食か温食かによって祖先と神仏を区別することである。嘉興市石欄橋村では祖先祭祀と神仏祭祀とともに「年糕」を用いる。祖先祭祀の「年糕」は供物台に並べる前に必ず加熱しておくが、それ以外の祭祀には加熱せずに供える。これについて石欄橋村の W 氏は「神様は供物を我々の家で召さず持ち帰られるので、生のままを供えればいい。祖先は家に帰って我 と々一緒に食事するので、年糕を温めておかないといけない。祖先が家で食事をした後、子孫の私達が続いて食べる」と語っている。このように祖先に温かい「年糕」、神仏に温めない「年糕」を供えて祖先と神仏を区別する作法は同浙江省寧波市慈城鎮でも観察される。慈城鎮は年末の祖先と神への奉納が同じ日に行われ、「年糕」・「粽子」などを供えるが、祖先へのモチ米食品に塩・砂糖をつけ加える。神への奉納品は生・熟や味付けの区別しないという。祖先祭祀は祖先を敬うことであり、祭祀の対象が

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人である以上、供物を調理し、味をつけないといけないという(王静 2010:118-124)。つまり「年糕」を調理(加熱)するしないは、祭祀の対象が祖先なのか神なのかの区別を示している。 第二は、「黄酒・米酒」の数と作法が意味するところである。酒の杯を祭祀の対象に応じて用意することは、何代までの何人の祖先を供養するのかを明確に示している。さらに酒にのみ3 回に分けて杯につぎたすという作法がある。酒をつぎたすことは祖先・神仏に酒を進めることを意味し、これで家族が祖先や神仏と交流が成立する、と江南の人々は考えている。よって祭祀対象の人数分だけ酒を用意し3 回注ぐことは、祖先・神仏に対する歓待の象徴的な作法であり、祖先・神仏とのつながりを強める作法である。 第三は、「年糕」が供物台のどこに配置されかるかについてである。無錫市 湖鎮の祖先祭祀には

「年糕」を必ず供物台の東南角に供える。それは 湖鎮では東南方を「青龍」と呼び、その方向が最も尊い方位であると信じられているからである。 第四は、無錫市 湖鎮にみられる死者を持つ家に関する禁忌と特別な作法についてである。喪中の喪主は「年糕」を搗かず買わないという物忌みがあり、その親族の間で「孝糕」の贈与・返礼が行われることである。 このように①生か熱かという調理の度合い・②奉納する数と作法・③供物台に配置される位置・④忌事と特別な作法の有無から考えると、モチ米の供物は他の供物とは違い、特別な意味合いを持った供物であることがわかる。

主な参考文献

天児慧、石原享一、朱建栄他(編). 1999. 『岩波現代中国事典』岩波書店.

甘靖超 . 2016「中国江南のモチ米食文化とその機能に関する民俗学的研究」名古屋大学大学院国際開発研究科2015年度博士学位論文, 名古屋大学.

顧禄(著)・中村喬(訳注). 1988(初出年1830). 『清嘉録-蘇州年中行事記』平凡社.

佐藤洋一郎. 1996. 『DNAが語る稲作文明:起源と展開』日本放送協会.

佐藤洋一郎. 2008. 『イネの歴史』京都大学学術出版会.

中川忠英(著)、孫伯醇・村松一弥(編). 1966(初出年1799). 『清俗紀聞』東洋文庫.

王静. 2010. 『慈城年糕的文化 』宁波出版社.

游修 ・曾雄生. 2010. 『中国稲作文化史』上海人民出版社.

謝 辞

 本研究を進めるにあたり、アサヒグループ学術振興財団より助成金を賜りましたことを、ここに深く感謝申し上げます。

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